光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

30 / 80
5月30日 仲間と共に

「……ったぁ……」

 

 膝が痛い。手のひらも痛い。脚も痛い。

 当然だ。あれほど全速力で走っていたのだから。

 

 こんな時に転ぶだなんて、本当にタイミングが悪すぎる。自分がちょっとドン臭いのは重々承知だが、女神様も何もこんな時まで転ばせなくても――。

 

(そっか……逃げ遅れたんだ。)

 

 地下水道の石畳の道の先にはⅦ組のみんながおり、それぞれ深刻そうな顔で私を見ているのだろう。

 

 こみ上げる悔しい思いに痛みの引かない拳を石畳の床に叩きつけようとした時――大きな足音と影が差した。

 

(ふ、踏まれる!?)

 

 私のすぐ横を巨大な狼の毛もくじゃらの脚が凄まじい早さで通り過ぎ、私を見るⅦ組のみんなを目掛けて走り去ってゆく。

 

 リィンの、エマの私を呼ぶ声がする中、そして背後にもう一方の巨大な気配を感じて、肩越しにゆっくり恐る恐る振り向く。

 

 鎧姿の赤茶色の毛並みの巨大な狼。

 

 いつまでも座り込んでいる訳にはいかない。

 

「ははっ……まじで、これ、いったいよ……」

 

 痛む掌で擦りむいた膝を押さえ、立ち上がって私は声を上げた。

 

「私は大丈夫だからっ! みんな逃げて! 駅で合流しよ!」

 

 そうみんなのいる方向に叫ぶと、私は背中を向けた。

 きっとリィンは怒るだろう。エマは心配するだろう。ユーシスもマキアスも……フィーも。

 

 いざとなったら、水路に飛び込もう。下手すれば流れに巻き込まれて溺れるかも知れないが、あの魔獣は水の中までは入ってこないと思う。

 多分、領邦軍の追手に捕まってしまうが――もう、仕方がない。牢屋行きになったらユーシスに期待しよう、そうしよう。士官学院は退学になってしまうかもしれないが――そしたら、またお店の手伝いに戻ればいい。そう、村に帰ればフレールお兄ちゃんにも会えるいつも通りの生活に戻るだけ。

 あの時、言えなかった思いを伝えるチャンスではないか。

 

 目の前の魔獣に銃口を向ける。

 私の眼前には赤茶色の巨大な狼犬――胴や脚等は金属の鎧で守られており、1リジュに満たない拳銃は等受け付けないだろう。

 ならば、狙うべき場所は一つしか無い。頭部、黄色の眼球に狙いを付ける。

 

 銃のおかげかは分からないが、魔獣が私を襲ってくる気配は未だ無い。

 こうして緊張感のある対峙に、私は満足していた。

 目の前の一体を足止めしていれば、リィン達が地上まで逃げ切れる確率は大分上がるのだ。

 

 私の身体と同じぐらい有りそうな大きさの口から白い牙が覗かせる。口を開いた時に、あの喉の奥を狙えば一撃で脳まで達するのではないか。

 魔獣であっても殺めるのは私は気が向かない。しかし、この様な相手に手加減をすることは――重大な結果を招く恐れが高いのは流石に分かる。

 

 魔獣の顎が震える。

 直後、大きく開けられた口から強烈な音圧が私の体を襲う。

 

「ひっ……!」

 

 落雷を直接浴びたような鼓膜が酷く震える雄叫びに今までの威勢は一気に萎み、膝が竦む。

 目の前の魔獣は唸りと共にその再び巨大な口を開き、白い牙を見せ付けるように私を威嚇していた。

 

(や、やられる……! ……死ぬ……死ぬの……?)

 

 早く水路に飛び込まなくては、と思うものの。身体に力が入らず言う事を聞いてくれない。

 

「大丈夫。威嚇だけ」

 

 トンッ、という音と共に私と魔獣の間に立ったのは銀髪の少女。

 

「……フ、フィー……! な、なんで……」

 

 そんな事は聞かなくても分かる。Ⅶ組のみんなが仲間を見捨てることなんて、あり得ないということを私は知っていた。

 でも、そう言い切る自信は……実は無かった。だから、ついさっきは強がってしまった。保険という形で。

 

「私達がエレナを置いていくと思う?」

「……だって、さっきみんなが……逃げていったから、今回ばかりは無理だって……」

「分断しようとしてた魔獣に追い立てられてただけ」

 

 隣に少ししゃがんだフィーは右腕を私に回して抱きしめる――と思いきや冷たい近い水道の床に座り込んでいた私の身体がフワッと浮いた。

 まるで魔法をかけられたかの様に、視界がぐるっと反転した。

 

「え?」

「みんなと合流する。ちょっと本気出すよ」

 

 頭に血が集まりそうな体勢。丁度、太ももの辺りがあたたかい腕に支えられている感覚が――。

 

 目の前には赤茶色の狼型の軍用魔獣。顔を落とすと石畳の床とフィーの細い脚。

 

 あれ、私はいまどんな状態なの?

 そんな心の疑問に答えが出る前に、物凄いスピードでその場から離れ始める。

 

「うわっ、えっ!?」

 

 フィーが、私を肩に抱えてる、背負ってる!?

 私より頭一つ分位小さなフィーに肩に抱えられて走られている今の状況は驚き以外の何物でも無い。

 

 そして把握すれば把握するほど――羞恥心が強くなる。

 

 私はなんだかんだいってⅦ組の女子の中では背の高い方、体重も……悔しい事にそれなりにはある。

 ○2kgを肩に抱えてこんな早さで走るなんてっ!

 

「ふ、フィー、わたしっ、おもいからっ――!」

「黙って。舌噛むよ」

「わっわ!?ひゃっ!?」

 

 フィーの私よりか細い脚に一瞬筋肉の筋が見えた次の瞬間、私は彼女に抱えられて宙を飛んでいた。

 地下水道の大量の水が流れる水路部分の水面から数アージュ、どんどん高さを落とし、水が迫る。

 

(このまま――水に落ちる!?)

 

 水深は何アージュだろうか、この速度で落ちた時の衝撃は――数秒後に水面に叩きつけられる衝撃に思わず目を瞑り、そんな考えが浮かんではかき消される。

 しかし、予想していた落水の衝撃の代わりに、まるで三半規管と平衡感覚が狂ったのかと思う様に90度程回転していた。

 

 思ったより遥かに軽い反動とフィーの足音、彼女の靴は石造りの――え、壁?

 驚いたことに彼女は地下水道の側面の”壁”を”走って”いた。

 

 地下水道の石造りの通路を走る魔獣の邪悪な瞳と視線が合う。

 魔獣は私達の動きを見て直ぐに行動を起こしており、物凄い速さで追い越してゆく。魔獣の行き先は、通路の曲がり角となっている大きな足場にいたⅦ組の皆の場所であった。そして、フィーはそのど真ん中を目指して最後のジャンプを飛んだ。

 

「うわあああっ!?」

 

 とんっ、そんな音と共にお腹に結構な衝撃を受けながら、魔獣に退路を塞がれたⅦ組のみんなの中に着地する。

 

「回収完了」

「エレナさん、ご無事で何よりです」

「あはは……助けてもらっちゃった」

 

 丁度私の目の前にはエマの安堵した顔が、その後ろにはマキアスとユーシスが茶色の狼型の魔獣へそれぞれの獲物を構えて対峙している。

 リィンは後ろ側だろうか。

 

「……あはは、流石だな。……って……ぁ……」

「……ぁ……」

 

 変なリィンとフィーの声の理由を聞こうとした時、私は少しばかり手荒にフィーの肩から地面に降ろされて丁度彼女と向かい合う形となった。

 もっと優しく下ろしてくれればいいのに、とは思ったが、なぜか目の前のフィーが少し顔を赤くしている。

 本当に何かあったのだろうか。

 

「無事合流だな」

 

 顔だけをこちらに向けるユーシス。

 

「ん。でも撒くことは無理だったか」

「こちらも前に回りこまれてしまってな……フン、退路を塞ぐつもりだろう」

 

 二体の魔獣は私達を取り囲んでゆっくりとその周りを回っている。

 

 当初、この赤茶色の毛の一体が私と対峙しており、茶色の毛の二体目は他の皆を追っていた。

 私がフィーと共にあの場を脱出してしまった為、茶色の方がこの広い角の足場を巧く利用して皆の前に回り込み、その後赤茶色の魔獣と共に挟み込んだ様だ。

 

「エレナにも襲い掛かってなかったし、私達から手を出さなければ多分危害は加えてこないと思う」

「追手の兵士が来るまでの時間稼ぎということか……獣のくせに知恵が回る……」

「フン……犬が。よかろう、躾直してやる。いくぞ!」

 

 マキアスが毒づき、ユーシスが威勢良く声を張る。

 

「ああ!――トールズ士官学院Ⅶ組A班!これより全力で目標を撃破する!」

 

 

 ・・・

 

 

 痛む腕を振るいながらリィンは考えていた。

 

 動物型、イヌ科の魔獣というだけで相手は強敵だ。

 人間に飼い慣らされた犬や野生の狼と同じく、人間を遥かに超える視覚や嗅覚等の五感を有し、群れで狩りをする習性をそのまま維持している。

 それに付け加え、カザックドーベンはただのそこら辺の魔獣と違って軍事用途に訓練されている事から対人戦闘力も高く、特に二体が連携して攻撃や防御といった行動を取るので、いかんせん崩せないのだ。

 

 マキアスとユーシスは既に戦術リンクを完全に使いこなし、良いコンビネーションで茶色の方のカザックドーベンの足止めをしているが、顔に出る疲れは隠せていない。

 赤茶色の方はリィンとフィーが対峙している。今の所は問題は無いが、リィンは未だ本調子ではなかった。

 後ろには回復アーツを素早く的確に駆動させているエマが、エレナはカザックドーベン相手には拳銃弾が余り役に立たないという事でアーツで攻撃をしている。もっともそのアーツもカザックドーベンのあの鎧に対アーツ加工が施されているのか、少なからずは耐性が有るようで効果的に攻撃できているとは言い難いだろう。

 

 何か別の切り口がなければ――時間を稼げればいいだけの敵と違い、自分達は早く地上に出てこの街から脱出しなくてはならない。このままでは不味いのは明白であった。

 

 しかし、ここはバリアハート市地下の地下水道。何も周りには無い。

 本来であれば来る時に解除した鉄柵の仕掛けを再び使えればいいのだが、カザックドーベンの方が圧倒的に脚が速いので無理だ。

 そしてどの道、この様な角の壁際に追い込まれている時点でその手段は困難を極める。

 

 他に使えるものが――リィンは周りを見渡す。

 

「そうか……水だ」

 

 危険は伴う、しかし成功すればあの二体を少なくとも行動不能にすることが出来るだろう。つまり、この場を乗りきれるということだ。

 

 

「一番危険なのはお前だぞ。解っているのか?」

 

 作戦の内容、その中でもリィンが担当する部分について指摘するのはユーシス。

 

「どの道このままでは追手に捕まるだろう、ここは正念場だ」

「しかし……それに肩は大丈夫なのか?」

「ああ……いけるさ――後は頼んだぞ、ユーシス」

 

 真剣な表情のリィンにユーシスは何も言わずに頷いて応えた。

 

 フィーとエレナが合流した時はカザックドーベンは通路への入り口近くで六人を取り囲んでいたが、今や通路まで一番遠い場所まで六人は追い詰められていた。既に背後は水の流れる水路部分、文字通り背水の陣の様に見えるだろう――否、そう見せかけれるだろう。

 

 目の前には更に追い込み勝利を確かなものとしようとする二体のカザックドーベン。

 しかしその二体の姿、正確には二体の間の距離を見てリィンは目を閉じた。

 

「――いくぞ」

 

 覚悟と、集中と――真剣な思いを込めて目を見開く。

 

「焔よ――我が剣に集え!」

 

 獲物の太刀が炎を纏うのを確認し、そして背後の仲間たちへリィンは頷いた。

 

「はあああっ!」

 

 あっという間に距離を詰め、二体に向けて何度も何度も振りかざした炎の剣によって、二体を自分達とは反対側の角へと押し込んでゆく。

 だが、直ぐにリィンは反撃を受けることとなる。腕が、脚が間一髪で重傷こそ避けられているものの、直撃すればひとたまりもない様な攻撃を躱しながらリィンはそれでも突っ込んでいく。リィンの無謀とも思える突撃はカザックドーベンの硬い体を少なからず焦がしてゆき、火属性アーツという形で”炎”の訓練の経験があった二体は、安全な”水”の近くへと後ずさっていった。

 しかし、それこそが罠だった。

 

「いくよ」

「エマ君! エレナ君!」「エマ! エレナ!」

 

 フィーの合図とマキアスとリィンが声を上げた次の瞬間、くぐもった轟音が地下水路に響き、同時に二つの巨大な白い水柱が天井に向かって突き上げた。

 巨大な水の塊は天井を突き抜けそうな勢いで衝突すると、重力に引かれて滝の様に二体のカザックドーベンへと降り注いでゆく。

 

「「――《フロストエッジ》!」」

 

 突然の出来事に二体が完全に動きを止め、エマとエレナの二人の身体から発された水色の光が計八本の氷の槍を形成する――しかし、槍が取り囲んだ目標は魔獣ではなかった。

 直後、導力魔法が生み出した八本の氷槍によって、滝の様に降り注いでいた膨大な水が強烈な冷気を浴び、瞬く間に凝固してゆく。

 

 一体、赤茶色のカザックドーベンが怒りの咆哮を上げる。

 

「これでも喰らえ!」

 

 しかしそれに応えたのは、もう一体ではなく導力散弾銃の銃声であった。

 

「動くな! ……その場から逃してたまるか……!」

 

 マキアスは腕から銃が吹き飛ぶのでは無いかと危惧する程の反動を受けて尚、次々に大口径の弾丸を放つ。

 導力銃の発射機構の出力の限界を解除した大口径弾の破壊力は確かで、カザックドーベンの身体の至る場所へと命中して鎧に大穴を開ける。

 

「今だ! ユーシス・アルバレア――!」

「ああ!」

 

 真っ直ぐ水平に構える剣の先には水色の輝く魔法陣。

 そして、ユーシスは剣を構え一気に半分氷漬けになった二体へ突き進む。

 

「ハッ!」

 

 一瞬、半球形の水色の膜が二体のカザックドーベンを包み込み――

 

「終わりだ――《クリスタル・セイバー》!」

 

 ――流星にも見間違えるような眩い十字の斬光は二匹の狼もろとも、地下水道を青白く染め上げた。

 

 

 ・・・

 

 

「に、しても……あたし達が助けに来なかったらどうするつもりだったのよ?」

 

 その日の夜、ホテル《エスメラルダ》の部屋でサラ教官はビールが目一杯入ったグラスを片手に私達に訊ねた。

 二匹の軍用魔獣を倒した私達は追手の領邦軍兵士の一団に取り囲まれ、万事休すといった状況に追い込まれてしまった。そこを教官とユーシスのお兄さんのルーファスさんによって助けられたのだ。

 

「あのまま突破して、駅から列車に乗り込む手筈」

 

 簡潔に応えたのは私の隣でベッドの端に腰かけているフィー。

 結構前から思っていた事だが、フィーとサラ教官は仲が良い。まるで歳の離れた姉妹を連想させる。

 

「まったく……あたしが来た時、もう駅は兵隊だらけだったわよ」

「む」

 

 フィーが言葉に詰まる。領邦軍に駅が押さえられていたのであれば、あの場から仮に脱出出来ても無駄に終っていた可能性が高い。

 

「ちょっと無理が過ぎたみたいね。リィンもそうだけど」

 

 サラ教官は部屋の一番奥のベッドの上でエマに包帯を変えてもらっているリィンに目を遣る。

 それに対してリィンは大分反省の交じる苦笑いを返していた。そういえば、この部屋に来て傷口を見せた時はそれはもうエマにお説教されていたっけ。

 

「でもまあ、そういうの――私は嫌いじゃないけどね」

 

 ふふっと笑うとサラ教官はグラスに残っていたビールを一気に喉に注ぎ込む。

 そして、彼女は大きな伸びをしてから腰掛けていた椅子から勢い良く立ち上がった。

 

「よし! それじゃあ、あたしは帝国最高級ホテルのお風呂を堪能しちゃいましょうかね~。あ、そうそう。ベッド一つあたし用に空けときなさいよ」

「え、サラここで寝るの?」

「あったりまえでしょ?」

 

 さも当然の事をのように答えるサラ教官。

 

「先程、リシュリュー支配人には今日は満室で部屋が無いって言われてましたが……この部屋はベットは3つしか無いですよ?」

「あれ……教官、庶民的な宿の方が落ち着くので大丈夫だとルーファスさんに言ってませんでした?」

 

 そう、エマの言葉通り無理だったのだ。そしてその時は、《エスメラルダ》以外の高級ホテルを押さえようとするルーファスさんをサラ自身の言葉で止めたのだ。

 

「あれは体裁ってもんよ。体裁。なんであんた達がこんな良い所に泊まってるのに、あたしが職人通りの宿酒場に泊まらなきゃいけないのよー」

 

 少なくともお風呂とベッドは使わないと損した気分になるでしょうが、と続ける。

 

「サラ、みっともないよ」

「妬み……ですか? サラ教官……」

 

 間髪入れずにツッコミを入れるフィーに便乗して私も文句をいってみる。この面子じゃ有り得ないかもしれないが、教官に聞かれたくない話をしたくなるかも知れないのに!

 

「そこ、いちいちうるさい! あ、そうそう――」

 

 ニンマリとした、何というか酔っぱらい特有の顔をしたサラ教官の瞳が私を捉える。

 これは何か悪いことを考えている様な、気がする。

 

「――なんか大事な時に盛大に転んだドジっ娘ちゃんがいたらしいんだけど……その子は床でいいんじゃないかしら?」

「え、えええ!?」

 

 転んだのは確かだ。大事な時も確かだ。ただ、ドジだなんて認めたくはない。じゃなくて!

 今の問題は私の人生最高のベッドが奪われようとしている事だ。

 

「文句があるなら、学院に戻ってから楽しい楽しい雑用業務にお付き合いしてもらってもいいのよ?」

 

 

 そんな言葉責めの後、必死の抵抗の甲斐もなく私のベッドは呆気無くサラ教官によって奪われてしまうこととなる。

 最も正確には先にお風呂に入ってしまった彼女が、そのままベッドを身体を大の字に使って不当占拠してしまったのだが。

 結局、私は完全に寝付いているサラ教官を起こす事を断念し、フィーの「一緒に寝る?」という本日二回目の助けを受けたのだった。

 

「寝ないの?」

「そんなにすぐには寝れないかなぁ……」

 

 そういえば、こんなやり取りを昨日もしていなかっただろうか。

 向こうと、ここで。私は昨晩の自分の場所だった、サラ教官がうつ伏せで寝ている右隣のベッドを見る。

 今晩は、ここと、そこで。こちらの方を向いて横になっているフィーへと顔を戻す。

 

 私は何故と聞かれたら答えるのに難しいが、掛け布団を私とフィーの頭が完全に隠れる位置まで引き上げた。

 

「エレナ、もしかして寝る時に潜ってるの?」

「ち、違う……! もう卒業した!」

 

 そんな子供じみた事はもうしていない、と小声ながらも全力で否定する。

 真っ暗のベッドの中では気配はあっても顔ははっきりとは見えない。

 

「あのね……フィー。きょうは本当に……ありがとう」

「お礼はいい。流石に床で寝るのは可哀想」

「そっちじゃなくて……!いや、ベッドもそうなんだけど……地下水道の時」

 

 暗闇の中でピクッとフィーの気配がなにか変わったような、そんな気がした。

 

「あんな助けられ方されるとは思ってなかったんだけど……フィーが来てくれて、嬉しかったんだ」

 

 流石に私より小さな女の子が私自身を肩に背負って壁面を走るとは夢にも思わなかった。

 きっとあの力は元猟兵としてのフィーの力であるのは確かだろう――しかし、もう私の心には彼女への恐怖も忌諱感も……そして罪悪感も感じなかった。

 

「……仲間だから。当然のことをしたまで」

 

 ありがとう――彼女の言葉に私はめいいっぱいの気持ちを伝え、昨日と今日で彼女との心の距離感が近づいたような気がした。

 

 

 ・・・

 

 

 翌日、バリアハート発帝都行の列車の客室が笑い声に包まれていた。

 

「ちょ、ちょっとぉ……」

 

 照れながら困惑するサラ教官。

 

「サラ教官、朝からどれだけ飲んだんですかー?」

 

 昨日ベッドを奪われた仕返しと、朝からワインにビールに飲み放題飲んでいた事を口にしてみる。

 

「いつもの教官とのギャップがありすぎてどうにも……」

 

 リィンがお腹を抱えて笑っている。彼がこんなに笑うのは珍しい――よくよく考えたら、向かいで笑い続けているマキアスやユーシスを含めて、Ⅶ組のみんなは普段あまりこんなにも陽気な笑顔というのを見せてくれたことはないのかも知れない。

 

「ああもう! せっかく良いこと言ったのに!」

 

 ぷんぷん怒るサラ教官を横目に私は笑顔を浮かべる銀髪の少女の名前を呼んだ。

 

「フィー」

 

 今しか掴めない何か。

 かけがえのない仲間と――

 

「どうしたの?」

 

「ふふ、ううん、なんでもなーい」

 

 ――共に。

 

 




こんばんは、rairaです。
さて今回は第2章の特別実習の地下水道内の戦いとその後のフィーとの仲直り(?)編になります。

今回のカザックドーベン戦では試験的に以前指摘があった戦闘シーンのみ三人称視点を取り入れてみました。
2章の間ずっとカッコ悪い戦闘ばかりだったマキアスとユーシスの熱い戦い…を考えていたのですが…。
この時点でSクラフト使えないんですね…マキアス。まあ、彼は未だ未だこれから色々とありますからね。
と、いうわけで今回もリィンさんに無茶をして頂きました。
ついでにもうひとつ言えば、エマとエレナの使用したアーツは空からの伝統的な凍結系アーツ《ダイアモンドダスト》にしたかったのですけど…ARCUSにはどうやら無いようで残念です。

フィーとの仲直り、といってもエレナが勝手に引いただけでしたから語弊がありますね。ですがフィーはきっと気付いていることでしょう。

さて今回をもちまして第2章は終了となり、次回からは第3章となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。