Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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★38話 : Once & Forever_

「っ!」

 

武はまるで落とし穴の落ちてしまったかのような、奇妙な感覚と共に起きた。

熟睡している時ではなく、仮眠や浅く眠っている状態から覚醒する時によくある現象だった。

 

「ようやく、お目覚めか」

 

「あ………あ、ああ。すみません、真壁少佐」

 

「いいさ。この所のハードなスケジュールを考えれば無理もない」

 

武は自分が居る場所を認識すると、真壁の言葉に、ありがとうございますと答えながら目元をこすった。確かに、ここ数ヶ月での間で武はあちこちに振り回されていた。

 

それこそ軍専門の労基署というものがあれば一個中隊を揃えて制止に来るぐらいの、皮肉でもなんでもなく殺意がこめられた忙しさに追われていた。だが、それは介六郎も一緒のはずだ。それを微塵にも感じさせないあたりに、斯衛としての貫禄が見えた。その介六郎は武の表情より何を考えているのかを察したのか、ふっと口を緩めて笑った。

 

「年上の面目というものがある。それに、まさかお前に運転させるわけにもいくまい」

 

「えー。一度は車も運転してみたいんですけど。戦術機よりは簡単だと思いますし」

 

「………同乗者に香典の用意をせねばならんな。あの奇天烈な機動を車で再現させられてはかなわん」

 

「そこはほら、真壁少佐と斑鳩大佐に犠牲になってもらうとして」

 

「ほう………それは下克上と取るが、いいのだな?」

 

二人は冗談を交わしながら、横目に仙台の街並みを見ていた。疎開先の中では最も人口の多い都市だからか、人の数は多い。だけど、その中に笑顔が見えることはなかった。

 

それもそうだろう。かつての首都である京都が陥落したのが、9月の事である。そのままBETAは京都を越えて佐渡にまで進行し、あまつさえは国内に初のハイヴが建設されているとの情報が入っている。そしてこれは極秘だが、京都陥落から間もなくして第五計画の推進派から計画移行の圧力が強まった。挙句は、10月には米国が一方的に日米安全保障条約を破棄し、日本より撤退してしまったのだ。原因は、佐渡ハイヴより出てくる、長野県で停滞したBETAに対する戦術による見解の相違である。

 

米国は核を使うか、あるいは新型爆弾を使うかと提案したが、帝国軍は自国でそのようなものを使えるかと、猛反対の姿勢を固持し続けた。だからこその撤退と。米国は自国の戦術機甲部隊の近接戦による死傷率の拡大を避けた、という見解も持たれている。だが、国連や帝国にとっては第五計画派の仕込みであるとの見解の方が強かった。

 

「民間人にとっちゃ、そんなの関係ないって話ですけどね………」

 

裏事情を知らない帝国の民にとっては、米国が一方的に尻尾を巻いて逃げたとしか映っていない。

ただでさえ日本という国の歴史の象徴でもあった千年を越える古都を落とされた。日本人にとっては、これ以上ない喪失感を覚えるものだろう。だというのに、更に強力な味方であったはずの米国が裏切ったのである。

 

そして同じ月には、関西以西に待機していたBETAが東進を再開した。西関東へ侵攻し、奇妙な経路を取ったこともあったが、横浜にその最終進路を決定する。横浜は陥落。今では帝都付近を最終防衛線として、帝国軍は横浜にいるBETAと睨み合っていた。

 

こんな状況で心安らかに居られるものなど、諦めの境地に達したものか、あるいは生来の脳天気か、そのどちらだけだ。

 

「でも………あの時はありがとうございました。本当なら、あの状況で自分だけ抜けるなんて、許されなかったってのに」

 

「戦う理由が霞んでしまっては困ると判断した。後のことを知っている身であれば尚の事だ」

 

10月の米国と揉めている時期である。武は2日だけ、故郷の柊町に帰郷を果たしていた。とはいっても、ほとんどの人間が疎開して、まるでゴーストタウンのようになっていたのだけれど。

 

鑑一家も、前もって連絡をしていたので、その時には既に仙台への疎開を済ませていた。武は家で再会できなかったことが心残りだったが、そのような我侭が許される状況になかったので口にはしていない。少し落ち込んだ武の、その表情よりまた何を考えているのかを察した介六郎は、バックミラーで武の眼を見ながらたずねた。

 

「昨日に再会したという、お前が世話になった家の者………あれだけの時間で良かったのか?」

 

「正直をいえば不満ですが、そうも言っていられませんから」

 

武はちょうど先日に、揃った鑑家の3人と仙台で再会を果たしていた。たった、二時間だけ。それでも、前もって知らせていたお陰で、念願の手作りカレーを食べることはできたし、話もできた。口に出せないことも多かったが、大陸での生活ではそれだけではない。語り尽くせないほどに多くの事があった中で、笑える話を選んで、悲しい所を見せないまま言葉を交わし。

 

そして別れ際に約束をさせられた。

言い出したのは、鑑純夏と、その母である鑑純奈の二人だった。

 

「………どうしてなんでしょうね。一言もそんな風な言葉を告げてないのに悟られてましたよ。これから俺が、一等に危険なことをするために動くんだって」

 

「だから必ず戻って来いと、そう約束させられたか」

 

武は無言で頷いた。止めたかったのだろうけど、ついには口にせずに。だけど、絶対に戻って来ることを約束させられた。食べるものもままならないからだろう、横浜に居た時より顔色は青く、そして痩せていて。だけど自分の前では、精一杯に元気だと見せつけてくれた。

 

横浜ではない、住み家は違う。だけどあの頃と変わらない暖かさが残っていたことに、武は感謝し、そして溢れ出る涙を抑えられなかった。だからこその、後戻りは許されないという気持ちも高めてくれた。一家は武が口添えをしたお陰で、質の悪いキャンプではなく、小さいが少し離れた所にある平屋を仮の住まいとして与えられていた。それは贔屓もあるが、何より武が万が一を考えたためだ。

 

武も、そして介六郎も米国や国連に白銀武の存在が全く知られていないなどと思うような、楽天家ではない。いざという時の米国が手段を選ばないのは、事情を知る者達からすれば常識の範疇である。

 

対策として、平屋の隣には民間人に偽装させた、諜報部員も潜ませている。それ以外にも、予想外のことなどいつでも起きうるのが今の仙台だ。BETAの西関東制圧と、横浜にハイヴが建設されたのを理由として、首都の機能はここ仙台に移されている。

だが、今は人の移動が集中するという混乱の時期にあたる。民間人の流入も、これからまた増えていくだろう。

 

「………貴様は、何度もこれを味わったのだな」

 

負けて、退いて、打ちのめされて、逃げて。BETAの攻勢に追いやられるように、端へ端へと追いやられていく。京都に鎮座していると言っても過言ではない帝国は武家の斯衛の。

その象徴たる大名の一角として所属していた真壁介六郎は今更ながらに負ける悔しさというものを実感していた。そして、何度も敗戦を経験したという武の言葉の本当の意味を知ることになった。

 

対する武は、自慢できるもんじゃないですけどねと苦笑していた。

 

「負け戦ですから、それだけ情けないってことですよ。人よりは多く経験した覚えはあります………けど、いつまでたっても慣れるもんじゃないですね」

 

京都での最後の光景は、今も夢に出る。歴史を感じさせる建造物が、街並みが燃えていく。

その最中に機体を並べて戦った多くの仲間達が、火の粉と共に散っていった。燃え盛る赤より天に昇る黒煙は、帝国軍人や日本人の全ての絶望が現出したかのように、空を黒く染めていった。

 

悩みより目覚めても、全力を尽くし抗っても届かなかった。そして武も、大陸で敗戦と後退を何度か経験し、その度に人類の弱さを痛感させられたことではあるが、自分の故郷でやられるとより一層の重みがあった。自分達の不甲斐なさ、そして悔しさに自分だけではなく介六郎を含めた多くの斯衛衛士が涙を流していた。

 

何より、京都を守るために存在していた斯衛でもある。あの古都に生家を持つ者も多く、自分の家が焼かれる悔しさを同時に味わったわけだ。

 

その後の西関東侵攻の時もそうだった。この時期に横浜を守ることなどできないと、分かっていた。だからこその帰郷で、自分の部屋で覚悟はしておいたはずだった。

だけど柊町が崩れていく様を。横浜が無くなった町として変貌させられていく様子を。

更にこれからも、支配したという戦果を誇るように、ハイヴが建設されていく過程を。

 

それを現実のものであるとして目の当たりにすると、どこから出てくるのかという程に眼から川のように止められない涙が溢れだしていた。

 

「………だからこその、面会だろう。暗い顔をするな、つけこまれる。それに、我らにそれは許されんだろうが」

 

帝国軍の白陵基地にあったオルタネイティヴ4の本拠地も、武が戻った時には、ここ仙台に移った後であった。今後のことを考えれば、砂上の楼閣も甚だしいが。未完成に終わる論文。素体候補の不在。あの“捕虜”の中で、生きている者が居るのかさえ不明なのだ。

 

問題は未だ山積みである。それこそ、天高く聳えるほどの財力とて解決には届かないだろう。

 

――――だからこそ、と。

 

「そう、ですね」

 

武は答えると頷き、気持ちを切り替えた。加えて言えば、介六郎とも今後のことを考えれば話しておかなければならない議題などいくらでもあるのだ。

 

話が終わった頃、二人は目的地にたどり着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と―――――ハイヴが建設される場所。自分の予想は的中していたでしょう?」

 

見るに豪華な、応接室の中。その中央で、武は先制のジャブを放っていた。相手は、モデルでも通りそうな美しい容貌とスタイルを持ちながらも、不敵な笑いを崩さない。ただの20半ばの女性であるなんて、そんな範疇には収まらないという予感を理屈ではなく理解させられるような、曲者特有の空気を持つ女性だった。知的ではあるが、学者特有の軟弱さなど微塵も感じられない。

 

油断をすれば利用され尽くされて捨てられる、まさに魔女という雰囲気を隠そうともしていない。

そんな、彼女は――――香月夕呼は、笑みを崩さないままに答えた。

 

「ええ………だけど、あくまで偶然であったという可能性も捨てきれないのだけれど?」

 

それがどうした、といわんばかりの反論に武は満足していた。なにか、こうでなくては、という懐かしさが浮かんでくるようだった。

 

(しかし………まあ、見えないよな)

 

記憶はあるし、脳裏に浮かぶ光景の中で顔は知っていた。知ってはいたが、実際に見るとまた感想が異なる。なんというか、とてもそうとは思えないような浮世離れした美人である。

 

それを怪訝に思ったのか、夕呼が少し表情を変える。

 

「あら、あたしの顔に何かついてるのかしら」

 

「いや、生で見ると美人だなぁと――――うぐっ!」

 

武は隣にいる介六郎に肘打ちをうけて、押し黙った。心なしか、夕呼の眼がアホを見るような色になったが、それを知った武は冗談ですよと愛想笑いでごまかした。

 

「悪いけれど、年下は性別認識圏外だから」

 

「あ、それは知ってます。一つ上のお姉さんの方は逆なんでしたっけ」

 

ははは、と笑う武に、夕呼はへえ、と返し表情には一切出さずに警戒のレベルを一段と上げたようだった。武は、隣から胃痛が酷くなるような音が聞こえた気がした。

 

「ともあれ、自己紹介を………白銀武です。初めまして、世界最高の天才。人類の救世主たる、地球の知能の代表者さん」

 

「こちらこそ、初めましてかしらね。香月夕呼よ、中尉。いや斑鳩公の切り札、極東最強との噂も名高い天才衛士と言った方がいいかしらね」

 

互いに、口にした内容は相手を称賛するものだった。しかし二人の間に流れるのは、今にも殺し合いが始まりそうな緊張感だった。牽制の一撃が終わった後は、武から話を切り出した。

 

「それで、どうでしょうか」

 

言わずもがな、ハイヴの件である。知る者は崇継と介六郎と目の前の夕呼だけだが、武は事前に香月夕呼に手紙を送っていたのだ。それは、次のハイヴの建設地について。一方的な賭けではあったが、夕呼も冗談交じりだが受けてたってしまっていた。

 

「………負けの支払いは素直に従う性分よ」

 

肩をすくめて、両手には参ったのポーズ。しかし表情は変わらないまま。

 

「ただし、連れていけるのは貴方だけ。理由は分かってるわよね」

 

「こちらも承知している」

 

介六郎は頷いた。武は来なさい、という夕呼の言葉に礼を返すと、内心で安堵のため息をついた。

 

そのまま、廊下を経て基地の中を歩く。武はそこで、妙に新鮮な感じを覚えていた。全く見覚えのない基地だ。だが、ある場所を境に、一体何を隠しているんだと不安になるほどに、セキュリティーのレベルが高くなっていった。

 

その奥には、頑丈そうな部屋の扉が。戦術機の突撃砲でも防ぎそうな扉の隣にある機械に、夕呼は歩いて行った。夕呼がカードを通し、パスワードを入力すると、ロックが外れたような音がする。

 

開かれた直後に、扉の向こうにある部屋から出てきた人影があった。

 

扉の正面より少し離れた位置にいた武が、あっと思う間もないほどに早く。飛び出したその影は、一直線に武の腹に突き刺さった。

 

「チョバムっ!?」

 

鍛えに鍛えた身体とて、急所への一撃は克服できないものである。武は間の抜けた苦悶の声を出すと共に、飛び出てきたもののを見下ろし、その正体を知った。

 

見えるのは、銀髪で、骨格から、彼女は。子供のように、両手を左右に広げて頭を下げながらの突進をしてきた彼女は、顔を上げて言った。

 

「あ~………あー?」

 

子供のような、無邪気で含むもののない笑顔だった。以前に見た時より、背も伸びて髪も腰元まで伸びている。だけど、見間違える筈がなかった。

 

「…………ひさしぶりだな、サーシャ」

 

武は万感をこめて名前を呼んだ。ついさっきも夢で見たばかりの少女が、今こうして目の前にいる。だけど、あの時と同じように、呼びかけても望んだ反応を示してはくれなかった。

 

かつての彼女とは全く違う――――だけれども笑って、元気そうな。最悪は容態かなにかが悪化して、こうして再会することも叶わなかったのだ。それを思えば、良かったとも言える。

 

こんな、生きている事をしっかりと認識させてくれる表情をしているのだ。

武は喜びながらも、泣きそうになった。

 

「背、越しちまったな」

 

あの時も少し俺の方が上だったけど、と。武は泣きそうになるのを隠すように、サーシャの頭を撫でた。手入れがされているのだろう、髪は流れるように滑らかだった。

一方で、撫でられる本人もされるがままになっていた。そして武は、後ろより珍しいわね、という呟きを聞き、何がですかと向き直ろうとした時に、もう一人の存在に気づいた。

 

「あ………」

 

サーシャより少し明るい銀髪。背筋を正し、手を前に組んで、だけど無表情ながらに少し驚いたようにも見える、年の頃は12ぐらいだろうか。武は、その少女名前を知っていた。

 

「………霞、か」

 

じっと見るが、間違いない。一方で観察されているように感じた霞は、驚いた表情を見せた。

 

「私を、知っているんですか」

 

「ああ、一方的に。そっちは初対面だろうけどな」

 

言った後に、武は後悔した。年端もいかない少女を相手に、「一方的にお前を知っているぞ」などとそれこそ変態確定の判を押されるぐらいの危険な発言である。実際に武は背後より、成る程、といった呟きを耳に捉えていた。

 

「いや、その、幼女趣味じゃないですから! ていうか霞もなんで怖がらないんだよ!?」

 

「………それは」

 

霞は、サーシャの方を見ながら困った顔をする。武はそれで、気づいたように頷いた。

 

「ああ、リーディングか」

 

何でもないように告げ、笑った。

 

「でも、こいつの記憶の中の俺かあ………色々な意味で酷そうで、聞くのが怖えな」

 

武はぽん、とサーシャの頭を叩きながら不安な表情を浮かべると、開いている方の手で自分の頭をかいた。霞はそれを見て、無表情ながらも戸惑った表情を見せた。

 

「いえ…………そんな事は」

 

「言葉に詰まったってのはそうなんだろうな、きっと…………」

 

あのサーシャの記憶である。

人のことを変態など鈍感などなんだの、徐々に毒舌になっていったのだ。武は思い出し、きっとろくなもんじゃないんだと落ち込んでいった。それを見た霞は慌てたように、違いますと言った。

 

「その、あなたとの日々は………」

 

霞は辿々しくも主張するように言った。だが、人と会話をする機会が少なかったからだろう、要領をえないものが多い。だけど、わかることはある。自分と居ることに関して、"楽しかった"という言葉だけは最後につくものがほとんどだった。

 

武はその内容と、そして更に説明しようとする霞を見て、少し驚いていた。今この時も、どうしてなのか理屈はよく分からないが、自分にはリーディングが効かないらしい。武は霞の様子を見て、何となく分かっていた。話し方にどうしてか通じるものがあったのだ。だからこそ最初は怖がられるか、拒絶されるぐらいは覚悟していた。

 

(………サーシャのお陰かな)

 

武はまだ撫でられるがままにされている、サーシャを見た。全く同じではないはずだが、似たような境遇であったはずだ。だからこそ、通じる何かがあったのかもしれない。

 

予想外の事は多いが、こうして良い方向に転ぶこともあるのだ。

それも、少しの油断で消えるものだけど。

 

「………香月博士。お話があります」

 

「ま、そうなるわよね」

 

武の呼びかけに対し、夕呼は予想していたように応じた。場所を移しましょうか、との提案に頷き、武は夕呼の後をついていく。

 

道中で思い出すのは、サーシャと、そして紫藤樹のことだった。今の樹は、斯衛に戻っている。紫藤家の次期当主であった、兄が死んだからだ。先代はと言えば、裏での大逆人である御堂賢治に協力していたとされて、内々に処理されていた。その実がどうであったのか、それは分からない。あるいは、あの機を誰かが利用したのかもしれない。

 

ともあれ、譜代である紫藤家が絶えるのは何かと問題がある。山吹の武家はそれほど多くはないのだ。紫藤の主君は、次代の政威大将軍である煌武院の姫君――――といえど確定しているのを知っているのは20人にも満たないのだが――――である。その他、様々な事情と面子的な理由もあって、紫藤樹は紫藤家の当主として斯衛に戻ることになった。

 

だが、それまでに樹が何をしていたのか、知る者は少ない。香月夕呼は知っている一人、というよりも彼を使っていた人物である。武は京都でのあの日、その理由を本人から聞かされていた。

 

(見た通り、だな………これは一人にはしておけない)

 

香月夕呼が何をしようというのではない。だけど、今の彼女は色々と一人にしては危ないものがあるのだ。感情を無視して言えば、オルタネイティヴ3の成果の一つでもある。なのにまるで童女のようであり、無防備で色々と警戒心が足りなさすぎる。最近はもう男の軍人も少ないが、まだまだ基地にはいるのだ。色々と溜まっている野郎が、贔屓目なしに並以上と思える容貌を持つサーシャにどういった反応を示すのか、推測しなくても分かるというもの。

 

あの後から今まで無事であったのが奇跡というものだ。経緯が経緯であったのも確かだが。

 

武とサーシャはあの事件の時に鎧衣課長とアルシンハ・シェーカル直属の秘密部隊に保護されたが、サーシャ・クズネツォワについては第四計画に引き渡すことになった。

 

色々な意味で、シンガポールには置いておけなかったからだ。アルシンハはその時に紫藤と裏で連絡を取り、そして事と次第を知らせた。そして、彼女をモルモットとして死なせたくなければ共に第四計画に、と。武も、アルシンハにはかなりの部分の重要な情報を伝えていた。

 

だからこそ彼は、第四計画側と積極的に関係を持ち、計画の成功を悲願にと、大幅に譲歩する姿勢を取っていた。そして、サーシャ・クズネツォワを死なせるのはまずいと、彼なりに理解していた。故に樹に対し、情報を流したのだ。

 

樹は頷き、斯衛にも戻るつもりはないと提案を飲んだ。そして樹は、横浜の基地に行き――――そこで、香月夕呼と取引をした。自分が彼女の面倒を見る上で協力を行うから、オルタネイティヴ4での保護と、生命の保証を確約して欲しいと。

 

夕呼としても、オルタネイティヴ4のトップとしてある程度以上の権力はあった。だがそれは形だけのものが多く、本当に裏切らない手駒というのはほぼ皆無であった。帝国軍からも、あわよくばと送り込まれてきた人員がいる。油断をすれば、即利用される世界なのだ。

 

その中で夕呼にとっては、紫藤樹の存在が色々と便利だと思えたに違いなかった。武も、よく知っている彼の人柄は、実直で嘘を嫌うということ。タンガイルを乗り越えてからは、任務に対する態度も変わった。曲がった事は嫌うが、必要であればいかなる任務にも冷静に徹するようになった。そして衛士としての技量は、実績での保証済みである。

 

かつての中隊では長刀の扱いの基礎を隊員に叩き込んだ人物でもあった。本人も感覚派というよりは理論派で、考えた上での高等な教導を行えるのだ。オルタネイティヴ4には、A-01と呼ばれる計画直属の特殊任務実行部隊がある。1997年に連隊として発足した部隊で、武もその存在はよく知っていた。

 

その訓練生の教官役は、かつては富士教導団に所属していた上に香月夕呼の親友である、優秀な人員――――武も記憶だけで知る、かつての貧弱だった自分の教官であった神宮寺まりもがいるので問題はない。

 

だが、その後の衛士となった人員を。実働部隊として動く、A-01をまとめる役に空席があった。武も、この計画の特殊性に関しては熟知している。だからこそ、他所から歴戦の衛士を引っ張ってくることの難しさも理解していた。だが必要なのだ。絶対に逆らわず裏切りもしない、だけど無駄死にを減らすことができる優秀な衛士が必要だった。渡りに船での提案。そして紫藤樹は、サーシャ・クズネツォワを見捨てないとの確証が得られたのだろう。

 

(………それを確認したのは、霞だろうけど)

 

確証が無ければ、提案は切って捨てられた可能性があった。

 

 

 

 

 

 

別室で腰を据えて二人は向かい合っていた。

 

「サーシャの………ああなった原因の究明と、解決方法は―――――って聞いても、答えてはくれないでしょうね」

 

「よく分かってるじゃない」

 

生憎と、香月夕呼は白銀武の味方ではない。サーシャの情報など、こちらには入手するすべもなく、また専門外なのでどういった状況かを知る由はない。だからこそ、明確にしないまま、相手に勘違いをさせれば色々と利用できるのだ。武も、単純に聞けば全て答えてくれるなどとは露にも思ってはいなかった。他ならぬ目の前の人物より教えられた言葉である。

 

『まさかとは思うけど、何の犠牲もなく何かを得ることができるなんて思ってないでしょうね』

そして、『聞けば答えてもらえると思うのは、甘えよ』とも。犠牲を対価として考えれば、そして質問と回答の価値と意味を考えればわかる話だった。

 

今も、そしてかつての時もずっと。目の前の女傑は手持ちの情報さえも偽装し、あらゆるものを知った上で利用し目的を達成しようとする。人類の勝利に徹し、必要であれば倫理さえも超越するような強固な覚悟を持っている、知の怪物だ。

 

だからこそ、武は言い方を変えた。

 

「第三計画の全てを接収できたわけじゃないから、ですか」

 

「………成る程。腕自慢だけの使い走り、というだけじゃなさそうね」

 

「知ってることは知ってますよ…………第六世代、そして300番目、プロジェクションにリーディング、指向性蛋白といった単語の意味ぐらいは」

 

「さあ、何のことかしらね?」

 

「一応、サーシャの生まれと計画について。確証はありませんが、予想はできてるんですよ」

 

白銀武の記憶は多岐に渡る。その中で、ソ連の非人道的実験の一部について調べたものがあった。

サーシャと、そしてリーシャの生まれの元となった計画についても。とても実用的ではなく、研究員の一部が進めていた破棄案の一つだったらしいが。

 

書類は英語で、その俗称らしい名前を『リサイクル計画』という。

 

 

「ESP発現体………ある世代より上には、特定の指向性蛋白の投与が必須とされています」

 

「………そうね」

 

「そしてリサイクル計画とは………胎児の時から特別な調整を施された個体ではなく、"提供"された子供に特定の指向性蛋白を投与し、人工のESPを発現させる計画だった」

 

対象となった子供たちのほとんどが狂死したが、生き残った子供も居た。そして産まれたESPの程度は様々だったらしい。研究員は、その能力さえも利用できないかと考えた。

 

「成る程。"リサイクル"とはうまく言ったものね」

 

「ええ。考えた奴を殺したい程に」

 

提供されたということは、要らなくなったということ。その子どもたちをモルモットとして、実験に使った挙句何かに再利用できないかと考えたのだ。感情を色として読み取る能力に長けた、R-32ことサーシャ・クズネツォワ。そして、リーシャ・ザミャーティンはプロジェクションが得意だったという。武は意を決して提案をしてみせた。

 

「情報交換と行きたいんですが。聞きたいことを一つ、答える代わりに質問をする」

 

「………いいわ。双方にとって無意味にならなければいいけどね」

 

「お互いに、ですよ」

 

武は話が早いと、頷いた。夕呼は先の計画のことをたずねてきた。問題とするのは、プロジェクションについてだ。

 

「マンダレーハイヴ攻略作戦。あの時にS-11を担いで特攻した部隊に、リーシャ・ザミャーティンによるプロジェクションが使われたと聞いたけど?」

 

万が一にも、他にそのような事が出来る個体が居れば脅威になりうる。まずは小手調べ、といった情報に武は素直に答えた。今でようやく、対等一歩手前といった所だ。ここで見限られれば、あとは協力さえも得られないだろう。武は慎重に、予め整理していた情報を引き出して答えた。

 

「それなりに効果はあるんでしょう。例の暗殺された基地司令も、ある時を境に言動が"ズレて"いったようですから」

 

亜大陸で、S-11を使った特攻作戦部隊を発足させようとした、例の基地司令である。ダゴンとかタコールとかいう彼は、その時よりセルゲイに利用されていたのだろう。アルシンハ・シェーカルが集めた情報の中に、わずかだが関連する目撃情報などがあった。

 

「ですが、全ての人間に対して有効とは言えないようです」

 

「有効な人間と、それ以外が居る………つまりは、衛士といった種類の人間ね。あるいは、自分の意志が強い人間かしら」

 

「はい。あいつらは、亜大陸に居た頃の、俺の同期でした。プロジェクションを受けて、日常生活の細かな部分は変わってしまったようですが………」

 

それでも、あの時に忌々しい顔をしたこと。そして武は最後の言葉を思い出しながら、断言した。

 

「何がどうあっても、あいつらはS-11で突っ込んだでしょう。訓練生だった頃にも、それらしき望みを持っていた事を聞いた覚えがあります。だから、死に場所を求めていて――――地球を頼む、とこれ以上なく満足そうに。俺に託して、逝きましたから」

 

「だけど確証も証拠もない、と。感情論と物事の成否は全く別のことよ?」

 

「証拠はあります。同期としてはそれなりに、実戦に出てからも見ていましたから。物証はありませんけどね。確証については――――セルゲイとリーシャの様子と、自分の衛士としての勘を元に下した結論です」

 

まるで自分の存在価値が無くなったかのような。武はリーシャが自分に仕掛ける前のことも説明した。武の迷いのない口調と状況の詳細に、夕呼はまあいいわ、と頷いた。

 

「気にすることはありませんよ。どの道、対処の方法はある」

 

「そうね。そう考えれば、リサイクル計画とやらは失敗したと言えるのかしら」

 

「さあ………何が成功で失敗か、それを決めるのは神様じゃない。そうでしょう?」

 

試すような夕呼の言葉に、武はいつかの彼女自身が言っていた言葉を引用した。事の成否と利用価値が決まるのは、あくまで人間の主観によるものだ。

 

武は成否はともかく、サーシャに出会えたことを感謝している。それ以外はどうでも良いというか、どちらでも構わなかった。気に食わないが、留まっているだけでは何もできない。問題は次にどう活かせるか、どういう意味を見出すかだ。

 

それを聞いた夕呼は、笑みをほんの少しだが深めていった。

 

「R-32の………名前で呼んだ方がいいかしらね?」

 

「はい」

 

「分かったわ。じゃあサーシャ・クズネツォワだけど、彼女の容態の詳細を把握することさえ不可能だわ」

 

「………で、しょうね」

 

もともとが、ESP発現の条件の詳細などは完全に解き明かされてはいないのだ。それは能力の暴走や過負荷がかかった結果、脳がどのように影響を受け、どのような不具合が発生するのかを予想することさえ困難になるということ。何より、蛋白を投与される前のサーシャの脳と、投与された後でも正常に機能していた脳の詳細が分からないのが致命的だった。

 

覚悟してはいたが、明るくない結果に武の意気が消沈していく。だけど、それも予め覚悟しておいた事だ。持ち直した武に、夕呼は問いかけた。

 

「次は、そうね――――いえ、その前に聞きたいことがあるわ。貴方がどれぐらい、オルタネイティヴ計画について把握しているのか、それを答えてもらってもいいかしら」

 

夕呼の質問に、武は静止した。質問の意味が分からなかったからだ。だけど数秒の後に理解した。

つまりは、情報を持ち捌く者として、指し手としてどのレベルにあるのかを知りたいというのだ。

事前の連絡では、自分はあくまで斯衛の切り札の衛士と、そしてサーシャ・クズネツォワと紫藤樹とは旧知であるということ。そして影行の事を考えれば、アルシンハ・シェーカルとの繋がりも持っていると見られているだろう。

 

それが、オルタネイティヴ3とはいえど、かなり後ろ暗い部分までの情報を持っている。つまりは、背後にいる者達も同等の情報を持っているということだ。答える義理はあるのか。対して夕呼は、これはひとりごとなんだけど、と前置いて告げた。

 

「鑑夏彦、鑑純奈、鑑純夏――――であってるかしら?」

 

「………それは、鎧衣課長に聞いたんですか」

 

そうであれば、と息巻く武に、夕呼は面白そうに笑った。

 

「答えたも同じね。でも、鎧衣課長では無いわ。数年前、帝都で見かけたのよ」

 

聞けば、帝都の喫茶店で見たらしい。鑑という一家が、白銀武と、白銀影行という二人を探している。それもかなり必死な様子で。だからこそ、白銀家と深い繋がりがあると思うのは当然のことと考える。武はそれを理解した上で、どうして今それを、と聞き返すのは悪手だと判断した。

 

ひとりごとだと言うからには、聞いても惚けられるだけだろう。そもそもの前提として、向こうはサーシャ・クズネツォワのことなど重要ではないのだ。樹が一時的にでも斯衛に戻っている現在、彼女の人質としての有用性を証明しなければならない。話の流れを理解した武は、迷いなく答えた。

 

「――――00ユニット」

 

「っ!?」

 

それまで余裕を保っていた夕呼の顔が、僅かながらに歪んだ。驚愕と、また別種の何かが混じった顔。武は見たことのない表情に、少し驚いていた。だけど、まずいと内心で舌打ちをしていた。

 

政治的な駆け引きに関しては、ここ数ヶ月の間に介六郎と崇継に初歩的なものは叩きこまれていた。だが、所詮は付け焼き刃である。香月夕呼相手に、同等の立ち位置で向かい合いやり込められるとはまさか夢にも思っていない。このまま警戒しあい、乱戦染みた攻防になるのはまずい。そう考えた武は、風向きを変えた。

 

「サーシャの事に関して説明を要求します。元が分かれば――――例えば能力を発現していた頃の脳のデータさえあれば、どうにか出来るんですか?」

 

「………順番が、違うんじゃないかしら」

 

「俺の、崇継様の目的を勘違いしてもらっては困るんです。俺もあの人も、オルタネイティヴ5のような未来の無い糞ったれな計画は、絶対に阻止すべきだと思ってますから」

 

「貴方の勝手な判断。あとは、こちらを混乱させるブラフだって可能性もあるわね」

 

「分かってます。取引は信用から、ですよね」

 

武にしても察しやすい、分かりきった挑発染みた言動はテストだ。うさんくさい自分を信じる価値は、オルタネイティヴ4に味方をするという言葉は偽りのない本心なのか。

 

あるいは窮地においても冷静で、香月夕呼の足を引っ張らないような、協力するに足る人間であるのかを試している。だから武は挑発を受け止め、だけど乗らずにただ自分の差し出せる証拠を用意した。

 

「斑鳩公………崇継様からの、全権代行を示す書類です」

 

紙にかかれていた文は、『オルタネイティヴ4に関連する交渉に限り、白銀武の行動の全てにおいてを斑鳩崇継が保証すること』というもの。それを見た夕呼は、面白そうに笑った。京都の撤退戦において、斑鳩崇継が殿を務めたことは有名だ。

 

武勇で知られ、また真壁一族という知将猛将を臣下に持つ斑鳩の一派は、総合力で言えば五摂家の中でも1、2を争う程である。まさか嘘ではあり得ないだろう。一度確認されれば終わりだというようなブラフを、使うはずがない。

 

「流石は、マンダレーを攻略した天才衛士くん………英雄殿、と言った所かしら」

 

「利用価値があると言えば、はいと答えます。ですが、調子に乗るつもりはありません。結局のところ、生まれ故郷さえ守れなかった男ですから」

 

自分だけの力ではどうしようもなかった事の方が多い。英雄としての価値と活用も、それ以外のお膳立てをやった人物は自分ではない。そしていくら英雄と呼ばれようとも、幻想の一部であることに間違いはない。夕呼は、謙遜するでもなく、増上慢にもならない武をしばらくじっと見た。

 

――――使えるわね、とつぶやいた言葉は、武の懇願からくる幻聴か、あるいは。

 

「………いいわ。口だけでも、腕力が自慢なだけとも頭でっかちのアホとも違うようだし」

 

「心中、お察しします」

 

武は遠い記憶の中のいつだったか、自分の足を引っ張るだけの無能が多かった、という愚痴を聞いたことがあった。まるでBETAのように話の通じない輩ばかりが擦り寄ってくると、心底嫌そうな顔で。だけど、流石に踏み込み過ぎたのか、夕呼はため息をついた。

 

「ガキに同情される覚えは無いけど?」

 

「ですよね」

 

その返す言葉も、なんというか"らしい"。武がいいようのない満足感を覚えていると、夕呼は視線で文句を叩きつけた。ぶしつけに過ぎたのだろう。武はやべっ、とこぼしながら取り繕うように急いで説明を始めた。

 

「俺からの対価は主に情報ですね。あとはオルタネイティヴ4にとって有益になる手段と、その協力を約束します」

 

武も気を引き締めて、緊張感を更に高めたまま口を開いた。

 

「来年の1999年、8月に本州奪還の作戦が行われるでしょう。その作戦において米国は、日本その他の現地で戦っている軍に許可を取らず、強引に2発のG弾を投下するでしょう」

 

 

突然の荒唐無稽な話に、夕呼の表情が硬直した。

 

 

「作戦名称、『明星作戦』。オペレーション・ルシファーと呼ばれる、作戦で――――G弾の不安定さを助長する方法があります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武はひと通りのことを話した後、霞とサーシャと3人だけになっていた。

夕呼に、話をさせて欲しいと頼み込んだのだ。

 

武はどうしてか擦り寄ってくるサーシャに困りながらも、霞と話をしていた。

 

「あの………大丈夫なんですか?」

 

「あー、まあね。それなりの対価は要求されるだろうけど」

 

むしろ望む所だ。切れない札は多いが、武もここ数年の間に色々とやってきた自負はある。特にここ数ヶ月は、斯衛の有力者とそれなりの繋がりを持てるようになった。その方面からの提供は、オルタネイティヴ4の、夕呼の力になるということなので別に損をすることもない。

 

「その、白銀大尉は………深雪(みゆき)姉さんの」

 

「え、深雪ってこいつのこと?」

 

「は、はい。その、香月博士が。そのままの名前でいると不味いからって」

 

外では、社深雪で通っているらしい。確かに、ちょっとした有名人であり、戦死した人物の名前を使うのはよろしくない事態を招くことになるだろう。

発案者は樹らしい。同義語がどうのこうの言っていたらしいが、武はその意味が分からなかった。

 

「まあ、いいか。ってごめん、中断させたけど、聞きたいことって? あ、あとタケルでいいよ」

 

「はい。タケルさんは、その、深雪姉さんの友達、なんですか?」

 

「う~ん…………友達、というよりは家族に近いかなあ」

 

特別な戦友である。戦い始めた時期も一緒で、苦境も一緒に越えてきた。実質にして2年あまりの付き合いである。だけど生命を共にした期間にしては長く、武はベクトルの違いもあるが、付き合いの深さは純夏と同等ぐらいだと思っていた。

 

「………ですが、サーシャさんは」

 

「今はどうしようもないのは分かってる。でも…………」

 

解決の方法、その鍵を取りに来るために。そして今はせめて、顔を見るだけでもしたかったのだ。

 

「霞は、サーシャの記憶を覗いたんだよな」

 

「はい………」

 

「いや、別に責めてるわけじゃないんだ。ずっと閉じ込められてて、退屈だったろうし………サーシャはどう思うのか分からないけどな。でも、最悪としても、一時的に怒るだけだけで許してくれると思う」

 

「そう、なんですか?」

 

「こいつも、自分より小さい奴を可愛がりたがる奴だし」

 

周囲のほとんどが、自分より大きな存在だったからか。出会った頃の自分も、プルティウィに対してはきつく当たらなかった。むしろ甘いような。

 

「お姉さんぶるところもあったし、って………いてえっ?!」

 

武は何故かサーシャに手を取られ、どうするのかと思っている内に関節を極められた。痛がったらすぐに外してくれたが、武は驚いていた。霞はそれを見て、怒ってるようです、と無表情のまま答えた。どうやらちょっと怒るような事があると、すぐに関節を極めてくるらしい。

 

「ぶ、物騒な、っていうとまたやられそうだな」

 

「………本当は、珍しいんです。こうして、誰かに反応することも」

 

極力人目にはつかないようにしていたが、数度だけ面会を求められたことがあった。だけど、サーシャはその人物を警戒して近づかないどころか、全く興味さえないといった感じだったらしい。

 

「あれ、でも樹は?」

 

「樹さんは、その………極稀にですが、擦り寄ってくるのが苦手だったらしくて………」

 

顔を赤くして、複雑な感情と共に支離滅裂な言葉を思い浮かべては、離れたという。

武はその時の光景がありありと目に浮かぶようで、成る程と深く頷いていた。そして関節を極められた被害者とは、樹のことらしい。

 

「災難な………相変わらず、幸薄いやつだなぁ。ってそういえば、霞も頻繁に樹に会ってたのか」

 

武は言いながらも、それもそうかと納得していた。夕呼の直属部隊の隊長であり、サーシャの仮の保護者となっていたのだ。霞が知らないはずがないし、顔を合わせる機会も多かっただろう。

 

「………夕呼先生にからかわれてた?」

 

「はい、とても」

 

間髪入れずの即答に、武はだろうなぁ、と頷いていた。

そして日本に戻ってきてからの相変わらずの役どころというか、ポジションに同情した。

 

同時に、実感していた。ビルマのあの時よりずっと、サーシャはこの場所にいたんだと。血塗れになった後より、変わらず。少しは回復したのだろうけど、ずっと壊れたままで保護されていたのだ。

 

(………戦わないで、死ななくて良かったと。そういえばお前は、怒るだろうけど)

 

幸運であったように思う。だけどサーシャの言う本当にやりたい事を、武は本人の口から聞かされていた。家族を守るために、自分の居場所を守るために戦うこと。

それが出来なかったこと、本人に関しては不本意であるかもしれない。

だから回復した暁には、関節を極められるどころか折られる覚悟はできていた。

 

そもそも、戻るのかどうか。不安な要素もあり、解決の方法もいまだ五里霧中も甚だしいといった段階で止まっている。だがそれとは別に伝えておきたいこと、そして報告することがあった。

 

「………母さんと、会ったよ。京都で、ぜんぜん予想もしてなかった形で」

 

真壁介六郎曰く、崇継様は悪戯好きでな、とのことだが、冗談にも程があると思う。

直接に抗議することは無かったが。

 

「でも………俺だけじゃあ、な」

 

目が覚めた後のことだった。戦って、戦って、驚かれるほどの成果を出した覚えはある。

だけど、限界は容赦なく訪れた。自分より離れた所で、防衛線の一部が崩壊したとの報告。気づけば、京都市内にまでBETAが入ろうとする寸前だった。

 

とても、届かない距離。絶叫し、だけど目の前の敵を通せば本末転倒になる。絶望した。また失うのか、と思った。

 

だけど、その時だった。後方より現れる部隊があるとの通信が入ったのは。

 

「………ターラー教官が、さ。精鋭部隊を率いて、駆けつけてくれた」

 

本来なら、東海地方の防衛についていたはずだった。ほとんど言いがかり的な、国連軍に配慮しての。だからどうしてあの時に京都までやってきていたのか、理由に関してはまだ聞けていない。

あの後は混乱も激しく、また大東亜連合軍の部隊を責める声もあったからだ。

 

だけど、武は感謝していた。精鋭部隊が穴を埋めてくれたお陰だったからだ。

あの時の侵攻で京都の中心部が被害を受けなかったのは、ターラーの部隊が居たからだ。

 

「お陰で、色々と話をすることが出来た。本当に感謝して………そういや、マザコンだってお前に誂われたこともあったっけか」

 

話しかける。だけど、サーシャは何のことか分からないと首を傾げるだけ。

武は、その反応にたまらなくなり。そして、立ち去ろうと椅子より立ち上がった。

 

「あ、の………!」

 

武は驚いて、振り返った。記憶の中でも多くない、霞の少しだけど大きな声。

見れば彼女は、何かしらの決意をするような顔をしていた。

 

 

「タケルさん…………どうか水曜日の早朝に、もう一度。この基地の第三グラウンドに来てください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、霞が告げた日の早朝。武はまだ霧が濃い時間に基地に到着し、言われた通りの場所に来ていた。崇継に対しての報告、また夕呼が出した条件と、自分の権限に関しての調整と。色々と忙しく、目の下には隈ができていた。

 

外も、もう冬に入ろうかという11月であり、夏の京都と比べれば遥かに寒い。

じっと動かずに一人で居るだけで不安になるような中を、歩いていく。

 

「誰もいないようだけど………」

 

武はもしかして霞流の冗談なのかな、と埒のないことを考えている時だった。

グラウンドの、中央より少し離れた所にうすぼんやりと人影が見える。

 

武はそれを見た瞬間、息が出来なくなった。もしかして、という期待が胸の奥に湧いて。そして急いで近づくにつれて、その全容が見えた。

 

グラウンドに引かれた白線。そのスタートラインには、いつかと同じ銀髪の少女の姿があった。

 

武は無言のまま、少女に歩み寄っていく。そして、触れられる程に近く。

 

だけど――――もしかして、治ったのかと思ったけれど―――――サーシャは先日に会った時と同じ、壊れた状態のままだった。

 

前に出会った時と、同じ。だが場所と、この時においては関係が無かった。武は無言で上着を脱ぎ去ると、白線の内側に投げた。

 

軽く準備運動を、そしてサーシャの隣に立つと、同じくスタンディングスタートの体勢になった。

 

どちらともなく、開始の号令が。そして二人は、前に走りだした。

 

それは、いつかの時と同じように。戦争に準備に忙しくなってからは週に一度、行事のように繰り返していたことと同じだった。

 

ちょうど、この水曜日だった。毎回の勝負で、支払いたる報酬を。負けた方が相手の言うことを聞く権利を遣り取りするのはネタが尽きるからと、思ってからは通算の成績で勝負することになった。

期限は、何か一つの大きな転機が。例えば、BETAに大勝して戦況に一段落がついた時に勝敗を決めると、そういうルールだった。

 

提案をしたのは、サーシャだ。亜大陸にいた時は彼女が圧倒的だったが、アンダマン以降はずっと負けがこんでいて。取り返してやると、勝つために躍起になっていた。武も、負けじと朝のランニングは欠かさなかった。最後の競争でちょうど同じ成績になっていた。そして、マンダレー・ハイヴ攻略作戦の前夜に、あと一回と決めていて。

 

つまりは、これが最後の決定戦となる。武は、かつての事を思い出しながら走っていた。周囲の音の、何もかもが遠い。ただはっきりと聞こえるのは、自分と彼女の足音と、口から漏れるその吐息だけ。そして、自分の胸が軋む音であった。

 

どこでも、こうして走った。最初は亜大陸で。リハビリがてらに、スリランカでも。アンダマンのキャンプで、島にある基地で。バングラデシュの前線に戻ってから、シンガポールまでずっと。

 

思い出す度に、今の自分の足が鈍る。忘れていた、痛くてたまらないからって仕舞いこんだ。思い出すことさえも封じていた自分の情けなさが、重しになってのしかかって来るのだ。

 

守れなかった。むしろ傷つけてしまったという、自責の念であった。

 

 

―――――決着は、必然だった。

 

 

武はゴールで待つサーシャに、無言のまま歩いていく。

じゃり、じゃり、じゃりと土の音。足音が止まると、二人は向かい合っていた。

 

互いに手を伸ばせば届きそうな距離で、視線が交錯する。かつてとは違い、身長も逆転している。

 

少年と少女は、かつてとはあまりに変わり過ぎていた。家族のような中隊もなく、自分も多くの事を背負い込んで、彼女は心さえも壊れて。

 

武は目の前のサーシャが、手を伸ばせば届くのに、果てしなく遠くまで行ってしまったかのように感じられ、そして落ち込みそうになりそうな時だった。

 

サーシャが、片手を自分の胸に。そして、もう片方の手を武の胸の方に指した。

 

それは、中隊の中で作った、たわいもない合図のこと。

魂までも擦り切れそうな過酷な環境で、言葉にせずに互いの無事を確認するサイン。

 

自分は大丈夫だ――――だけどお前は大丈夫か、と。それに対する答えは、決まっていた。

同じく、片方の手で自分の胸を。そして、差し替えそうとした時だった。

 

武の指が震えている。そして、たまらずに声もなく。

気づけば、自分の両目から涙が溢れていることに気づいた。

 

武はそのまま、下を向いた。眼を閉じて、歯を食いしばる。

肉が歪み、骨が軋むほどに掌を堅く握りしめる。

 

――――ずっと、後悔していた。本当は、覚えていた。夢現に見たこともあった。

 

その度にああすれば、こうすればもしかして、とくだらない思いに囚われた。

 

(………けど、まだだ)

 

拳を握りしめながら、自分の無力を思う。BETAに負けて、負け続けた。全力で抗おうとも、無駄で。自分の事情や意志など関係がないとばかりに、色々なものを奪い、擦り付けていった。

 

故郷さえも灰燼に。敵はあまりに強く、そして人類は気づかずに自分の喉に短刀を。

地の底だ。笑えてくるほどに、絶望が溢れている。

 

だからこそ、解法がいるのだ。それこそ、夢のような―――――お伽話のような。

 

その結末を、望む未来をたぐり寄せられるのは、自分しかいない。だけど達成は困難を極める。不安要素は色々とあり、準備も万端とはとても言えない。不確定な部分は多く、もしかしたら見当違いだっていう可能性もある。苦境を乗り越え、覚悟を固め、それでも届かないという恐怖はある。

 

だからこそ、サーシャの顔を見たかった。決意のために。更に強めるために、サーシャに会いに来た。横浜に戻ったのも、鑑の一家と会って話したことも、そういった理由が背景にあるからだった。

 

だけど、そうした自分を叱る声が聞こえる。望むものを勝ち取るために、何が必要なのか。

武は掌を解いた。堅く握ったままでは、何をも掴み取ることはできない。

 

硬いままでは駄目なのだ。限界まで広げて靭やかに、掴みとるものを包み込み離さないようにしなければならない。

 

脳裏に描くのは、誰もが笑っている世界。

 

武はそれを掴みとるように握りしめ、指を立てた。

 

人差し指の方向は、サーシャの胸に――――全身に。全てを救うために。その決意をこめて、武はサーシャとサインを交わし合った。

 

サーシャは不思議そうな顔をするだけで、武は苦笑しながら。

二人は同時に、両手を下に降ろした。

 

「負けちまったな――――でも、支払いは後だ」

 

約束だ、と小指を立てる。

 

 

「帰ってきてから、聞いてやる。他ならぬお前に――――サーシャ・クズネツォワに」

 

 

最後の言葉に決意を乗せて。武は、こちらを見る霞と、そして夕呼に視線を向けると頷き、グラウンドを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、基地の中の帰路の途中だった。武は、壁にもたれかかって待っていた人物を発見した。今は短い髪の、だけど女と見紛う容貌には一筋の傷が入っていた。紫藤樹。自分のよく知る戦友の、そして泰村良樹の兄でもあった。

 

「………会ってきたか」

 

「ああ、会ってきた…………約束も。あと、深雪という名前の意味は?」

 

「彼女の名前の意味は知っている。だから………あとは自分で調べろ」

 

「手厳しいなあ。でも、ありがとう。純夏のことも、サーシャのことも」

 

「俺が好きでやったことだ。こともあろうに、斯衛の赤たる者が一般人を利用しようとした。見過ごせるはずがないだろう」

 

「サーシャの、ことは?」

 

「いちいち言わせるな。ビルヴァールにも、頼まれていたしな………こちらこそ、礼を言おう。良樹の遺言を伝えてくれたな」

 

「それこそ、礼なんていらねえよ。結局の所、俺はあいつを止められなかったんだから」

 

「止められる方が嫌だったろうさ。お前の言葉を聞くならば」

 

交わす言葉は、端的なもの。それだけで通じる程の付き合いはあった。

 

そして、思い出の中の一つを樹は口にした。

 

「Once & Forever…………今も、覚えているか」

 

「………懐かしいな。ハイヴ攻略作戦の直前、だったか」

 

クラッカー中隊の最後の戦いのこと。全員の目的は、BETAを倒すという方向では同じだった。だけど、各々に重んじるものが違った。だけど、意地のままに戦い抜いて、それでも限界が訪れていた。

 

戦う内に、色々な人間と出会った。死んでいく人も、生きていく人も。そんな中でサーシャを除く全員が、自分の産まれた故郷というものを改めて考えるようになった。精神的にも限界が近かった。特に白銀武とサーシャ・クズネツォワの疲労は著しかった。

 

夢から醒める時が来たのだと、誰かの言葉にほぼ全員が頷いた。

だけど、英雄と呼ばれた自分達には立場があった。だからこそ、最後のケジメとして。

 

武は、歌うように言った。

それは、当時のターラー・ホワイトより全戦闘部隊に向けられた言葉だ。

 

「敵は強い。敵は多い。されど私達が背負ったものほどには強くない。仲間の死を忘れるな。幼き死を忘れるな。託されたものを放り出すな、故に死を恐れよ。死は決して受け入れるものにあらず」

 

樹が、続きを。

 

「英雄として在れ。消えず憧れられる夢で在ろう。私達で夢を見せるのだ。人類の勝利という夢を見せ、掴み、現実にまで引き下ろす」

 

実行可能な現実として、その覚悟を。

 

「できるじゃなくて成し遂げる。背負ったものに笑えるように、ここより共に最後まで――――"かつてから此処より、何処までも"(Once & Forever)

 

大東亜連合の、特に衛士の間では今でも復唱されている、有名な言葉だ。

だけど――――それには続きがある。

 

告げた後、いよいよという直前に、ターラーが中隊の隊員だけに向けた言葉があった。

秘匿回線で、インファンを含めた12人に向けて。

 

漏れるに不味い言葉である。だから二人は静かに、心の中で反芻した。

 

『この場にいる全員が揃うのは、これが最後になるだろう。例え勝っても、負けても…………この12人が同じ部隊で戦うのは、もう無いかもしれない』

 

その上で、ターラーは言った。

 

『吹けば飛ぶような夢だったろう? だけど、実にはならずとも種にはなった…………奇妙な力を持つ二人の子供のお陰でな』

 

その時の衝撃を、武は忘れない。きっと、サーシャだって忘れないだろう。10人の全員が、気づいているとは思わなかったのだ。白銀武の特異性の正体は、うすぼんやりと。サーシャ・クズネツォワの抱えるものに関しては、その能力のみであるが明確に知られていた。

 

未来を知る少年と。人の感情を読み取る少女。それを前に、ターラー・ホワイトはそれがどうしたと笑い飛ばした。

 

『理屈は知らん。理由も、どうでもいい。この二人は仲間だ。共に死線をくぐり抜けてきた、家族である。そして、二人には最上の感謝を捧げたい。まずは、白銀武…………こんな時代だ、未来の記憶はきっと碌でもないものだろう。だけどそれを抱えつつも、小さなその身で、地獄そのものだった亜大陸にまでやってきた』

 

共に戦った者として。何より、期待に応え続けたただの一人の衛士として。

 

『そして、サーシャ・クズネツォワ。お前の胸の内を、測ることなどできないだろう。だけど想像はできる。戦場では人が死ぬのだ。それはどういった感情を産むのか、窺い知ることしかできない自分達とは違い、お前は多くを詳しく受け止めねばならなかっただろう。抑えきれない激情を、糞ったれな感情を持つ者も居ただろう。だけど、その上でも戦い続けることを選択した…………どちらも、理由の違いはあるだろう。だけど人を助けるために、戦場に出ることを選択し続けたことだけは確かだ』

 

それは尊いものだと。そして、だからこそとターラーは告げた。

 

『二人以外の全員に告げる――――勝って終わるぞ。なぜなら、我々は大人だからだ』

 

だからこそ、と笑う。

 

『結成の誓約は覚えているな? それを違えたくないのであれば、勝つために最善を尽くして戦い、そして当然の如く勝つ。そして、いつも通り全員で生きて帰るぞ』

 

タンガイルの敗戦の後。そして、幾度も負けたけど、死ななければ勝利の機会はいつまでも存在するとあがき続けたままに。

 

『故郷に帰ってからもだ。離れてもずっと、子供達の前に立ち続ける人生の先達として、教えてやろうじゃないか。人間は捨てたものじゃないと見せつけてやろうじゃないか』

 

挑戦のような言葉に、全員が不敵に笑っていた。そして、告げられた。

 

かつての時の、誓いをずっと(Once & Forever)だ――――どこまでも貫き通す。同意する奴は、右腕を上げろ』

 

その言葉に、応えない者は居なかった。衛士は機体の右腕を上げて、インファンも自分の右腕を上げて、共に吠えていた。

 

武はその時の光景を思い出していた。自分も、そしてサーシャも呆気にとられていたことだろう。

人類が成功させたことのない、ハイヴ攻略という作戦の前に言うことじゃない。

 

それは戦場においてあまりにも無謀で、吹けば飛ぶような儚い夢だった。だけど望む所だと、全員が笑ってなお受け入れているなんて、信じられなかった。前だけを見ている。痛苦と無力感に塗れた過去を忘れたわけではないだろう、だけどそれだけに囚われず、選びとった道の先を見据えていた。

 

無力感に苛まれ、膝を折りたくなる誘惑をしっている。人間とて協力的な者ばかりでもない。

だけどずっと変わらなかった。決意のままに、遥か前方に放り投げた旗を。たどり着くべき目印に向けて、走り続けている。

 

そこに、悪意もなにもなく。全員がそれぞれの願いの元に、覚悟を抱いて貫かんとしていた。

 

その一人たる、樹が言う。

 

「………これは手前勝手な願いだけどな。お前はその最善の方法のために義勇軍に入り戦い、そして日本に戻ってきたと思っている」

 

違うか、と問いかける樹。武は、振り返らないままそうだ、と答えた。

 

「違わないさ。ああ、その通りだ………だけど、このままじゃ無理だ。普通のやり方じゃ、到底あの化物共に勝つことはできない」

 

オルタネイティヴ4の成就と、オルタネイティヴ5の阻止。それさえ果たせば、人類はようやくこの戦争に勝機を見いだせる。このままでは無理なのだ。もっと、具体的な解決方法がなければ今までと同じで、数に押しつぶされるだけ。大陸で、日本で味わってきた敗北を繰り返すだけだ。武はそれを覆すためにずっと戦ってきた。だけど、オルタネイティヴ4は失敗する。何十何百何千という時の中でも、成功したことはない。

 

「だけど…………一つだけ、方法があるんだ。それに挑む条件は、全てクリアした。あとは、賭けるだけだ。お膳立ても舞台も曲目も題目も、全てが揃ったからな」

 

 

必要なものは、かつての少女にも負けない、世界をも越える強靭な意志。

 

そして途方も無い方法をやり切るという、絶対の覚悟。

 

自身を肯定し続ける、意思。

 

そして我こそは最後という、認識。達成するに足る素材としての適性も、この世界では自分以外の者は存在しないのだから。

 

「その、方法は?」

 

機密で答えられなければ、話さなくていいと。

 

樹の言葉に武は振り返り、そして覚悟の笑みを以って、告げた。

 

 

「………ある時のある世界に、時空間に深く鋭い歪みが発生した。その時に、別の世界より呼びだされた男がいた」

 

かつての白銀武が死んだ後。同じように行われた明星作戦で、2発のG弾が使われた。

五次元効果爆弾の名前の通り、時空は歪み、それは反応炉と共鳴し。

 

結果的に、本来ならありえない予想外の奇跡を齎した。

 

タケルちゃんに会いたい、という少女の渇望。それは歪んだ世界を越えて、肉を持つ形になった。

 

 

「それを知る男は、こう考えた。亀裂より人間が呼び出されることもある―――――なら、さ。逆に考えれば、"自分から行けるんじゃないか"って気づいた」

 

オルタネイティヴ4は失敗する。何十何百何千という時の中でも、成功したことはない。

だけど、唯一の例外があったのだ。その方法を自分は知っている。だけど、同じ方法では無理だ。

 

故に、賭ける必要がある。自分の中にある知識が、それを肯定する。知っている自分の欠片が、自分の中に存在する。

 

論文が完成した世界、オルタネイティヴ4が存続した。

そして、それ以上に明確な"成果"が得られる世界がある。

 

故に選ぶべき答えは一つだった。

 

 

「グレイに染まる絶望の空の下で、虚数の空に飛び立つのさ。壁を越えた先にある、宝の山に向かって」

 

 

 




ホームページで頂いた挿絵を追加しました。

『サーシャ、歓喜の奇襲/ターメリックさん』


【挿絵表示】

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