Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
目を刺すような赤が映える夕焼けだった。碓氷風花は地面に寝転がりながら見える空に、口笛を吹いた。カラスが鳴くから帰ろう、そんな言葉を思い出したからである。逃れるように横を見る。そこには黙って首を横に振る少年がいた。
「気持ちはわかるけど、これからが本番だ………整理体操した後、シミュレーターでの訓練に入る」
こんなに呼吸が荒れているのに。足も棒のようになっているのに。
風花は無表情で告げる年下らしい少年にそう反論しようとして―――
「無理なら言っていい。もうできません、って言えばこの辛い訓練は終わる」
唯一、訓練を快諾してくれた衛士。マハディオ・バドル中尉に、完全に言葉を封殺された。言われた通りに"できない"というのは実に簡単なことである。だけどそれが何を意味するのか、長くはないが軍人としてそこそこ動いてきた風花には理解できた。できてしまったからには、従う以外にできることはなかった。風花は何も言わず、揺れる膝を手で押さえこみながら立ち上がった。そして屈伸に伸脚、かたまった筋肉をほぐしてまた動けるようにする。だが、数分程度の休憩で完全に回復できるはずもない。鈍い筋肉痛はつま先から太ももの根本までを支配していた。一歩、踏み出すだけで祈りたくなるような状態だ。それを見守っていた前衛衛士――――少年ではない、もう一人の衛士が告げた。
「駆け足、急げ」
できなければいいけど、とでもいいたげな口調。風花は面倒臭いという感情を一切隠そうともしない男、王という衛士を無性に殴りたくなった。罵倒する声が喉元まででかかって、そこで留める。
「は、い!」
了解の返答をする。文句を言える立場にはない―――だから留めた後に飲み込んで、腹まで落としたのだった。風花はそうして、怒りという感情を動く力に変えていた。ここ二週間で、慣れた作業だった。次の訓練を行う場所へと走る。シミュレーターは高価な機械で、数はけして多くない。そして自分たちの立場は決して上ではなく、その優先順位は低い。故にシミュレーターを使える時間はかなり限られたものになっていた。
(時間を、無駄にはできない)
風花は訓練の初日に聞いたことがある。光州で見た義勇軍の3人の戦闘力は非常に高かった。
だから何かコツでもあるのではないか、とたずねた。それを教えて欲しいと。
最初に答えたのは、王紅葉だった。
「なんだ、楽して強くなりたいのかお前。なら方法を探してくれや。実戦で死ぬ前にな」
心底バカにしたような言葉。
にべもない言葉に続いたのは、マハディオ・バドルだ。
「あったら、軍部が黙っちゃいないだろうがな。いの一番にそのコツを収集して、教官へと伝えているさ」
尤もな事を告げられ、最後には鉄大和。
「コツは、反吐が出るまで訓練すること。戦術機が自分の骨と肉だって断言できるまで、泥々になって反復すること」
言葉は三者三様。しかし、結論は同じだった。
―――近道はない。戦術機の間接思考制御も、積み重ねによってその精度が高まる。単純な操縦技量については、単純な作業を反復して練習より他にはない。だけど作戦が明けて間もない今が、実戦を身体が忘れていない時期こそが最も効率的に訓練できるのだと。風花はそんな訓示を胸に、シミュレーターを立ち上げた。いきなりと、BETAが映る。そしてすぐさまに自機へと攻撃を仕掛けてきた。
「くっ!」
考える前に、自分の機体を動かす。そうしなければやられていたほどのタイミングだった。
昨日はやられたけれど今日は、と機体を横に跳ばせる。それは間に合ったようだ。風花は機体に撃墜の判定が出ないことに安堵のため息をついて、だが。
「気ぃ緩めるな!」
王の怒鳴り声が聞こえた直後に背筋が凍り付く。間もなく鳴ったのはアラート。浮かんだのは、自機が撃墜されたとの報せ。呆れるようなマハディオの声が、通信越しに風花の耳に届いた。
「早くも撃墜1、だな」
一分も立たずに、と無言の後悔。風花は挫けそうになり顔を下に向けるが、そこに無感情な少年の声が叩きつけられた。
「時間がない、すぐに再開する」
「………っ」
「碓氷少尉、返事は!」
「っ、了解です!」
風花は九十九の声に顔を上げ、大声で続行の意志を告げる。
その日の碓氷風花の撃墜判定は、13回であった。
「はあ~………」
深い溜息が廊下に響いた。ガラスに吹き付ければ確実に曇りを作ったであろうそれを発したのは、18の女性だった。その顔は番茶も出花だという年頃にらしくなく、落胆の色が支配していた。
「今日もクリアできなかったよ………私、才能ないのかなあ」
一念発起し、訓練をやり切ることを決意してから二週間。風花は未だに、第一の課題である“二時間耐久訓練を一桁の撃墜で乗り切ること”はクリアできていなかった。そんなもの、三日でクリアしてみせると――――条件を聞いた時に答えた、自分の言葉が重く響いた。
「だって、訓練状況の難易度があれだけ高いなんて思わなかったし………」
風花の主観だが、シミュレーターにおいて想定された状況は酷いなんてものじゃなかった。起動後の不意打ち、なんてものは初歩にすぎない。文句を言っている暇があれば何十回でもシミュレーターの中で殺されただろう。戦車級の集中攻撃から始まり、要撃級の団体さん、要塞級が数体出てきたこともあった。挙げ句の果てには機体が急に故障するときた。
光州作戦より厳しい状況である。一体どんな意図があってのことだろうか。風花はこの状況を考えだした人間の正気を疑いたくなっていた。
「………まあ、でも、間違ってはいないんだろうけど」
自分の愛読書に書かれていた一文を思い出し、風花は頷く。例の部隊が出した教本、その最初に書かれている言葉は、鉄大和を始めとした義勇軍の3人が言っていたことと同じだったからだ。
あの本にも異口同音で、様々な教訓が書かれていた。隊長の言葉は、『痛みなくして進化なし』。成長とは進化であり、それは痛みを伴って初めてできるものだと。副隊長の言葉は、『悩み悶え苦しまずして何の訓練か』。限界の状態にあってこそ、人は成長すると主張されていた。
そしてイタリア人らしき人が書いた言葉は、『ローマは一日にして辿りつけず』とあった。『ローマは一日にしてならず』ということわざをもじったものらしい、多分に冗句が含まれている言葉であった。しかし彼の故郷がBETAの支配域にある今、それは冗談とは真逆の意味となりうるものだった。ローマへ、故郷へ戻るために。そしてローマを取り戻すために、一体どれだけのBETAとハイヴを潰せばいいのか。それが困難も極まるであろうことは、風花とて理解していた。可能性が限りなく低いということも。
しかし、努力をしなければ、頑張らなければたどり着ける可能性は0になってしまうのだ。
「だから、私も………頑張ってるつもりなんだけどな」
文字通り、反吐を――――胃の中身を戻したことはこの二週間で10を越える。それだけの訓練をしているのだ。しかしその成果が得られないとあっては、脳天気な風花とて元気なままではいられなかった。何より、訓練内容を合わせてくれている義勇軍の3人と、九十九那智に申し訳がたたないと思っていた。
「………訓練を受けた者は、成長する義務がある」
教官の言葉だった。時間も人の労力も有限で、だからこそ成長しなければ嘘であると教えられた。それに比べて自分はどうだろうか。自問に帰ってきた答えは、いささかどころではない程に芳しくないものだった。
(那智兄ぃにも迷惑かけてるし)
風花にとって、九十九那智とはただの幼馴染ではなかった。特に姉と仲が良く、家にもよく遊びに来ていた。家族同然の付き合いで、一時期は本当の兄であると勘違いしていた程だった。
風花は、そんな兄が今のこの基地で、言われもない陰口を叩かれていることを知っていた。光州帰りの衛士。しかし部隊はほぼ壊滅状態で、生還したのは隊長と、幼馴染である自分だけ。妄想と噂話が好きな人種にとっては、美味しい餌となったのだろう。
“あいつは部隊よりも身内を優先した”なんて。風花はそんな出鱈目を言い触らしている、口さがない連中を叩きのめしたい衝動に駆られる時があった。
しかし、そんな事はできない。より迷惑がかかるし、何より弱い自分には発言権がない。軍部においての立場は力によって決定される。派閥の力などの権力、あるいは純粋な兵士としての能力など。人を黙らせる何かがなければ、軍におけるその人間の確たる立場は生まれないのだった。そして両方を持っていない風花の立場は、吹けば飛んでしまうぐらいに弱かった。
「コネも派閥もゼロ。だからあの連中の口を閉ざすには、自分の能力を上げるしかないんだけど………ね」
風花の声が先細りになっていく。第一の課題でさえクリアできない自分を思い出したからである。
「だけど、あれだけ頑張ったんだからさあ………ってのも言い訳か。はは、情けないったらないよ………」
どんどんと、姿勢が悪くなっていく風花。視線も前よりも地面の方へと傾いていく。
だから、目の前に人がいるのに気づけなかった。
「つっ! ………ってーな、何処見て歩いてやがる!?」
「す、すみません!」
立ち止まっている人に、自分からぶつかってしまったのだ。
それに気づいた風花はすぐさまに謝った。
「基地の中でボケっとしてんなよ………って、お前は確か………ああ、例の中隊の奴じゃねーか」
「例の? ああ、よりにもよって身内を優先させやがった奴の」
風花が沸騰するのは、それだけで十分だった。相手は最近になってよく目立つようになってきた顔だった。帝国本土防衛軍より、九州防衛のためにと移動してきた戦術機甲部隊。その衛士達の中でも一番大きい派閥の、トップに近い男。体格は明らかに自分以上。そして階級は大尉で、二階級も上である―――だけど、それは風花を黙らせる材料にはならなかった。
「訂正、して下さい」
「ああ?」
「今の言葉、取り消して下さい!」
食って掛かる風花。それを見た男は、肩をすくめるだけでまるで取り合わなかった。
「訂正って何をだ。事実だってのに、何をどう訂正しろと?」
「事実じゃないです、違いますから!」
「へえ…………部下が全員死んだけど、一人だけ例外がいてよ」
そこまで言った男の表情が動いた。誂うような笑みから、侮蔑のそれに変質する。
「それは身内も同然の知り合いでした。かつ唯一のど新人で、技量も低かったお前ですけど、運良く生き残りましたーってか………偶然だったって?」
「そうです!」
「へえー。ほおー。そうなんだ、すごいなあ」
棒読みで頷く男は、ぷっと吹き出し。それにつられて、回りの男達も笑い出した。
「なんで笑うの!」
「えぇ、今のはギャグなんだろ? それなら笑ってやらなきゃ嘘ってもんだ!」
「ギャグじゃない、冗談じゃない! いいから訂正してよ!」
風花は顔を真っ赤にして反論した。それでも笑うことを止めない男達に掴みかかろうとするが、あっさりと避けられた。それを幾度か繰り返している内に、人が集まってきた。
全員が軍人だ。そして揉めている理由も、大体の事情も把握している者達だった。アホらしいと去るもの、指を指して苦笑するもの、反応は様々あるが止めようとするものはいなかった。
――――たった一人を除いては。
騒ぎに通りがかった少年は、顔を赤くして怒る少女を見るなり、走って駆けつけた。
そしてそのまま両者の間に割って入る。
「く、鉄少尉!?」
「いいから、落ち着け。自分が何をやっているのか分かってるのか」
「………っ!」
上官に対する暴行である、下手をすれば。武はそう言おうとしたが、風花の目を見て黙る。
その両目からは、涙が溢れ出ていた。
「………何を、言われた?」
「っ、言いたくない!」
「言ってくれなければ…………その」
困る、と。少し表情を動かした少年を見た風花は、反射的に答えていた。
「………那智兄ぃが私を守ることを優先したって! 部隊のみんなを見殺しにして、私を優先して助けたって!」
「――――は?」
叫ぶ風花に、武は顔をしかめた。実際の戦場での状況を知っていたからであった。前衛が崩れ、中衛にいた指揮官が持ちこたえるも9時の方向から突撃級の奇襲あり。結果、後衛の左翼側にいた風花が生き残ったのである。鉄大和は――――白銀武は向き直った。
そうした事実を説明しようとしたが、先に声を発したのは笑っていた男たちの方だった。
「へえ、お前が義勇軍の英雄殿か」
「はい、いいえ大尉殿。ベトナム義勇軍ではありますが、英雄ではありません」
「何を言う。光線級吶喊を見事成功させたのはお前達だろうが」
「はい、実行したのは自分たちであります。しかしそれは帝国陸軍を始めとした4軍の支えがあってこそです。英雄と呼ばれるなら、あの時戦場に立っていた全ての戦士が英雄であります」
「………謙虚なことだな。だけど、本当にお前みたいなガ―――いや少年少尉殿が、あの群れを抜けたってのか?」
言うなり、男は武の頭に手をおいた。武はその手を振り払わないまま、じっと男を見返した。
「………大尉は、帝国本土防衛軍の?」
「そうだ。二日前に、この基地に着任した」
「成る程」
言うなり、武はすっと一歩を退いた。真正面から大柄の大尉を見返し、告げる。
「証明しろと、そういうことですか」
「………察しがいいな、その年にしては」
「で、勝てば訂正して頂けると」
「誰もが納得するさ。万が一、勝てたらの話だが」
両者共に、端的な言葉で会話する。風花は説明が大幅に省かれた言葉に困惑していたが、話の要点は掴んでいた。つまり、戦って勝って証明すればさっきの言葉は取り消されるのだ。
「大和君!」
「――――声、でかい」
でも伝わった、と。言葉少なに、だけど言葉の中に何がしかの感情を返す少年は、風花の視線を受け止めてから、男たちに告げた。
「条件はこちらで提示しても?」
「構わない」
「ありがとうございます。なら、そっちは――――12人全員で来て下さい」
真顔で告げる言葉に、風花は。そして男たちは、用意していた言葉を失った。
「自信家だな、坊主」
「はい。あとは、衛士として道理を通したまでです」
「その年で道理を語るか………なんだ、その内容を聞かせてもらっても?」
武は質問を首肯し、告げた。
「戦場は地獄。ならば部隊の仲間は同じ釜で煮られるもの――――身内、家族も同然ですよ大尉殿」
「………つまり、お前はこう言いたいのか。お前の指摘は間の抜けた者しかしない、見当違いの言葉だと」
「理解が早くて結構なことです、大尉」
そこで武は敬礼をした。明らかに挑発の意図が含まれていたそれに、大尉をはじめとした男たちの顔が険しくなる。だけど、そこで留まった。口を引き攣らせたまま、告げる。
「模擬戦は三日後でいいな? ああ、小細工は全て許すぞ、小僧………階級も無視していい、かかってくるがいいさ」
振り返り、立ち去っていく。武は背を向けた男たちを見送りながら、告げた。
「有難いことです、だけど――――そっちこそ逃げんじゃねーぞおっさん」
それを聞いた男たち、全員の肩が震えるのはおかしかったと風花は語る………が、それは一時間の後のこと。今の風花は、武に駆け寄っていた。
「どういう、こと?」
「事情ありってこと。他の4人の意見を聞いてから説明する」
「え、4人? なんで、だって………」
武は聞き返す風花に、ため息をついた。
「最後の一人、見つかった。直後に、こんな事になったけど………」
大丈夫だろうと、武は言う。
そうして一時間後、ミーティングルームに6人は集まっていた。昨日までの5人は一列に、対して最後の一人が敬礼をした。新しい隊員であるその人物は、最近では珍しくもなくなった風花と同じ女性の衛士だった。年齢も風花と同じぐらいだろう、しかし眼鏡をかけている彼女が纏っている空気は、風花とは明らかに異なっていた。
その雰囲気のまま、睨みつけるかのような勢いで自己紹介を始めた。
「自分は、帝国本土防衛軍より出向してきました。
自己紹介の敬礼に、敬礼を返す一同。楽にしていいとの言葉の後、着席を促された全員が座る。
そうして目線を揃えた後、武が話を切り出した。
内容はつい先ほどに起きた事だ。模擬戦の約束。武は包み隠さず説明した後、マハディオに質問をした。相手の意図は分かるか、と。それを聞いた風花が、驚いた表情をした。
「意図………え、何それ」
「お前と九十九中尉にイチャモンつけることが目的じゃなかったってこと。別の意図があったってことだよな、大和」
「間違いなく。向うは読まれてもいいって態度だったけど」
答えた武に、日本軍所属の3人が視線を集めた。
「それで模擬戦、ですか。いったい、何が目的で………」
「パーツならいくらかあるな。俺達が光線級吶喊を行ったタイミング、そして中将殿のこと、あるいは陸軍と本土防衛軍との確執って所か」
マハディオの説明に、武と王は頷いた。
「中将殿が退役になった内の“原因”の一つを見定めろ、あるいは義勇軍を調子づかせるなーってか。考えるのはどこも同じだねえ」
「面子の問題もあるからな」
「………どういうこと?」
「正規軍として、義勇軍を頼ったという事実はある意味で汚点になるんだよ。光線級吶喊のタイミングもタイミングだった」
「こいつの外見もあるからな。実力を疑った、って部分も少なからずあるんじゃねーの?」
武は、見た目は中学生である。つまりは15歳以下で、日本では徴兵年齢に達するかどうかという年齢の、少年と青年の境目であるにすぎない。そんな衛士が、難度高の任務をやり遂げたという。
「まともな軍人であれば、まずその事実関係から疑うだろう」
「………慣れたけどな。ああ、そっちの新米少尉さんも志願だったっけ?」
マハディオの疲れた声に、王は返答しながらも視線を横に逸らした。
話を振った橘の方を見る。つられ、他の4人の意識も橘へと集まった。
「本土防衛軍からの出向だって話だよな、彼女。おおかた義勇軍を見極めろとか、そんな類のことをどこからか言い含められてるんじゃねーか?」
「………何の話か、分かりかねますが」
橘は王のあからさまな態度に反応しなかった。そのまま静かに視線を受け流し、逆に言葉を返した。
「しかし、タイミングとは?」
「………ああ、そういえば光州作戦には参加してなかったな」
気づいたマハディオが説明を始める。話の間に九十九、碓氷両名に確認を取りながら光線級吶喊に至るまでを事細かに伝えていった。
「そう、でしたか。しかし………これは機密になるのでは」
「黙っていろとは言われていない。まあ、拡散すれば困る状況になるのは違いないが」
主に軍と首脳の不和として。興味無さ気に語られる言葉に、橘はあからさまな反応を見せた。
それは、敵意と呼ばれるものだった。
「バドル中尉は、帝国の内部を混乱させたいと言われるか」
返答次第では、と言葉に出なくても分かるような苛烈かつ剣呑な気配。マハディオはそれを受け止め、むしろ逆だと呆れたように返した。そこに王が言葉を挟み込んだ。
「中尉殿は知りたがってるから教えたのさ。同じ隊に所属しているのにいちいち距離を測りあって探りあうってのも間抜けな話だって、よ」
「それが原因で情報が拡散し、事態が急変しても構わないと? それは無責任ではないか」
「その時は諦めるんだろうさ。情報を流したその結果を推測できないようなアホが、探りに派遣されました―――帝国の人材も知れたもの、これじゃさっぱり明るい未来は拝めません、ってな」
「っ、貴様! 傭兵もどきが、我が国を侮辱するか!?」
橘は先程とは異なる、探りではない侮辱を揶揄するような王の言葉を聞き流せなかった。
怒りのままに立ち上がり、今にも飛びかからんと足に体重をかけて、
「黙れ、王」
静かに、マハディオが怒鳴る。
有無をいわせないとの意志がこめられた低く暗い声が、場を支配する。
「見当違いな言葉を並べた挙句に致命的な不和を招こうとするな。この、馬鹿野郎が」
「でも、本音は聞けたでしょう?」
「だから見当違いだっていうんだ。人間、我を見失う程に怒ればどんな罵倒だって口にする………すまん、少尉。この通りだ」
言うなりマハディオと、そして武が深く頭を下げた。
その様子を見た橘は、戸惑いだけしか返せなかった。
「………いえ」
こちらこそ、とは言わない橘の態度に、マハディオは苦笑した。
人となりは分かったかもしれないと、心の中だけで呟いて。
「まあ、事実ではある。実際、正規の軍とはとても言い難いからな」
「吶喊も正規軍の奮闘あってのこと。だからこそ陸軍か、あるいは帝国軍そのものが気に食わないんだろうけど」
光州作戦の件について、当時の状況を熟知していない者、あるいはしていた者にとっても義勇軍の行動は全面的には受け入れがたいもの。実力その他の問題はあれど、義勇軍が美味しいところをかっさらっていったようなものだ。その結果が有能で知られる彩峰中将の退役である。
裏の事情はどうであっても。そして立場的な問題もあるだろう、下の者達にとって義勇軍を疑う者が出てきても仕方ないというものだ。
「そんな、しかし!」
「そこまでやるものなのでしょうか」
「………正規軍には分からない、この辛さってな」
マハディオはそこまでを説明した後、武に話を戻した。
「鉄少尉。以上のことから、お前は今回の騒動と相手側の狙いをどう見る」
「………“出待ちしてたお前らは本当に強いのか”、“強いとしてもどれだけのものなのか”、“強いかどうかは知らんが義勇軍が調子にのるな”」
「あとはどうみても“ジュニアハイスクールなスチューデント”なこいつが強いとか信じられん。だから仕掛けてきたと、こんな所か」
マハディオは武と王の言葉に頷くと、総括した。
「帝国軍のお偉いさんは見極めたいんだろうさ。俺達の利用価値を詳しく知りたいんだろう。多少は大げさな気もするけどな」
「利用………価値、ですか」
「ああ、覚えておいて損はないぞ碓氷少尉。上に取って、下のものを見定める要因の大半は、その人物がもつ価値だ。値段や種類といった類のな。そいつが自軍にとって有用なのかどうか。どのような場面で活かせば、効率良く人を殺せるのか。軍人の命題とは、最終的にどれだけ人を死なせずに相手を殺すのか、これに尽きる」
マハディオも武も、王でさえも知っていた。真面目に勝利を思う者が取る行動は大体が同じである。人材の値段と適する場所を見定めること。そして最高のコストパフォーマンスになるよう、状況を整えること。
「自軍の内部は大体の所で、大体の人物が把握している。できていないのは俺達だけだ、だからこんなことを仕掛けてくる」
「じゃあ………あの、噂も?」
「それについては断定できん。わざと噂を流したのか、それとも噂を利用したのか」
調べようとも、その発信源を特定するのは不可能に近いことだ。諜報部隊でないマハディオでさえも知っていた。人の噂の流れを把握する、なんてことは軍内部情報の扱いと人の心理を熟知している者が最低でも3人は必要であると。
「それで………中尉殿はどう対処されるつもりでしょうか」
橘がマハディオに問いを発した。そこに、先ほどまでの遠慮はない。本音も駄々漏れなマハディオ、そしてその他の二人の発言に小細工を弄しても意味がないと察した彼女なりの決断だった。もし、帝国軍に害となる存在ならば。
決意した上での橘の質問に、マハディオは何でもないという風に答えた。
「いつもと同じだ。真っ向から受けて立つ。そして出してくる手を全部振り払うさ」
淀みなく答えたマハディオは、そこで視線を移した。
向かう先は鉄大和。そして口だけで“タケル”と発音すると、先を促した。
「なあ、鉄少尉?」
「………その通りです。義勇軍として、あるべき役割を果たす」
「あるべき役割、だと?」
訝しげな表情を見せる橘に、武は断固とした姿勢で答えた。
「夕焼けなんです。鴉が泣いているんです。だから、大陸に派遣されていた全ての帝国軍は本土に戻った………そして、夜がやって来ます」
武は、事実だけを告げる。
「もう、この国の尻には火が点いているんです。対岸の火事じゃない、火勢は既に熱を感じる部分にまで迫っている。防衛線は日本海ただ一つで――――実質的には、無いものと思った方がいい」
先月、帝国本土の対岸にあった半島はもうBETAの支配域となった。
そして次はどこなのか、希望的観測を挟まなければただ一つである。
「なのに緊張感が足りない。絶望感が足りない。光州作戦から帰還した兵士には、BETAと対峙することの緊張感があった。だけど、あの本土防衛軍から移ってきた衛士にはその緊張感が薄かった。今更こんなことを仕掛けてくるなんて、あり得ない。国土を脅かされたことが無いからかどうかは知らないけど。このままじゃあ………」
本土防衛軍は成績優秀なエリートが多い。しかしその反面、BETAとの実戦経験が豊富であるという衛士の数は少ない。その辺りの事情に関して、武とマハディオはある人物から知らされていた。
「聞かされていたこととはいえ、不安です。だからこそ――――影響が小さいとは思いますが、せめて余所者である俺達が“それ”になればいいと思いました」
なればいいと思いました」
「………良薬口に苦しとはいうが、まさか」
ようやく言いたいことを察した風花が、顔を上げた。
「どうあっても俺達は一助、助っ人にしかすぎない。それ以上にはなり得ない。義勇軍は数も少なく、BETAを倒すには到底足りないからです」
だけれども、俺達には俺達にしかない価値がある。
武は断言した。価値も立場も、ある程度は自分で選ぶことができると。
「余所者の本質とは何か。それは、刺激物であると教わりました」
「また、極端だな。教えた人物も、それを曲げず受け取るお前も」
「経験談ですから、信憑性は保証しますよ」
さらりと言ってのけた武に、橘は顔を引き攣らせた。
「重いな。しかし、集団の中に入る余所者は………確かに不和を招く存在でもあるが、言い換えれば新たな変化を生み出すものとも言える」
「人体と一緒だな」
王の言葉に、橘と九十九と風花は目を丸くした。
「外から入り込んだ刺激物は排除されるものである………だけどその時、人体は活発になる。なければ、ずっと怠けた身体のままだ」
抵抗するから活発になる。認められないから動くと、王は笑った。
「どこでも一緒さ。どの軍に行っても、一緒だった」
肩をすくめる王。なんでもないように振る舞うその姿と、否定をしない武とマハディオを見た風花達は何も言えなくなった。
「正規軍だからして、俺達“なんぞ”に負けてちゃオマンマの食い上げだ。だからこそ俺達に勝とうと連中は必死になった。どの程度の効果があったなんて、皆目分からねーけどよ」
「憎まれ役になった価値はあるらしいぞ。元隊長殿の受け売りだが」
「そりゃあ、出汁になった甲斐があるってもんですねー」
けらけら、とマハディオと王は笑っていた。それを見た橘は、問うた。
何故です、と。操緒はさっぱり理解できないと、思ったままの言葉を重ねた。
「どうして………汚れ役に徹するだけ? あなた達はそれで構わないと、そう言われるのですか」
「ああ。そも、軍ってそういう所を受け持つだろ? まさかお綺麗なお題目を抱えたまま、英雄として讃えられたいなんて思っちゃいないだろうな」
「通すべき道理はあると、そう考えています。何よりも我が国のため――――」
そこで、橘は3人を見渡した。
「あなた達は何のために、その役割に徹すると言われるのでしょうか」
いつの間にか敬語に戻っていた橘の問いに、王は答えた。
「俺は、国はどうでもいい。でも、あのクソBETAがもっと、もっと、もっともっとぶっ殺されればいいなって」
笑顔の言葉に、マハディオが続いた。
「同じだな。国じゃなくて、死んだ妹と再会できたあの娘に誓ったからさ。最後まで胸を張れるように―――BETAにとっての敵に。“BETAの損”になる存在であることを貫くって」
苦笑の深いマハディオの言葉。そして最後に、武は言った。
深呼吸を数度、繰り返した後に視線を逸らしながら言った。
「戦友が死んだ。あの街で死んだ。どっちも、家族同然だった………だけど、BETAに殺された。あいつらはBETAを呪って死んでいったんだ」
淡々と。悲痛さが感じられない声だと、橘と風花は思った。一方で、九十九だけは察していた。自分と同じで、その決意らしき言葉はすでに彼の中で特別ではないものに。声にすることによって感情を上下しない、肉体の一部になっているのだと。
「家族の恨みを晴らすのは、同じ家族以外にないだろ? ………だからこそ、さっきのあいつらは徹底的に叩きのめしてやる」
「え………」
「やりたいことは分かってた。けど、やり口がとことん気に食わねえ。二人を出汁にしたことを、後悔させてやる」
それは、義勇軍ではない三人にとっては見たことがなく、王にとっては珍しく、マハディオにとっては、酷く懐かしい。そんな様々な感想を抱かせるものだった。
意図的ではなく、できなくなった表情―――剥き出しの感情、それを隠すことを知らないような様子で、武は風花の方を見た。
「泣かされたからには、泣かせてやる。舐められたからには倍返しだ」
「か、勝てるの?」
「勝つ。それに、丁度良かった」
武は風花を見返し、親指を立てて。
そしてあいつら、と言いながら立てた親指を下に向けながら告げた。
「一切問題はない。やるからには勝った上で――――自分たちが立っている場所を思い知らせてやる」
傲慢の欠片さえもないその顔に、一切の迷いはなかった。
その宣言は名前の通り、“鉄”のようで。
言葉は自然と、その場にいた5人全員の首と感情を縦に動かしていた。