Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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37話 : Lost My Dear_

ざあざあと、東南アジアのスコールとも違う長時間の激しい雨の中。ターラー・ホワイトは自分の部隊を率いて、疎開する民間人を見守っていた。先の防衛戦の最中でも疎開せずに残っていた剛の者達である。だがこの時になっては流石にいよいよであると感じたのか、今になって関東の方へと避難する人間が増えていた。

 

与えられた任務は、その警護である。本来であれば反論をすることも出来ない、重要な任務だろう。

だが、この命令を下したものがまさか京都が陥落するとは思っていない呑気者であれば話は異なる。さる筋より、厄介払いと国連軍優先の二重の意味で自分の部隊が後方に移されたことは理解していた。酷い侮辱である。かつて援助を受けた国として、恩を返すために。あるいは現状の関係より、更に密なる結びを得るためにといった方針でターラー率いる精鋭部隊は送られたのである。

 

それに対する応対が、邪魔者はあっちへ行けと言わんばかりの対応である。ターラーはかつての自分なら、5度は叫んでいたなと考えていた。

 

台詞は、ずばりこうだ。寝言をいうな、粗忽者。いいからベッドから脳味噌を急ぎ拾ってこい、と。

 

「………正常な国の上層部、数人は必ずいるものかもしれんがな」

 

 

ボパールハイヴ建設よりの上層部のグダグダっぷりを肌で感じてきた者だからこそ言える感想だった。撃ち過ぎて銃身が熱くなっている銃口を額にくっつけられて火傷をさせられなければ分からない輩が居るなどと。

 

とはいえ、任務は任務でもあった。異国の地であり、今正に亡国の危機に陥らんとしている国の軍部にそのような主張など、する方が不遜でもある。そういった建前で我慢を出来ているのは、ひとえにかつて直接的に助けられた3人の日本人の存在が大きかった。

 

だから、ターラーはじっと山の向こうを睨みつけていた。山が多く、地平線は見えない。だけど何とか見通すように、そして生きているだろうかつての部下の無事を願っている。

 

そんな時だった。任にあたっていたターラー・ホワイトに、駐留地より残してきた部下からの連絡があったのは。だが、その内容は要領を得ないものであった。何がいいたいのか、肝心の部分が出てこない。苛ついたターラーがついに怒声を浴びせようとした途端、声が変わった。

 

『ターラーちゅ………中佐! 伝えたいことがあります』

 

『なに? それより誰だ、きさま…………いや、もしかしてマハディオか!?』

 

声に聞き覚えのあったターラーは、まさかと聞き返した。

通信の向こうから息を飲む音が聞こえ、だが直後に叫び声が返ってきた。

 

『あいつは、タケルは生きてるんです。ですが今は一人にしちゃ駄目だ! あいつを今一人で、戦っていたら………!』

 

『落ち着け、マハディオ――――あいつが生存している事に関しては、知っている』

 

ただ、と。言葉を続ける途中でターラーは黙り込んだ。情報は入ってきている。前の戦闘でも奮戦し、多大な戦果をもたらしたことは知っている。ともあれ、戦闘が可能な状況であり回復してきているのだろう。ターラーの言葉に、返ってきたのは反論だった。

 

『綱渡りの途中なんですよ、BETAを相手に戦っているのは今の内だけです! 次に落ちたら、あいつは………!』

 

『なにが、どうなるというんだ』

 

大の大人さえも泣きが入るぐらいの死地は知っている精兵、その男からのらしからぬ焦った声。

ターラーの額から知らず冷や汗が流れた。

 

『牙を見せるようになったら最後です………聞いた話ですが、ハイヴ攻略の最後の時の』

 

『あれが、だと?』

 

ターラーは思い出していた。母艦級の反応が消えた直後だった。隔絶した機動。常軌を逸した戦術。狂人の猿叫。思い出すだけで冷や汗が出る、だというのに。

 

『今回はあんなもんじゃすまない』

 

 

――――次はきっと、最後まで止まらない。

 

その言葉を聞くと同時に、ターラーは動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都の西の外れ、雨の中で真っ赤な巨人が無言のまま荒野に君臨していた。

 

無数のBETAの屍の中、長刀を地面に突き立てながら悠然と佇んでいる。

 

周囲に動く敵はもう在らず。恐慌に陥った味方は早々に去っていった。

 

雨音だけが煩い世界。機体のあちこちにはかすり傷が出来ていた。

 

だが知ったことかと、"それ"は雨粒を伐るようにして機体を前へと奔らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――この地、この時にあって縁深い記憶が再生される。

 

それを止める堰はもう存在しない。思うがままに刻まれた記憶が蘇っていく。まず思ったのは、仕える人だということ。全てを失った後で出会った、元の世界でも見たことがない、だけど知っている姓。同じように、緑色の美しい髪を持った。その人は、自分のよく知る人物の双子の姉だという少女のためならば、鬼にも悪魔にもなると言葉ではなく信じさせられた。

 

『…………理由にもならん。言い訳を重ねるだけならば、ここから去れ。貴様のような弱卒は必要無いからな』

 

『守ると決めたのなら、余分な感情は一切捨てよ。主君の刃に相応しき者となりたいと思うのであれば』

 

『貴様は仇を討ちたいのだろう! そのようなひけ腰で、まさか成せるとでも思っているのか!?』

 

自他共に厳しい人だった。何より忠義に溢れた女性だった。曲がったことは許せない性質だった。

 

『ご褒美だと? 俗物的な考えをする…………なに、私と外に出かけたい、だと? それは無理だが………い、いや、なにもお前が嫌いということでは無くてだな』

 

最初は礼儀知らずと怒られた。すぐに感情に囚われてしまう、未熟者だと蔑まれた。だけど自棄になっていた自分はそれを聞かなかった。だから何度も衝突し、その度に自分を見つめなおさせられた。

少しだけど前に進もうと思った。いつまでたっても上達しない自分に苛立っていた。だけど、もう居場所はあそこにしか無かったから、死ぬ思いで努力した。

 

いつもと変わらない厳しい顔。だけど少し柔らかい声で、彼女は言った。

 

『………才能はあったのだろうな。だが、ここまで来れたのは貴様の意志の賜物で………なに、私が褒めたから、明日にはきっと雨が降るだと? ――――いい度胸だ。拒否は許さん、そこに座れ』

 

『馬鹿正直だな、貴様は。だけど、好ましくもある。この地獄においてその性根を保てる者はもう…………』

 

『真那だけには負けたくなかった。低俗だと言われようが、この考えだけは譲れなくてな。醜いと言われてもしかたが………なに、そんな所も好きだと? 貴様、一度医者に頭の中身を診てもらったらどうだ』

 

『無為な命の使い方は許されない。その上で、主君より先に死ぬ。私が守るべき最初の、そして最後の一線だ』

 

『馬鹿者、笑うな! 全く師匠も御人が悪い………いえ、か、可愛いなどとそんなお言葉は。貴様も、ここぞとばかりに調子に乗るな!』

 

彼女こそが斯衛の衛士だと思った。だけど、女性でもあって。予想外の出来事があると、一瞬だけ少女のように。誂うとすぐに怒る人だった。だけと疲弊しきった世界の中でも誇り高く、替え難き人だった。長く付き合えば分かった。自他共に厳しくも、普通の女性らしい部分も大いに持っていて。自分はそれが好きで、だからこそ正面からぶつかっていった。

 

『ほう、婦女子と破廉恥な行為をするのが貴様の仕事であるのか? なに、言い訳が聞きたい訳ではない。まずはそこに直れ』

 

時折思い込みが激しく、嫉妬深くて、それでも。

 

『す、すまん。何分こうした行為は初めてなものでな………ば、馬鹿者! 真顔でそんな言葉を吐くな!』

 

『ふん、旧友との交友を深めるのではないのか? …………誤解などしていない。行けばいいではないか。あれだけ若く、綺麗どころが揃って………って! だから、こんな往来で真剣に言うことか!』

 

『眼鏡はつけない方が………な、なに、どっちも大好きだ? だから真顔で言うな、ばかもの』

 

強かった。凛々しく綺麗で、そして可愛い人だった。ほんとうに時々だったけど、口元を押さえて笑っている時があった。しばらくは時間さえも忘れるほどに見惚れた。

 

永遠に失った後は、一層その想いが強まって。だから受け継ごうと思い、師事した人は喜んで受け入れてくれた。

 

最後の光景を、毎晩夢に見た。衛士の流儀に相応しくなく、女々しい行為だと分かってはいてもどうしようもなかった。

 

忘れるように打ち込み、やがて剣を振る彼女の姿を思い出すように自らを鍛え、やがては門下生の誰からも認められるようになった。血反吐さえ吐いた修練の成果だった。

 

そして唯一、認められたかった人の墓前に報告に行った。彼女が死んだこと、それは偶発的でもあれ、人為的な要因があった。愚痴るように泣きついた。地獄で自己を真っ当に保てる人間のいかに少ないことか。弱音をぼやき、だけどもう叱咤の声は返って来ない。返って来ないことに、また涙を重ねた。

 

最後の決戦の前日までずっと繰り返した。

死兵となって、最後までこの国を守るために戦うことを告げた。

 

 

――――豆だらけの掌の感触があった。

 

――――だけど女性らしく、柔らかい身体を抱きしめた感触はこの腕の中に。

 

――――交わした会話を、あの笑顔を覚えている。

 

――――たとえ痛みになっても忘れたくなかった。

 

 

思い出す度に痛む胸の傷を抱えても、彼女の存在を惜しみ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電気がショートする音と、白煙に囲まれた中。隙間から見える雨雲を見上げ、黛英太郎は自分の額を撫でた。

 

「く、っそ…………しくっちまったなぁ」

 

下を向けば、強化服より零れ出た自分の内臓のようなものが見えた。視界が掠れてはっきりしないが、位置と脈動するそれはどうやらそのようなものらしい。英太郎は、入院していた故郷の友達に聞いた話を思い出していた。冗談交じりに、怪我が深刻すぎると痛みさえも感じなくなるというが、あれは嘘だったと。

 

たまらなく、痛い。だけど辛いのは、腹のそれより心臓の方だった。

 

ふと横を見る。ノイズが交じりあった映像越しに、潰された僚機が見えた。

 

 

コックピット部は酷くひしゃげていた。というより、もう存在しない(・・・・・・・)

 

 

背後に突撃級の死骸、前方より要撃級の豪腕でサンドイッチにされたからにはひとたまりもなかった。唯一救いがあるとすれば、間違いなく即死だったことか。痛む間もなく逝った。それがきっと、最悪の中で得られた幸運だったのだろう。しかし同意を求めようとも、彼女の墓標たる機体はもうない。撃墜された後の乱戦に巻き込まれたせいで、帝国本土防衛軍のカラーリングがされた撃震の手足はあちらこちらに転がっている。

 

要撃級と戦車級の波状攻撃。味方は次々に落とされた。

奮戦するも次々にやってくる敵についには蹂躙されて、そして自分も。

 

「馬鹿野郎が………なんで庇った、朔よう」

 

問いかけるが、その答えはもう二度と返ってくることはない。英太郎は目を押さえた。血とともに赤い涙が流れていく。亀裂の入ったコックピットの隙間からも雨水が入ってくる。

 

多くのものが混ざっていく。棺桶たる鉄の箱の中に溜まる様々な液体におぼれていく最中、英太郎は何度も苦悶の言葉を吐き続けた。それは後悔の言葉だった。本当なら、ああなっているのは自分の方だったのに。フラッシュバックするのは、その時の光景だった。

 

避けようのない体勢。

 

押された機体。

 

最後の声は、"危ないバカ"と。

 

だけど押されて体勢を崩した所に、戦車級の追撃が目の前にあった。何とか避けて、追うように突っ込んできた突撃級に引っ掛けられ、吹き飛んだ所に要撃級の一撃がやって来た。

 

無意識での回避行動と攻撃は成功したが、そこまでだった。どうやら悪運は突撃級の所で完売してしまったらしい。跳躍ユニットに致命的なダメージを負い、あとはジリ貧の果てに数で押しつぶされた。かろうじて自分も機体も原型を留めているが、もう二度と活動することはできない事は明らかだ。

 

間もなく自分も死ぬだろう。

英太郎は途端に、こらえきれない悔しさが湧き出てくるのを感じていた。

 

だけど、何ができようはずもない。

視力さえも消えてなくなっていくその時に、英太郎は機体がやって来るのを感じた。

 

人間の造ったものでしかあり得ない駆動音。雨の中で目立つのは、真紅の機体。帝国斯衛最新最強の、武御雷の試作型。乗り手が変わったのか、様子がまるで違う。だけど英太郎はどうしてか、その機体に乗っている人物が既知の友人であるように思えた。

 

「か、たきを…………さ、くを、ご、殺したっ…………あいつらに、報いを………っ!」

 

声すらに吐血が混じって水の声。託した願いが届いたのか、英太郎には分からなかった。

ただ、真紅の機体は地面に突き刺さっていた朔の長刀を手に取った。

 

「た………の…………ん、だ」

 

 

呼びかけに頷いたように見えて、巨人は地面は遺品であるBETAを殺す武器を抱え。

 

承ったと言うように、BETAがいる前方を――――それが、黛英太郎が見た最後の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想のような霧が漂う中で、誰かの死を見た。だけど、いつもこうだった。この世界に当たり前の生なんてない。定期的に試され、落ちるものは容赦なく潰されていく。末法の世、人界の果てというのならばそうなのだろう。滅び行く世界の中で、多くの人々がやがて希望を持たなくなっていく。だけど、人類の黄昏の時にあって、なお戦おうとした人がいたのだ。

 

どちらかと言えば、静かな人だった。自分がよく知っていた、双子の妹と違う所はそこか。だけどそれは表面だけで、裏にある様々な苦悩を見せないように取り繕っているだけだと気づいた。民に臣下に部下に、静かに語りかける声。その裏にこめられたモノは、一言などでは言い表せない。紫がかった黒髪。聞くに堪えない悪意と罵倒を雨のように浴びても、決して背筋は曲げなかった。

 

『………冥夜が其方に甘えていた理由が分かるような気がします』

 

『私も人間であるから、間違いを起こす――――などという言い訳は許されないのです。こうして其方に弱音を話していることさえも』

 

『強要はしません。其方には其方の戦場があるのでしょう』

 

強く、そして当たり前のように他人のことを気遣える女の子だった。拾われ、悪態をつく糞ったれな自分にも接し方を変えず。じっと、怒らずに諭してくれた。その先に見えたのは、そう、女の子としての彼女だった。

 

『剣を振り始めの少しだけ硬い掌………武家であれば10歳程度の子、といった所でしょうか。ですが、大きいです。私の手を包み込めるぐらいには、暖かい』

 

『其方はいけずですね。こうして私が勇気を出して………いえ、忘れて下さい。将軍として、相応しくない物言いでした』

 

『人は十人十色であります。正義の矛先も時によって違う…………………ですが、すれ違いにより傷つく民が哀れでありましょう。それを悲しいと思うことさえ許されないのですか?』

 

真摯というのならば、彼女のことを指すべきだろう。それほどに今代の政威大将軍は国民の理想だった。だけど綺麗なものほど眩しくて。暗い世界の中で、それもまた反発心を生む原因となっていった。何とか生き残った人類は、互いを無二の友人とはしなかった。

 

自国の中でさえも争った。勝手な主張ばかりを繰り返す軍部。敵方の国も同じ。やっとの事で協力関係にこぎつけても、すぐに破綻した。

 

綺麗事ばかりでは生き残れない。だからといって諦めなかった。理想論とも現実主義とも違う、最後の最後まで突き詰めては最善の方法で。だけど、全てを賭して手を伸ばしてなお、目指したものに遠く届かないことも多かった。

 

『なぜ………どうしてこの期に及んで、人は人を………っ』

 

『其方も、同じことを? 守るためにと目を背け、人を殺すのを良しとするのですか』

 

『きっと狂う、ですか。私を殺されたら、其方は…………絶対に失いたくないから、芽である内に潰すと』

 

希望だった。光だった。名前の通りに、異なった絶望の世界の中で唯一絶対の太陽だった。よく知る彼女と同じ顔の。たまに気易く接してしまって、それが原因で怒られたこともあったけど、彼女にとっては嬉しかったようだ。

 

いつしか距離も近くなって。触れ合える程に近く。だけど腕の中にいる彼女は、いつも声ならぬ声で泣いていた。実際に涙を見せたのは、自分が大怪我をした時だったけど。

 

『やっと………其方が怪我をしたと聞いて、思い知らされました。私は薄情なのかもしれませんね。あの娘とは、冥夜とは違って』

 

『不謹慎でしょう。ですが、今この時だけは煌武院悠陽ではなく、ただの悠陽として。其方の友である、私を…………』

 

 

そうして、想いを通わせた次の日だった。風と雨の強かった夜。

 

怪我で動けない自分に、彼女の死を告げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――諦めることを知らなかった。妹を犠牲にしていたという思いがあったからだろう。

 

――――辛い世界を共に生きた。彼女が悲しみの念を小さな声で叫ぶ度に、死に別れた彼女と重なるものを感じて。

 

――――気づけば、守りたいと思うようになっていた。唯一の、生き延びたい理由になった。

 

――――手を汚したことを悲しんで。自分も、彼女が悲しむことに悲しんで。手を握りしめあって、励まし合って。

 

――――失われた後も、忘れられるはずもない、あの温もりをずっと。

 

 

憎しみを刃にして、原因のもの全てを伐りとると決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『起きろよ、樫根………いつまでも寝ているな、お前はあいつを見返してやると言ったじゃないか………っ!』

 

鹿島弥勒は倒れた撃震を庇いながら、迫り来る要撃級と戦っていた。周囲には何十機もいた味方が、今は数機程度しか残っていない。落とされた中に、短い付き合いだが戦友と呼んだ年下の男がいた。倒れているコックピットは、その半ばがえぐられていた。

 

突撃級の突進を回避しきれず、脇腹を抉られるように攻撃を受けてしまったのだ。鹿島弥勒は倒れた機体より発せられるバイタルサインを、だけど認められるかとばかりに叫んだ。だけど、機体はぴくりとも反応を見せず。

 

小声だけが、通信越しに聞こえてきた。

 

『………ない…………いた、い…………しにたく、ない…………しにたく………』

 

消え入るように小さな、だけど途方もなく悲痛な。呑み込まれそうになった弥勒は、振り払うようにして剣を振り続けた。

 

『…………かあ、さん…………えま………』

 

母と、妹の名前を。声はどんどんと小さくなっていく。そして弥勒の機体に、アラートが鳴った。庇いながら戦っていた無理が出たのだ。機体の腕の関節部に、黄信号が灯った。

 

『………なりた、かったな…………ばけもの、から、まもれる…………えい、ゆうに……………』

 

小さく、弱く、そして消えていく声。

弥勒は認められないと叫びながら、剣を。

 

しかし、長刀の耐久度よりBETAの数の方が多かった。

 

折れた武器、全ての兵装は潰されてしまって。

 

 

――――そこに、局地的な竜巻が舞い込んだ。赤く、酷く、無惨で、慈悲はなく、容赦もなく。集まったBETAを塵のように切り刻み、吹き飛ばした。

 

『た、武御雷………いや、今は…………っ!?』

 

弥勒の狼狽える声。それが届いたのか、真紅の機体も倒れる撃震を見た。立ち尽くし、絶句する弥勒。その様子より悟った巨人は、撃震の手元に転がっていた短刀の二振りに視線を向けた。

 

刃の部分が刺さり、柄が浮いているそれを軽く蹴りつける。するとまるで魔法のように、地面の短刀が回転しながら宙を舞い。

赤の怪物はその二振りを造作もなく、両の手腕部で掴みとった。

 

宙空にある短刀の柄を見切り、苦も無く戦術機で掴みとる。単純に見えるが、隔絶した技量と機体の習熟が無ければ不可能な芸当だ。それを目の当たりにした弥勒は、問いかけた。

 

『………それを、どうする』

 

わずかばかりの希望がこめられた言葉に、しかし武御雷は答えず。

 

手に持っている短刀を逆手に持ち変えると、過剰なまでの戦意を携えて、敵の大群が居るポイントへ迷わず直進していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出し、掻き抱く。溢れてくるのは、黒い感情だけだった。

 

失うばかりだった戦いの日々。結末はいつも同じだった。

 

そして、今となってはその光景に重なるモノがあった。

 

見せられたあのハイヴの中での人体実験。人間を囚え、生きたままに弄くり、果ては脳と脊髄だけにしてしまう。

 

心を交わした人たちの末路が、もしアレであれば。そうでなくても、分かることは一つだけあった。

 

鑑純夏はBETAに殺されたのだ。散々に苦しめられた挙句に狂わされ、標本としてシリンダーの中に収められた。

 

 

「殺してやる」

 

 

思い返すのは再会した時のこと。いつもとは違い、もう再会してしまった。

だからこそ、その感触が生々しくなる。記憶にあるひとたちの末路さえも。

 

 

「殺してやる…………!」

 

 

憎いからぜんぶ殺してやる、と。獣は畜生の如き呟きと共に、BETAは言葉の通りにされていった。本能を殺意で塗り固めた挙句に、理性の全てを溶かし切ったのだ。獣のような戦術機動は、一切の手加減なくBETAのあらゆるを潰していった。防御行動さえも捨てての超攻撃的な機動はいつもの、そして先日の比ではない。

 

それを目の当たりにした味方は同じ反応をした。帝国軍機も、国連軍機も、等しくそれを見てまずは驚いた。時間の経過と共に、得体のしれない恐怖を知ってしまう。

 

BETAは敵で、戦術機が有用で、だけど操縦は簡単ではなく。衛士として積み上げてきた常識がある。実戦を経て悟ったいくつかの自負がある。その全てを否定するかのような、一方的な、人類にはあり得ないと思われる機動を繰り返す真紅の巨人が舞う。見て沸き上がるのは尊敬に似た畏怖ではなく、圧倒的な未知と対面した恐怖だった。

 

 

それすらも完璧に無視して、武は駆けた。戦術機の特徴、周辺に転がっている味方が残した武器、補給コンテナに置かれている弾薬、BETAの挙動。

全てを殺すためだけに活かし、一方的に蹂躙していった。

 

より早く、より多く、より長く。長刀は理想の角度で振るい、できる限り折れないように斬り伏せ。

短期間に射撃を繰り返しすぎて熱くなった砲身さえも武器にして。BETAを殺すためだけに存在する怪物は、最も多くのBETAを殺す機械になっていった。

 

第二世代機の陽炎でさえ、比類なき戦果を見せた程の力量を見せた衛士である。それが第三世代機の、世界でも最新鋭の機体に乗った時にどうなるのか。見せつけるように遠慮なく、戦場にて回答し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の中。廃墟の部屋の中、武はひび割れたモニターを踏みつけていた。触れないはずのそれを、関係ないとばかりに椅子で叩き落とし。椅子が壊れてからは、自分の足で踏みにじっていく。

 

それは、憤怒の行為であった。そして、逃避するための行動ともいえた。

 

「くそっ、くそっ、この、くそぉっ!」

 

モニターに映っているのは、思い出の光景だ。自分ではない自分が味わった何よりつらい記憶の数々。胸を締め付けるその絵が映っては、ひび割れた自分の胸の中が激痛と共にささくれていく。

 

そこに、もう一人が現れた。武はそれを感知した途端に、矛先を変えた。

 

「て、めぇっ!」

 

怒りと共に駆け、正面より殴りつける。回避も防御もしなかった"タケル"は、盛大に吹き飛ばされると壁に叩きつけられた。

"武"は更に駆けより、締め上げるようにして"タケル"の襟首を掴みあげた。

 

「どういう事だ! なんで、こんなものを俺に見せた!」

 

「知らなければいけないからだ。仮にも、記憶の一部を活用してきたお前ならば。都合のいい記憶ばかりを利用できるとでも思っていたのか?」

 

「うるせぇっ! それに………これは何だよ!」

 

思えば、おかしいのだ。刻まれた記憶の数々で、心を交わした女性は多種多様に渡る。出会った人も一人や2人ではない。だが気にかかるのは、その中での印象や関係がちぐはぐだということだ。

ある記憶では男女の関係ではある人が、また別の記憶では友人といった関係になっている。

どう考えても整合性の取れないものが多いのだ。まるで自分が何度も人生を繰り返してきたかのような。その問いかけに、タケルはイエスと返した。

 

「繰り返してきたからだよ。2001年の10月22日より後の時間をな」

 

「なにを………てめえがこの期に及んで冗談を言うのか!」

 

「お前も、脳と脊髄に解剖された純夏は見ただろう」

 

その問いに、武は拳で返した。殴られたタケルは、だけど言葉を続けた。

 

「っ………あんな状態になっても、純夏は生きていた。そして、一つの事を渇望した」

 

それは、白銀武に再会すること。ただ会いたいという事を渇望していた。当時、純夏の居る横浜のハイヴは次元の歪が特にひどかった場所だ。

 

結果、2001年の10月22日にある存在が生み出された。

 

「なにを………それが、俺だとでも言いたいってのか!」

 

「厳密には違うが、似たようなものだ。そもそも白銀武は純夏が兵士級に連れて行かれる直前に殺されていたはずだ」

 

夢での光景が真実の物であれば、それは正しい。純夏は、だからこそ生き延びて。そして狂わされた思考の中で、しかし自分を失った少女はそれを認めずに、会いたいと叫んだ。その声は次元の歪より、世界の壁さえも越えて別の場所へとたどり着いた。

 

「それを利用しようとした人が居た。2001年時点の、元がハイヴであった横浜の基地は、オルタネイティヴ4の中心人物がいた」

 

それが、香月夕呼である。武はそこでようやく、言いたいことに気がついた。

 

「オルタネイティヴ4に純夏が必要だというのは―――――」

 

「計画の目的は、生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロの………量子伝導脳を持つ非炭素系擬似生命を作り上げることだ」

 

名称を、“00ユニット”。対BETAに収まらない、人知を越えた処理能力をもつ世界で最高の人造諜報員を作り上げる。それにより、BETAから様々な情報を入手することが主幹だと言った。

 

だが量子伝導脳を作り上げるにはクリアにしなければいけない問題が多すぎた。脳と脊髄だけにされたものを、"捕虜"という。その中で唯一、鑑純夏だけが自失状態に陥っていなかったのだという。

 

「良い"材料"だった。だからこそ、使われて――――俺は、知らない内にそれを手伝った。だから、"俺"が純夏を殺したとも言える」

 

生体反応ゼロ。その意味を知った武は"タケル"を腕の力だけで投げて、地面にたたきつけた。

凶相のまま、馬乗りになってまた殴りはじめる。憤怒で、既に自分の意識は朦朧としている。激情のまま、左右の拳を振るい続けた。硬い拳が顔にあたる音が響く。だけどようやく疲れたその拳を、タケルが受け止めた。

 

「それ以前に、俺は時間を繰り返していた。世界さえも越えた俺は、常識を逸脱した変な存在になっていたんだ」

 

平和な世界に居たというタケル。だけど、その肉体そのものが連れてこられた訳ではなかった。

 

「並列世界間は、そもそもが干渉し得ない。だけど、例外となる存在がある」

 

あくまで情報の集合体であるということ。意志や感情、そして周囲の認識により所属する世界さえも変わってしまう不確実な存在。世界から見た場合は異物で。不安定であるからか、その影響で並列する世界の因果情報の伝達を無意識に行ってしまう、因果導体に。

 

「俺は、あの脳と脊髄が純夏だということに気づかなかった。気づかないままにオルタネイティヴ4は、夕呼先生は失脚した」

 

そして、オルタネイティヴ5に。地獄は更に苛烈さを増して、その中で白銀武は果てた。

 

「ああ。だが………タケルちゃんに会いたいと、俺を呼び寄せた純夏が居る。だからこそ俺は因果導体になった訳だが、その目的が達成されずに俺が死ぬなんて、納得できると思うか?」

 

答えは明白であった。そして、不安定な存在である武は時間さえも越えてしまう。やり直したいという願い。気づいて欲しいという想い。それは世界の定理さえも干渉し、そして白銀武という存在に深く突き刺さっていた。だから、白銀武は死ぬ度に2001年10月22日に戻る。精神的に悪影響を及ぼすだろう、死ぬまでの記憶と死んだ時の記憶を虚数空間にばらまかれて、再構成される。

 

「その記憶が………」

 

武は、更に増した胸の奥の激痛にもだえ苦しみ始めた。それを見て、タケルは言う。その痛みは経緯を話され、認識したからだと。自分のものとして、認めてしまった。だからこそ他人事と思っていた部分がなくなり、痛さは鋭さを増したのだと。

 

武は地面に頭をこすりつけ、胸を抱えて苦悶の声を上げていた。

だが、痛みと同時に増えていくものがあった。

 

それは、一言で言い表わせば憎悪。だが、それはBETAに対してのみ向けられたものではない。

 

「………その痛みは支払いのようなもんだ。前払いで記憶を、死ななくて済む方法を前借りしていた。借金は返すのが道理だ」

 

武は反論さえできずに、苦しんだ。

だがその言葉も、声すら。何もかもが気に入らないとばかりに、叫んだ。

 

「ふ、ざけんなよてめえっ! そもそもの、未来の記憶を持ってきたのは俺じゃねえだろうが………っ!」

 

「そうだな。だけど、助かったことも多い。それにどの道拒否するなんてことは出来なかった」

 

「なんでだよ! 別の白銀武の記憶なんて知ったこっちゃねえよ! 俺の知らない奴もいる、なんでそんなもののために俺が………BETAと戦うことを押し付けられなきゃならねえんだっ!」

 

「だったら、知らなきゃ良かったってのか! 先に待っていた結末が“あれ”だったとしても!」

 

都合の良い解釈だ。良いものだけをかっさらおうなんてものは。

その言葉に、武は顔を歪めながら反論した。

 

「違う………いや、もう御免なんだよ………未来の光景だの、記憶だの、オルタネイティヴ4だの、オルタネイティヴ5だの、正しい道なんて考えるのは!」

 

「なら、どうするってんだよ」

 

「純夏だけ連れて逃げるさ。そうだ、惑星脱出のチケットとやらをどんな手を使ってでも手に入れて、必要な分だけを………!」

 

「それ以外の全てを見捨てるのか! 今までに得たもの全部を放り投げて、地球に居る全てを見殺して逃げることを良しとしようってのか!」

 

「なら全ての人間のために戦うのかよ!? 自分勝手な奴らも、まとめて、自分の命を賭けてでも!」

 

武は叫んだ。

 

「本当に、守るために戦う価値はあるのかよ………っ! 馬鹿から俺を守って、今も死にかけてる母さんの姿を見ただろうが! それに、白銀武のあの記憶もそうだった!」

 

一息をついて、更に大きな声で叫んだ。

 

 

「大切な人を奪った奴の半分は! BETAじゃない、守るべきっていう人間そのものだったじゃねえか!」

 

BETAに殺された人は多い。だけど人の愚かさが故により、死んでいった大切な人たちは、BETAに殺されたそれと同じぐらいの割合だった。

 

「そ、れは………っ!」

 

「御堂と同じだ。自分の価値観しか、自分の栄達しか考えてねえ。あいつも、心の底ではそうした野心を持っていただろうが。同じだよ、いつも。人間は自分のために誰かを裏切る、殺す! なら、せめて………それが、あの記憶で学習したことだ!」

 

「だけど、あれは………人類のためにと戦った人たちも居た! 不幸なすれ違いも多かった!」

 

「知らねえよ、俺はあんな事を繰り返すつもりはない。守りたい人は最小限で選ぶべきだ」

 

「なら、そうでない奴らは、敵対する人間はどうする!」

 

「………守るためなら、見捨てる。敵対するなら、殺す。どっちも選べないのならそれが最善だ。“アレ”を防ぐためのこの上ない有効な手段だ」

 

「畜生の遣り方だ、それは! お前も、そんな奴らと同じ所まで落ちるつもりかよ!」

 

進む道を違えたという理由だけで、いともあっけなく裏切り、傲慢に染まり、許されると思って。

あるいは御堂のように、自分だけの価値観でもって。

 

「でも、選ばなきゃ何も守れない! 結局の所は同じなんだよ。あの時も――――マンダレーを攻略した後も! サーシャも、そうだった!」

 

 

ここに来て全てを思い出していた。全ての終わりの始まりの時。それは、ハイヴを攻略した帰路の途中だった。最初は、何かの冗談かと思ったが――――違ったのだ。

戦術機の中で、通信が入った。要求は一つ。父親を人質に取っている、だからサーシャと一緒に隠れて指定したポイントに来いと。

 

ガネーシャ軍曹も捕まっていた。秘匿回線で告げられ、盗聴器も仕掛けていると。少しでも迷えば殺すと言われてはどうしようもなかった。整備員の中に、手引をした者が居たのだ。

 

その男は金欲しさに、呼び出した男に――――セルゲイと名乗る諜報員。そして泰村達と同じ隊の衛士であり、スパイでもあったリーシャ・ザミャーティンが主犯だった。だけど、それより衝撃的なことがあった。手引をした男の故郷が、ミャンマーのマンダレーだったことだ。

 

「救ったのに、裏切られた………あんな思いをし続けた、ようやく勝った直後だったのに!」

 

同時に、記憶のフラッシュバックが起きる。

 

 

 

 

その時の記憶はあまりに衝撃的で、武もこの場にあっても断片でしか思い出せなかった。

 

ノイズと共に、視線さえも乱れていく。

 

だが、経緯だけは理解できていた。呼び出され、基地より離れた場所で人質の交換となった。そこにはアルシンハの手の者だろう、味方側の諜報員も紛れ込んでいたのだ。その御蔭で影行とガネーシャは解放されたが、戦術機から降りていた自分とサーシャは捕まってしまった。

 

敵の逃走経路は、前もって用意していたのだろう。見るに気づかれにくい、極秘らしい経路で運ばれていった。その時に、自分達を何かの材料として利用するらしい事は聞いていた。

とても逃げ出せるとは思えなかった。セルゲイという男は、あの時の自分達に太刀打ちできる相手ではなかったからだ。だが、運ばれている途中ベトナムのハイフォンという港で異変は起きた。

 

ロシア語でわめていたので意味は分からなかったが、サーシャが言うにはオルタネイティヴ3が中止されたらしいと。4に移行されたと、その原因が日本人であるとわかると、セルゲイは怒りのままに俺に殴りかかってきた。その時に、完全だった警戒態勢に隙が出来た。だけど、一手が足りない。分かっているからこそ、サーシャはプロジェクションを高出力で叩きつけた。

 

最後に、使う直前に、サーシャは自分に唇を重ねた。伝えられた言葉は、貴方に会えて良かった、という言葉。それを聞いた時に止めるべきだったのに。

 

だけど、時間は待ってくれなかった。プロジェクションを受けてよろめいた2人が居たからだ。

自分は戸惑いながら銃を奪い、照準を合わせる。だがリーシャがセルゲイを庇い、そしてリーシャの額に銃をポイントした途端に躊躇ってしまったのだ。

 

その少女は、サーシャに少し似ていた。それだけで、殺せないなんて思ってしまい。

それは致命的な隙となった。直後に反撃に出たリーシャに銃を押さえられ、形勢が逆転してしまった。

 

そして、自分に告げた。リーシャ・ザミャーティンという少女が得意とするものは、プロジェクション、つまりは映像を相手の脳裏に送ることだと。その処置を亜大陸での同期だったあの4人に施したといった。

 

嘘だ、と激昂する自分。リーシャは、自分に高出力のプロジェクションを叩きつけて、取り押さえようと思ったのだろう。だがそれが裏目に出た。確かにプロジェクションに特化した彼女の能力は強力だった。過ぎるほどに、逸脱していた。疲弊しきった自分に隠された、記憶の幕を破るぐらいには。止めにと発せられた言葉が更に致命的だった。

 

――――お前には、誰も守れない。

 

かつてのどこかの自分が、何度も味わわされた現実。大きくは、横浜の反応炉で、尊敬していた上官が自爆を強いられているのに、何も出来なかった自分の叫びが。

 

直後に、記憶が弾けた。白銀武達の記憶が漏れでてしまったのだ。

それを僅かながらにでも読み取ってしまった2人の影響は顕著だった。

 

リーシャ・ザミャーティンは、手に持った銃で自分の頭を撃ち抜いた。

 

そしてサーシャは――――セルゲイの高笑いが聞こえた。

 

奴は、大きな嘲笑と共に、叫んでいた。映像と共に、思い出せる。

 

『ハ、ハハ。両方を負荷を、素質の低い出来損ないごときが、無理をするからこうなる。黄色いサルなどに情を移した結果だ、当然だ!』

 

そして、抱き起こして、その姿に絶句した。髪の色を元に戻させられたサーシャ。その目と、鼻と、口と、耳から血が流れ出ていたのだ。

 

プロジェクションに素養は無かったらしい。その上で、自分の記憶を覗いた負荷のせいで、脳に異変が起きてしまったと、セルゲイは叫び続けていた。手間が省けた、などと愚言を。

 

何もかもが、認められなかった。だから倒れたサーシャを、顔中が血塗れになった必死に揺さぶって、だけど返ってきたものは無かった。

 

ただ、一つだけ。

 

「あー」という、言葉ではない声。頭の良い彼女とは、あまりにも違い過ぎた。

言葉ではない赤子のような反応であり。

 

何か、決定的なものが壊れたのだと悟らされた。

 

 

――――その後のことは、あまり覚えていない。

 

ただ、銃口をセルゲイの額にポイントした所までは覚えている。

 

 

 

そして、記憶の再現は終わり。

武は耐えようのない痛みの中で、少し冷静になりながら問いかけた。

 

「俺が原因だ………俺のせいだ。俺が殺した」

 

プロジェクションは、サーシャにとってはきっと使ってはいけないものだったのだろう。それを使わせ、弱っている時にあろうことか、自分の中にある途方も無い量の凄惨な記憶を叩きつけてしまった。自分のせいで、壊してしまった。生きているのかもしれないが、会うことさえ怖い。

 

自責の念は殺意さえもなって高まった。そして自分は、その負荷を重荷と捉えて、そして耐え切れなかったのだ。同じ隊の中でも、一番に距離が近かった家族のような。姉のようでもあり、同い年の親友のような。複雑で、一言では言い表せない存在だった。末期には、一緒に居るのは当たり前になっていた。まるで純夏のような存在だった。

 

だから彼女を失うことに耐え切れない心は、忘れる事を選択した。

同時に、武の中に致命的なエラーを生む疑問符が浮かんだ。何をしてでも勝ちたいという、白銀タケルの人格が完全に分離したのは、この時だった。

 

「でも、殺したかった訳じゃない。だが、セルゲイは最初からそのつもりだった。あいつは言った。リサイクル品などに用はないと」

 

詳しくは知らない。だけど、失敗作のリサイクル品なのだと言っていた。サーシャも、リーシャも、人形につけられた仮の名前で等しく価値も由来もないと。泥人形に相応しい最後だとほざいた。とても、人間の吐く言葉とは思わなかった。

 

疑問が出来てしまったのだ。人間を守るために、全てを賭ける価値はあるか、と。東南アジアの戦いでも、綺麗なものばかりを見てきたわけではない。難民キャンプの実態を知った時には、動揺してしばらくは眠れなかった。解放戦線といったテロ組織が結成されるのも、無理がないとまで思えるほどにキャンプでの生活は酷かった。

 

それを食い物にしている人間がいると知った時は、それ以上に衝撃的だった。そして、セルゲイと同じような人間を見てからは。特にβブリッドの研究所を見てから、より一層その考えが強くなった。

 

「なあ、教えてくれよ………何で俺が戦わなきゃいけない? もうさんざんに戦ったよ。よくやったって、終わらせてくれてもいいじゃないか。これ以上、死ぬまであんな糞ったれな奴らを守るために戦うのか。逃げたっていいじゃないか。それに、この力があればなんだって…………!」

 

「自分にも分かる嘘を言うな。お前も、この程度の力じゃ無理なのは分かっているだろ。機体も、力任せに振り回している現状じゃあ、遠くない内に限界を迎える」

 

武はその言葉を、否定しなかった。事実、機体の損傷は激しく、特に関節部のダメージは無視できないほどに酷くなっている。

 

「凶手………そうだ、所詮は怯えられていても、“手”でしかない」

 

忌まれるもの。凶“手”とはそのようなものだ。不吉を現す嫌われる、汚れた。そんな手を差し出したとて、それを握ろうとする者など居ない。ならば一人だ。

 

そして一人では、何をした所で知れたもの。すぐに限界が訪れる。

 

「暴れる獣のままじゃ駄目だ。人を殺しかねないような、信用もされない狂犬に誰が力を貸そうと思う。それに弾薬も体力も機体の耐久力も有限だ。例え並外れた技量を持っても、個人では限界がある。一人で意気がっても、少し多くのBETAを殺すだけで終わりだ」

 

「………ああ、分かってるさ。一人じゃ無理なのは分かってる」

 

「本当に分かってるのか。外で戦っているのはただの獣だ。暴れるだけの獣に人間以上の事が出来るはずがない」

 

多分に腕が立つとはいえ、所詮は獣であり、畜生の戦術だ。一時的に強かろうとも、先の見え透いた、敗北が分かりきっている間違ったものである。

 

「だけど、方法を選ばなければ………いや、それこそ“選べば”遣りようによっては、守りたい人だけを救うことはできる」

 

止めるならば、敵とみなして全てを。害するならば誰であっても。そう告げる武の瞳の中は、狂気に染まっていた。楽になりたいと、狂いたがっているのだ。その上で、BETAと同じように、人間まで憎んでしまっているのが見て取れた。

 

現在、BETAは周囲にいない。その上で獣は、先日より更に深い覚醒をした暴れるだけの自分に、分別など出来やしない。

 

(やはり、無理か………)

 

タケルは自分の首を締める武に抗おうとしたが、力が出ないのではどうしようもないと諦めた。

身体の主役はあくまで“武”の方であり、“タケル”は添え物にすぎないのだ。

だから、いつもここで問答は終わっていた。後に残るのは、ただの前に逃げるだけの暗い子供だ。メッキの剥がれた鉄くずのように。鉄とは、そういう意味でもあった。

 

前々回も、そして前回も間違った。暴れまわる寸前、止まっている内に殺気に恐怖した味方が襲いかかってきて、返り討ちにする。衝撃と共に傷つき、蓋をして、都合の悪いことを忘れて元通りになる。繰り返し、失敗した、いつもの流れであった。

 

何より、純夏と出会って間もなくという要因が効いている。再会した事により頭の中で純夏の存在が膨れ上がり、そのせいで衝撃が強くなりすぎたのだ。その上で、前提として害された身内の存在がある。人の悪意と愚かさを、この目で見たばかりの今では。

 

だが、タケルはそこで気が付いた。

 

(力が、緩まっている………?)

 

首を締める手が、いつまでたっても強くならないどころか、緩まっている。どころか、ゆっくりとタケルの襟元を持ち上げて、ごん、と地面に叩きつけるだけ。それは無言の問いかけのように思えた。

 

そして、見上げた先。そこには、辛そうにしながらも答えを欲している、ただの少年の顔があった。思えば、自分とはいえたった15の子供なのだ。何もかも諦め、ぶち壊しにしてしまいたいと思ってしまうことも当然としてある。楽な方向に流れる癖があるのも。耐えている今こそが奇跡と言えた。

 

だから、今の動作も。乞うように答えを願った、といった方が正しいかもしれない。

その言葉に、タケルは真正面から見返した。そして、逆に問いかけた。

 

「………認めるさ。同意できる部分はある。確かに、お前の言うとおりなのかもしれない。誰もが良い人ばかりじゃなかった。殴り殺したくなるような、見るに耐えないような事をやってくる人間も多かった」

 

タケルとて、いやタケルだからこそ分かっていた。BETAが、この地球を脅かそうっていう共通の敵が居るにも関わらず、部分的にしか協力しあわない。それどころか、互いで互いを殺しあうぐらいに、愚かな。敗北も必至な状況なのに、殺し合い、あまつさえは核を使うような。

 

「自分勝手で、傲慢で、我侭で、力で押さえつけなければロクに人の話を聞こうともしねえ。都合の良い時には利用して。必要無くなりゃあ、すぐに掌を返す」

 

そして、多くの人が死んだ。今も、少なからず人に殺される人は存在する。

 

「………でも、だからってそれだけじゃないだろ?」

 

タケルは、泣いていた。泣きながら、武の襟元をつかみ返した。

 

「もう何度目か分からない。だけど、最後だから聞くぞ――――本当に、いいのか?」

 

「な、にがだ」

 

「中隊の仲間を! 今も死んでいったあの人達を、忘れたのかって言ってる!」

 

言葉につまる。それは、見たからだ。そして、受け取ったからだ。

今も両手にある短刀の。間に合わなかった、だけど託された。

 

「お前が一緒に戦ってきた………さっきも目の前で死んだ、今まで覚悟を並べて戦ってきた奴らは………人間は! 何より、大切だっていう人達は! てめえの生命を張る価値も無いような、そんな糞ったれな奴らばかりだったのかよ!」

 

 

その問いは、今までよりも深く武の胸に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

介六郎は緊張していた。片手には、仕掛けられた爆弾を遠隔操作できるスイッチがある。それは白銀武の提案により、彼自身の強化服に付けられたものだ。次は、もう止まれない。だからその時はすぐにでも、と。確かにこの技量、生半可な戦力では止められない上に、被害が実際のものとなってしまった時のリスクが大きすぎた。戦力の減少といった意味でも、醜聞という意味でも。

 

(止まれば、それが合図だと言った)

 

その後で味方に襲いかかるようなら、もう後はない。だけど、押したくはなかった。風守光の顔が脳裏にちらついている。

死にかけになってまで守った子の最後がこれでは、あまりに救いようが無さすぎると、どうしてもそういった考えは捨てきれず。それに、介六郎自身も白銀武のことを嫌いになりきれなかった。

 

そうして葛藤している中、一歩だけ。前に出る機体があった。

 

『今更、其方の抱えているものが何かなどは問わん。だが、一つだけ聞かねばならぬことがある』

 

青の瑞鶴の主は、その威容も堂々に告げた。

 

『其方の名前の由来は、先刻告げたばかりだ』

 

白銀武の、“武”の名前にこめられた意味。

白銀影行と白銀光が産まれたばかりの我が子に望んだもの。

 

それは武術の武という、由来の中にある。

戦を象徴する、戈に関連する名前だ。

 

 

『その其方が。風守光が守った其方が、その手で――――BETAではなく、人を斬るというのか!』

 

 

声に、赤の武御雷の全身が反応したようだった。びくりと、まるで生きているように。

 

たじろいた巨人に、斑鳩崇継は喝と吠えた。

 

 

『答えてみせい!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凛と大きく、何よりも力強さが満ちたその声は、2人にも届いていた。

首を締める武が、まるで怒られた子供のように立ち上がり、後ずさる。

 

そして、肉体の傷がぶりかえした。頬の痛み。それはマハディオ・バドルが残したもので、武の心の痛みとしても存在していた。だけど悪意だけでつけられた傷ではない。泣きそうになりながら、殴られた。その理由を、誰よりも知っている。故に思わず頬をなでてしまう自分の手に。

 

―――――その手首に巻かれた、ハンカチがあって。

 

「風守、光。母さんが、守った――――」

 

触れて、柔らかく。そして、思い出した。

 

最後に告げられた、生きてという言葉を。

 

だが、その彼女が。母が望んだ、生きてと言った人間は誰だろうか。

 

「白銀、武だ」

 

――――だが望まれたのは、狂ったままに仲間を斬るような男か?

 

浮かんだ問いに、武は首を横に振った。そんなはずがない、と。

 

同時に、思い浮かぶ光景があった。自己の奥の奥にあるからこそ、思い出せる記憶があった。

 

それは、多く体験した別れの中でも、生まれて初の別れの光景だった。容易く周知できない事情、見られてはいけないと始発列車で。逃げるようだと、申し訳なさが極まって死にそうだという母の顔が。だけど、声が大きければ要らぬ注目を浴びてしまうと、声を押し殺しながら泣いていた。

 

泣いていたのだ。自分は母親失格だから。恨まれるのは当然で――――だけど、貴方は無事に生きてと。それこそが私の幸せだというように、ゆっくりと、優しさで包み込むように言葉を。離れたくないのに。だけどどうしても出来ない理由があって。胸が苦しくなるような葛藤の果てだったということは。

 

「………分かってた。離れる理由があったのは、言われる前から何となくだけど………知ってた」

 

母親の居ない生活。それでも、その存在を望んだのは、あの光景が根源にあったからだ。優しい声。揺るがないであろう、絶対の無償の思いやりというものを、知らぬ内に体感した。だから、求めた。幼少の頃は、純奈母さんに。外に出てからは、ターラー教官に。

 

それとなく分かっていた。理由があったんだからって。そして、その覚えは正しかった。血塗れで、鬼になって、自分の命を賭してでも守ってくれた。

 

理由があった。あったとしても、という思いもある。だが、だからといって全てを否定できるのか。人にはどうしようもない事が山ほどにあると、この5年で散々に味あわされてきた事だ。

 

それとどこが違うのか。抱きとめた身体は小さかった。精鋭揃いの斯衛にあって、あの体格がかなりのハンデになったこと、疑いようがない。あんな、自分よりも小さい身体で、嫌われ役として、それでも斯衛の為に、この国を守るためにと生きてきた。

嫌われ、責める者の手で倒れはした。だけどあの紅蓮大佐や、斑鳩の、真壁の。

 

そして病院で見た、あの教え子のように慕っている者は多いという。

 

「………誰もが正しいわけじゃない。一度間違って、苦しんだお前ならば分かるだろう」

 

切っ掛けは、あの記憶だったかもしれない。だからこそ今、戦いを経験した一人の衛士として。

 

「白銀武」

 

「………なんだ」

 

名前で呼び、それに答える声。

問いかけたものは、更に問いを重ねた。

 

「もう、言葉で誘導なんてしない。お前自身が決めてくれ。ここまで戦い抜いた中で………意図しない予想外などいくらでもあったお前が」

 

決意と共に戦った道中がある。苦難に直面し、迷惑をかけてしまったことは無かったか。その問いには、否と答えるしかない。すれ違いがあった。明らかに間違った奴らもいる。

 

欲に負ける人間も、珍しくは無かった。守る価値もないと見下げた人間が居る。

だけど、それは本当に他人だけなのか。

 

自分は清く正しくて。

誰からも責められることはない、見下げられるような思いを抱いたことはないのか。

 

「いや―――俺は―――俺も」

 

「誰も彼もが、間違ったからって。道を少し逸れるだけで、人は殺されるべきだって思うのか?」

 

「違う、それは………!」

 

武は泣きそうになった。自分も間違ったことがあるからだ。逃げたいという気持ちを抱いたことがあった。初陣の時だ。もし、あの時に少しの事情が異なれば、逃げ出していたかもしれない。そして、今もそうだ。こんな重いものを背負わせたという、恨みつらみをそこかしこにぶつけている。

 

ターラー教官に言われたのに。決断したからには、逃げ出せない。決めたからには、自分の責任で進めと。そして、それは正しいと思えた。手に取った銃は重く、未熟な内には代わりに死んでいってくれた人がいる。辛い思いをたくさんに味わってきたという。だけど、その道を選んだのは自分だったはずだ。

 

なのに、恨みを抱いたことがあった。他ならぬターラー教官を、あるいは戦いに駆り立てる全てを。親父をすら、嫌っている自分が居る。感謝の念はもちろん持っている。だけど、そのような感情があるのは拭いがたい事実で、今も皆無とはいえない。浅ましいことだ。

 

そして、もっと許されないのは、だからといって全てを捨てたことだ。辛いから、悲しいからって蓋をして封じ込めて、耐え切れないからと隅に追いやった。記憶の数々が欠落しているのは、それが原因でもあった。託された思いすらも捨てた、卑怯者。

 

――――それと、どこが違う?

 

浮かんだ言葉が、自分に対する問いかけが、胸に突き刺さった。違わないからだ。決して同じではないかもしれないが、遠く異なることはない。間違え続ければ、もっと黒く、愚物に成り果てていた可能性もある。その途中であっても、弱さがあったに違いない。

 

ならば、誰が誰を責められるのだろうか。振り返れば、分かってしまう。自分に間違いはないと、人の悪い所だけを。まるで自分が聖人君子であるかのように、人の弱さを罪として勝手に決めつけて裁くばかりか、悪として力任せに処断しようとしている。

 

誰かに助けられたことも、数えきれないほどあったのに、それさえも忘れて。

 

忘れようとしていた。言われるとおりに、良い所だってたくさんあったはずなのに。

 

そうして、思い出せる事があった。

 

「そうだ………亜大陸の頃からそうだったじゃないか。それからもずっと。倒れていった人たち、戦友が居る。日本に帰ってきてからも、大事なことを教えてくれた師匠も」

 

白銀“タケル”の記憶の中と同じように。

 

白銀“武”にも、輝かしく守りたいという存在は多く。

 

「だから、もう一度問わせてくれ………自分の弱さに負けて、狂って、人を見捨てて殺していく。お前はそれでいいのか、本当にそれを望んでるのか」

 

タケルは、叫んだ。

 

 

「BETAなんかにあの人達を殺されて! それでもいいやって、そう思えるのかよ!」

 

 

「いやだ」

 

 

間髪入れずの回答だった。それ故に、武は気づいた。口にして、そして思い出した。

 

「ああ……そうだったな」

 

この言葉が、思いが切っ掛けだった。最初に望んだ、自分の。戦おうという思いの根源だったはずだ。とても単純な理屈だ。

 

殺されたくない、大切な人たちが居る。こんな世界でも、幸せであって欲しい守りたい優しい人達がいる。決意と共に戦いを強いられて、それでも死んでいく無慈悲な世界で、諦めずに懸命に生きている人たちと出会った。その真逆の人間も、幾人か。だけど、それ以上に死なせたくないと思う人たちが、増えていった。間に合わず殺される度に、泣いた。

 

「正しいばかりじゃあ、無かった」

 

思い出すのは、師の言葉だ。黒も、白も、珍しい色ではない。あの言葉の意味が、本当に理解できた。

 

「自分と同じように。苦しんだ上に、間違ってしまう人も、正しく在りたいと思える人も…………同じ人間だから」

 

産まれた頃より絶対に悪となる人間はいない。同じくして、絶対に善となる人間もいない。

 

誰もが自分と同じように悩み、苦しんでいる。その先に、歯車が少し違って、間違えてしまった事がある。切っ掛けがあれば、気づけていたのかもしれない。それは珍しいことではないように思う。

 

相容れないものでも、敵となる人間でも、どちらにも大切であり守るべき人間があって。違えれば、殺しあうこともあるのだから。

 

「ああ。簡単に、言い表せない」

 

「だからこそ、黒を全てと思い込んで、断じる事こそが決定的な誤りだっていうのか」

 

「それも一つの答えだ。誰にとっての正解かなんて………」

 

「……分からない。答えなんて、どこにも無かった」

 

敵も居る。憎むべき、悍ましき敵が。オルタネイティヴ5。だけど、人類を救うためにと奮闘した成果のはずだ。味方が居る。愛おしき、失いたくない友が。だけど大切だからとて、守るべき手段が違えば刃を向け合うこともある。

 

両方とも、人間だ。時には喧嘩することもある、殺しあうこともある人間であり、仲直りしあうことも、抱きしめ合うこともある。だからこその本質がなんであるのかなんて、一括して決められるものではない。

 

「決めつけて、裁くことなんて誰にもできやしない。誰だって間違える。だけど………間違えようと思って、間違えた奴なんていない」

 

例外的には居るかもしれない。だけど、それだけではない。

白も黒もあり、それを自分は見てきた。

 

「それを、無理にでも分かろうとした。割り切ろうとした。だから、分からなくなった………馬鹿な頭で、分かるはずがなかったのにな」

 

「………そうだな」

 

武はようやくと、見えたような気がした。この世界に殺されて然るべきと言える奴らは存在する。

だけどそれは個人の主観だけで決まることだ。

 

誰から見ても死んだ方がいい存在なんて、実際には存在しない。作り話の中であっても、必要とされる存在だからそこに在るのだ。そうであれば救われるのに。自分は、捨てて当然だって胸の痛まない存在を探していた。選択した時に、胸が痛くなくなる方を探していた。助けたい方ではなくて、死んでいい方をなどと。

 

それが、覚悟の在処が分からなくなった原因だった。救いたいものではなくて、どちらを捨てるべきかで葛藤したから分からなくなった。何のために戦うのかが見えなくなった。戦場にある内に様々な価値観に飲まれ、それがぼやけてしまったのも一因だろう。

 

だが、それ以上に知ったからだ。人間はその言葉だけで括ることが出来ないぐらいに、様々な人が存在する。良い人もいる。憎むかもしれない人がいる。今までに出会った人間だけでそうなのだ。誰かの知る誰かを考えれば、一体どれほどの。

 

だからこその決意の揺らぎは、その全てを理解した挙句に正しい答えを得ようとした事にあった。

 

あらゆる飾りがあり、偽りがある。

一人では到底把握できない世界の中で生きて、その中で誰もが納得するような。

 

――――そして、自分が責められないような、都合のいい正解を探してしまったこと。

 

だからこそ、二択を提示されて。進むべき道はと提示されて、それが全てだと信じてしまった。

余計な虚飾に、自分を見失ってしまったのだ。

 

自分で隠してしまった。

 

余計な諦めや、偏った私感も何もなく嫌であり、望んだことは何であるというのか。

自分の中の、本当の自分を追い求めようとしなかった。

 

そんな自分に、声は言う。

 

 

「改めて問うぞ、白銀武。お前が本当に望んだものは………選ぶんじゃない。やり遂げたいと願った事は、なんだったんだ」

 

 

――――その問いの果てに、白銀武は戻った。

 

 

 

 

 

 

 

戦術機の中で、感覚は鋭敏に、機体が剣を握る感覚まで分かるように。雨の感覚は、以前の比ではない。まるで自分の体のように、周囲の様子さえ感じられる。

 

そして、通信からは救助を望む声があった。それがどういった人物なのかを理解した。

 

共に戦った、斯衛の少女達がいる中隊だ。武は、ぎゅうと操縦桿を握りしめ。

 

そして、声は最後の問答を始めた。

 

《BETAが地獄のように、大勢でやってくる、この星を壊そうと。その上で何がしたい、白銀武》

 

「守りたい」

 

《ならどうする、白銀武》

 

「戦おう」

 

他に手段があろうはずもない。BETAも世界もそう甘くはない。

故に息を活かして生きたまま、思いの丈を叫ぶのだ。

 

 

「――――そして、勝つ!」

 

 

かつてと同じ自分の道を。守りたい全てと、そして道の半ばで出会い知った、自分と同じであろう人間という存在を殺されたくない。全ては守れないかもしれない。だけど、あるいは全てを守れるかもしれない。夢物語だろう。だけど、自分はそんな英雄譚のような、希望に溢れた物語が好きであると、疑いなく断言できるのだ。

 

それが理解できれば、後の細かいことはいい。考えて分かる答えはない。その時間もないから。

考えるのは後だ。あとは自分を引っ張りだすだけ。

 

いや、その必要もない。例え火に滅せられようとも、水に無心で映るような、本当の自分のあるがままに。全て、虚飾もなく。

 

自分の思うがまま、望むがまま、感じたままに、苦しくても、泣きながらでも。

 

お伽話から遠くても。憧れた英雄のように人を助けてやると、誓ったあの日の自分を胸に抱く。

 

だけど一人では無理だ。だから誰かと手を取り合って、最善の方法に努めて、諦めない。

 

 

「そう、決めたから………っ!」

 

 

背負うのは覚悟。託された思いと共に、鋭く重くなった自分を強くする荷物。そして、かき抱くのは決意。言い訳と怠惰という余計な自我を駆逐した後に残った、本当の望みを。頷き、顔を上げて宣言すると同時に、全ての記憶が流れこんできた。

 

それは黒く、白く、ろくでもなく、だけどどれひとつも代えなんてない、素晴らしい。全て、誰もが人間だ。人間と出会い、人間として、人間と共に生き抜いた白銀武たちの物語。

 

ならば、受け止めない道理はない。あるいは、同じように生きた自分がいるから。

そして、走りだすのだ。武は手首にあるハンカチを。

 

父と母が望んだ自分を胸に描き、刻みつける。

 

動乱の中にあって、流されず力強く、自分を失わず。

 

誰かと共に(ほこ)を持って進み、誰かを害する(ほこ)を止める、そんな意味がこめられた名前のままに。

 

 

《「行こうぜ、白銀武―――――!」》

 

 

合一した少年は吠え。

 

鬼神となった赤の戦術機が、暗闇の戦場に疾駆した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

救いを求める声の先、たどり着いた場所は地獄だった。白の瑞鶴は3つが壊され、その中の2つからは信号が完全に途絶えていた。残るは山吹と、半壊した上に戦車級に取り付かれている墜ちた白の一つだけ。通信の向こうからは、上総、と呼ぶ声が幾度も。

 

そこに、赤の竜巻が荒れ狂った。

 

両手の短刀がぴかりと光ると同時に、一閃二斬と三薙。瑞鶴を一切に傷つけず、周囲に居る全ての戦車級の大半をバラバラにした。

そしてどうしたことか、周囲にいる全てのBETAが赤い武御雷に殺到していく。

 

「これ以上は――――させねえ!」

 

武の脳裏に、再会を約束した2人の顔が過った。黒髪の、甲斐志摩子も、眼鏡をかけた、能登和泉も。倒れた戦術機の中で、もう生きてはいまい。小川朔も、黛英太郎も。樫根正吉も。そして、王紅葉も。日本に来て共に戦った、多くの戦友がまた逝った。

 

もう会えない。二度と言葉を交わすことはない。ここはいつだって、そういう場所だ。別れだけが本当に多くて。だけど、共に在ることを何処よりも思い出せる自分のもう一つの故郷だ。

 

今日も間に合わなかった人が居た。だけど、日本を守ろうとした彼らと彼女たちの意志は無くなってはいない。言葉を交わし、託され、残った遺志は此処にあるのだ。

 

散った願いと意図がある。武は重たくも温かいその全てを汲んで、泣きながら武御雷を駆った。全てを守りきれるはずがない。だけど、不可能なんて知らない。自分が守りたいから全力で守るのだと吠える。

 

迷いのない機動は、それだけに鋭く。故にその後の戦闘は一方的に過ぎた。

間もなく駆けつけた瑞鶴と、連携を活かしきった一気攻勢は暴風となり赤の光点を駆逐していった。

 

たった一分間。それだけの間に、場に居る全てのBETAはその反応を途絶させられた。

 

そして武御雷は、潰された機体を祈るようにして見た。しばらくして増援と、衛士の緊急搬送にきた車両が来る。だが、救助は簡単にはいかなかった。コックピットを操作する部分が壊れている上にフレームが酷く歪んでしまっていて、中の衛士を救助することができなくなっているのだ。

 

そうしている内にも、中にいる山城上総の容態は怪我のせいか、悪化しているのに、と。直後に、通信の声が飛んだ。下がっていてください、と言われた通りに避難をした途端に、赤の武御雷は長刀を一閃させる。

 

鋭い切っ先は止まることなく、滑らかに流れて。直に後、ひしゃげたコックピットの装甲のみが倒れた。誰もが息を飲んだが、すぐに安堵に変わった。切り取ったコックピット、その中の少女は完全に無傷のままだったからだ。

 

周囲から歓声が上がり、その神技に感嘆の声が上がる。

 

――――そんな中だった。

 

真壁介六郎だけは、安堵のため息をついて。

 

斑鳩崇継は秘匿回線にて、改めて問いかけた。

 

「答えは出たか、白銀」

 

「はい。答えは………見つけました。自分の中に」

 

探す場所を間違っていた、行き先の見えない迷路の答え。外に理由を探していた。

戦友たちのためにと、純夏のためにと、迷った。どちらに価値があるのかと、考えてしまった。

 

だけど、答えは自分の中にあったのだ。最初からそこにしか無かったのに気づかなかった。本当に自分が望むものなど、外にはないというのに。

 

今のこの空のように。望んだ答え、雨にあっても青空であって欲しい、そのような明るき答えなど。雲の向こうに確実に存在すると知っている、自分の中にしかないのだから。だけどそれを理解せず、だから見つからず、言い繕って言い訳を重ねた。仕方ないから、と。戦友が望んだから、と。それは誰かのせいにしているのであって、自分の理由そのものではない。前に逃げるための口上でもあった。

 

「また、守れなかった。だけど………立ち止まりません。ずっと忘れない。覚えたままで、死んでいった人たちが望んだものを受け継いで」

 

抱えるのではなく、背負う。故に、その先に選ぶ答えは決まっていた。全ての記憶を取り戻した今ならば可能となる冴えた解法があるのだが、それは後のこととして。

 

武は、今に定めた明確な答えを口にした。

 

「自分は………自分の望むままに、戦います。自分が戦いたいから。かつて失った親愛なる人達を含めた、BETAに脅かされる全ての人たちを殺されたくないから」

 

失った記憶がある、親愛なる人達をこれ以上、二度と失わないように。そして、親しき失った人たちが望み、自分に託したままに。どうか見ていてくれと、胸を張って。いつか会いに行く時でも、笑って握手を交わせるように。

 

曖昧なままではない。疑いの果てに見つけた、白も黒も知った果ての、結論を口にした。

 

 

「良いも悪いもありません。BETAに殺されんとする、全ての人類を守る剣となり、盾となります」

 

 

過去と未来の、失った親愛なる人達に捧げたい。地球上に存在する全てのBETAを倒し、戦場で別れた彼らの故郷までを取り戻すために。

 

宣言し、武は機体の長刀を掲げ。呼応するように、雨が止む。

 

 

 

それが――――後に明星作戦で果てるまで、極東にて最強と噂されていた赤の試製武御雷を駆る衛士の、語り草にまでなった勇姿の序章だった。

 

 

 

 


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