Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「忘れ物はないでしょうね、白銀」
「はい。何度もチェックしましたから」
4人しか居ない国連軍の横浜基地の研究室の奥。白銀武は大きな荷物を背負いながら、別れの挨拶をしていた。
「元気でな、霞。ちゃんと飯は食えよ?」
「は、い。その、タケルさんも…………」
「俺なら大丈夫さ。絶対に、大丈夫だ」
武は親指を立ててアピールをした。だけど、向けられた先にいる小柄な少女は――――社霞の顔は、晴れなかった。理由を察した武は、申し訳なさそうに告げる。
「ごめんな。二回も、辛い別れを経験させちまって」
「………いえ。あのタケルさんじゃなくても………私はあなたに逢えたことが、嬉しかったです」
「俺もだ。霞のこと、絶対に忘れないから」
死んでも忘れない。武の言葉に、霞が切なくも嬉しい笑みを返した。
「はい……そちらの世界の私のことも、お願いします」
「ああ。ってそりゃ当たり前だろ? だって霞だぜ?」
同じ霞なんだから、と武は笑う。何の根拠も説明もされていない理屈だが、霞はそれを聞いて少しだけ唇を緩めた。隣に居るもう一人の小柄な少女は不満な顔をしていた。
霞より少し身長の高い、銀髪の少女は――――イーニァ・シェスチナは、怒ったように言った。
「タケル……いっつも霞ばっかり。私には何も無いの?」
「いや、イーニァの事は心配してねえよ? だってユウヤの奴がいるからな!」
「………でも、きっと怒るよ。武が勝ち逃げしたー、って」
「だよなー。でも、後は頼んだ! なに、イーニァならきっとやれるって!」
無責任に親指を上げて託すタケルに、イーニァはため息をついた。
隣に居る夕呼が、にやにやと笑っている。
「へえ、言うわね白銀」
「なにがですか?」
「社の事が心配なんでしょ? なら、私が社の面倒も見られない女だって暗に主張してくれちゃってるのよね?」
「まあ、別の意味で心配ですけどね。ここ1年で死ぬほど酷使されたこと、忘れちゃいませんよ」
必要なことでしたが、と武は苦笑した。夕呼はあら、と笑いながら告げた。
「何かを得ようとするなら、何かを差し出す必要がある。あんたが背負ってるそれの価値、まさか忘れた訳じゃないでしょうね?」
「覚えてますよ。金銭で換算すれば、100兆円だって言ってましたよねーははは」
武は目を細くしながら恨めしそうに言った。背負っているもの。それはあらゆる可能性を考えた上で、作成した情報の塊だった。電子媒体に、紙媒体。電子媒体一つにしても、様々なケースを考えた上で種類ごとに分けられている。そこに書かれているのは、およそ元の世界であれば、金額に換算できるものではないほどに貴重なものだ。
武はそれを欲した。そのためにこの世界にやってきたのだ。だけど、香月夕呼がそれをロハで渡すはずがないことを、武は知っていた。代価を求められたのも覚悟の上でのこと。そして、武が提示できるのは己の肉体のみであった。労力で、という意味であるが。
「でも、この世界じゃあそれほどの価値はないでしょう。あの時にそう言って交渉しなかったら、死ぬまで俺をこき使うつもりでしたよね?」
「そうよ。当たり前じゃない」
武は悪びれもしない夕呼に乾いた笑いだけしか返せなかった。夕呼が手にしている情報は、下手に外に出せばまた外交問題になる危険なものである。使いようによっては核弾頭をも上回るほどの威力があるだろう。でもだからこそ、そんな使い所が選ばれる情報に100兆もの価値は無いのだ。
武はその言葉を切り口に、自分を1年だけ好きに使っていいという条件を提示した。
「まさか、ハイヴ攻略に参加させられるとは思って無かったですけどね………」
「認識不足ってことよ、改めなさい。普通に考えて、あんたほどの戦力をまさか使わないっていう選択肢もありえ無いでしょ?」
「あー………無いかも、ですね。いや、学ばされましたよ本当に」
あとは教訓とする事だ。交渉術その他のいい勉強になったこと。
そして改めて、香月夕呼だけは敵に回してはいけないことを心に刻んだ。
「まあ………良い働きをしてくれたわ。あんたにとっても得で、楽な仕事だったでしょ?」
「ええ。大陸やハイヴで、味方に紛れて大勢のBETAを駆逐するだけの………ちょっとどころではなく死にかけましたが、戦うだけの単純な作業でしたから」
皮肉の応酬に、霞とイーニァが顔を向き合わせると、おかしそうに笑った。ここ1年の中で何度か見た光景であり、二人が顔をあわせた時には、日常のようであった風景。
だけど、終わることが知らされていたものだ。そして白銀武は一歩、装置へと近づいた。
全員が口を閉じている。
装置が動き出すと、夕呼は腕を組んだまま告げた。
「強い意志を持って事に当たりなさい。望むものを勝ち取るために、全力を尽くしなさい………とは、今更ね」
だけど、と夕呼が告げた。
「無事に元の世界に戻れるかどうかは分からない。あんたの中に少しでも、戦うことを拒絶する意志が残っているのなら………あんたは元の世界からも弾かれる。戻れたとしても、世界が手遅れになった後かもしれない」
武は頷いた。元より分かっていたことだ。往くも戻るも、どちらも死ぬ可能性は高く、とてつもなく危険である行為であると覚悟はしていた。そして、戻るにしても、2001年が過ぎてオルタネイティヴ4が打ち切られた後では遅いのだ。夕呼は、その念を押してくれている。
「………先生も、ありがとうございます。本当なら、何をしてでも引き止めたいと思いますから」
「あら、忘れたの? 年下は性別認識圏外なのよ」
「知ってます。だけど、お礼を言わせて下さい――――これで、俺の目的を果たすことができますから」
歓喜に微笑む武。夕呼はそれを見て、苦笑した。
「まったく、別の世界だってのにあんたはあんたね」
「はい」
夕呼の言葉に、霞がすぐに同意した。武はなにを言われているのか分からず不思議な顔をするが、夕呼はそれを見て面白そうな表情を浮かべていた。
「社から、あんたの過去の事は聞いたわ。這いつくばって泣き喚いて、散々悪あがきして…………だけど何もかも諦めないで全てを救おうとする。本当、青臭いったら無いわ」
「は、はあ。あの、いくら俺でも直球で言われるとこう、胸にくるものが」
「バカね。女が褒めてるんだから、男は素直に受け取るのがマナーってものよ」
夕呼は唇を緩めながら告げた。
「――――頑張りなさい。これだけしか言えないけど、ね」
世界の未来は、アンタが掴み取ったものにかかってる。
無言で告げる夕呼に、武も言葉ではなく、最大限の敬意をこめて敬礼を返した。
「タケル…………クリスカとユウヤのこと、お願いするね」
「ああ、任せといてくれ。出来る限りは、やってみせるさ」
「タケルさん…………言うまでもないことかもしれませんが………負けないで下さい。純夏さんのことを、守りきって下さい」
「ああ、絶対に守り切るよ。もう………あんな思いは、御免だからな」
武は二人の少女の懇願に頷き、夕呼の方を見た。
表情に遊びはない。いよいよ、始まるのだ。
「………転移は、強い意志をもつことが成功の鍵。あんたには、言うまでもないわよね?」
「来る時に、思い知らされました」
笑う武。夕呼はそう、と告げて。そして真剣な表情で、武に問うた。
「あんたは、世界を救いたいのよね?」
「はい」
「声が小さい! あんたの思いの強さ次第で――――」
「やってやります!」
「もっと!」
「救いたいです!」
「もっと!!」
「もう二度と――――失いたくはありません!」
部屋の壁に罅が入るのではないか、という大声。
「パラポジトロニウム光よ、歯を食いしばりなさい!」
「先――――生っ!」
武の声に、夕呼は頷き。親指を立て、人差し指を向けて笑った。
「しっかりやんなさいよ、もう一人の白銀武っ!」
同時に、武の全身が光った。
世界が変わった、と知覚した途端に。武は、視界が変な形に歪んでいくのを感じた。
渦を巻くような、縦に横に斜めに後ろに伸ばされていくような。
(っ!?)
あまりに奇妙な感覚に、声すらも出ない。同時に強烈に変遷し、揺さぶられていく意識と視界を前にして何もかもを忘れそうになった。時空の歪はG弾の時よりも明らかに小さい。成功する確率は、ずっと低いのだ。
確率の霧になった自分がいる、だけど乗り越える方法は、頼りになるのは自分しかいない。
(ぐ、でも――――――)
想定以上に困難だと、考えた瞬間だった。
まるで自分の中にあるものがごっそりと抜かれたような感覚が。
気が遠くなって、零れていく。白銀武を構成しているものが、ポロポロと剥ぎ取られていくように。
(ま、ず………………っ!?)
致命的な喪失感。
そして武は、自分の全てが消滅してゆくのを―――――――――
シンガポールにある、基地の一室の中。女性のCP将校の机上にあった、綴じられた本が。
―――――――消え去る寸前に、何かが自分を留めた。
武はその機を逃さず、自分に喝を入れた。とはいえ、状況は変わらない。まるで消しゴムで自分の存在全てを擦られているかのような、奇妙で、この上なく気持ち悪い感覚。
だけど、負ける理由がない。こんな所で終わることなど、許されない、誰より自分が許さないと、決意と共に。必死に自己を保とうとした武の脳裏に、今までの自分が歩んできた道の、戦いの記憶が浮かんできた。
最初は、手紙から始まった。
純夏に愚痴ることはできず、見えない不安を前に逃げないことしかできなくて。
ターラー教官の訓練は厳しく、泰村良樹や同期たちと手を取り合って、励まし合って。
時に喧嘩をした時もあったけど、耐えぬいた。
戦うことの恐怖を知って、教官に諭されて。逃げようと思ったこともあった。そんな時に、喀什よりBETAが来るという。
交差する道の上――――その選択を、人は運命と呼ぶ。
思い返せば、あの時が交差路だったのだ。右か左か、来た道を戻るか。
逃げることは許さないと、埋もれていた記憶に殴られたように思う。
それは正しかった。でも、覚悟が決まらなくて。
アラームが煩い基地の中で少女と出逢い、そして決意した。何も知らないまま、正しいと思う道を選んだ。
誰かが言った――――これより、始まるのだと。
言葉の通り、自分はスタートラインに立ったに過ぎなかった。
震えながらも強がり、初陣で無様を晒した。
だけどはじめて、自分の手で助けられた人の命があった。
誰と誰が、そこに居た。誰と誰が、ここに在る。長く、今も問われ続けている言葉だ。
助けられた人と、知らない内に死んでいった仲間がいる。
リーサ、アルフレード。ハヌマ、ガルーダ。
生命の軽さと重さを、思い知らされた瞬間だった。
だけど助けられた人たちの言葉はありがたく。
だからこそ失った人たちとは永遠に言葉を交わすことはできないと知った。
戦う意志はそれぞれに。戦う意味もそれぞれに。
生きるために戦う者も、悔いなく死ぬために戦う者も。
いろんな人が居た。生きるために戦っている人も、死に場所を求めて戦っている人も多く。
そんな中で死ぬかもしれないのに、戦うという女の子と向かい合った。
名前をサーシャ・クズネツォワという。
年が近く、この頃より大切な存在だったように思う。
だけど、彼女も衛士に成ると決めていた。
同じように、戦うしかないのだと知った。
生きるも死ぬも、どちらを選択しても、誰もが戦わなければならないのだと。
吹けば飛ぶような、戦場の命がある。想いが重しに重圧になる。
当たり前のように人が死んでいく。涙を流す人を見て、目には見えない想いが形に。
自分の中に残る重さというものを知った。
―――――それでも、次の引き金に指をかけるために。立ち止まることは許されない。
世界の空を支配するBETAがいる。占領し、物事の価値観さえも変えていく。
出撃前に見た夕焼けの空は、今でも夢に見ることがある。
ラーマ隊長の言うとおり、美しいこの世界を壊してはいけないと思った。
だけどBETAは強かった。初めて味わった大敗の味は苦かった。
―――――それでも、引き金を引き続けるために。
人の死を考えた。自分に出来る事を考えた。
分かったのは、自分の何もかもが不足しているということ。
1人では、挫けていたかもしれない。
そして、BETAによって変えられた街を見た。
人は心臓が止まるだけが死ぬことではないことを知った。
民間人で、その傷を知ったのは初めてだった。衝撃を受けて、だからかもしれない。
分岐の点は無音にして透明。過ぎて振り返って、足跡を見てから初めて気づけるもの。
泰村達の悩みと願いを知らなかった。侮辱かもしれない。だけどもしかしたらと、考える時がある。
もっと言葉をかわせば、今もあいつらは生きていたのかもしれないと。
辛い現実ばかりが押し寄せてくる。だけど、次の戦いはそこまで迫っている。
いつだって、現実は2択をつきつけてくる。
俯くのか、前を向くのか。とどまれば死ぬしか無いことを理解したのは、この頃からだった。
だけど、多くの人が通り過ぎて行く。
食堂でたまたま意気投合し賭けのポーカーをやった人がいる。
でも、次の日にはもう死んでいる。
この時に見た、アルフレードの手記は忘れない。
出会って、意気投合して笑いあっても夢を語り合う暇なくて。
人は何かを競うように、早く早く死んでいったから。
負けて、負けて、負けて。最後に撤退する時も、俯きはしなかった。顔を上げて、空を見る。
最後の、基地で聞いた自分達と同じく疲れた誰かの質問に無言で答えた。
やるか、死ぬか。やらなければ死ぬのだから、選択肢なんて無かった。
そして死ぬのは、自分だけではない。みんな、誰も彼もが死んでしまうのだ。
戦うために全てを賭けると、少女に誓った。
そして、産まれた人格はその通りに動いた。
勝つために、もう一人の自分はアルシンハ・シェーカルと接触した。
『――――っ』
思い返しても、良い記憶ばかりではない。だけど歩んだきた道筋だ。
乗り越えた苦労はあれど、それだけでは決してなかった。
亜大陸の戦い。終えても、続く道があろうとも。
更に、何かが自分を消そうとしているのを感じた。世界か、あるいは別のものか。
だけど、武は歯を食いしばった。叫ぶように、記憶を穿り返していく。
思い返すのは、海の上でのこと。
入院していた自分は、呼びかけ。そして必要なものを揃えるために、動き始めたのだ。
揺蕩う波の上で、原点を思い返すことがあった。日本でのこと。遠くなった故郷。
どこまでも続く海、隔てる水の轍。自分で決めた行く末の先にあるものを、見定めるために、考えこんだ。
何をすべきか、どこに向うべきか。
答えは出ないまま、パルサ・キャンプに辿り着いた。
そこで現実というものを知った。
そこに居る人達のあまりにも過酷な状況を知った。
日本ではありえないことだ。
きっと、誰もが文句をわめき散らしたいだろうに。
だけど、解決する方法なんて無いのだ。
ならば、抑えこまなければならない。
あるいは、別の方向に発散するか。
この時に思い出したのは、基地で自殺した整備兵の言葉だ。
人の中には様々な悪魔が存在する。
それを退治する方法は何か。
疲れた顔で問うてきた男は、次の日に自分の頭を撃ち抜いて死んだ。
俺は、死んでなんかやらない。亜大陸での悪夢に魘されながら、強がりを続けた。
タリサの明るさは、大いに助けになった。
自分を鍛え直して、見つめなおす機会を得た。
だからかもしれない。シュレスタ師が、自分にあの言葉を残したのは。
そして復帰した直後に、新しい仲間と出会った。アーサー、フランツ、樹。
自分と、こともあろうにターラー教官を侮辱した。
こんなに苦労しているのに、教官は好きでそんな事をしたわけじゃないのに。
そいつらは知らない。
他人だけが知るそんな願いが守られる場所などないのだと知った。
人は違うものなのだと。誰にも共通する常識はないのだと。
だから、自分を主張した。譲れないから、思うがままに怒って、叫んだ。
本気で衝突し、だからこそ見えたものがあった。
何に怒って、殴るのか。
本気で殴りあっての痛みがあるからこそ。
頬に走る痺れと共に分かったような気がした。
ラーマ隊長にいうと、笑われた。
誰もが怯え、死にたくなどないのと同じように。
人には言われたからには殴らなければならない。
触れられれば黙ってはいられない物が存在するのだと。
13人が揃って、改めて分かった。だけど、思えばあの時が始まりだったのだろう。
戦うと決意し、最低限の力を揃えた自分の出発点だった。
訓練は辛く厳しい。その中で、隊員達と何度もぶつかり、それ以上に言葉を交わした。
同じなのだ。犬も歩けば棒にあたる。戦術機も飛べば、大気に当たる。
隣に居れば、肩がぶつかることもある。
だけど、根元には同じものがあると、BETAに負けたくない人達が集まっているのだと。
話し、互いに知りあってからは諍いは無くなった。
だけど、そんな日々は続かなかった。
天災は死なない。BETAもまた、放っておけば勝手に死ぬようなことはあり得ない。
いつだって奴らは動いているのだ。だけど、やれるような気がした。
この13人なら、何だって乗り越えられると思っていた。
でも、この頃からだった。
自分に対する風当たりと、人間同士のぶつかり合いを実感させられたのは。
民間人との揉め事。プライドだけは高い上官。
上手くいっているのは、隊内の誰かとだけだった。
外からの干渉、意味がないだろうと思うやりとり。
人が抱えている問題は、BETAのことだけではないと知った。
また衝撃を受けたのはこの時のことだ。民間人に暴力を働く軍人。
子供の身柄をやりとりして、自分だけ助かろうとする母親。
価値観がまた一つ、壊れた瞬間であったように思う。
その時に、戦争に言及する誰かが居た。
そうだ、人間はBETAが居ない時は、同じ人間と戦争をしていたのだ。
争う理由を。BETA大戦以前のこと、人と人についてのことを考えるようになった。
だけど、分からない。
助け、手を差し伸べたら素直に感謝する者もいれば、そのまた逆も。
何をしても万人にとっての最善とは限らないのだと知った。
人と人の違いについて、知らない時はもっと分からなかっただろう。
だけど知ったからこそ、余計に分からなくなることがあると知った。
真実はない。本当に正しいものは、人それぞれによって違う。
何であっても物事に絶対はないのだ。同じように、確固たる正義は存在しない。
戦って、勝って、でも死んでいく人たちは多く。その生き様を見た。
盲信であっても、満足そうに死んでいく人が居た。それにケチをつけることなどできない。
一度深くまで信じれば、それが人によっての真実になると知った。
悠長にしていられる時間は過ぎたのだ。
BETAの侵攻をいつまでも防げるものではないこと。
亜大陸で学習したが、理解はしていなかった。
ちょっとした差異に、ミス。
重なって、気づけば当たり前のように基地に帰っていた精鋭さえも死んでしまった。
自分達の中隊も例外ではない。ビルヴァールとラムナーヤが死に、マハディオは壊れてしまった。
鍛え、戦い、称賛を得ていたからこそ衝撃的だった。調子に乗っていたからかもしれない。
だけど、必然のように思えた。勝利が重なれば油断は生まれるものだ。
BETAは無慈悲に強靭に、だからこそ緩みを突かれてしまう。
頑張っていた自分が滑稽だと思った。
どうあっても人は失う。長く生命を共にした戦友だからこそ、失った時の喪失感は大きく。
落ちるために昇るのか、昇るために落ちているのか、それすらも分からなくなった。
だからかもしれない。あの時はまた、逃げたいという気持ちが再燃していた。
守れなかった者が多すぎた。だから辛くて、都合のいい未来だけを考えた。
英雄であれと、教官から言われてからは更に逃げたくなった。
心は見たいものを見る。
この時に折れかけた自分が見たのは、自分が居なくてもどうにかなるという、愚かな幻想だった。
だけど、その度に浮かぶのだ。裏に潜む自分が、問いかけてくる。
本当に逃げていいのか、と。
言葉にはせずとも、暗に知っているからこそ理解してしまう。
自分が逃げた先の未来を無意識に感じ取っていた。
何もかも壊される世界。BETAに奪われ、果てる世界。
だから仲間を。それでも戦うと決意し、誓うみんなを見て、改めて自分に問い返した。
怖いものは、恐れることは。本当に手放したくないのは、何なのだろうか。
気づけば、前に出て宣言していた。
――――勝とう、と。
そして、勝って、勝って、ハイヴさえも落として。
待っていたのは、更なる地獄だった。
「っ…………ど」
日本に来てから、その問答は繰り返した。それまでの道中で出会った、小さな誰かの願いが自分を押しとどめてくれた。
白い光も、黒い光も、思い出となって自分の中に残っていたから。
「そう、だ」
呟き、思い返す。誰もが、あたりまえのように死を恐れていた。だけれども、戦おうとする意志を捨ててはいなかった。
それを、人は勇気と呼ぶのだろう。
その根底にあるのは、恐怖。誰だって大切な人を失いたくなくて。家族も、背を預け合った友達も、心交わした異性も。唯一無二だからこそ、守りたいと思うからこそ、そのために身に潜む勇気を振り絞ることができる。
それを、人は愛と呼ぶのだろう。
1人の想いは小さかったのか、強すぎるBETAを前に、風の前の塵のように吹き飛ばされていった。
「…………け、ど」
人は死んだ―――だけど。
潰され擦られては消え、取り返しがつかない命があった―――それでも。
居なくなったからといって、全てが消えたはずもない。足跡は胸に。あるいは、思い出の中に。忘れられる筈がなかった。なぜならば、生き残った自分にも。散っていった人たちにも。恐怖を前に今も戦っているだろう誰の心にも、"それ"はあるのだから。
―――――それは、とてもちいさな。
1人ではBETAというあまりにも巨大な脅威の前に儚く、消え去るのみ。だけど無ではない、決して零ではないのだと。積み重なれば、喀什に聳えるあの絶望の牙城の頂点さえも崩すことができることを証明してくれた。そしていつの時も、人類は1人で戦っているわけではない。いつだって、誰の隣にも戦友と呼べる誰かがいる。
だからこそ、ちっぽけなんかじゃない。絶対にないのだ。誰もがかけがえのないものを持って、一つも同じものなんてなく、代わりなんてない。積み重なって、在ろうとする世界を象っている。
―――――それは、とてもおおきくて、とてもたいせつな。
1人ではないからこそ、守りたいから、戦おうという意志が生まれる。
1人ではないからこそ、自分よりも大きな絶望を前に挫けないでいられる。
軍人で無い人も。自分の悪意に従わないと、流されないと、そう思っている人が大勢居るからこそ地球は、この世界はまだ残っている。
きっと、この星の上に生きる誰もが戦っているのだ。空を見上げながら歯を食いしばりながら挫けようとする自分を叩きながら欲しいものを、尊き願いを、譲れない場所に身を投じて戦い、生き抜いている。
ならば、これから始まるのは戦いだ。悪意がうずまく世界。だけど善意を信じて、戦おうとしている。
だったら、こんな所で膝を折っている暇はない。自分も負けてはいられないからだ。だからこそ、帰らなければならない世界がある。
ここにいる。ココに居ると、全てを飲み込んだ少年はそして。
「………グ、ぎ、ガァっ!」
苦悶の声。武の前から、視界の歪みが徐々に消えていく。
左右も上下も無い世界で、自分というものが定まっていく。
世界の定めにさえ、屈せず。排除する意志を前にしても、俯かず。
「が、あああああああああああっっっっっっっっっっっ!!!」
弾こうとする世界の意志さえも打ち負かし、乗り越えて―――――――――――
――――2000年、10月22日の昼のこと。
赤い髪の少女と、銀色の髪の少女二人が空を見上げた。
手には、不細工な手作りのうさぎが。
横浜基地のグラウンド。その上に広がる空は、途方もなく青かった。
廃墟だけになった街を、歩く人影があった。足はまっすぐと、丘の上にある基地に向かっている。
背負っている荷物はない。だけど大切そうに、掌の中に握りしめているものがあった。
「始めてやろうじゃねえか、物語を…………」
雲一つない青い空に、1人の少年の宣誓の声が吸い込まれていった。
「
第三章 ~ Look at ~ fin
and.........to be continued
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3.5章のトータル・イクリプス編は今冬更新予定