光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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7月25日 小さな異国の館

 帝都の西の繁華街であるヴェスタ通りから導力トラムで五分、距離は三十セルジュ程。

 帝都都心方面へ向かう対向線のトラムの車両が朝の通勤客でこれでもかという位に寿司詰めになっている光景に目を見開くこと数回、対向線を走る車両とは対照的に乗客は少ない私達の乗った来た西回りのトラムは、サンクト地区の停留所へ到着した。

 

 昨日の夕方にも小さなアクシデントから少々歩くこととなったサンクト地区ではあったものの、こうして街を歩いてみると夕方と朝ではまた印象も変わる。

 

 帝都北西部のサンクト地区は《帝都の白い塔》こと七耀教会ヘイムダル大聖堂を有する街区であり、ここからでも朝日に照らされる大聖堂の白い二つの塔を目にすることが出来る。もっとも、大聖堂は昨日の午後から夏至祭の行事の準備という名目で閉鎖されており、今日の私達の用事はまた別の場所だ。

 

 ヴェスタ通りの賑やかなメインストリートから続く通りは、この街区に入る頃には完全にその雰囲気を落ち着かせており、西側が少し小高い丘となった閑静な住宅街という印象だ。

 街路樹がしっかりと整備された通りに面する建物は大きく、それぞれがしっかりとした高級感を漂わせる。近くで見れば見る程、それらは特別な空気を感じさせる。

 

 ここは所謂、帝都有数の高級住宅街。帝都在住の貴族や政府官僚に軍高官、大企業の役員等が多く私邸を構える街区でもあるのだ。その他にも女学院といった上流階級の子女の通う教育機関や――

 

「着いたか」

「ええ、ここですね」

 

 最早、私達の案内人とでも呼べそうな地図係になってしまったエマが、地図を確認して頷く。

 

 しっかりとした石造りの門構えにしては中の建物は思ってたより小さい。敷地内に沢山植えられた針葉樹の木によって建物迄の道は林道の様で、まるで森の中に佇むお屋敷の様に感じさせた。

 

 そして、鉄柵の門に掲げられていた見覚えのある紋章に目が吸い寄せられる。

 

 ここが…。

 

 二日目に用意された課題の内容を見た時、私は驚きの余りに眠気が一気に吹き飛んだ。

 依頼内容は『とある人物についての所在確認調査』。どちらかといえば帝都憲兵のお仕事なのではないかという気もするが、仕事内容自体は何も問題はない。

 

 ただ、私にとって問題だったのは依頼主だった。

 

「――リベール王国大使館ね」

 

 アリサの声に私は唾を飲み込む。

 

 在エレボニア帝国リベール王国大使館――そう、私の視線の先にあるシロハヤブサを象った国章の下に記されていた。

 ここは私のお母さんの母国である国の、帝国における代表のいる場所だった。

 

 そして、私はここに来たことがある。初めてこの帝都ヘイムダルを訪れた時に。

 

 もう一度唾を飲み混んでから、意を決して私は足を踏み入れた。

 

 

 ・・・

 

 

 私達は大使館の二階にある一室に通され、そこで今回の依頼の担当者を待っていた。

 外国の大使館の個室なんて私のような一般人にとっては滅多に入る事は無さそうな場所ではあるが、何故か想像通りの質素な部屋だった。但し、質素ながらも気品を兼ね備えている辺りが、この館の主である国柄を象徴しているのだろう。多分、帝国の建物であればこうはならないと思う。

 

 この部屋に通されてから、私はどこか落ち着かなかった。

 向かいの壁に掛けられた絵に、何故か見覚えを感じたのだ。白い街並みが特徴的な港町が水平線に沈む夕日に照らされる情景が描かれた絵画。

 

 一体、何故――この建物の玄関や入ってすぐの窓口、二階に上がる階段――そのどれもがどこか見覚えがあった。間違いなく私はここに来ている。

 だけど、私の両親は何の為に私をこの場所に連れてきたのか。

 

「お待たせしてしまってすまない。今日は人が出払ってしまって忙しくてね。僕が担当の者だ」

 

 ソファーに腰を掛けていた私達は立ち上がり、彼に会釈をする。

 

 一瞬、私の事を知っている十三年前に会った人が来ることを危惧し、心臓が跳ね上がった。しかし、目の前の大使館員の男性は明らかに二十代後半位、お役人さんにしては体格は良いが十三年前も働いていたとは考え難い若い人だった。

 

 流石に、私の考え過ぎかも知れない。普通に考えれば、十三年前、三歳の私を一度見ただけで、今の十六歳の私と同一人物だと判断するなんてまず無理だ。

 やっとそんな当たり前の事に気付く程余裕を失くした自分が、急に馬鹿らしくなった。

 

「さて、今回私達から――」

「あの……その前に一ついいですか?」

 

 アリサが申し訳無さそうに遮ると、大使館員は「ああ、いいとも」と気の良さそうに返してくれた。

 

「ええっと、大使館の所在確認というのは、リベール人の方を探すということですよね?」

 

「ああ」と肯定する大使館員にアリサは、公的な捜査機関に依頼しないのかという、この依頼内容を見た時から私達にとって大きな疑問を口にする。

 

「勿論、重大な案件であれば、僕達も直接帝国政府に要請するよ。ただ、今回の案件はそれ程大事ではないんだ」

 

 リベールの大使館が本来所在調査を開始するのは半年以上外国で行方が分からない場合のみで、家族の要請を受けてに限るのだという。

 今回の案件も家族からの要請を受けて調査を開始したのだが、すぐに帝国への入国記録やその他の宿泊や鉄道への乗車記録が出てきた為に大使館が保護しなくてはならない程の差し迫った状況ではないと早々に把握出来てしまったのだという。

 ただ、心配している家族を安心させるという意味合いで、連絡を取るように促すと共に外国旅行での注意も行いたい、という大使館側の思惑があるだという。

 

「――という訳で個人的に親しくさせて貰っているレーグニッツ知事閣下に何か良い方法は無いか頼んでみた所、丁度君達を紹介されたということさ」

 

 ああ、なるほど。確かに私達への依頼ということはマキアスのお父さんが選んだのだ。そういう抜かりはまず無さそうだ。

「これで納得してもらえたかな?」、と笑いかけてくる彼に私達は頷くのであった。

 

「じゃあ、詳細を……。一週間前、我が国リベール本国で王都グランセル市東街区に住む男性の所在確認調査の要請があった。もう半年以上もの間、自宅に帰って来ない男性の事を両親が流石に心配した様でね」

 

 流石に半年も連絡無しというのは心配しない方がおかしい。

 まあ、うちのお父さんも半年ぐらい連絡を寄越さないけど、そっちの場合は何かあったら軍から連絡が来る筈だ。勿論、私はそれが来ないことをずっと信じてるけど。

 

「王国政府からの情報では、彼は今年のニ月にグランセル国際空港より出国、空路でクロスベル自治州へ向かった。自治州政府によると彼は五月に帝国東部方面への大陸横断鉄道のチケットを購入しており、大陸横断鉄道公社は当日の乗車を確認している」

 

 そこで彼は一拍置いた。

 

「勿論、帝国政府の入管当局もクロスベル駐在の入国臨検官が車内で彼らの入国を確認しているよ。彼らの行き先はクロイツェン州バリアハートに向かったみたいだ」

「えっと、今”彼ら”って言いましたか?」

 

 突っ込んだのはエマだった。

 

「ああ、そうなんだ。二人組で旅をしているようでね――今は帝都にいる。こちらも調べは付いていて帝都南東のオスト地区の宿酒場に宿泊しているみたいだ」

 

 うん? なんとなく思い当たりが――リベール人……クロスベル……五月……バリアハート……彼ら、そして、帝都――。

 

「彼の名前はアントン、22歳。旅行にはリックスという同行者もいるようだ」

「「やっぱり……」」

 

 私とエマはお互いに溜息を付く。

 なんとも言えない空気が場を満たした。想像通りなのに、あまり嬉しさが無いのはどういう事だろうか。

 

「広場で会った彼らか」

「あの人達ね……」

「フン、何かと縁があるようだな?」

 

 ユーシスはこっちを見るのはやめて欲しい。

 

「あれ、もしかして君達は彼と知り合いなのかい?」

 

 ユーシスの視線を見てか、大使館員も心なしか私を向いているような気がした。

 

「知り合いといえば知り合いかもしれませんね……以前、バリアハートでお会いしたことがあります。昨日の午前中にもドライケルス広場で会ったばかりですね……」

「いやぁ、偶然のめぐり合わせもあるんだねぇ。じゃあ、君達に頼んで結果的に良かったみたいだね」

 

 エマの言葉に早い解決の道筋が見えて気を良くしたのか、にこやかに笑う大使館員。

 

 そこで、扉が鳴り、一人のスーツ姿の男が入って来た。ご丁寧にも私達に一礼してこちらに近づく彼は、”書記官”と呼ばれた目の前の大使館員より遥かにお役人然としている。

 

「――事務官、シモン様より導力通信が入っております。後、本国から例の件について――」

「朝早くから苦労してるみたいだね。わかった、すぐ行くよ」

 

「承知しました」と一言、告げた男は私達に再び一礼して部屋を後にした。

 

「申し訳無いけど今日は僕も忙しくてね。ここで失礼させて貰おう。宜しく頼むよ、トールズ士官学院1年Ⅶ組の諸君」

 

 

 ・・・

 

 

 サンクト地区は比較的帝都都心部に近いとはいえ区分上は北西部であり、私達の探す二人が宿泊する宿のあるオスト地区は帝都南東部外縁部の街区。

 つまり、帝都のまるっきり正反対に位置する街区であった。東回りの導力トラムを使ってもそれはもう一時間近く掛かるし、かといって歩くのはかなりに無謀だ。第一、オスト地区は本来リィン達A班の担当地区なのだから遠くて当たり前だろう。

 

 そこで、私達は宿を尋ねる前にまず昨日彼らと遭遇したドライケルス広場に足を運んだのだが、驚くことになんとこれが大当たりだったのである。

 

 広場の名の由来である大帝の像。その台座の傍に居る二人組の男の姿を見つけた私は彼の名を呼んだ。

 

「アントンさん!」

「エ、エレナちゃん!? ああ、女神様ありがとうご――」

「アントンさん、私と一緒に大使館に行きましょう」

「え――」

 

 アントンの顔が固まった。そして、次の瞬間に今まで見たことも無い程の喜び表情と共に歓喜の声を上げたのだ。

 

「あ、アントン……さん……?」

 

 最早言葉にならない喜び方に、私は思わず足が後ずさりするのを感じる。

 そんな私とアントンさんの間に「あんたは下がってなさい」と、その身体を割り込ませて来たのはアリサ。

 

「はいはい。アントンさんだっけ? リベール王国大使館より貴方に出頭要請よ」

 

 彼女の声は途中からいくらかトーンが低くなる。

 

「これが大使館からの書類です」

 

 エマが渡したのは担当のあの大使館員の人から受け取った手書きの書類。あくまで”任意での出頭を求める”以上の内容は記されていないが、在エレボニア帝国リベール王国大使館の正式な印と担当者署名まである立派な公文書だ。領邦軍等の逮捕状や捜査令状と違い法的効力は全くないものではあるが、それでもアントンさんには効果は抜群だったようだ。みるみるうちに彼は顔を青くして、怯え始めた。

 

「出頭!? 僕、何か悪い事したのかい!? ま、まさか――」

「オレ達と一緒に来て貰えると助かる」

 

 そう、ガイウスがアントンさんの後ろから肩を叩いたのと同時に、彼は叫び声を上げた。

 

「な、何をするんだ!? ねえリックス、何か言ってよ!」

「心を落ち着けろよ、アントン。そんなに喚いたって何がどうなるものでもないだろ」

「僕たち、このままでいいの!?」

「これはアントンの問題だろ?」

「嫌だぁ! みんな助けてー! 僕はここにいるよー! 助けてー!」

「喧しいぞ。大人しくしないか」

 

 夏至祭前日で観光客の多いドライケルス広場に悲鳴が上がり、何事かと集まる辺りの人の視線が痛い。傍から見たら外国人旅行者を集団で脅す不良学生――といった所だろうか。課題とはいえ損な役回りである。

 アリサ達三人がアントンさんを取り囲んで連れて行く光景を横目に、私は別に驚いている様子もない彼の相方に声を掛けた。

 

「えっと、リックスさんは――」

「ああ、ご一緒させて貰おうかな。はは、アントンといるとほんとに退屈しないよ」

 

 リックスさんの返事に彼が相変わらず楽しんでいる事を察して少し呆れてから、アリサ達とアントンさんの後に続いて私は導力トラム乗り場へと足を進めた。

 その時、私はユーシスの鋭い視線を再び背中に感じていた。

 

「フン……」

 

 

 ・・・

 

 

 古い据置型の導力式時計が懐かしい音で時刻を知らせる。

 

「カール・レーグニッツ、やはり油断ならぬ男だな」

 

 十回目の鐘の音が鳴り終わった後、大使館内のロビーにあるソファーに腰掛けていたユーシスが、アントンさん達が入った部屋の扉を一瞥してそう呟いた。

 

「ユーシス、ちょっと言い過ぎじゃないかしら?」

「そうですよ、昨日も直接お会いした時に……」

 

 そんな彼に目を細めたのはアリサとエマ。

 カール・レーグニッツ帝都知事は革新派の大物政治家だ。しかし、その前に私達Ⅶ組の仲間であるマキアスのお父さんでもあるのだ。

 

「フン……お前たちはこの依頼、上手く出来過ぎていると思わないのか」

 

 アリサが素っ頓狂な声を上げる。エマとガイウスは黙ったままだが、それはユーシスに続けるように促しているようだった。

 

「かの帝都知事閣下は少なくとも俺達の中の二人が彼らと面識がある事を知っていて、この課題を入れてきたのだろう」

「あ……」

「なるほど」

 

 士官学院の常任理事であるレーグニッツ知事は私達の特別実習のレポートを毎回目を通していると昨日語っていた。

 五月の特別実習のA班のレポートには、オーロックス砦でのアントンさんの自称遭難の事も勿論書かれている。一応、外国人旅行者の保護として特別実習の加点要素だったと記憶していた。

 

「ついでに、昨日俺達がドライケルス広場で顔を合わせたのも計算済みかもしれんな」

「何故だ? そこまで把握出来るとは流石に思えんが……」

「彼らの泊まっていた宿が俺達の担当街区では無いからだ。先に皇宮前に俺達が向かう事は想像するに容易い」

「なるほどな……確かに一理あるな」

 

 自らの疑問に答えたるユーシスに頷くガイウス。エマは何か躊躇いがちな表情を浮かべる。

 

「そして、帝都の長たる行政長官と外国の在外公館職員が『個人的に親しい』ときている」

「大使館主催のパーティとかもあるでしょう?帝都に所在するのだから知事が招かれる事も十分考えられる筈よ」

「あの大使館員は”書記官”だと言っていたか。真偽の程は定かではないが、一年前に赴任してきたばかりの大使館でも下位の人間と懇意にしているというのは不思議なものだな」

 

 反論したアリサはユーシスに向けて言い過ぎだという顔こそ崩さないものの、考えれば考える程違和感は強まるばかりの状況であるのは彼女も分かっている。今度は何も返さないのがその証拠だ。

 

「まあ、その意図は把握しかねるが――」

 

 そこで、ユーシスの視線が私に向けられる。

 

「な、何?」

「フン……まさかな」

 

 いつもながらに失礼なユーシスに文句を言おうとソファーを立とうとした時、アントンさん達のいる部屋の扉が開く音がした。

 そこから、まずリックスさんが。続いて、すっかり気落ちした様子のアントンさんが姿を現した。

 

「では、帝国での滞在はまだ続けるんですね?」

「ああ、まだ本当の僕を見つけれてないからね……」

 

 エマに応えるアントンさんの声はとても弱々しいものだった。

 

「お金が無くて飛行船のチケットが買えないだけだろう。アントン」

「リックスはいっつもそうやって僕の事を……」

「あれだけ怒られといて反省しないなんて、やっぱりアントンはアントンだな」

「お、怒られたんですか?」

 

 リックスさんの言葉に私は思わず口を挟んでしまった。

 

「はは……結構怒られちゃったよ。旅行を続けるのもいいけど、いい年して実家に連絡ぐらい怠るとはどういう事だって……結構おっかない人だったよ」

 

 ブルブルと文字が見える位に身体を震えさすアントンさんを見ると気の毒になる。あの大使館員の人、私達にはとっても優しかったのに。

 

「はぁ……なんでこんなに僕はダメなんだろう……」

「アントンさん……」

 

 深い溜息とともに肩を落とすアントンさんに、皆が同情の視線を送る。でも、ユーシスは未だ冷ややかな視線だ。

 リックスさんは……なんだろう、ニヒルさ具合が更に磨きが掛かっている気がする。

 

「ほら、元気出してください。親御さんも心配するのは当たり前ですし……今回は大使館側も配慮して帝都憲兵に要請を出さなかったので特に大きな問題になる事も無かったじゃないですか」

 

 帝国は外国人に非常に厳しい国である。仮に帝都憲兵や領邦軍といった治安機関のお世話になれば、不祥事を起こしたと見なされて最悪は国外退去処分となる可能性もあったのだ。それを免れただけでも幸運だったと言えるだろう。

 

「うう……僕の人生は常にトライ&エラー……」

 

 窓の外、明後日の方向を向くアントンさんは今にも何処かに消えていってしまいそうだ。

 

「……エレナちゃんとはもっと違う理由で大使館に来たかったのに……」

「……ええっと?」

「決まってるじゃないか!一緒にリベールに行く時の……あれ、でも……?」

 

 そこで彼は何かに気付いたような神妙な顔をした。

 

「エレナちゃんって別に大使館に来なくてもリベールに来れるよね?」

「え、どうして――あ……」

 

 アントンさんの言葉を問い返した私は、直後に彼の言葉の意味を悟った。

 

 外国に入国する為には行き先の国の大使館の発行する査証が必要だ。勿論、リベールも。

 査証無しの理由なんて、いくつかの特別な理由を除けばほぼ一つしかあり得ない。

 

「フン……なるほど」

「違うの!」

 

 ユーシスの鋭い視線に私は声を張り上げた。

 

「何が違うのだ?」

 

 何も違わない。

 十三年前の私が何の為に帝国に初めて来た時に、この場所に連れられたのか。

 本来は帝都は乗り換えの為に下車するだけ、時間的問題で宿泊することになったとしても用があるのはホテルだけだ。なぜ、リベールの大使館に用事があったのだろうか。お母さんの事?勿論、お母さんはリベール人だからそれもあるかも知れない。でも、私は今日この大使館に足を踏み入れ、あの日の断片的な記憶を手にしていた。あの絵の飾られた二階の部屋、そして、古い導力カメラのフラッシュの光。

 

 私は認めたくはなかった。ずっと私は帝国人だと思っていたのに。

 もし私の推測が正しいのであれば、お父さんとお母さんを恨みたい。いや、正しいだろう。そうでなければ、この場所の記憶なんてある訳が無いのだ。

 

 私はリベールの国籍を持っている。つまり、リベール人なんだ。

 帝国人でありながら、リベール人でもある。

 

「どういうことですか?」

「ふむ……?」

「大使館に来なくてもって……あ、そっか……」

 

 エマが、ガイウスが、アリサが口々に呟く。アリサの表情が変わった事に、私は彼女にも気付かれてしまった事を悟る。

 

「違うの! 隠してたわけじゃないの! 私は……」

 

 知らなかったんだ。

 お母さんは確かにリベールの人。でも、私の中のリベールとの関わりは、それこそお母さんから受け継いだ血位で、実際は殆ど無いと思っていた。

 しかし、国籍を持っているとなれば、それは更に大きな意味を持つ。

 血を引き継いでる位であれ程まで悩み、恐れたのだ。国籍という、他国の国民の証を持っている――もう、言い訳すら出来ないではないか。

 

「私は……私っ……」

 

 どうしても言葉が詰まる。そんな私の目の前にアリサがしゃがみ込み、膝の上の握り締めた私の拳を彼女の暖かい手が包んだ。

 そして、彼女の透き通った真紅の瞳が優しく促す。

 

「――やっぱり怖かったの……戦争から十年以上も経つけど、あの戦争で傷を負った人は帝国には多い。その人達に私は恨まれたくない……」

 

 ブリオニア島で出会ったアルマンさんの顔が浮かぶ。彼はあの戦争で大きな傷を負った傷痍兵で、戦後も地獄の様な日々を送ったと語った。何かが一つ違えば、彼に私は憎まれていたかも知れないのだ。

 

「勿論、みんながそんな事は無いって、思ってるし……信じてるけど……。もし、それでも違ったらって思うと、やっぱりどうしても不安になって……私は、Ⅶ組の誰にも嫌われたくないから……」

 

 先月の夕日の落ちかけた屋上で、私はガイウスに気付かされた。それでも、まだあと一歩を踏み出せず、リィンの様に、あるいはフィーの様に自らを明かすことは出来ないでいた。どうしても私は臆病過ぎて、失いたくない大切な存在を失う不安から逃げたくて。

 昨日、エリオット君のお父さんが《赤毛のクレイグ》と渾名される高名な軍人と聞いたのもそれに拍車をかけたかもしれない。

 

「……だから、ごめん……ごめんなさい……私は……」

 

 俯いた私の視界が急に暗くなったと思えば、アリサの胸の中に抱かれていた。

 

「大丈夫、大丈夫よ。私達は何があっても貴女の味方だから」

 

 私の髪をアリサの手が撫でた。

 暫くして、暖かい彼女の身体が離れると、名残惜しさに私は顔を上げた。すぐ目の前に彼女の顔、私の両肩に置かれた彼女の手。

 

「やっと、話してくれたわね」

 

 私と同じ位童顔なのに、優しく微笑んだ彼女は間違いなくお姉さんだった。

 

「……アリサぁ……」

 

 本当は私より小さい筈なのに何故かとても頼もしく感じる背中に、私は両腕を回して抱き締めた。

 

 アリサの手が、私の背中を優しく叩く。

 まるで泣いている赤ちゃんをあやすように。

 

「フン……やはりな。大方そんな所だろうとは思っていたぞ」

 

 ユーシスがアリサに抱き付く私を見下ろす。

 

「……ええ?」

 

 その疑問に答えたのは、私の耳元に近すぎて少しくぐもった声。

 

「知ってたのよ、みんな」

「……うそ、そんな……」

 

 拍子抜けだ。だけど、口から出た言葉とは裏腹に、私はとても安堵に浸っていた。

 

「えっとね、実はあの実技テストの日の後に、元気の無い二人の事について話し合ったりした事もあったのよ」

 

 多分、私とリィンの事。

 そこまで、言ってアリサは私から少し身体を離した。先程と同じ様に、くっ付くんじゃないかと思う位近い距離で彼女は笑う。

 

「ほら、やっぱり大切な仲間だもの。心配する気持ちはみんな同じなのよ」

 

 彼女が続けた言葉に、私は胸が再び熱くなるのを感じた。そして、ちょっと気恥ずかしさも。

 

「それに……皆それぞれ抱えるものはありますから」

「フフ、だから言っただろう。『皆も同じ気持ちだろう』と」

 

 エマの真面目さを残す微笑み、ガイウスの優しい笑顔。

 そして、私はユーシスに顔を向けた。

 

「フン……大して取り柄の無いお前から、煩さまで取ったら何が残る?」

「ユーシス、あなたねぇ……」

 

 アリサが振り返り、ユーシスはきまりの悪そうに顔を背ける。数秒後に彼が発した声は本当に小さかった。

 

「……あまり心配を掛けさせるな。阿呆が」

 

 ほんのちょっとだけ、潤んで熱くなった目尻から涙が溢れた。

 でも、これは嬉し涙だ。そう自信を持って言える。

 

 

 ・・・

 

 

 私達は大柄な大使館員の笑顔で見送られ、大使館の敷地を門に向けて歩いていた。入った時は色々な事を考え過ぎていてあっという間だった石畳の道も、こうして歩くと案外長いことに気付く。

 少し前でアリサとエマとガイウスが次の課題の内容の話題を話している中、私は少し距離を取って彼女達の背中を追う様に後ろから歩いていた。

 

 綺麗に手入れをされた庭園の端、小さな池に何か懐かしいものを見た気がしたその時、真上から聞こえた鳥の鳴き声に私は空を仰いだ。

 針葉樹が貫く夏空を白い鳥が私達と反対方向に飛び去ってゆく。

 私は思わず後ろを振り返って、大使館の三階へと消えていった白い鳥を見届ける。

 

「シロハヤブサ――リベールの象徴か」

「うん……そうだね」

 

 ユーシスの声に私は正門の方向へ向き直り、再び足を動かす。

 少しの間の後、彼は再び口を開いた。

 

「お前は軍人志望だったな?」

「うん、そうだけど……」

「ならば、母親から貰ったリベールの血を引く確かな証を捨てる事になるぞ」

 

 それは、分かっている。

 皇帝陛下と帝国に絶対の忠誠を誓わなくてはいけない帝国正規軍の軍人が、他国籍を併せて持つ事などあり得ない。だから私は卒業と共に訪れるであろう任官までに、自らの意志でリベールの国籍を放棄する必要があるのだ。例えそれが自分のもう片方のルーツであったとしても。

 

「無論、移民国家である共和国と違い、帝国が重国籍を認める事は一切無いだろうが――」

 

 しかし、私はユーシスの続く言葉を聞くこと無く、首を横に振る。

 そして、それ程悩む事も無く自然に答えた。

 

「私は帝国で生まれて、帝国で育った、一人の帝国人」

 

 私の生まれたあの寒い場所は帝国の北西準州。その後、移り住んだ地、私の中での故郷は帝国南部サザーラント州の辺境の漁村リフージョ。

 

「お父さんとお母さんが何を思って私をこの場所に連れてきたかは分からないけど――」

 

 大使館の正門、帝国の中心たる帝都の一角にある小さな外国の地から、一歩、踏み出す。

 帝都サンクト地区の白い化粧石の歩道へ。

 

「――選択する必要も無い位に、最初から私の答えは決まってた」

 

 

 ・・・

 

 

【おまけ】

 

「ねえ、リックス?」

「なんだい、アントン」

「僕の事、忘れられていないかな?」

「なんだ、アントン。今更気づいたのか? 大体、そんなのいつもの話じゃないか」

「……あれ、どうしたんだろう……何だか胸が苦しいよ……僕の存在意義っていったい何なんだい?」

「さあね」

「……惨めだ……もう起き上がる気力もないよ……」

「だけど、今回は珍しくアントンが役に立ったじゃないか」

「!!!」「ふ、ふふふ……ははは、これでも僕だからね!」

「まあ、あの発言は相当軽率だったけどな」

「今は晴れ晴れとした気分だよ! よ、よーし! がんばるぞー!」

「まあ、なんにせよ元気を取り戻したようで嬉しいよ」

 




こんばんは、rairaです。

さて、今回は7月25日、第四章の特別実習のニ日目の午前中の前半のお話となります。

遂にここで主人公エレナが今まで隠しに隠して来た自らの出自の事、Ⅶ組の皆にバレてしまいます。実際はもう殆どバレされていたのですけど、まあ一応はアントンのお陰ですね。

二章のバリアハートの特別実習初日から考えると、随分長く掛かったと思い感慨深いです。
何はともあれ、完全に受け入れられた事でエレナは今後、よりⅦ組の一員らしくなっていく予定です。

稀に見るお姉さんなアリサですが、当初はこの役はエマかガイウスを考えていました。ただ、よく考えたらエマさんはまだまだ隠し事が多過ぎるのですよね…。苦笑

次回は7月25日、特別実習の二日目の午前中のお話です。またまた、ある人と再会する予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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