Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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4話 : 傘はないけれど

ワイパーの音と、車体を打つ雨の音だけが窓越しに聞こえてくる中。武は無言のまま、隣にいる二人を見た。マハディオはじっと目を閉じたまま腕を組んでいる。王は流れていく窓の外の光景を見ているようだった。いつもは多弁なのに、じっと黙ったまま雨の流れるを見ているだけ。

 

(………緊張、してるのかもな)

 

《そりゃあそうだろ。一度も会ったことがない、誰かからの呼び出しだぜ》

 

恐らくは社会的立場が自分たちより上であろう人物。出迎えの人間―――林という彼は高級スーツを身にまとっている。そして乗せられている車は、見るからに高級とわかるものだ。車の窓も普通ではない。内側からは見えるが、外側からは見えない特殊な処理がされていた。

 

(“らしい”なあ。でも何だって内閣総理大臣がわざわざ………)

 

武は、胸の中に渦巻く不安感を抑えられないでいた。まだ相手が誰であるかは判明していないが、声がああまで断言したのだ。まず、間違い無いだろう。しかしそうなれば、何故という言葉が更に大きくなる。なのに、声はじっと落ち着いたまま。武は苛立ちを覚え、お前はなんでそんな風に居られるのかと問うた。

 

《いや、大体の所の事情は把握してるからな。誰かさんの入れ知恵はあるけど》

 

(………アルシンハ・シェーカル外道閣下?)

 

《言わずもがな、だろ? 今のこれも、あの元帥閣下殿が予測していた事態………というか予想していたパターンの1つだからな》

 

つまり、自分はまた掌の上であるということだ。武は不貞腐れるように、窓の外に視線を移した。窓に張り付いた雨水越しに、滲むような夜の街灯が見えた。しかし、木々はあまり揺れていないようだ。

 

「ただの、大雨か………まあ梅雨だもんな」

 

湿気も嫌になるほどだし、と。

日本語でそう呟いた武に対し、助手席に座っていた案内人が答えた。

 

「そうですね。梅雨前線が日本列島から無くなるのは、再来週あたりになるでしょう。それまでは嫌な天気が続きそうですよ………ところで鉄少尉は日本の気候に対してお詳しいようで。ひょっとして、昔に住んでいたことが?」

 

「―――えっと。ち、父に、そう、親父に聞きましたので」

 

武はどもりながらも、何とか答えた。一方で、日本語が分からない二人は何を話しているのかを武に聞く。そうして梅雨に関して説明すると、王は嫌そうな表情を浮かべた。

 

「梅雨、ねえ。大雨が続くってーことは、下手すりゃこんな中で戦わなきゃならん可能性があるってことかよ」

 

厄介すぎる、と王は言い捨てながら窓の外の雨を睨みつけた。人間はBETAとは違って、光でしか相手を確認できないのだ。有視界戦闘が基本なので、大雨にでもなれば視界は著しく制限されてしまう。大陸での戦闘でも、戦闘中に大雨が降れば損耗率が何割も増えていたことがあった。

 

「あとは、台風………今は6月だから、シーズンは来月からだったっけ」

 

「いえ。台風は気候次第で進路を変えますから、一概に何月に来るとは言えませんね。早ければ5月中に来る時もありますから。最近ではユーラシア大陸の地形変動によるものか、季節外れの台風までやって来ることもあります」

 

また日本語での会話。しかしそれを聞いたマハディオが、聞き慣れた語感からか、顔をしかめながら武に訊ねた。もしかしてタイフーン(typhoon)か、と。

 

「まあ………台風とタイフーンは同じようなものだったっけ?」

 

「同じものです。一説には、タイフーンが台風の語源になったものだと言われています」

 

「だ、そうだけど………」

 

武がそう答えると、マハディオと王は頭痛を抑えるように自分の頭を抱えた。

勘弁してくれよ、と頭をふるふると横に振る。

 

「―――強風かつ大雨。視界が制限された中で、シビアな操縦が求められる戦闘かよ………嫌なことを思い出すぜ」

 

マハディオは呟きながら、何かを思い出したかのように遠い目を浮かべていた。武も同様に、ため息をついている。王はそれを経験していないので同じような反応を見せなかった。だが、それでも豪雨に強風といった状況下で戦闘を行えばどうなるか程度の経験は積んでいるため、嫌な表情を浮かべていた。

 

「………大和。何か、対策案とかあるのかよ」

 

「あるには、ある…………備えというか心構えというか、注意すべき点は。それが分かっていれば、損害は減るかもしれないけど」

 

説明したとして、素直に受け入れてもらえるかどうかは別問題だ。武は自分たちが今の状態で基地の衛士達に説明したとして、その意見が浸透することはないだろうと思っていた。

 

暴風時の戦闘における忠告―――しかし正規軍とは言いにくい自分たちが発言したとして、どれだけの説得力があるのか。

 

「俺達は所詮、佐官にすら届いていない雑魚だ。下っ端もいい所だし………あとは、内閣総理大臣様にでも任せた方がいいさ」

 

所詮この身は駒でしかない、ただの戦闘員だし。そう自嘲する武に、マハディオと王がため息をついた。

 

だが、残る一人は感嘆の息を吐いていた。迎えに来た人物である。助手席からちらりと武の方を伺う目は、それまでにない鋭さを帯びていた。急に態度を変えて、一体どうしたのだろうか。武は考え込んだ後、あ、と呟いた。

 

そして自分が、“内閣総理大臣様”と、そう口に出してしまったことを悟る。一方で、マハディオと王は何のことやらさっぱり分からないと首を傾げるのみだ。車内の空気がやや緊張した中、マハディオと王が武の方と迎えの者を交互に見ることしかできないでいた。

 

そして、声は呆れたように言った。

 

《お前、もう口チャックな。話し合いとか、絶対ムリ………ていうか、最初から最後まで黙っててくれ》

 

 

それを最後に、“武”の意識が遠くなっていく。

 

そして緊迫した空気の中、車が到着したのはそれから10分後だった。

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

活きのよさそうな食材。美味しくみえるように盛りつけられた様々な料理。基地ではとても食べられない料理が、テーブル狭しと並んでいた。日本料理から、はては中華料理まで置かれている。味の良し悪しが分からない武でも、明らかに別格と思える料理のもてなし。しかし、それを手配したであろう、3人を呼び出した人物はまだ姿を現していなかった。急な用事があると、30分程度遅れるらしい。それを聞いた武は、真面目な顔で黒服の人物を見た。

 

「先に食べていいっすか? 料理が冷えると、ちょっと」

 

久しぶりの故郷の味なんで、とは口に出さずに。

 

「ま、そうだな。正直いって冷えた中華料理はちょっと………」

 

「おいおい、餓鬼かお前らは………まあ、ここまで来れば一緒かぁ。呼び出しといて待たされてるんだし」

 

呼び出した人物について、詳細を知っている一人―――武は、それでも気にした様子を外には見せないままでいた。そして詳細を聞かされた二人のうち、王はむしろどうでもいいと言った様子でいつものまま。マハディオだけが、乾いた笑いを零したまま先ほどとは違う意味で遠い目をしていた。三者三様の反応。しかし、共通する点はあった。

 

脳内にだけ、マッシュルームカットの4人が歌う、「なすがままに」が脳裏に流れていた。声は生死不明なパリカリ1のそれだ。“らしく”音程が外れ、リズムもずれているという。やけくそな気持ちになったマハディオが、言う。

 

「じゃ、お先に頂いてよろしいですね」

 

「は、はあ」

 

会食の形がどこかにすっ飛んでいった瞬間だった。SPであろう黒服が顔を引き攣らせている。迎えの人間は呆れるやら感心するやらといった様子を見せたが、そちらの方がいいと判断したのかいいですよと返答する。

 

かくして、3人は一心不乱で食べ続けていた。

 

「うめー。うますぎるな、マハディ」

 

「美味しいには分かるが、人前だ。中尉と呼べ。一応は上官だろうが」

 

「いやー上官ってもね。隊がどうなったか分からんし………むしろ根無し草の無職っぽい?」

 

「義勇軍ってそんなもんだろ」

 

言い合いながらも、一般人とは比べ物にならない速さで料理が減っていった。一般人であれば勿体無いと責められるだろうが、軍人にとって、早食いとはむしろ褒められるべき能力である。そして優秀である3人は、烈火の如く料理を食い尽くしていった。

 

呼び出した人物が辿りついた時に、もう片付けが始まっていたぐらいには。

 

「………林君?」

 

「見ての通りでして」

 

眼鏡をかけた、威厳ある男が林の方を見た。しかし、その表情に動きは見られなかった。そのまま、林が近づき、頭を下げた後に何事か耳打ちをする。

 

「………そうか」

 

重々しく頷き、片手で眼鏡の位置をくいっと直した。

そして3人の前に立ち、互いの自己紹介が始まった。

 

「まず、私が名乗るべきだな――――予想はされていたが、その日本帝国の首相。榊是親という」

 

「ベトナム義勇軍戦術機甲大隊、パリカリ中隊第二小隊小隊長、マハディオ・バドル中尉であります」

 

次にマハディオと同じく、王も、武も―――大和という偽名だが、そういった様子は欠片も見せないままに敬礼をしながら名乗る。

 

「食事は、楽しんでいただけたようだね」

 

「はい。今までに食べたことがないぐらいでしたよ」

 

マハディオは頷く。冗談抜きの本気で美味しかったのは間違いなかったからだ。それは王も武も同じで、マハディオの横で頷いていた。

 

「整備に関しても、閣下のご指示で?」

 

「ああ。4軍の窮地を救ってくれた英雄だ。もし故障していたとなれば、それは名誉の負傷というものだろう」

 

当然の対応だと、榊は言う。対するマハディオは、素直には受け取れないままいた。戦術機の整備にかかるコストは、高い。それこそ、このような食事よりも圧倒的に高いのだ。なのに要望も受けていない状況で、勝手にやって勝手に完了している。

 

マハディオは考えていた。裏があるはずだ、と。元帥の裏を欠片だけど察している彼は、政治家が善意だけ動くなど夢にも思っていなかった。

 

「………腹芸は苦手です。判断できる能力も、自分にはありません………ですから、単刀直入に聞きます。閣下におきましては、私達に何をお望みでありますか」

 

「望み、か………貴官らは国連軍がどうなったかを知らされているかね?」

 

榊の問いかけに、マハディオが頷いた。ほぼ壊滅であるとは、先ほど中将から聞かされたことだ。

それが、一体何だというのか。

 

しかし、その疑問に答えたのは榊ではなかった。

 

「国連からの、彩峰中将閣下に対する責任の追求ですか」

 

「………その通りだ」

 

武が言い、榊が頷いた。しかし、と無表情のまま榊は問うた。

 

「ふむ………鉄少尉が答えると。中尉はそれで構わないのかね?」

 

「ええ。こういった状況においてのやり取りや判断は、鉄少尉に一任されておりますので」

 

苦笑するマハディオ。本来ならばあり得ない指示だろう。

一方で榊はそれを聞いても、ただ頷くだけだった。

 

「敬語は苦手なんで、ちょっと砕けた表現になってしまいますが構いませんか?」

 

「構わんよ。見た目は子供のいうことだ、一々咎め立てることはせん」

 

後でどうとでも説明はつく。無表情のまま頷く榊は、感情の動きさえも外に出さなかった。マハディオはそこに、一流の政治家の在り方を見た。自分とて学があるとはとても言えないが、それでも交渉ごとで感情の動きを捉えられることがどんな不利な状況を呼ぶかは知っていると。くせ者で名高い、ラジーヴ・アルシャードと同等かあるいはあれ以上の鉄面皮だ。マハディオは例え自分が何を言おうとも、相手の面の皮を崩すことはできないだろうと考えていた。

 

対して、横にいる武は――――

 

(………“出た”か)

 

別ベクトルで厄介な。

マハディオは先の会話の時点で、そう思わせる“モノ”が出たことを悟っていた。

 

「えと、詳細までは分かっていないんですが………」

 

言いながら、武は列記するように手持ちの情報を口にしていった。国連軍はほぼ壊滅したらしい。他の3軍は被害が大きいものも半壊程度という。原因は、国連軍の司令部が陥落したことによる指揮系統の乱れによるもの。

 

「そして難民は無事に半島を脱出。しかし、国連軍が帝国陸軍の指揮官だった中将閣下にその指揮の責任を追求していると」

 

「………なんでだ?」

 

急な発言をしたのは、王。いきなりの横槍に武と榊が視線を向けるが、当の本人は本当に疑問だったようで困惑顔を崩さないでいた。

 

「失礼しました。ですが、当事者からの意見があった方が話がスムーズに進むと思われます」

 

「構わんよ。そういった声が聞きたいから、この場を設けたのもある」

 

それでは、と武は王を見る。王はつらつらと、あの時に起こった事を頭の中でまとめながら口に出していく。

 

「移動命令が出たっていう詳しい時間は覚えていないけど、結局帝国陸軍は国連軍の援護に動いただろ。難民の護衛と脱出の援護に必要な最低数を残して、後の部隊は国連軍の司令部に向けて移動を始めたはずだぜ?」

 

「しかも勝手に窮地に陥った国連軍に向かって、な」

 

マハディオの言葉は、戦況を把握していた衛士の言葉を代弁するものだった。戦闘中盤に突出した部隊。あれが後々にまで響いたことは間違いなく、それでなくても国連軍の踏ん張りはお粗末と呼べるものだったのだ。原因が指揮官にあることも、大体の衛士は把握している。悪名ならばすぐに流れるのがこの業界であるからだ。

 

「そうそう。で、地中からの出現ポイントも、どっちかって言えば国連軍よりだったろ。てーことは、あの地域の振動を計測してたのは」

 

「ああ。連合軍より遥かに良い機材使ってる、国連軍だったはずだ」

 

なのに、帝国陸軍の責任を追求するという。事情を知らない二人には、不思議でたまらなかった。

その問いに答えたのは武だった。

 

「………それでも、帝国陸軍の動きが迅速じゃなかったのは確かだ。後の一斉砲撃に備えたのもあって、移動するのが遅れた。だから―――こんな所ですか」

 

国連軍の即時移動命令を聞かなかった。つまり彩峰中将は命令違反を犯し、結果的に国連軍の司令部が陥落したと。

 

「だから国際軍事法廷に出頭させろとでも言って来ましたか?」

 

「………その通りだ」

 

榊は若干の沈黙を挟みながらも、武の言葉を肯定した。

 

「え、何だその言いがかり」

 

国連軍が原因とされるものを挙げれば、こうである。

 

―――適してない人物を指揮官に据えた。それが原因で、国連軍の損耗率が大きくなった。その上で地中侵攻を察知し損ねた。結果的に、司令部が陥落した。指揮系統が混乱したせいで、他の3軍の被害も大きくなった。

 

「現場の兵士の声を聞くからには、その通りだろうな。対する帝国軍は、即時移動命令を聞かなかったこととあとは、光線級吶喊を事前に報告しなかった。事後承諾で行ったことだが………」

 

榊の言葉に、マハディオは頷かなかった。

 

「光線級吶喊に関しては違います。あれは連合主体のことです。義勇軍側から連合軍に提案して、その上で………」

 

陸軍に話を持っていった。それは3人共が知っている事実だ。

 

「その通りだと思う。強いて言うなら、連合軍の方が責められるべきだ」

 

光州作戦で、帝国陸軍と統一中華戦線は国連軍の指揮下で、ということで作戦にあたった。一方で、国連軍と連合軍とはあくまで同等の指揮権。であれば、本来ならば連合軍は国連軍の方から先に話を通すべきだったのだ。

 

「大東亜連合軍への責任の追求は………その、あるんでしょうか?」

 

「確定の情報ではないが………連合軍に責を求める声は、帝国軍ほどではない。むしろそういった声は弱いと聞いている」

 

「変な話ですね………」

 

話としては分かる。光線級吶喊は成功した作戦であり、それを責めるような真似をすればどうなるのか。むしろ命令に即座に応じなかった帝国軍への追求を強めていく態勢だということ、理屈としては通っているかもしれない。

 

だけど、あの位置に帝国陸軍の戦術機甲部隊が展開していたからこそ、司令部より少し外れていた国連軍の残存軍が撤退できたのだ。護衛より国連司令部へと移動をしていた部隊。九十九中尉が率いていた隊や、その地点にいた衛士部隊が奮闘したからこそ、BETAの展開は遅れたのである。王とマハディオはそこまで聞いてようやく、ここに呼ばれた理由を何となく察した。

 

彩峰中将が取るべき責任とは、半壊した軍に対するものだろう。しかし原因の半分は国連側にある。それなのに、逆に国連側から責任を求める声が上がっていると。

 

「………そんな状況で、まさか素直に応じるわけいもいかん。誰より戦った将兵が納得せんよ」

 

現場の兵士は、大体の事情は把握できているのだ。恐らくだが、国連軍の失策を呪う人間もいるだろう。それを打開する策を練り、完全ではないが成功させた中将が。しかも軍人としての本懐である民間人の守護―――難民の救助をやってのけた指揮官が責任を問われるなどと。

 

「優秀な指揮官、しかも生還した兵士にとっちゃ命の恩人に近い―――それに対する一方的な沙汰か」

 

まず、反発というレベルでは収まらない。作戦に参加した兵士はおろか、軍のほぼすべてに波及する可能性が高い。

 

「かといって、国連に対して全面的に逆らうことはできない」

 

武が、ため息と共にそう発言した後。榊の表情がそこで初めて、動きをみせた。

 

「ほう、鉄少尉………断言するとは、君は何かを知っているのかね?」

 

年若いとはいえ、迂闊な発言であれば看過はできん。そう告げる榊の迫力は一国の政治を司る立場に相応しく、かなりのものであった。しかし武としては、それに慣れている。迫力であればアルシンハも似たようなものだし、怖い顔はかつての同僚で見慣れていた。動揺しないまま、淡々と言うべきことを口にする。

 

「アルシンハ・シェーカル元帥閣下のこれからの行動をお伝えします。まず間違いなく、日本帝国軍と“同じ方向を向いた”上で動く」

 

「………つまり、君は?」

 

「非公式ですが、元帥閣下の名代と。そう取っていただいて構いません」

 

「と、言われてもな。君としても、その辺りが分からないようには見えんが………」

 

社会的に証明された立場。それがあってかつ、両者の信頼があってこそ外交というものは成り立つ。上辺だけでも、あるいは反目しあうのも。比べて、武には何もなかった。名代というが、それを証明するものなど存在しない。いくらかの情報を掴んでいるかもしれないが、それだけの諜報員という可能性もあるのだ。ただの口先で信頼が得られようはずもない。

 

武はそれを分かっていて―――だからこそ、鬼と呼べる札の一つを切りはじめた。

 

「大東亜連合軍の方針は一貫していますよ」

 

「言葉だけでは、何とでも言えるが………それは分かっているようだ。何か示せるものはあるかね?」

 

「―――ラジーヴ少将から、彩峰中将閣下に向けての言葉。あれは嘘偽りない、譲れない結論であります」

 

そこで、榊は思い出した。中将とここに来るまで、話をしていた時に聞いた内容。

光線級吶喊の提案を受けた時に、大東亜連合軍の指揮官から告げられたという言葉のことを。

 

『“さて取れる策は多くない、ましてや異星から来た馬鹿げた化物を前に――――だけど盗人に家を明け渡す臆病者はあり得ない”と。強調していたが、何かを言いたかったようだ』

 

彩峰中将は言った。今更過ぎる内容で、自分には分からないが、と。対して目の前の少年は、国連と敵対する訳にはいかないという理由を元に、その言葉の意味を証拠として提出していた。

 

最後に、と榊は日本語で問う。

 

「“………バドル中尉と王少尉は、知らないようだが”」

 

「“知らされているのは自分だけです。かといって、完全に信用されるはずがないのも分かっています。これはひとり言ですが―――ラジーヴ少将が責任を取って軍部から追放処分を受けると。その予定で動いていくつもりです”」

 

「“義勇軍のスポンサーが誰であるか、自白していることと同じだぞ?”」

 

「“東南アジアじゃ暗黙の了解ですよ。それにもう、潰れてしまいました”」

 

「“追求はできん、か。しかし君は、日本側も連合軍と同じく、先手を打ってこちらからも動けと、そういうのか”」

 

「“意志の疎通と協調する姿勢があれば、あるいは何とかなるかもしれない。統一中華戦線としても、連合軍に乗る以外の選択肢はない”」

 

武の言葉を、榊は否定しなかった。統一中華戦線も、生産拠点として頼っている大東亜連合が不利になるように動くことはありえない。加えて言えば統一中華戦線も、国連軍のせいで少なからず損害を被ったという点では同じ。どちらを選ぶか、などとは愚問である。そしてマンダレーの勝利以降、ミャンマーからマレーシア、インドネシア、シンガポールといった東南アジアの諸国が活気づいているのは周知の事実でもあった。生産拠点としては、日本帝国からも頼りにされているほどだ。

 

「といった具合です。俺からできるのは情報を提示するぐらいで、指図なんてとてもとても。

 

ていうかそんなのできませんよ、ただのガキが。こうして駆け引きするのも、いっぱいいっぱいです」

 

“武”は―――“声”はまさか思っていなかった。自分がこういった交渉ごとに向いているなどとは。

 

ましてや、相手は首相である。半ば反則近い情報があって初めてこうした最低限の会話が成り立っているのだ。交渉ごとにおいては何よりの武器となる情報の、その優劣があって初めて今回の“会話のようなもの”が形になっている。

 

「光州の件に関しては、それだけですね。それ以上に言えることはありません」

 

「方針は“そう”であると?」

 

「第4の完遂を望んでいます」

 

だってそうでしょう、と言葉が続けられた。

 

「連合軍に所属する軍人の大半も、そして中国も………BETAに殴られるままに、追い出されました。奪われ、踏みにじられました」

 

見てきたままに、武は言う。

 

「今はハイヴを建設されました、それでも――――今も戦っている人たちにとって、あそこは取り返すべき場所なんですよ」

 

それはいつか帰りたい場所で。

 

「だから、“5番目”など選ぶはずがない………今回のやり口もそうですよ。人間をいったいなんだと思ってるんだ」

 

今回も、何人が喰われちまったのか。告げる武に、榊はわずかだが気圧された。

そこには先程まで感じられた、どこか軽い様子は皆無であった。

 

(まるで、別人だ)

 

榊は少し戸惑っていた。言葉の途中で、まるで別人のように顔つきが変わったかのように思えたのだ。そしてその時の少年の背中に、大量の死体が見えたような気がした。BETAに殺されて死んだ衛士か、あるいはもっと別の種類の何かが浮かんでいるような。

 

だが、それだけで是を示すほど榊も甘い人物ではなかった。

 

「嘘ではないと、信じろという言葉だけで納得はできん」

 

「………そうですね」

 

「だが―――考えるに値すると、そう判断させてもらおう」

 

榊は、確約などはしないと思っていた。情報が少なすぎるし、明確に信頼するに足る情報ではない。それでも、目の前の少年の言葉に虚言が含まれていないとも感じていた。あるいは、この少年が誰かに騙されている可能性もあろう。だけど、亡国の兵士が何を考えているのかを考えたのだ。感情に情報の確度からして、今の言葉に対する嘘は無いだろうと考えていた。

 

「それでは、君たちの今後の処遇についてだが」

 

義勇軍の衛士として、証言は協力すると。それは武達もやぶさかではないのだが、問題はその後のことである。マハディオも王も、隊が実質的な解散状態になった直後である。具体案などあるはずがなかった。しかし、やるべき事を問われれば一つである。それはBETAを倒すことだ。

 

あの作戦において義勇軍は、難民の救助のために立ち上がった、という題目を立てている。そして難民はこの日本へ。守りぬいたと言われればそうなのだが、この後がどうなるかでまた問題が出てくる。それは半島を制圧したBETAと、それに対して変動した対BETA戦線について。

 

「大陸の防波堤は消滅しました。今や日本本土と、BETA支配地域との間にある防衛線は一つのみ」

 

「朝鮮半島と九州・山陰の間にある日本海のみか………早ければ来週にでも来るな」

 

現状、日本の近くにあるハイヴは3つ。H:18、H:19、H:20が建設中でもあるが存在している。そして東南アジア方面と比べ、その侵攻の頻度や速度の程度は東アジアの方が明らかに高い。もしかしたら、ここで侵攻の勢いが弱まるかもしれない。でもそれはあくまで希望的観測である。そしてBETAは今まで、その希望を踏み潰すように動いてきたのだ。

 

まずもって、日本本土へその支配域を広めようとしてくるのは間違いないと見て良かった。

 

「俺は、東南アジアには帰りたくないな」

 

「どうしてだ、王」

 

王は意外そうな顔をしているマハディオに向け、そっちこそ心外だと返した。

 

「どうしてって、こっちの方がいっぱい殺せるだろう。攻めて来る数にしても、東南アジアよりかはこっちの方が多い」

 

BETAを多く殺せる―――それ以外の事はどうでもいいと、王は言う。

それを聞いた榊は、先ほどまでと同じ無表情のまま、質問を投げかけた。

 

「王少尉。君が義勇軍に入ったのは、より多くのBETAを殺せるからかね」

 

「肯定です。南の戦線抑えるだけの連合軍よりは派手に動けるって聞いたから………あとは、決定的な要素が一つ」

 

王は答えながら、武を横目で見た。

 

「一人、上手い奴がいましてね。あの糞ども潰す作業が“とても上手”な奴がいたから」

 

殺す良い手本になるし、手伝えば本当に多く殺せます。淡々と述べる王に、榊は一種の狂気を見ていた。怨恨か、あるいはまた別のものか。それをおいたまま、次はマハディオに問うた。

 

「自分も残りますよ。この狂犬を放置したまま、というのはテロに等しいですから」

 

それに、日本には一人だけ謝りたい奴がいる。そう告げるマハディオの顔には、いささかの後悔が浮かんでいた。

 

「その人物は日本人かね?」

 

「はい。そして間違いなく、生きて戦い続けている筈です」

 

「………問題の出ない範囲であれば、私としても協力はできるが」

 

「いえ、探せば見つかるでしょう。そういった奴ですから」

 

そうか、と頷く榊。残るは武だけだと視線を向けるが、目が合うなり頷きを返された。

 

「勇気が、あるのだな………見返りがあってのことだとも思えんが」

 

「ありますよ。でも、そうですね………報酬は要りませんが」

 

ただ、今度があれば合成食料で作られたカレーが食べたいです。

その言葉に、今度こそ榊は表情を崩した。

 

「鉄少尉は、15歳だったな」

 

「はい。と、彩峰中将にも聞かれましたが、何故頭痛がするような表情で?」

 

「………彼も、そして私も。君と同じ年の娘がいるものでな………いや、忘れてくれ」

 

そのまま、話を移そうと咳をする。

 

「それでは、これからのことだが―――」

 

諸所の対応について。

また別となる、その他の細々とした話などが終わったのは、夜が更けてからだった。

 

最後に、榊は三人に向けて告げた。

 

「事が後先になったが、貴官らの勇気に感謝する。事情は色々とあろうが、4軍の被害が減じたのは間違いなく君たちの腕があってのことだ…………これからの事についても、一人の日本人として言わせてもらおう」

 

―――感謝する、と。立場が圧倒的に上な人物から、と限定してだが滅多にない感謝の言葉に、王でさえも背筋を伸ばした敬礼で応えていた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

「ったく、ハラハラしっぱなしだったぞ」

 

「で、それが原因で王はトイレに?」

 

「………ただの食べ過ぎだろうよ」

 

呆れ声があてがわれた自室に響いた。

 

「王がなあ。BETAぶっ殺したいってのは見て分かってたけど、まさかお前目当てに義勇軍に入ったなんてよ」

 

「今日一番の新事実だったよ」

 

初めから喧嘩腰だったのは、納得いかないけど。武はそう言いながら、ベッドに倒れこんだ。

 

「また、馬鹿に暗いな………ひょっとしてパリカリ中隊のあいつらことでも気にしてるのか」

 

「まあ、気になるだろ。壊滅したのは、ほぼ間違い無いし………」

 

「……お前もなあ。俺より多く経験してるだろうに。それも、交流なんかほぼ無かったってのに割り切れんのか」

 

「………こればっかりは、無理だ。慣れるなんて、考えられねーよ」

 

武は、腕で目元を隠しながらため息をついた。精神的な疲労が重なったのだろう。マハディオは自分も倒れこみたくなったが、その前にと武の前に立つ。

 

「………“武”。さっきのこと、何やら俺には到底分からない位階での言葉があれこれ飛び交っていたが」

 

「それは、日本語って意味でか?」

 

「とぼけるな、第五ってなんだよ。あとはラジーヴ少将のことも………っていっても追求できねーか。出来るような立場にもないしな」

 

嫌味だから聞き流せ、と言うマハディオ。武はごめんとしか言えなかった。

 

「悪いけど、何も答えられないんだよ。少なくとも“俺”には………だけど、助かったよ。俺も、その意味は知らされていないからな」

 

逆に、武は声に問うた。あれで大丈夫だったのか、と。

 

《問題はなかった。ミスはないと思う。衛士として動く以外に、出来ることなんて多くない。あれにしても、メッセンジャー以上の役割はねーよ》

 

どちらの本意がどうであれ、翻弄されないように努めるだけだ。声がそう言うが、武としてはいつもと変わらずその辺りの事情を納得できていなかった。しかし、それもいつもの通りであった。問うても事態は変わらず、翻弄されるままという部分まで同じだ。

 

「あちらさんも、深い所まで突っ込んではこなかったな」

 

「あくまでお客さん扱いなんだろ。丁寧に対応するだけ。きっと反感を買うのは得策じゃないって判断されたんだろう」

 

でなければもっと深く切り込んでこられただろう。少なくとも今回のあの会話が、接待に近いものであることは武にも分かっていた。証言を優位にして、彩峰中将の対応をいかにして上手い方向に持っていくか。武ははっきりと分かっていた。肝が義勇軍の疑惑に関するものであったら、もっと酷いことになっていたかもしれないと

 

「何にしろ胃が痛い………ああくそ、プルティウィに会って癒されてーなあ」

 

「全くだよ!」

 

マハディオが首を、もげるんじゃないかというぐらいに強く縦に振った。そして痛めたのか、首を押さえてうずくまる。武は身体を起こして、復活するまで待った。

 

「大丈夫か?」

 

「問題ない。あと繰り返すが、先の意見には心底同意しよう………っても、ラジーヴの旦那は大丈夫なのかよ」

 

「親父もいるし、問題ないだろ。それに―――」

 

「わかってるさ。まあ元帥閣下のことだから、何とかするんだろうけどよ」

 

プルティウィとは、二人にとっては知己であるネパール出身の娘だ。死んだと思って、ベトナムで再会して。今では、勇猛で有名なラジーヴ少将の義理の娘になっていた。いくらかの取引の上に。

 

「それに、ラジーヴ少将。あの人は元帥閣下より信用できるさ。それにマハディオも誓われただろう。実際に養子として迎えられてるし、覚悟も受け取ったんだろ」

 

「………まあ、な。文句を言える立場でもないか………そうだよな。俺と一緒にいるより、ずっと幸せになれるだろうから」

 

だからこそ、最前線になるであろう日本に残る。

それが正しい選択であると、マハディオは信じていた。

 

「そっちはどうだ? 親父さんに会えなくてさみしいー、とか言うなよ」

 

「口が裂けて死んでも言わねーよ。それに、巻き添えにする方がゴメンだ」

 

武は、前半は怒るように。後半はつぶやくように言った。分かっている事情は多くない。判明しているのは、白銀武が何らかの理由で危険視されていること。それが原因で、あの小隊に入れられたこと。裏には当時の基地司令が絡んでいたこと。そして自分の母親が、何らかの形で関与しているであろうこと。だけど主な要因は白銀武個人にあることだ。

 

「………日本に帰ってこれて、喜んでいると思ったんだが」

 

「あー………そりゃあ、嬉しいさ。間違いない」

 

少し浮ついた気持ちがある。武も、決して帰りたくなかった訳ではないのだから。

 

「でも………このままじゃ、帰れないかな」

 

「なんだ、やっぱり故郷が恋しかったとか?」

 

「………故郷というか、人というか」

 

思い出せるのは、実に間抜けな顔。そして綺麗な赤い髪の毛と、その中からひょこんと飛び出て、面白いように動く一房の。からかえば、面白い反応が返ってきた。そのたびに毛は動いた。拗ねた時、両方のほっぺた膨らました時の顔はブサイクの一言だった。笑ったら、強烈なパンチでふっ飛ばされた。なんでもないような時間。生きるも死ぬも考える必要がなかった穏やかな時間。

 

(あれはもう、5年も前のことだなんてよ)

 

信じられないし、実感もなかった。

 

―――何故ならば、今も続いているあの悪夢の。

登場回数が一番である幼馴染の顔が、浮かんでは消えるからだ。

 

「純夏………」

 

呟き、はっとなって口を押さえた。しかし聞かれていたようで、マハディオはどこから取り出したのかメモにその名前を書きなぐる。

 

「ターラー中尉から聞いたことあるな。カガミ・スミカだったっけか」

 

「っ、知らねーよ!」

 

言うなり、武はベッドに倒れこんだ。マハディオはそれでも誂うことはやめない。

 

「今も待ってると思うぜ? 影行のおっさんといい、白銀一族はバケモンだからな。よっ、色男!」

 

「はっ、純夏はそんなんじゃねーよ」

 

「ってお前そういってばかりで、告白されても断ってるけどよ」

 

ニヤリと笑って、マハディオは言った。

 

「気になってはいるんだけどよ………武お前、サーシャちゃんとはどこまでイったんだ?」

 

ニヤニヤと問う声。たっぷりと10秒が経過した後、武は答えた。

 

 

「………誰だそれ? そんな名前の奴、知り合いにいたっけか?」

 

 

―――まるで魔法のように。室内の空気を、止めるかのような答え。それでも武はいつものように気にした様子を見せないで、ただ彩峰中将がどうなるかを思っていた。BETAは間違いなくやってくるだろう。この国も戦場に染まる。厳しい戦いになるのは、避けられない。

 

なのに、“声”曰く銃殺刑まではいかないが――――

 

「大人だろう、中将だろうが。戦わなきゃいけないってのに……………………俺は許されないってのに、なんで………」

 

ちくしょう、という声はかき消された。いよいよ激しくなってきた雨に紛れるように。

 

 

少年はじっと、見えなくなった窓の外の向うを見ようと、目を凝らす。

 

 

その傍らでマハディオ・バドルは、俯いたまま沈黙を保っていた。

 

 

 

 

 

 

そして、一週間後。6月の下旬、大東亜連合軍の中枢とされているシンガポールで。

 

「久しぶりだな………14年ぶりか、白銀影行」

 

「お久しぶりです巌谷大尉………っとすみません。今は中佐でしたか」

 

「ふっ………貴様の失言癖はあの頃より変わっていないな」

 

 

 

日本から数千km離れた国のとある一室で、二人の人間が10数年ぶりの再会を果たしていた。

 

 

 


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