Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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35話-Ⅰ : 出会った人達と(前編)_

起きてすぐのベッドの上。白銀武は、混乱していた。見覚えのある病室が見える。これがこの場所においての二度目の覚醒であることも分かっていた。しかし、昨日の記憶が定かではないのだ。

 

はっきりと分かっているのは、起きてすぐに純夏と喋ったことだけ。柄にもなく優しく抱きしめて、そこから先の記憶がぷっつりと途絶えていた。今までの経験上、このような記憶喪失が起きた後は大抵がよろしくない気分になるのだった。武は警戒をしながら、まずは自分の体調をチェックし始める。筋肉痛は酷いが、一晩休んだおかげで幾分かマシになっている。それ以外の事といえば、胸中に何らかのモヤがかかったような、引っかかる点が消えてくれないことだけ。

 

《あー、今は考えても無理だ。だから今日はゆっくりと休め》

 

(何を………ってお前、昨日に何をしたのか覚えてるのか)

 

武は疑問を投げかけたが、声は歯切れの悪い言葉で返した。

 

《まあ覚えてるけどよ。でもまあ、悪いことはしてないよ断じて。だから、今日はまあ余計なことは考えるな》

 

(何やらほっぺたがかなり痛いんだけどな)

 

武はガーゼで保護されている頬を触りながら顰め面をした。少し触れるだけで痛む、というか触らなくても普通に痛い。まるで鍛え上げた軍人に本気で殴られた後のようだった。何かしらの一悶着があったことは、想像に難くない。

 

《後で説明するさ》

 

声は嘘がつけないという。なので武は釈然としないものを抱えつつも、取り敢えずは言われた通りに休むことに専念しようと、ベッドに横になって布団を被った。

武も、実際に傷ついた筋肉を治すのには休息が一番であることは長年の軍隊生活で理解できていた。実戦かトレーニングによって酷使された筋肉は傷つき、痛みを脳に発信する。だけどしっかりとした休暇と栄養を与えてやれば、傷ついた箇所はより強くなって戻ってくるのだ。無理をすればどこか別の場所に負担がかかるか、あるいは装甲にこびりついたBETAの気持ち悪い体液のように、疲労が中々消えてくれなくなる。

 

そして武は精魂尽き果てたとも言うべきぐらいに疲れ果てていた。考えることに関してもだ。何かを思い出そうとすれば、思い出せそうな気がしてはいる。だけどこの日は難しいこともややこしいことも、考えるという行為自体が酷く億劫になっていた。身体が訴えるままに眠る。それでも、武は筋肉というやつは我侭なのだろうと思った。

 

(腹が減って眠れねえ)

 

眠いのに、腹と空腹感が煩くて仕方なかった。さりとて、ここを勝手に出ていいのかもわからない。迷っている内に、白衣をまとった看護婦が朝食を持ってきた。恐る恐るといったふうに入ってきた看護婦は、武の顔を見るなり、あからさまに怯えを見せた。

 

「お、お目覚めになられていたのですか」

 

「え? ………はあ、まあ見ての通り」

 

どうしてそんな態度なのか、武は不思議に思いつつも返事をした。だが、その視線は主に運ばれてきた朝食に向けられていた。ご飯に玉子焼き、味噌汁に焼き魚。その他、色とりどりのおかずが。独特の臭いから察するに、合成食料の類ではないだろう。いかにも高級旅館の朝食のような内容である。

 

「あの、誰がこれを………?」

 

見上げれば、看護婦さんは既に入り口まで退避済みだった。朝食より視線を上げた武が捉えられたのは、それではと一礼をする姿だけ。看護婦はささっと部屋を退室していき、残されたのはぽつんと一人呆けている自分だけ。残された少年は、まあいいやと手をあわせた。

 

「いただきます」

 

態度やその意味といったこと、背景さえも考えるのがしんどかった武は、特に追求することなく美味しそうな白米から手をつけはじめた。そこから先は無言だった。合成では出せない、自然そのものの味がする材料で調理された食べ物などこのご時世ではそうそう口にできるものではない。ただでさえ空腹という最高のスパイスがあるのだ。

 

本当の食べ物の味というものに圧倒された武は、劣勢を感じつつもそれに抗おうとせず、食欲に任せ突っ走った。気づけば残っているのは、彩りにと添えられた葉の細工だけ。そして最後にお茶を飲むと、ごちそうさまと手をあわせた。味は全体的に薄味ではあったが、上品そのものである味は疲れた身体に染み渡っていくようでもあった。

 

「だけど、玉子焼きがなー。なんで甘くないんだろう」

 

疑問を口にした途端だ。扉がコンコンと叩かれる。武はこんな朝から誰だろうと思いつつも、入室を促した。

 

「では、お邪魔しよう。しかし今の発言は聞き捨てならんぞ、鉄大和」

 

「く…………くっ、くくく九條公!?」

 

武は入室してきた彼女を見て慌てた。斯衛の服ではない、一般人のような私服を着ているので最初は分からなかったが、その髪と声と顔を思い出すに、先の防衛戦で言葉を交わした五摂家の当主である。そんな日本帝国が誇る斯衛の重鎮は、甘い玉子焼きに対して断固抗議の構えを見せていた。酢飯との組み合わせならば多少は許そう。だが、朝食の友として玉子焼きの君が纏うべきは出汁であるという。握りこぶしで力説する彼女だが、その後頭部に一緒に居た男が軽くチョップを当てた。

 

「………痛いぞ、颯太。背後から気配を隠して不意打ちとは、卑怯千万ではないか」

 

「ですが、ここが戦場なら?」

 

「奇襲で先手を取るは戦術の基本であるな」

 

うむ、と頷く九條炯子。しかし直後には、あれと首をかしげた。傍役である水無瀬颯太は、主君に対しての論点のすり替えに成功したと、ほくそ笑んだ。一方で、漫才を見せ続けられていた武だが、ツッコミを入れずにお茶をすすりながらほんわかとそれを眺めていた。颯太は手早く現実逃避を見せた少年の姿を見ると、瞬時に武の精神状態と肉体的疲労度を察し、顔をひきつらせた。

 

ああ、これはやばいやつだ、と。

 

「そ、早朝から騒がせちまったようだな。お嬢も言ったが、お邪魔だったか?」

 

「いえ、邪魔なんて。でもまあ、今日は考えることにさえ疲れ果てましてね。失礼とは思いますが、お許し下さい」

 

ははは、と乾いた笑い。それを見た炯子は、気圧されつつも頷いていた。本当はベッドの上で対応せず、直立不動で緊張感を保ち相手をする位階の人間である。だけどその場の誰もがそんなものは知らねえとばかりに、話を続けた。

 

「こちらこそ、文句などつけられるものか。先の防衛戦は長く辛い戦いだったが………其方は最初から最後まで、この国を守るために戦った。いわば戦友であろう」

 

「最後の方は記憶無いんですけどね。でも、お二人の部隊に助けられたことは覚えています」

 

そっと頭を下げる武。対する炯子も、さっと頭を下げ、そして上げた。

武は驚き、その顔を見る。

 

「………人に見られては其方が何を言われるか分からぬでな。ただ、こちらも同じだ。助けられたのは決して其方だけではないだろう」

 

「そういうこった。公にはできないけど、どこぞの義勇軍の衛士に感謝してる人間は大勢いるってこと」

 

何を公に、感謝し、礼を言うのか。武は颯太とじっと視線を交わすだけで、それ以上の遣り取りはしなかった。

 

「ふ、む………男の語らいというやつだな。少し羨ましい」

 

「お嬢ならば出来ますよ、きっと」

 

「はははこやつめ。でもだからといって交わすのは友情だけにしておけよ? 主君としても同性愛だけは流石に推奨できんからな」

 

「はははは………お嬢はこんなに朝早くてもお嬢ですね」

 

「………仲の良い主従ですねー」

 

武は目の前の光景を『微笑ましい男女の主従の朝の語らい』と題して、強引にまとめることにした。もう彼も心の中はすりきり一杯なのであった。ツッコミどころはグロス単位であったが、それすらも厳しいというのが精神の疲れっぷりを表している。

 

「でも、どうしてこちらに?」

 

「見舞いだ。とはいえ、この後は斯衛の本部に戻らなければいけないのだが」

 

武は斯衛の様子を聞いた。もう再編成に動いているらしい。とはいえ当然のことで、今はいっときの侵攻を食い止めただけであり、戦後には程遠い。まだ何も終わっていないことを誰もが理解し、次のために動いているのだ。

 

「斯衛にも被害が?」

 

「最前線で戦っていた部隊も、最終防衛ラインにいた部隊も等しくな。我が隊からは、幸いにして戦死者は出なかったが」

 

武はそれを聞いて思い出していた。そういえば、この二人は同じ隊で戦っていたのだと。

さっきも自分『で』言ったこと『では』あるが、本当にいつも二人なのだろうと思った。仲がいいのはそのせいか、それとなく尋ねると炯子はうむと頷いた。

 

「幼馴染というやつでな。技量も、贔屓目なしにして相当高い。供回りには不可欠である」

 

「そうですね。お嬢一人で放っておくとか、斉御司公の胃痛がまた酷くなりますし」

 

「あいつは男子のくせに細かすぎるのだ。何より武人としてもっとこう大らかな精神をだな」

 

「そうですねー。でも俺は彼の事を尊敬していますよ」

 

優しい笑顔を見せる颯太。その裏には本物の敬意と、些かの同情が。きっと斉御司公は生真面目な人なのだろうと、想像がついた。炯子は旗色の悪さを感じ、武に話を向けた。

 

「そ、そうだ。話は変わるが、其方の腕には恐れいったぞ。紅蓮より話には聞いていたが、なるほど歴戦の兵というのは確かであったようだ」

 

「ありがとうございます」

 

「それで、だ。其方が良いならば斯衛に入ってみないか」

 

「………は?」

 

賛辞に礼を、と思えば勧誘の話である。武はまるで軍の経理よりクレジットカードの作成を勧められた時のような気軽さに、戸惑った。

 

「民間よりの入隊なのでな。黒からの始まりになるが其方の腕ならすぐに認められるだろう。いや、白の武家の者に婿入り養子で入るという手もあるぞ。"くろ"がねから"しろ"がねに変わるのだな、ははは」

 

炯子は次々と条件を出し、最後は上手いこと言ったように笑った。

武はますます混乱して言葉さえも出なくなったが、そこにフォローが入った。

 

「はい、そこまでです。彼も激戦を越えて疲れてるんですから、そういった話はせめて退院してからにやりましょうよ」

 

「う、む………そうだな。しかし颯太、今のタイミングは」

 

「何ですか、そんなに驚いて。いや、なんで微妙に視線を逸らして――――」

 

「もしや彼への愛は………本気だったのか? だから彼の婿入りという発言に物言いを………すまなかった、気づいてやれなくて」

 

「――――さあ行きましょうかお嬢この野郎」

 

そもそも彼とはこの前会ったばかりでしょうが、と主君を背中を押す従者。だけど二人は最後に武の方を見ながら、手を上げて。お大事にという言葉だけを残し、騒々しい嵐は去っていった。

残されたのは、ベッドの上の自分だけ。武はやかましくも去ってしまえばどうしてか暖かいものが残っていると、奇妙な感想を抱き、それでも悪くないかもと少し笑った。

 

 

次の来客が来たのは、30分の後だった。

 

「ここか………広いな」

 

「お邪魔します、中尉」

 

帝国軍のBDUを纏い入ってきたのは鹿島弥勒と樫根正吉、そして橘操緒だった。

男二人は一時撤退の後は補給を受けた後も任されたポイントに向かわされ、風守少佐率いる斯衛の中隊と共にそこで奮戦。操緒は最後まで基地に残されていたという。しかし、出撃していた二人の機体も最後には中破してしまったらしい。今は基地で取り敢えずの待機を命じられていたが、ここに武が入院している事をある人物から聞かされ、それで見舞いにきたという。

 

「怪我は軽いようだな。入院したと聞かされていたから、少し覚悟していたんだが」

 

「それでも疲れてるようっすね」

 

二人は武の様子を見て顔をひきつらせていた。目の前に居るのは、基地や戦場で見たベテランの衛士ではなく、歳相応に顔を惚けさせている普通の中学生にしか見えない。

 

なのに四肢欠損でも想像しましたか、と何でもないように言ってくるあたりはどう考えても普通ではないのだが。当たり障りのない会話。そこで武は帝国軍の事を聞いた。

 

最前線に展開していた部隊に関しては詳細を知らされていないが、自分達と同じようなポイントで戦っていた部隊のことは知っているらしい。結果は、損耗並ならず戦死者多しとのこと。基地の食堂の中はやや閑散としていて、いつも食事時にはばかに目立っていた数人の顔が見えないという。

 

「だけど、二人共無事で良かった」

 

「こっちの台詞だ。まさかあの状況下で敵中深くまで突っ込むとはな」

 

整備班長から聞かされたらしい。帝国陸軍と本土防衛軍もその事実を一部隠蔽しようとしているが、あの戦いに出撃していた大半の人間は大体の顛末を理解しているとのことだ。

 

「………良かった」

 

「というか、当たり前だろう。非常時には有効だったろうが、終わった今となれば真実は公表されるべきだ」

 

「いや、そっちの方じゃなくて………王のことがあるから」

 

王紅葉が死んだのは、武が提案した作戦のせいでもある。だけど武は、その功績を帝国陸軍か本土防衛軍のものにしろと言った。勝つための判断として考えると、決して間違った行為ではない。だけど、王紅葉が成したあの行為を公には出来なくなるという事でもある。

 

「はい………でも、いいえ。彼は不満を抱いていませんよ」

 

「橘少尉?」

 

「申し訳ありません、鹿島中尉、樫根少尉。鉄中尉と………5分だけ、二人だけで話をさせてくれますか」

 

王紅葉について。そう言われては、二人共頷かざるをえない。

退室した二人を見送ると、操緒ははっきりと告げた。

 

「鉄中尉。中尉は、彼の最後の呟きを聞き取れましたか?」

 

「………悔いはない、だったか。満足そうな声だった」

 

「それが答えです。そして………お聞きしたいのですが、中尉」

 

「答えられるものなら、なんでも」

 

「ならば、この場所で貴方のことをこう呼んでも問題ないでしょうか」

 

白銀中尉、と。操緒は分り易い唇だけの動きで告げ、それを見た武は驚きを顔にした。

そして、問題ないと答えた。監視役であろう人間は既に知っていることだからだ。

 

「では、続きを。彼が貴方に望んだことがあります」

 

そうして、操緒は王紅葉の思いを武に伝えた。背景はできる限り簡潔に、彼のBETAに対する敵意の根源。そして、白銀武という衛士に抱いていた様々な思いのことを。

 

「………そう、か。王のやつは………妹のために」

 

「不謹慎な男でした。この国を、民間人を守るという行為に対しての思いはあったのでしょう。ですが、それ以上に貴方と共に戦いたいという願いの方が強かったようです」

 

責めるような言葉、だけどその口調にはかつての硬さもきつさも含まれていなかった。僅かな寂寞と共に、微かに香るのは悲壮感。一人の衛士の死を心より悲しみ、忘れていないことが分かった。だから武は、どうして話したのかは問わなかった。

 

決して忘れない。一言だけを告げ、視線を交わす。

 

「少尉は、これから?」

 

「これは推測ですが、私達の出向は取り消されるでしょうね。色々と、あったようですから」

 

帝国軍内部も喪失した将兵の多さに頭を抱えている状況らしい。混乱のまっただ中で、再編成がどういった方向で行われるのかはまだ分からないという。だけど"身内"は"身内"同士で。つまり出向無しの、所属軍だけで部隊を固めていこうという方策になるだろう。それが、帝国陸軍の新たな中将となった橘意次の予想らしい。

 

「次の機会があるのかも分からないですから、ここで――――短い間でしたが、お世話になりました。中尉より衛士としての多くの事を教えられたこと、決して忘れません」

 

「こちらも。助けてくれてありがとうございました、橘さん」

 

礼を交わして、操緒は部屋の外へ。武は彼女の瞳の奥に、どういった方向かは分からないが強い意志が生まれていたことに気づいたが、言及はしなかった。強いままに生き抜けば、いずれはまた戦場で会うだろうと思っていたからだ。その後に入ってきた二人に対しても、同じだった。

 

ただ、武はいつか聞きたかったことを聞いた。剣の師より、見識を広めよと言われて色々と言葉を集めたことは知っていたが、何が一番好きなのかは聞いていなかったのだ。弥勒はああと頷き、そして思い出すのに時間がかかることなく告げた。

 

「"われとわが心の月を曇らせて、よその光を求めぬるかな"」

 

そして、と続けた。

 

「"火炎の内に飛入、盤石の下に敷かれても滅せぬ心こそ、心と頼むあるぢなれ"。やっぱり、剣聖上泉伊勢守が詠われた言葉が好きかな」

 

「へー、剣聖。ていうかまあ、一番に有名っすよね。でもそれってどういう意味なんすか中尉?」

 

「自分の中で答えを見つけろ、樫根少尉。前の言葉はそういった意味でもあるぞ」

 

そして、後の言葉も同じものだという。

 

「これは私見だがな。心得なるものは、結局の所は文字の羅列だ。それで技の冴えが上がるわけじゃない。その言葉の中に何を見出すのかが重要なんだ」

 

人間はあまりにも違う。わずかな身長の差で見える風景も違うし、視力が異なれば見える鮮度も明らかに異なる。

 

「視力の悪い人間も、眼鏡をかければ別世界ってな」

 

冗談をはさみながらも、鹿島はそれこそがと告げた。異なる個々、様々な世界を持つ人間がいる。だからこそだ。それを見る人間も、抱く感想が違う。心得とて、絶対的な価値があるわけがないのだ。名言たる言葉を何と定め、解し、何に対して活かすのか。算術の答えのような明確な解はないその言葉の中に、何を見出すのか。その判断を仮託するものではないと、鹿島は言った。

 

前半の言葉に、そういった心得の基本なるものを。そして後の言葉に、衛士としての心構えを見出したという。

 

「どうしたって判断するのは自分でしかない」

 

そして、戦う術を以って敵と対峙し、生死の在り方を明確にするのが剣術だ。

 

「対峙する何を敵と定めて。そして敵としても斬るや否やを決するか。その一大事を自らの中にある見識ではなく、他人に預けることこそが剣士一生の愚だ」

 

「え、剣士じゃなくて衛士でしょ?」

 

「どうとでも在れるということだ。揺らがぬ心があるのならな。戦う者としてどう在るか、自分の中にあるその絶対の答えを他人にどうこう言われる筋合いはないと………それを、鉄中尉には学ばせてもらった」

 

武は何をしたつもりもなかったが、どうやらそういう事らしい。不思議に首を傾げる少年の様子に、それも"らしい"と笑って鹿島は敬礼をした。間接的にだが、気づくことが出来たと感謝を示す。

 

「武運を。君と共に戦えた事を、幸運に思う」

 

「自分もです。それに、為になる言葉を色々とありがとうございました。樫根少尉も、短い間だったけどありがとう」

 

「俺は素直には礼は言えないっすねー………年下に凹まされっぱなしの二ヶ月だったから」

 

本音は愚痴と嫉妬のそれで。だけどと、歯をむき出しにして笑う。

 

「でも、次に会った時は負けねえから」

 

「上等です………いや、上等だ。全力で返り討ちにしてやる」

 

「え、いや。ちょ、ちょっとは手加減してくれっす」

 

「それは提供できるおかずの量によるな。ちなみにレートは玉子焼き1個で、5%の機動力低下ぐらい」

 

「ぜ、全部提供しても勝てる気がしねえっ!? そ、そうだ、下剤、下剤を使う!」

 

「やめんか馬鹿者。俺が鍛え直してやるから、正攻法で玉砕しろ」

 

「それ、結局は負けるって意味っすよね!?」

 

最後まで締まらず、だけど男らしい冗句を最後に3人は別れた。今度にやってきたのは、いつもどおりに味わい慣れた喪失感だった。

 

「いやでも、久しぶりとも言えるのか」

 

言葉の裏を考えないままに、何の意図も含めず、ただ互いの無事を祈るだけの別離。クラッカー中隊に居た頃は当然のようにやれていた事だが、隊を離れて物事の裏側を自分で考えはじめるようになってからは出来なくなっていたことだった。

 

そうして、考えこむ暇もない。次にやってきたのが、あまりにも予想外の人物だったからだ。見たことのない男が二人。声はそれを、昨日に会った篁祐唯と巌谷榮二だと言う。昨日の礼に、と見舞いに来たらしいが、武には何のことだか分からなかった。

 

だが今日の武は一味違っていた。いつもならば焦る所ではあるが、細かい所はアドリブで行けばいいやと開き直っていたのだ。話は戦術機のことから、大陸での戦闘に至るまで。どうやら二人はクラッカー中隊で戦っていたことも知っているようで、その戦闘の話を重点的に聞かれた。

 

巌谷中佐からは、衛士としての視点で。一方で篁祐唯からは、戦術機開発に携わる者の視点で。あくまで覚えている中、それも言える範囲での会話であったが、二人にとっては有意義だったらしい。

 

「あいつの息子らしい、大したタマだな」

 

「自分も、父よりお二人の事は聞いていました」

 

「ほう、影行が。ちなみに俺たちの事はなんと言っていた?」

 

「戦術機開発においては世界最高峰と断言できる、本物の天才の中の一人。その天才を補佐しつつ、衛士としての才能にも溢れる技術と知識と情が厚い、尊敬すべき武人と教えられましたが」

 

正直に答えると、意表をつかれたのか二人は驚き、照れていた。武も、真正面から評価された経験は多く、そうなった場合はもう何も返せず照れるぐらいしかできなかったので二人の気持ちは深く理解できていたが。

 

「あとは篁少尉の才能も。空恐ろしいものがありました」

 

適正としては、今まで見た衛士の中でもトップクラスだろう。だが、彼女の真価はそれだけではない。短い間だったが、剣すら交えた仲である。それだけで彼女が、才能に甘んじず、斯衛や武家という立場を深く理解し、それを力に出来る人物であることは理解できていた。

 

単なる生真面目というだけではない。その先にあるものを確りと見据え、それに向かうためには努力を厭わない。階級や生家にあぐらをかかず、仲間を大事にしながら上を目指し続けられるであろう、衛士としての理想とも言えた。今までに観察した上に出した、嘘偽りのない感想である。だけど、武は少し困っていた。

どうしてかって、立場ある二人の要人が親ばか満面の笑みを浮かべていたからだ。

 

「あの、お二人とも? 近所にいる普通のおっちゃんじゃないんですから、もっとこう、威厳を保たれていた方が」

 

「あ、ああ。すまない、ついな」

 

ごほん、と咳き込む戦術機開発の天才。武は人物評に、実は結構な天然かもしれないという注意書きを追加した。あと、親馬鹿であると強調して書き留めた。

 

一方で、全く動じていない強面の中佐は面白そうに武の方を見ていた。

 

「ずばっと歯に衣を着せない物言いも、影行に………いや、どちらともに似ているな。っと、そういえば影行のやつは君の今の事を知っているのか」

 

「はい、一応は」

 

だが、帝国からの要人と接触する機会が多い影行とそう頻繁に会えるはずもない。帝国に命を狙われ、それを隠すために偽名を名乗り義勇軍に入っていたということもある。会ったのは、光線級吶喊の際に有用となる新装備や、新しい観点からの戦術案などを開発しようとしていた頃ぐらいだ。その頃は光州作戦も間近という忙しい時期で、あくまで衛士と技術者として接し、親子の語らいをするような余裕など皆無だった。

 

「そう、か。時に中尉は、父親の事が嫌いか?」

 

「………複雑、です。一言ではちょっと」

 

好きであるのは確かだ。15年、家族として共に生きてきて多くの面を見てきたが、それは暖かい思い出として胸の中に残っている。家族としての情があり、はっきりと繋がっているといえる。

 

ただ、色々と言いたいことが多いのも確かだった。それが邪魔をして、嫌いになるはずもないが、素直に大好きだとは言えないものがある。

 

「尊敬はしています。技術者としてですが、親父も確かに戦う人だったから」

 

最前線の基地という場所は本当に危険な所なのである。防衛に失敗すれば複雑な機械が多い基地は即攻めこまれ、滅ぼされてしまう。武器も戦う術も十分ではない整備班も、衛士や他の兵種と同じではないが、かなりの覚悟が必要とされる者達である。

だけど、恐怖を理由に手抜きなど許されない。技術者としても、無駄な時間を過ごすのは許されないのである。一刻も早く、BETAに有用な武器を次々につくり上げる。あるいは、傷ついた戦術機を修理する。どちらも失敗すれば自分達の命に繋がる、衛士となんら遜色のない戦人であるのだ。

そういった意味で、二人の事も尊敬している。何より、自分が乗っていたF-15Jを開発した人物なのだから。と、今度は陽炎の乗り心地や要望点などを話すと、祐唯は場所も忘れて集中し、武の話を脳みそに刻みつける勢いで聞き出した。

 

そして、ぽつりと呟く。

 

「私見でいい。余計な装飾は要らない。その上で聞きたいのだが、君は82式戦術歩行戦闘機を見てどう思った」

 

「………それは、どういった立場で答えればいいのでしょうか」

 

「大陸での激戦を乗り越えた衛士として。また、絶望に侵されていた戦地を知る人間としてだ」

 

「では率直に―――――明らかに不足であります。性能的にはF-4Eよりも上で、機体のコンセプトも、的外れな、無駄なものが多いわけじゃない。でも、ハイヴを落とせる戦術機じゃない」

 

「ハイヴを落とせる戦術機、か」

 

「待てば、奴らはどこまでも増えます。だからこそその根源を………近接格闘向きだというのは、正しい判断といえるでしょう。でも、だからこそ防御力ではなく、機動力に尖った戦術機でなければ」

 

いつしか、アーサーが言った言葉がある。守るだけでなく、点を取らなければサッカーは勝てないのだと。それは何も、スポーツに限った話ではない。BETAは人類より遥かに多く存在し、真正面から立ち向かってもいずれ負けるのはこちらの方なのだ。そのために戦術を駆使し、寡兵でも勝てる戦略を。そのためのハイヴ攻略であるが、のろのろと侵攻しては数に押し込まれ潰される。だからこそ、戦術といった面とは別の意味でも、機動力重視な次世代機が絶対に必要なのだ。

 

「あとは、人の向き不向きを考えた方がいいと思います」

 

戦術機の適性ではなく、戦い方はどうあっても人によって違うのだ。近接、射撃、機動、指揮。様々な役割があり、それを十全に駆使してはじめて人類は圧倒的に数で劣ろうとも対抗できる。

 

「戦術機開発に関してもそうです。あれは天性の才能を土台に、多大なる努力が必要だと聞かされました」

 

一つの優秀な機体を作り上げる。それは独特なセンスと世界観を両方保持していなければ成せないものだとは、影行の口癖だった。

 

「………"篁祐唯"の代わりは、きっと居ない。だからこそ無責任な死は許されないんでしょう。ガキの生意気だとは思いますが、そんな自分にもはっきりと断言できることの一つであります」

 

この先の道は、暗い。京都も、いつまで守れるか分からない。その後にも続く激戦や死闘など、無いわけがないのだ。そんな時、あるいは日本の危急存亡の時にと、目の前の人物が斯衛の衛士として戦地に向かわされるかもしれない。だけど、それは絶対に間違いなのだ。

 

「それは分かっているつもりだ。だが私は斯衛の、武家の人間なのだ。主家に命令であれば、決して逆らうことはできない」

 

「………ならば、主家に反してでも」

 

罪で恥ずべき行為でも、泥を。過激だと思いつつも、言っておかなければならないことだった。

 

「自分のかつての同期はみんな死にました。その大半がS-11を抱えたまま母艦級に突っ込んでいった、でも」

 

「………マンダレーの、作戦か」

 

「はい」

 

あの司令の行為が許されるはずもない。英雄的行為であろうが、明らかな協定違反の命令違反でもある。問題がありすぎる最後に、どういった批判がされるのか分かっていただろうに。それでも必要なことだと割り切り、自分の全てを賭けて地獄の穴とも言うべき、あの大口の中に飛び込んでいった。最後の言葉はもう思い出せている。だけど、後悔のままに散ったのではなく、むしろ望んで死んでいった。

 

一人の馬鹿は、これが俺の望んだ最高の選択だって。この星を頼むって、格好つけた最後の言葉を遺して。

 

一人の同輩は、これが俺の望んだ正気の行動で、勝つには絶対な必要な行為だからこそ、自分の最後を見極めた。

 

「これだけは断言できます。彼らの挺身が無かったら、俺達クラッカー中隊は全滅していたでしょう。それだけは間違いありません」

 

「………本当に必要な行為だったと。だからこそ彼らは後の不名誉も中傷も自分の命でさえも、全てを呑み込んだ上で?」

 

武は頷いた。酒の席ではあるが、自分達は泥まみれだと自嘲していたことは覚えている。

その境遇すらも彼らは利用したのだと、今になって思い知らされている。

 

「逃げちゃいけないんです。方法を持っている人間なら。それが例え進む方向であっても。眼を逸らしたまま前に進むのは、逃げることと同じなんです」

 

「――――課せられたものから眼を背けて、前に逃げてはいけないと言うのか。その行為の深奥までを理解せずに…………例え恥を晒してでも開発を続けると、主張するのが私の役割だと」

 

「誰にも代われない、貴方だけの武器がある。俺は、正直羨ましいと思ってます」

 

「君は………いや、だからこそ、自分の価値を知れというのか」

 

榮二はその言葉を噛み締めた。大陸での戦闘を多く経験した彼である。武の言い分は尤もだ。だがそれはいわゆる理想論の類であり、実際はそう上手くいくはずもない。武家としての立場と役割、そして斯衛という組織の総意。様々な問題を無視した上で、自分だけの主張を通そうというのは無茶な相談なのである。

 

だけど、無理とは口にしなかった。彼らの矜持が、それを許さないものと判別したからだ。

 

「確かにな、祐唯。色々と結構な情報を頂いた手前がある以上は………」

 

「弱音など吐けないな、榮二。未完成なまま、無責任にそれを放り出すほうが恥晒しというものだ」

 

その後は、さきほど弥勒より聞いた言葉を一言、二言。巌谷榮二は考え込んだ祐唯を連れて、病室より去っていった。

 

武はそれを見送った後、ベッドを出て窓の外の風景を見る。この部屋が最上階のすぐ下にあり、そして高層建築物もないからだろう、窓からは京都の街がそれなりに見渡すことができた。

 

とはいっても、それは建物だけだ。人の姿は無いに等しく、たまに見かけるといってもどこかの軍の者であろう、銃を片手に警邏をしている軍人だけだ。1200年の古都に、闊歩しているのは近代武装を身につけている人間だけ。何ともシュールな光景であった。

 

太陽が高くなってきたなと思う時に、昼食が運ばれてきた。やってきたのは朝よりいくらか年嵩の看護婦で、怯えるどころかこちらの体調を案じるぐらいに親切な人だった。内容は朝と同じ、自然の食料を使ったものだ。そしてどうしてか、天麩羅といった病人食にそぐわないものがある。理由を尋ねると、入院の手配をした者の命令らしい。何も病気で入院しているのではなく、ちょっとした疲労で入院しているのだから、美味しいものを食べて心身ともに英気を養った方がいいとのことだ。

 

看護婦が立ち去った後、武はいただきますと料理に手を付けた。最初は天麩羅につけるソースが無いことに戸惑ったが、どうやらこれは塩で食べるらしい。

 

試しに食べてみると、最初は戸惑ったものの、噛むごとに素材の持つ天然の味そのものを楽しめる工夫がされていることに気づいた。

 

おばんざいという和食の惣菜も薄味だが美味しいものが多い。武は朝に増す勢いで盆上にあるものを食べ尽くした。

 

「………しまったな。もっと味わえば良かった」

 

お茶をすすりながら呟く。いつもの基地での食事のように、できるだけ早くと食べ終わってから気づいたのだ。ここではそうした食べ方をしなくていい。むしろ、いかにも高級そうな天麩羅に様々な食事を、もっと口の中でじっくりと味わえば良かった。だけど後悔は先に立たず。昼前に話した、少し気が重くなる話を払拭するように、武はベッドの上でまったりとしていた。

 

そこに現れたのは、今最も顔を合わせづらい4人の中の2人。黛英太郎と小川朔が、見舞いにやってきたのだ。入るなり、挨拶をしてからは互いに無言になった。重い空気の中、英太郎が呟く。

 

「………元気、そうだな」

 

「はい」

 

身体中が痛いのは確かだが、今もこの病院の中の集中治療室で昏睡状態になっているであろう負傷した兵士ほどではない。武はそれを認め、そして二人の探るような視線を受け止め返した。

 

「経緯と理由も問わない。だけど、これだけは確認しておきたいんだ。最後の"アレ"は、いつでも出来たことなのか」

 

朔の問いかける声は、低く唸っているようだった。言葉の裏に、もしもの時はといった覚悟さえも見える。余裕をもって遊び、そして最終局面の活躍できる場面でようやく本気を出したのではないか。

 

二人が持っている疑念は、そういう事だ。そして遊んでいたということになれば、共に戦っていたあの戦場に散った全ての同輩を虚仮にすることになる。もしそうであれば、到底許せる行為ではない。

武はその問いかけを受けて考え込んだ。

 

「実は、俺も覚えていません。最後、補給を受けて基地を出てからの記憶が曖昧なんです。ただ………」

 

何か、致命的な箍のような軛を外してしまったような。そんな感触は、少しであるが覚えていた。

英太郎も朔も、疑わなかった。最初から恐らくではあるが、そうだろうなと思っていたからである。

 

それまでの言動。隠すつもりもなかったのだろう、透けてみえた少年の感情。

どれも遊びがあったようには見えない。むしろ、切迫の極みにあったように思える。最後に王紅葉と彼が交わした会話は聞き取れなかったが、それでも何がしかのメッセージを受け取った後、様子がおかしくなったのは気づいていた。

 

だが、後催眠暗示を受けたという事も無いだろう。義勇軍というか外様の軍は自軍に専門の施術者を用意し、催眠暗示を施す。場合によっては、機密情報を漏らす危険性があるからだ。義勇軍にそういった豪華な人員は無く、3人の誰もが戦闘中に後催眠暗示を受けたような言動は見られなかった。

あるとするならば、一つ。

 

「特殊な自己暗示術の一種かな? 東南アジア地方の衛士は、一部だけどそれを使うと聞いたことがある」

 

あくまで噂レベルだが、朔は特定の薬物を服薬して軽いトランス状態に入ると同時に特定のキーワードを呟くことで、強引な後催眠暗示では得られないであろう、戦時においては理想の精神状態になれる。後催眠暗示では不可能な、そういった手法の暗示があると聞いたことがあった。

 

眉唾レベルではあるが、世界は広いのだ。あるいはインド、もしくは東南アジアにはそういった手法が確立されているかもしれない。酷い偏見であることは分かっていたが、もしかしたら。

 

あり得ないといった、むしろそうであって欲しくないという願いも含められた口調の問いかけに、武は更に考え込んだ。

 

「薬物は使用していません。そういった手法も、公には聞いたことがありませんね。でも………自己暗示、というのは正しいかもしれません」

 

声の事である。そして今は何も答えない、自分の内に秘められたなにか。何がしかのアプローチを受けて、忘れていた記憶の蓋を開けてしまった結果、二人の言う所の"アレ"になってしまったのかもしれない。思えば、今までにもそういった事は何度かあったように思える。

 

「中尉がどんな戦場を生き抜いてきたのかは知らないけど………っ、英太郎?」

 

朔は更に何かを質問しようとした所で、英太郎に手で制された。

無言のまま、武を指さす。そこには、肩より下を震わせた武の姿があった。

 

「………ご、めんなさい」

 

「いえ。追求したくなるのは、分かりますし」

 

自分が反対の立場であれば、もっと荒々しく掴みかかっていたかもしれない。

仲間が死んだのだ。なのに遊んでいたのか、と考えると殴りかかっていてもおかしくない。

武は見る間に落ち込んでいく朔に、それでも遊んでいたつもりはないと答えた。

 

「証拠はありません。だけど、俺は俺の全力であの戦いに挑んでいました」

 

「そうか。なら俺は信じるぜ。朔も、信じてるんだろ?」

 

英太郎は隣にいる女性の肩を叩きながら、すまんなと笑いかけた。

 

「こいつも、ちょっとこうした事にはしつこい奴でな。だからって何でもかんでも疑っているんじゃねえぞ、むしろ信じたがっていた」

 

だからこそ、嘘をついていないという方向での証拠か確約を得たかったのだろう。英太郎の説明に、朔の頬が赤く染まった。

 

「な、にを分かった気になってるのかなこのバカ太郎は」

 

「あ、可愛いだろこいつ。アルビノだから、すぐにほっぺたが赤くなるんだぜ」

 

指摘された朔は、顔を耳まで真っ赤にしながら英太郎の足を踏む。全力での一撃に、英太郎はいてえと叫ぶと、足をかかえて病室をけんけんで回っていく。武は話が予想外の方向に転がっていることを感じたが、もう一度朔の顔を見た。

 

「………もう一度、ごめんなさい。でも、貴方を頭から疑っているって事じゃないから。それだけは、絶対に」

 

本当に申し訳なさそうな表情をする朔に、武は慌てて否定した。

 

「いえ、自分が怪しいのは重々承知してますし。立場上、疑いをかけられても仕方がないとは思ってます。でも、どうして二人は俺の事を疑わないんですか?」

 

思えば、今の言葉の中でも敵意といったものは欠片も感じられなかった。こんないかにも怪しいであろう人間を前にしてでもだ。武は不思議に思い問いかけたが、答えを返したのは英太郎だった。

 

「眼は口ほどにものを言うってやつだ。あと、お前が何度も自分を危険に晒してでも味方を助けたって話は聞いてたからな」

 

戦っている最中の、眼。そして二人は、あの時に先に撤退した同隊の帝国軍の衛士と武と一緒に戦っていた斯衛の白の衛士が、義勇軍に危ない所を助けられたという話を基地でしている所を聞いたという。防衛戦の前に基地の廊下で揉めたような、義勇軍に対して大きな嫌悪感を抱いている連中はその話を嘘だとこき下ろしているらしい。だが、それ以外の人間は概ねの所で義勇軍に対する信頼を深めているとのことだ。

 

「そう、ですか………」

 

「そうなんだよ。だからもっと笑えって。こう、やってやったぜって感じによ」

 

おちゃらける英太郎の言葉に、武は少し笑った。だけど、今までが今までなので快活に笑えるはずもなかった。その時の笑みは、精一杯の笑みのはずだった。だけどまるで疲労のどん底に陥った過労死寸前の末期状態の整備員、その最後の強がりのような。顔を笑う形に持って行っただけ、といういかにも無残な笑顔に、二人は心の底から後悔をした。侘びにと、なんでもいいから聞きたいことがあったら言ってくれと告げる。

帝国軍やその他の動きは既に聞いていた武は、そういえばと朔の方を向いた。

 

「小川中尉の実家って武家だったんですね」

 

「一応は、ね。既に勘当されているから、もう関係は無いに等しいんだけど」

 

小川朔。白い髪に白い肌、そして赤みがかった瞳をしている彼女は一目見れば分かる通り、アルビノ――――先天性白皮症と呼ばれる病気にかかっている。

 

とはいっても、身体に特に害が出るような症状ではないらしい。アルビノといっても症状を一言で説明することはできなく、個人差も大きい。小川朔は、見た目だけに影響が、そして日光に弱く、体力が少し衰えやすいといった症状が出ているという。特に衛士をするに邪魔となる要素は少ない。体力も、常人より少し多くの訓練を積めば何とかなる程度だ。だが、斯衛という特殊な背景と歴史を持つ組織においてはどうであろうか。

 

「聞きたいのであれば、話すよ。侘びの意味もこめて」

 

「えっと………すみません。聞きたいです」

 

「素直だね」

 

ふ、と朔は笑った。そして、そのままに告げた。

 

「私は、父上に嫌われていたんだ」

 

彼女は長女であり、そして小川家の第一子でもあった。家を存続させるに最重要となりうるのが、血を受け継ぐ実子である。だが、産まれたのは普通ではない外見を持つ女子である。彼の父は、大いに嘆いて母を責めたという。

 

一時の気の迷いと、しばらく経過した後で改めて謝罪し、言葉を撤回した。だが、それは彼女が斯衛より出奔し、家を出ると告げた後のこと。

 

「私の名前はね。本当なら、月子って名付けられるはずだったんだって」

 

父は一刀流の剣理を特に好んでいたという。そして、その極意に"水月移写"という言葉があるらしい。

 

「"月、無心にして水に移り、水、無念にして月を写す。内に邪を生ざせれば、事によく外に正し"」

 

「それは………一刀流とかの、心得のようなものですか?」

 

「流派の極意の一つかな。無念にして対敵の想を正確に把握できれば、すなわち剣は神速に至るってね。これは私なりの解釈だけど」

 

月が水に映るのも、水がその面に月を映すのも、何事かの思惑があってのことではない。どちらも、無念にして夢想の内に。水も月も当たり前のように映し映るのである。剣を持つ者にとっては、その境地に至ることが理想だということ。

 

ただあるが如く、当たり前のように斬るべきだけを斬る。その領域に至れば、戦場には多くあろう自らの危地にあっても理想的に対処できるかもしれない。剣を振る速度など、鍛え上げた人間にとってはさほどの差は生じない。だから肝要なのは、場を判断する速度になってくるのだ。

 

敵味方の判断、相応しい行動、それを決するまでの動作。その一連の起結を水が月を映すが如く、無念にして無想のまま一呼吸の内に済ませ片付ける。正しく、最速かつ理想の剣という訳だ。味方を傷つけず、敵だけを迅速に片付けられるのだから。

 

無粋な言い方をすれば、剣での立会はいかに相手よりも早く、自分の剣を相手の身体に叩きつけるか、といった所にある。例えば、対峙する両者の剣を振るう速度を同等としよう。ならば勝敗の趨勢を分けるのは、その最適な方法を導き出す思考の速度だ。

 

様々な場所で有用でもある、正しく奥義の心得とも言える言葉と言えた。

 

「でも、私に付けられた名前は"朔"だった。中尉は、その言葉の意味を知ってるかな」

 

「………新月、ですよね」

 

朔とは、現代的な定義でいう新月の、別の呼称である。武はまだ中隊に居たころ、夜間の哨戒任務の任務の際に樹に聞いたことがあった。月がほとんど見えない夜。新月という言葉は知っていたが、その別の呼び方を教えてもらったのだ。その意味を考えると、当時のその小川家の当主の思惑が分かるというものだ。というよりも、あからさますぎる。

 

そして朔と名付けられた本人こそが、父の思惑を深く理解していたという。やがて弟と妹が生まれて、次第に自分の立場がなくなっていく。というよりも、次代の家督争いに関する問題だ。はっきりと、自分が異物であることを理解した彼女は、軍に入るといった年齢になった時に、頃合いだと一言を残して出て行った。

 

――――新月と名付けられた自分に相応しく、私はもう無いものとして扱って下さい。

 

そして、斯衛ではなく帝国軍に志願入隊したという。

 

「で、ここのバカに出会ったんだ」

 

と、隣にいる英太郎を指さした。朔も最初は帝国軍でも奇異の目で見られていた。普通の見た目とはいえない上に、本来なら斯衛に所属するのが正しいはずの、生家に武家を持つ人間である。ここに来るまでどういった経緯があるのか、民間から徴兵された新兵未満の訓練生に判断できるはずもない。君子危うきに近寄らずといった処世術を覚えていた同期の訓練生は、あからさまに距離を取ることを選択した。そして孤立していた朔に、唯一物怖じせずにせずに接したのが黛英太郎だったという。

 

果たしてどういったファースト・コンタクトだったのだろうか。

 

今までに色々とやらかした経験がある武は、参考にと興味本位のままにたずねた。

 

すると朔は微笑を浮かべつつ、口を開いた。

 

「"顔白いなお前、風邪でも引いてんの? しっかり食べなきゃ駄目だぞ"って。いきなり、ぶしつけだった」

 

「あ、えー………そ、そうだったっけ?」

 

「はっきりとそう。あれは、忘れられるものじゃないから」

 

黛英太郎はバカだった。あまり勉強が得意ではなかったのだ。だが分からない事を放置したまま、知ったかぶりをして誤魔化すような愚者ではなかった。当時は周囲の全てから距離を取り、自身が持つ世界に対する忌避感、厭世的な所を隠そうともしない彼女に対して、しつこく話しかけた。

 

朔は最初の内はそうした行動を鬱陶しいと嫌がり、次に不思議に思った。自分という人間の面倒くささは知っていたからだ。ある時、何度も話しかけてくる英太郎に、どうして自分に気をかけるのか聞いてみた。そして、英太郎は恥ずかしがりながらも答えたという。理由としては、長刀の扱いを知りたかったから。

 

武家出身ということは剣術に長けているということであり、質問をする相手としては同期の誰よりも優れていると判断したらしい。だけど、男が女に剣を教わるということを、どうしてか恥ずかしがっていたらしい。そして、もう一つの理由があったらしいが、英太郎の決死の抗議によりそれは止められた。

 

「その時に学んだことがある。頭から決めつけられるというのは、他人が想像している以上に嫌なものだって」

 

噂や情報といった、表面上の先入観で人を決めつける。それを長く味わってきた自分だからこそ、その理不尽が許せないという。

 

「だから、俺の事情を聞いたんですか。最初から決めつけずに」

 

「聞かなければ本当の所は分からない。実際にこの眼と言葉で確かめなければ分からない。例え心が読めるとしても」

 

個々に持つ様々な背景や思想、感情は一言で表せないほどに複雑であり、傍目には怪奇に映る場合がある。その人間の全てなど、外からは愚か、内から見ても分からないものだ。小川朔は、だからこそ言葉での対話が重要なのだと考えていた。

 

「………BETAと対話ができれば、意思疎通を取ることができれば。この戦争さえも、起こらなかったかもしれない」

 

「それは分からないかな。どちらにも譲れないものがあるかもしれない。そして今更は無理だと思う。あまりに多くの人間が死に過ぎているから」

 

武の呟きに、朔が答えた。対話し、和平に持ち込めるといってもどうだろうか。多すぎる死と感情を前にして、万人が冷静でいられるはずもない。

手打ちにできたとして、それだけで終わるものなのかどうか。そういった意味では、人間同士の戦争とある意味で同じなのかもしれない。

 

「………頭で分かっているとしても。何をするべきかって分かっても、頷けない、頷きたくない場合も多いですからね」

 

理屈と感情は別の生き物だ。人間の中に同居するが、まるで違う。たまに同調することもあるが、反対してしまえば拗れてしまう。それは絶対に不可避なもので。そういった時に命令違反が起こるのだ。そういった事は、人間である以上はどの国のどの部隊でも抱えている問題だった。

 

「っと、暗い話はここまでにして。そういえば黛中尉の名前はどういった由来があるんですか?」

 

かつての上官が好きだったことだ。部下の名前の由来を聞いて、それをはっきりと覚える。そうした事で連帯感が生まれると同時に、世界の広さを感じ取るのだという。その問いかけに対し、英太郎はバツの悪い顔をするだけ。代わりにと、朔が答えた。

 

「"英"は優れた、って意味」

 

そして決めたのは母親らしい。そして、どっちかというと英雄のような"強い"よりは優しく、賢い男たれという意味での優秀さを望んでいたらしい。

 

「えっと………ちなみに黛中尉の座学の成績は?」

 

「ぶっちぎりの最下位」

 

何とか卒業できるといったレベルの、同期の中でも特に成績が悪かったらしい。本人も母親には頭が上がらないらしく、何とか期待に答えようと、分からない事に対しても真剣に挑んでいるらしいが。

 

「そのわりには、小川中尉も楽しそうですが」

 

「最近は会ってないけど、家にいた弟を思い出すから」

 

「………姉弟の仲は良かったんですね」

 

「お母さんもね。今更戻れないけど、父さんの事も嫌いっていうのとはちょっと違うんだ」

 

だからこそ、邪魔になると思い家を出て行ったのかもしれない。あくまで推測だが、武はこの考えは間違っていないように思えた。本当の所はどうであるのか、それこそ外からは分からないものなのかもしれない。後は世間話を少し、それだけで二人は病室を去っていった。

 

一人になった武は、さっきに話したこと、特に家族についての事を考えていた。

だが、一人でどれだけ考えようとも明確な答えが出るはずもない。

 

「………トイレ、行こ」

 

もやもやしている内に、もよおしたようだ。トイレに行くべく、がらりと扉を開いて外に行く。

そして、角まで行くと聞き慣れた声が聞こえた。

 

「風守、少佐」

 

忘れようがない、背丈の低い黒髪の斯衛衛士が、誰かに話しかけられていた。見覚えのある服。山吹のそれは、篁少尉のそれと同じものだ。だが、篁少尉ではない。自分の知らないその譜代の武家の者であろう女性の衛士は、光に対して頭を下げていた。

 

そして光は慌ててそれを制止する。やがて場所を移した方が良いと判断したのだろう、二人は屋上へと去っていく。武はそれを追いかけていった。忍び足で気付かれないように、屋上の扉の前で止まる。その会話の全てが聞こえた訳ではない。見えるのも、隙間からのわずかだけだ。

 

だが、山吹の斯衛の女性衛士はどうやら光に対して恩を感じているようだった。その衛士は感激のあまりに光の両手を握り、そして縦に振った。光が戸惑いながらも振り回されている様子が見える。

 

(そういえば、斯衛の訓練校で………特別講師をやっていたんだっけか)

 

山城少尉から聞いた話であった。BETA侵攻の予兆ありとの報が無ければ、その日も風守少佐による特別講義が行われていたんだとか。だけど、どういった理由で。武は考え込んでいたが、突然に背中を叩かれてびくりと身を竦ませた。焦り、振り返る。そこに見えたのは、赤の斯衛の服だった。

 

 

『こんな所でなにをしている………病室に戻るぞ、白銀武』

 

『ま、真壁大尉!?』

 

 

武は額に青筋が浮かばんばかりに怒っている真壁に連行されて、部屋へと戻った。

 

 

 


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