Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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28話 : それぞれの旅の途中で_

「全く………何で私があんな奴を」

 

小声で愚痴りながら廊下を歩く。それを聞かれたとしても、反応するような余裕があるような者は今のこの基地には居ないだろうけど。嵐山の補給基地は、先のBETA侵攻の報を受けてから蜂の巣をつっついたような騒ぎになっていた。10に倍する敵が攻めてくるのだから、当たり前だろう。その大群がやってくるのは、推定で3日後とのこと。直接先頭に立って戦う兵士も裏方も、その迎撃準備で追われに追われている。

 

そう、それは私達衛士だって変わらない。先の防衛戦により敵の侵攻予想ルートを割り出し、現保有戦力でどのような陣形を組み待ち構えるかの演習を行なっていたのだ。斯衛との混成部隊となる私達と、新しく配属されてきた篁少尉達と同期である斯衛の新人達は、中継点における撃ち漏らしの殲滅だった。前に配置されている部隊の潰し残しを一掃する役割だ。他の部隊よりもやや後方ではあるが、その責任は決して軽いものではない。帝国のため、万全の態勢で挑むべきなのである。そう、万全だ。一欠片の瑕疵さえも許されてはならない。

 

――――なのに前衛の一人である王紅葉は、今日も遅刻をしていた。同室である鉄中尉とバドル中尉も朝に起こしたらしいが、また二度寝をしてしまったのかどうか、決められていた時間になっても集合場所である部屋に来なかった。起こして来てほしいとバドル中尉が頼んだ相手が、私こと橘操緒だった。理由はうかがい知れた。

 

まず、鉄中尉は先日に斑鳩大佐の屋敷に行った後、目に見えて様子が変わっていた。風守少佐も同様の様子で、勘違いかもしれないが時折り互いの事を見ては警戒の視線を顕にしているように見えた。だけど敵意といった刺のないもので、そこが不思議だった。そして鉄中尉はバドル中尉に対しても、少し距離を置くようになっていた。

 

隠し事でも露見したのだろうか。私見だけど、少し前には親友もかくやという感じだった距離感が、今は少し遠のいているように思えた。斯衛の5人の中でも、少し不協和音があるらしい。

 

篁少尉と山城少尉は鉄中尉に対して戦術機動などをよく質問していたが、初陣の後に他の3人がその行為をそれとなく止めるようになっていたのだ。向上心豊かというか、成長に貪欲である2人は何故と聞き返して。対する石見少尉達は、明確な答えを口にしない。

 

何となく理由は分かる。というよりも、客観的な視点に徹すれば理解はできよう。

だって、鉄大和は本当に怪しい人物なのだ。口が悪いかもしれないが、全ての点において義勇軍といった正規軍でない場所に留まっているような人物ではない。発言にしても、一々に指摘したくなる所がある。まるで日本人のような、日本人としか思えないような言葉を吐く時がある。

 

良家のお嬢様的な立場にもある石見少尉達もそれを怪しみ、深入りしないようにと思ってしまう程の警戒心はあるのだろう。戦闘中は後催眠暗示の影響もあってか、上官である中尉の言葉に頷くようになっていた。しかし戦闘が終わった後は、素に戻ったのか、あるいは暗示下における自分と普段の自分との自己認識にずれでも起きたのか、鉄中尉やバドル中尉に対して警戒心を抱くようになっていた。鹿島中尉と樫根少尉はそのフォローに追われている。

 

私だってそうだ。まさか、たった一戦で隊内がここまでバラバラになるとは思ってもいなかった。

 

………だけど、所詮は、立場が異なる者が集まった部隊だ。ばらばらになるのが当たり前だと言われればそうであり、こうなるのも必然であったのかもしれない。同じ日本人だけが集まった部隊でさえ、ウマが合わなければ纏まらないのだ。自分が前に居た部隊が、解散になったように。

 

それを考えれば、かのクラッカー中隊というのは本当に変な部隊であった事が分かる。風習や思想、嗜好や立場が1つ異なればそれは薄くとも確かな隔たりとなるのだ。それを幾重にも何箇所にもあったあの部隊、だけれども何より売りとしていたのは"部隊全体の連携"だったという。

 

タンガイルよりしばらく後の作戦での働きは語り草になっている。曰く、戦場全域遊撃部隊。特にタンガイル戦で突撃陣形のまま町まで一直線に駆け抜けた時のことは語り草になっているらしい。以前に陸軍の、父の知り合いでもある尾花大尉から聞いた事だ。

 

―――――立場、思想の違いなく。肌も髪も瞳もなく。

彼ら彼女は、ただBETAを貫く一振りの槍となって。

 

少しお酒が入っていたようだから、大げさな言葉を選んでいたようだけど。そうであるに決まっていた。しがらみも何もなく、部隊が1つになって動くなど、あり得ないのだ。以前に居た部隊でも、彼らの偉業に関しては運が良かっただけだと言う人達が多かった。特に部隊を指揮する者達にとっては、夢物語であったようだ。あの時は同意しなかったけど、今ならば分かるかもしれない。

 

そう、ノックをして、ドアを開けて、ベッドの上でまだ横たわっている中国人を見た私にとっては。

 

「………王少尉」

 

怒りを押し殺して話しかける。だけど返ってきたのは、うめき声だけだった。風邪を引いている時のような、苦しそうな声。私は、更に増した怒りを外に出すように、深くため息をついた。

体調管理もできないこんな男が、どうして精鋭揃いであった義勇軍などに。内心の苛立ちはあるが、今はそれよりも起こさなければならない。

 

とはいえ、恐らくはノルアドレナリンが常時の5割増になっているだろう私が温厚に覚醒を促す、などと出来るはずがない。憎しみに少しばかりの悪意を添えて。だけどはしたなさを出さないように、寝坊屋の中国人の上に枕をそっと落とした。

 

ぽふ、という音と共に起きて下さいとの呼びかけ。それなりの衝撃はあったと思うが、反応は全くといっていい程に無かった。

 

その瞬間、私の心の辞書からはしたないと言われない程度に、という言葉が削除された。

同室の者であろう、落ちた枕を拾って振りかぶって第二球。

 

「起床!」

 

全力のオーバースローは目測あやまり、身体を大きくそれて王少尉の横顔に直撃した。

ばふ、という音が部屋に響き、声と衝撃に驚いた愚か者が身体を起こした。

 

「少尉。今、何時だと思ってるんですか」

 

内心の動揺を悟られないように、問いかける。しかし文字通り叩き起こされたばかりの寝坊屋の瞳には、意志というものが感じられなかった。そうして、どこかに消えていた焦点が時間と共に定まって行き、ようやく色になった瞬間に彼の口が開いた。

 

「――――白蓮(パイレン)?」

 

「………誰ですか、それは」

 

橘ですよ、と少しずれた眼鏡の位置を正す。だけど内心には、枕を頭にぶつけてしまった時とは別口の、漣のような動揺が広がっていった。名前に対してのことではない。その時の彼の顔が、あまりに幼すぎたからだ。どこか小さく残念な無頼臭が漂う常のようなそれではなく、まるで何も知らない訓練生のような。だけどすぐに収まり、王紅葉の顔はいつものそれに戻っていった。

 

その後は、急ぎ集合。王が少佐や中尉から叱咤された後に、予定通りのブリーフィングが行われた。

スクリーンに映しだされた映像と、自分たちの役割の説明がされている。私はそれを真剣に聞きつつも、横目で王の顔を観察していた。覇気のない顔。それは、光州から帰還し、最初に見えた時とは明らかに違い、以前の侵攻から変わっていない様子だ。

 

何か、重たいものが抜けでてしまったような。役目を終えた老犬のようにも見える。だからこそ腹がたった。前回とは比ではない数のBETAが攻めてくる非常時だというのに、今まで以上に真剣に物事に当たるべきだろう。一丸となることで互いに奮起しあい、士気を高めるべきだ。なのに、王の変わらない様子は苛立たしい以外の何の感情も沸かせてこない。今朝の寝坊の件もそうである。

軍において遅刻は厳罰に処されるものなのだ。それは戦術が時間による影響を著しく受けるからである。もし合流時間に遅れてしまい、目的地に辿り着く前に奇襲でも受ければ、小規模戦力のまま各個に撃破されることになってしまう。だからブリーフィングが終わった後に、王に注意をすべきであると思い彼を追いかけた。集まった人並みを掻き分け、足早に去っていく王の後を追って歩く。

 

注意をしなければならない。それに私は、今朝の様子が気になっていた。

 

この後は自機の整備状況のチェックと、着座周りにおける再調整をする時間のはずだ。だけど目の前、10m先を歩く男は、ハンガーの自分の機体がある所を抜けて外へと出て行ってしまった。

そうして、追っていた人物は基地の外にある見晴台の壁に背を預けて座った。

すかさず追いつき、話しかける。だけど返ってきたのは、なんとも言えない表情だった。

 

「………何のようだ」

 

「サボっている人がそれをいいますか」

 

爆発しそうになる怒りの感情を抑えながら話しかける。すると、そこで気がついた。王少尉の顔色だが、今朝に比べれば青白く見えたのだ。体調でも悪いんだろうか。聞いてみるが、返ってきたのはなんともいえないという表情だった。あるいは、鉄中尉と同じように戦場での凄惨な光景でも夢に見たのだろう。

 

「と、ひょっとして知り合いの夢でも見ましたか」

 

白蓮、だったか。聞いてみると、王少尉はバツの悪そうな顔をした。どれだけ挑発したとしても意に介さず、バドル中尉に何を言われようとも飄々とした態度を崩さなかったのに。しばらくして、ため息をついた後に彼は言った。

 

「………妹だ」

 

「妹さん、ですか」

 

「妹だった、という方が正しいか」

 

もう、死んだから。

彼は何でもないように立ち上がり、硬直している私の横を抜けてハンガーへと戻っていった。

 

その日の夜。就寝の時間になっても、私は全然寝つけなかった。原因は王紅葉の言葉にあった。

突然に聞いた妹の存在と、それが故人であるということ。彼は何ともないという風を装ってはいたが、何か特別な思い入れがある名前であることは分かった。

そのような反応は初めてだった。あの時より、ずっと見てきたから分かる。

 

あの時とは王紅葉は私の敵であると決めた時だ。私には今でも忘れられない言葉があった。まだ、前衛の事について言い争いをしていた、この基地に来る前の話である。風花や九十九中尉が原因で本土防衛軍と揉めて、その相手と模擬戦を行う際に私はあの男と賭けをした。

 

どちらがより多く活躍できるかという、その勝負は私の惨敗に終わった。

 

それはいい。良くないのだが、最悪が次の瞬間には待っていたから。

 

みっともなくも落ち込んでいる私に、あの男は優しい言葉をかけたのだ。

 

―――――その瞳の中に、欠片も私を映さないままに。

 

私の生家、橘の家はかなりの名家である。武家ではないにしろ、家格でいえば白の下級の武家に匹敵するぐらいのものはある。父、橘義春は帝国陸軍の高級軍人であり、同じ陸軍は当然として、中国地方に駐留する本土防衛軍や海軍にも顔が広かった。幼少の頃より多くの人間と接してきたし、彼らもまた私のことを、橘少将の娘として見ていたように思う。学校に入ってからも、私は父の名に恥じないように努力はしたし、そんな私を取り巻く人間は大勢いた。

 

だからこそ、最初は理解できなかった。正面にありながらも、まるで私を見ていない。どこぞの塵芥であるかのように、橘操緒という人間を完全に無視し、見ようともしていなかった。

人をその目に映しておらず。私は、その上で利用しようという存在があるとは思っていなかったのだ。彼が見ているのは、鉄中尉だけ。その五感、全てをもって彼を観察しているようだった。

 

理解した瞬間、私は屈辱に震えた。まるで人を物かのように、何かをするための道具として扱ってくる人間に対して怒りを覚えない者はいない。そんな男に衛士として負けているのが悔しかった。だからそれから先は、鉄中尉の事を必死に観察した。

 

見たこともない技量。そして戦術機やBETAの知識は、今までに出会った誰に比べても頭二つは抜けている程だったからだ。観察し、盗める所は盗む。質問をすれば答えてくれるのは助かった。

 

そうして成長していく中、だけど王紅葉はその力を落としていった。同時に観察していた私だからこそ分かるのだが、かつては義勇軍の両中尉をも越えていた身体能力は、今では格段に落ちていた。

2人に比べて体力が無い方だと言っていたし、積み重なった疲労によるものだろう。寝坊も、妹の名前を呼んだ事もそのせいかもしれない。

 

だからといって、敵の認定を取り消すことはないが。だけど、どうしてかあの毒気の抜けた顔が頭から消えてくれない。このままでは眠れないと判断し、少し夜風に当たりに行くことにした。

 

場所は、昼に行った見晴台の所で――――そこに、王紅葉は居た。暗いせいで最初は誰か分からなく、悲鳴を上げる所だった。全く動かない彼は、壁にもたれかかり、ただ夜の空をじっと見つめている。今日は曇りだからだろう、夜空に瞬いている光はほとんど無かった。

 

そこまで考えた時に、彼の顔がこちらを見た。そして見るなり、嫌そうな顔をする。

 

「橘少尉か………なんだ、夜更かしでも注意しにきたか」

 

「まさか。そこまで制限しませんよ」

 

私は貴方の母親なんかじゃないですから。そう言うと、彼はきょとんとした。

 

「母親ってそういうものなのか?」

 

「ええ、そうですが」

 

今は東京に疎開している私の母親は、それはもう口うるさかった。規律に特に厳しく、小学生の頃は夜更かしなんてしようものなら正座させられた挙句に、寝不足になるぐらい滾々と怒られたものだ。母の思い出を理由に肯定を返すと、彼は妹のようなものかとぼそり呟いた。その顔は、また見たことのないもので。だけど視線はまた夜空に向けられた。仮にも同じ部隊の人間を前に完全無視を選択するとは、相も変わらず苛立たしい男だ。

 

私は部屋に戻ろうかと思ったが、ここに来た理由を思い出してしまったので、この場に残ることにした。どうせ戻ったって、眠れるはずがないのだ。壁にもたれかかり、彼と同じように星の無い夜空を見上げる。無言のまま時間が過ぎていく。そして私は5分で飽きた。星が見えていればまた別だろうけど、何も見えない黒を眺めていても退屈が積み上がっていくだけなのだ。

 

だから、何となく。本当に何となくだけど、質問してみた。

 

「王白蓮さん、ですか。亡くられたという妹さんは」

 

「………そうだ。俺が軍に入る前に、死んだ」

 

ぽつ、ぽつと語る。黒髪で、小柄で。足も短く、でも兄の贔屓目なしで、それなりに可愛くて。私の言葉を無視せずに、妹に対する所感などを語っている。どうしてか、目の前の男にとって自分の妹の話は無視できない類のもののようだ。私はそこではっと気づき、口を閉ざした。

故人を、しかも死んだ家族の事を尋ねるのが傷口を抉る行為である。

だけど彼は通り雨のようにまたぽつ、ぽつと語り始めた。

 

「俺たちは、難民キャンプに居てな。あいつはそこで死んだ」

 

糞溜めみたいな場所で、ウジ虫のような生活をしていたらしい。どうしてそうなったのか。質問をすると、話は生まれ故郷から逃げる所まで遡った。それはボパール・ハイヴが建設されて間もなくの頃だったらしい。

更に東進を続けるBETAの足音に、侵攻予測経路の上に居る民間人は選択を迫られたという。

 

すなわち、故郷を捨てて安全な場所に逃げるか否か。

 

「選択したのは、ご両親ですか?」

 

「俺を生んだ奴らなら、5歳の頃にはもう出て行ったよ」

 

父は事故で死に、母親は男と一緒に香港へと逃げていったらしい。残されたのは、小さな自分と、自分よりも更に幼い妹だけ。自分たちの面倒を見たのは、その時の村の長より頼まれたという母の妹だった。だけど、内容は酷いものだった。必要最小限、生きていくにぎりぎりな所だけ。

綱渡りをするような、眠ったまま飢えて死ぬか、腹の音と共に朝日を拝むかという日々が続いた。

そんな2人は、村より出て行く事を選択した。先に西の方から逃げてきた、遠くの町の人間の言葉を聞いたからでもあるらしい。

 

「なんだっかな…………地響きのような、大群が攻めてくる足音、粉塵か。詳しい内容はもう忘れちまったけど、その時は恐ろしくて仕方のないぐらい怖い話だと思った」

 

「だから、逃げようと?」

 

「"ちょうど"、な。移動に便利が足が手に入った事もあった」

 

遠くを見る目に、濁りが入ったような気がした。そして、その後は食料を積んでの逃亡の旅の日々のこと。叔母を運転手に、なけなしの全財産で食料を買った上での移動が始まった。

とはいっても、必要分には到底足りず。車も途中で壊れて、道すがらに鼠を捕まえては日々の糧にするという過酷にも程がある旅だったらしい。

 

「だからって立ち止まることも、戻ることもできなかった。実物を見た事が無いからだろうな。具体的な形が分からないから余計に………BETAという存在が途方もなく恐ろしいものだって思ってた」

 

戻れば、あるいは足を止めてしまえば自分達は形のない大きく黒い影に、生きたまま丸呑みにされてしまう。背後より迫る恐怖に、息を切らせながら歩く日々が続いた。彼は唯一の味方だった妹の手を引っ張りながら、必死で歩き続けた。成人もしていない子供が、飢えの中で背後からの恐怖を感じつつ、あの大きい大陸を歩き続ける。

それは一体、どんな苦境だったのだろう。しかし彼は、よくある話だと言った。

 

「東の町から、更にその東の村から逃亡してくる奴らを多く見た。安全な所に逃げようって奴らは地元に大した資産もない貧乏人ばかりだ。万全の準備なんて得られるはずもない」

 

だけど、逃げるより生き延びる他はなく。彼は途中でもうだめと足を止める度に、激励の言葉をかけ続けたという。最後には、背負ったまま歩き続けた。足の豆が潰れても、大丈夫だと言い張って妹を励まし続けた。立派な兄の姿だと思う。目の前の男とは、どうしても重ならないけれど。

 

どう繕ってもチンピラ風味の男にしか見えなかったし、言動も軍人としては底辺スレスレ。それが私にとっての王紅葉のイメージだった。だから、問いかけた。

 

自分可愛さに、妹を見捨てようとは思わなかったのか。彼はゆっくりと首を横に振った。

 

「俺にはあいつしか居なかった。あいつには、俺しかいなかった。だから………手を握り合うしかなかった」

 

飢える日々の中、大人達に訴えても何も与えてはくれない。

叔母に言った所で改善するのは雀の涙ほど。極限状態の中で、互いに信じられるのは相手だけになっていったという。それは戦友という関係にも似ていた。死なないように、励まし合いながら毎日の夜を越える。見捨てるということは、自殺と等号で結ばれていると認識していたらしい。そうして、目的地に着いた時は涙さえ溢れたという。

 

だけど、苦難を越えて辿り着いた地は、楽園というには程遠かった。

 

「町についたその夜に分かったよ。どうしてあのババァが俺たちを見捨てなかったのか、その理由を理解させられた」

 

紅葉は旅立つその前から、自分の叔母の事を欠片も信用していなかった。

だから旅の間も、終わってからもずっと警戒していた。

だからこそ気づけたのだという。叔母と母が自分達を売って、金にしようとしていた事に。

 

「人身、売買? いや、しかし………よりにもよって保護者が子供を売るのか!?」

 

「よりにもよってって、当たり前だろ。保護者じゃなかったら、安全に売れねえだろうが」

 

人攫いはリスクがある。親や知人がいれば、報復を受ける。無くても、警邏に見つかれば重犯罪者として連れて行かれてそれっきりだという。子供が親以外の人間に攫われた時に暴れる可能性は高いという。親以外は信用するなと教育されているからだ。

 

結局は自分の子供を騙して換金するのが最も安全な方法だと、当たり前のように言う。そんな、常識を語るような口調に私は言葉も出なかった。あの頃の香港なら、特に珍しい話ではないからだろうか。叔母は町に居る自分の姉、つまりは2人の母親と手紙で連絡を取り合い、生活費とするために2人を町に連れて行くつもりだった。

 

だけど彼は気づいた。当座の宿の部屋に置いていた叔母の荷物を持ち逃げし、妹を連れて治安維持に当たっていた軍の人間に有ること無いことを含めて訴えた。そして、人生で最初の大当たりだったらしい。何がどうして大当たりかと、不思議な顔をする私に彼は苦笑した。

 

「まともな人が対応してくれて助かったって話だよ。当時のあそこはかなり末期的な状態だったからな。密かにあの糞ババァに連絡して、仲介料をせしめようって奴が居てもおかしくないぐらいには」

 

軍人の風上にも置けない。そう言うが、実際にそういう事件があったとも言う。そして叔母と母と、男は監獄に。実際は銃殺っぽいがな、と言う彼の声には何の感情も含まれていなかった。その後は、兄妹2人の生活。だけど村に居た頃より多少はマシになったらしい。賃金は底辺も底辺だが、働く口はあった。辛くてキツくて疲れる仕事ではあるが、サボらなければ飢えて死ぬこともない。

 

極限よりは、一歩マシな状態での香港の生活が続く。そして町の人々は、徐々に迫ってくるBETAの恐怖に怯えていたという。やがて、必然のように限界が訪れた。王紅葉と王白蓮の兄妹は、1993年に重慶ハイヴが建設される前に船でベトナムの方へ避難したらしい。

 

だけど、安住の地ではない。亜大陸は当時の想像以上に戦線をもたせたらしいが。

 

「防衛し続けて10年、だからな………時に橘少尉。亜大陸の国連軍が10年も侵攻を食い止めることができた理由は分かるか?」

 

「推測程度だけど………カシュガルからボパールへと移動するBETAの数が少なかったからでしょう」

 

「そうだけど、違う。亜大陸の中央にボパールハイヴが出来てから四年間も戦い続けられたのは、定期的にハイヴ周辺のBETAを削っていたからだ」

 

もう一つ、亜大陸に近いハイヴも。1984年にボパールの西、中東に作られたアンバールハイヴに対しても、抵抗できる戦力が居たという。亜大陸の国連軍と同じように、侵攻とは違い能動的に動かずハイヴ周辺を彷徨いているBETAを戦術機甲部隊で潰すことを幾度となく行なっていた。

 

BETAがその侵攻の範囲を広める時には必ず、大規模戦力での猛進があったという。暴力的な数に対処しきれない軍が叩き潰されて、その屍を踏破したBETAが自らの占領区域を広げるのだ。それを未然に防ぐためにハイヴへと遠征が可能な距離で基地を作って、BETAを間引きしていた。だからこそ、4年もの間を耐えることができたといい、その意見には一理も二理もあった。ベトナムに居た2人も、このままこの国に住み続けられればと考えていた。

 

「それが出来なくなったのが、1994年。亜大陸から軍が撤退したと聞かされた時には、ベトナムの商人の半数がシンガポールかマレーシアに逃げていったな」

 

その後、機に敏い商人の予想どおりにBETAは加速度的にその勢いを増していった。ニュースや情報誌、ベトナムにも居た治安維持に当たる軍人の顔にも全てに暗い影が増していく。だけど同時に、戦線を越えて噂される部隊の話も出回っていた。ダッカ防衛戦崩壊の切っ掛けとも言われている、タンガイルの悲劇。その中で戦い抜いた、なんとも異様な部隊の話を聞いたのは、その時が初めてだった。

 

インド洋方面の国連軍。

当時は第一機甲連隊、第二大隊、第一中隊の、コールサインは"クラッカー"。

 

俗称を、国境なき衛士中隊(eleven fire crackers)

 

「英雄中隊の登場だ。どこに行ってもその名前を聞いた」

 

日本ではまだ噂にすらなっていなかったが、BETAの脅威に怯える人達の中では相当に暖かい話題になっていたらしい。英雄的行動に、図抜けた成果を出し続ける、戦術機という見た目にも映える兵器を扱う部隊。理由は分からないが、民間人の間にもそれなりの情報が流れていったらしい。そして呼応するように、活躍の幅を広げていった。

 

「また特徴があるような面子だったからな。二つ名なんて、今でもソラで言える」

 

グレートブリテンの七英雄を知った誰かが、対抗するかのように流布したらしい。黒い闇を払う英雄。民よりいでて民を守る、11人の異国の戦士達。まるでどこぞのアーティストのように崇められていた。

 

その名を、"使役者"、"鉄拳"、"銀精"、"剣燐" を指してクラッカー1から4。

 

"懐剣"、"金法"、"鬼面"、"錫姫" を指してクラッカー5から8。

 

私はこっ恥ずかしい名前だと言うが、王紅葉は格好良いじゃないかと言う。

だけど、私も何度か聞いたことはあった。

 

「残りは前衛で、確か………"火弾"、"突撃砲兵"、"舟歌"」

 

「そして、"一番星"だな」

 

「………それでは12人になってしまうのですが?」

 

クラッカーズは全員で11人。elevenとあるように、11人が全員のはずだ。まさか英語も話せるのに、間違えるはずがあるまい。冗談を言っているのかと思ったが、彼の顔には一切の嘘は含まれていないように見えた。

 

「………白蓮が特に好きだった衛士が居る。似合わねーのに、どこぞの乙女かってぐらいに目を輝かして、うわさ話を延々と聞かされたからには忘れられねえ」

 

日本に伝わっている話とは違った。ハイヴ攻略時には大東亜連合軍であった中隊の衛士は、12人。コマンドポストを入れて、13人。その残り一人の衛士は、第一機甲連隊第一大隊第一中隊第一小隊、つまりはクラッカー中隊の突撃前衛長だった。

 

別名を"火ノ先"、あるいは"銀槍"という―――――白銀武中尉殿。その名前は、日本人としか思えなかった。聞いてうなずかれて、そんな事はあり得ないという思いを捨て切れない私に対し、彼は更にと告げた。

 

「当時、若干13歳だとよ。正真正銘の天才衛士だよな」

 

「13歳!?」

 

学年にして中学1年生。私はおちょくっているのかと怒ったが、暖簾に腕押しだった。そんなこっ恥ずかしい嘘なんてつかないと、逆に苛立ちの感情が返ってくるだけだった。だけど、無いだろう。今となっては、少年兵ならばあるいはその年の衛士が居るかもしれない。だけどその年で戦場に出たとして、すぐに英雄と呼ばれる程に戦えるはずがないのだ。

天才だからといっても鍛錬や戦場での経験もなしに、しかもトップクラスの腕利きが集まっていたという前衛で、突撃前衛長など務まるはずが。

 

そう考えた時に、私は最近になって同じような人が居ることを思い出した。

慎重に、もう一度名前を呟いた。

 

「白銀………“しろ”がね? それに、武…………たけ、る」

 

武という名前に冠するものと言えばなんだろうか。13にして前線で噂になる程の衛士。前衛の。指揮が出来るほどの、そしてバドル中尉を上回る質と数の作戦に参加したという経験。加えていえば、元はクラッカー中隊に居たバドル中尉と長年の付き合いでもあるという。かちり、かちり、と私は徐々にパズルのピースが嵌っていくような感覚を前に、自分の身体が震えるのを感じていた。

 

「話が逸れたな。まあ、それでも侵攻は止められなかったが」

 

難民の被害は著しく減少した。だけど奮闘虚しく、防衛線は徐々に東に押し込まれていく。その後、2人はベトナムからマレーシアに渡った。そこはインドや中国からの避難民が集まる、キャンプが密集している国だ。そして王兄妹も同じように、キャンプの住人になった。

 

だがその時に紅葉は、香港よりずっと働き詰めだったこともあり、過労から体調を崩してしまったらしい。絶対安静と言われ、食事が点滴だけになって一週間が経過した後、病院を追い出されてからは蒸し暑いキャンプの中で横たわることしかできない日々が続いた。

 

虫さされに苦しみ寝られず、出来ることといえば自分の汗の臭いに苦しむか、世話をしてくれる妹を前に死にたくなるような気持ちを押し殺すことだけ。幸い、そこの難民キャンプでは軍より食料が配られていたので、白蓮だけが働くということにはならなかった。

 

だけど住民は何もしないというわけにはいかなく、定期的に軍の施設か何かで単純作業などを手伝わなければならなかった。展望など何処にも見えない、辛さだけが重なっていく日々。その中でも、中隊の活躍は人々にとって明るい話題として上がっていた。

 

――――理由は、もしかしたら彼らがBETAを駆逐してくれるかもしれないから。

 

BETAの脅威がなくなり、自分達が住んでいた場所に帰ることができたのなら、この厳しい生活から解放されるかもしれない。だけれども、英雄とて万能ではあり得ない。ただの中隊とは思えない戦果を上げつつも、軍はミャンマーからの撤退を宣言。自分達とは違い、ベトナムにまだ残っていた人達へ避難の命令が出されるのも、時間の問題だった。

 

そこで、奇跡が起こる。

 

「大東亜連合の成立。そして、マンダレー・ハイヴ攻略作戦。前情報も何もなかった。民間人の俺達にとってはもう突然に降って湧いたような作戦だったけど、信じられないことに成功させちまった」

 

撤退したかと思うと、突如逆襲に出ての勝利。当初は情報が錯綜していて、キャンプ内も大混乱に陥ったらしい。私の周囲も似たような状況になっていたから、キャンプの人達がそうなってしまうのも無理ないと思う。

 

奇跡とすら認識されていなかった、突然の偉業なのである。人類が初めて、BETAとの戦いに勝利したと誇れる戦い。難民はそれが事実だと分かった途端に、狂喜乱舞したらしい。

 

これで、もしかしたら。あの日の生活に帰ることができるかもしれないと。一部の人間にとってはその通りであり、ベトナムやタイ、ラオスより避難してきた新しい難民はすぐに自分の国へと帰っていった。だが中国人やインド人にとってはその限りではなかったという。しかし、このまま勝利を重ねていけば、あるいは。

 

そんな時だった。クラッカー中隊の解散が告げられたのは。突然の事だった。未だもってその理由などは公表されておらず、情報誌などは諸説を上げていたが、どれもらしく聞こえるものがあった。欧州からの圧力が高まったこと、あるいは英雄として名声が高まり過ぎた軍部がそれを危険視したことという、なんともそれらしい理由もある。

 

あるいは、解散後、所属していた衛士達が故郷に近い所へ帰った事から、それぞれの意見の不一致によりこれ以上隊を保つことができなかった。欧州出身の何人かがこれ以上こんな所に留まっていられないと言った、というゴシップに似た理由も上げられている。

 

本当の所は分からない。だけど確かなのは、難民のキャンプが失意の底に叩きつけられたことだ。その影響もあってか、マンダレーハイヴ攻略作戦で戦死した2人を責めるような論調が高まっていく。

 

「ハイヴ突入後、そして脱出した所までは12機すべてが確認されていた。だけど帰投中の戦闘で、白銀武とサーシャ・クズネツォワがMIA」

 

難民は言う。

ハイヴではなく帰投中に死ぬなど、油断した馬鹿のせいで中隊は解散してしまったのだと。

 

「………それを聞いた白蓮が、酷く怒ったらしい。あまりに自分勝手すぎる言い分だと」

 

そして、紅葉は笑った。

 

「この国は豊かだな。いいところだ。衣食住に苦労はなく、誰もが真っ当な倫理を持っている。だけど、どれも保証されていない、あの糞溜めの中で人間がどうなるか知ってるか?」

 

私は首を横に振った。知っているとは、とても言えないからだ。裕福に育った自覚はある私が、何を言うのか。黙り込んだ私に返ってきた声は、どこかおかしそうな声色を含んでいた。

 

「香港でもそうだった。ベトナムのあの路地裏だって同じさ。あの場所じゃあ、目立つ奴は長生きできないのさ」

 

どうしてって、目立つ奴は煩わしいから。そして煩わしさと殺害とを、結びつける獣がいる。その獣の名前が、人間だという。わずかな食料のためなら、一枚の紙幣のためなら。一夜の安眠のために、同じ境遇に陥った人間を、羽虫を払うような考えで潰すことができるのだ。可愛いのは自分自身だけ。そのためなら、他人の命が無くなったって問題ない。目立つ者が狙われるという事について、何となくは理解できる。訓練学校でも、似たようなことはあった。

 

しかし、たった一日の安全のために誰かを殺すなど、あり得ない話だと思う。だけど、想像をしたこともない、話に聞いても全く実感ができないような過酷な環境に放り落とされればどうなるのか。キャンプでの生活や、それ以前での香港の暮らし。口にしている以上の苦労や、もっとえげつない事だってきっとあった筈なのだ。肥溜めといったその言葉が、比喩ではなくそのものだとして、人間は常に正しくあり続けることができるのだろうか。小説などでも、極限状態に陥った人間の脆さなどが書かれているものを読んだことがある。夏目漱石の『こころ』にもある。善人であっても、いざという間際に悪人に変わるんだから恐ろしく、油断できないものだと。そして緊急避難という言葉もあるのだ。否定したいけど、否定できない部分があった。

 

そうして否定しきれないまま、彼は俯いた。言葉にはしていないけど、分かった。

 

――――王白蓮はその私の想像したくない結末を迎えてしまったという事が。

 

「ようやく、俺の体調が戻るかというその前日だった。快復の祝いにと、食料を買いに行った妹は帰ってこなかったんだ。次の日に見たのは、玄関に届けられた手紙と、それについた血と、妹のものらしき黒色の髪が一房だけ」

 

それが最後の言葉であり、最後の笑顔だった。紅葉は言った。

 

「………周りが見えない、生真面目な馬鹿だった。だってのに俺に対しては甘くてよ。あの日も、周りも見えないぐらいに喜んで、行って来ますって手ぇ上げて」

 

目撃者から聞いた話だった。なけなしの全財産で食料を買い込んだ後、いつも因縁をつけられていたという少年連中とぶつかってしまって。すぐに口論になって、発展して。例の中隊のことや、死んだ白銀中尉のこと。果てはその少年たちの普段の犯罪染みた行動にまで言及したらしい。

 

妹は往来でそんな事を言えばどうなるのかなんて、分かっていたという。馬鹿なりに気をつけていたという。そこまで致命的に阿呆でもないと。

 

だけどその日は、嬉しさのあまり箍が緩んでしまっていたと彼は言う。

 

「………その、犯人の少年は?」

 

「さあな。ただ、この世にいない事だけは確かだ」

 

物騒な言葉に、酷薄な笑みだけが残っていた。何が起きたのか、いや起こさせたのかはそれで想像がついた。直接的にしろ、間接的にしろ、この男は下手人を終わらせたのだ。最後に多くの死をもって、王紅葉の話は終わった。

 

聞けば聞くほどに、どうしようもない話だ。気取って最善を語るなどといったことすら思い浮かばない程に、暗いものに満ち溢れている。その少年たちも、自分の家族を守るためにかっぱらいをしていたのだという。指摘され、激して殺人を。だけどその後のエスカレートした行動を思うと、故意ではないという言い訳など通じないだろう。

 

復讐は成ったのか。問に対して返ってきたのは無言で、それが答えだった。

 

全ての話が終わり、抱いた感想は悲しさと、そして重さだった。胸の中にある肺、口の中に滲む唾。首の後ろあたりまでも、まるで重力が増しているかのように、軽くはない何かがのしかかっている。誰ひとりとして救われていない、現実だけがそこにあった。体験してない私でさえこうなるのだから、実際にその身で味わってきた彼にとってはどうなのであろうか。

 

この国も、つい先日までは徴兵に派兵はあろうとも、平和だった。だけどBETAの侵攻を止めきれなければ、もっと酷いことになるかもしれない。私の思考でも読んだのか、この国は平和だよな、と彼は言う。特に、斯衛の3人についてだ。

 

「鉄大和は………怪しいよな。あれ見て怪しくないって思う奴の方が、どうかしてる」

 

でも、有能だ。だからこそ滑稽だと嘲笑している。

 

「誰であれ、選択肢なんて無いんだよ。有能なら、活かすようにどうこうすればいいのさ。完全に信じきる必要なんてない。怪しみつつも、距離を測って利用して、利用されればいい」

 

「………軍人として、自国に仇なすような輩を放ってはおけない。利用されれば家にも迷惑がかかる。立場というものを忘れていないのだろう」

 

「まあ、あるだろうな。暖かい飯が出てくる家を失いたくないって話なら分かる。だけど、現実が見えてねえ」

 

選ぶ余裕なんてもう消えている。分からないのかと問われるが、BETAの事だろうか。確かに不利な戦いにはなろうが、まだまだ戦力は残っている。決して対処できない数ではないと言うが、違うと言われた。

 

「次の侵攻の規模の事を言ってるんじゃねえよ。問題は、次の、その次の…………勝ちの目の事を言っている。俺はさっき言ったよな。亜大陸が何年も戦い続けられた理由のことを」

 

「あ………まさか………」

 

言われ、気づいた。ハイヴは海の向こうにある。間引きをするには半島への上陸と、陸地を移動した上での戦術機甲部隊の展開と。行ったっきりでは済まない。帰投に関しても、海をまた越えて戻ってくる必要があるのだ。その上で、この日本に攻め込むための拠点として使われているハイヴは、重慶を加えて合計4つ。敗戦には必ずあったという、超過にも見える数を送り込んでくる可能性は非常に高いのだ。

 

「その上で、派閥がどうたらこうたら………日本人ってのは悠長だな。自国で戦術機を開発できる程に優秀な人間が揃っているのに、頭が悪いというか」

 

「それは………軍人でも、人として捨ててはいけないものがある。武家として、誇りなき畜生のような振る舞いは許されない」

 

「生き延びるなら畜生なんて、さ。そこまでいかないまでも、度が過ぎて結局は滅びることになったら誇りも何も無いだろ。俺は武家の人間は…………狂っているとしか思えないね」

 

使える武器を前にしても、助かる手が見えているとしても、そして誰かを守るためならと。そういった信念があるにもかかわらず、自分が抱えているものの一部でさえ捨てないから重さに耐えられず沈んでいく。批判ともとれる言葉だが、私には反論できなかった。確かに、先の一連のことには私自身思うことがあったからだ。

 

もしも自国の民が、守るべき民間人が話に聞いた難民のようになってしまえば。滅ぼされ、帰郷を成すにも奇跡を祈らなければならなくなれば。かといって、どのようにしても使うなどとは、立場ある武家としても、あるいは派閥を持つ人間としても出来ないことだろう。

 

面子も声望も、どちらも帝国の軍においては必要不可欠なものだ。彼らはそういった物を基に団結することによって自分の立場を守る。しかし時としてそれらが先んじてしまい、大局を見誤ることもある。斯衛の新兵にしてもそうだ。一度だけ見たが、篁少尉達とは違い、実戦のレベルに至っていないと思えた。混乱した挙句に、要撃級のただの一撃でコックピットを潰されてしまいそうな程の練度で何をどうやろうと言うのか。

 

一方で、鉄大和は化け物と言える練度を持っていた。あるいは、斯衛の新人が20人がかりでも触ることもできないままに壊滅させられてしまう程の。

 

しかし、そんな所まで見ているとは。普段は何も興味がない様子なのに、実際は周囲のことをちゃんと見ていたということだ。そこで、王少尉が義勇軍に残った理由に思い至った。

ひょっとして、そんな鉄中尉を守るためにこの部隊に残ったのだろうか。問いかけたが、返ってきた言葉はノーであった。なら、どういった理由で。その言葉に、彼は言う。

 

1つは、BETAを殺すためだと。殺さなくては、自分は生きてはいけないのだと。昔に父親が事故を起こしたのも、西方の戦場より破損した兵器を運ぶトラックに轢かれたからだった。母親は父の無残な死体を見てしまったせいで心を病み、支えを狂う程に欲して、挙句には行きずりの男にそれを求めた。叔母も徴兵された夫が戦死し、それから周囲の何もかもを拒絶し続けたという。父の死体に何か思う所があったのだとも。

 

妹が死んだのも、結局はBETAの恐怖に踊らされた、あるいは故郷を奪われ倫理を傷つけられた難民のせいだと言えた。不甲斐ない自分のせいでもあるが、突き詰めれば自分から全てを奪っていったのはBETAがいるからだ。だからこそ、それを殺さなくては朝も夜も無くなる。

 

もう一つは、ある男を見極めるため。上より、ある任務を受けているのとは別口で、王紅葉は自分の目で見定めるために義勇軍に入ったという。誰を、どのような基準で。その問いに対し、彼は暗い空を見たままだった。

 

「果たして、白蓮の言葉は本当だったのか。未だ価値が失われていないのか………価値はこの先も続いていくのか」

 

主語が隠された言葉に、万感の想いが篭められていた。誰の価値かなんては、分かりきっている。

そして、彼は言う。

 

「見極めるにはいい時間だろ?」

 

「王紅葉、貴方は…………ッ!」

 

「疾風に勁草を知り、厳霜に貞木を識る。黒い極寒の嵐が来るぞ」

 

中国は古代、晋の顧凱之の詩だ。妹の口癖だったらしい。突風が吹いて初めて、強い根をもつ草が分かる。苦境にあって初めて、奥底にある信念の強さや、意志の堅固さが晒されるという意味だ。

 

「ちょうど良かった。俺の命も長くないからな………薬も、もう無くなった」

 

「薬? まさか、身体検査を受けないのは」

 

そして薬とは何なのか。問い詰めても、答えは帰ってこなかった。同時に彼の瞳の中にこめられているどす黒い何かが見えた私は、何も言えなくなっていた。奥底にあるのは、希望でも絶望でもない。ビー玉の奥にあるような、濁った透明の何かだ。それは儚く、どうしようもない哀れさを感じさせるような何かがあった。

 

そうして、私はようやく理解できた。この男は死人だ。

きっとこの男にとってはもう、ほとんど全てがどうでもいいのだと。

 

「もう、大切なものが無いから………貴方は何も見ようとしない。自らが定めた使命以外に、何も…………自分の命さえも」

 

「どうせ気にしないだろう。どこにでもある話だ。どこぞのチンピラ上がりの衛士が、戦場で死ぬだけ。世界は何も変わらないだろうよ」

 

それは目の前の男の真意だと思えた。悪ぶっていた男の姿はもう消えていた。見えるのは、自分の生に何の価値も見出していない死兵だ。喋ることすら億劫そうな、これが王紅葉の素なのかもしれない。自分が持つ過去の全てを終わった事だとして、思い出したくないであろう黒いものもそのまま飲み込んでいる。

 

悔みはあるだろうが、やり直したいとは思っていない、だけど忘れない。それは人によっては致命の毒となるのに、むしろ望んで体内に留めている。胸の奥がかっと熱くなった。

 

「妹さんは、優しかったんでしょう? 兄である貴方が元気になってそこまで喜べるぐらいに」

 

「俺に似ず、誰に対しても優しかった。いつも俺の事を明るい声で元気づけてくれた。欲目なしに、俺に似ずに人の出来た奴だったよ」

 

「妹さんが好きだったんでしょう」

 

「愛していた。あいつだけは幸せになって欲しいと、それだけが俺の全てだった」

 

「だったらどうして…………っ!」

 

泣きそうになるのが分かる。

言葉は声にはならなかった。だけど、それでも我慢なんて出来なかった。

 

「どうして………なんで、貴方は癒されるつもりもないんですか!? そんなに苦しんでいるなら、誰かに相談して! きっと、もっと…………っ、生きていく方法だってあるのに!」

 

「苦しんでないって。それに、妹が死んだ原因の一端は俺にある。だから俺に苦しみがあるとしても、癒えないまま譲らず最後まで抱え込むべきものだろうが」

 

「抱えて死んで、それが一体何になるっていうの………っ」

 

王白蓮も、同じようなことを思っていたはずだ。生きていて欲しい、幸せになって。なのに王紅葉はそれすら捨てて、ただ妹の死の事だけを考えている。完結してしまっている。この言葉さえ届いていないのが分かる。だけど、どうしようもなかった。

 

「貴方も生きている人間でしょう、妹さんも貴方に生きていて欲しいから! だから…………なのになんで自分勝手に完結して、ただ目的を定めてそれ以外の何物をも見ようとはしないんですか!」

 

「その問答は全て終えている………逆に聞きたいんだが、どうして俺なんかに構うんだ」

 

「それ、は………」

 

同情、とはまた違う。ただ、気になっていたからだ。

仮面さえも取れるぐらいに想っていたであろう妹の存在に。

 

「迷っているからか。なんだ、俺と相談でもしたかったのか?」

 

「私は………迷ってなどいない。ただ、武家と衝突するのが面倒だと思っていただけだ」

 

「碓氷と九十九が抜けてから大人しくなっていたな。いや、碓氷風花のことか………彼女の行動に思う所でもあったか」

 

「………ええ」

 

あれだけを聞いて、自分の事を一切話さないのは卑怯である。だから私は正直に頷いた。

 

今の話も、聞けば聞くほどに、彼女の行動は正しかったように思う。王少尉としても同様で、咄嗟のことに反応できなかったらしい。そんな中、雷光のような速度で鉄大和を守るために一陣の風となった衛士が居た。田舎娘だと、自嘲していた。特別な才能なんて無いと、自分を嘆いていた。なのに誰よりも早く、行動してみせた。彼女の病室での別れ際のことを思い出す。

 

白いシーツに包まれて、血が薄まった肌も白くて。

土気色の顔のまま、碓氷風花は私の手を握って告げた。

 

――――これ以上、ついて行けなくてごめん。操緒ちゃんに武運を。託すように握りしめられた手には、手術後間もないと思えないぐらい力強いものが感じられた。そして彼女の瞳の奥に見えたものがある。それは、とてつもなく硬い信念だ。家族を守るために、九十九中尉と彼女の姉の仲をかつての形に戻すために頑張っていることは知っていた。

 

そのために衛士となって努力し、果ては危険を厭わず奇襲の一手を潰した。

代償は大きかったけど。今でも、痛いと泣き叫んでいた声が耳に焼き付いて離れてくれない。

 

「私は………七光りだと言われるのが嫌だった。少将の娘としてではなく、ただの橘操緒として認められるような存在になりたかった」

 

今は陸軍に出向しているが、私の元の所属は本土防衛軍だ。父がいる陸軍ではなく、精鋭が集まるという防衛軍に志願した。成績は同期の中でも一番だった。だけど同期の一人が、私の父を知っている人間がこの成績を父の仕業だと吹聴した。

 

冗談だったのかもしれない。だけど、噂はすぐに周囲に拡散した。私は反発するように、そういった中傷をはねのけるために努力し続けた。実力を見せれば、そんな根も葉もない流言など消えてしまうと思ったからだ。だけど、逆効果になってしまった。一人で訓練を続ける私は、気づけば周囲から孤立していて。お高いエリートだと、同期の誰かが私を指さして言った。その時に、周囲の人間を捨てた。見限ったのだ。意思も何もない悪口をするようなくだらない人間など、協力するにも値しないと思い込んだ。自分は帝国軍人としての誇りを捨てず、一人でもやってやると。

 

パリカリ中隊に誘われたのは、そんな時だった。鉄大和の行動は、徹底していた。行動の1つ1つに意味があった。緩まった士気を引き締めるため、謂れ無き中傷を消すために模擬戦を行い、実力不足であると言葉ではなく勝負の結果で悟らせる。私情は多分に含まれていただろう。だけど、それだけではない信念があるように思えた。風花にしてもそうだ。迷いなく自分の命を賭けられる程の信念がある。

 

だから、思った。私はどうなのかって。認められたいと思うのは信念なのか。橘操緒として、名前を誇れるような人間になりたいと思うのは。仮にそうだとしても、どうしてか小さいもののように思えた。そして、新しく隊の仲間となった斯衛の武家の子たち。篁少尉や山城少尉などは、自分には到底持てない程の確固たる信念があった。年下の子にさえ負けている自分。袋小路に追い込まれたような気分になっていた。そう考えると、相談したかったのかもしれない。全てを話すと、王少尉は別に小さくもないと思うがな、と無表情のまま言った。冷静な分、そこいらの衛士よりかは上等な部類だろう、と。私が言いたいのは、そういう事じゃないのに。

そして、納得していないという気持ちが顔に出ていたのだろう。面倒くさそうに、頭をかいた。

 

「そんなに急ぐことじゃないだろ。信念のないまま戦い続けてる衛士だっているさ」

 

「必要なのは分かるでしょう。確固たる願いを持っている人は、強い」

 

「なら、その内に見つかるだろ」

 

先に見えているのは大規模な侵攻。急ぐことじゃないとは、本当にこの男は目的以外はどうでもいいようだ。自分の意志や信念について、他人に聞いている私もどうかと思うけど。

 

「………お前には時間がある。長い目で見るってのもありだろう」

 

「時間のない貴方とは違う、とでも言いたいんですか」

 

「終着点は見えている。お前はまだ、どこに行きたいのかさえ決めていない」

 

どこに行きたいのか、そして何をしたいのか。それすら、定められていないのか。考えこむ私を横目に、王少尉は視線を空に戻していた。どこにでも行け、といいたげな様子は本当に腹が立つ。

 

それに、どうしてそんなに空を見上げているのか。聞くと、彼はぽつりと呟いた。

 

「………空には嘘がないからな。雲も、見ていて飽きない」

 

「詩人だな。似合わないと自分で思わないのか」

 

「思うさ。だけどまあ、ガキの頃からずっと見てきたもんだからな」

 

「どうして?」

 

「どうしようもなく疲れている時に地面なんざ見つめたら、死にたくなるだろうが」

 

辛い時だからこそ、空を見上げていたという。だけど、私にとって空とは死の空間でしかない。衛士ならば誰だってそうだろう。それでも、と思える程のあこがれの場所であるというのは理解できるけど。跳躍途中に空を見上げた事があった。そこには何もなくて、ただ青色だけが広がっていた。

 

何の束縛もなく、BETAの存在さえ忘れられるような自由な場所に見えて、吸い込まれそうになった。その誘惑に抗わなければ、待っているのは撃墜という終焉だけど。

 

 

「いつか、空を自由に飛べたらいいな」

 

 

「そうだな」

 

 

唐突な、自然に浮かんできた言葉だったけど、間髪入れずに同意するほどのものだったらしい。

 

 

だけど視線の先にある夜空の雲は先行きを表すかのように星を隠して、その黒さを私達に見せつけていた。

 

 

 


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