Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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17話 : 青い空の下で_

白い雲の合間に、ようやく青い色を見せ始めた空の下。白銀武は、京都市内にあるとある森の中にいた。落ち葉の上に座り、じっと空を見上げながら色々なことを考えていた。変装用に借りた黒いサングラスを目からずらして、だけれども問題からは焦点を外さないまま。普通の民間人が着る一般の服を着て、ドッグタグはポケットに入れているが、それ以外はただの中学生と同じであった。

 

だが、考えていることはらしくないものである。それは整備中の自分達の戦術機のことだった。

あるいは、新しく入った隊員について。あるいは、これからの戦況のことも。その中で最も思考の領域を占拠していたのは、昨晩に見た夢についてだ。忘れていた、戦友の最後の姿と言葉が、脊髄と心臓の奥あたりに、消えない痺れのようにまとわり付いて離れないでいた。

 

それが自分にどう作用しているのか、武は理解していなかった。

自分の顔色を見たマハディオと橘操緒が休めと懇願するぐらいのものとしか。

 

「青い、ですね」

 

「………ああ、青いな」

 

武の呟きに反応したのは、護衛と監視にとついてきた鹿島弥勒であった。大層なヤットウの腕を持ち、その名前は斯衛にまで届いているというのだから大概だ。そして、戦術機での戦闘にもそれは活かされているということも。

 

武は基地を出る前に、彼をよく知る衛士から鹿島弥勒という男の戦闘力について聞いていた。長刀を用いた近接格闘戦という限定条件下においては、日本でも五本の指に入るらしい。生身でも相当なものらしい。狙撃をされない限りは大丈夫だと、八重に言われたことを思い出していた。

 

彼以外に、気配はない。観光地でもあるここ糺の森には、人っ子一人見当たらなかった。

 

「その、鉄少尉。どうしてここに来たいと?」

 

「親父から、聞いたことがあって。ここに来れば心が休まると」

 

東南アジアで戦っていた頃の事を思い出していた。父は昔、戦術機開発に行き詰まっている時に、母に誘われここにきて。休み、精神を癒されたのだと言っていた。

 

聞いておくものだと、武は内心で話を覚えていた自分を褒めてあげたくなっていた。

 

――――本当に、色々あったのだ。

 

そうして思い出して、更に色々と。口にでもすれば思い出してしまい、その衝撃に胃の中のモノを戻しそうになるぐらいに濃く苦い経験は、ずっと胸中に刻まれ続けている。

 

その一つとして、武の中に戻った記憶のうち、明確に思い出せたのは泰村達の最後についてだった。マリーノ達はビルマ作戦が始まってすぐ、師団規模以上のBETAの群れの奥へと突入し、指向性をもたせたS-11で多くのBETAと共に死んだ。アショークと泰村は、焦ったのであろうBETAが展開してきた母艦級と、その中にいる夥しい数のBETAと共に爆散した。

 

結果的にだが、それは有効な戦術となった。そこから先はまだうろ覚えでしかないが、わかっていることがある。危ぶまれていた戦力差の大半が覆り、クラッカー中隊は横穴まで損失なくたどり着くことが出来たこと。

 

蛮勇と片付けるにはあまりにも影響の大きな。献身の一撃がなければきっと、今のマンダレーにはハイヴが建設されていたことだろう。

 

だけど、あまりにも人権を無視した作戦であることは確かだった。

 

命令をしたとされる、ターラー教官と因縁深き人物―――タコのような名前だったか――――は責任を追求され、国連軍への反感は更に高まった。それ以前にもあった、国連軍からの衛士達への横柄な命令もあったせいだろう。当時の東南アジア方面軍といえば、BETAに祖国を蹂躙された亡国の寄せ集めでもあった。だが、国連軍はそれを自らのいいように“使う”ことしかしなかった。

 

自国より避難した難民への対処もおざなりで、本当であれば難民対策に使われるはずの資金が国連軍将官に流れていたこともあるらしい。寄越される指揮官も、重要な人物は決して派遣されなかったという。戦場とは、命が左右される場である。

 

なのに無謀な作戦を上から目線で叩きつけてくる国連軍に、当時の亡国出身の軍人がどういった感情を抱くのかは自明の理であった。自分だけ楽をしようとしながら、弱いものを境遇を盾にして辛いことを強いる。そういって追い詰められたが辿る末路はいつの時代も同じである。

 

あるいは、絶望の未来を防ごうとする人間も。必然的に、亡国の軍人たちは元インド国軍を主格として動き始めていたのだ。そうして、自爆の命令を下した将官が国連軍寄りということも影響して、文字通りの爆発が起きた。

 

反国連の声が高まり、それが一つの歌になってしまったからには戻れない。

自由を求める鬨の声。当時のミャンマー周辺に駐在していた国連軍の軍人のほぼ全てが、大東亜連合となることに、異論は出なかったらしい。

 

泰村達の蛮勇とも勇敢ともされる行為についての、解釈には未だ結論が出ていないという。

だが、連合内には賞賛する声が多い。命令した者に責任があるし、それを行った泰村達の功績は大きく、またほぼ完璧にやり遂げたということも評価されている。

 

あれが、連合結成の最後のひと押しになったとも言われているので、皮肉にもほどがあるというものだが。その連合について、一番に認めたのは帝国軍を筆頭としたアジア諸国の国軍だった。

 

特に帝国に関しては直接的な戦術機甲部隊の派遣、そして12機の陽炎を提供したこともあって、強固な協力関係が結ばれることになった。大戦当時より、良好な関係で結ばれていた両国だったので、帝国軍から反対する声は少なかったという。

 

武も、その辺りの事情は把握していた。激動の時代とも言えるだろう。だが、それを常に最前線で経験してきた。敗戦と共に後退する防衛ライン、その真っ只中で砲火と共に人類の盾となっていた。連合軍設立の立役者とも言われているアルシンハ・シェーカル元帥から一方的な情報の提供を受けつつも、見続けてきたのだから。

 

鉄大和という人物がどういった扱いをされているのか、それを知っている人間はほんの一握りだ。

武自身、振り返ってみても経緯が複雑に過ぎるのだから当然だろうと思っていた。

 

東南アジアで、自分を直接知る人間の大半はもうこの世にいなくなっていた。共に死線という死線を潜り抜けた戦友の半分は欧州へと帰り、残る半分も地元で人類のために戦っているらしい。

 

武は、おそらくはどちらも自分の生存を知らないだろうと思っていた。鉄大和という名前を知る者も、多くはない。武は攻略作戦が終わり、マンダレーハイヴが陥落して、中隊の解散が協議されている間も前線で戦い続けていた。主な戦場は、侵攻が激化しはじめていた当時の中華人民共和国の東側である。

 

当時は大将であったアルシンハ・シェーカルより、ベトナム義勇軍の戦術機甲部隊への異動を提案された武は、これを受諾した。見るからに訳ありな衛士ばかりが集まる中で、義勇軍として様々な戦場に立った。思い出そうとすれば思い出せる。武も、そのあたりの戦いの記憶は失わず、大半は覚えていた。だが問題は、主戦場以外のことである。

 

失っていた記憶の中に、ある施設への強襲任務があった。参加したのは義勇軍の隊長であった、今は鬼籍に入っているというギリシャ人の衛士だ。パリカリ中隊の名付け親である彼と、もう一人は赤いサングラスをかけた変な男だった。名前は知らされておらず、会話から彼がイタリア人ということしか分からなかった。どこぞの情報部員だろう。会話でしか接したことはないが、整った容貌を持ち、そして彼は大層なムッツリスケベだった。熱意はあるのだろう。そして目的も。だけど武の前には、スカした、というかどこか間違った熱意と、裏に空虚なものを感じさせる男だった。

 

故に、何故かウマが合わなかった。目的を共に戦った戦友とも言えるが、最後まで偽名でも呼び合うことはなかった。最後の互いの愛称が、日本語でいう所の“ムッツリグラサン”と、“ネクラモンスター”だ。鉄だの、ファルソなど、呼び合うことは一度もなかった。あの悲惨な場を共有し、互いに平静でいられなかったのも原因としてあるだろう。

 

武は当時のことを思い出すと、口の奥から酸っぱいものがこみあげてくるのを感じていた。

 

その外道の極みともいえる研究―――通称を“βブリッド”という。

それは人間とBETAを組み合わせ、新たな兵士を作ろうという狂気の果てにある研究だった。大半が記憶の彼方に消えているが、それだけは覚えている。食べないで、という子供の呟きと共に。

当時の自分の覚悟を、BETAから誰かを守るというかつての自分の決意を歪めるのには十分だった。

 

声は、言う。

 

《泰村達の最後が切っ掛けだったとしても、予想以上に多くのものを思い出したな。それだけ、決意は固かったってことか》

 

どこか他人事のようだった。しかし、言っている内容に嘘はない。恐らくだが、声は自分に嘘をつけないのだろう。はぐらかすか、あるいは言葉を変えて誤魔化すということはすれど、全く違った答えを伝えることはできないらしい。

 

言っている内容も正鵠を射ている。武は今回に立てた決意は固いと思っていた。モース硬度のように数値化できるはずもないが、思い出した事実に耐えられるぐらいには深く心に刻んだのだ。だが、そんな固めた地盤に揺らぎが生じるぐらいには、衝撃的な事実であったのも間違いなかった。

 

何故。なんのために、あんな研究をしていたのか。人類が勝つためなのか。最善で、最優先すべき研究であり、アレ以外に方法はなかったのだろうか。考えても答えはでず、否定の言葉だけを思い浮かべていた。きっと違うと信じたい。だけど何が本当であるのだろうか。

 

いくら探しても、答えはどこにも見つからなかった。誰に尋ねることもできない。

武はふと、泰村良樹が最後に遺した言葉の中の一つを思い出していた。

 

“何が本当なんだろうな”と。言葉の意味はわからずとも、これが鍵になるかもしれないとも思えた。捨て去った記憶の彼方からヒントを得るとは、皮肉なものではあるが。

 

武は寝転がってそのまま目を閉じた。倒れたい身体の本能に任せ、首筋に落ち葉の感触を感じながらじっとあたりの空気を味わう。今日だけは休むつもりだった。日本に来る前からずっと、気の休まる場所はなかった。考えることも大事だが、何もしない日があってもいい。基地を出る前から、そう決めていたのだった。

 

ちょうど穏やかな風が吹いて、初夏らしい湿気を含んだ流体が武のほほを滑っていった。相も変わらず、蝉の音は五月蝿かった。だけど、武にとっては今はこの煩わしささえも心地よかった。

 

「………どうしたんだ、鉄少尉。ばかに嬉しそうな顔で」

 

「いや、蝉がうるさいですから。もう夏だな、って」

 

蝉の鳴き声。何年も前に日常的だった、じんじんと耳に迫るこのけたたましい音は、季節の移り変わりを知らせる夏の調べだった。夏といえばその初めの頃から、イベントは盛りだくさんだった。まず最初は、純夏の誕生日と、七夕だ。

 

笹の葉に書いた願いごとはなんだったのか、今はもう思い出せない。つまらない事を書いて、それが叶えばいいなとはしゃいでいた。誕生日のケーキは合成の素材でできたものだったけど、それでも他の普通の料理よりは圧倒的に美味しかった。

 

4等分されるホールのケーキは圧巻で、いなかった親父をざまあみろとか思っていたこともあった。そんな父はいつも仕事があるらしく、結局は夏休みの旅行にはいくことはできなかった。でも、学校に行かなくていいのはそれだけで事件だと思えたのだ。朝飯を食べて、朝から遊んで、色々な所、汗だくになって、気づけば夕暮れになっていた。そうめんが冷たくて、美味しかった。扇風機の前の場所を取り合って純夏と口論に。最終的にほっぺたを餅のように膨らませた純夏に、問答無用の拳で黙らされたこともあった。

 

そんな日々が、遠い。町の中で見た、京都に残っている子供。あの子たちもきっと、最近までは学校に通っていたのだろう。明日の天気で体育の内容が変わることに一喜一憂していたのだろう。明日の天候から味方の損耗率の増減を考え、機動と弾薬、戦術規模程度ではあるがリスク・マネジメントをコントロールする自分とは、えらく異なるものである。

 

武は、自分にも明日の命を考える必要もなかった時があったということが信じられなかった。仮定の話でしかないが、もしも自分があの時に日本に残っていれば、数年はあんな生活を送ることができたかもしれない。

 

だが、学ぶためだけに学校にいく時間が尊いものだと、インドに渡る前の自分であれば気づくことはなかったんじゃないか。空の雲の影をそんな愚にもつかない、益体もないことを考える。

横にいる鹿島弥勒も同じだったのか。気づけば、子供の頃の夏休みについてぽつぽつと語り合うことになっていた。共通する話題として、幼馴染のこと、一緒にいった夏祭りなどを話していた。

 

「じゃあ、2対10で乱闘になったんですか」

 

「テキ屋に止められたけど、実質はこっちの負けだったな。思えばあの頃から俺たちは物量差には悩まされ続けてきたよ」

 

まあそれでも、と弥勒は言う。

 

「ここ、京都の祭りもな。少なくとも年内は絶望的だろう」

 

戦時下ということで、全てが中止になっていた。弥勒も、昔は京都にまで足を運んでいたことがあったので、京都のことは武よりも知っていた。特に伏見稲荷の夏祭りが好きだったという。暗い道の中、千本鳥居を歩いていると、いつもは煩い初芝八重が珍しく静かになったからだと。

 

近隣の小学校から寄せられている、提灯を見るのも楽しみだったと弥勒は思い出すように笑った。

 

「千本鳥居は聞いたことありますね。実際は千より多いとか、なんとか」

 

 

じゃあ千本じゃないじゃん、と純夏が騒いでいたのを武は思い出していた。テレビ越しに見えた光景は圧巻だったことも。だけど、来年まで残っているかどうか。武は今までに壊されてきた、世界遺産のことを思い出していた。

 

インドからミャンマーまで、武は多くの文化遺産や自然遺産を目にしてきたが、そのほとんどがBETAの侵攻により滅茶苦茶にされてしまった。避難前の、基地に一時的に留まっていた難民の人たちが叫ぶような声で泣いていたのを覚えている。

 

BETAは破壊する対象を選ばない。人の命すら捧げようという真剣な祈りをあざ笑うかのように、道すがらに全てのものを踏みつけ、台無しにしていく。それが奴らの通常業務であった。日本でさえも、同じだ。近畿以西の世界遺産について、確認されていないが恐らくはもう原型をとどめていないだろう。そして、これからもどうか。帝国軍を筆頭に、米軍、そして国連軍が迎撃部隊を編成しているが、海向こうのハイヴを落とせる所まで戦力が膨れ上がるとは思えない。

 

考えたくもないことだが、ハイヴに手を出せないと言うことは、イコールとして敵はほぼ無尽蔵ということになってしまう。一つのハイヴが生み出せるBETAの個体数などは未だ判明していないが、おおよそ絶望的な数字であることは間違いない。

 

そして、ハイヴはひとつではない。鉄原が完全に稼働すれば、帝国は海向こうの三つのハイヴを相手に消耗戦を強いられることになるだろう。無数ともいえる規模で押し寄せてくる相手に、ここ京都をずっと守り切ることができるのか。希望的観測を最後の一滴まで絞りきっても、無理という一文字を拭い去ることはできないのが現実だった。

 

この圧倒的不利な戦況を覆すことができるぐらいの新兵器が開発されれば、また話は違ってくるが。

 

《数ヶ月で、こう、ポーンとさ。そんなに上手く出来んなら、欧州とかは陥落していないよなぁ》

 

いつだって間に合わないのが戦争である。時間は敵であることが多いというのが、武が実戦で学んだ一つの真理であった。そんな事を考えていると、足音が。何事か、音の方向をみてみると、ボールを抱えた子供達の姿があった。

 

二人いる。年のころは、小学生の低学年だろうか。その少年達は、こちらをじっと見たままで驚いた表情をしていた。その後には、どこかバツの悪そうな表情を。武は、よっと立ち上がって少年へと近づいていった。

 

「よう、こんにちは」

 

「こ、こんにちは。えっと………お兄さんたち、ここで何してるの?」

 

「ぐんじんさん………じゃ、なさそうだねー。でも、えっと………」

 

徴兵のことを考えているのだろう。男子の徴兵年齢が引き下げられている現在、自分ぐらいの年であればもう徴兵されているはず。目の前の少年も、知り合いの誰かが徴兵されたのかもしれない。だけど軍服を着ていないので、戸惑っているようだった。

 

そこで武は、少し考え込んだ。正直に話したとして、理解できるとも思えない。事実を隠したとして、はてどう説明したものかと。まず、隠すことを前提として考えた。普通の、15歳の日本人として考える。客観的に見れば、どうか。答えは明確だった。

 

「サボりだ」

 

 

誰もいない場所に、二人で寝っ転がっている。見方を変えれば、授業をサポタージュした不良のようにしか思えない。やっぱりサボりだなと言いながら、頷く武。それを見ていた子どもたちは指をさしていった。いけないんだ、と。だけど、間髪入れずに武は言い返した。

 

「でも、お前たちもサボりだよな。そのボール。それにここって、ボール遊びは禁止されていなかったっけか?」

 

「あ………!」

 

指摘を受けた子供の一人が、ボールを後ろ手に隠した。だけど隠し切れないほどにその身体は小さく、横からカラーボールの青がちらついていた。武も本当に禁止されているかどうか知らず、カマをかけただけなのだが、反応を見るにビンゴらしい。

 

だけど、人がいなくなったから遊びに来たのだろう。武はそれとなく事情を察したが、止めることはせずに人差し指を自分の口に当てた。

 

「実は、こっちもばらされるとやばいんだ。だから秘密な」

 

「う、うん!」

 

少年たち二人は喜び頷くと、森の奥の方へ走り去っていった。武はそれを見送ると、また寝転がって空を眺める。

 

「………止めないのか?」

 

「これが、最後のチャンスかもしれないですから」

 

きっと、前々からここで遊びたかったのだろう。あのはしゃぎようを見て、武は察していた。本来ならば禁止されているので止めるべきなのだろうが、その機会が永遠に失われるかもしれないのであれば話は別だ。

 

「親が心配していると思うんだがな………帰る時にでも連れて行くか」

 

「そうですね。それまでは遊ばせといてあげましょう」

 

数年後、生きていればあの少年たちも徴兵されるだろう。ならば今日のことが、いつかのための思い出になるかもしれない。答えると、弥勒も再び腰を下ろした。寝転んでいる武を見ながら、ふと気づいたようにたずねる。

 

「体力はまだまだ大丈夫だと聞いているが、本当は限界なんじゃないのか」

 

「いえ、全然」

 

否定しながら、武は説明をした。意識的に無茶な操縦をしない限り、そうそう体力が尽きることはないと。では、通常の機動は無意識な何かであるのか。弥勒の問いに、武は慣れの問題だと答えた。

 

呼吸をするのに、動く筋肉その他の動作に思考を配ることはしない。それは慣れて、無意識にこなしているからだ。武は、教官からの受け売りですが、と説明をした。

 

人間は反復して練習する度に、知らずその精度を上げていくことができる。それは意識の裏、無意識的に経験を蓄積し、分析する能力があるからだ。慣れた人間は、無意識にいろいろな動作をこなしていく。戦術機の操縦も同じで、当初は一つ毎の動作に気を配っていたが、今となっては半ば自然に操縦の手順をほぼ完全に把握できていた。

 

特に集中力を割かなくても、無意識的に機体を意のままに動かすことができるようになっていた。

武は実戦に例えて、そういった証拠を色々と話した。戦歴はベテランを一歩越えた所にあり、積んできたBETAとの戦闘や、戦術機の操縦技術はかなりのものとなっている。その経験則があるからこそ、思考の裏で自然に計算できている。戦いながら指揮も取れるし、無意識に身体の動作の無駄な部分を省略できる。その上で、体力の消耗が少なくなるというもの。

 

「知り合いに聞きましたけど、無意識に繰り出すことが出来てはじめて“技”というんでしょう? 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす、でしたっけ」

 

一緒に聞いた宮本武蔵の言葉であるらしい言葉を思い出していた。ひとつのことを脊椎にまで浸透させるには、これほどに難しいことであると、耳にタコができそうなぐらいに聞かされていた。兵士に鉄というのにも同じこと。あるいは玉鋼のそれである。砕けるまで叩かれ、熱され、合わせられ。

呼び名が変わるほどに繰り返され、はじめて鉄は同じ鉄をも断てる刃になるのだと。

 

「鹿島中尉も、そうでしょう? 特に長刀の扱いは難しいですから」

 

「そうだな。最初は、こんなに違うものかと驚かされた」

 

弥勒は頷き、まだ新兵だった頃を思い出していた。生身で振るうそれと、機体が振る長刀の感覚の差異は大きかった。初めは、ただの素振りから。次に、実戦を通して感覚を磨き抜いて、ようやく思ったタイミングで長刀を当てることができた。

 

搭乗しはじめて間もない頃は、長刀を使っても的に当たらないか、あるいは鍔元で当たってしまうことがあった。生身ではあり得ない、剣を知る者とすればあるまじき失態である。それほどに大きい感覚のズレに戸惑い、中にはそれまでの技術が活かせないと絶望する衛士も多かったという。

 

それでも大半の衛士は、戦術機に乗った上で同じ動作を繰り返せば、上達する。特に集中しなくても、狙った通り、一番力がかかる場所に当てることができるようになるものだ。それを感覚の補正という。近接格闘に限らず、突撃砲や回避機動について、その辺りの感覚の補正の速度が衛士としての重要な才能であるとも言われていた。

 

「肉体も慣れるんですかね。Gがかかっても、さほど苦痛に感じないというか。もう衛士用に肉体が作り変えられてるかもしれないですけど」

 

「少尉には、それほどの経験があるというか」

 

「………まあ、一応は」

 

さっきの子供の年齢ぐらいには、訓練だとしごかれ、胃液まで吐かされていた。だが海外ではよくある話だった。武もアルフレードやアーサーから色々聞かされていたが、欧州はもっと末期な状態であるらしい。それを覆すために、鉄火に紛れる日々。生き抜くために、一緒に学んできたことは兵士としての上手いやり方だった。

 

知識は別方向のものになっている。あるいは、一般常識でさえ。武は、今から学校に通えと言われても、上手く溶け込めないだろうと思っていた。感覚も違うし、何より学んできたことの内容が違いすぎていた。今更、戻れるはずもない。武は自嘲し、考えた。

 

軍を退いたとしよう。そんな、手を出せない理由がなくなって一般人になってしまえば、自分を狙う輩がどう出てくるのか。平和になれば、平穏無事に生き残れるかもしれない。勝てれば、まだその芽はあるかもしれない。全人類が一丸となってBETAに戦うべく立ち上がれば、勝てるかもしれない。

 

武は想像しながら、あり得ない夢物語だな、と諦めのため息をついた。帝国軍の内部でさえ、多くの派閥がひしめいている状態である。そして、斯衛軍の中でさえも派閥はあるものだ。五摂家や赤のような家はまた別だが、それより下の家々では各々が持つ信条や思想、出身地によって派閥が出来ているということ。その中でも、戦時になって保守派の動きが派手になってきているらしい。

 

武がそういった、本来ならばややこしくて考えたくもない部分をそれとなく尋ねると、弥勒はああと言いながらも渋い顔をした。

 

「将軍こそが、帝国に在る全ての軍部の実権を握るべきだとな。血筋に血迷った脳に血が巡っていない阿呆と言われているが」

 

それでも、それなりの数がいるらしい。後ろ盾もなく、大義も弱い集団だが、数だけなら次点に収まるほどらしい。斯衛といえば誠凛とした、曲がったことが大嫌いかつ謙虚な人間が多いと勝手に思い込んでいた武にとってはいささか衝撃的だった。

 

「血迷った阿呆、か………まあ、いる所にはいますしね」

 

てんてん、と。転がってきたボールを座ったまま、上半身だけで投げながら武が言う。

 

「やはり、そのあたりがあの時に全員を撤退させた理由か」

 

「………まあ、そうですね」

 

新兵に暴走でもされたら、その時点アウトになっていた。声に出さずに、曖昧に頷く。

 

《タイミングが重要だったからなぁ。殺到するBETAを前にして、点火の瞬間を見極める冷静さが保てるってんなら、迷わず頼ったっての》

 

武は沈黙した。口が悪い声の意見だが、概ねは同意できるものだったからだ。戦いは数だということは疑いようのない真理であるが、数が集まることで別の弊害が生まれるのも確かに存在する。愚痴をこぼして士気を下げる者。暴走して、味方を危険に晒す者。恐怖に泣き出し、味方の戦意を挫く者。偽りの自信が剥がれ、恐慌に陥った挙句に味方を撃ってしまう者。武はただの衛士でさえ色々な人間がいることを、嫌な方向で学ばされていた。

 

弥勒も、それには同じ見解を示していた。

そう、幼馴染でさえも騙して無茶なことをしでかす上官がいるのだと。

 

「鉄少尉。君はあの時の初芝少佐の行動について、どう思う?」

 

「………視点によります。数で語るのは簡単ですが」

 

感情も何もかも捨て去っていえば、悪くない手だといえよう。情報が少ない状態であれば、S-11による大橋の破壊は概ね善き手であったように思える。もし四国まで浸透されれば、比じゃない数の民間人や兵士達が死んでいたことだろう。京都に迫られ、ついには市街地で戦うことになっていた可能性もある。それを防ぐのが良き軍人の仕事であるとも言える。

 

一人死ぬか多く死ぬか、状況に迫られた時に前者を選択できないのは無能である。

 

「だから保険をかけておくのは、良き判断であったと思われます。ですが、鹿島中尉はそう思えないのでしょうね」

 

「………口が裂けても言えんことだ。それに、別の文句がある。何故自分に命じなかったのか、それが俺には許せなくてな」

 

砕けた口調で、じっと遠い目をする。だけどすぐに、慣れたけどな、と笑った。

 

「そういう人だ。今日は京都に紅葉を見に行くぞ、と夜明け前に俺の部屋に突撃してきてボディプレス。そんな人だった」

 

それはまた八重の姐さんっぽいなあ、と。武は昔に、彼女がユーリンを連れ回していたことを思い出していた。あんたスタイル良えんやからいい服着なさいそれは義務やで、と。

 

休暇中にシンガポールに引きずられるように拉致されたユーリンの顔は見ものだった。その後の基地内で催された小さなファッションショーも。恥ずかしそうに素肌を隠そうとする、大人しい雰囲気を持った美女――――そして、巨乳。

気づけば、その場に居た野郎どもは愚か、女性衛士を含めてのスタンディングオベーションが。拍手の音が食堂の天井を揺らしていた。衛士の心が国境を越え、一つになった瞬間だった。

 

「まあ、悪気はない人ですよね」

 

「だから性質が悪いというんだ。まったく、あの時も………」

 

弥勒は今までに起きた事を色々と武に愚痴った。軍に入る前も、入った後のことも。

 

つらつらと語られる内容に、武はいつぞやのミャンマーの事を思い出していた。仲間内で俗称をつけたその名前は、ポッパ山中死の光線中行軍(レーザーヤークト)。つまりは、味方がいないと全滅は避けられず、正にそれは今の自分が置かれた立場であり。

 

するとそこに、またボールが転がってきた。武はこれ幸いとばかりに、立ってボールを蹴り返した。蹴られたボールは、正確に子どもたちのほうへと飛んでいった。

 

「………上手いな、少尉」

 

「いや、ただ蹴っただけですって」

 

武は答えながらも、まあ練習には付き合わされたんで、とまた寝転がる。厳しかったあの激戦の日々にも、楽しいと思える記憶はあった。東南アジアにいた頃は、アーサーと一緒によく賭けPKなどをやっていた。フランツがよくカモにされていた事は記憶に新しい。反対に、アーサーはフランツにバスケットボール対決でカモにされていたけど。運動神経はアーサーの方が若干上だが、やはりバスケットボールにおける圧倒的身長差は明確な戦力差に繋がっていたのだ。

 

そんな日々があった。こんな日々が、これからも続くだろうか。いつか、あんな日々だけを過ごせるだろうか。勝って、終わらせることが。呟いた武に、弥勒が答えた。

 

「“いたるところに欺瞞と猫かぶりと人殺しと毒殺と偽りの誓いと裏切りがある。ただひとつの純粋な場所は、汚れなく人間性に宿るわれらの愛だけだ”」

 

「………それは?」

 

「ドイツの詩人の言葉だ。中学時に、自称インテリの友達に教えてもらった」

 

俺は、この言葉が好きでな。弥勒は武と同じように寝転がり、空を見ながら続けた。

 

「誰だって間違う。常に正解の方向へと進めるわけがない。時には自分のためだけに何かを裏切ることもある。狡い真似をして近道だってしたくなる。所詮、自分は一等可愛いもんだからな。口には出さなくても、多かれ少なかれそういった面は持っているだろう。だが、その反面で人間は誰かを想うことができる」

 

軍隊だってそうさ、と弥勒は言う。

 

「戦わずに、誰かに任せればいいんだ。仮病を使い、逃げたっていい。徴兵を免除される奴もいる。だけど、そうだな………きっと半分ぐらいは、自分だけ助かるのをよしとしないだろう。戦場に出た兵士の中で、前に出て戦おうって奴は多い。自らの命を賭けて、脅かされる背後の民間人を守ること。それを厭わない精神を持つ奴もまた、確かに存在する」

 

そして、反するものも。ここからは初芝少佐の受け売りだが、と弥勒は言った。

 

「ま、ぐちゃぐちゃに汚い世界は嫌だよな。正解なんて、何処にもない。なのにいつでも、正しい回答が求められる。両方を助けられない状況下なんて、腐るほどあるらしいのにな」

 

武は頷いた。誰と誰を助けるのか。それに正答を求める声は、呆れるほどに多いのだ。その上で、どちらかに手を差し伸べる必要がある。迷えば、両方真っ逆さまだ。派閥の争いもある。それ以上に、人間には汚い所が存在するとその両の目で見てきたからだった。プライドの高い奴の欺瞞なんて可愛いもの。休暇で町に繰り出した時、娼婦がいた。隣にいた仲間に、アルフレードなどに猫かぶりして身体を使い、安全な場所に移ろうとする痩せた眼をした女の人がいた。

 

人殺しといえば、自分だってそうだ。基地を守っていたどこぞの戦術機を落としたこともあるし、ミャンマーからの撤退戦の時には戦車級に取り付かれ、暴走した仲間を撃ち殺したりもした。毒殺といえば、指向性蛋白こそが一等に酷いものだろう。心さえも殺す猛毒があることは真実であり、害された人を見たのはつい最近のこと。操られた衛士の故郷は、あの時に聞いた通りに、香川県の丸亀だったという。

 

偽りの誓いも、自分のこと。こんなに辛いなんてと、誓う前は知らなかったなどというのは、言い訳以外のなにものでもない。

 

そして今も、中隊の戦友たちに生存を知らせず、裏切りを続けている。可愛がってもらっていたのは、はっきりと自覚しているのに。

 

同じような人間が、大勢いるのだろう。衛士をしていれば、自分と同じような眼をしている人間に会う機会は多い。胸の中に渦巻く何かに苛まれ、何かを裏切り、それを悔みつつも変えず。

 

「だけど、戦う。それは何故だ?」

 

「………戦わなきゃいけないから。BETAに、負けたくないから」

 

もっと言えば、その先にある絶望の光景を見たくないから。

武の答えに、弥勒はそれが愛だといった。

 

「つきつめれば、似ているのさ。仲が良いから。好きだから守りたい。指をさされたくないから、戦う。友愛や恋愛や自己愛や、色々あるけどそれは戦いに繋がっている」

 

派閥で心がバラバラになってでも。人間は自分か、誰かのために戦うことをやめない。

 

「クサくいえば愛がある限りは人類は戦うだろう。そして、戦い続ける限りはいつか………勝てる、かもしれない」

 

「そこまで言って、かもしれないってのは締まらないな」

 

「そんなもんだ。でも戦意が、何かを守ろうって気持ちが失われればその時点で全てが終わるだろうがな。獣に勝てる相手じゃない」

 

「人間の工夫か………っと、色々と考えているんですね。特に詩人の言葉とか、あまり聞いたことがなかったんで」

 

「師匠に、目録から印可に上がる前にちょっとな。色々と考えろと言われた時に出した、俺なりの結論だ」

 

それも主観によるが、と弥勒は言う。

 

「振るう形は人それぞれ。だが無念無想に至るには、より多くの経験が必要になる。念じず、思わず、考えず、ただ斬るべきを斬る時に斬る………だけど無知なままでは、間違ったものを斬ってしまう。それでは剣の本懐には程遠い」

 

「知った上で、斬るべきものを見定める………愛のために?」

 

「繰り返すな恥ずかしい。こっちは見るなよ、素面で言うような台詞じゃない」

 

弥勒が言うが、武の耳には、入ってなかった。それよりも、考えることがあったからだ。

 

武は思う。ならば、泰村達はどうだったのだろうと。自分の生きた証を残したいと言っていたし、以前にも聞いたことがあるような気がする。きっとそれは自己愛に分類されるものなのだろう。だが、それでもあいつらはBETAの敵となって散った。シンガポールで戦っていたのであれば、難民に対する扱いは見ただろうにだ。無法地帯に、略奪が当たり前だった地域もあった。治安なんて人の良心次第、というおざなりな所もあった。

 

南米から密輸されていた麻薬のこと。MPによる取り締まりが厳しくなる前は、衛士にだって流通していた。中毒者に対するMPの対処は冷徹そのものだ。義勇軍の一人にも、耐え切れず麻薬に手を出し、軍から追放された者もいた。

 

泰村達だってずっと衛士だった、自分と同じぐらいには人間の汚い部分を多く目にしたはずだ。それなのに、人類の勝利のために命を賭けて死んだ。愛がどこに向かっていようと、最終的には人を守る方向で、名を残したことに疑いはなかった。死んだ今は確認しようもないが、あるいはあいつらなりの誰かを守りたいという心があったのかもしれない。それが自己愛に付随する形であっても。人を人と思わない外道がいるけれど。

 

(空が青いという事と、同じように)

 

人を、守りたいと思う人がいる。だからこそ人類は戦うことができるし、いずれは勝利を手中に収めることができる。それを信じるのは、愚かなのだろうか。武の胸中は未だ複雑で、はっきりとした答えはまだ出なかった。何が本当なのか、分からないけれど、正しいと思えることはある。

 

「どっちにしても………今は、戦うしかないんですよね。いつだってそうですけど」

 

武は言いながら提案した。頭が良い中尉殿に相談事があると。

奇妙がる弥勒に、武は自分の懐から取り出した封筒を見せた。なんだそれは、と問う弥勒に武はわざとらしい笑みを見せながら、言った。

 

「夏休みの宿題って所です。ちょっと、一人でやり切るには辛くて………手伝ってもらえますか、中尉殿?」

 

「宿題か………そう言われては、手伝わないわけにはいかないな」

 

冗談のように返す弥勒に、武は封筒を手渡した。

弥勒は中から紙を取り出し、書かれている文章を黙読した。文に目が走り――――

 

「………は?」

 

間の抜けた声が響いた。辞令の中身の一つ。それは、鉄大和少尉の先の功績を認め、中尉待遇として一時的に帝国軍として迎え入れるとのこと。

 

「そして、もうひとつは………正気か?」

 

「横槍があったと思われますが………正気、みたいですね」

 

向かわされる先は、京都の嵐山にある基地。

 

そこで今季に斯衛軍衛士養成学校を卒業する予定だった女子中隊と共に、遊撃部隊として京都の防衛にあたることを望むという文が書かれてあった。

 

 


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