旅をしよう   作:キサラギ職員

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さりげないクロスオーバー
子供のころ、風船は宇宙に飛んでいくと信じていました


風船の空

 ある子供が風船を持っていた。青い風船だ。ヘリウムと空気を一定の割合で調合したごくごくありふれたゴム製品。中を満たして紐をお尻につけただけで子供の好奇心と満たす楽しい代物に様変わりするのだ。

 風船は考えていた。子供に遊ばれるのもいいけれど、外の世界を見てみたい。空は、大地は、そして風は自分に対してどのように作用するのだろうか? 自分が飛ぶというのは、どのような楽しさがあるのだろうか。でも風船は飛べなかった。子供が紐を握っているから。

 風が言った。

 外の世界を見に行かないか?

 お願いするよ。風船が言うと、風が言った。しっかり掴まってろよな。

 つむじ風が吹き荒れると風船は子供の手から離れて空に舞い上がった。子供が残念そうな目で見ていた。風船は子供に申し訳ない気持ちがあったが、戻るつもりはなかった。

 そうやって大人になるのさ。風船はかっこつけてみた。

 次の風船が来るだけじゃないか。風が皮肉を口にした。

 

 風船は家の高さを越えて、大きな建物の上に昇って行った。まるで箱を積み立てて作ったような街だった。表面はきらきらと光るガラスと金属で化粧をしていた。何人もの風たちが箱の街に足を取られて困っていた。頭と頭をぶつける風もいたし、迷子の風もいた。

 どこまでも変わらない街。なんだか風船は面白くなかったが、どんどんと高くなるにつれて、風景が様変わりしていった。

 積み木のような街が、蟻んこの大きさになっていった。紐の細さよりもなお小さい街。

 ちょっと寄り道をしよう。風が言った。

 ぼくには世界が分からない。いいところがあったら連れて行ってくれ。風船が言った。

 風船は風に流されてぶるぶると震えながら大きな川に差し掛かった。大量の清水が音を立てて上流から下流に走っていく大自然の風景である。風船の青が水面に反射して映り込んでいた。

 と、その川のほとりを一匹の蝶が飛んでいた。蝶が水辺に足をつけると、その場所から花が生えた。それどころか水流が蝶に引き寄せられるようにして身じろいだのだ。

 なんだろうあれは。風船が呟いた。

 世界にはおれにだって知らないことはあるんだぜ。風が答えた。

 蝶は別の風に乗って瞬く間にどこかに消えてしまった。別の世界に旅立ったのかもしれなかった。

 

 風船は川から、空へ向かった。

 もやもやとした風変わりなものが青い世界に浮かんでいた。空に浮かぶということは、風船の仲間なのだろうか。すごく近くにあるように感じても、とても遠い場所にある。

 風に問うと答えはこうだった。

 あれは雲だ。ざあざあと水なんか降らせるやつで、俺たちが地上を這いずり回った後にやってくるんだぜ。よく会いに行く顔なじみさ。

 会ってみたいな。風船が言った。

 

 風は高度を上げて、風船は掴まっているので精いっぱいだった。

 雲がみるみる近づいてきた。

 雲は気難しい顔をしてごろごろと唸り声をあげていた。

 風が頭を掻いた。

 やつめ、また機嫌を損ねてやがるぜ。みろよ、やかましいだろ。雷を呼んでるんだ。

 雷ってなんだ。風船が訊ねる前に、雲が激しく光を放つと、地面に向かって一条の光線を放った。それは箱の街にある尖った金属製のものに吸い取られてしまった。人間たちが悲鳴を上げていた。その中には風船を握っていた子供も含まれていた。

 風船は雲の中に入っていった。

 きみはここでおしまいかもしれないな。風がそれとなく言った。

 大丈夫。ぼくは雷に嫌われているから。風船が口にした。

 雷は風船を睨みつけたが、すぐに地上に落ちていった。本当に嫌われているようだ。

 

 どんどんと登っていくと、大地が丸くなっていった。

 どうして丸いのだろうと風船が口にすると、風は教えてくれた。

 君は丸いだろう。大地だって丸いから平らじゃなくて丸く見えるんだ。おれたちが小さくてわからないだけさ。

 その話はどこで聞いたのかは風は教えてくれなかった。

 さらに上に上に昇っていくと、空気が薄くなってきた。

 おれはもうだめだな。君はどこまでいくつもりなんだい。風はぜえぜえと苦しい呼吸をしながら問いかけた。

 昇れるところまで行ってみるさ。風船は風に別れを告げると、どんどんと暗くなってきた空の彼方を目指した。

 風船は空に見慣れぬ光を見た。月よりも大きな光の粒々。青、赤、白、色とりどりの光の集合体。よく見れば光の川まであった。

 風船は光に手を伸ばそうとして空気の無くなってきた空中を泳いで昇った。

 

 一歩たりとも足が動かなかった。風もいない。誰もいない。空は暗いを通り越して真っ暗。空気がないから地上に反射した光もない。

 風船は空に果てなどないことを知った。

 空とは果て無く続く空間なのだと。

 風船は何気なく振り返ってみた。青い球体があった。白い雲がさざ波となり緑と茶色の不揃いな大地を覆っており、透明な空気が息づいていた。地球である。地球は暗闇にぼんやりと浮かんでいた。まるで今の風船のように頼れるものなど漂っていたのだ。

 君はとても小さいな。地球が言った。

 君だって小さいじゃあないか。風船も言った。

 これからどこへいくんだい。地球が訊ねた。

 どこかここではない場所へ行くよ。風船が言った。

 そして風船はどんどんと地球から離れて宇宙へと歩み出したのであった。

 


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