Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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36話 : 禁断の箱_

白銀武は機体の駆動音だけが聞こえるコックピットの中で、目を閉じたまま待機していた。身を包むのは帝国斯衛軍の衛士強化装備だ。手首にはハンカチが巻かれているが、その半ばまでが強化装備と同じように赤い色をしている。武はそれを眺めながら、機体にかかる雨を感じていた。

 

昨日に本州に上陸した台風はもう本州を通りすぎていったが、雨雲がまだ残っているのだ。

だけどそれも、真紅の試製98型の表面を滑り落ちるだけだった。

 

前方には、戦闘が起きていることを示すように黒煙がゆらゆらと立ち上っているのが見える。

だが、奴らの足音はまだ遠い。通信越しには緊張している衛士の声が聞こえてきた。近くにいる11機は全て斑鳩公指揮下の精鋭部隊であり、その声に怯えの色は一切含まれていなかった。

だが、このような悪天候の中で戦闘をしたことがないせいだろう、ほんの少しだけ気負いがあるようだった。目を閉じたままで呼吸を整える。すると機体にかかる雨の感触をより繊細に感じることができた。実際に戦術機の外側に感覚素子があり、それに自分の感覚を繋げているわけではない。

 

だが機体の中へと伝わる微細な振動の違いにより、何となくだが分かってしまうのだ。空は疑うことなく、雨雲の色に染まっていた。青い色などどこにも見えず、降りかかる雨は止む様子を見せないでいる。ぽつぽつ、ざあざあ。雨は煩くも全てに対して平等に降り注いでいるのだ。

 

戦術機にも。そして背後にある、街のあちこちにも漏らすこと無く全てに。

 

そうして武は、今朝に会ってきた街に残らされている人物のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都のとある邸宅の奥。その地下には、昔より政治犯を囚えるための座敷牢があった。古ぼけた木造の柱に、煤けた埃があちらこちらに見える。外の大雨のせいで、古い木と湿気の臭いが混じって、いかにも気持ちが暗くなるような陰鬱な空気が漂っている。

 

その灰色の空気の中心に、男はいた。斯衛の服を着たまま、だけど身の手入れができていないからであろう、剃られていない髭がまるで雑草のようになっている。両手には枷が嵌められていた。紛うことなき罪人の格好である。そして白銀武はまるで亡霊のような表情のまま、囚人である御堂賢治と牢越しに対峙していた。

 

「貴様が、風守光の息子か」

 

「そうだ」

 

武は事実だけを認めると、目の前の男を観察した。囚えられた当初こそ飄々として平静を装っていたようだが、日毎に座敷牢の生活に堪えていったのだろうか、ここ数日は少し殊勝な態度を見せるようになったという。

 

「彼女のことは残念だったな」

 

「………貴方の意図したものではないと、そう聞いた」

 

「捕まった後のことはな。あのような愚挙に出るとは、こちらとしても予想外だった」

 

介六郎が裏付けを取ったが、事実らしい。御堂賢治は自らの企みが破れた時は、潔く諦めることを決めていたという。失敗をすれば芽は生まれないと。だからそれ以上の混乱を避けるために、往生際悪く反抗するといった事はしないつもりだったとのことだ。だから刺客のことも。武はその詳細を聞いた彼が見るからに動揺していたと。特に国連の諜報部員が直接的ではないにしろ手を貸していたとカマをかけた時は、まさかといった表情を隠そうともしなかったらしい。

 

武は、囚えられた刺客の事を思い出していた。というよりも、この座敷牢がある家のすぐ隣に居るのだ。先ほどに出会った時には、面白いぐらいに自分からべらべらと喋ってくれた。倒れていた女性、風守夏菜子があそこに居た理由も。

 

(後催眠暗示の悪用………いつの時代もやることは同じか)

 

元より風守光は彼らの思想にとって邪魔者であった。斑鳩崇継の傍役であり護衛でもある。かねてより策を施し、どうにかする予定だったとのことだ。そのための一つの方法として、御堂賢治とその一味は風守の当主の母、風守夏菜子にある仕込みをしていた。特定のキーワードを口にすれば、予定していた行動を取らせるといった類の。それを場に応じて使い、赤らしからぬ風守の家の汚点を消し去ろうと画策していた。当時の病院では、その暗示を活かすに適した場であったという。

 

病院の一室での陽動、そして唐突に起きた入院していた国連軍の衛士の医療ミス。それが原因で見舞いに来ていた同じ隊の仲間だという、オーストラリア人の衛士が激発したらしい。夜半で警備員も少なく、護衛にあたっていた斯衛の人員も騒動を収めるのに手を貸して欲しいと請われて――――その隙をつかれた。あの時は防衛戦が終わった直後であり、建物の中には溢れるほどの怪我人がいた。

 

それも治療を必要としているのは帝国軍だけではないのだ。絶対安静という危険な状態の者も、他国の衛士も入院している場所である。護衛を預かる者達も、そして真壁介六郎もまさかここで騒動を起こす輩が居るはずもないと思い込んでいた。

 

彼らの中には帝国軍の現状に対する不安や、次の侵攻へ備えなければならないという焦燥もある。そこに気を取られ、まさか病院内で派手に仕掛けてくるとは考えていなかったのだ。刺客の数人はその警備の心理の死角を突き、気付かれないように病室に接近することに成功した。まさかとの心理の裏を突いたこと、上手いと称賛すべきかこの上なく愚かであるとこき下ろすべきか。

 

だが、そうした場面こそを突くのは諜報部の常識でもあった。悟られれば対策を立てられる。だから裏を歩く者は不穏を悟られないまま、日常の中に一滴の毒を仕込むのを好む。かくして目論見通りに事を運んだ刺客達だが、それが最後まですんなり通るほど世の中も斯衛も甘くない。

 

語られた当時の内容を武は淡々と説明していた。

 

部屋の前。そこには、最後であり最強の護衛が居た。最後の砦のように、風守光が日が暮れてからずっと病室の前で待機していたのだ。彼女は戦術機の腕も知られてはいるが、白兵の武術の腕もかなりのものを持っていることで有名である。

 

だから刺客はそれを見た途端、真正面から戦うことを諦めた。最初は風守の縁者を装い、そして連れてきた風守夏菜子におびき寄せるように言ったという。義理の姉にあたる人物の、いつにない強硬な口調。光は訝しみ、しかし相手は風守の象徴たる人物である。少し警戒しながらも話を聞いて。だが流石におかしいと考えた光は、廊下の途中で止まり尋問を。刺客はその時に動いたのだ。

 

だが、その奇襲は呆気なく捌かれた。刺客の男はそこで自分に注意を引き付けるようにした後、光に話しかけた。そしてその会話の間にさりげなく仕込ませた暗示で、夏菜子に隠し持っていた短刀で光の背中を刺させた。

 

光としてもまさか夏菜子がそこまでやるとは想定していなかった。死角からの不意打ちであり、正面に注視していたからには回避できるはずもない。ややずれつつも不意の一刺しは成功してしまう。同時に、機敏に刺客の男が仕掛けた。不意打ちに次ぐ不意打ちで、突如の激痛に襲われた光に対応できるはずもない、それは必殺の間合いであるはずだった。

 

が、光はやるべきことをした。受けるのは不可能と判断すると同時、咄嗟にと左手を出したのだ。

敵を倒す"実"の動作ではない、フェイントにあたる"虚"の動作。反撃に見せかけたフェイントに刺客はものの見事に引っかかり、反射的に突き出された左手を切り払ってしまった。

 

いかにも暗器があるような攻撃を装われたからだ、と言い訳をしていたが、それほどにその引っ掛ける誘いの動作を出す時の偽装とタイミングが神がかっていたのだろう。光は背中に一撃を受け、内臓にまで達する傷を受けて。そして新たに左手を斬られつつも即座に決めにかかった。

 

振り抜いた相手の懐へと一気に飛び込み、右手で目打ち。そのまま鳩尾への渾身の肘打ち、硬直させた上で膝関節を踏み砕いた。とどめは激痛に下がった顎に狙いすまされた膝蹴り。それで脳を思い切り揺らされ、そのまま硬い床へと頭から倒れたらしい。

 

先ほど見れば、折れた鼻がまだ治っていないようだった。そして光は一番近かった者を倒した後、残る刺客も右手で抜き放った小太刀で気絶させていったという。

 

(――――鬼)

 

刺客達が揃えて口にしていた言葉である。流石にあの状況での病院内で銃を使う愚は犯さなかった刺客だが、故にだからこそ一方的に叩きのめされたという。男達は最後の砦である光に対し、心理的動揺や感情を撃発させ隙を生じさせるために、白銀武を無惨に殺してやるといった類の言葉を吐いたらしい。その後の詳細は語られなかった。

 

語りたくなかった、と言った方が正しいか。何か恐ろしいモノを思い出したのか、彼らの手は恐怖で震えていた。聞き取れたのは光が告げた宣言だけだ。

 

“ここだけは、通さない”と。やや俯きながら覚悟の言葉を吐いて、後は言葉の通りに半死半生かつ敵勢多数という絶対不利の中でその宣言を守り通したのだ。

 

武はその時の光の姿を想像した。そして座敷牢に入った時、それ以前よりずっと変わらない幽鬼のような表情で賢治を見据えた。

 

「貴方の計画は聞いた。オルタネイティヴ4を中止に追い込み、オルタネイティヴ5を実行させ。その力で帝国の国土を守るのだと」

 

「夢想論に付き合うのは怠慢だ。国民に対して、そして死んでいった同胞に対してあまりに不誠実だろう。どの道、オルタネイティヴ4は失敗に終わるのは目に見えていた」

 

オルタネイティヴ5が仮にでも認可されているのが良い証拠だと、賢治は言う。実際にいかにも荒唐無稽な内容であり、国連は今世紀最大のペテンにかけられたのだと揶揄する者も少なくないらしい。

武はそれを否定しない。だが、聞いておくべきことはある。

 

「………米国の特殊爆弾については?」

 

「深くまでは知らん。だが核以上の威力を持つというのに、副作用が皆無であるとは考えるほど俺もロマンチストではない」

 

核でも地上構造物は破壊できなかった。だが特殊爆弾はそれすらも破壊できるという。武は正しいと頷いた。だが、その弊害が無いはずがないのだ。

 

だからこそ帝国にハイヴが建設されていない今の内にオルタネイティヴ5を実行させ、帝国の国土を健全に保つ。あとは米国と手を組めばいい。それが御堂賢治の目論見だった。爆弾の弊害からの回復も、時間をかければ可能なはずと思っているらしい。

 

そのプランには穴が多すぎると言えた。ハイヴを自国に持つ国、特に欧州各国が黙っていないであろう。だが、その国力は米国にさえ遠くおよばないのも事実である。食料生産プラントの技術が世界でも随一である日本と、軍事力も相応にある日本。米国に頼らざるをえないのが業腹だが、それ以外の方法などあり得ないといった。

 

障害となるものは多い。だが、帝国軍は今回の防衛戦のように、侵攻を受ければ疲弊するだろう。斯衛の方で、障害物となるのは煌武院悠陽と斑鳩崇継の2人だったという。斉御司宗達と九條炯子は武人の気が強く、政治向きの素養はお世辞にも高いとはいえない。ならば2人を排除し、崇宰恭子に次代の政威大将軍になってもらえれば。彼女との付き合いは賢治も長く、操縦の仕方と御しやすさは理解しているとのこと。

 

「崇宰公は、この事を………知らせていなさそうだな」

 

「何をどう考えてその結論に達したかは分からんが、そうだ。彼女には断片でしか伝えていない。全てを受け止められるとは………いや可能かもしれんが、この後の任務に間違いなく影響するからな」

 

「お優しいことだ」

 

武は賢治の言葉を皮肉ではなく、事実であると言いたげに淡々としながら感想をつけた。賢治はそんな、余裕を保っているような様子に対してはっきりと態度で示した。気に食わない。たかが15のガキが何を落ち着いた尋問官のようにと、言葉にはしなかったが視線で侮蔑を投げつけた。武はそれを一顧だにしない。ただ、確認するように問いかけていった。任官上がりの新兵を出撃させ、その無様さを軍内部に知らしめて瑞鶴の無能さを喧伝しようとしたこと。

 

それを切っ掛けに、国産戦術機だけではなく海外の戦術機も――――具体的にいえば米国産の戦術機の導入も必要だという国内の意見を高めようとしたこと。どれもオルタネイティヴ5が成功した後の政策を考えたが故の計略だったらしい。

 

特に瑞鶴に関しては機体コスト面が問題視され、武御雷も同じような内容で国内からもあまり良く思われていないからと。帝国軍や政府高官の一部にもオルタネイティヴ4を疑問視する派閥があり、そうした政策に関して同調しようとする動きがあること。それで、先の暗殺事件に繋がるのだ。

 

――――政威大将軍という権威。

 

かつて程の権力はなく、今では内閣総理大臣が政治の主流を担っている。だがその名前が持つ意味、権威は同じ日本人であれば誰もが知っているもの。となれば、その将軍殿下が敵であるのは困るのだ。そして、次代の将軍、旗頭となりうるのは煌武院か斑鳩の2人。

 

「………俺を利用すれば殺せると、本当にそう思ってたのか」

 

「東南アジアでのこと、また義勇軍に居た時の貴様の情報は掴んでいる。実際、嵌まれば成功する可能性の方が高かったと見ているが?」

 

武は答えなかった。だが、夢物語だと一笑に付すような無謀な策ではない。ともすれば成ったかもしれない、そう言えるぐらいには可能性があったと思っている。

 

否、確信していることがある。

可能性どころか、芯まで狂えば例え誰であろうと―――――武はそこで思考を止めた。

 

「もう、この話はいい。まさかの話なんてしたくない」

 

確認したいのは別のことだ。現政威大将軍がそれを把握していなかったのか、という疑問点が残っていた。賢治いわく、城内省や崇宰に臣従する家にも協力者は存在していたらしい。その内の主だったものは既に捕縛されているということだが、考えてみればおかしいのだ。どうして今の殿下が動かないのか。御堂賢治の隠蔽が想像以上に見事だったという考え方もあるだろうが、現実にそうであったか、改めて考えるとあり得ないように思える。秘密とは漏れるものだ。目の前の男が率いていた徒党ならばなおのこと。

 

(あるいは、この動きを利用したのか)

 

斯衛内にも不穏分子が存在する。例えば、未だに戦術機に反対している一部、主に言えば武家の中でも年嵩の者達であったり、日本政府のオルタネイティヴ推進に反対している者達であったり。帝国軍内部にも表立ってオルタネイティヴ4に反対しているという者はいるが、その態度を表向きに貫いている者は少ないはずだ。その内心がどうであっても、隠している。蝙蝠の如く、様子を伺いいかに自分達が生き残るのか、といった道を慎重に見極めようとしている卑怯者がいるのだ。

 

賢しいだけあって隠れるのは得意だろう。御堂を泳がせたのはそれをあぶり出すためか、把握しておくためか。どちらにせよ武としては興味のないことだった。

 

「罵声を浴びせられると思ったんだがな」

 

「俺が? 貴方に?」

 

まさか、と言う。怒りとはエネルギーが必要なのだ。そして"タケル"も、霧に向かって剣を振るほど暇でもなかった。その笑みを正しく理解したのか、賢治はいきり立った。

 

「俺に、その価値はないと? たかが白の私生児如きが言ってくれるな」

 

「ああ、そうだな」

 

無感情のままに受け答えて。

それがこの上なく気に入らなかった賢治は、ついに立ち上がって牢の出口に。

 

「憎くはないのか。あの下卑た成り上がりを殺した私のことが!」

 

「………まだ死んでない。昏睡状態なだけだ」

 

病院であることが油断を呼ぶ仇になった。だが、病院であるからこそ間に合ったのだ。出血は多く、意識が戻らない重体。だけど心臓が永遠に止まった訳ではない。容態は最悪の一歩手前だという。

だが、まだ生きる芽は十分にあるのだ。今回のBETAの侵攻さえ凌げば、あるいは。

 

(そのために成さねばならないことは多すぎるが………これからだ)

 

武は確認したいことは終わったと、後ろにいる看守に視線を向けた。

まさかここで立ち去ると思っていなかった賢治は、慌てて詰め寄る。

 

「待て…………どうしてだ」

 

「何がだ」

 

「貴様も同じだ。何故、どうして………斑鳩公も貴様も、私を憐れむのだ」

 

斑鳩崇継、そして真壁介六郎も同じ視線だった。

 

「恭子様は酷く憤られた。弟にはこの上なく失望された………それならばまだ分かるのだ。それだけの事をした自覚はある。だが、それも自分で決めたことだ。帝国を救うために賭けに出た。殿下がオルタネイティヴ4の親書を受取られたその時に」

 

取る手段と方針が違っただけである。違えた者達からは怒りも憎しみも、あるいは身内や自分を信じていた者達からは失意も向けられはしよう。

だが、憐れまれる覚えはない。そう主張する賢治に対して、武は背を向けた。

 

そして最後に、扉を閉じる寸前に告げた。

 

「あんたにも、あんたなりの理由があった。やり方はムカつくけど………正直言えばこの手で殺してやりたいぐらいだけど、それは確かだ」

 

自分とは違う。暗澹たる現状の中で、未来を知らないからこそ必死で最善を尽くそうとした。

オルタネイティヴ4を信じないと決めた上での行動だ。筋が違うとは思っていない。

 

「何度でも言ってやるが、あんたが選んだ方法には大いに異論がある。何より、純夏を殺そうとしたのは許せねえ」

 

だが、だからといって殺すのか。殺すということは、その命を背負うという事だ。あのβブリッドを研究していた研究所では、怒りのままに人のようなモノを殺した。相手が畜生であるからこそ、気負いも何もなかった。害虫を殺すかのように殺して、間違っていたとも思わない。重みは感じるが、後悔だけはしないだろう。だけどこいつは人間だった。何かを成そうと動いた、どこにでもいる当たり前の人間だった。

 

だからこそ、殺意を形にはできない。人間であるこいつの命を背負う、その価値はあるか。

改めて考えた時に、更なる事を、自分の記憶の中で気づいてしまったからだ。

 

「………憐れむのは、あんたが哀れだからだ。殺すなんて、勿体無いぐらいに」

 

立ち去った後で、罵倒の声が聞こえてきた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コックピットの中。武は自分が発した言葉を反芻していた。

 

「哀れ憐れをあわれと呼ばずになんと呼ぶ、か」

 

本当にそれ以外に表現のしようがなかったのだ。耳触りの良い提案しか出せず、人を人として見ることのできなかった男があの愚かな罪人の全てである。

オルタネイティヴ4に関する不安は分かる。それに対抗する処置として、オルタネイティヴ5に縋り付くのも決して間違いではないだろう。帝国を救うためという気持ちに嘘はないのかもしれない。誠実だ。殊勝である。だから、それだけでは哀れだとは思わない。問題は、あの男の在り方にあった。

いかにもらしい提案を元に言葉遊びやメリットで協力者を募る。手腕に関しては、確かに相当なものだろう。既存の派閥を踏み台として、ひとつの徒党を組むに至っているらしいから。

 

合理性あふれる男で、自分に衛士の才能が無いと知るや否や別の方法で主家の、帝国の役に立とうと考えたから、などと。否定はしない。それはある意味で正解である。政治的な手腕でこの男に勝る傍役は存在しないと思われた。

 

だけど、それだけだ。御堂賢治を、斑鳩崇継が評した言葉である御堂賢治は旗頭には成れない人間だ。その理由の極みたるものが今に見え透いていた。あの、危機感のない男の様子が全てを物語っているのだ。究極の空回りがあそこにはあった。自分はBETAが上陸中であり、侵攻中であると言った。そしてあそこは京都の街の中である。防衛線が破られれば、逃げようもなくなるような場所だ。

いざとなれば、守衛は真っ先に避難するだろう。どの道あの男は死ぬより他はない。命がけで助ける者も現れない。そうなれば探知能力の高い兵士級に発見され、生きたまま貪り食われるのだ。

 

もう京都は地獄の釜の只中に変わろうとしている。そしてあそこは釜の底の底だ。諸共に溶けて消えるのを待つしか無い地獄の底だ。だというのに、間違いなくその事に気づいてはいない。絶望の地に流れているのに、憔悴さえしていない。せいぜいが少しの焦りを覚えているだけ。

 

食われるという事実、それを知れば恐怖に震えざるをえないのに。人間は想像力豊かである。だからこそ食われ死ぬという恐怖を前にあのような演技など、ありえるはずがない。それを可能とするような強かな男であればもっと上手くやれていた筈だ。

 

まさか、そんな様で死ぬとも思っていない様子が見える。生死が問われる場に立ったことのないからだろう、危機に対する嗅覚が鈍すぎた。死にかけたことがないからだ。人の命など少し風が強く吹けば飛ぶものだという、どうしようもない現実を分かっていない。

 

だからこそ、人を道具としてしか見ない。命の価値を軽んじる。ああいうタイプは、旨味を提示することでしか人の協力を得られない。何故かって自分以外の誰かが、人が生き死ぬ事に対してどういった思いを抱いているのか、それを表面上でしか理解していないからだ。

 

いかにも甘言を、前に逃げられるといった風な言葉を繰りながら自分の道具とすることしかできない。居なくなった後に部下が暴走するのも当然だ。そもそもが本当の意味で命を賭けているのか、それすらも怪しいのである。その上で一団を導く者としては致命的な欠如があった。

 

御堂賢治に斯衛の、武家の者としての自負はあろう。だけど正しき指導者として絶対に必要なもの、戦い貫く者としての矜持を欠片も持ちあわせていないのだ。

 

そして生死を分ける戦場の事を軽んじている。命の重さと呆気なく失われる軽さ、その理不尽を頭で分かったつもりになっているだけ。人は生きるだろう。戦い、死ぬだろう。だけどそこに見出せるものは、俗っぽい何かでしかない。死ぬということはなんなのか。それは後に何も残らないだけだ。それを虚勢で言い逃れする者ほど、いざという時に何も出来なくなる。

 

戦って死ぬ、それで本当にいいのか。衛士も、そしてあらゆる戦う者達が常に自問自答をしているのだ。自分が戦って死ぬその意味を。その先に夢はあるのか、戦った後に何を得られるのか。

 

問われた男は、また耳触りのいい戯言でしか返せないだろう。何故って、信念がないからだ。

そもそもの芯が無いのだ。斯衛であるのに、主に対する忠も義もどこにもない。

 

だからこそ大半の人はついてこない。手駒が少なかったという言い訳があったが、あれではいくら時間をかけても同じだろう。あのような男についていく者こそ、器が知れるというものだった。付いて行ったものもあくまで下手者が多すぎる。各々が勝手に動き、仮に死しても尚という者はいてもそれは全体のほんの一欠片だけ。本人が気づいていない事が、余計に痛々しさを増していた。

 

芯がなく、空っぽの主張。絵図を苦労して作り上げたのは分かるが、それで満足してしまった道化者。挙句は分かりやすいものに、オルタネイティヴ5といった致命的な欠陥計画にすがってしまったということ。こんな相手など、威嚇にと吠える価値もなかった。

 

“武”が絶望を抱いてでも、自分に手を出せばどうなるのかを見せつける必要はなかった。

どこまでも空回りで、道化でしかなく、それを理解していないのだから。

 

これを憐れと呼ばずしてなんと呼べばいいのだろう。

 

そして、と武は自戒した。

哀れであるという御堂賢治に、嫌というほど重なる人物を知っているからだ。

 

それは頭の中にだけ存在する、この世界ではない何処かの自分であった。

 

 

「………似たもんだよな、俺もさ」

 

 

手首に巻いたハンカチに触れながら自嘲する。持ち主と、染めた血の主を思って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斑鳩崇継は機体を見ていた。仮称を武御雷という、真紅の最新鋭の機体だ。

 

『雨の中の真紅の巨人か。まるで燃えているようだな』

 

『………愚者と運命に対する怒りに、とおっしゃられるならば正しいでしょう』

 

2人は申し出を受けた時の白銀武の瞳を思い出した。そして、生涯忘れないだろうと確信する。

斯衛として、風守家の不始末を拭うためではなく、ただ自分を守ったあの人の代わりとして。衛士となって京都に攻めてくるBETAを退けるためにと、白銀武は斯衛の衛士となることを了承した。

 

崇継や介六郎にも思惑があった。同時に引け目もあった。崇継にとっては自分が命じた、最も近しい数人の部下がその身命を盾として守った人間である。下手人が同じ斯衛の、武家の者であったという事実があり、その上で白銀武に罪が無いことが罪悪感に拍車をかけていた。

 

立場ある人間である崇継は、斯衛の在り方を理由に、あるいは其方の精神状態を考えれば不安要素が大きすぎるといった根拠を元にその申し出を拒絶することはできた。当然の判断とも言えるものだ。真っ当な軍人であればまず受諾はしまい。だが、その申し出に対する結果と結論は今の状況こそが物語っていた。斑鳩崇継は白銀武の申し出を受け、そして試製98型を与えたのだ。

 

介六郎はその意図を理解していた。だからこそ他家には風守の縁者として説明をしていた。不満を抱くものは当然いたが、いつにない崇継の迫力と、言葉少なながらにでも鬼気迫るとしか言い表せない様子を前にして、反論を口にする者はいなかった。何より、ベテランでも扱いに苦慮するというバランスの新型を使いこなされているからには、ぐうの音も出ないというものだ。

 

演習で徹底的に叩きのめされたということもあった。だけど、いつにない緊張感を保てているというのも確かだった。かといって、それで全て丸く収まるという事はあり得ない。

臣下のそれぞれに別の形での不和が生じていて、介六郎はその解決策をまだ見出せていない。この戦闘が終われば、また仕事が増える。介六郎は気負いなく待機したまま、いつものように先の事を考えていた。

 

そこに、崇継より通信が入った。

 

『介六郎。其方は火を盗んだ巨人が作成した、禁断の箱の寓話を知っているか』

 

『知っています。ギリシャ神話ですね。確か、人間の女性であるパンドラが開けた箱のことかと』

 

『そうだな。白銀は義勇軍の隊長から聞いたらしいが………』

 

パンドラとは、ギリシャ神話に登場する人間の女性のことだ。人間のためにとゼウスの言葉に逆らい、天界から火を盗んで人に与えた巨人プロメーテウス。ゼウスの怒りを買い、不死のままに苦しめられた巨人。彼は世界に存在するありとあらゆる悪を一つの箱に閉じ込めていた。幽閉される以前、プロメーテウスは絶対に開けるなと言い残して箱を弟であるエピメーテウスに託した。

 

その妻となった者こそが、ゼウスより与えられた人間の女性である、パンドラその人だ。

彼女はある時、箱を見つけた。その中身を知らないパンドラは、ゼウスより与えられた好奇心のままに、夫のエピメーテウスに箱の中身を見たいと懇願した。エピメーテウスも最初は拒んだが、ついには彼女の願いに折れて、箱を開けてしまった。解き放たれたものは、災厄そのもの。

 

病気、悲嘆、欠乏、憎しみ、犯罪といった悪と呼ばれるあらゆるものが、彼女の好奇心のせいで人間の世界にばらまかれてしまったのだ。エピメーテウスが急いで閉じたものの時すでに遅かった。だが急いで閉じたおかげか、箱の中にただ一つだけ残ってくれたものがあった。

 

『其方は最後に、箱の中に残ったものが何であるかを知っているか』

 

『はい。箱に残った最後の輝き、それは希望であったかと』

 

介六郎の答えに、崇継は首を横に振った。正しいが、違うらしいと。崇継もその話は知識として持っていて、今の介六郎と同じように答えた。だけどそれは解釈の一つにすぎないらしい。だが武からはある意味で正しく、決定的に異なる。ある意味ではもっと性質の悪いものであると、答えられていた。

 

「異なる、だけど最悪の………解き放たれずに済んだ災厄、ですか?」

 

「そうだ。その時には白銀は答えなかったが―――――最後であり、最悪という災厄。その極みたる別の形を、これより見せるらしい」

 

そしてCPよりBETAの突破の報せが届き。同時に、2人は視線を武の機体へと向けていた。

 

介六郎が、呟く。

 

「万が一の方法を。貴様から言い出した事ではあるが…………それを取らせてくれるなよ、白銀」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地面が揺れていた。遠く地鳴りは近くに寄りて、更なる破壊を街にもたらすだろう。そして大群の数は前回とほぼ同等であるという事だ。損耗の完全復旧はできていなく、士気も以前よりずっと低い。

前回の戦闘による戦死者と、この期に及んでの米国の戦力提供の縮小が原因であった。故に、大きく見積もって二割程度。それが京都の手前でBETAを殲滅できるという、完全勝利を成せる可能性であった。

 

「だけど、それでもお前は目覚めないんだな」

 

"タケル"は京都の病院でのあの夜より目覚めない"武"に話しかけた。本来のこの世界の、この身体の本当の持ち主である15歳の自分。自分の生で得た記憶とある決意により産まれた人格ではない、この世界で生まれ育った白銀武がいる。

 

だけど、彼、白銀武は立ち上がろうとはしなかった。次々に自分に降り注ぐ雨に、絶望に疲れて。

ずっと、目を閉じて膝を抱えたまま。

 

「辛いからって、捨てて。逃げられる場所に、隠れこんで」

 

"声"であり"タケル"は歯をくいしばった。何もかもが上手くいくなんて思ってもいなかった。この世界には悲劇が多すぎる。喪失は当たり前で、優しい世界なんて見上げた先の頂きにさえ見えない。

 

誰もが強風に煽られ、傷つき。それでもと昇るもの、諦めて滑落するもの。ありとあらゆるものが飛び交っていた。そんな中で苦労して、ここまでやってきたのだ。そして、予てからの策まであと一歩という所だった。日本に帰ってくる以前から、日本で戦ってきた現在までの道の果てを問われる。この先の行く末が決まる総決算になる筈だったのだ。

 

だけど、最後の最後で武は心の奥底に閉じこもってしまった。

 

あの日、サーシャ・クズネツォワが取り返しのつかないことになった。

 

あの時と同じように、全てより目を背け。そして、"自分の全てを賭けてでもBETAに勝ちたい"という人格より離れてしまった。

 

それは、何を意味するのか。声の主張は届いていない。いつものように。かつて数度、耐え切れず逃げ去った時と同じように。それで許してくれるほどこの世界は甘くないというのに。

 

何とかしなければ、何もかもが崩れ消える。

故に“タケル”は、目を閉じた。

 

「………大陸で戦ったけど認められず。勝つためにと、幼馴染か世界かの選択を強いられて」

 

迷っている中に、泣き叫びたくなるほどの悪夢を見せられ。それでも地獄のような戦場の中で、血と泥と罵声を浴びながらも精一杯に戦った。その中で、自分を産んだ人と再会した。だけどその母も血の中に倒れて。必死の状況に追い込んだのは、仲間であるはずの人類だった。

 

守るために戦った。そして背中から撃たれたかのようだった。

 

「悲しいし。悔しいよな。何もかも捨てて、忘れて、逃げたくなる気持ちは分かるよ」

 

畳み掛けるような絶望の弾丸。それを浴びて諦めるのは、人間であれば当然のことだ。何よりあの光景が止めだった。病院の夜、自分は話をしようと思っていたのだ。何をするにもこれからで。ひょっとしたらという不安もあるが、それまでに垣間見た優しい姿もあり、ちょっとした期待感を抱いていた。だけど。あの日、あの人の左手は無かった。あるものが無いという違和感と不快感は凄まじく

 

鋭利な断面に見えた肉と骨は、近しいものであるからこそ生々しくて。

嗅ぎ慣れていたはずの血の、鉄のような臭いがどうしてか頭から離れてくれない。

はじめて抱きとめた、寄りかかる身体は思っていたよりずっと小さかった。

 

だけど力なく倒れてくる。優しい最後の声は。

 

全てはまだ夢のようで。

 

 

感触は、全身に刻み込まれているかのように、消えてくれない。言い訳の言葉が浮かぶ。子供である。少年であり、まだ15歳であり。ちょっとは弱音を吐いても許されるだろうと。だが、白銀武は既に亜大陸のあの時に、覚悟を済ませていたのだ。だからこそ決意の象徴たる人格が、それを許すはずがなかった。

 

「諦めて、逃げる。何度繰り返しても………俺の答えは変わらないぜ。お前はもう決めたはずだ。選択したからには、行き着くまでは絶対に許されないんだよ」

 

お前には責任がある。

宣言と共に、声はその質を変えていた。遠くを見るように顔を上げ、告げた。

 

「やりたくはなかった。この方法は最悪だ。先に見える、"たどり着く"可能性が激減する………だけど、もう時間がない」

 

病院で感じたこと。2つの人格があるも、それが融合しつつある、というのはそういう事だ。

 

――――最後の一手が、存在する。人類が勝利する、そのための奇策がある。

 

最終的にBETAに勝つ方法は一択だろう。すなわち人類の叡智の結晶とも言える計画、オルタネイティヴ計画。だが前提となる条件が厳しすぎた。蜘蛛の糸よりもか細く、それでいて見えない希望を掴む必要がある。タケルも、今のままでは無理であると断じていた。

 

そう、逃げたままでは無理なのだ。前にしろ後ろにしろ、追われるように選択するような愚者にそのか細い糸は掴めない。掴むことができたとして、元である自分の意志が(わか)たれたままではひとたまりもないのだ。

 

決意したあの日のように、強い自分に戻らなければならない。それどころか、かつて以上の決意がなければ最後の一手が失敗するのは確実だった。だからこその荒波に飛び込んでの、最後のチャンスであった。義勇軍ではなく、日本に戻ることは必須だった。

 

そこで様々な経験をするだろう。はっきり言って、何もかも予想できていなかった。

いくらかの札は持っていたが、それだけだ。流される戦況に、場当たり的に対処してきた。

上手く行った部分があり、そうでなかった部分もある。だけど諦めることはしなかった。

 

亜大陸の最後の日、カードを切った時と同じだ。人間は結局の所、配られたカードで勝負をするしかない。だから必死に、目的の頂きへと登り続けた。その果てに見えたものが今である。病院での覚醒の後は、最善の状態にあったように思う。それを潰したのが人類であるのは皮肉であり、そして当然の帰結のように思えた。

 

かつての問いと共に、真価が試される。

 

そしてタケルは、始まりの言葉を復唱した。

 

「起きろ………って言葉だけじゃ起きないだろうな」

 

一度眠れば、逃避したまま。そんな弱い自分に、叱りつけても意味はない。

 

「ああ、分かってる。言葉だけじゃ無理だ………だけど、何度でも言ってやるぜ。死の先にあるものを教えてやる。俺たちが負けた先に、どうなってしまうのか」

 

そうして歯を食いしばった。同時に、脳の中に形のない記憶が発露していった。

それは例えるならば、原初の暗黒。話を聞いて、そして虚数空間で拾ってしまった、白銀武が最も忌避し、憎み、そしてかつて悲劇と共に思い出してしまい、壊れてしまった記憶がある。

 

「パンドラの箱のお伽話………聞いた時には、奇遇だなと思ったよ」

 

箱に最後まで残っていた災厄。その最後に残った絶望の名前を、"予知"という。それは未来の可能性だ。可能性が定められていないからこそ、人は好きな未来を想像し、創造できる。

 

人は絶望にあっても、行く末を断じていられないからこそ希望を持つことができるのだ。終わりの分かっている道に何の価値があろうか。自分の力で何とかできると、そう信じられるからこそ人は希望を捨てないでいられる。

 

かつてのシロガネタケルは、先にある絶望を知ったからこそ必死になった。行く末が人類の滅亡であると分かっているからこそ、それを変えようと躍起になっていた。大切な者達の行く末に地雷がしかけられていると知っているのと同じである。それはまるで、世界を背負わされたかのような重圧で。

 

(あれと同じだ。だからこそ(・・・・・)劇薬になる)

 

タケルはそうして記憶を紡いでいった。かつて虚数空間にばらまかれた様々な記憶達。

 

どこかの世界、かつての白銀武がいる。

かつて初陣の前の日に夢で見た記憶、その先に何があったのか。

 

(耐えられなきゃ、どの道無理だ。逃げたらここで終わる)

 

必要なことだと、砕けよとばかりに歯を食いしばった。

 

(往くも退くも地獄、それは知ってるよな?)

 

このまま目覚めないのであれば、タケルは上手く戦えない。結果的に、ほぼ間違いなく風守光は死ぬだろう。未だ意識は戻らず、BETAに攻めこまれ病院ごと潰されれば。あるいは電力の供給を絶たれ生命維持装置が動かなくなるか。

 

恐怖のあまり医師達が逃げるか。そのどれが起きても、死は免れないだろう。そして母の死は止めには十分となる。だからこそ逃げられない。今でさえ崖の淵に手をかけている状況で、落ちないとはいっても時間の問題である。

 

これ以上の負荷には耐えられないだろう。だからこそ正念場であった。

 

時間稼ぎも不可能。

そして一度逃避した自分が普通の方法で起きないのは、過去に三度も経験していた。

 

 

(見せてやるよ。お前がこのまま戦わなければ大切な人がどうなるのか、その現実を、末路を、有り様を――――)

 

 

世界で最も苦いものを飲み干すようにして。

 

“タケル”は“武”に対し、凶手と呼ばれるようになる魔法の言葉を告げた。

 

 

起きろ(wake up)

 

 

言葉と同時に武の脳裏に光景が浮かび上がり、そして弾けた。

 

 

(――――あ?)

 

 

 

 

 

無意識下に逃げ込んでいた“武”が起きて、そして気づいた。何もかもに疲れ、もう眠ってしまいたいというような瞳を開けた。見えたのは、いつか自分と対峙した廃墟である。壊れた部屋の中央、対峙に使ったボロボロの机の上にはモニターが置かれていた。あちこちひび割れていて、ゴミ捨て場でも見かけない程に傷だらけだ。

 

当然の如くモニターは光を発するだけで、映る映像は酷く不鮮明なものだった。

何がどうなっているのかさっぱり要領を得ない状態である。

 

だが武が注視していると、徐々に映像がクリアになっていった。そうして映像は、シルエットだけは理解できるようになっていた。

 

人間の、恐らくは裸である女性と、その傍に得体のしれない何かが。武はそれを見た途端に恐怖を覚えた。自分の見たくないものが映し出されようとしていると気づいたからだ。

 

だから、今いる場所より一歩退いたつもりだった。だけどどうしてか、足は前に進んでいた。

 

勝手に動く足はそのまま椅子の前にまで進み。そして椅子に座った途端に、身体の自由が消えた。まるで金縛りにあったかのように動かない。動揺する中で武は、嫌な予感がしつつもモニターから目を逸らせなかった。

 

直後に、映像が鮮明になる。

 

(純、夏?)

 

女性は、鑑純夏。自分の幼馴染であり。

 

認識した途端に、無意識の中でその映像の題目が識らされた。

 

連れさられて、ハイヴの奥に囚えられた自分と純夏。反抗した自分は、兵士級に殺されてしまった。

 

そこまでは夢に見て、覚えている。

 

だけど―――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

武が理解すると同時に、映像が始まった。

 

 

ハイヴ 奥らしい。

 

 

                        そこには純夏が縛 れて た。

 

 

 

服が無 裸 で 、リボ がある けで、素の肌 が え いる。

 

 

 

 

 

                           B T は、兵士 はゆっくりと触 。

 

純夏 げようとす けど、逃 られ い。

 

 

 

               抵抗  駄で、守  は誰もい い。

 

 

 

 

激痛 呼 起こ さ るような動 に、純夏 痛  泣 叫 ん  た。

 

 

 

           だ  BET は止  ら 、触 は  馴染 のあちこ を弄 でい 。

 

 

 

「が、ギ、アぁッ?!」

 

 

脳が映像を認識し、そのあまりの光景に理解を拒む。だけど、全てから目を逸らせることはできなかった。弄ばれる純夏。それをはっきりと認識した“武”と“タケル”、は同時に苦悶の声を上げた。

 

最も見たくない光景が、目の前で繰り広げられているということ。そしてこれが何であるのか。更に深く認識した途端に、激痛に叫んだ。同時に絶望を、悪意を悲嘆をこねてこねてこねて作り上げられた泥団子を目から鼻から口から耳から皮膚からありとあらゆる穴から突っ込まれたかのような感覚に陥っていた。最悪の吐き気がするのに、絶対に吐けないような気持ちの悪さ。

 

頭蓋骨が弾け飛ぶような痛みがあった。脳髄の奥では何かが爆発しているかのようだった。

同時に、武の現実を侵食していった。耐えられない、人の心の許容量と耐久力を遥かに越えた狂気の砲弾が直撃したからには現実の心身に影響が出ないはずもない。

 

映像を処理できないと細胞の全てが泣いて、実際の痛覚を伴って訴えてくるかのような錯覚に陥った。

 

ある意味では、真実であった。

 

その証拠として武は、体内で血管が反旗を翻しているような。赤血球が跳ね回っているかのような。

 

背筋からつま先まで高圧電流が流れていくかのような激痛に襲われていた。

 

その中でも、モニターに手を伸ばして訴えかけていた。

 

 

(や、めろ――――やめてくれ! 純夏は、あいつは、俺の…………!)

 

 

 

――――産まれた時からずっと。

 

――――京都でやっと再会できた。

 

――――家族も同然の。

 

――――平和だった日常の。

 

――――妹であり、大切な存在であり

 

――――抱きしめて分かった。

 

――――あんなにも弱いのだ。

 

――――少し強く力を入れてしまえば。

 

――――壊れてしまうほどに脆くて柔らかい、本当にただの女の子なんだよ。

 

 

何とか聞き届けてもらいたくて、だから声ならぬ声で必死に叫んだ。

 

だけどそんな事は戯言だと言わんばかりに、光景は更に続いた。

 

気色の悪い音が脳の中で反響している。

 

グチャ。クちャ。こチャ。ぬちヤ。

 

聞いているだけで吐き気を催す音は、しつこく時計のように一定のリズムを刻んでいた。

 

 

「や、やめ、やめ…………ッ!」

 

 

精一杯の絶叫も届かない。モニターに手を伸ばしても、何も触れられず空を切るだけ。

それはある意味で当然であった。これは過去の光景であり、未来の光景でもある。

 

過去は触れられず、変えられないもので。未来はまだ未定のはずで、だけどこのままでは確定してしまう可能性だった。あくまで可能性であると、言い訳の声が自分を助けようとした。

 

だけど十分に有り得るものだと、知識が反論してくる。先を知る記憶が、事実であると確信の報せを運んでくるのだ。

 

(いやだ、嘘だ、嘘だ、こんなもの…………っ!)

 

嘘っぱちだ。そうだ、幻覚だ。BETAの、あるいは誰かが命じて、催眠の。

だけど否定する事こそが誤りであり嘘であると、身に備わった記憶が証明してくる。

 

十分に起こりうる、一度起きた、そしていつか起こるかもしれない現実である。そう主張する予知という名前の記憶の弾丸は、可能性と未確定という言い訳で出来たハリボテの盾を打ち砕いていった。

 

(違う、幻覚だ! 出鱈目なんだろうこれは!)

 

だが、本当だ。記憶は問答無用とばかりに断言してくるようだった。誰でもない自分がそうであると理解して。だけどそれを認められず、何度も叫ぶ。道化のような遣り取り、だけど止めてくれる者も、答えてくれる者もいない。

 

ただ一言だけ。これは不可避なものであると、誰かが耳元で囁いたような気がした。

それを証明するように、更に陰惨たる光景が次々に流れていった。武は本能的に恐怖を覚え幻覚の中で目を閉じようとしたが、それも無意味だった。

 

まるで見せつけるように、狂乱の宴は武の目の前で進んでいった。

 

 

 

白  もも 巻き いた い触 、そして太 棒が。

 

 

                          時 声は  に矯 に変  て った。

 

 

 

痛 な の 、気  い って、身 の ち  が作   えられ 。

 

    時 と に純  理性  壊  てい た。

 

 

 

                    そしてB T は身  器官を   剥 で っ 。

 

 

 

 

 

 

 と  つ、身 のパ  がなく     。

 

 

                                            そ      赤い髪も     、脳と脊髄   解      て。

 

 

 

 

 

そうして“保管”された光景の前に、武は限界を越えた絶叫が喉の奥で爆発させた。怒りのままに自分を殴ろうとする。夢よ、己よ、死んでしまえと。憎悪に駆られたまま拳を握りしめる。

 

だが、それまでだ。身体は上手く動かせず、腕を振り上げることもできなかった。できるのは、嘘っぱちだという必死の否定を繰り返すだけ。握りしめた幻の拳から肉が裂けて血が溢れていた。

 

だけど自分の中のどこかに在る冷静な部分は、この光景が真実であるかを検証していた。

 

BETAの兵士級のこと。近年になって現れた新種。その材料がなんであるのか。何を材料として作られているのか。

 

BETAが人間を殺さずに攫うことがあると聞いたが、その真実がなんであるのか。

理解してしまった途端に、純夏の顔の横に別の人間の顔が浮かんだ。

 

それは過去の記憶で失った大切な人達だった。目の前で死を見届けることができなかった、遠くの戦場で死んでしまったという知り合いの、あるいは離れてしまった最愛の。その果てにあった可能性が、連れ去られた先にある光景が“これ”であるかもしれない。思いついてしまったが最後だった。脳は機能に忠実に、連想が成立し、映像を脳が自動的に直結させて処理を施した。

 

過去の、今生の、失った、存命の、ありとあらゆる大切な人の顔が純夏と重なる。

 

重なる度に胸が裂かれて。消えていくたびに絶望が倍加していった。

 

 

「――――ぁ」

 

 

声なき声も、枯れてしまって形にならず。だけど、光景は終わってくれなかった。

それでも正視に耐えないあの工程は終わったようだ。

 

次に見えたのは青く輝くシリンダー。場所は研究所の中のようで、部屋の中央にあるシリンダーの中は液体と、そして先ほどと同じ脳と脊髄があった。隣には、自分が害した銀髪の、彼女に似た少女がいる。直後に通信のノイズを激しくしたような音と共に映像が乱れて。

 

それでも、次に見えたのは同じものが入ったシリンダーだった。

 

そこで気づいた。視点が違うのだ。見えるのは網膜に投映された映像のようで、つまり自分は戦術機に乗っている。機体の巨大な手でシリンダーを握りしめている。周囲には破壊の痕。機体の残骸。残された者はいなく、撤退が決定した。だから自分は、短い付き合いであるが、基地の仲間だと思っていたシリンダーを。

 

たった1人ぼっち。

だけど仲間で、残しておけないから、連れてもいけないからと、と中の“それ”を。

 

哀れみの声と彼女にそれを――――――

 

ばつん、という奇妙な音と共に光景が途切れた。そして電源がキレたように世界が闇に染まる。

 

「あ…………ぁ、ぇ、あ?」

 

か細い零れた声は、枯れながらも弱く。それこそが、あの光景の先にある絶望を示していた。

終わりを理解する。自分がしでかしてしまった事、その真実を悟る。

 

同時に、武の身体が発作が起こした病人のように跳ねた。声にならない絶叫と共に呼吸が荒くなっていく。ぜひ、ぜは、と情けない声と共に息を吸って、吐き出すも上手くいかない。

 

動悸は一気にその大きさを増した。心拍数が短時間であり得ない数値に上がっていく。耳鳴りが酷く、視界がぼやけている。真っ赤な世界が揺れて、まるで地獄の釜の底であるかのような。自分のバイタルデータを見たのだろう、僚機ではないが誰かが通信越しに話しかけてきているようだ。

 

武はまるで知らない国の言葉のようにそれを理解できなかった。口の中は乾ききっていた。水分はわずかに、だけどそれは灼熱の熱さを持っている。眼の奥が燃えているかのようだった。

 

頭の中では誰かが中で暴れているように、四方八方に痛みが飛び跳ねている。

そんな中でも知覚できるものがあった。機体の全体に、足音より伝わる振動が多数あり、それが何を示すものかを瞬時に理解していた。

 

顔を上げる。次に武が視界に見たのは、真っ赤な世界だ。

脳の奥は冷静だ。だけど次の瞬間には、絶望と空虚が胸の中で混じり合う。

 

両腕は衛士としての心構えの通りに。だけど、憎悪と悲嘆は頭を溶かしきっている。

 

武の体内であらゆる矛盾が発生している。だけど動作不良を起こさないのは、身体を構成するありとあらゆる細胞が全面一致で一つの目的を欲していたからだろう。

 

レーダーの中に光点が多数。そこには、無数の赤い点が映っていた。知覚した途端に武の唇が三日月のように曲がり、漏れでた感情が声になった。

 

 

「殺してやる」

 

 

宣言を、合図の号砲として。

 

 

殺意の塊となった獣を乗せた真紅の機体は、押し寄せてくる最も憎き仇の群れに突っ込んでいった。

 

 

 

 

 


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