柄春は戦慄していた。
「っ!? 俺の、アブノーマルが………かき消されたッ!?」
標識をなぎ払い、すかさず柄春は距離を取る。
消炭が強く柄春を睨んだ直後、何かが死んだような音がした。そして自分が発動させていたはずの者両規制《ヒューマンロード》が、何かしらの影響を受けてかき消された。なんだ、こいつ。もしかしてアブノーマルなのか!
―――しかしこの時の柄春は、まだ過負荷という存在をあまり知らなかった。それもその筈だ、球磨川禊率いる蝶ヶ崎蛾々丸と志布志飛沫、江迎怒江が箱庭学園を訪れたのは、もう少し後の出来事なのだから。現在校内にいる過負荷は、球磨川禊と1年1組所属の彼女以外にありえなく、1年1組の彼女が過負荷であることは、球磨川と理事長くらいしか気づいていない。
故に牛深柄春は、灰ヶ峰消炭の持つ異常なスキルに戦慄していた。そして仮に柄春が、過負荷という存在を知っていたとしても―――やはり戦慄したであろう。なにせ灰ヶ峰消炭の過負荷は、かの球磨川禊すらも目をつけていて、いつか接触しようとすら思っているほどなのだから。
それはつまり、夢の世界の彼女に通用しう可能性すら秘めたスキルを持つということで―――しかしそんなことを知るよしもなく、柄春は手に持つ標識を力任せぶ叩きつけた。
「ハァ!!!」
スキルが通用しないならではの物理攻撃。
けれど叩きつけられた消炭は―――まったくダメージを受けていなかった。ダメージというか、顔面に接触したその標識が、もともとそこに停止していたかのような。
標識が消炭に触れた瞬間、勢いという概念が消し飛んだかのような―――運動エネルギーが物理法則を完全に無視した形で、跡形もなく消えていた。突然目の前で発生した意味不明にして解析不能な現象を前に、彼は、
―――消炭は短く、言う。
「標識の勢いを『殺した』」
その言葉は、彼のスキルの全てを物語っていた。
何度目になるかわからない戦慄。
時が止まったかと勘違いするほどの、衝撃。
そして柄春は、止まる時に抗うようにして、声を荒らげて訴えた。
「っ!? ………なんだお前、一体、何者なんだ!」
「俺は―――そうだな」
消炭は、少し迷って短く答える。
「宗像形の友達、みたいな」
「宗像、形………そうか、納得した。お前の持つそのアブノーマルたるアブノーマルも、納得した。そうかなるほど、あいつの知り合いだったのか」
柄春は冷や汗を流しながらも考える。
―――考えろ、この状況でこいつに『殺されず』に生き残る方法を。
必死に頭を回す牛深柄春。けれど案外、消炭のほうは柄春にはあまり興味がないようで―――消炭は特に殺意とか敵意とかを向けずに、他のことを考えていた。
どうやら3年13組の教室には、宗像形は来ないらしい。
というか、牛深柄春以外の生徒は来ないらしい。
ここに来た意味はなかったらしい。
そういう結果の元、消炭の中で新たな疑問が生まれた。
(じゃーほかの生徒や宗像形はどこに?)
そこまで行けば、後は考えなくても、これからすることにたどり着いた。
つまりこの男に、道を案内してもらえばいいのである。
「それで一体何の用だったんだ。まさか俺を殺しにきたわけじゃなんだろう? 人間は1匹殺しても30匹は出てくるもんだ、俺を殺しても意味はない」
言葉巧みに死線をくぐり抜けようと必死な柄春と対照的に、皮肉なまでに敵視していない消炭が答える。
「そうだな。あんたを殺しても意味はない。俺は宗像形を探してる、そいつ以外はどうでもいい。………そういえばさっき、あんた友達を探しているっていったよな。えーっと……」
「直方と平戸、だが」
1年13組平戸・ロイヤルと2年13組直方賢理は、牛深柄春とよく行動を共にしている。学年が全員違うのだが、ついこの間黒神めだかに容易く敗北したことをきっかけに、3人で手を組んでいた。別に手を組んで何かをしているわけじゃないのだが―――まぁ、その。ストレス発散のために趣味のモータースポーツでも教えてやろうかと思っていたのだ。
そのために校内を、珍しくも探していたのだが―――よくよく考えれば、彼らも13組であり、出席を免除されているわけでり。今更そんなことに気付くことに、案外自分は間抜けだなと改めたところで、消炭は言った。
「その友達が見つかるまででいい。道案内してくれ」
「ん? あぁ」
どこの学年の13組かは知らないが、この恐るべきスキルを持つ少年は、まだあまり学校に来ていないのだろう。というか、本来13組が登校が免除されているだけに、卒業まで学校の道をまったく把握していないものも珍しくはない話だ。だから、こういうことを言い出す生徒も結構いて―――故に、学校の生徒でありながらに校舎を把握していないことに、偶然ながら消炭が怪しまれることはなかった。
そして柄春は、ノーマルやスペシャルの生徒ほどではないが、校舎の構造は軽く把握しているのだった。柄春は昔、モータースポーツ部設立のために動いたことがある。あの頃の体験が今になって生きてくるとは、人生よくわからないものだな、と思う。
―――ともかく。
それで命が助かるのなら安い話だ、と。柄春は巨大で小さな存在を前にして、そんなことを思ったのだった。
「分かった。暇潰しに案内してやろう。………そういえば名前を聞いていなかったな。なんていう?」
「………」
一瞬名前を名乗っていいのかどうか迷ったのだが、怪しまれるのもあれかと思い、消炭はあえて素直に名前を名乗った。
今日限りの付き合いだ。どうせすぐに忘れるだろうと思ってのことである。
「灰ヶ峰、消炭」
「よろしくな」
「ああ」
✩✩✩
「……………」
3年13組。教室のど真ん中に座る彼は、牛深柄春と灰ヶ峰消炭の戦いを最初から最後までずっと見ていた。
空気のように感じることができず、さながら空気のように当たり前。『
牛深柄春と灰ヶ峰消炭。
柄春のほうは長年同じクラスだから、すこしくらいは知ってはいたが、もうひとりの少年のほうはまったくもって見覚えがなかった。見た目も、力も、喋り方も。そしてなにより滲み出る負のオーラを。日之影空洞は肌で感じながらも観察していた。
「俺が他人の気配を感じ取れなかったのは初めてだ……」
消炭が教室に入る時も、空洞はずっとそこにいた。前から3番目で右から3番目の、教室のど真ん中を陣取りながらも暇を潰していたのだが―――彼は、消炭が侵入してくるのにまったくもって気づくことができなかった。気づいたらそこにいて、気がついたら柄春もいた。というか、柄春の登場で、初めて消炭を認識したといってもいい。
不思議な男だ。
けれど―――この時空洞は、彼を叩き潰して学園から追い出そうとは思わなかった。なぜなら彼は元生徒会長であり、学園を守る者でありながらも、生徒を守る者だからである。
ちなみに放課後、空洞は黒神めだかと黒神くじらに尋ねられ、その後球磨川禊と戦い過負荷という存在を認識するのだが―――それはまた、別の話である。
―――日之影空洞
クラス:3年13組
血液型:AB型
異常性:知られざる英雄《ミスターアンノウン》