結城リトの受難   作:monmo

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第十五話

 レンとデートの作戦を練った後の数日後、俺は彩南商店街にある建物の角から、視線の先を窺っていた。

 

 休日の午前九時。商店街入り口から目の前にある彩南町駅前広場は人でごったがえしているが、俺の視線の先にいる、白髪の頭をキョロキョロ見回し、ソワソワと落ち着かないそぶりをしているレンの姿は、彼と十数メートル離れているここからでもよく目立つ。『忠犬ハチ公』のパチもんみたいな銅像、『忠犬パチ公』と名のついた像が設置されている広場のベンチに座っている彼は、高校生らしさのあるオシャレな衣服を着こなしているが、その顔は緊張で引きつっている。気持ちはわからなくもない。これから始まるのは、正真正銘のデートなのだ。それも、相手は自分の幼馴染みであり、最愛の人。緊張しない方がおかしいでだろう。

 

 ちなみに、俺の服装は彼とは対照的に、目立たない黒と白の衣服で統一させ、キャップ型の帽子を被っていた。そして、広場とは少し離れたこの場所で、ケータイを片手に持ちながら、彼の様子を窺っていた。

 

 俺が今こうやって尾行をしているのは、今ああやって緊張している彼が心配だったからだ。実際、今見ているこの状況も、彼が男らしくララをエスコートできるのかどうか、不安で仕方ない。

 

 もうひとつは、ただ俺が彼等のデートを見ていたかっただけである。レンとララが幸せになれる瞬間を見届けるのが『結城リト』となった俺の役目だと思っている。

 

 「………大丈夫かなぁ……」

 

 そう呟いた俺の視線の先に映るレンは、いまだに緊張の糸を切る事ができていない。ララが家から出た後、すぐに俺は家から飛び出し、急いで先回りをしたのだ。もうそろそろで彼女が来るはずなのだ。俺は心の中で、レンの度胸を祈っていた。

 

 あの日……デートの作戦をレンと話し終えた俺は、今夜の内にその日の事をララに伝えた。内容はもちろん、デートの事だけである。それも「デート」とは一口も言わず、ただ単に、せっかく幼馴染みと再会できたのだから、どこか出かけてゆっくり楽しんでこいと、まるで子供のお使い事の様に催促した。

 ララの事だから俺を誘おうとすると思ったが、以外にも彼女は俺の提案を喜び、今日に至るまで嬉しそうにしていた。

 別に悪い事ではない。むしろ都合の良い展開なんだから、楽になったと思っていた。しかし、こうも素直に話が進んだ事に、俺は驚きと妙な違和感を覚えている。

 彼女の事を甘く見ているのだろうか。答えは出ない。そんな思考が、頭の隅っこでこびりついていた。

 

 『ララ様が来ました……!』 

 

 俺が背負っているショルダーバッグから上半身を出し、そこからコアラの子供の様に俺の肩を掴んでいるペケが、片方の手を放して人混みの方へと指をさした。俺もすぐにわかった。ピンク色の髪の毛は、この距離からでもよく見えた。

 広場の方へと歩いてくるのは、ララだ。抑えめながらも派手さを残したその服装は、地球の衣服のセンスが知らなかったララに替わって、俺と美柑がコーディネートしたものだが、彼女には何の問題もないぐらいに似合っている。

 

 ペケを俺が預かっているのは、俺なりのレンへの気遣いだ。彼はペケの事を知っていたから、前もってこちらで面倒を見るようにしておくと言っておいた。

 そんなペケもララの恋路の先は気になるだろうと思い、俺が連れて来ていた。彼がデートの事を知ったときは、眼を丸くして驚いていたのを覚えている。どうやらコイツもコイツでレンの事をララと話し合っていたらしい。おかげで話自体はずいぶん早く進んだ。

 

 広場にやって来たララは、キョロキョロと辺りを見回して、まだ緊張の切れていないレンと再会した。突然ララから声のかけられたレンは、バネで跳ね上げられたかの様にベンチから跳び上った。そして彼女はそんな彼の風変わりな行動を見て、笑っていた。

 

 「……、……! ……!」

 

 「……、……! ………………♪」

 

 

 

 「………………ペケ……聞こえる?」

 

 『ウ〜ン……、……ダメですね……。周りの音が大きすぎます……』

 

 商店街からの道は人だかりの上、所々にあるスピーカーが取り付けられた電柱から、澄んだBGMが流れている。当然、そんな電柱の下で耳なんざ澄ましても、聞こえるのはBGMと人々の騒音である。

 近づきたいのは山々。だがこれ以上近づけば、二人にバレるのも目に見えている。仕方なく、俺は今立っているこの場所で様子をうかがっていた。

 最愛の人にいきなり恥を晒してしまったレンは、ここからでもわかるくらい赤面していた。でも、ララの純粋な笑顔で笑われて気が楽になったのか、男らしさの尊厳は、徐々に戻っていった。

 

 『楽しそうですね……ララ様とレン殿……』

 

 「そうだな……」

 

 『リト殿……本当にこれでi、

 

 「シッ! こっちに来る……!」

 

 ララとレンの二人は、彩南商店街へと入ってくる方向、つまり俺達が今立っている方へと歩き出した。俺はペケを黙らせ、商店街の建物の影に隠れ、二人が通り過ぎるのを注意深く見ていた。そして二人が通り過ぎたのを確認すると、再び商店街から自分の姿を出し、後をつけようとした。そのとき……

 

 「あっれぇ〜? 結城じゃん!」

 

 『「!!?」』

 

 突然声をかけられた俺は、耳元で風船が割れた様に驚き、跳ねた。ペケはバックから跳び上って俺の肩にしがみついた。

 俺はこの声を知っている。案の定、振り返るとそこには、初めて見る私服姿の籾岡と沢田、そして西連寺が立っていた。

 

 「こんなトコでなにしてんの?」

 

 焦っている俺の心境なんざ知らず、子供っぽいポップなファッションに身を包んだ沢田と、大人っぽいファッションを着こなしている籾岡が俺の傍までやってくると、彼女は遠くの道を歩くララとレンの姿を見つけたようだった。

 

 「あれっ? あそこにいるのって、ララちぃとレンじゃない?」

 

 籾岡の指す方を見た沢田はララ達の事を呼ぼうとしたが、その前に俺が口を挟んだ。

 

 「あぁ、やめろ! ……今ちょっといい雰囲気なんだから……」

 

 制止させた俺の言葉に三人は頭にクエスチョンマークを浮かべていた。こうなってはもう変な誤解を招かねないので、俺は三人に今の状況、そして俺がやっている事を洗いざらい吐いた。

 

 「へー……って結城!? ララちぃとつきあってたんじゃなかったの!?」

 

 「いや、全然。つか、それドコ情報?」

 

 「別に……。臨海学校のとき……ララちぃがあんたのこと楽しそうに話してたから、てっきり……」

 

 そういえばそんな話あったなと、俺は籾岡の顔を見ながら昔の記憶を思い返していた。籾岡の身長は俺より高い。だから近づくと少しだけ目線が高くなるのだが、彼女の表情はなぜかフクザツを帯びていた。

 ふと、沢田が籾岡を俺から引き離し、なにやら肩を寄せて内緒話をし始めた。なにか面倒なことを考えているなと思っていると、今の今までひと言も喋らなかった西連寺が俺の名前を呼んだ。口調こそ落ち着いていたが、酷く焦っている様子だった。

 

 「ご、ごめんね結城くん……ジャマしちゃって……」

 

 「いい、気にすんな……」

 

 返事はせず、首を彼女の方に向けて反応を示した俺に、彼女はゆっくりと商店街の道を指差した。

 

 「でも……ララさん達、行っちゃったよ……?」

 

 『「あっ」』

 

 俺とペケの声が重なった。突然現れた籾岡達に集中力を持っていかれた俺達は、ララの方まで気が回らなかったのだ。人で賑わう商店街の道を見渡しても、彼女の姿はもう見えなくなくなりそうだった。

 俺は慌ててララ達を追おうと、人混みの中を走ろうとした。しかし、足を出そうとした瞬間、「ちょっと待った!」と言う籾岡の声と同時に、俺は服の襟を掴まれた。

 首が絞まって咳き込む俺を無視して、籾岡が俺の傍まで顔を近づけてきた。イジワルな顔をした彼女の目元には、微かに化粧がされている。

 

 「結城ィ〜、そぉんな楽しいコトやってんならさぁ〜、なんで私たちに教えてくんないのよ〜」

 

 「ズルいぞ〜!」

 

 沢田がそう言うと、彼女は新しい玩具でも見つけた子供みたいな眼をしながら、俺の脇腹を短い指でつっついてきた。

 あぁ……どうやらコイツ等は俺の尾行についてくるつもりらしい。想定外の事態だが、これで断った後に彼女達がララと出会ってしまっても色々と面倒くさい。それよか、むしろここで俺と出会えた方が幸いだろう。見つかるリスクが高くなるが、こうなってしまった以上、連れて行くしか……。

 

 『ずいぶんとメンドくさくなってきましたね……』

 

 「同感……」

 

 きゃあきゃあ騒ぐ女子二名を尻目に、俺とペケは小声で話をしながら、ララとレンを探すべく、商店街を歩みだした。一番後ろを歩く西連寺が、俺の事を心配そうに眺めていたが、思い当たる節がなかったので、考えるのをやめた。

 

 「ところで、結城ィ?」

 

 「あぁ?」

 

 「その、肩についてる……ぬいぐるみみたいなの、なに?」

 

 「こっ……これは…………、………そういう飾りだ……」

 

 「えぇ〜っ!?」

 

 「ヘンなの〜♪」

 

 『…………』

 

 ペケはひと言も喋らず、律儀にぬいぐるみの役を果たしてくれた。彼の心境はどんなものだったのかはわからないが、俺は何も言わず彼の頭を優しく撫でてやった。

 

 『……♪』

 

 ペケが俺の耳元で鼻を鳴らした。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後は特に大きなToLOVEるが起きる事はなく、俺とペケと籾岡と沢田と西連寺によるデートの尾行は順調に進んでいった。

 

 デートの場所が場所だから、彼等のデートは俺がララや美柑と一緒に買い出しや散歩に来たときの彩南商店街のルートに似ている。一応レンには彩南町の雑誌を渡しておいたが、こうして彼の様子を窺ってみると、完璧とは言えないがその知識を有効活用していた。

 

 ただ、彼にはまだ地球の文化がいまいち浸透してはいないらしい。ペットの犬や野良猫を見て腰を抜かしたり、たいやきを生物の丸焼きと勘違いしたり。思わず俺は籾岡達と笑いをこらえたり、ペケと一緒に呆れたりで忙しかった。

 

 だが、彼等が意気投合しながら話し合っている光景を見ると、別の意味で笑いが零れた。レンと手を繋ぎながら彼と顔を合わせるララは、本当に楽しそうな笑顔だった。

 

 だから嬉しかったのだ。自分には見せた事もない様な笑顔でおしゃべりをするララを見て、レンに任せて大丈夫だという安心感と、彼なら彼女を幸せにできるという確信を得た。口下手の俺では、こうはいかない。

 

 昼時になり、そろそろ腹が空いてくるんじゃないかと思うと、案の定ララとレンからは、そろそろお昼にしないかという会話が聞こえた。

 すると、ララはレンを引っ張って商店街の大通りに戻ってくると、その近くにある店——いつぞやの蕎麦屋の中に入っていった。中の狭い店だったを覚えていたので、仕方なく俺達は蕎麦屋が見える近くの喫茶店で手早く食事を済ます事にした。

 きっと店の中では、蕎麦の食べ方がわからないレンがララにレクチャーさせられているのだろう。そんな光景を窓のむこうにある蕎麦屋を見て思い浮かべながら、俺は四人がけのテーブルの席でサンドイッチにかぶりついていた。俺の隣りには西連寺、籾岡の隣りは沢田だ。

 

 ふと、目の前に座っている籾岡が、半分程グラスに飲み残っているアイスティーをコースターの上に置くと、一息ついて俺に声をかけてきた。

 

 「結城ィ、あんたララちぃのコトどう思ってる?」

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (西連寺視点)

 

 

 

 リサの言葉を聞いて、私は口に運ぼうとしていたサンドイッチを自分のお皿の上に戻した。

 結城くんに突然あんな質問してきたんだもん……。答えが気になって、サンドイッチなんか喉を通らなくなりそうだった。

 

 結城くんは、その質問に迷ってるのかな……? 視点がキョロキョロズレてる……。

 なんだろう……困ってる様にも見えるのは気のせいなのかなぁ……

 

 「……どうって……、……普通……」

 

 やがて、すきま風が流れるような小さな声が聞こえた。結城くんの視線は、喫茶店の向かいにあるお蕎麦屋に向いていた。

 結城くんの答えに、私は疑問を思った。だって……今まで私が見てきた、結城くんとララさんが一緒にいるところを思い返すと……お似合いのカップルに見えていたんだもん……。

 リサも納得しなかったみたい……。眉間に皺を寄せて、さらに結城くんへ質問してきた。

 

 「何よ、普通って…………ハッキリしなさいよッ、『好き』なの? 『嫌い』なの?」

 

 今度の結城くんの返事は早かった。スッと頭を上げて、リサの顔を見た。

 

 「その二択で言われたら、『好き』しかいかないだろ……っ」

 

 なんだか、吐き捨てるみたいに答えた結城くん。うん、そうだよね…………結城くんなら、『好き』って言うキモチはわかる。

 でも……その『好き』ってキモチは……恋愛に対するキモチじゃないんだよね……?

 

 「ふ〜ん…………じゃあアンタは自分のキモチ押さえて、ララちぃとレンレンのデート見守ってんの?」

 

 「あぁ……それでいい……」

 

 今度の答えも、なんの迷いもないくらい早かった。

 私はなんとなく、結城くんのキモチがわかった。結城くんはきっと……ララさんとレン君の幸せを願っているんだと……思う……

 結城くんの答えを聞いたリサは溜め息を吐いた。そして、お皿の上に盛ってあるサンドイッチの具を固定するつまようじを手に取ると、それを結城くんに向かって突きつけた。

 

 「結城ィ……あんた自分がどんだけラッキーな男だかわかってるぅ?」

 

 え……? どうゆうこと……? 私はリサの言ってる事がわからなかったけど……結城くんは突きつけられたつまようじを、ジッと見つめていた。

 

 「ララちぃみたいな可愛くて、スタイル抜群で、ステキな女の子、このあと人生十回ぐらいやり直したって出会えないかもよ?」

 

 可愛くて……スタイル抜群……素敵な女の子……。私はリサの言葉を心の中で考えていると……リサのやりたい事がわかった気がした。

 

 きっと……結城くんとララさんをくっつけたいんだよね……リサは……

 

 臨海学校に行った最後の日の夜、ララさんは結城くんの事を「宇宙で一番頼りになる人」って話したのを、私は鮮明に覚えている。それを聞いたリサとミオは、すっごくはしゃいでたから……きっと、ララさんの恋を叶えてあげたいんだよね……

 でも……私は結城くんのキモチも知っている……。私は忘れない。結城くんと二人っきりで話した放課後の日を……私は結城くんの顔を見るたびに思い出した。

 

 ……結城くんは……喜ぶのかなぁ……?

 

 リサは、つまようじを引っこめると、こんどは顔を結城くんに近づけて、小さく囁いた。それを見ていた私は、妙に胸がドキドキしていた。

 

 「結城ぃ〜…………………………奪っちゃいなよ…………………………ララちぃ……」

 

 結城くん……その言葉にずいぶん驚いたみたいだったけど……リサの顔をひき離して、はっきりとこういった。

 

 「……だめだ……できない……」

 

 ……うん……。……それは私の予想していた答え……。結城くんは、そんな事……できない……

 

 リサは「なんで、どうして……」と必死に結城くんに迫ってきたけど、

 

 「俺が……望んでいない……」

 

 そう言って口をとじた結城くんを見て、リサは言い返す事ができなくて……元気がなくなっちゃったみたいに……椅子に座り込んじゃった……

 

 場に重たい空気が流れそうになったけど…………ミオの質問でそれが晴れたのは……良かったかなぁ……?

 

 「……じゃあさ、なんで結城はララちぃのためにそこまでするの?」

 

 結城くんはまた深く考えてる。

 そして、少し言いづらそうに、口を開いたの。

 

 「……同情しているかもな……」

 

 「「同情……?」」

 

 ミオも私も、結城くんの言葉をオウム返しした。

 

 「生まれはイイところのお姫様。八歳になるまで友達はレン一人。その後は俺ん所に来るまで、ずっと好きでもねぇ相手の見合いばっかの鳥カゴ生活……どんな気持ちだったんだろうな……」

 

 結城くんの言葉を聞いた私達は……言葉が出てこなかった。

 ……今まで、お姫様って聞くと……なんか優雅で……お金持ちで……すっごく楽しそうっていう、曖昧なイメージしか持ってなかったから…………それに……ララさんのいつも楽しそうな笑顔を見てたから……そんなつらそうな事があったなんて、考えられなかった……

 

 言葉の出てこない私達に、結城くんはさらに言葉を続ける。

 

 「そんな哀れなお姫様は、こんな変哲もない町で、結婚を誓い合ったむか〜し昔の幼馴染みと再会できました。なんて……ずいぶんロマンチックだと思わないか……?」

 

 そう言われてみれば……確かにロマンチックだと思う……。

 

 でも……それで結城くんは……満足なのかもしれないけど……

 

 「だから……俺はアイツらの幸せを見届けてやりたいんだ。それじゃダメか……?」

 

 

 

 ララさんは……それを望んでるのかなぁ……

 

 

 

 結城くんの望みを聞いて……少し元気のなくなったリサが姿勢を正すと、意味もなさそうに飲みかけのアイスティーのグラスをストローでかき混ぜ始めた。

 

 「結城……あんたとは中学からのカンケイだけど……なんか変わったね……。雰囲気とかもだけど……そんな風に……違う立場から恋愛を見ようとするの、あんたが初めてだよ♪」

 

 リサは話をしながら、少しだけはにかんで結城くんを見た。ミオは話にのっかって、話題を広げる。

 

 「ウチのクラスの男子共はさぁ〜、なんてゆーか……ララちぃのときみたいに〜……目の前のカワイイ子にまっしぐらってゆーか……」

 

 「あんたみたいに、男って見た目ばっかの単純なヤツだと思ってたからさ〜」

 

 「……偏見だな」

 

 「でもさ〜、そういう男って自分の恋愛も見逃しちゃいそうで恐いわ〜」

 

 「そうそう、結城だいじょうぶ? 頭だけ年取ったりしてない?」

 

 リサとミオは……なんだか結城くんをからかってるみたいだったから……ここは私がなんとかしてあげなきゃ……って思って……ここに来てようやく、私は結城くんにまともに話す事ができた。

 

 だって……今私の隣りに座っているのは……結城くんだよ? 最初はリサとミオと一緒に買い物にきてただけなのに……そこで結城くんと会って、今はこうやって一緒に食事してる…♪

 

 嬉しいけど……なんだか緊張して……なんか…………ちゃんとしゃべれなかったんだから……!

 

 「でも……そうゆうのって……大切な事だと思う……」

 

 「えっ、春菜……?」

 

 突然話してきた私に、驚いたのはミオだった。ううん、声に出てきてなかったけど、リサも驚いてたし……結城くんも目を丸くしてた……。

 

 「私も……好きな人が別の子とつきあってても……あの人が幸せならそれでいいかなぁ……って思っちゃうから……わかるよ……。なんだか……心があったかくなるんだよね……♪」

 

 私の話を聞いたミオは、嬉しそうに相づちをうってくれた。けど……

 

 「へぇ〜……って、春菜ってやっぱり好きな人いるの?」

 

 最後の言葉で私はバクハツしそうになった。

 

 「えっ!? そっそんなコト……違うよっ! いっ、今のはその……例え話で……!」

 

 リサがニヤニヤ笑ってたから、きっと私の顔は真っ赤になってたと思う……。でも、言葉がつっかえてうまく話せない私に、結城くんは「まあまあ」って言いながら、私を話からそらしてくれたんだ……。

 

 嬉しかったけど…………なんだろう……ちょっとフクザツ……

 

 私が少し落ち込んでいると……結城くんは何かを考える様に目線を動かして……ポツリポツリと言葉を呟いた。

 

 「でも……確かに……自分の恋愛を……、……いや、でもあれは……」

 

 「えっ!? あるの!?」

 

 その呟きを聞き逃さなかったリサは、結城くんに詰め寄ってくる。

 私も驚いていた。結城くんの事は中学校で一緒になってから、ずっと見てたけど……恋愛のお話なんて、学校のウワサでも聞いた事なかった。

 

 だから……私も知りたいなぁ……

 

 「聞かせて〜! 結城の恋バナ♪」

 

 「いや、いい……。そんな明るい話じゃないから……」

 

 「えぇ〜〜〜っ! ちょっとぐらい、いいじゃん!」

 

 「それって私たち知ってる相手?」

 

 「……違う」

 

 「じゃあいいじゃん、別に!! 今その人どうしてんの?」

 

 「知らねぇ。今はもう、別の男と結婚して幸せに暮らしてると思う……」

 

 「「「ええェッ!!!!?」」」』

 

 そのときの私達は……たぶん、すっごい大声になってたと思う……。いきなり「結婚」って単語が出てきたから……結城くんの恋愛って……オトナの恋愛みたい……

 ううん……よく考えてみると……結城くんの好きな人がもう結婚してるんだから……その人はずいぶん年が上の人になるよね……

 

 やっぱりオトナの恋愛だったのかなぁ……私は驚きっぱなしで何も言えなかったけど……リサとミオは興奮しながら結城くんへ、もっと詳しい話を求めてたけど…………結局、結城くんはそのあと話す事はなかった。なぜなら……

 

 「ん?」

 

 顔をそらした結城くんが、窓の向こうで見たものは……

 

 「あれララちぃとレンレンじゃね……?」

 

 お蕎麦屋から出てくる、ララさんとレン君だった。

 

 「ヤベぇ、急いで食うぞ!」

 

 結城くんのひと声に、私達は話を中断して、急いで食べる事に集中した。

 

 ……やっぱりサンドイッチは四人分でも多かったかも……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 喫茶店を後にして、外の商店街へと出た俺達だったが、そこにはもうララとレンの姿はない。完全に見失ってしまった俺達は、一度商店街の広場に戻り、広い場所から二人を捜そうとした。

 時間は三時過ぎとあって、人通りは今朝よりはおさまってきたものの、休日だけあってやはり通行人の多さは否めない。こんな大勢の中からララとレンを探すのは、困難であった。

 

 「どう? いた?」

 

 「いな〜い……」

 

 「あんな髪色してんだから、目立つとは思うんだが……」

 

 人混みを観察する俺達に、西連寺が話しかけてきた。

 

 「もう、この辺にはいないんじゃないかなぁ……」

 

 確かに……西連寺の言う通り、別の場所に行ってしまった可能性がある。……なら、二人はどこに行ったのだろうか? 

 急いで昼食をとった俺は、少し腹がもたれて苦しかったが、我慢していた。今はララの事の方が重要なのだ。

 

 「結城ィ、GPSとかないのぉ〜?」

 

 手をおでこの上にあてて、遠くを見遣っていた籾岡が背伸びをしながら、時間確認のためにケータイを開いていた俺のそばに並んだ。

 ギャグのつもりで言っているのだろう。彼女の顔には、疲れが出ていた。

 

 「あるわけないだろ……」

 

 籾岡は低い声を出してうなだれた。もはや、この状況を打破するのは不可能であろう。ララとレンは楽しそうにやっていたのだから、これ以上見なくてもなんとかなる筈だと、俺は希望的観測をはかり、諦めようとしていた。

 だが……どうやら彼女達はまだ探すつもりの様だった。なら、巻き込んでしまった以上、俺が一番に抜けるのは情けなさ過ぎる。

 俺はケータイをしまい、頭の中でララが行きそうな場所を思い返してみた。今までララとここに来た時に行った場所を、洗ってみた。

 そんな中、沢田が何かを言い始めた。

 

 「こうなったらみんなで手分けして探すしか……」

 

 「でも……その前にちょっと休憩しない? おなかがイタくて……」

 

 『休憩』、お腹を押さえながら言った西連寺のその言葉が、俺の頭の中を通過した。

 俺は、籾岡達を呼んだ。そして彼女達に俺が思いついた事を伝えた。

 

 「……アイツ等も、きっと休んでるんじゃないか……?」

 

 その言葉に一番早く反応したのは、籾岡だった。

 

 「喫茶店とか?」

 

 「喫茶店はこの時間帯はどこも混んでるぞ……」

 

 「休む場所……駅前の広場かな?」

 

 「イヤ、うるさくない? あそこ……」

 

 「公園……」

 

 西連寺の呟きに、沢田と籾岡が彼女の顔を見る。沢田は、素早く自分のケータイを開き、何かを探そうとしていた。

 

 「公園? この辺に公園なんかあったか?」

 

 「えっと、あるよ! ここっ!!」

 

 俺の率直な疑問に、沢田がケータイで見せつけてきたそこは、彩南商店街を案内するホームページの地図から半分程途切れてしまった、公園であった。商店街とは少し離れた場所。彩南緑地公園。ここからでは距離はあるが、遠いって程の道のりでもない。いる可能性は十分に感じた。

 

 「行ってみよう!」

 

 俺のかけ声を合図に、俺達四人は腹の痛みも忘れて目的地に向かって走った。商店街を抜け、知らない道を沢田のケータイの地図で右往左往しながらたどり着いたそこは、綺麗に芝の刈られた草原と、枯れ葉を落とし始めた桜の木が並ぶ、都会である事を忘れてしまいそうな、広い広い公園だった。

 俺達は公園の中に入るなり、ララとレンを探し始めた。

 

 「……いた! あそこ!」

 

 目を皿の様にしてララ達を探していた沢田が、大声を出して俺達を呼び集めた。彼女の指さす先には、ピンクと白の髪——ララとレンが、公園の街道に設置されたベンチに仲好く座っていた。

 運の良い事に、二人のベンチは俺達に背の方を向けていたので、あちらから発見される事はなかった。沢田の叫びが聞こえるかとヒヤヒヤしたが、近くに大きな噴水があったためか、二人はまだこちらに気づいていない。

 俺達四人は、二人から最も近づける場所——噴水のすぐそばに設置された、ベンチや植木が並んだ場所にしゃがみ込んだ。二人との距離は、だいたい10メートル少し。ここからなら会話も聞き取れそうだ。

 俺は二人の会話に耳を澄ます。ほかの三人も、俺と同じ事をしていた。

 

 

 

 「……ララちゃん、今日はホントにありがとう。ララちゃんのおかげで……とても楽しい時間がすごせたよ……」

 

 「うん! 私もすっごく楽しかった!! ありがとう!」

 

 ララの方へと顔を向けたレンの横顔と、レンの方へと顔を向けたララの横顔は、ずいぶんと心の満ち足りた表情をしているのが見て取れた。おそらく、こんな風に二人で外出する事は初めてなのだろう。二人の過去を考えれば、仕方もないと思った。

 

 「ララちゃん……覚えているかい……? ボクとキミが始めて出会った事を……」

 

 「……う〜ん……モノゴコロついたときは、もうレンちゃんと遊んでたから〜……」

 

 「ムリもないか……。まだボクたちが、このくらい小さかった頃の記憶だしね……」

 

 レンは手を前に伸ばして、『このくらい』と大まかな身長を伝える。隣りにしゃがんでいる籾岡が、「そんなに小さい頃から一緒だったんだー」と、何か関心した様なささやきをこぼした。

 

 「でも、ボクは覚えているよ。キミと出会ったあの日、ボクはキミの美しさと、爽快な気高さに一目惚れしてしまったんだ!! その日からキミと遊ぶ時間は、いつも最高のひと時だった……!」

 

 「あはは! 大ゲサだよ〜!」

 

 「ううん……大げさなんかじゃない。……ボクは、キミと一緒にいる事が……幸せだった……このまま永遠に続けばいいと思っていたのさ……!!」

 

 いつもならララの言葉に一切の否定をしなかったレンが、ここで初めてララの言葉を遮った。ララは驚き、真剣な表情になる彼の顔を、ジッと見つめていた。

 

 「レンちゃん……?」

 

 「でも……ボクはそれ以上の関係を求めたい……。ララちゃん……ボクは今まで何度もキミの事を『好き』って言ったけれど…………今のボクにはそれ以上のキモチがある……伝えたい思いがあるんだっ!!!」

 

 レンは勢い良くベンチから立ち上がり、クルリとララの方へと振り返った。ちょうど俺達が隠れている方向だったので、俺達は素早く物陰から頭を引っ込めた。

 

 コソコソ……(あっぶね〜……)

 

 ヒソヒソ……(ふぅ……バレてないみたい……)

 

      (ちょっと! どーすんの? これじゃあ声しか聞こえないじゃない!)

 

      (落ち着け、ここから覗けばたぶん大丈夫……)

 

 俺達は隠れていた植木の茂みの隙間から、ゆっくりと顔を出す。レンには気づかれていない。一安心した俺達の所へ、また彼の声が聞こえてきた。

 

 「悔しいけど……ボクはアイツに気づかされた……!! ララちゃん! 今まで恥ずかしくって言えなかったけれど……っ! ボクは……っ!!」

 

 ララに向かって叫ぶに連れ、段々と顔を紅潮していくレン。「おおおおぉぉぉ……っ!」、と空気声を出してテンションを上げる籾岡と沢田。両手を口に押さえて、ジッとそれを見守る西連寺。そして、無言を貫く俺とペケ。

 

 ララはどんな顔をしているだろうか。そんな事を俺は考えていた。

 

 「ボクは……キミの事を……っ!! あ、……あっ……! あいっ……! 愛っ……!!」 

 

 『愛してる』。その言葉を目の前にいる最愛の人へ伝えようと、詰まる口を必死に押し開けるレン。

 

 そのときだった……

 

 「あっ……はっ……ハッ……!」

 

 言葉をつまらせていたレンの口調が急に細切れになったかと思うと、彼は勢い良く息を吸い込み、そして……

 

 「ハックション!!」

 

 「『あッ!!!!!!』」

 

 状況を理解した俺とペケの叫び声と同時に、彼は大きなクシャミを放ち、その瞬間に彼の体は小さなバクハツと共に煙に包まれた。

 

 その煙が風に吹き飛ばされた中から現れたのは、レンと同じワインレッドの瞳を持つ……レンによく似た女性……『ルン』であった。

 

 「…………ハぁ??!」

 

 「レっ、レン君が……レンちゃんになってる……」

 

 「………………!? …………!!?」

 

 目の前で起こったToLOVEるに、籾岡と沢田は混乱して頭にクエスチョンマークを出した。西連寺はぽかーんと口を開け、目の先で起こった事態にプルプルと指を差していた。

 俺は頭を抱え、地面へ仰向けに転がった。いい雰囲気だったっていうのに、ここ一番でこのToLOVEるだ。ガッカリなんてレベルではない。最悪だ。おまけに、この常識を超えた事態をここにいる三人にも見せてしまった。もっと最悪だ。

 

 俺は焦った。もし、今ここで三人に、ララ達が宇宙人である事を話したら、信じてくれるだろうか。俺はあくまでここが『ToLOVEる』の世界だという事を知っていたからこそ信じている事であって、彼女達は今の今までなんの非科学的な事件に遭う事なく生きてきた、普通の人だ。

 そんな彼らに今から俺が、ララが宇宙人だの銀河の娘だのとさらけ出したところで、彼女達が信じるとはとても思えなかった。いつかは知る運命になるのだが、彼女達が真実を知るのはもっと先である。早すぎるのだ。

 だが、今その事を伝えなければ、目の前で起こっている光景を納得させる事はできない。ほかに方法は思い浮かばなかった。

 

 「……結城ィ……あんた何か知ってるの?」

 

 体勢を座りなおした俺に、籾岡が俺をにらんだ視線で尋ねてきた。俺はまだ思考の海の中を泳ぎ回っていた最中で、彼女の声に反応できなかった。が……その次に聞こえた声に、俺は海から一気に浜へと打ち上げられた。

 

 『……その事については、私が説明しましょう……』

 

 「ヒャ!」と小さな声を漏らした西連寺が見たのは、俺のバッグから抜け出して、彼女のもとへ近寄るペケであった。

 

 俺は呆気にとられていた。ペケは西連寺達三人を注目させると、自分達宇宙人の話や俺達との関係をじっくりと話し始めたのだ。

 目の前に立ち、手振りで説明をする小さなぬいぐるみの様なロボットと、それを真に受けた様な表情で耳を傾ける俺達四人は、ずいぶん滑稽な光景に見えただろう。

 しかし、俺はペケの大胆すぎる行動に言葉を奪われ、残りの三人は目の前にいる小さなロボットを見て混乱しそうになっている所を、彼の話を聞いてやっとこさついて来ている状態。誰も彼を口出す事はできなかった。

 

 『オネガイシマス。どうか……リト殿を責めないでください……』

 

 全てを話し終えたペケは、突かれた様に息をついて地べたに腰を下ろしたので、俺は彼を優しく抱きかかえてやった。

 俺が抱えた腕の中で、ペケは俺に向かってウインクした。可愛かったが、それ以上に俺は彼の行動に救われていた事に感謝していた。

 

 「……ララちぃ宇宙人説って……マジだったんだ!」

 

 「やっぱりぃー! 尻尾とかヘンだと思ったんだー!」

 

 「結城くんって……宇宙人とお友達なんだ……!」

 

 「それも銀河を束ねる国の、お姫様だなんでしょ……!?」

 

 「結城ィ……やっぱりララちぃの事、奪っちゃえば?」

 

 ほら、彼女達はペケの話に驚きつつも、ララ達宇宙人の話を信じている。ペケにこれほどの行動力は原作にはない。『俺』との邂逅によって生まれてしまったものなのだろうけども、これ程とは思っていない。

 

 俺は『自分』による行動がどれ程周りに影響するのかと考え直していると、西蓮寺達にララとの関係を更に詳しく求められたが、俺は最後まで『ただの友達』だと言い切った。そんなわけないだろと籾岡にせめ寄られる俺だったが、そこへ……

 

 「ハックション!」

 

 ルンのクシャミが聞こえた。俺達は会話を中断してもう一度息を飲み込み、二人の方へと見遣った。

 

 ペケと親しい関係を持つ事で、これほどの影響力を合間見た俺は、ララとレンとの関係を思い返し、自分の成就を確信した。

 

 さぁ……今度こそ……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (レン視点)

 

 

 

 クシャミをした瞬間、ボクの意識は緩やかになっていくと、やがてうっすらとした視界が広がった。いつもの精神の中に戻されてしまったようだ。

 ララちゃんは目を丸めて驚いていたけど、ボクと変わって現れたルンの姿を見て、表情をほころばせた。

 

 「あっ……ルンちゃん! おひさしぶり〜!」

 

 「あっ、ララちゃん! お久しぶり〜♪ って……違う違う!! ちょっとレン! 空気読んで黙っててやったのに……なーんでここで私になるのよっ!! バッカじゃないの!!?」

 

 (うるさいッ! わかってる!! わかってるけど……仕方がなかっただろう!?)

 

 告白のチャンスだったのに肝心なところでドジをこいたボクが自分の失態に頭を抱える中、ルンはララちゃんに謝っていた。

 

 「ゴメンねぇ〜ララちゃん、空気台無しにしちゃって……。今レンにかわるから!」

 

 そう言ってルンは、ベンチに置いてあったボクのバッグの中からコショウの入った瓶を取り出すと、赤いフタを指で押し開けて、中身を自分の鼻に振りかけた。

 

 不本意だけど、コレって便利だよね……。メルモゼ星にはこんな調味料なかったから……感心したのを覚えているよ……。

 

 「ふぁックション!」

 

 ルンの大きなクシャミと共に、ボクの全身の感覚が鮮明に感じた。気がつけば、そこはさっきと変わらない光景——ララちゃんの目の前に立っていた。

 ボクは今一度深呼吸をして、とりあえずは落ち着きを取り戻した。

 

 「ふぅ……ゴメンララちゃん、驚かせちゃって……」

 

 「ううん、そんな事ないよ! ルンちゃんにも会えて、とっても嬉しい!」

 

 そう言って、ボクに純粋な笑顔を向けるララちゃんを見て、子供の頃は見慣れている筈なのに、自分の顔がまた熱くなっていくのを感じた。

 

 「ララちゃんは……優しいね……」

 

 そうひと言呟き、ボクはもう一度呼吸を整えた。そして、

 

 「ララちゃん!! ボクは……ボクは……ッ!!」

 

 急に叫んだボクの大きな声に、ララちゃんはまた驚いていたけど、今のボクにはそれを気にするほどの余裕はない。

 ただ、自分の思いを彼女に伝えるだけで精一杯だった。喉はひくつき、心臓はバクバクと跳ね上がり、体中の熱が頭の中に流れ込んでくる様な感覚だが、それでもボクは……

 

 

 「……ボクはそんなキミを、あっ、愛してるっ!!! 僕と結婚してくださぁいっ!!!」

 

 

 言い切った……。勢いのままに言ったその言葉は、間違いなく彼女に伝わった。頭の熱がスーーっと治まり、体が楽になった気がするけど、ララちゃんは驚いた表情のまま、

 

 「……愛……してる……?」

 

 と言って、ボクの目をジッと見詰めてきた。ボクの告白に混乱しているのか、ララちゃんの目は瞬きを繰り返していた。

 ボクは、ララちゃんの手を両手でギュッと掴み、顔を近づけた。

 

 「そうさララちゃん! ボクは結城リトに気づかされたんだ! キミを幸せにする……それがボクの幸せなんだ!!」

 

 「……幸せ……?」

 

 ボクはララちゃんの顔を真っ正面から見つめ、ハッキリと思いを伝えたつもりだったけど……ララちゃんの様子はおかしかった。『愛』、『幸せ』。そのふたつの言葉を何度も繰り返し呟きながら、目線がキョロキョロと泳いでいた。

 異変を感じたボクは、ララちゃんに声をかけようとしたけれど、その声は彼女の言葉で遮られてしまった。

 

 「私、わかった……」

 

 「……ララちゃん? わかったって、何を……?」

 

 ボクがララちゃんの言葉に全くついていけない中、彼女はベンチから立ち上がろうとした。慌ててボクはララちゃんの前から数歩下がって、彼女に意味を求めたけれど、そこから返ってきたのは……

 

 

 

 「レンちゃん、ゴメン……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……私……レンちゃんとは結婚できない!!」

 

 

 

 ララちゃんからの……ボクの告白を拒否する言葉だった。

 

 「なっ!!? そんな……! どうしてだいララちゃん!! どうして……!」

 

 頭の中が真っ白になった気がした。声を裏返しながら叫ぶボクの言葉に対し、ララちゃんは少し体をボクの方からずらして、顔をうつむけたままゆっくりと語りだした。

 

 「……私ね……ずっと悩んでた事があるの……。リトは私にとっても優しくしてくれるんだけど……私はリトの幸せがどうしても理解できなかったの……」

 

 ララちゃんは顔を上げて、周りの景色を見渡す。

 

 「最初はね……リトの考えてる事は全然わかんなかったんだけど……自分のキモチと、レンちゃんが言ってくれた言葉を考えたら……私……気がついたんだ……。リトのキモチと……自分が何で……リトに優しくするのか……」

 

 ボクが「何で」と答えを求めると……ララちゃんはようやくボクの方へと体を向け、にっこりと頬笑んだ。

 

 「それはね……フツーに好きだからとか……そんな事じゃなかったの! ……嬉しかったんだ……私……♡ リトってメッタな事じゃ笑わないから……私に笑いかけてくれたとき……本当に嬉しかったの!!! それで……これがリトの感じてる幸せだったんだって、今やっとわかったの!」

 

 

 

 その笑顔は、今までに見た事ないぐらい本当に嬉しそうで、それを見たボクは悟ってしまった。

 

 

 

 「だから、私……リトにお返しをしてあげたい……。今度は、リトと幸せを分け合いたい……♡ それが、今の私の……幸せなんだよ……♪ だから私……レンちゃんとは結婚できません!!」

 

 

 

 ボクは絶対、結城リトには敵わない男なんだと……。

 

 

 

 自分の言いたい事を全部言い切ったララちゃんの瞳は、自身の信念を貫いている様な瞳。子供の頃のボクが、ララちゃんに再会するために努力をしていた頃の瞳の輝きと同じ感じがして……ボクは彼女の言葉に対抗する事ができなかった。

 

 それどころか、ボクは思ってしまったのだ。

 

 ララちゃんは本当に、ボクよりも結城リトの事が好きなんだな、と。

 

 「……ララちゃんにそこまで言われちゃあ……」

 

 「えへへっ ゴメンね!♪」

 

 そう言って、またボクに笑いかけてくるララちゃんを見て、なんだかとても気分が良かった。

 結城リトに完全敗北したボクだけど、今のララちゃんは幸せそうに笑っている。もうそれで良い気がしたんだ。

 

 「でも……今のボクがこうしてあるのは、ララちゃんのおかげだ……」

 

 ボクはゆっくりとララちゃんの前に手をさし出した。

 

 「これからも……ボクの親友でいてくれるかい……?」

 

 「うん!!」

 

 彼女からは戸惑う事なく元気な返事、そしてボクの手の平を包む彼女の手が、ボクの心を晴れやかにしていく。

 

 ボクはもうララちゃんとは友達以上の関係にはなれないのだと思う。でも、これからはララちゃんのために唯一無二の親友でありたい。

 

 それでララちゃんが喜んでくれるなら……

 

 「ありがとうララちゃん!! 心惹かれた麗しき女神!! ボクの唯一無二の親友っ!!!」

 

 「うふふ♪」

 

 こうしてボクは、親友である約束を彼女と結び、笑顔でさよならを言った。

 このデートでの目的は失敗だが、ボクにとってはもうそんな事はどうでもよかった。

 ララちゃんと二人で出かけて、遊んで、話し合えた事が嬉しかった。今になって思い返せば、それだけでも幸せに感じられる。

 そして、ララちゃんに正面きって『愛してる』と告白できた事。結果はダメだったけど……ボクは彼女の言葉を聞いて強く胸を打たれた。本人は不本意だろうけど、こんな機会を用意してくれた結城リトに感謝しなくてはならないのかもしれない。

 ただ、この事実を彼に伝えなくてはと考えていた時、一瞬だけ思い出した彼の言葉がボクの心の中で不安を煽らせたが、ララちゃんの姿を思い出して、それは消えた。

 

 彼なら……いや、ララちゃんなら……彼と幸せな運命を——ボクとララちゃんの子供の頃以上の幸せな運命を歩ける筈……!

 

 そう願って、ボクは帰り道を歩いた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 視界は酷くぼやけて、目の前が見えなかった。

 

 (私……リトにお返しをしてあげたい……。今度は、リトと幸せを分け合いたい……♡ それが、今の私の……幸せなんだよ……♪ )

 

 彼女の言葉が、頭の中で何度も何度も繰り替えされていく。

 

 不意に、俺の両方の目元に何かが触れた。

 

 その右目の涙を拭ったのは、ペケだった。真っ白な指は、人の温もりこそ感じなかったものの、そのやわらかい指の感触は、人そのものであった。

 その左目の涙を拭ったのは、いつかの臨海学校で、肝試しの時に俺が渡したハンカチ……ずっと渡すタイミングを見失っていたらしいハンカチで俺の涙を拭う、西連寺だった。

 

 「結城くん? 結城くんは……本当は……ララさんの事……大好きなんでしょ?」

 

 彼女の言葉に対し、俺は何も言えなかった。

 

 確かに、好きだったのかもしれない、嬉しかったのかもしれない、この涙はそれなのかもしれない。

 

 「……でも結城くんは……自分よりレンくんの方がララさんの恋人に釣り合ってるって思ったから……ううん、ララさんとレンくんの思いを、ジャマしたくなかったんだよね……」

 

 いっそ全て投げ出して、ララとずっと一緒も悪くないと思えてしまった。……のかもしれない。

 

 「でもね……私は結城くんとララさんのカップルは、すっごく似合ってると思うよ……。理屈とか……そんなのなんにもないけど……」

 

 西連寺は俺にハンカチを——長い事彼女の手に渡され、忘れかけていたハンカチ差し出しながら、親しみのある笑顔で囁いた。

 

 「結城くんなら……大丈夫……」

 

 

 

 だが……俺には

 

 

 

 「悪いな……こんな事つきあわせちまって……」

 

 俺はハンカチを受け取り、涙を自分で拭った俺は、ここまで付き合ってくれた西蓮寺達にお礼を言ったが、その声はひどくくぐもっていたかもしれない。

 でも、彼女達は気にはしていなかった。

 

 「いいっていいって! おかげで楽しかったよ♪」

 

 「うんうん♪ 早くララちぃのところに行ってあげなよ!♪」

 

 既にララはここにはいない。俺が泣いていたせいで、彼女はレンと別れた後、嬉しそうに帰路を歩いて行ってしまった。俺は、今日一日はずっと家にいるはずの人間だ。彼女よりも先に家に帰る必要があった。

 

 だが……俺はララに正面から顔向けができるだろうか。あいつにどうやって接してやったらいいだろうか。

 

 考えている時間はない。

 

 「じゃあ……さよなら……」

 

 「「またね〜♪」」

 

 俺は適当に会釈して、足を歩む。

 

 

 

 「またね……結城くん……!」

 

 

 

 背中から聞こえた西連寺の声に励まされた様な気がして、俺は俺は右手を大きく振り上げてから、走り出す。

 

 背中のバッグではペケが手を振っていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (またレン視点)

 

 

 

 帰り道の商店街。太陽が沈み始め、オレンジ色の空と真っ黒な空が半分に混ざり合う。人通りも少なくなって、街灯やネオンの看板がちらほらと明かりを発している。こんな光景は、ボクの故郷では見る事のできなかった光景だったから、外出時に夕日の時はついつい周りの景色、特に空を見てしまう。

 

 でも、今日に限っては思い出すのはララちゃんの事だった。

 

 別に悲しくなんかはない。むしろ……何と言うか……不思議な気持ちだった。フラれた事に関しては悲しいと思うのだが、それ以上に嬉しいのだと思う。何度思い出しても、不思議と涙は出てこなかったのだ。

 

 (残念だったわね……)

 

 ボクの中で、ルンが慰めてくる。振られたらバカにするって言っていたけど、今はボクの事を心配している様だった。それでも、口調はぶっきらぼうだが……

 

 「なぁに、別に悲しくなんかはないさ。ルンも見ただろ? ララちゃんの幸せそうな表情……」

 

 ボクが更に言葉を続けようとすると、ルンは大きな声を出して僕の言葉を遮った。

 

 (も〜〜っ!! カッコつけるのやめなさいよっ!!! 確かに……私だってララちゃんの言葉聞いた時は驚いたよ!? でも……レンはそれで良かったの!?)

 

 そう怒鳴られて、商店街の道を歩くボクの歩みは止まり、思考は彼女の言葉でマイナスな回転を始める、自分がララちゃんを幸せにする未来を思い描いて。でもそれは実現する事はない。ボクが選んだ事だから。

 

 「…………………………」

 

 (本当に良かったの!!?)

 

 ルンはもう一度問いかけた。

 

 そりゃあ……ここまでの数年間はララちゃんのために努力していた。自分が幸せにすると信じていたから……

 

 でも、ボクにはララちゃんを振り向かせる事はできなかった。あのとき、もし彼女を無理やりボクの方に引き寄せても、彼女は離れていくだけだとわかった。それだけ彼女の心は結城リトに惹かれているとわかったのだ。

 

 なら、せめて、ララちゃんと親友でありたい事をボクは願った。色々あったけど、ララちゃんがいなかったら今のボクは存在しないと思っている。ボクは今の自分に感謝している。今の男らしい自分があるからこそ、ボクはララちゃんとデートができたんだと思う。最初で最後のデートになってしまったが……

 

 それでも……ボクは嬉しかったのだ。

 

 あのときボクに見せた笑顔は、これから結城リトへと向けるのだろう。そう思ってくると……

 

 「……やっぱり……悔しいな……」

 

 (レン……)

 

 口から漏らした本音に、ルンはボクの肩に手を乗せる様な雰囲気で呟いた、そのときだった……

 

 「ねぇ、あれってレンくんじゃない!?」

 

 「うそ!?」

 

 「ホントだ! レンく〜ん♡」

 

 突然、ボクの名前を呼ぶ女性の声が耳に入った。声のした方向へ振り返ると、そこにはボクと同じ年くらいの可愛い女の子が五人、ボクのもとへと駆け寄って来ていた。

 

 「き……キミたちは……」

 

 ボクは彼女達を知っている。ボクが彩南高校に来てから毎日と言っていいほど、ボクに挨拶をしてくれたり、昼食に誘ってくれたり、たまにボクが宿題を教えてあげたりした、女子グループ五人組だ。可愛らしい服装を見る限り、どうやら彼女達はここへ遊びにきていた様だ。

 え〜と、名前は確か……荒井さやかさんと、白百合こよみさんと……、……あと誰だったっけ……?

 

 「ええぇ〜〜!?」

 

 「ひど〜い!」

 

 「忘れちゃったのー? レンく〜ん……」

 

 「……ゴ……、ゴメン……」

 

 剣幕な様子で近寄る女子三人にボクは謝るしかなかった。

 彼女達に名前を覚えなおされ、脱線した話は最初に戻る。

 

 「それにしても、レンくんとバッタリ会えるなんて偶然だね〜!」

 

 「こんなところで何してるの?」

 

 「ララちゃんのデート』……なんて、少し前のボクなら胸を張ってそう言ったかもしれないが、今さっきフられた身としては言いにくい。

 それに、もし本当の事を言ったとすれば、ボクに好意的な印象を持っている彼女達はララちゃんに対して普通じゃない態度をとるかもしれない。間違いなくウワサにはなるだろう。

 

 だから、ボクは嘘をついた。

 

 「たっ、ただの散歩さ……」

 

 「えっ? じゃあひとりなの?」

 

 「うん……」

 

 ボクがさやかさんの問いかけに答えると、彼女達はなにやら集まって数秒間のあいだ内緒話を始め、それが終わると、またさやかさんが、今度はちょっと恥ずかしそうな、それでも口元はにんまりとした笑顔でボクの名前を呼んだ。

 

 「レンくん、私達今からカラオケに行くところなんだけど、レンくんも一緒に来ない?」

 

 「遊ぼ〜よ〜、レンくん♡」

 

 どうやら、彼女達はボクと遊びたいらしい。

 

 ボクは迷った。なぜなら、フラれたばかりの後でほかの女の子と遊ぶっていうのは、なんだか情けない様な気がしたんだ。

 

 ホラ、ルンだってさっきからボクの事を、ジーっと睨みつけている様な気がする。

 

 でも……このまま家に帰ってベッドで落ち込むのも、カッコの悪い男の様にも感じていた。

 

 だから……ボクは……そう、何と言うか…はしゃぎたかったんだ。はしゃいで……今ある未練を……捨てるとは言えないけど……過去の事って見極めて、また新しい恋をしようと思ったんだ!

 

 「そう……だね……、ちょうどはしゃぎたいと思っていたところなんだ!」

 

 その答え方は、何だか投げやりになっちゃってたけど、彼女達は嬉しそうに手を合わせて喜んでくれた。

 後で知ったのだが、このとき、ボクが一緒に遊んでくれるとは思っていなかったらしい。ダメもとのお願いだったそうだ。

 

 「本当!? じゃあ一緒に行こ〜!」

 

 「やった〜♡」

 

 彼女達はボクの両側に回ると、これ以上ないってくらいのはしゃぎっぷりでボクの両腕に寄り添いながら、せかす様に商店街の道を歩き始めた。いくら人通りの少なくなった商店街とはいえ、さすがにこれは目立つ状態だ。ほら、道ゆく人がボクたちの方を見ている。

 でも、ボクはもう少しだけ、このまま彼女達に流される事にした。イヤ……本当に嬉しそうな彼女達の気迫に押されていた。

 

 精神の中にいるルンが、呆れた様な溜め息をボクに吹きかけた。

 

 (……もう……どうゆうつもり……?)

 

 ボクはルンに自分の気持ちを伝えようとしたけど、その途中で、今は自分の中だけに残しておこうと思い、話すのをやめた。

 

 (飲む。過去の事をウジウジするなんて男らしくないっ!)

 

 それだけ自分の心の中でほえると、ルンはまた大きな溜め息を吐き、

 

 (このごうじょうっぱりぃ……。でも、その方がアンタらしいし、まぁいっか♪)

 

 と明るい声が返ってきた。

 きっと、心の中ではまだ混乱してると思うルンに、ボクは(ありがと)と呟いた。そしてボクは、楽しげに歩くさやかさん達に目を向ける。

 彼女達の嬉しそうな様子を見て、ふと……ボクはララちゃんの言葉を思い出した。

 

 

 

 (それはね……フツーに好きだからとか……そんな事じゃなかったの! ……嬉しかったんだ……私……♡ リトってメッタな事じゃ笑わないから……私に笑いかけてくれたとき……本当に嬉しかったの!!! それで……これがリトの感じてる幸せだったんだって、今やっとわかったの!)

 

 

 それはとっても簡単そうで……とっても難しい事なんだと思う。でも、お互いに愛する事で幸せを共感して、それを分かち合うのは、とても素晴らしい事なんだとボクは思っている。

 

 「人を愛する嬉しさと、幸せか……」

 

 「えっ……レンくん今何か言った?」

 

 「……いいや、なんでも……」

 

 だから……今度は、ララちゃんと結城リトの幸せを、ボクも見てみたい。感じてみたいんだ! いつか……次の恋愛で……!

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 家に着いた。玄関を開けて、靴を確認する。そう、ララの靴を。

 

 見る限り、彼女はまだ帰ってきていない様だった。とりあえず一安心して、俺は自分の靴を脱ぎ、ペケをバッグから下ろすと、居間の方から美柑が顔を出した。

 

 「おかえりィ、リト」

 

 「あぁ……ただいま……」

 

 いつもの様に笑顔を見せる美柑に、俺はいつも通りの挨拶をする。

 

 「ワリぃ……今日はおみやげ買ってないわ」

 

 「ううん、いいよ別に♪ それより、ララさんといっしょじゃないの?」

 

 「あぁ……」

 

 美柑は何か考え事でもあるかの様に「ふ〜ん……」と俺を見てうなずく。

 彼女にはララのデートの事は伝えてはいない。だから……もし俺達に不可解な点があったとしたら、それを誤摩化す事は難しいだろう。

 

 「リト……?」

 

 ふと、美柑が俺に顔を近づけた。彼女の急な行動に、俺は身をたじろぎそうになったが、すんでの所でそれを押さえた。

 彼女の視点は、俺の目元へと向けられていた。

 

 「目……赤いよ? だいじょうぶ?」

 

 「ッ!! っ……あっ、あぁ。ちょっと疲れてんのかもな……」

 

 どうやら涙の跡が残っていたらしい。俺は美柑に「少し寝る」と伝え、逃げる様に二階へと上がった。

 自分の部屋へと入った俺は、バッグをその辺に放り投げて、部屋着にも着替えないままベッドに倒れ込んだ。本来はここでララの事を考えなくてはならないのだが、一日中ララ達二人を尾行し、更に帰りは家まで走ってきたので、今の俺はとにかく疲れが溜まっていた。

 

 『リト殿……?』

 

 俺の後ろについて来ていたらしいペケが、心配そうな声を投げかける。彼の心境や言いたい事は何となくわかってはいたが、今はもう眠りたかった。

 

 「わりぃ、ペケ……疲れた……少し休む……」

 

 『……カシコマリマシタ……』

 

 ペケは何か言いたそうに悶々としていたが、すぐそう言って身を引くと、俺の睡眠のジャマをしない様にか、部屋のドアを閉めて出ていった。

 

 自分一人になった部屋に、無言の空間が生まれてくる。俺は自分の中で何もかにも投げ出す様に、毛布を頭から被ると、体を丸め、目をきつく閉じた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (ララ視点)

 

 

 

 レンとのお出かけが終わって、私は帰り道を歩いている。

 

 太陽はすっかり沈んじゃったけど、私の心は反対に明るくて、嬉しく跳ね回っていて、いつのまにか嬉しさのあまりにスキップをしていた。

 だって、ようやくリトの気持ちがわかった気がするんだもん。まだ、それが正しいなんて決まってないけど…………私はそうありたいって信じてる。

 

 リトはきっと……私に幸せになってほしいから、こんな事したんだと思うけど、こんなのやっぱり違う気がする……。

 だから、リトに伝えなくちゃ! 今度は私の……自分にしてほしい、幸せを……!

 

 そんな事を考えている内に、私は自分の家へとついた。

 

 「たっだいま〜!!」

 

 ドアを開いて、リトが二階にいても伝わるくらいの大きな声を出して、私は玄関を上がる。すると、リビングから美柑とペケがやってきた。

 

 「おかえりィ、ララさん」

 

 『おかえりなさいませララ様!』

 

 ペケは私の胸に飛びつくと、すぐに私の周りを飛び回って、荷物を持ってくれた。私は空いた手で自分の持っていた、紙でできた白い箱形の荷物を美柑に渡した。

 

 「はい、おみやげ!」

 

 美柑は私にお礼を言いながら、嬉しそうにそれをリビングに持っていって、テーブルの上でそれを開いた。

 箱の中身はケーキ。彩南商店街の人気のあるケーキ屋で買った、ショートケーキとかチョコレートケーキとかモンブランとかがいっぱいはいってて、それを見た美柑は声を出して喜んだ。

 

 「うわぁ〜おいしそ〜♪ 今、食べる?」

 

 「うん! 私、リトも呼んでくるね!」

 

 美柑はキッチンから食器を取りにいったから、私もリビングから飛び出して、リトの部屋へと向かった。でもこのとき、ペケが私を止めようとしてた事に私は気がつかなかった。

 

 階段を一段とばしで駆けあがって、廊下を走ってリトの部屋を目指した。部屋に入ったら、そのまま思いっきり飛び付いちゃおう♪ なんて考えてた。

 

 

 

 でも、部屋に入って見たのは、いつもと違う光景だった。

 

 

 

 「リトーーーっ! ただい、っ……」

 

 ドアを勢い良く開けてリトの部屋に入った私に最初に目に飛び込んできたのは、真っ暗。部屋に明かりがついていなかった。

 「あれ……?」って言葉につまった私は、最初は「リト寝てるのかな?」と思った。でも、私がリトと一緒に寝る時は、いつも小さな明かりをつけてもらったから、今は真っ暗にして寝てるのかなって思っていた。

 でも、すぐベッドの方からリトの寝息が聞こえて、あぁやっぱりって私は一瞬だけ安心した。

 

 

 

 でも、違った。

 

 

 

 寝息だと思って聞こえてきたのは、空気を裂く様な過呼吸。普通じゃない様な呼吸音に、微かにリトの声が混じったものが、部屋の中から私の耳に流れ込んできた。

 

 「リ、ト……?」

 

 私が震えた声で呟いても、リトは答えなかった。

 暗闇になれてきた目で見えたのは、悪夢にうなされながら、怯えて、助けを求めて苦しんでいる、リトの姿だった……。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 こんな俺でも、人に恋をしていた時があった。いや……今になって考えてみれば、著しく欠損していた親からの愛情を、何かで埋め合わせたかったのかもしれない。

 

 始めの出会いは唐突だった。独りぼっちの小学校を終え、中学校に入学した初日、バカ騒ぎしている教室に入ってきた担任は、新任の若い女の教師であった。

 新任の教師が生徒に対して表す態度は二通りだ。生徒と友達になろうと優しく接するか、ナメられない様に厳しく接するか……。

 その時の俺の通う中学校には秩序なんていうものは存在せず、喧嘩が日常茶飯事の危険なド底辺学校だっから、自分の身を守るためとしては、厳しく対応するのが無難だと俺は思っていた。

 

 が、その教師はとんでもないことに、生徒と仲良くなる接し方を選択していた。

 

 馬鹿だ。ただでさえこの学校は女子生徒ですら遊びに呆けた危険なヤツがいる。普段から授業など成り立ってはいない。そんな動物園みたいな学校だというのに、お花畑の花摘みみたいな接し方の彼女は、この学校では生きていけない。そう思っていた。

 

 最初の頃は、実際そうだった。授業が成り立たない事には数日で諦めた様だが、彼女の行動は相変わらずお花畑だったから、不良達の良い的にされていた。彼女、容姿やプロポーションも良かったから、男子からセクハラ紛いの嫌がらせも受けていた。でも、教室の隅の席で拒絶のオーラを放っていた俺は、彼等を止める事——彼女を助ける事はない。助ける理由なんかなかったし、むしろ、いつまで彼女が保つか、心の中で観察していたのだ。

 

 それから数週間ぐらいたった日の事、その日も教師はめげずに頑張っていたが、問題だったのは学校が終わった放課後、俺はなぜか不良グループに目をつけられていた事だった。

 その中には小学校の頃から俺の事をいけ好かねえ野郎だと思っていたヤツらも混ざっていたので、どういう事なのかは察した。パシリにしてやりたいのか、単に俺のツラをボコボコにしてやりたいのか。どっちにしろ、ごめん被りたい。

 

 その時の俺は、ずいぶんと日々の生活に快適としていた。家出の一人暮らしは慣れてしまったし、母親もそんな俺を見て、月に様子を見にくる日数も減っていた。学校は見ての通りだが、俺としては有意義な学校生活だった。

 だから、俺は物理的対話でそいつらを静かにさせた。その頃は、柔道も学校の授業で習ってはいなかったが、喧嘩は人を殴る勇気があれば何とでもなるという事を俺はその時に知った。

 

 ここで終われば、何ていう話でもなかったかもしれない。しかし、こういう説明をしているという事は、終わらなかったのである。

 なぜなら、その後も俺に対する闘争は何度か続いたが、俺は持ち前の度胸とイカレじみた残虐性を発揮し、何十人とそいつらを血祭りにあげた。すでに、同級生に敵はいなかった。

 そしてある日、完全に調子に乗った俺は、あろうことか上級生に売られた喧嘩を買ってしまったのだ。それも一人ではない。数人。端から見れば勝てるわけのない戦いだ。

 だが、今までの善戦のおかげで、俺は完全に相手を舐めていた。と言うか、誰にも負ける気がしなかった。怖いものなんかないという幻想を抱いていたのだ。

 

 結果。俺は後悔した。始まった喧嘩は、上級生の勢いに飲み込まれ、俺は彼らに一撃も報いる事なく、叩きのめされたのだった。それは、もはやケンカという形をしておらず、ただの袋叩きであった。一年程度自分より早く生きているだけで、ここまで力の差が出る事を、俺は身に染みこまされて教えられた。

 血ヘドと土でよくわからんグッチャグチャのドロドロの状態になって地べたに張りつけにされても、上級生達の攻撃は続いた。生意気なバカは口で言ったって通じないので、体に徹底的に叩き込ませ、自分達には敵わないという事を覚えさせるのを、俺も頭の隅っこで知らず知らず行っていたのは覚えていた。だから、きっと今の俺の状態もそれなのだろうと、抵抗する気力もなくなった俺は、ただ彼等の殴打の雨を受けていた。

 やがて体の感覚が段々薄くなって、視界もうっすらと暗くなり始めた。意識が朦朧となりはじめたそのとき、

 

 ぼんやりとした俺の聴覚に、上級生とは違う、別の人間の声が遠くから聞こえた。声は段々と近づいてくる。

 

 次に殴打の雨が止んだ。程なくして、上級生の気の抜けた様な声が遠くへ離れていく様に聞こえたかと思うと、俺は誰かに肩を抱き上げられた。色白の華奢な腕、感覚的に女だって思った。

 

 「……くん! ……くんッ!! ……だいじょうぶ?」

 

 顔のそばで名前を呼ばれ、俺はそいつが誰だかわかった。視界の晴れた目の前にいたのは、俺の担任の女教師であった。

 正直、その声に反応するのもめんどくさくなっていた俺だったが、彼女は俺と視線が合うと、ホッと一安心した様に息を吐き、今度はその華奢な体で、自分よりも身長が十センチ以上も高い、ズタズタのボロ雑巾みたいな俺を保健室まで一生懸命に運んでくれた。

 

 保健室についても主任の先生がおらず、彼女は俺をベッドに寝かせ、そのまま俺の傷の手当てをし始めた。俺としては、もう身体的にも精神的にもボロボロの惨めな状態だったので、ほっといてほしいと俺は彼女に抗ったのだが、治療が止まる事はなかった。それよりも、その言い争いの真っ最中の彼女の言葉から、俺はある事を悟った。

 

 彼女は知っていたのだ、俺の家庭事情を。

 

 担任なんだから、知っていてもしょうがないだろう、と言いたい所だろうが、その時の俺は中学生という事だけあって、反抗期真っ盛りであった。しかも、俺としては一番触れてほしくない部分に触れられたため、血は簡単にのぼった。暴れる体力は残っていなかったが、俺は激情のままに彼女へ罵詈雑言を浴びせた。

 彼女はずいぶんと困惑していたが、治療する手は決して止めなかった。それを見て、俺は黙った。言いたい事を言い尽くしたから。

 俺の治療が終わっても、彼女はしばらく俺のそばにいた。次は説教かと思っていたが、彼女は包帯の捲かれた俺の頭を優しく撫で下ろしながら、「本音で話し合える友達をつくりなさい」だの何だのと言っていた。俺は「先生じゃダメ?」と適当に返事をしてみたら、「ダメです」と、即答された。

 

 その日の先生との会話はここで終わった。

 

 翌日の学校。治療の傷跡が生々しい俺に、野次馬が集まった。喧嘩の事はどっかの誰かが知っているし、結果は俺のこの姿を見れば明らかだから、単におちょくりにきたヤツがほとんどだ。

 俺はいつもの様に、適当に追い払ってやりたかったのだが、昨日の先生の言葉が俺の頭の中で思い起こされた。

 その言葉が頭から剥がれなかったから、俺は(これは、治療してくれた先生への返礼だ)と、心の中で理由をつけながら、この日、中学校に入学してから初めて、まともな会話を野次馬——クラスメイトと交わしたのだ。

 

 そして、この日一番最初に俺と会話をした野次馬が、俺の親友となった。

 

 まぁその後、その親友は重度のマザコンだったというのが後で発覚したりもするのだが、俺にはそんな事は関係ない。ただ、俺はある事に気がついたからだ。

 

 自分のママがどうのこうのと話している目の前のヤツは、俺がまともな家庭で育っていない事を知らないのだ。じゃなかったら、俺の目の前で家庭の話をするヤツなんかいない。悪口なら殴っている。

 じゃあ、なんで彼は俺の家庭の事を知らないのだろうか? それは簡単だ。

 

 俺が言っていないから。

 

 どんなに頭で考えていようが、どんなに心の中で思っていようが、口で言わなきゃ伝わらないのである。だから、小学校の頃、俺の周りで親の悪口を言っていただけなのに、俺にどつかれた事のあるヤツは、俺の行動が理解できなかったのだ。それは、俺の家庭の事を知らなかったから。という事に繋がると思う。

 

 世界には俺みたいなやつらが何人もいる筈だ。これを、単なるコミュニケーション能力の不足として捉えるヤツは、そいつこそコミュニケーション能力が足りていないと言ってやりたい。お前に俺の何がわかるってんだ。

 

 俺の目の前で話をする親友を見て、先生の言っていた事がわかった気がした。黙ってたって人には伝わらない。放っといてほしかったら、口で言うしかない。でも……きっと、口で言う様になったら、放っといてほしいなんて、普段は考えられなくなる、と……。

 

 そんな先生は、俺が人と話す様になった所を見て、ずいぶんと満足げな表情を俺に向けていた。授業は相変わらず動物園の状態だというのに、俺を見る時の眼は、嬉しそうに輝いている気がした。

 

 だが、俺は彼女とは目を合わせられなくなっていた。いや、別に嫌いになったわけではない。人と接する事を拒否していた俺に、友達をつくるきっかけを教えてくれた人だ。なにかお礼でもしなくてはならない立場のはずだ。

 

 じゃあどうする? 彼女の顔を見ると、直立不動でも心音がわかるくらい、心臓が跳ねる。口元が歪む。顔が変なのだろうか? じゃあどんな顔をすれば良い? 今まで通りにすればいいはずなのだが。今は、その今まで通りがわからない。と言うか、自分はどんな顔をして彼女に顔を向けていた? 気がつけばそんな事ばっか考えていた。

 

 そして、これが恋愛感情だと気づくのに、大して時間はかからなかった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 自分のキモチを理解した俺は、先生にできる事を考えた。三年間、先生の授業は超素直に受け答えた。やかましい動物共も少しは大人しくさせた。何より、人と接する事を増やした。それが彼女の一番喜んでくれる事だとわかっていたから。

 一年ぐらい経つと、真っ先に俺の恋愛感情に気づいた親友おろか、周りのヤツらも感づいてくるようになった。俺は本音だけを親友に伝え、周りは適当にあしらっていた。

 親友は、自分の嗜好が少し変だというのは自覚があったのか、俺の話にはずいぶんと熱心に聞いてくれた。ただ、聞いてくれるだけで、まともなアドバイスは返ってこなかった。「テキトーに……まずは友達から〜でいいんじゃね?」とか言った日には、蹴ろうかと思った。

 実は、その後もう一回、俺は先生へ友達になってほしいと頼んでいた。でも……彼女は困った様な顔をして俺を断った。もともと生徒と友達になりたがっていた先生なのに、何でだと疑問には思ったが、それを彼女に伝える事はなかった。

 俺は必死にアプローチを続けたが、先生の素の感情が俺に向く事はなかった。

 

 三年生の冬、その頃はいっそ、思い切って告白しようかと考えていたが。それは早いと親友に止められていた。

 悶々と過ごしていたある日、俺と程々に仲の良かったクラスの女子が、どこからか集めてきたらしい情報を俺に教えてくれた。俺の事情には感づいているだろうから、先生の好きなものとか、そんなのだろうと思っていた。

 

 でも違った。

 

 「先生って、婚約者いるらしいよ……」

 

 俺は高校に入るまでケータイを持っていなかったし、パソコンにも興味はなかった。だから、学校のウワサにはかなり疎い存在だ。

 だからといって、俺はその情報を信じるわけがなかった。三年間も思いを寄せた俺の恋が、いまここで終わるなんて、どうかしてしまいそうだ。信じたくなかった。

 

 俺は先生にウワサの真偽を確かめたかった。が、そう簡単な事ではないのはわかっている。今は普通に会話をする事には慣れたが、いまだに俺は彼女の眼を見て話す事ができていなかった。おまけに、話題は彼女のプライベートな部分をいじる様な質問。やれって言われてやれたら、俺は彼女の事が好きではないんだと思いたい。つまり、俺には不可能だった。

 

 だから、先生の事は親友が本人に直接聞きに行ってくれた。この時ほど親友が輝いて見えたのは、後にも先にもその時だけである。

 彼の足取りは軽かった。普通はこういう時の時間は遅く感じるらしいが、彼が教室に戻ってくるのは、案外早かった。

 

 俺は、期待してしまったかもしれない。だが、足取りの悪くなっていた彼から出た言葉は、予想以上に重たく感じられた。

 

 

 

 「ゴメン……、…………、……マジだわ……。……お前……先生の腕時計わかる? ………………あれ、……彼氏のプレゼントらしい……」

 

 

 

 ショックだった。めちゃくちゃショックだった。

 

 翌日、俺はショックで熱出して寝込んだが、その日はHRで先生に婚約者がいる話題になって、しかも俺達の卒業の後すぐに結婚するという話になっていたそうだ。熱が治まって、久々に学校に来た俺に対して、親友以外のヤツらの態度がおかしかったのは、それが原因だった。

 前回の事態があって、結婚するなんて話を聞いて驚く俺ではなかったが、それは俺の心が間違いなく失恋のムードになっていたからだと思う。自分の青春はここで終わりなんだと、俺は思っていた。

 

 しかし、その日の放課後、俺は先生に呼ばれ、学校の人気のない場所、一年の頃に上級生にボコボコにされ、そこを彼女に助けられた、あの場所に連れてこられていた。

 俺は彼女に引っ張られてきたものの、何て話しかけたらいいのかわからず黙ってしまい、彼女もなぜか照れくさそうにして、いきなりこの場所を懐かしむ様な話をしてきた。

 

 俺はただ、相づちをうちながら話しを聞いていたが、やがて彼女の口調がかわって、話題は自分の婚約者の事や結婚する事へと変わっていった。きっと、熱を出していた俺は知らないと思ってたのだろう。そんな事、わざわざ言われなくても知っている。あなたのおかげで人と接する様になったから、知っている。

 

 「結婚するんですよね……おめでとうございます……」

 

 複雑な心境のまま、この言葉を言い切った俺を、誰か褒めてほしい。

 だが、お褒めの言葉の変わりに返ってきたのは、なんと彼女の結婚式に、俺も出てほしいとの要望だった。

 何故? 質問を投げかける俺に、彼女はゆっくりと答えてくれた。

 

 「恥ずかしくて、ずっと伝える事ができませんでしたが、あなたの気持ちはわかっていました……。でも、私はあなたの気持ちを受けとる事はできません。私には、待っている人がいるので……」

 

 そこでわかったのは、先生はかなりイイ所のお嬢様だった事。高校の頃まで教師を目指していたが、その途中で家の事情が変わって、嫁ぐ羽目になった事。それでも教師の夢は諦められず、家や婚約者に無理を言ってまで、学校で一人の生徒の三年間を見るまでは働いてみたいと言った事。

 

 「三年間、短い時間だけど……あなたは私の一番の……自慢の生徒です……♪」

 

 その言葉が、とても嬉しかったが。同時に、自分は先生の彼氏になれる事はなかったんだと思うと、悲しかった。

 

 でも、俺は先生のウエディングドレスを見たい。それで先生が喜んでくれるのなら。

 

 ただ、一人では先生と一緒でも不安だったので、俺は親友も連れて行く事にした。先生も、俺が来てくれるとわかると、喜んで聞き入れてくれた。

 

 

 

 卒業式が終わって数日後、俺と親友は入学する予定の高校の制服姿。まだ一切改造を施していない新品同様の制服で、都内の待ち合わせ場所で待っていると、どこからともなくリムジンが俺達の目の前に止まって、助手席から先生が出た。まだ花嫁姿ではなかった。当たり前と言っちゃあ当たり前だが。とにかく適当に挨拶をしてから、俺達はリムジンに乗り込んだ。

 

 親友は、リムジンに乗っていたまではテンションが高かったが、到着したバカに広い箱庭みたいな式場の会場に着くと、集まっている人達を見て、さすがに悪ふざけをする様な雰囲気じゃないのがわかったのか、会場の椅子に座ってからは大人しくなった。俺も同じく、終始カチンコチンだった。

 緊張している俺達二人に、先生の親友やらが話しかけてきた。俺は緊張してガタガタだったが、緊張したフリをしていた親友が何とか話を合わせてくれた。それで時間は早く過ぎていった。

 

 やがて会場が暗くなって周りが静まり返る。司会の説明が終わると、緩やかな音楽と厚い拍手と共に、真っ白なスーツを着た花婿と、ウエディングドレス姿の先生がライトアップされながら、会場を歩いてきた。

 花婿は、俺の予想に漏れずイケメン。嫉妬が湧いた。そりゃそうだ。でも、先生が俺の方を見て笑ってくれたから、俺は考えるのをやめた。

 

 その後、二人が席に着いて始まったのは、長い長い司会と、先生の友達や、家族の言葉など、それとなぜか項目に入っている事に気がついた、先生の生徒のスピーチ。内容は言わない。俺からしてみれば……俺からしてみれば黒歴史である。

 

 ウケたから良かったけどね……

 

 そのあとにケーキ入刀して、先生の思い出のアルバムを見ながら昼食をとって、少しの休憩が入った後、場所が式場から教会に移った。

 教会は会場にいた全員は入りきらない。当然、俺達は外で待ち構える形となっていたが、それでよかった。たぶん……先生のキスする瞬間を見たら、泣くと思ったから。

 

 教会の鐘が鳴った。扉がドーンと開き、俺達は周りの人達と合わせて、花吹雪を撒いた。

 その中から現れたのは、イケメンの新郎と、左手の薬指に指輪を輝かせた、ウエディングドレス姿の先生。

 

 彼女の表情は、これ以上ないってくらい、俺も見た事がないくらい、嬉しそうに笑っていて……俺は…… 

 

 

 

 あぁ……これからあの人は幸せになるんだ……

 

 

 

 そう思ってしまったら、自分の思いだとか、なんだかどうでもよくなってしまって……気がつくと、俺は先生を見ながら、笑っていた。先生の幸せな未来を考えただけでもう、何だか嬉しかったのだ。

 ふと、教会の窓ガラスに視線が入った。映った俺の笑顔は何よりも嬉しそうで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのとき気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パパはママの事が嫌いなの!!!?

 

 

 

 ……そんな訳あるか……。……いいんだよ、これで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの表情だったんだ……。

 

 子供の頃、どうしても理解できなかった親父の笑顔が、俺の記憶に蘇った。窓に映った俺の笑顔は、瞬く間に凍り付いていた。

 だが、それは喜びにも、確信にも似ていた。今まで何ひとつ理解できなかった親父の事が、理解できたかもしれなかったから。

 

 

 

 式が終わった俺は、いち早く自分の家に戻り、着替えもしないまま、親父に電話をかけた。今まで電話なんかかけた事はなかったし、あの表情を突き止める気にもならなかったが、今は違った。

 

 だが、電話に出たのは親父ではなく、カタコトな日本語を話す女だった。わけがわからなかったが、その声は落ち着きを失っていて、日本語が通じるとわかった俺は電話の相手を落ち着かせた。

 そして、なぜ親父の電話に出ていると電話相手を問い詰めようとしたが、それよりも先に向こうから、俺を親父の息子だと確かめると、相手は何があったのかを教えてくれた。

 

 

 

 たった今、親父が死んだと……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 数日後、家に一通の手紙が送られてきた。どうやら、親父が自分の死ぬ数日前に送っていたらしい。

 

 手紙の内容は、親父の財産を全て俺に相続させる事と、自分の死を母親には伝えるなという事。親父の身に何があったのかについては、一切書かれていなかった。

 この数日間は、どうにも空虚な時間が続いていた。親父の死を聞いて、涙の一粒も零れなかったのは、親父にあまり愛されなかった俺の心が冷えきっていたからだったのか。それとも、あまりにも呆気ない親父の死を、俺自身が信じられなかったのだろうか。

 だから、俺は真実を求めた。本当に親父は死んでしまったのか。だとしたら、どうして、おせっかいでもやく様な手紙を俺によこしたのか。

 

 

 

 あの笑顔の意味は何だったんだろうか。

 

 

 

 どうしても真実を知りたかった俺は、母親に適当な嘘を並べながら、しばらくの間、家を空けると伝えた後、今度は親父の知人――あのカタコトの女性と連絡を取った。目的は海外へと渡り、親父の墓を確かめる為だった。

 彼女が非常に協力的な事もあってか、予定の話は滞りなく進んだ。ほんの少しだけ気は楽になった。

 

 空港で出迎えてくれた彼女と合流して、俺は親父のいた海外へと飛んだ。思えば、人生初めての海外旅行だったが、時差ボケと飛行機酔いで気が狂いそうだった俺は、彼女に介抱されっぱなしだった。

 向こうに到着しても俺の体調が良くならないので、彼女は俺を自分の部屋へと招待してくれた。女性……しかも金髪美女の一人暮らしの家に滞在するというシチュエーションに妙な興奮を抱いた俺は、親友の変な性癖が移ったと勘違いした。

 

 初日は彼女の家で過ごした。旅行初日を体長不良でこじらせた事を謝ると、彼女曰く、そういうところが親父に似ていると、言っていた。そのときの俺には、どういう意味なのかわからなかった。

 

 彼女との会話自体ははずんだ。ただ、彼女は事あるごとに俺と親父を写し合わせてくるものだから、不審に思った俺は、親父との関係を問いただした。

 

 どうやら彼女、親父にかなりの好意を抱いていたらしい。最初は、ただ親父のルックスに惚れただけだったらしいが、その後ほとんど家に帰る事もできず、家族にも顔を合わせられずに働く親父に、情が湧いたそうだ。

 しかし、彼女が親父に惹かれた理由はそれだけじゃなかった。それを問い詰めようとした俺に対し、彼女はそれまでの声の調子を、親しみのある優しい声色から一転させた。そして、俺に真実を知る覚悟があるのか確かめると、彼女はゆっくりと話してくれた。俺の知らない、親父の事を。

 

 日本に残された家族を捨てて、こっちで新しい家族をつくらないかと、彼女が親父に告白しようとしていた矢先、親父は病を患った。

 病気は呼吸器官系統のものだったそうだ。最初は咳き込むだけだったらしいが、後の頃になると呼吸をするだけでも、酷い痛みが伴っていたそうだ。治療方法は解明されておらず、更には余命までもを宣告されてしまった。

 だが、親父は自分の病気を理由に休暇をつくると、一度日本に戻る準備をしていた。体は病気で蝕まれている筈なのに、どうして無理をしてまで家族のもとへ戻るのかと彼女が尋ねると、親父は当然の様にこう言ったそうだ。

 

 

 

 「愛してるからだ。当然だろ?」

 

 

 

 その時彼女は、親父は自分の短い余命を家族と一緒に暮らすのかと思っていたらしい。でも、親父は俺も知らない所で母親へ離婚を持ちかけ、最後は俺の悪意の牙を受け流し、仕事へと返ってくる日々だった。

 

 なぜそんな行動をとったのか。彼女はまた親父を問い詰めた。

 

 親父は、自分の余命が宣告された事を、母親にも俺にも一言も口に出さなかった。それは、嫁が自分の死に耐えきれない事を暗示している様だった。酷い遠回りで親父は家族に、自分の事を忘れて幸せになってほしいと、願っていたのだ。そして、これが親父の、自分なりの愛情だったのだ。

 しかし、その愛情に反発する者がいた。俺だ。親父もきっと、これは予想外だっただろう。でも、親父は俺のワガママを受け止め、自分の目的を成し終えた。

 

 だから親父は笑ったのだろう。あの時、母親が出て行った玄関の前で。

 

 その後、仕事場に戻った親父は病状が急に悪化して、病院に運ばれたそうだ。入院中のベッドで親父はずっとグチを呟いていたらしい。

 

 

 

 家に戻ったら、嫁にキスがしたかった。

 

 

 

 抱きしめてやりたかった。

 

 

 

 もっと嫁の飯が食いたかった。

 

 

 

 アイツを抱え上げたかった

 

 

 

 アイツと外で遊んでやりたかった。

 

 

 

 おもちゃでも、何でも買ってやりたかった。

 

 

 

 家族に笑いかけたかった。

 

 

 

 家族で旅行に行きたかった。

 

 

 

 でも……俺には許されなかった。もし許せば……アイツらは悲しむ。

 

 

 

 山ほど残っている親父の未練は、ひとつも晴れる事はない。

 そして数年後、自らの死に際。親父は彼女にこう言ったそうだ。

 

 

 

 本当に俺を愛しているなら、俺の息子の事を頼む。あの子はいつか、俺の真実を知ろうとする筈だ。協力してやってくれ……と。

 

 

 

 そのあとすぐ、既にこの世を去った親父の元に、一本の電話が届いた……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 翌日、体の調子を取り戻した俺は、ようやく親父の墓の前へと連れてこられた。

 彼女の家から数十キロ離れた、田舎の高地。青空の下、広い広い草原の広がる墓所に、親父は眠っていた。

 分厚い石を数枚繋ぎ合わせただけの簡素な墓。当然ながら、墓標には英語で名前が彫られている。ここにはそんな墓が何百と並んでいた。

 親父の墓の前に立って、俺は黙祷する。目を瞑った間、俺は親父の言動を思い返していった。

 

 

 

 呼吸をすれば激痛が伴う筈なのに、親父は俺達に会いに来ていた。

 

 

 

 あの時——俺が始めて親父と出会った時、親父は俺の事を抱き上げたかったのだろうか。

 

 

 

 一緒に食事をとっていたのは、本当に家族の団らんを楽しんでいたのだろうか。

 

 

 

 母親の家事を手伝う俺を見ながら新聞を呼んでいた親父は、本当は俺と外でサッカーでも何でもいいから、遊びたかったのだろうか。

 

 

 

 俺の一人暮らしを認めてくれたのは、俺が親父の目の前で言った始めてのワガママだったからではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なら……うれしかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親父は、俺を愛していたんだ……

 

 そう思うと、何だか涙が出てきて……気がつくと、俺は彼女に後ろから抱きしめられていた。肩の震えで、泣いている事がわかったらしい。

 俺はしばらくの間、彼女の腕に包まれていた。思えば、親父の死に涙したのはこの日が始めてだった。俺は、本来泣いている筈の数日分の涙を流し続けた。

 

 涙はただ、絶え間なく、流れ続けた……。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 親父との別れを終えた数日後、俺は海外バカンスを楽しむ事もなく、帰国を望んでいた。急いで戻ってやるのは、親父の真意を母親に知らせる事ではない。今まで、俺のワガママで心配や迷惑をかけた母親に謝りたかった。そして、そんな俺を育てて……愛してくれた事に、お礼を言いたかったのだ。

 彼女は、もう少しゆっくりしてれば良いと、俺を引き止めたがっていたが、とても無理だった。だから別れ際、彼女とはまた会う事を約束した。今度はバカンスも込みで来ると。

 俺は彼女に頬をキスされ、空港のターミナルへと入って行った。その時の足取りは、とても軽かった気がした。

 

 飛行機に乗った後、俺は家に帰ってやるべき事を考えながら仮眠を取り、母国へと到着した。日は暮れていたが、久しぶりにも感じる故郷の空気が、ずいぶんと懐かしかった。

 

 特に寄り道もせず、真っ直ぐに自分の家へと帰った俺だったが、家に到着すると、なぜか玄関の鍵が開いていた。旅行に出掛けていたのだ、鍵はしっかり閉めた筈だ。

 

 最初、母親が来ているのかと思って、俺は「ただいま」と、挨拶をしてみたが、返事はなかった。

 

 まさか泥棒でも入ったのだろうか? 俺は玄関を開け、静かに荷物をおろす。そして、物音をたてない様に恐る恐るリビングへと向かった。

 

 しかし、リビングに来て辺りを見回しても、荒らされた形跡は見当たらなかった。俺はとりあえず緊張した息を吐き出したが、顔を向けた方向に見えた庭を見て俺は、閉めていた筈の雨戸が開いている事に気づいた。そして、それを調べようとしたが、窓は閉められて、ロックもかけられていた。

 こんな丁寧な泥棒はいないだろう。やはり母親がいるのではないだろうか? 俺はリビングに突っ立ったまま、大声で母親を呼んでみた。

 

 だが、返事が返ってくる事はなかった。やはり泥棒か何かなのだろうか。警察に連絡するのが面倒くさかった俺は、とりあえず着替えようと、自室のドアを開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…………母、さん……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには母が倒れていた。か細い手に握られた親父の手紙が、全てを物語っていた。

 

 

 

 そのあとの事はよく覚えていない。救急車を呼んで、母親と同乗して病院に着いた後、母親はすぐ集中治療室に運ばれ、病院の廊下に残った俺は、医者から渡された、母親が握りしめていた親父の手紙を受け取ってから、ようやく落ち着きを取り戻した。

 

 俺は病院の隅の椅子で、手紙を握りしめたままうずくまっていた。今、目の前の状況がとても受け入れられる事ではなかった。何か悪い夢でも見ているんだと思った。でも、その全ての妄想を、この一枚のグシャグシャになった手紙が、俺を現実へと引きずり戻していた。

 そして、その手紙は母親を殺した。破り捨ててしまいたい衝動は、俺の知っている親父の真意が許してはくれなかった。

 

 やがて、何も考えられなくなって数時間、突然の医者の呼びかけに、俺は身を震わせた。医者は俺の気を確かめる様に心配しながら、母親の容態を伝えてきた。

 

 母親の命に別状はなかった。だが、意識が全く戻らず、原因もわからないままの昏睡状態らしい。

 

 俺の中で、親父の墓を見た時の記憶が巻き戻された。家に帰ったら母親に、せいいっぱいの「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝える筈だったのに、何でこんな事になっているのか、俺はまだ理解しきれていなかった。

 

 

 

 転機が訪れる事もなく時間は無情に進み、俺は高校生になった。

 

 病棟の個室。色という色を感じられない真っ白な部屋の真っ白なベッドの中で眠り続ける母親を見て、これからいったいどうすればいいのか、俺には何もわからなかった。

 

 ただ唯一、俺の中で鮮明に残っていたのは……親父の死を知る直前、大好きな先生の結婚式で見た、彼女の幸せそうな笑顔。そして、それを見た瞬間に俺の心の中で捲き起こった、親父も感じていたかもしれない、あの幸福感だけ。一番に愛したかった両親を眠らされた俺の支えになっていたのは、それだけだった。

 

 

 

 そのあとから、俺はがむしゃらに幸福感を求め続けた。高校に入って、人付き合いの視界は更に広がった。バイトがやれる様になった分、できる事も増えた俺は、膨大な本、漫画、映画を読み漁った。

 

 俺はそこから、何て事のない家族の、恋人達の、世界中の、幸せな光景を観ている事が、何よりも楽しかった。観ているこっちの笑顔が綻ぶ様なハッピーエンドを紡ぎだす事が、何よりの癒しだった。

 

 

 

 『ToLOVEる』だって……

 

 

 

 この頃から、俺は他人の恋愛、幸せ、人としての行く末を観ているのが大好きになった。それは、もはや使う事もなくなってしまった自分の愛情を、別の何かに向けてしまいたかったのだと思う。俺はもう、人を愛する事ができなくなってしまったのかもしれない。

 別に今までの俺なら、そんな事はどうでもよかった。他人の幸せを観ているだけの人生も悪くないと思っていたし、何より俺が楽しかったから。

 

 

 

 だが……今の俺にはそれすらも許されなくなってしまった。

 

 

 

 自分はいったい、何のために『結城リト』としてこの世界にいるのだろうか。

 

 

 

 種の保存の架け橋となる、恋愛を放棄した人間に対する天罰なのだろうか?

 

 

 

 なら、これほど恐ろしい罰なんか存在しないだろう。

 

 

 

 でも、もし本当に天罰だとするなら、こんな俺を裁くために『彼女達』を使った事を、俺は許さない。俺の罰に付き合う必要なんかなかったんだから。

 

 

 

 そもそも、俺をこんな世界に置いて、何をしろというのだろうか?

 

 

 

 この俺に恋愛をやり直せとでもいうのだろうか? 

 

 

 

 人に恋する勇気も無くしてしまった俺に、今更何を……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「リト!! リトぉ!!! 目を覚ましてぇ!!!」

 

 霞む視界から目を覚ますと、そこには悲鳴の様な声を上げて俺の事を呼び続けるララが、俺の体を揺さぶり続けていた。彼女は俺が目覚めた事に瞬時に気がつくと、揺さぶり続けていた手を俺の腰へと回し、そのまま俺の体を抱きしめてきた。寝惚けまなこの俺には何が何だかわからず、ただ彼女の抱擁にされるがままだった。

 

 後で聞いたのだが、俺はずいぶんと酷くうなされていたらしい。苦しみ悶える俺の姿は、ララには恐ろしく見えたのだろう。

 

 「リト……大丈夫……大丈夫だから……」

 

 ララは俺と顔をすり寄せながら、混乱している俺を落ち着かせようと、言葉を呟き続けていた。俺はそこでようやく、自分の体が汗と涙でびっしょりな事に気がついた。それだけじゃない。俺の頬には、ぽたぽたと彼女の涙が流れ落ちて、俺の頬を伝った。

 泣く程心配させてしまった事を謝りたかった。だが、俺は恐い夢を見ていたという自覚もあった。だから、この時は何も言えず、俺はララの胸の中に顔をうずめ込み、そこで涙を流した。

 ララは何も言わずに、俺の頭を優しく撫で続けた。それは俺の意識がまた眠りに落ちるまでまで続いた。

 

 

 

 ララは、俺と幸せを分け合いたいと、嬉しそうな笑顔で言っていた。

 

 

 

 なら……俺は、どうすればいい………?


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