Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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35-Ⅱ話 : 出会った人達と(後編)_

誰もいない病室に戻った二人。武は安堵のため息をつく真壁に、取り敢えずの挨拶をした。

 

「お、ひさしぶりです真壁大尉」

 

「貴様…………いや」

 

真壁介六郎は訝しげな顔をしたが、すぐに納得いったという表情を取り繕った。そして椅子に座ると今日に来た見舞い客の事について特に問題があるような発言をしなかったかを尋ねる。

武は、その問いに対しては誤魔化さず素直に話すことにした。この病院を手配したのは斑鳩公か目の前の真壁大尉であるに違いがなかったからだ。先の戦闘において外には漏らせない様々なこと、その隠蔽の主な操者は斑鳩公以外にありえない。どちらにせよ、細かな調整は目の前の切れ者の大尉が行っているに違いない。それがどうしてか確信できた武は、言われたままに答えていった。

 

「だが、あんな所で何をしていたのだ? 誰かを盗み見ていたようだが」

 

その質問に、武は素直に答えることにした。変に嘘をつけば、後で何をされるのか分からない恐怖がある。そして、武はあれはどういった人ですかとたずねた。着ていた服、あの反応を見るに大体の所の予想はついていたのだが、確証がないのだ。真壁は、ああと気がついたように答えた。

 

「風守少佐の教え子だろう。それも前の戦闘に参加していた中の一人だ」

 

真壁は聞いた容姿の特徴から、特に少佐に対する反発心を持っていた一人だという。が、武にはその経緯が分からない。かといって、素直にたずねる事であるのかどうか。武はそこで推測を重ねようとしたが、先の朔の言葉を思い出していた。言葉で聞かなければ、本当の所は分からない。だから武は、素直に尋ねることにした。

 

「大尉は、その………自分の母親に関することを知っていますか?」

 

聞こえるかどうか、という小さい声。だけど真壁は訝しげな表情をしながらも、はっきりと頷いた。

 

「最近知った。というより、貴様が崇継様に謁見した後に初めて聞かされた」

 

介六郎にしても、寝耳に水の話だったらしい。そして、ため息をひとつ。

 

「貴様に背景と事情を説明する、という話は少佐から聞いている。戦場に出る前に本人と約束したらしいな」

 

「はい」

 

「それを踏まえて、事前に説明をしてやる」

 

「え、大尉が!?」

 

驚く武をよそに、介六郎は有無をいわさないと強引に、そして淡々と説明を始めた。それは、光が崇継と介六郎に語った内容そのままだ。全くの脚色無しに、事実だけを並べていく。そして、と介六郎は説明を付け足した。

 

「斯衛の先達としての講師。彼女は憎まれ役を買って出た」

 

教師の多くは、実戦を経験した帝国陸軍の佐官階級を持つ衛士だったらしい。授業を受ける生徒達は、その教師というか教官に対しては概ねは素直に従っていた。実戦経験も豊富な教えに逆らう理由などないからだ。特に斯衛は儀礼にうるさい部分が多く、上官に変な反発心を持つような人間は少ない。

 

「だが、それでは問題がある。貴様ならばそれが分かるな?」

 

「はい。教官役は、好かれるだけでは駄目ですから」

 

 

反発心が無いというのはそれだけで問題だ。教官という存在は、憎まれる位がちょうどいいと言えた。従順で模範的もいい、だけどそれでは困る部分があるのだ。従順な軍人というのは必要ではあるが、衛士になる者としてはそれだけでは不足する。受け入れられるだけでは困るのだ。

 

どうしようもない苦境、理不尽の極みたる場面において何より役立つのは自立しようという強い心である。そして自立というのは、反発心を親として構成されていくものだ。帝国陸軍では、ある種の人格否定を含めた厳しい訓練によってそれを成すらしい。国連軍も、同じなようだ。

 

米国の海兵隊などはまた別の方向でのアプローチを行うそうだが、どの国であっても優しいだけの教官など存在しない。だが、斯衛は同じ手法など取れないのである。教官の出自に、武家といった特殊な生まれを持つ人間といった複雑な事情が絡んでくる。特に女性が多くなってきた昨今では、そうした手法が取られることに対して明確な反対意見が目立つようになってきた。

 

「だからこその………分かりやすい、共通解としての憎まれ役が必要になる」

 

家格に対する精神については、山城少尉より聞いていた。そして向上心もなく現状に甘んじる軍人など、いざという時に役に立たなくなる可能性が高い。ならば、どうした方法で反発心、反骨心を持たせるのか。それはやはり、家格を利用するのが一番手っ取り早い方法であるのだ。

 

――――成り上がり者から、扱き下ろされるような訓練を受ける。

 

武家ではない武には分からないものだが、それでもそれを受けた武家の者は、許せない屈辱を感じるものなのであろう。そして共通の敵というのは、隊内の結束を強める要因にもなる。

 

(そのあたりの理屈については………まるで同じやり方じゃねえか)

 

義勇軍である。身に覚えがあり、効果があるというのは実地で理解できていることだった。一方で風守光が一時的にでも教官をやればいいと発案した者は、崇宰の傍役である御堂家の当主らしい。半ば冗談かつ嫌味を含めての提案だったが、風守光はそれを良い方法だと思い、了承したという。そして武は、礼を言いに来た生徒の本意が分かった。教官の厳しすぎる罵倒。その本当の意味が分かるのは、実戦に出た後だからだ。

 

「風守少佐の、貴様に対するような態度。あれは、褒められたものではない」

 

斯衛であれば斯衛として、一切の私事を捨てることこそが最善だ。

聞けば、観察対象らしからぬ接し方をしていたという。

 

「だが、俺も崇継様も、風守少佐のあのような態度など今までに見たことがなくてな」

 

正直な所戸惑っている部分もある、と真壁は本心から答えた。ずっと見てきたのだ。誰から見ても誠実であり、斯衛として疑いようのない働きを目前で見せられてきた。

 

「初めて会ったのが、傍役として就任した翌年だから…………14年も前からの付き合いになるか」

 

だが、彼女は斯衛の傍役として斑鳩崇継の隣に在ったという。真壁介六郎は多くの人間を見てきた。その姓が意味する所は様々であり、また斯衛の中では決して小さくはない。親や兄弟と同じように、斯衛の衛士や、他家の傍役についても接してきた。介六郎はその中で目指すべき所、見習うべき所を持つ人間は居たが、それが数える程であったこと。そして、その一人として風守光を挙げていた。

 

裏切ることなど万が一にもあり得ない。それだけの信頼関係があり、今も疑っていないと言う。

 

「だから………忠義のままに。主君を害した、と見えた俺を殺そうとしたんですか」

 

「その辺りは無責任に断言できん。結局の所は未遂に終わったのだからな」

 

結果を回答というのなら、まだその結論は出ていない事になる。何より武が死んでいないからだ。真壁は、最終的にこの眼の前の少年を殺す事ができたのか、実の所は怪しいものだと思っていた。

 

とはいえ、その可能性があった事は確かである。

 

「………貴様に関してもな。突き放すのが最善だった。私事など含ませずに、ただの他人として警戒することこそが観察役としてすべき行動であった。だが、できなかったようだな」

 

「それは………そう、ですけど」

 

刃をつきつけられた時の事は覚えている。だけど、あの時の表情はとてつもない苦悶に染まっていたように思う。本当に主君を害する者であれば、どうであったのか。武はもしもの事を考えていたが、間違いなく殺されていただろうとは断言できなかった。それまでの言動もあるからだ。情緒不安定であった自分の醜態は覚えているが、そんな時はいつも声をかけられていた。本心を聞いたことはないが、心から案じられていたように思う。そして、時折自分の発言に対して悔いるような表情を見せていた。

 

「らしいといえば、らしい。少し感情的になり易いのが彼女の欠点でもあるが、それは長所でもある」

 

義と情に厚い、ということだ。実際、紅蓮醍三郎を代表として、好かれている人間からは本当に好かれているらしい。介六郎も、紅蓮の彼女に対する信頼関係を耳に挟んだことがあった。というよりも、腕に覚えのある衛士のほぼ大半から認められているという。実戦を経験した衛士に対する敬意というのもあろうが、立場に対して傲慢にならず、その上で泥を恐れないといった態度が好まれている。反面、戦功がない家格の高い武家からは嫌われている。

 

実力はあろうが機会に恵まれなかった者、実力もなく機会から逃げつつも無自覚に自分の臆病さから眼を背け続けている者。そうした人間の声は大きいものだ。今回のことも、非難対象になると思えた。

 

ベトナム義勇軍が命令に反して敵中深くまで独断で突破したこと、それ以外にも糾弾の切っ掛けとなりうるものがあるらしい。他人を非難する時に人間は最も誠実になる。その言葉どおりに、耳触りの良い言葉で風守光という衛士の責任を追求することだろう。

 

「だから………推測ではあるが、間違いない。斯衛である彼女は今回の己の揺らぎを許さないだろう」

 

「立ち位置も、在り方も中途半端になっているからですか」

 

「ああ。そして、どちらを選択するかは………」

 

介六郎は途中で言葉を止めたが、武は分かっていた。斑鳩大佐に説明した内容、真壁がこの場で伝えた話に嘘が含まれていたとも思えない。主君に告げるからには、風守光としての本心を告げたことだろう。それが本当であれば、彼女は夫と子供を守り、その上で風守の家を守るといった選択を取ったのである。

 

「それを保つためであれば。恐らく彼女は貴様に嘘をつくだろう。そして遠ざけて………貴様に恨まれる方を選ぶと見ている」

 

恨まれ、自分を捨てた裏切り者と恨まれても。そして風守光は、BETAに対する斯衛の一員としての役目を、主君と帝国を守る剣としての立場を全うする。元の関係に戻ろうとするのだ。きっとそのままを話して許されるつもりは無いだろうと、真壁は言った。

 

武も、断言できるわけもないが、そうした行動に出るだろうことは感じ取っていた。

 

(………生きていて、くれさえすれば。そう思っていたら)

 

実際に言われたことでもある。何より、守るために離れたという言葉は納得できるものだった。東南アジアに居た頃もそうだが、日本に来てからは特に上層部の人間の勝手さや、派閥の争いの糞ったれさを見せられてきた。母親としての最善は、傍で見守りその手で育てることだろう。少なくとも、世間一般の常識では。

 

(だけど、俺だって。あの中隊の誰かを見捨てるか、純夏を見捨てるかって場面になったら…………)

 

現在進行形で悩んでいる内容でもあった。第四と第五、それだけではない。どちらを選ぶのか。どちらを裏切ろうとも片方が生きてくれていれば、という思いが浮かんだことだろう。迷わないはずがないのだ。そして、迷うということはそれだけ自分の事を大切に思っているということの証明かもしれない。

 

もしも、今までに他人と同じ態度を取られていれば。迷いなく斯衛としての風守を最優先に、容易く割り切られていれば。武はこれまでの事を思い出していた。もしもそんな存在であると思い知らされていたら、迷うことも無かっただろうと。考えこむと、どういった結論を出して、どういった態度で接するべきだろうか分からなくなった。そして縋るように介六郎の方を見るが、黙って首を横に振られた。

 

「俺にも分からない事がある。家族間の感情など、その代表的なものだ」

 

「どういう、意味ですか?」

 

「当人同士しか分からないだろう。血の繋がりというのは、人間関係の中でも最も複雑であると言えるものの一つだぞ」

 

私見だが、と語った。どの家庭であっても、模範的なものはあっても、実際がそうである筈がない。どこか特殊であり、また常識では語れないものであるというのだ。他人ならばある程度は割り切れる。愚かな行為をした者を、助ける価値もないと見捨てることも可能だろう。

 

だけど血が繋がっているからこそ、無視できない感情があるのだ。それは外の人間が頭ごなしに決められることでも、また諭す事も出来ないことである。本当の正解など、果たしてあるものどうか。

 

家族間の関係や行動について、本当の“正しい”が在るとして、それは当の家族同士で話し合った中で定めるしかないと考えていた。だが、といやに饒舌になった真壁を武は不思議に思い、何となく質問していた。

 

「ひょっとして大尉も、家族のことで悩んだことが?」

 

「………俺の名前を聞いても分かるだろう。それに、10人兄弟だからなその辺りも色々な…………何度も悩んだことがある。その度に外野が余計な口を挟んできたことがあった」

 

個人の感情や立場も考えず、知ったかぶりで諭してくる輩が居たという。真壁家という名前に擦り寄ってくる寄生虫志願者といった者達ではあるが、その都合の良い一般論を聞いた時には殺意さえ覚えたことがあると、珍しく少し感情的になっていた。

 

役職や社会的立場といった観点であれば失点は追求されるべきであろう。組織に属する者として、その組織に害する行動を取ることは背任行為である。だが、家族というものは組織ではない。絶対的な社会的定義があるはずもない。血の繋がった者達とはいえど、全体の目的を必ずしも一定の方向にする必要はないのだ。故に家族としての関係、在り方や何が最善であるか、どう思うべきかを外部からは勝手に決めつけることはできないというのが介六郎の考えだった。

 

「えーと、つまりは?」

 

「当人同士か、あるいは家族全員で話しあって決めろということだ。遠慮なく意見を交わし合うことができるのも、家族としての特権だろう」

 

武はそれを聞いて、納得した。父・影行と目玉焼きになにをかけるのか、といったあれと同じだ。忌憚のない意見を、本音を隠さずにぶつけあえというのだ。それは正しいことのように思えた。考えれば、自分はまだ何も聞いていないのだ。

 

「ありがとうございます。一度、じっくりと話してみます」

 

「それがいい」

 

「はい………ところで、どうして大尉は話してくれたんですか?」

 

光のかつてとこれまでの経緯の事だ。口出しをするというのは介六郎の考えとは反するし、それになにやら役職上といった範疇を越えて親切にしてくれているように思える。

武の疑問に、介六郎はため息をついた。

 

「自分で考えろ…………と言いたいが、余計な勘違いをされそうだな」

 

理由はあると答えた。一つは、白銀武が持つ価値について。はっきり言って、別の組織は愚か五摂家の他家にさえも渡したくない程の逸材である。抱えた物は大きく、またいつ爆発するか分からない爆弾のようなものである。

 

しかし、武が持つ情報と衛士の腕はそのデメリットを圧倒的に上回る。実戦経験が豊富であるということも、地味に見逃してはならない点である。BETA相手の実戦経験などは、いくら金を積もうが得られない類のものだからだ。

 

それ以外のことも、総合的に見て白銀武という人物の持つ価値は大きすぎた。それなりに権威や権力を持つ者にとっては、何をしてでも確保しておかなければならない切り札、ジョーカーであると断言できるぐらいには。そしてもう一つは、借りがあったからだという。

 

「借り………俺じゃないですよね」

 

「風守少佐に、な。あっちは借りだと思っていないかもしれんが。あとは事情を知らない時に、嫁ぎ遅れだという冗談を飛ばしてしまったこともある」

 

父と兄は知っていたらしいが、と介六郎は少し恨めしそうに言う。控えめに見ても激怒している様子である。武は借りの部分を追求しようとしたが、答えてくれそうな気配が皆無だったので口をつぐんだ。14年も一緒にいたのだから、片方には無自覚な貸し借りというものが発生する事もあるだろう。

 

「そして…………あの人は割りとアホな所がある。思い込みが激しく、後先考えない時がある所もな」

 

「うっ」

 

武は自分にも覚えがあるので、言葉につまった。真壁はそれを見るや否や、風守光に対することを混じえ、武が命令違反を犯して前線に特攻したことをさりげなく責めた。的確な指摘と反省を促すそれに、武は反撃の糸口もつかめないまま一方的に言葉の拳でぼこぼこにされた。

 

「全く、親子揃って………貴様に関しては、まだ15だ。本当なら大人より子供に近い年齢だから仕方ないのかもしれんがな」

 

真壁の言葉にちぢこまる武。だけどどうしてか、自分を通して誰かを見ているように見えて、そして思い出した。10人兄弟ではあるが、介“六”郎というからには六男なのだろう。ひょっとして弟さんを思い出してますか、と聞くと介六郎は意表をつかれた表情になった。

 

そして、ため息をついた。

 

「………まあいい。弟ならば居る。貴様とそう変わりのない年齢の者がな」

 

真壁家の末弟で、名前を清十郎というらしい。衛士としての才能に関しては申し分がないのだが、非常に思い込みが激しい所が玉に瑕。だが無表情のまま百面相をしているのが面白く、たまにであるが一人で何やら劇場を広げていることがあり、それを傍目に見ているとかなり面白いらしい。

 

性格は真面目で素直の一言。父や兄の教えを素直に受け取り、自分のものにしようとしている所は好感が持てるのだとか。思い込みの激しさがそれにおもしろ可笑しいスパイスになっているという。

 

「変人度で言えば貴様と同等といった所だ」

 

「え、なら普通じゃないですか」

 

武の答えを、介六郎は鼻で笑った。

 

「まあ、似ている所はそれだけだ。あとは犬っぽい所は似ているか」

 

「真壁大尉は犬派なんですか」

 

「何を言っている。猫よりは犬だろうが」

 

かなりの犬派らしい。原理主義者であるとも言って良かった。愚問であると言わんばかりの口調に、その証拠が見て取れる。そうした冗談を混じえた会話の後、真壁は椅子より立ち上がった。

 

少し真面目な話があると、窓の外の街をちらりと見て告げる。

 

「裏で動いていた者、その中核を担っていた下手人に関しては捕縛した。だが、残党の何人かが捕捉できなくてな」

 

今は戦後の後始末と次に備えての準備に忙しいが、そちらも放っておくわけにはいかない。

逆恨みをしている可能性があるという。その場合、真っ先に狙われるのが白銀武ということだ。

 

全ては知らないが、ある程度の背景を把握している者。保守派が多い例の者達は風守光を特に嫌悪していて、その上で今回の戦闘で活躍したその息子の事を知ればどう思うか。

 

真壁は、火薬庫に火を投げ込む行為に等しいと苦笑した。

 

「動くのであれば、夜半より過ぎてからだろうが…………念のため護衛として、何人かをこの病院に配置している。風守少佐もな」

 

「自分は囮役、ですか」

 

「こちらには来ない可能性の方が大きいがな。大体の場所は情報部より得ている。大半はそちらで捕捉できるだろう」

 

「………まるで身内のように扱った上で、情報を明かすんですね」

 

「崇継様はそう望まれている。俺としても、貴様を敵に回すのは御免こうむるのでな」

 

例の“アレ”のことを言っているのだろう。そして、この上ない利用価値を見込まれているのか――――あるいは共に戦う者としての覚悟を認められているのか。

 

介六郎は護身用と拳銃を手渡した。そしてどちらとも言わない。だが最後に、どちらに転ぼうが、と前置いて告げた。

 

「人生とは即ち選択と決断。其に際しては常が己が目で本質を見定め決定しろ………このご時世だ。別れなどそこかしこに転がっている」

 

 

風守少佐の件に関してもな。そう言い残し、介六郎は病室より去っていった。

 

残された武は、介六郎の言葉を反芻していた。そして、印象を改めていた。第一印象は政治的な駆け引きが得意な参謀といった所だが、それに付け加え想像以上にお節介な人なのかもしれないと。

 

「でも、風守光…………母さん、か」

 

呟いて見ると、しっくりくるような。だけどどこかで反発心が生まれるような。複雑な感情が胸中を渦巻いていた。告げられた内容は恐らく真実で、当時の本人にはどうしようもできなかったことなのだろう。その上でBETAと戦う者として、風守を守りそして白銀を守ろうとした。確かに、斯衛として戦うのであれば両方を守る選択となる。

 

どちらが大切だったか、ではない。どちらも大切であるから、両方のためになるようにと決断をしたのだ。全てが上手くいく方法なんてない。その中で最善をと望み、一部を捨ててまで行動する時の苦しさは武も何度も味わったことである。

 

「親父も………悔しかったんだろうな」

 

母の決断を前に、何もしてやれない。影行は自分の不甲斐なさを嘆き、死にたい程に悔しかっただろう。白銀影行が立場ある、保守派からの婚姻を責められるような地位に無かったら良かったのだ。好きな女の決断に、自分の低い地位のせいで何もしてやれない。それどころか、子供である武にも母親の居ない生活を強いることとなった。

 

嫁を持ったことはないが、失いたくない人間と置換して想像してみれば何となくだが分かる。自分を殴り殺したい気分になったことだろう。どれだけ好きだったのかは、その態度を見れば分かる。あの中隊の面々が師匠と呼ぶ程にだ。だからこそ強引かつ危険であっても、亜大陸への出向を決めたのだ。そして今では大東亜連合軍の中では居なくてはならない人物の一人となっていた。

 

そうして、また暗い方向に思考が傾こうとしていた時だった。今度は複数人の見舞い客がやってきたのだ。山吹が1人に、白が3人。斯衛のBDUを纏ってやってきたのは、中隊長を除いたブレイズ中隊の面々だった。

 

その中の白の2人、甲斐志摩子と能登和泉は何やらガチガチになって入室して来ると、ベッドの前で整列し、そしていきなり頭を下げた。ごめんなさい、と大声で。武は何が何やら分からないと、唯依と上総に助けを求めるような視線を向けた。

 

「というか、石見少尉は………まさか!?」

 

焦った武だが、上総は落ち着いてと答えた。石見安芸は掃討戦で突撃級の一撃を回避しきれず、端っこを引っ掛けられたようだ。幸い命に別状はなかったものの、頭部を負傷し今はこの病院に入院しているとのことである。そして安堵のため息をつく武に、頭を下げていた2人が顔を上げた。謝罪の内容を告げたのだ。武を疑っていたこと、擬似的なスパイ扱いをしてしまったことを2人は悔いていた。

 

「許してもらえるとは、思っていませんけど」

 

「ええと、いや別に………」

 

やや不快感を覚えることはあったが、目くじらを立てる程のことでもない。というか、武は慣れていた。今までの泥々としたあれこれを考えれば、むしろこの謝罪は癒やしになるほどだ。

 

(アルフのエロ助なら冗談交じりに、“だったら胸でも揉ませてもらおうか“って言うんだろうけど)

 

それが色々と問題がある行為であることは武にも分かっていた。男子である以上は、大きい胸を前にすれば触りたくなるというのは道理である。だが、反応が怖かった。何より能登少尉は先の防衛戦で彼氏をBETAに殺されているのだ。時間もさほど経っていないのに、そうした行為をさせろというのは愚か者のやることである。

 

というより、理由があっても残る2人の反応が怖かった。特に篁少尉には破廉恥ですと顔を真っ赤にしながら説教というか、頬を張られかねない。ただでさえ全身も頬も痛いのに、これ以上のダメージは避けるべきである。そして万が一だろうが、純夏に知られてしまった時が怖い。あの幻の左を受けるためには万全を期さなければ危険が危ないのである。その他諸々の事を考えると迂闊な行動はできなかった。しかし、考えを止めるのが少しだけ遅かった。

 

「………何やら不埒な事を考えているのではなくて?」

 

「はっ! い、いやまさかそんな胸なんて」

 

「え………」

 

意表をつかれた挙句の、混乱の上での回答に対する反応は様々だった。えっと単純な驚きの表情をするもの。少し顔を赤らめて、この中では一番であろうサイズの大きな自分の胸を押さえる者。

 

質問をした者は何やら大層お怒りのようで、広い額に青筋が浮かんでいるような。真面目な癒やし系は、武と顔を赤らめている者を交互に見た後、ようやく理解したのか顔を赤くして肩をいからせた。

 

「ちゅ、中尉! そのようなこと、破廉恥です! 不潔です!」

 

「いや、考えただけ! 考えただけだからセーフ!」

 

詰め寄る唯依に、武は独自理論による言い訳をはじめた。日本に居た頃は純奈に、日本を出てからはターラーに言い訳を重ねて来た武である。その口八丁に誤魔化された唯依は、だったらと何とかと矛先を収めた。そのあまりのちょろさに一抹の不安を覚えた武ではあったが、無くなったらそれはそれで人類の損失かもしれないと、特に指摘はしなかった。

 

「あー………でも許すために何かを、ってもなあ。お土産はもらってる訳だし」

 

見舞いの品として、果物を持ってきたのだ。見るからに合成食料ではなく、大層お高い自然の食材であることが分かる。

 

「ということで、罰ゲームはなし。ていうかバレた後が怖い」

 

だから代わりとして、次の人に親切にして欲しいと告げた。小川中尉に聞いたこと、人に対して先入観を以って接するのではなく、例え面倒ごとであっても見極める誠実さを持って欲しいと。これからは、他国からの軍がこの国の中に入ってくるだろう。帝国軍の損耗も、徐々に大きくなってくるはずだ。欧州やインドを始めとした、BETAを滅ぼされた各国のように自国だけの防衛というのは不可能になってくる。

 

だから、今回のことを教訓に出来たのであれば。先入観の全てを消すことはできないだろうけど、その人間の本質を見定めるようになってくれれば。難しいことである。何をして許される、という明確な線引がないからだ。だが2人は、先の自分を反省してか素直に頷いた。

 

唯依や上総も同じだった。海外で多くの戦闘をこなしてきた人間の言葉であると、貴重な助言として受け取ったのだ。

 

その後は、先の戦闘の顛末に関してのことだった。サンド中隊は風守少佐の命令の通りにして、再出撃をすることなく基地に待機。ブレイズ中隊は斉御司と九條が暴れていた所に合流し、更に紅蓮大佐が加わったある意味で安全地帯とも言える戦地で奮闘したとのことだ。

 

唯依と上総は戦っている時の反省点を上げて、武がそれに対してアドバイスをしていった。誰がとも言わないが、自然に反省会が始まっていたのだ。それを聞いていた志摩子と和泉は、その内容の濃さに驚いていた。

 

「というより、中尉は大丈夫なんですか? 入院と聞いたので、どこか怪我をしたと思っていたのですが」

 

「怪我、というよりは疲労かな。大丈夫、慣れてるから」

 

「戦闘中に気絶することですか? いやそれはあまりにも………」

 

「気絶して、こうしてベッドの上で目を覚ますのもある意味でパターン入ってる。数えるだけで4回めかなぁ」

 

思えば、こうして無茶をし続けてぶっ倒れて知らない天井を見上げるといった流れは、どこか懐かしかった。過去を思えば、亜大陸撤退戦に、タンガイルの悲劇など。転機となる時はいつも、倒れるまでの無茶ぶりを強いられてきたものだった。

 

「なんで、こんなにぶっ倒れるまで戦ってんのかなぁ…………いや、生きてるだけで儲けものってのは分かってるんだけど」

 

遠い目をする武に、唯依達は顔をひきつらせていた。

 

「た、確かに休まれた方が良いですね」

 

「BETAが攻めてきたらそうはいかないんだろうけど。でもまあ、できるだけ休むことにする」

 

「はい。では、いずれまた」

 

武は推定だが退院の予定を告げると、また基地でと敬礼をした。唯依達も敬礼を返し、最後に一礼をして去っていった。命を助けられた事か、あるいはまた別の意味でか。あるいは、ここには来ていないサンド中隊の代わりか。

 

武は特に考えず、ただその心だけを受け取ることにした。余計な事をいうと、思ってもみない方向へと話が転がりかねない。そして武は、今の自分の立場の厄介さを自覚していた。

 

戦うだけで精一杯な衛士になりたての新兵には重すぎるような内容など、伝えるべきではない。

それを考えれば、上手く別れられたものだと思えた。

 

(う………)

 

武は身体がいい加減に疲れたのか、目の前が霞んできたように感じた。

 

怒涛のように来客が来て、また一筋縄ではいかない人間がほとんどであったのだから当然だとも言えよう。空を見ると、もう日が落ちかけようとしていた。

 

そして限界とばかりに、武の意識はブレーカーが落ちるように途切れた。

 

 

 

 

 

 

その数分後。ノックの音に、“タケル”は目を覚ましていた。

 

「やっぱり不安定になってるな…………混ざり始めてる」

 

“タケル”であり、“武”であるような感覚。記憶も混じり始めているようだ。良い兆候であるのは確かであるが、もう何度も裏切られている感覚でもあった。その上、まだ主導権は“タケル”の方が取っているのでは問題がありすぎる。まだまだ解決すべきものは山積みなのだ。

 

そもそもの、“あの”終わらない論文の解決方法でさえも。いよいよもってその時が近いというのに、これでは間に合わない可能性の方が高い。だが取り敢えずは来客に対する対応が先だと武は顔を上げた。

 

「どうぞ」

 

自分の状態を確認しつつ、来客に対して入室を促した。複数の気配がする。そしてその予想に違わず、入ってきたのは複数人の人物であった。

 

先頭に見えるは、赤い斯衛の服を着た女性。そして続くは、忘れようもない紫がかった黒髪をした少女だ。また、更に予想外な人物も続いていた。このくそ暑い夏場にトレンチコートを着こなしている奇妙な男。そして更に後ろには、“武”がよく知っている戦友が居た。

 

煌武院悠陽。

 

月詠真耶。

 

鎧衣左近。

 

そして、紫藤樹。

 

顔ぶれとその表情を見れば、何を話そうと来たのかは一目にして瞭然であった。

 

(だが、重要じゃない。少なくとも今この時なら)

 

ここで“武”に余計な負担をかける訳にはいかない。そう判断した“タケル”は、そのまま話すことにした。

 

「お久しぶりです。いや、久しぶりだな、って言った方が正しいですか………6年前、柊町の公園以来ですね」

 

「そう、ですね」

 

それからは互いに無言だった。その場に居る誰もが言葉を発さない。その沈黙を破ったのは、武の方だった。

 

「全て知っています。経緯についても、推測ですが………恐らくは間違いないでしょうから。ただ、これだけは聞かせて欲しい」

 

その言葉に悠陽の肩が跳ねた。呪いの言葉か、糾弾の言葉か。

武はそうして覚悟を済ませたと見えた悠陽に、告げた。

 

「あの日、緑色の髪をした女性と………あと、冥夜でしたっけ。彼女たちは元気ですか?」

 

「………元気、とは………え、ええ息災ではありますが」

 

「そうですか………それは良かった」

 

心より安堵の息を吐いて。そして武は、それ以外に特に言うべきことはないと答えた。

 

「今、なんと?」

 

「それ以外に、特に………あ、でもあの時の緑色の髪の人に言っておいて下さい。鬼婆って言って御免なさいと」

 

20歳にも達していないであろう女性に鬼ババアとは、失礼にも程がある言葉だ。そうして笑ってみせた武に、悠陽は立ち上がった。呪われて当然のはずだ。怒って当然のはずだ。此度の防衛戦の傷は深く、人的損害や死傷者も。それ以上に、精神的外傷を受けた人間は多すぎる。戦場の過酷さも、そして目の前の自分と同い年の少年がそうした地獄の只中で翻弄されてきたことは以前に顔を会わせた時に思い知らされていた。

 

機動を見ればその人物が分かるという。そして悠陽は、大陸での戦闘を多く経験した樹より聞かされていた。ベテランの衛士の強さは、仲間の屍を乗り越えてきた強さであると。そしてそれは、催眠無しには発狂してしまう記憶を、人の許容範囲を越えるような惨劇を乗り越えてきたことを意味する。

 

「分かっているのですか? 私は、そのような地獄に貴方を放り込んだ。まだ10歳にも満たない、幼い。あの日に親切に、私達を笑わせてくれた其方を…………!」

 

「感謝しています。と、いうよりかは………聞いてないんですか?」

 

武は樹の方を見た。そして鎧衣左近も知っているはずだ。

 

「お伝えはした。だが、明確な証拠が無いのでは仕方あるまい」

 

樹は苦笑していた。妙に緊張しているようだが、思えば紫藤の主家は煌武院であるのだ。

仕方ないかと思うと、次に左近に視線を向けた。

 

「そう見つめられると照れてしまうな。まるであの日と同じだよ」

 

「いや、それはもういいですから…………で、実の所はどうなんです?」

 

「証拠となる人物であれば、この場に呼んでいる」

 

え、と武は驚き。

 

そして悠陽と真耶、樹までもが驚いていた。

 

直後に扉をノックされる音。戸惑う4人を置いて、お入り下さいと答えたのは左近だった。

 

「お、尾花大尉!?」

 

「今は少佐………いや昇進して中佐になったか」

 

まさかの人物の登場に、武は息を飲んだ。尾花といえば、タンガイルより以前の付き合いでもある。悠陽と真耶も、予想外の人物に驚いていた。尾花晴臣といえばマンダレーハイヴ攻略作戦に参加した帝国軍の中で唯一生還した中隊の中隊長を務めていた、歴戦の猛者である。

陸軍内部はおろか本土防衛軍や斯衛軍からもその名前を知られているのを考えれば、その有能さがうかがい知れることだろう。東南アジアの激戦を生き抜いた功績も大きく、前線指揮官の衛士の中では帝国軍全体でも三指に入るほどとも言われている。

 

「久しぶりだな、クラッカー12。マンダレーで死んだと聞かされていたが、しぶとく生き残っていたようだ」

 

「ええ、死に損ないました。まあ、実は危うい所をこの怪しいおじさんに助けられたんですけどね」

 

「………成る程。では、これ以上は聞けんか」

 

尾花とて、鎧衣左近の事は知っている。それなりに上に行けば、否が応でも知ることになる類の人物だからだ。そして外務二課が助けるという場面を考えれば、これ以上は機密に触れることになると思い、自重を優先した。

 

「尾花中佐は、彼と知り合いなのですか?」

 

「共に地獄の中で愚痴と悪態を吐き続けた戦友であります」

 

対象は、勿論くそったれな神様と、無茶ぶりをしてくる上官である。

 

「とはいえ、自分はこの眼の前の少年が所属していた部隊に助けられる回数の方が圧倒的に多かったのですが………っと、そういえばあの時もこうして見舞いに来ていたな」

 

「ああ、タンガイルの後ですか」

 

懐かしいですねー、という武の声に悠陽も真耶も声が出ない。タンガイルの悲劇が起きた年のこと、そして白銀武の現在の年齢。逆算すると、当時の年齢が見えてくるからだ。悠陽は恐る恐ると、武にたずねた。

 

「其方は、一体いつから戦っていたのですか?」

 

「正確な日時は俺も覚えていないんですが………あ、でも初陣でリーサとアルフに初めて会いました」

 

「………そういえば初陣でターラー中佐と小隊を組んで、あの2人を救助したんだったな」

 

「ああ。その後、盛大に吐いたけどな」

 

「し、紫藤大尉。私の記憶が確かであれば………」

 

「はい、月詠中尉。中隊に居た衛士の中で、最古参はラーマ大佐、その次はターラー中佐でありますが、白銀武はその次に入隊したと聞いています」

 

つまりは、12人の内の古くから数えて三番目の先任だと言う。月詠も元はクラッカー中隊に所属していたとだけ聞いて、それは最後の戦闘間際だけと思っていたのだ。

 

「ぽ、ポジションは?」

 

「突撃前衛です。あの癖の強い前衛3人を束ねていた突撃前衛長であります、悠陽様」

 

それから樹は悠陽と真耶に対して、その経緯を話し始めた。亜大陸撤退から東南アジアに至るまでの戦歴と、そして隊員についても。長くなるので、と用意された椅子に座りながら3人の会話、それを知っている尾花は、そういえばと武にたずねた。

 

「四国の初芝の奴から聞いたが、マハディオ・バドルが復帰しているようではないか」

 

「あー………えっと、その辺りはターラー教官に聞いて下さい」

 

「もうベトナム義勇軍ではないのか?」

 

「軍じゃありませんね。一人では軍は名乗れませんし」

 

苦笑しながら、武は樹の話と共にその時の記憶を思い出していた。人は生きている中で特別に忘れられない時期があるという。武にとっては、クラッカー中隊で戦っていた頃が正にそれであった。過酷な戦場に、だけど信頼できる仲間。家族と表しても過言ではない絆が、確かにあったように思う。

 

戦う意味も価値観も、人によっては違うものだ。だが特に厳しい道を往くのなら、慎重に歩を進めなければ真っ逆さまに奈落へと落ちてしまう。そんな厳しい状況にあっても、無条件に信じられるものを持つ。

 

それがクラッカー1~11、そして衛士として語られはしないがクラッカー・マムであり。そしてマハディオ・バドルもビルヴァール・シェルパもラムナーヤ・シンも。亜大陸で散っていった何人もが、忘れられようがない仲間であった。

 

思い出すだけで、元気になることができる。悠陽は話が終わった後、懐かしむような表情を見せていた武に問うた。そして、武は悠陽と2人きりになっていた。

 

悔恨に染まった悠陽の言葉。その大元はただの少年を海外に追いやり、あまつさえは暗殺しようとした事にある。その刺客として送られたのが、泰村良樹だ。あるいは、紫藤家の者か。

だが何をどういう経緯があったかは知らないが、良樹は武を殺さずにむしろ守る方向で動いた。

 

思い返せば分かることもある。シンガポールに居た頃に、日本人が死体で発見された事があったのだ。そして最後の言葉も。きっと良樹は、実家より送られてきた新たな刺客を、その手で始末したのだ。当時は東南アジア情勢も微妙なものであり、かつ中隊の突撃前衛長を殺すことなどできるはずもない。だからきっと、隊が解散した後のことを狙っていたのだと思う。それを察した良樹は先手を打って、刺客を殺したのだろう。

 

だが、経緯やその意図がどうであれ、下の者が動いたのであれば責任は上の者が負うべきなのだ。知らなかったなどと口にする方が間違っている。組織とはそういうもので、その責任から逃げる者こそが無責任である。そして煌武院悠陽は責任感がある少女だった。年幼くして当主になっても、常に彼女の背後には双子の妹の影があった。

 

あの日に出会った双子。それは煌武院悠陽と、煌武院冥夜。そして煌武院家では、双子は忌むべきものとされている。もう一人の、あの青みがかった黒髪の少女は、今は別の武家に預けられているだろう。万が一の場合か、あるいは影武者として役立てるために。姉である煌武院悠陽が、その妹の事を忘却するはずもない。思い返せば、あの日の2人はぎこちなくも仲が良いように思えた。

 

(困難を前に選び、何かを捨て続けなければいけない立場、か)

 

“タケル”が半分眠り、“武”が半分覚醒した。だけど、どちら共に怒ることはしなかった。できるはずがないのだ。自分と同じように、この少女も戦っているのだから。

 

だから何も言えず。長い沈黙を破ったのは、悠陽だった。

 

「其方の境遇を………分かるなどと、口が裂けても言えません。BETAとの戦いに、最前線で晒され続けるという立場に立ったことがないのですから。ですが、辛く長い戦いであった事は間違いないのでしょう」

 

「はい。多くの別れを経験しました」

 

「なのに………聞かせて頂いてもよろしいでしょうか。どうして、其方の顔は曇らず、むしろ大切なものを思い出すようにして………」

 

話に付随する記憶はとても楽しいものではあり得ない。

 

「辛かった事に間違いはありません。ですが、だけど、それでもあれは―――――」

 

タケルも武としての記憶は持ち合わせている。その逆もまた然り。だけど、あの時にその想いは一度砕かれてしまって。

 

「分かってきたような気がするんです。この日本で、多くの人達と一緒に戦ってきて、何かが形になるような予感が」

 

どうしてか、胸中を吐露する相手として、悠陽は相応しい相手のように思えた。正しいと、誰かが告げているのだ。その衝動に逆らわずに武は言葉を続けた。かつて、目をそらしたことがあった。

 

壊れ、壊し、思い出したくもない過去を背負ってしまった。だから、一度は挫けてしまった。

 

「だけど日本で、色々と見せられ続けてきました。そして、自分の中にある想いも」

 

根幹である願いさえも見失った。それを救う方法も行き詰まっている。

苦しまない日々はなかった。その上で、だけどと叫ぶ声が聞こえる。

 

「その大元も。切っ掛けはどうであれ、亜大陸に飛ばされようとも最終的にBETAと戦うことを決断したのは自分であります。そしてここに来るまで色々な戦友達と出会えた。その機会を与えてくれた事に、感謝さえもしています」

 

「白銀………其方は」

 

「捨てなければいけない事の重さは、理解しています。だからこそ、俺はこの件に関しては誰も責めたくないんです」

 

なにせ、多くのものを得られたからだ。海外でユーラシアの現状を知らなければ、どうにもならない状況に陥っていた確信がある。そして自分も戦ってきた。戦う者として、だけど多くのものを救えず、それでもと捨ててきた道の果てに。

 

「もう一度言わせて下さい――――ありがとうございました。きっとこれで良かったんですよ。誰とは言いませんが、俺はあの日にあの双子に会えた事を、後悔していませんので」

 

「…………そう、ですか。ではこちらも謝罪はできませんね」

 

恨みに思わず欠片も怒ってもいない相手には、謝罪の言葉を向けられないものだ。

武の言葉に、悠陽は本当に深く、深く、息を吸って、そして吐いた。

その目蓋は閉じられている。だけどその奥には、かつて出会った少年の姿があった。自分達と同い年の。鼻血を出してまでも格好をつけようとした。奇遇にも、誕生日が同じだと笑い合って。

 

悠陽はその時に至るまでを思い出していた。産まれてよりずっと、自分の妹の存在は知っていた。再会する前からずっとだ。だけど忌むべき子であると教師役や家の者から言い聞かされて、それでも会えない日々が続いて。当主になる直前に、冥夜を預ける御剣家に赴いた。妹を預ける家であるからと、自分で直接挨拶したが故のことだった。

 

当時の家中の反対を封殺し、御剣家の当主が生存している中での唯一の、そして最愛の妹を預けるに足るかを見極めようと思っていた。その最中に刺客に襲われたのだ。

 

あの年には、原因不明ではあるが動機が不明な行動に出るものが多かった。その中の一人が徒党を組んで御剣の家を襲った。お忍びで移動していた悠陽、そして冥夜は護衛と対処の数に足りぬと、苦心の末に一時的に外へと避難させられた。

 

そして子供に交ざれば、襲われないであろうと考えたのは悠陽であった。

 

「奇縁、でしょうね。ですが、其方は間違いではなかったと」

 

「はい。そしてまた会えて、嬉しく思います」

 

ずっとこの少女も戦ってきたのだ。同い年に近い篁唯依やその同期には見せられないであろう、とてつもなく重い裏の背景を知っても尚と戦い続けられる。どうしてか、それがとてつもなく嬉しく。そしてフラッシュバックする記憶が、言葉を紡いでいった。

 

「だから、あー………なんていうかですね。あの時は誰がどうだとか全く知らなくて」

 

階級どころか政治的なこともなくて。

 

「だけど、それが切っ掛けで戦う場所に出て。それでも奇縁で出会った女の子を守るために戦っていた。あくまで例えですが、そう考えればこう………そうだ、浪漫があるじゃないですか」

 

偶然出会った少女のために、命を賭けて戦っていた。気恥ずかしい部分も多いが、それこそかつてのような作られたものではなく、本当の物語のようだと。

 

あくまで部分的でもある。だけど、目の前の少女を悲しませるのは自分の中の細胞のどこかが許してくれないのだから。

 

「辛気臭い遣り取りの結果じゃなくて。たまたま出会った女の子のために、地球を害する宇宙人と戦っていた。そして出会った大切な仲間達との思い出を作ることができた。そう考えた方が夢があるじゃないですか」

 

五摂家がどうかなどと、全くもって柄ではない。だからこそそうした方が自然だと告げる人間がいる。その少年を前にして、煌武院悠陽は呆気にとられていた。その上で人生で最大級の衝撃を受けていた。ただの少女と呼ばれたことなど、一度もなかった。そして、話は色々と耳にしているのである。大陸での戦闘が、そんなに軽い筈がない。もっと、自分が知る以上に苦難の道を歩いてきたはずなのだ。だけどそうした事を辛気臭いものと言い、現実を見せつけられたのに夢があると笑う。

 

内心で大きく混乱しつつも、悠陽は問うた。

 

「では………以前にも質問をしたと思いますが、其方はこれからも戦い続けるというのですか」

 

「恐らくですが、間違いなく。仲間のために、守るべき人のために、ただの衛士として」

 

だから笑って下さいと。武も、あの日を再現するように、目の前の少女を見た。付随する役職。同い年にして自分と同じかそれ以上の重責と苦しみを抱えているであろう少女を戦友と定めて、勝手に共感を覚えながら。

 

そして戦友のイタリア人に学んだ、社交辞令的は男の義務としての脚色を加えて告げた。

 

「もっと笑えばいいと思う。悠陽は笑えばもっと可愛いって。野郎なら、それだけで限界まで戦えるってもんだから」

 

「っ!?」

 

ただの少年のように告げた言葉。だからこそ虚飾もなにもなく感じられる賛辞であり、それは本音であった。人から人に向けられる真摯な言葉は、だからこそ胸を打つという。

 

だからこそ至近距離での不意打ちで受けた煌武院悠陽は、公園で少年と一緒に遊んでいたただの少女であった事を思い出して。そして素直な、可愛いという言葉を理解した途端に顔を真っ赤にした。

 

抑えようと思うまでもなく、耳まで林檎のように真っ赤に染まっていく。口をばくぱくとして、だけど恥ずかしさと同時に湧き出てきた名称不明の感情のせいで言葉が出てこない。

 

そして悪戯を成功させた子供のように、武は笑いながら言った。

 

「今の無礼を、お許し下さい。それが、自分が悠陽様を許す条件であります」

 

「………其方、ずるいですね。本当にずるいです」

 

そうまで言われては、許さない以外の選択肢など取れるはずもないのに。悠陽はしてやられたと思いつつも、責める気が全く起きなかった。同時に、この場に真耶が居なくて良かったと思った。

 

自然と笑みが浮かんでくるような、ちょっと変であり不思議な少年に告げた。

 

「いいでしょう。白銀武………私は、其方の無礼を許します。其方も、私の愚かゆえの怠慢を許して頂けますか」

 

「許します。だから、俺の方も許してください」

 

互いに許し合う。そして、と武は手をつきだした。強がりしか言わなかった少女。強く在ろうとして、そしていつしか悲しみに染まった女の子が居た。いつも負けてばかりだったけど、こうして一矢を報いることが出来たから。

 

「これで互いに貸し借りなしですね。そして、今は…………あの日に出会い、偶然にも再会したただの個人として」

 

そして◯◯◯◯◯を想っていた、どこかの白銀武の代理として。

 

「仲直りの握手を。そして、部下にはなれないでしょうが………同い年ながらもこの糞ったれの世の中を戦う戦友として思うことを」

 

 

「――――はい。離れていても戦友として。これからも、宜しくお願いします」

 

 

全く同じ日に産まれた2人は、同じ年月と日時を刻んだ掌どうしを合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去り際に力になりますと言ってくれた悠陽を見送った後、残された武はため息をついていた。それは安堵から来るものであり、そしていよいよという気分を思い出したからだ。

 

そして武は、この場においては決断の時というものを象徴する人物と。一時的に戻ってきたという紫藤樹と対峙していた。かつて見た時よりも数段厳しく、そして鋭くなった視線のまま、樹は武に問いかけた。

 

「思い、出したか?」

 

「いや、まだだ。でも………対面するのは次の戦闘次第だ」

 

「………俺も詳しい事情は知らない。これ以上は問えないことは理解している。だが、もう時間がないという事を理解していないとは言わせない」

 

「それも次で決まる。今までの総決算になるだろうよ」

 

そこで2人は一端口を閉じ、武が問いかけた。

 

「樹はA-01に?」

 

「シェーカル元帥の忠告を聞いた結果でもあるな。今は、香月博士の元で動いている」

 

「まあ、あの服を着ていたのならそうだろうな」

 

オルタネイティヴ4。ならば香月夕呼が関係しないはずがなく、衛士として有能であればA-01に入らされないはずがない。

 

「じゃあ、横浜でな」

 

「ああ、横浜で」

 

 

再会の場所を示し、そして樹は去っていた。

 

 

 

そうして、時刻は夜半過ぎになった。

 

また台風が近づいているらしく、雲行きが怪しい。月さえも見えない夜は本当に暗いものだ。武はそんな夜でも、出てきた牛肉に満足していた。味など、語るに及ばず。ただ美味いぜと、そう評さざるをえないものだった。

 

「でも、今日は忙しかったなあ」

 

休む暇もないというのはこのことだろう。だけどそれだけに、日本に居た時、そして来てから。出会った人たちは本当に多かった。先ほどに話した純夏いわく、今は会えない場所にいる純奈母さんや夏彦さんも、元気にしているという。

 

となれば、大御所ともいえる政府や軍の偉いさんは別として。ここ最近になって接し、かつ会っていないのは一人だけとなった。

 

「………話さないと、始まらない」

 

真壁大尉は、護衛には風守少佐も来ると言っていた。そして今夜が山であるとも。

残党とやらが片付いたのであれば、報告に来ることだろう。

 

「先入観も、全て捨てちまって」

 

頭ごなしに否定してはなんにもならない。そして、真壁大尉の言うとおりに当人同士で話しあって決めることも多いはずだ。影行の動向も知っていたのか、知らないのか。

 

どちらにしても、白銀影行という男が風守光という女性を想っていた事は告げなければならないと考えていた。武も、嫁に向ける愛というものが何であるのかはしらない。だけど父・影行は行動の全てで、その愛を示していたように思う。それに、このご時世だ。本人にはどうしようもない事情など山ほどあるだろう。だから、まずは伝えて話し合って、それからでも遅くないと、そう考えていた時だった。

 

 

「…………?」

 

 

武はふと、ベッドより身体を起こした。何か違和感を覚えたがゆえの反射的な行動だった。

だが、直後に顔を顰めた。

 

「鉄の………」

 

聞こえたのは、鉄と鉄がぶつかる甲高い音。だが、鉛弾が鉄かなにか、硬いものに当たって跳弾する音とはまた違う。そして、しばらく止んで。直後に聞こえたのは足音だった。

 

「っ………!?」

 

大きくはないが、決して小さくもない。人間が走っている時に出るような音が、廊下から聞こえてきたのだ。武は転がるようにベッドから離れ、そして拳銃が隠されている台の引き出しの裏に手を伸ばした。

 

(まずは、部屋から出ないといけないか………!?)

 

敵は同じ人間で、自分は居場所が明確な個室に居る。武もBETA相手や対人の戦闘経験はあるが、生身の上でこうした状況に置かれるのは経験した事がなかった。数瞬だけ悩み。そして隠れる所がないと気づくと、部屋の入り口に向かって走った。

 

外の状況を確認するべきだと考えたからだ。入るなり、例えばアサルトライフルなどを連射されてはひとたまりもない。病院である以上は、賊と思わしき人物はサイレンサー付きのコンパクトな拳銃か、あるいは“らしく”隠しやすいサイズの刀であるか。

 

(くそっ、ナイフも用意してもらえれば………!)

 

武も、グルカの教えは忘れていない。相手がナイフなら、何とか対処できるかもしれない。だけど、無い袖は振れぬ。徐々に煩くなっていく心臓の音を抑えて、出来る限り音を立てずに病室の扉を開いた。人の気配が無いことを確認すると、そっと廊下を覗きこむ。

 

(くそ、暗い…………まずいな)

 

就寝時間は過ぎている。なので、廊下の照明は僅かなものであった。

大半が影に包まれてその輪郭を捉えられない。その中で武は、小柄な人影を見た。

 

「………え?」

 

視界の中でそれを認識してからは、早かった。

 

最初に飛び込んできたのは、圧倒的な赤色だ。

 

赤色の斯衛服。小柄な体躯。肩口まである、黒い髪。だけど、それすらも赤かった。そして、廊下までも赤い。それが何であるのかを認識した途端に、武の意識が弾けた。

 

「――――か」

 

時間が静止したような空間。重くて動いてくれない足を力一杯に踏み出して、武は駆けた。

同時に、影は武の方を振り返った。それすらも武の認識の外だ。

 

隣には、倒れ伏している巨躯の男。奥の方には、少し年を取った女性の姿。どちらも気絶しているか死んでいるようでぴくりとも動かないが、それはこの場において重要ではなかった。

 

問題は別にある。天井にさえ見る、赤、赤、その赤色は血。

 

 

「母さん!」

 

 

振り返った小柄な影――――風守光は、声に驚いて。そして武の方に倒れこんだ。武はすんでの所でそれを受け止めて、そして自分も座り込んだ。

 

「っ!?」

 

覗きこんだ顔は、血に濡れていた。武の脳裏に最悪の予感が過ったか、すぐに違うと分かった。出血は額からで、どうやら軽い切り傷による出血のようだ。だが、抱きとめながら仰向けに寝かせている時に気づいたことがあった。身体の前面側に見える傷は掠り傷といったレベルでしかない。

 

だけど、背中に。腰の当たりを深く刺されたのか、そこからの出血が酷い。どこか、他に。もしかしたら致命的な怪我が、と武は身体を震わせながら改めて光を注視し、そして息を飲んだ。

 

 

左手が、ついて無かったのだ。

ちょうど手首のあたりを鋭利な刃物で両断されたかのように、断面だけが見えていた。

 

そして、光はそんな武の頬を撫でた。

 

右手で、そこだけは血がついていなくて。

 

 

「………良かった」

 

 

本当に、この上ないという程に嬉しそうに小さな声で言って。

 

 

「ご、めんなさ……………う、らんで」

 

 

「いいから! いいから、もう!」

 

 

しゃべらないでくれ、とは言葉にならなかった。

 

 

―――――生きて、と。その言葉だけははっきりと告げて、頬を撫でていた手は力なく床に落ちた。

 

 

横たわった、血塗れの、赤色と体温。

 

 

武は奥にある決定的な何かが、無音のまま微塵に砕け散る感触を覚えていた。

 

 

 

 

 

 


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