稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生   作:ノーマン(移住)

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やってみたかったんです。


帝国偉人録:ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ 

帝国歴437~503 享年66歳

 

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツは第一帝政期から第二帝政期にかけての、貴族・軍人・政治家・事業家。門閥貴族に統治権が分散していた第一帝政期から、銀河帝国皇帝に統治権を集約した第二帝政期への移行に、貢献した人物。最終階級は帝国元帥。現役軍人のまま、軍務以外の尚書職も兼ねた数少ない人物のひとり。

ルドルフ大帝と実績で唯一比肩しうるとされるディートリンデ1世の後見人であったことでも知られる。現在でもフロンティアで使われる乾杯の音頭「臣民たちに今日より良き明日を!」は彼の墓碑銘でもある。

 

【略歴】

 

・生い立ち

 

帝国歴437年3月、ルントシュテット伯爵家の3男として、領地であった惑星ルントシュテットにて生まれる。第二次ティアマト会戦で祖父にあたる当時のルントシュテット伯が戦死した事を受け、母カタリーナは貴族対策の為、出産後、旧都オーディンへ向かう事となり、祖母マリアと乳母カミラに養育される。5歳の時に顔見せの為に旧都で赴くが、交通事故により同乗していた乳母のカミラは死亡。本人も意識不明の重体に陥った。この交通事故の相手が門閥貴族に属し、過失が無かったかのような主張を強引に押し通した。この経験から、門閥貴族の横暴を正すべきと考え始めたと言われる。

 

・幼少期の活躍

 

旧都から戻ったザイトリッツは、惑星ルントシュテットの領地経営に参加した。小麦の増産や、酒造事業を始めるとともに、当時主流ではなかった、米を原料とした清酒の製造も、この時期に始めたとされる。オトフリート4世が命名した清酒「レオ」と、フリードリヒ4世が命名したウイスキー「マリア」は、いずれもこの時期にザイトリッツが立ちあげた醸造所の品でもある。由来も彼の祖父レオンハルトと祖母マリアにちなんだ物である。また非公式ながら、後継者争いから身を引き、放蕩を装っていた当時のフリードリヒ殿下との交友が始まったのもこの頃とされる。

 

・幼年学校から任官まで

 

幼年学校は首席で通したとされる。また、爆発的な人気となった「レオ」の収益を基に、現在の帝国開発公社の前身となるRC社を設立。惑星ルントシュテットだけでなく辺境星域の開発に乗り出した。領主に利益を集中させるのではなく、領民への社会政策を重視した開発手法は、人口増にも好影響をもたらし、辺境領の加速的な発展の要因ともなった。余談だが、当時、RC社が進めた社会政策は、現在の帝国の社会政策の原点でもあると言われている。

 

士官学校に首席で合格したものの、勅命で建設される事になったイゼルローン要塞の建設にあたって、その資材調達をRC社社長として取り仕切った。この資材調達は辺境星域全域で行われ、二次産業が立ち上がるきっかけにもなった。要塞建設は勅命であったため、士官学校に在学したまま任にあたった。特別待遇であったとは言え、士官学校に通わずに首席を通したのは、後にも先にもザイトリッツだけである。

 

・任官からイゼルローン要塞赴任まで

 

要塞建設にあたっていくつかの功績を認められ、異例ながら少佐として任官した。任官先はフェザーン高等弁務官府であったが、当時の自由惑星同盟の分析が任務であった。弁務官府には赴任した際と異動する際の2度しか赴かなかったと言われる。商科大学に聴講生として通う傍ら、ビジネス面のパートナーとなるコーネフ氏やヤン氏、そして後に右腕となるワレンコフ氏と縁を結んだのもこの頃とされる。

 

フェザーン勤務終了後、工廠部へ異動。当時、戦術家として名声を高めていたシュタイエルマルク伯ハウザーの指示を受けながら、戦術構想の転換に伴う兵器開発と増産に取り組んだ。また、この時期に、イゼルローン要塞建設を主幹したリューデリッツ伯セバスティアンに見込まれ、孫娘と婚約し、リューデリッツ伯爵家に婿入りする事となる。

 

この時期から縁のあった子弟の養育にも力を入れた。後に皇配となるローエングラム伯ラインハルト、その側近となったグリューネワルト伯ジークフリードを始め、婿となるオーベルシュタイン男爵パウル、終生忠誠を尽くしたシェーンコップ男爵ワルター、国務尚書となったロイエンタール男爵オスカー、平民で初めて宇宙艦隊司令長官となるミッターマイヤー元帥を始め、第二帝政期の初期を支えた人物たちが、屋敷に出入りしていた。一部の日記などから、統治者としての英才教育が行われていたとも言われる。

 

・要塞赴任から前線総司令部基地司令まで

 

ザイトリッツがイゼルローン要塞司令として赴任した間に、2度に渡り大規模な攻防戦が発生した。交友関係のあった駐留艦隊司令メルカッツ提督と連携し、多大な戦果を挙げた。後方メインでキャリアを重ねた彼にとって、初めての武勲と言えるが、喜ぶ様子は無かったと言われる。

 

これに前後して優勢な戦況を理由に、政府系の貴族から前進論が叫ばれた。これに反論する形で、費用対効果を考えた場合、アムリッツァ星域に大規模な駐留基地を新設し、艦隊戦力の運用を効率化したほうが良いと提案。提案主として後に前線総司令部となる当時では銀河最大規模の駐留基地建設を主幹し、完成後は基地司令官として運営にあたった。

 

・フェザーン進駐から内戦まで

 

交友の深かったワレンコフ氏がフェザーン自治領主になった際、当時、新興宗教として勢いを増していた地球教団が、皇族弑逆に関与した証拠を入手し、ザイトリッツに渡したとされる。この調査は慎重に進められ、健康診断を名目に薬物検査を行い、それを糸口に教団の強制捜査まで踏み込んだ。捜査に関連してフェザーン自治領に進駐するなど、当時でも強硬な態度で行われ、教団だけでなく、帝国に蔓延しつつあった麻薬撲滅にもつながった。この捜査記録は、今でも秘匿されている部分があり、違法捜査の可能性が指摘されている。

 

麻薬捜査に関連して、特に政府系の貴族が逮捕され、軍部貴族の勢威が相対的に強まる結果となった。これが軍部貴族の一強体制の遠因になる為、何かしら関与していた事は間違いないとされる。捜査の手は地球にも及び、この時から地球自体をひとつの刑務所のように扱った。これは現在でも変わっていない。

 

・内戦から大出征まで

 

内戦においては、アイゼンヘルツ星系の駐留基地に異動し、旧同盟への対策を担った。現在では内戦に前後して旧同盟で発生した金融危機は、タイミングがあまりにも良すぎる為、人為的に起こされた可能性が指摘されている。ただ、この金融危機に乗じて、株と為替で莫大な利益を上げたRC社は、その後、帝国開発公社に吸収されたため、具体的な資金の流れは、今も明らかにされていない。

 

・初代自治尚書

 

大出征にあたって、現役元帥のまま新設された自治尚書に任命された。これは自治省が民主共和制体と帝国の関係を明確にし、第二帝政期の宇宙の秩序をデザインする権限も持っていた事から、必然的に軍部との連携が必須だった事による。実戦部隊と連携しながら、当時大量に保有していた旧同盟の借款などを口実に、旧同盟の崩壊に多大な功績を上げた。和平条約の交渉と締結も彼が主導したとされる。

 

戦後は旧同盟から割譲された領土、フロンティアの開発に努めた。5年間と言う短い期間ではあったが、旧同盟と帝国からの移民が混在する中で、同化政策を推し進めた。終戦直後だけでなく、旧同盟からの移民が流れ込み続けたのも、同化政策による安心感と、急速な発展による明日への希望が大きかったとされる。尚、同化政策の策定にはシェーンコップ男爵ワルターの貢献も大きかったとされる。治安維持組織に早期から旧同盟人を加えた事は、当時でも議論となったが、結果としてフロンティアの安定につながった。

 

・FRS社の設立

 

短期間で新しい秩序のデザインを終えたザイトリッツは、自治尚書職を辞し併せて伯爵号を嫡男に継爵させた。下野直後にFRS社を起業。フロンティアに於いて、経営コンサル・資金調達・管理業務代行を行う企業を立ち上げた。旧同盟人であれ、平民であれ顧客とした事で、自社の収益だけでなく、フロンティアの加速度的な経済発展にもつながった。

 

66歳で彼が事故死した後もFRS社はフロンティアで企業を志す人材にとって、大きな支えとなった。同社は収益の50%をフロンティアの育英事業に寄付していた事でも有名で、同社のサポートを受けて、起業に成功した人々もそれに倣い、育英事業に寄付する習慣が生まれた。これにより経済発展を維持する人材の育成が容易になった事も、フロンティア発展の大きな要因である。

 

【能力と性格】

 

イゼルローン要塞司令としての功績を考えると、戦術家としての識見も十分備えていたとされるが、前線での功績を好んでいなかったともされる。元帥への昇進が内定した際も、後に宇宙艦隊司令長官となるメルカッツ提督を推薦したとも言われ、昇進に興味がなかったとも、軍人に成りたくなかったとも言われる。

志が別にある事は、同時代の複数の関係者が証言することでもあり、軍部貴族に生まれ、元帥にまで登り詰めた人物でもありながら複雑な思いがあった事が伺える。「100万の敵を屠るより、100万の臣民を養う事の方が大業である」という発言も、その発露の一旦と言えるだろう。

 

一方で、統治者、事業家、投資家としては、当時傑出した能力を持っていたとされる。特にRC社設立からイゼルローン要塞完成までの当時の辺境星域の経済発展は、余りに突出した実績であるため、事例として載せない訳にはいかないが、奇跡的な数字であることが注意書きされている。また、そうして得た莫大な権益を、惜しげもなく皇室に献上してしまう事などからも、物欲に乏しく、全体バランスを見る戦略眼もあったとみられている。

 

他方で軍人、平民を問わず、人材発掘と教育には異常なまでの実績がある事から、人物眼が優れていたという意見もある。彼の偉業を共に支えた多くの人材は、第一帝政期の帝国においては確かに抜擢される事がない階層の人材だった。また、下野してから立ち上げたFRS社の顧客も、ほとんどの事例が起業化に成功している点も論拠になっている。

 

【功績に対しての議論】

 

軍人、政治家、事業家と多方面で功績を上げたのは事実であるが、多くの異論が唱えられている。幼少期の酒造事業に関しては、幼少期に酒類に関心を持つのはおかしいとされ、溺愛していたとされる祖母マリアが、自分の功績を譲ったのではないか?という意見がある。RC社の躍進については、初期はケーフェンヒラー男爵クリストフ。その後はフェザーン自治領主だったワレンコフ氏の功績が大きい。初代帝国開発公社の総裁となったシルヴァーベルヒ氏もRC社出身であり、当時傑出した人材が彼の下に所属していたのも事実である。

 

その一方で、あえて裏方に回ったという説もある。軍人としては、前線で戦うのではなく、シュタイエルマルク伯ハウザーの下で行った戦術構想の転換に伴う兵器開発。アムリッツァ星域に作られた前線総司令部の建設といった後方部門の任務で功績を上げている。また補給体制の確立も彼が行ったことであり、これは帝国軍が戦況を優位に進められた要因のひとつである。

 

最近唱えられた新説として、ディートリンデ1世陛下の功績に隠れ、業績が明らかでないフリードリヒ4世陛下の意向を受けて、ザイトリッツが動いていたという物がある。一個人で立てるにはあまりにも多方面で活躍している事や、当時の人物たちが集う様にザイトリッツの下にあった事も、陛下の意向であれば説明がつくとされるが、あくまで一説という認識に留まっている。

 

【現代での取り扱い】

 

第二帝政期初期を取りあげた作品ではほぼ登場する人物である。同名の小説家、ザイトリッツ・ポプラン氏の作品「世直し陛下の事件簿」では、幼さを武器に門閥貴族の横暴の証拠を集め、毅然とした対応を求める人物として描かれた。その影響で、社会の不公正を憎む人物として描かれる事が多い。

帝国外では、陛下の右腕として民主共和制体を追い詰める悪役として描かれる事が多いが、奨学金制度を旧同盟人にも開放した事などから、民衆の生活には気を配る描写が必ず入れられている。

 

また、正妻ゾフィー。第二夫人ドミニクを始め、ディートリンデ1世の顧問となったヴェスパトーレ男爵夫人マグダレーナ、マリーンドルフ伯爵夫人ヒルデガルドなど、周囲の女性の社会進出にも肯定的であったことから、女性の社会進出が話題になる時、必ず逸話が語られる人物でもある。




おまけにもお付き合い頂きありがとうございました。

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