光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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8月30日 二人の父親

 乗り心地が最悪だった装甲車の揺れが止まり、程なくして私達B班はナイトハルト教官の先導で車外へと出る。

 

 砂埃の舞う中で目にしたのは、ずらりと整列する帝国正規軍の戦車と装甲車両だった。

 ついさっき要塞の格納庫で見上げた、ラインフォルト社が開発した最新の主力戦車《アハツェン》の後姿。その向こうに並ぶのは、私も何かで見覚えのある一、二世代前の旧式戦車。

 

 フレールの持ってた乗り物図鑑かな。もしかしたら、北西の基地にもいたのかも知れない。

 

「よくぞ参った」

 

 低く威厳の篭った声と共に私達の前に現れたのは、大柄な正規軍の将官。

 

「あれがエリオットの……」

「全然似てない」

「あはは、髪の色はそっくりみたいだけど」

 

 存在感のある赤髭、古傷らしい跡のある眉尻、正に武人といった精悍な顔立ち。そのどれもが隣にいる私の同級生とは似ても似つかない。

 でも、この場にいるという事は、もしかしなくてもエリオット君のお父さんなのだろう。

 ちょっと信じられないけど。

 

「お目にかかれて光栄です。クレイグ中将閣下――本日は士官学院のカリキュラムに協力して頂き、感謝致します」

「なに、将来我が軍に来るやもしれぬ若者達だ。それにヴァンダイク元帥にはお世話になっているからな」

 

 サラ教官の感謝に対してそう返した中将閣下の言葉に、私はドキッとさせられる。

 もしかしたら、私もこんな凄そうな人の部下になる日が来るのかも知れないのだから。

 

「して、そちらが――」

 

 教官達との挨拶が済むと、中将閣下の鋭い眼差しは私達へと向けられた。

 これが、《紅毛のクレイグ》――名高い第四機甲師団を率いる帝国正規軍きっての名将。

 

 記憶の中のうちのお父さんと比べて、エリオット君に深く同情する。こんな偉くて怖そうな人に跡を継ぐように求められているのだ、彼が苦労してそうなのは容易に想像が付く。

 彼の横顔を横目で窺いながらそう思った直後、突然、中将閣下の顔が緩んだ。

 

「よぉ~く来たなぁ! エ~リオットぉ!」

 

 目と、そして、耳を疑った。

 先程の武人然とした表情はいずこやら。満面の笑みを湛えて、こちらに、いや、私のすぐ隣のエリオット君に向けて駆け寄って来た中将閣下。

 余りの勢いに危険を感じてエリオット君から離れようと思った矢先、私の身体はその大きな腕に弾かれる。

 

「わっ……」

 

 私の肩が左隣にいたアリサにぶつかり、彼女もまたそのまま――

 

「おっと……」

「――!?」

 

 ――左を見ると、私のお願い通り、リィンはしっかりと彼女を傍で支えていた。彼女の両肩に後ろから自らの両手を置いて。

 うん、お役目ご苦労……?

 

「半年振りかぁ~、元気だったか!?」

 

 豪快な声に右を向けば、中将閣下の大きな身体と腕で、思いっ切り抱きしめられるエリオット君。

 

「写真では何度も見たが、なかなかカッコイイ制服じゃないか!」

 

 空いた口が塞がらないとは正にこの事だった。

 目の前で繰り広げられる熱の篭った親子の抱擁に、私は勿論、Ⅶ区民のみんなも呆然としている。

 

「むむ、まだまだ筋骨隆々には程遠いな……うむむ、天使のようなエリオットにこのままでいて欲しくもある……」

 

 ”天使”って……えぇ……。

 女の私でも父親に”天使”とか言われた事……ないんだけど。

 

「だが――帝国男子として逞しく育ってほしいのも事実ッ!」

 

 エリオット君をその腕の中に抱いたまま、クレイグ中将は目尻に輝くものを浮かべ葛藤を吐露していた。

 

「涙を呑んで、お前を士官学校に入れた父さんの漢気を分かってくれぇい!」

「苦しい……苦しいってば……!」

 

 そこで、私達はやっとエリオット君の声を聞く事になる。苦労してそうなのは、間違いないみたい。

 

「えっと……」

「聞いていたのと激しく違うんですけど……」

「そうですね……」

 

 《紅毛のクレイグ》なんて渾名と中将という階級から、うちのお父さんより遥かに厳しくて怖そうな軍人さんを想像していたのに。

 エリオット君から聞いてた話と今目の前で繰り広げられる光景の強烈すぎるギャップに、私はただただ、唖然とするしかなかった。

 

 というか、エリオット君にちょっと騙された気分でもある。間違いなく親バカという奴なんだろうけど、それって愛情の裏返しじゃないか。

 お父さんとの間に微妙な距離感が生まれて久しい私からすれば、ちょっと羨ましい。

 

「ふふ、楽しい上官をお持ちのようですね?」

「……言葉もない」

 

 茶々を入れるサラ教官に、手で顔を覆うナイトハルト教官。

 あんなナイトハルト教官を見るの初めてだ。

 

「もういい加減にしてってば! フィオナ姉さんに言いつけるよ!?」

「ハッ……!?」

 

 エリオット君の一言に、それまで身体を目一杯使って息子を愛でていたクレイグ中将の姿が消え、一瞬の内に先程の場所まで戻っている。

 駆け寄って来る時も私が避けられない位速かったけど、戻る時は目で追う事すら出来なかった。相当の実力者の動きを目の当たりにしているのだけど、何故だろう驚く気にはなれない。

 

 あと、エリオット君が切り札の様に使ったお姉さんの名前に、私は勿論この場にいる全員がクレイグ家のパワーバランスを正確に察したと思う。

 次、彼の家に行く時があったら、失礼の無い様にしよう、本当に。

 

「えー……それはともかく」

 

 仕切り直す様に咳払いをして、腕を組むクレイグ中将。

 最初にこの場に現れた時と全く同じ強面なのに、アレを見てしまった後では、もう全然怖くなかった。

 

「帝国正規軍・第四機甲師団司令オーラフ・クレイグ――本日の合同軍事演習の総指揮を任されている。以後、見知りおき願おう」

 

 多分、私は未来永劫この日の出来事を忘れないだろう。

 心の底からそう思える位、エリオット君のお父さんは強烈な人だった。

 

 

「……ねぇ、リィン、いつまでそうしているのかしら……?」

「す、すまない」

 

 そういうアリサだって、なんで今まで言わなかったの。と、隣で頬を赤らめる親友に心の中でつっこみを入れる。

 うん、お御馳走様。

 

 

 クレイグ中将が指揮官直々に行った演習概要の説明の後、遂にその時は来た。

 

「――これより本日の合同軍事演習を開始する! 第四・第五機甲師団共に順次作戦行動を開始せよ!」

 

 見学用のテントへと場を移した私達にもしっかり聞こえる大きな声。

 中将の周りにいる正規軍の高級将校らに、一気に緊張が走ったのは私が見ても明らかだった。

 

「帝国と、帝国軍に栄光あれ!――それでは始め!」

 

 祖国と軍を讃える中将の掛け声と共に、戦車隊の何百もの導力エンジンの唸りが地面を通じて椅子越しに響く。

 

 そして、最初の砲音が、空気を通じて私の肺を、身体を揺らした。

 その砲撃を皮切りに、砲火の応酬が次々と目の前で繰り広げられる。

 

 《アハツェン》の主砲弾が直撃したのだろう、旧式戦車の正面に大穴が開き、動きが止まる。曝け出された内部に小さな炎が上がったのが見えた直後、一際大きな爆発音と共に戦車は黒煙の中へと消えた。

 

 戦車砲によって、上空からの軍用飛行艇の射撃によって、次々と旧式戦車が爆音と煙と炎の中、鉄屑へと姿を変える。

 

 演習という事もあり、完全に一方的な展開。

 

 私は思わざるを得なかった。

 実戦なら、あの破壊されゆく戦車の中にも生身の兵士が――人間が乗っているのだという事を。

 

 たった一発の砲弾で、戦車は撃破される。

 分厚い装甲に覆われた戦車ですら、たった一発。生身の人間なんて、戦車の前では無力だろう。

 

 ――”軍隊”というものの本質。その根底にある”力”がどういったものであるのか、これ以上ない位に分かりやすく見せてあげるわ――

 

 ガレリア要塞への到着直前に、サラ教官は私達にそう告げた。

 

 ――特に、軍を進路にしている貴方達は良く見ておきなさい――

 

 そして、リィンと私を見て、付け加えた。

 

 帝国正規軍は帝国を護る軍隊。護る筈の力なのに、あの爆炎の中に次々と消えてゆく戦車を見ると――いや、逆に私は誇るべき筈なのだ。祖国が持ち、自らの父もその一端を担う、この圧倒的な力に。

 

 そう、帝国を脅威から守るであろう、この力を、誇るべきなのだ。

 

 激しく震える鼓膜が伝える砲火の轟音の中、私は両膝の上で拳を握り締める。

 なのに、どうしてか、脚の震えは止まらなかった。

 

 

 ・・・

 

 

 演習の後、私達は皆それぞれ重い物を背負わされた気分だった。軍事演習のあの場で見て、サラ教官も言及していた”力”の重みを。

 

 そんなだから、夕食までのみんな口数は少なく驚く程静かだった。途中でサラ教官が来てくれ無かったら、もっと雰囲気は暗かっただろう。

 

 私と言えば、みんなと違って演習の事はあまり考えなかった。多分、私は最初から、そういう物だと理解できていたのだろうから。

 結局、銃も戦車も同じ――武器なんて道具に過ぎない以上、使う側の人間が重要なのだ。ただ、剣と違い、人の感情が介在する余地が少ない武器というだけ。そんな風に納得しようとしていた。

 

 小さい頃の私も好きだった、一週間に一度のハヤシライスの日。十年以上経っても全く変わらない正規軍の伝統の味。

 よくお母さんにあーんして貰ったな、そんな事を思ってスプーンが進むだけ、私はみんなより大分マシだったと思う。

 

 

「アゼリアーノ、付いて来るがいい」

 

 暗い雰囲気の夕食後、やっと用事が終わって合流したナイトハルト教官に、私は呼び止められていた。その隣には何やら大きな袋を手に提げたサラ教官もいる。

 

「この堅物さんが珍しく気を回してくれてねー、お父さんと会えるわよ」

「え……えっ!?」

 

 

 私の前を歩くナイトハルト教官はいつも通り堂々とした足取りで、サラ教官はどこかご機嫌で鼻歌交じりに。

 降って湧いた様な話で、いつの間にか決まってしまった再会に悩まされながら、私はただ二人の後に付いていく。

 

 ガレリア要塞内部を横断する長い大通路を歩く事、二十分ほど。要塞左翼部の一角、守備隊第三中隊の宿舎区画にその部屋はあった。

 

 その扉の脇には、要塞守備隊第三中隊長という肩書きと、私と同じ姓が記された名札が掛かっていた。

 

「ふふ、直接お会いするのは三年振りかしらね」

「もしかして……サラ教官も、お父さんと知り合い、だったんですか?」

「まぁねー」

 

 軽い調子で肯定したサラ教官だけど、私はかなり驚かされた。だって、ここにいる二人の教官はどっちもお父さんの知り合いという事になるのだから。

 

『軍に入ったばかりの頃にお世話になった』とナイトハルト教官は前に言っていたけど、サラ教官は一体どんな関わりがあるんだろう。

 

 妙に気になるサラ教官を私が見上げている内に、もう一人の教官によって扉はゆっくりと二回叩かれた。

 

「――どうぞお入りください」

 

 程なくして中から聞こえたのは、とても丁寧な口調のお父さんの声だった。声は懐かしいけど、その口調を私は知らなかった。

 

 しっかりと片付けられた部屋の中、紫色の軍服に身を包み敬礼を向ける姿。短く切り揃えられた黒い髪、大して高くはない身長、少しだけ明るい色の瞳。

 どこにでもいそうな風貌の、記憶よりちょっとだけ老けたかも知れない、私のお父さんがそこにいた。

 

「アゼリアーノ中尉、お久しぶりです」

「ナイトハルト少佐、こちらこそご無沙汰しております。少佐のご活躍は小官もかねがね――こうして再びお会いできた事、光栄に思います」

「中将もお会いしたがってましたよ。ただ、今日はワルター司令との先約がある様で」

「中将が……それは光栄です。最後にお会いしたのは復員後になりますから、思えばもう十年以上になりますか」

 

 教官達の背中の間から見えた、懐かしそうに頬を緩ませる姿に、やっと私は懐かしいお父さんを感じていた。

 

「バレスタイン教官も、娘がお世話になっております」

「ふふ、他人行儀が過ぎますよ、ルカさん。昔の様にサラと呼んで下さい」

「サラ、元気そうだな」

「ええ、お久しぶりです」

 

 想定外に仲良さそうな担任教官と父親の姿は、私はちょっと気を取られる。

 十歳以上離れている筈だけど、まるで学院の先輩後輩みたいな感じだ。

 

 そんな挨拶が終わった後、私は主役の出番だと言わんばかりに腕で促されて、教官達の前に出される。

 

「お父さん……」

 

 やっぱりどこか気不味くて、何を言っていいか分からなかった時、お父さんの大きな手が私の頭にのった。

 

「……三年振りか。大きくなったな」

 

 そして、二度ほど優しく撫でられる。人前だし普段なら絶対に恥ずかしいと思う筈なのに、何故か今日はとても嬉しかった。

 きっと、昼間エリオット君のお父さんを見たからかも、知れない。

 

「うん……前にお父さんが村に帰ってきた時ぶりだね。……その、元気?」

「こちらは問題ない。お前の方はどうだ?」

「うん、上手くやってるよ。友達もいっぱいできたし、授業や実習は大変だけど頑張ってる」

「そうか」

 

 一言だけど、とても嬉しそうに頷いたお父さんを見たら、実習先を聞いた時から気不味く思っていた事や他の心配事が嘘みたいに消えてゆく。

 

 ちゃんと会えて良かった。

 ついさっきまで色々と複雑な気分だったけれど、この機会をくれたナイトハルト教官には感謝しないと。きっと、昼間の受付の時に、察してくれたのだろう。

 

 見上げる私に気付いた教官は、いつも通りのお硬い表情で小さく頷いた。それが、ナイトハルト教官らしい優しさの表れである事はもう知っている。

 

「ま、座りましょう。飲む物も持ってきましたし」

「……酒ではないだろうな? サラ教官」

 

 ナイトハルト教官の疑いの眼差しに、サラ教官がお父さんと何故か私を交互に見る。

 助けを求めてる様にも思えたけど、飲める歳じゃない私からすれば全く関係ない。というか、お父さんをダシにお酒を飲みに来たんじゃないかという、疑惑すら浮かぶくらいだ。

 

「サラは相変わらずのようだな。まぁ、君が飲む分には別に止めはしないが」

「あ、なら……」

「サラ教官」

「……っち」

 

 この部屋の主であるお父さんの許可に、嬉々として袋から缶を取り出したサラ教官だけど、ナイトハルト教官がそんな風紀の乱れの極みたいな事を許す筈もなく、結局不満気に舌打ちするのだった。

 

 

 軍の支給品という事が良く分かる無骨な金属製のテーブルに、これまた簡素な造りの金属製の椅子。

 ひんやりとするそれに腰を落とした時、今までお父さんとの再会という事だけに囚われていた私は、この状況への正しい認識をすることになる。

 

 (生徒)お父さん(保護者)と教官が二人という面子、これは日曜学校の三者面談ならぬ、士官学院の四者面談じゃないかということに。

 

 ただでさえ成績が微妙な上に、親の耳に入って欲しくない後ろめたい事の多い私は、気を焦る思いで身構えていたけど――そっちは心配するだけ、損だった。

 

 だって、お父さんと教官達、私なんかそっちのけで話に興じてるんだから。

 

「ベアトリクス大佐もお元気か?」

「ええ」

「それはもう」

「大佐?」

 

 私の疑問に二人の教官が答えてくれる。

 保健室のベアトリクス教官は、昔正規軍で軍医大佐として名を馳せていたらしい。なんでも、ナイトハルト教官にとっては元上官で、サラ教官にとっては恩人らしい。

 

「お父さんとも知り合いなの?」

「以前、お世話になった事がある」

「へぇ……」

 

 意外な縁である。

 昔、正規軍の元帥であったヴァンダイク学院長の事を、お父さんが尊敬している事は知っていたけど。

 

「そういえば、さっき中将っていってましたけど……昼間お会いしたエリオット君のお父さんの事、ですよね?」

「ああ、クレイグ中将の事だ」

 

 ナイトハルト教官がしっかりと肯定してくれる。

 

「エリオット君のお父さん、じゃなかった、クレイグ中将とも、知り合いなの?」

「以前、俺が所属していた部隊の指揮を執られていた方だ」

「へぇ……まさかとは思ってたんだけど……」

 

 まさか本当に縁があったなんて。

 エリオット君との間に、思いもよらなかった昔からの繋がりがあった事に、私はちょっとだけ嬉しかった。

 

 

「それにしても驚いたぞ、サラ。君があのトールズ士官学院の教官になっていたとは。遊撃士は廃業したのか?」

「色々ありまして、今は休業中です」

「なるほど。察するに例の事件の影響か……。そういえば、彼も故国の軍に戻ったと聞いた。帝国だけではなく遊撃士協会全体としても痛手は大きいのだろうな」

「それはもう。ですが、期待の若いホープ達の活躍も聞きますし、協会全体としては当面問題はないでしょう」

「彼の娘さんか……あの子が……」

「そういえば……面識があるんでしたっけ?」

「……まぁ、随分と昔の事だが」

 

 お父さんがこちらを少し見た様な気がしたけど、私はサラ教官とお父さんの間で盛り上がる話に全くついて行けない。

 というか、二人が知り合いだったというのも先程聞いたばかりなのだ。なんで教官は教えてくれなかったのだろう。

 

 ……ってゆうか、なんか距離近いんですけど。

 教官のいつもと少し違うなんか嬉しそうな横顔に、私はどこかもやもやした気持ちになる。

 

「どうしたの?」

「いーえ」

「なになに、久しぶりのお父さんなのに、私達とばっかり話しちゃってるから妬いちゃった?」

 

 むっ。

 

「……べつに」

「ルカさん、ルカさん、娘さん、お父さんに甘えられなくて拗ねちゃってますよ」

「サラ教官、少し大人気ないぞ」

 

 かちーん。

 

「サラ教官……ウチのお父さん、”()()()”なんで。色目、使わないでください」

 

 ノンアルコールと言い張りながら先程開けた缶ビールを片手に咳込むサラ教官を無視して、私は畳みかける様に続けていく。

 

「な、なぁにいってくれちゃってるのよ!?」

「だいたい、教官の好みはナイスミドルのダンディなオジサマですよね」

 

 先月、エリオット君の家でフィオナさんにぐだぐだと話してた、サラ教官の理想の男性像を出してみる。

 

「うちのお父さん、別にナイスじゃないし、ダンディでもないですから」

 

 全然ナイスじゃない。こうしてナイトハルト教官みたいなイケメンの隣だと、身内という贔屓目で見ても、色々と見劣りするんだから。体格は現役軍人なだけあって引き締まってしっかりしてると思うけど、ダンディさは無いと思う。

 ま、ミドルだけは仕方ない。もう三十後半だし。十分、オッサンだ。

 

「私、お父さんの再婚を邪魔する気はないですけど。一人娘として、お父さんにちゃんと相応しい(ひと)かどうか見極める義務があるんです。っていうか、万が一にも、サラ教官みたいなだらしない人をお義母さんとか呼びたくないです」

 

 だって、うちの店の在庫すっからかんになりそうだし。

 

「ちょっと、なに本気で警戒してるのよ、アンタ。そりゃあ、恩人の一人だし、ちょっとイイかも、なんて思ってなくもないけど――あ、いえ? 違いますよ? そろそろアタシも婚期とか意識――じゃなくて!」

 

 やっぱりぃぃ!

 

 ぽろりと出てしまった本音らしい一言を取り繕うサラ教官。

 その慌てる姿が、私の女の勘が当たっていた事を証明していた。

 

「ダメです! ダメです! 絶対ダメです! お父さんは、”私とお母さんの”お父さんなんですから! 他の女になんかには絶対あげませんから!」

「少しは落ち着け、バカ娘が。……再婚などする訳ないだろう。それに、サラには本命もいるだろうに」

 

 絶対に譲れないもの為にヒートアップし過ぎた私だけど、お父さんの言葉にほっと胸を撫で下ろす。

 ってゆうか、サラ教官の本命って……誰?

 

「だが、サラ、お前そんなに焦ってるのか? 確かまだ()()()だろう?」

「失礼な! まだ()()()です!」

 

 歳を間違えられたサラ教官が、間髪入れずに訂正する。

 そんなに必死にならなくてもいいのに。

 

「四捨五入したら変わらないじゃん」

「ア、アンタねぇ……」

「……アゼリアーノ、真実といえども口にするのは時と場合を考えた方が良い。特に妙齢の女性が相手ならば尚の事だ」

「……少佐、喧嘩なら買いますよ?」

 

 ナイトハルト教官、尤もらしい忠告をしてきてくれるけど、教官のお言葉、そのままお返ししたいと思うのですが。

 

「大体、少佐も今年三十路ですよね?」

「……む」

「そろそろ、身を固めても良い歳なんじゃないですか?」

「余計なお世話だ、サラ教官」

 

 ナイトハルト教官は、いつもより硬めの仏頂面をサラ教官に向ける。

 

「丁度、医療大隊で初めてお会いした時のルカさん、今の少佐と同じ位の歳でしたけど、もうその頃にはエレナは十歳でしたよ」

「……まぁ、私の場合は若気の至りみたいなものです」

 

 そういえば、お父さんは結婚早かったんだなぁ、なんて思ってしまう。お母さんはちょっと年上だったって聞いてるけど。

 年上落とすとか、意外とリア充だったの。若い頃のうちのお父さん。

 

「そうそう、軍なんかにいたら、上官の娘さんの紹介とか色々あるんじゃないですか?」

「え、そうなんですか?」

「そりゃそうでしょ。軍ってそういう身内贔屓な所だし、超が付く程の優良物件な少佐なら、選り取り見取りでしょうよ」

「まったく……」

 

 付き合いきれん、と書いてありそうな顔のナイトハルト教官が小さく溜息を吐いた。

 

「で、でも、ナイトハルト教官の上官の娘さんっていったら――」

 

 今日会ったクレイグ中将の娘さんってことで、ってことは――

 

「――エリオット君のお姉さんのフィオナさん?」

 

 私が何気無く出した同級生のお姉さんの名前に、ナイトハルト教官の鉄壁の仏頂面が崩れた。

 

「あらら、これは図星かしらね」

「ふむ、クレイグ中将のお嬢さんか……」

 

 まさかのナイトハルト教官の浮いた話に、お父さんまで興味あり気だ。勿論、私も興味津々。だって、ナイトハルト教官がエリオット君の義理のお兄さんになるかも知れないという話なのだから。

 

「よくクレイグ家に出入りしてましたよね? 支部のあったアルト通りだと結構噂になってましたよ」

「うっ――私の事はいいでしょう」

「あ、逃げた」

「だめですよ、ナイトハルト教官、敵前逃亡はいけませんよ。さぁ、これで洗いざらい――」

「アゼリアーノ……」

 

 サラ教官が持って来た缶ビールをナイトハルト教官の前に差し出すと、絶対零度の視線が私を射抜いた。

 

「少佐に失礼だろう、バカ娘が」

「いてっ」

 

 お父さんに取り上げられた缶は、そのまま私のおでこにこつんとぶつけられる。

 

「……まぁ、早ければ良いという物でもないと思いますよ、少佐。私が見て来た中ですと、少佐の様に将来を嘱望される優秀な軍人は大体遅いものです」

 

 私が恨めし気に眺める中、お父さんはしっかりナイトハルト教官をフォローしていた。

 へぇ、優秀な軍人さんは結婚、遅いんだ。そういえば、クレア大尉も彼氏いないって言ってた。確かに、ナイトハルト教官もクレア大尉も、自分の恋愛なんてそっちのけで仕事一筋って感じだから、なんとなく納得出来る。

 

「……まぁ、サラ教官も焦りは禁物ですよ。『慎重に、確実に』ってサラ教官の口癖じゃないですか。ウチの不良中年なんかよりイイ人いっぱいいますから、ね?」

 

 お父さんの真似をして、私は隣のサラ教官をフォローしてみる。

 本命がいるらしいけど、もっとしっかり釘を刺しとかないと、という娘としての考えもあるけど。

 

「今日は妙に煽って来るわね……まぁ、いいわ。十年も経てば、どんだけ無神経な事言ってたか、身に染みる分かる筈よ」

「やめてくださいよ、そんな行き遅れする呪いの予言みたいな言い方」

 

 サラ教官に言われるとちょっと洒落になってない気がする。

 そんな私達のやり取りを聞いたいたらしいお父さんが、思い出したかのように口を開いた。

 

「……そういえば、フレールの件は残念だったな。俺もお袋もアイツにならお前と店の事を任せれたんだが」

「うっ……」

 

 まさか、思いもよらぬ方向からの、思いもよらぬネタに言葉が詰まる。教官達の結婚話の筈が、まさか私に飛び火するなんて。

 

「……まぁ、なんだ、出会いという物はある日突然訪れる物だ。お前にもいずれ良い相手が……」

「お父さんは心配しなくていいってば!」

 

 許嫁的な意味を持つ幼馴染だったフレールのせいで、今現在の嫁の貰い手が無くなったのは確かだけど、サラ教官の歳ならいざ知らず、十六歳でそんな心配を父親にして欲しくはない。

 

「実はですね。ルカさん、ここだけの話、娘さんと仲の良い男子生徒も何人か……」

「……ほう?」

「サラ教官!?」

 

 さっきの仕返しか、ニヤニヤしながらお父さんに変な事を吹き込もうとするサラ教官を慌てて止めるのだった。

 

 

「そういえば、お父さんって中隊長だったんだね。こっちに来て、意外と有名でびっくりしちゃった」

 

昼間に訪れた中央区画の受付の兵士達との話から察するに、エリオット君のお父さんと比べれば大して階級も高くもないのにも関わらず、うちのお父さんは意外と名前を知られている様な感じだった。

ここは万を優に超える軍人が居るガレリア要塞なのに。

 

「今まで知らなかったのか……?」

「興味なさそうだったものねぇ」

「そ、そんな事はないですよ!」

 

 今まで、お父さんの中尉という階級が、軍の中でどの位の地位にあるのかいまいち掴み切れていなかった。

 でも、中隊長という肩書から考えれば二つか三つの小隊を纏めて指揮する訳だから、百五十人位の部下がいるという事になる。

 結構すごいじゃん、なんて思ってしまうのだ。

 

「まったく、”まかり間違って”合格してしまったと言われる訳だな」

「うぅ……最初は、本当にそうだったけど!」

 

 村の知り合い曰く、『女神様が点数を書き換えてくれた奇跡』などと言いたい放題言われた私の士官学院の入試合格。

 当初こそ、大した目標すらなく学院生活をおくっていた私。

 でも、今は違うんだ。

 

「……今は、違う。ちゃんと私にも目標がある」

 

 私はまっすぐ、お父さんを見た。

 

「そうだな、アゼリアーノ。いい機会だろう、中尉に話してみるといい」

「そうね……確かに、一度話し合った方がいいわ」

 

 ナイトハルト教官とサラ教官が、私を促す。

 そう、私はこの事を話す為に、お父さんに会いたかった。

 

「お父さん、私、軍人になろうと思ってる! 鉄道憲兵隊に入りたいの!」

 

 軍人の親の後を継ぐ、それも名門士官学院に進学した娘が。それは、軍人にとって最も誇り高い事であると、昼間の兵士達は教えてくれた。

 なんだかんだいって、お父さんも、きっと喜んでくれる。

 

 そんな事を考えていたけど――お父さんの反応は私の想像したものと大きく違った。

 

「……駄目だ」

 

 怖い物でも見たかの様に、目を見開いていたお父さん。

 長い沈黙を打ち破ったのは、とても小さな声だった。

 

「えっ……?」

「俺は認めないぞ」

 

 顔を強張らせるお父さんは、私を見て明確に告げた。

 

「中尉……?」

「……ルカさん、ちょっとは聞いてあげませんか?」

「申し訳ない、少佐。これは私と娘の問題です。サラも口出しは無用だ」

 

 私の話をもっと聞くように促す教官達に、お父さんは口を挟むなと言い切る。

 

「なんで、反対なの……?」

「決まっている。軍はお前が考えているような生易しい場所ではない」

「わかってる……!」

 

 私だって何にも考えずにこんな事を口にしている訳ではない。

 先月、帝都を襲った《帝国解放戦線》のテロ――夏至祭の主要催事が襲撃され、皇女殿下達が誘拐された、あのテロで私達は現に戦ったのだ。

 それに、その一件の後でクレア大尉にも資質はあるって認められた。

 

「私はもう戦場で戦った! かなり危ない目にも遭ったけど、ちゃんとみんなと一緒に――」

「その認識が甘いと言っている!」

 

 突然、お父さんは声を荒げた。

 それは、私が初めて見る顔で、初めて聴く声だった。

 

「”戦場”を見た、戦っただと? あの程度の”事件”で”戦場”を語るな!」

「あの程度って! 先月の帝都は大変だったんだよ!?」

 

 実際にあの場所で戦ったからこそ、お父さんの言葉が許せなかった。

 気が付けば椅子から立っていて、私も負けない位に声を張り上げていた。

 

「第一師団が治安出動すらしなかった――帝都が、か?」

 

 先程とは打って変わって、冷めた声色。

 

「それは鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊が頑張ったから、私達Ⅶ組だって少しはその役に――」

「ならば、”戦場”ではなく、正規軍が、機甲師団が介入するまでもない”事件”だった、という事だろう」

「そんなこと……!」

 

 結果だけしか見てないから、お父さんはそう言えるんだ。

 大体、東部国境とはいえガレリア要塞という安全そうな場所に居たお父さんに何が解るっていうんだ。

 だけど、私は”結果”もまた重要である事を、クレア大尉から教えて貰っていた。

 

 だから、先月の事でこれ以上、反駁するのは辞めて、他の切り口に活路を見出そうとした。この国の常識とも言えるべきものに。

 

「お父さんは、私に後を継いで欲しいとか思わないの? 私、士官学院にいるんだよ。帝国軍人なら我が子に継いで欲しいって思うのが常識じゃないの?」

 

 だけど、良い反応はない。

 

「お前を授かって十六年、自らと同じ道を志して欲しいと思った事は一度たりとも無い」

 

 突き付けられた答えに、私は怯んだ。正直、そこまで明確に言い切られるとは思いもよらなかったから。

 

「建前ならいざ知らず、そんなつまらない理由で軍に進むというのなら――」

「後を継いで欲しくないなら、もう関係ない! 別にお父さんの後を継ぐ為に軍に入りたいんじゃない!」

 

 もういい、回りくどい事を言った私がバカだった。

 

「私は、私の大切な人達がいる、この帝国を守りたい! 守られるんじゃなくて、守りたい! それだけなんだから!」

 

 私が一番の想いを言い切った後、ほんの僅かな沈黙が訪れた。

 

「……所詮は一時の安い正義感に駆られているだけだ。今一度振り返って、よく考えなさい」

「違う! もう、私はなるって決めた! なんで分かってくれないの!?」

 

 座ったまま、何も聞かないとばかりに目を伏せるお父さんの姿に、抑えきれない感情が更に激しく弾けた。

 

「……バカ! お父さんのバカ!」

 

 勢い良く机を叩いた反動で、私が飲んでいた炭酸飲料の缶が倒れ、中身が零れる。

 

「認めないなんて知るか! 私もお父さんのように家出して軍人になってやる!」

 

 何も言ってこない事を良い事に、そんな事を言って。

 

「私知ってるんだから! お父さんが昔家出して、パルムで不良やってたって! 軍人に捕まって、赦して貰う代わりに軍に入ったんでしょ!」

 

 きっと、お父さんが触れられたくない昔の事を、お父さんを何故か慕ってるらしい教官達の前で暴露して。

 

「めったに家にも帰って来ないで、手紙も返さない癖に! ずっと私を放っておいて今更父親面しないでよ!」

 

 とっくに納得していた筈の事まで、ぶつけてしまって。

 

「お母さんが死んだ時も帰って来ないんだから、私なんてどうでもいいんでしょ!」

 

 思ってもなかった事まで、口から飛び出て。

 

 

 それでも何も言わないで、黙ったままのお父さんの姿に、私は怒りに任せるがままに部屋を飛び出していた。

 

 

 ・・・

 

 

「私が――」

 

 真っ先に席を立ったナイトハルトを制止したのは、サラの腕だった。

 

「サラ教官……」

「いまはそっとしておきましょう。それに、私達よりあの子達の方が適任でしょうし」

「……そうだな」

 

 先程の親子の怒鳴り合いに困惑を隠せずにいたナイトハルトと対照的に、サラは嫌に冷静であった。

 まるで、こうなる事がある程度分かっていたかの様に。

 

「見苦しい所を見せてしまいました。申し訳ない」

「アゼリアーノさん……」

 

 床に転がり落ちた缶を拾いながら、二人に謝る教え子の父親。

 思いもよらぬ展開にナイトハルトは、軍服に袖を通した軍人同士であるにも関わらず階級で呼ぶ事を失念する。

 

「あの子からまさか本気で軍を志す言葉が、それも鉄道憲兵隊の名前が出てくるとは思いもよりませんでした」

 

 静かな部屋に、缶がゴミ箱へと落ちる音だけが響く。

 

「これも、士官学院での成長という事なのでしょうな」

 

 席に戻った教え子の父親は、先程とは打って変わって落ち着いた、悪く言えば諦念めいた声色だった。

 

「ええ、エレナは――娘さんは大きく成長したと思います。この数か月、士官学院の仲間達と共に様々な事を見て、聞いて、自分なりに考えて。彼女は決して軽い気持ちではありません。担任教官として、それは保証します」

 

 と、サラ。

 

「私からも同じです。多少の問題行動こそありましたが、先月、帝都の事件以降、熱心に勉学・教練に打ち込んでいる姿が見受けられます。まだ、甘いとは思いますが、私も決意は認めるものです」

 

 それに、ナイトハルトも続いた。

 

「子供はいつの間にか大人になっていってしまうもの……ですな」

「アゼリアーノさん、帝国正規軍の士官としては――」

「喜ばしいこと、なのでしょう。あの何も考えていなかった、兄貴分の後ろを付いて歩くだけだった娘が、今や祖国の為を思うようになったのですから」

 

 言葉とは裏腹にどこか寂しそうな表情をしている様に、サラには思えた。

 

「女の子というのもあるのでしょう。同じ歳で軍に入った私より、余程しっかりした志を持っている――それは親として、素直に誇らしい」

 

 あくまで否定する訳ではない、そういう意図を感じさせる父親らしい言葉に、ナイトハルトは安堵する。

 

「軍人にしたくない――それが私の我儘であることは分かっているのです。だが、それでも、私は娘に、手を血に染めて欲しくはないのです」

「しかし、帝国を守るという崇高な使命を果たす以上、敵を相手にその様な事を仰るのはいかがなものかと思いますが……」

「確かに、敵もそうですが、そちらを心配しているのではありません。私が殺して欲しくないのは味方……そして、戦には無関係の人々なのです」

 

 目の前の教え子の父親から語る言葉に、サラはどうしても自らの姿を重ねてしまっていた。

 

「あの子は士官学院に進学してしまった。順当に行けば再来年に卒業して少尉任官です。その時点で、正規軍であれば数十名の上官となり部下の生命を預からなくてはならない」

 

 士官、かつては《貴族の義務》の一つであったその職責は、所属にもよるが軍に入ると同時に指揮官であることを求められる地位だ。

 

「数年で私の階級を越えてゆくでしょう。士官学校出と言う事は退役迄軍に留まり続ければ大佐は固い。数千の将兵を動かす軍の幹部も良いところです」

 

 兵卒や下士官と士官は大きな違いがある。サラは目の前に座る二人の帝国正規軍の軍人が、その事を正に物語っている様に感じた。

 

 ナイトハルトはサラとそう変わらない歳で少佐という階級にある。帝国正規軍の双璧と名高く、第四機甲師団のエースとして将来を嘱望される彼は、いずれ彼の上官を超えるのは間違いはないだろう。

 

 ルカ・アゼリアーノは正規軍の歴戦の勇士には違いない。二十年の軍歴において積み重ねられた戦功は、彼を一兵卒の入隊としては異例な士官まで到達させた。

 しかし、それは極めて特異的なものであり、士官学校を出ていない叩き上げの彼に、これ以上の出世は殆ど望めない。

 

「命令が絶対である軍では、例え部下を全員生きて還してやれないと分かっていても、国の為に遂行しなくてはならない任務があります」

 

 そこで、父親は目を伏せる。

 

「無論、民間人を巻き込むと分かっていても――」

 

 その言葉の重みが、サラには痛い程よく分かるのだ。何故なら、それこそがサラが遊撃士へと転身したきっかけとなったのだから。

 そして、目の前の歴戦の軍人は、本当の意味での”戦争”を経験しているのだ。

 

「この国の軍では、”戦場”は遠くない未来に必ず起こり得る事――」

 

 《革新派》と《貴族派》の衝突は遠くない、そんな中で軍に進むという事は、この帝国が戦場となる戦いに身を投じる事に他ならない。

 

「私は娘に、命を天秤にかける選択を強いる……それをいつか悔いてしまう日が来るかも知れない道を選ばせたくはない」

 

 サラにとっては、その姿が自らの父親と重なった。願いや想いこそ違えと、自らと同じ道を娘に選んで欲しくはない、という一点において。

 

「願わくば、私の妻、あの子の母親が最後まで全う出来なかった、平穏で幸福な人生を娘には送って欲しいのです」

 

 それが、父親の偽らざる本音である事は、誰が見ても明らかだった。

 

「だが、そんな幻想を願う私より、この”激動の時代”から目を背けず、立ち向かおうとする娘の方が余程、現実を見ているのでしょう――ですが、今の私には、父親として、あの子が望む言葉をかけてやることは出来そうにありません」

 

 覚悟を決めた様に唾を飲み込んだ父親は、二人の教官に深く頭を下げた。

 

「ナイトハルト()()、バレスタイン教官――どの様な道を目指すのであれ、今のあの子はまだ士官学院生です。失礼な所も多々ある不出来な娘ですが、どうか今後ともあの子を導いてやってください」

 

 頭を下げ続ける父親に、サラとナイトハルトは頷く。

 

「ふふ、クレイグ中将といい父親というのも難儀なものですね」

「そうだな……」

 

 サラの言葉にナイトハルトも同意する。

 二人の教え子の父親達。片や息子に軍人の道を強いることに苦悩し、片や娘が軍人の道を志したことに苦悩する、全く正反対ながらも同じく軍に身を置く二人の父親。

 

「……中将閣下も?」

「ほんと、もう少し娘さんと連絡を取り合った方がいいと思いますよ?」

 

 色々面白い事になりそうですし、とサラは付け加え、ナイトハルトに含みのある視線を送る。

 ナイトハルトはその視線の意味を理解しなかったが、サラはあるかも知れない将来に小さく微笑む。

 

「ま、子供もいない事ですし、今晩は飲みましょう。一応、ノンアルコールとやらも貰ってきてるので、気分だけでも」

 

 そう言って、サラは向かいの二人に缶を差し出す。

 

「この面子で飲むなんて、次はいつになるか分かりませんから」

 

 そんな言い方をされてしまえば、ナイトハルトも止める事は出来ないのだった。

 

 

 ・・・

 

 

「それにしても……アゼリアーノさん、お嬢さんの話は本当なのですか……?」

「……恥ずかしながら、事実です。軍の基地に盗みに入った所でヘタを踏んで捕まりましてね」

「ふふーん、私は知ってましたけどね」

 

 自慢気な顔を向けるサラに、ナイトハルトはあまり良い気分になれない。

 軍規を重んじる帝国軍人が、仮にも入隊前とはいえ、犯罪に手を染めていたというセンシティブな話なのだ。

 それも、その当事者は、ナイトハルトにとっては軍で初めて配属された部隊の先任として指導役であった軍人である。

 

「なんでも、少年窃盗団とか率いてて、捕まった時も仲間を逃がす為に囮になったんですよね?」

「……サラ、恥ずかしいからよしてくれ」

「いやいや、帝国協会では有名な話ですよ。二十年前、遊撃士ですら捕まえられなかったパルムの凄腕の少年窃盗団……以前、帝国時報が《怪盗B》に関連があるとか記事に書いてましたけど、そこの所どうなんです?」

 

 サラにとっては、あくまで元遊撃士としての興味本位ではあったが、唐突に出た《怪盗B》の名に、ナイトハルトはその表情を硬くする。そして、無言でサラと視線を交した。

 

「……一人、すこぶる手癖の悪い奴がいてな。何かと危うい奴だったから目をかけていたが……まぁ、過ぎた話だな……」

 

 缶に目を落としながら二十年以上前の昔語りをする教え子の父親。

 その姿に、二人は彼が何も知らない事を理解した。

 

「いずれにしろ、准将、いや、今は更に遥か雲の上のお方だが……悪童共の頭として粋がっていた私を叩き直して、違う道を示してくださったあの方には感謝してもしきれません」

「その准将という方は……?」

 

 この昔話の顛末を知るサラにとっては、その人物の名も良く知るものであった。

 

「……既に軍からは離れられていますが、私の恩人である事には変わりません――現帝国政府代表、ギリアス・オズボーン宰相閣下です」




こんばんは、rairaです。
今回は8月30日、第五章の特別実習の三日目の午後~夜のお話となります。

サブタイトル「二人の父親」の通り、エリオットパパことクレイグ中将と本作品の主人公エレナの父親ルカ・アゼリアーノのお話でした。
学院祭とその後において出番の多いクレイグ中将と異なり、五章以降の出番が無いエレナの父親に、これでもかと配分が偏り気味ではありますが…。

今回のお話は、主人公エレナにとってある意味で最も重要なエピソードとして、連載開始当初から用意していた構想でありましたが、「Ⅲ」第三章で明かされたサラのエピソードが思いの外マッチングしていたので、思わず組み込んでしまいました。

次回は翌8月31日、《帝国解放戦線》によるガレリア要塞襲撃事件・前編の予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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