校庭の中央で、殺戮の波動をまき散らす消炭。
世界という世界を一色に染め上げんとする筆。
酸素を操り敵味方共々巻き込んでしまいそうな飽。
以上3名によって繰り広げられる世にも恐ろしい殺し合いを見て、彼女達はいかに異常でありながら戦うという行為を選択することができなかった。咄嗟に放った『髪々の黄昏』のおかげで『無色の才』から身を守ることができたのだが―――正直、消炭が遊酸素運動を相殺していなければ、問答無用で意識を持って行かれていたであろう。現在も尚、消炭は二人の過負荷を相手に戦っている。消炭は殺された桜ヶ丘恋の仇を、甲突川掌理の意思を継いで戦っている。
けれどそんなこと、ついさっき行動を共にし始めた湯前音眼達の知ったことではない。前は消炭を捉えるために、今は灰ヶ峰消炭という過負荷を観察し理事長へと情報を伝えるために、同行しているにすぎないのだ。
少し前に黒神めだかによってフラスコ計画を崩壊させられていた不知火理事長は、己の教育理念を貫くためにマイナス十三組の建設を企んでいた。それで呼ばれたのが球磨川であり、現在は球磨川率いるマイナス十三組の五人が生徒会と戦いに臨んでいるのだが―――マイナス十三組を建設し過負荷達を入学させようと企んでいた不知火理事長にとっては、灰ヶ峰消炭とはとても興味を引く存在だった。
全てを無差別に『殺せる』過負荷。
そんな強大で最悪で、災害的に災厄な過負荷に目覚めた灰ヶ峰消炭という人間を、理事長が見逃すわけがなかった。結果彼は、音眼の背中を押して、灰ヶ峰消炭を観察して情報を持ってくるように、という課題を押し付けて許可を出したのだ。
だから音眼としては灰ヶ峰消炭になにか思いがあるわけでもない。親友でもなければ友達でもなく、仲間でもなければ同類でもない。全く接点のない、強いて言えば普通じゃなくてまともじゃないことくらいが共通するだけの相手。だけどどこか興味を引く男。たったそれだけの理由でここにいるだけの彼女は、消炭が殺戮を始めた時点で既に行動を共にする理由はなくなっていた。自分達の命が危うい時点で、行動を共にする理由はなくなっていた。
消炭と共に戦う、ではなく。
むしろここは、このまま逃げて、箱庭学園に帰るべきなのだ。
今の彼女らの任務は、いわばスパイのようなものだ。相手に近寄り、情報を手に入れて持ち帰る。本当はこの任務には、自分が攻撃力を持たない分、戦闘に秀でた百町破魔矢と鶴御崎山海の二人を連れて行きたかったのだが―――残念ながら断られてしまった。上峰書子と筑前優鳥がかわりについてきたことにはまぁまぁ嬉しかったのだが、戦闘面ではやはり頼りない。上峰書子は自分と同じで戦闘向きではないし、比較的戦いに秀でている筑前優鳥も、致命傷を負わせる程の攻撃方法を持っていない。
だからここで、目の前の過負荷三名の戦いに入る意味はないし、付け入る隙もなければ入り込む隙間も存在しないのだ。筑前優鳥の髪々の黄昏でどうにか姿を隠すことはできている。このまま隠れているのも安全だが、その安全がいつまで続くかわからない。そんな生き地獄の状況ならば、逃げるという手段で打破するのが最善というものだろう。
そう思って、校内から外に出ようとしたのだが―――
出れなかった。
校門は開いている。まるで閉じる必要がないかの如く。裏門だって全開であるし、申し訳程度に貼られている立ち入り禁止の看板に拘束力は皆無だろう。学校を囲う塀も小学生ですらよじ登れそうな防犯性の低さだし、だから脱出は余裕で容易だと思われたのだが、
出れなかったのだ。
進めなかったのだ。
戦場と化したこの危険区域を、見えない壁で隔離されているかのように―――校内から脱出することができなかったのだ。
「やべー。これはまじでやべーわ」
声自体は棒読みだが、しかし内心は焦っていた。
「書子たん。どうしよう」
「どうするって言われましても」
対する書子は相変わらず冷静だ。どんな時でも彼女は、怖がったり怯えたりしない。感情がないわけでもないが、表情に変化がないのだ。彼女が銃撃を受け止める特技を習得したのも、その精神力の異常さあってのものだろう。普通、銃撃を正面から喰らい尽くすなんてマネはできない。そんな暇があるなら逃げるし、暇がなければ走馬灯でも眺めて生きることを諦めるだろう。
数秒悩んで、書子は見えない壁を指さした。
「この壁、一口サイズにカットできませんか?」
「それってどういうこと?」
音眼が質問しようとしたことを、優鳥が聞いた。すると書子は、数学の解き方でも教えるかのように平然と考えを口にした。
「もし食べて飲み込めたら、私の
―――上峰書子の異常。
食べたものをなんでも分析し理解する。食べ物じゃなくても食べることができるため、いわば食べられたらなんでも分析することができる。分析したものは、手に持つ大きな手帳に綴られているらしいのだが―――音眼が彼女を連れてきた理由の一つが、それである。
要は食べられればいいのだ。最初に消炭のぶん投げた短剣を口で咥えただけで、彼女は消炭が殺し屋であるということを当てた。さらに何十人も殺していることまで見抜いた。少しだけ残った血の跡だけで、書子はそこまで分析することができた。あのまま短剣を飲み込めたなら、さらに多くを分析できただろう。
例えば消炭が部位を欠損して、書子がそれを食べたなら。消炭自身を分析することができるだろう。―――そこまで痛々しい手段を選ばなくとも、分析できるという彼女のスキルは今回の行動に大きく役に立つ。不知火理事長に情報を渡すという課題を、書子なら普通に達成できてしまうだろう。戦闘面にはかけるが、仲間としては大きなメリットだ。けれど、そんな彼女でも、食べられないものは分析できない。残念だが、なにかの異能である見えない壁を、一口サイズにカットする技術を、音眼も優鳥も所持していなかった。
「ねぇ。あそこで戦ってる過負荷達、正直私達じゃ相手にできないわ」
優鳥が意見をいう。なにか考えがあるようだ。
「だったら相手にできる相手を相手にするのも手段だよ。相手が私達を相手に選んだように、私達も相手を選ぶこともできる」
「そういう作戦もあるにはあるねー」
音眼は頷く。
それはつまり、彼らが画図町筆と蛇籠飽を相手にするのではなく―――彼らの背後に居る、灰ヶ峰消炭の仲間と思しき男女を相手に選ぶということ。
曲里晶器と垂水佳子。
けれど音眼達は、彼らが殺し屋であり死神族であるという事実を知らない。いや、二人が殺し屋であるということくらいは推測できている。(本当のところ、佳子は殺し屋ではないのだが)殺し屋ということは殺すことには長けているのだろうが、そんな仲間なら知っている。いくら殺しのテクに長けていようとも、殺人衝動という異常性を患った宗像形を知っている彼女達からしてみれば、蛇籠飽や画図町筆と相手にするよりか、ずいぶんやりやすいように思えた。
実際その考えは正解であり、強さや弱さを無意味に無価値に葬ってしまう過負荷に立ち向かうよりも、異能を持たない強さの世界で生きる殺し屋と戦うほうが、異常者である彼女達にとっては勝率が高かった。
(校内放送を使ってたってことは、室内にいる可能性が高いんだよね)
そう踏んで、音眼達三名の異常者は、校舎内へと踏み込んだ。
そしてそれが、強靭の二文字を司る人外と戦う羽目になろうとは―――誰も予想だにできない。
✩✩✩
本日、志布志飛沫と蝶ヶ崎蛾々丸は生徒会戦挙に参加するべく、箱庭学園に向かって徒歩で登校しているところだった。学生鞄を気だるげに担ぎながら、飛沫はふとしたことを思い出す。
「そういえばさー。あたしこの前変な女に出会ったんだよ」
「変な女? どのような」
「なんか着物きててすっげぇ貧乳の美人」
飛沫は蛾々丸に出来事を話した。
先日飛沫は、とある女性に声をかけられたのでなんとなく『致死武器』を放ったのだ。放ったのだが―――その過負荷をもろに食らったはずの彼女は、しかし一滴たりとも流血することはなかった。
「なんか不発したんだよあたしの過負荷。あーあ、あたしもまだコントロールしきれてないってことなのかなー」
「それはあまり考えられないと思いますが、たまにはそういうこともあるでしょう」
と、長年付き添った経験から蛾々丸はそう意見しただけに終わったのだが―――しかし彼らは、本当に目をつけるべきところに気づいていなかった。なぜならもしも、もしも飛沫の致死武器が命中していたと仮定したならば、それはとんでもない快挙を意味していることになるのだから。
全ての古傷を生傷に還るスキルを食らわない。
それは生涯無傷を意味していて。
同時に生涯無敗も意味しているような、ものだからだ。
そんなことに気づくこともなく歩いていた二人は、道端で四人の女の子達とすれ違った。彼女達は明後日の方向を見上げて急いでいるようだったのだが―――たったそれだけのすれ違いで、彼女達が過負荷であるということを、二人は分かってしまう。飛沫は肩ごしに彼女達を振り返りながら、思う。
「へー。案外結構そこらへんにいるんだなーあたしらの仲間。顔覚えちゃったし、将来クラスメートになるかもしれない。いちおー大将に聞いてみっか」
「そうですね」
さらに二人は、他にも三名の異常者とすれ違っていたのだが―――ここが箱庭学園付近の区域であるがゆえに、奇抜な生徒とすれ違うことは珍しくもなく。
彼らはいつものように、箱庭学園に登校するのだった。
―――志布志飛沫
クラス:1年マイナス13組
血液型:AB型
過負荷:致死武器《スカーデッド》
―――蝶ヶ崎蛾々丸
クラス:2年マイナス13組
血液型:AB型
過負荷:不慮の事故《エンカウンター》