Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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21話 : 人の中にあるもの_

『あはは、タケルちゃんって馬鹿だね』

 

『うっせー』

 

どこか遠い場所のような気がする。普通の声ではなく、どこかエコーがかかったように聞こえた。だけど武は、それでもいいと思っていた。夢だろうがなんだろうが、本当に久しぶりなのだ。目の前に見えるのは、窓の向こうからこちらを見る純夏の姿だった。身長から察するに、恐らくは日本に居た頃ぐらいだろうか。家が隣同士で、互いの部屋も窓で隣接しているから、その気になればこうして顔を合わせて話すことができた。

 

『でねー。もう、酷いったらないよ。ちょっと英語ができないからってさ』

 

『いや、お前が馬鹿なんだろ。一概に他人のせいにするのはよくないよ、純夏くん』

 

『タケルちゃんひどい! もう、だったらタケルちゃんが教えてよー』

 

武は、夢の会話を聞いて覚えがあるとつぶやいていた。これは確か、あの時のことだ。インドに発つ前日の夜、こうして話したのを覚えていた。

 

『………絶対だよ。生きて、帰ってきてくれなきゃ許さないからね』

 

『純夏………』

 

名前を呼ぶと、それきりむすっとして黙り込んだ。親父のいるインドに行くことを、最後まで反対したのは純夏だったのだ。いつもは馬鹿みたいに笑っている幼馴染が、嘘をついても容易く信じこむあいつが、何を言っても首を横に振り続けた。そして、家族と同じかそれ以上の時間を共に過ごしてきたと、そう言い切れる自分でも見たことがないぐらいに泣いて。純奈母さんに説得されて、ようやく頷いてくれた。それでも、今も納得はいっていないようだった。大丈夫だと言った。安心しろって、すぐに帰ってくるからって。振り返れば、分かる。あれは言い訳の部分が大きかったと。どこか軽い気持ちがあったのは、否めなかった。

 

武はそのまま、じっと夢の中を眺めていた。子供だった自分と、純夏が窓越しに向き合う。話しているのは日常のことだった。つまらない内容を語りあっていた。純夏は、その日にあった何でもないことを語って、子供の自分はそれを聞くだけで。明日に別れることを思い出したのか、時折り話している途中で泣きそうになる純夏をなだめながら、ずっと言葉を交わし合っていた。

 

そうして、夜も遅くなってしまって。

 

『すみかー、もう寝て………ないわよね、やっぱり』

 

『あ、おかーさん』

 

『おかあさん、じゃありません』

 

ぴしゃりと怒ったのは、純奈母さんだった。夜更かしをしている純夏に呆れたのか、こつりと軽く拳骨を落とした。

 

『でも………だって、明日にはタケルちゃんが』

 

『帰ってくるわよ、絶対に。約束したものね?』

 

首を傾げる純奈母さんは、子供の自分の言葉を疑っていないようだった。だけど、武は見返して分かることがあった。そう、思い込もうとしていただけなのかもしれない。申請が通って、許可が得られて。反対していたのは、鑑の家の人たち全員だったからだ。それでも行くと告げてからしばらくは、純奈母さんの目が赤く腫れていて、目の下には隈ができていたのを覚えている。あの時の自分は、意味が分からなかったけど。

 

『タケルくんも、夜更かししちゃ駄目よ? 船での長旅って、想像以上に体力を使うらしいから』

 

『はい………ごめんなさい』

 

『ん、よろしい』

 

いつものやり取り。怒られると、逆らえなくなる。母親ってこういうんだな、って思った。だからあの頃はずっと純夏が羨ましかった。でも、別け隔てなく純夏と一緒に自分に接してくれる人だったから、本当の母さんと同じようだって、そう思っていた。この時もそうだった。歯ブラシは。着替えは。酔い止めの薬は用意してあるか。大丈夫だって、変な意地を張っていたのは覚えている。

 

(………大したことはないって、そう思ってた。きっと、すぐに帰ってくるから、大げさだって)

 

いつしか夢の、子供の自分と意識が重なったように見えた。低い目線。懐かしい、自分の部屋。窓の外に見える、純夏の部屋にいる、生まれた頃からずっと一緒だったと断言できる二人。下からは、夏彦おじさんの声も聞こえる。きっと下の部屋で一人にされて寂しいのだろう。

 

『もう、聞いてるの? いいから、最後にチェックだけはしておきなさい』

 

『はーい』

 

素直に答えて、部屋の端の方、窓からは反対の方向に置いていた鞄の中の荷物を見る。一つずつ、出発へのカウントダウンのように。持っていくものを目で確認しては、紙にチェックマークを書いていく。字が下手だったのはこの時からだったんだな、なんて思い出して。

 

日常の空気を、思い出していた。

くだらないことでも笑って、それでもあれは楽しかったように思う。

父さんは仕事で夜も遅く、帰ってこれない日もあったけど、そんな日は純夏の家に泊まって。

もっと小さい頃は、純夏と同じ布団で一緒に寝ていたこともあった。だけど寝れなくて、トランプをしようって、布団をカモフラージュに、懐中電灯を灯りにして、でも見つかって二人共怒られて。

 

あの時もそうだった。だから、何気なく懐中電灯を鞄に入れていた。役に立つだろうって、どうしてか悪戯をしている気持ちになっていた。

 

そうして、全てが終わった後だった。鞄のジッパーを閉じて、立ち上がる。

大丈夫だったと、振り返って、報告をしようと窓の前に立つ。

 

――――そして。

 

「………え?」

 

窓の向こうに見えたものがあった。そこに居るはずだった、赤い髪の幼馴染と、母親も同然の人の姿はなく、何故か、どうしてかは分からないけれど。

 

武はあまりにも唐突過ぎて、声を上げることしかできなかった。

 

「………え?」

 

声が掠れているのを自覚する。何故なら、窓の向こうは。

純夏の部屋の窓には――――こっちの戦場でよく見る、小さなのっぺらぼうのBETAがいて。

 

まるで首を傾げるかのような仕草で、じっとこちらを見ていた。

 

 

そして背後、純夏の部屋には、あかいナニかが飛び散っていて――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も基地の中は緊張感で溢れている。小川朔はハンガーにいる整備員や衛士を何とはなしに眺めながら、そんな感想を抱いていた。自分が任官をしたのは、4年も前のことだ。小川朔は実戦が近づいている風景を見ながら、当時の事を思い出した。一度は大陸に渡り、実戦を経験して死の八分を乗り越えたのだが、その戦闘で部隊のほとんどが壊滅してしまった。

間もなくして別の部隊に異動したのだが、BETAの再侵攻があって、また壊滅した。

自分も無事ではすまなく、全治一ヶ月の傷を負わされた。それでも、命があるだけマシな方だった。思い出すだけで、朔の胸中には恐怖が蘇ってくる。あの時の要撃級の一撃、咄嗟に直撃を避けていなければ、今頃は中国の大地で肥やしになっていただろう。

大半の、衛士や戦車兵のように。それは特に珍しい話でもない。あの頃の大陸の情勢を考えれば、普通によくある話だった。東南アジアに侵攻していたBETAは、マンダレー・ハイヴが落とされてからは、中国大陸への東進へと方針を切り替えたのか、それまでより2倍ほどの戦力で侵攻を仕掛けてきた。結果、それまで防衛ラインを守っていた主戦力だった統一中華戦線の部隊や国連軍、大陸に派兵された帝国軍は急に強くなった敵戦力の猛攻に対応しきれず、著しい損害を受けてしまった。

 

レーダーに増えていく赤の光点。減っていく残弾。通信越しに送られてくる、誰かの断末魔。運悪く網膜に投影された映像が途切れず、仲間の“中身”を見てしまった者は錯乱し、そして間もなくして同じ末路を辿ってしまった。唯一、隣で機体を見上げているバカを除いては。

 

「ん、どうした朔」

 

「何でもない。それよりも、噂は本当なの?」

 

「ああ。あの鉄って奴が風守少佐の………斯衛の新型機か? あれと相打ちになったってのは、本当らしいぜ」

 

瑞鶴の次となる、斯衛軍の次世代主力戦術歩行戦闘機。試作らしいが、その性能は間違いなく不知火よりも高いだろう。朔は、スペックを見せられずとも、背景だけで察することができた。何故なら、斯衛軍は昔の自分が目指した場所なのだから。

そして、武家という存在についても、語れるほどではないが、身に染みるほどには理解できていた。恐らくは、現時点で起動にまでこぎつけている第三世代機の中では、最も性能が高いだろう。

そんな相手に、第二世代機の陽炎で相打ちにまで持ち込んだ奴がいるという噂が、緊張感が高まる基地の中で話題になっていた。

 

「普通なら、斯衛の衛士が間抜けだ、って話で終わるんだけどなぁ」

 

「風守少佐だからね」

 

風守光という女性は斯衛の名だたる衛士の中でも色々な意味で知られている、有名な人物だった。実戦を経験した斯衛というだけではない。何より、斯衛の武の双璧から認められているというのが大きかった。それは―――風守光など、所詮は“白”程度の女だと、侮蔑を抱いている者が声に出せない程にだ。特に紅蓮醍三郎は世辞を言わず、率直な言動しかしない人物で知られている。故に彼女を出自だけで判断するということは、紅蓮醍三郎の言葉を真っ向から否定することになる。家柄に囚われている程度の斯衛ならば、まずそんな度胸は持てないであろう。朔の眼から見ても、風守少佐は有能に見えていた。傍目からは本心かどうかは分からないが、繰り上がり任官になったあの5人に対して告げた言葉は、見事と言えるほどのものだった。

 

衛士はまず、戦術機ありきのもの。逆に言えば、戦術機を持っていない衛士は、衛士ではないのだ。それを事前に強く認識させることは、戦場においては利点となる。窮地における恐怖の中で、自分が乗っている戦術機の存在を忘れて硬直することが少なくなるからだ。死の八分における死因の中で恐怖に自失を起こすというものがあり、先の忠言はその予防になる。少なくとも、実戦で死ぬ思いをしたことがない衛士ならば、ああいった有用な言葉は吐けないだろう。

やる気を喚起させる言葉も、斯衛においては理想の上官とも言えるべき類のものであることは間違いなかった。手練である。一角の人物であることに違いない。

 

だからこそ、陽炎に乗っていた衛士の異常さが浮き彫りになるのだ。

 

鉄大和。階級は中尉。間違いなく、修羅場をいくども越えてきた衛士のはずだ。朔は、振り返って考察した。最初に鉄大和という衛士の存在を聞かされた時は、Gに対する適性が高いか、あるいは才能豊富であり、戦術機の操縦の成長速度が早いのを買われて中尉になったと思っていた。服の下に見える鍛えられた肉体と、朝のマラソン勝負を見てからはその考えは改めたが。体力や持久力、そして筋肉は軍人ならば最低限持っておかなければならないが、一朝一夕で身につくものではない。特に前線で長時間戦う衛士となれば、相応に必要となる。黛英太郎も馬鹿ではあるが、その辺りはわかっているので、体力を増やす訓練には余念が無い。その英太郎を上回る体力であり、かつまだまだ増やそうとしているのだ。地味な訓練ではあるが、それでも続けようとするのは、体力の有無が生死を分ける場面があると知っているからだろう。何年も戦ってきたことが窺えた。ソ連や、欧州でも少年少女が実戦に駆り出されることは珍しくないと聞いたが、東南アジアもそれは同じだったらしい。

 

「柔軟というかなぁ。あんな教本を国外に出版する時点で、おかしい所だとは思っていたが」

 

「英太郎にしては珍しく、建設的な意見を出したね」

 

「うっせーよ。なんも間違っちゃいねえだろ」

 

朔は皮肉を言いながらも、英太郎の言葉に同意を示した。教本に書かれている内容や戦術は、多くの戦況を経験してはじめて書けるものだ。戦闘教義ほどではないが、戦術機運用の大幅な効率化を可能とする、いわば軍事における宝物である。基本戦術を前提においての、それぞれの衛士適性に相応しい立ち回り方。応用し、様々な戦況における対処方法。

 

機動概念もそれまでとは明らかに異なる、より無駄が少なく機体にも負荷をかけない、一歩二歩先の理論が書かれていた。内容も学者先生が書くようなものではなく、無駄に難しくせず図解を交えた誰もが理解できるものになっている。五里霧中の中で、船の先をどこに向けるのか、それをはっきりと分からせてくれる本だ。新人の衛士には、特に有用だろう。ベテランの、自分の機動がもう定まっている衛士でも、この本の中の理論の一部を自分の機動に活かせる。強くなることに貪欲な衛士なら、見ないという選択肢さえ浮かばない程だ。

 

「そう、英語が未だに完全に理解できない阿呆の英太郎でも読もうとしたし………日本語版が無かったら、どうなっていたことかと思うけど」

 

「聞こえてるっての」

 

朔は無視して、今ではバイブルとも呼ばれている教本の事を考えた。普通、こんなもの国外には流出させない。販売されているのがおかしいのだ。そして売りだされたとしても、この本を作成するにかかったコストを考えると、一冊あたりの値段は今の30倍に設定してもおかしくはない。出版するに至った経緯や背景を、色々と考えさせられる本でもある。そもそも、有名な中隊の衛士が惜しげも無く自分のスキルと戦闘観念を書いているのが、またおかしな話なのだ。だけど、これが多くの衛士の命を救ったことは、間違いなかった。BETAの日本侵攻より前にこの本が流通しておらず、そして状況が悪ければ今頃は京都まで押し込まれていた可能性があるのだから。

 

あるいは、あの鉄大和という少年兵も、あのバイブルを熟読させられた新しいタイプの衛士かもしれない。短期間で、実戦に耐えるように訓練された。それは少し、過度な妄想に過ぎると思われるが。

 

朔は思考がややそれた所で、話を現実へと戻した。実際問題、この防衛戦はいつまで続くのだろうか。否、続けられるのだろうかと。関東や、精兵で知られる東北地方からも、九州方面軍の壊滅に対しての補充人員として、いくらか移動してきているとは聞いていた。

不足分を埋める援軍と、関西に元より展開している帝国軍。陸軍、海軍、そして本土防衛軍。

その帝国軍と在日米軍、国連軍の3軍共同で首都である京都を守るため、舞鶴と神戸を結ぶラインを絶対防衛線として戦力を配置している。

 

前面には戦術機甲部隊、その後方には機甲部隊、側面には艦隊。セオリー通りの配置で、その戦力は充実していると言えた。大東亜連合軍からの援軍が、四国方面に到着したとの噂も流れていた。市民の大半が関東や東北地方へと避難しているから、遠慮なく全力で防衛戦に集中できることだろう。

 

京都防衛ともなれば、今までは前線に出張らなかった斯衛軍も戦闘に加わるはずだ。

風守少佐指揮下の隊だけではない、斯衛の本隊でさえも前線に出ることになる。

 

「………頭でっかちの見栄っ張りが、どこまで戦えるかは疑問だけどね」

 

「おう、お前のことか」

 

朔は無言で隣にいる男の足を踏んだ。つま先を踏まれた痛みに悲鳴を上げるが、朔は再び無視しながら、視線を別の方向へと向けた。82式戦術歩行戦闘機、《瑞鶴》。そして、名前も知らない斯衛の新型機。極めつけは、義勇軍の陽炎とF-18(ホーネット)だ。

 

戦術歩行戦闘機というものは、本来であればハンガーの隙間を埋める、頼もしい巨人とされている。

だが、あれらの機体は心強い味方ではなく、違和感を醸し出す異物になっていた。決して浅くない溝があるからだ。形だけでも一丸となってこの基地を守ろうとする帝国軍とは違い、斯衛軍と義勇軍に対しては、目に見えない隔たりが存在していた。壁の名前は、不満、不信、疑念、嘲笑、侮蔑といった成分で構築され、その表面には京都専守という文字が書かれていた。

 

それが斯衛の本分なのだろうが、大陸に渡らせた戦力がわずかである斯衛軍を臆病者と思い、それを表に出さない者は少なくない。年若い、実戦を経験した衛士の9割近くが、斯衛の事を好きではないと答えるぐらいだ。

 

「あー、まあ勘違いする奴らは多いからなぁ。まだ成人もしていないのに戦って生き残った、だから俺には衛士を誇る資格がある。んで、後ろでビビって震えてる奴らよりも弱いはずがないだろうっ、てかぁ。自信も決して悪いもんじゃあないんだが」

 

「それも、そうなんだけどね。いいところばかりでもないのが、少し」

 

死の八分を生き延びたという自信は、次からは実戦の恐怖を緩めてくれる特効薬に成りうる。逆に、自信がない衛士はいつまでたっても恐怖に振り回されるし、成長しないのだ。しかし、増長するというデメリットもまた存在する。男女問わずに。確かに自分などまだまだと謙遜する者もいるが、それでもやはり衛士として選ばれた人間である。年若ければ若いほど、自分がやれる奴だと鼻息を荒くする傾向があった。

調子に乗りすぎた結果、間合いを見誤って不注意な戦死を遂げる者もまた存在するのだが。

 

「………次の戦場のために、そのまた次の戦場のために。足元見るばっかりで、先を見据えて動ける奴らはほんと少ないしな」

 

戦いに終わりはないというのに、戦闘は自分が生きている限り続くであろうことは明白であるのに、それを直視した上で生に真摯な人間は少ない。一時の万能感に酔って、粋がる衛士が多いのだ。それを苦く思う上官は存在するが、酔っぱらいが真面目な人間の言葉の10割を理解できるはずもない。そういった方向性とは異なり、思想や経験から斯衛を嫌う衛士もまた存在する。悲惨な戦場を経験した衛士の中に、特に多い。苦戦をするということは、部下を何人も失うという事と同義だ。そして帝国軍の衛士のほとんどが、民間人より徴兵されている。

 

民間人の若者が前線で散っているのに、武家であるお前たちが何故後ろに潜んでいると。そういった意見は、瑞鶴の機体性能が発表された時、本土防衛用をコンセプトに開発されたと知られた時に大きくなった。風守少佐と鉄中尉の一騎打ち、そして勝敗つかずの引き分けという結果も、波紋を生んでいる。その時の少佐の機体の損傷具合など、詳しい情報は出回っていないが、人は結果だけを偏重して噂を広めるもの。朔も、誰のものかは分からないが、最新鋭機で引き分けという結果を聞いた衛士が、なんだ斯衛も大したことないじゃないか、と声大きく話している所を聞いたことがあった。

 

一方で、義勇軍に関しては、簡単だ。外国の国軍ではない、傭兵のような戦術機甲部隊の端くれのようなもの。自国のために戦う正規軍とは圧倒的に違うこともあり、また東南アジアから遠く離れた場所であるということも心象的にマイナスとなっていた。光州作戦での活躍もあろう。

 

朔だけではない、大陸でBETAと戦闘をした経験がある人間にとって、あの吶喊は正直にいってあり得ない、狂気的なものだった。生存を可能とするのは、それこそ綿密な下準備と、勇敢な精神、何よりBETAの群れを掻き分けて目標へと辿り着ける技量が必要だ。

だが、それを理解しないものは多い。彩峰元中将が退役に追い込まれたこともあって、彼らの功績を素直に認める声は小さくなっていた。その上での、先の防衛戦での活躍と、沸いて出た疑惑。胡散臭い集団であると、誰もが決めつけていた。

 

両方共、悪い意味で注目を集めていた。特に義勇軍の3人は、別の意味で見られていた。あるいは、監視とも言っていいぐらいには。そんな中で飄々としているのも、敵意を煽る原因となっているらしい。朔は一応の同僚が影口を叩いていたのを思い出していた。明日にでもBETAの半島からの入水が報告されてもおかしくないのに、大して緊張をしていないように見えるのが気に食わないという。坊主憎けりゃ、とも言うがやや度を越しているように思えた。だが、それだけに基地内部の緊張が高まっているとも言える。

 

一方で、彼らにも原因があるのかもしれない。鉄大和やマハディオ・バドルは自分たちが注目されていると自覚しているように見えていた。目立たないように振舞っているように見える。だが緊張感が無いように見えるなど、その辺りで基地の人間を刺激している自覚はないらしい。

 

「と、噂の当人が来たみたいだぞ、朔。模擬戦のことを直に聞いてみるか? 変な嘘を吐くとも思えないしな」

 

「ええ、でも遠回しに――――」

 

朔は、近づいてきた噂の衛士、鉄大和を見た途端に黙り込んだ。ぼさぼさの頭。いつもは見苦しくないぐらいには整えられている衣服が、乱れていた。何より、まだ幼さを感じさせられることもある顔が、憔悴という名の炎で焦げ付いていた。まるで爆撃機からの絨毯爆撃を受けた後のようだった。目などは、徹夜で補修作業をした整備員よりも暗い。

 

付き添いらしい、隣にいる眼鏡をかけた斯衛軍の“白”の服を着ている新人と、山吹の服を着ている新人の二人も戸惑っているようだった。

 

「………何かあったか」

 

「だろうね。でも、不安を外に見せるようじゃ衛士失格………けど」

 

朔はそれ以上は言えなかった。先日に話をした時の様子を思い出していたからだ。

さほど言葉は交わし合っていないが、何があったとして早々おたつくタイプには見えなかった

 

「それとも、それ相応の事が起きたということ………?」

 

「朔、どうした」

 

「………ううん、私の思い過ごしかも」

 

 

朔は英太郎の言葉に、きっと何でもないと答えながら、去っていく武達の背中を眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、相棒………俺は、これからどうすればいいと思う」

 

武は、心配だと付いてきた二人と別れてから、ふらふらとハンガーの内部を歩きまわっている内に、気づけばこの場所にいた。何年も共に戦ってきた相棒である陽炎の前に。ひと通りの整備は終わったらしく、今は足回りのチェックをしているだけ。コックピットの周辺には、誰もいなかった。

 

武は通路に座り、鉄柵に背中を預けて足を組んだ。見あげれば、陽炎の顔となる部分が見えた。

 

――――戦うと決めた。この陽炎に乗ることになって間もなくだった。タンガイルの、あの惨劇が繰り返されることは認めないと。勝とうと、手をあわせて皆に誓ったはずだった。

 

その果てにたどり着いた場所がここである。二者択一の活路で、希望を示すかもしれない一筋の光。

しかし、あまりに重すぎるものが両天秤にかけられていた。

 

「この世界らしいっちゃ、らしいのかもしれないな。だけど………」

 

両腕に荷物は一杯で、成さねばならぬことも多すぎて。それでも前にと、決意した瞬間にまた新たな難関が立ちふさがる。自分から逃げなければいいのだと、そう思っていた。真摯な決意を崩さずに戦えば、いつしか報われると信じていた。

 

《いや、報われただろ。少なくとも今、ここに居ることができてる。まだ死んじゃいないんだから》

 

運が良かったのもあるが、との声に武は何も答えなかった。肯定するしかない。こいつは隠し事はするが、嘘はつかないのだ。

 

《諦めずに前に、突き進んできたからこそ知ることができたんだろ。何も知らずに死ぬよりは良かったとは思えないのか》

 

だからこその選択肢だ。それ以前に死ねば選ぶことはなかっただろう。機会は与えられず、永遠に何も出来ないまま屍を晒していただけだった。その言葉は圧倒的に正しく、否定できる要素など皆無であることは武も理解できている。

 

だからこそ、何も言い返すことはできない。その気力さえも枯渇していた。オルタネイティヴを知った直後に、意識が途切れた後の夢を、あの悪夢を見せられたダメージが大きかったからだ。

 

「クソが………完璧なタイミングだったよ、畜生」

 

選択の重さを知らされた気分だった。何を捨てるのかという問いかけ。失われるものの重さ。夢でも、久しぶりに声を聞けたのが嬉しく、それ以上に辛くなっていた。出るのはただ、ため息だけ。武は一晩で白髪になるというフィクションを、今ならば信じられると思っていた。

 

だけど、考えることも面倒くさいと。何も見たくないと目を閉じたそのまま、耳に入る音の一切を無視した。臭ってくる戦術機の塗装の独特の匂いさえも気にしない。触覚さえも放り出し、五感の全てを放り出していた。

 

もう、何もしたくない。偽りなく本心でそう思ったまま、何分が過ぎただろうか。

そうして武は、夢の世界に落ちようとした直前に。通路を歩く、誰かの音を聞いて一気に覚醒した。

 

条件反射で、接近する人間の方を向いて立ち上がった。

 

「あの………私、貴方に謝りたくて」

 

そこには、先ほどに別れた能登和泉が不安気な表情で立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

二人、黙ったまま通路の床に座る。武は隣に居る人物の、先ほどまでの様子を思い出していた。発端は今朝のこと。悪夢以外の何物でもない光景を見せられ、悲鳴と共に目覚めた時だった。自分の荒い呼吸の後に、外から音がしたのだ。どうやら能登少尉が自分の叫び声に驚いたようだった。後ずさった拍子に山城少尉の足を踏み、後頭部で頭突きをかましてしまったらしい。怪我はしていないとのことだったけど、山城少尉の鼻は真っ赤になっていた。付き添いにと、石見少尉と甲斐少尉が。残る二人は、何故だか自分の後をついてきた。だけど独りになりたいと、別れたのが何十分も前だったか。武は思い出しながら、不思議に思えた。確か自分は昨日までは能登少尉から嫌われていたはずだったのに、こうも短時間で気が変わるとは一体何があったのか。

 

(まあ、いいか)

 

武はそこまで考えると、思考を放棄した。それ以上を考えるのさえ、億劫になっていたからだ。目は開けているが、何にも焦点を合わさずにただぼうっと前を見るだけ。隣では、和泉が何かを言おうとしている様子が伺えたが、武はそれすらも無視したまま、じっと陽炎を見上げていた。それでも注意は絶やさない。知らない人間が傍にいれば、どうしてか身構えてしまうのだ。この数年で身についた癖になっていた。そんな事情を知ってか知らずか、和泉は質問を続けた。

 

「その、私は勘違いしてました。中尉に酷いことを言って………だから、謝りたくて」

 

「また、急なことだけど………まあいいや。で、何で謝ろうって思ったんだ?」

 

「えっと、それは」

 

黙り込んだ和泉に、武は何となく経緯を察していた。恐らくは昨日、風守少佐に諭されたのが切っ掛けだろうと。模擬戦の間は反発心がまだ残っていたのか、指揮もろくに聞かず、単独で動いていた所を石見少尉に撃破されていた。あれが実戦だったら、とでも思ったのか。

 

あるいは数日という時間が経つにつれて自分の言っていることが不味いことであると気づいた、という所だろう。武は適当に当たりをつけた後に、ただ分かった、と告げた。そしてすぐにまた、独りにして欲しいと言った。

 

「よろしいんですか、その………」

 

「いいさ。もう気にしてない。だから、頼むから今だけは勘弁してくれ」

 

武が懇願するように告げる。今日だけはもう、複雑なやり取りをしたくない、そんな余裕はないと。

和泉は武の言葉に少し戸惑いながらも、頷くとその場を離れていった。

 

たん、たん、と硬質の床を蹴って去っていく音。武はそれだけを聞き届けると、また戦術機の顔を見上げた。陽炎の顔は、何故かどこか、自分を責めているように見えた。武は、その理由に心当たりがあった。

 

「………悪い。先任失格だよな、これじゃあ」

 

相棒たる目の前の鉄騎は、あの頃よりずっと共にあった。部隊の仲間と教官に怒られた所はほぼ全て見てきたということだ。勿論のこと、今朝からの態度も、和泉少尉とのやり取りも上官がすべきことではない。常に余裕をもって笑みを浮かべて、仲間を不安にさせないのが突撃前衛の役割であり、指揮を一端でも預かる可能性がある者の責務である。

 

しかしだけど、と。武は自分に言い訳をしながら、陽炎の顔から目を逸らした。

そこで見たのは、陽炎の上半身だった。何となく装甲や関節部を見ながら、気づいたことがあった。

 

――――修復された傷。これは、要撃級の前腕が掠った時か、要塞級の衝角から出る溶解液の飛沫がかかった跡だ。

 

――――少し色褪せている塗装。近接格闘戦でBETAを倒した時のものだ。同じくBETAの体液の飛沫が、あるいは飛んできた内蔵らしきものがへばりついてしまった跡でもある。返り血ともいえるBETAの体液だが、最初の内は機体の表面にある塗装で弾かれる。

 

しかし同じ戦闘の中で何度も浴びてしまうか、塗装が劣化してしまうと表面に付着してしまい、整備で行う簡易洗浄ではどうしようもなくなる。そのままにしておくのは、あり得ない選択肢だ。戦術機の総重量からすれば微々たるものだが、体液が大量に付着すれば馬鹿にできないデッドウェイトになってしまう。その度に塗装を一新する必要があるのだ。だが、塗装のし直しも馬鹿にはならないコストになるため、新しく表面処理をするのは必要な箇所のみとなる。色あせている部分は、無事な箇所で、塗装をしなおす必要がなかった場所だった。当時のままから変わっていないせいで、ひと目見ただけでは分からないが、注視すれば分かるぐらいには周りとの色違いが起きているコックピット周りの装甲は特にそういった修復跡が多く見られる。

 

同じように、自分の心にもナニかの血が溜まっていて。武はじっと眺めながら、思った。そう言えば、こうして一つ所に落ち着いて機体を観察したことなど無かったと。

 

「………任務、任務か。出る時は急ぎで、帰ってからは疲れてて」

 

突っ走ったまま、ここまで来たように思えた。機体の状況や整備状況などを整備員の人たちと話したことはある。だけど戦うこと一切に関係なく、こうして向かい合った経験はなかった。武は今までのことを思い返し、苦笑した。夢中だったから生き延びることができた、と言えるかもしれないが、それでもと。立ち上がって、なんとはなしに機体へと近づいていく。そして傷があった場所を、掌でなぞった。少し凸凹があり、色も鈍っている。生身であれば、自分が受けるかもしれなかった損傷だ。戦闘中は無我夢中で、意識したことはなかった。だがこの機体はずっと自分を“傷”から守ってくれたのだ。

 

成長するために、戦った。無意識にBETAを殺す方法を、最適解を求め算出してあちこちの戦場を駆けて巡った。ずっと、前だけを見て走ってきた。新兵ならば意識しなければできないことも、無意識にこなすことができるようになった。昔は無様だと言われた射撃の腕も上がった。窮地に次ぐ窮地。気づけば、いつの間にかだが、一定の距離ならばロックオンもせずに狙った箇所に当てることができるようになっていた。

 

だけど、と武は思い返す。出来るようにならなければ、自分は今頃ここにはいないだろうと。

あの隊の突撃前衛とは、そういう場所であり――――だからこそ、振り返る余裕もなくて。

 

前だけを見ていたから、死なずにたどり着けた場所が“此処”である。ぶちあたった壁が、今の目の前に存在する。そして壁を打破する鍵があった。その値段は、守るべき人たちの死か、何億もの人たちの死か。

 

迂闊には選べない。決して無意識なんかでは決断してはいけない状況に直面させられていた。

 

「だけど………今日だけは休ませて欲しい」

 

武は誰ともなく呟くと、また元の位置に戻り、どすっと座り込んだ。そして、再び。しばらく陽炎を眺めていると、近づいてくる足音を察知した。さっき聞いた小走りのそれではなく、落ち着いていて、それでも先ほどより小さい音である。武は、何故だか無視できずに、音のする方を向いた。

 

そこに居たのは、予想どおりの女性――――風守光少佐だった。

 

「………どうも、少佐」

 

「まだここに居たか、中尉」

 

「はい………場所は、能登少尉に?」

 

光は頷くと、武の横に。立ったまま柵へと体重を寄せて、同じように陽炎を眺めた。

 

「能登少尉のこと、すまないな。九州からの援軍、そして四国での顛末は………大体の経緯は、斑鳩大佐より聞いて把握している」

 

「いえ、別に。慣れてますから」

 

武は特に気にしていません、と言った。言葉だけではなく、心の底からそう思っていた。自分の苦労の価値を他人が正確に評価するとは限らない。自分の出世かプライドを見つめるのに必死な上官は、部下の献身をも、目障りであるからという理由だけで視界から排除することがある。どこまでも公明正大で、いつも正しく振る舞える軍人は居るが、その逆の人間も確かに存在する。立場的なことが理由で、功績がフイにされることも。武はそうした理不尽にショックを受けるという通過儀礼は、何年も前に済ませてきたことだった。

 

「少佐も、そういう事多いでしょう。こうまで命張って必死にやってるのに、返ってくるのは期待してた反応じゃない――――なんだそれふざけんなよ、って叫びたくなることが」

 

「………私のことを、聞いたのか」

 

「元は“白”ってことは聞きました。まあ、自分にとっては白でも赤でも紅白でも、どうでもいいですけど」

 

色で価値を決めるのなんて馬鹿らしいと。そんなものに本当に価値があるのか。

疑問を抱いていた武は、自分を殺す鍍金でなければどうでもいいと結論づけていた。元から小さいことを気にするような性質でもないし、軍人になってからその傾向が増えていた。階級や背景を武器に殺せるのは人間だけであり、BETAではない。実感と共に、無意味に偉そうな上官に対しての殺意が増えていった。

 

「慣習、ってのはちょっと自分には分かりませんけどね。篁少尉や甲斐少尉は、少し顔を歪めてましたけど」

 

武は食堂で小川中尉から“白”の衛士、そして序列に対して面倒くさいと言った時の反応を思い出して、言う。少し、受け入れがたい言葉ではあったようだと。自分が中尉だからか表向きの態度では示してないようだ。しかしあの二人の態度が警戒心や負けたくないという傾向にやや強まっていることは無関係ではないと思っていた。

 

真っ向から否定しない所を見ると、無自覚な部分が大きいかもしれないが。

 

「彼女らは武家の人間として生きてきたのだ。それこそ、生まれた時からそういった眼に晒され、相応しい人間であるようにと望まれてきた。…………外の人間から見れば、違和感を覚えることでもな。自分にとっての当たり前を否定されて、顔を顰めない人間は少ない」

 

「山城少尉や石見少尉は、少し違うようですが」

 

「山城少尉は外様の武家だ。あってはならないことだが………相応の功績を残しても譜代ではないからと、不当に低く見られる事は、少なくない。石見少尉は………今はそれどころではない、と言った様子だな」

 

能登少尉が自分の行動を自覚するようになった原因でもある、と光は言った。彼女も、中国地方にいた親戚を前回の侵攻で亡くしていると。そうは見えなかったのに、と武が驚いた。

 

「快活だが、気配りができるからだ。言っていたよ…………自分が落ち込んで、仲間の士気を下げたくないとな」

 

「でも、独りで抱え込むタイプですね」

 

悲しい気持ちをうまく外に出せない人間は、無理に独りで抱え込んで解決してしまうことがある。思い込んだら一直線になってしまうことも。ふと越えた自分だけが思い込んでいるラインの後に、気を緩めてしまうような。

 

「そうかもしれないな。私達が気をつけないといけない」

 

「はい。まあ………そうですよね。上官、なんですから」

 

何気ない話をしていたはずなのに、また重いものを背負わされる。武はただでさえ精一杯なのに、とは口に出しては言わなかった。古くからの相棒を見て、幾分か気を落ちつけたからだ。指揮官と補佐の会話に業務が入り込んでくるのは仕方がないもの。それでも、武の顔には不満の意思が一瞬だけ出てしまって、それを見た光が気まずげに言った。

 

「………すまんな。色々と、頼りにしてしまっている」

 

 

光は、模擬戦が終わった後の隊内ミーティングの時のことを思い出していた。新任の5人のそれぞれ改善点を上げていったが、武はそれを補足したのだ。不足していたのは、主に市街地戦闘におけること。平野や丘陵地よりも圧倒的に障害物が多く、死角がそこかしこにある場所において衛士が注意しなければならない点についてを教えこんだ。

 

斯衛軍の戦術教義には市街地戦闘においては大したものがなかった。あまり街中で戦うということを想定していないのか、甘い部分が多い。京都を守るため、首都に入られる前にBETAを殲滅すべしと考えているが故か。あるいは、ただ単純に実戦機会に恵まれないか、戦術機が新しすぎる兵器だか何だかで、そこまで手が回らなかったのか、考察に足りない点が多い。

 

いずれにしてもこのままでは市街地で屍を晒しかねないと思った武は、5人に対して“やってはいけないこと”を分かりやすく、そして深く教えこんだ。自機より高い建築物があり、遮蔽物となっている状況下においてのポジショニングと、射線の確保の方法。高層建築物群の中での移動方法や、複数の機体で匍匐飛行をする際の注意点。地上ではBETAが移動する時の震動である程度は死角に存在するBETAを感知できるが、飛行中はそうではないこと。

 

機体間距離を十二分に確保していなければ、今朝の能登少尉のように急な死角から出てきたBETAを回避しようとする時に、味方機とぶつかってしまうことがある。そうなれば、十中八九終わりである。機体を立て直すにも遮蔽物が多い市街地ではそんなスペースは存在しない。錐揉み状態のままビルに激突するか、運が良ければ道路に激突するか、どちらかになるだろう。武が教えこんだのはそういった、戦闘以前の基本的な注意点が多い。こと戦闘力においての劇的な効果は見込めないだろうが、この先のことを考えれば、必要なことだと断言できた。

 

どう考えてもこのままBETAの進撃を止め続けることは不可能で、背後には京都の町がある。

事前にそういった知識を持っているか持っていないかで生死が決まる場合があると武は思っていた。

 

「いえ、それに………一度同じ隊になった仲間です。死なれると辛さが倍増します。自分のため、という気持ちが大きいのかもしれません」

 

「そう、だな。中尉はもう何度も経験していると聞いたが、やはり慣れないか」

 

「仲間の死に慣れる、ですか…………無理ですね。確かに、味方の死を数として処理する人は増えてきているようですけど」

 

感情を引きずられれば自分までが死んでしまう。特に戦死者が嵩んでいる戦場に多くいる時には、気にしていられない者が多い。慣れた人間であれば余計にだ。賢い衛士は同じ仲間からも、一定の距離を置くようになっていた。誰かの死が原因で、自分の生に漣が立たないように。生き残ることを優先するならば成程、効率的なやり方だと言えよう。だけど武は、どうしても割り切ることができなかった。感情を殺すことが一番だと思えなかったからだ。前提として、教官から教えられた言葉がある。

 

「――――感情に振り回されるのは二流。感情を制御できて、一流。そして感情を自分の力に転換できるのが、超一流である」

 

「………それは?」

 

「敬愛すべき教官殿からの教えです。その他も多くありますが………感情を無理に殺しつづけると、何をしたいのか分からなくなってしまうと」

 

無理な制御は自分の身を削る行為に繋がる、とも言われていた。感情を持て余すことはあるだろうが、それを捨てるのはNGだと。以前にいた義勇軍の衛士からは、自分の不安定な精神性は欠点の一つであると、指摘されることはあった。

 

だからといって言葉だけで自身の心の中をどうにかできるわけもないのだが。

武は思い出しながらも、苦笑をした。

 

「忘れてしまうことも、あったようですけど」

 

「何かあったのか。いや、話せない内容であれば無理には………」

 

武はちらりと横目で見て、苦笑した。言葉とは裏腹に、何が起きたのかを知りたいといった様子を隠しきれていない。大陸で戦っていた時に知り合った衛士と同じような反応で――――そして、絶対的に異なる部分があった。単純な好奇心だけではなく、能登少尉の所に行った時と同じような表情。

 

仕草を見るに、純粋に自分を心配している気持ちが強いのが見て取れた。

 

「その、自分でよければ相談に乗るぞ。自分でよければ、だが」

 

「いえ、繰り返さなくても話しますよ」

 

武はそんな顔と言葉に、ついと記憶を失っていたことを話し始めた。

 

(先日の戦闘の結果を考えれば、決して快い感情を自分に向けられるはずがないだろうに………こんな人も居るんだな)

 

衛士というものはプライドが高いもの。自分の半分も生きていない武に性能差がある機体で負けて、翌日からそれまで通りに接しろと言われてもできないのが当たり前だ。なのに、それどころか風守少佐は自分の事よりも、他人の事に意識を割いていた。長らくそういった人間に接した覚えがない武は、どこか心地良いものを感じていた。少なくとも、昨夜の夢の中や今朝のような絶望の冷たさを一瞬でも忘れさせてくれるものが、此処にはあった。

 

もう一つの方は絶対に話せないだろう。だが、武は記憶のことについては未だに悩みを完全には吹っ切れていなかった。全てを詳しく話せるはずもないが、それ以外のことは全て。話し終えた武は、光の唇がわずかに震えていることに気づいた。

 

「あの、少佐?」

 

「………何でもない。蚊が、目に飛び込んで来ただけだ」

 

「はあ」

 

武は顔を逸らして目をこすっている光を見ながら、どうしたものかと思っていたが、やがて気になっている所を話し始めた。

 

“声”に指摘されてからのことだ。確かに、自分は深く考えこまないことが多かった。ターラー教官に、そして親父にあれだけ深く考えることの必要性を叩きこまれたのにである。

 

ターラー教官のように、頼れる人はもういない。自分から離れてしまった今、戻るなんてことが出来よう筈もない。ずっと、誰にも相談することはできなかった。自己完結と言えるかもしれない言葉を出して、格好つけて強がっていて。いざ声に指摘されると、それが本当に正しいのか分からなくなっていた。

 

「………思い出せないことがありました。それが何なのかさえ、分からなかった」

 

罪深いことである。忘れたことは思い出せない。それはつまり、存在の死だと思えた。子供だった自分。純夏といた自分。新兵だった自分。経験を積んで足掻いていた自分。英雄を見せるべく、演じていた自分。落ちぶれた自分。その中で色々な事を思う、白銀武が居た。人間は自分の中に多くの自分を飼っているという。白銀武という人格は大まかにいえば一つではあるが、それはいつも同じものではないと。

 

「正しい自分でありたいと思います。だけど、どの自分が正しいのか、分からないんです」

 

誰かと一緒にいて、誰かを考えて、誰かを想って行動したり考えたり。無意識に行動する中に、自分の知らない自分も存在する。自然に出てきたのか格好をつけようかと思ったのか、それは自分でも分からない、白銀武の中にいる誰かのひとりよがりなのかもしれない。だけど、こうあろうとして自分となり、接してきた時間があった。それを忘れるということは、即ちその場面の白銀武の死である。

 

そして同時に、そんな白銀武と接してくれた相手を殺すことでもある。

 

「ずっと、目を逸らし続けてきました。もしかしたら、今もそうなのかもしれない。大したことじゃないのかもしれません。忘れるぐらいだから、どうせ………って思っている自分もいます」

 

汚い部分も多い。

だけどこれ以上、辛いことを思い出すならばいっその事、と思う自分もまた存在する。

五摂家の当主二人に対してあれだけ啖呵を切ったのに、と情けなく思う自分も。

 

「だが………例えば、その………恋人、などが居たら。好きだった人の事を忘れたなんて、あるかもしれない。月並みな言葉かもしれないが、失ったものが大きいほど喪失感もまた大きいものだ」

 

「………そう、かもしれないです。でも、そんなに大切なら忘れることなんてないって。でも、それ以外にも忘れてる部分は多かったんですよ」

 

今朝の夢を見て、思い出したことがあった。初陣の前日のことだ。幼馴染と一緒に連れ去られて、BETAのハイヴの中で監禁された挙句に、兵士級に食い殺される夢だ。

 

「何とも、また………悪い夢だな。想像もしたくない」

 

武は、光の顔が苦虫を千は噛み潰したようなものに変わるのを見た。だけど、それは逃れられない未来の一つでもあると告げた。

 

「BETAを倒さなければ、起こるかもしれない現実です。このまま人類の劣勢が続けば、否が応にも巻き込まれますから」

 

直視しなければならない現実の一つでもある。現状、地球上に逃げ場などない。海を越えられるBETAは地球上のどこにでもやってくる。標高の高い山ならば、という考えもあるが、これ以上BETAに大地を荒らされて、気候が変動し続ければどうなるのか分からない。食料的な事情もある。食べるものがなければ、人は死ぬのだ。北米に亡命したとして、同じかもしれない。

 

「でも、忘れてました。BETAを倒すこと、ずっと戦いに夢中で。生き延びるためだけに気持ちを奪われていました」

 

「………戦う理由についてか。戦場に出る、根本ともいえる戦う理由が揺らいでいると」

 

「そうかもしれません」

 

正しいと思った自分が、銃を握ることを決めた。だけど戦っている内に、何が正しいのか分からなくなってしまっていた。そもそも自分は、何のために命を賭けようと思ったのだろう。

声の選択肢は、明確な目的意識よりほかに、それを浮き彫りにした。自分は、何のために戦おうというのか。武は、その時の感情や決意の意志が思い出せなくなってしまっていた。

 

結局のところは、純夏といった親しい人を守るためか、あるいは人類の大義のためか。どちらも守りたいという想いは存在する。だけど、戦場で何年も戦ってきた今になっては、どちらが大切だとも言えなくなっていた。

 

そのどちらが重いことなのか、問われて即答することができなかった。それ以上に多種多様な状況が重なってきてしまっていた。言葉もうまくまとまりきらない。何が言いたいのか分からなく、何を決めるべきなのかも分からなくて。

 

唐突に降って沸いた人類規模の問題に、武は混乱しきっていた。泥沼に胸元までつかっていて、目の前に見えるのは無慈悲な二択。改めて固めたはずの決意を、わずか数日の内に、根本から揺らされてしまった。視界はどこまでも揺れていて、前さえも分からない。

 

「………どこに向かえばいいのか、分からない」

 

決意の先にどこを目指せばいいのか、見えなくなったと。本当に小さな、掠れた声で呟きだった。光はその声がまるで慟哭のように聞こえていた。そして気づかぬうちに、自分の唇を噛んでいた。何かを言うべきだとは、思っている。だからといって、相応しい言葉が見つかるはずもないと、そう思っていた。

 

(………私には、何も言えない。私は“鉄中尉”のことをよく知らない)

 

マハディオ・バドルならば知っていよう。だが、自分はこの眼の前の少年の事を全くといっていい程に知らないのだ。会って、話し始めてから一週間も経っていない。どのような人生を送ってきたのか欠片さえも知らないのだ。分かるのは、昨日の模擬戦のことから戦闘に関係すること。年不相応にも程がある、ほぼ完成された衛士であるということだけ。

 

操縦技術は異様、機動概念は異例。教義の内容からは実戦経験が異常であることが伺い知れた。教えるべき内容を簡潔に他者に伝えることができる者というのは、自身が経験した上で、その事について深い考察を得ているものだけだ。才能だけではたどり着けない、鉄火場に何年もくべられ続けた者だけが可能となる。

 

その事から、この15歳の少年衛士が、想像を絶する修羅場で、血反吐が当たり前の窮地を乗り越えて来たということが分かった。その先で、名前の通りに“鉄”の、鋼鉄じみた強度をもつ兵士としてあること。

 

(でも、それだけ。戦いに関することだけ…………っ)

 

自嘲さえも出てこない。あるのは、自分に対する憎悪に似た感情だけだった。自信をもって知っていると断言できることは戦闘に関することだけで、それ以外のことは全然分からなかった。しかも抱えている内容は、およそ実戦を一回しか経験したことのない自分にとっては未知の領域のもの。人の悩みを訳知り顔で同調し、語ることは恥であることを光は知っていた。だからといって上手く慰められるような言葉も出てこない。

 

15年ぶりにあって確信をもって伝えられることが。名乗るのも恥知らずではあるが、目の前の自分の子供に語れるものが何もなかった。悩みの深さは分かっているし、無責任な慰めの言葉が逆効果になることは理解できていた。しかし、何を言えばいいというのか。偽りなく言える事は、圧倒的に少なかった。軍人として有能であり、衛士として卓越していて、兵士として完成されていて。ただ殺し方が上手いと、断言できることだけだった。光はその事実を直視させられると、何だこの自分の無様さはと、自分でも気づかない内に俯いてしまっていた。

 

武は自分の想像を越えて落ち込み始めた少佐を見ると慌て、手をぶんぶんと横に振った。

 

「いえ、じ、自分が悪かったです。すみません、急にこんなこと話しちまって」

 

「中尉が謝る必要はない。必要は、ないんだ。だけど………その………放ってはおけないんだ、だから………」

 

「いえ、お気持ちだけでもありがたくて。だからそんなに思いつめなくても………その、別の意見でも構いませんから」

 

心配してくれるのは嬉しい。だけど選択に詰まっている現状、武は少しでも何か指針が欲しいと願っていた。最終的な解答が二択であろうと、現時点では自分がどこいるのかも分からないではどちらも選べるはずがない。五里霧中である中では、少しでも光明が欲しいと。希うかのような言葉に、光は頷くと語りはじめようとした。

 

―――――しかし、そこに声がかけられた。

見れば、横には自分たちの機体を担当する整備班の班長だった。そして光は、自分の時計を見ると驚いた顔をした。

 

「も、もうこんな時間か」

 

中隊は、基地周辺の哨戒の任務を与えられていた。BETAが居るはずもないが、念のためにとの偵察と、実機を動かす感覚をつかむために少しでも機体に乗る時間を増やそうという自分の提案だった。班長は時間が大丈夫なのか、あるいは急な変更があったのか、それを聞きに来たという。

 

「いや………定刻どおりだ。すまん、鉄中尉」

 

「いえ。でもまた、時間があれば」

 

立ち上がり、二人は更衣室へと走っていった。その道の途中に光は前を見ながら言った。

 

「いつでも相談しに来てくれて構わない。これでも………仮かもしれないが、中尉が所属する隊の隊長なのだからな」

 

「はは、ありがとうございます」

 

武は笑いながら答えた。横並びで視線が下であるというのに、どこか頼もしいものを感じられる。きっとこの人はターラー教官と同じで、自分や隊員を裏切るぐらいなら自殺でもしてしまいそうだと、何故だかそう感じられて。その時だけは、胸の内にある劣化ウラン弾よりも重たく、ヘドロよりもしつこいものを忘れることが出来た。

 

(まずは、生き残らなきゃな)

 

僅かばかりの心の燃料。そしてやるべき事を前に、武はまた軍人に相応しいものへと思考を切り替えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………入れ」

 

哨戒任務が終わったその日の夜。光は自室に来た客に、迷わず入室を促していた。

 

「どうも」

 

「いいから、早く扉を閉めてくれ。見られると面白くない状況になる」

 

そうして、対峙した男を光は注意深く観察した。ネパール人。元クラッカー中隊の衛士で、歴戦ともいえる経験を積んだ衛士。分かっているのは、それだけだった。そんな男が、今日の哨戒任務中に提案してきたのだ。二人だけで話がしたいと。通常であれば、何を馬鹿なと断る提案であった。

だけど光はその目にこめられた視線の意味を察知し、何より特定の人物と付き合いが長い者であるため、断るという選択肢は選べなかった。

 

「社交辞令は不要だ。目的だけを最優先してくれて良い」

 

「そいつはありがたい………座っても?」

 

「構わない」

 

マハディオは隣にある椅子を手元にもってきて腰を落とした。座高の差もあってか、視線がややずれるが気にした風はない様子で言う。

 

「他でもない、白銀武のことです」

 

「………な、んのことだか。誰の事だか分からないんだが」

 

言うなり、二人の視線が交錯した。互いに無言のまま、張り詰めた沈黙の空間が流れる。そのまま、秒針が3周はした後に。マハディオは、席を立って言った。

 

「申し訳ありません。どうやら勘違いだったようですので、自分はこれで」

 

「そ、うなのか。それならば………いや、中尉。もしお目当ての人物ならば、貴官はどういった話をしていた」

 

逸脱した行為であろう。特に他国の軍人であれば、尚更だ。だけど我慢できずに問うた光に、マハディオは振り返らずに答えた。

 

「親友の話を。自分を、救ってくれた恩人の心というか命に関わることですが………人違いならば、話をしても仕方ありませんから」

 

もう一度謝罪をしつつ、ドアノブに手をかけるマハディオ。光は永遠ともいえる逡巡を一瞬の内に繰り返した後に、気づけば叫んでいた――――待ってくれ、と。マハディオはそれに対して、わざとらしい訝しんだ表情を返した。

 

「どうしてでありますか。まさか、一切関係ない他人のことを興味本位で知りたいと言われますか。そうであれば――――」

 

と、ため息を一つ。

光はその様子を見るや否や、額に血管を浮かべるほどの怒りでもって、叫んでいた。

 

「白銀影行のむす………っ!」

 

有名人の名前が出た。恐らくはその息子を知りたい、という飾りの言葉を。言い訳以外の何物でもない言葉を、光は殺した。

 

「影行さんと、っ、…………の」

 

「聞こえませんが、やはり他人との?」

 

ダメ押しに、光は思い切って答えた。

 

「影行さんと! 彼と――――私が産んだ息子の事が知りたいと言っている!!」

 

叫びであり、宣告のような声。マハディオはそれを聞いた途端に振り返ると、椅子に座り深く頭を下げた。

 

「非礼を、お詫びします。とはいえ同じ状況であれば、これ以外の行動をすることはあり得ませんでしたが」

 

「出来心ではない、確信した上でとそういう訳か………いいさ。ただ興味本位で挑発するのが目的であれば、生かして返すつもりはなかったが」

 

嘘偽りもなく、心から光は断言していた。もしも遊び心や、試す気のみの悪戯であれば骨すら返さなかったと。立場的には失格かもしれないが、それでも人には冗談半分に触れられて無事にすむ所と、譲れない場所がある。それこそ命のやりとりになるような。マハディオは目の前の女性の決意の程と言葉の本気さ加減、そして白兵での近接戦闘における技量を察すると、額に一筋の冷や汗を流した。

 

「いえ、そんな。でも、試す気ではありましたよ。それもここ数日で、確認すべき作業はほぼ完了しましたが」

 

「………成程な」

 

光は全てではないが、ある程度のことは察していた。マハディオ・バドルは自分が軍人として責務を全うできるかどうか。息子の前でも指揮官として動くことができるかどうかを試していたのだ。その上で、白銀武を害する存在であるかどうか、どういった感情を抱いているのかを探っていたのだ。思えば、言動についても少し不自然であった。思い返してみれば、樫根少尉が発端であったにせよ、白銀影行の事をあの場で口にするのは、いささかおかしいようにも感じられた。私情を優先するようであれば、NGであると判断したに違いなかった。次に、篁少尉のこと。確かに、もし自分が死んだ後で篁少尉が指揮を取ったとして、生還できる確率は低いだろう。とはいて、篁唯依の能力は低いわけではない。よく学び、センスも通常の一般兵と比べるまでもなく、優れている。

 

だが、比較対象が不味いのだ。光はここ数日で、鉄大和を。白銀武が持つ能力や強みについて、ある程度の推測は立てていた。結果は、年上の先任にしては納得はいかないもの。何せ、規定の道筋に沿った指揮であれば自分とほぼ同等であるのだ。その上で不規則な戦況に応じた指揮を行えるか、という回答に関しては、白銀武は優秀な回答者であり体現者であるという事に間違いはなかった。

 

それを知っていたからこそ、マハディオ・バドルは自分が生き残る術の一つとして、なるべく後腐れのないように問うたのだ。同時に、指揮官である自分が武に対して私情を優先したり、軍人ではあり得ない歪な贔屓をしないかを確認した。それに関しては、満足がいく結果を得られたとして間違いはなかった。だが、光にも問うべきことはあった。

 

「どうして、その………私のことが分かったんだ」

 

「これでも元クラッカー中隊です。白銀影行という男とも面識がありますし――――」

 

「同僚である武とも、面識があったと、そういう事か」

 

「………やはり、そこまで知られていましたか」

 

「たった今、貴官の言葉で確信できた。だが、まさかな…………」

 

マハディオは光の言葉にしまったという顔を見せた。このタイミングで武の上官に任ぜられた以上は、事の詳細を知らされていると思っていたからだ。まさか知らなかったとは、夢にも思っていなかった。だけど、気を取り直して向き合った。

 

どうせいつかは知られる事で、上役辺りはもう知っているのだろう。白銀武という名前を知っている人物であれば辿り着けることだ。東南アジア地域にいる衛士、特に大東亜連合の隷下にある軍人にとって、クラッカー中隊が12機で編成されていたことは暗黙の了解となっている。

 

表面上は従っていても、いざとなれば裏で語る気も満々の者が多い。大東亜連合の衛士と共に作戦行動をしていた時に分かったことだ。正式な命令として通達されているので、自分から積極的に語ることはしない。だけどいざ尋ねられれば、答えると。遥か上からの命令に対し、糞食らえとノータイムで返せるぐらいには慕われているようだった。

 

それだけに中隊の名声と、当時の軍人からどれだけ頼りにされたか、希望の光として扱われていたか分かるというものだった。

 

「知ってること前提で言いましょう。自分もあまり、余裕がありません」

 

「そうか。話してくれると助かるが………」

 

光は鉄大和を探れと命令された事を忘れていない。だから、取り敢えずは頷いた。

マハディオは少し訝しげに思いながらも、これ以上の状況悪化はすまいと語りはじめた。

 

「自分が確信できたのは、中隊の整備班の班長であった影行氏の、その補佐だった自分の知り合いからの情報ですよ。肌身離さず持っているロケットに、少佐の写真があったと」

 

「…………そうか」

 

光はそれを聞くなり、目を閉じて口を閉ざし、少し間を置いて頷いた。マハディオは沈黙の間に何を思ったのかは窺い知れなかったが、悪いものではあり得ないだろうと思い、話を続けた。ふと影行の女性関連、主に異性から告白されまくっていた事でからかおうかという衝動にかられたが、何故だか身の危険を感じたので黙った。衛士として、生き残る嗅覚に優れていたからこその判断だった。

 

「その、た………た、武には言ったのか」

 

「いや、普通に呼び捨てて良いんじゃないですかね。で、自分も正直にあいつに言おうと思ったんですが………今朝のアレを見るに、今は不味いと判断しました」

 

精神的に不安定な上に母親が自分の隊にいると知らせばどうなるのか。事実を告げるのは簡単だが、これからの戦況を考えると、迂闊な行動に出るのは取り返しの付かない事態になるかもしれない。ましてや目の前で戦死されでもしたら、今度こそ武は“帰って”これなくなるだろう。いつかのプルティウィを失った自分と同じように。

 

マハディオが語った黙っている理由に、光はそれがいいだろうなと頷いた。元より、自分から言い出すつもりはなかった。

 

「それは、どういった理由で?」

 

「………私はあの子を捨てた人間だ。経緯はどうであれ、その事実は動かない」

 

眼光鋭く問うマハディオに、光は目を閉じながら答えた。今更、どの面を下げて母親と名乗るのか。恥知らずにも程があると、光はそう考えているからこそ確信してはいるが名乗りはしなかった。

 

マハディオも、それ以上は聞かなかった。これを問うていいのは本人か、あるいは影行だけだ。

家族の間に土足で入る趣味は持ち合わせていなかったので、話を次に移した。

 

「鉄大和が白銀武であると。少佐が確信した理由を聞かせてもらって良いですか」

 

「何を言う、そっくりだろう。不用意な言葉を口にしてしまうのも、女性の懐にするりと入り込んでいつの間にか人の心を惹きつけてしまうのも」

 

篁少尉が思っていること。確かに、武本人から聞かされた通りのこともあるだろうが、それだけではないと思っていた。出会いから、ハンガーで話した内容のこと。食堂で伝えたこと。特に言えるのが、模擬戦が終ってから、ミーティングで様々な問題点を指摘された後だ。

 

本人は欠点を指摘されて悔しい顔をしていたが、有益な情報であるが故にずっと頷き続けていた。生真面目で責任感を負いすぎることは自分が知っている篁祐唯にそっくりだ。自分に厳しいところもきっと似ているのだろう。だからこそ、武の行動には共感できる部分が多いと思われた。

 

日課としての早朝ランニングもそう。実力を裏打ちする、自分を苛め抜かなくては得られないであろう鍛えられた体躯と技術。

 

でもまだ足りないと、自信のない様子を見ればいっそ異様とも思えるが、任官したての15歳の少女達にはまだ分からないだろう。その上で偉ぶらない、接しやすい雰囲気を崩さない。

今朝から出撃するまでは様子がおかしかったが、機体に乗るやいなやというタイミングでいつもの調子に戻っていた。哨戒中に飛行における機動や着陸時の動きの指摘など、任務を全うしながら部隊の仲間に気を配れるぐらいには。

 

「実際、頼りになりますからね。中隊時代のように、容赦無い指摘を繰り返せばまた印象も違ってくるでしょうが」

 

「そうか………あとは、顔もそうだが、名前だな。 “白銀” と “鉄” 。そして、“大和” と “武”」

 

白と黒。そして、記紀に出てくる 小碓命(おうすのみこと)―――日本武尊(やまとたける)だ。

日本書紀と古事記の両記に書かれている伝説上の人物で、生まれ持つ神がかり的な力で日の本の国の支配体制を守った英雄とされている。その伝説や偉業はあまりにも多く、一人で成したものではあり得ないとされている。現在では両記が示す時代に存在した複数の武人の伝説がまとめられた存在であり、偶像的存在であるという説が通説となっていた。

 

だが成した偉業は多く、知名度も高い。日本人であれば記紀を深く知らないまでも、名前だけは知られている日本を代表する英雄であることは間違いなかった。

 

「しかし、複数の人物か」

 

「何か、心当たりでも?」

 

「出撃前に語られたことだ。そのままではないが、な」

 

光は苦しんでいる武を思い出すと、改めてマハディオに向き直って質問をした。

 

「鉄中尉は………いや、白銀中尉と言おうか。いったいどんな経歴を踏破すれば、ああもなれる」

 

「断言できるほどに、逸脱していましたか」

 

「下手をすれば紅蓮大佐をも食いかねん。操縦技術もそうだが、特に機動戦術だ。戦闘における勘に予測不能な奇抜かつ実戦レベルに耐えうる機動。それを大した負担もなく使いこなすなど、10の戦場を越えたとして無理だろうな」

 

光は、同格の機体であれば勝てはしないと断言した。そして逸脱しているという理由の大半が年齢にあった。純粋な操縦技量だけであれば、そして年齢が20の半ばであれば、天賦の才能もつ衛士として見られたであろう。だが、たった15歳の少年があれだけの戦闘を可能とし、知識を保有しているのは、はっきりいって異常以外の何ものでもない。その上で戦闘だけではなく、持つ悩みも年不相応なもの。戦闘を繰り返し、戦い始めた当初の目的を忘れるなど、どれだけの地獄を経験したのか。想像しただけで胸が締め付けられた。強く語る光に、マハディオはただ苦笑だけを返した。

 

「自分も、一対一の真っ向勝負であいつが勝ち損ねるとは思ってもみませんでしたよ」

 

「いや、機体の性能差を考えれば私の負けと言えるだろう」

 

「慣熟の度合いが違いますよ。それに新型といえども、まだ試作段階の未完成品でしょう」

 

マハディオは驚いた、と言った。武は実機での勝負であれば、もっと変態的かつ鋭い動きをしますが、とは言わなかったが。それを置いても、目の前の少佐の技量は一級品だ。自分では恐らく勝てないぐらいの。熟練のベテランであることを自負していたマハディオは、実戦経験はほぼ無いに等しいのにと悔しさを感じていたが、頼もしさも感じていた。

 

同時に、篁中尉達の動きから、斯衛の衛士の総合的な才能の高さを実感させられていた。

 

「それでも、あいつが負けるのを見たのは………ちょっと思い出せないですね」

 

少なくとも義勇軍に入ってからは、模擬戦でも負けなしだった。

落とされた所など、見たことがない。英雄として戦った東南アジアでの地獄の激闘は、才能溢れる少年を化け物の域にまで押し上げてしまっていた。

 

「そ、うなのか。それほどまでに負けなしとは………バドル中尉は、武とは長いのか?」

 

「何だかんだいってね。件の5人と同じか、それ以上に長く付き合っているとは思いますよ」

 

白銀影行はまた別として、ラーマ大尉か、ターラー中尉か、サーシャかリーサかアルフレードか。亜大陸の時点でクラッカー中隊に入っていた5人と同じぐらいには、同じ時間を戦場で過ごしているだろう。マハディオは言葉にはせずに、ただ苦笑だけを続けることで言葉を濁した。

 

相応しいであろう言葉が浮かばず、何も言えなかったからだ。長年の戦友であり、ここ数年でいえば一番近い仲間であることは自覚していた。命を狙われていることを打ち明けられたのがいい証拠だ。

 

だからといって、いつまでも隣に立っていられる保証はない。衛士としてそれなりの力は持っているが、ただそれだけ。あの隊のような発言力もなく、元帥のような絶大な権力もない。その上でプルティウィという人質も取られている。相手にそのつもりがあるかは分からないが、札として使われる位置にあの子がいる以上、自分も迂闊なことはできないのだ。

 

「俺は、あいつの事を親友だと思っています。だからこそ、相談したい事があります」

 

救われた自分がいる。それを忘れていない以上に、戦うことを止めない少年が報われるべきだと、マハディオは思っていた。だからこそ、目の前の人物には伝えなければならないと。

 

恐らくは自身を削ってでも、少年を助けるだろう。自分が知っている人物の中で最も武の事を想ってくれるであろう、そして日本において様々な人脈か発言力を持っているこの人物に、話しておくべきことがあった。

 

恐らくはこの行動さえも、アルシンハ・シェーカルに予測されているであろう。それを承知で、マハディオは武について知っている事を語った。だが、ここで賭けなければ恐らくは道を閉ざされるだろう。それだけ今の状況は不味いものになっていた。

 

――――力になって上げてね、と。先日にプルティウィから届いた手紙に書かれていた言葉を。

 

そして精神病棟より復帰した時に、疑わずに喜んでくれた親友に報いるために。

 

「人づてに聞いた話も多いですが――――色々と。そして、“凶手”についても、これから同じ隊で戦うとなれば」

 

 

それまで以上に真剣に語り始めるマハディオに、光は喉元の唾を飲み込んでいた。

 

 

 

 

そうして、秘められた会話と共に夜は更けていった。

 

 

時間の経過を示すように月が浮かび、日が昇るにつれて薄くなっていった。

 

 

そして、その太陽がちょうど真上に差し掛かった頃であった。

 

 

 

――――半島の艦隊より、再度。

 

BETAが日本海へ入水したという連絡が、帝国全土に響き渡ったのは。

 

 

 


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