記憶を疑ったことはありますか?
記憶が多すぎると思ったことは?

貴方を規定するものはなんですか?
貴方の考え方とはつまり?

これは、そういうお話。

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『転生オリ主に会う前に、僕の話を聞いてくれ』

 新暦76年、一月二十日。

 第9無人世界衛星軌道上、『グリューエン』軌道拘置所――

 

 

 

「やあ。久しぶりだ……いや、ここは『はじめまして』と言うべきなのかな? こうして直に顔を合わせるのは初めてのことだからね。

 双方向通信が浸透した社会というのは確かに便利ではあるが、うん、画面越しに話すだけでは伝わらない空気というものもあるな。こうして直接会う時の挨拶に困ったりもする。

 その意味では技術の進歩というのも痛し痒しというやつだ。いや、そもそも『便利になる』ということは、『不便である』ことに付随していた何がしかを切り捨てることを不可避的に内包するものか。そうは思わないかな?」

 

「……せやな。ゲームが普及したから子供が外で遊ばんようになった。ケータイが普及したから待ち合わせ場所が過疎るようになった。プリンタが発達したから年賀状を手書きせんようになった……まあ、前々から言われてることや。

 物質的な豊かさは精神的な豊かさに直結せえへん、ちうのと似たような論理なんやろな。人間どうしの繋がりの中に文明が入り込んで、機械の冷たさにヒトとヒトの関係も冷やされる――そんな感じや」

 

「詩的だね。思った以上にロマンチックな感性の持ち主なようだ、君は」

 

「そらどうも。……で、そないなことが言いたくて、わたしを呼び出したんか?」

 

「まさか。まあ、かけてくれたまえ。歓迎しよう――ようこそ、八神はやてくん」

 

 鉄格子の前に置かれているのは、安っぽいパイプ椅子。

 それを牢の中に居る囚人が勧めるという、ある意味で……否、どこからどう見ても、不可解な構図。

 だがその不可解を意にも介さず、機動六課部隊長・八神はやては、ごく自然に椅子へ腰を下ろした。

 鉄格子の向こうに居る人物と、そうすることで目線の高さが合う。向こうもまた悠然と椅子に腰掛けていて、脚を組んだその様は、さながら客人を迎える主人の如くであった。

 殺風景な牢内も、飾り気に欠けた囚人服も、男の余裕たる態度を崩すには至っていない――“元”第一級次元犯罪者、ジェイル=スカリエッティは、囚われの身となってなお、健在だった。

 

 

 

◆      ◆

 

 

 

 発端は、今年四月の六課解散に向けて準備を進めるはやての下に、一通のメールが届いたことだった。

 発信元は不明。迷惑メールとして処理しても良かったのだが――むしろそうすべきだったのだが――しかしその件名は、はやてにとって無視できるものではなかった。

 ――『転生者について』。

 メールの本文はシンプルなものだった。『転生者についてディスカッションしませんか』と、要約すればそれだけの文面。

 会場として指定されていたのは、グリューエン軌道拘置所。その時点で、メールの差出人が誰であるのかは明らかだった。獄中に居る彼がどうやってメールを送れたのかは定かではないが、それを考えること自体無意味だと、はやては無理矢理己を納得させた。

 勿論、ヴォルケンリッターの面々……加えて機動六課の仲間達は反対した。こんな怪しい誘いに乗っかるなど言語道断だと。客観的に見れば正しいのは彼女達で、おかしいのははやての方。そう解っていて、しかしそれでも、はやては誘いに乗った。

 ……ただ、彼女にも確証があった訳ではない。間違いないとは思っていても、それはあくまではやての直感であって、物的証拠は何もないのだ。だから奴と顔を合わせたら、真っ先にそこを問い質してやろうと思っていたのだが――

 

(――機先を制された、って感じやな)

 

 はやての顔を見るなり、彼は――ジェイル=スカリエッティは、さも当然といった顔で話しかけてきたのだ。

 はやてが抱く疑問質問を口にさせず、それでいて婉曲に回答を寄越す。話術としては悪くないが、相手側の心証を著しく悪化させるその手法。それを躊躇無く選択するあたり、スカリエッティの性格の悪さが窺える。

 

「さて。面会時間は限られてる、手早く本題に入ろうか。

 君がここに来たということは、メールには目を通してもらえたのかな?」

 

「危うく迷惑メール扱いで削除するところやったで? 今度からはちゃんと名前を書かな、読んであげへんよ」

 

「それは失礼した。メールや電話は友人としか遣り取りしないものでね、つい省いてしまうんだ。次からは気をつけるよ」

 

「次があるかどうか、わからへんよ――こういう真似はこれっきりや。もう許さへん」

 

 怪人二十面相じゃあるまいし、そう何度も獄中から私信を送られてたまるか。

 それははやてのと言うよりは、拘置所の運営を預かる者達が抱く決意であったのだが、そこまでは口にしなかった。言う必要も無いことだったから。

 

「そうか、それは残念だ。まあ私も、何度も同じ手が使えるとも思っていない。

 二番煎じ三番煎じと繰り返すほどに、新鮮さは薄れていくからね――次はもう少し別の角度から、世界にアプローチするとしよう」

 

 それは言外に、牢も監視も意に介していないという主張で。

 いつでもここから出て行ける。いつでも外の世界に接触できる。それをしていないのは、ただ単に気紛れ故だ。そんな思考が、スカリエッティの物腰から見て取れる。

 

「メールを見てもらえたということは、今日の議題についてはもう判っているね? ……そう、『転生者』だ。

 君と……ああ、高町なのはくん、それに私を逮捕してくれたフェイト=T=ハラオウンくんには、割と馴染み深いものじゃないかな。君達が概ね九歳くらいの頃に接触してきたはずだ。そうだろう?」

 

「……………………」

 

 はやては応えない。

 だが何を言っているのか、何を言いたいのか、誰のことを言っているのかは理解していた。

 それは“彼”のことで。

 または“彼”のことで。

 もしくは――“彼”のこと。

 いや、それは果たして『理解』であったのか。有り得ない記憶。成立しない思い出。相互に矛盾する“彼”と“彼”の存在。八神はやては、それらを全て呑みこめてはいない。

 まるで自分が複数居るようだ。何人もの自分が、それぞれ別々の“彼等”と過ごしてきたかのような。今ここに居る自分とて、その中の一人に思える。

 この奇怪な感覚を覚え始めたのは、つい数日前のこと。『どこかに封じ込められていたものが、突然放出された』――はやての本能が、それを察知した。そしてそれと同時に、この不可解な、多重記憶とでも呼ぶべき情報が彼女の脳内に流れ込んできたのだ。

 それはなのはやフェイトも同じで、身に覚えの無い記憶と思い出に、彼女たちは悩まされている。思い出の中には“彼”に恋焦がれる自分もいたりして――と言うより、それが大半だ――自分が酷く尻軽な女になったような、暗鬱たる気分にさせられる。

 多重記憶の中に居る“彼”が、“彼等”が何なのか、はやてには……なのはにもフェイトにも、判らない。何より不可解なのは、現実にはそんな人間はどこにも居ないのだ。ただ記憶の中で、自分達と関わるだけの存在。

 だがそれを紐解くキーワードは、多重記憶の隙間にあった。

 『転生者』。

 意味の判らないその言葉。だからこそ、わらにも縋る思いで、はやてはここに来た。話の真偽を確認することも叶わない、だが僅かにでも情報が欲しいと思って、スカリエッティの誘いに乗ったのである。

 

「あんたは、知っとるんか? その――『転生者』ちうんを」

 

「知っていると言えば、知っている。ただし私の持つ知識はあくまで原則的というか、定義的なものでね。君の身に起こっている何事かを解く鍵には、恐らくならないだろう。それでも?」

 

「かまわへん。……ほんま業腹やけど、教えてくれへんかな、スカリエッティ」

 

 頭こそ下げないものの、教えを請うその言葉に、スカリエッティは面白そうに笑みを浮かべてみせた。

 

「結構。必要とあらばこの私にも教えを請うその合理性、私は嫌いではないよ。

 ……まあ、君も人の上に立つ側だ。意に沿わぬ行動も一度や二度では無いだろうしね。今回もその一つだと、自分を納得させればいい」

 

 そしてスカリエッティは言葉を切り、一つため息を漏らしてから、再び口を開いた。

 ――その瞳に怪しい光が宿ったのは、気のせいだっただろうか。

 

「『転生者』。端的に言ってしまえば、それは『一度死んだ後、別の世界で新たな生を授かった者』のことを指す。

 単純に生まれ変わりや、前世の記憶を持っているというだけなら、これは良くあるオカルトの範疇だ。『転生者』が特異なのは、彼等が元々別の世界の住人だったこと……ああ、これは次元世界という意味ではなく、もっとSF的な、並行世界といった意味合いだね。

 それが発生するプロセスは残念ながら良く判っていない。ただ私が会ったことのある何人かは、『カミサマ』なる存在によって転生させられた、と言っていたな」

 

「『カミサマ』……神様やろか。それはそれでオカルトやな」

 

「確かに。だが、我々の考える神と、彼等の言う『カミサマ』が同一であるという保証もない。

 むしろ私からすると、転生を司ることも含め、何らかのシステム的な印象を受けたがね。巨大かつ膨大なシステムを扱うための管制人格。君ならば、解るだろう?」

 

 システムを管理するプログラムに人格と知性を持たせて運用する――それは確かに、八神はやてにとって理解できないものではない。今はもう居ない彼女が、まさしくそれだったのだから。

 はやての反応を待たず、スカリエッティは言葉を続ける。

 

「勿論、それをシステムと考えるのなら、一体誰がそれを作り上げたのかという疑問が残ってしまうのだがね。まあ仮説と推論の段階だ、それは置いておいても良いだろう。

 さて、『転生者』がただのオカルトと違うのは、『カミサマ』によってこの世界に転生させられたというものだが、更にもう一つ、面白い特徴がある。

 驚くべきことに、彼等『転生者』は、我々のこの世界の行く末を既に知っているというのだよ。うん? いやいや、未来予知とはまた別物だ。そういえば君には聖王教会の方に、予知のできる友人がいるらしいが……ふむ。ならばそう考えるのも必然か。

 予知以外の方法で、未来の事象を知る。普通に考えれば不可能だろうが、なに、これは発想の転換で解決する問題だ。転換というよりは視点の変更と言うべきかな。

 聞いてしまえば馬鹿馬鹿しい話だと思うかもしれないが――彼等の元々生きていた世界では、我々の世界の事象がフィクション作品……アニメーションとして制作、放送されていたらしいのだよ。彼等からすれば、アニメの世界が現実に存在しているという感じらしいね。このアニメを視聴することで、彼等はある程度こちらの世界の流れを知り、これから先に何が起こるのかを知ったという訳だ。

 そしてそのアニメにおいて中心的人物のポジションにあったのが、八神はやてくん、君であり――高町なのはくんや、フェイト=T=ハラオウンくんだった。君の中にもあるだろう? 『転生者』と仲良く過ごしている記憶が。それは彼等『転生者』が、アニメのメインキャラである君達に近付いてきたからさ。

 君にも覚えがないかな? 白馬の王子様に憧れたことが。格好良いアイドルと付き合っている自分を想像したことが。それと同じだよ、八神はやてくん。彼等はアニメのヒロインとお近付きになりたいのさ――“生前”は手が出せなかった彼女達と、これ幸いとね」

 

「……そう言われてまうと、反論もできへんなあ」

 

 確かにスカリエッティの言う通り、はやてにもそういった願望はあるし、脳内で想像してにやにやしていた時期もある。九歳の誕生日まで家族もなく、本を読み耽るばかりの生活をしていたせいか、無駄に想像力がついたという自覚もあった。

 実際、はやても彼等『転生者』と同じ立場になれば、似たような行動に出るだろう。白馬の王子様や格好良いアイドルと甘酸っぱいラブロマンスに興じるだろう。彼等の気持ちも良く解る。

 だから明確に拒絶もできないのだが、見知らぬ相手に擦り寄られ、あまつさえ彼等の恋人にさせられている自分の姿には、いささかならず嫌悪感を抱いた。きっとこの手の嫌悪感を平然と受け流せる人間が、アイドルや芸能人として大成するのだろう。

 

「さて。『転生者』がこの世界をアニメ作品として知っているというのは、今言った通りだが。これに付随して、面白い特徴があってね。まあこれに関しては『転生者』全てという訳じゃなく、あくまでこういう傾向が強い、というだけのことなんだが。

 先に話した『カミサマ』が彼等をこの世界に転生させる際、何かしらの余禄をつけることが多いらしい。例えば膨大な魔力、例えばレアスキル。中には彼等の世界にあったフィクション作品に出てきた能力を再現して持たせる例もあったそうだ。

 ヒーローの姿に変身したり、世界の理を歪めたりね。その能力を得るために本来払うべき代償も何も無く、実に簡単に与えられている。まったく、『カミサマ』とは何とも気前の良い存在だよ。

 そういった強大な力や特殊能力を手にした『転生者』を、俗に『チート』と呼ぶらしいが――この『チート』が曲者でね。強力な力を手にしたが故に、たがが外れてしまうのかな。あまり褒められない行動に出る者も居る」

 

 例えば時空管理局を悪の組織と断じ、一方的な正義感で断罪していく者。

 例えば気に喰わない男を陥れ、悪党として貶める者。

 例えばアニメの“ヒロイン”に片っ端から言い寄って、次々と恋愛感情を抱かせる者――

 

「……三つ目とか、ほんま、他人事やないな……」

 

 はやての中に流れ込む多重記憶の中には、白痴よろしく『転生者』に惚れた己も居た。しかもそういう記憶に限って、はやてだけではなくなのはやフェイト、アリサにすずか、果てはシグナムやヴィータまでもが、『転生者』にめろめろなのだ。

 別段、その『転生者』に魅力があるという訳ではない――ただ単に“強い”というだけ。力を誇示するだけでころりと落ちるのだから、これはもう、ちょろいとか単純とかいう域を超えている。催眠術でも使っているのだろうか。

 

「……ちうか、『強いから惚れる!』ってなんやねん。わたしらはトドかセイウチの雌か、って感じや」

 

「ふふん。嫌な記憶があるようだね――あえて追求はしないでおこうか。

 さて、ここまで話したところで、どうだろう。『転生者』というものを、君はどう思うかな?」

 

「……正直、ええ印象はあらへん。ちうか無理やろ。

 好いてくれるんは、そらまあ、嬉しい気持ちもあるんやけど……なんや、性欲とか名誉欲の捌け口にされとる気ぃして、素直に喜べへんのが実情やな」

 

「正直な返答をありがとう。――予想通りだよ、八神はやてくん」

 

 そこで不意に、スカリエッティの表情に変化が現れた。

 何かを企んでいそうな笑みが、一気に底意地の悪い笑みへ。いやらしい笑みという意味では同じだが、そこに含まれる感情の色が、一気に濃くなった。

 

「実のところ、ここまでは前提、前置きと言うべきかな。あくまで“そういうもの”としての原則、知識を知ってもらっただけなのさ。

 ああ、そこまで警戒する必要はない。別にここからの話で、君の価値観が引っ繰り返るという訳じゃない。ただ私は君に別の視点を提供するだけさ。それをどう処理するかは君次第だ、八神はやてくん」

 

 そこでスカリエッティは、続く言葉に僅かな間を置いた。

 聴衆を話に引きこむための、絶妙な沈黙。いつぞや『ゆりかご』を手に入れ、管理局に宣戦を布告した時もそうだったが、意外にこの男は演説的なパフォーマンスに長けている。

 恐らく計算してのことではあるまい。自然に、本能的に、相手を引きこむプレゼンテーションができる……それは科学者としての彼とはまた違った、稀有な才能と言えた。

 

「私の専門はまあ幾つかあるが、その中でも機械工学と生化学は結構なものだと自負していてね。君も知っているだろう? ガジェットと戦闘機人だよ。

 プロジェクトFもそうだが……人造魔導師や戦闘機人を作るために、手習い程度に医学も齧ってね。そういう立場から、ちょっと『転生者』とは何ぞや? と考えてみた訳さ」

 

「…………へえ」

 

「先も言ったことに少し被るんだが、『転生者』とは即ち、『前世の記憶と人格を保ったまま生まれ落ちた人間』と言うことができる。ここまでは良いかな?」

 

 頷く。

 あまりにも当然過ぎて、反論の余地が無い。

 

「結構。ではここで一度『転生者』から離れて、そもそも記憶や人格とは何か、という話をしようか。

 簡単に言ってしまえば、これは全て電気信号であると言える。脳内の神経細胞を行き交う電気信号――信号の固有パターンを『記憶』と言い、信号が通り易い経路を『人格』と、大雑把にそう言う訳だ。まあこれは脳だけではなく、人間の行動というのは総じて、神経系を電気信号が行き交うことと言えるんだがね。

 つまり『転生者』とは、個々人に固有の電気信号の往復パターンを予めダウンロードされて産まれてくる者だと思うのだよ。人間が年齢と共に培っていく電気信号のパターンを、産まれた時点で持っている者……と、そう言い換えてもいいがね」

 

「ふうん……いや、わからん話やないな」

 

 精神や魂といった言葉――概念を出されるよりも、よほど解り易い。

 そう思ってしまうのは、はやても(というか、魔導師は概して)理系寄りの人間だからだろうか。

 

「だが、この電気信号というのが一筋縄ではいかない。人間の脳というのは、これはこれでかなり不安定で、複雑怪奇なシステムなのさ。ケーブルの中を行き交う信号と一緒にはできない。

 脳内物質。信号の強弱。神経系の発達具合に、神経細胞の組み合わせ。更には体温や体内の水分量。これらが電気信号の流れに干渉する要因だが、これが全く同じであることなど有り得ない。何せ我々は生きているのだからね――成長と代謝だ。脳に限らず、生物の身体は同じ状態を保てない。

 要するに“環境”だよ。大気中よりも水中の方が電流が流れ易い。純水と食塩水で伝導率が異なる。そういう話なのさ、簡単に言ってしまえばね。一時間前の自分と一時間後の自分ですら、同じコンディションではない。例えクローンであってもその生育過程で変化が生じる。他人の身体など、他人の脳髄など言わずもがなだ」

 

「つまり、『転生者』は――『転生者』の考え方は、“転生する前”とは別物ちうことか?」

 

「そう、その通りだ。転生前の人間の思考を、転生後の身体で再現することなどどだい不可能なのだよ。それはどこまで行っても、良く似ているというだけの別物だ。たとえ転生前の“彼等”がどれだけ聖人君子であったとしても、その人格を転生先に持ち越すことなど決してできない。

 そもそも、転生する先は基本的に赤ん坊だ。君達“ヒロイン”に干渉するのもいいところ十代からだろう。十年間、本来の自分とは全く異なる環境下で成長したシナプス……それはもう、転生前に類似するところすら無くなっているのだと、私は思うね」

 

 だがそれは、決して救いにはならない。否、むしろより暗澹たる現実を意味している。

 人間の人格はその当人だけで成立するものではない。周囲との関わりの中で作り上げられるものだ。痛みを知れば優しくなれる、挫折を知らない者は増長する。経験と体験の積み重ねが人格を規定し、その極端な例が、かの有名な狼少女だろう。

 ならば。産まれついて成人並みの知識と知能を持ち、周囲の人間を凌駕する才能を与えられた者がどう歪むか、想像に難くない。金持ちのお坊ちゃまなどが往々にして同様の状態に陥るものだが、恐らくはそれよりも、更に“良くない”方向へ向かうだろう。

 その知識や力を実際に振るうことが無くとも、『自分は優れている』という優越感は、確実にその『転生者』の中にあるだろうから。

 

「そう考えると納得やな……管理局を断罪するんも、他人を貶めるんも、女の子をはべらかすんも――それができるんやから、それを当然やと思っとるんやから、我慢する必要がない……」

 

 八神はやては、これで割と性善説寄りの考え方をする方だ。人間は本質的に善であり、根っからの悪人など決していないと思っているし、それを前提に他者へと接している。

 だが。だからこそ、環境が人を歪めるという意見には全面的に同意していた。歪める、というとネガティブな響きが混じってしまうが、要するに環境次第で人はどうとでも変わるのだと。

 ――そう。幼少期に父母を失い、車椅子を供に生きてきたからこそ、今の八神はやてがあるように。

 

「『転生者』はなんでも可能にできるからこそ、その品性は育まれない、むしろ転生前に比べて劣化する傾向にある――と。私はそう考える訳だが。君はどうかな、八神はやてくん?」

 

「………………」

 

 はやては、応えない。――応えられない。

 『転生者』は転生することそのもの、或いは転生後の安楽な人生によって人格を歪ませる。

 だとしたら、彼等は“被害者”とは言えないか? 前世の知識や、埒外の才能を与えられたことで、本来有り得ない方向へと歪ませられたのではないだろうか?

 やられた、と思う。スカリエッティは最初から、これを狙っていたのだ。『転生者』に良い印象を抱かないのに、その彼等を厭うことのできないジレンマ。

 その煩悶が――獄中の彼にとっては、何よりの余興。

 

(けど――)

 

 けれど。

 黙って玩具になってやるほど、八神はやては慈善家ではないし、お優しい人間でもない。

 ……高町なのはは、どうだろうか。『転生者』をどう見るだろうか。

 フェイト=T=ハラオウンはどうだろうか。『転生者』に、どう接するだろうか。

 そして何より、八神はやては。

 

「………………」

 

 目を閉じる。視覚情報をカットして、はやては自分の中へと潜っていく。

 瞼の裏に浮かぶのは、いつかどこかで、自分ではない“八神はやて”の記憶と、思い出。

 折り重なり、積み重なり、地層の如く重層的な記憶を、一枚一枚剥ぐようにしてはやては辿っていく。

 ――図書館で出会った“彼”。

 ――クラスメイトだった“彼”。

 ――行き倒れになっていたところを連れ帰った“彼”。

 幾人もの『転生者』達が脳裏に浮かんでくる。はやてと友達になろうとする者。はやての家族で在ろうとする者。はやてを性欲の捌け口としか見ていない者。本来なら並存し得ない“彼等”の記憶が一度に噴き出してきて、頭がおかしくなりそうだ。

 その記憶を、一つ一つ、はやては覗き込んでいった。嫌悪感を堪え、苛立ちに耐えながら。

 

(――あれ?)

 

 そうして彼女は、それに気付いた。

 はやての中に在る多重記憶が――増えている。

 少しずつ、じわじわと……だが確かに、先程までは無かったはずの記憶がある。

 

(つまり、今も――?)

 

 今、この時も、どこかの世界で『転生者』が生まれ、育ち、そしてはやてに接触しているということなのか。

 それは彼女にとって、絶望的な事実だった。これ以上まだ、自分は誰かの慰み者にならねばならないのか。

 ……いや。絶望するべき事実、と言うべきなのか。新たに生まれたその記憶を覗き込んで、はやては(内心で)首を傾げた。

 

(なんや、これ……? なんちうか、――普通、やな……?)

 

 その記憶は、一見すれば確かに他の『転生者』達が歪めた記憶と大差ない。

 だが違った。何が違うのか判らない、しかし確実に何かが違った。

 『チート』を備えた『転生者』。それを憧憬の目で見る自分。八神はやてからすればそれもまた唾棄すべき記憶だというのに、そこから受ける印象が、他のものとまるで違う。

 はやての中に流れ込んできた多重記憶は、総じて、ここではないどこかからの悲鳴のようだった。『転生者』によって蹂躙され、弄ばれる八神はやて達からの、無念の怨嗟……それが遠く隔てられた、ここの八神はやてに流れ込んできたのだ。

 だがこの記憶に関しては、そういった恨みつらみの感情が薄い。どころかむしろ、淡い幸福感がくっついていて、見ているこちらも暖かな気持ちになる。

 何が違う?

 どこが違う?

 他の記憶と、この記憶。ここに何の違いが――

 

(ああ――そっか。そういうこと、やったんか)

 

 程なく、はやては答えに辿り着いた。

 その記憶の中に居る『転生者』――“彼”の目を見た時に、彼女は正解を直感した。

 “彼”の目ははやてを見ていた。はやてだけではなく、“彼”を取り巻く全ての者達を。

 他の『転生者』達は、そう、まるで部屋に飾るフィギュアを見るようにはやてを見ていた。どんなにはやてや、なのは・フェイトと親密な関係になっても、“彼等”の目は非現実の何かを見る眼であったのだ。

 “彼等”にとって、はやて達はあくまで『アニメのキャラ』でしかなかったのだろう。人格があり、知性があり、そこに生きている人間であるという認識が欠けていたのだ。

 いや、“彼等”も“彼等”で、はやて達を人間として扱うつもりではいたのだろう。だが自覚と認識は必ずしも等価ではなく、無意識に、無自覚に、“彼等”ははやて達を蔑視していた。

 ……翻って、その記憶の中に居る“彼”はと言えば――確かな自覚と疑いない認識で、はやてを、なのはやフェイト、仲間達を、今そこにいる人間と扱っていた。

 人間として、個人として尊重してくれる。ただそれだけのことなのに、それこそが、他の記憶とこの記憶との印象の差を生み出していると、そう知った。

 そして。

 

(……せやな。そう――それ一つやない)

 

 そして――暖かな記憶は、それ一つきりではなく。

 新たに増えた記憶。元からあった記憶。多重記憶の中に、幾つもそれはあった。

 酷い記憶、おぞましい記憶、気持ち悪い記憶。それに紛れて、今まで気付かなかったのだ。多数を占める下劣な『転生者』の記憶、その印象が強すぎて、目を眩ませられていた。

 木を見て森を見ず、という諺があるが、今のはやては、それと逆の状態にあったと言える。森を見るだけで、個々の木を見ていなかった。だから今、木々の一本一本に違いがあると知るように、多重記憶の中にも、幸せに生きる自分の記憶があると悟った。

 

「……な、スカリエッティ」

 

「何かね?」

 

 どのくらい、思索に費やしていただろう。

 やがて静かに呼びかけるはやてに、スカリエッティは即座に応じた。

 

「ありがとうな。あんたのおかげで、知りたいことはだいたい判った。ここに来た甲斐もあった――そう思える」

 

「そうかね。で、君はどうするのかな? ……いや、どうすることもできないのか。この世界に『転生者』はいない――君や君の友人の記憶にだけ居るものだからな。

 それでもあえて訊いておこう。君は『転生者』を、その記憶をどう処するのかな? 憎むかね? 嫌うかい? それとも君がこれまでしてきたように、環境の犠牲者と捉えるか?」

 

 そう質問するスカリエッティだが、その声音は微妙に先までの切れを失っていた。

 彼も気付いたのだろう。はやてが既に答えを見出していると。

 その判断に正誤はあれ、判断を下すまでにいささかの迷いこそあれ、一度決めればそこに己を委ねることができる。八神はやての稀有な資質を、今、囚人は目の当たりにしていた。

 

「――別に、どうもせえへんよ? どうにかするわけないやん、そんな大それたこと、わたしにはできへんて」

 

 飄げた仕草も冗談めかした言葉も、答えが有るからこその余裕か。

 苦悶と煩悶を望んでいたスカリエッティが、今度こそ露骨に顔をしかめる。

 

「うん。そう、そうなんよ。わたしは何もせえへん……するとしたらそれは、この記憶の中におる“わたし”の役目やな。

 スカリエッティ。こっちも、ちょう訊いておきたいんやけど。わたしのこの多重記憶、これが発生した原因ちうんは、そっちで掴んどるんか?」

 

「……いや。だがある程度なら推測はできる。恐らくはどこかに並行世界を統括するシステムがあり、『転生者』の居る世界というのは、そのシステムの中で発生し、存在していたのだろう。

 そのシステムが何らかの原因で作動不良を起こしたか――或いは、システムそのものが停止してしまったのかもしれないな。管理を放棄した、という可能性もある。

 そのせいで、今まではそれぞれ干渉しないように調律されていた世界が、境界を失いかけているのだろう。故に、それぞれの世界の中で最も重要な位置にいる君や、君の友人達が、より強く他世界と干渉しているのではないか――私は、そう当たりをつけている」

 

 科学者らしからぬ、それは概念的な捉え方だった。だが何の根拠もなく、ただ事象から推察するしかないとなれば、それも仕方の無いことなのだろう。

 それでも、はやてにとっては充分だった。自分がぼんやりとイメージしていたことを言葉にしてくれた訳で、ここから先のはやての論理がかなり説明し易くなる。

 

「さっきも言うたことやけどな。しょーじき、わたしは『転生者』ちうんをあまり好きになれへん。

 けどそれはやっぱり、今ここに居て、『転生者』の存在と概念を理解したわたしの感想や。蓼食う虫もなんとやら、て訳やないけど、その『転生者』と身近に接している“わたし”は、また別の感想や感情を持ってるやろ。

 実際――うん。わたしから見ても、悪くないて思える記憶は幾つかあった訳やし。一絡げに『転生者』は害毒や、ていうんは、ちょう短絡すぎる……いや、まあ、ちょっとお近づきになりとうない『転生者』の人も、少なくなかったんやけどな。

 で、ここからが本題……ほら、逆もまた真なり、ちう言葉もあるやろ。他世界からの干渉で、わたしの中に“わたし”の記憶が流れ込んでくるんやったら――逆に“わたし”がわたしの記憶を受け取ってもええと思うんや。今こうして、『転生者』の知識を得たわたしの記憶を」

 

 知識と記憶は決して同義ではない。だがそれが同じく脳髄の活動によって為される――電気信号の遣り取りの結果――というのなら、切り離すことのできないものでもある。事実、『転生者』達は前世で得た記憶と知識を引き継いで産まれてくるのだから。

 ならばこそ。はやてはあえて、『転生者』への判断を保留した。身近に『転生者』の居ない、『転生者』と接触したことのない自分では、どうあっても偏見が混じってしまうから。その判断を下せるのは、『転生者』と関わりの深い、別世界の“八神はやて”達だろう。

 自分にできるのは、ただ『転生者』の知識を、記憶と共に他世界の自分へと送ること。それが果たしてできるのか――できたとするなら、それを確認・観測する術はあるのか――その方法論に関しては、これから考えなければならないことであるが。

 

「ふむ。面白いな、それは面白い。仮説の上に仮説を重ねただけでもあるが……手法的なアプローチが考慮の外という点で怪しいものだが……発想自体は、決して無理なものではないだろうね」

 

「せやろ?」

 

 にひひ、とはやては笑った。

 その笑みはどこか、悪戯に成功した子狸のような笑みだった。

 

「ほな、そろそろわたしは帰らせてもらうで。聞きたいことは聞いたし、訊きたいことも訊き終わったしなー。……他に何か、言いたいことはある?」

 

「いや、私の方も用件は済んだ。ご苦労だったね、八神はやてくん。道中、気をつけて帰りたまえ。

 ……ああ、そうだな。言いたいことというほどでもないが、娘たちによろしく言っておいてくれ」

 

「はいはい。ほななー」

 

 ひらひらと手を振って、はやてはその場を後にする。

 ――さて、帰ったらやることは山積みだ。まずはなのはやフェイトに『転生者』の知識を伝え、加えて自分達以外に多重記憶に悩まされている者がいないかを調べなければ。

 後は……そう、無限書庫にも連絡を取ってみよう。多重記憶や、『転生者』を生み出すシステム、並行世界を管理するシステムに関して、何かしら情報が得られるかもしれない。

 

「ああ、忙しい忙しい。貧乏ちう訳でもないのに暇なしや」

 

 愚痴っぽく呟いたはやての顔には、しかし嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

◆      ◆

 

 

 

 八神はやてが去り、独房には再び静寂が戻っていた。

 ……いや。厳密には、そこに静寂はない。耳を澄ませねば聞こえないとは言え、鳩の鳴き声にも似た忍び笑いが、断続的に響いていたのだから。

 言うまでもなく、それを漏らしているのはジェイル=スカリエッティ。口元に手を当て、喜色満面の笑みを必死に隠しながら、彼は笑声を零していた。

 

「く……くふふ、くふふふふふ……素晴らしい、実に素晴らしい……なんと愚かしいのか、いや実に、実に実に実に、愛すべき賢しさで愚かしさだ……!」

 

 ああ、まさかあのような解答を導き出すとは。

 『転生者』の知識を、他世界の自分へと伝える?

 なるほど不可能ではないだろう。だが彼女は解っていない。それによってもたらされるであろう結末を、その無惨さを、想像すらしていない。

 他世界の八神はやて……いや、それは彼女に限ったことではない。高町なのはもフェイト=T=ハラオウンもそうだ。否、そもそも、人間という生物に共通だとさえ言える。

 『転生者』が居るとして。それが自分のすぐ近くに居て、自分と関わってきているとして。そこで唐突に、『目の前の彼は自分達をアニメキャラだと思っていて、それ故に近付いてきている』などと――そう知ってしまえば、そこにどれだけ混乱が生まれるか。

 思惑、魂胆、下心。他者の中にあるそれを知らず、また知らないふりをすることで社会も人間関係も成り立っているというのに。下衆な欲望で近付いてくるのだと、そう相手を疑ってしまえば、それこそ待っているのは人間不信ただ一つ。

 まして相手は『転生者』。自らの欲望を悟られたと知れようものなら、どういう手段を取るか知れたものではない。何でもできる“彼等”の手管はそれこそ無限、そして“彼等”にそれを制する倫理など、期待できようはずもない。

 無知なる者の幸福。それを八神はやては知らないらしい――滑稽、滑稽、実に滑稽。

 

「性善説、大いに結構――無知者への啓蒙、実に上等。

 ああ、実に君達は私を愉しませてくれる。しばらくは暇潰しに不自由しなさそうだ」

 

 牢獄の中に、笑いが響く。

 もう押し殺そうともしていない、韻々と響く呵呵大笑であった。

 

 

 

(終)




 という訳で、『転生オリ主に会う前に、僕の話を聞いてくれ』でした。お付き合いありがとうございました。
 前々から転生モノのSSに関して抱いていた感想というか、そういうものを形にしてみようと。ただ書いていたのは随分前で、書いたっきりお蔵入りにしていたものなんですが。
 にじファンの閉鎖、既存サイトへの流入、新サイトの立ち上げなどが重なって、転生モノを未見の読者が転生SSに触れる機会も多くなるだろうと。いいタイミングということで、ちょっと改訂の上で公開。
 ちなみに、全体的に転生SSへ辛口な傾向にある本作ですが(転生オリ主に“性欲の捌け口”とか言ってるし)、作者はそこまで偏見持ってないです。
 転生が駄目なんじゃなくて、オリ主が作者の欲求を叶えるツールになってるのが好ましくないと。その意味じゃ別に転生に限ったことでもないんですけどね。


 ちなみに作中で言ってる、『人格は電気信号』だの『環境で異なってくる』だの。これは以前、別名義で某サイトに投稿した作品から使い回してます。
 もちろん文章丸コピペとかはしてませんので、多分パクリと呼ばれたりはしないと思うんですがw
 ごく一部の方は「ああ、これ書いてるのあいつだな」と気付くかもしれませんが、いちおう秘密にしておいてくださいw


 それでは、この辺で失礼します。
 また機会がありましたら、どこかでお会いしましょう。
 


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