それでは第二十五話、始まります。
午前八時七分四十九秒。
通学をしている学生や通勤をしている社会人が目立つ時間帯といってもいい。
残り十九秒で数字がゾロ目となり、近くにあるドアを開くとデンライナーが走る『時の空間』へと行くことが出来る。
野上良太郎とモモタロスはそれぞれ仲間に見送られてから、近くのコンビニエンスストアにいた。
「モモタロス。そろそろだよ」
「おう、わーったよ。せっかくいいところだったのによ……」
テレビ雑誌を読んでいた良太郎は雑誌を元あった場所へと戻し、隣で週刊漫画雑誌を読んでいたモモタロスに声をかけた。
モモタロスは未練がましいのか名残惜しそうに漫画雑誌を元あった場所に戻す。
二人はコンビニのトイレへと通じるドアの前に立つ。
良太郎は腕時計を見て時刻を確認する。
「八時八分二秒。あと六秒」
良太郎はドアノブを握る。
チャンスは一度で失敗すれば一時間以上、待たなければならない。
「四、三、二、一。今だ」
ドアノブを回して、良太郎とモモタロスは飛び込んだ。
彼等が『時の空間』へと向かった後に、トイレに入ろうとした客が「あの二人が消えた!」と騒いでいた事など彼等は知る由もない。
*
空は先程とは変わって、昼のような夕方を思わせる色彩をしており、周囲はビルもなければ民家もない、モニュメントバレーを思わせる一面の荒野。
ここが『時の空間』である。
トイレへの入口のドアから入った良太郎とモモタロスの前には一人と一体を待ち構えているかのようにデンライナーが停車していた。
デンライナーのドアが開き、見知った女性が顔を出した。
デンライナー食堂車で唯一、アルバイトをしている女性のナオミだ。
「良太郎ちゃん、モモタロちゃん!お久しぶりでーす!」
満面の笑顔と両手を振って、一人と一体を迎えてくれた。
ナオミの後をつけるようにしてデンライナーに乗車する良太郎とモモタロス。
「ん、ピアノの音?」
「何でデンライナーから聞こえるんだよ?」
良太郎とモモタロスは乗車直後に聞こえてくる音に関してナオミに訊ねた。
「すぐわかりますよぉ」
ナオミは正確に答えようとはせずに、一人と一体についてくるように促す。
食堂車に入ると、そこにはスーツを着て、ステッキを横に置いてナオミが作ったと思われる旗付きチャーハンを食べているオーナーがいた。
オーナーは良太郎とモモタロスを見つけると、右手に持っていたスプーンを置く。
「お久しぶりですねぇ。良太郎君にモモタロス君」
「お、お久しぶりです。オーナー」
「よぉ、オッサン。元気してたかぁ?」
良太郎とモモタロスはそれぞれのやり方で挨拶する。
「ナオミ君、私とモモタロス君にコーヒーを。良太郎君にはジュースをお願いします」
「はーい。わかりましたぁ」
ナオミはカウンターに向かい、準備に取り掛かった。
「オーナー。さっきから気になっていたんですけど、このピアノは?」
良太郎が先程から気になっていたピアノの音について問う。
ピアノは食堂車に設置してあった。カウンターと向かい合う位置、つまり今、良太郎がいる場所の左側にあるということだ。
「ええ、食堂車も今まで地味でしたからねぇ。ちょっと盛り上げようと思いまして、彼を雇ったんですよ」
良太郎はピアノを演奏している人物を見る。
モモタロスも釣られるように見る。
「こ、この人って……」
「オッサン、よく雇えたな」
演奏者を見て良太郎とモモタロスは驚かずにはいられなかった。
演奏者とは以前、良太郎達が救い損ねたピアノ演奏者だった。
彼は今も、熱心にピアノを弾いている。
「いえ、私が声をかけても何も反応しませんでしたけど、ここにピアノを設置したらいつの間にかいたんですよ」
「オッサン!それ雇ってねぇよ!ただ居座ってるだけじゃねぇか!」
「確かにあの人と話し合って受け入れているわけじゃないから、雇っているわけじゃないですよね」
モモタロスと良太郎がそれぞれツッコミを入れる。
「まあどんなかたちであれ、彼はしばらくここでピアノを弾きますから良太郎君達もそのおつもりで」
オーナーは強引に話を締めくくると良太郎はパスから一枚のチケットを取り出し、オーナーに見せた。
それはフェイトにかざした時のチケットだ。
「良太郎君、これは誰かが作った物ですか?」
良太郎は首を横に振る。
「いえ、ある女の子にかざしたらこんな結果だったんです」
「ふむ。正規の方法で作成したのに、このような結果ですか……」
良太郎がチケットの結果にいたるまでの事を説明すると、オーナーはチケットを持っている手とは逆の手であごを擦りながらチケットを凝視する。
「これは大変珍しい事例ですねぇ」
「珍しい?」
良太郎はオーナーの台詞に聞き返す。
「ええ、チケットはあくまで人の記憶を読み取るだけのものであって、それ以外の機能は備わっていないんですよねぇ。そのため、チケットをかざされた人間の記憶に問題があると、このような現象が起きてしまうんですよ」
「どうしてこんな事が起こるんですか?」
「推測ですが、誰かに植え付けられた記憶なのかもしれませんねぇ」
「植え付けられた記憶?」
良太郎が聞きなれない言葉なので聞き返す。
「実際にはそんな事をしてはいないのに、『した』という偽の記憶を植え付けるんですよ」
「じゃあ、もしかして……」
「ええ、良太郎君がチケットをかざした女の子、ええと誰ですか?」
「フェイトちゃん。フルネームはフェイト・テスタロッサさんです」
「フェイトさんも誰かに記憶を植え付けられた可能性があるという事ですねぇ」
オーナーは良太郎にチケットを返す。
「何のためにだよ?オッサン」
「さあ、そこまでは……。ただ、このようなことができるという事はその人物は相当の切れ者で知識人になりますねぇ。かじり程度の知識ではまずできませんからねぇ。記憶の植え付けなんて……」
「そう、ですね」
良太郎にはフェイトに記憶を植え付けた人物が誰なのか見当がついていた。
だが、確証はなかったので口には出さなかった。
「まだ、私に見せたいものがあるようですねぇ。良太郎君」
「は、はい。次はこれを見てほしいんです」
それはフェイトとプレシアが写っている写真のコピーだった。
実は良太郎、昨日『翠屋』に行く際にフェイトに了承を得てこの写真をコンビニでコピーしたのだ。
「この女の子がフェイトさんですか?」
「はい」
オーナーはじっとコピー用紙を見ている。
「幸せそうに写ってますねぇ」
そんな感想をオーナーは述べる。
「この女の子にチケットをかざすと先程見せていただいた状態になったというわけですねぇ」
オーナーの表情は険しくなっている。
「結論から言いましょう」
オーナーはコピー用紙を良太郎に返すと、じっと良太郎を見る。
良太郎は思わずごくっと喉を鳴らしてしまう。
「この写真の人物がフェイトさんと同一人物と考えるのは少々疑問になりますねぇ」
「そうですか……」
良太郎は驚かなかった。予想していた答えだからだ。
「して、フェイトさんとこの写真の女性との現在は?」
「良好とはいえません。折檻、いや虐待を受けていますから」
良太郎はプレシアがフェイトを鞭で叩いている現場を見たわけではない。だが、フェイトの身体についた痕は痛々しいものだったため、目に焼きついていた。
思い出すだけでも、怒りがこみ上げてくる。その証拠に拳がプルプルと震えているのだから。
「良太郎?」
普段は見せない感情を露にした良太郎から噴出す雰囲気は今までのモノとは別質らしく、モモタロスは隣にいる人物が良太郎なのか疑ってしまった。
オーナーも黙してこちらを見ている。
「……ごめん。ちょっと思い出しちゃってね。オーナー、続きをお願いします」
良太郎はモモタロスとオーナーに謝罪し、
「わかりました。では続けましょう。フェイトさんと写真の少女が同一だった場合、良太郎君が話してくれた現在と合わせてチケットをかざすと多分、この年号と月日が出てくるはずですからねぇ」
オーナーはスプーンを指し棒のようにして良太郎が持っているコピー用紙の年号と月日の部分を指す。
「しかし、チケットに記載されたのは年号も月日もデタラメだった」
「そうです。だから、疑問を持ってしまったわけなんですよぉ」
オーナーは一息吐く。
「ますます行かないといけないね」
「ああ、まったくだぜ」
良太郎とモモタロスも手近な席に座り、一息吐く。
「コーヒーとジュースお持ちしましたー」
カウンターにいたナオミがオーナーとモモタロスにはコーヒーを、良太郎にはジュースを渡してくれた。
「どうも、ナオミ君」
「ありがとう。ナオミさん」
「おう、悪りぃな。ナオミ」
三者三様にナオミに礼を言うと、それぞれ狙ったかどうかわからないが、同じタイミングで口につけた。
「良太郎君、写真の人物とフェイトさんが同一だと証言したのは……」
「直接聞いたわけではありません。僕だってチケットの事がなければ何も疑問に抱かなかったと思います」
「おい、オッサン。それ誰なんだよ?良太郎も知ってるんだったら教えろよ!」
モモタロスが二人の会話についていけないのか、それとも単にイラついているだけなのか二人に答えを吐くように急かす。
オーナーは良太郎の手からコピー用紙を取り、モモタロスに渡す。
「この写真の人物とフェイトさんが同一人物だという証言はフェイトさんのみの証言でしか得られていないんですよねぇ」
「そのフェイトの記憶は誰かに植え付けられたモンだってことだから、つまり……」
オーナーが言った事をモモタロスが続ける。
「写真の女の子とフェイトちゃんが別人だとも考えられる、かな」
良太郎が締めくくった。
二人と一体はそれぞれの飲み物を口につけ、気持ちを落ち着かせる。
良太郎はモモタロスからコピー用紙を取り上げて、見る。
ここにいる面々はかつてこれと似たような事に出くわした事がある。
『桜井侑斗の失踪と野上愛理の記憶喪失』に関する時だ。
この一件、実は良太郎の証言でしか得られていない部分が多すぎるところがあった。
それはつまり、良太郎の証言が間違っていればそれだけで根底から覆されることになるということだ。
実際、その通りになったわけだが。
今こうしてフェイトの事に関して自分がそれなりに事実を受け止めて取り乱さなかったのは、この経験があったからかもしれない。
「それで良太郎君、これからどうするつもりなんですか?そのチケットでは過去へはいけませんよ?」
「大丈夫です。チケットは他にもあるんです」
そう言うと、パスから三枚のチケットを取り出す。
「ほぉ、三枚も……」
オーナーはその三枚を手にして凝視する。
「年号がそれぞれ、違っていますねぇ。こういう場合、古い順から先に行くというのがセオリーでしょう。そもそもの始まりにもなるはずですからねぇ」
オーナーはチケットを良太郎に返す。
良太郎はチケットの一枚をパスに差し込んで、デンバードが格納されている一号車へと向かう。
デンバードにパスを差し込むと、デンライナー前面の方向幕相当部分に、次に向かう年号と月日が表示され、デンライナーはゆっくりと起動し、やがて列車を敷設、撤去しながら走り出した。
*
ここは海鳴市にあるマンション。
フェイト・テスタロッサはリビングでストレッチをしながらコンディションを確認していた。
背中を反ったり、足を伸ばしたまま指を地に付けようとしたりしていた。
「フェイトォ。今日から再開するけど身体はどうなんだい?」
アルフはドッグフードの缶詰を空にしてから訊ねる。
「うん、だいぶよくなったよ」
アルフの確認にフェイトはお決まりの返答をする。
(回収するくらいには回復したけど……)
そこで白いバリアジャケットを着用した少女や、イマジンのことを思い出す。
(戦いを出来るほどには至っていない……かな)
ストレッチを終えてから、指を動かす。
(良太郎、無事に帰って来てね)
フェイトは口には出さなかったが、良太郎の無事に帰還することを願っていた。
*
「フェイトちゃん?」
ピアノの演奏を聴きながら食堂車で昼食を摂っていた野上良太郎は箸を止めて、天井を見上げた。
「良太郎、どうしたんだよ?」
対面にいるモモタロスも箸を止めていた。
「いや、何でもないよ」
「そっか」
良太郎はモモタロスに余計な心配をかけさせたくないし、特に深刻な事でもないのでそう告げた。
モモタロスは良太郎の回答に納得したのか、また昼食を摂る事を再開した。
「間もなく、指定した時間へと停車しまーす」
ナオミが食堂車を基点にして客車にアナウンスを流した。
だが、ピアノが中断される事はなかった。
アナウンスが終わると、またピアノの音が食堂車内を支配していた。
「行こう。モモタロス」
「おうよ!」
良太郎とモモタロスはテーブル席から立ち上がり、食堂車を出ようとする。
「良太郎ちゃん、モモタロちゃん。頑張ってください!」
ナオミが両腕をぐっとして笑顔で応援してくれた。
オーナーは右手を軽く挙げて、「ご武運を」とでも言いたげなポーズを取っていた。
デンライナーのドアが開き、一人と一体は過去へと足を踏み入れた。
空は蒼く、地上は見渡す限りの草原だった。
平和な場所だなあと良太郎は降車して足を踏み入れた感想だった。
「何もねぇな」
「うん。でも、いいところだね」
「ああ、できるならのんびりしてぇところだが、そういうわけにはいかねぇからな」
良太郎とモモタロスは周囲を見回す。
本当に何もない。
とてもここで何かが起こるとは思えなかった。
「僕達はここで何をすればいいんだろ?」
「オメェが知らねぇのに俺が知ってるわけねぇじゃねぇか」
モモタロスの言う事も尤もだった。
良太郎とモモタロスは当てもなく広大な草原を歩き出す。
時間はあるようでないのだ。だから、止まるよりも進む事を選んだ。
歩き始めて十五分くらいが経過する頃。
山と森を切り拓いて設立されたと思われる工業地帯が見えた。
「あの中に入れば何かわかるかな?」
「かもな」
良太郎とモモタロスは工業地帯という新たな目的地を定めると、歩く速度を速める。
そんな中、左耳に声が入ってきた。
「良太郎、何か来るぜ」
モモタロスが先にこちらに向かってくるモノを先に見つけた。
「何だろ?」
一人と一体は立ち止まってみる。
危険なモノなら迎撃すればいいと考えていた。
「すいませーん」
人間の、女の子の声だ。
しかも良太郎にとってはとても聞き覚えのある声だ。
女の子を追いかけるようにして、一人の女性と一匹の山猫も来た。
その女性も良太郎は見覚えがあった。
女性はプレシア・テスタロッサだ。
だが、彼女から出ている雰囲気は自分が知っているプレシアとは全く違っていた。
「もうっ、はしゃいじゃって仕方ない子ね。どうもすいません」
そう言いながらプレシアは女の子を笑みを浮かべながらたしなめ、こちらに謝罪してきた。
「あ、いえ。お気になさらずに……」
山猫が女の子に纏わりついてた。
「リニスぅ。お母さんと一緒に追いかけて切れたのぉ。偉いねぇ」
女の子がしゃがんで山猫を撫でていた。山猫も幸せそうな表情をしていた。
「あ、そうだった」
女の子は自分が駆け寄ってきた目的を思い出したのかポケットからカメラを取り出してきた。
「すいません。写真お願いしていいですか?」
そう言いながら、女の子は良太郎にカメラを渡してきた。
「あ、はい」
良太郎は女の子の頼みを流されるかたちで了承した。
「お母さん!リニス!こっちこっち」
「もう、この子ったら強引に……」
「にゃあ」
プレシアと山猫のリニスも女の子に流されるように動く。
良太郎はカメラを構えながら二人と一匹の構図を見る。
(あれ、この構図。見たことがある)
リニスはじっとする事に飽きたのか、蝶を見つけると追いかけ始めた。
女の子もプレシアも気づいていない。
「では、撮ります」
女の子もそろそろ焦れる兆候を感じ取った良太郎はシャッターを押す。
「はい。ごめんね。その……猫、写しそびれちゃった」
「ううん、リニスはじっとするの苦手なんだから仕方ないよ」
女の子は良太郎からカメラを左手で受け取った。
(左手?)
そういえばカメラを渡してきたときも左手でカメラを持っていたような気がする。
フェイトの行動を思い出す。
箸を持っているフェイト。
食器を拭くときのフェイト。
ドアノブを握るときのフェイト。
(フェイトちゃんは右手だった)
「……さん」
「おい、良太郎」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お兄さん!」
「良太郎!」
女の子とモモタロスだった。
どうやら、意識は別のところに行っていた様だ。
「写真撮ってくれてありがとう!お兄さん!」
そう言うと、女の子はまた走り出した。
「にゃあ」
と言いながらリニスも追いかける。
「この子のワガママに付き合っていただいて、どうもありがとう。感謝します」
プレシアも礼を言い、一人と一匹を追いかける事にした。
その場には良太郎とモモタロスが残っていた。
良太郎はポケットからコピー用紙を取り出す。
「この写真、撮ったの僕だったんだ」
「俺達のこの時間で出来る事ってのはこれで終わりか?」
「多分ね。それにわかったこともあるし……」
そう言いながらコピー用紙をポケットに納める。
「何だよ?わかったことってのはよ?」
「あの子がフェイトちゃんかどうかってことだよ」
「で、どうなんだよ?早く言えよ」
モモタロスは良太郎を急かす。
良太郎は一息吐く。そして、
「あの子とフェイトちゃんは全くの別人だよ。フェイトちゃんは右利きで、あの子は左利きだったからね」
次回予告
第二十六話 「デンライナーの車窓から ~見た少女~」
あとがき
定期的に投稿できずに申し訳ありません。
あれやこれやと忙しかったもので、計画的にすれば問題ないんですけどね。