執務室の惨状
氷の月(6月)4日
数日前に旧ロリカ同盟領より南下してきた2個軍団に職務を引き継ぎ完了と共に選抜連隊は国境から撤退した。
ミリテス皇国領内を列車が西へ西へと疾走し、十数時間後、帝都に到着した。
「4ヶ月ぶりの帝都だ。少し懐かしく感じるな」
私は帝都の駅を出ると辺りを見回してつぶやく。
「なんだ、ソユーズ。たかが数ヶ月離れていたくらいで。尉官時代は俺らはあちこちの前線に連れて行かれて殆ど家に戻れてなかっただろうが」
「その時はとくになんにも感じなかったが、今は家族がいるからな」
12年前に少佐に昇進した際に私は結婚したのだ。
結婚式の際、上司や部下から手荒い歓迎をされたのはいい思い出だ。
……因みに手荒い歓迎をしてくれた多くの人達は未婚者であったと告げておく。
「そんなもんなのか?」
「そんなものだ。お前も結婚したらわかるよ」
ルーキンは既に40代手前であるが20代半ばといったら騙せるような外見をしている。
容姿も整っており、美青年と言っても通用する為、ルーキンが40代手前と知っても結婚したい女は山のようにいると私は思うのだが……
「悪いが俺は結婚なんかする気がない」
ルーキンに結婚する気が全くない為、結婚する可能性はない。
……そのせいでルーキンは軍内で運命の相手が現れない野郎どもに蛇蝎のごとく嫌われているのだがそれは別の話だ。
「無駄話は後にしろ。任務完了の報告をクラーキン少将に伝えねばならんのだぞ」
イシス少佐が小声で私とルーキンに注意する。
「イシス少佐の言うとおりだ。お前達も報告の際、同行しろ」
「「ハッ」」
私とルーキンはハーシェル中佐の命令に敬礼する。
中佐はそれを確認すると選抜連隊の兵士全員に司令部に帰還の報告をいれ次第、各自解散と告げた。
「では総督府に向かう。イシス、お前が運転しろ」
そう言うと中佐は駅に置いてある軍用車の助手席に座り、イシス少佐は運転席に座った。。
私とルーキンは後部座席に座った。
車は大通りを通って総督府に向かう。
総督府で文官達に用件を述べた後、帝都防衛旅団の将校の執務室へ入る。
そこにはなんとも異常な光景が広がっていた。
「シィィ……、シィィ……、シィィ……、シィィ……」
「『君の小鳥になりたい』を見にいきたい……けど……時間がねぇ」
「かゆ……うま……」
「逝くんだ……蒼き……その先へ……」
「もう限界」
「限界を超えてでも仕事にあたれ。もうそろそろこのオーバーワークも終わりを告げる筈だから」
居残り組みの大隊指揮官とその補佐達がの顔にはクマができていて、充血した赤黒い目で書類を睨みつけるよう見て、書類を処理していっていた。。
よほど仕事に集中しているのか私達が部屋に入ってきたのに気づいていないようだ。
「そろそろってあとどれくらいよ?もう俺は1週間に一回位しかまともに寝れてないんだけど」
「まともに寝れてるだけいいじゃないか。私なんかこの1週間は2時間位仮眠しただけだぞ」
居残り食らった少佐2名はまだまともに会話ができるようだが、私達に気づいていない。
けっこう雑談してるわりには書類処理のスピードはかなり早い。
それは意味不明な言葉を発している補佐達にも同じことが言えた。
……なんだこの異常な空間は。
「シュトロハイム少佐」
中佐が第一大隊指揮官の少佐の肩に手を置く。
するとその少佐と向かい合った席で仕事をしている少佐の2名はその乾ききった目で中佐を見る。
しばらく中佐を見つめていたがやがてその目からなにやら光るものが出てくる。
「あ、えーと」
「ハーシェル中佐?」
「他の誰かに見えるのか?」
ハーシェル中佐の言葉に少佐2名は号泣して抱き合った。
「やった!遂に!遂にッ!俺達の休みなしの仕事地獄が幕を閉じたんだッ!!」
「ああ、本当によくやったよッ!ようやく私達は寝ることができるんだぁ!!」
「「「「本当ですか、少佐!!!」」」」
先程までまともな言葉を喋れていなかった補佐達が仕事を中断して立ち上がる。
その目に狂惜しいまでの光を宿して。
「ああ、選抜連隊が戻ってきたんだ。今より仕事量はぐっと楽になるッ!」
「シュトロハイムの言うとおりだッ!私達はこの仕事地獄をやりきったんだぁあ!!」
「「「「おおおおおお!!!」」」」
少佐2名の宣言に補佐達は涙ぐんで拳を振り上げて喜ぶ。
居残り組の将校達のあまりのテンションにハーシェル中佐が呆然としている。
「なぁ、こいつらいったいどんだけ働かされてたんだ?」
ルーキンは半笑いしながら私に尋ねてきた。
……彼らの発言からして寝る時間さえ捻出できないほど働かされていたんだろう。
単純計算で半分以上の人員を引き抜かれてたんだから仕事量は普段の倍以上と化していただろう。
おまけに今は戦時であることを考えると何倍に膨れ上がるか……想像したくもないな。
「……シュトロハイム少佐」
「やった!やった!終わったんだぁ!!!」
「……おい」
「今日は記念日だ!15年ものを奢ってやるから後で俺の家にこいや、お前等!!」
駄目だ。仕事から解放されたという気持ちに浮かれまくってて反応してない。
上官の呼びかけを無視するってどれくらい気分が高揚すれば可能なのだろうか?
「おいッ!!」
しびれを切らし、ハーシェル中佐がシュトロハイムの頭部を殴る。
「浮かれるのは今日の仕事が終わったあとにしろッ!!」
「申し訳ありません」
「それでクラーキン少将はどこにいる。司令部か?」
「少将でしたら、20分ほど前にシャルロ中佐と一緒にレイモン大将に呼び出されてましたね。そろそろ戻ってくると思うんですが――」
すると噂をすればなんとやら、クラーキン少将がシャルロ中佐を従えて執務室に入ってきた。
「おお、戻っておったか」
「ハッ、選抜連隊に課せられていた任務は完了しました。その事をご報告に」
「わかった。君らはもう解散してよろしい。翌日からいつも通り帝都防衛旅団の一員として職務をこなして貰うのでそのつもりで」
クラーキン少将は私達を労わるようにそう言った。
そして次の瞬間、嗜虐的な笑みを浮かべて先程まで狂喜乱舞していた居残り組を見る。
「君たちに新しい仕事だ。レイモン大将から帝都南東でゴウセツの群れを確認、それの掃討を行う為、我ら帝都防衛旅団の力を貸してほしいとのことだ」
クラーキン少将の言葉が終わると同時にシャルロ中佐が抱えていた書類を居残り組に配った。
……ああ、居残り組の人達の顔が青ざめているよ。可哀想に。
「ヴェールマン、君は第二大隊を率いてゴウセツの討伐の支援。シュトロハイムは指揮下の者で休憩に入っている者も仕事に回せ」
「「ハ、……ハッ!」」
2人の少佐は顔を青くさせて体を震わせながらぎこちなく敬礼をする。
クラーキン少将はそれを一瞥すると旅団長専用の個室の執務室に消えた。
「あのよ」
「なんだ?」
「俺、思うんだけどさ。少将って絶対にサドだよな」
「お前もそう思うのか」
シュトロハイムとヴェールマンは互いを見合う。
そして……
「「おお、我が同志よッ!!」」
その言葉と共に肩を抱き合った。
「な、なあ」
珍しく動揺した声を出すルーキン。
「なんだ」
「あのよ……戦場に行ってた俺らよりこいつらの方が肉体的にも精神的にも疲労してねぇか?」
そ、それは……
「た、確かに……」
どう見ても居残り組は私達より疲労している。
もういつ過労死してもまったく不思議じゃないレベルで。
せっかく戦場から戻ってきたっていうのになぜだかとても申し訳ない感情に私達は襲われていた。