Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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15話 : 邂逅・前編

「じゃあ、あいつらが墜ちた所を見た奴はいないんだな」

 

京都へと向かう道中のこと。マハディオ・バドルは四国で交わした会話を、思い出していた。あの二人がMIA認定されたその背景について、当時は東南アジアで戦っていたという初芝八重と情報を交換していた時のことだ。不可思議な事が多かったと、ため息ながらに告げられた。

 

「ああ、あの二人がMIAになっていると知ったのは基地に帰投して、しばらくしてからやな。それこそ寝耳に水やったよ」

 

生還した衛士のほとんどが、クラッカーズの12人が全員無事であると勝手にそう思っていた。

当時の事を、苦々しそうに語る。

 

「実際、あの穴っぽこに突入した時には12機とも健在やった。その報告で全部隊の士気が沸騰したからな。記憶違いってのもあり得へん」

 

そして、Sー11の震動と激音が。初の偉業に、だからこそショックだったという言葉には苦味が含まれていた。

 

「尾花大尉、いや少佐か。あの人は紫藤を問い詰めてた。何か、裏の事情があるんじゃないかってな。私もそう思いたかった、けど」

 

あの二人の姿は見られなかったという。その衝撃は大きかったらしい。無理もない、よりにもよって隊の最年少の二人である、少年少女の戦死。その衝撃は大きく、何人もの衛士が嘆き悲しんでいたという。だけど生きていた。あの陽炎も健在で、また最前線で奇天烈な機動を駆使して戦っていた。

 

ならばもう片方も、と思うのが通常だろう。

 

「けど、相手がBETAやからね………こればっかりは分からんか」

 

人間相手の戦争であれば、戦死したと思われていたという者がひょっこりと生きて帰っていたという話もあるらしい。だけどBETAは人間全てに容赦無い。捕虜という概念もなく、また人間を探知する能力も高いときている。誤報か隠蔽か、そうでなければ既に旅立っている、というのが通例である。

 

マハディオは色々と情報を交換した時の事、そして最後の初芝八重の事を思い出し、苦笑した。

彼女は四国で起きた事に対し、これ以上ないというほどに憤っていた。

 

「起爆装置の故障に、私のS-11のこと。襲いかかった、自軍の衛士。四国の軍を預かる者としての立場は分かる、けどそれだけや」

 

命がけで戦った衛士に感謝も労いもなく、嫌疑の言葉を投げかけるとは巫山戯とんのか、と。補佐である鹿島弥勒に後に聞いたのだが、その事を知った彼女は自分が止めなければ間違い無く司令へと殴りこみをかけていたという。かくいうマハディオも、最初にその言葉を司令より向けられた時には、穏やかではいられなかった。何より、島根で戦死した赤穂大佐の事を言及された時は、思わず罵倒の言葉を出しそうになった程だ。戦術に関して無駄も多かった所は否めないが、それでも彼は衛士としての責務を果たしたのだ。戦況を見極めれられない愚かな指揮官であれば、死守命令を連発していたかもしれない。そうなれば、あるいは自分たちは全滅し、四国の地も蹂躙されていただろう。それを未然に防いだのは間違いなく、あの指揮官の命を賭けた判断であるのだから。

 

「………島根の部隊も痛撃を受けたとは聞いてる。途中で南下した部隊について、非難の念を抱いているものが居るとも。

あの司令はそこに目をつけたんやろうな。詰問に絡めてお前たちの責任を追求してついでに、と

………外には出せないこの基地の失策をひっかぶせようというんやろう。後ろ盾を持っていない、ややこしい派閥にも属していない者達や、横から介入してくる者もいないと、そう思いついたから………」

 

そして司令は、武達に対し徹底的に論点をずらしながら尋問を続けさせた。九州から島根、そして岡山での部隊の動きについて問いかけながらも、何故お前のような者が日本製の戦術機を使っているのか。あるいは、その年齢でそれだけの技量を持っているのは何故か。怪しいと思える所、そしてこちらが答えられない所をネチネチと追求して、正しい説明と反論を躱しながらやがては碓氷風花もお前がやったんじゃないのか、とまで。その件で九十九から疑惑の視線は外されていた。

 

陥れようとしている者達以外、当の九十九那智を含めた全員が納得していなかったが、司令は強引に事を進めようとしていた。

 

「そのまま時間稼いで、次にBETAが襲来した時に事故死させる。後は死人に口なしと、筋書きとしてはそんな所か」

 

毛頭させるつもりはないけどな、と。初芝八重は、犬歯を剥き出しにして言った。どういう事かと尋ねるマハディオに、返ってきたのは明確な反抗の意志を示すものだった。聞けば、自分たちの態度を悔いている衛士もいるらしい。それに白銀が大橋を落とし、救われたのも事実。

 

初芝は断言した。

上官に従うのが軍人の常ではあるが、それだけの材料が揃えばどうにでもできると。

 

「近畿にいるウチの派閥に話は通してる。中央から呼びかけてもらうように動いとるし、弥勒伴えばあちらさんも疑わん、どうとでも片は付く」

 

建前は、本土防衛軍として真偽を問うとして。実際は初芝が所属する派閥の力が強い京都に移動してもらい、保護するとのことだ。だが、初芝は残るという。残って、何かをするつもりなのだろうか。

マハディオは何か彼女に言葉ならぬ覚悟があることを察したが、口にすることはなかった。

 

ただ、初芝八重が四国を拠点として、次の攻勢に備えるつもりだということは分かっていた。彼女は大橋での失策を酷く恥じていた。見抜けなかったとは情けないと。あり得ないものが使われたから、とマハディオが説明をした。詳細は機密も機密なので口にはできないが、あれは防ぎようがなかったものだと慰めのような言葉をかけたが彼女は頷かなかった。

 

今のように、情けなさで死にたくなくなるのは御免だから、もっと軍人としての役割を果たすと。

気持ちとしては非常に共感できることのあったマハディオは、止めずに別れの挨拶だけを言った。

 

――――恐らく再会することはないだろうけど、運良く生きていればまた酒でも。

 

笑いながら約束を交わしたのが、つい先日のことだ。

 

そして現在である。絶対に裏切らないと太鼓判を押された鹿島弥勒と、信頼できる部下と共に京都の基地へ向かっている最中である。隣には義勇軍の部隊と橘操緒、そして鹿島弥勒率いる部隊が飛んでいた。碓氷風花は四国で療養中、そして九十九那智は残ると言った。風花を一人にはしておけないと、転属を願い、初芝はそれを受け入れた。そして壊滅したという九州の基地に代わり、補充の人員をよこしたのは初芝少佐だ。

 

彼女の上役である将官も絡んでいるらしいが、提案は彼女自身がしたものだという。

 

(新しい人員。護衛の意味も兼ねている、か………なる程な。きっと、彼女の言葉に嘘はない)

 

まだまだ安心はできないと、マハディオは気を引き締めなおした。前提として、マハディオに初芝八重という人間を疑うつもりはなかった。竹を割ったような性格で謀には向いていないように見えたし、何より曲がったことが嫌いなように見える。それに、ただ無鉄砲なだけではない。

 

武の心がまずい状態にあると、事情を説明してからはその意見を尊重し、無闇矢鱈に話しかけたりはしなかった。他人の心を想える人物なのだということは理解している。

 

だが、イレギュラーというものはどこにでも存在する。そして人間の全てが、誰かの予想通りに動いてくれるものではないのだ。言った通りに、事情を知る派閥の者であれば、義勇軍の行動を責め立てるつもりはないのだろう。

 

軍とは複数の派閥で組まれ出来ている組織なのである。日本海側からの南下はある意味でデメリットを含む行動だった。命令ではあったが、傍目から見れば敵前逃亡すれすれな行動である。

 

赤穂大佐の命令だったと主張はするが、その理由が島根にいる部隊に―――特にその戦闘で戦友を。あるいは、親しい者を亡くした衛士の耳に届くのかどうかは怪しい。四国方面に主な関係を持っている派閥の者から見ても、同じだ。

 

油断はできない、と――――マハディオは先ほどから相も変わらず、意識が飛んでいるかのような眼をしている武の方を見て思った。動きに不自然な所はないし、どこかを悪くしたようには見えない。だけど何故か、今の武は意志も何も感じられないような。

 

だけどそれは杞憂となった。指定されたポイントにある基地に着き、直に顔を合わせた時には、武の様子は戻っていた。否、戻っていただけではなかった。

 

「………お前」

 

「悪い。色々と、ごめん」

 

マハディオはそう告げる武の声に、懐かしい空気を感じていた。どこか懐かしい、アンダマンの青い空と熱気を。色々とアクシデントには事欠かず、だけど戦うことに疑いはなかった時のことを。

 

「戻った、のか」

 

「まだまだ完全ではないけど、一応は」

 

そう語る少年の顔には、まだ陰りが残っていた。だが前とくらべて、全てを否定するような。あるいは見ているだけで不安になる暗さは、いくらか払拭されていた。原因は過去にあるのだろう。だけどそれを追求しても、どこか現実的でないものを映しながら、否定されている。

 

「眼を、背けていた。見たくないから蓋をして………二度としないと誓うよ」

 

時間をかけて取り戻していくつもりだ、と武はいった。その方法は何なのか、マハディオは追求せずにただ頷いた。心身に深い傷を負った人間のケアは、非常に難しいのだ。専門的な知識が必要になるほどに繊細な作業であるのは衛士として知識には持っていた。

 

そして、人間の心は弱いが、ただそれだけではないとも知っていた。白銀武ならば余程と、マハディオは言葉にせずに信頼の意を視線で示した。

 

――――だが。

 

「あ、それで謝っておかなきゃならないことが」

 

次の言葉を聞いて、マハディオは思った。

 

(ああ、本当に傍にいて退屈しないやつだよ)

 

武からされた話。

 

その内容は要約すると、“すげーお偉いさんに命狙われてる最中”というものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、夜。形だけの尋問は終わると、武達は無罪放免だという言葉を受けていた。初芝八重の言葉に嘘はなかった。鹿島弥勒の説明を受けた、基地でも有数の発言権を持っている人物は頷くだけで納得した。

 

「当然です。あの人は、そんなくだらない嘘をつくような人じゃありませんから。補佐としては非常に苦労する人ですけど」

 

武とマハディオはそれを聞いて苦笑した。はははと笑っての言葉だったが、目が全く笑っていなかったから。恐らくは自分を遠ざける命令を出した彼女に対して怒っているのだろう。そして別件についても、まだ納得はしてないようだ。同行した他の衛士からも聞いたのだが、Sー11の事を知った時の彼はまるで鬼神のようだったらしい。

 

何故、自分に一言でも相談しなかったのかと。なのに、一転して異動の命令である。だが、義勇軍に対しての扱いについては納得していたらしいから、文句は言わなかった。武も詳しくは聞いていなかったが、そもそもの発端が四国の帝国軍にあるのだから仕方ないという思いもあった。

 

武達は弥勒に、本当であれば勲章ものの結果を出したのにこんな事になって申し訳ないと、何度も繰り返し謝られていた。大橋を落してくれたことに感謝していると、何度も頭を下げられていた。

 

基地のお偉いさん、名を八神という髭の少将も苦い顔で同意していた。

彼も真摯に謝罪する弥勒と、鹿島中尉の責任じゃないと慌てる武の様子を見た後に、結論を下した。謝罪を挟み、まだ完全ではないが、当面は義勇軍のことを信用することに決めたのだ。

 

故に、対外的には審議の最中として、実際は解放されたに近い扱いに戻っていた。ただ、王は始終無言であった。武の方をじっと観察するようにして、その他は気の抜けた態度ばかり。

本来であれば処分ものの対応だが、疑念の後ろめたさがあったので追求はされなかった。

 

それでも橘あたりは始終額の血管が浮かびっぱなしだった。平時であれば我慢もできたかもしれない。だが精一杯戦った挙句に理不尽な目にあった姿を見て、その原因が帝国軍人の一人であることを聞いて酷く動揺していたのだった。橘は精神的にも不安定になっていて、王は相変わらずの態度を続けていた。当然のことながら解決などならず、今もまだ二人の間で一触即発の雰囲気は続いていた。

途中に武とマハディオの制止の言葉もあってか、殴り合いの喧嘩には至っていないが、武はそれも時間の問題のように感じていた。

 

だからこそ、手近にある問題から片付けていこう。しっかりとした武の提案に、マハディオは承知したと頷いた。

 

 

そうして、あてがわれた個室に戻って―――――そして、次の日の早朝。許可をとっての朝のランニングを終えた後、武はマハディオと部屋で今後の方針を決めることにした。

王は相変わらず長いトイレの最中。ここ最近は特に時間が伸びに伸びている。まさか日本の美味しい合成料理が口にあわなかったとも思えないが、と武とマハディオは首を傾げるばかり。

水という可能性もある。ともあれ、何かあれば王の方から言ってくるだろう。

 

今は他のことをと、誰もいないことを確認したマハディオは、武に告げた。

 

「久しぶり、とでも言おうか戦友」

 

「ああ、久しぶりって………やっぱり、俺の様子がおかしいのは分かってたんだよな」

 

武はマハディオに苦笑を返した。当たり前だと、マハディオが肩をすくめる。

 

「大体が大人しすぎるんだよ。俺の知ってる白銀武は色々とやらかしてくれる男だったしな………って今もけっこうやらかしてるか」

 

「ひ、ひでえ」

 

武は傷ついたような仕草を見せた。だが、反論できないだろうというマハディオの指摘に頷くしかなかった。大陸でも日本でも。そうして、何だかおかしくなって二人はしばらく笑いあった。

 

「っと、再会の挨拶が済んだ所で、本題に移ろうか」

 

武はマハディオの言葉に頷き、自分の事情をある程度説明した。10歳の時に、影行を追ってインドに渡ったこと。だけど実はそれがあり得ないことだったという事情やその他もろもろの推察。

命が狙われた理由も説明するが、返ってきたのは同情ではなく、疑問の声だった。

 

おかしいな、とマハディオは言う。

 

「皆目分からんことがある。仮に命が狙われているのが本当だとして………そのお偉いさんは、なんでそんな回りくどい方法を取ったんだ」

 

そんな、教育を司る機関の人間にまで干渉ができるなら、人一人の死を事故に偽装させることも可能だろう。戦時であれば尚更のこと。なのにどうして、わざわざインドに行かせる必要があったのか。

自国内で手を下すよりも不確実な手段だし、現に武はこうして生き残って日本へと帰還している。

 

「まあ、それもお前が普通じゃなかったからだけど。もう一度確認するが、インドに行こうと思ったのは、その先生から教えられてのことだったんだよな」

 

「ああ、どうしてもというのであれば方法はあるって。あの時は、親父のことを心配してる俺を気遣ってのことだと思ってたけど」

 

実際は、意図あってのこと。目的はインドで死ぬようにと。当然のことながら、普通の少年であればあの時期のインドに行けばまず生きていられない。衛士になったのなら尚更のことだ。

 

「それになあ。都合よく衛士の促成訓練が行われていたことも引っかかる」

 

どこからどこまでが仕込みだったのか、武は疑いの思いを抱いていた。ターラー教官が提案したことはあり得ないし、反対の声も上がっていたというが、決行されたあの実験。あれには、何らかの取引があったのかもしれないと考えた。志願しなくても、誘われていたかもしれない。そして、短期間で促成栽培した子供の衛士など、死ぬためにいるようなものである。

 

いくら才能があるとはいえ、武のような短期間の訓練しか受けられない子供が実戦に出れば死は免れない。それは高高度で飛べばレーザーに撃ち落されるというぐらいに疑いようのない結果である。仕掛けた人間としての狙いはそこにあるかもしれない。だが、物事には万が一が、という言葉もある。何故、やり直しが利くような、近い位置にいる間に直接的に手を出されなかったのか。それが不思議でならないとマハディオは思っていた。

 

「………そういえば、何でだろう。今狙われないのは、元帥の影響があってのことだと思うけど」

 

殺すのはまずいと、そう判断されているからである。あるいは、鉄大和が白銀武であるということが、知られていないのか。だが、帝国の諜報部は大東亜連合のそれより優秀であり、武とマハディオもそれを聞いていた。全員が全員察していないと思うのは、楽観的に過ぎる。

 

意見を交わしながらも、武は今の自分が殺されないのは、何らかの殺せない理由があってこそのものだと思った方がいいという結論に至っていた。

 

「インドに行くように仕向けたのも、そういった理由があったからかもな」

 

「国内の事故死じゃあ、いらない捜査が起きるかもしれない。だから他国の最前線で死ぬ方が不自然じゃないから、とか」

 

「まあそっちの方が自然だからな。親父さんに会いに行って、そこでBETAに襲われて死んだ。だから仕方ないって――――」

 

マハディオはそこで言葉を止めた。引っかかる部分があったからだ。

 

「そう言えば武よ………お前、自分の母親について親父さんに聞けたのか?」

 

マハディオも、バングラデシュに居た頃に武に提案したことはあった。武もそれを実践し、だが結局は何も説明されなかったことも知っている。相談を受けていたから、あるいはサーシャと同じ程度には知っていた。そんな彼だが、一つだけ噂を聞いたことがある。

 

「ガネーシャに、聞いたんだけどな」

 

「ああ。今、マハディオが顔をあわせたくない人ナンバーワンの」

 

「俺は最近、怒ったあいつに殴り殺される夢を見ることがある。週一で」

 

「多いな!?」

 

どんだけ後ろめたさ持ってんだよ、と武がつっこむが、マハディオは青い顔で首を横に振った。武は無理もないと、ため息をつく。実際の所、マハディオの義勇軍に入った経緯は無茶苦茶なものだ。何も言わずに精神病棟を抜けだして、かつてのツテを頼って直談判である。そういった事情もあって、マハディオが義勇軍に入っているのを知っているのは武だけとなっているのだ。つまりは、消息不明である。そんな置いてきて心配ばかりかけさせている幼馴染であるガネーシャがどう思っているのか、武は一度だけ尋ねたことがある。

 

だが、恐怖に震える様を見るとそっと追求の言葉を下げた。

 

「だあ、あいつの事はいい! 今はお前のことだ、具体的にはお袋さんの!」

 

マハディオが言うに、ガネーシャは一度だけ見たことがあるらしかった。あの、影行が常に持っているロケットの中にある写真の人物のことである。絶対に口外はするなと念押しされたけど、と前置いてマハディオはその特徴を語った。

 

「黒い髪に肩まで伸びた髪。笑顔が綺麗な、美人だったらしい」

 

「………それだけか? いや、教えてもらえるのはかなり嬉しいんだけど」

 

今まで話にも聞いたことがない、産みの母親の話である。武も、自分が頼りになる年上の女性に一部母親を重ねていることは自覚していた。日本にいた頃は鑑純奈を。そして誰か曰く、軍に入ってからはターラー・ホワイトを。それでも、自分を産んだ女性を。影行が今も忘れておらず、説明はできないと苦い顔で語る人のことだ、知りたくないというはずがない。

 

追求する武に、マハディオはにやりと笑って言葉を続けた。

 

「特徴は、ある。少し前までは分からなかったが、今ならば判別できるものがな」

 

「それは、一体どんな?」

 

「なんでもその人物は、赤い服を着ていたらしい………それも、軍服のようなデザインの服を」

 

「………ちょ、っとまってくれよ」

 

赤い服は派手である。それを軍服にしようなどという軍は、一つしかない。

武も、義勇軍として動いていた時に、大陸の基地で一度だけ見たことがあった。

 

「帝国斯衛軍、それも“赤”っていうと………!」

 

「五摂家に近い、有力な武家だったか。俺には武家がどういうものなのか、そのあたりがよく分からんが………貴族っぽい家か?」

 

「近いな。昔で言えば大名とかいうやつらしいけど」

 

武はその辺りの機微も知識も持っていなく、上手く説明できないでいた。

だが、重要な部分は別にある。

 

「相当な家柄だってことだ。その出身者しか着ることを許されない服だよな。親父さんがお前に隠していた事情も、そのあたりにあるのかもしれん」

 

隠し子だったとか、とは言外に含めて。

 

「もしかしたら、そうかもしれな………ちょっと待てよ、じゃあ俺の命を狙ってるのって、その赤の家出身の………隠し子、だからか」

 

つまりは母親が。だが、即座に否定の言葉が入った。

 

「いや、違う。その母親の意志は介在してないだろうな」

 

驚く武に反して、マハディオは冷静に否定する。あまりの落ち着きっぷりを不審に思った武が問いかけるが、その答えは簡潔なものだった。白銀影行が惚れた女だから、と。

 

「整備班長、白銀影行曹長は本当に大した人さ。骨太っつーか芯がしっかりとしてるし、何より愚痴をいわずに明るく汗水を垂らす、男らしい努力の人らしいからな」

 

ガネーシャから耳がタコになるぐらいに聞かされてた、とマハディオは言う。

 

「俺も、そして俺以外の人間もそう思ってる。勤勉で努力家で卑怯な所もなくて。そんで今は連合の技術部の実質的な頂点だぜ? 多少の幸運があったかもしれんが、それを疑う奴はいないって話だ。人柄と努力だけでそこまで上り詰めて、そこから引きずり降ろそうって奴も少ないってのは並大抵のことじゃないぞ」

 

噂レベルだが、マハディオは耳にしたことがある。とある日本の技術者の躍進と、近年の連合軍の戦術機に関する技術力の上昇の内訳を。真面目で有能だけど硬過ぎない。甘くないし厳しい所もあるが、嘘だけは決してつかない正直者。それでいてどこか、人の心をつかむような雰囲気を持っている人であると。

 

「そんな人が、自分の子供を殺すような女を好きになると思うか? それも、ずっとロケット持って、大勢の女の告白を断ってよ」

 

マハディオは思い出すように白銀影行の事を語った。一部の女性に人気があったのは有名な話だ。どこで知り合ったのか、様々な美人と知り合っては告白されていた所を見た者は多いらしい。そのどれもがいい女だったという。だけど、結果はいつも同じだというのも、同じぐらい有名な話だった。困ったように笑って、ロケットを握って、無言で首を横に振って。

 

――――『ありがとう、だけどすまない』と告げるのだ。時に目の覚めるような美人に、しかも金持ちかつ人格者の女性に好意を抱かれていたこともあるらしいが、結果は同じく玉砕だったらしい。

 

アーサー・カルヴァートとフランツ・シャルヴェ、そしてアルフレード・ヴァレンティーノやラーマ・クリシュナに師匠と呼ばれていたのはその辺りの事情があってのことだ。

 

一途過ぎるだろおやっさん、と。漢過ぎるぜと、尊敬の念を抱いていたという。

 

「………そういえば、カーンのとっつあんも。一度、親父さんとは酒を酌み交わしたいものだな、って言ってた」

 

「ガネーシャには愚痴られたぜ。女に生まれたなら、一度は………あんなに深く、一途に想われてみたい、ってな。他の女性陣も同じ感想抱いてたらしいぜ」

 

「いや、そう言われても親父は親父だし。目玉焼きには醤油だろうが、って大人気なく怒る親父だし………………ん?」

 

そういえば俺が好きなのも醤油じゃなかったっけか、と。武は首を傾げたが、話すべき点を影行へと戻した。

 

「それで、だから、その。俺を狙ってるのは、“母さん”の意志による所じゃないって?」

 

「ああ。家の方は無関係じゃないかもしれないけどな。家を継げる立場にあるかは知らんが、もしお袋さんがそれだけの地位にいるなら………………お前は次期当主筆頭ってことになるだろ」

 

「だから、“自分でインドに行きたい”って。俺が望んで、そういう理由があって仕方なかったって、母さんに納得させるためにか」

 

ともすれば、子供の頃から監視する人間がいたように思える。だけど、そういった事情があるならば標的は自分だけということだ。万が一があっても、純夏にまで手が及ぶことは考えられない。武はそれならば安心だな、と安堵のため息をついた。

 

そして、静かに問う。

 

(これが正解で、いいんだよな?)

 

《一部はな。だけど、考えが甘い。結論を急ぎすぎてるぜ》

 

(………どういう事だ)

 

《敵を早々に定めて対処したいってのは分かるけどな》

 

そもそも、敵が一人とは限らない。声の言葉に、武は虚をつかれたような表情になった。

ぽつりと、思考から漏れでた言葉が口になる。原因は一つじゃない、と。

 

聞いたマハディオも、そういえばと口を開いた。

 

「確認したいことがあるんだが………お前が日本を出たのは、親父さんがインドに渡ってすぐ、って訳じゃなかったんだよな」

 

「それは、まあ」

 

「だったら、何らかの要因が絡んだ可能性があるな。それに、一方的に殺そうって意志がそもそも物騒すぎるもんだ。ましてや当時はたった10歳だったんだろ? 殺すにはちょっと、短絡的な方法であるようにも見える」

 

前提の情報が不足していることもあってか、結論を急ぎすぎた。マハディオはそう付け加え、また別の可能性も考えておいた方がいいと提案する。

 

思い込みは、時に心の死角を増やすようなことになると。

 

「別の可能性………いや、もしかしたら何らかの意図が絡み合った結果だって可能性もあるのか」

 

「ああ。元からそういった監視の眼はあったが――――何か、“そう”しなければいけない理由が発生したから決行した、とも考えられる」

 

だから先生を通して。そこからまた意見や推測が積み上げられるが、事前の情報が少なすぎるので、断定にまでは至らなかった。だが、何にせよ斯衛が絡んでいる可能性が高いというのが、共通の見解となっていた。

 

(それに、斯衛といえば京都だもんな………)

 

京都に元凶はいると声は言った。あの言葉に嘘がないのであれば、斯衛が絡んでいるのはまず間違いないだろう。

 

「どうする、武。切れる札は持ってないぞ」

 

「………今まで通り、ミスなく地道に戦果を上げるしかない。この戦況だからこそ、そうすれば相手も手は出せないだろう」

 

「だな」

 

実績は十二分にある。四国の件で一部の軍人に対する印象は悪くなったろうが、帝国軍人も馬鹿ばかりではないだろう。幸いにして、二人は己の衛士としての力量に対しそれなりの自負はあった。要と見られれば、暗殺もされにくくなるだろうと頷き合う。乗っている戦術機も、第二世代機の陽炎とF-18である。

 

第三世代機である不知火ほどではないが、それなりに高性能な機体で、武にとってすれば不満なく動き回れる機体だ。何より武にとっては長い相棒で、機体に慣熟した今ではそれこそ手足のように動かせるようになっていた。

 

「だが、強度の問題がなぁ………いくら光州に出る直前に“新調”したといったって、こうも激戦続きじゃ先行き不安になるな」

 

義勇軍として、武が実戦に立った回数は30を越える。整備は欠かしていないが、一時期は連日連夜の出撃もあった。ダッカで乗り換えてから数年、常軌を逸した頻度で繰り返し戦ってきた機体は、耐用年数をぶっちぎってまずいことになっていた。赤穂軍曹からも言われたことである。

 

「あのおやっさんもな………今生きてんのか」

 

「生きていて欲しいと願うよ。情けないことに、祈ることだけしかできないけど」

 

今はBETAの支配域と言えるぐらいには、浸透が進んでいる。一方でここは何百キロも離れた京都である。どだいこの状況で救援など行けるはずもなく、今は両の掌のしわとしわを合わせることぐらいしかできないのだ。東南アジアで、あるいは大陸であったいつものことだ。

 

「大抵が、届かないんだけどな。神様仏様ってのは、どうして腰が重いんだろう」

 

「そりゃ、年くってるからだろ。父なる神様とやらは特にな。今まで育てて見守って、だけど子沢山だ、生活もさぞ厳しかったんだろうさ。今は静かに隠居したいんじゃねえか?」

 

「………子供が、大変な目にあってるっていうのにか」

 

「こっちもいい年だからな。泣きつかずに自立しろってこった。素晴らしき放任主義、ああ感動して涙が出てきそうだぜ」

 

「こっちは別の意味で泣きてえ。まあ、泣いても喚いても鬼は来るけどな」

 

「泣いてるだけじゃ、拳骨も降ってくるよなぁ。まあ、だからこそだ」

 

泣かないで済むような作戦でも練ろうか、といつかのような、軽口の応酬をして。そうして二人は、新たなメンバーを加えた中隊の編成を考え始めた。とはいっても、抜けた穴に埋めるだけのことだ。王の適正は前衛のみであるし、マハディオも前には出ない。万が一にもありはしないだろうが、重荷だと切り捨てられる可能性を考えたからだった。後ろから撃たれるのを防ぐために、マハディオは中衛の後ろに下がることにした。武も、変わらず前衛。指揮を取ることはやめず、今までと同じように動くことを提案する。あとは、鹿島中尉達を納得させられるだけの説明を考えるだけ。

 

二人はそう結論を出して―――その時だった。

 

ドアがノックされる音が部屋に響く。まだ朝も早いというのに、一体何の用だろうか。

 

武はマハディオを顔を見合わせるが、居留守を決め込むことなどできないと部屋の主である武の方が立ち上がった。訝しみつつ、警戒も忘れないままドアを開く。そこには基地の軍人であろう、普通の帝国陸軍の服を着た女性の姿があった。

 

「鉄大和少尉、ですね?」

 

マハディオと武を見比べた後に、女性は言った。

面会を希望している方がいらっしゃるそうですと。

 

「面会、俺に? ………その、相手というのは分かりますか」

 

「はい、なんでも――――」

 

 

――――斯衛軍の方のようです。

 

その言葉に、武とマハディオは岩のように固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無機質で冷たく硬い、鉄筋コンクリートで覆われた部屋の中。武は、一つの覚悟を懐にしてじっと客だという人物を待っていた。何度も繰り返し、心の中で呟きながら。

 

曰く、タイミングがやべえと。

 

嫌疑のことは日本国内であれば、一部には漏れている可能性が高い。大まかには“ナシ”がついているだろうが、それでも義勇軍の動きに疑問を感じたものはいるはずだ。京都にまで攻めこまれていないため、斯衛軍には実質的な被害は出ていないし、何か文句を言われる事をした覚えもない。だからこそ納得がいかないのだ。何故今ここでわざわざ自分に会いに来る、その理由はもしや――――と警戒せざるをえない。先ほどまでの会話もあり、武はどうか穏やかな目的でありますように、と信じてもいない神に祈っていた。

 

逃げることは自らの立場を最悪にするようなものだからできないことである。

逃げれば嫌疑は確信に変わるだろう。それはマハディオ達を窮地に陥れることになるし、何より碓氷風花との約束を違えることになる。

 

できれば、急用が出来るか何かで帰ってもらえれば有難い。そう願っていた武だが、無慈悲にもその時間は訪れた。軽いノックの後、がちゃりと開くドアの音。それを聞いた武は、意を決してやってきた人物を見据え――――そして、後悔した。

 

「其方が、ベトナム義勇軍の衛士か」

 

やってきた人物。それは赤どころではなく、青の服を身にまとっていた。赤は有力な武家。では、青とは何を意味するのか。武は、小姑のように日本の常識を教えようと躍起になっていた戦友を思い出し、叫んだ。

 

(ぐぉ、五摂家ぇ!?)

 

《落ち着け馬鹿。うるさいアホ》

 

動揺する武に、何ともそっけない言葉が浴びせられた。対する男は、ただじっと武の方を観察するように見据えていた。やがて、ふ、と笑うと武の向かいにある椅子に座った。そして楽にするが良いとかいう。

 

それを見た武は、隣にいる赤い服を着た“男”を見て、思った。

 

(え、何で怒ってんのこの男の人)

 

おおかた椅子が汚いとかで怒っているんだろう。だが、見るにその怒りはどうやらこちらを向いているようだ。武は当惑した。あまりにも理不尽、あまりにも意味が不明と。前提も何もかもを覆された武は、ここからどうなるのかを考えてしまい、気が気ではなくなっていた。

 

青がどういった意味を持つ物か、それを実感としても知識としても持っていない武は現実的な危機感を持てなかった。クラッカーズに所属していた頃も、東南アジア各国のトップ達と会うような経験はあった。だが、今回はあらゆる意味で状況が異なっている。そも、自分はただの義勇軍の一員にしか過ぎないのである。なのに斯衛のトップに近い人物が自分に会いに来るなど、そもそもの意味が分からない。だが、青の服を着た男は何も言えずに硬直している武に向けて、話しかけた。

 

斑鳩崇継という、と。斯衛であり、階級は大佐であると。

 

武は自己紹介を聞きながら、確かに五摂家だな、と。

どこか現実離れした空間の中で頷くことしかできなかった。

 

「報告は聞いた。災難だったようだな鉄少尉。身に覚えのない罪を問われ、さぞ腹立たしい思いをしたであろう」

 

「………は。その、身に覚えがないとは、どういうことでしょうか」

 

思わず素で返してしまった武は、額に青筋を浮かべる赤の男を見るやいなや、思わず仰け反ってしまった。それを察したのだろう、斑鳩は付き添いというか護衛らしい赤の男をたしなめるような声で言った。

 

「控えろ、真壁。そのような事を追求する場でもあるまい」

 

「………は」

 

承知の言葉と共に、真壁と呼ばれた赤の男は後ろに下がった。一方で武は助かったと思っていた。敬語は知っているけど、それなりにしか知らない。もっと親父の授業を真面目に受けときゃ良かった、と。後悔を胸に抱く武をよそに、斑鳩は向き直ると何かを楽しむかのように笑みを浮かべた。

 

「先の言葉だが………ふむ、どうやら察したようだな」

 

その言葉に、武は肯定を示した。口調と様子、そして二人でしかここに来ないということは、こちらに嫌疑を抱いてはいないということ。

 

また、その結論を確信するに足る情報を既に入手しているということである。恐らくは諜報部か、独自の情報網があるのだろう。故に視線で肯定を返す武に、斑鳩は満足そうに頷いた。

 

「報告は受けた。其方達が優秀であるということは、成した事と――――何よりあの戦術機が物語っている」

 

斑鳩は言う。さぞかし多くの血を吸ったのだろうなと。

 

「………分かるんですか」

 

「何となくだがな。其方の機体は、組立てられたばかりのそれとは明らかに違う」

 

あくまで勘にすぎないだろうに、斑鳩崇継は断定した。実際に戦場に出たこともないだろうに、それが分かる男がいる。武は、その事実に純粋に驚いていた。

 

(俺も、なんとなくは分かるけど)

 

武も、戦場に多く出た機体が他とは違う特徴を持ってくることは知っていた。特に前衛の機体ほど分かりやすい。BETAの返り血に塗れて、ハンガーで洗われて、また汚れて。一連のサイクルが何度も繰り返された機体が新品のものとは絶対的に異なってくるのは、ベテランの衛士であれば何となく分かることだった。知覚が冴え渡るからか、あるいは戦闘を多くする最中に多くの戦術機を目にするからか。BETAの怨霊が張り付いているかもな、という冗談が言われるほどだ。

 

「姫君の付き添いのつもりで来たのだが、あの機体を見たからにはな。どうしても、あの機体の持ち主である其方の顔を見たくなった」

 

斑鳩崇継はまさかこのような少年だったとは驚きだ、と言いながらも、驚いたような様子は見せなかった。

笑みをずっと絶やさずに。それでも瞳の更に奥にある光は武を捉えたまま離さないでいた。

武は何やら言い知れぬ威圧感を感じつつも、こっちも驚きました、と返した。

 

驚愕したのは、実戦の経験もないのに自分の機体の戦歴を看破した事について。インドからバングラデシュ、ミャンマーから中国、そして韓国より日本。その中で、多くの衛士を見てきた、共に戦った。優れた衛士適正、あるいは天才と呼べる人間まで。

 

だが、斑鳩大佐ほどに見るだけで才能を感じさせるような人は、あまり見たことがないと。武人としても高い位置にあることは、武にも分かっていた。天才と呼ばれる人種ですね、と冗談交じりに言う。お世辞ではなく、その実は混じりっ気なしの本音だ。そうした正直な言葉を察したのか、斑鳩は苦笑しながら否定した。

 

「私は凡人だ。衛士としての腕もそうだが、私自身のこともな。与えられた役割を全うすることしかできない、ただの人間でしかない。君のような、若くして前線で活躍する衛士ほどではない」

 

「………いえ、それなら自分は凡人にも劣ります。自分で決めた自分の役割さえも、満足に果たせなかった」

 

それは、武自身の奥底に眠る本心からくる言葉であった。それがある以上、活躍を誇る言葉など口が裂けても出せないもの。自分の愚鈍な思考のせいで、仲間に、しかも女の子に一生ものの傷を負わせたのはつい最近のことだった。

 

成果を出していることは認識する。だが、それを誇ることはないだろうと。

 

「輩を、守る。それが、其方自身に課した役割か」

 

「はい。ちっとも守れていないですが」

 

武は少し俯き、暗い表情を浮かべながら告げた。まだ、胸中で告げられたもう一人の自分からの言葉を整理しきれていないが故である。何より今は、捨て去った記憶の陰が胸中を占めていた。

 

死なせたくなかった戦友。その遺志を忘れることは、守ることを放棄すると同じ。後ろめたさの方が多いと、泣きそうな顔で苦笑する。軍人であれば失笑ものの柔さである。だが、斑鳩は決して笑わなかった。口だけの笑みを消し、甘さを消した表情で武の顔を真正面から見据え、そして問うた。

 

「だが、其方は戦うことから逃げていない。決意を秘めた顔に見える。守るものを失う恐怖を抱き、戦果に合わぬ罵倒を受け、誹られても戦おうとするか」

 

「はい」

 

「………立派な覚悟だと、軍の者であれば褒め称えるかもしれぬ。だが、何故だと。理由を問わせてもらおうか」

 

「だって、逃げない方が辛いですから」

 

その返しに、隣に控えていた真壁はおろか、斑鳩までが虚をつかれたような表情になった。

 

「戦場に立つと思い出します。当然でしょうね。だってあいつらはあそこで死んだんだから」

 

鉄火場を墓前とした仲間はいったい何人になったろうか。

 

「トリガーを引く度に思い出します。それでもあいつらはいない。だから悲しいです。辛くて…………思い出すだけで胸が痛え。でも、だからこそ、まだこの痛みが………俺の中で、死んだあいつらが残っている証拠で」

 

辛くて痛いのは、覚えているから。あいつらが戦った戦場で、あいつらを忘れないから痛むのだと。

忘れればきっと、この胸の奥の鈍痛みは消えるだろう、それでも武は首を横に振った。

 

「重たいから放り投げて。辛いから忘れて逃げちまおうなんて、もう――――二度としない。金輪際しません。本当に、まっぴらごめんですよ」

 

武は泣きそうな顔で、それでも笑ってみせた。

 

「不思議だな。私には其方が、忘れた記憶を知っているように聞こえる」

 

「………詳しくは言えませんけど、覚えている奴が居たんですよ。糞野郎ってな具合に怒られて」

 

忘れたままであれば、きっとそのままだっただろう。叱られたからこそ、罪を認識させられた。

 

「守ろうと思った、でも守れなかった。だからって、辛いから捨て去って楽になろうとするなんて、ほんとに………糞野郎のすることだった」

 

思えば、楽しかった時の記憶さえも薄れていた。最後の事を忘れ去った時に、色々と関連することが抜け落ちてしまったのだろうか。辛い中で、それでも馬鹿をして。仲間と一緒に、楽しかった時は確かにあったのだ。

 

だけど、思い出す切っ掛けとなる記憶の欠片さえも蓋をした。託された思いを脇によせて、誰より自分だけを守るために。

 

――――声からの言葉は正しかったのだ。武は一晩考えて、痛感させられた。自分のしたことを知った武は吐きそうになるまで唸っていた。自分の愚行と、失ったものに対してやってしまったこれ以上ない仕打ちに。

 

だが、と斑鳩は常識を説いた。

 

「逃げることは本能だ。痛みから逃れたいと思うのは生き物として当然のことだ。そして人は忘れるから長く生きていける………だが、其方は認めないというのだな」

 

斑鳩の言葉に、武は辛そうにしながら頷いた。

 

「痛いのは怖い、だけどそれだけは衛士として。命を預け合ったことがある者であれば、絶対にやっちゃいけない事じゃないですか。辛いのは大事だったからです。それがきっと自分の本音で………だからそこから逃げても、きっとその先にはきっと何も無いんです」

 

辛くても、忘れないのなら生きている。失った彼らの遺志を継ごうとするから。楽しかった思い出だって、記憶の中に残しておけるから。それを捨てるのは、衛士としての白銀武の死である。

 

「だから、其方は戦うのか」

 

「はい。俺は戦います………前を向いて、戦い続けます」

 

まだ、戦おうという気概が湧いてくるから。苦味が過ぎる境地にあっても、目を背けなければまだ光は抱けるのであると。それを聞いた斑鳩は、ふと笑みを浮かべていた。どことなく満足そうな表情を前に、武ははっとなった。夢中で喋ったけど、何か言っちまったのではないかと慌て始めた。だが、真壁と呼ばれている赤の斯衛は怒ってはいなかった。それどころか目を閉じて、忌々しそうにしながらも無礼だったかもしれない武の口調を指摘せず、じっと口を閉ざしたままでいる。

崇継が素直ではないな、と苦笑する中で武は考えていた。

 

(何もなかったのかな、一応は)

 

そしてただの勘ではあるが、何となく察していた。

眼前の五摂家の中の一人である男は自分の命を狙っている人物ではないだろうと。

安堵のため息をつく。もし逃げようとすれば、それこそ取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだ。武はそう思いながら、先ほどまでの自分の言葉もあって、ふとある言葉を思い出していた。

 

困難や過酷な場面と対峙せざるを得ない時、そこから逃げることに対して。

それは父からの、苦境に対する方法だ。

 

武はつい最近までは全く分からなかった、訓示のような一文、それを全てではないが、その言葉の意味が分かったような気がしていた。部屋でのマハディオの会話を思い出し、おかしそうに笑う。やっぱり親父は親父なんだな、と。

 

自覚のないままに先程までとはまた質の異なった笑みを浮かべていた。

 

「何やら楽しそうな表情であるな」

 

「はい、少し。つい先程までは全く分からなかった親父の言葉が、少し分かったような気がして」

 

「よければ聞かせてもらえるか」

 

相槌の類であろう、斑鳩の言葉に武はすぐに答えた。

 

「“苦境を愛せ。されば世界は輝いて見える”って」

 

あの青い空の中で、父が告げた言葉だった。

 

「苦境も、辛いことも意味があると言いたかったのかも。そう考えれば何となく分かるような気も………………た、大佐?」

 

武は、最後まで言えなかった。尻すぼみになって、声も詰まった。

そして、一転して変質した場の空気が。

 

その原因は、先程まで柔らかい表情を保っていた目の前の男にあった。だが、今は先ほどとは明らかに異なった雰囲気を纏っていた。やや俯き、掌で目元を隠すように覆ったまま肩を震わせている。泣いているのではなく、面白そうに笑っているのだ。くくくと、心底面白そうに、ただの青年のように笑っていた。

 

真壁も驚き、硬直したまま斑鳩の方を凝視していた。予想外の反応に、武も何もいえないまま。

 

そして、しばらくして。斑鳩は掌の隙間から武を見ながら、呟いた。

 

「………面白いな、少年。これほどまでに予想を裏切られたことはない。面白いと思わされたことはないぞ」

 

「お、面白いって、俺の顔に何がついていますか?」

 

「ついているといえばついているな………成程、風守め。はぐらかし方が下手だと思ったが、その理由がこれか」

 

話についていけない武に、斑鳩は一人で満足したように頷いていた。

 

「物言いも何となくだが、似ているな。其方の顔を見るだけで何やら毒気が抜かれたような気分になったが、その理由が分かった」

 

「えっと、ありがとうございます?」

 

武は混乱したまま、取り敢えず礼を言った。

首を傾げながらの言葉に、斑鳩は口を押さえて僅かに笑う。

 

「く、飽きないな其方は。どうやら相手を笑わせる才能を持っているようだが」

 

「………まあ、かなり不本意ながら。びっくり箱のような奴だとは、よく言われますけど」

 

「然り。正しい表現だよ少年………ふむ、名残惜しいがそろそろ時間か」

 

時計を見ながら、斑鳩は椅子から立った。武も、慌てて立ち上がる。

すると斑鳩は、武に向けて手を差し伸べた。

 

「握手を」

 

武は反射的に、その手を掴んでいた。そして斑鳩は笑みを浮かべながらも、遊びの全くない声で武に告げた。

 

「人間とはかくも面白い。人生とはかくも予想のつかないことよ。今日は、それを知る事ができた…………其方に感謝を」

 

「ど、どうしたしまして」

 

どもる武に、斑鳩は小さい声で告げた。

 

「今日の所はこれにて――――また会おうぞ、偽りの名を名乗る少年よ」

 

斑鳩はそう告げるや否や、部屋より去っていった。残されたのは、呆然となった武だけ。何がなんやらわからないと、気力が抜けた武は椅子に座り込んでいた。一連のやり取りに、何か大きなピースが欠けているような。偽名のくだりが特に武には理解できなかった。

 

そうして放心状態になったまま、数分が過ぎた頃だった。

 

ノックの音と共に、先ほどに見た帝国陸軍の女性に案内されて、二人の人物が部屋に入ってきた。入ってきた二人も、女性だった。片や先ほどの真壁という斯衛と同じ、赤の服を身にまとう、眼鏡をかけた緑色の髪をもつ女性。そしてもう片方は、青の服の。武の目から見ても年不相応な風格を纏っている、上に立つ者であると言葉ではない何かをもって感じさせられる少女だ。

 

そう、少女だった。あるいは先ほどの斑鳩と伍するような雰囲気を周囲に纏ってはいるが、背格好も肉体の成長具合も、大人ではない。自分と同じぐらいか、あるいは少し上か。

 

風に抵抗せず流れそうな美しい紫がかった黒い髪が、ポニーテールのような形で一つに束ねられている。武はそこまで観察した後に、思った。何か、どこかで見たことがあるような。

 

遠い過去か、あるいは近くて遠い世界で。そんな武に、声がかけられた。

 

「其方が、ベトナム義勇軍の鉄大和少尉ですね」

 

言われた武は、頷いた。それは自分の名前であります、と。肯定を示した武に、少女は告げた。

 

 

「私は、煌武院悠陽と申します」

 

 

五摂家の者であるという言葉。だが武は、また別の感想を抱いていた。

酷く、懐かしいような、覚えがある名前だと。だけど思い出せず、武は促されたままに椅子に座り。

 

 

―――――ここではない何処か暗い場所で、人には見えない歯車がカチリと嵌る音がした。

 

 

 


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