七耀歴1204年7月26日、帝都ヘイムダル同時多発テロ事件が発生。
――本日十五時、帝都にて反帝国勢力が武装蜂起。既に鎮圧す――
帝国政府より発せられた第一報は、有線導力通信網を経て帝国全土に衝撃を走らせた。
『死者0人、被害軽微。三殿下はご無事』――その数時間後、主要都市部にて整備が進みつつある導力ラジオ放送を通じて帝国政府の発表が放送され、鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊の尽力により犠牲者を出さずにテロリストを撃退したと公表、同時に『許し難い暴挙』を行ったテロリストを激しく非難した。
二日後。
列車が到着する度に、人波は喧騒と共に巨大な駅舎のホールへと押し寄せた。それは、暫く経つとまるで本物の海の引き波のように反対に向かうものへと変わってゆく。それが幾重にも重なってホールを常に人で満たしていた。
すべての終着駅と起点駅を兼ねる帝都駅ならではの不規則に見えて案外規則的な光景を一通り眺めた後、ホール中央の時計台へと目を移す。
導力銃を構えて目を光らせている灰色の軍服の兵士達の頭の上、導力革命黎明期に輸入された古風な意匠の導力式時計の文字盤が、約束の時間までまだ十五分以上もある事を私に教えてくれる。
小さく溜息を付いて辺りを見渡した時、ふとある広告が目に付いた。
――帝都同時多発テロ・詳細続報 帝国政府公式発表 = 帝国時報社――
ヘイムダル中央駅の中の売店には沢山の量の新聞がラックに入って陳列されている。夏至祭で賑わう白昼の帝都のど真ん中でのテロ、アルフィン殿下の拉致という前代未聞の大事件があったのだから、無理もない。
それに付け加えて、帝国の鉄道網の中心であるこの駅の各地から帝都を訪れる様々な人が利用するという場所柄、帝国で最も有名な全国紙でもある帝国時報、庶民向けの帝都のタブロイド紙やゴシップ誌、貴族向けの高級紙や経済専門誌は勿論の事、各州の有力な地方紙もしっかりと取り揃えられている。その中には私もそれなりに名前を聞くサザーラント州の地方紙や、更にラックの隅の隅の端っこ、ほんの数部ではあるが遠くクロスベル州の名前を冠した新聞まであった。一応、大陸横断鉄道で直接繋がっているとは言え、あんな遠くの州のまでと来ると感心してしまう。いや、それとも大陸有数の大都市であるクロスベルが凄いのだろうか。
まあ、それでも故郷で大人達がいつも読んでいたパルム市の地方紙は流石にローカル過ぎて無い。
仕方の無い事ではあるけど、時々こういう所で自分がどれ程田舎者なのかを実感させられてしまい、ちょっとだけ落ち込んだりもしてしまう。
まだまだ時間もあることだし、暇潰しには良いかと思って、その中から明らかに一番並んでいる部数の多い帝国時報に手を伸ばしてから暫し思案する。
そういえば、ユーシスが朝買って来てガイウスと一緒に読んでいた様な気がした。それに、帝国時報ならいつも読んでいる愛読者のリィンとも今日は後で会うのだし、気になるなら聞けば良いだけの話だ。
新聞の話とかしたら、ちょっと見直されるかも知れないなんて事も頭の隅で考えて、私は結局サザーラントの地方紙《ラ・アルテッツァ・ビアンコ》を手に取った。今まで読んだことはないけど、多分トリスタではお目にかかれ無さそうに思えたから。
とりあえず暇潰しに一面だけでも――そんな軽い気持ちで紙面に目を運んだ私は、一瞬、自分の目を疑った。
『激震から二日、未だ続く混乱』、そんな目を引く大きな見出しと、一面にでかでかと載る大きな写真は爆煙に包まれる帝都競馬場。その下には小見出しで『警備体制に不備か・帝国政府は責任の所在を明らかにせよ』、と。
まるで大惨事が起きたかの様な見出しと写真を見せられ、信じられないという気持ちで記事の小さな文字を読み走った。
一面にはサザーラント州の有力地方紙なだけあって、昨日付けで発表されたハイアームズ侯爵閣下直々の声明。
『危険に晒された三殿下、特にアルフィン殿下の無事に心から安堵した』という出だしから始まり、帝都市民への見舞いの言葉等、穏健な当主として知られる侯爵様らしかったが、後半部は『逆賊』という強い言葉まで用いてテロリスト《帝国解放戦線》を非難している。
あのパトリック様のお父さんとは思えない程正しさと慈愛に満ちた侯爵様の声明は私ももっともだと思うし領民としても誇らしいが、問題は記事だ。
先ず写真のチョイスと見出しを見れば、これを見た十人中九人は帝都でとんでもない大惨事があったと思うだろう。分からなかった一人はただのバカだ。
紙面上で語る論客は、テロを未然に防げなかった事を理由に逆に帝国政府と鉄道憲兵隊を批判し、その内の一人、侯爵家の関係者で帝国議会の貴族院議員は再来月に招集される議会で《革新派》の責任問題として追求すると名言している。
まだ小脇に載る西部ラマール州の統括者であるカイエン公の『秩序を乱す脅威に対し貴族連合は一致して断固たる行動を取らねばならない』という言葉の方がまだ好感がもてるくらいだ。
現場にいる私が知る限り、情報こそ正しいものではある。しかし、書き方一つでここ迄印象が変わるのかと驚かされる。
気付かない内に、紙面を持つ手が小さく震えていた。
確かにテロを防げなかったというだけで、批判を浴びてしかるべきなのかも知れない。でも、この南部方言で《高貴なる白》という意味を表すセントアーク市の地方紙の論調の理由は、それだけではない。
でも、みんな、あんなに頑張ってたのに――。
「すみません、お待たせしてしまいました」
「あっ……」
頭の中で思い起こしていた待ち人の突然の声に、驚いて振り向く。
声の主は帝国正規軍・鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト大尉。彼女と会うのはテロが会った日以来、丁度一昨日振りだった。
・・・
「どうかしましたか?」
「その……少し、意外というか……」
私がクレア大尉に連れられて入ったのは、帝都駅内にあるリーズナブルな庶民的レストラン。見渡す限り店内は殆ど男性客で、運ばれてきた料理はどちらかと言うと質より量と言った雰囲気の肉や野菜が挟み込まれたサンドイッチ。
最初にお店に入る時は帝都料理ということで体が警戒したけど、見た目に反して中々美味しい。
しかし、”出来る女性”という言葉がこれ程まで似合うクレア大尉の事だから、お洒落なテラスカフェでさも優雅にランチ……なんて考えていた予想は見事に裏切られてしまっていた。ただ、一緒に食べる立場であればこっちの方が断然気が楽なので、ある意味では良かったとも思える。
「デスクワークも多いですが、任務で現場へ向かう事もそれなりにある私達にとって身体は資本ですから」
「なるほど……このお店は大尉の行きつけだったりするんですか?」
「いえ、どちらかというと私の知り合いがよく利用しているお店です」
普段は鉄道憲兵隊の司令所に併設された職員食堂で食事を済まる事が多いので、そう続けた大尉に私はちょっと親近感が湧いた。なぜならシャロンさんが第三学生寮に来るまでは私もほぼ毎日が《キルシェ》と学食だったのだから。
「それで、私に話が有るということでしたが……」
「あ……」
本題に入ろうと促す大尉に、私はこんな話をしている場合じゃない事を思い出す。
「……やはり、フレール・ボースンさんの件でしょうか?」
少し言いづらそうに一拍置いた大尉が口にした事は、私にとって全く予想もしなかった内容。
「違うのですか?私はその件についての説明を求められるものかと思っていました」
硬い表情で瞼を伏せる大尉に、私は反射的に声を上げていた
「いえ、説明ってもう沢山して貰ったじゃないですか!クレア大尉のお陰でフレールの取り調べもすぐに終わりましたし……私は大尉に感謝していますし……」
あの後、私達B班は皇太子殿下のバルフレイム宮への到着をもって警備への協力活動を終了した。
ただ、鉄道憲兵隊の協力要請を受けた士官候補生という立場で戦闘を行った私達Ⅶ組はともかく、ミサの参加者であったフレールが私を助ける為にあの場で戦闘行為に及んだ事は小さくない問題を引き起こしてしまう。
アルフィン殿下とエリゼちゃんの救出成功のA班からの知らせにを喜んだのも付かぬ間、フレールに鉄道憲兵隊の兵士達は同行を求めたのだ。理由は、民間人の戦闘行為と逃走したテロリストの人相等の聴取。あの場を助けてくれた命の恩人への信じられない対応に冷静さを失った私は激昂して兵士達に掴みかかるが、すぐにアリサ達に制止され、他ならぬフレールの言葉で諌められた。
彼は問題になる事を承知で私を助けてくれたのだ。
「……そう言って頂けると幸いです」
「彼も……仕方の無い事だと理解はしていたと思います」
「そうですか」
あくまで形式だけだったらしい取り調べから解放されたフレールの第一声は『だからあいつら等は嫌いなんだ』だった。やはり領邦軍に身を置く以上はそれなりに衝突している関係の鉄道憲兵隊に良い印象は抱いていない様だけど、それでも、立場が逆なら領邦軍も同じ事をしているという旨もぼやいていた。
《革新派》と《貴族派》の対立が深まる中では、仕方の無い事というのは理解は出来る。でも、納得出来るかと言えば別だ。
どうして協力できないのだろう。帝都のテロという事件を経て、あの地方紙を読んで、その思いは更に強くなる。
「あの……クレア大尉」
目の前の彼女の名前を呼んで、今日この場を設けて貰った本当の理由を私は続けた。
「鉄道憲兵隊に入るにはどうしたらいいんですか?」
それ程、私の口から出た言葉は意外だったのだろうか。こんな驚く顔を浮かべた大尉を見たのは初めてだった。
「私、今回の件で大尉達と一緒に戦って、この国を守りたいって思ったんです。ずっと続くと思っていた日常は、本当はいつ崩されてもおかしくない脆いものだと知りました……」
私はクレア大尉の目を見ながら、あの戦いの中で感じた事を口にする。驚きを隠せないといった様子だった大尉も、いつしか真摯に聞いてくれていた。
「ですから、もっともっと勉強して頭良くなって、特訓もして強くなって……その……大尉の様に帝国を守る一線に立ちたいんです!」
「……なるほど」
頷いた大尉はそう呟いてから、小さく困ったような笑みを漏らした。
「ですが、そこまで言われてしまうと……少し面映ゆいですね」
クレア大尉は二つの道を私に提示してくれた。
一つはクレア大尉のように士官学校卒業と共に鉄道憲兵隊を直接志望する道。トールズも士官学校の一つなので進もうと思えば私にも可能性はあるけど、帝国各地の士官学校や軍学校から集まる志願者に対して鉄道憲兵隊が採用するのはほんの一握りで、それも、各種様々な試験で実力を示した優秀な候補者のみという狭き門。
それに対してもう一つの道は、鉄道憲兵隊が帝国正規軍の最精鋭部隊と云われる所以でもある、正規軍からの編入。
実際に軍務に就いている現役正規軍軍人から志願や選抜を経て編入するというもので、鉄道憲兵隊の現役隊員の九割以上がこの方法で入隊しており、こちらも毎年選考を行っている。もっとも厳しい選考検査があるのは変わらないみたいだが。
もう一つ正確には民間経由という道もあり、鉄道憲兵隊で運用する装備の整備関連に携わる導力技術に精通した隊員もいるようだが、こちらは私の目指す道とは少し違う気がする。
「そう難しく考えないで下さい。エレナさんはトールズの学院生ですし、仮に直接志望されてもある程度努力すれば筆記試験は特に問題にはならないと思います。後は身体能力を含めて独自の任務への適性ということになりますが……」
途中にかなり引っ掛かる言葉はあったけど、この際そこに突っ込むのは野暮だろう。一応、ある程度努力すればという仮定付きではあるし。
「適性、ですか?」
「そうですね……例えばですが、今回のテロの実行犯である《帝国解放戦線》。エレナさんは彼らについてどう考えますか?」
「……えっと……」
「ほんの推理ゲームの様なものです。思ったこと、そのままでいいですよ」
まさか、そんな事を問われるなんて思わなかった。
先ず一番最初に、許せないという思いと怒りの感情が私の心に火を付けた。
次に、あの男の素顔を思い出す。
そして、狂気に歪んだ顔で私に短剣を突き立てる顔が鮮明に蘇り、真夏だというのに思わず身震いした。
「……普通の人……でしょうか……」
あの男も本当は普通の人なんだと思う。どうしてあんな凶行に身を投じたのだろうか。
「テロリストなんて庇う気は全く無いですし、帝都市民に犠牲者が出なかったのは、クレア大尉達の尽力があったからだと思ってます。でも……それ以上に、テロリストと言う割にはあまり被害が出ないようにしていた様な気がするというか……それこそ、オズボーン宰相を……」
暗殺すれば――。
「……あれ?」
《帝国解放戦線》の首領を名乗る《C》という仮面の男は『度し難き独裁者に鉄槌を下す』と宣言したらしい。オズボーン宰相を狙っている事は間違いないのにも拘らず、彼らは帝都競馬場、ヘイムダル大聖堂、園遊会といった帝国の皇族の三殿下を襲撃してアルフィン殿下を拉致した。
目的がどこかで変わっている様な気がする。『鉄槌を下す』と言いながら、まるでオズボーン宰相を政治的に排除しようとしている気がした。それとも、また別の目的があるの?
《G》、ギデオンと名乗る帝国解放戦線の幹部は先月末、ノルド高原で帝国と共和国両方の軍事施設に攻撃を仕掛けて軍事衝突危機を起こした。それは一体何故なのだろう。ノルド高原で戦争が起きればどうなっていたの?
分からない。
四月のケルディックの件にも彼は関わっている様な口振りだったと聞いている。あの件は、増税に取り下げを求める大市の陳情に対してのアルバレア公爵家の嫌がらせの一環だった。そんな中で雇われた野盗達の黒幕だったと考えられるが、一体どういう意味が――。
そして、二日前のテロ――あのテロが起きた事によって何が変わったのだろう。
残念ながら結果的に《革新派》の政治的失点となり、《貴族派》を勢い付かせたのは確かかも知れない、特に地方から見れば――私は隣の椅子に無造作に置いた、買わざるを得なくなる程皺を付けてしまった新聞に目をやった。
テロ対策を理由にした領邦軍の動員と更なる増強――《革新派》の不手際を追求――全く聞いて呆れそうになる。むざむざ皇女殿下を誘拐されたのは鉄道憲兵隊ではなくて園遊会を警備していた領邦軍の精鋭とか言う近衛軍じゃないか――え?領邦軍?
――領邦軍に顔の効く旦那――三か月前、いまこうして昼食を共にしているクレア大尉と初めて会った日の出来事を思い出し、野盗達の一人の言葉が脳内に木霊する。
そういえば、鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊が協力して警備体制を敷く中、近衛軍は”園遊会の警備管轄を固持”しているという話も聞いた。
「えっと……大尉、まさか……」
「……流石ですね」
そうか、私は今分かった。フレールが同行を求められたもう一つの理由も。
《帝国解放戦線》は《貴族派》と繋がっている可能性がある。少なくとも幹部の一人は確定的にクロイツェン州領邦軍に顔が利き、アルバレア公爵家の思惑に利する行動をとっていたのだ。
そして今回、彼らの本命の目標となったのはラマール州領邦軍の精鋭が集まる近衛軍が警備管轄を固持していたマーテル公園の園遊会。
なにより、《帝国解放戦線》の目的が《貴族派》の利益と一致するのだ。オズボーン宰相と激しく対立しているのは他ならぬ《四大名門》に率いられた《貴族派》であり、《革新派》の筆頭であり中心でもあるオズボーン宰相の排除は今や《貴族派》が最も熱望している事かもしれない。
「……その、合格……ですか?」
「ええ、充分です」
恐る恐る尋ねた私に小さく頷いてくれるクレア大尉。憧れの大尉に認められたような気がして嬉しいが、”推理ゲーム”の題材となった重い現実を考えると心境は複雑で素直に喜ぶ訳にはいかない。
「ですが、今一度良く考えてみてはどうでしょう。国を護るというのであれば、正規軍や領邦軍、帝都憲兵隊……帝国政府の各省庁も含まれるでしょう。組織としてのあり方こそ違いますが、サラさんと同じ道もあると思います」
「……そう、ですよね。こんな私なんかじゃ……」
だけど、その後に続いた大尉の予想外の言葉に、まるで冷水を浴びさせられたように気持ちが萎んでいく。それと共に、視線が膝へと落ちる。
そう言われても仕方ない。私は勉強もそんなに出来ないし、武術もリィンやラウラ、フィーの様に輝けるものを持っている訳ではない。
大体、鉄道憲兵隊は帝国正規軍の最精鋭部隊。テロリスト一人相手に負ける私の様な間抜けは、相応しくないと思われて当然だ。
でも、初めて自分が見つけた将来への道を簡単には捨てれなかった。
「でも、私は……本気なんです」
顔を上げてクレア大尉を真っ直ぐ見る。視線と視線が交差した先で、大尉はすまなそうな表情を浮かべていた。
「誤解を招くような言い方をしてしまいましたね……申し訳ありません。あくまで先輩……年長者としての意見でした」
「……え?」
「個人的には優秀な学生に鉄道憲兵隊を志望して貰えることは嬉しく思います。しかし、私達は平時においても厳しい任務に従事することになりますし、何よりもこの情勢下では”敵”も必然的に多いでしょう。同郷の知り合いや――将来的にトールズの同窓生とも職務上で対立することになるかも知れません」
「……ぁ……」
鉄道憲兵隊に要らないという意味合いではなく、少なくとも半分は私を思ってくれての言葉だった。
今まで私が進路として考えてきた帝国正規軍でも関係は悪いのに、国内の治安維持を主任務とする鉄道憲兵隊はもはや領邦軍と敵対とでも言うべき関係だ。丁度、ケルディックの件の時の様に衝突することも多いと聞く。
もし、鉄道憲兵隊に入ればいつの日かフレールと対峙する未来もあるかも知れない――でも、それはもう分かっていたことだった。鉄道憲兵隊を目指すということは、即ち《革新派》と《貴族派》の対立に身を投じる意味であるのは私でも分かる。
私にその覚悟は――……。
口に出そうとした時、突然《ARCUS》の電子音が鳴った。
「……そろそろ時間ですね」と呟いたクレア大尉が《ARCUS》を開いて音を止める。導力通信の着信音では無く、設定した時刻を知らせるアラーム機能の音だった様だ。
そして、席を立とうとする大尉に私は立ち上がって頭を下げた。
「お忙しいのにすみません……私の話なんかにお時間を割いて貰って、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、久し振りに楽しく思えた昼食でした。また機会がありましたらご一緒しましょう」
機会、あるのかなぁ。
クレア大尉は社交辞令的な意味合いで言ったと思うけど、私はどうしても期待してしまいそうだった。
「あ、大尉……!」
呼び止めたはいいものの、その続きの言葉が喉から出ない。
「どうかしましたか?」
「……また、会って話せますか……?」
何よりあんな事があった後では今後、大尉は相当多忙だと想像するのは容易い。今日だってまだ夏至祭期間中であり、多分無理して付き合ってくれている筈だ。それなのに、更にこんな我儘まで許されるのだろうか。
軽く後悔しながら、少し目線を上にして大尉の顔を窺った。
本日三度目のクレア大尉の驚いた顔が大人のお姉さんの微笑みに変わると、彼女は小さなカードとペンを取り出し、テーブルの上で何かを書き記し始める。
そして、何かを書き終わると共にそれを私に手渡した。
帝国正規軍と鉄道憲兵隊の紋章、所属部隊と階級、そして”クレア・リーヴェルト”と印刷された名刺。その裏側には、何処かで見たような十桁の数列が印刷よりも綺麗な字で記されていた。
「私の《ARCUS》の番号です――エレナさんが本当に私達と同じ道を志すのであればご一報下さい。私も個人的に力になりたいと思います」
・・・
帝都駅前の広場を歩いて私は一人東口のトラム乗り場へと向かう。
特別実習は今日で五日目。ほぼ毎日この場所を通っているからこそ分かることだが、帝都はあのテロが嘘だったかの様に落ち着きを取り戻していた。そして、夏至祭最終日だというのにもう既に多くの背広を着たビジネスマンを見かけることも、更に普段通りの街並みに拍車を掛けていた。
丁度やって来た路面列車の姿に思わず足を早め、駆け足でその車両へと乗り込む。運転手さんに行き先を告げて、ポケットから取り出した五十ミラ硬貨を料金箱へと放り込み、車内を見渡して席を物色。一番後ろの端の席に腰掛けるのと同じタイミングで、発車を伝える運転手のアナウンスがあり、車両は振動と共に動き出す。
最初は結構戸惑った導力トラムだが、もう慣れたもんだ。
あまり人が乗っていない事を良い事に、思いっ切り窓ガラスに寄り掛かる。そして、この夏の刺すような暑さの中で小さな清涼感を求めて頬をガラス窓へくっ付けた。
帝都駅前からゆっくりとヴァンクール大通りを進む路面鉄道。車窓に流れる帝都の中心街の街並みに、二日前の記憶が思い起こされてゆく。
あの日は、色々な事があった。
帝都競馬場の爆発、大切な仲間を失うかと思った恐怖。そして、オリヴァルト殿下とミュラー少佐と共にこの通りを馬で駆けた私達。
そして、ヘイムダル大聖堂での再会と……あの出来事。
あんなことになったのはほぼ私のせいだから。私がもっと強ければ彼に余計な心配をかける事もなく、窮地に陥ることもなかった。
テロリストを見つけた時にも応援を呼ぶなりすれば良かったのだ。確実な作戦遂行の為に、不確定要素が強くなる単独行動は出来る限り避けるというのは軍事学の授業や戦術実習でも基礎中の基礎として教えられていたのだから、一人で対応したのがそもそもの間違いである。
私にどうやっても言い逃れできない落ち度があるからこそ、取り調べを受けるフレールをシェリーさんと一緒に待っていた時はとても気不味かった。本当は私に言いたい事の一つや二つはある筈なのに、彼女は何も言わないで平静な様子を貫いていたのも、気不味さに拍車を掛けていた。
それに、私にとってはそれ以上に彼女に罪悪感を感じる後ろめたいこともあったから。
一昨日の事を思い出すと、今でも少し寂しく感じる。
『彼は常に余裕ぶっていますが、私から見れば人一倍危なっかしくて、放っておけないのです。彼、一人だとどんな無茶をしでかすか分かりませんから』
シェリーさんが小さく語った言葉に、私は自分と彼女の明確な差を知った。
私はフレールお兄ちゃんとしての姿を見上げる事ばかりで、結局最後まで憧れの背中を追っていただけ。
でも、シェリーさんはあのフレールが心に抱える物を知って、支えようとしていた。
その差は、とても大きくて、私は心の底から彼女が、彼の傍に本当に居るべき人だという事を認めるしかなかった。
運転手さんの声がアルト通りの停留所が近付いている事を知らせ、路面列車が減速してゆく。
停留所の傍に見慣れた赤毛の頭を見た時、もう一度、後悔の念に駆られた。エリオット君の時もそうだ――私はずっと自分の事ばかりで、人の事なんて置き去り。優しくしてくれる人に甘えるだけの身体だけ大きな子供だった。
そんな子供が、”人を支える”なんて思える筈がないじゃないか。
・・・
停留所からほんのすぐ、前に来た喫茶店の隣の隣に立つ家で彼は足を止めた。
そのお家の門構えは立派で、お庭には色とりどりの綺麗なお花や植物が沢山育てられている。エリオット君の家族はガーデニングが趣味なのかも。鉢植えなんて朝顔ぐらいしかなくて、アイビーの木蔦に半分程覆われているうちの家とは大違いだ。
「ここだよ」
私は自分の実家より遥かに大きなお家を見上げた。邸宅以上お屋敷未満といった所のお家は私からすればまるで豪邸だ。
帝都のアルト通りは裕福な住宅街という話は前に来た時にアンゼリカ先輩から聞いていたし、エリオット君の家もお父さんが帝国正規軍の中でも名の知れた将官。
やっぱりお金持ちなんだろうなぁ、なんて心の中で考えてしまう。
扉を開け、「ただいま、姉さん」と帰宅を伝えるエリオット君。
初めてのクラスメートのお家に少し緊張しながら、彼に続いて玄関の中に脚を進める。
「あら?」
「え?」
そんな私を出迎えてくれた”エリオット君のお姉さん”と顔を見合わせた瞬間、お互いに思わず変な声を出してしまっていた。
菫色の透き通った瞳をぱちくりさせて驚くお姉さんの姿は、《星の在り処》の美しくも寂しいピアノの旋律と共に鮮明に覚えている。
そう、つい先週、アンゼリカ先輩の行きつけらしいアルト通りの音楽喫茶《エトワール》で私達にピアノを弾いてくれた店員さんだったのだ。
「驚いたよ、まさかエレナが姉さんに会ったことがあったなんて」
私も驚いたよ、と心の中で呟きながら隣のエリオット君に笑顔を取り繕う。今思えば確かに似ているし、ピアノっていう共通点もあったけど流石に予想外だった。
「私もエリオットのクラスメートの”エレナさん”が、アンゼリカちゃんの意中の子だったなんて思わなかったわ。ふふ、すごい偶然ね」
「え、えっと、色々違う所があるっていうか……」
苦笑いがどんどん乾いてゆく。身から出た錆、自業自得なのだけど、フィオナさんの中での私は大分誤解されている。大方、アレな子に思われていそう、うん、話していて分かる間違いない。
”授業をサボって真っ昼間から遊び呆ける子”とか”アンゼリカ先輩の意中の子”という時点で色々と致命的だが、それを除いても音楽喫茶では小っ恥ずかしい事ばかりだったのだ。こうやって思い出すだけでも顔が熱くなりそう。
ああもう、何やってるんだ先々週の私は。アンゼリカ先輩にホイホイ付いて行った代償をこんな所でも払わされるなんて。
「まあ、あのセンパイの事だからそこら辺分かってたと思うけど」
ああ、確かに。フィーの言葉に私は同意せざるを得なかった。
エリオット君のお姉さんがいると知って、あそこに連れて行ったんだ。うん、なんか間違い無さそう。でも、一体どうして……?
少し考えてから、私は首を振って考えるのを辞めた。アンゼリカ先輩の考える事なんて私が分かる訳が無い。そう思えばすんなりと諦めれるのも、流石はアンゼリカ先輩と言うべき所かもしれない。
夏至祭最終日ということもあって今日の特別実習は午前中のみ、午後は元々の予定で自由時間とされていた。それを聞いたエリオット君のお姉さんがB班の私達を含めたⅦ組全員を晩ご飯に招いてくれたのだ。ちなみに今、この家にいるのは私とエリオット君とフィオナさん、そして、仲直りしてから息ぴったりのラウラとフィーの五人だけ。クレア大尉との予定があった私をここまで案内する為に残っていたエリオット君、フィオナさんのお手伝いという名目のラウラとフィー以外のⅦ組の皆は今晩の食材の買い出しに出向いているらしい。
皆で買い出しというのも楽しそうに思う。忙しい学院生活では中々無さそうな出来事を逃したのは、ちょっと勿体無いかも知れない。
まあでも、その代わりにこうして五人でお菓子片手にのんびりとティータイムを楽しめているのだから悪くはない。
まだ温かいということは出来たてなのだろう。手作り感のあるクッキーを手に取って見てから、これを作ってくれたと思われるフィオナさんを眺める。
誰が見ても美人と言うこと間違い無しのお姉さんは、ラウラとフィーによると夏至祭初日は喫茶店の前で売り子さんをやっていて街の人に大人気だったのだとか。
フィオナさんはエリオット君や家族の話を私達に楽しそうに話し、私達は私達で学院の日々を話題にする。時々、恥ずかしい昔話や寮での出来事に顔を赤らめて慌てて止めるエリオット君は面白いし、可愛いかったり。
前々から彼と話している時にお姉さんの話がそれなり出ることのでなんとなく感じてはいたけど、こうして目の前で見るとクレイグ家の姉弟仲は本当に良いみたいだ。良過ぎるといっても過言ではないかも知れない。エリオット君も少し恥ずかしそうにしているけど、思ってた通りに結構お姉ちゃんっ子だし、フィオナさんはフィオナさんでエリオット君にべったりだ。
……羨ましいなぁ。
仲の良い姉弟の姿を微笑ましくも、羨ましく思いながら見ていると、丁度目が合ってしまった。
「あ……ごめんなさい、私ばかり話してしまってて」
「いえ……羨ましいなぁ……って思ってました」
視線に気付いたフィオナさんが恥ずかしそうにはにかみ、私はそれに本心から笑って応えると、目の前のエリオット君が「え?」と、首を傾げた。
「まあ、分かるかも」
「ふむ、確かにな」
こっちの二人は私の気持ちを分かってくれたみたいだ。ラウラは一人っ子だという話だったし、フィーはちょっと分からないけど、猟兵団という話を聞く限り男所帯なのだろうと思う。まぁ、今でこそサラ教官やエマなんかはちょっとお姉ちゃんっぽいけど、多分、ここに居る私達三人には姉という存在はあまり縁がなかったのだ。
だからこそ、エリオット君のようにお姉ちゃんがいて仲が良いというのは結構羨しかった。
でも、実際にお姉ちゃんのいるエリオット君にはそれが当たり前。私のそんな気持ちは分からないようで、いまだ不思議そうな顔をこちらに向けている。
「優しいし、こんな美味しいクッキーも作ってくれるし……私もフィオナさんみたいなお姉ちゃん、欲しいなぁって思って」
本音だけど、いざ口にすると少し気恥ずかしい。
私も妹にしてくれないかな。
ほら、皇女殿下もリィンに『リィン兄様とお呼びしてもよろしいでしょうか?』なんて仰っていたし。私もフレールがいるから、それなりに……いや、お兄ちゃんとお姉ちゃんじゃ結構違うかもしれないけど……一応、妹には変わりはないし――。
お姉ちゃんがいるって楽しそうだなぁ、なんて妄想を膨らませていた私を一気に現実に戻したのはフィオナさんの素っ頓狂な声だった。
「ええっ……やっぱり、そうなの!?」
笑われるかもとは思っていたけど、予想外のフィオナさんの反応に置いてけぼりにされる私。
思わず目の前のエリオット君を見るが、彼も彼で状況を理解出来ているとは思えない困惑した顔で、私はラウラとフィーに視線を走らせる。
なんか不味い事を口走ったのだろうか。
「エレナ、大胆」
「ふ、ふむ……驚いたな……。そういった物事には順序があると聞くが……こういうのも……うん……」
「は……?……えぇ!?」
フィーの直球と、顔をほんのりと赤らめて、なにやら言いずらそうにするラウラ。
二人のめったに見ない反応に、私はやっと自分が口にした言葉の違う意味を理解して、カッと顔が熱くなった。
「……エリオットからの手紙によく女の子の名前が出るから、もしかしたらって思ってはいたけど……ぐすん……でも、もうエリオットもお姉ちゃん離れの年頃だし……そうね、彼女さんが出来てもおかしくないわよね……」
違う、違う、違う!
お姉ちゃんが、羨ましいって意味で、義姉ちゃんが欲しいって意味じゃ……!
それじゃ、まるで私が、弟さんを私に下さいって私が……うわあああぁぁっ!
「……でも、まだ結婚は早いと思うの……お父さんにも知らせなきゃいけないし……」
口をぱくぱくさせるだけで反論が声に出ない私の前で、寂しそうにしょんぼりとしながらも、とんでもない方向に話を飛躍させ続けるフィオナさん。
その言葉が、もうなんというかそれ過ぎて、あまりの恥ずかしさに身体中の血が沸騰して今にも顔が爆発しそうだ。
「ち、ちょっと姉さん!?ち、違うからね!?」
状況について行けてなかったエリオット君も、今のフィオナさんの言葉を聞いて分からないわけがない。今日一番の真っ赤な顔で、隣に座る実の姉の誤解を大慌てで解こうとする。
「そ、その、そういう関係じゃ、ないです!」
エリオット君のお陰か、私もやっと口から言葉が出た。めっちゃ噛み噛みだけど。
「そうだよ!エレナはただのクラスメートだってば!」
彼の言葉に合わせて何度も首を振って、私も必死に肯定する。
だけど、誤解を解かなくてはいけないと思う一方、どうしてか胸の片隅がもやもやしていた。言葉には出来そうにもない複雑な気持ちがちょっとずつ生まれた。
やっぱり、ただのクラスメートって言い切られたのは、少し複雑だった。
こんばんは、rairaです。
閃Ⅱでクロウ先輩が使えるようになると聞いて歓喜してしまいました。
クロチルダさんとアルティナも気になりますけど、やっぱり一番は先輩です。苦笑
さて、今回は《帝国解放戦線》による帝都夏至祭テロの二日後、7月28日のお話となります。
前半部はクレア大尉と一対一という珍しい組み合わせとなりました。テロという転換点を経て、エレナも遂に明確な意志を持って軍への進路を明確にしました。
後半はクレイグ家訪問で誤解されるの巻です。まだラウラとフィー以外のⅦ組メンバーは出てきていませんが、次回はサラを含めて久し振りのⅦ組全員集合となる予定です。
…書きたい事が多過ぎるのか、また一話、五章が遠のいてしまいました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。