Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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26話 : 目指すべき場所は_

空想上の戦場を作り出す箱の中、二人は真っ向から対峙していた。搭乗しているのは専用の機体である陽炎に、瑞鶴。両機の手には長刀が握られていた。踏み出せば斬撃届く程度の距離で、しかし微動だにしない。

 

陽炎は短刀を目の前に掲げ、片や瑞鶴は長刀を担ぐように構えながら、互いに相手がどうでるかを窺いあっていた。そうしてどちらとも動かないまま、60の秒が刻まれた後だった。呆れたような声が陽炎のシミュレーターから発せられ、通信に乗って瑞鶴の衛士へと届いた。

 

「このまま睨み合うだけで終わるつもりか? 俺はそれでもいいんだけど」

 

「こちらは良くありません………往きますッ!」

 

唯依は声と共に踏み込んだ。裂帛の気合と共に、長刀が理想の角度で振り下ろされる。武は、まともに受ければ左の肩口から右脇腹までばっさりと両断されるようなその一撃を短刀の刃を掲げ受け止めると同時に、身体を横にして刃の勢いを流れるように押しのけた。

唯依は予想していた手応えがなく、一刀を流された事により機体のバランスが崩れていくのを察知したが、咄嗟にそのまま前へと跳躍した。直後、武が繰り出したすれ違いざまの短刀の一閃が空を切る。

 

互いに場所が入れ替わり。両者は先ほどと全く同じ格好で向かい合う。唯依はその間合いを嫌い、一歩だけ退いた。上段の構えを正眼に戻し、油断なく目の前の難敵を注視した。

――――打つ手がない。それが1つの攻防を終えた後に、唯依の正直な感想であった。

 

先の一撃は正面からではあるが、会心に近かった。それを難なく捌かれた事は、唯依に少なくない衝撃を与えていた。前もって声をかけた事は全く関係がない。戦術機は人間と異なり、動作の"起こり"を隠すことができないのである。どうしたって動く直前には機体のどこかが動くし、それによって相手は攻撃の瞬間を察知する。相手に全く悟らせない技術など存在しなかった。

 

人間であれば剣を揺らめかせたり、また相手の呼吸を盗んで虚をつくことはできよう。

だが戦術機同士の戦闘では不可能だった。

 

(いや、1つだけあるが………今の私では不可能に近い)

 

可能とするもの、それは衛士と戦術機両方の"経験"である。衛士は戦闘において頭を働かせながら戦っているが、深層まで考えこむという悠長な行動をする者はいない。訓練で覚えた動作か、あるいは癖による反射的な行動が多くなる。

 

それを踏まえて機体の動作の精度を上げていくのがフィードバックデータだ。間接思考制御の精度はフィードバックデータによって左右され、データは蓄積された操縦ログにより上がっていく。

 

自分が無意識下でよく取っている行動、それに対する動作を軽くしてくれるのだ。戦えば戦う程に、戦術機は衛士と一体化していく。その精度を上げるのは関わった実戦の大小ではなく、単純な搭乗時間を積み重ねるしかなかった

 

唯依は目の前の、自分と同い年の衛士を見た。先の一撃、刃が接触した瞬間に引きずり込まれるような、何ともいえない感覚があった。

 

唯依は恐らく、と予想していた。あれは刃を受けたと同時に膝の電磁伸縮炭素帯(カーボニックアクチュエーター)を利用し、短刀より伝わる斬撃の応力を殺したのだ。同時に身体を横にずらし刃を横に流すことによって力の向きを強引に逸らされた。一連の動作は剣術における仕合ではよく行われる事だが、唯依は戦慄を隠せなかった。

 

生身であれば、可能な芸当であろう。相手が自分と同格より下という前提条件ではあるが、振り下ろされた竹刀を受け止め流すことはできなくもない。戦術機でも刃の押し合い、鍔迫り合いになってからだと自分にもできるだろう。訓練学校でも、何度か成功させた事があった。だが戦術機で、それも上段からの渾身の袈裟斬りの一撃に対して可能かと問われれば、ほぼ不可能であると答えざるをえなかった。

 

戦術機は生身とは圧倒的に異なる部分がある。脳よりの電気信号で直接身体を動かす人体とは違い、戦術機は操縦動作というワンクッションを置かなければならない。機械の補助はあろうとも、大元を動かすのは人間なのだ。相手の起こりを見ると同時に、斬撃の機動を予測し短刀の位置を動かす。投影された映像越しに刃がぶつかる瞬間を見極め、衝突した瞬間に膝をわずかに落とした。

 

同時に機体を一歩横に動かし、流れていく間に構わず反撃の一撃を繰り出した。仕掛ける前から距離が離れるわずかの間に、一体どれだけの操縦をしたというのか。唯依は改めて目の前の人物が練達の衛士であることを悟らされた、少なくとも、何でもないようにやってのけられる仕業ではない。

 

唯依は目の前の人間が、まるで得体の知れない、人間以外の何かのように思えてならなかった。だが、それでこそだと。唯依は構えながら、映像の向こうにいる相手を強く睨みつけた。

 

突撃砲なしの近接兵装のみの勝負であれば、自分にも勝ち目はあると判断していた。未熟ではあるが幼き頃より鍛錬を欠かさなかった剣の術、それを通じて勝利を納めれば何か自分のためになるものが得られると思った。

 

だけれども理解できたのは圧倒的な地力の差。何より衛士として自分は相対している同い年の人間よりも数段劣っているという事実だけ。

 

(だけど………これは元より私が望みでたこと!)

 

切っ掛けは昨日に彼とした会話。唯依は鉄大和と戦術機のあれこれについて語り合ったが、教科書や講義だけでは知り得ない知識に驚き続けていた。

 

特に鮮烈だったのが、日本製の戦術機である陽炎での近接兵装の活かし方だ。陽炎はF-15Cのライセンス生産機で、長刀ありきで設計されたもの。それとどうしても一対一で戦いたくなっていたのだ。故に、例え不様な敗北が待ち受けていようとも、後退の二文字を選ぶことだけはあり得なかった。

 

ただ、前に進むべしと。

 

操縦桿を押し、機体が推され、互いの距離が詰まっていく。

 

刀が小さく跳ねる予兆――――それを見た武は驚き、戸惑っていた。

 

(まさかな。あれを見せた上でなお、真正面から来るのかよ)

 

抱いたのは侮蔑ではなく、感嘆。武は一先の攻防の直後に相手の怯みを感じていたため、唯依がまた真正面から来るとは思っていなかった。早い袈裟懸けにフェイント、虚の動作は一切なく、それ故に早い。機体を動かして真正面からの一撃、その斬線の軌道上に短刀を添えて衝撃に備えた。

 

直後に、先の一撃よりも軽い手応え。不思議に思う間もない、次に武が見たのは、振り下ろした長刀を構え直す山吹の瑞鶴だった。袈裟懸けからの逆袈裟、つまりは右斜め面からの左斜め面で、剣道においては切り返しと呼ばれている動作だった。

 

武は樹が同じ攻撃を繰り出してきた事を思い出していた。だが機体の特性故か、その連撃の速さは第一世代機でありながら第二世代機の陽炎に勝るとも劣らないと感じていた。それでも速すぎはしない。武は先ほどと同じように、短刀一本で長刀の斬撃を受け止め、弾き捌いていく。

 

実にならない猛攻、それでもと挫けず向かって来る唯依に、武は瞠目していた。果敢に仕掛けてくる唯依の動作を何度も見ていたからだ。機体の動作の起こりより斬撃に移るまでの清廉さ、特に電磁伸縮炭素帯の活かし方は見事としか言いようがなく、一連の猛攻は武とて防御に集中しなければとても対処しきれない程に鋭かった。

 

風守少佐程の鋭さは無いし、紫藤樹のような虚実をないまぜにする程の巧みさもない。何より、距離を取らなければコックピットごと刺殺されるという逼迫感が感じられない。だが実戦を経験したての新人であると考えれば、異様な練度であった。

 

幼い頃より剣の腕を磨いていたという事もあるだろう。間接思考制御は、自分の手の届かない場所まで補助してくれる程に便利なものではない。

 

直接話して分かった事だが、篁唯依は瑞鶴という機体の癖に関しては、山城上総ほか同期の誰よりも知り尽くしているようだった。戦術機には各種機体ごとに独特の癖があるのは常識であるが、無意識下における機体制御という要因においては、経験と共に知識による要因が大きくなる。長じれば直接的にも間接的にも、戦術機の動作精度を高める事ができるのだ。

 

今この時も、篁唯依という衛士は成長しているようだった。これは戦術機の適性が高い証拠で、彼女に才能がある事を思わせられる。あと一年もすれば、追い越されるかもしれないぐらいには。

 

(だけど、今はまだその一年どころか一ヶ月も経っていない)

 

比べて自分は5年、戦ってきた自負が武の中にはあり。まさかここで負けるわけにもいかないと考えた直後だった。

 

「ふっ―――」

 

瑞鶴は刀の握りを変え、姿勢を低くしながら振り上げる動作を見せたその後に、

 

「―――ここっ!」

 

それまでとは違い、刀を振り上げず正眼のまま真っ直ぐに陽炎に突きかかって行った。最も回避し辛い胴への突き技である。狙いは最大の弱点であるコックピット、だが。

 

「読まれ、て………っ!?」

 

驚愕の声がこぼれた。標的である陽炎は既に陸には無く、宙に在った。軽い噴射跳躍で右斜め前方へ飛び上がり、そのまま瑞鶴の頭上を通り抜けていくと、瑞鶴より少し離れた所に着地した。

 

(完全に、先を読まれて………!?)

 

跳躍はリスクの大きい回避行動であり事前に察知でもしていなければ、ああいう行動は取れない。仕掛けた唯依の方と言えば、大技である突きを完全に躱されたことにより死に体になっていた。その上で後背を取られているのは窮地を越えて致命に近い。唯依は留まれば追っかけ背中から斬られること必至と瞬時に判断すると、突きかかった勢いまま前に進んだ。

 

一歩、そして二歩。瑞鶴は前に進み、唯依はこの距離ならば安全圏かと機体を急ぎ反転させた。

 

だがそこに居るべき陽炎の姿は無く――――

 

「っ!?」

 

悪寒を感じて、空を見上げた時には遅かった。そこには、短刀でこちらに狙いをすましている陽炎が。唯依は咄嗟に長刀での切り上げにより迎撃しようとするが、それも遅かった。

 

落下の勢いも載った銀色の短刀の一撃が、山吹の瑞鶴のコックピットに突き刺さった。

 

―――鳴り響く撃墜判定。シミュレーターが、模擬戦終了の報を2人に告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シミュレーターの使用時間が終わり、反省会を済ませての夜半。パリカリ中隊とブレイズ中隊の混成部隊は、ハンガーへと続く廊下を歩いていた。道すがらに戦術機動についての話に小さな花が咲いている。その中で2人だけは、誰が見ても不機嫌だと分かる程の仏頂面を見せていた。

 

「あ、あのさあ唯依」

 

「………何かしら、安芸」

 

「いや、なんでも!」

 

声色から察した石見安芸が、慌てて口を閉ざした。もう一人の眉に皺を寄せている者、山城上総も甲斐志摩子の呼びかけに同様の態度で返した。安芸と志摩子は取り付く島もない友達2人の様子を前に、ため息をついた。2人の零した息に気づいた武は、歩きながらしていた風守少佐との会話を中断し、安芸達と唯依達を交互に見た。

 

そして何事かを察し、困ったような表情を浮かべた。武は2人が不機嫌になっている原因を自覚していた。間違いなく、先の自分との模擬戦であると。手を抜いた挙句に事故でも起これば、あるいは自分でもやられてしまいかねない。そう判断した武は、篁唯依と山城上総に対し手を抜かずに戦ったのだ。近接兵装同士による一対一の仕合形式から、何でもありの1対2の実戦形式で、8回の模擬戦闘を行った。

 

結果だけを言うと、平均所要時間にして8分。

 

武の全勝だった。模擬戦が終わってからは中隊全体での連携の再確認などを行ったが、2人を始めとして皆が口数が少なくなっていた。その原因は、はっきりと分かっていた。

 

武家の衛士が、近接戦で。自分たちに有利な戦闘でこてんぱんにやられておいて、何も感じないはずがなかった。

 

一方で武はどうしたものかと悩んでいた。地力の差は明白であり、勝敗について二人共どういったものになるのかは分かっていたはずだ。だからといって、まさか自分が仕方ないなどと、言える訳がなかった。もし自分が逆の立場であると考えれば分かる。負かした相手が『俺相手なら仕方ない』など、それは最早慰めではなく、痛烈な嫌味と挑発である。というより、どんな嫌なやつだというのか。

 

武は助けを求めるつもりで風守少佐の方を見たが、苦笑を返されただけだった。後のフォローをしておくのだろうが、今は沈黙が痛い。そこで武は別の可能性をと、能登和泉の方を見た。

 

期待を込めた行動だったが、結果はすっと視線を外されてしまっただけ。武はそれを見て考えた。瞳の奥、そこに感じられたのは最初の時のような憎しみでもなく、気まずさでもない。何かをやらかして、嫌われてしまったのだろうか。武はふと思い、そして納得した。

 

篁唯依と山城上総、負けても尚と挑んできた2人の上昇志向は稀有なものであることは間違いない。長ずれば戦場で花開く衛士になるであろう。その所感は風守少佐の意見であり、武も同じ事を考えていた。こうした模擬戦も糧となることだろう。それは他の衛士達も同じことだ。

 

今回の防衛戦で実戦を経験した衛士は多く、本当の戦いを知って気を引き締め直していることは疑いようがない。実際に、この基地に流れる空気はそれまでとは段違いに緊張感に満ちあふれていた。誰しもが真面目に、BETAという敵を知りそれを打倒しようと動き始めたのだ。

 

そこに嘘はない。真摯に努力を重ね、次の侵攻の際にはまた一段と整った動きで祖国を守る戦いに身を投じるのだろう。

 

(だけど、俺は………俺は本当に、自分の持てる全力で挑んでいるのか)

 

衛士だけではない、BETAの脅威を知ったほぼ全員が自分の持ちうる全力を賭し始めているのだろう。死の脅威に触れた人間は、もう自分が傍観できる立場に無いことを知る。あるいは紫藤樹が斯衛に伝えたかった事がこれであろう。

 

命を試され、死を身近に感じることが何よりも肝要だと。初陣の前に決した意が鉄火場で揺らぐというのは、ある意味で通例のものである。BETAとの戦闘ならば余計に、自分の何もかもを投じなければあの怪物共は打破できないと思い知らされるのだ。

 

二度の侵攻により、誰しもが掛け値なしの本気になり始めている。対して、自分は持ち札を伏せ続けているだけだ。BETAのハイヴ建設位置など、マンダレーの例のように、使い所さえ間違わなければ何千もの戦力に優る情報である。

 

オルタネイティヴ計画も同様だ。第五計画が星を致命に陥れてしまう失策だと誰もが知れば、あるいは状況も変わるかもしれない。それをせずに、ただ戦いに集中するだけ。戦いを有利にできる情報が、自分の中には揃っていたのだ。

 

突き詰めれば、九州による部隊もあるいは。戦う意志、記憶とやらを取り戻せなかった軟弱な自分が、多くの人間を殺したようなものだった。とはいえ、武は所詮は個人であることを自覚していた。上手くやれば良かったなどと、誰もが思っていることだ。なのに多くの人の死を自分のせいだと思うのはただの傲慢、思いあがりに類するものであるとは頭では理解できている。だけど、もしかしたらと思ってしまうことは止められなかった。

 

《贅沢な悩みだな》

 

(うるせえよ)

 

《それで、踏ん切りがつかない所がどうしようもないけどな》

 

(いいから、黙ってろ)

 

黙っててくれと、それは懇願に近かった。簡単じゃないんだと、言い訳のような口調で声に告げる。だけど沸き起こる葛藤はどうしようもなく、中途半端な自分に対しての苛立ちが胸の中をかき乱した。どうしようもない、仕方ないとの自分に対しての言い訳が浮かんでくるのがまた腹が立つ。

 

これではまるで、初陣を前に逃げ出そうとうじうじ悩んでいた頃に戻ったようではないか。それが分かるからこそ、武の中の苛立ちは倍増していった。そうして注意力散漫になっていた武は、前からやってくる人間に気づかなかった。他の人間が互いに半歩よける中で、武は真正面から歩いてきた相手にまともにぶつかってしまった。予想外の接触に、ぶつかった2人はくぐもった声をあげた。

 

「ってーなあ………ガキが、何処見てやがる」

 

「………すまん」

 

武は軽く謝ると、そのまま立ち去ろうとする。また考え事に没頭しようとしていたが、武よりも頭1つ上、長身の茶髪の男は武の胸ぐらを掴み上げたことにより止められた。

 

「おいガキ、すまんじゃねーだろがよ。もっと謝り方ってもんがあるだろうが、ああ?」

 

「………離せよ」

 

武は失態に気づいてはいたが、謝ることはせずただ自分の胸を掴んでくる男の手を握りしめた。

男も、武の服についている階級章にようやく気づいたのか、驚いた顔を見せる。

 

「てめえ………っ、こんなガキが中尉だと?」

 

男は自分と同階級の、明らかに少年である武に戸惑った声を上げると、武と一緒に歩いているブレイズ中隊の方に目をやった。

 

「その格好は………ひょっとしてお前らが斯衛と義勇軍の混成部隊って、噂の」

 

「その噂がなんだかしらんが、"お前"とは私も含まれているのか中尉」

 

「………失礼しました。ですが、こいつは別です」

 

男は歪んだ表情で光に謝罪を示しつつも、武の胸ぐらを強く掴んだ。

 

「同階級なのは、百歩譲って認めてやろう。だけど、俺は年上だよなぁ」

 

「見れば分かるだろう。で、だからなんだよ」

 

「礼儀の事を言ってんだよ! てめ、おかーちゃんか誰かに教わらなかったのか、目上のもんは敬えってよ!」

 

「………教わらなかった。生憎と俺は俺を産んでくれた人の顔すら知らねえんだよ」

 

だけど、育ててくれた人に教わった事があった。目上の人に対する時のことも。しかし武は、今の言葉に更に苛立ちゆえに素直には頷く気持ちにはならなかった。こうした挑発には慣れてもいるし、いざこざが起きた際による上手い受け流し方も知っている。だが武は、この場は謝って済ませようとは考えられなかった。

 

「………だけど、教わった事はあるぜ? 目上の者だから何をしても構わないって理屈はとんだ間違いだってな」

 

「てめえ!」

 

挑発を重ねた武の胸ぐらを、男は更に強く絞る。武は握っている男の手を、更に強く押しつぶすように握りしめ、顔を真正面から睨みつける。

 

「っ、て、めえ………?」

 

男は年齢からは想像もできないぐらいに強い武の握力と、その瞳の中に見える言い知れない何かを感じると、胸ぐらを握る手を緩めた。武はその瞬間に強引に男の手を払いのけ、その場で乱れた軍服の胸元を正した。男を睨みつける。そして怒りながらも、徐々に変わっていく男の表情に、何処かでよく見たことがあると考えてもいた。先ほどの、能登少尉との表情とも重なる。

 

(――――参ったな)

 

武はあの時に浮かんだ表情が何であったのかを理解した途端に、冷水をぶっかけられたかのような感覚になっていた。一方で男は連れの仲間とおもわれる一緒に歩いていたであろう2人に、落ち着けって、と言いながら宥められていた。

 

男の肩は小刻みに震えていた。そして、周囲からはまた別の隊の者であろう衛士からの視線も集まっている。その色には、警戒と侮蔑の色が濃いようだった。武はまずいな、と思いながらも苛立ちがあり、その場を立ち去ろうとした。

 

「ま、てよ」

 

「………なんだよ、これ以上何かあるのか」

 

「いいから………名前を。お前の名前を教えろ」

 

男の上から目線の命令口調にまた苛立ちながらも、鉄大和だと答える。男は反芻をしながら名乗らず、へっと卑屈な笑いを見せた。

 

「し、辛気臭い名前だな」

 

「俺もそう思うよ………それだけならもう行くぜ」

 

最後まで皮肉で返し、武は一人ハンガーへと急ぎ足で歩いて行った。他の面子は武の今までに見せた事のない様子に唖然としていた。ただ風守だけが、何かを耐えるように自分の胸を押さえている。

 

「………追うぞ。放ってはおけない」

 

京都見回りの一件がある上での、恐らくは本土防衛軍の衛士であろう相手と揉め事を起こしたのだ。元は別の軍といえども、同じ中隊で戦う指揮官として、上官として釘を刺しておかなければならない事は明白であった。光は走って武に追いつくと、鉄中尉と呼び止めた。

 

武は予想していた通りの光の行動に、足を止めると数秒の間を置いて光の方へと振り返った。その顔は、苦虫を噛み潰したような表情が浮かんでいる。

 

「その表情から察するに………自分がしたことの自覚はあるのだな?」

 

「はい………つい、カッとなってしまいました」

 

挑発に、喧嘩腰の対応。武は弁解もせず、八つ当たりですと自分を責めるような口調になった。

ただと言葉を付け加えて。

 

「でも、また同じ事を言われたらちょっと………耐え切る自信はありません。こればっかりは、理屈じゃありません」

 

「………そうか。だが、しでかした事に対しての自覚はあるのだな?」

 

武は頷き、一歩前に出た。両手を自分の腰の後ろに回し、直立不動の体勢になる。光は後ろから他の隊員が追いついくるのを察知し、また先の揉め事をどこかで見ていたのであろう陸軍や本土防衛軍が寄ってくるのを感じると、右の拳を固く握りしめた。

 

「先の一件があったのに、懲りないか――――歯を食いしばれ!」

 

大声と共に一歩踏み込んでの拳打が、武の左頬を打ち据える。武は予想以上の衝撃にたたらを踏むが、転けずその場に踏みとどまった。そして光の前に立つ。

光は武の赤くなった頬を見た後、目を閉じると誰にも分からないように下唇を噛んだ。

 

それも一瞬のこと、直後に武を睨みつけながら口を開いた。

 

「………次は一発ではすまなくなる。以後、気をつけるように」

 

「申し訳ありません!」

 

敬礼を返す武。するとやや険があった場の空気が幾分か和らいでいった。

 

――――だが。

 

「風守少佐………あの、手を痛められましたか?」

 

「………殴られた者がかける言葉ではないぞ。大丈夫だ、何も問題はない」

 

だが、光は先に殴った方の自分の手を押さえていた。

武の心配そうな声に対して、沈痛な声で光は告げた。

 

「ハンガーへ行くぞ。貴様らも、帝国軍とこれ以上の揉め事は起こすな」

 

光の指示に、戸惑いながらの了解の声が飛ぶ。各人に思う所はあるだろうが、それぞれにハンガーへと歩いて行く。そして光は少し離れた場所で、誰にも聞こえないように呟いた。

 

 

「どの面を下げて今更、か」

 

 

その表情の裏に潜む感情は、誰も伺い知ることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30分後、ハンガーの中。武は自機である陽炎の前で、整備の進捗状況や機体に関する事の報告を受けていた。報告を行なっているのは、斯衛お抱えの整備班である。

国連や帝国軍所属の者達よりもずっと行儀が良く粗野な雰囲気を全く感じさせない班で、整備班長も30と歳若いが腕は確かだった。

その整備班の班長をして、武の機体にはまずい点がいくつかあるとの報告が上げられていた。

 

「………それじゃあ、完全な復調とまではいかないんですか」

 

「やってみますが、確約は出来かねますよ。機体の根幹たるフレームのレベルで歪みが出ていますから」

 

先の戦闘においては風守少佐との戦いで見せたような、アクロバティックな無茶な機動を使わなければいけないような機会はなかった。だけど隊の中か、あるいは同戦域で戦っていた部隊の中でも一番に動き回っていた自覚はある。それまでの戦いも同様だった。突撃前衛の宿命でもあるが、搭乗機の耐久限界が訪れるのが他のポジションよりも圧倒的に早いのだ。

 

「それでも、これはあり得ませんよ。説明された事が本当なら、この陽炎が本格的に運用されてからたったの3年しか経っていないということですよね? その程度で、どうしてこうまでフレームが………」

 

繰り返し応力を受ければひずみが発生するのが部品というものだ。それを想定した許容値なども計算され、その上での耐用年数が定められている。応力とひずみの関係はある程度一定であり、だからこそおかしいというのが整備班長の結論だった。

 

「念のため言いますが、嘘はついていませんよ」

 

「それが問題だって言ってるんです。いっそ嘘だった方がもっと…………っと、すみませんね」

 

整備班長は謝りながらも、じっと武の機体を見据えていた。たった3年で耐久限界が迎えるということは、設計の段階で何かしらの問題があったかもしれないのだ。陽炎は撃震や不知火と比べれば実機数は圧倒的に少ないが、この前線でも数十機が使われている。

 

もしも耐久限界が撃震や不知火よりも低ければ、防衛線の戦略に狂いが生じてくる可能性もある。武としてもそれは理解できているので、補足だけはしておいた。これは東南アジアで起きた一連の防衛線に出ずっぱりだった機体で、設計時に想定されていたであろう頻度を越えて運用されていたと。

 

「具体的な数は分かりますか?」

 

「そこまでは。ただ、50は下らなかったかと」

 

それも最前線の最も辛い場所で。武の言葉を聞いた班長は、まず武の正気を疑った。

その目に嘘の色が皆無であることが分かると、ため息をついた。

 

「………控えめに表現して、狂ってますね。どうかしていると言ってもいい」

 

だけど、それが大陸の現状でしたか。班長は何かを思い出すかのように呟き、陽炎を見上げた。

 

「長く、辛い戦いを越えて………より多くのBETAを殺した優秀な機体であるということですか」

 

「俺にとっては、良い相棒です。ここで置いていきたくはありませんので………頼みます」

 

「相棒を頼む、ですか。整備員冥利につきる言葉ではありますが………」

 

そもそもの原因はなんであるかも、重大な点である。武は思いつく限りの事を班長に説明した。

 

「自分の機動特性のせいかもしれません。緊急時には、かなり乱暴にあちこちを動かしますから」

 

元は人間の動きの延長上で考えられているものだ。特徴がありすぎる自分の機動では、あちこちにそぐわない応力が発生する可能性もあった。だがそこまで説明されてなお、整備班長は納得しなかった。

 

「自分の見立てでは………それ以上の要因があるように思います。戦術機は短期間での連続運用も考えられている兵器なので多少の酷使は許容の内かと。確かに、常軌を逸した頻度で戦場に出ているようですが………たった3年でこうにもあちこち不備が出てくるのはどう考えても整合性が取れない、違和感があります」

 

整備班長は難しい顔をしながら、考えさせて下さいと答えた。武も、無理強いすることには何の意味もないと分かっているので、頼みますとだけ告げた。無責任な受諾よりは何倍も真摯であると思ったからだ。一端口に出せば、撤回も難しくなる。その結果が中途半端な修復では、元より無理かもしれないと言われた方が後々の安全に繋がる。班長は武の言葉に苦笑し、微力を尽くしますと答えた。

 

「やり甲斐はありますから。それに、この部隊は整備に理解のある人間が多くて助かっているんですよ」

 

「あー………やけに居丈高になる奴の事ですか」

 

居ますよね、という武のあるあるという言葉に、班長はそうなんですよねえと困った顔で頷いた。

 

「非協力的な衛士の事、先輩から聞かされた事はありました。かつての自分は、所詮は話半分だと思っていましたが………」

 

班長曰く、まだ整備員の卵だった時代に当時の先輩から相当脅されていたらしい。自分の腕に自信のある衛士は変なプライドを持つことが多く、より自分の技量についての思考に傾倒することがあると。反面、戦術機の構造に関する知識が疎かになることも。そして知識の格差が原因ですれ違いが起こり、それが原因で整備員と衛士が衝突し、時には殴り合いになる事も多いと。

 

「特に年若い衛士に多いんですよね………整備員が居なくて困るのは、自分たちより衛士の方々だと思うのですが」

 

「まあ、整備不良の機体で長時間戦闘なんかやらかした日には死にますからね。生き残ったとしても、夢に出てきたりしますし」

 

武は末期のF-5を思い出し、今の機体への感謝を捧げた。隙間なく敷き詰められた地雷原の上を、ピアノ線で綱渡りするようなものだった。あの事があったからこそ、中隊の面々は機体や整備というものが本当に重要だと思い知らされたのだが。

 

「まあ、整備の重要さは訓練学校でも叩きこまれてると思うんですがね………」

 

それでも忘れるのが衛士という生き物らしい。整備不良により戦闘中に突如足が動かなくなれば、なんて考えるだけで怖気が走るのに。武はため息をつきながら、激戦を経験すれば整備の有り難みも分かるでしょうと答えた。

 

「そうかもしれませんね。鉄中尉の口から聞くと、かなり複雑な心境になりますが」

 

とても自分の半分しか生きていない子供から出る言葉ではなかった。だが、武に接する人間としては通過儀礼のようなものである。班長も熟練の50代の整備員とは違うが、30ともなれば色々な経験をしてきている。追求せず、ただ苦笑いをしながら、それでもこっちにもプライドがありますからと答えた。

 

「私も部下も、自分の仕事に関して、誇りを持っています」

 

「………それを汚されれば、黙ってはいられないですか。そう、ですよね誰だって」

 

一生懸命に、それぞれの理由をもって。整備は整備で、ボルトの数度の緩みが操縦者の死に繋がる事もある。戦術機甲部隊が敗れれば、次は基地に残っている自分たちだ。直接でもないが、整備員も命を賭けて戦っている戦士である。

 

否定されて黙っている方が問題だと、武は思っていた。先ほどの男もそういった点で退けなかったのだろう。仲間に対する見栄もあるのか。知らず武は、光に"修正"を受けた頬を押さえていた。すると、整備班長がこちらを見てきている。武は軽蔑しますか、と苦笑しながら問うと、班長は安心しますと答えた。武は訳が分からないよ、という表情になり、班長はやっぱり安心します、と小さく笑った。武の顔が憮然となる。

 

「ということは、ですね。今までの俺は見ていて不安だったと?」

 

「そうですね………鉄中尉。客観的に見て、貴方は自分自身の事をどう思っていますか」

 

武はその問いに言葉を詰まらせた。そんな事は考えたことが無かったからだ。

だけどやってみようかと、自分で自分の事を観察し、口に出していく。

 

「義勇軍の衛士………男………中尉………15歳………中隊指揮官補佐………光線級吶喊を成功させた………瀬戸大橋を落とした?」

 

最後の言葉に、班長は中尉がやったんですか、と顔をひきつらせていた。

気を取り直すように咳をして、良いですかと説明をし始めた。

 

「まだまだあるんですよ。あの紅蓮大佐とほぼ同等の技量を持っているということ。そして、第二世代機の陽炎であの風守少佐が駆る斯衛の最新鋭機と引き分けに持ち込んだ」

 

「まあ、そうかもしれないっすね」

 

「どの国軍にも属していないのもおかしい。普通であれば、祖国の軍か国連軍に入るというのに。その上で実戦経験が豊富で、他人のフォローが出来るほどに過酷な戦闘に慣れている」

 

「………うさんくさい?」

 

「得体が知れない、と言った方がいいでしょう。先の戦術機の損傷報告の事もあります」

 

なんでも、篁唯依の父親である篁祐唯は斯衛の中では知らぬ者がいないほどの技術者らしい。その娘である篁唯依も、15歳の衛士にしては相当の知識を持っている。その娘とほぼ同等の知識を持ち、あまつさえはベテランの衛士のように戦場を動きまわることができる15歳。

 

どれ1つとっても、異常である。そして軍では、素性も得体も知れない者を怪しみ、警戒するのが普通だった。武としても同意できるものがある。経歴が不詳の仲間に、背中を預けるつもりにはなれないのと同じだ。そこまで考えた上で武は、ひょっとしてこれまずくねえか、と悩み始めた。

 

注目されているのは分かっていたが、そうした経歴と人格から不安を抱かれているとは思わなかったのだ。

 

「人の心なんて、切っ掛けさえあれば容易く変わりますよ。例えば実戦を経験して、BETAと戦うことの過酷さを知った後なんかね。経験は視野を広げます。異星の怪物と戦うともなれば、世界が変わると言ってもいい」

 

そして実戦が終わった後、落ち着いて考えれば違和感に気づく。そうしてからは一直線だと班長は言った。武はそれを聞くと、班長からついと目をそらした。自分が不審な目で見られるのは、てっきり例の仲間殺しの嫌疑の件のせいだと思っていたのだ。根本的な部分で怪しまれているとは、全く思っていなかった。相乗効果になれば、理屈を越えて殺されることもありうる。

 

武は想定していたよりもずっと悪くなっていた状況に気づいて顔を青くした。対する班長はそうかもしれませんが、と苦笑しながら答えた。

 

「それでも………なんていうか、人は他人の失敗を見ると安心するんですかね」

 

「え?」

 

「その頬の跡。経緯は聞きましたが、それは別に演技でも無かったんでしょう」

 

「ええ、まあ………ちょっとイライラしてて、我慢できなかったっていうか」

 

武は恥ずかしそうに言う。実際に、思い出す度に大声を出したくなるような恥であるのだ。感情の制御が出来ない衛士など三流、もしターラー教官が居たのなら弩級の叱責が飛んでくるだろう。

 

間違いなく物理的な叱責も飛んできた。それを考えれば、風守少佐の行動は正しいと言えた。周囲に対して示しをつけたという意味もある。周囲の帝国軍人が見ていた事から、話はその場限りで収まるはずだ。

 

「と、そうして悩む様子もね。これが演技だとすれば、かなりの演者であるのでしょうが………中尉、嘘つくのが苦手みたいですし」

 

「会う人会う人、どうしてこう………そんなに分り易いですか、オレ」

 

落ち込む武に、班長は、五歳児ぐらいのカモフラージュは出来ているでしょうと微笑んだ。

 

「うわ、やっぱ腹黒いよこの人………」

 

敬語を日常的に使っている人は腹黒い。黄胤凰の訓示だったが、正しかったようだ。

そんな事を考えている武に、班長はそういったところも分り易いですと笑った。

 

「隠さずに声にしてしまうのもね。逆を言えば、そんな様子でそこまでの経験を積むに至った経緯や経歴の方に興味が惹かれてしまうのですが」

 

何をどう間違えばこんな少年が凄腕の衛士かつ、義勇軍といった正規とは外れた部隊に居るのか、班長には分からなかった。だけど少なくとも、隊を害するつもりが無いのは察していた。完璧に振る舞える人間など、どこか不審に思ってしまうのが人間だ。感情を制御しきれないというのは、スパイとして言えば致命的である。故に武は絶対的にスパイには向かない性格だと言えた。暗中飛躍が鉄則である以上は、感情の光など邪魔にしかならないのだ。

 

そして戦う時は懸命に、整備の事に関しても自分の知識を出し惜しみしない。

最低限のラインが確証できていれば、むしろ歓迎すべき仲間であると班長も理解はできているのだ。

 

「先の一件、本土防衛軍の衛士に関しては気にしないでいいと思いますよ。あっちも、どうやら訳ありのようですから」

 

「っと、そういえばさっきハンガーから戻っていった本土防衛軍の衛士のこと、知ってますか?」

 

「先にハンガーから出て行ったあの三人組のことですよね。詳しくは知りませんが、最前線からこっちに回されて来たようです」

 

色々と愚痴が聞こえました、との班長の言葉に武は首を傾げた。先の戦闘において、戦術機甲部隊の損耗率はほぼ皆無であった。負ける時はとことん被害がでかくなるが、そうでない時にはあまり被害が出ないのが衛士である。なのに今更になって後方に回されて来た所に、武は違和感を覚えていた。

 

最前線で同じ部隊の人間が多くやられたのか、あるいは実力不足と判断されてこの後方に左遷されてきたのか。もっと別の理由があるかもしれないが、ただの一衛士に過ぎない自分には到底分からない事である。そこまで考えて、武はふと思った。目の前にある自分の機体を見上げながら、呟く。

 

「俺も………この陽炎が壊れて、乗る機体が無くなったらただのガキだよな」

 

「私だって、整備の職がなくなったらただのそこいらに居る好青年ですよ」

 

「自分で好青年って言うのか………」

 

武はなんだか力が抜けたような気持ちになって、がっくりと肩を落とした。

班長は主観的な意見ですよと冗談をいう口調で小さく笑った。

 

「ともあれ、失職は御免なのは同意しますよ。所詮は分家とはいえ武家の生まれの上、妻子のある身ですから」

 

「職を失いましたーじゃ済まねーでしょうね………って、奥さん居るんすか。ちょっと意外ですね。あ、ひょっとして斯衛の衛士か何かで?」

 

「いえ、城内省に務めています。今は色々とごたごたしているようですが………っと、外に出す話題じゃありませんか」

 

わざとらしい口調で言う班長に、武は同意を示した。逆に、そういった情報を衆人環視に近いこの場所で言われても逆に困るのだ。

 

探りはその地にいる者に悟られてやるものではない。それとなく情報を集めなければ、いかにも不審人物だと吹聴して回っているようなものだ。誤解されれば他国のスパイ疑惑に一直線である。そうなれば色々と笑ったり泣いたりできない事態になることは、武でも分かっていた。

 

「弁えているようでなによりです。そう、それぞれの人間には役割がある………」

 

「班長? なんで後ろを見て………」

 

班長につられて背後を見ると、そこには2人の少女が居た。先ほど不機嫌を前面に出していた、篁唯依と山城上総だ。

 

「君がどういった理由で戦場に出ているかは聞きません。ただ………あの2人はまだ斯衛の卵、未来ある衛士です」

 

実戦は経験しただろう。だが城内省や斯衛の上、擦り切れた大人とは明らかに違う、子供の範疇に収まるのは間違いがなかった。武はそうして、城内省のごたごたという言葉を思い出した。つまり、この班長は不安に思っているのだ。

 

「部外者で、それも同い年である君に頼むのは筋違いも甚だしいとは思うのですが………」

 

「分かりました」

 

武はそれ以上何も言わずに、頷いた。小難しい理屈や理由など、一旦考え始めればキリがないということを武はここ最近で思い出していた。

 

「で、今の俺がすべき役割は」

 

「あの話しかける切っ掛けを探している2人の女性に応えることですよ」

 

「了解です」

 

武は軽く敬礼をしながら、了解ですと返した。

 

「ありがとうございます、神代曹長………相棒のこと、頼みます」

 

「はい、任されました」

 

神代乾三は顔を真剣なものに戻し、言う。そして複雑な表情をしながら、武に聞こえないように呟いた。嘘はない。疑いのないこと、嬉しくはある。だけどどうしてこんな時代に、あんな嫌疑をかけられ、そんなに容易く他者を信じることができるのか。

 

「ん、何か言いましたか?」

 

「いえ、何も」

 

お気をつけて、と見送りの言葉。武が去っていくのを見ると、班長は一人で呟いた。

 

「………逆に不安になってしまうな。周囲が善人だけであれば問題はない。裏切らない程の理由があればそれは吉となるだろうが」

 

しかし、今のこの地は違うのだ。坩堝の中で、これでは――――間違えれば、と。班長の不安に呼応するように、空には黒い雲が覆い始めていた。

 

「よっ。なんだ、デートの誘いか?」

 

遠くから聞こえてきた声。曹長は気のせいかも、とも思い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、数分後。武は唯依と上総と共に、ハンガーの出口にある高台付近で空を見上げていた。雲が多いせいで、空には星も見えない。月も半分が隠れている、照明が無ければ山であるここは暗闇の世界に閉ざされていたことだろう。熱帯夜で、湿気が多く蒸し暑い。そんな中で、一人だけ暑さとは関係なしに顔を赤くしているだけだった。

 

「軽い冗談のつもりだったんだけど………いえ何でもありませんよ山城さん」

 

「あら、何故謝るのかしら? ………ではなくて」

 

本題を、と上総は唯依を見た。唯依も上総の視線に頷き、気を取り直してと居住まいを正し、武に向かい合った。そして、頭を下げた。申し訳ありません、という言葉が2人の口から出た。

 

一方で武は、心の底から戸惑っていた。謝られる理由が思いつかなかったからだ。むしろ喧嘩をふっかけた事により、中隊に対して二次災害染みた迷惑がかかる可能性があるので、どちらかと言えば自分が謝罪する方だと。なのに突然の謝罪に、こうして深く頭を下げられている。武はわけが分からないと、2人の下げられた頭を交互に見ながら言った。

 

「えっと…………あ、そうだドッキリか! またプラカードを持ったチビが出てくるんだよな?」

 

武は罰ゲームの一環だったらしい、クラッカー中隊に所属していた頃の忌まわしい事件を思い出していた。いかにも薄着な玉玲、らしからぬ色っぽい言葉、狙ってんじゃねーかという程に接触してくるはずかしがりやの彼女。不自然だとは分かっていた。だけど、信じてしまうのが男の性である。最後は“prank”と書かれた板を両手に、アーサーが出てきたのだ。日本語でいうドッキリらしく、イギリスではよく行われていたらしい。でも、周囲に人の気配はない。

 

そうしている内に、上総は顔を上げて今日の模擬戦の後の事だと言った。

 

「その、こちらから頼みましたのに………私達、態度が悪かったでしょう? 助けられた事にお礼とも言わずに………中尉が苛立っていたのは、それが原因だと思いまして」

 

唯依も同じらしい。武はそこで、ああと頷いた。つまりは、誤解なのだ。

 

「いや、別に2人の態度のせいでイライラしてた訳じゃないんだ。ちょっと、考えることがあったから、ってこれ言い訳だよな」

 

別方向に話が行く気配を感じた2人は、慌てて質問をした。怒ってはいないのかと。

武はなんで怒るのか分からない、というようなきょとんとした顔をしていた。

 

「そりゃ、負けて悔しければ不機嫌にもなるだろ? むしろへらへらしてる方が問題だと思うけど」

 

「それは………確かに、負けても何も思わないのは、違うことだと思います。ですが、先の戦場で助けてもらいましたのに。

その事に関しても、ちゃんとした礼を言っていませんでしたし………」

 

「仲間だから助けるのは当たり前だと思うけど。いやむしろピンチになりゃ誰だって助けるだろ」

 

「………同じ事をバドル中尉からも言われました」

 

2人は先にマハディオの所に行っていたようだ。そこで、マハディオは答えたらしい。

礼をせびるような奴ではないし、その事が原因でイライラするほど神経質ではないと。

 

「それでも、私達は助けられました。故に………ありがとうございます。危うく初陣で戦死という、不名誉を晒す所でした」

 

「えっと………どういたしまして」

 

武は礼儀きちっとしてんなあ、と苦笑し。そして、どこか暖かい気持ちになっていた。誰かを助けたことは多い。それでもやはり、正面から感謝の言葉を聞かされるのは気持ちがいいのだ。少なくとも、援護などなかったと頑なに認めない、自称ベテランの衛士よりかは100倍はいい気分になれる。何より、故郷の衛士にもまともな人間も居ると知ることができたから。

 

「でも………マハディオかあ。あいつ、何か別のこと言ってたように見えるけど」

 

「ええ、悔しがる様子がおかしかったようで」

 

だけど、マハディオは笑っていたという。あいつの実戦機動を見て挑めるのならば大したもの。そして負けた上で感情を隠し切れない程に悔しがれんだな、と。

武はわけが分からずに、首を傾げていた。

 

「いやだって、普通は勝負に負けたら悔しいだろ。相手に関係なく。同い年が相手なら余計に悔しさが増すかもしれないけど」

 

「そうですわね。ですけど………それが普通だとは思いません」

 

「………上総?」

 

唯依は少し様子が変わった上総の方を見て、戸惑っていた。

 

「ごめんなさい、これはこちらの話でしたわ」

 

「いや、途中で止められる方が気になるんだけど」

 

そこで武は、あーと呟いた。

 

「よし、じゃあ………オレハオコッテルゾー。オコッテルゾー」

 

武はオグラグッディメンな顔をしながら、襲いかかるように両手を上げた。

 

「―――というわけで、話してほしい。侘びということで、是非に」

 

「えっと………」

 

武の強引な展開に、上総は戸惑っていた。生まれてこの方、見たことがない男児の様子にどうすればいいのか分からなかったのだ。唯依も同じで、戦術機に関してあれこれと語っていた時とはまるで違う表情になんと言えばいいのか分からなくなっていた。

 

控えめに言って間抜けな顔で、これではそこいらの男子中学生と変わらない。とてもあの紅蓮大佐相手に啖呵を切った男には見えなかった。上総も唯依も、そこいらのギャップに思考が停止してしまっていた。そんな2人を見て、お嬢様だなーと感慨深く頷いていた。ただの冗談に、ここまで深く反応されるとは、思っていなかったのだ。これが純夏なら、えー、と嫌な顔をされるか、いや、とすげなく断られていただろう。あいつならば、こちらが謝りたくなるような、まるで可哀想なものを見る目で数分は見つめられいたに違いない。

 

真剣に受け止めて戸惑ってしまうあたりが、箱入りの度合いを表していた。そのまま告げればきっと、逆に怒らせてしまうだろうが。言葉なく面白がる武に対し、唯依はまだ真剣に考え込んでいた。冗談のような言葉だけど、意図を真面目に受け取るのなら説明しなければならない。

 

さりとてどうすればいいのか。だけどもう一人である上総の方は、口を軽く手で押さえながら小さい笑い声をあげていた。品のある、くすくすという溢れるような吐息の後、武を見て笑いながら言った。

 

「ああ、おかしい。どうしてこんな事で、真剣に考え込んでいるのかしらね」

 

「そうそう、こんな事、こんな事。気になるってだけだから、どうしても言いたくなければいいよ」

 

「いえ、話させて頂きますわ。お礼のつもりに、ね」

 

「えっと、上総?」

 

「冗談の類ですわよ。そんな眉間に皺を寄せてまで、考えるような事じゃありませんわ」

 

ですわよね、という言葉に武は頷いた。

 

「私の家、山城家に関する話ですわ。いえ、武家が抱えている問題というのもあるでしょう」

 

「上総、それは………」

 

「貴方も馬鹿らしいと思っているでしょう? ――――戦術機適性により、武家の人間に相応しいかどうか問うような。そんな情けない一団が斯衛の中に居るなどと」

 

それは、戦術機が最前線を張る兵種になってから起きた問題だという。発端は、戦術機適性が無いか、ぎりぎりと言ったレベルにある者のことだ。衛士になって戦うは武人の誉れである。だけどそうでないものはどうか、という問いに対して、戦術機に乗れる者は侮蔑の視線を向けたらしい。それは時代の流れから逸れてしまったものに対しての嘲笑。実際に、衛士として期待される者がない家は、ここ十数年以内では冷遇される傾向にあるらしい。

 

「五摂家の方々は………そう考えるような方々じゃないと思うんだけどな」

 

「正しくそうでしょうね。どなたも、立派な方々であるとは聞き及んでいます」

 

唯依も深く頷いた。文武両道であり、人格も素晴らしい方々であると聞いていた。

だけど、その"下"は違う。上総は外様武家として、見えたものがあると言った。

 

「赤の方々はともかく、山吹より下は実に泥々としていましてよ? どの家も、近年は武勲に恵まれなかったのですから」

 

「あ、そうか。斯衛の主任務は帝都の、陛下や殿下を守ることだもんな」

 

「ええ。それでも、武家の人間は自分の家を守らなければいけません。となれば、答えは必然ですわよね」

 

「役に立つ能力を持っていると主張する………つまりは弱い立場になった者を責める、か。いや、それ以前に」

 

武は唯依の方を見た。国産戦術機の親の一人とも言える、設計者のことを思い出したのだ。

 

「篁の家の事は………賛否両論でしょうね。斯衛復権の鍵となったことは確かです。感謝をしている家は多いでしょう。ですが、その波に乗れなかった人達は………戦術機適性が軒並み低い家からは恨まれていると思いますわ」

 

唯依は寝耳に水の話に、驚いていた。確かに瑞鶴の開発に反対していた勢力が居ることは知っていた。だけど、その内実がそうして生まれた理由も、戦術機適性が低い家に恨まれているなどとは思ってもみなかった事だった。

 

「それは………でも、本当に? 父様は私に何も………」

 

「言えませんわよ。居ることは確かでしょうが、表立って組織されている訳ではありませんもの」

 

「それに、瑞鶴を開発した本人ならなおさら、か。初陣の前には言うつもりだったかもしれないけど」

 

その機会は無かったに違いない。今も東京の市ヶ谷では戦術機開発に関する研究が進められているのだ。開発主任である唯依の親父さんが、まさかそこを留守にする訳にもいかないだろう。

 

それに、と武は考えた。出陣前に電話をしなかったのも、唯依に関しては心配ないという周囲へのアピールが含まれていたかもしれない。注目を集めている人間に対して自分の開発した瑞鶴は、京都を守ることができると。

 

逆に娘が心配であるといった類の声をかけてしまうと、自信の持てないようなものをお前は開発したのか、と周囲から責められる可能性も考えられた。そして、篁の家についても。聞けば、京都の屋敷には使用人を含めて大半の人間が避難せずに残っているらしい。

 

「開発者としての責任か………重たいもんだと思うけど、逃げずに抱え込んでるんだな」

 

「ええ。そうまでして、覚悟を決められている方もいますのに」

 

適性による差別は、ゆっくりと着実に斯衛の中に広がっていたらしい。特に上の世代に関しては、それまでの不遇の時代からか、一種の信仰のようなものがあるとも。それを理由に、適性が高いものを尊重する風潮も生まれているという。

 

「もちろん、大半の斯衛はそうした事に捕らわれず、己の技量を磨いています。ですが、そうでない者もいることは確かです。適性を言い訳に仕方ないと、諦める者が居るのも確かです………1つ上の姉がそうでした」

 

それは、まだ訓練学校に入る前のこと。当時訓練学校にいた姉は、煌武院の傍役である月詠家の方々と同期だったらしい。月詠真那と、月詠真耶。在学中の主席はずっと2人のどちらかに取られていて、実機の訓練でも一回も敵わなかったとか。

 

だけど、姉は悔しがる素振りも見せなかったという。赤だから。仕方ない。私は適性が低いから、と言い訳ばかり。武は成程、と呟いた。月詠真那という名前に引っかかりを感じてはいたが。

 

「譜代、外様など関係ない………己を磨いた者が勝つのです。敗北を悔しがらない者が、どうして更なる鍛錬に挑むことができましょうか」

 

上総の発した言葉、その前半は唯依にも聞き覚えがあるものだった。訓練学校に居た頃、模擬戦を行った際に上総が零した言葉だ。最初の頃は譜代武家である自分に対して、敵意のようなものを抱かれているとも思っていたが、その理由が分かったような気がした。

 

だけど、と唯依は不思議に思った。訓練が進むにつれて、上総の態度が軟化していったのだ。その理由はなんだったのだろうという顔をする唯依に、上総はバツの悪い顔をした。武は突然に変わった空気に戸惑い、交互に2人の顔をみる。すると上総は、観念したように口を開いた。

 

「その、筋違いだと思いましたのよ。そうした理由であなたを敵だと見るのは」

 

「あー、成程。篁さんってほんと糞真面目だもんなあ」

 

「く………く、く、鉄中尉!」

 

唯依は何かを誤魔化すように、武を責めた。深く頷いている上総にも、咎めるような視線を送る。そもそも斯衛の衛士が真面目なのは当たり前のことだ。帝都を守るために全力を尽くすのは、武家の者としての務めでもある。横道にそれるなど言語道断。己の成長する方法を模索し、日常でもそれを忘れない心構えが必要なのだ。

まくし立てるような唯依の言葉に、上総は武の方を見つめ、武も深く同意するように頷いていた。

 

「うん、道理なんだけど………多分、斯衛の全員がそうじゃないって俺は思うな」

 

同期の他の3人を見ていると、どうもそうは思えない。武の言葉に、上総はそうなんですわよねと頷き、2人は同時に唯依を見た。見られた方唯依は今の自分の言葉が真面目であることの証明だと気付き、うっと苦し紛れの声を出しながら一歩だけ後ずさった。

 

「それに、私気づきましたの。唯依はライバルでもありますが、話していて面白い反応をする子でもあると」

 

「………同志よ」

 

「二人共…………私だっていい加減に怒りますよ?」

 

「ほら、真面目だ。冗談だって気づかないのが余計に」

 

「でも、よくからかって来ますよね」

 

「うん」

 

唯依は、武が行なっている座学での事を思い出していた。内容は真っ当でためになる話ばかりだが、時にふざけた様子を見せることがあるのだ。それに上総が便乗し、唯依は一授業に一回はからかわれた事を知って顔を赤くしていた。

 

「また、どうして私などを」

 

「いや、だってさ。初陣の前にも言ったと思うけど、反応が素直で可愛いし」

 

「かっ!?」

 

「まあ、唯依は可愛いですわよね」

 

「山城さんも可愛いと思うけど」

 

「………私が?」

 

「篁さんを虐めている時、ってのは冗談だからそんなに怖い顔はやめて下さい。ほら、さっきの笑う様子とか―――――鬼の霍乱っていうんだっけ?」

 

「貴方とはとことん話し合う必要があるようですわね」

 

笑顔で恫喝してくる上総に、武は慌てて否定した。

 

「い、今のは冗談だって。可愛いって思ったのは本当だから。なんていうか、俺の回りには曲者が多くてなあ………」

 

黙っていればモデルだが実体は豪快な海女。腹黒お団子CP。ジョークが下手な天然眼鏡。四国でも会ったが、天然超特急爆裂女。他にも大勢いる。あいつも、素直という言葉をどこかに忘れてきた女だった。東南アジアに居た頃の衛士は、なんというか"濃い"奴らばかりだったのだ。

 

記憶の影に見える人物――――全て女性のようだが――――も、かなり曲者が多かったように思う。

その中での清涼剤といえば、かつては葉玉玲であり、篁唯依であろう。なんていうか素直な反応が楽しく、慌てる様子が可愛い、精神安定剤要員というか。山城上総にしても、先のような事を気にして一喜一憂している様子が、お嬢様っぽくて可愛かった。昔なら、皮肉の3つは飛んできただろう。

 

そこまで考え込んだ後、武は周囲の状況に気づいた。

顔を赤くして慌てている篁唯依と、所在なさげにしている山城上総が何かを言いたそうにしている。

 

「ん、2人ともどうしたんだ………ひょっとして実戦の疲れが出たとか」

 

「流石にもう大丈夫ですわよ………ってそうじゃなくて!」

 

「ああ、ごめん。ともあれまともな人間っていうかさ。俺って今まで同年代の衛士仲間って、全然居なかったんだよ」

 

だから友達になってくれないかな、と。

武は提案したが、上総は何故か顔を赤くしてうーと唸るだけ。

 

「そうか………やっぱり無理だよな、こんな怪しい奴」

 

「え、いえ、そういった意味じゃなくて………ああもう!」

 

突然の大声に、武と唯依は驚いて一歩下がった。それを見た上総は、じっと武の様子を観察した後にため息をついた。バドル中尉が言ったのはこういう事でしたか、と。

首を傾げる武。上総はため息を重ねると、武の手に自分の手を重ねた。唯依も、おずおずと握手をする。武は満面の笑みで握手を済ませると、憧れの同い年の友達が、と感激の声を上げる。

 

2人はやや顔をひきつらせていたが、どんな修羅場を経験してきたんだと冷や汗を流していた。

 

「それで………私の話に関しては、今ので終わりだけど」

 

「あー、どうするか。デートに誘ったのはこっちだったよな」

 

ならば出し物の用意をせねば、と武は気遣う様子を見せた。どうしてか、女性はエスコートするものと叩きこまれた事があったのだ。そうしてしばらく悩んだ武は、いい案があると手を叩いた。

 

「さっきの模擬戦の、近接戦闘のアドバイスとか!」

 

「それは………良いとおもいます」

 

武の提案に食いついたのは、唯依だった。鵜呑みにする訳ではないが、先の一対一で何度もしてやられた事について、助言があれば聞きたかったのだ。

 

突然衛士の空気に戻った2人に、上総は目をぱちくりさせていた。想定外の光景を前に、意識がどこかに飛んでいるようだった。それを放って、2人は戦術機トークに花を咲かせていった。次第に、唯依の敬語も解れていった。

 

「最初の一対一でのことが聞きたい。突きに関しては、どの段階で読まれていたのか不思議でしょうがなかったわ」

 

「あー、あれな。構えを正眼にした時点で気づいたよ。あとは直前の機体の右手の挙動と、後ろ足への力の入り加減も。いかにも何かするって感じだったし」

 

正眼にしたからには、決めては振り下ろしの一撃ではないだろう。後ろ足への力が入るのは、突進系の攻撃を仕掛けてくるということだ。その上で右手にも力は入っているということは、突き技以外にあり得ない。自分なりの観察の結果を武は言う。唯依は、正眼という単語が出たこと、そして右手についての言及が出た事に食いついた。

 

言われる通り、竹刀を振り上げて振り下ろす面技や、相手の手を狙う小手技は左手の方に力が入るもの。それを見極めて攻撃を察知するということは、心得があるという事でもある。

 

「中尉も、ひょっとして剣術を嗜まれている、とか………」

 

「いや、俺は少しかじっただけ。あとは教えてもらったのと………長刀の使い方を忘れないように、素振りを一定の回数こなしてるだけかな。近接戦闘に関しては、短刀を使ってる。グルカの教えを活かせるのも多いし」

 

近接戦闘の直接の師といえば、バル・クリッシュナ・シュレスタである。武は義勇軍に入ってからも、何度か彼に教えを受けていた。経緯に関しての説明はシェーカル元帥から知らされているらしい。師匠は無言で、近接戦闘の訓練につきあってくれた。

 

短刀を多く使うのは、突撃前衛は攻撃力よりも機動力の方が大事だからだ。どうしても動きながらの攻撃になってしまうので、取り回しがしにくい長刀よりは短刀の方が扱いやすい。

 

「それに、具体的な技はないんだ。けど、心構えだけは徹底的に叩きこまれた」

 

「グルカの教え………それはどういったもの?」

 

「意識を纏え。無意味な事はするな。そして、自分の思考に振り回されるな」

 

要約すれば、そういう事であった。自分の芯にある望み。それに沿って生まれ出る思考に逆らわず、意味のある事だけを選択して、終わりまでの道筋を見極めろ。

先の戦闘の事でいえば、武が望んでいたのは物言いなどつかないぐらいの、文句なしの完勝だ。正面からの攻勢を捌き、虚動による本命の一撃を見抜き、相手の土俵で土をつける。悔しさをバネにする人間だからこそ、ほぼ本気で戦った。途中の戦術は戦いの中で見出した、相手の弱点をついたものである。長刀の扱いは見事だけど、戦術機相手の戦闘は未熟。相手の戦術の見極めが生身での対人戦闘に凝り固まっている。だから戦術機にしかできないであろう、相手の視界から消える程の跳躍をして、生まれた隙をついたのだ。

 

「そこまで、見極められて………」

 

「相手も自分も人間。なら、注視すれば必ず見えてくるものがある。同時に自分を見つめろ。さすれば戦術はおのずと決まってくるってね」

 

哲学のようなそれは、シュレスタ師の独特の考えだった。意識をまとい、相手を見て、自分を見て、自分を見せて、誘いそして応じる。そして、何度も言われた事があった。

 

「目を逸らすな。そして、“黒も白も珍しい色ではない”ってのが師匠の口癖だった」

 

「黒も白も………とんちのようですわね」

 

「俺もそう思ったよ。でも、何となくだけど分かったような気がしてきたんだ」

 

当時は何のことだか分からなかったが、今ならば分かるような気がした。黒、そして白とは自分が、あるいは他人が自分に抱く感情の事かもしれない。思い浮かんだのは、他の3人の斯衛のことである。先ほど、能登少尉の瞳に浮かんだ色は、怯え――――恐怖。恐らくは、自分の実戦での動き、その異様さを見てその異様さが理解できたのだろう。

 

まさか怯えられるとは思っていなかった武は、少し落ち込んでいた。だけど、それも仕方ないという班長が居る。部分的には信じられるとの言葉。そして、単純に色で表せない事もあると知った。

例えば、今に聞いた話のこと。誰もが様々な感情を抱いていて、思い思いの信念を元に、それぞれ目指すべき場所に向かっている。

 

「話は変わるけど………二人共、風守少佐から帝都のために死ね、っていうような命令を下されれば、素直に従えるのか?」

 

「死守命令のことね………出来るわ。だってそれが私達斯衛の役割だもの」

 

「私も出来ます。無意味な犬死には御免だけど、それが帝都を守るためであれば迷う理由なんてありませんわ」

 

己を磨くのも、全てそのために。それこそが自分たちの使命であると、2人は迷いなく断言した。

胸中には様々な感情が渦巻いているのだろう。

だけどそれを制御し、与えられた自分の役割を全うする。

 

「もし、本当は他の誰かが死守をしなくてもいいような方法を持っていて。それが間に合わず、自分が死んでしまったら?」

 

「前提がよく分からないけど………どうかしらね。ただ、これは父様に聞いた話なのだけど」

 

未納の結果を前に、言い訳は通用しない。

それが技術者として、自分に言い聞かせている言葉だという。

 

「全ては時によって制限されている。技術者にとっては納期がある。どんな時も、間に合わなければそれが全て。理由の大小種類に意味なんてなく、起きた結果以外を人は見ないって」

 

「その時々にあるものを使うしかない。それは、未熟な私達にも分かりましてよ。無いものねだりや、もしああしていたのならばなんて、人が死んだ後で言うことではないでしょう」

 

だからこそ、事前の備えが必要なのであると。武も、よく教官や戦友から教えられた事があった。

戦争の趨勢は前準備で大半が決まると。では、最も最悪なのは何なのか、武は考えた。

 

(それは………手があるのに、黙り続けていることだ)

 

向かうべき最善があるとする。最悪なのは手前勝手な理由で留まり、可能性すら潰すことだ。デメリットを恐れて、暗闇の中で膝を抱えて座り込んでいることだ。動こうとせずに、一所に留まっているのは何もならないのだ。

 

何と何を救うべきなのか。

本当の愚物とは、それすらも曖昧で、結局は何も成すことができない愚鈍な愚か者の事だ

 

(だから――――まずは、始めるための第一歩か)

 

最悪は知っていた。それは、自分と、そして目の前の女の子達の決意が無駄になることだ。そのために必要な事があった。一筋の糸、斑鳩崇継と会う事よりその光明は訪れるかもしれない。自分には政治は分からない。駆け引きも苦手だ。今は、偽名を言い当てた意味さえも分からない。何も分からない現状だが、直接に会って話をしなければ分からないことは確かにあるのだ。

 

失敗すれば、あるいは殺されるかもしれない。だけど、日本を飛び出してからはずっとそうだった。安全な場所など何処にもなく、リスクのない選択などありはしない。

 

いつも、何かを得るにはきっと、清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟が必要だった。だから、ここで怖気づいては何もならない。今の目の前の2人と話した時と、同じように。果てに待ち受けているのは黒か白か、鬼か蛇か、希望か絶望か。それは蓋を開けてみれば分かりっこないのだから。

 

《あるいは、箱の中の猫の生死もな》

 

触れられる距離に近づかなければ、本当の危険は判別できない。そして、誰かを使うなんて事ができる程に偉くもない。武は意味は分からずとも、声の言いたいことは理解していた。所詮は机上だけでは何も分からないことは知っている。

 

だから、万に1つでもこの戦況を打破できるのならと、武は目の前の女の子を見た。その決意は見事で、眩しい。

 

武は戦友かつ友達になった2人を視界に収めて、自分より離れた戦う意志とやらに話しかけながら、ある決意を胸に抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都府の北の外れにある、最前線で展開する戦力を駐留させている基地の中。そのとある一室で、2人の男が机を挟んで向かい合っていた。椅子の高さは全く同じ。身長も同じであるが故に、目線はまったく同じ高さにある。

 

片方の男は、いかにも叩き上げの軍人らしく、鍛えられた体躯を持っている強面の将官。もう片方はその男に反し、細身であり武官というよりは文官を思わせる体格の男だ。

 

眼鏡をかけている方の男が、出されたお茶を口に運んでいく。しかし対面してよりずっとあった緊張感が緩むことはない。密度が数割ほど上がったのではないかと思える程の重圧の中で、強面の将官の傍付きである青年は口を閉ざしたまま背筋を伸ばして直立不動していた。

 

一方で、城内省の制服を着ている男は、息苦しそうに顔を顰めていた。緊張しているせいだろう、息も少し荒くなっている。眼鏡の男は――――御堂賢治は、横目でそれを見た後に小さいため息をついた。

 

ようやくと、本土防衛軍の中将が口を開く。

 

「再度確認するが………次からは斯衛の方々も最前線に出張られると?」

 

「その通りです。斯衛の戦術機甲部隊から2個連隊を。この帝国を、帝都を守る力に加えさせて頂きたいのです」

 

御堂は言い淀む素振りなど一切見せずに、断言した。用意されていた言葉に、同じく中将も前もって用意していた問いを投げかける。

 

「そちらの言い分は分かった。だが斯衛はあくまで"帝都"を守る軍である――――そう言われ、陸軍からの派兵要請を断った過去があると聞いているが」

 

陸軍は大陸での戦闘が激しくなり、将兵や装備の損耗が加速していた時に斯衛軍に援軍を要請した事があった。斯衛としても立場上は断る訳にはいかないので、援軍を派遣した。だが、送られてきた戦力は想定していたよりも遥かに少数。

これを陸軍の将官は不満とした。古来より戦いは数なのである、なのに蓋を開けてみればわずか二個大隊のみ。

 

音に聞こえた精鋭揃いであり、また九六作戦の窮地を救ったこともあってか大きな問題にはならなかったが、陸軍はその時を事を忘れてはいない。本土防衛軍にも情報が入ってきていた。また、最前線は我が本土防衛軍の戦うべき場所であるという自負が強い。最も損耗率が高い最前線に陸軍よりもはるかに上回る数の部隊を置いているのは、伊達ではなかった。

 

ここで斯衛が絡んでくるのは面白く無いだろう。だから尻に火がついている今更になってようやく、でしゃばってくるのか。そう言いたげな中将の声色であったが、御堂は動じず答えた。

 

「陸軍の要請に応えきらなかったのは本土防衛軍(そちら)も同じでしょうに。また、お忘れなく」

 

「何をだ?」

 

「舞鶴は京都。つまりこれは"帝都の防衛"なのです。そして陛下がおわす帝都を守るのは斯衛の務めでもあります」

 

そして、陛下を守る戦いに参加するは、斯衛としての本懐、故に当然の権利である。そう断じる御堂に、中将は無表情で答えた。

 

「………詭弁だな。それで、御堂少佐はそういった理由で斯衛は戦うと、軍内(こちら)に周知させろというか」

 

納得はすまい。中将は将兵の反応を想像してみたが、はいそうですかと頷く者は少ないだろうと思っていた。だが、戦力の充実は急務であるとも考えていた。

 

先の戦闘で見せた斯衛の戦果は凄まじく、何よりやはり武家は民の憧れを集める存在なのだ。軍閥の人間であるならばともかく、徴兵された元民間人であれば士気も幾分か上がるだろう。何より戦術機甲部隊の総数が増えるのは願ってもない。

 

流石に先の戦闘でその実力を見せつけてきた音に聞こえる猛者達程ではないだろうが、斯衛の戦力がアテになることも事実だ。中将はそこまで考えた時に、気がついた。

 

「斯衛の最精鋭が遅れて戦闘に参加したのは、貴官の差し金であるな?」

 

「何のことかわかりませんな。ただ、あれは斯衛の総意であったとだけ」

 

それに、と御堂は淡々と告げた。

 

「所詮この身は赤に過ぎません。一軍の行動をどうこうしようなど、出来るはずがないでしょう」

 

御堂は眼鏡をくいと上げながら、聞かなかったことにしますと言う。

中将は内心で狸が、と吐き捨てながら背もたれに体重を預けた。

 

(少し考えれば、納得できる理由が思いつく。いや、思いつかされる事態になっている)

 

一連の流れがあってこその現状。つまりは、この交渉の段階までの、更にもっと先までの絵図を描いているものがいるのだ。中将はため息をついて、身体を起こした。彼も、細かいことはどうでも良かった。ただ、護国を思う一人の人間として在るのみ。その信念の下に、御堂の瞳をじっと見据えた。

 

「了解した。斯衛の手並み、期待させてもらうとしよう………いや、配置の具体案や、先の戦闘で起きた地形の変形などをつめる必要があるか」

 

「それは、こちらからお願いしたいくらいですね」

 

共有すべき情報について、色々と話し合う。兵站に関しても同様だ。中将は時折城内省の男に話を振ったが、曖昧な意見や同意する意見ばかりで、禄に使えるものがない。その度に御堂が間に入り込み、具体案や改善案などを出していった。

 

「………こんな所ですか。それでは、これからは互いに禍根もなしに」

 

「そうである事を望むがな。一度決めたのであれば、撤回はできんぞ」

 

「まさか。共に戦うとなれば、あとは徹するのみ。我が斯衛の精鋭も奮起しましょうや」

 

返答を聞いた御堂は、唇を気づかれないようにわずかに歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの御堂少佐………」

 

「………なんだ」

 

「あれでよろしかったのでしょうか」

 

御堂はそれを聞いて、舌打ちをした。どの口でそれを言うのか、と。

 

「貴様、先の会談で自分が発した言葉を覚えているか?」

 

「え………」

 

「"あの"、"そうですね"、"それが良いと思います"………貴様は人の言葉に迎合して鳴くことしかできない豚か」

 

御堂の辛辣な言葉に、城内省の官僚は黙り込んだ。再度の舌打ちが廊下に響く。御堂が隣で落ち込む男に望んでいたのは、こじれかねない話をスムーズに進められるような合いの手を入れる相方としての役割だ。なのにこの男は軍人の空気に呑まれ、禄に意見や補足の言葉を入れることもしなかった。その結果が、自分一人で場を回さなければならないという、出来れば避けたかった顛末である。

 

(城内省の意見でもあると示すために呼んだのだが、失敗だったか)

 

御堂は自分の立場を忘れてはいない。一介の赤としての線引は明確に見えてきて、だからこそ揃えなければならないものがあるとも分かっている。個人で動きまわりすぎるのは目立ちすぎるのだ。

 

そのための共犯者でもあり、カモフラージュにと打診した挙句に出てきた人物が"これ"である。

御堂は内心で沈痛な面持ちをしながら、相手方の側近を思い出していた。この隣の男とは全く違う、場の雰囲気にも呑まれずにただこちらのようすを鷹のように観察していた。

 

車に乗り込み、ようやく話を聞かれない場所になると深くため息をついた。

 

「人材不足も甚だしいな………分かってはいたが、こうまで使えんとは」

 

分かってはいたが、と二回いいつつも苛立ちは止まらなかった。だが、無意味に時間を浪費している暇などなかった。思い出したように、運転手にたずねる。

 

「時に、篁の屋敷で見つけた少女の様子はどうだ」

 

「永森の家の者から連絡がありました。今の所は永森の屋敷の方で、大人しくしているようです」

 

「それでいい。だが、見張り役は永森英和だったな………」

 

御堂は名前の男の性格を考え、釘を刺すように言った。斯衛の衛士にしては虚栄心が高く、また感情的になりやすい男である。能力に申し分はないが、それでも目論見をご破算にしてくれる可能性を持つ男だった。

 

「もう一度だけ伝えておけ。決して乱暴なことはするなと。その娘には、また別の場所での大事な役割があるのだから」

 

御意に、という声が車内に鳴り響く。そして御堂はこちらの顔を窺っている城内省の男を無視しながら、窓の外を見た。昨日が嘘のような、曇り空だった。遠くでは雲が煤のように黒く、空気中の湿気も匂うようになっていきている。

 

酷い雷雨になるだろう。それを見ながら、御堂は一人誰にも聞こえないように呟いた。

 

 

「それでも、雨は来るのだよ」

 

 

避けられない黒い雨が来るのならば――――誰かがやらねば、この国は滅ぶ。その呟きは、男には聞こえなかった。ただ車を運転している補佐役だけが、小さく頷く。

 

 

そうして、影に動く者を乗せた車は、雨が降り始めた京都の中央部へと、タイヤで水滴を弾きながらエンジンの排気音と共に走り去っていった。

 

 

 


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