ノーマルの彼が言うように歩くと、案外簡単にたどり着くことができた。時計台の真下にはなにか仕掛けがありそうな扉があり、少し前に黒神めだかの仲間がぶち壊していたのだが、いつのまにかその扉は修復されていた。選ばれたものしか通ることができない。いや、ノーマルの人間でももしかしたら通ることは可能かもしれないが、その場合の確率は百万分の一というものである。そんなこと、異常の中の異常者くらいしか可能ではないだろう。
そして消炭は確かに異常だが、
過負荷でもある彼は、異常なまでに過負荷らしい考えで通り抜ける。
「………開かないな、面倒だ」
パスワードを打ち込むということすらわからないままに、消炭は開くことを断念する。そしてこれ以上この入口に脳を使うことが無駄であるというかのように、手を話して扉を見つめた。
殺害。
扉の
再度手をかけると、実にあっさり扉は開いく。そこらへんの家の扉を開けるようにあっさりと侵入を果たし、廊下を歩く。入り乱れる廊下はまるで迷路のようであり、実際にこのフロアは迷路になっている。
「こんなことなら、あの異常者二人を殺さずに連れてこればよかった」
勝手に殺されたことになっている軍規と破魔矢には合唱を捧げるべきであろう。真っ白い天井に薄く映った二人の顔を、しかし視線で切り裂くように睨んでから、これからどうしようかと頭を悩ます。
黒神めだかの活躍によりフラスコ計画が崩壊した現在、この施設ではもうなにかの研究は行われていない。計画の軸である都城王土は欧州へ旅だち、行橋未造も彼について退学している。高千穂仕種や名瀬夭歌などは計画からはずれ黒神めだかと行動を共にしており、現在箱庭学園の平和を脅かす球磨川禊対策に頭を捻っていたりする。つまり王土とめだかの戦いという大きな話が終わり一段落ついている今、時計台地下では大したことは何も行われていなく、また消炭はいい時期に箱庭学園に潜りこめたと言える。最初に宗像形を殺せと依頼した人物は、この時期を見計らって依頼を出したと思われるが。
地下迷宮を歩いている間、点在する監視カメラに消炭はあえて姿が映るように歩いていた。カメラの性能を殺すことも可能なのだが、殺すまでに自分の映像は確認されるだろうし、またセキリュティはカメラ意外にもあると思っていた。自分が殺すには、殺す対象が理解できていないかもしれない。ここから遠く離れた国の人間を、消炭には当たり前のように殺すことはできないのだ。
だからあえて姿を見せる。
自分という異物が入り込んだことによって、迷って何もできない消炭に誰かが何かを仕掛けてくるのではないかと踏んで。
そしてそれは意味を成さず。
三十分くらい歩いたところで、消炭の機嫌が悪くなってきた。
「あー、くそ。面倒臭い!」
床を睨み―――掌を付ける。
「殺してやる」
刹那、床が水面のように小さく波立った。床を形成する物質、分子が無数に振動し、床という物質が過負荷による影響を受ける。そして、何かが起こって何かが死んだような気がして―――床が砂のように崩れ去った。
物質としての『強度』を殺した。
崩れた床から転がり落ちると、天井から更にしたの地面に墜落する。その際は勢いをあまり殺さずに、着地の瞬間に回転しつつ勢いを殺し、物理的な身体能力で体を守る。周囲を見回す。先ほどの無機質で殺風景な廊下ではなく、日本庭園のような場所だった。
そしてそこにいた。
「…」
大量殺人犯。
宗像形は地下に作られた日本庭園の庭で、やけにのんびりと日本刀を見ていた。人工的に作られた光が日本刀に鈍く反射して、彼はそれを味わうようにして眺めている。登場した消炭に視線だけを向けると、空に開いた巨大な崩落を見て、口を開く。
「君は―――見ない顔だね。わざわざ天井を崩落させてまで僕に会いに来た、なんてことはないよね」
「そんなことあるさ。俺はあんたに用がある」
「用? 僕にできることなんてあったかな」
未だにこちらを注視しようとしない宗像に腹を立て、消炭は短剣を引き抜きつつも言う―――「お前を殺せっていわれているんだよ!」叫ぼうとした瞬間、上から何かが飛んでくるのにぎりぎり気づくことができ、本能のレベルで回避する。自分が先ほどまでいたところに落ちてきたのは、拳程の丸石。
宗像の舌打ちに消炭は気づく。
今消炭が、少しでも早く踏み出していたならば、頭上から落ちてきた丸石が頭部に直撃して意識をもっていかれていただろうことに―――。
「僕に何のようか知らないけど、今日は僕は気分がいいんだ。君の女の子のような雰囲気には癒されるところもあるし、できれば君を殺したくはない。僕は君を殺すなと命令されていない、帰ることをおすすめするよ」
「関係ない。そんなことは殺してから考える」
「そうか。じゃあ仕方ないな、実は突然現れた君が気になって仕方がないだ。だから―――」
宗像はどこからか短剣を取り出した。
「だから殺す」
「っ」
双方が地面を蹴り飛ばし、刃物同士が交錯する。刃物と刃物のぶつかる金属質な音が響いて、それから数回切り刻み合う。その都度互いの短剣は短剣を弾き、短剣にいなされ、短剣が短剣を切り続ける。キリがないとはこのことだ。完全に短剣で五分の戦いが、壮絶なほどに互角な戦いに、宗像は一度武器を捨てる。
「君は
日本刀。
短剣よりもリーチの優れた日本刀を
殺人衝動。それが宗像形の異常性であり、武器の扱いとしては達人とは言い難い。善吉は素人同然と言っていたが―――戦闘に対して初心者同然であるらしい宗像にはそれでも、この消炭という男の戦いが異常に映っていた。全ての武器を素手で封じて見せた善吉の精巧さと弱さにも驚かされたが、この短剣使いには純粋な強さしか感じなかったからだ。
強さ。
単なる短剣の技術でも達人の域に達している。日本刀というリーチが2倍以上も違う武器を相手に全く怯まないのは、強さに自信が伴っているからだろう。これくらいなら勝てる、俺は死なない、という確信にもにた自信が。その強い自信と純粋な強さが、宗像の攻防を引かせてしまう。宗像が得意とするのは殺すことだ、戦うことではない。
日本刀をどこかに強くぶん投げて、今度は鎗を取り出した。
武器に思い入れがないからこそ、彼は武器を捨てられる。
「リーチ2倍じゃ足りないらしいからな」
「くっ……」
短剣を使いこなす消炭でも、流石に鎗となるとキツくなってくる。リーチが4倍以上も離れているのだ。隙をついて接近戦に持ち込むくらいしか対策方法を思いつかない。理不尽なまでの圧倒的な武器の性能を相手に、過負荷を使わざるを得なくなる。
鎗が消炭の首筋を掠る瞬間―――鎗の刃は頚動脈部分の皮1枚も破けずに通過した。
消炭は鎗の刃の鋭さを『殺した』のだ。
「どうやら刃物じゃ殺せないらしい」
宗像は槍を捨て、おもむろに武器を取り出す。
鈍器。大きな柄を、宗像は両手に構える。そんなにも重たそうな武器をよくも同時に扱えるものだと消炭は思わずにはいられない。宗像が善吉にやったように、左右から潰すようにして鈍器を叩きつける。
一歩下がり、目の前で鈍器が炸裂重たい激突音を聞きながら、消炭は鈍器の上に着地、猫のように短剣を逆手に持って宗像の首へと短剣を振るう。
刹那、短剣を振るう消炭の腕に、”何故か深くナイフが突き刺さっていた”。
「っ!?」
突如激痛に襲われる。
宗像形の殺人衝動は恐るべき異常性なのだが、しかしそれが全てというわけでもない。彼には行橋未造の特技や上峰書子の護身術のように、異常性の別にテクニックを持っている。それが―――暗器である。
どこからともなく飛来したナイフが、下から消炭の腕を貫いていた。
「ぐ、ぁっ」
「君は今まで見てきた中で、数少ない実力者だ。殺しの手際も僕と同等。できれば君を殺したくなかったし、また君と殺し合っていたかったけれど―――それが殺さない理由には残念ながらならないんだよ。残念ながら君は強い。だから僕は君を殺す」
そして、柄春や軍規、破魔矢と戦った後だからこそ、ここまで押されてしまっているとも言える。彼の『殺す』という過負荷には、一つだけ弱点―――いや、制約とも言えるべきものがあるからだ。
それは罪悪感。物事を殺しすぎてしまうと、自らの罪悪感により精神的に押しつぶされてしまう。故に彼は、迷宮にたどり着いた瞬間すぐに地面を崩壊させなかったし、カメラを片っ端から破壊しようともしなかったのだ。
「っ!?」
宗像形の鈍器が振り下ろされる。
「君は類を見ない異常者だったけど―――僕の普通な友達の足元にも及ばなかったよ」
鈍器が振り下ろされ、渾身に力を引き絞って消炭は後ろに一歩下がる。射程距離の短い鈍器は、あと少し距離が届かず消炭の目の前で炸裂する。目の前の地面に放射線状の罅が入る程の衝撃が走り、そして。
突然背中を、刃物で滅多刺しにされた。
―――宗像形
クラス:3年13組
血液型:AB型
異常性:殺人衝動