Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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ホムペで人気投票した結果の、一位を取ったキャラの特別短編です。

ちなみに順位は、

1位 : サーシャ・クズネツォワ
2位 : 白銀武
3位 : 煌武院悠陽

でした。


特別短編(人気投票1位キャラ特別編)

――――事の始まりは、戦闘直後の何気ない会話だった。

 

『あー、今日もこれで終わりか………短い規模のやつが連続だと、すっきりしないな』

 

『こら、気を抜くなタケル』

 

ターラーは疲労困憊だと言いたげにため息をついた武に対して釘を刺すように言うが、武もそれは分かっていると返した。だけど出るものはしょうがないと。それを聞いた誰もが頷き、気持ちとしては同感だと答える。誰より前衛に負担がいっていることも分かっているのだ。

 

その負担の成果であるBETAは、彼ら彼女らの足元に無造作に夥しい数の屍として転がっていた。数にして千に届くかというほど、だが対する中隊の数は12でしかない。この光景こそが、小規模だからとて我が中隊だけで十分だとのラーマの言葉に軍の上層部が頷いた証拠であり結果だった。悪戯に衛士の体力を消耗すべきではないと、中隊と上層部の両者が判断した結果でもある。それが功を奏している事は、今の戦術機甲部隊や整備班の共通認識にもなっていた。とはいえ、全く損が無いはずがない。少数精鋭、英雄の活躍と言えば聞こえはいいが、戦力差を覆すにはどこかに無理をさせる必要がある。そして、その負担の4割ほどは前衛に傾いているのが現状だった。

 

そんな戦場の中での心配の声、その緊張の空気の中で、とある発言するものがいた。

 

『なら、気晴らしにショッピングとかどうだ。この前の玉玲のように、街に繰り出すってのも一つの手だぞ』

 

『そうそう。給料も全く使ってないようだし、お金も貯まってるみたいだし、ぱーっとでかい買い物するのも良いと思うわよ』

 

『買い物、かあ………ああ、それいいかも。美味いものを食いに行く、とか』

 

武はリーサとインファンからの提案に、頷いて答えた。軍の合成食料はお腹いっぱいに食べられるとはいえ、味は日本のそれより数段と味は落ちる。武も成長期の少年である。贅沢な話ではあるが、命を賭ける激務の中で美味という潤いを求めるのは必然だと言えた。

 

だが、武が2人の発言に答えた直後に、周囲1kmは戦場とはまた異なる緊張感に包まれた。

 

『へ、へえ。そうなんだ』

 

サーシャの、なんでもないような、だけど焦りを隠せない一言が。それだけでその場は、いいようのない、だけどどうしてか焦燥を感じる正体不明の雰囲気が発生していた。アーサーが不思議そうに首を左右に振り、樹も周囲を警戒し、クリスティーネもどこかに敵がと映る視界への注意を強めた。その一方で年長組でもあるラーマとグエンは微笑の中で目を閉じ、少し若いフランツとアルフレードは面白そうに唇を歪めた。ターラーも何かに気づいたようにあっと声を上げ、玉玲は不思議そうに首を傾げてているだけ。

 

その中で、武だけはその空気に全く気づいていなかった。ただ、横浜に居た時のように中華街のような観光地兼美味しい店舗が揃っている場所に行くのもいいか、と考えていただけ。そんな武の脳内が見えているかのように。あるいは世界一の衛士を凌駕するかもしれない速度で、反応した者がいた。

 

それは銀の髪を金色に染めた少女。部隊の中でも古参の一人となる、武との付き合いでいえば中隊でも1,2を争う程に長い、サーシャ・クズネツォワだった。

 

『こほん。た――――た、タケル? その、良ければ私も付き合うよ。ちょうど私も、街で買いたいものがあったし』

 

『お、そうなんだ』

 

武は全く疑わずに、サーシャの言葉に頷いた。そしてちょうどいいと、通信越しに声をかけた。

 

『じゃあ、明後日にでも街に遊びに行くか。ちょうど、その日は休みだしよ』

 

その言葉は、雷鳴のように隊内の全員の脳内を響かせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。武は基地内にあるグラウンドの中央で、中隊の半分となる者達に囲まれていた。ラーマにアルフレードにアーサーにフランツにグエン、隊の中でも染色体がXYとなっている者達だ。誰もが真剣な表情になっている中で、武はきょとんとしていた。

 

「あの、なんでこんな時間に集合をかけられたんですかね」

 

「落ち着け。これは重要な任務である。手抜かりは決して許されない類のな」

 

取り敢えず集合、とラーマが手招きして全員を呼び寄せた。そして他の4人を集めて円陣を組み、武も手招きされたままにラーマの隣に収まった。

 

「さて、会議にしようか。欲を言えば白銀曹長も誘いたかったのだが、整備が忙しいですからと悲痛かつ苦悶の表情で後を頼まれた」

 

「え、なにをですか?」

 

「息子を頼みますと、そう言われた」

 

「なにがなんで!?」

 

どういう経緯でそうなるのか、武には全く理解できなかった。そんな中で、アーサーは訳知り顔で告げた。

 

「けっ、お前もニブチンだねえ。サーシャの嬢ちゃんも苦労するわけだ」

 

「黙れチビ助。今日この場に限って、お前が鬱陶しい顔で自慢できるような内容じゃないのは分かっているだろう」

 

「説明されなきゃ気付きやがらなかったしなぁ」

 

駄目駄目だな、というフランツとアルフレードの言葉に、アーサーはぐっと言いながら黙り込んだ。

フォローにと、グエンが声をかけた。

 

「最優先で重要視すべき案件は明後日のことだろう。幸い、今日も俺たちの大隊には休暇が出されている」

 

「グエンが良いことを言った。場を整えれば一方的な負けはない。つまりは、そういう事だな」

 

武が何を言っているんだ、といいたげな顔をした。どうしてここで勝ち負けが出てくるのかと。それを横目に見ていた他の4人だが、いつもの通り平常運転かつ極まっている少年を可哀想なものを見る目で眺めながら、しかし最早是非もなしと作戦会議を続行した。

 

「白銀少尉。戦いに重要なものとは武器である。故に問おう。お前は出かける時に着るような服を現在所持しているか」

 

「持ってませんけど」

 

なにそれおいしいの、と言わんばかりの即答には、流石のアーサーも呆れを隠せなかった。ラーマを筆頭とした5人はアイコンタクトだけで会話を済ませる。そして武は、ぺいと円陣の外に蹴りだされた。残った5人は武に聞こえないよう、ひそひそ声で会話する。

 

(うむ、明後日には決戦だというのにノープランノーウェポンとはなんだこのノーガード戦法は。ああ、しかし――――全くもって予想通りだな、こいつは。嫌な方向に思った通り過ぎて、目から汁が溢れてきそうだ)

 

(う~ん、この呑気さ加減、処置なしですね。医者も匙を折るレベルですよ。というかこいつ、もしかして軍服で出かけるつもりでしょうか)

 

(そうだったんだろうな。おいおい、当日のサーシャの剥れ顔が目に浮かんでくるぜ? ――――それはそれでお目にかかりたいが)

 

(ラーマ隊長、こいつです)

 

紳士たるアーサーの通報を聞いたラーマこと“お父さん”が、脛蹴りをアルフレードに直撃させた。

アルフレードは激痛に俯きもんどり打って倒れそうになったが、続くラーマの言葉に顔を上げた。

 

(追撃をしかけたい所だが、時間がない。誠に遺憾ながら、他に適任がいないのだ)

 

告げるなり、ラーマは懐から封筒を出した。その中には、決して少なくないこの国で使うことができる紙幣が入っていた。それを見た他の4人も、にやりと笑い懐から同じ封筒を出した。

 

(考えることは皆同じ、か)

 

(そうだな。軍資金はここにあり。そして、機は熟したのだ。頼んだぞ、アルフレード・“ロメオ”・ヴァレンティーノ)

 

ラーマの、親指を立てての命令。エスコートの全てを叩きこめ、という言葉に、アルフレードは笑顔を了承のサインとして、最後に敬礼を返した。

 

円陣から抜け、きびすを返すときょとんとしている武に向かって歩き。

 

そしてすれ違い様に、出かけるぞ、と告げた。

 

 

「って、どこ行くんだよアルフ」

 

「血の出ない戦場にさ………ついてこい、タケル。俺が戦の作法って奴を教えてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………行ったようだな」

 

ターラーは車庫へと去っていく2人を見送ると、窓のカーテンを閉じた。

振り返り、椅子に机に座っている5人を見回す。

 

「アルフレードがタケルを連れて行った。ここまでは予定通りだな、インファン」

 

「うっす! 時間ごとに行く店も把握してますんで、鉢合わせる可能性は皆無っす!」

 

ターラーは満足そうに頷いた。リーサもインファンも同じだ。だが、残る3人は首を傾げるばかり。事情を説明されないまま、この部屋に連れられてきた者達だった。

 

「あの、ターラー大尉。私達は何故ここに呼ばれたのでしょうか」

 

「事情がある。とても深く、浅い事情がな」

 

「あの、今の発言には矛盾している点が見受けられます」

 

クリスティーネ・フォルトナーの真面目くさったツッコミが入る。しかしターラーは、その質問こそ浅いものだと断定した。

 

「上手くはいえんがな。本人が言うには、そうなのだ。そして私もきっとそう思う」

 

「要領を得ません。それに………本人?」

 

クリスティーネはそこで、ターラーの視線の先にいるサーシャを見た。椅子に座り、まるで借りてきた猫のようにじっとしている。だけど膝の上に握られている拳は白く、何かを必死に耐えているかのようにも見える。

 

「ほら、サーシャ。こういうのは自分の口から言わなきゃだめだぞ」

 

「………はい」

 

サーシャは頷くと、立ち上がり皆を見回し、頭を下げた。

 

「お願い………みんなの力を貸して欲しい。お願い、します」

 

また頭を下げる。あっとユーリンが、察した声を上げるが、クリスティーネは腕を組んでわからないなと首を傾げた。

 

「力とはなんだ? もしかして誰かと喧嘩でもするのか、力まかせによる問題の解決は感心しないぞ。破壊からは何も生まれないものだ」

 

「あー、そこの天然ソーセージは小一時間黙ってて。話が進まない上に迷宮入りするから」

 

インファンの言葉に、クリスティーネがむっとする。その隣にいるユーリンは流石に何の事か分かっているので、納得したように頷いた。

 

「サーシャは、明日のタケルとのデートのことで、私達に力を貸して欲しいと」

 

「………うん」

 

サーシャは手をぎゅっと握ってその通りだと頷いた。そのとおりなのか、とクリスティーネが驚いていたが、サーシャはそれを無視して切実な問題なのだと熱弁した。

 

「どういう問題なのかな」

 

「………初陣なのに噴射跳躍のやり方がわからない衛士ぐらい」

 

サーシャの返答に、ユーリンはうんと頷いた。そして本格的に不味いという事を知る。というか、不味いというか、その前段階にすら辿りつけていないのが現状とは誰もが思っていなかった。

 

「えっと、もしかして………着ていく服も?」

 

その問いに、サーシャは黙ったままこくりと小さく頷いた。彼女としても、多少の言い分はあった。突然にインドに渡ってよりずっとの戦いの日々で、服を買う余裕もなかったのもある。

最前線ばかりに居たのでそういう店に行く機会も無かった。だが、休暇の時間を潰せば、あるいは誰かを頼ればクリアできていたものでしかない。仕方ないというよりも、怠慢である。それを自覚しているからこそ、サーシャの肩は小さく狭まっていた。

 

「それは………私の言えることじゃないけど、問題だね」

 

ユーリンも少し前までは服を持っていなかった。日本の初芝という衛士に連れられなければ、同じことになっていただろう。加えて言えば、ユーリンはサーシャの気持ちを知っていた。というよりも、隊にいるタケルとクリスティーネ以外の全員が知っている。超がつく程のニブチンか天然でなければ阿呆でも気づくわよ、とはインファンとリーサの言葉である。

 

だからこその、決戦のデートの日。誘いに誘って、ようやくこぎつけたという事も皆は知っていた。

なのに着ていく服が無かった、などと片手落ちもいい所である。控えめに言って大問題であろう。

 

「このままでは軍服かそれに準ずるような服を着ていくしかない。それは、流石にまずい気がする」

 

「いや、不味いなんてもんじゃねーよゲロみたいに不味いだろ」

 

略してゲロマズ、とリーサがずびしと突っ込んだ。でもそういう事を気にするようになったんだな、と感慨深い表情を見せた。隣に居るインファンもそういう事、と肩をすくめた。

 

「着る服ならアタシが選べる。最近妙に可愛いこの娘なら、一日で一等星にでもしてあげられるわ」

 

「妙に自身満々だが………ファンちゃんよ。お前ってそういう趣味があったっけか」

 

「絶賛勉強中、だけどそれなりにものにはしたわ。未来への投資よ、リーサ。どうせこの先、男の衛士は少なくなっていくんだから。それに、情報ってのは持っていればどのようにも応用できるもの。例えばこんな時になんか、ね」

 

話がそれたわね、とインファンは手をたたく。

 

「幸い、サーシャの素材は超一級品よ。特に肌の白さは神様にワンパン入れてやりたいってぐらいのブツよ。そんじょそこらの男なら、ひと睨みで7回は殺せるぐらいのレディーに変身させてみせる」

 

「まあ、そうだな。会ってから数年、あちこちと確実に成長している」

 

「一方で退化してるんじゃないかって噂のCPもいるらしいがな。運動に邪魔にならなくなって結構だと思うぞ。そういえばお前は足が早かったな。ホァン・インファン」

 

「やっぱ時代は防御力じゃなくて機動力よねー、って誰が第三世代超えて第四世代機よ。ぶっ殺すわよこのアマ」

 

「あの、喧嘩は止めた方が………」

 

「ユーリンの言うとおりだ。言葉で駄目なら実力行使に出るぞ」

 

ターラーの一言に、2人は背を正すことで喧嘩を止めるという返答をした。

そしてインファンは、気を取り直してと言った。

 

「何度でも言うけど、サーシャなら出来る。鼻歌交じりにクリアできる関門よ」

 

だけれども、とまるでハイヴを語る新人衛士のような緊張感で。

インファンは目の前で腕を組み、肘を机に乗せた。

 

「幸い中の不幸、と言うべきかしら。相手は“あの”白銀武よ」

 

言葉と共に、戦場のような緊張感が部屋の中を駆け巡った。

 

「万全を期して尚、という強固な虎牢関。ここは隊の女子力が問われる、試練の場とも言えるわね」

 

これは私達に対する挑戦です、とインファンが息を巻き、その他の面々も同意した。

その中で同意せず、ただ手を挙げるものがいた。

 

「………質問なんだが」

 

「はい、樹ちゃん。発言を許可するわ」

 

「なんで自分だけ、こっちに呼ばれてるんだろうか」

 

片や当事者である武を筆頭に、ラーマ、アルフレード、アーサー、フランツ、グエンの合計6人。そしてこちらは、同じくサーシャを筆頭に、ターラー、リーサ、インファン、ユーリン、クリスティーネ、そして樹。いやいやおかしいだろう、と樹は訴えたが、インファンは鼻で笑った。

 

そしてユーリンを指図し、少し離れた所に立たせる。

 

「正直な感想を言いなさい。客観的に見て、この光景に違和感はある?」

 

「えっと、ないかな」

 

「じゃあ、あのムサイ男連中の集団の中で樹が円陣を組んでいる光景に違和感は?」

 

「ちょっと、あるかな」

 

沈黙する樹。インファンは弱卒がと吐き捨て、時間がないのよと皆に告げた。

 

「全力で事に当たる必要があるわ。敵には鈍感という鉄壁の防御がある。機を活かせる場は、非常に少ない」

 

インファンの発言に、サーシャはまるで子供のようにぶんぶんと首を縦に振っていた。その通りで、サーシャはそれとなく誘った事は今までも何度かあったが、ほぼ全てがスルーされていたのだ。

 

「怠慢とか、そういうのは問題じゃないのよ。今この時をもって相対すべきは―――白銀武が持っている鈍感という名の要塞!」

 

インファンは腕をかかげ、叫んだ。そのあまりな迫力にユーリンは気圧されている。リーサは、ターラーは頷いた。最初は戸惑っていたサーシャも、何て頼りになる人なんだと、尊敬の眼差しでインファンを見つめていた。

 

「敵は強大かつ強固よ。必勝を期すには、目に見えている万難を排するのが前提。そして数は力で、情報は武器となる」

 

白銀武の好きなもの、趣味、好み。似たり寄ったりだが、つまりはそういう情報を集めればこの戦い必ず勝てると。各々が武の様々な事を語っていった。

 

ユーリンはダッカに居た頃の武のこと、機動についてアドバイスを受けていた際にこぼした、武の好きな食べ物の事。

 

リーサは武がどんなタイプの女の子に目を向けるのか、またはどういった部位に視線を向けるのかということ。

 

クリスティーネは何がなんだか分からないといった様子ながら、タケルと交わした会話の中を少し。

 

樹は同じ故郷、同じ性別として、こうすればいいんじゃないかな、というアドバイスを――――苦虫を噛み潰した顔をしながらも。

 

ターラーは教官時代からの長い付き合いなので、一番に長かった。そして聞いていた誰もが突っ込みたかったが、黙り込んだ。

 

“まるで母親みたいですね”――――なんて口にしてしまえば、鉄拳の制裁は必至であったからだ。

 

「ふむ………成程。いい情報が取れたわね。これならやれる」

 

インファンはニヤリと笑い、サーシャにサムズアップをした。

サーシャはなんて凄い人なんだと、無表情ながらに童女のように目を輝かせていた。

 

 

「さあ、行きましょう!」

 

 

声が、部屋に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、当日。サーシャは基地から来る次の車を待ちながら、インファンと話をしていた。

 

「準備は万端。後は悔いの無いように、いいわね?」

 

「分かった」

 

戸惑いながらも頷く。だけどと、質問をした。

 

「本当にこれで良かったの? これじゃ、約束の時間に10分も遅れてしまう………」

 

「演出よ、演出。野郎は待たせるぐらいでいいのよ。やきもきさせた所に、ばっちりキめたアンタが登場。これで先手はばっちり取れるってわけ」

 

悪い表情でそんな事を言う。そして、少し表情を緩めると、サーシャに向き直った。

 

「しっかし、アンタも分かんないわねぇ」

 

髪を掻き上げながら、何でわざわざと呆れた顔を見せる。

 

「アンタぐらいの器量良しなら、そこいらの男相手だったら一発で落とせるわよ。結構な権力を持つ人に擦り寄って、もしかしたら衛士を辞められるかもしれない。毎回死ににいくような場所に駆り出されることもなくなる。何も不自由のない夢の様な生活だって、さ」

 

少なくともここよりは、そっちの方が良いじゃない。そう告げるインファンに、サーシャは頷いた。

 

「うん。もしかしたら、そうかもしれないね」

 

サーシャは、ニッコリと笑った。笑って、そして否定する。

 

「だけど、そんなものに意味はないんだ。どうでもいい。だって、私の居場所はここにあるから。そして、寄りかかりたい相手も一人だけ。捨てるぐらいなら、BETAに喰われる方が何万倍もまし」

 

「………例え、戦場で死ぬことになっても?」

 

「うん。最後の、死に方ぐらいは自分で選びたいから」

 

綺麗に、儚く、雪のように少女は笑った。

その表情を正面から見てしまったインファンは、参りましたと手を上げた。

 

「でも………不思議。そう思っているなら、どうして貴方は助けてくれたの。手伝わない方が良かったじゃない」

 

「私も、見たかったのよ」

 

どうしても、と言う。

 

「本当は違うんだって。人と人には繋がっている何かが、嘘でも虚構でもない目に見えなくても温かい何かあるんだって。

アンタら2人を見てると、そう思えて仕方なくなるから」

 

インファンはずっと見てきた。出会ってから今まで、白銀武とサーシャ・クズネツォワという2人の人間を眺めてきた。戦場に出る前は必ず深呼吸を。地獄の釜の底のような煮えたぎった戦場の中で、必死に強がりながら軽口を交わし、歯を食いしばって。それでも、2人は繋がっていた。最初の頃は、手が届くような距離で。タンガイルの敗戦の後は、息がかかる程に近く。手を繋ぎながら、挫けそうになるお互いを引っ張り合いながら歩いていたように見えた。

 

他の隊員達も同じだった。損だの得だのという方向の思考がぶっ壊れている。戦場にあっても、自分より相手を優先していた。目的や信念を忘れたわけはないだろう、だけれども互いが互いを。

 

背中を庇い合い助け合い――――その果てが英雄と呼ばれている現在である。その中でもとびっきりなのが白銀武で、彼が一番に手を伸ばしているのがサーシャ・クズネツォワだった。

 

「だから、頑張れ。絶対にその手を離したくはないんでしょ?」

 

「うん」

 

インファンは返事を聞いて、呆れた。太陽が東から登る事を問われた時と同じように、当たり前の事だと思わされる、堂々とした首肯に。

 

――――そして。

 

「本当にありがとう、インファン」

 

にっこりと笑ったサーシャに、言葉を失った。

 

「………どういたしまして。さあ、早く。馬鹿が待ってるわよ」

 

言葉で送り出す。そして、見えなくなる所まで行くと、呟いた。

 

「ちゃんと、女の子してるじゃん」

 

敵わないわーと自分の額をピシャリと叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンガポールの町の、中心部。武はアルフレードに教えられた作法通りに、現地で待ち合わせをとサーシャに言った。

 

「無駄だと思うんだけどなぁ」

 

基地からここに来るには車を使う必要がある。なのに別々に行動するなど、無意味であり燃料の無駄だと思っていたのだ。だけど、武はサーシャの顔を思い出していた。

 

11:00に広場の前で。そう告げた時に、サーシャは無表情ながらにも喜んでいることを武は感じ取っていた。一緒にいたクリスティーネは「そうは見えない」と言っていたが、付き合いの長い武には分かっていた。

 

サーシャは人前で感情を顕にすることは非常に少ない。ただ、何も感じていないわけではなく、あれは取り繕っているだけなのだ。そして珍しいことに、あれはかなり喜んでいる時の表情の取り繕い方だった。

 

「しっかし、寒くなってきたな」

 

町並みを見渡しながら、呟く。BETAがユーラシアの中央部をさんざん荒らし尽くしたせいか、ここシンガポールにも気候の影響が出てきていた。この季節なら、今まではハーフパンツとTシャツだけで過ごせるぐらいに気温は高かったらしい。だが、昨日に町で買ったジーンズと厚めのカッターシャツでなければ風邪をひいてしまうぐらいに、気温は低くなっていた。

 

「と、もう時間だぞ………ってちょっと待てよ。サーシャのやつが時間に遅れる、だって?」

 

ふと時計を見れば、約束の時間は1分ほど過ぎていた。見回す限りサーシャの姿は見当たらない。なんというかサーシャの容貌はこのアジア圏内にあっては非常に目立つものなので、見逃すはずがないのだ。

 

「もしかして、事故とか起きたんじゃあ」

 

いつもはターラー教官とクリスティーネに次いで時間に煩いサーシャが約束の時間に来ない。ありえないことに、武は何か事故があって来れなくなったのではないかと思い、焦りはじめていた。でも、こちらから軍の誰かに連絡を取ることは不可能だ。更に10分が経過し、いよいよもってどこかに連絡を取るべきかと思い始めた時だった。

 

武はふと、人のざわめきを感じ取った。トラブルのような切羽詰まった雰囲気はなく、鉄火場のそれではない。ならなんで、と。その方向に視線をむけて―――絶句した。

 

色は黒で、フリルがついているワンピース。その下から生えている生足は、色の対比のせいか際立って白く綺麗に見えた。金色の少しウェーブがかかった髪は、白いシュシュでまとめられて、ポニーテールになっている。首元から肩にかけては、黒いショールが。その向こうに見える肌は白く、なんというか一層に白い肌の艶やかさを感じさせられる。顔立ちは、一言で言えば整っているの一言だった。表情が無いのが難点だが、それでも目をひきつけられる程の。

 

可愛いというか、綺麗というか、妖精のような。

その中点で絶妙なバランスを保っているかのような顔で。

 

「………ま、待った?」

 

その女性は、手を挙げてそんな事をのたまってくる。

武はその声を聞くと、口をあんぐりと開けて驚いた。

 

「さ………サーシャ、か?」

 

「う、うん。あの、その………変、かな」

 

「い、いや変っていうか」

 

それまでの焦燥全てがふっ飛ばされる程の衝撃に、武は戸惑いまた別のベクトルでの焦りを見せていた。変と言われれば、変である。今までに見たことのない格好で、"変更"という意味でいえば変わっている。だけど、これは"変更"ではない。一種の進化とも呼べるもので――――

 

「に、似合ってると思うぞ。一瞬、誰だか分からなかったけど………」

 

「よかった………武も、その、格好いいね。そんな服持ってたんだ」

 

「ま、まあな! なに、男なら当たり前だってんだ! ていうかサーシャもそんな服持ってたんだな。俺、一回も見たこと無かったけど」

 

「う、うん。乙女なら当たり前じゃない? というよりも、見せる機会なんて無かったじゃない………だから、今日は見せられてよかった」

 

サーシャは素直に答えると、顔を緩ませた。目尻が微かに下がり、口元が僅かに緩まる程度だが、武にはそれが微笑みであると分かった。途端に気恥ずかしくなり、手を口にあてて大げさにごほんと咳をする。

 

「気を取り直して―――行こうぜ!」

 

そう言って、背中を向けた武は気づかなかった――――サーシャが、手を差し出す瞬間を。サーシャの方は、完全にタイミングを外されてしまっていた。そして今度はサーシャの方が気恥ずかしくなり、顔を僅かに赤くする。

 

「どうした、行かねえのか?」

 

「い、行くから!」

 

サーシャはババっと手を後ろに隠して、慌てて答える。

武は不思議そうな顔をしながらも、まあいいかと歩き出した。

 

横に並び、舗装された歩道を歩く。武は今ではもうサーシャより歩くペースは速くなっていたが、アルフレードに言われた通り、サーシャの速度にあわせる。2人の間に会話はなかった。

武はいつもと違うサーシャの様子に戸惑い、何を話せばいいのか分からなくなっていた。一方でサーシャは、そんな武の横顔を横目で伺いながら、崩れそうになる表情を必死で取り繕っていた。

 

無言のまま歩く。武は歩いていると、周囲の人から自分たちに視線が集まっていることを感じ取っていた。主な注目は、隣にいるサーシャだ。武は今の自分の戸惑いの源泉となっている彼女の事を考えていた。出会った当初は、自分よりも背が高かったが、少し前にはもう追い越していた。

 

先にそれを破ったのは、サーシャの方だった。

 

「あ、あの」

 

「な、なんだ?」

 

「行きたい食べ物屋さんって、何処にあるの」

 

サーシャは武から事前に聞かされていた。待ち合わせの場所から歩いてすぐだと聞いていたのに、結構な距離を歩いている。武ははっと気づいたように顔を上げ、店の場所を記したメモを取り出す。

 

だが、自分で書いたにもかかわらず、どこにあるのかいまいち分からなかった。

 

「私にも見せて」

 

サーシャは武が手に持っているメモを覗きこんだ。そしてさり気なくうなじを見せる。

インファンの教えの通りの、さり気ない仕草でのアピールである。

 

「んー………くそ、分っかんねえな。どこだよ此処は」

 

武はメモに夢中になっていた。色もなにもない無機物に負けたサーシャはさり気なく傷ついたが、いつもの事だと自分を落ち着かせた。

 

「誰かに聞いた方が早いか………あ、そこのおじさん!」

 

武はちょうど通りかかった男に話しかける。見るからに見事な巨躯に、白い髭にサングラスという誰がどう考えても怪しい人物だったが、武は気にした風もなく道を尋ねた。

 

「ああ、そこならあの角を曲がって………」

 

指し示された場所は、今までに歩いて来た道の途中にあった。武はしまったという感じに頭を叩き、サーシャは目の前の巨躯のおじさんを無表情ながらに眺めていた。

 

「ありがとよ、じいさん」

 

武が礼を言う。そしてサーシャも、頭を下げてお礼を言った。

ちょっと大げさじゃないかな、と思ったが、まあいいかと流すと、歩き出した。そのまま、進む。しかし、そこで武は視線の端で動く者達に気づいた。来る道を引き返したから、気づけたのだろう。サーシャも、複数の影が路地裏に急いで隠れる所を見た。そして、途端に顔を顰めた。

 

「この感情は………」

 

呟き、武の服の裾を引いた。強盗の類か、似たような犯罪者の可能性が高いと。

恐らくだが、自分たちの格好を見て、かなり裕福な家庭に生まれた子供だと推測したのだろう。

武もサーシャも、服の上から見れば体格の細い軟弱な子供に見えなくもない。

 

「絶好のカモだと、襲いかかる機会を待っていたわけだ」

 

「どうする?」

 

正面から迎撃すれば、まず負けることはありえない。ナイフを出してきても、武だけで一蹴できる。

だけど相手が銃器を持ちだしてくれば、万が一もありえる。

 

そう思った武は、サーシャに走れるかと聞いた。

 

「うん。召集があるかもしれないから、全速で走っても問題ない靴を履いてきたけど――――キャッ!?」

 

 

答えを聞いた武は、サーシャの手を取って走りはじめた。

サーシャは手に武の体温を感じながらも焦り、行動の意図を問うた。

 

「タケル!?」

 

「撒くのが一番はやいって! その服を汚すのも、なんか嫌だしな!」

 

自分たちは衛士である。純粋な体力勝負になれば、負けるはずがないと考えたのだ。武の判断は正しく、尾行していた数人の気配は時間と共にみるみると遠ざかっていった。

 

ジグザグと角を曲がりながら、同じ場所を回っているだけなのにものの数分で追いかけてくる気配はぷっつりと途絶えた。

 

「よし、もういいか………っと!?」

 

武はもう撒いたなと思い立ち止まった。だがサーシャは手の感触に集中していたせいで、止まった瞬間にバランスを崩した。

 

「アブねえ!」

 

武は転けそうになるサーシャの手を咄嗟に引いて、自分の方へ引き寄せた。

サーシャはよろめきながら、立ち止まった所に手を引かれ、バランスを崩して。

 

「………え?」

 

気づけば、武の胸の中に飛び込んでいた。転けないようにと握られた手、そして背中にも手の体温が感じられる。自分は今――――抱きとめられている。サーシャは今の状況を認識した途端に、自分の体温が急激に上がっていくのを感じていた。

 

(でも、なんだか落ち着く)

 

そのままふんわりと、胸の中で目を閉じた。

 

「おい、サーシャ? サーシャったらよ、どこか悪いのか?」

 

武は体重を預けて微動だにしないサーシャに、ひょっとして体調が悪くなったのかと心配をしはじめた。抱きとめながら、ぽんぽんと頭の後ろを叩く。だけど反応はなく、感じられるのはサーシャの体温が妙に上がっていくことだけ。

 

「おい、もしかして体調が悪いのか? なら基地に戻るぞ。急いで風邪を直さないと、次の出撃に支障が――――」

 

「大丈夫! 大丈夫だから、ほら」

 

サーシャは滅多に出さない大声で、体調は悪くないとアピールをした。

 

「でも、顔が赤いぞ」

 

「それは――――ああ、もう」

 

サーシャはため息をつくと、俯いた。この鈍感男、とは口に出さずに。

変わりに自分の手を差し出した。

 

「手を引いてくれれば、大丈夫だから」

 

「えっと、それは――――」

 

「………いや?」

 

少し悲しそうな声で言うサーシャに、武は焦りながらもその手を取った。小さな手を握り――――その手が握り返される。白く、綺麗な手。その表面は散々に操縦桿を握りしめた跡があった。

直後に、サーシャは顔を上げて一歩、武に近づいて横に並ぶとその横顔に話しかけた。

 

「いこ」

 

「お、おう」

 

歩き始める2人。武は握られた手が、いつの間にか横並びでも歩きやすいように握り変えられいたことに気づいた。何故かというと、サーシャの肩が自分の肩に当たるのだ。

少し傾ければ側頭部に当たるほどの距離で、武はサーシャの顔の異常に気づいた。

 

(少し赤い………それに、なんか見たことない取り繕い方してる)

 

怒るのも、喜ぶのも、悲しむのも。武はサーシャがどういった感情を見せないようにしているのかを、見てきた。だけど今のこれは、見たことがない種類のもので。

 

でも、どうしてか悪いものではないと思った武は、そのまま店まで歩いて行った。

 

目的の店には、それ以上のトラブルもなく辿り着くことができた。いかにも天然素材を多く扱っているという、高級な。だがシンガポールでも美味しい料理を出すということで有名な店らしい。

だが武もサーシャも貯金だけはあるので、迷いなく入っていった。

 

「いやー、初芝中尉と尾花少佐に聞いてな。一回でいいから、来たかったんだよ」

 

海外の食べ物は、和食に慣れている日本人にとっては癖の強いものが多い。有名な店だと言われても、行ってみれば閉口してしまうような店もある。バングラデシュ撤退戦の後からは慰労だと大仰なパーティーに駆り出されることもあった。だが、会場で出される食べ物全てが口にあうはずもなく、毎回が手探り口探りの試練に近いものがある。まさか、そういった場で不味いという顔をあからさまに見せられるはずもなく。武はそんな中で、日本人である2人が推薦する店だということで、心配なく美味しいものが食べられるのだと喜んでいた。

 

「うん、楽しみ」

 

サーシャはサーシャで、先ほど抱きしめられた感触と、ここまでの道中での手の暖かさを反芻していた。いつになく顔が緩んでいる。武はそんな顔を見て、思った。

 

(美味しいものが食べられることが嬉しいんだな)

 

ターラーが聞いていれば鉄拳ものの思考だが、所詮は白銀武であった。難攻不落の要塞は伊達ではないという証明でもあった。そのまま、にこやかな雰囲気のままに食事が進む。

 

そして、食べ終わった後。サーシャは武の顔を見ると、苦笑した。

 

「来た価値は、あったようだね」

 

「ん、何も言ってないのに分かるのか?」

 

「顔に書いてあるから。それに――――」

 

と、サーシャは武の口の端についている食べかすに手を伸ばすと、ひょいと取って自分の口の中に。

武は思っても見なかったサーシャの行動に、また気恥ずかしくなり少し顔を赤くした。

 

でも、と言う。

 

「純夏みたいなことすんなよ…………」

 

「―――スミカ?」

 

サーシャはその名前に聞き覚えがあった。というよりも、忘れられるはずがない名前だ。白銀武が生まれた時よりずっと一緒にいたという幼馴染。家族も同然の付き合いをしている、少女のことだ。

 

「そのスミカも、こういう事するの?」

 

「ああ、純奈母さんの真似をしたがる奴だったしな。さっきの、手を握るのもそうだけど」

 

「………そう」

 

サーシャはそれを聞くとコップに入った水をゆっくりと持ち上げ、飲む。

全部を飲み干すと、テーブルに置いて武の目を真正面から覗きこんだ。

 

「スミカと、ジュンナ母さん………武はその人達が大事なんだね」

 

特に戦闘が激化し、戦況が厳しくなってきた最近になってからは、会話の中にその2人の名前が出てくる回数が多くなっていた。特にスミカという女の子の話が多い。そして羨ましいと思えるエピソードは山のようにあった。サンタウサギの話を聞いたサーシャは、その次のクリスマスには私も欲しいかも、なんていう事を言ったこともあった。

 

それはスルーされた、というかその日は特に厳しい戦闘があったので、それどころではなかったのだが。最近は中隊あっての最前線であり、最も厳しい場に駆り出されるのは当たり前の事になっていた。だからこそサーシャは、思い出の話が多くなってきたことの意味は何かを考えていた。

 

そして意を決し、かねてより聞きたかった事を口に出した。

 

「タケルは………日本の、自分の家に帰りたいの?」

 

ホームシックのようなものかもしれない。サーシャは郷愁という言葉の意味を知らなかったが、何となく理解できる部分はあった。武はその問いに、そうかもしれないと答えた。

 

「すぐに帰るって約束してから、もう3年近いしな………流石に心配してるだろうから」

 

「うん。だから、クラッカー中隊を抜けたい?」

 

その問いに、武は黙り込んだ。沈黙せざるを得ないだけの思い出があり、そして今現在の隊が置かれている状況も分かっていた。タンガイルの敗戦の後からここシンガポールに至るまで、クラッカー中隊が成した数多の功績は、そういった方面に疎い武をして大きいものだと理解できるものだった。

失った戦友たちとの約束もある。

 

「抜けられないってのは、分かってる。でも――――」

 

葛藤がある。それを聞いたサーシャは、新たに注がれた水を飲み干すと、黙り込んだ。言葉の意味を、考える。帰るということは、即ちこの隊から去っていくことだ。対して、自分はどうなのか。

 

(爆弾、だから。それに、これ以上ラーマ隊長に………父さんに迷惑をかけるわけにはいかない)

 

そうすれば、必然的に離れることになる。サーシャはその時を想像すると、居ても立ってもいられない、たまらない気持ちになっていた。だけど、泣き顔を見せることは愚かな弱い人間のすることである。そう自分を律したサーシャは、話題を逸らすことにした。

 

それは、武の昔の話だった。幼馴染が知っているという、武の過去の生活のこと、特に学校に通っていた頃の事を聞きたかった。訓練学校でもなく、あの研究施設でもない。それぞれの道を歩いて行く術を学ぶだけの、何の他意もない学び舎があり、そこに同年代の子供が集まっている。

 

サーシャにとっては遠い世界の出来事で、夢のような場所でもあった。銃も刃もない場所で、何でもないように言葉を交わし、なんでもないように同じ事をして。ターラーより情操教育といった面もあると聞かされてからは、特に思いが強まっていた。

 

――――学校に行ったことのない自分は、本当は致命的に欠落のある人間なのではないか。

 

どうしても、そう思えて仕方ないことがあったのだ。一方で武は、自分が話をする度に顔色が悪くなっていくサーシャに気づき、心配そうに声をかけた。本当に体調は大丈夫なのか。サーシャは弱々しく頷くと、外に出ようと提案をした。武はみんなのお土産と帰ってから自分が食べるようにと、肉まんを大量に買ってから外に出た。

 

その後は、予定の通り。シンガポールの街の中を、2人は歩いた。だがサーシャは考えを深め、更に落ち込んでいった。先刻は逸らした話題のことを深く考えこんでしまったからだ。もしも武が日本に帰ってしまうとして、自分はそれを追いかけられるのか。

 

ついていくにしても、問題は多い。

武が普通の生活に戻るとして、自分はその場所で適応できるのか。

 

そういった思いが胸中に渦巻いては、自分の中にある“何か”を削っていかれるのだ。その度に泣きたくなるような切なさが、脳髄を蹂躙していった。武も、サーシャがそれとなく落ち込んでいく事を察して無言になっていた。隊内や、そして隊の外の人間からよく言われるのは、武は女の気持ちを察するのが下手すぎるという言葉だった。

 

ひょっとすれば、何かサーシャがこんなに落ち込むようなことを言ってしまったのではないか。

考えこみ、頭を悩ませたまま、自然と無言になっていった。

 

店に入るまでが嘘のように、暗澹たる雰囲気を纏った2人は、気づけば広場に戻っていた。人通りが多い場所。そこで、サーシャは呟くように言った。

 

「ごめん………いきなり、落ち込んでしまって」

 

「いや………俺も、何かやっちまったか?」

 

「ううん」

 

サーシャは首を横に振って否定した。

 

「普通なら、きっとなんでもないような事なんだよ。でも、私は感情の制御が下手で………」

 

それまでに“そういった”経験はほぼ皆無であるからか、一度感情が強まれば持て余してしまう。

サーシャは忘れていなかった。中隊として祭り上げられてからは特に、ちょっとした事で感情が高まり、それが原因でトラブルになった事が何度かあったことを。

特に武を相手に話している時はそうだった。すれ違いから喧嘩になることも、何度かあったのだ。

 

(………武も。他の人と同じように、感情を読み取れればいいのに)

 

そうすれば、何もかも上手く―――――思いついた所で、サーシャは自分の目を覆い隠した。自分が、浅ましい者だと実感したからだ。何度も、あれだけ。無ければいいのにと願った力を、ちょっとしたことで望んでしまう自分が居る。これも、普通の人間とは違う部分であるという証拠だった。何より、卑怯者に過ぎる。自分の愚かさに、サーシャは吐き気を覚えていた。

 

それきり、黙りこむ2人。

同じ広場、その中で間に流れる沈黙を破ったのは、武でもサーシャでもない第三者だった。

 

「おかーさん、どこ………?」

 

気づけば、2人の横にはべそをかきながら周囲を必死に見回している、5、6才の子供がいた。女の子で、どうやら母親とはぐれた迷子らしく、今にも大声で泣き出しそうなぐらい不安になっているようだった。その子供を見て、最初に動いたのはサーシャだった。

 

「きみ、お母さんとはぐれたの?」

 

「う、うん」

 

そのまま、サーシャはその子供に対して、まるで詰問をするようにはぐれた時の状況を聞いた。幸いにして、サーシャはシンガポールで多く使われている中国語を話すことができた。状況を聞いたのは、はぐれた時の情報が集められれば、早急に迷子の母親を見つけられるかもしれないと思ったからだ。詰問する口調になったのは、かつての研究施設で見たことだったから。

 

成長の主たるものは、育てたものの模倣から発展する。だが、模倣するにはその口調や言動は、子供には厳しかった。ついに、耐え切れなくなった子供は泣きだしてしまった。サーシャは驚き、そしておろおろと狼狽えるままに、どうするべきかを必死で考えた。

 

そんな時だった。隣から、にゅっと伸びる手があった。

 

差し伸べた張本人である少年――――白銀武はにっこりと笑い、女の子の頭をぽんと叩いた。

落ち着かせるように、優しく撫でる。泣いていた女の子は急な頭の感触と、しゃがみこんで自分の視線に合わせてきた武に驚いたのかきょとんとしていた。

 

「これさ。冗談抜きで本当に旨いんだが――――喰うか?」

 

「え………」

 

言葉は通じていないだろう。実際に、女の子は武が差し出した肉まんと、武の顔と、サーシャの顔を交互に見ていた。だけど女の子は目の前にいる武の表情と、添えられたサムズアップに意図を察すると、両手でその肉まんを受け取った。

武は頷き、ジェスチャーで食べるように促す。女の子は辿々しく頷き肉まんを口に運んで――――その表情が一気に緩くなっていった。

 

そこから先は早かった。同じく、しゃがみこんだサーシャは武のフォローを受けながら、必要な情報を揃えていく。周囲の人にも聞き込み、それまでにいたであろう場所を特定して移動する。

 

武は女の子の手をずっと握りながら歩いていた。BETAが目前まで来たシンガポール、ここの治安は良いとはいえないものがある。南米からの犯罪者も入り込んで来ているとの噂もある。もし母親と逸れたまま、そういった方面の輩に出会ってしまえば。その末路は想像したくなかった。

 

サーシャはといえば、時折りその女の子に視線を向けていた。怯えたような視線を返され、すぐにすっと顔を逸らすのだが。

 

「………ごめん、武。怖がらしてしまって………情けないね」

 

その声には、深い悔恨がこめられていた。武は先ほどの話も含まれていることを察して、何も言えなくなっていた。感情の取り扱いが下手だ。それはきっと、相手の感情に対して自分が何を返すべきなのかが下手だということだろう。それとなく同調すればいい時と、そうでない時は明確に存在する。それが下手で、今まさに悪い結果が出てしまって。

 

痛い沈黙の中を、歩く。

 

そして目的の場所に辿り着くと、母親はすぐに見つかった。例えその母親が居るとして、一見で分かるか不安になっていた2人だが、必死な形相で周囲を見回しているそれは一目にして瞭然だった。

こちらに気づいた途端に、駆け寄っては女の子が倒れてしまうかもしれない速さで抱きついてくる。

 

母親の両目には涙が浮かんでいて、そして女の子も泣いていた。

 

武とサーシャはずっとその光景を眺め続けて、そのまま10分ほどが経った後だった。何度も頭を下げる母親、そしてお金を出そうともしていたが、武は必死になって拒否した。

 

お金のためにしたことではない。武は主張するが、母親はそんな他意はないとずずいと迫ってくる。

言葉が分かるサーシャは、咄嗟に機転をきかせると、自分たちが軍人であると告げた。治安の維持も任務の中であり、そうした行為で金銭を頂くのは軍法に触れる。そういった言葉で誤魔化すと、母親は納得したように頷き、またありがとうございますと、ごめんなさいのお礼と謝罪を繰り返した。

 

「いえ、お構いなく――――これは自己満足ですから」

 

サーシャの言葉、そして僅かに変わった悲しげな表情に、母親は不思議そうな顔をした。

 

母親と女の子は去っていった。女の子の方は最後まで、サーシャの方を見たままだった。

 

「怖がらせてしまった………嫌な思い出にしてしまったかな」

 

「それは………多分だけど、違うと思うぜ」

 

「ううん。だって、あれだけ怯えていたし」

 

サーシャはあの視線が忘れられなかった。武は留まっていてはダメだと判断して、サーシャの手を引いて歩く。しかし、その歩みはどちらとも重かった。ふと、サーシャが言う。

 

「私は、駄目だ。何もできない。愛想笑いもできない。すれば、落ち着かせることはできたかもしれないのに、できなかった―――――プルティウィの時と同じように」

 

サーシャの言葉に、武は黙って頷いた。察していたからだ。サーシャがあの女の子に誰を重ねていたのかを。

 

「あれでよかったのか。今でも分からない。優しくすればいいと思う、だけどその方法が分からない。武のように出来なかった」

 

「俺も、咄嗟の事だった。もしかしたら失敗してたかもしれねーし、誰でも失敗はあるだろ」

 

「だけど…………でも、わたし………」

 

どうしても、自分にはそれができないのではないか。失った笑顔は大きく、もう見られなくなった笑顔と、あるいはという可能性も。自分はとても外れている“モノ”で、本当は戦うことしかできない欠陥人間か、あるいは施設で何度も言われたように。

 

(ただの、人形。リサイクルのために繕われた――――人間未満にしか過ぎない)

 

R-32、の頭文字はそういう意味だった。それは真実であり、これからもずっと自分はリサイクル品にしか成れないのではないか。

 

また、広場まで戻ってくる2人。対するサーシャの顔は、最悪に近かった。今にも崩れてしまいそうな土気色。武は、そんなサーシャを見ると、ため息をついて。

 

そして、大声で告げた。

 

「サーシャ・クズネツォワ少尉!」

 

上官に近い呼び方に、サーシャは反射的に顔を上げて背を正した。

反応は軍人のそれである。しかし、顔を上げて見えた目の前を視認すると、驚きに固まった。

 

「タ、ケル…………これ、は?」

 

「かなーり、季節外れだけどな」

 

欲しがっていたものだと。武は告げるなり、“それ”をサーシャの手の上に乗せた。

 

「細工ミスったけど、ちょうどいい具合になったよ。サーシャはどちらかっていうとネコだからな」

 

サンタウサギならぬ、サンタネコだ。武は自分手作りの人形を指差し、笑いながら言った。

 

「気まぐれで、臆病に見えて―――――本当は優しい。少なくとも俺は、そう思ってるぜ。それに………母親を見つけようと必死になってくれて、本当に嬉しかった」

 

「………タケル」

 

「サーシャは優しいさ。方法や結果なんて、二の次だ。優しくしようって思える人は優しいんだよ………優しくない人間なんて、一緒に、多く見てきただろ」

 

「………うん」

 

「サーシャは、そいつらとは絶対に違うさ。俺が保証するぜ。それに、方法なんて、これから知っていけばいいじゃん。時間はいくらでもある、諦めなければ何だってできるって…………その、俺も一緒に頑張るからさ」

 

厳しい戦場を共に戦った、純夏と同じ幼馴染のようなもんだ。その言葉を聞いたサーシャは、たまらなくなった。俯いたままサンタネコを胸に抱きしめる。

 

「タケルは………優しいね」

 

「ま、まあな。ああでも、サーシャもちょっとは俺に優しくしてくれても構わないぜ? 例えばラーマ隊長やユーリンのように」

 

「それは………嫌かな。タケルだけには、優しくなんてしてあげない」

 

ひっでぇと叫ぶタケル。サーシャは、そんな武に笑いかけた。

 

「でも、ありがとう。大切にするね………それに、色々とフォローもしてくれて」

 

「こんなの当たり前の事だろ?仲間ならさ。きっと他の奴らも同じことをいうさ………いい人達、自慢の仲間だ」

 

武は、昨日に集まった面々と、一方でサーシャの方に行ったであろう女性陣を思い出していた。サーシャも同じく、昨日に集まった仲間たちを思い出していた。

そして、道を教えてくれたおじさんの事を。

 

(あれだけ気合を入れて変装をしなくても………)

 

あれはラーマ隊長だった。自分は“色”で分かったけど、武は気づかなかった。途中での強盗のことも、思えば唐突に追ってくる気配が途切れていた。デートに夢中で気づかなかったけど、周囲を探ればいつものメンバーの“色”が見つかりそうだ。とても暖かく、純粋な色を持つ人達。

 

とはいっても、とサーシャはため息をついた。このシチュエーションで他の女性の名前が出てくることに不満はあったのだ。しかし武の意見には完全に同意だったので深く頷いた。

 

「あ………」

 

こちらに向けられたであろう声を聞いた武とサーシャは、さっと振り返る。そこには、先ほどに別れた母親と女の子の姿があった。サーシャは、女の子の表情を見ると、また怯えられるのかと思い、申し訳なさそうに少し顔を逸らした。

 

「………っ」

 

女の子は深く息を吸い込んで、俯くと同時に吐き出した。あるいは、サーシャのその表情に何かを感じ取ったのだろうか。なにを言わずや、サーシャの所に小さな歩幅でととっと駆け寄り、サーシャの顔を見上げると、言った。

 

謝謝(シェシェ)――――姐姐(ジェジェ)

 

「え………」

 

ぺこりと、頭を下げる。母親はそんな女の子とサーシャを暖かく見守っていた。そして自分の元に戻ってくる女の子の手を握り、頭を撫でると、後は頼むわねと武の方に視線を向けた。

 

武は頷き、サムズアップを返した。だがサーシャは、母親と女の子が去っていくまで、ずっと驚き固まったままだった。その硬直を解くように、武はたずねた。

 

「なんて言ったんだ、あの子」

 

「“ありがとう、お姉さん”だって。そして、とても綺麗な………」

 

感情の色、とは口に出さずに。それを聞いていた武は、良かったなと言う。

 

「………そう、だね。本当に、今日はうそみたいに、夢のような」

 

サーシャは言葉にならない声に胸を押さえて、武から顔を逸らした。ずっと遠くなった親子の方を見ながら目元を擦っている。武は特にからかいも指摘もせずに、サーシャの背中とその向こうに見える親子を同じように見送っていた。

 

ゆっくりと遠くなっていく、大小二つの背中。それが完全に見えなくなった時、サーシャはまた目元を擦った。そしてふと、口に手を当てながら少し咳き込んだ。

 

「だ、大丈夫か? つーか体調が悪かったんじゃあ」

 

「ううん。少し、嬉しすぎただけ………ねえ、それよりも――――タケル」

 

聞いていいかな、と。サーシャは振り返らず背中を向けたまま、前方に広がる空を見上げた。

 

「………もしも」

 

それは、酷く小さい呟きで。だけど、武の耳の奥にまで届く声で、サーシャは尋ねた。

 

「もしも、私が。あの子みたいにはぐれてしまって、迷子になって。たった一人、どこかで泣いていたら………探しだして、抱きしめてくれる?」

 

例えば、この戦争の中で離れ離れになってしまっても。

例えば、予期せぬ事態に別れることになっても。

 

小さく消え入りそうな声で尋ねるサーシャに、武は笑って答えた。

 

 

―――何を馬鹿な事を言ってんだよ、と。

 

 

「今更だ。俺がサーシャを助けるなんて、当たり前だろ。たとえ何処に行ったって、絶対に探しだしてやるさ」

 

もし攫われたりなんかしたら、俺が探しだしてやると。武の言葉に、サーシャの肩が跳ねた。

 

「ああ、でも…………サーシャも、俺が迷子になっちまったら頼むぜ?」

 

今日の地図のメモのように、割りとやらかしちまう事が多いから。武の冗談に、サーシャは小刻みに肩を震わせていた。おかしいと、くすくすと笑う。

 

「本当に、武は最後まで決めることができないね。せっかくほんの少しだけど、格好良いかなーって見惚れてたのに」

 

「うわ、ひっど! 本音言ったのに酷くねーかそれは!」

 

武が非難轟々と叫び、サーシャはそれでもくすくすと笑っていた。

だけど、サーシャは笑い終えた後に。握りしめた手を下にすると、そっかと頷いた。

 

振り返り、正面から向き合うと、武に向けて微笑む。

 

 

「――――ありがとう。私、タケルと出会えて本当によかった」

 

 

それは、儚いままに尊く。触れてしまえば壊れてしまいそうで、それでも芯が残っているせいだろうか、初雪のような儚さを思わせる笑みだった。先ほどまでとは同じようであり決定的に違っていた。だけど、桁外れに美しく、白いものであった。武はそれを見ながら、別のことを考えていた。

 

長い付き合いであるサーシャの、見たことのない顔であり。

 

――――だけど、遠い昔にここではない何処かで見たことがあるような。

 

だからこそか武は綺麗なその表情に。その顔を見てしまった武は、どうしてか胸の鼓動が早まっていくのを感じていた。動悸が収まらないままの武に、声がかけられた。

 

「行こっか、タケル。もうじき日が暮れる」

 

「…………ああ、帰る時間だな。でも、いいのか? 買いたいものは買えなかったようだけど」

 

「大丈夫。もっと大切なものを………欲しいもの、貰えたから」

 

サーシャは小指を立てて、笑った。そして、だからもう子供は帰る時間だと言う。

 

カラスが泣いて――――もうじき夜が来る。車の時間もあるんだと、武は頷き分かったと言って先を歩くサーシャの背中にぽつりと呟いた。

 

 

「お前は、隠し事を………俺に黙ったまま消えないよな、サーシャ」

 

 

その問いに答える者はおらず。

 

 

武は夕暮れの空の下に映るサーシャの背中に追いつくよう、道を駆けていった。

 

 

 

 

 


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