Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
戦う意志はそれぞれに。
戦う意味もそれぞれに。
生きるために。
死ぬために。
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人類がまだ人より猿に近かった頃より進化を遂げて、数千年。動物とは一線を画する証明でもある"道具"を手にした人類は、その後何千年もの時をかけ進化させてきた。
生活のために、あるいは、同類殺しのためにと、道具に使う技術や、対抗するための知識を磨いてきた。霊長類と自称するぐらいに殺しの技に長けている彼らは、文字通り百戦錬磨の猛者と言えた。
それはBETAを相手にしても変わることがなかった。
だが、場所が悪かった。宇宙空間は、人類がまだ進出して間もない土地だった。
すなわち戦場となった回数がほぼゼロであったのだ。
だからこそ宇宙空間においては人類はBETAに遅れをとっていたが、地球上であれば話はまた別となる。火薬から派生した兵器、銃、戦車、航空機。それらはBETAにも確かに有用で、それこそが人類を守る矛になった。
今まで同類を効率良く殺すために開発されてきた兵器が。まさか予想だにしなかった相手、BETAに役立つとは何とも皮肉な話があったものである。
戦術や戦略も有用だった。BETAの予測進路に地雷原を設置し、踏み込んだと同時に遠距離から砲撃を浴びせる。戦術機においても様々な陣形と役割がある。それら全ては今までに開発された戦術を応用したもので、単純に殴り合うよりは明らかに違う有効さを見せていた。
もしも人類が互いに争わず、兵器も進化させないまま単純な殴り合いだけを続けていたら、人類は瞬く間にBETAに支配されていた事だろう。忌まわしき二度の大戦も、傷跡は深くあれどそれが兵器と文明の進化の燃料となったことは、今や言うまでもないことだ。
「しかして共に立つべく仲間も、宇宙人を知らぬかつての最大の敵、人類。相互理解も夢の話か」
「気が滅入ることを言わないでください。それより、先日のBETAの動きですが………」
ターラーは返事をしながら、地図を見た。
「ボパールの方はあれですね。一定数を越えたBETAが、ハイヴを離れて移動。平原を越えてこちらにやってきたようです。それは今までのBETAが取ってきた行動パターン上、なんらおかしくはないことですが………」
「問題はその数ということか。移動した総数が、こちらの予想以上に多かった。それでボパールの残存BETAも減ったとは思ったが―――その数を埋めるように、カシュガルの方から来たBETAがボパールのハイヴ内に入った」
「かくしてボパールのBETAの総量はあまり変わらず。代わりにこっちが弾薬や戦術機その他を損耗させられただけ、ですか」
BETAの最前線であるボパールの総戦力は変化なしで、人類側はいくらかの戦力と弾薬を消費してしまった。こうなってはもう、ハイヴの制圧など夢のまた夢というところまで来ている。
それどころか、このまま続けば年内にも落とされるかもしれないぐらいだ。改めて状況を整理したラーマとターラーが、揃ってため息をついた。
「亜大陸方面にやつらが侵攻し、はや10年………欧州に比べればよくもったが、流石にもう限界に来ているな」
「頭の痛い話ですがね。上はその事実を客観的に把握できていないようなのが、また頭にきます」
印度洋方面の国連軍の上層部。そしてインド政府は、まだこの地を守りきれると思っている。
前線を知る人間からすれば、それは希望的観測どころか、夢物語にすぎないのだが。
「くそ、あの頭でっかちどもめ、先々月の九-六作戦で受けた痛手を理解してやがらん。あの日本でさえしてやられたってのに………疲弊しきったこのインドじゃあな」
「ええ。このままじゃジリ貧にも持っていけませんね。それを理解している一部は、賭けに出たいと思っているようですが」
「まあ、真っ当な策じゃないんだろうがな」
「今更真っ当な方法を駆使してもBETAには勝てませんよ。それに真っ当のレベルに至る作戦を、今の上層部連中が考案できるとも思えませんが」
むしろ真っ当な作戦は出し尽くしましたし、とターラーは首を小さく横に振る。
「今は訓練あるのみです。少なくとも、これから先数ヶ月は………泥沼な状態になるの、避けられないでしょう。それよりもあの娘のこと………あれで本当に良かったんですか?」
「………安全な所に、という気持ちはある。だがそれはどうやら、俺たちの独りよがりのようでな」
思い出し、ラーマは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「―――子供だって、生きたいんだ。大人の願望が子供にとっての最善とは限らない………思い知らされたよ。自分のことを一番知っているのは、結局の所自分なんだとも」
わがままではなく懇願なら、応じるのも大人の役目だと。
ラーマは、苦い息を吐いた。
「………居る場所だけでも、自分で選びたいと言った」
叶えてやるのが大人だろう。ラーマは迷いのない瞳で、裏切らないことを誓った。
ナグプールの基地に移ってから、数日後。武は早速と、体力をつけるための走りこみを始めていた。昨日、担当の医者に明日から訓練を再開する、と説明したら反対だと言われた。
完治してからでも遅くはないのではないかと説得されたが、武は納得しなかった。
医師に説明したのだ。BETAが攻めてくるか分からないこの状況下で、そんな事を言っている場合ではないと。むしろこのまま何もせず、未熟なままで居るのが危険だと吠えた。
一刻も早く体力をつけなければならないと。いつになく真剣になるぐらいに、武は必死だった。
前の戦闘で助かったのは、あくまで運が良かったからであり、次にああいう状況になると、助からないと感じていたからである。武も、救援がもう少し遅ければ自分は死んでいただろうことは理解できていた。味方の足かせになっていたかもしれないということ。
それは、他のだれでもない武自身が一番に分かっていた。これから先、戦闘はその頻度を増し、苛烈さも増していく。それが故の、早朝からのランニングだった。
そして走り出してから10分くらいたったころだろうか。
グラウンドの入り口に人影を見つけた武は、ひょっとして教官だろうか、と思い遠くにいる人物に目を凝らしてみる。
しかし、違った。見えたのは、もっと小さい影だった。
(それにあの髪の色は、昨日見た…………!?)
武は走るスピードを上げ、その人影に近づき、誰か分かると驚きの声を上げた。
「どうしたんだ、お前………えっと?」
問いかけようとして、言葉につまる。そういえば名前をまだ知らなかったと。
「私の、名前? 名前は、あー………サー、シャ。サーシャって呼ぶといいと思う」
「思う? ええと………俺は白銀武だけど」
答えるまでの一瞬の間。武は彼女が何をいいかけたのか気になったが、取り敢えずスルーした。
サーシャはそんな武を気にすることなく、屈伸を始める。
「………で、サーシャか。おまえ、ここでなにしてんだ? こんな朝早くから準備運動なんかしてよ」
「決まってる。私も、訓練するから」
「え………訓練、って?」
「必要な能力を得るために練習すること」
「意味を聞いてるんじゃなくて!」
びしり、と武のツッコミが入った。サーシャは何をいっているの、という視線を武に向けて、言った。
「だから体力をつけるために訓練。私も、あなたと一緒に走るということ」
端的に告げられた言葉に、武の頭の中を疑問符が駆けめぐっていた。
武の眼から見て、この少女は到底歩兵には見えない。戦車兵というのにも無理があった。
ありえるとすればオペレーターぐらいだと思うが、オペレーターの訓練で早朝から走るというのもおかしいと思えた。いや走るのは基本だと言われたが、こんな年から走りこみの訓練というのもおかしいと武は考えていた。
オペレーターがどういう訓練をするのか知らないけど、こんなに早朝から走るようなものでもないと。変な顔をしながらしきりに首を傾げる武に、少女はまた無表情に答えた。
「衛士のための、訓練だから」
「え、衛士ぃ!? 嘘だろ!?」
武は驚きの声を上げた。何より、できるのかその小さい体で――――と疑いを表情に出していた。
それも、見れば分かるというぐらいにあからさまだった。サーシャは武の表情と言葉に含まれた驚きから武が何を考えているのかを察すると、心外だとむっとした顔をした。
「嘘じゃない、私はできるから。だから、問題はない」
「ほ、ほんとに? 遊びじゃないんだぞ?」
「こんな最前線の基地で遊ぶとか、馬鹿以外の何者でもないと思うけど」
うん、とサーシャは頷く。でも、武はその答えを聞いても信じられない。いくらなんでも小さすぎると――――自分の事は完全に棚に上げて、もう一度ほんとうにと質問した。
サーシャは、更にむっとした顔になった。
「嘘じゃないって言ってる。なんなら、勝負でもして確かめてみる?」
武はトラックを見ながら無表情に挑戦してくるサーシャに、一瞬どう答えたらいいか分からなくなった。だが、次の言葉が劇薬となった。
「大丈夫………吐いても、笑わないから」
「なッ!?」
その付け足された言葉に、武の頭は瞬間にして沸騰した。衛士として、戦闘中に吐いたのは恥であった。子供だからと慰められる事は多いが、少なくとも武にとっては恥以外のなにものでもなかった。
それを挑発に使われた武は、リンゴもかくやというぐらいに、怒りと羞恥で顔が真っ赤になった。
「いいぜ、勝負してやる!」
「じゃあ、あそこがスタートラインね。このグラウンドを20周。先にゴールした方が勝ち。ハンデは要る?」
「そんなモンいらねえよ!」
武は鼻息荒く、スタートラインに並んだ。サーシャは武が何故怒っているのか分からない、といった風に首を傾げた。武はそれを見て、挑発している、舐めやがって、とよりいっそう頭に血を上らしていった。吐いてしまったことを思い出していたのだ。みんなが仕方ないと言ってくれてはいても、武本人にとってそれは忘れられない恥でしかない。
二人は合図と審判を誰かに頼もうとしたが、朝も早すぎるので誰もいないのに気づいた。
仕方なく、二人はスタートラインについて、一緒に合図を出すことに決めた。
「位置について!」
「………よーい」
ドン、という二人の声と共に、レースは開始された。
基地の廊下。そこに、二人の人物が寝ぼけ眼で歩いていた。
「ふあああっ、ったく朝でも暑いなーここは。汗が出てきてやんなるぜ」
頭をかきながら欠伸をする、金髪碧眼の典型的な欧州美人。
だけどそんな印象をぶち壊しにするようなリーサを見て、アルフレードはため息を吐く。
「相っ変わらず色気の欠片もねえな、お前」
「ほっとけ、色ボケ野郎め。お前も寝不足に見えるけど?」
「ふ、女が離してくれなくてよ。ほら、色男に夜はねえって言うじゃん?」
「お前の頭ん中だけでなー」
朝が弱いリーサと、朝でもテンションが変わらないアルフレード。二人の朝の会話はいつもこんなものだった。気のおけない、男女の会話でもない男の友人同士がするような。
リーサはあくびをしながら、椅子に座ると、転がっている"もの"を指して、言った。
「………で、こいつは何で朝っぱらからこんなになってんだ?」
そこには、食堂のテーブルに俯せになっている武がいた。ぴくりとも動く気配がない。
それに答えたのは、ラーマ指揮下で、武やリーサ達と同じ隊に所属する、クラッカー中隊の一人だった。
「何でも、そこの少女………サーシャ、でしたか。1.5人分の朝飯を食べている彼女と、朝飯前にマラソン勝負して、完膚なきまでに負けたんだとか」
その勝負を途中から観戦していた、同じく朝の訓練をしようとしていた男の衛士が答えた。
その容赦の無い言葉に、武の肩がびくっと震えた。
「あはは、情けねえなあ」
リーサの何気なくも容赦の無い感想。武はまた、海老のように跳ねた。
「しかし、負けか………まあ言い訳は無理だよな。負けは負けなんだし」
含むものは一切あらず、恐らくは悪意も悪気も無いのだろうが、むしろ無いが故にあまりにもストレートな言葉が続いた。その度に、武の肩が再度びくびくっと震えた。
「で、こいつに勝利したお嬢ちゃんは何者だ?」
武の横で朝食を啄むように食べている少女。恐らくは勝利したであろう銀髪の衛士に、リーサは問いかけた。
少女、サーシャは食べるのをやめると、リーサの顔を見返して言った。
「私は、サーシャという。詳しくはラーマ、隊長までよろしく」
「隊長、ねえ………」
アルフレードがあごの髭の剃り残しを触りながら、黙った。
「まあいいや。あたしはリーサ・イアリ・シフ。そういや、お嬢ちゃんの苗字はなんてーの?」
「………クズネツォワ?」
「うーん、ソ連系の名前だね。でもなんで疑問形?」
「生まれは、そう。疑問形なのは、覚えたばかりだから」
「………深くは問わないけど、何やら意味深な………でも、ラーマ大尉の預りなんだ。で、なんで朝飯を0.5人分食べてるんだ?」
「本当は一人分でいいんだけど、負けた代価だからって、タケルが。私、食べる量が多いから助かったけど」
「お人形さんみたいな顔して、よく食べるねえ。ふ、ん………サーシャっていうのも綺麗な名前だしほんとお人形さんみたいだ。っと、俺はアルフレードだよろしくな、アルフって呼んでくれていい」
サーシャは頷き、視線をわずかに逸らした。
「あらら、嫌われちまったかあ?」
「色男がざまあないね。で、勝者に感想を聞いてみようか。白銀君は相手としてどうでしたか、サーシャさん?」
リーサがマイク代わりのコップをサーシャに向ける。サーシャは不思議そうに首を傾げると、意味を理解したのか頷く。そして、聞かれた内容について、端的に感想を述べた。先に走っていたから、とか。
病み上がりだとか色々あるが、語彙が少ないサーシャはそれはもう簡潔に。
へばるのが、という言葉さえ省略して率直に答えを口にした。
「………はやかった」
見た目美少女が、はやかった、と。
呆れるようなため息をつく光景がその場にいた全員の目に焼き付いた。
――――直後、食堂は爆笑に包まれた。
朝のミーティングで遅れてきたターラーとラーマが見たのは、異様としかいいようのない光景だった。リーサは目に涙を浮かべるほどに笑いながら、サーシャの肩をバンバン叩いている。
アルフレードは腹を押さえて、無言で机につっぷしている。机をガリガリとかきむしって苦しそうにしている。
どうやら彼の中のツボをついたようだ。
「はや、早かったって………」
アルフレードは、苦しそうにしながら繰り返しつぶやいていた。
どうやら色事大好きなイタリア人の耳には違う意味で聞こえたそうだ、とターラーは顔を少し赤くした。サーシャは笑う意味が分からない、といった風に首を傾げていた。近くにいる隊の者も、全員が笑っていた。
「えっと………白銀の姿が無いが?」
ターラーが何処だ、と探している。見回すと、視界の端に黒い陰が写った。
「おい………白銀? なんでそんなに隅っこで壁に向かって座ってる」
ターラーがおずおずと近づき、話しかけた。だが武は食堂の壁に向かい、三角座りして俯くだけだった。これは処置なしと判断した彼女を責められる者は居ないだろう。再び食堂の笑いの渦の中に戻った。一人残された武は、いいんですよどうせ俺なんかを連呼しながら、壁の染みを数えていた。
ほんとうに何があったんだろうか、とターラーは内心で首をかしげた。
すると、それを察した隊員の一人が説明した。笑いながら何があったかの経緯を教えると、ラーマもまた笑い出した。
そして武に近づくと、がんばらんとな、とバシバシ背中を叩いた。ターラーは頭を押さえながら、武の頭に黙って拳骨を落とした。
「お前、今日明日は倒れたこともあるから慣らしでいくと言っていただろう! 何でこんな無茶をする、って聞いているのか!」
「ターラー………お前の拳骨を食らって、すぐに口が聞けると思ってるのか、ってはい、いいえ、何でもありません」
頭から煙を出してつっぷす武。ラーマは言葉途中で発生した悪寒から、一歩下がって最後には敬語になった。それを見ながらリーサとアルフの二人を含めた隊員達は、この御人には逆らっちゃなんねえなあ、と呟いた。
「それで、勝負を挑んだのはどっちだ?」
「………私です」
「ふん、ならばこれぐらいにしておいてやるか」
自分の身体の状態を知って挑んだのならあと数発は増やしておいたところだ。ターラーは腕を組みいうが、そこにリーサがつっこんだ。
「挑まれたからには良いってこと?」
「女に勝負挑まれて逃げるのは男じゃないだろう。しかし負けるのはなあ………鍛え直しだな、白銀」
「いや聞こえてませんよ、これじゃあ」
武はうつ伏せに倒れていた。実のところは気を失っていない、狸寝入りなのだが日本に居た頃より鍛えていた悪戯好きのガキの得意技のそれは、一般の軍人でも騙されるほどだった。
だが、今度ばかりは相手が悪かった。ターラーは半眼になり、寝ている武の後頭部向けて告げる。
「ならば仕方ない………夜の走り込みを3倍にするか」
「起きてます教官殿ッ!」
その様まるで、パブロフの犬の如し。基礎訓練時代にトラウマになった言葉をつぶやかれた武は、即座に復活した。
敬礼をしながら直立不動。それを見ながら、ターラーは満足気に頷く。
「素早い反応だな―――よし、2倍で勘弁してやろう」
今度こそ、武は地面に倒れ伏した。
基地内のとある一室。食後に呼び出された4人は、ターラー軍曹―――今は教官職を解かれたのでもとに戻り、中尉となったクラッカー隊の隊長補佐と向かい合っていた。
「白銀、クズネツォワ。お前たちは緊急時の任官として、臨時だが少尉扱いとする」
「「了解です」」
「それで、クズネツォワ少尉。お前は以前に衛士の訓練を受けていたと言ったな?」
「はい、だいたい一年ぐらいかと。正規の訓練じゃあ、ないと思うけど」
ターラーはサーシャの敬語が怪しい、と思ったがそのままにした。
ラーマにあとで言い含めるかと呟き、話を続ける。
「一年か………体力も武よりはあるようだし、いけるか。シフ少尉は前衛、ヴァレンティーノ少尉は中衛か後衛で………」
考えこむターラーに、武は質問をする。
「あの、教官? あの二人とこいつも、その、クラッカー中隊に?」
「ああ。こいつというな、今日これから命を共にする仲間だぞ」
「えっと………隊には俺を含めて11人が居たようですが、3人が入ると14人になります。中隊は12人と記憶しているんですが」
「………そういえば、お前には言っていなかったか」
一拍、置いて。
沈黙の後、ターラーはあっさりと告げた。
「先の戦闘で二人死んだ。だからこの3人を含めちょうど12人だ………問題は、ない」
「――――え?」
死が、あったという。二人が、戦死したという。その事実を聞かされた武は、戦闘時の事を思い出していた。
(………あの時、教官と二機連携を組んで前衛で戦っていた時はまだ全員が生きていたはず。死んでない)
ということは、その後に何かがあったのだ。思い出した武が顔をはっと上げ、ターラーがそれを察する。
「私達の穴埋めとして前衛に出張った二人がな。あの地下からの奇襲を凌ぎきれなかった。ガルダは戦車級に、ハヌマは要撃級にやられた」
「な………本当ですか!?」
確かに、さっきの朝食の時にその二人の姿はなかった。全員の見分けがつくわけではないが、それでもその二人は特徴的な性格をしていて、武はそれを覚えていた。
(だけど、さっきのみんなはあんなに笑っていたじゃないか)
仲間が死んだなど、微塵も思わせない感じだった。だからきっと、教官の冗談かもしれないと―――そんな武の希望的観測は、ターラーの一言で潰された。
「私も、人の死に冗談を挟むほど悪趣味ではない。三日前に、あいつらは死んだんだ。もう、並んで戦うこともない」
生き死にも、冗談ごとではない。ターラーが告げるが、武は納得がいかないと俯いた。
「でも、みんなは! なんでそんなに平然と………っ!」
「平然と、か――――白銀。こういうのもなんだが………私達は最前線で戦ってきた。昨日まで同じ釜のメシを食っていた者が死ぬということに慣れているんだ」
「だ、だからって!」
「………戦った後に外に出ることもある。お前らみたいな子供に悟られないように、それぞれが区切りをつけている」
「区切りって、どうしてですか!」
「私達は軍人だ。軍人が不安がれば、民間人にも影響が出る………不安は戦術機の油汚れのようにしつこくてな。そして伝染しやすく、拭うのには広めるより10倍の努力が要る」
それは正しい理屈だった。どこまでも間違いはない、正論だ。だが、本来ならばこんな子供に反論も許さないように、聞かせる話ではなかった。
ターラーはそれを自覚し、だからこそ胸にうずく痛みに耐えながら、それでも言葉を続けた。
「………不安に染まれば心が揺れる。心が揺れれば理性も揺れる。そして理性が揺れれば―――普段ならばしない馬鹿をしてしまう」
「そして、治安が悪くなれば兵站に影響する。経済や産業にも波及する。そして極論だが、弾薬が少なくなれば戦えなくなって………最後には負けてみんなBETAに喰われちまう。だから、俺ら軍人は外で不安を見せちゃいけねえんだ。士官ともなれば、特にな」
アルフレードが、付け足すように言った。ターラーは余計な真似を、と睨みつけるが、アルフレードは肩をすくめるだけだった。
そして、ため息と共にリーサが言う。
「………なあ、白銀。仲間が死んでなんとも思わない奴なんていない。最前線で命を張っている、あたし達のような戦術機乗りならばなおさらだ。お前も一度とはいえ戦場に立ったんだ。肩を並べて戦ったのなら、その、分かるだろ?」
「……は、い」
訓練で叩きこまれ、座学で学び、そして実戦を経験した武はその意味を理解していた。
戦術機はそれぞれのポジションにつき、陣形を組んで戦う。だがそれを行うのは、互いのポジションへの信頼が必要なのだと。
前衛は後ろが援護してくれると思っている。中衛は前衛が露払いをしてくれると思っている。
後衛は前衛と中衛が盾になり、遠距離での攻撃をする時間を稼いでくれると思っている。
これはひとつの例でその形も様々だが、陣形での戦闘―――チームワークは、互いの信頼を元にしてはじめて効果があるのだった。そして、戦場という死が隣り合わせになる場所では、信頼が心の繋がりに匹敵するということもあった。
「それでも、割り切らなければならないんだ。誰かの死を意識しすぎれば動きが鈍る。そして、鈍れば喰われる。そうなれば次に死ぬのは自分になるんだ。そして自分が死ねば、隊の皆も危うくなる。それは、味方を殺す行為と同じだ」
「でも………みんなは、割り切れてるんですか」
「ま、表面上はな。でも心の奥では分からんね。誰が何を考えてるのか、はっきりと分かる奴なんていねえ」
取り繕いも必要なスキルだぜ、とアルフレードが苦笑し―――――その背後に居るサーシャが、視線を床に落とした。
まるで、何かを隠すように。
「ともあれ、今は訓練を重ねるのが最善だ。今のお前は不安定になる前に不安だからな―――こちらが」
「ふ、不安ですか」
「当たり前だ。訓練開始して一年も経っていないのに、全部の穴を埋められるわけがないだろう。それ以前に、最低限の体力をつけてもらわんと話にもならん。また、近接での長刀や短刀の扱い方も覚えてもらうからな」
「は、はい」
「腐った返事なら二度とするな。気張るのかへこたれるのかどっちだ!」
「は、はい! 死なせないように、頑張ります!」
「なら、気持ちを切り替えろ。以上だ」
「はい」
武は戸惑いながらも、返事をした。確かに、死んだ二人はもう戻らず。そして頑張らないのか、と問われた時の答えは一つだった。
「クズネツォワ少尉。貴様も………と、調子が悪そうだな。急にどうした?」
「いえ………何も、ありません」
サーシャは、返事はしていたが、どこか歯切れの悪い感じに返答した。
武は、そんな彼女の顔を横から覗き込んだ。
「お前、ちょっと調子悪そうだな」
「いや、大丈夫」
「そうは見えねーよ。あんなに朝飯喰ったのに、まだ足りねーのか? それとも今の話で」
「……それは、違う」
武は心配そうにして。しばらく考えこむと、分かったとばかりに手を叩いた。
「じゃあトイレでも我慢してんのか! ああ、いくら教官でもトイレ行くぐらいなら怒らねーから早く行ってきたらどうだぁ、って痛ぇっ!?」
サーシャが覗き込んだ武のほっぺたを両手で思いっきりつねった。予想以上の握力に、武は本気で痛がっていた。
「あー、今のはお前がわりーわ」
「10のぼうやとはいえ、ね。いくらなんでも女の扱いがなっちゃなさすぎる」
「白銀………貴様、いくら私でもとはどういう意味だ?」
「ほんわほといわふにはふへ、っへひからがふええッッ!?」
ようやく手をほどいた武。ほっぺたを真っ赤にしながら、サーシャを睨みつける。
だがサーシャは無表情で睨み返し、やがて両者がふっと笑う。
「女を殴るのは嫌だ………シミュレーターで決着つけてやるぜ!」
「ふふ、これで貴方の2敗が確定。一日に二度負けるとか、情けないにもほどがある」
「上等だ、その無表情面を負け犬の顔に変えてやるぜ!」
「ふん、余計なお世話………戦術機の操縦でも無様に負けさせてあげるから、覚悟しておいて」
「言ったな!?」
「うん、言った」
さっきまでの重苦しい雰囲気はどこへやら。弛緩した空気が流れる部屋に、武とサーシャの言い合う声がBGMのように流れ出していた。それを見ていたターラーの頭には、頭痛の鐘が鳴り響いていたが。
「子供か………いや、子供なんだな、こいつらは」
「ほんと、子供ですよ………だからこそ死なせたくないですねえ」
「お前にしちゃストレートな物言いじゃねえか。でも、それについては心の底から同意するぜ」
そうして、数分後。言い合いをやめない二人の頭に拳骨の音が鳴り響いた。