薄暗い路地裏を。
消炭は、袖の中の武器を確認しながら歩いていた。
左右を寂れた廃ビルに囲まれた狭き道は、埃っぽくて薄暗い。
消炭が向かう先は、とある場所の武器屋だった。
その武器屋は表向きには金属類のアクセサリー店を経営しているのだが、裏では消炭達死神族四名に武器を提供してくれるという契約をした店である。死神族の
切れ味が良く、更に落ちにくく。握り心地もよく使い心地も最高で。鶴御崎山海の溶かされなかったら死ぬまで相棒として使ってもいいとさえ消炭は思っていた。この際だからどうせのこと、次は熱にも強い短剣をオーダーメイトでもしようかな―――なんてことを思いながら、袖の中から刃物を取り出した。
酷く錆びた刃物を、掌でくるくると回してみる。
実はずっと、短剣の他にも一本だけナイフを所有していたのだが、そのナイフはお守りのようなものなので、道具として使う気はない。
「………」
消炭は一人、武器屋に向かう。
桜ヶ丘恋の姿はそこにない。
消炭が向かう先は殺し屋などの裏の住人の行く世界だ。恋はただでさえ危ない情報をいくつも所持しているのだ。武器を買いについてこさせるわけにはいかなった。というか、彼女自身が危ない立場なのだから、共に行動することもまた良しだったのだが―――そこは消炭の判断だ。
恋こそは「殺されるかも知れない」などと言っているが、犯人からしてみれば十島飲食店との関係性は低いのだし、殺しの対象に狙われる可能性は低いといえる。それに、もし狙われてたとしても―――対象とされていたとしても、
消炭はそのことも考えてこう助言している。
『いいか恋。決して人気の少ないところにいるんじゃない。いるならいろんなヤツらが集まっている場所がいい。例えばそうだな………スーパーとか』
十島飲食店の連続殺人犯。消炭が殺害を終えてから今に至るまでの殺された人数は、明らかに素人のレベルを超えている。消炭は自分がプロだからこそ分かる。これは同業者の、殺し屋の仕業だと。相手が殺し屋である以上は、裏の世界に生きる裏の住人なのだ。裏の住人である以上、表沙汰になることは都合が悪い。ニュースや新聞に乗ることなどもってのほかだ。かつて消炭の先輩も言っていた。
つまり相手が殺し屋である以上、人目がある場所で殺すのは避けるだろう、というのが消炭の思うところだった。最後に『それでも怖かったら、あの勇者にでもボディーガードしてもらえよ』と助言もしている。消炭もなかなか慎重な性格なのかもしれない。
錆びたナイフの回転をやめる。
「……いい加減捨てるべきか…………なんとなくお守りとして持ち歩いてるけど、ぶっちゃけるとメリットがないんだよな……。こんな錆びれてちゃ人を殺すこともできないし」
酷く錆びたナイフ。
それは、消炭が殺し屋になった時に手に入れたものだ。
このナイフはもともと灰ヶ峰家の廊下に飾られていたもので、家族が皆殺されて家を去る祭に、使えるかもと思い持ってきたものだった。以後消炭は立派な殺し屋になるのだが、手に入れてから今までそのナイフを一度も人殺しで使ったこともなかった。
いや、正確には使えたこともなかった。
扱えたことがなかった、と言ったほうが正しいか。
なぜならこのナイフは―――
「………ん?」
―――と、柄にもなく昔の思い出に浸っていたその時。前方から鋭い殺気を感じ取った。考えるよりも先に本能が動く。突き刺すような殺気から逃げることなく、正面から見据えようと目を凝らす。
刹那、前方で何がが煌めいて、
それが日光を反射させた金属質のなにかだということを理解したのは、ナイフを盾にしたのとほぼ同時であった。カンッ、と乾いた金属音は、狭い路地裏に残響を残しつつ消えてゆく。飛来した金属が足元に落ちて、それを確認することもなく、消炭は飛んできた場所を強く睨んだ。
何者だ?
尋ねようとしたところで、向こうから訪ねてきた。
「避けられたってことはお前、殺し屋なのか? その手に持つナイフは、人を赤く染め上げるための道具なのか?」
男の声だ。
「………だったらなんだ」
地面に落ちていた物を拾う。先ほど飛んできた金属である。刃物であれば一応武器として使うことができたのだが―――残念ながらそれは刃物ではなく、筆―――油絵などで使うペインティングナイフだった。名前こそナイフとついているが、それで人を殺せない。
男は言う。
「なるほどだったら、君は彼女を知っているのだろう。彼女はいったいどこにいる? 今なら君を傷付けずにすむだろう、この人殺しの誘拐犯」
「彼女? 誰だそれ」
シラを切ったつもりはない。ただただ意味がわからなくて、そう答えた消炭だったのだが―――刹那、路地裏を挟む廃ビルの壁が灰色一色に染め上げられた。
男は言う。
「
突如壁が雪崩の如く崩落を始めた。
✩✩✩
水槽学園元生徒会の四人は、近くの病院へと足を運んでいた。画図町筆は現在、ここ平等院病院に入院しているはずである。蛇籠飽が球磨川禊に倒され画図町筆すらも倒された後、彼らを操り最後の戦いを須木奈佐木咲が仕掛けているのはご存知だろう。その際球磨川に返り討ちにされた生徒会の四人、チェス部の双子隠蓑姉妹、水泳部の箞木盟、射撃部の鉄砲撃、居合道部の焼石櫛、そして画図町筆と蛇籠飽の七名は全身を野太い螺子で貫かれまくっていたために、外傷こそないもののしばらく入院しているのだった。その様子は、さながらプラスシックスとチーム負け犬のようであると言える。
中でも特に重症だったのが画図町筆だった。彼意外は球磨川が箱庭学園に転校する少し前くらいには既に回復していたのだが、その前の戦いで世界から色が無くなるという悪夢に襲われていたために、精神的に酷く弱っていたのだ。世界があって色があって、蛇籠飽が存在して初めて極彩色に輝くと画図町筆は言っていた。しかし―――その全ては『なかった』ことにされてしまった。世界から色がなくなって、彼のスキルはスキルではなくなって、完全に無効化されてしまった。色のない無色彩の世界しか見えない彼は、須木奈佐木咲に操られたことが止めとなって心に深い傷を負っていたのだった。
だから今回も病室にいるのだろう。
朝目覚めてから夜就寝するまで、ずっと目を開けたまま動かない。一時期面会拒絶さえもなっていた彼ならば、病室に必ずいるのだろうと思われた。
―――病院到着。
待合室や受付を通り過ぎ、廊下を歩くと病室にたどり着く。確か部屋の番号は303と言われていたはずだ―――四人は蛇籠飽伝えに知っていた。
ドアノブを握る。
「あ、あれ?」
病室の扉は、鍵がかかっていた。
だから坂之上替が『賭博師の犬』を発動して、扉をぶん殴って一撃でたまたまへし折れるという奇跡を誘発して、部屋に入った。扉が開かないならば入れない理由がある、なんてことを微塵にも考えずに破壊するところが過負荷らしい一面だった。
そして見てしまう。
「なに…これ……」
異質な空気を纏う世界を。
「……………知ら、ねぇよ……」
中は酷い有様だった。
壁という壁が黒く黒く染まっている。部屋の棚などは対照的に純白に染め上げられていて、床は黒と白が互いに食い散らかすように乱雑に塗りつぶされていた。とてもじゃないが、スキルを失った彼が起こせるような現象ではない。そして最後に―――部屋の壁に、酷く大きな穴が開いていた。
その穴は、コンクリートが砂のように崩落して生まれたような不自然な穴である。
予想外過ぎた状況に、誰もが口を開けない。
「ちょっとあなたたち、どうやってここに入ったのっ!?」
通りかかった看護婦に注意される。咄嗟に答えたのは桃だった。
「いやあの、いつものように扉を触ったらたまたま偶然扉が壊れてですね……」
「あら、そうなの?
……うん? 『いつものように』? もしかして君達、画図町筆君の友達?」
看護婦は勘が鋭いようだ。桃の苦し紛れの言い訳(としか聞こえない)からして、彼の知り合いであることがわかったらしい。一応彼女達も、画図町筆のことは知っている。我らが会長蛇籠飽にしつこく付きまとう風変わりな同学年の男子生徒である。そして一度、球磨川禊に敗北している。―――彼女達四人は上記のことくらいしか思うところはなかったのだが、今後の状況を考えるに、一応友達ということにしたほうが良さそうだと桃は判断した。
桃は答える。
「はいそうです。私達画図町君の同級生で。……あの、何があったんです? とてもじゃないけど普通じゃないですよね?」
「普通じゃ―――ないわよね。どう見ても。
あたしはなんだかよくわからないけど、聞くところによると突然なにかが崩れる音がして、すぐに近くにいた看護婦が駆けつけたんだけど、見に行ったらすでにこんな状況だったらしいのよ。今警察とかに相談してるみたいなんだけど」
「そう、なんですか………」
廊下で看護婦と別れ、待合室で四人横に座る。難しい顔をして唸る桃は、確認するように癒に聞いた。
「ねぇ癒。画図町君って球磨川と戦ってから、確かスキルを失ったはずだよな?」
「うん。彼は確かに『この世界は色褪せてしまった。僕のスキルも色褪せてしまった』と言ってたわ。あれから少しの間、アキが入院してから普通に学校にきていたけれど、アキの話を一言もしていなかった」
「それに絵も書いてなかったもんねー。いつも暇があれば美術室でいろんなものを書いてたのに。油絵で」
癒の声に、憂が続く。
「じゃああの病室は――― 一体、なにがどうなったのかにゃ?」
「分からないとしか言えないなぁ…。……しかしまぁ、なんていうのかなぁ。これで宛てがなくなっちゃったわけだけど、どうする? みんな」
「どうするもなにも」
桃に答えたのは替である。
「……どうしよう」
「何も思いついてなかったんかい。って―――」
なんとなく桃が突っ込んだところで、どこかからかなにかが崩落するような音が聞こえた気がした。ざわつく待合室だが、しかし受付を待っている高齢者の耳にはその音は響かない。むしろ音を聞き取った自分たちのほうが場違いのような気もしてくるのだが、聞き取れたその崩落音は揺るぎない程確かなもので。
―――立ち上がる。
その音がもしもなにかが崩落する音だったとして、それが画図町筆の病室で起こっていた現象と同じものである可能性が少しでもあるのならば、
行かないわけにはいかなかった。