Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
部屋の主が去った部屋の中。ある二人の男が、再会を果たしていた。マハディオ・バドルと、紫藤樹である。最後にあってから、経過した時間は4年と少しといった所である。部屋に唯一ある窓から外を眺めながら、樹はたずねた。
「………それで。話したい事とはなんだ、マハディオ」
引き止めたからには理由があるんだろう。硬く、冬のガラス窓を思わせる声にマハディオは怯んだ。直に言葉を交わしたのは、タンガイルの出陣の直前が最後である。気質が真面目で砕けた話し方が苦手な男だったが、今のように底冷えを感じさせるような声を聞いたことは一度もなかった。纏う雰囲気は、いつぞやに見たククリナイフを思わせられる程に鋭い。マハディオは戸惑いつつも、口を開いた。
「その、頬の傷は」
「ビルマ作戦で少しな」
樹は一拍を置いて答えた後、後ろ目でマハディオを見据えた。聞きたいことはそんな事かと、視線だけで呆れを表現していた。その意図を正確に察したマハディオは、慌てた。すぐにそうではないと否定し、部屋に招いた時からずっと―――
――――あるいは日本にやってきてからずっと胸に抱えていた本題を口に出した。
「ビルヴァールの事だ。あいつ、ビルヴァール・シェルパは………」
掠れ声で、マハディオは言った。タンガイルで死んだ戦友。死なせてしまった、同期の仲間と、その最期に起こった事を。
「すまない。俺のせいだった。俺のせいでお前は、あいつを」
仲間を、戦友を、その手で斬らせてしまった。掠れ声で告げる声は、まるで家族に戦死を告げる上官のようでもあった。その実変わりはないとも言えた。傍目にはどうでも、当事者の心境は同じようなものであった。マハディオの心の中は申し訳ないという気持ちしかない。もしかすれば、あの時に自分がヘタれなければ。いくらショックであったといえど、ビルヴァールは死ななかったかもしれないし、目の前の男に仲間を斬らせることもなかったかもしれない。間違いなく、責は自分にある。マハディオは自らの罪を見据えて言で射抜き、声にした。それは紛うことなき、謝罪の言葉だった。
樹は、顔は窓の方に向けながら、淡々を答えた。
「そんな事か………僕に謝られてもな。今更、許す許されないもないだろうが」
呆れたような声で、紫藤は続けた。
「隊の仲間のミスをフォローするのは義務であり、戦友の最後の頼みを聞くのは責務だ」
責め立てたりはしない、そして知っているだろうと言う。
「死者は生き返らない。戦場にもしかしたらという言葉は存在しない」
昨日の事を言えば時間が笑う。樹はそう告げ、マハディオの言葉を一刀にして両断した。
だが、マハディオは納得いかないとばかりに声を荒げて言った。
「だが、あの時に俺が自分を失わなければ! ビルヴァールは………追いつくことができたら、ラムナーヤの奴も! あいつらはきっと今も………!」
「そうかもしれないな。生きて、今もどこかで戦っていたかもしれない。戦友として隣で、戦っていたかもしれない」
だが、それが何だと言うんだ。
樹は窓を見ながら、また淡々と事実を並べたてた。
「生きていたかもしれない。だが、現実としてビルヴァールは死んだ。あの血塗れた村の前で僕が斬った――――次に望みを繋げるために」
ビルヴァールは希った。男としての最後が格好悪くなるのは嫌だし、クラッカー隊の一人が取り乱せば士気が落ちる可能性が高い。だから最後を頼むと。そして、周囲の部隊に隊員としての覚悟の深さを見せつけるために。その意図は成った。噂の下地を作ったのだ。死地にあっても喰らわれぬと覚悟する部隊、最後まで正気を抱えたまま命を保つ生粋の衛士が集まる精鋭の。ビルヴァールとラムナーヤの死に様は、当時を知る者達の間では語り草となっている。英雄部隊として認められる足がかりにもなった。
「あいつが願い、僕が殺した。どう取り繕おうと事実は変わらないし、死人はどうあっても蘇らない。だが、全てはあいつと僕の。ビルヴァールと紫藤樹の間の出来事だ」
だから、お前に謝ってもらう筋合いはない。その返しに、マハディオは拳を握りしめながら、血を吐くように言った。
「俺には、関係がないってことか」
「違うさ」
何を言っていると、また呆れた風に言う。
「無いはずがない、共に戦った上に同期の桜だろう。だから――――あいつの覚悟を汚すなと言っている。罪を思うのであれば、受け止めるべきはあいつらの望みだ。遺志だ。最期に望んだものを受け取り、果たせばそれが贖罪になるだろう?」
「遺志………ビルヴァールの、ラムナーヤの」
「そうだ。あの二人が生きているなら、こう言っていただろうな。教えられなくても、僕より付き合いが長いんだろう?」
分かるだろうと、樹の問いかける視線。マハディオは受け止めると、口を開いた。
“死人に頭を下げる暇があれば、立って動いて銃を撃て”。
奇しくも樹とマハディオの言葉が重なった。
「だから………“
最後まで逃げない、どこまでも衛士たろうとした。
それだけは間違いないと、マハディオは二人の事を思い出していた。
その上で、隊の方針のこともある。不文律ともいえるものがあったのは確かだ。それぞれ個々人の想いの方向はどうであれ、足を止めて時間を無駄にするなと。無駄にして仲間を死なせるなというのが、隊の基本方針でもあったのだ。確かに、とマハディオはまた思い出していた。あの二人は確かにクラッカー中隊の隊員で、隊の方針を受け入れ、そして戦っていた。
マハディオはその事実を噛み締め、頷いた。
「それで文句はないし、謝罪も必要ない。そして、これ以上は言わない。もう実践しているのだろう? 義勇軍の実績は聞いているさ………だから、何も。僕からは言えるものかよ」
「そう、か」
「そうだ。帝国の民を守ったこと、寧ろ僕から感謝をすべきだな」
苦笑しながら、樹は小声で有難うといった。部屋の中の空気が何とも言えない色に染まり、沈黙が二人の間で流れていく。そのまま、数分後。ようやく落ち着きを見せたマハディオは、目を閉じて思考を整理すると、落ち着いた声で告げた。
それでも、一言だけは謝っておきたかったと。
だが、それも樹は一蹴した。自分の罪の意識を軽くするためにか、と。苦虫を百匹は噛み潰したかのような表情をしたマハディオは、悟られないように俯いた。
「相変わらず、ズバッと言うな」
マハディオは胸の中に何ともいえない痛みと情けなさを感じつつも、懐かしい感触と共に一緒に戦っていた時のことを思い出していた。目の前の、一見して女性の風貌を持つ剣士は変わっていなかった。
――――性根は只管に。曲がらず、様子見の甘さなど欠片もなく、それがトラブルの元となることもあった。誰より、隊員に対する感情を隠さない男であるということ。そんな男が、謝罪をしても変わらない。変わらず、怒気を周囲に纏っていることにマハディオは首をかしげた。
一体何に対して怒っているのか。その問いに対し、樹は今度こそ振り返って顔を見据えて告げた。
「お前が謝るべき相手は三人いる。二人はビルヴァールとラムナーヤ、もう一人は僕ではない」
「………は?」
「ガネーシャ軍曹の事を言ってる!」
そうして、樹は滾々と説明をした。あの後のガネーシャが軍曹がどういう様子だったか、そして今も手紙が頻繁に送られてくると。
「残された者の気持ちを考えろと言うんだ。全くどいつもこいつも………」
「あー………それについては謝るしかないな」
連絡が取れないのは、理由があったから。だけどそれは言い訳で、声にすることではないとマハディオは考えていた。
だけど言われるままでは、堪える。実際に紫藤樹の言葉は刃の鋭さを帯びているのだ。
不器用で、言葉を選ぶということをしない目の前の男女の罵倒は女性に説教されているようで、更に辛くなるというもの。マハディオは話題を樹の方へと逸らすため、この基地にやってきた理由をたずねた。樹は話をぶった切られたことに不快感を示しつつも、生真面目に理由を答えた。
「………四国の件でな」
言いづらそうな樹に、マハディオは事情を察したかのように言った。
外には漏らせない類のことかと。だが、樹は否定した。
「差し障りは無いさ。どの道漏れても意味がない」
「そんな事か。しかし………五摂家直々ってのがな。帝国軍と斯衛軍との関係脈絡がないように思えるんだが」
「あると言えばあるさ。表向きは事の真相を直に確認するということだが――――」
告げられた内容に、マハディオは納得の表情を示した。
そうして、九州から四国で起きた一連の戦闘について、何が起きたのか説明しはじめた。
一方で、恐らくは緊張の空気が基地の中で一番高まっているであろう部屋の中。自己紹介を終えた少年と少女と、付き添いの女性は対峙していた。互いに椅子に座っている。そして少女はしばらく少年の顔を、観察するようにまじまじと見つめていた。
「………あの、俺の顔になにか? 斑鳩大佐にも見られたんですが――――あ、ひょっとして寝癖でもついているとか」
「いえ………少し。こちらの話です。寝癖はついていませんよ、鉄大和少尉」
「はあ、ついてませんか」
確かめるような名前を呼ぶ声。武はその言葉の色に観察の色が含まれていることは感じていたが、追求はしなかった。あるいは、先ほどの斑鳩大佐とは違い、目の前の五摂家の少女は自分が帝国の害になるものかを確かめに来たのかもしれない。武は緊張した面持ちでじっと静止したまま、対面する二人を観察した。
そして、ふと首を傾げた。特徴的な髪型に、紫の色の髪の、同い年ぐらいの少女。隣に居るのは、緑の髪の女性。この組み合わせは、どこかで見たことがあるような気がすると内心で首を傾げていた。
(思い出せないな………でもあるとすれば、日本に居た時か? テレビにでも出ていたっけか)
武はそこまで考えた後に、五摂家なのだから、そのようなこともあるかもしれないなと流した。まさか自分に五摂家と接したような記憶はないのだから当たり前だと。というか、普通はあり得ないのである。武家の棟梁である大将軍、その候補である方々とは知識だけ持っていた。樹より教えられたことを忠実に思い出した武は、気のせいだと思うことにした。一方で、青の服を纏っている紫の少女は目を閉じて。そして一拍を置いて、本題を武に告げた。
表向きは、四国での出来事の真偽を確認するということ。だが実際は違いますと。
そうして武は自分に会いに来たという理由を聞かされると、驚きながら確かめるように答えた。
「それは、彩峰元中将閣下の?」
「はい。彼の者が退役される前日に、こう言ったのです。“義勇軍に、一度会って話すべき衛士がいる”と」
詳細も理由も、なんの説明もなかったという。
「ですが、教師役からの提案でありますから」
「意味がないはずがない。何らかの理由があると思ってますか」
言った途端、武は刺すような視線を感じた。見れば、赤の斯衛の。名前を月詠真耶というらしい眼鏡をかけた女性が、見るだけで震えるような眼光をこちらに見せ付けている。あるいは、先ほどの真壁とかいう男よりも鋭いかもしれない。だが武も長年の女丈夫連中との付き合いに慣れているので、逆に開き直ってみせた。
「俺、ベトナムの日系人で。その、日本語は難しいので。父よりの教えがあっても、敬語まで学ぶ時間がなくて………」
裏設定を活かした伝家の宝刀だと、開き直っても弱々しく。告げられた言葉に、真耶は黙りこんでしまった。目の前の少年は主と同じ年頃、つまりは15歳ぐらいである。そして衛士としての能力を思えば、もっと小さな頃から戦場に駆り出されていたはずだ。そんな日系人が、ここまで日本語を扱えるのだけでも賞賛に値するものである。
故に真耶は事前に言い含められていたこともあり、100歩譲る思いで沈黙を選択することにした。武は取り敢えずは矛を収めてくれたのだろうと、喜んだ。なにせ、英語での会話を始めて6年あまりである。同年代の日本人より英語での会話に慣れてはいるが、それでも偶に相手の意図を聞き違えることがあった。
日本で10年、海外ではまだ5年。英語よりは、日本語の方が相手の意図を把握しやすかったのだ。先ほどの斑鳩大佐と話していた時は予想外の来客に混乱したまま、そんな考えはどこぞに吹き飛んでいたが、現状を改めてみて思った。仮にもトップとの連続対談とか異常だろ、と。相手方の地位の高さが洒落になっていない現状、ヘマをすると生死に関わりかねない。
(だけど誠意に応えないのもな)
武は自分なりに、状況から相手の動きを推察していた。言葉を信じるならば、そんな中で目の前の五摂家の少女は、教師の教えを全うしようと動いたのだ。それが嘘ではないと。武は理由もなく、それが事実からくる言葉であると確信していた。根拠などない。だが、それが正しいのだと、どこか遠い自分が確信していた。一方で表向きの理由を正直に告げて、裏で何かを得ようとしている武家の頂点に立つかもしれない者。
武は強かであるという感想を抱いた。それでも不快にはならない強さであると感じていた。
だから、嘘はつかない方向で応えることにした。今までに出会った色々な人物に散々に言われたことがある。自分が嘘をつくには向いていない性格だということ。下手な誤魔化しは多方面に渡って損を生むかもしれないと思い、正直に彩峰元中将の教えについて考えた。
そして、自分なりの推測として悠陽に告げた。元中将が理由について直に教えなかったのは、自分で気づくべき事だからと。似たような教育を受けていた武は、その理由について考えてみることにした。
だが、それらしき答えが考えつかない。
一方で悠陽は、自分なりの答えはありますと前置いて、告げた。
それは彩峰中将の信条を示した言葉である。武は思い出しながら、その言葉を口にしていた。
「“人は国のために成すべきことを成すべきである。そして国は人のために成すべきことを成すべきである”………でしたっけ」
「はい。その上で中将はこう言っておられました。人を導く立場にある者は、多くの人と話すことを。誰より人を知るべきであると」
国というものがある。人というものがある。互いが為にと謳う信条がある。だが、それは人を知らぬ者が為せるものではないと。悠陽の言葉に、武は頷きながら答えた。
「………確かに。自分は人を数でしか判断しない指揮官に率いられたいとは思いません」
「それは、実体験からですか?」
「はい。自分の経験からくる、答えであります」
軍が合理主義だということは知っている。生還するもの、戦死者の数という論点に軽重を置くのは当然のことだ。勝利とは死者少なく、目的を達成した時にこそ得られるもの。
だが、人は駒ではない。人間は感情に動く事が多く、あまねく誰もが理屈だけを支柱にして戦う、などはあり得ない。特にBETA相手の戦闘にはその面が多い。異形を見て恐怖に竦む者がいるし、喰われる音に怯える者がいる。それを知らず、ただ上から目線で“軍人だから怖がるな”と言われて、はいそうですかと戦える者は多くない。
説明する武に、悠陽は言う。
――――どのような指揮官に率いられたいのですか、と。
その問いに、武は即答した。
「人間として戦うこと、それを想わせてくれる指揮官です」
口汚くたっていい。罵倒されたっていい。だけど、戦っている自分が人間だと。
「…………何のために戦うのか、それを知らせて、守るべきだと思わせてくれるような。ちょっと、上手くいえませんが」
困った風に返す武に、悠陽は苦笑しながら答えた。少し分かったような気がしますと。
「私なりの解釈ですが………一緒に戦うという事を意識させてくれる者を言うのでしょう」
優秀な指揮官とは、つまり率いるということを実感させてくれる者を。
悠陽の言葉に、武はその通りであります、と頷いた。
指揮官であっても人間で、だからこそ同じ戦場で戦う者として意識をさせてくれる者が。何を目的に、何を背負って。同じ志をもって自分たちは戦うと、命を賭ける理由を明確にしてくれる指揮官が良いと。
「其方が経験した中には………その、“そう”ではない指揮官もいると?」
「はい。多くはありませんが――――自分の事しか見えていない指揮官がいました」
武は思い出しながら、苦々しげに語った。中隊に居た頃、国連軍から大東亜連合に所属が移りゆく中で戦った場に、そのような無能かつ傍迷惑な指揮官はいなかった。
だが、義勇軍として戦ってからは幾度か目にしていた。仮にも高級軍人で、その戦場における勝利条件は把握しているのであろうが、実際に手を動かすものを理解していない無能がいたのだった。何もかもが咬み合わない。つまりは兵士達を駒としてしか動かせなく、連携の事を考えられない指揮官がいたのだった。前もって、武も噂を聞いていた。派閥の力によって成り上がった指揮官で、容易い戦場でしか指揮をしてこなかった愚物と。聞いた時、武はまず否定の思考を浮かべていた。いくらなんでも、そんな事はあり得ないだろうと。
だが、事実は残酷であった。贔屓が惨事に繋がることを知った瞬間だった。大した確証もなく個々の兵種に指示を出していた指揮官。命令を遵守しろと声を高くして喚き、そのせいで全体の動きが鈍った。そして、予想外の増援があって、そこで終わり。戦況は前にも後ろにも進めないような状況になった。指揮官の勝手な思い込みに端を発する、お決まりの台詞を最期に言ったのだ。
“何故こうなったのだ”と。ひと通り語った武は、締めくくるように嘆息した。
「負けた理由を理解していないんです。人間を見ていなかった。駒だから、階級が下だから、命令に従うべき軍人だから、その上で上手く動くべきだと。それまでは周囲のフォローがあって、何とか回っていたんでしょうが」
ボロが出たのがあの戦場で、そして最期になった。
「理屈で武装して。兵士が自分の思い通りに動くのであると、勝手に思い込んでいた。結果はいわずもがな………酷い負け戦でした」
「そのような者が………その後の事は、どうなりました?」
「戦いの最中に“事故死”しました。そのお陰で、自分は今こうして生きています」
銃声にくぐもった声。武は当時の事を思い出していた。もしあの時、補佐役の軍人がああしなければ、もっと酷い状況になっていただろうと。戦場における兵士に与えられた役割は砲弾や剣と同じでもある。だが使う人間がその性質や用途を熟知していなければ戦うことはできない。愚劣な指揮官はそれを知らない。確かに武器であろう。だが、兵士が人間でもあることを忘れるのだ。
「士気は水物で、すぐに変わり、流れゆくもの。自分は教官よりそう教えられています。そして何より、自分だけが戦わされていると思わされるような兵士は動きが鈍くなります」
考えるからこそ惑う。それは利点でもあるが、活かせない指揮官は欠点だと言う。
違いはそこにあり、それが人を率いる者の大半となる。
「………共に人間であり、共に戦うということを。言葉に示さなくても、全員に意識させる指揮官が優秀であると」
「はい。勝つのは大事なことですが、戦う人間が何をもって勝利であると知るのが………何を達成すれば生きて帰ることができるのか。それをうやむやにしない人こそが。一緒に勝ちたいと、そう思えるのであれば、死んでこいと言われても納得できるような気がするんです」
死ぬような命令がある。だが、その意味は、自分が死ぬ目的は何であるのか。自分が死ねば、誰かもっと多くの人が助かるのか。知らずに死ぬことが認められないのだと、武は言った。無意味な犬死にこそを、兵士は恐れるのであると。
「兵は勝つことを喜び、久しきを尊ばず………だが、兵とは死を扱うこと。その果てにある勝利を実感させ、共有化することが肝要であると」
「はい。俺だって無理な命令をされれば泣きたくもなりますし、誰かを助けることができるなら………あんな、死に様を防げたというのなら」
感情をコントロールする術はあれど、感情が生まれることだけは消すことができない。
兵士だって泣きたくなることがある。そして終わった後に笑いあうには、どうすればいいのかを。
「大切な人を失えば、悲しいです。勝てば嬉しいですし、笑いたくなります。仲間を悪くいう奴に対しては、怒ることもあります………………って、どうしましたか!?」
「―――いえ」
武は慌てながら問うた。なぜなら、答えを聞いた目の前の少女が、沈痛な面持ちになったからだ。そのままじっと、自分の顔を見据えている。果たして、自分は何かいけないことを言ってしまっただろうか。
武の混乱をよそに、悠陽は。ゆっくりと目を閉じた後、絞りだすような声で、言葉が紡がれた。
「………そうですね。笑いたい時に笑う。それが正しい人間の在り方かもしれません。感情は呑まれずとも、生まれる事は避け得ぬものと」
「はい。それを忘れて物として扱ってしまえば………兵士は“モノ”のレベルでしか動きません」
成長もしないし、単純なスペック以上のことは期待できなくなる。連携も取れなければ、フォローもしあえないと。それでは、純粋に数で勝るBETAの方が有利になってしまう。
一方で、人間であるはずの指揮官は、感情のままに動いてはいけない。難しいと武はまた色々な経験談を話しはじめた。色々な戦場で戦ったこと。義勇軍として動いた経験を。悠陽はそんな武の話を聞いては頷き、自分なりに解釈をして言葉にする。まるで答え合わせのよう。武は話している最中で、煌武院悠陽の頭の良さに驚いていた。自分の言いたいところを正確に把握して、言葉にして答えるということ。それは真面目に自分の話を聞いているという証拠に他ならない。
そして本質を見極める目に、畏怖さえも覚えていた。
ただ、気になることがあった。特に辛かった戦場の事を話していると、辛そうな目でこちらを見てくるのだ。そこにあるのは、同情ではない。見下すような視線でもない。かといって何を思っているのか、武には分からなかった。だが武は内心で首を傾げつつも、時間を無駄にしてはならないと、話し続けた。
そうして、話し始めてから一時間が経過してから。じっと黙って会話を聞いていた、赤の斯衛の女性がすみませんと前置き、会話に割り込んだ。そろそろ、お時間です。告げられた悠陽は頷くと武の目を見ながら、感謝の言葉を告げた。
「其方に感謝を。机上では学べぬことを。戦場での経験談を聞かせて頂けました」
「いや、俺は……その、そんなに難しい事は分からなくて。専門的な知識にも乏しく、普通の言葉しか………もっと分かりやすくできればよかったんですが」
「いいえ。難しい言葉を使われるよりも良かったと、そう思います。飾らない言葉と、実感が篭められている言葉は………深く理解を深めることができました」
悠陽は決して世辞ではありませんよ、と微笑みのままに答えた。何度も経験したことであれば、言葉は自然になるのですね、とも。どこか、悲しそうにしながら呟くようにしながら。瞬間、表情を元に戻して、武のやや青い顔を見ながら言った。
「此度の連戦で、疲労も抜けていないでしょう。嫌な顔を見せずに………其方は寛大な心をお持ちなのですね」
「はい、いいえ。この程度の連戦などまだ序の口ですから」
2日程度ならば徹夜してでも戦えますと。確かに立て続けに色々と参る事があったけど、疲れたのは精神的なものだけ。体力的にはまだまだ余裕があると、力こぶを見せながら言う。それを見た悠陽は、くすくすと楽しげな笑い声の後の何気ない風を装って、告げた。
「紫藤大尉に聞いていた通りです。変わり者だとは聞いてはいましたが………」
「え、樹が?」
懐かしい名前を聞いた武は、深く考えないまま思った事をそのまま口に出した。
以前に樹自身の口から、自分は斯衛には戻れないだろうと言っていたのを覚えていたのである。
それなのに、何故今になって。武は、自分が口ずさんだことに、はっとなってすぐに口を押さえた。
対する悠陽は、微笑みを絶やさないままに問うた。
「その通り、紫藤樹大尉です。彼の英雄中隊の衛士を呼び捨てとは………かなり親しい間柄だったのですね?」
「あ、いえ! ほら、同じ………じゃない、その………に、日本人と日系人ですから!」
取り繕うように、武は色々と話した。どのように知り合ったのですか、と聞かれると慌てながら理由を探し、思った事をすぐに口にした。
「ほら、だって、樹、じゃない、紫藤大尉って女顔でしょう! 罰ゲームだと思いますが、女装させられてる所を見つけて! ほら、目を引きますし、だから!」
日本語がややおかしくなりながらも、武はまくし立てた。告げたあまりにもあまりな内容に、聞いている一人は顔を引き攣らせ、一人は楽しそうに笑っていた。
そのまま、また数分が経過した。
いよいよもってまずいと思ったのか、月詠が悠陽に焦った顔をみせていた
「分かっています。名残惜しいですが別れの時間が来たようです」
「こちらこそ。悠陽様と話せて、良かったです」
斑鳩大佐には、役割とすべきことを。目の前の少女には、歩いてきた道を。自身が経験した色々な事を思い出しつつ、話し。短く、優しくもなかった旅路の中で、灰色の記憶があった。思い出すだけで吐き気が込みあげてくるようなことがあった。良かったことも勿論あるが、逆の事の方が多かった。日本で居た時のことが薄れる程に、記憶が擦り切れるほどに色々なことがあって、道中で色々なことを知ってしまった。
人間というものを。
銃後の世界の中では理解できなかったであろう、銃火の中の世界のことを知った。
整理しきれないほどに記憶は多い。耐え切れずに捨て去った記憶もある。だけど問いかけられ、答え。答えて、問いかけられ。確認を繰り返して、ようやくだと。言葉として形にすることである程度は整理をつけられたかもしれない。武がそう告げると、悠陽は頷き、そして答えた。
「こちらこそ。一助になれたのであれば幸いです………辛いことがあったのでしょうね。私にはそれを察することしかできませんが」
「そうですね………………辛いことが、ありました」
長い呼吸に。武は万感をこめて、答えた。その様子を見た悠陽は、武の両眼を真正面から見据えた。
「改めてお礼を………四国でのこと、謝罪を申し上げます。そして多くの帝国の民を守って頂き、ありがとうございました」
「いえ………」
戸惑った言葉を返す武だが、内心で驚いていた。四国でのこと、色々な事象、その詳細は未だ報告されていないのは明白である。確証が得られるのはまだ時間がかかるというもの。
それなのに、煌武院悠陽は自分を信じていた。本来であれば、それは言葉にしてはならないはずの。
ともすれば正式な回答とできる程の。証拠として、隣にいる赤の斯衛が動揺を隠せていないでいる。
武はそれを噛み締め――――そして、言い知れぬ感情に襲われていた。
助けた相手から装飾もなく、本心からの感謝の言葉を告げられる。それは当たり前のことかもしれない。だけど今回に限っては、聞けなかった言葉だ。だからこそ、武は自然と思い出てきた言葉で返していた。
「こちらこそ………ありがとうございます。感謝を、示してくれて」
「………鉄少尉、貴方は………」
「ありがとうございます。ありがとうと言ってくれて」
それ以上は言葉にならなかった。武は溢れ出る感情に名前をつけられず。ただこみ上げてくる何かを抑えるように、目頭を手で押さえた。辛そうにする武を悠陽は見た。
そして静かに深呼吸をした後に、問うた。
「………其方は指揮官にあらず。民より編成されし義勇兵にすぎません。それなのに何故、痛みを耐えて戦うのでしょうか」
感情がある人間であれば、あるいは逃げる道も。問いかける悠陽に、武は苦笑しながら答えた。斑鳩大佐と同じことを言うのですね、と。すると悠陽と月詠は、虚をつかれたかのような表情になった。
まるで戸惑うかのような、意外な言葉を聞いたかのような。武はそんな二人を見ながらも、答えた。
「確かに辛く険しい道ですが、自分で選んだ道です。今はどうであれ、切っ掛けがあって。でも、自分は選びましたから」
「戦いから、逃げない事を?」
「――――全てを賭けると。自分に、そう誓いました」
絶望の戦況を知った。必死にやっても守れないものがあると知った。だけどその上で選択し、苦境を飲み込んで、ここまで来た。今更もう戻れないじゃないですか。武は笑って答えてみせた。
「戻れないのなら、せめて前に。歩くのなら、自分の意志で進みたい………ままならないことは多いですが、それでも答えは前にしかありませんから」
そして、戦友から託された願いがあります。武は目をやや逸らしながら答えた。
「国に対しては………まだ少し思う所が色々とあって、国のために命を捧げるとまでは。ですが、命をもって託されたことがあります」
赤穂大佐は言った。四国を、そして帝国の民を頼むと。
碓氷風花は言った。お婆ちゃんを、この国を頼みますと。
だからこそと、武は言った。
国というものは知らない。だが、顔を知っている戦友達の頼みであれば、それに応えることに異論など無いのだと。
「人のために、戦場に向かいますか」
「あるいは自分のために。賭けると誓った、あの日の自分を取り戻すために」
みっともなくても、戦います。武の言葉が、二人の女性の耳目を震わせて消えた。
人のために。言葉が残響のようにして、悠陽の中の何かを揺さぶった。そんな中で彼女が口にできたのは、感謝の言葉だけであった。
悠陽は、其方に感謝をと。月詠真耶は何かを噛み締めたまま。
二人はそう残して部屋を去っていった。
静かな排気筒の音、待たせている車、悠陽はその中に乗り込むと、開口一番に告げた。
「月詠………鎧衣課長に連絡を。確かめなければならない事があります」
「悠陽、様?」
一体何を。見たことがない程の怒気に圧され、問いを返した真耶に悠陽は答えた。
「――――白銀武という少年を。あの日、私とあの子が出会った彼について」
煌武院の名の下にある者達が“何を”したのか、当主として知っておかなければなりません。
その言葉は衝撃と共に重く、悠陽の胸の奥底を圧迫し続けた。
「人との出会いに、様々な事を学ぶ。それは道理でありますが…………ままならぬものですね」
武はようやくと、部屋に戻ってこれた事を確認する。自分の命がついているか、心臓の音を確かめながら。そして待っていたマハディオを見るなり、安堵のため息をついた。
「随分と顔色が悪いな………そんなにきつかったのか?」
「きついなんてもんじゃなかった。流石に二連続はねーって」
武は答えたまま力なく、硬いベッドに倒れこんだ。一時間後には訓練が始まるが、それまで休むと言ってそれきり。まもなく、寝息の音が聞こえてきた。マハディオは椅子に座りながら、そんな少年にしか見えない姿をぼおっと眺めていた。
そして、先ほどまで部屋にいた紫藤樹が残していった言葉を。
消えない、呪いのような言葉を反芻していた。
「………たまらねーよなぁ。もう、一体何がなんだか」
紫藤樹は、言った。今は武に会えない。何よりあの子を忘れている状態の白銀武に会うと、自分でも何をするのか分からないからと。こちらに顔を見せないままに告げた。声は低く、遊びなど一切ないそれは触れれば斬れると思わせる程の危うさで。
そうして紫藤樹は、自分が今国連軍にいる理由について告げたのだった。
理由は簡単で、戦友から託されたから。ビルヴァール・シェルパが自分だけに遺した言葉に従ったのだと、そして最期の言葉をマハディオに教えた。
――――あの子を頼む、恋敵。そしてとどめにと、樹より武宛ての伝言を頼まれた。
思い出したのなら、伝えて欲しいと前おいて、紫藤樹は告げたのだ。
消えた銀の光の姫君は、第四のお膝元に――――死なず、生きていると。
言われた通りに呟きながら、それでもマハディオは何をも分からず。
ただ、何もない虚空を見上げることしかできなかった。