Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
誰と誰が、そこに居た。
誰と誰が、ここに在る。
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武が起きてまず見たのは、覚えのない天井の色だった。
「ここ、は?」
武は寝ぼけた頭のまま、ぼうっと天井を見続けた。木じゃないということは、日本の部屋ではない。
しかし、ここ最近見ていた天井でもない。無機質なのは一緒だが、材質が違って見えた。
周囲に漂っている匂いまで違っていた。訓練用の軍服に残った汗臭さは微塵も感じられず、漂ってくるのは薬品の匂いだけだ。
武は一度だけ、この匂いを嗅いだことがあるのを思い出した。確か、自分が怪我をした時のこと。
その時に案内されていた場所に重なる。武は、そうして、ようやくここが医務室だということに気づいた。
基礎訓練を初めて一週間ぐらい経過した時に起こったのだ。
武は訓練の厳しさに耐え切れなかった訓練兵が最後に暴れ、それに自分が巻き込まれ殴られた事を思い出していた。咄嗟のことだったので避けきれず、まともに殴られた拍子に転び、擦り剥かれた膝を消毒するためにここにきたのだ。
担当官が不在だったため、教官に手当をしてもらったのを覚えている。
そうだ―――教官。ターラー教官。鬼のような教官で、でも厳しいだけではない教官。
まるで重ならないのに、どこか幼馴染の母に似ている人。
優しく、怒る時は厳しい純夏の母親である鑑純奈さん。武は、母さん、ってふざけて呼ぶと凄いうれしそうにしていたあの人と、何故かどこか重なる鬼教官のことを思い出していた。
常時というか訓練時もそれが終わった時も厳しい教官は、その点でいえば違う。
―――でも食堂で、俺たちを励ましてくれた顔は同じだったと。
武はそこまで思い出して。そして、自分が先ほどまでどこに居たのかを思い出した。
「………っ、そうだ、BETAは!?」
戦っていたはずで、帰投した記憶もない。
なのに何故自分はここに居るのか、武は必死に思い出そうと記憶を辿っていくが、思い出せない。
覚えているのは、戦車級に取りつかれ、情けない悲鳴を上げた後に要撃級の腕が眼前に迫っていた光景だけだった。
(そこから先は目の前が真っ白になって………駄目だ、思い出せない)
いくら頑張っても、そこから先の記憶は暗闇に閉ざされているかのように浮かんでこなかった。
筋肉痛も思考を邪魔する。いつもの比ではない痛みが全身にはしゃぐように飛び回っているのを武は感じた。しかし、五体は満足で。だから自分は誰かに助けられたのだと、武は結論づけた。
その時入り口のドアが、がらりと開いた。
ノックもなく部屋に入ってくる。その人物を見て、武は安堵の息をついた。
「なんだ、親父かよ」
「………目覚めて第一声がそれか、バカ息子よ」
心配していた息子になんだ呼ばわりされた父こと白銀影行は怒った。
影行は武が帰って来てから今まで、ろくに眠ることができない程に心配していたのだった。
それを、起きるなりなんだ呼ばわりとは、と。しかし彼の中に沸いた怒りは一瞬で霧散し、次に襲ってきたのは絶対的な安堵だった。
近づき、身体を起こした武の頭をぽんと叩く。
「身体は大丈夫か。ターラー軍曹から、疲労だけで外傷はないとは聞いているが………」
「う、ん………筋肉痛がすげーきついけど――――」
武は基礎訓練の時にターラーに教わった要領で手足の動きをチェックした。関節部を動かし、痛みの有無と可動範囲を見た。
そして問題がないことが分かると、笑顔で父に返答した。
「大丈夫みたいだ、問題ないぜ」
「そうか………」
影行は安堵の息を吐いて、武の頭をぽんと叩いた。
―――その手が震えていたことに、武は気づかなかったが。
そこから二人はゆっくりと言葉を交わした。ここが先日まで居た哨戒基地の後方にある、ナグプール基地であること。武は半分意識を失った状態でこの基地にたどり着いたが、ハンガーに機体を預けた直後に、気絶してしまったこと。そして、残存していたBETAとカシュガルからこちらに向けて侵攻してきたBETA群について。
そのまま強引に侵攻してくると思われたが、この基地より送られた援軍とぶつかった後、ボパールハイヴまで退いていったという結末まで。
最後には、哨戒基地より脱出した全員が、この基地へと避難できたことを教えた。
「全員無事………でも、BETAが退いたから………つまりは、撃退できたってことなのか」
「いや、どうも違うらしいぞ。俺達にはまだ知らされていないが、どうにもイレギュラーな事があったようだ。後ほどターラー軍曹とラーマ大尉から説明があるらしいが」
あれから2日も経つし、結論は出ているだろう。影行がそう告げると、武は驚き影行に問い詰めた。
「え、もう2日も経ってんのかよ!」
「ああ。極まった緊張感が、知らない内に溜まっていた疲労を爆発させたと言っていた。今のお前を見ると、そうは思えんがな………心配したぞ、意識不明だと告げられた時は」
影行はそう言って、また武の頭を撫でた。幼子にするような行為に、武は何だか気恥ずかしくなり、頭をぶんぶん振って乗せられた手を振り落とした。それを見た影行は、苦笑しながらもまた手を頭に乗せた。
胸中に渦巻く、様々な思いを飲み込みながら、頭を撫で続けた。
(………武は、衛士だ。子供からの一線を越した。死の八分を越えた、本物の兵士になった)
自分たちを守るために地獄とも呼ばれる戦場で前衛を張り、そして生きて帰ってきた。
命を賭けて戦い、そして目的を遂げた。影行は褒めてやりたい気持ちになったが、まだ反対したい自分の気持ちがあるが故に声にできなかった。
経緯も結果もケチをつける所などない、全力で褒めてやらなければいけないことなのは間違いなかった。
だが、影行の中には、もう退けない所まで来てしまったのかもしれないという思いが浮かんでいた。
世界でも最年少に入るだろう、わずか10歳での出撃に、生還。しかも突撃前衛で生き延びたという事実は、それだけではない問題を引き寄せる可能性があった。
亜大陸の戦況は非常に芳しくない所まで落ちている。これから、武の環境はまた劇的に変わっていくだろうことは容易に推測できた。
そして影行は衛士として扱われることの意味を、軍人として振る舞うべき人間の責務を理解できていた。
かつてのテストパイロットを見てきた経験があったからだ。優れた能力は、義務を生じさせるもの。
先の初陣であったように、武はこれからも衛士として、大人の振る舞いを強いられてしまう可能性は高い。
―――だからこそ、だった。だけどと、影行は決めていた。
自分だけは、武を子供扱いをしようと。他の誰でもない、自分とあいつの息子なのだからと。
「オヤジ………いい加減恥ずかしいんだけど」
「おお、すまんな。っと、言い忘れてた事があったよ」
そうして影行は、深呼吸の後に武の頭をわしゃわしゃとかき乱しながら言った。
「ありがとう。お前たちが踏ん張ってくれたおかげで、俺達は生き延びることができた」
命を助けられて、ありがとう。その言葉に、武は目をむいた。
「いや、本当に助かったよ。全員の避難は無事完了したし、資料もな。思ったよりも押し込まれなかったから、臨時で借りていたシミュレーターの方も無事引き上げられるらしい」
「そうか………それは、良かったよな」
「ああ、良かったよ。だから、思う存分胸を張れ。お前は、大人でもそうそう出来ないことをやってのけたんだ」
ぽん、と頭を叩いて影行は時計を見た。
名残惜しいものがあるが、時間だと言いながら立ち上がった。
「すまんが、仕事があるんでな………すぐに別の見舞いが来るそうだから、寂しくないな?」
「子供扱いすんなって。でも、まあ………ありがとう。無理すんなよ、オヤジも」
目の下の隈がすげーぞ、と武は言う。影行はばれてたか、と苦笑をしながら頬をかいた。
「一時のもんだ………でも、お前は違う。回復するまでじっとしてろよ。ああ、後でまた来るから」
影行は最後まで武のことを気にしながら退室していった。
その武はドアが閉まる音を聞くなり、ベッドの上に寝転がって天井を見上げた。
そして声のなくなった病室の中で、自分の呼吸音を数度聞いた後に、湧いてきた実感を呟いた。
「………帰ってこれた、んだよな」
武は気絶する直前までに自分の周囲を占領していた鮮烈な戦場の光景が衝撃的だったせいか、いまいち現実だと思えなくなっていた。だが、じっと落ち着けば段々と頭の切り替えもでき始めていた。
そうして、自分がどこに居るのか、何をやったのかが分かると達成感も湧いてきた。
自分は、戦場に出て戦い、生き残ったのだ。そして熟練の衛士になるための道、その最初の障害である、死の八分を超えたのだ。
武は戦闘中にターラー教官からかけられた言葉を思い出していた。八分どころではない、何十分も戦い、あまつさえは同じ衛士を助けることもできた。
(全部、命令どおりにした結果だけどな)
指示、と言ってもいいかもしれない。曰く、訓練中に教えたことを反芻しながら戦えと。
実際のところは、武も初めての戦場で、複雑な事を考える余裕を持っていなかった。
しかしわずかな訓練でも身体に染み込んだものがあったようで、無意識ながらも何とかそれを実践することができた。訓練の時に、さんざん叩きこまれた言葉が脳裏に浮かんだ。
(跳んで跳ねて距離を保ちつつ、突撃砲を撃て。危ないと思ったら退け。希望的観測ではなく、十分な確信を持って行動しろ)
最後の戦車級と要撃級の奇襲は訓練にもない想定外だったので、対処は出来なかったが、それでも訓練が役に立ったのだ。必死になって乗り越えてきた訓練―――そして今、実戦の最初のハードルを越えた。衛士と名乗っても、問題のない所まで辿り着いた。
(もう、戻れないだろうな)
武は一線を越えてしまったことを理解していた。先の戦闘でも分かるように、今のインドにおける戦況は不利の一言だ。スワラージの大敗の影響は大きく、戦術機から戦車から歩兵から、とにかく全体的に戦力不足であるのが現状だった。それこそ、訓練未了の衛士でも前線に出られるぐらいにである。
後方からの物資、兵器、兵士―――間に合えばいい、戦力が補充できればもしかしたら自分はまた訓練に戻る事ができるかもしれない。
だけど、それは思い浮かんだだけだった。武も、そうした考えは希望的観測に過ぎないだろうことも何となくわかっていた。実際に戦術機を駆って、目前として立ち合うことで痛感していた。
映像だけではない、BETAの生の恐ろしさを。そして衛士の脆さと、人類の劣勢を。
あれを前に余裕を気取れるほど、軍は愚かではない。だからこそこれからも、自分は戦場に立たされるだろうことは明白だった。
(いや………正しいはずだ。これで、良かったんだ誓ったんだから)
武の頭の中では理屈が奔走していた。しかし、いやでもと言い訳をしたがる自分が居ることも。
自分は訳のわからない衝動のままに、戦うことを望んだ。ヒーローになりたいと望んだ。純夏を、父影行を死なせないと願い、だから戦場に立った。
(――――でも、誰がそれを本当に望んだのか)
熱意はあった。だけど、切っ掛けはあの誰のものかも分からない記憶だ。
それが一体どこからやってきたのか、武は考え始めた途端に、身体と頭に激痛が走るのを感じた。
「っ、ぐっ!?」
突然襲ってきた訳のわからない激痛に苦悶の声を上げて、頭を抱えうずくまった。
だが収まらず、視界がゆらりとブレ、耳にザザザという通信時に起きるノイズ音を聞いていた。
それは、閃光のようだ。フラッシュバックする光景があった。見たことのない映像が脳裏に浮かび、形を成しては消えていった。
だが一時なもので、時間が経過すると共に緩やかに収まっていった。
しかし、武はその発作とも呼べるものが終わった頃、あることを思い出していた。
今の光景にもあった、BETAの恐怖を。異様な外見でこちらに迫ってくる。何の躊躇もなくこちらに近づいてくる化物。武器があって、戦う方法を学んで、フォローしてくれる人が、仲間が居たから勝てた。
でも、もし。例えば突撃砲が壊れ、戦術機が壊れてしまえば?
その牙が届くほどに目前に迫られてしまえば、自分は一体どうなっていたのか。
―――答えが浮かんだ。いやに具体的に、脳裏に"その時の光景"が浮かび上がる。
「ちく、しょう………クソ、何なんだよこれ!」
見える光景を認めないと、振り払うように叫ぶ。そこでようやく、衝動は収まってくれた。視界も耳も、通常の状態へと戻る。武は自分の息がきれているのを確認すると、眼を閉じてゆっくりと深呼吸をはじめる。気を落ち着かせるために、吸って吐いて、吸って吐いて。
だんだんと気分が落ち着いていき――――ゆっくりと眼を開けた。
そこには、少女が居た。先ほどまではたしかに居なかった珍しい銀髪を持つ少女が居たのだ。
忘れるはずもない。あの時、自分が逃げようと思った時に、問いを投げかけてきた少女だった。
「………」
武は、無言で少女に触った。突然の事なので、幽霊かもしれないと思ったからだ。
手は肌に接触した。武は、触れた、つまりは実体があって幻覚ではないと分かった。
「って違う! お前誰だよ!?」
武は驚き、叫んだ。だが当の少女は動じずに、ただ武の視線を受け止め返した。
首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべた。そして武の頭を、横からぽんぽんと叩いた。
「どうして………読めないの」
「読めないって、何が? それより、ってほっぺた抓んなよ!」
武はむにむにと抓ってくる少女の手をはたき落として、顔を改めて見なおした。
「うん、そうだ。お前たしか、あの時基地に居たやつだよな」
「そう。君はぶるぶる震えてた。あの時も、今も。君は何者だと………もしかして、犬?」
「なんで犬だよ。理由が気になるわ。俺は白銀武だ。で、お前の方こそ何なんだよ」
「私は私。だけど、詳しい事情は話せない」
「えっと………訳ありってやつか………ってまたかよ! ほっぺたから手え離せ、ああ頭も叩くな!」
ばっと、振りほどく武。少女ははたき落とされた自分の手を見つめた後に、じっと武の顔を覗きこむと、その両目を見据えた。
武は突然に距離を詰めてきた少女に驚き、どぎまぎした。
「な、何だよ。俺の顔になんかついてるのか?」
「眼と鼻と口」
「ついてねえ奴が居るのかよ!?」
「割と居る………一番多いのはBETAだけど」
「オーケー、よし分かった。お前、俺に喧嘩売ってんだな? そうだよな?」
武はBETAと同レベル呼ばわりされた事に腹を立てた。
半眼になり、額に血管を浮き上がらせて威嚇する。少女はそれを見て頷くと、ぼそりと呟いた。
「白銀武が、怒ってる………」
「なんでフルネームで呼ぶ――――って当たり前だろ! BETA呼ばわりされて怒らねえ奴が居るのかよ!」
「いない………だから怒った。うん、怒ってるんだね君は」
「お前、なにおちょくってやが………っ」
そこで武はうずくまった。大声で叫び過ぎたせいで、限界が訪れたのだ。
それは、訳の分からない記憶によるものではなく、純粋な筋肉痛だった。
「ふ、ぬあっ………!?」
「猿みたいだね」
「純夏みたいな返しを………ぬぉっ!」
変な声を出して悶絶する武。少女はぼそりと感想を呟くと、視線を時計にやった。
「………あ、もうこんな時間。ラーマのとこ、行かないと」
「ちょ、おま………ひぐぅ!?」
待て、と言おうとするが言葉にならない武。少女はそんな武をじっと見ながら、後ろ歩きで部屋から去っていった。
武は収まらない痛みに、涙目になっていた。そのまま、数分を何とか耐えぬく。
そして、ちょうど収まった頃、再び入り口のドアが開いた。武は顔を上げた。その拍子に、頬にひとすじの涙が流れるのを感じていた。
「失礼しまーす………ってえ、何で泣いてんだ!?」
入ってきた人物、金髪の女性衛士はベッドの上の武を見て、あわあわとする。
武は痛みのあまり声が出せない。しばらくして、黒髪の男性衛士が入ってきた。
「失礼しま――――おい、リーサよ」
リーサと呼ばれた女性の衛士。「先ほど」先日?武とターラーのエレメントに救われた衛士の片割れ、リーサ・イアリ・シフ少尉が焦った顔になった。
「な、なんだよアルフ」
アルフと呼ばれた男性。同じく救われた片割れ、アルフレード・ヴァレンティーノ少尉が、呆れた顔になった。
「お前ガサツがすぎるからって実戦出たばっかりのボーイに向かって………いくらなんでも、それはないだろう、ええ?」
視線をそらし、残念そうにいうアルフレード。リーサは誤解だと慌て、反論した。
「違う、私じゃない! あと誰がガサツだてめえ!?」
「はは、冗談だって、いくらお前でも、部屋に入って、10秒程度でなあ? ――――いや、有り得ないとも言い切れんな」
「違うわ阿呆! ああ、お前らイタリア人大好きなパスタと一緒に釜で茹で上げんぞ!? ………あと、ガサツも冗談だよな」
「いや、それは紛うことなき真実にして真理だ。パスタ好き、ウソツカナイ」
リーサは、がしっと。その白い手でヴァレンティーノ少尉の頭をわしづかんだ。
「ふふ、冗談?」
「いや、本当」
「オーケイ………これで、最後ね――――じ・ょ・う・だ・ん・よ・ね?」
武の位置からは、シフ少尉の顔は向こうを向いているので、その表情は見えなかった。
だが武は、ヴァレンティーノ少尉の表情を見るに、相当アレな表情をしているのだろうことは悟っていた。
ヴァレンティーノ少尉の表情が真剣になる。そして、追い詰められた男は、格好良い声色で首を横に振りながら答えた。
「嘘は、つけない。それが死んだ父に誓った、唯一の言葉だから」
「なら、その言葉は今ここで私が受け取ろう。遺言、絶対に忘れないから」
地の底を這うような声。急な展開を見た武が、そこで二人の間に入った。
「ちょまっ、いきなり、待って二人共!?」
「「何(だ)?」」
武は視線だけをこちらに向ける二人に、慌てた。
「いや、何っていうか………あの、ここでの人殺しはやめといたほうが!」
「おっと、これは失礼」
「ああ、やるなら外でだな」
「いや外でも駄目ですって!」
武は、離れた二人を見つめた。そして、ヴァレンティーノ少尉のこめかみに少し残る青を見て、痛々しいと戦慄した。どんな握力してんだ、と。
そもそもが、どうしてこうなったのか。武が訊ねると、二人は普通に答えた。
「いや、見舞いにきたんだ。目覚めたって聞いたし、直接お礼をいいにね」
「起き抜けにいきなりですまんな、ボーイ」
「少年………お礼?」
「ああ、あの時にも言ったけどな。ほら、あの褐色美人の軍曹と一緒に助けてくれただろ?」
親指で自分と隣のヴァレンティーノ少尉を指す、シフ少尉。
「あんときゃあ、あぶなかったからな。本当にギリギリだった」
「ああ、あと数分でもあのままだったら………今頃俺たちも、昔の仲間の元に送られてたよ」
二人ともウンウンと頷く
「そうですか。それで、お礼を?」
「こういうのは直接じゃなきゃね………で、改めて自己紹介といこうか」
「はい………名前は白銀武、日本出身で、階級は臨時少尉とやらです」
武の言葉を始めに、三人は自己紹介を済ませた。
「シフ少尉はノルウェー出身………えっと、ヨーロッパでしたよね確か。あそこの………何処ら辺でしたっけ?」
「北欧、と言っても具体的にゃ分からんか。イギリスの北東だよ」
「俺はイタリアだ。こっちは流石に知ってるよな?」
「えっと、長靴の国でしたっけ?」
武は小学校で先生に教えられた地理を必死に思い出していた。
「日本はよく知ってるよ。俺の国にとっちゃ、かつての同盟国だったし、今でも列強の一角だ」
「国土が残ってる国の中じゃあ、五指に入るからねえ………それで、武。さっきは何で泣いていたの?」
「ええと………」
そういって説明を始める武。聞かされた二人は、変な顔をする。
「銀髪、少女ねえ………どこかで聞いた話だな」
「ラーマ大尉のところの彼女じゃない? あの無表情なお人形さん」
「え、彼女のこと知ってるんですか?」
「ああ。大尉はターラー軍曹と一緒にこのあとすぐに来るって言ってたからな。そんとき聞きゃあいい。初の実戦を乗り切ったし、お祝いでもしてくれんじゃなか?」
「実戦……いや、あの鬼教官に限ってそんなことは」
「はは、鬼教官か。確かに戦っている時の彼女見ると、それっぽく見えなくもない。教官に選ばれる理由もね………でもあんたもすごかったよ」
大したもんだと、リーサが褒める。しかし武は、首を横に振った。
「頭真っ白で、大したことやれませんでしたよ。ただ生き延びることに必死で、訓練の通りにやるしかありませんでした」
「何言ってやがる。新人なら、それでいいんだよ。むしろ正解の範疇に入る」
「そうそう、死ななきゃ上等ってね」
「でも………突撃前衛が、情けなくないですか? それに怖くて………今もちょっと、手の震えが取れませんし」
「俺だって同じさ。あの部隊の奴らもな。あんな化物を相手にするのに、怖くねえなんて言うやつはむしろチキンってなもんよ」
「ま、それは別として部隊にも影響はあったようだね。通信で聞こえたよ。『ガキが震えながら戦場に出ている。そんな前で、どうして俺たちが弱気な所を見せられるんだ』ってな」
その言葉に、武は驚いた。
「ま、俺らはお前より年くってる分、面の皮が厚いだけだ。それに恐怖は危機に対するセンサーみたいなもんだから、逆に必要なものなんだよ。死の匂いを嗅ぎ分けられない間抜けは、真っ先に死ぬ世界だしな」
アルフレードは、武の胸を叩きながら告げた。
「強がるのは分かるが、頭から否定はするな。どう思おうが、実際に感じている事は変わらないんだから、その感じた事に対して無理な否定はしない方がいい。怖いときは怖いんだからしょうがないさ。割り切る方がよほど良いぜ。そういう無理は、戦術機の機動に必ず現れてくるからな」
「そうそう。まあ、指揮官クラスになるとまた話は別だけど。ああいう立場になると、感情をコントロールできてやっと一流っていうしね」
リーサは、肩をすくめながら上には上がいるけど、と冗談を言いながら笑った。
「そんであの戦闘、部隊の士気もそうとう高まっていたって聞いたわよ? 私たちも、あの後聞かされたしね?」
「ああ、帰還してから………確かアルシンハ大佐だったか。あの人が言ってたよ。『ルーキーボーイ、白銀武臨時少尉は無事帰投した。聞いたところによると、ゲロまで吐いて、それでも帰りきるまでは気絶しなかったそうだ』ってな」
アルフレードが、誰かの真似をするように、わざとらしく難しい顔をしながら言った。
武は、それが誰のモノマネだか分からないが、シフ少尉が笑っているということはよほどその人物に似ているのだろうと思った。
そして、気づいた。
「って、ゲロ吐いたって! しかも通信で放送のように!? あの、もしかして俺のこと全部隊に知れ渡ってるんじゃないですか!?」
武は驚き、二人に問い詰めた。リーサとアルフレードは、黙って武の肩に手をおいて、慈悲のあふれる顔で頷いた。
ドント・ウォーリー・ベイビー、と。
武は目の前が真っ暗になった後、不特定多数に自分の失態が知られていることを悟った。
恥ずかしさのあまり座っておられず、ぐあああと叫びながらベッドの上を転げ回った。
そして、必然的に筋肉痛の悪魔が蘇った。少年の、悲痛な声が病室に響き渡った。
「はは、さっきまで寝ていたってのに少年は元気だなあ」
「将来が楽しみね―――って聞いてないか」
リーサは、生暖かい目で武を見た。噂と、せめて噂レベルに、と懇願する声をはははと笑ってスルーした。そしてわざとらしく時計を見ると、訓練が始まると言い残して、部屋から去っていった。
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武が目を覚ました深夜。廊下で、二人の衛士が会話をしていた。
片方は長身で黒髪の男。片方は、こちらも女性にしては長身の、褐色の肌に黒い髪を肩まで伸ばした衛士だった。
「それでヴァレンティーノ少尉………話とは何でしょう?」
「タメで構いませんよ。教官になって、軍曹に戻ったってのは分かりますが」
これで位負けの中尉ならば、アルフレードもしゃべり方を改めなかった。
だが、目の前の衛士の力量を思い知った今では、とてもあんな口の聞き方はできないと思っていた。
「ベテランの美人女性、って違った………力量も上の熟練衛士に敬語つかわせるのは、趣味じゃありません」
「………分かった。それで、欧州の国連軍には戻らないと聞いたが、本当か。ああ、ここも盗聴されていない。大丈夫だから安心しろ」
「前者の問いには、本当ですと応えておきましょうか。リーサも、同じです。で、大丈夫だからと安心できるものですかね」
「そんな余裕はない………緊急措置として配属されていたここの部隊は壊滅した。しかし、残るか。繋ぎとめるものは無くなったと考えていたが、何故今更になって故郷に近い地に戻らない? 故郷に近い場所で戦いたくはないのか」
足りないからととどめ置かれていた。でもそれも無くなったのではないかと、ターラーが問う。
「故郷、か………いや、俺はスラム育ちなんでね。他の奴らと違って、故郷にそういった愛着はありませんよ」
「それでも無いわけではないだろう。それに、リーサ少尉はどうなんだ」
「ああ、リーサはあっちの方に戻ると嫌な事を思い出しそうだから嫌だ、らしいですよ。それに今更戻れって言われてもね………上が上ですし。色々と知った、知ってしまったこっちとしちゃあ、今まで通りってわけにはいかんでしょうから」
「もしかして………スワラージ作戦の時の、"あれ"か?」
思いつく限りでは、それ以外無い。ターラーの問いに、アルフレードはビンゴ!、と指を一本立てた。
「そうですよ。あの時の国連軍を含む一部の部隊の動き………俺たちの部隊にゃ、何も説明が無かった。いや、思い出す限りはきっと、どの部隊も同じだったんでしょうね」
「ああ、こっちもだ………全く、国連はいったい何をしようとしていたのやら」
「………ソ連の部隊が、年端もいかないガキを集団で連れだして、ってのは聞きましたがね」
「よく知っているな、少尉」
「いえいえ、出身からか裏の香りを嗅ぎつけるのは得意なんですよ。前の部隊じゃあそういった情報収集は俺の役割でしたし。ま、知らなきゃよかったことも多々ありますが………」
遠い目をするアルフレードに、ターラーは心の中で同意した。
情報が人を殺す爆弾に成りうることも、心を圧迫する土砂に成りうることも、長い間軍に在籍しているターラーにとってはよく知っていた。
「それで、問題は―――上がそれを隠していたってことです。それも他国の軍部にも。国連内の上層部の、そのほぼ全てにも」
「こっちも同じだな。だから………全ての部隊が噛み合うことが無かった」
スワラージを思い出し、ターラーは憂鬱になる。
全体の一部だが、特殊部隊に位置する戦術機の連隊が作戦の目的にそぐわない動きを見せたのだ。
それが、各国の部隊の連携がうまくいかなかった要因だった。
居るべき場所に部隊が無い。見れば、ハイヴの入り口や途中で止まっている。
連携が上手くいくはずもなく、部隊の多くが分断され、各個に撃破されたことをターラーは思い出していた。
「スワラージ作戦………あれ、確か国連軍が強行した、って話ですよね?」
「詳しい経緯は、末端には知らされていない。だが、噂ではそうなっているな」
「恐らくは事実でしょうよ。自分が集めた情報から推測するに、あれは………国連軍の一部で、何らかの目的が。ハイヴを落とす以外の、別方向の画策があったことは間違いないらしいです。つまりは、ハイヴ攻略のほかに目的があった。いや、むしろそっちが本命だった………必死に隠してるってことはそういうことでしょう?」
知られて本当にまずいことは、知る者を殺しても隠し通す。それが軍のやり方だ。
殺害の方法はどうであれ、結論は似たり寄ったりだ。情報部を総動員させ、広まる余地を与えないのが当然の処置とも言えた。
「………人は。いや軍ならば余計に、知られてまずい事、そして大事な事は隠しつくすか。だが、お前も"Need to know"の意味と必要性は理解していると見たが?」
「ええ、知ってます。そうですね、俺の部隊も知っていた。ですが知らない内に動いた結果………訳のわからない事態に巻き込まれて、あいつらは死んだ。もう、骨さえも戻ってこないでしょうね」
両手を広げ、おかしそうにいう。本当に、心底おかしそうに。その顔は、悲痛に満ちあふれていた。
だけどアルフレードは叫ばずに、淡々と語った。
「本当に馬鹿馬鹿しいと思いませんか? ―――ああ、分かってるよ、それも必要な犠牲だったって上は言うんだろう。それも理解していますが………それならなんで、インド政府は不信を示しているんでしょうね? 噂じゃ、国連から離れようって話もあるようですが」
「………政府が何をもってそう決めようとしているのか。その事実について私には知りえんし、その理由も分からない」
だが、そのような動きがあったことを、ターラーはラーマに聞かされて知っていた。アルフレードは自前で辿りついた。インド政府どころか、南や東南アジアの各国政府が国連軍に責任を求める声を上げていることを。
「答えは簡単だ、国連側から最低限の情報の共有も無かったからですよ。同じ戦場で部隊を展開する上での、最低限の情報の共有も無かった。保つべき最低限のラインも満たさなかった! "隠しきって"事に及んだ。結果………軌道降下の部隊も、地上に展開していた部隊も、いや全部隊が揺れた」
それを生き残った兵士の、ほとんどが知っていることだった。
もっとうまく、完全に連携できていれば、もしやと―――考えない兵士は居ないほどに、不信を抱く考えは衛士の間に広まっていた。
「あの時、作戦の中盤から士気と情報伝達の精度が下がっていったのは知ってますよね?」
「………ああ。目的はハイヴの制圧だった。それなのにソ連は、それにあの部隊は何をしている、と―――そういった考えが頭によぎった。裏切られるんじゃないかともな」
「こっちも同じでしたよ。ましてや"あの"ソ連だ。ドイツ連中は特に酷かったし、別の部隊も程度の差はあれ、同じでした。それで仲間の部隊も信頼できなくなって………結果、大勢の仲間が、戦友が、戻れない場所に送られた。永遠の道化にされちまった」
不穏は連鎖する、ということをあの戦場に居た部隊は実地で理解した。
尤も、理解した人間のそのほとんどが召されてしまったのだ。犬死にといって間違いはない結末だった。
「どこも同じか……いや、貴様の部隊も」
「ええ、俺とリーサを残してあとは全滅しちまいまいしたよ」
二人だけが残っているのは、つまりそういうことだ。ターラーはかける言葉が見つからず、そのまま黙りこんだ。
長く戦場を共にした戦友とは、ある意味で家族に近い。
ターラーは知っていた。背中を共に、本当に命を共にする戦友を失う苦しみは、あるいは家族を失うよりも堪えることがあると。
「………みんないい奴らだった。学もねえし、柄も悪い。誰もが営倉送りを経験したことがあるような馬鹿ばっかりだった。でもあのクソ野郎をぶっ殺すって目的は同じで。釜の飯を奪い合った、同志だった。必死だったんだ。そのために血反吐吐いてきた………背中預けて、あんな地獄でもあいつらが居たから笑って越えて来られたんだ!」
民間人から、兵士へ。そして衛士になるための訓練は、文字通りの反吐を飲み込む覚悟が居る。
誰しもがそれを乗り越え、戦場に立つ。
「そんな俺達に、いやあの時作戦に参加していた部隊に、作戦を考えた国連の奴らは……盛大な唾を吐きやがったんだ」
覚悟と戦力を重視せず、あくまで自分たちの思いを叶えるために。
そういって国連軍の強行を敢行したのだと、アルフレードはそう思っていた。
そして、それが恐らく正解であることも。
「故郷が奪われた奴らが大勢居た。取り戻したいって必死に戦ってきた奴らが大勢居た………なのに、死んじまった。そうだ、上の訳の分からん思惑に巻き込まれて。これじゃ、仲間に撃たれたようなもんですよ。情報を共有してりゃ、もっと被害は少なく済んだかもしれなかったのに。あいつらも今こうして生きていたかもしれないのに!」
「そっちも同じ、なのか………こっちも多くの部隊が戻らなかったよ………遺された骨も肉も無い墓が増えた」
ターラーもあの作戦で散っていった仲間を思い出し、眼を閉じた。
その傷跡は深く、部隊には精神を病むものも出たほどだ。
「あれだけの戦力を投じられる機会なんてそれほど残っちゃ居ないってのに。俺たちも無限じゃない。死んだ他の部隊にだって、欧州で精鋭と呼ばれるエリート部隊が多く居たのに………分かっちゃいないんだよお偉方は。ユーラシアのほとんどがやられちまったっていうのに、上品なスーツを着た"お偉い"方々は、まだそういうことしてる。わかっちゃいないんだよ現状が」
「一理ある………だが、軍には機密がつきものだ。駒が全てを知る弊害もある。無理な情報の共有は、現場に混乱を生むのはわかっているだろう?」
「ははは、Need to know? ――知ってるさ、大切でしょう。それはもう、お偉方に都合のいい言葉だからな。で、それも上手く機能してないわけだ。だからこうして亜大陸も限界に来てる。で、俺たちはどうすればいい? また戻って黙って突っ込んで、それで喰われて死ねと? 残った意地も馬鹿にされ、本当の事を知らないままに"踊り食いにされろ"って? そんなのまっぴらごめんですよ」
「ならばどうする。無謀をやる馬鹿にも見えんが………余計なことをされて、軍を混乱させられるのも困る」
そういったことをやるような性格でもあるまい、と。
告げるターラーに、アルフレードは答えた。
「仲間が、戦友が死ぬのを見るのはもうごめんだ。それに、あの馬鹿に託されたこともある。だから………ここに残りたい」
「目的はなんだ。戻りたくないのは、それだけじゃないだろう」
「………銀髪の、少女」
突然に変わった口調に、にターラーはぴくりと眉を動かした。
「あれ、ソ連のガキですよね?」
「………違う、と言っても通じんだろうな。ああ、"一応は"そうらしい」
「一応、というのは?」
「確証がないからだ。かと言って、これ以上踏み込むのは―――と、あの人と一緒に私がそう判断した。彼女の真実を探るのは危険に過ぎるとな。今は髪の色を変えさせようとしているし、その他隠蔽工作は行っているが………いつまでもつやらも分からん」
「つまりは、国家規模の秘密だと?」
「そう考えている。尤も、あの子は"失敗作"で重要度も低いらしいが………それでもな。それに、あんな12の子供を失敗作呼ばわりするような奴らとお知り合いになりたくもない。それで………お前はどうする?」
ターラーは視線に力をこめた。復讐でもするか、と暗に意図を匂わせる。反応をすれば然るべき手段に出る、それほどの覚悟をもって。
だがアルフレードは肩をすくめ、まさかと首を横に振った。
「俺が知りたいのは"あの時どういった目的があったのか"ってことだけですよ。死んだあいつらに持っていくお土産です。それにあんな美少女をどうこうするなんて、俺の趣味じゃない」
「趣味じゃないから、どうもしないと?」
「そのつもりです………それとは別に、惹かれることがありますが」
そういって、アルフレードは視線の方向を変えた。武が寝ている、部屋へと。
「夢もない。あるのは現実だけ。そんなこの世界ですが――――ありましたよ、夢みたいな物語が」
「……それはもしかして」
白銀か、という問いかけ。その言葉に、アルフレードは笑みだけを返した。
「そうですね……今はまだ、ですが。でも見たことありませんよ、あんな奴。あんなに面白くて、あんなに危うい。だけど、生き残ってるような奴は」
それだけを告げて、アルフレードはいつもの調子に戻る。
「いやはや………すみません。ため口も混ざって、これじゃ軍人失格ですね、軍曹」
「いや構わんさ、お前の本気の度合いも計れたからな。尤も、言った言葉のどこまでが本気かは私では判断しかねるがな?」
「どうにも信用ねえなあ……いや、女性から辛辣な言葉をかけられるのは自覚はしていますがね」
「それはそうだろう。初対面の女性をあんな言葉で口説こうとするようなだらしない奴を、だれが信用するものか」
そう言って、半眼になるターラー。しかしアルフレードは、価値観というか人生観の違いに驚いていた。
(え、マジでこの中尉殿………昔ならマジ口説いてるぐらいの美人なのに。いや、かなり優秀だし、今まで口説こうとする野郎がいなかったってことか?)
あの程度の言葉、欧州では挨拶代わりである。それに対して本気で反応するターラーに対し、アルフレードはまた別の意味での興味を持った。
(いやはや欧州と違ってアジアは魔窟………混沌としていてなにが起きるのか分からんけど、先が見えないってのは希望になるね)
何が起きるのか、想像もつかない。絶望が蔓延していた欧州の西側と違って、実に楽しそうだ。
――――本来の目的とは別に、また生きる意味ができた。
アルフレードはそう笑いながらまた笑みを見せた。