Always rising after a fall   作:宮根春都

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第1話『その男』

 ……あ、痛。

 

 全身が痺れたように動かない。同時に、手と言わず足と言わず、体中のあらゆる箇所が痛みで悲鳴を上げている。

 何故こうなっているのか、鈍くなった思考では分からない。微かに開いている目に映るのは、今は遥か遠くに見える灰色の空。

 声がかけられている気がする。煩いくらいの耳鳴りの向こうで、誰かが叫んでいる。

 

「……班! 早く……療を!」

 

 肩が揺さぶられる。痛いからやめてくれ、と言おうとしても、ひゅーひゅーと息を吐く音が漏れるだけ。そして、それだけでも全身が更なる痛みを訴え、引き攣るように体が硬直する。

 そして、更に声が大きくなる。いい加減煩わしいと思いながらも、耳を塞ぐこともできない。腕に力を入れるだけで、気を失ってしまいそうな激痛が走る。『がっ』と、悲鳴を上げたつもりで、漏れたのは小さな呻き声だけだった。

 

 これ以上痛い目を見るのは嫌だと、全身の力を抜く。そうすると、全身を苛む不快な感触が、ぼやけた感覚の向こうに消え――

 

「…………」

 

 しかし、強く何かを握り締めた右手の感触だけが、残った。

 

「い……ら! ……く、こいつ……!」

 

 第三者の声が、更に大きくなる。と、ふと、勝手に体が持ち上げられる感触がして、唐突に暖かい空気が全身を覆った。

 

 ……治癒魔導師が到着したらしい。

 

 極限まで削り取られた思考が、なんとかその答えを弾き出す。

 やがて、体が持ち上げられる。本部の病院に搬送されるのだろう。

 

 助かる――泣きそうなほどの安堵に、ふと右手に篭った力が緩んだ。

 カツーン、と、耳鳴りの向こう側で、握り締めていた何かが地面に落ちた音が、やけに鮮明に聞こえた。

 

 思えば、多分あれが、僕の心が折れた音だったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……い。おい」

「んあ?」

 

 肩を揺すられ、夢から覚めた。

 伏せていた顔を上げると、空席が目立つ大きな部屋。

 

 ……あれ? ここ、ミッドじゃない。

 寝ぼけた頭を二度、三度振り、眠気を追い出す。

 

 ああ、そうだ。ここは海鳴大学の講義室。僕、日野真哉は、ここの二回生。今日は二コマ目から講義が入っていたのだが、昨日夜更かししたこともあってすぐに寝入った……と。

 

「あれ? 講義終わった?」

 

 時計を見ると……既に、正午を幾分オーバーしていた。

 

「とっくにな。俺も寝ていたから人の事は言えないが、お前は大学に寝に来ているのか」

「……人の事を言えないってわかっているんだったら、言うな」

 

 僕を起こした仏頂面の男に返す。というか、この男だけには言われたくはない。

 

「まあいい。昼はどうする? 俺は、今日は弁当だが」

「今日は食堂だ。なんだ、一緒に行くか?」

 

 僕は、食堂か購買のパンかの二択。僕に話しかけている男は基本的には僕と一緒なのだが、たまに弁当を持ってくる。その時は、食堂のお茶目当てで一緒に行くのが常だった。

 

「ああ。そうする」

「じゃ、とっとと行こうか、恭也」

 

 席が埋まる、と言うと、とっくに埋まっていると思うが、と返された。

 

 そんな、愛想のないこいつは、高町恭也。大学での、僕の数少ない友人の一人である。

 どう考えても、あまり人付き合いの得意そうな性格ではないし、近寄り難い雰囲気を持っている。しかし、意外と付き合ってみるとお茶目な面もあったりして、同じくどちらかというと人付き合いの下手な僕とは、なんとなくウマが合っていた。

 

 連れ立って、食堂に向かう。

 ……到着してみると、既に食堂には、お盆を持った学生が群れをなしていた。席も、空いている席はまばらだ。

 

「これは……キツいな」

 

 普段は、午前最後の講義が終わると同時にダッシュするので、ここまで長い列に並ぶのは久しぶりだった。

 

「お前が寝坊するからだ。席は取っておいてやる」

「頼む。……と、月村がいるぞ」

 

 食堂の、隅っこの方の席で、顔見知りの女性が小さく手を振っているのが見えた。

 

 月村忍。恭也が付き合っている女性だ。

 恐らく大学一の美女で、同じく端正な顔立ちをした恭也とは、お似合いのカップルだと思う。

 

 恭也が、それとはわからないほどかすかに、表情を和らげるのがわかった。……『前の職場』では、こいつみたいなタイプが多かったから僕にはわかるが、しかし普通の人には相変わらずの仏頂面にしか見えないだろう。もう少し素直に表情に出せばいいのに、といつも思う。

 

「ああ、あそこは空いているみたいだな。じゃあ、待ってるからな、真哉」

「あいよ」

 

 軽く答えて、一番人の少ないカレー類の列に並んだ。

 カレーは器に飯とカレーを盛るだけだから、回転が早い。相当待つ覚悟をしていたが、数分ほどで順番が回って来て、チキンカツカレーを頼んだ。

 

「よ、月村」

「はぁい、日野くん」

 

 恭也に、ほぼ一方的に話しかけていた月村に挨拶をする。恭也と違い饒舌なので、この二人が揃うと大抵月村の方が話役になっている。それでうまく行っているのだから、この二人に取ってはこの形が自然なんだろう。

 

「月村は、またなんで今日は食堂に?」

 

 日替わりのレディースランチ(量が少なくて、カップゼリーが付いている)を食べている月村に聞いてみる。

 所謂『お嬢様』な月村は、いつも家のメイド(メイド!)さんが弁当を作ってくれているはずだが。

 

「あはは。ちょっと今日は持ってくるの忘れちゃってねー。寝坊して慌てていたから」

「……だから、お前はもう少し夜更かしを控えろと」

「あ、恭也に言われたくないな。この前だって」

「忍」

 

 恭也が、月村の言葉を制した。

 

 ……この前、なにがあったと言うんだろう。いや、付き合っているくらいなんだから、ナニがあったのかもしれないが、一人身の僕に対するあてつけだろうか。

 気付かない振りをして、チキンカツカレーをパクつく。美味い。ここの食堂のカツは、食堂のものにしてはクオリティが高い。

 

 ……あ~、彼女欲しいなあ。友人といえば、この恭也を含め数人くらいおらず、女の友人といえば月村くらいしかいない僕には、恐らく無理だろうが。

 

「そういえば、真哉。お前、来週提出のレポート、やったか?」

「やってない。お前は?」

「……お前もか」

 

 ……お互い、牽制しあう。

 学生としては、かなり不真面目な部類に入る僕と恭也は、基本的にどちらかがやったレポートを写す。

 

 不真面目とは言っても、課題は提出しないと留年するので……どちらかが我慢できなくなるまで繰り広げられるチキンレースだ。大抵、僕が負ける。

 

「ふむ。統計は、俺は苦手な分野でな。どうだ、この唐揚げと交換で」

「随分安いな、おい……」

「いいだろう。お前は理数は得意じゃないか」

「ああ、そういえば日野くんはそうだったよね。文系の癖に、数理の般教取ってるし」

 

 ちなみに、恭也の場合は工学の月村の付き合いである。

 ……だったら彼女に写させてもらえば、と思うが、どうも月村のレポートは……ある種の天才だけが書ける類の、まあぶっちゃけ独創的なもので、写したらすぐバレるのだ。

 

「まあ、理数だけで受験をクリアした男だからな、僕は」

「それでなんで文系なんだ、お前は」

「その代わり、英語が壊滅的だったんだよ。偏差値的に、理系は無理だった」

 

 日本語ですら若干怪しくなっていたのに、義務教育レベルすら受けていない英語なんてまさに未知の言葉だった。大学の英語も、全授業出席して、出席点だけで単位を貰っているようなものだし。

 

「……確か日野くんって、帰国子女じゃなかったっけ」

「生憎、英語を使わない国なんてゴマンとある」

「どこ?」

「内緒」

 

 言っても、絶対信じない。というか、信じてもらっちゃ僕がしょっぴかれる。まあ、話したとしても、一学生に教えたくらいで管理局にバレやしないだろうけど。

 

「隠すようなことでもないと思うが……」

「ちょっとした事情があるんだ」

「本当にちょっとか?」

 

 意外と……というか、見たまんまに、恭也は勘が鋭い。まさか本当に事情を察しているわけもないのだが、その鋭い目で見られると、すべてお見通しって気がする。

 というか、ずっと思っていたんだが……絶対恭也、カタギじゃないよね。雰囲気とかもあるけど、明らかに物腰が……訓練されたもののそれですよ? もしかして、恭也も僕のそれを察して……ありうる。射撃主体のミッド式魔導師とは言っても、元武装隊として僕も最低限の近接格闘術くらいは修めていた。

 

 誤魔化すように、残りのカレーを速攻で片付けた。

 

「まあ、気にするな。僕は先に講義室に行って寝てるわ」

「ああ。また後でな」

 

 大学で、寝ても大丈夫な講義ではほぼ僕は寝ている。そうすると、当然夜更かしすることになって、最近はなにをするでもなく、酒を呑みながらテレビを見たりネットをしたり、ゲームをしたりしている。

 貯金は余っているので、バイトもしていない。本当に、大学と自宅を往復して、惰眠をむさぼるだけの毎日だ。

 

 自堕落極まりない生活。ほんの数年前の僕が今の生活を見たら、どう思うだろうか。毎日朝から晩まで訓練や出動を繰り返し、たまの休日にぐっすり寝ることだけが唯一の娯楽というあの頃の僕からしたら、想像もできないような生活だ。

 

 でも。

 

 友人は出来た。大学は、つまらなくも楽しい。

 今は、そんな生活が気に入っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『辞めるのか』

『……そうだ。これでこのクソ忙しい職場ともお別れだ』

 

 ああ、夢だ。と、すぐにわかった。

 

 遠く聞こえる声は、自分のものと……そして、最後に挨拶をした時の、不思議と縁のあった年下の同僚のこと。

 

 落ちた時の夢を見た次の眠りでは、決まってその続きを見る。

 不思議なことに、空から落ちた時の夢なんて今ではなんてことはないのに、その後のゴタゴタを夢見た後は、ひどく憂鬱になる。

 

『悪いな。もうちょい、頑張りたかったんだけどな』

 

 本当は、この時悪いとは思っていなかった。むしろ、安堵の方が大きかった。

 ……しかし、こんなことを口にしたのは、きっと罪悪感みたいなのがあったからだろう。

 

『いいさ。……馬鹿にしてもらっちゃ困る。君がいなくなるくらいで、管理局は揺るぎはしない』

『そりゃ、そうだ』

 

 だから、勝手だがこの言葉で少しだけ気分が軽くなった。実際のところは、時空管理局は万年人手不足で、僕一人とは言え抜けるのはつらかったはずだ。

 ……年下に、こんな気を使われていたこと。今となっては少し恥ずかしい。だからと言って、今更僕がなにかを言えるわけもないのだが。

 

『君は、前に言ったな。「次元世界の平和は、僕が守る」って、偉そうに』

『~~、忘れろ。若気の至りだ』

『生憎と、僕は職務柄、一度覚えたことはなかなか忘れられなくてね。困ったものだ』

『こ、こんガキ……』

『まあ、忘れられないなら仕方ない。その役目は、僕が引き継いでやるから。精々、平和を楽しんでくれ。長年、ご苦労だった』

『しれっと言うね、お前。まあ、後はよろしく。んで、ありがとう、執務官殿』

 

 僕は声を震わせないようにするのに必死だった。

 自分よりはるかに小さいその男が、僕が重すぎて投げ出したモノをあっさりと背負ってしまったことへの憧憬。

 そして、そんな男に『後を頼む』なんて言わなくてはいけない自分の情けなさ。

 

 ――あいつは、元気でやっているんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上してしばらく。僕は、思わず毒づいた。

 

「……なんであいつの夢なんだよ、畜生」

 

 女性局員との別れとかもあったのに、よりによって一番自分が情けなくなるシーンが出てきやがった。

 

 目を開けて時計を見ると、もう既に零時を過ぎている。

 

 ……どうしたんだっけ。

 確か午後三時くらいに家に帰って、昔の夢を見たせいで無性に酒が呑みたくなって……げ、五万もしたブランデーが空になってんだけど。しかも二本。

 

 今月だけで、いくら酒に使ってんだ僕は……。他に趣味がないからって、なあ。管理局時代に貯めた貯金がガンガン目減りしてる。

 まあ、ほぼ金を使う暇もなく、高ランク魔導師手当と危険手当と負傷手当……とかなり高給取りな生活を八年くらい続けてたお陰で、まだまだ余裕はあるのだが。

 

「あ~~」

 

 がしがしと、律儀に痛みを訴えてくる頭を掻き毟って、グラスに残っていたブランデーを飲み干す。

 

「シャワー浴びて……寝るか」

 

 一人暮らしには、いささか以上に広い廊下を、覚束ない足取りで歩く。

 ファミリー用の物件なので、この時間ともなると大分静かだ。

 

 こんな広い部屋なんて必要ないので、とっとと手放して単身者向けのマンションに引っ越そうかとも思うんだけど……ここは、一応『海外』に行くまでうちの一家が住んでいた家――要するに実家なので、安易に手放すのも躊躇ってしまう。

 

 しかし、未だに慣れない。寝室とリビング兼ダイニングの部屋以外は全くもって使っていない。一応、小さい頃はここに住んでいたはずなんだけど、そんな記憶はとうに忘却の彼方だ。

 やっぱり、とっとと引っ越すか。……いやでも、そもそもここに家がなかったら、こっちに帰ってくることもなかったわけで。

 

「……酔いを覚ましてからだな、どっちにしろ」

 

 ゆっくり考えればいい。どうせ、時間は有り余っている。そして、まだアルコールが身体に残ってて、なにかを考えるのも億劫だ。

 

 

 

 

 

 

 その日は、シャワーを浴びてすっきりしたあと、今度は夢も見ずに泥のように眠った。

 

『誰か……僕の声を聞いて。力を……力を、貸して下さい……』

 

 だからそんな声も、聞こえなかった。

 ……もし聞こえていたらどうなっていたんだろうか。と、少し思う。

 

 詮無い想像だけれども。


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