Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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31話 : 篭められたもの_

「………以上が、御堂賢治の企みの全てだ」

 

斑鳩崇継の言葉に、煌武院悠陽は無言になった。声にもせず、言語道断であると全身で示していた。そんな怒りに震える悠陽に、声がかけれられた。

 

「納得できる材料は揃っています。私が現在持っている多くの情報と照らしあわせても、ほぼ間違いないでしょう」

 

「不幸な事にな。その上で問わせてもらいたい」

 

青と赤の軍服の中、一人トレンチコートを着ている男が頷いた。裏で帝都の怪人と恐れられている彼、鎧衣左近のダメ押しの言葉に、悠陽は拳を握りしめた。御堂賢治の目指しているもの。それを決意させた、将軍閣下の選択。否定するために、どういった手段にも出るということも。

 

ただの民間人を利用し、そして戦い続けてきた同い年の少年を利用する策略がある。それを知った彼女の決断は、早かった。自分には役割があり、それを果たす責任がある。五摂家の当主たるものがすべき事は果たしてなんであるのか。自らの半身を犠牲にしていることを常に問われ続けている少女は、子供ではいられなかった。

 

あくまで五摂家が内の一つの家の主であり、権が制限されている政威大将軍すらでもなく――――などという言い訳をするほど、幼くもない。

 

驕らず、しかし騙らず。感情に振り回されることもなく、立場ある者として命令を下した。

 

「命を賭けて戦っている者の覚悟を、汚していい道理などありません。御堂の、彼の者の策は決して――――形に成る前に崩すのが我らの義務でありましょう」

 

鎧衣、と。名前を呼ぶだけの声に、帝都の怪人は頷いた。

 

「了解しました。ですが………越権行為は承知の上でしたが、既に。知り得た情報を元に、打てるだけの手は打っています」

 

帝都の怪人は、鎧衣左近はいつ如何なる命令があっても動けるようにと備えていたのだ。

外務二課の課長である己は煌武院に近く、当然のように御堂の者からマークされている。

 

――――だからこそ裏をかける。諜報の世界にあって二つ名で知られている彼は、当然のように告げた。その内容に、悠陽と崇継は感心の意を示していた。

 

敵に気取られた上でなお、背後を取る。様々な情報を元に相手を踊らせて、その実は持っていく。

 

それが諜報員の最善であることは二人とも理解していた。

 

だが化かし合いとなる諜報の世界においては、言うは易く行うは難しであるのだ。それを苦にもしないとばかりに、左近は告げた。

 

「一撃では、難しいでしょう」

 

しかしこれを足がかりには出来る。悠陽は方法について説明をし、それを行う許可を求める鎧衣に対して、少し考え込んだ後。

 

任せましょうと、頷き。立場ある者としての覚悟を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『く、前の部隊は何をやっている………っ!』

 

最終防衛ラインの只中で、月詠真耶(つくよみまや)は歯噛みしていた。ここ数十分になってから、こちらに雪崩れ込んでくるBETAの総数が目に見えて増えているのだ。戦闘の継続は可能だが、この調子でいけばやがては対処しきれなくなる。斯衛の精鋭も配置され、陸軍や本土防衛軍の戦術機甲部隊や機甲部隊も奮闘してはいる。

 

だが、それだけで万のBETAを潰しきれると思う程に自信過剰ではない。実際、彼女としては今回の戦闘が初陣であるのだ。従姉妹である真那と競い合い磨いてきた技量に疑いはないが、それでも初めて見るBETAの重圧は想定を越えていた。覚悟は終えているはずだった。最悪を何度も想像して、自らを鍛えた。そんな彼女をして、暴虐と実際に事を構えるとなれば一筋の汗も出ようもの。

 

だが、取り乱してはいなかった。想定以上の事態になってはいる、だけどそれがどうしたと言わんばかりの戦意を、長刀に乗せて振るった。刀の重きに逆らわず、刃筋を立てたまま流れるように一閃と二閃。要撃級の頭部が切り飛ばされ、活動を終えた巨躯が壊れた人形のように大地に横たわっていく。その技量に、彼女の実力の裏打ちが見て取れた。

 

『うむ、見事。どうやら暗示も必要ないようだな』

 

『いえ、私などまだまだです』

 

『それは当たり前だ。ワシは志願するだけのものはあると言っているのだよ』

 

『総力戦である。そうおっしゃられたからには私の出来る限りを………この身を以って示すしかありませぬ』

 

正念場であることを、誰もが理解していた。負けた時に失うものを。政威大将軍は総力戦であると周知し、その認識を誰もが疑わなかった。主である悠陽も同じだ。そして真耶は、悠陽様を危険に晒すような真似はできないと自らだけが戦場に立つことを願っていた。

 

『良い覚悟だ、生意気だが言うようになった。ワシも紅蓮のことを笑ってはおられんな』

 

『………神野大佐』

 

神野は真那をまるで初めて立った赤ん坊を前にしているように、喜びながら。なんでもないように、目の前に迫っている要撃級を草のように狩っていった。真耶は自分の幼少時代からすべて知られている相手への複雑な心境になりながらも、目の前の敵に集中した。

 

呼応するように、周囲の斯衛の部隊も戦意を奮わせた。帝都に侵入せんと迫るBETAに対し、鍛えぬかれた武芸を用いて歓迎する。とても初陣の衛士が大半であるとは思えない戦闘力である。大陸で実戦を経験している陸軍や本土防衛軍の衛士は、武家としての存在の頼もしさに喜びながらも驚嘆していた。戦場こそが、我らの在るべき場所である。そう言わんばかりの戦いぶりに、味方の士気は落ちるどころか上がっていった。しかし限界というものは存在する。増えていくBETAの数に、真耶がいよいよ不安を感じた時であった。

 

『本土防衛軍は、陸軍は何をしている! 国連軍の増援も………!』

 

今回の防衛戦でどういった時に対処が必要になるのかは話し込まれていたはずだ。だけど頼みの綱である国連軍は動きが鈍く、米国も琵琶湖周辺の守りで忙しいらしい。見る見る内に北側のBETAがその赤を濃くしていく。

 

いよいよもって危機感を覚えるようになった月詠真耶は、通信の声を聞いた。

 

 

一つ、要塞級が運搬してきた光線級に注意すること。

 

そして、HQより通知は成された。

 

 

――――帝国陸軍と斯衛軍指揮下の混成部隊が、現状の打破に向かっていると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――移動ルート変更! 2時方向に抜ける、俺に続いてくれ!』

 

目的のポイントに向う途中で、王紅葉は考え込んでいた。それは、先頭で飛んでいる少年のことだ。自分が衛士になろうと、そう思わせた存在がいる。最初は、死んだ妹のため。果たして本当に、妹が言ったことは本当だったのか。

 

庇う言葉は真実であったのか。白銀武は真実糞やろうで、王白蓮は勘違いで死んだのではないか。

思いついてからは、もう確認するしかなかった。

 

元帥は言った。対価はある。戦いたいというのなら、その手段はこちらで用意しよう。だが、言っておかなければならないと。元帥と取引した時のこと、紅葉はその言葉を覚えていた。

契約書を前に、フェアに行こうと文章で明記されていない詳細を告げてきた。

 

続く言葉はらしいものだった。一言一句、覚えている。

 

(なんだったか………“言っておくが、彼の行く場所は最上の地獄だ。いや、最低かな? ………宗教上のそれではない。だけど見れば誰もが納得する、地の底だろうな”って言ってたな)

 

生きたまま焼かれるぐらいに、針の上を歩かされるぐらいに。赴く場所は激戦地かワケありの鉄火場だと。押し寄せてくる衝動に対して我慢もせず、なろうと思えばすぐにでも狂うことができるようなどうしようもない底辺の場所である。

脅しではなく真実だと知ったのは、実際に同じ部隊に配属された初日だった。

 

最悪だったのは中途半端に食われた奴の死に様だ。誰かを呼びながら泣く声と、その死に顔(デスマスク)は夢にまで出てきた。

 

だから、分かった。見極めるまでもなかったのだ。紅葉は、初陣に出てしばらくすると分かってしまったのだ。言われるまでもなく、白銀武は白銀武だった。

どれだけ腕が立とうとも、戦場においてはすべてを救えるはずもないのに。死力を尽くしたとしても届かないものは多く、失う度に擦り切れていくのに。誰が、同じ人間が恐怖と絶望のままに死んでいく瞬間なんて見たいものか。得体のしれない異星起源種に捕食される瞬間と、それに恐怖する人間の今わの際の叫びなど耳にするだけでごっそりと正気を持っていかれる。

 

だけど、もっとひどかったはずだ。蟻のように、何倍もある重たいものを背負って途方も無い距離を。自分が見た、あれ以上のものを見てきたことは想像に難くない。東南アジアにおける防衛戦における衛士と、そして一部不手際があった時の歩兵陣地の壊滅も聞いている。

侵攻に対して抗った軍全体の損耗率は酷いものだった。そんな中で、白銀武は、彼の所属する中隊は頼られる存在であった。責任と重圧の中で、死と狂気が雨のように降ってくる。逃れる術などなにもない。戦場で仲間は数あれど、最終的に頼れるのは己自身だからだ。都合の良い時に助けにやって来るものなど、物語の中だけだ。自分が義勇軍として戦った時とおなじように、思い出したくもない戦場が数える以上にあっただろう。

 

(だけど、お前はただの一度たりとも。もう止めるなんて、言い出さなかったよな)

 

日常において少年の顔はいつも暗く、苛立たしくなる程だった。それでも必死に取り繕うとしている事もあった。だけど嘘が下手な少年の行為は、上滑りしたままだった。その上で尚、戦場に在っては突撃前衛たろうとしていた。紅葉にはまるで理解できなかった。

 

暗澹たる子供の顔が、コード991を示す音と共に戦士のそれに切り替わる。まるで別の人格がいるようだった。あるいは、それまでの顔が演じたものであったのか。思いつき、すぐに否定した。演技などあろうはずもないからだ。それだけに繰り返し見てきた性格の切り替わりは生々しく、まるで出来の悪い映画を見せられているようだった。

 

根底にあるものがなんであるのか、理解ができない。頼んでもいないのに、誰かが死ぬ度に彼は怒った。怒って、同時に申し訳なさそうだった。

 

『これ、陽炎………陸軍の………っ!』

 

『前をみろ、橘少尉! 今はこんな少数にかかずらっている状況じゃない!』

 

既に撃墜されている戦術機を踏みつけて進む要撃級、それを視界に収めながらも命令は下された。

歯ぎしりの音を、誰もが聞いていた。

 

そこに篭められているものが何であるのか、紅葉には何となく理解できていた。それは、悔恨だった。裏にあるのは、贖罪だろう。罪を感じているのだ。表には出ないだろう。だけど白銀武は自分が罪人であると信じている。裁かれなければならない。そう思いながら、償いを求めて戦場を流離っているのだ。

 

邪魔をするように、煩い通信が入る。目的をさっき告げたはずなのにだ。当然の行為にも思える。レーダーが示す機体の反応に、斯衛のそれはない。HQかCPであればすべて把握している、司令は認めたがそれでも愚につもつかない喧騒は聞こえた。認めるか認めないかを論争しているのだろう。確認するように、司令ではないと思われる声が聞こえた。

 

『聞こえるか! これは命令違反である。金城少佐が何を言ったのかは知らんが、たかが一衛士がどうして自分の判断で持ち場を離れる!』

 

『必要だからです。不要なら、後方で大人しくしていました』

 

『貴様………多少腕が立つとはいえ、そこまで増長するか! 別働隊もそのポイントに向かっている、貴様達はすぐ元のポイントに戻れ!』

 

『ああ――――それは良かった』

 

心底、疑いもなく。武は安心したように言った。

 

『これで可能性が増えた。位置からして自分達の方が近いと思いますが………万が一こちらが全滅した時には頼みます』

 

反論が来ると思っていた通信先の将校は、声をつまらせた。

安堵の声と、善意の提案。その勢いのまま、武は告げた。

 

『成功した時には、そのまま本土防衛軍が成功させたと言って下さい』

 

『な、にを言っている? 貴様、もしや錯乱を――――』

 

『誰がやったかなんてどうでも良いんです。対処は早い方がいい。成功の可能性は高い方が良い。成功した効果は、士気は上がる方が良い』

 

武がしているのは、最善の話であった。手は多い方が良く、その後の展開も被害が少なくなる方が良い。帝国軍が窮地を打破したとなれば、味方である帝国軍の士気は上がるあろう。総合的に考えた上での提案だった。

 

『戦争の話をしています、参謀殿。そして私達の敵は一つであります』

 

『………その言葉、信じられる保証は』

 

『っ、違えれば俺を殺せばいい! 今はこんなことをやってる場合じゃねえだろ!』

 

我慢も限界だと、武は怒気をもって最後に告げた。

 

『緊急事態だって言ってる、ここで一分迷えば何人が死ぬと思ってんだ! ――――誰を殺すのかは、そっちで選べ!』

 

言うだけ言って、武は通信を閉じた。念を入れて部隊を差し向けてこの部隊を殺すか、回答を迷いそのせいで戦っている何人もを殺すか。好きにしろと毒づいたまま。

 

だが、連れ立っている仲間に対しては、頭を押さえながら通信を飛ばす。

 

『………ごめん。かなり、やっちまった』

 

命令違反に上官侮辱。随伴員とて何らかの形で罪を問われかねない問答だった。

だからと、謝罪をこめて言う。

 

『もしもの時は俺を悪者にしてくれ。でも、今は――――』

 

『ここで選ぶよ。約束を果たしに行こうぜ、中尉殿』

 

英太郎は冗談交じりに敬礼をして、笑った。

小川朔は不敵な笑みを見せながら、小さく拍手をする。

 

『愉快痛快だった。やってる事は銃殺刑なんかじゃ済まないけど』

 

『うっ、勘弁して下さいよ小川中尉』

 

『無理。ていうか、英太郎以上のバカが居るとは思わなかった。でもうん、気に入った。お礼に英太郎を10回殴る権利をあげよう』

 

『………仕方ねえな』

 

『納得するのかよ!』

 

『あとは呼び捨てでいい』

 

ふざける余裕があるとアピールしつつ――――恐らくは場数の少ない一人をリラックスさせている。少し自分の注意が疎かになろうが、誰かが死ぬ可能性を少しでも下げる。全くの馬鹿だ。呆れるほどに馬鹿である。紅葉は信じられなかった。自分のように割り切った決意や、立場と経験から割り切った表面を装う大人とは違うのだ。辛いなら捨てればいい。見たくないもなら目を逸らせばいい。流すことだって必要な作業だと、先任から教えられてきただろうに。

 

なのに我慢もせずに感情を顕にして、銃後の人間であれば当たり前のように誰かの死に悲しむことが出来る。その上で怒るからこそ、しなくてもいい苦労を背負うと、幾度繰り返しても気付きもせずに。

 

王は考えたことがある。償いたいと思うのは、死んでいった味方のためにだろうか。本当の所は分からないが、自分のためだけじゃないとは、低能な軍人だと自負している自分にも容易に察することができた。生きるためにと、忘れていた感情さえ思い出させてくれる。遠い昔に割り切って捨てた自分がいる。諦めと共に選択肢の幅を絞った子供がいた。捨てた過去を思いだす度に情けなくなる。

 

だけど、白銀武と居たらもしかしたらなんて思ってしまう。当然であると人間のままで戦い、そして勝利をもぎ取ってくる。その力強さは尋常でない鍛錬を基に成り立っている。

 

夜に眠れず、だからと体を苛め抜いて夢を見なくなるまで走っていた。その姿を見て、だれが才能に驕り高ぶった子供だと思えようか。誰よりも必死な姿を見た。その上で、どうして戦場から逃げた臆病者だと言えようか。紅葉は分かっていた。自分でさえ感化されてしまう。決して賢くはない事を繰り返す姿に、何も思わない男はいない。

 

馬鹿につける薬はないと思った。こうして感染が拡大して、巻き込まれている自分がいるんだから間違いがない。

 

『進路変更、11時の方向に――――マハディオ、朔に橘少尉は120mmで援護! 前方の戦車級を潰してくれ! 王、黛中尉は俺と一緒に切り込む!』

 

 

声に、王は了解と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弾をケチるなとの言葉の通り、三人からの援護砲撃が行われた。正念場といわんばかりの集中砲火に、戦車級や周囲にいた要撃級が地面の汚い染みになっていく。残存していた敵は、瞬く前に高硬度のカーボンで両断されていく。反撃にと前腕が振り回されていたが、同時に囮役をこなしていた武はまるで後ろが見えているかのように次々に回避していった。

 

倒していく敵の順番も的確で、動かなくなった要撃級が後方から詰めてくる新手の障害になるように計算していた。あくまで限定的な場所においての障害物だが、近接戦闘を行う側からすれば十分なアドバンテージとなる。

 

一対多ではなく、一対一になるように障害物と自機の位置取りを工夫しているのだ。攻撃の前後に隙が生じやすい前衛においては必須の技術とは言えるが、王をして武以上の立ち回りをできる人間は見たことがなかった。

 

派手な機動だけではない。武はこうした地道な技術や突発的事態に対応する小技を、いくつも持っていた。"いざという時"が起きないようにする方法や、もし万が一な状況になっても打破すべく手段を備えている。たかが15の少年であるとは信じられないような普通ではあり得ない引き出しの多さに、英太郎や朔の顔色も変わっていく。

 

それが理解できるだけ、二人共実戦経験が豊富だということであるが。ともあれ、こうした場数の多い指揮官というものは分かり難いが非常に頼りになる。敵味方共に抱えている様々な事象が入り乱れる実戦においては、想定外の事など起こる可能性の方が高い。

 

例えば、そこいらに小規模な群れを形成しながら攻め込んで来ているBETAの隙間を縫って進軍しなければならない今のように、対処する方法を知っている指揮官がいるのといないのでは、生還率が50%は違ってくる。地形と敵規模と配置を把握した上で安全なルートを瞬時に選択し先導してくれる隊長がいるならば、作戦成功と生還できる確率は期待できる程に上がってくる。

 

『戦友達の血と肉に学ぶ、か』

 

『王少尉、それは?』

 

『東南アジアの鬼教官の話だよ』

 

かつてはターラー・ホワイトの信条であったようだが、今では大東亜連合における衛士の心構えとも言えた。その目に刻まれた仲間の死に学べ。

 

『涙、ではないんですね』

 

『泣き崩れてる暇なんてあったら、すぐにでも立って戦いやがれって事だよ橘少尉』

 

武が声を挟んだ。幸いにして、あと30秒は敵はこない。何かを思い出すような表情を、橘はじっと見たまま質問を重ねようとして、口を閉じた。そしてもう一度、改めた言葉で質問をした。

 

『中尉は、泣いたことが無いんですか?』

 

『………そういや、ここ数年は泣いてないなぁ。笑わされて泣かされた事はあるけど』

 

『楽しいことがあったんですか』

 

『ああ。具体的には、どっかの副隊長がフリフリのレースつきの服を着た姿とか見せられてな』

 

どこか遠くを見ながら武は呟き、それを聞いてしまったマハディオは盛大に吹いた。思い出すのは、一度だけ成した偉業。その教訓を重きに置いていた人の模擬戦における撃破。それも開始早々に奇襲を重ねての、だ。

 

その日のブービー賞を取ってしまった者は罰ゲームを受ける決まりがあった。内容を決めたのは含み笑いをした隊長殿。どこからかサイズぴったりの、フリフリのレースつきの服を持ってきた時には世界が静止したかと思った。その後は大騒動である。目の当たりにした隊員達は、全員が時を止められたかのように硬直した。綺麗なので一応は似合っているが――――後はお察しである。明言は避けるが、女性にしては高い身長と年齢が問題だったのだ。

目の当たりにした仲間達は、玉玲とグエンを除いた全員が笑死してしまうのではないかと思うほどに激しく、腹を抱えて地面に転がされた。

膝にくるほどの大爆笑の中で、ターラーの顔は羞恥と憤怒に真っ赤になっていた。

 

『………女性の着ている服を見て笑うのは失礼ですよ。デリカシーがゼロです。あり得ません』

 

『うん、思い知らされた』

 

その後は本当に殺されるかと思うぐらいの訓練を課された武は、身震いしていた。

 

『それはそれとして、前方距離200、まもなく接敵する。あと少しだ、気合を入れろ!』

 

打って変わって軍人のそれとなった声に、全員が自然に了解と返していた。

そんな中で操緒は、どうしてか先ほどまでより敵が弱いように感じていた。

 

だが、相手の編成が厄介だった。光線級こそいないが、小型と中型のBETAが各種入り乱れている。突出してきた突撃級を撃破するのを優先すべきだろうが、飛び越えた後に後頭部を狙うのは上手くない方法だ。回避するのは簡単だが、反転するその他のBETAに背中を晒すことになる。

 

指示は、迅速だった。

 

『各機、一時後退! 突撃級は――――』

 

構えて、狙いを定めて。

 

『すぐに片す』

 

銃撃は40秒ほど続いた。右から左へ流れるような点射が、突撃級の足を抉っていく。突撃級は多脚であるとはいえど、すべてが上手く連動しなければ車以上のスピードを出せるはずもない。

 

バランスを崩して、左右にいる戦車級を巻き込みながら倒れていく。まだ死んではいないが、作戦時間中に最終防衛ラインまで辿り着くことはできないだろう。

 

英太郎と朔の二人は驚き、そして納得した。確かにこの戦術を一定のポイントで集中して行えば、BETA全体の流れを阻害できるだろうと。

 

しかし、時間がない。こうしている内にも、BETAは各種ルートから後方へと抜けていっている。補給基地からいくつかの部隊が増援として送られてきているようだが、その数は一時しのぎにしかならない。多少の戦術機が増えた所で、十分な対処であると言うには程遠いだろう。

 

『………一定数減らした後、強引に突破する。マハディオは俺と、王は橘少尉と!』

 

残りの二人は言うまでもない。赤の層が特別薄くなっている所へ、攻撃を行いながらの強引な突破を試みる。まず、武とマハディオが抜けていく。できる限り目の前の敵を多く蹴散らしながら、それに英太郎と朔が続く。

 

最後に紅葉と操緒が進む。前の4人と同じように、跳躍ユニットを8割程度の出力で吹かしながら捕まる前に一気に低空を飛び抜けるのだ。

 

しかし、その半ばを過ぎた時だった。飛んでいる操緒の機体、撃震の左足が倒れていた要撃級の腕に引っかかった。

 

『く、あっ!?』

 

武が撃破した要撃級だが、運悪く腕が上になるように倒れてしまっていたのだ。掲げるようにあった腕に気づかず、足をひっかけてしまった撃震のバランスが崩れていく。想定の進路から逸れて、小ぶりの木々がある所へ機体が向かってしまう。それをなぎ倒しながら進んでいくが、みるみるうちに機体が横に傾いていき――――

 

『こ、のぉ!』

 

それでも目を閉じていなかった操緒は、間一髪で機体を元の状態に戻すことに成功した。だけど失速することは止められず、そのまま地面へと着地する。減速が不十分な状態の着地ではあったが、ゆるい地盤であった事が幸いし、何とか電磁伸縮炭素帯で吸収できるほどの衝撃だったのだ。

 

しかし、機体が無事とはいえなかった。関節部にいくつかの不具合が生じ、赤の警告まではいかないが、損傷注意の黄色の信号が機体より網膜に投影された。こんな所で、失敗を。悔やんでいる操緒に、通信から声が叫ばれた。

 

『後ろだ、馬鹿野郎!』

 

『え、な、しまっ―――』

 

操緒が声に振り向いて見たのは、迫り来る要撃級が2体だけ。だけど振り向いて攻撃するには、あまりにも接近され過ぎていた。咄嗟に飛び退こうとするも、衝撃のせいか機体の反応が鈍い。振り上げられる腕。迎撃しようにも、突撃砲を構える暇もない。

 

そこに、王が強引に割り込んだ。元にいた場所では、射線が操緒の機体と重なってしまっているから撃つことができない。故に王は、何をも考える前に軽く跳躍してからの攻撃を行った。一射目は間に合い、えぐられた要撃級は攻撃の最後の動作に入る寸前にその活動を停止する。だが、着地した場所が悪かった。

 

跳躍の着地点は二体目の要撃級の間合いのど真ん中だったのだ。第二世代機でも、着地後の機体の硬直はどうしようもない。一方相手は、移動も気にせずにすぐに攻撃に移る事が出来る距離だった。

 

『く――――!』

 

完全な回避も、敵が攻撃する前に迎撃するのも間に合わない。

損傷は免れない、と。怪物的な反射神経を持つ紅葉が選んだのは、防御しつつの回避であった。

 

音を立てて振るわれた前腕が、王がコックピット前に掲げている長刀にぶつかった。大規模な杭打ち機に匹敵するエネルギーで放たれた攻撃が、長刀を砕き、コックピットを掠めながら過ぎ去っていく。しかし、王の機体の両足は既に宙に浮いていた。同時に衝撃から逃げる方向での噴射跳躍は完了していたのだ。

 

大きく飛ばされ、着地した王が見たのは、損傷注意の報告。無傷とはとてもいえなかったが、起動不能という致命的な損傷は免れていた。だけど続々と、通り抜けた場所に残っていたBETAが押し寄せてくる。

 

そこに、声が飛び込んだ。

 

『パリカリ5、フォックス2だ!』

 

『パリカリ6、援護に入る』

 

戻ってきた英太郎と朔は二人を庇うようにして迎撃し、通信を飛ばした。

 

『二人共、行けるか!』

 

『あ、ああ。問題ない』

 

『じゃあさっさとおさらばしようぜ!』

 

英太郎は最後に行き掛けの駄賃にと、120mmをぶちかました。

戦車級を宙にばら撒いくのを背後に、目的のポイントへと機体を奔らせていく。

 

そして、ようやくだった。4機が辿り着いた時、そこではもう先行していた2機により歓迎の宴は始まっていた。

 

山間を縫うようにしてある山道の、川でいえば支流の点にあたる場所はまるでBETAの赤の反応で塗りつぶされたようだった。そんな中で、陽炎とF-18は一歩も退かない。まずは前から順番にと、突撃級の足を36mmで潰していく。一定の距離を離れているBETAは、反応することなく後方へと流れていくが、反応する距離であれば戦術機に擦り寄ってくるのだ。

 

武は自分の位置を調整しつつ、マハディオと共に目的の第一段階を達成しようとしていた。マズルフラッシュと発砲音が響き、その度に足をつんのめらせた猪のように地面へと不様に転がっていく。

 

『これから、実際に見せながら説明する。今はフェイズ1、次は――――』

 

説明している間も、群れの動きは止まらない。しかし、既に武とマハディオ機は突撃級を30は仕留めていた。そうして起きるのは、後方から続々とやってくる新手の停滞だ。普通に走るよりも障害物を越えるか避ける方がスピードが落ちるのは道理。

倒れた突撃級の間を縫うか、合間に仕留めた要撃級の死骸を越えてまた新手は向かって来る、だが。

 

『フェイズ2だ。要撃級をこちらに誘導してくれ!』

 

『―――了解!』

 

意図を理解した操緒達は、群れを抜けてきた要撃級をいなしながら、武機とマハディオ機の周辺に要撃級を誘導していく。一方で二人は、空を飛んでいた。

 

高々度ではない、敵の後方が少し見渡せるといった程度の跳躍である。だけど当然として、光線級の照射の警報がコックピットの中にけたたましく鳴り響く。

 

死の危険を報せる赤の汽笛の中、それでも二人は落ち着いていた。

 

『っ、そこだ!』

 

『左はこっちで受け持つ!』

 

声と共に、跳躍しながらの銃撃が、群れの更に後方にいた突撃級の脚に突き刺さっていく。前列で芋虫のようになっている個体と同じように、地面に縫い付けられるように倒れていった。そうして、着地。通常の光線級の照射が完了する3秒前に、要撃級の影に隠れて照射をやり過ごす。

 

そこから先は繰り返しの作業だった。中距離からの精密射撃が出来ない操緒達は、地面にいる突撃級の対処をしていた。武達より弾数は多くなるが、距離を詰めながら突撃級の前脚を何とかして壊していく。一方で空から後方のBETAを狙う作業には、王が参加していた。

 

『王! 損傷あるけど、行けるのか!』

 

『どうしてか、今は――――驚く程に勘が冴えてるんでな』

 

先ほどの回避行動の時もそうだった、と。王は返事を聞く前に、二人と同じように、跳躍しての射撃に参加する。その言葉に偽りはなく、武と遜色ない早さで後方の突撃級の脚を潰していった。

 

敵中のあちらこちらに亀のように遅くなった突撃級という障害物が発生していく。フェイズ1の時はじんわりとだった後方に流れていくBETAの数の減少も、フェイズ2の予定の半ばを過ぎた時には目に見える数で減少していった。

 

『でも………もう一方の援軍はこない、か』

 

帝国軍が向かわせたという援軍は、一向にやってくる気配を見せなかった。

少なくとも自機が捕捉できる範囲内では、迎撃の部隊のみで、こちらに向かって来る部隊は皆無だ。

 

『あわよくば、って思ってたけど』

 

『何か不具合でもあるのか?』

 

『フェイズ3の話だ。ほら、あそこ』

 

武は現場に辿り着いてから気づいたのだが、山道の左にある一部は以前の台風のせいだろうか、擁壁の部分が崩れているように見えた。あそこに突撃砲を集中すれば、山崩れが起こせるだろう。

道のすべてを塞ぐということも無さそうなので、敵の流れを停滞させるのにはうってつけだった。側道から迂回しようとしても、BETAの大重量に耐え切れるような場所は存在しない。乗った瞬間に地盤が崩れて、更なる敵の停滞を促せる可能性は高い。そして、別の問題もあった。

 

『くそ、マジかよ!』

 

『どうした、不具合か!?』

 

『ああ、ここに来て、この―――!』

 

武の機体だが、フレームの芯から両腕部の歪みがまずいレベルになってしまったせいか、照準の精度がかなり低下し始めていた。原因は、先の窮地を打破した時の連続しての急激な機動か、あるいは光線級に対応した時の無茶な機動によるものだろう。見た目を派手にして士気を向上させるか、新人たちの恐慌を防ぐ意味合いからそうする必要があった。

 

とはいえ、こうした時に要らぬ負担になってしまうのは完全に予想外だった。今でも敵の流入する数は減らせているだろうが、不足といえば不足だ。想定していたものの半分しか達成できていない。

 

『残弾も少ないな。突破の時に撃ち過ぎたか』

 

『くそ、どうする?!』

 

『こっちも、燃料が………戻るのを選択肢に入れるならそろそろ限界だぜ!』

 

どうしたものか、と。考え始めた武とマハディオに、声がかけられた。

コックピット部がやや損傷しているF-18、ホーネットに乗っている王紅葉からの言葉だった。

 

『俺に、良い考えがある』

 

戦いながら、対策案が5人に話された。ひと通り聞いた武は、何を言い返す前に飲み込んで理解するに努めた。そうして、出た結論は悪くないというものだった。

余裕など欠片も存在しないこの状況下においては、それ以外に無いように思える程度には。

 

『だけど…………できるのか?』

 

『さっきも言ったが、今日は調子がいいんでな。9割9分失敗しないだろうよ』

 

『………でも』

 

『全員で残るのは無意味だ。そこの3人は言うに及ばず。マハディオもお前も、まだまだやることがあるだろう』

 

指揮権を譲られたとはいえ、黛英太郎と小川朔は本土防衛軍所属の、いわば借りている立場になる。

橘操緒に関しては言わずもがな。だけど、武は気になることがあった。

 

『お前も、まだやる事があるだろう』

 

『俺には――――無いさ。いや、本当にな』

 

出会った時のような、いつかのチンピラ然とした顔ではない。武は戦いながらも、真剣な表情の王をじっと見つめた。そうして、気づいた。王の鼻と、そして耳からも血が流れていることを。

驚き、声にしようとする。だけど王はさせじと、視線だけで武の口を閉じさせた。

 

『………頼む。それにお前も、さっき言っただろうが』

 

誰かを守るために、どちらを殺すのか。脅すでも嘆くでもない、淡々と問いかける声に、武は声も出なくなった。歯ぎしりだけが通信の声になる。

 

そして、告げた。

 

 

『………パリカリ中隊の各機へ。全機、王を残しこの場よりの撤退を開始する』

 

 

武の声に、了解の声が響き。それでいいと、王は満足した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残されたのは一人の死に場所を定めた衛士だった。目の前に広がるは、自分からすべてを奪っていった化物ども。だけどあくまで冷静に、王は奮闘した。撤退に必要な数を残し託された弾薬でもって、突撃級の脚を次々に撃ちぬいていく。

 

停滞した群れの隙間を縫い、時には上空に逃げながら。照射を受ければ、そこいらにいるBETAを壁にした。まるで人間業ではない集中力で、次々に目的である突撃級の機動力だけを奪っていく。

 

そうしている中、撤退途中である操緒より通信が入った。王は迷わず、通信を受け入れた。

 

『王紅葉………最後に聞きたい。鉄大和を、白銀武を見極めると言ったあの言葉は嘘だったんですか』

 

『いや、嘘じゃない。だけど、本当だったというのが正しいか。俺の中では、もう結論は出てたんだよ。それにお前が言うとおり、戦友との約束を果たしたいという気持ちもある』

 

二度と、約束を違えたくはないと答える。操緒はその返答に歯をぎゅっと噛んだ。永遠に守れなかった約束をあの夜に聞いていたからだ。結論が出たとはどういうことか、改めて尋ねた。見極める言葉が過去形であるということ、その結論はなんであるのか。

 

問いかける操緒に対し、王は満足気に笑っていた。要撃級の首を叩き落とし、同時に短刀が割れた。

最後の一振りを片手に振りながら、答える。

 

『あいつは………クラッカー12は、白蓮の言った通りに逃げた訳じゃなかった。詳細は知らない、だけど理屈じゃなくて納得できたよ。だってそうだろう』

 

『なにが、そうなんですか』

 

『今も最前線で戦っている。逃げないで、続けている。英雄というものを俺は見たことがない、だけど本当に居るならばそれは――――』

 

英雄など、お伽話の中だけの存在だ。権威と権力、金銭と虚栄が入り乱れている薄汚れた現実では真実の英雄など生まれる余地などない。

 

だけど、共通の敵を前にしても足並みを揃えられないような誰かとは絶対的に異なる者が。子供のような夢であれ、誰かが理想として望んだままの姿で、人間として人の命の為に戦い続ける者がいるならば。例えば、今も命を選択した事に苦しんでいる15の少年のように。膝を折らず、歯を食いしばりながら戦い続ける者を、人はなんと呼ぶのか

 

『だから、見極めてからも戦い続けた』

 

一緒の戦場で駆けたいと思ったからだった。噂の中でしか知らない英雄の成す業をその目で見続けたかった。共に戦いたかった。お伽話で謳われるように。現実しかないこの世界で、夢のように戦い続けている少年と共に。

 

『ああ、俺は自慢したかったんだ。もしかしたらあの世で会えるかもしれない妹に話してやりたかった』

 

王は左より飛びついてきた戦車級を短刀でなます切りにしながら、呟いた。会えた時の、最初の一言は決まっていた。

 

――――お前が甲斐甲斐しく世話をやいてくれた俺は。

お兄ちゃんは、お前が憧れた英雄と共に戦い、その窮地の一助になって死んだんだと。

 

『貴方は………やはり、命が惜しくはないのですか』

 

『惜しむようなものは持っちゃいない。だから俺は死人さ。何年も前に、あのキャンプの中で死んじまった。ここにいるのは未練のある亡霊だ』

 

『その未練を果たして、妹に会いに行きたいと言うのですか』

 

『そのつもりだ。でも会えないだろうな。俺はきっと地獄行きだろうから』

 

しでかした事の自覚はある、と泣きそうな声だった。

操緒はその言葉に対し、いいえと首を横に振った。

 

『絶対に逢えますよ。だって貴方のお陰で大勢の人が死なずに済みますから』

 

例えば今日の、あるいは戦ってきた今までの。人の命の真実を、単純な数で言い表せるとは思えない。それでもと、自らの願いをこめた上で操緒は言った。

 

『貴方は人を害する以上に、人を救った。彼と共に駆けた戦場の中でも。この最後にも多くの人を助けていたでしょう』

 

私の時と同じように。戦い、守り抜けたものがある筈だ。妹と自分、二人だけであった、二人の世界を、一番に守りたかった国を守れなくても。悪意と共に傷つけた人以上に、BETAに踏み潰されようとしていた人の命を救った。

 

『だから、きっと逢えます………逢えなきゃ嘘ですよ、そんなの』

 

気の強い女の、喧嘩ばかりしていた、ぞんざいに扱っていた女の。

その言葉を聞いた王は、それが信じられず。

 

だけどどうしてか、頬を伝うものを感じていた。

 

『私からは以上です。それでは、さようなら――――ありがとう、王紅葉』

 

『………ああ。さようならだ、橘操緒』

 

御武運を。祈りの言葉を最後に、王は限界が来たのを感じていた。

流れていた涙も変わっていく。概念的な意味ではない。

 

単純な人体の問題であった。もしも身体の健全さを善とするならば。相反する意味に罪と罰があるならば、罰の総決算がやってきたのだ。

 

派手に攻勢をしかけたお陰で、残弾も燃料もほとんど残っていない。だけれどと、自分が提案したことを。敵中入り乱れている所に割り込み、突撃級に仕掛けていくという役割はやり遂げた。

 

あとは、最後の仕上げだ。王は武の機体に秘匿回線で声を飛ばした。

 

 

『………死にぞこないの、どこぞのチンピラより一言がある。聞いてくれるか』

 

聞くか聞かないか、返答する前に王は言った。

 

『俺は母親に捨てられた。物のように。食料の足しになるように、換金される所だった。これ以上は言えない、けど………見たままを信じろ』

 

『………どういう、意味だよ』

 

『何があったのか、俺は知らない。だけど…………腹に一物あるやつは、信じて欲しいと口に出す。言葉は無駄なのにな。そして裁かれたい奴は、言い訳をしない。救えなかったことに罪を感じているお前と同じように』

 

武は、答えなかった。答えず、ただ頷くこともできなかった。意味が分からない。分かっている部分があり、分からない事もあった。母親のことも自分のことも。その情報の出処を問い詰める余裕さえ残っていなかった。頭がぐちゃぐちゃになるような気持ちになっていく。

 

『そして、元帥からの言葉だ』

 

同時に王は、通信に乗せて映像を送った。

 

それは自分の今の顔が映っている。

 

目より、鼻より、口より。大量の血液を流している、凄惨な自分の顔を武に見せた。

 

それを見た少年は、凄惨な映像に重なるものがあると気づいた。

 

―――銀髪の少女。暗い部屋。失ったあの日。

 

武の胸の中を言いようのない不安が襲い、その顔が目に見えて強張っていく。

それを見て、紅葉は告げた。

 

『サーシャ・クズネツォワは生きている。だけど、無事じゃない』

 

『――――な』

 

『救えるのは、お前しか………白銀武しかいないと』

 

一息に告げて、唾と共に血を吐き捨てて、続けた。

 

『真実だと言っていた。そして、本当は思い出しているんだろうと―――――だけど思い出したくない。自分が殺したと、そう思い込んでいるから』

 

王の言葉が武の胸を抉った。不自然な受け答えはいくつもあった。王は嘘が得意だ。だから、嘘が下手な奴の反応の細かな違いは分かっていた。その顔を忘れてはいないはずだ。ただ名前と映像と思い出と。すべてをばらばらにしたままで、認識しようとしていない。元帥の言葉どおりだったと。そして王は自機の跳躍ユニットを暴走させはじめた。

 

カウントダウンが始まる。

 

『だけど、いつまでもそうはしてられない。時間の制限があるんだ。"暁の子が天から落ちる前に。それが、彼女を救える最後の機会になる"だってよ。以上だ』

 

そして、王のF-18が空を舞った。

 

『あと、これは純粋な忠告なんだけどな………大切な人を失うのは、辛いぜ。自分にも世界にも、まるで興味がなくなるぐらいには』

 

だから本当に救いたければ急げ、と。王は言いながらも任務の最後を果たそうとする。

崩れた、土砂をせき止めている擁壁がある場所へと飛び上がり、着地した。

 

『俺からは、以上だ。じゃあな白銀武。お前と一緒に戦えて、嬉しかったよ』

 

『………ああ。ありがとう、王紅葉。お前の事は絶対に忘れない』

 

『わす、れろって言っても、忘れるつもりなんて無いくせにな。絶対になんていつもだろう。まあ、何度言っても、止めようともしないしな』

 

王は仕方ねえなと、文句をいいながら、これ以上なく嬉しそうに。武にも誰にも、それまでは一度も見せなかった、彼自身も妹を失ってから初めてとなる。

 

最後に、ただのどこにでもいる20歳の青年のように爽快な顔で笑った。

 

 

『――――ああ、悔いは無いぜ』

 

 

それが遺言となった。

爆発とほぼ同時に、崩れ落ちていく機体に向けて光線級の双眸よりレーザーが放たれる。

 

二つのエネルギーは崩れかけていた擁壁を完全に蒸発させ、山道の半ばを埋めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………あいつも、逝っちまったな』

 

遠くで爆発音が聞こえて、機体の反応が消えた。それが意味することは一つだ。マハディオは浮かない顔をしているだろう武に通信をつなげた。必要のあることだったと、慰めの言葉をかけようとしたのだ。だが、飛び込んできた映像に声も出なくなるほどに驚いていた。

顔が汗にまみれていたからだ。まるでサウナに入った直後のようで、表情も尋常ではないとひと目見て分かるような色をしていた。

 

『おい………何が』

 

『いや、何でもない。それよりも、この後のことだ』

 

山陰より京都へ流れていくBETAだが、北側のルートに特に集まっていた数は減少し始めている。

道を狭めたことにより、流入してくるBETAの数は少なくなっていくことだろう。

 

抜けて出てくる奴らもいるだろうが、増える数の方が圧倒的に少なくなるはずだ。しかしBETAの総数が減ったわけではない。そして防衛に徹している部隊も無限であるはずがないのだ。

中盤以降はめっきり減っていた機甲部隊も、今では補給をおおよそは済ませている事だろう。

だけど、前線を支える戦術機甲部隊はその限りではないはずだ。

 

長期戦においては体力もそうだが、集中力の低下と、それに付随する士気の低下をどうにかする必要がある。戦術機の操縦は細やかで、短時間であれば持っている力を発揮できるだろうが、時間が経過するにつれてその精度は落ちていく。集中力に関しては、単純な体力の増強だけで片付く問題ではない。操縦者たる衛士自身の精神の疲労など、精神修養や実体験による慣れがないと、どうしようもないのだ。

 

『………確かに、自分でも操縦が雑になっているとは思いますが』

 

『指摘されて気づくようなら大したもんだ。戦っている最中じゃあ、気づく余裕もないからな』

 

操緒の言葉に、マハディオが答えた。通常であればやらないようなポカミスともいえるちょっとした失敗が増えるのは必然だ。問題は、それが死に直結してしまう場合があるということ。そして仲間の死が多くなれば、士気の低下は免れない。

 

『どうにか、士気向上の手段があれば別なんだけどな』

 

気の昂ぶりは多少の自分の疲労をも誤魔化せる場合がある。

原始的なことだが、気合と根性をフル回転させれば、多少のミスなどカバーしあえるのだ。

 

『………どうにでもするさ。王の死、無駄にするわけには――――!?』

 

武は答えようとして、言葉を失った。前方にある最初に配置された場所だが、そこで迎撃戦を仕掛けている中隊があったのだ。恐らくは先に寄越されたという援軍だろう。だけど、問題はそこではなかった。

 

機体種別、試製98式戦術歩行戦闘機、武御雷。

 

そして急ぎ前進し、飛び込んできた映像に目を見張った。

 

『青………ということは、TYPE-98XR』

 

『嘘、まさか………!?』

 

激しい反応を示したのは、朔だった。元は武家であるという彼女は、その青の試製98式と、随伴する赤の瑞鶴の立ち回りを見て確信する。

 

『"九條の烈火"…………!?』

 

本来であれば、縁者でも乗せているだろうと思う。当主自らなど、ほぼあり得ないからだ。だけどそんな理屈を吹き飛ばす振る舞いは、朔もよく知っていた。五摂家が九條家の当主。そして才ある武人として知られている二人だろう。

 

そうして入ってきた通信に、武は驚いた。

 

『よくぞ戻った。其方達がベトナム義勇軍だな?』

 

以前に出会った二人とは明らかに違う。感情を隠そうともしない、満面の笑みで赤い髪を持つ整った美貌を持つ女性は、告げた。

 

『九條炯子だ。ブレイズ中隊が衛士に頼まれ、援軍に参った次第である。肝心の其方達はおらず、留守番になったがな』

 

 

不満や文句など一切ないと思わされるように。

 

ただの戦友に向けたもののように、快活な声で笑う彼女に、誰も言葉を返すことができなかった。

 

 

 

 

 

 


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