稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生   作:ノーマン(移住)

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113話:暗黒の木曜日

宇宙歴796年 帝国歴487年 8月第4週 金曜日

首都星ハイネセン 財務委員会 委員長執務室

ホアン・ルイ

 

「そんな事は分かっている。だが現実問題としてこのままでは大規模な金融危機が発生するだろう。とにかく一時的な株価の下落の範疇で抑える必要があるのだ。金融業界の全面的な協力が欲しい......」

 

レベロが青ざめた表情で電話にかじりついている。話の内容から察するに7大銀行の頭取たちに昨日の市場明けから全面安が始まった株価の買い支えを依頼しているのだろうが、既に政府が慢性的な赤字の状況に陥っていることを、一番数字で理解している連中だ。いくら財務委員長直々の依頼とは言え、簡単には首を縦には振らないだろう。

 

「株主への責任なんてものはこちらも理解している。だがここで歯止めをかけなければ、週明けには規模の小さい金融機関から取り付け騒ぎが起こるだろう。最終的にそれが君たちの所まで押し寄せるのにそう時間はかからないぞ?とにかく協力してもらいたいのだ」

 

レベロの言には一理あるが、経営陣も株主への責任がある。政府から損害補償の確約でも出来ればよかったが、評議会は休会期に入ったばかり。一部の委員長は自分の選挙区に戻っていた。もっとも会期中であってもさすがに金融業界への無制限の損害補償までは意思決定できなかっただろう。

 

「もちろん君だけに貧乏くじを引かせるつもりはない。金融業界全体に依頼の連絡をしているんだ。市場が閉まるまであと4時間。そこをしのげるかにかかっている。そんな事は君も重々承知しているだろう?」

 

そう、おそらくレベロも承知しているだろうが、一部の証券会社は既に空売りを始めている。頭取たちもその情報は承知しているはずだ。株は最悪の場合、『ただの紙切れ』になるリスクがある。いくら財務委員長の依頼を受けたとはいえ、自社を潰す訳には行かない。

それに我々左派は基本理念を大切にしているが、その分、経済界とは一線を引いた付き合いをして来た。優遇もしなければ冷遇もしていない訳だが、だからこそ経済界から見ても危ない橋など渡れるか!と蹴る事も出来るだろう。これが国防委員会なら、実際に予算のやり取りがある以上、軍需業界にある程度指示が出来ただろうが......。

 

「そうか、それは君個人の判断なのか?それとも社としての公式見解なのか?国家の大事よりも自社を優先するというならそれも良いだろう。だが、私は忘れないぞ!」

 

そう言い放ってレベロは電話を切った。決して無能な男ではないが、左派の議員にありがちな弱点が悪い方向に出ている。国家や大義の為なら、市民は自発的に協力してくれると思いがちなのだ。だが、誰しも自分の身がかわいい。自分の子供の分を減らして隣の子供に分け与えられる奇特な市民など、実際にはめったにいないのだ。

 

『すべき』事を分かっているのと、実際に『それが出来る』のとは全く違う。かく言う私も、初等学校からの友人の連帯保証人になるまでは、世の中はもう少しキレイだと思っていた。戦争が続く中で、徴兵の公平性など、人間社会の不条理は人的資源委員会の方が直視する事が多いだろうと判断してそちらに回ったが、資質の面で、この危機に対応するにはレベロでは難しかったのかもしれない。

 

「電話番なり、お前さんの愚痴を聞くくらいなら役に立てるかと思って来てみたが、そんな悠長な状況でもない様だ。邪魔しても悪いし、役に立てないようなら帰らせてもらうが......」

 

「ちょうど最後の連絡が終わった所だ。皆、明確な回答を避けたがね、彼らの言い分も分かるが、金融危機が起これば同盟経済は深刻なダメージを受けるだろう。既に株による資金調達は事実上不可能になった。株価が下がった以上、それを担保に資金調達していた企業は、追加担保を求められるだろう。そして内部留保が少ない企業から順に倒産する。そうなれば健全な経営をしている企業も業績が落ちるだろう。それが呼び水となり株売りは加速していく。今日、株価を少しでも良い。戻すことが出来ればまだ市場は落ち着けるのだが......」

 

「レベロ、彼らには彼らの責任がある。国家や大義の話をしても、今日の夕食を子供たちに食べさせなくてはならないんだ。それより紙幣の増刷の方はどうなんだい?必要なのは現物じゃない。株を買い支える資金になれば良いのだから電子だけの増刷で済むはずだ」

 

「分かっている。だが紙幣の増刷は最高評議会の専権事項だ。常日頃、乱発される特例による不公平を糾弾してきた。非常事態だからと言って、私がそこまで踏み込むわけには行かない」

 

そこで私は内心失望してしまった。さっきまで電話していたのは、相手に特例のリスクを負わせるためだったはずだ。それなのに自分だけはキレイなままでいたいとは。それこそ相手からすれば『自分たちにだけリスクを負わせる』様に見えるだろうに。そういう意味ではレベロも平時の人材だったのだろう。

戦時とは言え、戦線ははるか宇宙のかなただ。実際に政府も含めて火急の事態になったのは、『ダゴン星域会戦』と『コルネリアス帝の大親征』の時ぐらいだった。そして彼を任命したトリューニヒト議長もこの危機の矢面に立つ気はないようだ。議長特命ならレベロももっと踏み込んだ事が出来ただろうに。

 

「実際問題、財務委員長の権限では最終判断は出来なかった。これを見てくれ......」

 

一枚の資料が差し出される、いぶかし気に思いながら紙面に目を向ける。少しでも自分の置かれた状況を誰かと共有したかったのだろう。紙面を読んでいるうちにレベロが話を始める。

 

「今月に入ってから少しづつフェザーンマルク高が進んでいた。その勢いが今朝から加速している。株を売った資金がそのままフェザーンマルクになっているのだ。今月の頭では我が国の対フェザーンの借款は国家予算5年分だった。それが今週には6年分になり、今朝の段階で8年分になっている。

何しろ借款は『フェザーンマルク建て』だからな。紙幣の増刷に踏み切れば最悪の場合20年分になるだろう。そうなれば利払いだけで国家予算の60%が必要になる。もう財務破綻したも同然になるだろう。まだ救われる道があるなら私はいくらでも責任を被るが、進んでもその先は地獄だ。とても決断できなかった」

 

借款が『フェザーンマルク建て』だったことが、こういう形で裏目に出るとは予想していなかった。そしてレベロは救いの道があるなら泥をかぶる気だった。自分だけはキレイでいたいなどと邪推してしまった自分を恥じなければならないだろう。

 

「唯一残された手段は株取引の停止命令を出す事か......。だが本当の禁じ手だな」

 

「そうだ。それをすれば数年は株価は低迷するだろう。売買できない資産など誰も持とうとは思わないだろうからな。本来なら『臭わす』だけでもやろうかと思ったが、そうなれば7大銀行が率先して売りに走りかねなかった。とてもじゃないが決断できなかったよ」

 

結局、法的に許されるギリギリの手段ですら、この危機に有効ではなかったという事だ。同盟の代議士として誰もが目指す委員長職にこんな地雷が潜んでいたとは......。今更ながらレベロの不運に私は同情を禁じ得なかった。お互いが黙り込み、静かになった執務室に電子音が鳴り響く。昨日からレベロは良くない報告しか受けていないはずだ。小さなことでも良い。良い知らせなら良いが......。

 

「レベロだ......。トリューニヒト議長、いったいどこで何をしているんだ。委員長が揃わないのは重々承知しているが、臨時に最高評議会を......。なんだって?」

 

電話の主はトリューニヒト議長のようだ。確かに彼が臨時閣議を開催していても、状況はそこまで変わらなかったかもしれない。だが非常事態に一緒に取り組む姿勢位は任命責任がある以上、見せてほしかった。レベロがいぶかし気な様子で執務室に取り付けられた大き目のモニターの電源を入れる。丁度お昼のニュースの時間だ。始まったばかりだろう。キャスターが冒頭の一礼を終えた姿が映る。

 

「同盟市民の皆さま、こんにちは。お昼のニュースです。最初のニュースですが、先ほど政府から声明が出されましたのでそちらからお伝えします。昨日から発生している株価の下落についてですが、残念ながら政府は有効な施策を取れていません。

それに関連して、前最高評議会議長のサンフォード氏と前情報交通委員長のウインザー氏が意図的にリスクを無視して政策を推進した疑惑があるとのことです。とはいえ、国家の危機に際して政権担当であることは事実であるため、責任を取る意味で週明けに議会にて、信任投票を実施するとのことです。では政治部の解説員に解説をお願いしましょう」

 

「今回の声明に対して、責任を問う声も上がるでしょうが、とは言え新政権が発足してまだ3か月もたっていません。今回の危機の責任をトリューニヒト政権に問うのはさすがに酷でしょう。それにこの段階で公表に至ったという事は、検察側はかなり有力な証拠を既に掴んでいると見るべきでしょう」

 

「信任投票に関してはいかがですが?本来なら総選挙をやり直す選択肢もあると思いますが......」

 

「おっしゃる通り、本来なら総選挙をすべきでしょう。ただ、今の戦局を考えるとそれが国益に適うのか?と聞かれると疑問が残ります。既に帝国は内戦に突入しつつありますし、シトレ元帥率いるイゼルローン要塞攻略部隊がエルファシルを出て、最前線へ向かったばかりです。ここで総選挙を行えば政治的空白を作ることになります。議長としても苦渋の決断だったのではないでしょうか?」

 

「確かにおっしゃる通りですね。総選挙を行えば、遊説期間を含めると2カ月は政治的空白ができることになります。戦局を考えると正しい判断なのかもしれませんね。では次のニュースです」

 

なんだこれは......。あの2人に責任を被せても金融危機が起こることに変わりはない。こんな事に時間を割いていたのか?唖然とする私たちを無視するように再度、電子音が鳴り響く。

 

「レベロだ。トリューニヒト議長、あれはどういう事なのだ?確かに我々の政治生命は伸びるかもしれないが、『金融危機』のリスクがなくなるわけでは無い。どういうつもりだ」

 

結構な剣幕でレベロがまくし立てる。昨日から責任を感じていた彼にとって、その責任が他者に押し付けられるのは不本意でもあるのだろう。だが、戦局を考えれば政治的空白を作るわけには行かないのもまた事実だ。

 

「打てる手は既に打っている......。そうだ。おとぎ話の魔法の薬があればよいが、そんな特効薬は残念ながら......。しかしそれでは......」

 

基本理念を尊重するなら総選挙を行うべきだ。だが、『金融危機』と『大規模な作戦の直前』という現実を見たとき、総選挙という基本理念を優先すべきか?軍部の分析によれば帝国内の勢いは軍部系がかなり優勢だ。2か月の政治的空白、その後の手続きを考えれば、再度の出征は半年後になるだろう。果たしてそこまで内戦は続いているのか?

そもそも『金融危機』の余波がどこまで広がるかも分からない。再出征の予算を用意できるのかも不透明だ。もしかしたら内戦に付け込める最初で最後の機会かもしれない。それを無視するのはさすがに無理がある。

 

「そうだ。出来る事は全てやっている......。もちろんだ。自分から投げ出すつもりはない。日頃の自分の言動には責任があるのは重々承知している......。だが『金融危機』はおそらく起こってしまうぞ?......。そうか、分かった。ではな」

 

そう言ってレベロは通話を終えた。目の前の現実に基本理念が負けたという事だろう。

 

「これではシトレに会わす顔が無い。軍部はずっと予算をやりくりして何とか国防体制を維持してきた。それなのにフェザーン方面の防衛計画を更に求め、いざ決戦という時に『金融危機』を招いてしまうとはな......」

 

公の場では決して見せない意気消沈した様子のレベロに、私が出来る事はただ見ないふりをする事だけだった。これでイゼルローン要塞が攻略できなければ、戦局は劣勢どころか深刻な事態に突入するだろう。人的資源委員会が提言するタイミングを計っている『軍部から技術者を民間に還元する提言』も当分する事は出来そうにない。人的資源は社会を成長させるどころか、維持するのも難しい水域だ。そして財政も破綻の数歩手前。これではイゼルローン要塞が取れたとしても、かなり難しいかじ取りが必要になるだろう。

 

私は思わず出そうになったため息を堪えた。そういうつもりがなくても、この場でため息をつけばレベロの負担になる。手元のブラックコーヒーを慌てて飲んで誤魔化したが、いつも以上に苦い気がした。現実は苦いと確認するためのブラックだが、こんな日はせめてコーヒー位は『甘く』しても良かったのではと思う。視線を戻すとレベロも渋い表情で紅茶を飲んでいた。こんな日はなにを飲んでも苦いのかもしれない。


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