世界は酷く美しい   作:人差指第二関節三回転

9 / 23
009   諸悪の根源と壊れた彼女

 ―――3年前、灰ヶ峰消炭は黒神めだかや人吉善吉と同じく、箱舟中学に所属していた。

 

 が、そのときの消炭は今のような過負荷に目覚めておらず、また人を殺すことを異常に思う至極普通の生徒だった。本当に普通で、普通であることを普通にこなす、地味で色気ない白けた少年だった。特徴も特色も特異点も持たず、個性と無縁な少年。彼が宗像形を探す時に人吉善吉と会話した際、善吉が消炭のことを全く全然覚えていなかったことからも、そうだと頷くことができるだろう。黒神めだかや人吉善吉と同じ中学に在籍していたとしても、彼はこの時の物語に深く交わったわけでもなく、特に気にする風もなく接点なく毎日を過ごしていた。

 

 黒神めだかや人吉善吉よりも1年年上で、そして黒神真黒や当時の安心院なじみ、球磨川禊よりも1年年下で。強いて言えば阿久根高貴が学年的にも一番近い存在だったが、そんな彼は球磨川の仲間として生徒会で物語に深く関わっていたし、破壊が趣味だと公言する狂人とは目も合わすことはなかった。黒神めだかが球磨川と戦ったことなど、中学の頃の全ての物語を、蚊帳の外で行われた悲劇でも見るかのように眺めているだけだった。進学先は城塞高校、そこそこ上位の進学校だ。

 

 実際箱舟中学はそこそこエリート率が高いのだ。近くに人吉瞳の診療所があったことにも由来するのだが―――まぁ、他の中学と比べて明らかに異常な生徒が多く、そのほとんどの異常な生徒は箱庭学園へと進学を果たした。普通の生徒からしてみれば狭き門である箱庭学園の入学を、当時消炭はあっさりと諦めたのだ。

 

 城塞高校への通学路を、歩きながらも消炭は呟く。

 

 

「僕は別にどこでもいい。平和であるなら十分だ」

 

「くすくす。そうだね」

 

 

 ただの呟きに言葉を返してくれたのは、栫だった。箱舟中学に在籍していた一人の普通の女の子。当時は普通の女の子だった慈眼寺栫だった。金に近い綺麗な茶髪が胸のあたりまで伸びていて、少し派手な女の子。しかし指定の女子制服はまったくもって着崩されておらず、スカート丈もちゃんと長い。初対面で派手な女子だと思われがちだが、彼女の頭髪は地毛であり、消炭は彼女が地味目の女子であることを知っていた。

 

 派手でありながら、その内面は地味であり。少なくとも消炭は、彼女のそんなところに小さな共通点を感じていた。異常者特別者才覚者に劣等感を感じていた消炭は、あえて少し離れた場所の城塞高校を選んだのに、また彼女も偶然城西高校を受験している。これは運命だ、と思うには十分な確率には思えた。同じ中学出身ということもあって、二人は入学式よりよく喋るようになる。

 

 

「ところで君には、友達とかいないの?」

 

 

 自分とは違い、外見はかなり可愛らしい。きっとどこか才能だってもっているに違いない。少し天然なところもモテだろう。そんな彼女と一緒にいると、ふと聞かずにはいられなくなるのだ。

 

 君には友達とかいないの? ―――と。

 そして彼女は、決まりごとのようにこう応える。

 

 

「私の友達は消炭だけだよ。友達なんてあなたが初めて。あなた以外の友達を知らないし、あなた以外の友達はいらないよ。そういう消炭は友達いないの?」

 

「聞くなよ。知ってるだろ?」

 

 

 ひときわ平凡でそれなりに平坦で、なおかつ平和な日常。ただ歩きながら喋るくらいの関係。「だからなんだ」と言われてしまいそうな特色の無い毎日だったが―――この時の二人は、それで概ね納得していたし満足していた。幸せを感じていた。少なくとも人の下を生きる消炭は、幸せを感じていたのだ。

 

 自分がこんな綺麗な女の子と喋れるだなんて。

 しかも唯一の友達だと言ってくれている。

 僕はもう死んでもいいのかもしれない。

 

 なんて、へたな恋愛小説の一人称文章のようなことを度々思っていたのだが―――そんな淡い平和は、かの転校生の転入によって全てが全て終焉を迎えたのだった。

 

 当時2年4組へと在籍された、大嘘憑き(オールフィクション)を手に入れたばかりの球磨川禊。彼の登場が消炭から囁かな幸せを根こそぎ奪って台無しにし、彼の人生を崖の下まで突き飛ばし堕落させた。

 

 数ヵ月後この高校は廃校して。

 球磨川禊は結界高校へと転入するのだが―――そこはまた別の物語だ。

 

 

 

 

 

 ✩✩✩

 

 

 

 

 

「くまが、球磨川ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ球磨川球磨川球磨川球磨川球磨川殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスころすころすころすころす―――   」

 

 

 失われたあの頃(しあわせ)を思い出し、消炭は今まで抑えていた感情を爆発させながらも、獣のような咆哮と殺意をまき散らしながら球磨川の懐に潜り込んだ。

 

 対する球磨川は、構える風もなく当たり前のように棒立ちしている。懐に潜り込んで短剣を握り締めてこちらを睨む消炭と目が合い、球磨川は懐かしむように目を細めた。

 

 

『だけれど、やっぱり変わらないところもあるよね』

 

 

 顔面に螺子が螺子込まれる。

 

 

『例えば、そうやって常に自分の感情を抑えて―――自分の感情を殺しているところとか』

 

「が、ぁぁぁあ」

 

 

 顔面を潰されながらも振るった短剣は球磨川の喉仏を抉る。

 

 

『ぐぼぁ』

 

 

 そのまま力の限り短剣を下に引き下ろした。魚を三枚おろしにするように、球磨川の喉から胸、腹にかけて大きな切れ込みが作り出される。尋常じゃない血飛沫を浴びながらも、顔面を抉られた消炭にはそれがわからない。闇の中を彷徨うように、闇雲に彷徨うように刃物を振るう。潰す、抉る、切る、斬る、KILL、殺す。

 

 直後顔面の傷はなくなっていたのだが、それが球磨川の大嘘憑きの効力なのかそれとも灰ヶ峰の無差別殺戮の効力なのか、彼ら以外には判断できないだろう。それほどにまで似ているのだ、彼らの起こす現象が。

 

 物事を『なかった』ことにする球磨川禊。

 物事を『殺して』しまう灰ヶ峰消炭。

 

 自分が一番憎む相手と似た過負荷に目覚めてしまったことは、どこまでも皮肉な話だとも言える。切り裂き殺し合い、全ての傷が完全回復してまた切り刻む。無差別殺戮と大嘘憑きが生んだ、無限ループのような終わりの無い戦いが、悍しき死闘がそこで行われていた。

 

 

「異常だ……僕はさっきまで、こんな狂人相手と戦っていたというのか……」

 

 

 宗像はその場を動くことすらできない。

 

 

『いやーしかし本当びっくりしたよ。あの時僕は大嘘憑きを手に入れたばっかりでね、コントロールがほとんどできていない感じだったから、消炭ちゃんの記憶が、僕が城塞高校にいたという記録が『なかった』ことにされきれてないということには納得出来るんだけど―――消炭ちゃんは異常だよ。どうしてそこまで覚えていられるの?』

 

「忘れてたまるかよ!」

 

 

 未来の球磨川は言っている。大嘘憑きは強い思いまではなかったことにできない、と―――それが消炭から記憶を奪いきれなかった理由だろう。彼にとって球磨川を殺すことが目標であり、人生の目指すべき終着点とも言える。殺し屋で生計を立てながら、人と戦い殺す技量を磨いているのも、球磨川禊を殺すためなのかもしれない。

 

 自分の人生を叩き潰した相手。

 快適な地上空間から灼熱地獄の地底へ沈めた張本人。例え記憶が『なかったこと』にされていたとしても、同時に目覚めた無差別殺戮で『なかった』ことを『殺し』て『なかった』ことを『なかった』ことにしていたであろうが。

 

 短剣が球磨川を殺す。

 螺子が灰ヶ峰を殺す。

 既に2598回は殺し合って、消炭は頭が冷静になってきた。

 

 

(……抑えろ、ちょっと抑えろ自分の感情!)

 

 

 無差別殺戮で自分の殺意を押し『殺す』。球磨川によって全ての殺した事象がなかったことにされている現在、罪悪感に押しつぶされるまでに幾分か回数が残っている。感情を殺してから、冷静になった頭で考える。

 

(違うだろ消炭! 確かに俺はこいつを憎んでいるし呪っているし妬んでいるし蔑んでいるし恨んでいる! けど、だけど! コイツは皮肉にも今の問題の突破口かも知れないんだ!)

 

 かの水槽楽園で生徒会長を務めていた蛇籠飽は言っていた、「まるで神様のようなスキル」だと。彼女の存在を消炭は露ほども知らないが、しかし感想としては全く一緒だ。球磨川のスキルは、消炭の持つスキルの完全な上位互換であるのだから。

 

(俺は彼女を殺し続けて封印しているように、球磨川もまた、他の誰かを封印していると聞いている。前に仕事でぶち殺したやつがそう言っていた、嘘だとは思えなかった! つまりだからそれは、俺が今やろうとしてやれないことをできるってことで―――くそ、やっぱり言うしかない…!)

 

 球磨川の顔面を引き裂きながら、消炭は聞いた。

 

 

「おい球磨川―――実は俺、お前をずっと探してたんだよ!」

 

『ええっ!? それはほんとうかい消炭ちゃん! それはとても嬉しいことだけど、どうせなら僕は女の子にそういうことを言ってもらいたかったなー! そうだ女々しい消炭ちゃん、ちょこっと女装とかする気はぶべぇ!?』

 

「黙れよ! テメェの戯言聞いてる暇はない! 球磨川、俺に手を貸せよ! 知ってるだろ、アイツを! 彼女を! この世界で間違いなく無双な存在、慈眼寺栫を! あいつの封印を手伝」

 

『ってくれって? ふーん、待ち構えていたわりには結構ありきたりで想像できちゃった。あれ? 僕って天才? まあ、そうだね!』

 

 

 どこからか飛来した螺子が、消炭の五体を貫く。壁に貼り付けにされて身動きがとれない、血液に塗れた消炭に、球磨川という過負荷が近づく。一歩前に進むたびににじみ出る悪のオーラが、消炭の余裕を削ってゆく。

 

 鼻と鼻がくっつきそうなほど球磨川が顔を近づけて―――言った。

 

 

『そうだね。なにも僕は鬼じゃない。なにより僕が原因なんだし、君がそれの手に負えないのなら、僕が力とベストを尽くして協力しよう!』

 

「く、球磨川っ……?」

 

 

 一瞬希望に満ちた消炭の顔は、

 

 刹那、太い螺子に風穴を開けられた。

 

 

『―――とでも言うと思った? あはは、僕を誰だと思っているんだい。君がキュートな女の子だったらまだしも、血まみれな男子学生なんて論々々外だよ。あれは僕のせいじゃない。君が作ってそして君が壊した存在だ、全ての責任は君にある。だから』

 

 

 球磨川は背を向けた。

 

 

『僕は悪くない』

 

 

 宣言した球磨川の胸に、直後深く鎗が刺さる。

 

 

『えぶっ』

 

「殺されるところ割り込んで、勝ちも負けも一緒くたにしてうやむやにしてくれた君に、僕は感謝しているよ」

 

 

 何かを投げた直後の体制で、宗像形は確かに言う。

 

 

「だから殺す」

 

『君は―――』

 

「宗像っ!」

 

 

 この時の宗像系の行動を、消炭は1ミリも理解できなかった。なぜ自分を殺そうとしていた相手を守るように立ち回っているのか。―――しかし、そうして生まれた隙を、理解できないからと逃すような馬鹿ではなかった。殺し屋としての行動が染み付いた消炭は、咄嗟に螺子の強度を殺して粉砕し、そこに落ちていた螺子を球磨川の顔面に捩じ込んだ。視界を奪って、足音と息の根を殺す。気配を殺して、一目散に穴の開いた天井に向かう。一瞬重力を殺し、ある意味物理法則に則った動きで迷宮に舞い戻り、出口を目指して駆け抜ける。

 

 とにかく逃げなければ。

 

 宗像形を殺すことには失敗してしまったが、球磨川禊の前では仕方がないと思えた。彼の前では人間の死だなんてまだ取り返しの付く軽いものであり、彼が降臨したところで、殺しを生業とする消炭の活躍は得られない。自分に言い訳するように考え、空気抵抗を殺して迷宮を闇雲に走り回った。

 

 とにかく逃げなければ。

 

 球磨川と交渉が決裂した今、彼が球磨川と戦う理由は既にない。今まで球磨川を憎んで生きてきた彼だが、再度戦って理解してしまった。自分なんてそこらへんの凡人なのだと、かのマイナスに比べたら自分なんて勝ち目がないのだと。―――今の自分では勝ち目がないのだと。

 

 ならば、出直すことも作戦だ。

 いつか絶対殺してやる。

 

 仕事が終わったら速やかに移動しろ。長居は身を滅ぼす。覚えておけよ? ―――殺し屋の先輩の言葉を思い出し。

 

 消炭はその言葉に縋るようにして、逃げることを選択した。

 

 

「ちっ………」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。