崩落する壁。
「―――っ!!!」
睨む。
見つめる。
見て殺す。
瞬間、何かが死んだような音がして。
崩落したはずの壁が、瞬間それが夢だったかの如く元通りに戻っていた。
「崩落したという『事象』を『殺した』。おい、お前いきなり襲いかかってきてなにのつもりだ。答えろ」
「答えて欲しいのはこっちのほうだ。なんだ今の現象は―――まるで僕のスキルをなかったことにしたような! あいつを思い出すようで不愉快極まりない! ハァ!」
男が一歩前に踏み出した。
その時日差しが彼にあたり、男の姿が顕になる。頭髪をシルバーを基本に染め上げられており、男にしては酷く長く伸ばされている。消炭もなかなか長いほうだが、彼ほどでもないだろう。更に奇抜なことに、左側面のみがかり挙げられていて茶色に染められていた。もしかすると茶色が自毛なのかもしれない。身長は平均よりやや高く、非常に派手な外見に反して服装のほうは酷くシンプルだった。真っ白で袴のようなそれは、まるで入院患者を連想させる。
球磨川禊を一度殺した色使い、
飛来するペインティングナイフを―――画図町は器用にキャッチする。
(こいつ、身のこなしは普通以上だな。なにか変なスキルを持っているようだし、もしかすると十島飲食店の社員を皆殺しにしているのはこいつなのかもしれない。―――かもしれない、のだったら)
地面に落ちているペインティングナイフを掴んで、構える。それは一番最初に防いだ物だ。
(だったら、意識奪って拘束して恋のヤツに確認させればいい。そして詳しいことを吐かせて、違うのならば殺せばいい。いきなり襲いかかってきたのはあいつだ、正当防衛にもなるだろ)
接近して懐に潜り込む。
喉仏を抉り抜こうとして踏みとどまる。そんなことをしてしまえば詳しいことを吐かせられなくなるからだ。対象を喉から指に変更した刹那―――手に持つペインティングナイフが灰色に染まって、直後砂のように崩れ去った。
ペインティングナイフがあった場所が、虚しく空を切り開く。どうやら彼は、物を粉にしてしまう力があるようだ。刃物を持たないまま無理に攻撃するのも気が引ける。体格に恵まれなかった消炭は、手徒空拳を極めていない。そんなものは体格に恵まれた体の大きな人間(例えば日之影空洞や直方賢理、高千穂仕種など)が極めるものだ。体格に恵まれない消炭が代わりに極めたのは刃物。現在手持ちのペインティングナイフを粉にされた状態は、いわば攻撃手段がゼロなのだ。一度引き下がり、様子をみようと距離をとる。
―――がしかし、それが逆に仇となる。異常性とか過負荷などを詳しく知らずに考えない消炭が知ったことではないだろうが、本来過負荷というものは能力がデタラメすぎる故にきちんとした勝負にあまりならないのだ。いくら強くても意味がないように、どれだけすごくても勝負にならない。どれだけ日之影空洞が英雄でも、球磨川禊に手も足もでなかったのがいい例だ。全ての攻撃を『なかった』ことにされてしまえば攻撃する意味がないし、距離や時間を『なかった』ことにされてしまえば速さなども意味がない。致死武器やら不慮の事故など―――強さが意味を成さないことこそが、過負荷の怖いところなのだ。
そして、消炭は過負荷と拮抗できる数少ないスキルの持ち主である。だからこそ、この期に及んで距離をとって対策しようなどと思えたのだろう。距離を作った瞬間、視界が純白に染め上げられた。
まるで世界から色が抜け落ちるような。
いや、全てが白に、塗りつぶされたというべきか。
全てが全て白く染まり、物質という物質の境界線が消え失せ、全てが一つの世界と合成してしまったかのごとく、違いなく白く染め上げられた。そして、変色。
世界が白から灰に変わった。
「
―――前回画図町筆は球磨川禊と戦って、世界から色が消え失せた。青が消えて、緑が消えて、色が消えて全てが消えた。この時点で『なかった』ことを『なかった』ことにできなかった球磨川が本当にそんな大規模に取り返しのつかないことをしてしまったのか? と言われれば、実のところはそうではない。彼もわかっていたのかもしれない、そんなことをすると本当に取り返しがつかなくなることくらい。
あの時の球磨川が目標としていたのは、世界から色を消すことではなく、目の前の存在画図町筆のスキルを攻略することだった。夢の中の彼女を倒しうるスキルを探して転校を繰り返していた故に、要は画図町筆のスキルを打破できればそれでよかったのだ。
画図町筆の固有スキル、
つまり。
球磨川禊は固有スキル
人間は色を、網膜の中にある錐体細胞によって感知する。網膜には桿体細胞と錐体細胞の二種類の視細胞が存在し、そのうち桿体細胞は暗い場所で機能し、光に対する感度が高い。そして錐体細胞は明るい場所で機能し、光に対する感度は低いが色彩を識別することができる。球磨川がこのメカニズムを知っていたかはわからないが、彼が行ったのはこの錐体細胞の色を識別する機能を『なかった』ことにしたのだろう。人吉善吉の視力を『なかった』ことにしたように、画図町筆は色を分から『なかった』ことにされたのだ。
よって彼の見える世界は常に白黒でモノクロで、実に味気ないものとなってしまった。白から灰色、黒に掛ける無色彩以外の色を判別することができない。対数の色を操る色々色は消滅し、味気ない世界、つまらない環境で変化し新たに生まれたのが―――このスキル。
効力としては色々色よりは弱い。なにせ使える色が極端に減ってしまっているからだ。しかし代わりに、作用する範囲が広くなって、マイナスがより成長している。俗に言うマイナス成長というやつである。
彼からすれば、世界の全てが似たり寄ったりの色なのだ。
区別が、判別がつかずに大規模な影響を及ぼしてしまうのも無理はない。
―――それが今の、画図町筆だった。
「くっそ………ッ!」
一度白く染まった世界は、それにより物質と物質の境界線が消えてしまった。画図町から見る世界は全て白くなり、一つの大きな空間と認識される。よって彼が次に色を変色させるとき、目に見える全ての世界が変色することになる。
そして、変色するのはもちろん―――灰色だ。
世界が灰色に―――
―――灰になって崩れ去る。
消炭はその事象を、睨んで見て『殺した』。
「ならば!」
画図町が次に狙ったのは消炭の体だった。一瞬消炭の両腕が黒く染め上げられる。黒く、黒く。皮膚が黒くなる現象は、皮膚疾患。地黒の日焼けしすぎた肌、皮膚の異常、火傷かまたは皮膚ガンか―――青によって青痣を押し付けるように、色によるイメージを押し付ける技を、しかし消炭は睨むことによって事象を殺し、対処してみせた。
その現象を前に、画図町は目を見開く。
「球磨川にも通用した僕の技が通じないっ!?」
(馬鹿な! 僕のスキルが通じなかったやつなんて今までひとりもいなかったのに! こいつもしかすると、球磨川以上のやつなのかっ!? ―――こんなやつなら、あの無色透明の姫君を誘拐できるのも納得できるものだ。拘束して彼女のありかを吐かせよう)
「お前も球磨川にやられたって口か」
(だとするならば、俺と同じく殺し屋の道を歩んでいたとしてもおかしくはない。俺も球磨川のせいで人生を踏み外して人間として道を踏み外したんだ。同志がいてもおかしくはない。―――拘束しないわけにはいかない)
過負荷同士がぶつかり合う。
「純白に染まれ!」
「殺戮だ!」
パレットで色が踊り、眼光が殺気を撒き散らす。
世界が染まってその都度殺される。
現象が生まれて、殺され死に逝く。
とてもじゃないが、人間同士が繰り広げる戦いなどしんぞこ信じたくないようなバトルを、彼らは繰り広げていた。完全に拮抗しつつある二人は、このままでは無限に平行線を辿るばかりだったのだが―――しかし、世界には時間というものがある。この世に永遠という概念が言葉上でしか存在しないように、終わるタイミングはいつか絶対に訪れる。
何百回と灰になっては事象のキャンセルを繰り返すような、そんなとんでもないこの現場に、まさか一般人が入り込んでくるなどと誰が思うだろうか。―――偶然なのか運命なのか、通りかかった一般人が彼らを前にして目を見開く。消炭は殺し屋だが、無関係の人間を無差別に殺すような殺人鬼ではない。そんな忌まわしき過負荷のような人間にはなりたくない。だから消炭は、一般人を追い返そうとしたのだが――― 一方的とはいえ、愛する彼女蛇籠飽の行方を聞き出すチャンスだ。少なくとも画図町はそう信じて疑わない。消炭を倒せば蛇籠飽の居場所を聞き出すことができるとまで考えてしまっていた画図町筆が、一般人を巻き込むことに躊躇などするはずがない。無差別に過負荷を撒き散らす画図町の事象を殺すべく、消炭は一般人の前に駆け寄って過負荷を発動させる。
しかし、すでに何重とも知れぬ事象を殺していた故に、今や消炭は酷い罪悪感に覆われていた。自分がしていることの重大さを、いままで奪ってきた人の命を、愛した者や家族から責められているような、酷い罪悪感が消炭の心を深く穿つ。それに耐えることに必死で、消炭は過負荷の発動がコンマ一秒遅れてしまった。
生きている事象しか殺せない。
画図町筆の無色の才で、世界が一度一色に染められようとして――― 一緒くたに染められてしまったかと思われた、その時。
消炭の前で奇跡が起きた。
「奇跡を操るスキル! 『
世界の色が変わらない。
あろうことか―――画図町筆は、世界を染めることを、”たまたま偶然”失敗してしまったのだ。
「そんな馬鹿な………! 僕のスキル発動に失敗なんて………」
目を白黒させて驚く画図町だが、しかし彼の行動に失敗する確率はゼロではない。実際に『賭博師の犬』の効果で失敗してしまったことこそがその証拠でもある。『色々色』と『無色の才』は、色を混ぜて、または色を出して発動するというスキルだ。そもそも色が、色ではない無色彩しか判断できない画図町だ。白か灰か黒しか分からない彼にとって、全ての色はそのどれかにしか見えない。赤はほぼ黒に見えるし、薄い黄色は白にしか見えない。だから灰を作り出すには、黒と白―――濃い色と薄い色を混ぜ合わすだけで良いのだ。それが赤であったとして、黄であったとして、その中間色であるオレンジが灰色に見えれば、世界を灰色にすることができるのだ。坂之上替の『賭博師の犬』が誘った失敗とは、画図町が色を混ぜるという行為だったのだ。
白と黒を混ぜる行為。
しかし画図町筆がパレットの上で混ぜていたのは、白と白であった。純白がいくら純白に混ざろうと、その色がほかの色に染まることはない―――機械とは違って、絶対にミスをしないわけではない人間の行為が相手ならば、坂之上替のスキルは絶対に発動するものと言っても良い。
人間の注意力の限界。
人はそれを、
「あれは………画図町くんっ!?」
「お前はっ」
画図町が白黒させながらも目があったのは、般若寺憂だった。彼らはお互いに知り合いだ。般若寺憂はここで今なにをしていて、何がどうなっているのか聞こうと足を進めたのだが、その行動を消炭が止める。腕を前にして行動を制す。
一方画図町のほうは、般若寺憂とは正反対に足を一歩後ろに引いて、考える。
(あれは彼女の友達、仲間、親友ではないか………そうだ、この僕が見間違うわけない。無色彩なこの世界では少し違って映るが、あれは彼女がやっていた生徒会の親友、般若寺と坂之上、練兵と花熟理っ! あいつらに聞けば、もしかしたら彼女の場所を知っているかもしれない! 知っていてもおかしくない! いや! ―――知っているはずなのだ!)
そして、歩を進めた般若寺を止めた消炭の姿が、目に入った。
(彼女達に聞きたい。彼女が今どこで何をしているのか! 聞くしかない! そのためにはあそこまで行かなければ……ああ、しかしなんてことだ! 僕と彼女達の距離はこうも短いのに、その間に壁の如く謎の殺し屋が存在している! 邪魔だ! 邪魔だ! なぜ僕の邪魔をする? なぜ僕の邪魔をする!)
冷静とは言い難い。
正気などもとよりなかったのかもしれない。
だから―――突然現れた彼女達を巻き添えにしてしまうことなんて考えもせずに、画図町は過負荷を発動してしまったのだ。
たとえそのせいで、般若寺達から敵視されてしまったとしても。
「
「
画図町のスキルは殺されて、そして。
「
「
「
「
元同学年、画図町筆が正気ではないと判断した四人は、過負荷を一斉放射にした。路地裏という空間がめちゃくちゃに、しっちゃかめっちゃかにかき混ぜられ、何が何だかよくわからない混沌を生み出す。
『四分の一の貴重』で増やされたペットボトルの水が洪水を起こし、『賭博師の犬』の効果で水が地面に染み込んで陥没を誘発。『退化論』の効果で退化してしまった画図町は、スキルで対抗するという手段を用いることができずに、避けてしまった。退化した彼の思考は今、本能がむき出しになっている。自分の力が相手にはかなわないということ考えが、画図町の頭を支配した。
(今は死なないために逃げなければ)
蛇籠飽のことなど考える余地もなく逃亡を果たした画図町筆を、消炭はしかし追いかける元気は残っていなかった。その場に倒れて意識を失った小柄な少年を、般若寺達はどうしようかと頭をかしげ。
「一応守ってくれようとしてたし、敵ではないようね。近くの公園まで運んで、詳しい話を聞きましょ」
練兵癒の判断により、彼女らは路地裏を後にするのだった。
―――画図町筆
想い人:蛇籠飽
血液型:AB型
過負荷:色々色《カラーオブビューティー》→無色の才《アクロマティック》