巌の月(11月)21日
ミリテス皇国は
朱雀では見慣れない色彩がない白黒の世界の国。
風が吹くと積もった雪の表面が粉雪として舞い上がり、幻想的な景色をつくる。
「寒っ!」
つい先日まで蒼龍戦線にいた16歳の朱雀兵ヒイラギは焚き火に近づいて暖を取る。
ヒイラギは米屋の子としてエイボン地方で暮らしていた少年であり、なにごともなければそう遠くない未来に朱雀人の義務として徴兵されて数年軍務についた後、民間に戻って家業である米屋を継いだであろう。
しかし水の月(2月)に彼の運命は大きく変わった。突如現れた皇国軍の艦隊がエイボン地方を占領されたのである。
皇国軍の占領統治はいたってシンプルなもので、少しでも反抗的な朱雀民を見つけると見せしめに処刑して恐怖で朱雀民を縛って従順にさせるという単純な恐怖政治だった。
土の月(7月)の末に朱雀軍にエイボン地方が奪回された時、エイボンの住民はほとんどが感極まって泣き叫んで朱雀兵たちを困惑させた。皇国軍は撤退前に朱雀民を皆殺しにしていくつもりだという噂が流れていたので、絶望を味わっていたのである。
そういった喜びの感情が収まると、ヒイラギは今まで皇国軍に対して抱いていた感情が、恐怖から憎悪に転換した。そして一人でも多くの皇国兵を殺してやりたいと軍に志願したが、当時もう敗北を避けられないと推測していた軍令部長があらゆる手を使って徴兵を阻止していたのでなかなか受理されなかった。
今の朱雀の現状を考えれば、どう考えても一人でも兵が欲しいのになんで志願を認めないのだとやきもきしたものだが、嵐の月(8月)の後半になってようやく志願兵として朱雀軍に所属したのである。
配属先が皇国戦線ではなく、蒼龍戦線であったことが不満であったが、先日にようやく蒼龍が降伏し、念願叶って皇国軍に対する復讐ができると意気軒高であった。
……意気軒高であったが、今まで蒸し暑い蒼龍で戦っていたヒイラギにとって、皇国の氷点下の寒さは文字通り殺人的であった。
「これを飲め。少しは身体が温まる」
そう言って相方のオンズはホットワインをコップに注いでヒイラギに渡した。
本来であれば軍務中に酒は御法度なのだが、軍令部が皇国の環境を鑑みて規定された一定量までなら飲むことを許可していた。
ホットワインを飲んだヒイラギは腹の中から温まってくるような心地よさを感じる。
「……こう言ってはなんだが、皇国の連中はよくもまあこんなところで住んでいられるもんだ」
ヒイラギは白色に染まった周辺を見渡してそう呟く。
温暖な気候の朱雀で育ったヒイラギにとって、皇国の厳しい寒さはまるで生命の生存を拒絶しているかのようにすら感じられたのだ。
そしてそんな世界に住んでいる皇国人は、やはり化け物がなにかなのであろうとも。
「住んでられないから皇国は朱雀に攻め込んできたんだろうが」
オンズは疲れたような声でそう呟き、ヒイラギを驚かせた。
「白虎は世界制覇の野望に狂った独裁者のせいで、侵略を是とする国家に変貌したんだろ?」
朱雀ではミリテス皇国の政情を教える際、そう説明する。
確かにそれはシド元帥という独裁者を得た皇国の一面の的確な評価ではあるのだろう。
パラディス家による専制政治が行われていた20年前と比べるて、皇国が過激な軍国主義に傾倒し、戦争に走り始めたのは事実であるし、この戦争が始まって以降、皇国が盛んにオリエンスの戦乱を根絶してアギトにならんと内外に宣伝しているのも事実である。
そしてそれは、エイボン地方で皇国軍の狂ってるとしか思えない占領統治を経験したヒイラギにとって、なんの抵抗もなく信じられるものであった。
だが、だというのにオンズはあきれたようにため息を吐いた。
彼はヒイラギと違い、ずっと西部戦線にいたためミリテス皇国の内情をそれなりに察することができていたからである。
「確かにこの国の独裁者が良き指導者かどうかは知らんし、俺たちにとっては倒すべき敵だ。
だが、ここにくるまでいくつかの都市や街を占領してそこに住んでいる生の皇国民たちを見てきた。
それでようやく思い知った。お偉いさんが言うように皇国民は恐怖で従わされてるんじゃない。あいつらは自分の意思であの独裁者に従っているんだ。でなきゃ、朱雀の要請に対して皇国民がこぞって反抗したり
「じゃあなんであんな無茶苦茶やる政権支持してんだ?アルテマ弾の一件だけでもとんでもない政権ってわかるだろ」
ヒイラギは首を傾げる。
いかに他国が目標とはいえ、文字通り全てを焼き尽くすアルテマ弾を使用した狂気の独裁者を支持し続けるのかがヒイラギにはわからなかったのだ。
「皇国には余裕がないのさ。食料不足ってやつだ」
「でも、それは白虎が農耕機械の開発をやめて兵器だけ作ってるせいって聞いたぞ」
「それはうちのお偉方のプロパガンダさ。農民の話によると土地そのものが痩せて作物が育たなくなってる。
当時の政府ですら打つ手なしと匙を投げ、街という街に餓死者が溢れて皇国全体が厭世感に包まれてたそうだぞ」
ヒイラギは目を丸くした。
憎き白虎にそんな過去があったなど、聞いたこともなかったからだ。
「そして10年前、帝政を打倒したシド元帥が現れた。そいつは政権を奪取した直後に民衆に向かってこう叫んだそうだ。『選べ民よ! 滅びの運命に従うか、あるいはその運命に抗うか! 抗うならば我が戦列に加われ! たとえ戦の中で死のうとも、子を、妻を、同胞を飢えさせたくないならば、我らと共に戦え!』とな。絶望で塗りつぶされた退廃の日々を過ごしていた皇国の民は、覇気に溢れた男の言葉に共感したらしい。このまま滅ぶのが運命というならばそれに全力で抗い、たとえ何を犠牲にしてでも自分たちの未来を力ずくで奪い取ろうとな」
オンズの説明にヒイラギはなんとも言えない気持ちになった。
朱雀は肥沃かつ豊かな大地に恵まれ、飢えなど経験したこともない。
だが、明日に希望すら持てない日々の中で、シド元帥のような強力な指導者が現れたら……
その人を支持してしまうだろう。多少違和感を感じたとしても、希望を体現するような独裁者を。
ヒイラギが二の句を告げないでいるとオンズは引き攣った笑みを浮かべた。
「まったく俺らは何のために戦ってんだ。これは世界制覇を目論む悪の独裁者を討つ正義の戦争じゃなかったのか。だというのになんで行く先々で独裁者に虐げられた善良な皇国民が解放軍であるはずの俺たちに抵抗したりするんだ」
如何にもバカバカしい声でオンズは続ける。
「それにさ。お前、皇国領に入ってから街に入ったりしただろ」
「ああ」
「なら知ってると思うけどよ。皇国の旗が翻ったままだっただろう」
頷くヒイラギ。
占領した皇国領の街に入った時に敵国の旗が翻ったままだったのでまだ戦闘が行われている最中なのかと思って少し身構えたことがある。
「なんでそのままにしてんのか知ってる?」
「いや……」
「最初に占領した街で皇国の旗を燃やして朱雀の旗に替えようとしたら、その街に住んでいた皇国民達が暴動を起こしたんだ。『死ぬまで俺たちは皇国民だ。美しい俺たちの国の旗をクリスタルの犬の国の旗なんか仰いで暮らしたくない』ってな。それで暴徒鎮圧と言う形で大した武器も持たずに抵抗する皇国民を何千、何万も殺すはめになった」
「ちょっと待て!そんなことがあったら大問題になっているはずだろ!」
ヒイラギは感情的になって叫んだ。
皇国の旗を燃やして朱雀の旗に替えようとしたら、民間人が起こって暴動を起こす?
なにより朱雀軍が何万もの民間人を虐殺したなどとても信じられなかった。
一部の朱雀兵が暴発したというならまだ理解できるが、組織的に虐殺を行うなどそれは正義の朱雀軍ではなく、シド・オールスタインという独裁者を生み出し、恐怖政治を敷く悪の権化たる皇国軍の狂気の所業であるべきだった。
「暴動が起きた街は跡形もなく粉砕して証拠を隠滅したし、こんなのが表沙汰になれば恐怖政治からの解放軍っていううちの大義名分が成り立たなくなるから箝口令を敷かれた」
「ちょっと待て。箝口令が敷かれたんなら言ったら罰せられるだろ」
衝撃のあまり、防衛反応を起こしたのか、規則上の問題を口にするヒイラギ。
「愚痴らなきゃやってられないさ。それに噂としてなら既にこの戦線にいる皆が知ってるよ。数字やら街の数がやたら誇張されていたがな。まあ、あんまり大声で言いふらさない限り、諜報員の目に止まることもないさ」
オンズはぶすっとした顔でそう言った。
そのやりきれないと言った雰囲気が漂う様子にヒイラギはなにも言えなかった。
ヒイラギにとって正義と悪は真夏の昼と真冬の夜くらいにははっきりわかれたものであった。
だからこそ朱雀政府が掲げる正義を信じて疑わなかったし、独裁者に率いられた白虎が悪の侵略国家だと思っていたし、朱雀を裏切って侵略してきた蒼龍もそうだと思っていた。
しかしどうやら色々複雑な事情がこの戦争を起こしたらしい。
「でも食糧不足が原因ならこの戦いに勝っても白虎領民の反乱は絶えないんじゃ?
いくら朱雀や蒼龍が豊かって言っても一国分の食料を余分に供給できるほどじゃないだろ」
ヒイラギの質問にオンズは苦笑する。
「それがさ。諜報部や軍令部が作成した資料によるとこの戦争で民間人含めると既に二千万近い犠牲者が出ているそうだ。それだけ全体の人口が減ったら食糧不足は一時的に解決されるだろうさ」
「……つまり、この戦争で口減らしができたから解決ってこと? 救いがないなぁ……」
「救いがないからこの戦争の全ての原因をシド元帥の野心に帰すつもりなんだよ朱雀のお偉いさんがたは」
オンズの疲れたようにそう言うとホットワインが注がれたコップを一気に飲み干した。
それを見て、ヒイラギは白虎の民になぜ酒に依存してる人が多いのかなんとなく理解した。
おそらくだが、このあらゆる意味で冷たい地で生きていくには、素面では厳しすぎるのだろう。
「……素面じゃやってられんな」
そう呟くと、彼も残っていたホットワインを一気に飲み干した。
半年以上放置した結果、先の展開をなんとなくしか覚えてない。
なので、次話の更新時期は自分でもわかりません。
(というか更新できるかどうかすら、わかりません)
ですが、こんな拙い作品でもまだ続きを待ってくれている人がいるようなので、頑張りたいと思います。
あとできれば感想下さい。励みになりますので。