Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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23話 : 刃の意味

京都の街の空を、戦術機が往く。長寿の象徴たる“鶴”に、めでたいという意味がこめられた“瑞”を冠するその機体には、鍛えられた体躯を持つ武人が乗っていた。揺るがぬ編隊は低空すれすれで飛空し、過ぎ去った所に乱流による突風を置いていく。

 

『CPよりレッドファング1。紅蓮大佐、50秒前にBETAの第3波の上陸を確認しました。現在、艦隊による砲撃が――――』

 

『ふん、言われずとも分かる。戦場の空気が淀み、震えておるわ』

 

紅蓮醍三郎はCPよりの通信を、不要だとばっさりと一言で斬って捨てた。機体の中にまで差し込んでくる鉄火場特有の雰囲気がより一層濃くなっていること、分からないはずがないだろうと。間髪入れず、網膜越しに顔を出した部下と視線を交わした。大隊長たる紅蓮、そして各中隊長とその補佐を含めた計6人は全員が男性だった。

 

『………レッドファング1より、各機。此度の出撃に関し、考えることは多くあろう』

 

斯衛としての立場。戦力としての確立。各派閥間での牽制。斯衛と帝国軍との密約は、そうして結ばれたのであった。誰もが知っていた。城内省の人間を。士気高揚の仕掛けには、相応しい演出が必要であると言っていたことを。

 

理屈の上では分かっていた。だが、任官繰り上がりの斯衛の新兵が先にBETAと矛を交えているという事実を置いておけるはずがなかった。女子供を先に戦わせておいて、精鋭たる自分たちが後からのこのこ出てきて英雄を気取るのか。それを良しとする大隊員は皆無だった。男としての見栄もなく、武人としての誇りもない人間はこの斯衛第二戦術機大隊には存在しない。だが、理屈があった。全ての者が、何を成すべきであるのかは理解していて、だからこそと紅蓮は告げた。

 

『武士の家に生まれた男児達よ。先の侵攻で多くの民が殺された。そして今も、同じ帝国を思う者達が、同胞達が戦い死んでおる。この上で余計な思考に意を割くのは全てに対する侮辱である』

 

知っていた。納得できないものなど、山ほどにあった。

だが、ここに至って戦火の炎が目前にあるならばと、誰かが言った。

 

『そうだ。敵が前にいる。倒すべき敵が刃の届く位置にいる、それが全てだ、敵がいる、それが真実であるが故に――――』

 

紅蓮は息を深く吸い込み、そして叫んだ。

 

『―――雑事、全て忘れよ! 己が持つ“武”をただ此処に示せ!』

 

 

そして、紅蓮は長刀を抜き放ち、敵たるBETAを指し示した。

 

 

『いざや往かん――――全機、儂に続けぃ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………迷いがない。それでいて、的確だな」

 

武は、後方に用意されていた補給用のコンテナの横で、網膜に投影されている周辺の状態が映されたレーダーを見ながら戦慄した。36機、戦術機甲大隊を示す36の青の光点の動きに逡巡はなく、目の前に展開しているであろうBETAの赤の光点に接触する度に消していっている。

 

武はその動きから、実戦経験の少なさを感じさせない練度を感じさせられていた。並の撃破速度ではない。その上で自部隊に被害も皆無である。斯衛きっての精鋭揃いという名前に偽りはなかったなと、補給を済ませながらそんな事を考えていた。

 

(だけど、問題は別にある)

 

武は斯衛の、光を除く5人の顔をそれとなく見回した。補給に集中しているのであろうが、その顔には不信の色が浮かんでいた。原因は分かっていた。移動の前に出された命令のせいだ。

 

内容は、前線部隊が苦戦しているが故に斯衛の大隊が援護として出撃するというもの。つまり自分たちが不甲斐ないから、後ろから更なる精鋭を出そうという事だった。はっきり言って、事実無根のでっち上げに他ならない。遊撃を命じられているこちらの混成部隊も、そして帝国軍もまだ窮地に追い込まれていない。それなのに増援が、自分たちだけでは止めることができないと判断されたように思える新たな味方が出撃したのだ。

 

面白い訳がない。文字通り命を賭して、全身全霊で戦っている斯衛の5人にとってはそれ以上の屈辱だろう。増援が斯衛軍の精鋭部隊であることも、不信に拍車をかけているように見えた。恐らくは前もって用意されていた策だろうが、自分たちには一切知らされていなかったのだから。

 

そして武は先ほどの光の様子も思い返していた。通達があったあの時の言葉と反応、きっと少佐も寝耳に水の話であったと考えられた。だけど必要なことだ。武はこの斯衛の出撃が意味すること、周囲に与える意味のことを考えていた。

 

(篁少尉達にはそれが分からない。でも当たり前だ。自分たちが戦っているのに、って思うのは当然のことだろ)

 

ある意味で、ここにいる6人の決意と力量を袖にしていた。お前たちでは足りないと、先に戦わせておきながら言外に示しているのだ。恐らくは、篁少尉達も自分たちが前座であるとは理解しているだろう。己の力量を分からないほど、無謀な性格をしているとも思えない。だが前座と明言されるようなことをされて、笑って流せるような軍人は少ないということだ。何よりも知らされずに行われているのであれば、不満の一つも思い浮かぶというもの。

 

《だけど、正しいやり方だ》

 

(………なに?)

 

武は声の言葉を問い返した。味方を騙し、あるいは士気さえも低下するようなやり方を正当なものだと言うのだ。納得できるはずがない理屈に反論しようとしたが、補給が終わったとの報告に意識を戦闘のものに戻した。次に来たのは、移動命令だった。

 

山と山の間を抜けてきたBETAの密度が高く、やや開けた所で待ち構えるべき場所には斯衛の大隊が向かうので、自分たちは別のルートを塞げという。道は狭く、侵攻ルートから外れていてBETAの数は少なく、恐らくは小型種が大半を占めるであろう場所へ。

 

断れるはずがなかった。小型種とはいえ、一匹でも街に抜けられればその被害は甚大なものとなる。死者の数だけではない、その事実が及ぼす悪影響というものを武はナグプールの街で思い知らされていた。それまでの大切だった何かが、壊されてしまうという感覚。もし故郷が、横浜が、柊町がそうなったらと考えると胸が詰まる思いがある。過ごした年月は10年もない。それでも、大事な思い出が一杯ある場所だ。その上で、初陣を前に見せられた光景があった。

 

『小型種に齧り殺される人間の思いが、実感できるというのもなぁ』

 

『………中尉?』

 

『戯言です。それよりも、行きましょう少佐。小型種とはいえ、脅威には違いない』

 

戦術機であれば、踏み潰すだけで済む。だが歩兵であれば、命のやり取りになるのだ。武の言葉に、光は複雑な顔をしながらも頷いた。とはいえ、小型種の足は中型のそれより格段に遅い。噴射跳躍を最小限に指定されたポイントに辿り着いても、十分に間に合う範疇だった。BETAの足取りはそう早くなく、余った時間の中で行われたのは、互いの状態の報告だった。残弾は先ほど補充を済ませたので、不安は少ない。だから光は、噴射跳躍に使う燃料についてたずねた。一人一人、次々に継続戦闘が可能と思われる時間を報告していく。その中で、武が報告をした途端に、マハディオと王を除く全員が目をむいた。

 

武が報告をした時間は、後方で戦っていた鹿島よりも2割程長い時間だったのだ。

 

『虚偽報告ではないのだな?』

 

『しませんよ。無理に強がって孤立して死ぬのは、真っ平ごめんです』

 

見栄張って死ぬとか間抜けにも程がある。

武は苦笑しながら答え、種を明かすようにして説明をした。

 

『コツがあるんですよ。ただ跳躍を繰り返すのもね』

 

推力をロスなく活かしきっている、と武は言った。それは、かつての中隊で研究された成果の一つだった。最初の跳躍に消費する燃料は同じだが、その次からは工夫次第で節約できる。

 

人の身体でいえば靭帯に近い働きをする電磁伸縮炭素帯と機体重心との関係性を熟知すれば可能となる程度のものだ。武は機動形状や操縦のタイミングが要因として決まる燃料消費量や機体にかかる負担などを徹底的につきつめたことがあった。それらを活かせば、数割程度だが色々な面での節約ができる。

 

『それより前方です。来ました。小型種に、戦車級も一部混じっているようですね』

 

とはいえ、距離がある状況で弾薬も十分であれば敵にすらならない。号令と共に行われた斉射は、そこにBETAが居たという事実を過去のものとした。だが、そこにまた命令が下った。内容は先ほどと同じく、撃ち漏らした小型種などを潰せというものだった。光はちらりとレーダーを見たが、赤の光点が集まっている恐らくは激戦区であろう場所には36の青の光点が現在も疾走っている最中だった。本土防衛軍も、追従するようにBETAの群れと対峙していた。

 

『………命令には逆らえんし、必要なことだ。行くぞ、敵はまだ多い』

 

『風守少佐!』

 

『命令だ、山城少尉。大小の差はあれど、あれが脅威であることに違いはない』

 

光の命令に、上総は歯噛みをしながらもそれ以上の反論はしなかった。隣で何かを言おうとしていた唯依も同様だった。武はそれを見て、何かを言おうとして口を閉じる。

 

一言だけ、付け足すように言った。

 

『目の前の事に集中しろ。勝っている内はいいが、BETAは甘くないぞ。追い込まれれば、嘘みたいに容易く殺される』

 

数に圧し潰されるとはそういうことだ。余裕のある内はいい。だが、時間の経過と共に不利になっていくのは人類側なのだ。そもそもの地力が違う。敵の総数次第ではいくら奮戦しようが、敵わない場合がある。1体倒す内に5体が増え、2体倒す内に20体が来て、更なる増援に囲まれては反撃の手段を潰され、最後には残弾も尽きて、後に残っているのは丁寧に磨り潰されるという末路だけ。

 

今は勝っていると言えるが、この先にBETAの数が倍々に増えていけばどうなることか分かったものでもない。だが、武は忠告だけに止めた。援護役たるパリカリ隊の人間が何を言えるはずもない。

 

そうして気を引き締め直した2隊12人はまた戦場の中を移り変わっていった。

 

誰しもが、複雑な心境を抱いているのか、先ほどまでとは明らかに異なる表情を浮かべていたが。

 

(………俺達は目立たない方が良い。それは、分かっている)

 

複雑な心境で武は呟いた。これが斯衛の晴れ舞台である以上は、義勇軍が力を見せるべきではない事は理解できていたからだ。鮮やかな色は白紙の上であるからこそ艶やかに見える。無駄な彩色は、その見た目の印象を薄めることになるだけである。

 

武は自嘲し、己の役目に徹してみせた。それはこれ以上は目立たないという消極的なものであった。幸いだったのは、斯衛の調子が段々と上がっていったことだった。第3波のBETAが速やかに、最後の一塊になっている。帝国軍と一緒に応戦していた斯衛の大隊の動きが見事だったのもあるだろう。

 

今頃はきっと帝国の衛士達も斯衛の戦闘を間近に目にして驚愕していることだろうとは思っていた。レーダーで見るだけでその動きが尋常のものではないのは、武にも理解できるようになっていた。記憶にある起伏の富んだ地形の不利をものともしない大隊の動きは、武をしてあまり見たことがない程に見事であった。帝国の部隊とは練度がまるで違う。恐らくはこれで、当初の目的の何割かは達成したであろうことも武には分かっていた。

 

山陽の戦闘も粗方が片付いているようで、残るBETAも十分に対処できる数となれば、あとは消化試合にしかならない。しかし、そこで再び混成部隊に通信が届いた。

 

仏も激怒を越えて悟りの境地になるであろう、四度目の黒い波がやってきたのだ。

 

『まだ続くか………各機、跳躍ユニットの燃料を報告しろ』

 

残弾はコンテナでどうにかなるが、燃料はどうにもならない。だからこその確認に、全員が報告を返した。11人中、武とマハディオを除く9人が、四波目はどうにかなるがその次は考えたくありませんと答えた。

 

それを聞いた光は、さてどうしたものかと思案した。跳躍ユニットの燃料は基地に帰投しないと補給できない。かといって、山間部にあるあの基地に戻るのは自殺行為だ。周囲に森林があるからして高度を取らなければ入り口にまで辿りつけないが、光線級の的になってしまう危険性がある。さりとて撤退の命令は出ていない。

 

『少佐、不安要素はまだあります。次の波が、今までと同じ規模とは限りません』

 

『………その可能性もあるか。いや、悪ければ撤退できなくなるかもしれんと、そういう事か』

 

継続して五波目がやってくるかもしれなく、そうなれば全滅の危険性さえ考えられる。どうしたものかと考えたその時に、CPより通信が入ってきた。その内容に、光が困惑の声を上げた。

 

下された命令は、再度の移動をせよとのことだった。そこにはやや基地に近い位置であり、燃料が危うくなれば後退してもよいというのだ。問題は、指定されたポイントにいる別の部隊である。示された場所は、ちょうど斯衛の大隊が待ち構えている地点であった。目的を推測していた光は、一体この期に及んでどういった意図があるのかを考え込んだ。

 

だが短時間で切り捨て、命令の内容をそのままに中隊の面々へと告げ、有無を言わさずと強引に部隊を引っ張っていった。元より命令違反など出来ないし、ここにいてもジリ貧になる可能性が高いからだ。なるべく燃料を節約しろと命令しながら、中隊は目的地へと機体を走らせた。道すがらにBETAの亡骸と、戦術機の残骸が転がっていた。先ほどの戦闘でやられた者達だろう。武は横たわっている機体の大半が撃震で、瑞鶴は一機もないことから帝国軍だけが損害を受けているのだな、と思っていた。あとは、機体がある位置と損傷の様子を観察すると、指揮官である光に告げた。

 

『少佐………レーザーでコックピットを一撃されたようです。倒れている光線級の場所を見るに、丘陵地から狙撃されたものかと』

 

『ポジショニングが悪かったのだな』

 

『はい』

 

光線級にとっては、視界に映るもの全てが的である。高所から見渡されたら、その範囲は酷く広くなってしまう。だからこそ高所に陣取られる前に先んじて潰すか、あるいは高所で待ち構えるべきものである。それが不可能なら、BETA相手の超接近戦を挑むか。要撃級や要塞級を盾にしてレーザー照射を防ぐのも一つの手だった。

 

『間合いが重要という事ですか』

 

『その通りだ、篁少尉。近すぎるのも危険だけど、中途半端な距離で戦うのが一番駄目だ』

 

『………臆すれば射抜かれる。そうなった場合は、踏み込んだ方がよろしいのですね』

 

『一概にそうとも言えないけどな。間合いの取り方についちゃ山城少尉達の方が理屈として分かってると思うけど』

 

超近接とは剣道でいう一足一刀、どちらの攻撃も届く危険な距離である。一つのミスで生死が決まってしまう殺し間だ。だからこそ、出来るなら距離を開けて突撃砲での一方的な攻撃をするのが賢明とされている。だが、距離を取り過ぎては突撃砲の攻撃も当たらないし、いざレーザー照射を受けた時にはどの対応も取れなくなる。遮蔽物があれば撃墜は免れるだろうが、自分が立っている場所が平地である場合はほぼ助からないとも言えた。

 

『その、聞いてもいいかわかりませんが………光州作戦で、中尉達はBETAを飛び越えたと聞いていますが』

 

前衛の群れを抜けて、後衛の光線級への吶喊。まともにやればまず撃ち落されて終わる愚行でもある。それを成功させた理由は、公表されていなかった。武はため息をついて、思い出したくないけど、と言いながらも説明を始めた。

 

『一応、事実だ。だけどあれは正面から食い止めてくれる部隊と、囮と、特殊な兵装があっても失敗する可能性が高かった一種の博打だ』

 

光線級の初期照射はまずコックピットに当てられる。BETAは高度な機械がある場所を優先的に狙ってくるからだ。それを逆手にとって、戦車級を生きたまま串刺しにしてコックピット周辺を隠したのだ。夜闇に舞う蚊を払う松明のように、照射の道を戦車級という遮蔽物で潰していく。また、照射は正面だけからではないため、左右からも狙ってくるので途中で横に振る必要があった。

 

『途中で串刺しにしている戦車級が死んでしまえば、照射の道を塞ぎ切ることができなければ、完全に側面から照射を受けてしまえば、といった具合に不安要素も多いけどな』

 

二度目は勘弁だな、という武の言葉にマハディオが同意した。

 

『だからこそ飛び越える距離は最短に、ってな。それでも警報が鳴りっぱなしだ。本当に生きている心地がしなかったぞ』

 

『ああ。照射の警報音と同じぐらい、自分と、隣から聞こえる通信の息の音が煩かったなー』

 

『終わった後は後で鼓動の音が耳を占領するしなぁ』

 

あははははは、と乾いた笑いを交わす2人の言葉に、聞いていた全員が息を呑んだ。自分に置き換えて考えてみたのだ。先ほども、短時間だが照射の警報が鳴り響いていた。

 

即座に狙撃をして難を逃れたが、斯衛の5人だけではない、全員の耳に警報の嫌な音が残っている。あれがずっと続く中で飛び続け、確実に照射の道を潰していかなければならないなどと、考えたくもなかった。

 

だが途中で下に落ちれば群れに飲み込まれて潰されるし、恐怖に呑まれて硬直してしまえばレーザーで撃ち落されてしまう。なのに笑える神経が分からない。石見安芸や甲斐志摩子、能登和泉の視線に気づいた武は、にっかりと笑ってみせた。

 

『笑うってのは、上官の仕事の一つだ。ほら、先日の朝の俺みたいに暗い顔したまま戦場に立たれても、なんていうかウザいだけだろ?』

 

『………ウザいって言葉の意味は分かりませんけど、不安になるのは分かります』

 

『突撃前衛なら、余計にな――――って言っている間に、目的地に到着だ』

 

既にBETAの先遣隊と斯衛の大隊はぶつかっていた。そこで繰り広げられていた光景は、戦闘とも呼べないもの。それは一方的な鏖殺劇といった方が正しかった。

 

大半が補給に撤退をしているらしく、残っているのは2中隊の24機だけであったが、誰もが一糸乱れぬ流れるような動きを見せており、瑞鶴というの名の美しさに恥じぬように戦場を舞い続けていた。地面に突き立っている長刀は刃こぼれが目立っている。恐らくは耐久限界だとして、目の前の衛士達が捨てていったのだろう。

 

そして、その損傷を見れば精鋭の腕の程が知れるというものだった。刃先より2m程度の範囲、それより下は全くの無傷だったからだ。戦いのさなかでも、最も威力が乗るその部分だけで斬りつける程の余裕があったのだろう。

 

『っ、紅蓮大佐!』

 

『………風守、来たか!』

 

武は風守少佐の機体の前方に立っている赤色の瑞鶴を見つめると、成程と頷いた。赤い瑞鶴である。だが、その機体に乗っていなくても紅蓮醍三郎が搭乗しているであろう機体はひと目で分かったであろう。そう確信させられるほどに、紅蓮醍三郎の存在感はこの鉄火場の中でも際立っていた。

 

『貴様が、ベトナム義勇軍の鉄中尉か』

 

赤い機体が威風堂々と、長刀で無造作に要撃級の一撃を捌きながら、言葉だけをこちらに向けてくる。武はその声の迫力と流れるような斬撃を間近に見ることで圧迫感を覚えていた。

 

ターラー教官とも違う、紫藤樹よりも鋭く、アルシンハ・シェーカル程捻くれてもいなく。だが武は、一つの呼吸だけで受け止めてみせた。そうです、と応えつつ通信をオープンにする。途端に、互いの網膜に互いの上半身が投影された。

 

(………すげえ格好だな)

 

武は内心で顔をひきつらせていた。強化服越しにも分かる丸太のような腕に、ひょっとしたら銃弾をも跳ね返すのではと思わされる程に厚い胸板。奇抜な髪型、そして胸元からちらりと見える胸毛は、人によっては視覚的に暴力を仕掛けてきているようだと思えるんじゃないかというぐらいに強烈なものだった。だが、その全身から溢れ出ると形容できる威圧感と眼光の鋭さは、その外見を気にさせないほどに印象的でもある。先に直接面と向かった五摂家の2人やその傍役とはまた方向性が異なる、厚く重たい雰囲気はかつての戦友をも凌駕するもので。

 

武はこれが帝国の“武”の頂点の一人であると、理屈ではない場所で納得させられていた。

 

『噂になっているぞ。風守の乗る武御雷を陽炎で下した、常識外の(つわもの)が居るとな』

 

『男に噂されても、面白くありませんよ』

 

武は紅蓮の威圧感を本物であると知りながらも、反論した。見世物のパンダじゃないと、言外に示したのだ。即答した武を、紅蓮がじっと睨みつける。武はその眼光の他、周囲に居る斯衛の衛士達からも物言わぬ威圧感を感じた。だが武は、その眼光の鋭さにも怯まず、負けじと睨み返し続けた。

 

斯衛のやり方について、理屈では納得しているが感情ではその限りではなかったからだ。武にとって篁少尉達は直接の教え子ではなく、短期間しか接してきていないが、鍛え甲斐のある仲間であることには違いない。その仲間の初陣にケチをつけられてはいそうですかと許せる程に、冷静にはなり切れなかった。隣で唯依達が慌てている気配を感じたが、紅蓮の目から視線を逸らさなかった。

 

そのまま数秒が経過した後、ついには逸らさなかった武を見た紅蓮の目が僅かに緩まった。

 

『若造の割には………と、言っている暇もないか』

 

先遣の小隊、恐らくは三波目の搾りかすではない、四波目のBETAの赤の光点が無視できない距離にまでやってきていた。侵攻による震動の数が、それまでの比ではない程に高まっている。

 

『かなりの数ですね。紅蓮大佐、援護は必要ですか?』

 

『そのために呼んだのだ。儂らが前に出る。風守、其方は右側面より突撃砲で援護せよ』

 

『了解しました。ですが、本当によろしいのですか?』

 

『既に目的の大半は果たしておる』

 

それ以上の事は聞くな、と視線で語る紅蓮を見た光は苦笑した。

 

(やはり、この人が移動命令をねじ込んだか)

 

自分たちは引き立て役か、あるいは帝国軍への表向きの義理立てでしかなかったはずだ。本命は第二大隊による圧倒的な戦果をしらしめること。紅蓮はその策を認め、言い訳せず、その上で自分たちの立場を考えて命令したのだ。

恐らくは、シナリオを考えた城内省の文官への嫌味も含まれているのだろう。

 

(本当は、最初から最前線で暴れたかったろうに)

 

紅蓮醍三郎とはそういう武人だった。見た目は奇抜だが、芯が一本通っている尊敬すべき上官だ。

その大佐が、婦女子を戦わせておいて自分たちは出待ちを、などと考えるはずもなかった。必要であるからと命令されたのだろうが、納得は到底できなかったのだろう。

 

あるいは、別の目的もあるのかもしれない。光は隣接する陽炎を、一歩前に出る武の機体を見ながらそんな事を考えていた。そして、通信が飛んだ。

 

『前に行く。後ろから撃ってくれるなよ、若造』

 

『撃ちませんよ。遅すぎたら、こっちが全部平らげてしまいますけど』

 

『ふ、ははこの儂に向かって言いよるわ! その言葉、恥にならんよう精々気張るがいい!』

 

『ええ、仲間と一緒に見てます』

 

武の言葉を聞いた紅蓮は、唇を斜めに釣り上げた。そして、部下に向かって叫ぶように告げた。

 

『各機、聞いたな! 今の言葉を忘れるな! 臆せばこちらの恥である!』

 

『了解です!』

 

『声が小さいわぁ!』

 

『了解!!!』

 

思わず耳を塞ぎたくなるような大声が、通信を蹂躙した。大気をびりびりと震わせるような声には、薄っぺらではない分厚い気迫がこめられていた。初陣ではあり得ない、何度も戦場を経験したような声は、武も驚く程だった。炎のような気勢。指揮官である紅蓮の名の通りに、武士たる衛士達はただそこで戦意を燃え盛らせていた。

 

『全機、突撃! 一匹とて後ろには通すな! 此処を奴らの死に場所とせよ!』

 

雄叫びが、戦場に響き渡った。

 

 

そして――――戦闘が終了したのは、間もなくだった。

 

 

伝えられた報は、今回のBETAの攻勢が四波目で終了したとのこと。

 

 

光が率いる混成中隊の初陣は、損害無しで終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作戦が終わって、その夜。デブリーフィングも終えた武は自室で今日の事を考えていた。最初に考えたのは、斯衛の5人について。恐慌にも陥らず、撃破数も初陣にしては上々だったように思えた。

だが流石に疲れていたのか、部屋に戻るなり眠ってしまったらしかった。

それは鹿島中尉達も同じで、部屋に帰るなりダウンしてしまったとのこと。

 

武は彼らの代わりに機体の損傷状況などの報告を整備員に聞きに行ったりもしていた。全てが終わったのは、夜の10時を過ぎた頃。約束の時間だと、自室に来たマハディオと一緒に今日の事の話し合いを始めた。

 

「じゃあ、やっぱりあれは一種の出来レースだったのかよ」

 

マハディオの言葉に、武は頷いた。

 

「帝国軍と斯衛軍、互いの利益を尊重した結果だと思う。確かに、戦況にまだ余裕がある今しかできないことだろうけど」

 

「後にはできんか。そうなった場合は、今更のこのこと何を―――ってなっちまう。しかし上が考えることは面倒くさいことこの上ないな」

 

「それ以外の目的があるのかもしれないけど。はっきりとした目的は、一つしか分からない」

 

その一つは斯衛の、将軍直下とも言える部隊がかつて持っていた威名の復権だろう。大陸に出ず、首都防衛に重きを置いている斯衛である。大陸で死闘を繰り広げていた帝国軍からの信頼が厚いはずもない。軍人の発言力の根源は戦果にある。だからこそ斯衛はどこかでその力を見せる必要があったのだ。

 

帝国軍も、在日米軍や国連軍よりかは同じ祖国を守る人間の方が信頼が置けると考えているに違いなかった。根拠はある。武は、影行から当時のF-4が開発された時のことを、長刀を開発した時に起きた事件を思い出していた。国家に友人はいないという言葉もあるのだ。先の光州作戦の記憶は新しく、油断をすればいつ裏切られるのかも分からない。

 

第四計画と、第五計画のことも無関係とは言い切れない。だからこそ、斯衛は威を高め、帝国は自国内で戦力を充実させ、つまりは双方共に損のないように利用した結果なのだ。そして武家というものは元より帝国にとっては少なくない権威を持っている存在である。日本人ならば、誰もが勉強する歴史のことがある。戦国時代か、それより以前から存在する権威の象徴でもあった。

 

「分かりやすい士気高揚の材料になる。英雄とまではいかなくても、出撃するだけで士気が上がるのは帝国軍の上層部にとっても有難いことだと思うから」

 

「それでも、落とされれば士気がだだ下がりだ。でも、分かりやすい精鋭部隊は確かに必要だな………」

 

希望の光としての存在も、無くては士気が維持できない可能性がある。その点でいえば、斯衛はそうした対象にしやすい背景を持っていた。日本人は慣習に煩い所があるため、ぽっと出の部隊が重用されても万人には浸透しにくいだろう。

 

一方で武家というのは分かりやすい“強者”であった。その土台があるからこそ、士気高揚の装置に仕立て易くなるのも確かだ。かつての中隊のようなお膳立てや、実績の積み重ねはあまり必要がなくなる。そして武は東南アジアの経験から、理解していた。英雄か、それに準ずる存在の登場は早ければ早いほど良く、また劇的であればあるほど良いのだということを。

 

「………良い傾向なんだろうけどな。俺達もここじゃあ端役に過ぎないし」

 

「せいぜいが引立て役って所だろうな」

 

帝国軍、あるいは斯衛軍という巨大すぎる組織の前では、せいぜいが蜂にしかすぎない。

紅蓮のように、“武”の技量で立場を確立するにも、障害が多すぎた。

 

「そういや、紅蓮大佐はどうだった? 簡単な感想でもいいけど、聞いておきたい」

 

「見た目はあれだけど、かなりまともな人だと思ったな。衛士としての技量も、凄い高かったし」

 

武は感じた通りのことを言った。相手が瑞鶴で自分が陽炎に乗ったとしても、一対一での殺し合いになるような状況は考えたくもないと。弱い人間には興味さえ抱かない部類かもしれない。弱気を見せれば喰われそうな雰囲気だった。一方で、最後に部隊と合流したことも考えていたのも記憶に残っていた。武は、あの指示は紅蓮大佐の独断であろうと思っていた。

 

「共に戦場に立てる(ほまれ) 、か。その割には斯衛の5人は黙っていたままだったが」

 

「流石に後半は体力も尽きかけてたんだろ。最後まで戦いきった胆力は凄いと思うけど」

 

初陣は特に体力の消耗速度は尋常じゃなく高まってしまう。かつての自分の事を思い出し、武とマハディオは苦笑をこぼした。その上、最近は気温も湿度も高いのでとても快適とは言えない気候だった。知らない内に消耗していたのだろう。

 

今も身体にはシャワーの余熱が残っているせいか、汗が止まらなかった。それでも耐えられるのは、もっと気温が高い所で戦っていたからだ。全く逆となる、寒い地域でも武は戦ったことがある。中国の奥地では、北海道よりも寒い地域がざらだったのだ。

 

戦闘が終わった後、一応の本拠地であったベトナムに戻ればまた気温が高くなり。

そういった環境の変動も、武やマハディオにとっては慣れ親しんだものであった。

 

「少佐達も、引立て役で終わらなかったのは良かったな。新人たちが最後まで戦場に残って奮戦した、って事は斯衛にも帝国軍にも広まってるだろうさ。俺にも詳しいことは分からんが………武には分かるか?」

 

「何となくのレベルだけど。少なくとも技量不足で、って風には見られないと思う。しかし、本当にややこしい事するよな」

 

「所変われば、だろう。だが篁少尉達も、合流してからは不満な顔はしていなかったぞ。きっと同じ戦場に戦うことに、何らかの価値があったんじゃないのか」

 

「えっと、例えば?」

 

「連合でも自慢話はよく聞くぞ。クラッカー中隊と一緒の戦場で戦ったことがあるってな」

 

マハディオの言葉に、武はなんとも言えなくなっていた。仕組まれていたとはいえ、偶像だったことには間違いがなく。共に戦えると、そう自慢する人間が居たことも覚えていた。あれと同じ事か、と武は納得した。確かに、自分としても尊敬すべき上官が居る戦場と居ない戦場とでは雲泥の差があると思っていた。一方で、先の策は失敗することは許されなかった事も理解できるようになっていた。

 

あの策がとれたのは彼と率いる部隊の練度に対する信望があったからとも。斯衛の全体のレベルの高さも、無視できないものがある。新人に精鋭に、戦うこと、その気構えを小さいころから仕込まれているだけはあると。

 

「これから先も、戦う度に名声を得ていくんだろうな」

 

「瑞鶴も、聞かされていたよりずっと良い機体だし」

 

「ちょっと贔屓入ってるんじゃないのか? 親父さんが開発した機体だってことで」

 

「関係ないって。純粋に性能を見て思っただけだ。確かに不知火よりは劣ってるけど」

 

「陽炎にも、だろ。それでも撃震よりは使い勝手が良さそうだな。今日見た限りでは、という感想も後ろにつくが」

 

「実戦証明している最中だもんな………その他の懸念事項としては………王の事か」

 

「そういえば言っていたな。調子が悪かったそうだが、そんなに気にするようなことか?」

 

「好調不調で収まる範囲なら心配してなかったんだけど、それどころじゃなかった。あの動き、まるで別人だ」

 

武は基地に帰投してから見た、顔色のことも気になっていた。まるで病人のように青白くなっていたからだ。あの程度の戦闘で参るようなタマでもなく、だからこそ余計に違和感は強調されていた。

 

「本人に直接聞いてみるか?」

 

「試すだけはしてみる。多分、正直には答えてくれないだろうけど」

 

「同意する………あと、風守少佐の指揮はどうだった?」

 

「特に問題なかった。指示も的確で早いし、何より部下の事を考えてた。あとは………」

 

武とマハディオは今日の戦闘における反省会を済ませていった。戦闘の直後にこうした話し合いを行うのは、中隊の頃から習慣になっていたからでもある。問題は目に見えている内に潰せ、というのも教訓としてある。眠ってしまえば、忘れてしまうこともある。明日からまた行われるであろう訓練の内容も、簡単に相談していた。

 

「っと、時間だ。これ以上は明日にするか」

 

「ああ、おやすみ」

 

マハディオを見送ると、武はベッドに寝転がった。安物だからであろう、硬い感触がするが、それも慣れたものだった。気にせず目を閉じる。そして、声に呼びかけた。

 

(どうせ聞いてるんだろ。答えて欲しいことがある、戦闘中に言ったことだ)

 

《聞いてるさ、当たり前だろう。目的を遂げるには正しいやり方だってのも当然のことだな》

 

(そうだ。どこの誰の当然だって話だよ。目的を達成するなら、味方の不和を招いても構わないってのか? それじゃ本末転倒だろう。戦いは数だ。その数の力を発揮できないような状況に陥るのは、愚策以外のなにものでもない)

 

武は、個が全をひっくり返すことはできないことは分かっていた。自分ならば、一対一で戦えば大半の敵に勝つことができる。BETAの群れに飛び込んでも、やり方次第でどうとでもできる。自慢でもない、それはただの事実であった。だが、師団規模のBETAを相手にやれることは少ない。時間の経過と共に、補給、機体の疲労、自分の体力といった問題が浮かんでくる。

 

(どんなに腕が立つ人間でも、たった一人じゃ、なんにもできないだろう)

 

群れの密度を調整しよう、だけど後に続く者がいなければ意味がない。光線級を掃討しよう、だけど他のBETAに押し込まれれば意味がない。役割があるのだ。それを汚すこと、いずれ連携にも悪影響が出てくる。だが声は、そんな武の主張を一蹴した。

 

《理解していないとでも思ってるのか。それは正しい理屈が―――正しい以上に価値はない》

 

(価値だって? 一体どういう意味だ)

 

《上手くいってる時だけに言える戯言だってことだよ。問うが、泰村達の自爆攻撃なしにマンダレー・ハイヴは攻略できたのか?》

 

武は言葉につまった。その答えは、さんざんに考えたことだったからだ。

答えは、9割がた失敗していたという結論であった。特にあの巨大な母艦級をどうにかできた可能性は低いと言わざるを得ない。

 

《そうだ。強すぎる敵を前に、何もかも失わないまま勝ちたいなんて虫のよすぎる話だ》

 

(それは………だけどっ!)

 

《言葉にできないなら黙ってろよ。敵は強く、目的地は果てしなく遠い。重いままでは飛び立てないなら、捨てても問題ないものを選択しなければならない。斯衛も帝国軍も、辿り着くべき場所を見据えてるんだ》

 

(っ、綺麗なやり方は悪いことばかりじゃない! 考えて、それを通して戦う方法もある!)

 

《夢物語だな。今も劣化ウラン弾が採用され続けている理由を知ってるか? ―――つまりはそういう事だよ》

 

汚染のリスクと威力の効果。その先にあるのは、自国の防衛という何よりも優先される大義。そのために必要となるものは何であるのか。誰もがそれを考え、譲れないものを定めて戦っている。声は告げて、そして武に問うた。

 

《斯衛の6人も、そして帝国軍の誰もがそうだろう。日本をBETAに犯させないために戦ってる。そのためには命だって賭ける。その点、お前はなんだ? ただ状況に流されて、流され続けて、辿り着いた場所で戦っているだけだろう》

 

武は、胸を押さえ込んだ。黙った武に声は追撃する。

 

《苦しいなんて当たり前だ。誰だって同じ立場なんだ。耐えるのも当たり前。だが、やりたい事があるなら、成したいことがあるならそれだけじゃ駄目なんだよ。お前のやりたい事ってなんだ?》

 

(それは………純夏を、親父を、戦友のために………)

 

《今のままで可能なのかって聞いてる。そのために辿り着くべき場所はなんだ? 必要な要素はなんなんだよ。そうして目的地さえ定めていないから、前にさえ進めていない。どこに進めばいいのか分からないってお前は言ったな。だけどあの二者択一が提示されなかったとして、お前は一体どこに行くつもりだったんだ?》

 

(………それは。BETAを倒して、倒し続けていればいつかは)

 

《無尽蔵なBETAを相手にか? そこで漠然とした答えしか出てこない時点で失格なのさ。戦う理由、その根本を疎かにしているからさっきみたいな文句だって出てくる。そんなこっちゃお前も盤上の駒にしかなれない。いずれは使い潰されるだけで終わっちまうぞ》

 

声のたたみかけるような言葉に、武は黙り込んだ。反論さえもできなかった。尽くが、正鵠を射ていたからである。目をそらしていた部分を的確に指摘してくる言葉は、さながら矢に等しい痛苦を武に与えていた。だが、声はまだ終わってはいないと言う。

 

《いつまでも放置しておける問題じゃない。戦うことは必要だけど、戦いに逃げてるだけじゃ駄目だ。目的を果たしたいのならまず目指すべきポイントを定めろ。その上で、目的地に近づく努力をしろよ》

 

(このまま戦いつづけて少しでも多くのBETAを殺す………それだけじゃ正解に辿りつけないってのか)

 

《時間の無駄だ、いちいち答えの分かってる問いをするな。自分の命だけがチップだった亜大陸の時とはまた違うだろうが》

 

(あの時とは、また違うだって………?)

 

《チップとして賭けられるのは、自分自身だけだった。駒に等しく、チップも同然だった。だけど今のお前は、指し手として動く事だって可能だろう。そのために活かせる札を何枚も持っている》

 

声は主張した。持ち札は、衛士としての技量と経験、そして切り札となりうるものもあると。

 

《最初は駒だった。その中で自らの価値を高めた。軍事の事だって学んできた。だから次のステップに移る時期が来ているって話だよ》

 

(それが指し手………つまり、自分の目的のために誰かを利用する奴になれってことか)

 

《協力といえ。同盟でもいいぞ。何も特別な人間になれってんじゃない。それに自分の目的のために他人を動かしてでも、って奴ならごまんと居るぜ?》

 

(………対抗できる手を持っていなければ、そいつらに利用される可能性もあるって事か)

 

《既に利用されてるさ。もっと酷くなる可能性だってある。それに対抗するには、立場がいる。今は利用される立場になったとしても、言うことを聞くしか無い状況だ。だからこそ必要なんだ。こっちにムチャぶりをしてこようって輩の口を塞ぐ手段がな》

 

(そのために………自分の価値を見極める? 持てる札を、対抗できる策と、協力関係を結ぶ仲間と………)

 

《それを考える時期に来てる。二者択一はあろうが、まずはそこから初めてみろ。今のお前じゃ、死ぬまでどちらも選べないだろうよ》

 

直接戦うことよりも、辛いかもしれないが。声の言葉に、武は複雑な心境になっていた。頑張って倒せばそれで済むような、簡単なことではないのはそれとなく察していたからだ。場合によっては、大勢の味方と呼べる人間をも巻き込むかもしれない。

 

武は窓の外から空を見上げ、呟いた。

 

 

「………嫌な雲行きだな」

 

 

しなければならないこと、それはもう綺麗な事だけではなく。暗い心境を表しているかのように、空は黒く染まっていた。

 

《でも、やらなければいけない。歩き出さなきゃ、始まらない》

 

そして声は、最後に小声で告げた。

 

《――――もう、何もかも遅いのかもしれないけどな》

 

(どういう意味だよ)

 

《時間は待っちゃくれないって話さ。まあ、覚えるだけ覚えとけ》

 

(なんだよ、それ………って黙りこみやがった)

 

武は悪態をつきながら、黒い空を見上げてため息をついた。雨の匂い、そして雲の色からすると、どうやら今晩は雷雨になるようだった。暗いものしか感じさせない空に、呟く。

 

 

「いったい何年間会ってないのかなぁ………純夏も、無事でいてくれたらいいんだけど」

 

 

同じ空を見上げているかもしれない幼馴染を思い、武はそんな事をつぶやいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、五摂家の斑鳩の屋敷でその人物たちは面と向かって話し合っていた。外では、黒い雲がゴロゴロと音を立てている。2人が対峙する部屋の中には、雨の前兆であろう湿気と緊張感が入り混じっていた。

 

「こんな夜更けに、一体どのような要件で私の屋敷に? まさか紅蓮大佐の件とは言うまいな、煌武院の姫君よ」

 

「相談したいことがあります。斑鳩公が探っておられる人物について」

 

悠陽は背筋を伸ばしたまま、崇継に問うた。

 

「公は、 崇宰 の傍役のことは把握しておりますか」

 

「よくは知らん。面白みの無い人物には興味も持てないのでな。保守派の黒幕だ、という事しか把握していない」

 

「………知られているなら、話は早い」

 

斯衛の中には、武家を第一とする派閥が存在しているのは周知の事実であった。米国に制限されている将軍の権威を取り戻し、帝国軍も斯衛の頂点たる政威大将軍の下で動くべきであると。

 

その中でも表向きそうした思想を持っている穏健派と、裏で何事かを画策しようとしている実行派に分かれている。そして崇宰の傍役を代々務める御堂家、その当主であり崇宰恭子の傍役の名前を御堂真という人間がいた。傍役の中では唯一、衛士としての適性は低く実戦可能なレベルに至ってはいない人物でもある。

 

崇継が持つ印象は、“色”の優劣に煩い男であるということ。そして、風守光を認めないといった態度を貫いていることだった。そして、自らの立場を危ういと思っているのか、裏で色々と画策し始めているということ。

 

「光が眩しければ眩しい程に、影もまた黒きを増す。将軍閣下も、恭子殿も気づいてはいないであろうな」

 

「………恭子様は気づいてはいないでしょうね。閣下は、恐らくは察しておられると思われますが」

 

「それは鎧衣からの情報か」

 

「はい。そして、もう一つ、重要な情報が鎧衣より私の元に」

 

悠陽は冷静に告げた。

 

「“白銀武”。崇継殿は、この名前に聞き覚えはありますね」

 

「………覚えは、ないな」

 

崇継は、嘘はないと断言した。聞いたことはなく、初めて聞いた名前であると。

悠陽の顔がわずかに歪み、それを見た崇継はしかしと目を閉じて微笑を浮かべた。

 

「興味深い人物であるがゆえ、彼が今現在どこに居るのかは把握している。

しかし、成程…………“白銀”に“武”か」

 

面白い名前だ、と崇継は呟いた。悠陽は予想と違った崇継の反応に若干の戸惑いを見せたが、外には出さずに問いかけた。

 

「どこで彼の事を知りましたか? 失礼でしょうが、公はあまり外には目を向けられないように思っていましたゆえ」

 

「礼を失してはおらんよ。それは正しく事実である。だが、未来の斯衛の精鋭たる新兵と共に戦う衛士だろう。そして風守と轡を並べる衛士のこと、まさか調べないはずがなかろうよ」

 

其方こそ、意外であったな、と崇継は告げた。そちらにも興味がある、と問い返した。どうして煌武院悠陽ともあろう人物が一介の衛士の事を気にかけるのか。問いに対して、悠陽が見せた反応は悔恨そのものだった。

 

「幼き頃の事です。たった一度ですが、私はあの者と出会い、言葉を交わした事があります。そして、知られてはならぬことも」

 

崇継の顔が、驚愕に染まった。記憶が確かであれば、煌武院悠陽が幼少の頃に京都の外に出た事は一度しかない。その時に起きた、公表はされていない裏の出来事も覚えていた。だからこそ、何という奇異と驚愕せざるを得なかったのだ。悠陽をして見たことがないその表情ではあるが、悠陽も崇継の表情を気にする余裕はなかった。

 

「私の責任でしょう。父の死の直後とはいえ、あの時の当主は既に私でありました。言い逃れはできぬ、当主たる私が命じたも同じです」

 

絞りだすような声で、告げた。

 

「外に漏れてはならぬ秘密を守るためにと。そして不自然が無いようにと」

 

浮かんだのは、公園での事。そして、傍役であった月詠が叫んだ名前のこと。

すんでの所で留まり――――しかし、解決はしていなかったこと。

 

しばらく黙り込んで。そして、雷鳴が空を照らすと同時に、悠陽は告げた。

 

 

「――――当時、10歳の少年だった白銀武。彼を亜大陸にいる父の元へ送った切っ掛けとなったのは、この私であります」

 

 

はっきりとした、声にしての宣言の言葉。それきり、2人は口を閉ざし続けた。

 

稲光の後の、小さな雷の音だけが場を支配する。

だが、双方ともに時が止まったということでもない。

 

崇継はその言葉の意味を噛み締めるようにして、やがて理解していた。

その秘密と経緯のこと、明言はできない、できるはずがないであろう。

 

崇継は知っていた。五摂家の筆頭たる煌武院の当主、煌武院悠陽。その彼女に、時を同じくして生まれた双子の妹が居ることは。煌武院には、古来より双子は家を分けるもの、忌むべきものとされている。その秘密は漏れてはならぬものであり、だからこそ知る者は生かしておけないと考えた人間が居るということ、別段不思議な話ではない。

 

「………部下の暴走であるとは、言わぬのだな」

 

「所詮は言い訳にしかなりませんでしょう。私を思い動いた部下のこと。ですが、その責は私のものであります」

 

言外に其方の意志ではないのか、と問うた答えに返ってきたのは崇継をして予想していた言葉だった。しかし、腑に落ちない部分もあった。

 

「月詠の家の者が実行するとも考えがたいが」

 

「崇継殿、それ以上は」

 

「調べていた事と繋がると思っていたのだよ。悠陽殿は家臣の………譜代武家の一つの家に、隠し子がいるのは知っておられたかな?」

 

「………いいえ」

 

悠陽は間をおいて、首を横に振った。崇継は知っているな、と思ったがそれを無視して告げた。

 

「散々な幼少期であったそうだ。妾たる母親がその隠し子につけた名前、その経緯を思うと複雑な背景があると思わざるをえない」

 

呟くように言った。

 

「本妻である紫藤霞、彼女に瓜二つである息子。それにただ“良”と付けただけの名前とはな」

 

「崇継殿!」

 

崇継は悠陽の制止の言葉を受け止めながらも、告げた。

 

「紫藤霞が次男、紫藤“樹”。そして泰村登喜子が長男。紫藤の家にとっては三男の――――泰村“良”樹か」

 

悠陽は俯くと、それきり黙り込んだ。泰村良樹のことは、悠陽も知っていたのだ。万が一の暗殺役として選ばれたことも。だが悠陽は、まず伝えなければならない事があると顔を上げた。

 

「本題があります」

 

白銀武について、と前置いて悠陽は言った。

 

「彼の者の親交深き、鑑純夏という少女がいます。鎧衣の話では、先日までかの篁家に逗留していたようですが」

 

「経緯は問わない。だが、相談するに値する話とはそれだな?」

 

悠陽は頷き、そして答えた。

 

 

「同じく、鎧衣より報告がありました――――御堂家の手の者が、篁の屋敷より鑑純夏を連れ去っていったと」

 

 

 

その日一番大きな雷が、大気を震わせ京の空を駆けていった。

 

 

 

 

 


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