「…………………………ん」
消炭が目を覚ましたのは、空が赤く染まり始めてからの出来事だった。意識を取り戻し、瞼を開けるとぼやけた視界が飛び込んでいく。水の中を彷徨っているような視界から、消炭は自分が長いあいだ寝ていたのかもしれないと結論を出す。別に寝ていたわけではないのだが、そこはまぁ、覚醒したばかりの脳ということなのだろう。ぼやけた視界を眺めていると、やがてハッキリする状況に思考が再度凍結する。
目の前に、自分を覗き込む少女の顔が。
寝かされている自分。頭部は枕の上に寝かされているかのように持ち上げられている。妙に暖かく柔らかい感触は、つまり。
自分が女子高生に膝枕をされている、ということだった。
「あっ。目が覚めたんだー。おはよ」
「誰だあんた」
「酷っ!? 開口一番にそれ酷っ!?」
桃色のツインテールが揺れる。
なんだか恋のヤツに似た女だな………と思いながらも、今の状況を思い出す。膝枕。いい歳こいた自分が膝枕をして寝っ転がっている。この格好は流石にとても恥ずかしかったので、音速に到達するかのような速度で状態を直様起こした。すると顔を覗き込んでいた般若寺憂と顔面衝突。頭の上を小鳥が舞う。共に頭を抱える消炭と般若寺を、何とも言えない様子で見ていたのが花塾理桃だった。
桃は天然水を飲んでから、笑う。
「プハー。いやーなんつーか仲いいな、お二方。おーい憂、頭割れてないか? あははー、泣いてやんの。おいキミ、女の子を泣かしちゃだめなんだぜ」
「できれば俺も涙を流したいところだ……」
「要するに泣けないんだね。あはは、どんまい。男の子は強くて当然。さ、立ちな。私らはキミに聞きたいことがいろいろあるんだ。オーイ、癒! 替! 起きたぞ少年が!」
周囲を見渡してようやく思い出す。この公園は確か、昼頃桜ヶ丘恋と訪れたあの公園だった。机を囲う椅子に座っていると、花塾理がとなりに座った。座りながら、練兵と坂之上を呼ぶ。二人共何かに夢中になっているようで、声が聞こえないらしい。桃と同じ方向に視線をやると、夕日が綺麗なグラウンドで、近所で遊ぶ小学生と一緒に何かをしている女子を見かけた。
「少年達! お姉さんの技を見ていなさい! 行くわよ替!」
プラスチックバットをかざしながら、練兵が啖呵を切った。ゴシック調の至福がヒラヒラ風に揺れて、かなりきわどい世界を作り上げている。応援する男子小学生達はいろんな意味で興奮していた。
「さーこい癒! うおおおお」
対する坂之上は、何かを投げるフォームを取っている。掌に握るのは野球ボール。ちなみにゴムだ。ゴムであれど、球を引き絞るその姿はとても形が綺麗で、ジャージ姿が酷く似合っていた。それが私服でなければ文句はない。
投げる。撃つ。ぼふっ
「しまったっ!?」
「やったぁ! うぉおおお!!!」
呑気に遊ぶ二人に、桃の怒声が響き渡った。
「いやなにやってんだよあんたらっ!?」
「え? 何って野球よ?」
「知ってるよっ!? それくらい知ってるよ私っ!? そーじゃ! なくて! さ!」
何度かやりとりがあったあと、ようやく彼女達は戻ってきた。坂之上替はともかく、練兵癒は見かけによらずどこか子供っぽいところがあるのかもしれない。人は見かけや第一印象だけで判断できないなと、密かに改める消炭だった。5人が休憩所にやっとこさ揃って、坂之上が消炭にジュースを渡す。
「そこの自販機で買ったんだ。これ飲みな」
「あ、ああ」
缶を開けると、特有のプシーという音が鳴る。炭酸ジュースを実にじっくりと口をつけて、数滴すすって机に置いた。実は炭酸が苦手な消炭である。
「ありがとう。………で、あんたら一体何者なんだ?」
もうすでに、消炭の意識は覚醒しきっている。意識を失う直前までのことも、全て思い出せていた。消炭が事象を殺しきれなかった時に、先ほどピッチャーをしていた彼女が対策したことも、このダンベルを持った少女が水を生み出したことも。黒髪の女子と桃色のツインテールが何をしたのか初見では判断しきらなかったが、それでもなにかしらのスキルを発動したのは理解できた。つまり彼女らは、みんながみんなスキルホルダーなのだった。
こんなに大勢の異能力者が徒党を組んでいるのなんて珍しい。(それもそのはずだ、そのそも須木奈佐木が裏で操作していたからこそ、彼女達が同じ水槽学園に入学し生徒会に加入したのだから)それならばもとより守ろうとしなくてもよかったな、と思い出しながら、同時に何者かと聞かずにはいられなかった。
人を殺す職業についている以上、異能力者は最も危惧せねばならまい連中だ。大半がいずれ消失してしまうとはいえ、それまでは人外的な力を持っているはずで、だから彼女達が何者かを知る意味があった。
中でもリーダー格的な雰囲気を持つ桃が、言う。
「私達はちょっと前まで女子高生をしていた普通の女の子さ。ちょっと変な力持ってるけどな」
「どこが普通だか理解に苦しむ。ま、俺も普通ではないが………。ちょっと前まで女子高生をしていたってことは、この前卒業したってことか?」
「違う違う。私達はその学校を卒業できなかったのさー」
般若寺は言う。
「廃校したから」
「廃校? あんたもまさか、球磨川禊に?」
「球磨川? え? あんたも? ってことは―――キミも?」
「話が合いそうだな」
同じ者から被害を受けていたらしい消炭は、四人の少女とすぐに打ち解けることができた。敵の敵は味方だ、強い味方なら大歓迎。話があったとき既に、彼らは手を組んでいたといっても過言ではない。打ち解けた彼らは、休憩所にて現状を報告しあう。
流石に己の職業のことは避けたが、消炭は十島飲食店の従業員を殺している殺し屋を殺すために、友人に頼まれて動いているという現在を。
そして彼女らは、姿を消した友人のために動いていることを話した。行方を晦ました友人を探すために、何かを知っていそうな元同学年の男子、画図町筆の元を訪れたのだが、病室が異常の限りに染められていて、近くから物音が聞こえたために駆けつけた場所で、消炭と正気を失った画図町とであった、という現在を。
話した。
「つまりアイツの名前は、画図町筆っていうのか」
「そうなるわね。少し違う力を使っていたようだけど」
新たな過負荷、『無色の才』を使ってはいたが、練兵を筆頭に彼は絶対に画図町筆で間違いないという。あれだけアーティスティックな髪型をした少年だ、間違うことはないのだろう。一通り現状を話し合って、まず最初に上がった疑問はこれだった。
なぜ画図町筆があんなに取り乱しているのか。
そもそも彼は、蛇籠飽が誘拐されたことを知っていた、殺し屋に誘拐されたということを、知っていた。それはつまり、彼もまた蛇籠飽を助けようと動いていたということだ。出会い頭にマイナスを一斉射撃したことを少し悪く思いながらも、それでもああでもしなければ殺されていただろうことを考えると、あまり悪く思えない。正当防衛は正しかった。
「俺としては、十島飲食店の従業員を殺してるのはそいつじゃないかって踏んでる」
「今までの彼ならありえない話だけど、今の彼を見る限りありえなくもなさそうだね」
替が真面目に思考する。
「けど、なんで? おかしくない? だって画図町君、ただアキのことが好きだった普通に普通な、ちょっと異常だったけどちょっと異能持ってたけど、それでもそこらへんにいてもおかしくないようなただの男の子だったんだよ? なのに、なんで? なんで人を殺してもおかしくないような感じになっちゃってるのさ」
憂の言い分は最もだ。
いくら球磨川禊と真正面から戦って絶望と敗北を教えられたからといって、先ほどの彼は流石に行き過ぎではないかと思われた。消炭は球磨川に負けたとき、そりゃもう殺してやろうと刃物を振り回したのだが、当時はスキルに目覚めていなかったし、そもそも球磨川は戦ってすらくれなかった。怒りに震え溢れ出る激昂を殺して抑えるために生まれたのが、消炭の過負荷、無差別殺戮である。きっと画図町もこうして新しい過負荷が生まれたのだろうが―――それでもあの変わりようは、彼女達の目には異常に写っていた。
まるで精神が壊れている。
平常心から程遠いし、尋常からは縁遠い。精神的に何者から影響を受けたのではないか、と練兵あたりは予測した。
「俺はその画図町っていうヤツを拘束して、事の真偽を確かめたい」
「私達はできれば、彼に詳しい話を聞いたあと話し合って、できれば共に協力してほしいところだなぁ」
替は希望を述べた。
「なら、話は決まったな。………そういえば名前なんて言うんだ? と、いうか思えば私達も自己紹介していなかったな。あはは。じゃー私から」
桃が皆に自己紹介を進めた。
「私は
「
「私は
「
「俺は
全員の名前と能力を知り、消炭は席を立った。
「………ところで少し用事を思い出した。友達を迎えに行きたいんだが……」
「その友達って、十島飲食店に狙われてるって友達?」
妙に勘が鋭い替である。彼女達を連れてゆくと、どうせ恋のやつに「消炭君以外と女ったらしなんだねー、うわーちょい引きかもー」などとからかわれるのが面倒だったが………そんなことは言ってられない。この際関係者出し合わせておくべきかと思うことにした。強く頼れる味方が多ければ多い程、心強いし恋を守ることもできる。恋愛感情を司り多くの男を虜にしている彼女だ、きっと花塾理達にとって有意義な情報も手に入るかもしれない。
「はぁ」
気だるくも思いながら 彼女達と恋を合わせることを決定した。皆で席を立つが、これからどこに行くか考える。そういえば恋とは待ち合わせしていなかった。いったいどこではち合わせればいいのか―――こんなことなら、携帯番号でも交代しておけばよかった。後悔しながらも、消炭は皆をつれて近くのスーパーに向かっているのだった。
消炭は恋に助言していたのを思い出したのだ。
『いいか恋。決して人気の少ないところにいるんじゃない。いるならいろんなヤツらが集まっている場所がいい。例えばそうだな………スーパーとか』
ならばつまり、消炭の声に従ってスーパーに身を隠していてもおかしくない。なにせ相手は裏の世界の殺し屋なのだ。木を隠すなら森の中、自分を隠すなら人ごみの中―――街を歩きながら、この街で一番大きなスーパーに向かう。確かこのあたりに消炭の知るスーパーがあったはずだ。
街を歩く。
街を通り過ぎ、
ビルを過ぎ、
スーパーやコンビニなどの近くを歩きながら――― 一時間ほど歩きながら、ふと違和感を感じた。
違和感、そう。
これは何者かによって起こった何かに触れてしまっているかのようか―――。
そこで消炭は気づく。
いま自分達が、一行にスーパーにつく気配がないということに。今歩いている場所は、スーパーの近くである。近くであるということは分かるのだが、肝心のスーパーに行き着くことができない。まるでスーパーという存在自体が埋もれてしまっているかのように。
既に夕日は落ちて、空は暗い。
帰宅ラッシュの今、消炭達は視界に確かな違和感を覚えながら、その違和感をなんであるかを理解することができなかった。
―――が。
消炭の固有スキル無差別殺戮は、その現象が何によるものであるかなどを理解する必要などない。最初に牛深柄春の者両規制を仕組みがわからぬまま殺した時のように、今起こっている現象を理解できればそれでいい。
だから、殺す。
消炭は現在自分にかかっている―――接触している―――触れている―――発動している何かを、現象を、睨むことによって―――殺した。
すると眼前に見えたそれは、明らかに異常なる景色だった。
帰宅ラッシュで人が溢れるその街に、ぽつりと。
まるで世界から取り残されたかのように。
無人のスーパーが存在していたのだった。
「………おい、なんだこれ」
「知らないわよ。とにかく行ってみましょう」
胸騒ぎがするのは、気のせいであってほしかった。