結城リトの受難   作:monmo

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第二話

 朝、何かを焼いている様な、料理の音で俺は目覚めた。

 

 

 

 ゴン!

 

 

 

 そしてまた昨日と同じ場所、ガラスの窓に顔をぶつけたのだった。どうやら癖になっているらしい。いつか割ってしまわないか心配だ。

 

 ガンガン痛む頭を押さえて、無言のまま数分。眠気の覚めた俺はキョロキョロと周りを見回す。

 

 やはり、そこは結城家の家で……俺は結城リトの部屋のベッドの上に居た。何も変わらなかった。何も変わらなかったのだ。

 

 俺は安心をしたのか、はたまた絶望したのか、自分でもよくわからない溜め息を吐き出し、ベットから下りて時計を確認した。7時5分前。時間だけは丁度良い。

 

 未だ慣れない足取りで階段を下り、洗面所で結城リトのツラを睨んでから顔を洗い、キッチンへと向かう。音で予想した通り、そこにはもう美柑が朝食の用意を始めていた。

 

 「おふぁよ〜リト」

 

 「……おはよ、美柑……」

 

 お互いに眠そうな挨拶をして、俺は冷蔵庫から牛乳を取り出す。美柑はと言うと、昨日と同じ模様のエプロン姿で朝食を作っている。

 牛乳をコップへと注ぎ、口の中の不愉快なモヤモヤと一緒にそれをひと飲みして、俺は今日の事を考えることにした。

 

 遂に『登校日』となってしまった。普通に楽しみと言ってしまえば楽しみ……と言うのは、ほんの建前で、実際にはそれに比例するぐらい、いやそれ以上の不安が俺の中で蹂躙している。

 しかし、この体である以上、逃げ出すわけにもいかない。俺がどう上手くToLOVEるを乗り切るかで運命は左右されてしまうのだろう。恐いが、頑張るしかないのだ。

 

 「できたよー」

 

 そんな事を考えている内に朝食ができた様だ。俺は椅子から立ち上がり、食器を運ぶ手伝いをする。

 テーブルの上には卵焼き、味噌汁、焼き魚、ほうれん草、が並んだ。和食だった。なら牛乳は口に合わないだろうと思い、俺は冷蔵庫に牛乳をしまうと、中から2Lサイズのペットボトルのお茶を取り出した。

 そして再び椅子に座ろうとしたところで美柑に声をかけられたのだ。

 

 「リトー、はい」

 

 と言って、美柑は華美な風呂敷で包んだ四角い箱を俺に渡す。中身は弁当だろう。手に取っただけでも、中からは美味しそうな匂いがするからだ。

 思えば、リトの昼食は弁当だったな……と、俺は原作の記憶を思い返す。俺はコンビニなど、そこら辺で飯を買っていたし、別にそれも悪くはなかったのだが、これからは美柑の弁当にお世話になる様だ。そう思うと、何だか苦笑いが出てきそうで、無性に空しくなった。

 

 「いっただきまーす」

 

 「いただきます……」

 

 そんな大して内容もない事を考えるのを止めた俺は、弁当を膝の上に乗せて置いて、朝飯に箸をのばした。やっぱり美味しい。中でも卵焼きが並外れて美味い。

 

 そんな朝のひと時を、俺はゆっくりと過ごしていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 気が付けば時計が示していたのは7時半。ヤバいヤバいと心の中で慌てながら、俺はリトの制服を着込むと、荷物を最終確認する。

 

 「………うん」

 

 忘れ物はなさそうだ。もし、これで今日が何か特別な物を持ってくる日とかだったら、素直に諦めるしかない。

 

 そんな事よりも、俺にはこの制服の方が不可解で、不安に感じていた。いや、形としてはただの制服なのだが、その色合いは抹茶色のズボンに、カスタードクリームみたいな色をしたブレザー。着込んだ見た目は、完全に和風スイーツみたいで何だか可笑しい。着る前に見た瞬間、笑ってしまうほどだ。

 

 そんな愚痴を思う間も少なく、俺は最後に美柑の弁当を鞄に入れると、玄関へと向かう。

 美柑は昨日と同じく、ダイニングでテレビを見ていた。学校が近いのか、眠気も覚めて、余裕そうな表情だった。

 

 「美柑、行ってくる……」

 

 「ん、いってらっしゃーい、リト。きおつけてねー♪」

 

 俺のぎこちない挨拶に全く不信感を抱かず、彼女は俺に優しい返事を返してくれた。本当に、自分はこの世界で『結城リト』として生きて行かねばならないのだろうか。酷く不安になったが、それでも先程まで感じていたプレッシャーは、ある程度軽くなった様な気がした。

 

 俺は玄関へ出ると、そのまま道路には出ず、庭の方へと回る。忘れてはならない。植物の世話はリトの役割なのだ。

 

 鞄をそこら辺の端に寄せ、俺は昨日の様に蛇口へホースを繋ぐと、植木鉢の植物達にシャワーを浴びせた。太陽は昨日と変わらず、さんさんと空で光り、水はその光に反射して俺に虹を見せる。

 

 それはとても穏やかな感覚で、こんな生活も悪くないと思ってしまった自分がここにいた。冷静になった後で、その思考は蹴っ飛ばしてしまったが。

 

 「ふぅ……」

 

 水を撒き終えた俺は、ホースを片付けて、腕時計を見る。丁度、7時45五分。まだまだ全然間に合う時間だった。

 が、油断もできないので、俺は素早く鞄を背負うと自分の家……『新しい家』を飛び出した。

 

 これから行く『彩南高校』には俺の知っている『ToLOVEる』のキャラ。西連寺、籾岡、沢田、猿山、その他諸々、言い切れないほどの人物がいる。

 果たして上手くやっていけるのだろうか……。ダラダラと垂れそうな不安を胸に募らせながら、俺は住宅街の並ぶ道を歩いて行った。

 

 足取りは、昨日の時よりは随分軽く感じた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 大通りに出て進むに連れ、自分と同じ制服を着た人が増えてきた。どうやら急ぐ必要はなさそうだと、俺はそのまま商店街の中を歩いて通る。まだどの店も開いてはいないが、準備を始めている人達を見ると、「これから頑張るぞ」と言う気迫が見て取れた。こういう商店街の一面が楽しくてしょうがない。前の世界では、身近にこんな場所はなかったから。

 

 そんな事を思いながら商店街を抜けて、十数分。目的地が見えてきた。

 

 目の前の馬鹿にデカい学校。名前は『彩南高等学校』。昨日も見たはずなのだが、俺は正門に近付いて、今一度看板を調べた。

 うん『彩南高等学校』 間違いない。今日からここが、俺の通う高校である。

 

 俺は携帯をマナーモードに切り替えると、普通に正門を通り、先生であろう人達に適当な挨拶をしながら校内を進んで行った。

 

 下駄箱に着くなり、俺はまずリトの下駄箱を探し始めた。こう言う事は素早く、慎重に、なるべく怪しまれない様にやらなくてはならない。

 1年の棚を端から端まで、ザーっと調べていくと目的の場所は案外早く見つかった。ご丁寧に名前まで書いてあったその下駄箱を開き、俺は中の上履きを取り出して靴を入れる。そしてそれに履き替えたあと、丁寧にパタンと閉めた。

 

 これで難関は終わり、教室へ……ではなく、今度はその教室を探さなくてはならない。地図でもあればいいのだが、そんな都合良く貼ってあるわけないだろう。俺は前の学校の記憶を思い返し、一番、真新しそうな校舎から探そうとした。

 

 その時だった。

 

 「よォリト!」

 

 突然、肩を叩かれ俺はビクッと小さく飛び上がる。完全に気を抜いていたので本当にびっくりした。

 

 「ッハハハハ! なんだよ。おっ前、驚きすぎ!」

 

 俺は恐る恐る、首を、ギギギギギ……という音でも立てそうな動きで振り返って見た。

 

 そこには、ツンツンと尖った髪型をした、愉快な猿顔の男子生徒が俺に向かって笑いかけていたのだ。

 

 「猿山……」

 

 彼の名前は『猿山ケンイチ』。主人公『結城リト』の大親友であり、『おっぱい』と言う名のエルドラドを求めている変態でもある。

 『ケンイチ』がカタカナ表記の理由は、漢字で表記された事が一度もないから。もしかしたら漢字の『ケンイチ』を見る事ができるのかもしれない。

 

 「ん? なぁんか元気ねーな? どうした?」

 

 無言のままの俺が妙だったのだろう。心配そうな顔をする猿山。普段はおちゃらけているが、彼にはこういう良い所もあるのだ。『結城リト』は本当に良い親友と巡り会えたと思う。

 

 しかし、そんな事を考えている場合ではない。俺は咄嗟の判断で答えた。

 

 「イヤ……何でもねーよ。ここで話すのもアレだし、さっさと教室に行こうぜ……?」

 

 「そうだな、早くしねぇとそろそろヤバい!」

 

 と言って、猿山は俺を追い抜いて廊下を走って行った。良かった。しらみつぶしに探さないで済みそうだ。

 急いで彼を追いかけ、俺は『1-A』と書かれたプレートがくっ付いてある教室へと辿り着いたのだった。

 

 猿山が先に入って行ったドアに手をかける。何だか酷く緊張してきたが、ここでウジウジしても仕方がないので、俺は一呼吸をつけてからドアを開き、当然の様に中へと入った。

 俺の入室に、中にいたヤツはチラッと見るだけで大きな反応は起こらず、また顔を元に向けていた方向に戻していく。『結城リト』はこのクラスの生徒なのだから当然なのだが、やはり知らない教室に入るのは、やや気が引ける。

 俺はホッと安堵の息をつきながら、猿山が座っている席へと近付いた。このまま自分の席に座りたいのは山々なのだが、『学校』も『下駄箱』も『クラス』も場所の知らなかった俺には、当然『席』もわからないのだ。

 だから、周りからの不振な視線を避ける為、俺は既に座っている猿山に近付いたのだ。

 

 「なぁ、猿山。聞いてくんねぇ? 実は……

 

 彼としょうもない話をしながら、俺はまだ真新しかった漫画の記憶を思い返す。

 この教室の座席の数は横6列で縦>列、つまり36席。だが、机の無い場所があり、それを引くと34席。

 原作スタート直後のリトの席は確か窓側だったはずなのだが、今そこには4人の生徒が座っている。5人目が来るまで猿山と話でもしていようかと思ったのだ。

 

 最初は俺が頭をぶつけた話だったが、猿山がゲームの話へと変えてくれた。良かった、ゲームならある程度、俺でも続けられる事ができる。

 と思ったら、窓側に5人目が座ってしまった。俺は話を切り上げ、窓側の席へと座ってみる。念の為、机の中を調べてみた。

 

 「っ! ……ハハハ……」

 

 中から数学、32点の答案を見つけた。グシャグシャに丸まっていたが、名前はバッチリ書いてある。当然『結城リト』の物でした……。

 

 ボロボロの答案用紙を眺めながら、俺はふと思った。果たして彼に学力を合わせる必要性はあるのだろうかと。

 

 『結城リト』はこの通り、学力に関しては有能とは言いがたい。そんな事、俺には原作でわかりきっている事であって、問題なのはその『結城リト』が、今は『俺』であると言う事に関する。

 

 俺はこの学校の授業のレベルがどんなものだかまだ知らない。だが、この体を持つ以上、ただでさえ低いこのテスト用紙の点数を更に下げるわけにはいかない。悪目立ちするから。むしろ、俺が何とかしたいと思ってしまったほどだ。

 だから、少なくとも俺の学力は彼の学力よりも上回っていなければならない。そうしなければ、結局は結城家へと迷惑がかかるだけであり、俺自身そんな事態を許す事が出来ないからだ。

 

 つまり単純な事を言うと、俺は勉強をしなくてはならない。普段なら絶対に見向きもしない課題でもあるし、心の中では「何とかなるんじゃないか?」と思っている部分もあるが、それを差し引いてもこの問題は何としてでも乗り越えなくてはならないものだ。

 上の中程度と自負している俺の学力が、この学校でどの程度通じるのかはまだわからないが、この学校が特別難しいと言う可能性だって十分にあり得るのだ。二度も『高校1年生』を過ごす羽目になっている俺だが、勉学はもう一度見直しておかなければならない様だ。

 

 そんな事を考えているとチャイムが鳴り響き、生徒達が各々の座席に座っていった。少しだけ騒ぐ声が治まったが、教室にハゲでヨボヨボの先生が入って来ると、その小さな声も治まってしまった。

 

 その光景に、俺は思わず見とれてしまう。だがその時間はとても短い。一人の生徒がすぐに号令をかけたからだ。

 

 「起立、礼」

 

 「「「「おはようございまぁす」」」」……す」

 

 挨拶の流れに乗り遅れた俺は、ワンテンポ遅い行動をとっていたと思う。だが、誰にも変な目で見られる様な事はなかった。

 少しだけ騒ぎながら、周りの奴らは席に着いていく。俺も流される様に、椅子に座った。

 

 「え〜、今日の予定ですが〜」

 

 緩く、だらりと話す先生の声など全く聞こえず、俺は只々周りの空気に飲まれていたのだ。

 

 なぜ、こんな異様な反応をとっているのかと言うのも、俺が通っていた前の高校は物凄く治安が悪く、バカが滑り止めで受けておく様な最低ライン。言わば、『掃き溜め』と言われる様な場所だからなのだ。

 そんな『掃き溜め』と罵られる様な高校に、規律、秩序、と言ったものは全くもって存在せず、そこに通う血気盛んな周りの連中は、好き放題に暴れていた。隙あればバカ騒ぎするし、お喋りとか始まり出したら満足するまで止めようともしない。授業中に菓子は食うし、テスト中に答案回しているし……。とにかく、俺の知る限りは、トンデモナイ場所だったのだ。

 

 しかし、そんな『学校』と言うのも疑わしいほど、荒れ果てた雰囲気が、俺は嫌いではなかった。いや、むしろ過ごしやすかったくらいだ。基本的、そこの教師は少しふざけた程度では叱りもしないので、自由奔放な生き方を望んでいた俺にとって、そこは自らの欲望を鏡に映した様な世界だったのである。

 

 勉学が上の中と言ったのに『掃き溜め』に入っていた理由は、上記の通り。優れた学校ほど校則がキツくなるのを感じた俺が、単に嫌だったから。ついでに言えば、家から近かったから『楽』と言う理由もあった。

 そんな呆れて言葉も出なくなるであろう理由を懐に、気ままに高校生活を送っていた俺は、周りの視点からは大層可笑しな奴として認識されたらしく、通い始めた頃は何度もこの言葉を口にされた。「何でお前、こんな高校にいるんだよ?」と……

 

 だからつまり、俺にはこんな平和な空間が久しぶりすぎる。いや、眩しすぎるのだ。

 

 あ、全く関係ないが、漫画の友達は別の高校行ってる。アイツはあの高校に入ったりはしなかった。

 

 気が付けばいつの間にか朝のHRは終わり、生徒達は思い思いの行動をとっていた。バカ騒ぎしている奴もいるが、俺はどうしても普段見ていたインパクトの強い物と比較してしまい、随分と平和に見えた。

 それはさておき、早速予想外の問題が発生である。まさか、学校の風紀に慣れなきゃいけなくなるなるとは思ってもいなかった。

 

 えらく居心地の悪くなった俺は、机にべったりと突っ伏して寝る体勢を取ろうとした。が、その前に一応、時間割も確認しておいた。

 1時間目は国語。しょっぱなが得意教科だと言う事に安心した俺は、ゆっくりと……

 

 「なぁ、リト?」

 

 いざ寝ようと思ったら、猿山が俺の事を呼んできた。そして面白そうな事でも考えている様な顔で俺の事を見下ろしてきたのだ。

 

 「ん?」

 

 「終わったらゲーセン行かね?」

 

 コ、コイツ……

 

 「……まだ学校始まったばっかじゃねーか!」

 

 どうやらリトになった俺に寝る暇はないらしい。

 

 余談だが、教壇に座席表が貼ってあった事に気が付いたのはそのあとすぐの事であった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後、何とか午前中の授業を終えた俺は、猿山に誘われて一緒に昼飯を取る事にした。

 

 俺は久しぶりの猛勉強で、ぐったりと椅子に腰を下ろしながら、美柑の弁当を食べる。猿山は購買で買ったのだろう、焼きそばパンを頬張っている。その他2人、『結城リト』の知り合いなのか、猿山の友達なのか、よくわからないやつも、パンなり弁当なり自分の昼飯を食べながら、彼と話をしていた。

 

 美柑の卵焼きは冷めても美味い。冷めるのを想定しているのか、味を濃いめにしてる辺り、よく考えていると思う。

 

 「そういえばリト。お前今日はストーカーしねぇのか?」

 

 「ぁあ?」

 

 俺は猿山が何を言ったのか、一瞬わからなくなっていたが、すぐにその言葉の意味を理解した。

 そう言えばそうなのだ。『結城リト』と言う男は、自分の片思いの相手『西連寺 春菜』を真っ昼間からストーカーする様なアホであったのを、俺は今になって思い出した。

 

 きっと、これは彼の純情な心が故の行動だからやってしまったのかもしれない、と思うが。さすがにストーカーはやっちゃダメだと思う。当然、俺もする気はない。する理由すら無いのだから。

 

 「俺もいつまでもガキじゃいられねぇよ……」

 

 猿山の質問に、俺は箸を咥えながら答えた。すると猿山とその他の2人は、驚いた様な顔で俺を事を凝視してきたのだ。

 

 「リ、リト……? お前……大人になったな……」

 

 「つか、お前、土日に何かあったのか? 少し変わったぞ? 性格とか」

 

 「まさか大人の階段をのぼっちゃったワケじゃないよな〜〜?」

 

 目の前にいる3人から受けた反応は、ある程度は予想していた。美柑からは全く疑われなかった『俺』も、ここでようやく『結城リト』の差異を身をもって感じた。

 するとますます美柑の事が可哀想になってきたのだが、もう思った所で解決策が無いのを、心の片隅で理解していた俺は、無理をして心の内側へと押さえ込んだ。

 

 しばらくして、俺に対して唖然としていた猿山が唐突に声を上げた。それも、とても元気の良い声で。

 

 「そうか〜! リトもよぉ〜〜やく! 女の子の見方とゆーモノがわかってきたのかァ〜!!」

 

 ……どうやら、自分の親友である『俺』が、女性の免疫に対して急に大人びている様に見えたから、素直に喜んでいるのだろう。コイツの中での『結城リト』は、物凄いガキっぽく見えてきたんだろうな……。

 

 ……何だろう、異様に腹が立ってきた。

 

 そんな俺の心境は露知らず、猿山はハイテンションのまま俺に言葉を続けてきた。

 

 「よし! そうとなればもう楽勝だろ? リト、あそこに西連寺が一人でメシ食ってるぞ。声かけてみろよ!」

 

 一体全体何が楽勝なのか。俺は猿山に心の中で突っ込みながら、彼の指差した先にいる美少女の方へ振り向く。教室には他の生徒も入り交じって大変騒がしいのだが、それでも俺はひと目で探り当てた。目立つからだ。

 

 視線の先に座る、彼女の名は『西連寺春菜』 『結城リト』が中学校の頃から思いを寄せているらしい、可憐な美少女だ。やや群青色っぽい髪の毛(普通はあり得ない、こんな髪色) 前髪は横に流して二つのヘアピンで固定し、綺麗なおでこを惜し気もなく晒している。

 一見、華奢に見えるが実はテニス部に所属している。更に言うと、腕立てもしているらしいから、力は結構あるのだろう。見た目で人を判断してはいけない。

 そして、彼女も主人公である『結城リト』に好意を抱いているのだが、それはもう一人のヒロイン『ララ』の登場により、彼女は困惑。次第に、ララがリトを思う気持ち、そして自分との友情関係との間で板挟みになってしまう大変な、悩めるヒロインである。

 

 今、『結城リト』である俺が、一緒に昼飯を誘ったら、多分彼女は嫌と言わないであろう。きっと驚いて、それでも喜んで受け入れるだろう。

 だが、それは見た目が『結城リト』であって中身が違う『俺』には無理な話であった。数日前までは漫画のコマの中に現れていた存在も、今俺はこうして現実の中で対面している。つまり、彼女は漫画のキャラクターではあるものの、この状況においては一般人と何ら変わりもない存在なのだ。

 だから、俺は彼女に話しかける気など無いし、話しかける義理も無い。度胸が無いだけなのかもしれないが、誘った所で話す事など『俺』には何も無かった。

 

 考えると本っ当に、自分が此所に存在する意味がわからなくなりそうだった。

 

 そんな西連寺は俺の視線には気付かず、黙々と弁当を食べている。

 

 「んだよ……結局、ストーカーしてるじゃねぇか」

 

 猿山が後ろで何かヒソヒソ言っているが、無難にスルーをしてしばらく西連寺を観察していると、彼女の所へ二人の女子がやってきた。

 

 「あちゃ〜タイミング逃しちゃった……」

 

 残念そうに溜め息を吐いた猿山を更にスルーして、俺は二人の女子を注目する。

 一人は身長が高く、金髪に染めた髪を肩にかからない程度に伸ばした、言わば『ギャル』と名称付く様な娘。もう一人は黒髪のツインテールで眼鏡をかけた、活発そうな娘だった。

 この二人も『ToLOVEる』のキャラクターだった奴等だ。金髪の娘は『籾岡』 黒髪の娘は、確か『沢田』だった筈だ。下の名前は忘れた。

 沢田は好奇心旺盛で、楽しい事を追究するのが大好きな、お茶目な娘だ。

 籾岡は西連寺やララに『スキンシップ』と言わんばかりのをお触り行為をして『ToLOVEる』の見せ場をつくる、以外と重要な娘だったりする。

 二人はリトにToLOVEるの種を撒き、慌てふためくリトを見て楽しんだりするサブ……いや、色々な意味でメインのキャラなのだ。

 

 その二人は、西連寺の近くの席に座ると弁当を開きながら会話をしている。彼女との距離は遠いし、周りもうるさくて内容までは聞こえてこないが、楽しそうにしている事は見て取れた。目の前にいる二人とは少し違う雰囲気で笑っている彼女を見ると、アイツは本当に『結城リト』の事が好きなのだろうかと、そんな馬鹿馬鹿しい考えまでが頭をよぎってきたが。

 

 一瞬、俺は西連寺と目が合った。

 

 「!」

 

 お互いにすぐ逸らしてしまったが、こっちを見たのは間違いなかった。やはり……リトの事を気にしているのだろうか。

 さすがにもう一度見る気はなかったので、俺は猿山達の方へと顔を戻した。そして、この体である以上、自分が何をすべきなのか、もう一度考えてみた。

 

 もし、運命が史実通りに回れば、俺は半ば強制的に西連寺とは親好を深める事になってしまうだろう。だが、それは程度による事であって、彼女と友達程度の関係を結ぶなら、俺は許容しない事はない。多分、抗う方が辛いと思うから。

 

 「話すならきっかけでもあれば良いんだが……」

 

 「なんか中学校の頃に話した事とかないのかよ?」

 

 西連寺に対しての問題を、猿山に話していたのだが、他の奴が割り込んできた。だが答えられない様な問題ではなかった。

 

 「……記憶に無い……」

 

 有る訳無いのだ。その記憶を知っているのはただ一人、今はもう此所には居ない、『結城リト』だけなのだから。

 そして、今の自分はただ時間が過ぎていくのを眺める事しかできないのだと、そう心の中で作り出した答えを無理矢理に受け入れて、俺は綺麗に平らげた美柑の弁当を片付けた。

 

 「へへっ、リト、今度またオマエに水着のグラビア見せて、大人になったかしらべてやるよ!」

 

 猿山に、バンバンと肩を叩かれた。痛ぇよ。

 

 少し不審に思われたりもしたが、俺はなんとか猿山達の友達の輪に入り込めた。これからこいつらとの関係をどうしようか悩んだのだが、ここは普通に友達になる方が良いのかもしれない。久しぶりに人に囲まれて話をしたのだが、特に緊張する事も無かったのだ。なんとでもなるだろう。

 

 時計はまだ一時。少しだけ寝る時間もありそうだ……


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