Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

84 / 275
32話 : 抱擁_

窓から差し込む光。それのみが明かりとなっている、薄暗い部屋があった。鑑純夏はその部屋に座り、壁にもたれながら膝を抱え込んでいた。頭の中に思い浮かべるのは、つい先日までのことだ。ついには慣れはしなかったけど、居心地は良いと言えたあの篁の屋敷より連れて来られて、もう何日が経ったのだろう。ここが何処なのかも分からない。分かるのは篁の屋敷とは異なり、京都の町より少し離れた郊外にあるということだけだった。あとは、自分がこの屋敷の人達に歓迎されていないということだけ。

 

「タケルちゃん………いつになったら会えるのかな………」

 

会わせてやると言われた数日後だった。つい先日に九州と中国地方を壊滅させた、人類の敵であるBETAがまた攻めてきたらしい。予定していた面会は成らず、この家の人も戦争の対応に追われているという。時折聞こえる屋敷の人達の言葉からも、それは本当なのだろう。

 

だが、純夏には納得しきれない事があった。今もこの部屋の入り口に見張りの人が居るということだ。話しかけても、返事もしてくれない。トイレに行くときは、必ず自分の後ろをついてくる。まるで監視か、監禁されているような。その考えが強くなったのは、篁の家に泊まらせてもらっていた時を思い出したからだ。あの時は、誰も自分を見張りなどしてはいなかった。お手伝いさんや栴納さんの事も、自分を気遣ってくれていたように思えた。純夏自身もうまく言えないが、客人として扱われていたように思う。だけどここでは、まるで人質のように。まさか武家の人達が自分の家族に身代金を要求するとも思えないが、場合によってはそうしかねないという違和感もあった。わざわざ武家の人達に攫われるような事をした覚えもない。純夏は、自分自身にそんな価値があるとは思えなかった。

 

(もしかして、あの夢のせいなのかな)

 

ふと、思いついたことがある。というよりは京都にやって来てしばらくしてから自分の身に起きている異変についてだ。異変とはいっても、現実の自分の身体が変わったというわけではない。だけど、眠っている時にそれは現れるのだ。

 

明確な記憶として自分の中に残ってはいないが、きっと悪夢のような何かが。悲鳴と共に起きて、起きた後も汗や動悸が激しく、不安な気持ちになってしまう。今ではどうしてか、見たことのないBETAの姿が頭の中に思い浮かべることができるようになっている。実際に、BETAの姿を知っている人に確認を取ってはいない。だけど、恐らくだが間違いはないと言えるぐらいには、生々しくも語ることができるぐらいにはなっていた。

 

そんな怪物が襲ってきているんだからしょうがない。純夏も頭では分かっていたが、ここ数日は憔悴する一方だった。気味の悪い夢。襲い掛かってくる化物。それにどうしてか、会いたくて仕方ない幼馴染が重なっているように思えたのだ。だけど、今の自分にできることはない。外に出たいと話しかけても、いつもの答えが返ってくるだけだ。

 

"申し訳ありません、煌武院の命で動いておりますから"。ただそれだけを繰り返し聞かされるだけ。特に煌武院という名前を強調されているのだからどうしようもない。だけど五摂家の一家が一般人である自分に何の用があるのか、純夏は全く分からなかった。武家の筆頭たるいと高き人々であるとは、知識として持っている。まさか逆らうような真似などできるはずもない。下手をした挙句、ともすれば今も心配をかけ続けている両親にまで累が及ぶかもしれないのだ。

 

「………一言、残しておけば良かったよね」

 

後悔の念の塊が口から転げ落ちたような言葉だった。特に母はここ数年になって心配性になっている。間違いなく、泣かせているだろう。理由があり、それが必要であったと言われた上での事でも、もっとやりようはあったかもしれない。だから電話だけを、という言葉さえも止められてしまったけど。思い返せば、あの男の人のことも怪しい。

 

実際に出会ったのは、顔も知らない男の人だ。手紙には、この事が上役にばれると自分も罰せられるからと、経緯について嘘をつくことを約束させられた。もし尋ねられた時は、青い髪の女から切符を渡されたと言えと。栴納さんに対しては信用できると思ったからつい真実を話してしまったが、そもそもどうして自分を京都に連れて行くと罰せられるのだろうか。

 

(もし、私がなにか………その、利用する価値か、何かがあったとして)

 

そのために誘導されているのであれば。この不自然だと思える点は、何か綻びのようなものではないだろうか。それを盾にして質問をしていけば、少なくとも自分がここに居る意味が分かるかもしれない。ここでじっとしているだけではきっと駄目だ。そう思った純夏は、ここは行動すべきだと考え、意を決すると立ち上がった。

 

そして扉の向こうにある見張りに、声をかける。お武家さん、と。呼びかけるが、しかしいつもとは違い何の言葉も返ってこない。それどころか、動く気配さえも感じられなかった。微かに聞こえてくる衣擦れの音も、何も聞こえないのだ。ひょっとして、トイレにでも行っているのかな。純夏はそう思って、もしかしたらとすっと扉を開けてみた。

 

そこには、思ったとおりに誰もいなかった。しかし、気にかかることもある。

 

「なに………この、空気」

 

純夏は上手く言い表せないと、黙り込んだ。屋敷に流れる雰囲気というか、空気としか言い表せないようなものが淀んでいるように感じられたのだ。息苦しく、何かが張り詰めているようなものが。どうすべきが迷っていると、下の階から物音が聞こえた。

 

「ひっ、な、なに…………?」

 

何か大きくて重たいものが落ちたような。誰かが失敗でもしなければ出ないような、大きい音が聞こえた。ただのお手伝いさんのミスならいい。だけど、そうでない場合は。

不安になった純夏はそっと、階段の踊り場から下の階の方を覗きこんでみる。

 

「なにあれ………って、人の足!?」

 

たまらず口元を押さえた。壁で遮られて足より上は見えないが、白い肌と足袋が廊下に横たわっているのが見えたからだ。純夏がまず考えたのは、熱中症か何かで倒れたかもしれないということ。しかし続いて聞こえた大きな物音に、純夏はたまらずその場に立ち竦んだ。間違いなく、尋常でない事態に陥っている。強盗か、あるいは害意ある誰かがこの屋敷を徘徊しているのだ。そう考えれば、あのお手伝いさんはもしかしたら殺されたのかもしれない。考えついた途端、純夏は恐怖に震えた。

 

(怖い、怖い、こわいよ…………助けて、タケルちゃん…………!)

 

いつも自分を助けてくれた、ヒーローの名前を呼ぶ。だけど、声は返って来ない。横浜に居た時だって、何度名前を呼んでも帰ってはこなかった。だからこそここまで来たのだ。何が起きているのか分からないが、このままではいけない。純夏はそう判断して、来た道を振り返った。

 

一瞬だけ、あてがわれた部屋に戻ろうとする。だけど思うだけにとどまった。何が目的であれ、侵入した誰かが2階にいる自分の元にまでやってこないとは限らない。だから、できるだけ静かに。そっと、足音を立てないようにして階段を降りていく。早くなっていく動悸と、耳の奥に聞こえる自分の鼓動の音を振り払うように、一段一段を降りていく。

 

(うっ………でも)

 

純夏は階段の半ばで、自分が体重をかけると微かに階段の木が軋む音がすることに気づいた。だが、もうもどれない。そのままできるだけ静かに、1階へと辿り着いた。階段の下の廊下は右と左に分かれていて、右側には女中さんの足が。もしかしたら、熱中症かもしれない。そう思い込みたいが故に、純夏は壁から女中さんを覗き込もうとして、そこで止まった。

 

止まらざるを得なかった。

気づけば音もなく、鉄のような硬いものが自分の蟀谷につきつけられていたのだ。

 

(ひっ………)

 

悲鳴さえも出せない。純夏はそこで、かちりという固い音を聞いた。映画で見た撃鉄が起こされる音だとは、その時は分からなかった。だけど、致命的な事が起きていることは理解できた。

どうしたらいいのか、何も思い浮かばないまま、たまらずに目を閉じてその場で震え出す。

 

そのまま、3秒が経過して。だけど返ってきたのは、予想外の反応だった。

 

「………鑑、純夏だな」

 

確認するように、名前を呼ぶ声。それは敵意といったものはない、柔らかい声だった。純夏は、硬いものが離れていく感触を覚えた。助かったのだろうかと、目を開けて声の方向を見る。そこには、男が立っていた。長身かつ細身の男で、自分につきつけていたであろう銃を手前に引いている。その白いシャツには、返り血を浴びたかのような赤い点々があった。

 

「助けに来た。急いで、ここを出よう」

 

「え………ひっ!」

 

見れば、女中さんは頭から血を流して事切れていた。

 

「すまない、遅れた。煌武院がここまでするとは思わなかったんだ」

 

「え………?」

 

純夏はわけも分からず、立ち尽くす。

そこに焦った声がかかった。

 

「とにかく、ここに居てはまずいんだ。急いで脱出を!」

 

「あ、は、はい」

 

何が起きているのだろうか。純夏は尋ねようとしたが、時間が無いと言われたからには従うしかなかった。死人が居るここに長く留まりたいとはとても思えなかったのもある。促されるままに急ぎ外に出て、そこにあった車に乗せられる。逃げるようにして屋敷を後にした。黒い乗用車が、京都の中央に向けて走り去っていく。

 

――――しばらくして、純夏と男が立ち去ったそこにやって来る者達が居た。彼らは入り口を見るや否や、中に呼びかける事なく急ぎ屋敷の中に入っていった。到着した直後に確信した通り、修羅場の後となっている屋敷を探索し、その奥にある部屋で目的の人物を発見した。

 

「………永森の当主………永森英和もか………既に事切れている」

 

鑑純夏を連れ去ったという本人。彼は、部屋の中央で頭を撃ちぬかれて死んでいた。

 

 

「鎧衣課長に連絡を――――目的の人物の確保に失敗した。まずい事態になっていると」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

独特の臭いがする車の中。純夏はじっと、運転席にいる男の背中を見ていた。イヤホンを耳に当てながら、じっと何かを確認するかのように時計を見ている。とても話しかけられる空気ではなかった。車は郊外より、街の中心へと向かっているようだった。町並みもどことなく、テレビで見たことがあるような歴史あるものが増えているように思えた。一体何処に連れて行かれるのか。

 

そもそもどうして、あの屋敷は襲撃されていたのか。そして女中さんは、あるいはあの屋敷に居た他の誰かも、誰に殺されてしまったのか。純夏は20分程度逡巡し続けたが、このままではまた繰り返しになると、声を発しようとした。だが、突如起きた異変に口を閉ざさざるをえなかった。

閉じられた窓の外からでも聞こえる、轟音。横を見れば、人型の機械が空を舞っていた。

 

「あれは………戦術機?」

 

中学での社会見学で行った、横浜の白陵基地で見たことがある。生憎と知識のない純夏にはそれがどういった機体であるのかは理解できなかった。だけど、戦術歩行戦闘機と呼ばれているあの機械が、人類の主力とされている兵器であるということは分かっていた。そして、タケルちゃんが好きだったことも知っていた。とはいっても、その程度の事しか知らない。今、自分の横でそれが飛んでいる。手にあるのは、BETAを撃つための銃だろう。車なんてすぐに壊せそうな程に、それは大きかった。

 

そこで純夏はようやく、今まさに戦争をしているのだと実感させられていた。屋敷に居た時も震動と遠雷のような音で戦争が起きている事を感じることはできていた。が、こうも身近で。しかも見上げる程に大きな兵器が動いている所など、見たことがない。その威容は否が応でも、ここが日常でないことを知らせるほどの説得力を持っていた。

 

「あの、戦場が近いんですか?」

 

「前線はもっと遠いさ。だけど、この先には補給基地があってね…………」

 

不安を感じた純夏の問いかけに、男はすらりと答えた。そこに敵意や、嫌味のような者は感じられない。だけど、ある所まで来るとその様子は一変した。

 

「く、まずい………囲まれたか」

 

「えっ?」

 

男の呟きに、純夏は窓から周囲を見回した。そこには避難が完了しているのか人影はなく、車も見当たらない。だけど、恐らくは軍人であるこの人が言うにはそうなのだろう。すると、男は耳にあるイヤホンに手を当てて愚痴るようにいった。

 

「………なに、既に閉鎖されている!? くそ、煌武院の手の者め、流石に対処が早いな!」

 

叫ぶなり、男は車を止めると運転席から純夏の方に振り返った。

 

「車じゃ無理になった。降りてくれ、急いで」

 

言われるままに降りる。男は車のドアに鍵もかけないまま、懐にあった銃を取り出した。

 

「安全な場所までのルートを確保してくる。だから、君はこの建物の中に避難していてくれ」

 

「え………」

 

「早く、このままじゃ危険なんだ! すぐに迎えに来るから、奥の方で隠れていてくれ」

 

「は、はい!」

 

純夏は促されるままに、言われた建物に入っていく。何が起きているのかさっぱり分からないけど、一人で逃げることはできない。もしも彼が口々に言っていた、見張りの人も口にしていた煌武院の人達が襲ってきたら、自分は抵抗もできず殺されてしまうかもしれない。本当であるかどうか分からない。けど、こうした方が助かるような気がしていた純夏は指示に従うことにした。

 

それに、車の外で感じられた空気のせいもあった。感じたこともない、張り詰めた空気が街の中を支配している。呼吸をするだけで動悸が激しくなる。そうした不安もあり、純夏は安全だという建物の奥の方に駆け込んでいった。ビルの中は無人で、照明の一つもついていない。外から見た限りは周囲のビルと同じぐらいの高さで、広さはそれほどでもなかった。人がいないせいか、物音の一つもしない。純夏は自分の足音だけが響く鉄筋コンクリートの建物の中で、不安にかられたまま奥へ、そして上の階へと逃げるように進んでいった。辿り着いたのは屋上手前の扉だ。そこには鍵がかかっておらず、出ようと思えば外に出られるようだった。だけどまさか、この状況で外に出ようなどとは思えなかった。硬いコンクリートの壁があれば、もし何があっても大丈夫のような気がしたのだ。

 

自分を害そうとしている誰かに見つけられる可能性もある。純夏はそう判断し、屋上手前の階段で、膝を抱えて座り込んでいた。一気に駆け上がったせいか、息切れが激しくなっている。

気温と湿度のせいで、汗も乾きにくく、服の下が気持ち悪いぐらいに湿っていた。

 

口を押さえて、じっと待つ。もしかしたら呼吸の音で見つかるかもしれないのだ。自分を助けてくれた彼の言葉が真実であれば、誰かが自分を殺そうとこの街の中を徘徊している。見えない敵と、時折外から聞こえてくる戦術機の飛行音が純夏の不安を倍増させていった。

 

だけど待つしかないのだ。純夏はそう考え、そのままじっとしていようと決めた。そのまま時計の針がいくつ回ったのだろうか。純夏が分からないままでも待ち続けている中、不意にそれは訪れた。

 

「え………」

 

遠くに聞こえていた戦術機の飛行音。それが徐々に大きくなっていくと、近くで途絶えたのだ。

直後に、建物が揺れるのを感じた。

 

そして、大きな声が周囲に向けて――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――歌が聞こえる。歌が、聞こえるんだ。

 

 

動作に不安がある陽炎の中で、武はどこからか聞こえる音を振り払うように頭を横に振っていた。

それを見ていたマハディオが心配そうに話しかける。

 

『どうした、体調でも悪いのか。確かにあのご当主様は強烈だったが』

 

『いや、違う…………けど、違わないか』

 

強烈だったのに異論はないと、武は頷いていた。苦戦の最中だというのに、不安の色など欠片も見せない。九條の当主はそれほどまでに剛毅で、真っ直ぐな人物だった。自分とマハディオ、そして王は上官の命令を無視して、予てからの予定をぶっ千切った上で独自の戦術行動を行った。

咎められるどころか、その場で撃ち殺されても文句は言えない行為のはずだ。

だけど九條炯子は快活に笑い、感謝を示してくれた。そして、言うのだ。

 

命令違反は罰せられる行為であろう。だが、実戦において不測の事態など必然であろうもの。その中で自分の身命の危険を顧みず、勝利のためにと斬りこんでいった者を、咎める道理はないと。それは、理屈である。人道的には正しいかもしれない。だけど上官として、指揮する者としては賛同してはいけない言動のはずだ。示しがつかなければ、組織的行動もなにもない。指揮系統を揺るがすような、自分勝手な真似をする人間が増えては困るのだ。しかし周囲にいる彼女が率いる全員は、苦笑するに留めるだけ。また、この人はという声が聞こえてきそうな呆れるような表情は、彼女と部下の信頼関係と絆の深さを物語っているようだった。

 

『と、言うわけだ。まあ、お嬢の言動はあまり気にすんな。慣れるまではきついからよ』

 

実際に武の成した功績は大きく、この窮地に至っては素晴らしい働きである以外の感想は言えない立派なものだった。颯太の言葉に、武は素直にはいとは言えなかった。

 

『しかし………命令違反は』

 

『よいと言っている、みなまで言うな。それとも、其方は先の行動を――――あの選択を後悔しているのか?』

 

颯太の声に戸惑う武に、炯子の問いが投げかけられた。

瞬間、武が思い浮かべたのはつい先程の、仲間の最後の光景だった。

 

『――――まさか。後悔なんて、してませんよ』

 

きっと、同じ状況であれば何度繰り返しても自分はあの行動を選択しただろう。今更になって、後悔などできるはずがない。歯を食いしばり告げる武に、炯子はならば問題はないと満足そうに頷いた。

 

『役目に散った英霊にも感謝を。其方も、急ぎ補給に戻れ。燃料弾薬共に限界では、満足に戦えまい』

 

『ああ、増えたBETAの対処はこちらで行っておく。だから今は補給を優先してくれ。そっちの帝国軍さんもな』

 

聞けば、自分と同じくして、密度が一時的に高まっているBETAを駆逐すべく斉御司の当主も戦場に出てきているらしい。後詰めとして崇宰の当主も前線に出てくると聞かされては、反論の余地もなかった。武は考えた上で、一時的に戻ることにした。確かに残弾が心もとない上に、この機体の有り様である。王の献身を無駄にしないと、少ない燃料でもコンテナより弾薬を補給しながら戦おうとも思っていた。

 

だが、後の効率を考えれば跳躍ユニットの燃料を補給した方が良い。

 

 

――――そして、今に至る。武は思い出し、苦笑していた。

 

『まあ………あの人の言葉が無かったら意地でも退かなかったけどな』

 

英霊、と彼女は言った。情報から、戦死したのが義勇軍の一人であり、異国を故郷に持つ人間であると知っているはずなのにだ。ふと、思いついた武は朔に尋ねた。九條の烈火と彼女は言ったのだ。

ひょっとして、斯衛の中でも有名なのかもしれない。その問いに返ってきたのは、困ったような顔だった。

 

『実際に、会ったことはない。だけど、人柄だけは有名』

 

傍役である水無瀬颯太と共に紅蓮醍三郎の弟子であり、無現鬼道流の達人。

そして烈火の異名の如く、ただ炎の如き人物であると。

 

『なるほど。確かに、炎のような人だな』

 

炎だからして、ただあるがままに燃えている。含むもの無く、純粋な烈火として。

 

(そう言わんばかりの、裏など一切感じさせない竹を割ったような性格…………だけじゃないよな)

 

武は先ほどの遣り取りを思い出していた。初めての戦場であるということも微塵に感じさせない振る舞い。精鋭であろう部下との間にしっかりと築かれている信頼関係は、並の人物ではあり得ないことである。

 

命令違反を犯した人物に、初対面であろうと信じ切った上で感謝し、その上で自国を守るための戦力として扱うなどと。武をして、大陸でも数えるほどしか出会ったことがない。

戦場において必要な事柄を迅速に見極めた上で、果断な処置を採ることのできる人物は貴重なのだ。

もしかしたら何も考えてないのかもしれない、といった疑いを持たせられる判断の早さである。

 

堂々とした態度に、睨まずとも人を射抜くような眼光の強さ。政治を司る者としてはどうかと思うが、戦う者としてはこの上ない素質を持っている人物のように思えた。戦場の中にあってあの態度はありがたい。王を英霊と断言してみせて、その一切に周りの者の反論を許さないという口調もだ。気を抜けば長年の戦友のように接したくなる、得難い衛士であることは間違いなかった。

 

――――だからこそ、武は補給を受けがてらに命じられた任務を、九條の者か、あるいは斉御司が手配したものだとは考えなかった。恐らくは、斑鳩でもないだろう。そう信じたい自分も居るし、何より斑鳩崇継がこうした小細工を弄してくるような小人物とも思えない。

不思議と、煌武院の当主である悠陽がさせたものだとは思いつきもしなかった。

 

「大尉殿。それでは、自分達は周辺にある瓦礫の撤去を?」

 

「被弾した戦術機が墜落したらしくてな。機甲部隊の補給の邪魔にもなりかねん」

 

補給にと基地に戻ってくる戦術機甲部隊の中で、被弾していた撃震が失速して町中に堕ちたらしい。ビルを巻き込んで倒れ、そのせいでこの基地へと繋がっている道路の一部が塞がってしまったという。このままでは、最前線手前で火力を集中させている戦術機甲部隊の運用が怪しくなる。

既に前線に置いている砲弾の7割ほどを消費してしまったらしく、補給に走る部隊を瓦礫で足止めしてしまうのは不味い。そう言われれば、武も従わざるを得なかった。瓦礫がある場所は一部で、場合によれば突撃砲の使用許可も出てくる。数分で作業を終えることができるという事だった。前線のBETA駆逐に最速で駆けつけられないことに対して些かの不満はあったが、既に命令違反を犯している身である。先の事態と連結すれば、自分はいいが帝国軍の三人にこの上ない迷惑を被せることになりかねない。

 

王の約束はあろう。だけど数分であればと、武は九條炯子と、話に聞いた斉御司が参加した勢力を信用することにした。

 

「ですが………作業にかかるとしても10分だけ。それを超えないことを約束していただけますね?」

 

脅しをこめて、一歩近づいて念入りをするようにして尋ねた。

すると提案者である、城内省の男は一歩退き、頷いた。

 

「それと、もしかしたら周囲に逃げ遅れた人物が居るかもしれないとのことだ。帰投中の部隊より、移動中の車と人影があったことが確認されている」

 

「どこの死にたがりですか」

 

建物が隣接する町中で十分に戦闘が可能なのは、戦術機甲部隊だけである。だが衛士にとっては、戦闘中に小型種よりも更に小さい民間人を気にかけている余裕などない。広い場所や、建物の高さがそれほどでもない町中であれば注意することは可能だ。こんな京都の中央部に近い場所で、もしBETAが出てくることがあれば、技量など関係がなくなる。衛士も人間、いくら注意をしても限界というものはあるのだ。それを考えれば、戦闘開始より数時間が経過している今になって避難していないなどと、自殺と同義である行為にしか思えないものだった。

 

(尤も、小型種がここまで来ることはない。少なくとも、今はまだ)

 

兵士級や闘士級といった小型種は要撃級や突撃級といった中型種と比べれば進軍の速度は遅い。山間部を抜けるということもあり、戦闘開始から10時間も経過していない今では、こんな町中まで辿り着くことなどあり得ないのだ。最も危険な段階に入るのは、戦いが今より数時間ほど長期化してからだ。経験の無い者にとってはこうした今でも近場に小型種が湧いて来るなどという不安を抱く者も居るだろうが、武にしては現実的にあり得なく、別に何を感じるまでもない事だった。

 

そう確信しているからこそ、今のうちに避難を勧めることが大事になるかもしれない。

 

「中尉………もしかして、受けるつもりではないでしょうね」

 

「横から何を…………っと、君はもしや橘の?」

 

提案に口を挟んだのは、橘操緒だった。急かつ精神を削られるような過酷な作戦であったせいか、顔色は酷く悪くなっている。そして彼女の乗る撃震は先のアクシデントのせいだろう、膝関節部にあたる部品に甚大な損傷があった。

再出撃は認められないと、整備員の出した結論に先ほどまで感情をむき出しにして異論を唱えていた彼女は、斯衛の大尉を完全に無視して、武に詰め寄った。

 

「どうなんですか? ………聞かせてください」

 

「命令は、命令だ。民間人が居たら避難させるべきだろう」

 

「っ、貴方は…………!」

 

「すぐに済ませて前線に向う。まさか文句はないですね、大尉?」

 

操緒から視線を逸しながら、一歩。大尉に近づきながら恫喝するような口調で武は質問をした。その炯々とした視線には、いつになく危うい光が篭められていた。頷けないのなら、殺して押し通るといった風な。そこまで露骨では無いにしろ、心得のある斯衛の大尉を一歩退かせるだけの威圧感があった。武の怒りの深さを証明するものでもある。

 

小型種が来ないこと、上層部が分かっていないのか、分かった上で言っているのか、どちらも等しく怒りを覚えるものだ。前者であればレベルの低さに怒りを覚えるし、後者であればこの非常時においてまだそんな事を言う輩が居る事に憤るしかない。何より、なにも今の自分に言うことでもないだろうと思っていた。

 

(だけど、感情に流されるな)

 

もっと言ってやりたかった。本当は胸中に多くの不満と些かの不審が生じていたが、武はそれらを気合で何とか押し殺した。反論する時間さえも惜しい。それに下手にゴネれば反感を買った結果、補給を断られるなどという、考えたくもない事態になるかもしれない。

所詮は外様であることは理解している。命令違反のことも、決して軽くはない。不当かどうかは知らないが、結果的に見れば無意味にこの基地で足止めされることになる――――それでは王に向ける顔が無くなるのだ。

 

武はすぐにでも前線へと戻り、あいつの死には意味があったと証明しなければならないと考えていた。逡巡は少し。素直に提案に頷き、機体へと走る。

 

「神代曹長!」

 

「補給の間、できうる限りの処置は………ほとんど意味はありませんでしたが」

 

いつもは飄々としている曹長が、申し訳なさそうに告げる。武はそれを見て、先ほどとは打って変わった表情を見せていた。たかが数十分。それだけでフレームの歪を直せるはずがないのだ。父影行からの教えもあり、また戦場で色々と聞いた話にもより。

だけど諦めず、出来うる限りの事をしたという曹長に、どうして怒りを向けられるはずがあろうか。

 

「――――ありがとう、曹長。じゃあ、行って来ます」

 

背後からは色々な声が聞こえた。橘少尉の、まだ納得がいっていないであろう声も。神代曹長の敬礼を交えてであろう、武運を祈る声も。背中に受け止めて、コックピットに入ってその入り口を閉じる。途端に、通信が入った。

 

『行けるのか、中尉』

 

声は黛英太郎の声だった。撤退途中に要撃級の一撃を掠らされたせいか、コックピット付近の装甲が怪しい。だけど疑うことなく、前線に戻ろうとしている。隣にいる相方も同じだ。白い髪、体調が悪そうな顔色でも、それを極力隠そうとしながら機体の調整を済ませていた。

 

そして、もう一人の者も。

 

『………逃げても誰も笑わないぞ? お前の機体はもう限界に近い。不具合に近い、それが分からないほど未熟ってこともないだろう』

 

『俺が笑うぜ、マハディオ。俺自身が許せないんだよ』

 

武は怒りと共に答えていた。誰と誰を救うのか。誰と誰を殺すのか。いつだって、戦場では二者択一だ。両方を取る術なんてない。そして今日も、王紅葉を犠牲にした。親しくはなかった、だけど確かに戦友であった仲間を殺したのだ。

 

『あいつの命には意味があったんだ。最後まで泣き言なんて言わなかった、誇るべき戦友だった』

 

もう二度と戻らない、失ったものがある。だけどそれを気にして動けなくなるような"おぼこ"じゃない、何度も経験したことだ。もしかしたらなんて愚痴染みた物言いなんて、一体何になるというのか。中国人であり、チンピラのようで、しかしずっと機体を並べて戦ってきた戦友は先ほどまで存在していた。誰が何を言おうが、それは真実だ。最後まで勇敢であった衛士でもある事に、間違いなどあろうはずがない。

 

『託されたものがある。それに報いないなんて、嘘だ…………嘘だろうが、マハディ………』

 

『………勘違いするなよ』

 

嬉しそうに、言う。シロと呼びかけながら。震えた声で、マハディオは言った。

 

『確かに、協調性も無いし、いけ好かなかった奴だったよ。だけど――――俺にとっても、あいつは仲間だった』

 

好き嫌いはあるが、共に戦った。だけどお前が、無理をすればそれこそ意味がなくなると。

マハディオの声に、同意の言葉が返ってきた。

 

『おいおい、故人を悼むのは勝ってからにしようぜ? ………勇敢に散っていった男が居る。だからせめて派手に送ってやろうや』

 

『英太郎の言うとおり。勝利という花火こそ、葬送の儀式には相応しい。だけど、貴方までも死ぬことはないから』

 

だからと、朔は確認するように尋ねた。行けるのか、と。

武はその問いかけに対し、愚問だと笑った。

 

『その答えはイエス、ってね。まあ神頼みになるかもしれんけど――――少なくとも、タンガイルの時よりはマシだろ、マハディオ』

 

『ああ、違いない。ってお前も嫌味が酷いな』

 

だけど、あの時よりはマシな状況で、ならばやってやれない道理はない。その声と共に、基地に出撃の旨を告げた。どうせ行き掛けの駄賃だ。

 

そう、思っていた。

 

目的のポイントに到着する。倒れていた戦術機は既に撤去された後だが、瓦礫がいくらか転がっている。マハディオは俺がやると、瓦礫に手をかけた。これ以上武の機体に負担をかけるのは得策ではないと思ったからだった。残りの二人も同じ考えで、急ぎ瓦礫の撤去作業に入っていく。

 

武は、避難が遅れているという民間人に呼びかけた。

 

『………こちら帝国陸軍指揮下のベトナム義勇軍。逃げ遅れた人が居るなら、出てきてください。安全な場所まで誘導します』

 

通信で基地に連絡して迎えに寄越させるか。武は車が確認されたというポイント付近を歩いた。すると、道路の脇に一台の車が止まっていた。道路には、それ以外の車は駐車されていない。持ち主にとっては財産であり、逃げる時の足にもなる貴重な車を戦場になるかもしれない場所に置いておくはずがない。だからこそ、その車は少し異様なもののように思えた。

 

居るとするなら、この当たりか。武は車が止めてある建物に近づきながら外部に向けて、もう一度だけ呼びかけた。

 

『こちら、ベトナム義勇軍。誰か居るなら出てきてください。ここは危険で……………………』

 

 

――――認識の一つとして、視覚よりもたらされた情報を元に脳にその存在を認めさせるものがある。

 

網膜に飛び込んできた光を元に、反射の元に存在する物体を。

対象の色、形を読み取った上で、それが何であるのかを視覚情報として脳が判断するのだ。

 

だけど、屋上に見えた人影に。

 

武は数秒だけ、その人物が誰であるのかを認識できなかった。

 

 

『…………え?』

 

 

赤い髪。一房だけ、触角のように跳ねた癖毛。

何年も前に別れた。だけどその顔を、自分が忘れるはずもない。

 

 

《…………な、んで。どうして、ここに!》

 

 

いつもは淡々とした様子を保っている声さえも、動揺している。

 

そしてこちらに向けて、少女の口が動く。

 

 

 

 た。

 

 

                  け。

 

 

る。

 

 

 

      ちゃ。

 

 

 

 

武は気づけば、コックピットを開けていた。建物の窓を蹴破り、中に入ると屋上へと走って行く。

 

―――まさか。

 

――――まさか。

 

まさか、なんで、どうして。

 

途中の階段で転倒しそうになりながらも、一気に駆け上がっていくと、開いていた屋上の扉の向こうへと飛び込んだ。

 

そして、見えた。屋上に居る、自分と同年代であろう少女。

 

それは、横浜に居るはずの――――

 

 

「すみ、か?」

 

 

「………タケルちゃん!」

 

 

駆け寄ってくる、6年ぶりに再会した幼馴染を、武は包み込むように両腕で抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………目標、予定の位置に確認。合図を待つ」

 

屋上に居る、茶髪の男性衛士と赤い髪の民間人らしき少女。男はそれをスコープの先に見える視界の中に捉えながら、じっと合図を待っていた。

知らされている情報は多くなかった。ただ、男が大東亜連合のスパイであるということ。民間人の協力者より情報を受取るという情報が斯衛にもたらされたということだけは確からしい。

 

自分の任務は、それを防ぐことだ。ポイントするは、民間人である少女の蟀谷。致命的な情報が流れる前に撃てばいいという。

 

(解せない部分は多いが………これはチャンスなんだ)

 

男は、斯衛は武家の三男坊である。戦術機の適性が致命的に低く、栄達の道どころか生家からも厄介者扱いされるようになってしまった。他の道があると言われ、歩兵の技量を鍛えても評価してくれる者はいない。ただ一人、御堂家の当主を除いては。彼は言った。生まれ持っての適性だけで何もかもが決まる今の風潮は、異常であると。それを正すために自分は動いている、だから手伝ってはくれないかと。思ってもない提案だった。頷く以外の選択肢など取れない。武家として、勲功もなく存在するだけではただの案山子とどう違うというのか。姉も、今は前線で戦っているという。なのに自分だけが、安全地帯で何もできないなんて耐えられない。

 

だから、待機し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、狙撃手の男が居るビルの階下で、永森の屋敷を血に染めた男はイヤホンを耳にあてていた。鑑純夏の服に仕込んだ盗聴器より、白銀武と彼女との間で交わされている会話の内容を拾っているのだ。そして手にはトランシーバーが。合図を送れば、少女を襲う凶弾が放たれるだろう。

送るのは、少女の口から白銀武へと、キーワードが伝えられてからだ。

 

そのキーワードとは、"煌武院"。それを最後に、少女は幼馴染であったという少年の目の前で散ることになる。そして実行犯の命も。

 

(役目が終われば用済みだ)

 

彼は、御堂賢治の狂信者になっている途中である。命令を疑わずに動く駒は便利だが、長期的な目でみるといずれ持て余す。可能な限りの対処は済ませている。帝都の怪人が、鎧衣が動くことは織り込み済みだった。家に仕掛けた盗聴器より、あちらの対処が遅れていることも確信ができた。関わりのある人員についても、全員がマーク済みだ。あとは、定められた悲劇の幕を開けるだけ。

 

そして、狙撃手を殺した自分が告げるのだ。煌武院悠陽のこと。そして――――煌武院冥夜の事を。

 

今は御剣冥夜という名前の少女の存在を。煌武院家において双子が禁忌とされている。それこそが、白銀武を事故死させる原因となったこと。公園で出会ったという双子、そして傍付きである月詠家の者のこと。伝えた結果どうなるかは、想像がついている。

 

風守の方も仕込みは済んでいる。そして向こうの会話も、いい具合に流れていった。

 

『なんで、どうして純夏がここに!』

 

『あの、タケルちゃんが、その………ミャンマーで死んだって聞かされて。でね、おじさんが、風守って人の家に………』

 

『ミャンマーって………誰からそれを。いやそれよりも、ここはもう戦場だぞ!? なんで一人でこんな所を彷徨いてるんだよ!』

 

よし、と頷く。原因を聞くのは当然のことだ。

あとは、刷り込むように何度も言わせた単語を。役立たずの永森家の当主は死人で、口はない。

 

万事において問題はなしと、笑い。

 

――――その直後、男は背後に誰かの足音を聞いた。

 

会話に集中していたせいで、反応が遅れた。そして近接格闘においては、それが全てだ。男の腕は一瞬で折られ、気づけば首に腕が回された。

 

「ぐっ!?」

 

頸動脈に圧迫感が。男の意識はそれだけを認識した後、そのまま遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待っている内に、コンディションは最良になった。幸いにして、風もなくなった。あるとすれば、言いようのない緊張感か。戦場に出たことはないが、ここがそうなのだろう。遠くから砲撃の音が聞こえる。それも、絶える間もなくだ。それほどまでに強大な敵がいるのだろう。映像で見せられたあの気味の悪い化物がこの帝都に迫ってきているのだ。考えるだけで恐怖を感じるような脅威が。もしもたった今背後に現れたらと、想像するだけで精神が削られていくのを感じた。姉は、対BETAとの戦争においては、戦場もまた独特の空気を持つと言っていた。実際に出撃はしておらず、基地に待機していただけだが、海よりやって来る怪物に対して言いようのない不気味さがあると。

 

自分も、同意せざるを得ない。何もしなくても体力が消費されていくような感覚があった。だけど、今は任務で、自分はやらねばならぬ。男はライフルを少女の方に調整していった。放たれた弾は少女の右側頭部から左側頭部へと抜けていくだろう。貫通力があるので、爆ぜることはないらしい。外見はただの民間人である少女を殺すことに、思う所はある。

 

(だけど、御堂様は言った。これは戦争であると)

 

勝ち残るための戦争。生き残るための戦い。ならば、最善を示すより他はなし。それに鍛え上げた業を活かせるのであれば、これ以上のことはない。合図を待つ。トランシーバーは横に置いている。

 

(しかし、遅いな)

 

男はライフルを覗きこみながら訝しみ、何やら嫌な予感を覚えて。

 

――――直後に、自分以外の者でしかあり得ない足音を捉えた。

 

「っ!?」

 

第三者の認識と対処への反応は、ほぼ同時だった。腰に添えていたリボルバーを抜きつつ、可能な限り迅速に振り返る。

 

が、手は動かなかった。正確には、脳からの信号に反応さえもしなかった。見れば、セーフティがかけられたままの銃は地面に転がっていた。銃を持っていた自分の手首より上と一緒に。

 

「貴、様―――!」

 

「御首、頂戴仕る」

 

 

綺羅と光る白刃は、自分の首筋に吸い込まれて行き。それが、男の見た最後の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、屋上。武は泣いている純夏を宥めながら、ここに来た経緯を聞いていた。本当に懐かしくて。このまま此処に留まっていたくなる。ずっと、戻りたかった。だけど迷惑をかけるからと、諦めていた。家族であった、妹のような幼馴染は見違えるほどに成長していた。

 

「タケルちゃんのバカ! バカ! バカぁ!」

 

「純夏………バカって、お前」

 

「バカだよ! 嘘つき! すぐに戻って来るって言ったじゃん、なのに、わたし、タケルちゃんが死んだって聞かされて…………っ!」

 

思い出したのか、両目を押さえながら泣き始めた。それからはずっと罵倒と。そして大丈夫だったの、という心配の声の嵐だった。

 

「まあ………死んではいない。こうして、足もあるし」

 

「見れば分かるよ! でも、なんで…………?」

 

純夏は横目で陽炎を、戦術機を見て。そして武が着ている服を見ると、どうしてと尋ねた。武ははっと思い出し、そして通信を入れた。

 

『どうした。急に建物の中に、何があった?』

 

『屋上に、俺の幼馴染が居た。横浜に居るはずなのに』

 

『………なんだ、それは』

 

マハディオの声が、不可解だという色に染まる。武も同じ意見だった。戦闘の最中に、偶然に京都にやって来ていた幼馴染と出会う。戦場において、そんな奇跡は存在しない。例えばそれは、プルティウィの時のように。意図的に避難させなければ、プルティウィは死んでいたのだ。

 

仕組まれた気配を感じる。そう思いついた時、武の胸中は激しい憎悪で燃えたぎっていた。純夏を利用しようとした奴がいる。何の罪もない純夏を。自分の死を知らせたのも、おかしい。この再会に至るまでの経緯があまりに不自然過ぎるのだ。

その上で、こんな危険な場所に誘導して、あまつさえは。

 

「でも…………煌武院、か」

 

「う、ん」

 

泣きながら、純夏は頷く。一方で武は頷けなかった。本当であれば、あの煌武院悠陽が仕組んだという事になる。あるいは、煌武院の臣下で…………第二の権限を持っているであろう月詠家の誰かが。

 

(………違う)

 

経緯を考えた上での結論だった。それは、理屈ではない。理路整然とは証明できない。それほどまでに、煌武院悠陽という人間を知っているわけではない。だけど、違うのだ。下手人は自分をインドに送らせた人間であろう。一連の事を考えても、きっとそうだ。だから、彼女の本意ではないという確信があった。

 

自分は殺される所だった。だけど、もしも自分が知ってはいけない事を知って。殺す方が良いと判断されたとして。だけれども、実際に暗殺という手段を取らずに、事故死させるような、誰かに責任をなすりつけるような真似を、あの悠陽がするであろうか。

 

途端に、フラッシュバックする言葉があった。

 

――――雪が積もっている山中の森の中。

 

――――先に見た頃よりも、成長している少女。

 

――――白い服を纏っている、そこは戦場だった。

 

そして、彼女は言うのだ。人はそれぞれに違うもの。万人に異なる善し悪しがあり、その全てが肯定されるはずもない。その上で、上に立つ者の責任を自分に説いた。

 

『………自らの手を汚すことを厭うてはならないのです。道を指し示そうとする者は、背負うべき責務の重さから目を背けてはならないのです』

 

凛とした表情で。どこか悲しそうに。だけど、強くあろうとする指導者の姿がそこにはあった。今とは違うどこかである。だけど、あの煌武院悠陽がこんなに人任せな。中途半端で、しなくてもいい犠牲を出すような真似をするだろうか。その問いかけに対して、まさかするものかという、心の中に居る誰かが叫んだ。

 

そして、同時だった。

 

『なんだ、ビルの屋上に誰か…………っ、お前は!?』

 

マハディオの声がする。武はそちらに振り向くと、息を呑んだ。

正面のビルの屋上には、人影があった。片手には、ライフル。そしてもう片方の手には、人の頭だ。

 

その人物は返り血に染まった国連軍の服を着て、手も赤に染まっていた。

 

「久しぶりだな、武」

 

声に。少し血がかかった黒い髪に。

頬に傷はあるが、その女性と見紛うような容貌には覚えがあった。

 

 

「な――――樹がなんでここに!?」

 

 

クラッカー中隊はクラッカー4、紫藤樹の姿がそこにはあった。何故、どうしてこんな所で人の首とライフルを持っているのか。突拍子も無い出来事は多く、疑問はいくつもあった。だが武が問う前に、答えは返ってきた。

 

「狙撃手は始末した。あとは、お前次第だ」

 

「な、にを…………」

 

武は言葉を失いながらも、思考を全速で回し始めた。狙撃手という単語。それが存在していた事を証明するかのような、ライフルと人の首。決して遊びや冗談ではあり得ない。

 

誘導された自分と純夏。全てが分かるはずもない。だけど、確信できることはあった。

 

「狙いは、俺か。それとも………純夏か?」

 

「わざわざこういった場を作り上げる。特に民間人の誘導には“手間”がかかるだろう。どちらかが死んで、その後の事も考えれば………つまりは、そういう事だ」

 

「――――」

 

武は、何も言えなかった。それは自分が考えていた、最悪の予想を証明するものだったから。

 

「最後に、一つだけ聞きたい。樹は誰の命令で動いているんだ」

 

「お前もよく知っている諜報員の一人だよ。正確には少し違うが」

 

そこで武は樹の服を見た。肩口にある刺繍には、見たこともないが、見覚えがあった。

 

「オルタネイティヴ4…………っ!」

 

「その通りだ………鑑純夏はこちらで預かろう。安全な場所まで避難させる。手筈は整っている、心配は要らない」

 

武は、咄嗟に反論をしようとした。オルタネイティヴ4と、純夏。考えたくもない可能性が胸中には存在しているのだ。まさか預けた後に、どうにかされるかもしれない。しかし、反論するように声は言った。

 

《今はまだ、純夏が“そう”だとは気づくはずがない。純夏を害する理由も。だから、提案には乗った方がいい》

 

何をもって保証するのか、武は分からなかったが、声は嘘がつけない。それに、今は戦争の途中である。声も、純夏の事を心配しているようだ。

 

万全を期すなら、自分が信頼できる人物の元まで送ることだろう。あるいは、この場に残るか。だけどどちらも選択することはできない。金城少佐と、王との約束を忘れるはずもない。赤穂大佐もだ。武は不安がる純夏の肩を持って、樹に向き直った。

 

「純夏を、頼む。大切な幼馴染なんだ。死なせれば…………例え樹でも許さない」

 

「確かに、任された。それでお前はどうするんだ?」

 

「死んだ戦友との約束がある。それに――――」

 

もう、我慢の限界であった。まるで自分の中が焼けてしまっているような。

昂ぶる戦意と、それに匹敵する憎悪のままに。告げると、樹は頷いた。

 

「え、た、タケルちゃん? もしかして………」

 

「すまん、純夏。後は樹についていってくれ。あいつなら信用できる」

 

「でも、タケルちゃんも危ないよ!」

 

「大丈夫だから」

 

武は、ぐずる純夏をまた抱きしめた。触れれば壊れそうな華奢な身体だった。それに、今はこの温もりを感じないとどうにかなりそうだった。いつかとはまるで違う感触で。自分の身体も、あの頃とはまるで違う。

 

――――血で純夏を汚してしまわないか、なんて思うぐらいに、汚してはならない、か弱いものに思えて。故に武は一瞬だけ迷ったが、我慢はできなかった。

抱きしめたまま、落ち着かせるように語りかける。

 

「すぐに帰ってくるさ、約束する」

 

「でも………嘘、ついたもん。何年待っても………手紙も………っ」

 

「あー、悪い。それ言われるとめちゃくちゃ辛え………でも、生きては帰ってきただろ? だからあと数時間だけ待っててくれよ。ほら、少し延長するだけだから」

 

指切りだと、武は小指を立てながら告げる。対する純夏は、それでも納得できなかった。だけど、近くから武の目を見てしまった。奥にある、危うい光を前にしてしまった。

 

得体の知れない何か。だけど、とても悲しそうな、見ているだけで泣きそうになる光を見てしまったのだ。だから迷った挙句に、小さく頷いた。

 

「………うん。でも、約束だから。今度破ったら許さないんだから」

 

「ああ、約束だ………ありがとよ純夏。あと、すまん。こいつに付いて行けば安全だから」

 

告げると、樹に視線を向けた。樹は頷き、任せろと視線だけで言葉を返す。

直後に、白銀武の顔に亀裂が入った。物理的なものではない。

 

だけど、亀裂としか言いようのない変化が訪れた。幼馴染を背に、屋上を走り去る。

階段を疾駆し、入ってきた所より自分の機体の中へと戻った。

 

『………瓦礫の撤去は完了した。いけるか、パリカリ1』

 

『ああ、行ける。待たせたな、ごめん』

 

『1分も遅れてないからいい。だけど………まあ、追求は後かな』

 

今は、約束を。特に質問を浴びせることなく、やることだけを告げる二人に武は感謝を示した。陽炎を立たせて、レーダーを確認する。そして目標のポイントを見定めると、行くべき場所を決めた。

 

それは、最も赤色が多い場所までのルートだ。最終防衛ラインを飛び越えての、激戦地までの最短距離である。最後に、純夏の方を見返した。不安そうな表情。心配させていることは間違いがない。ようやく再会できた相手が死地に向うのだから、当然だろう。戦う術を持たない純夏なら、まあ心配するのは当たり前かもしれない。

 

(そんな、純夏を)

 

笑みのような亀裂が更に深まった。推測の材料は揃っていて、結論を出すのは容易かった。

 

(事もあろうに、利用して)

 

自分を殺すことにメリットはない。その後の純夏に、何ができようものか。だけど、自分は違う。それだけの成果は示してきた。腕も自負している。だから、結論は一つだった。

 

(挙句の果てには――――よりにもよって、俺の目の前で殺そうとしやがったな?)

 

王のように、多くの戦友を殺してきた。より多くが助かる選択肢を選ばなければならないような戦場を。誰かを犠牲にしながら数多の戦場を越えてきた、だから自分には責任があるのだ。それだけの腕があり、また強くあろうとした。実際の所、一対一であれば斯衛の精鋭とて蹴散らせるだけの自負はある。今回の策謀を練った人物は、それを暴走させようと、利用しようとした。

何かを害させようとした。確かにそんな手に出られては、正気を保てる自信などない。

 

辿り着いた誰かの目論見を前に、武は口を歪めた。

 

 

「く、はは」

 

 

喜怒哀楽の内の、2番め。それが極まった時の人間の行動は決まっている。顔を真っ赤にして、怒るか、あるいはどうしようもなく笑うかだ。それは今の武のように。殺意のままに、原因を殺してやると定めて高笑いをするしかなくなる。

 

純夏には見せられないとぎりぎりに保たれていた理性の紐のようなものが、次々に弾け飛んでいく。

 

そして、少年は笑った。胸の中にあるのは、途方も無い質量の怒りと、呆れ混じりの諦観だった。

 

 

(戦った。戦った。戦ったのに――――この仕打かよ)

 

 

王紅葉。願ったのは何か。立派な、信頼すべき。五摂家の、九條も斉御司も。あの言葉に嘘はない。

 

 

「く、か、あ、は、っははは」

 

 

黒と白が入り乱れている。善し悪しが自分を責める。どれが正しいのかさえ、分からなくなる。

そして、思い出した。

 

 

――――いたるところに欺瞞と猫かぶりと人殺しと毒殺と偽りの誓いと裏切りがある。ただひとつの純粋な場所は、汚れなく人間性に宿るわれらの愛だけだ

 

鹿島中尉の言葉は正しい。世界は黒色に満ちている。やるべき事を前にしても、心から協力しあえるはずがない。ならば、愛とはなんだろうか。何を信じれば良いのか。守りたいと思い命がけで戦ったって、認められはしなかった。決して愛されはしないのだ。まるで自分が世界の異物であるかのように、苦難は行列を成してやってくる。

 

あまつさえは、最後の砦を。鑑の家も、純夏も。自分が唯一帰りたいと思える場所さえも汚そうとしてくるのなら。

 

ならば、どうすればいいのか。武は理解し、父さん、母さんと呟いた。

 

 

(自分に、苦境は愛せない)

 

 

だから、世界も。

 

 

「あ、はは――――――ははははは!」

 

 

湧き上がる憎しみのままに、白銀武は最後の理性の紐を引き千切った。そして自分の中にある、黒い黒い何かを――――それを読み取っただけで自分の蟀谷に銃弾を放つしかなくなるような。

 

夜の闇より黒い感情に染められた記憶を、遠ざけていたものを抱きしめた。

 

 

 

――――凶手、と。

 

 

遠く呟き零すような、誰かの声がした。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。