Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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1話 : 光州の地で

 

――――ヘッドセットを膝の上においたまま、眼を閉じる。見えるのは黒の閉ざされた空間だけ。そして聞こえるのは、機体の駆動音だけだ。地面が揺れているのが分かる。攻める存在に、応じる誰か。遠くで、誰かが戦っている証拠だった。だけどはっきりとは聞こえなかった。感じられるのは装甲越しに迫ってくる、戦場の空気だけである。

 

もう、馴れてしまった。こうした時間も、息を吸った時に広がる血に似た酸素の味も。一体、いつからこうして戦っているのだろうか。その切っ掛けは、果たしてなんであったのだろうか。

 

「………思い出せない」

 

一人、少年はぽつりと声を零した。誰にも聞こえるはずのない声がコックピットの中の狭い大気をわずかに震わせた。閉ざされた管制ユニットの中である。通信にだって乗っていないその言葉に、しかしただ一人反応する者が存在していた。

 

『思い出したくない、の間違いだろうが』

 

笑う声―――それも嘲りの文字が冠されるに違いない、負の感情がこめられた声が頭の中に広がった。鼓膜は震えていないはずだ。なのに声は確かとなって、思考の中に浮かんでくる。

 

『それとも、何か? ――――お前、本当に(・・・)思い出したいのか?』

 

 

皮肉さえもこめられるようになった問いかけてくるその声に、少年は答えることができなかった。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

 

楽な任務になるなんて、思っちゃいなかった。欠片でも、考えてなかった。

 

「けど、これは無いと思うんだ」

 

光州の地に、帝国陸軍の戦術機甲部隊に所属する衛士がいた。今日はじめてBETAと対峙することになる少女、碓氷風花(うすいふうか)はたまらずに声に出して愚痴をこぼしていた。

 

複数の軍が入り交じっているこの光州作戦は、前提の条件からして不安な点が多かった。それが作戦遂行の難度を上げることになるというのは、新米である彼女にも分かっている。仲があまり良くないことで知られているアジア方面の国連軍と大東亜連合軍、その2軍の撤退を支援しようという作戦だからだ。

 

何も起こらず、いとも容易く簡単に犠牲もなく万事世は事もなしに終わる―――なんて事があり得るはずない。またぞろ想定外の状況が発生して、その対応に追われるのだ。その度に犠牲者が増えてしまう。戦場帰りの先輩の話を事細かに聞いていた彼女は、それが脅しの言葉であるとは微塵にも思っていなかった。

 

――――何故ならば、帰って来なかったからだ。

 

少女の知る人達が居た。空元気な気勢と共に“行ってきます”を言われ、だけどその後に“ただいま”を聞いたのは全体の1割以下でしかなかった。小さな頃より脳天気だとよく言われていた風花といえども、そうした現実を前に楽観的になんてなれるはずがなかった。アンタは楽観的すぎる、と姉に言われたことがある。呆れが混じったため息と共に、頭をよく小突かれていた。そんな彼女でも、この作戦が“きっと全て上手くいく”なんて、そんなことは冗談でも口にさえできないだろう。

 

覚悟はしていた。この事態、ある程度の予測はしていたつもりだった。だけど現実の苦味はいつだって空想の甘味を上回るものである。風花は、心構えをしていたとはいえ自分の身に差し迫ることとなった窮地を前に、文句の言葉をつらつらと心の中で積み重ねていた。

 

“何についても反感を持ってしまうのは人間として当たり前のことよね”、とは彼女の姉―――碓氷沙雪(うすいさゆき)の言葉だったが、妹である風花も全くもって同感だと思っている。甘受するだけでは成長しないと、教えられてきたから。ましてや発端が人類側にあるのならば。文句の10や20は浮かぼうというもの。指揮官より前線の2軍の間でトラブルがあったと聞かされたからには余計に、その感情は溢れてしまうことだろう。

 

『うん、その原因を盛大に呪いたくなってもさ。あのお婆ちゃんでもきっと、許してくれると思うんだよね』

 

自分が不幸に落ちた時でも、誰かを呪うことはおよしなさい。そう祖母から教え受けていた彼女だったが、今の状況ならば許してくれるだろうと思っていた。風花は分かりつつも言い訳の言葉を重ねながら、今日という今日こそは呪いたい気持ちを我慢できなくなっていた。あるいは、自分が戦場にいなかったらまた違った感想を抱いていたかもしれない。切り替えて忘れることもできたかもしれない。根底に厳しい祖母の拳骨があるから、そういった思考を抱くことを抑えられたかもしれない。

 

だけど此処には、自分しかいないのだ。たった今、自分のいるここは戦場なのである。

 

頼れるものはあろうが、いつ崩れるか分からない。この中では確たるものは何一つないのだ。地面の堅ささえも疑わなければいけない場所。そして自分が兵隊であることを、彼女は理解していた。そんな中で風花は、自分の命がまるでどこか別のテーブルに置かれているような気持ちを抱いていた。

 

自分の命が自分の命だけでないこと、それを正しいとする軍人としての在り方は風花とて理解していた。だけど、人間である。命だって惜しい。だからこそ不平不満も、心の底で納得できない部分もあるのは当然だろう。風花はそうした考えを捨てていなかった。

 

捨てろといったのは、当時の教官である。鉄も火も関係ない、ただの学生だった身分。そんな彼女は軍での訓練を受け、変われと言われた。抵抗心はあっただろう。だけど訓練は苛烈の一言で、風花もその人格を、一部だが軍事に適するようにと変えられていた。それは、今も戦っている他の兵士達と同じである。個々ではなく集団として機能する組織になるように、教育を施されたのだ。

 

だけど、そのすべてが変わったということはなかった。全てに恭順できる程に若くもない。時代が時代ならまだ学校に通っていてもおかしくない年齢だ。銃を持たない立場で過ごした期間が人生の大半で、それは軍人になってからの時間より遥かに長いものである。

 

生来の脳天気さ、その大半は消されたとしても残っていた。そして普通の民間人として、死に臆病になる部分も確実に残っていた。だが現実は兵士になった者達に酷を強いていた。風花も、死ねという命令でも拒否できないのが軍人で、民間人より先に死ぬのが武器持つ兵の仕事であると訓練学校で教えられていた。

 

将棋で、自分の意志で動く駒はいないように。動いてしまっては、指し手としての勝負も何もなくなるだろうと。指揮官は、盤面を有利にするために価値のある判断を求め、兵はその指示通りに動かなければならないということは、近代戦における絶対のルールである。

 

犠牲少なき勝利を。そのためならば人の死は数字上で表され、損耗の大小で将の能力が評される。別の面では、作戦の目的というものが重要視されている。いくら将兵が生き残ろうとも、戦うことになったそもそもの目的が達成されなければ”戦闘を行った意味がない”のだ。

 

(………難民の人達が多く残ってるこの状況で。私達兵士の命がどう扱われるのか、なんてさ)

 

風花は詳しいことなど考えたくもないと、暗い思考を強引にせき止めた。反して、どうしてこうなっているのかと原因を呪いたくなる気持ちが強くなっていった。原因の大半は諸悪の根源であり人類の天敵であるBETAにある。

 

しかし風花は、この場にいたっては突出した衛士部隊も呪いたくなっていた。避難を拒んでいたという、難民に対してもだ。もっと早く避難してくれていれば、現在避難の援護をしている戦術機甲部隊も最前線の戦闘に参加できていたはずだ。数で圧してくるBETAに対して、戦力の逐次投入を行うのは愚の骨頂である。連携の拙さはあれど、少ない数で踏ん張るよりは良いはずなのだ。だからといって、今更になってどうするという事が出来るはずもなく。

 

(ここでやれることはといえば、一刻も早く避難を完了させることだけかな)

 

そうして風花が割り切り、我慢している中でも難民の避難は進んでいった。彼女と同じ、難民の護衛である同部隊の衛士達も、戦術機の中でじっと息をひそめて周囲を警戒し続けていた。BETAの足音は遠く、戦闘を示す爆音も遠雷じみた響きでしかない。だけど時間とともにそれは近づき、やがては突撃砲の音も掠れるほどだが耳に届いてきていた。

 

それが途絶える音もあって。そしてまた、銃火の音が聞こえてきた。

 

前線では今一体何が起こっているだろう。風花として、思い浮かぶような事は様々にあったが、それが実となることはなかった。

 

(………経験豊富な衛士なら、具体的な絵や結果を想像することができるんだろうけど)

 

知るものならば像になるかもしれないが、全く知らないものは思い描けないのだ。その事実が余計に、風花の中の不安感を煽っていた。あるいは、不安を消したいと虚空に大声で叫びたくなるぐらいには。しかし、彼女はじっと耐えながら警戒を続けることにした。

 

風花も、戦場において唐突な行動を起こす兵士に対する周囲の反応は冷徹も極まると聞いていた。錯乱に付き合っている余裕はない、とは教官の言葉だったか、指揮官の言葉だったか。

 

好意的に解釈すれば退避命令だろう。だけど悪ければ、否、ほとんどは“処理”されてしまうというのが彼女の予想だった。錯乱した不確定要素など敵でしかないからだ。いやでも戦術機は高価だし――――と考えた所で彼女は思考を止めた。

 

なんという事だろうか。地球より重たいはずの命よりコストの方が重きにおかれているではあるまいか。具体的に言えば金である。地球上で取れるものの1つであるくせに、地球そのものを上回る価値を持っているというのか。風花はそこまで妄想し、結論に至ったとことでようやく、ここが本当にひどい場所であることを悟らされていた。

 

『………おい、そこの天然新米。またぞろ一人でぐるぐると考えて、変にショックを受けていると見たが』

 

『な、那智兄ィ!? っ、じゃなかった―――九十九中尉っ!』

 

自分の声が裏返ったことを自覚しつつ、すぐさま言い直す。返ってきたのは、なんともいえないといった小さな苦笑だった。

 

『碓氷少尉、無駄な大声で返事をしなくてもいいぞ。大事な報告があれば、また別だが』

 

風花はその九十九中尉―――中隊長の横目につられ、見る。するとそこには、同じ小隊の仲間の不機嫌そうな顔が映っていた。彼は確か、突撃前衛の一人だったか。

 

『申し訳ありません!』

 

風花はすかさず、敬礼と謝罪の言葉で返した。謝罪を向けられた彼、中隊長―――九十九那智(つくもなち)は、ああと頷きを返した。そして苦いものをかじったかのような顔をして言った。

 

『いや、いいんだ。本来なら、新米のやることだと笑って済ませるのが普通なんだからな』

 

笑って答えようとしている中隊長の言葉。それを聞いていた他の隊員には、どう聞こえたのだろうか。風花の眼には、その顔に苛立ちだけではない、気まずさが混じったように見えていた。

他の隊員も同じで、いつもと違う。風花はぼんやりとそんな感想を抱いていた。

 

目の前にいる同じ部隊の先輩の人は衛士だ。そしてその顔は、基地でも見かけたことがある。模擬戦の時にも、相手をしてもらったことが何度かある。その時の彼らは面倒見のいい、気さくな人たちだった。中には故郷、群馬の学校で何度か見た顔もある。自分とは違うし同期の男子連中とも違う、とても頼り甲斐のある先輩だった。どう間違っても、こんなちょっとした事に苛立つような人じゃなかったと思う。風花は知らず、立ち上がるような気持ちで笑顔を見せた。

 

『だ、大丈夫ですよ! 私も、その、変な感じにさせちゃって………!』

 

そこで、口ごもった。空気が違う、まるで別世界にいるかのよう。風花はそんな事を思っていたが、それを口にするのは不味いとも考えていた。そして彼女は同時に、こうも考えていた。

 

この空気はまずい、理解はしていないが“嫌なものだ”と。振り払うように声量を大きくした。

 

『その、援護は任せちゃって下さい! こう見えても同期の仲では一二を争うほどの腕だったんですから!』

 

『……そうだな。確かに、お前の射撃の精度は中々のもんだった』

 

辿々しくも、返事をしたのは不機嫌な顔をしていた先輩だった。風花は、その顔と声にいくらかは柔らかいものが混じったように感じていた。

 

ちょっとだけ、表面上だけど笑顔を浮かべた後に―――

 

『ただ背中を撃つのは止めてくれよ、新米。同士討ちは、中華の出来損ない戦術機だけでもう腹一杯だ』

 

―――錯覚だったことを悟った。風花は笑顔で固まりながらも、その言葉の意味を理解できないでいた。すかさずフォローしたのは、また別の隊員だった。

 

『おい、久木!』

 

『………分かってるさ。すまんな、新人。つまらん愚痴を聞かせた』

 

言い捨てると、久木はそのまま少し離れた場所に移動していく。見送りながら、風花は割り込んできた同じ中衛の衛士に視線を向けた。

 

『………奥村少尉、あの』

 

『すまんな、碓氷少尉。どうだってあれ、お前に当たっていいはずがないのに』

 

それよりも風花は事情が知りたかった。その意図を察したのか、ため息まじりに奥村は説明を始める。

 

『………機体に取り付いた、戦車級。中華統一戦線の“殲撃(ジャンジ)10型”にはそれを爆砕するための爆発反応装甲(リアクティブ・アーマー)というものが装備されていてな』

 

爆圧により衝撃を殺す装甲の亜種らしい。

そしてそれは、距離次第では友軍をも傷つける兵装であった。

 

『あいつも………即死はしなかった。だが、破片が跳躍(ジャンプ)ユニットに直撃してな』

 

その続きは、顛末と言える内容は言葉にされなかったが、風花は察することができていた。戦車級がいるといえば、敵陣に浅くない位置にいるということだ。そこで高機動を殺された衛士がどんな結末を迎えるのかなんてことは、否が応にでも知れるもの。

 

『あれは事故だった。それは間違いがない、状況を振り返った今でも断言できる。事実、その衛士は最後まで俺達を援護してくれた。それでも、あいつは納得してはいないのだろうな』

 

事故で死んだ衛士と仲が良かったのだろう。なんとなく、事情も理由も分かる。だとしても、納得できない感情があるのは風花とて同様だった。それが分かっているからこそ、奥村も口を濁したような風に言葉を発しているのだった。

 

よりにもよって突撃前衛が、と。隊内の不安と、その症状の深さが垣間見える現状。中隊長だって、いつもとは違っていた。

 

『せめてエースが居ればな』

 

『エース、ですか』

 

反射的に聞き返した風花だが、それに奥村は快く答えた。

 

『正真正銘の、日本のエースだよ。名前は………“沙霧尚哉”中尉殿だったっけか、確か。あの富士教導団出身者でもずば抜けて腕が良かったらしいぜ。前線にいた連中なら誰もが知っている有名人さ』

 

そのエースは前回の戦闘中に負傷して、内地に搬送されたらしいのだが。

 

『ま、精鋭の富士教導団出身の衛士達もいるからな。そう、大した事態になるってのは無いだろう』

 

風花は慰めのような言葉に頷いたが、内心では一向に安心できないでいた。理由は簡単だ。言っている本人が不安な顔をしているから。自分でさえ騙せない嘘が、どうして他人を騙せるものか。

 

そして、言葉の締めくくりが仮定形だったのもある。戦場の“だろう”、“かもしれない”に意味はない。教官から口を酸っぱくして言われた言葉だった。希望的観測は心理的死角を作りやすい、だから脳天気なままであるよりは臆病な衛士になれ。そして風花は臆病な衛士だが、それはそれで分かりたくない現状を理解させられることになっていて。

 

不利不安の裏付けを思わず取ってしまった彼女は、ここでまた現実を前に誰かを呪いたくなっていた。

 

『………もう何人かは、有名人がいるとかそういった噂話は。いえ、すみません忘れて下さい』

 

言葉を打ち切る風花。しかし、奥村は口ごもりながらもその問いに対する答えを返していた。

                                      

『噂程度の、信憑性もない話だけどな。現在支援作戦中の統一中華戦線に、例の“錫姫”がいたって話だ』

 

『“錫姫”………っていうとあの“戦術機動愚連中隊(クラッカーズ)”の8番!?』

                                              

思わず、風花は叫んだ。衛士の中でも特別有名な衛士の一人である。名前は確か“葉玉玲(イェ・ユーリン)”。

 

有名な“ハイヴ潰し”をやってのけた英雄部隊、別名、“国境なき衛士軍団”の一人。日本では愚連隊と呼ばれているが、これは原因あってのことだ。だけど個人の仇名、二つ名は同じである。風花達の世代の訓練生は、その部隊のことをよく知っていた。とはいっても、実物に会ったのではなく、本で読んだだけだ。風花はその彼らのことが好きだった。

 

ちなみに“鈴”ではないらしい、“錫”が正解である。何故“姫”なのかは、見れば分かるとのことらしいが。

 

『お前もか。まったく、最近の新人はその手の話が本当に好きだな』

 

『それは、そうですよ。希望を見せてくれましたから』

 

それに、あの本のこともある。正式名称を、新機動概念教本・応用編という。自分が衛士になった頃は普通にあったものなので風花自身実感は湧かないが、この本のお陰で戦死者の何割かが減ったとまで言われている。

実際に比較したのは、自分ではなく教官だ。それでも全体的な技能は、本を配布する前の年より確実に上がっているらしいとのこと。

 

また、風花から見ても分かりやすい内容で、下手に専門用語を使わない説明も良かった。文面の端から読み取れる、血生臭い現実と、奮闘し誇りに散っていった彼ら以外の衛士のこと。その手の本らしくなく、ただの読み物としても、ある程度楽しめるように出来上がっていた。

 

『………まあ、確かにな。認めるのは非常に癪だけど、助けになる部分は確かにあった』

 

前線で、時間もなく本の数も少なくて読めたのはほんの僅かな時間だ。それでも戦闘の一助にはなったと、奥村は複雑そうな表情で答えた。

 

『あれ、喜ばしいことじゃないんですか?』

 

『素直に認めるのは、どうもな。お前もある程度経験を積めば分かるさ』

 

そこで奥村は、話題を切ろうとする。だが何かを思い出したかのように視線を泳がせた後に、浮かべた顔。それは嫌悪の表情だった。一体何を思い出したのだろうか。風花は直接聞こうとするが、その前に奥村はぽつりと一言だけを零した。

 

『………兇手』

 

『は?』

 

『いわゆる“凶手”ってな。そう呼ばれている衛士がいるらしい』

 

凶手――――凶成す者。中国では、殺人者のことを示す言葉である。由来は単純なものらしい、と奥村は以前に聞いた話を風花に語り始める。

 

『なんでもそいつが現れる戦場は、必ず大敗する。あるいは全滅か、いずれにしても録ではない目にあうらしい。その事からついた仇名で、統一中華戦線の中では結構有名らしいぞ。名前を知っている者もいるとか』

 

『え、でもエースの話でしたよね?』

 

『ああ、腕は相当に良いらしいぞ。何というか白昼夢的な………ともかく意味が分からん機動で動きまわる奴らしい。僚機の2機か3機か、こいつらも相当な腕らしいけど特にその中の1機は我が目を疑うようなレベルだとか』

 

『らしいばっかりですね。なんだか胡散臭い怪談話みたい………って、そうか』

 

だから、幽霊的な意味で―――凶的な存在であることもふまえた仇名で、“兇手”。

生きてるから足をつけたのだろう、と奥村は苦笑で締めくくった。

 

『はあ、それは。出てきて欲しいような、絶対に会いたくないような』

 

『まあ別の軍らしいからな。こっちの都合では動いてくれんだろう………他の軍と同じでな』

 

あるいは、この避難民とも。奥村はそう告げながら、網膜に投影された映像に視線を移した。映っているのは助けるべき民間人の姿だ。しかし彼らは、日本人ではない。自国民じゃないからといって助けない、というほど奥村は恥知らずではないだろう。風花も同じ事を考えていた。見捨てることなどあり得ないと。

 

(そう、助けなければいけない。それは軍人として当たり前のことだ)

 

風花も一般的な軍人として、一人の人間としての良識は持っている。だが――――もし、と。どうしても考えてしまうことがあった。もしもの話である。しかし、このままこの地で戦闘を行った挙句に敗北し、戦力の大半を失ってしまえばどうなるのだろう。敗北は将家の常である。ましてやBETAをあいてに、常勝無敗を貫けた軍人は存在しない。仮定の話ではない、実際に起こりうる現実なのだ。ましてや連携も満足に取れない2つの軍が前線を張っている状態。

 

もしもだが、敗北して。本土防衛の戦力であるはずの陸軍が敗北し、日本の眼と鼻の先まで迫っているBETAを前に将兵が失われてしまえば。もしも最悪が重なり、BETAが侵攻を続け、戦力が減少した状態で本土にまで攻めこまれれば。日本の国民を守れなかったら、それはどうなのだろう。

 

(―――それは、帝国軍人としての責務を果たしたといえるの?)

 

矛盾である。かといって見捨てることなどできない。こうした事は、ただの一人の軍人である自分が考えることではないだろう。だけど、それでもと思ってしまう思考を止めることはできず、それは自分ではない他の衛士も考えていることだろう。風花はそこまで考えた後に、はっと隊長機を見た。彼、九十九那智は故郷である群馬で、幼いころからよく遊んでいた近所のお兄さんである。「九十九川の近くにある家だから、苗字も九十九なんだ」と姉に聞いたことがあった。

 

どう考えているのか。それを聞く前に、通信の音が鳴った。

 

『―――総員待機。たった今、司令部より通信が入った』

 

中隊長が隊内に指示をする。傾聴の合図だ。そこでようやく、通信が入ってきた。発信元はCPからだった。

 

『総員、その場で待機。周囲の警戒を怠るなよ』

 

そうして、周囲を警戒しながらしばらくした後。通達の内容が隊員に知らされていた。結果からいうと、前線の損耗率が上がっているらしい。戦線は今や崩壊寸前、という所まではいかないが、かなり不味い状況だという。今まで持ちこたえていたのが、何故急にそんな事態に陥ったのが。

 

その切っ掛けだが、特別珍しいことではなかった。場所はBETAの防波堤となっている前線、原因となったのは戦術機甲部隊だった。北方から押し寄せるBETAの大軍だが、そのほとんどの数を国連軍の戦術機甲部隊が半島中央付近で食い止めていると聞かされている。残存戦力で勝る国連軍だ。戦術機甲部隊も練度の高い部隊が多く、中核となることは受け入れられていた。

 

が、その中核を担っていた部隊の中の一部が、突出し過ぎたらしい。陣形の利を捨てた戦術機部隊は、野ざらしにされた小鳥に等しいと言われている。物騒さでいえば猫の兆倍はあろうBETAに包囲され、食いつくされたとの報が入ったのが一時間前のこと。

 

よくある話だと、彼女の先輩あたりは特に驚きもしなかった。だが、常にはない問題が発生しそれが周知の事実となったのはつい20分前のことだ。突出し壊滅した戦術機部隊だが、近くには大東亜連合軍の戦術機甲部隊も居たらしい。

 

突出する友軍を救援するのは困難かつ無謀として、戦線を保持することを選択した。

まず賢明といえる選択であると思えた。後ろで待機している自分たちならば、それが分かる。

 

(だけどそれをどう取るか、なんてことは立場による)

 

“行動も言葉も、受け取る人によって、その色を変える。あるいは善意でさえ”なんて、あまりに夢のない言葉だ。これも祖母からの教えだが、風花はどうやらその言葉が部分的にだが、正しかったことを悟らされていた。

 

前線にいた国連軍の部隊は、そう取らなかったということだった。

 

―――あるいは疑念を抱いた段階であったのかもしれない。

 

だけど、一度でも。見捨てたと思ってしまえば、後は時間の問題だった。戦場における疑念の火は、戦況の不利という風に煽られやすい。そう締めくくった中隊長の言葉は、的確であると隊内の誰もが思っていた。こうして後方で一連の動きの推移を見ていれば、ある程度の推測は立てられる。その推測の答えが現状と一致しているのだから仕方がないともいえるだろう。きっと不信感が募ってしまった結果、部隊間の距離や援護の精度にとても良くない影響が現れたのだ。一部隊ならまだしも、こうした大部隊の全体の練度は互いの信頼により大きく上下する。ましてや、戦線が歪な形になったというのだから。前線部隊の戦況の不利が加速するのは自明の理であり、それは事実となり、こうして現実となって自分たちの身を脅かすのだ。

 

現在に至るまでの過程を思い返し、彼女――――碓氷風花は頭を抱えていた。

 

損耗率とBETAの突破率が徐々にだが上がっているとの報。後続の戦車部隊がラインを越えたBETAを潰しているようだが、数が多くなっては焼け石に水だろう。いずれ自分たちの役割が来る。

 

(BETAが………ここに………!)

 

難民の搬送を護衛している傍ら、碓氷少尉はいずれくるかもしれない報に怯えながら、操縦桿を強く握りしめた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

同じく光州の地よりは海に近い場所。撤退支援作戦の司令部、その指揮官である日本帝国陸軍中将、彩峰萩閣(あやみねしゅうかく)は無表情のまま、部下から聞かされた情報を元に状況を整理していた。撤退中の連合軍と国連軍。そして支援を続ける統一中華戦線と、自軍である帝国陸軍。

更には難民の避難に関することを。

 

「……橘。避難民の援護、その進捗状況は」

 

「はっ、5分前にあった報告で50%程度が完了したとのことであります!」

 

まだ半分、という言葉がその場にいる誰からも出そうになったが、音にはならなかった。

 

(こうなると、先の一件が重過ぎるな)

 

2軍の意識の齟齬からくる一時的な対立、士気低下と少なくない戦術機甲部隊の損耗。統一中華戦線の戦術機甲連隊の強襲援護が功を奏し、崩壊寸前だった戦線を持ち直せたとはいえど、その実被害は少なくない。何より、国連軍の戦術機甲部隊の損耗率が最悪の想像を更に越えるものであったのだ。

 

(原因は、なんだ………いや、理解している。いくら大陸での戦闘から生還した精強な衛士とはいえ、疲労には勝てん)

 

連日の戦闘のせいだろう。断続的に南下してくるBETAとの戦闘は、今日のこれで5度目だ。優秀な体力を持つ衛士とて根を上げないはずがない。特に精神的な疲労が大きいと彩峰は見ていた。戦術機の操縦に精密な集中力が必要とされるのは、衛士以外の軍人でも知っている常識である。その中で友軍、戦友を失っていく。精神的な疲労は更に加速していったことだろう。後方の地で前線のすべてを察知できるはずもなく、詳しい所は送られてくる報告を分析し、推測するしかない。

だが、あるいは今のこの時に士気が崩壊していてもおかしくないかもしれないのだった。

加えていえば、もう一の原因も作用していると考えた方がいい。冷静に、萩閣は心の中でその要因を鑑みた。考えながらも、随時入ってくる報告に対して指示を飛ばしていく。

 

厳しい状況下でやる事は多くとも、目の前の事だけに囚われず考えることだけは止めない。国連軍の将兵の損耗率が加速している今でさえもだ。勝利への道筋を、じっと探し続けている。

 

(だが………必然ともいえる。今回の作戦における国連軍の指揮官、なぜと問うてもいい人物だ)

 

有能な指揮官ならば、すぐに周知のものとなる。別の国の軍隊でもだ。BETA大戦において“そういった方面”の噂話が広がる事、それに対するデメリットは少ない。反面、どうしても避けられないこともあるのだが。今回の国連軍の指揮官である、ジェイコブスン中将。彼は大のアジア嫌いで知られている、別方向での有名人だと言えた。また指揮に関しても、強襲作戦の類は優秀だそうだが、防衛戦においてはその限りではないらしい。

 

(何故、この作戦この状況下において彼を? ―――そう考えてしまう国連軍の将兵は多いだろう)

 

今やBETAがその支配者となっているユーラシア大陸、その魔窟の奥にまで派遣されて戦った。

 

―――戦って、戦い抜いた挙句によこしたのが“そんな”人材なのか。

 

そのような心境があるでしょう、と提言したのは副官である戌亥だ。萩閣とて、今前線で踏ん張っている国連軍の衛士の中に、そのような気持ちを抱いているものがいること、分かってはいた。

だからといって全く別の国の軍隊である我が帝国陸軍がどうすることもできない、そんな問題であることは理解していた。

 

(しかし、このままでは遠からず………)

 

配置されている戦術機甲部隊は、避難民の支援や警護を続けている。わずかだが、現れるはぐれのBETAから難民を守るために。前回の防衛線でラインを抜いたBETAが、稀にだが出没すると聞いたときは背筋が凍った。小型ならば強化装備の歩兵で対処できるが、中型種の相手をするのは不可能だ。

 

そして中型種のBETAが村のひとつを蹂躙しつくすのに10分とかからない。道中でも警護を続ける必要がありその結果、前線に援護として向かわせるはずだった戦術機甲部隊の大半が警護に割かれている。見捨てれば、大半の難民はこの地で屍を晒すことになるだろう。

 

民間人を守るという、軍人の責務を全うする者としても。彩峰萩閣は、その決断だけは行ってはならないものだと考えていた。

 

――――誇りが死ぬ。民を見捨てる犬だと疑われる。最終的には、軍に対する信頼が失われる。即ち日本国内での難民が”敵に回る”。可能性が高い。今現在もなお、難民として生活している外国人は多いのだ。そして、未来を考えたとしても。支援を目的に要請を受けた帝国陸軍として、それだけはできない。しかし、今がジリ貧と呼べる状況にあることは間違いない。

 

そうしている内にも、BETAの赤の点は味方の青をどんどん侵食していった。青、衛士達は防衛線で奮闘している。後退をしながらも抗戦を続けていることがここからでも分かるほどだが、押されているのは否めない。

 

特に国連軍の司令部がある方面に向けての距離が縮まっている。このままでは国連軍の司令部までBETAは押し切ることだろう。現状の侵攻速度を見る限り、時間の猶予があるとも思えなかった。

 

司令部が落ちるのは、この戦況を著しく悪化させることだろう。まず、国連軍の将兵の動揺がこれ以上ないぐらいに極まることは間違いなかった。

 

本陣を失った軍の兵士、その士気の低下は趨勢を決定する止めの一撃になり得るのだ。一つの崩壊から連鎖し、ともに奮戦している大東亜連合軍の士気が低下することは免れない。関係が悪いとはいえ、この戦地においては敵と目的を同じくする友軍である。戦力低下というその影響、受けないはずがないのだ。例えそれが英雄部隊を擁していたとしても。

 

大東亜連合の英雄、かつての部隊の中核を担っていた人物は、東南アジアに留まっていると聞いた。東南アジア方面に展開している軍の方を重きにおくためだろう。東進してくるBETAに睨みを聞かせ、連合軍の中核がある国土を守るために。

 

頼みになるのは自国の戦力のみということだ。統一中華戦線も同じように支援を行っているが、その数は多くない。前線に戦術機甲部隊を送るだけで精一杯だろう。本土の大半を落とされた今、この支援作戦に大半を送れるほど余裕はないはずだった。現に、今も後方で展開している部隊の大半は日本帝国のもの。簡単に表して曰く、“支えるだけで力一杯”な3軍とは違う帝国軍だけが事態を打破できる手を用意できるのだ。

 

しかし、どうやってそれを行うか。萩閣は部下を集めた後に帝国陸軍の現在の編成をもう一度整理し、打開策がないかを思索しはじめた。改めての現状の把握も行ったが、悪いとしか言い様のないものだった。大東亜連合軍、そして国連軍の撤退は遅れに遅れていた。一方で半島本土の難民の避難など、当初予定の半分しか進んでいなかった。

 

逆撃は不可能と判断。司令部の全員が、何よりまず時間稼ぎとなる策が必要なのだと思い知らされた瞬間だった。そうでなければ、悪手と呼べる判断をしなければならない事態に陥ってしまう。

 

 

まず、1の案。それは攻めること。BETA本隊に大打撃を与える方向で作戦を考えてみてはどうか、という案が上がった。完全なる逆転は見込めない。そうである以上、戦闘を無駄に長引かせられるほど泥沼化することは間違いない。さっと打撃を与え、全力で撤退する。そのための、時間もかからず一方的にかつ短時間でその数を減らす方法はないか。それならば戦車、機甲部隊と艦隊の砲撃において他にはないだろう。それがその場にいる全員の意見だった。

だが、一斉に砲撃を仕掛けたとしても効果は薄い。二つのハイヴに近いせいか、今回の南下におけるBETAの軍勢の中の光線種の割合は少なくないのであった。否、通常の防衛線より、確実に多いといえるほどだった。つまりは、レーザーで砲弾の大半を落とされてしまうことを意味する。艦隊と戦車による集中砲撃を行ったとしても、それが逆転の策になるかと言われればはっきりと否と答えることができよう。

 

次に、2の案。それは戦術機甲部隊の増援を送ることだ。前線の味方戦力を増やし、短時間で集中的に叩けばBETAの勢いはいくらかだが減じられよう。士気が回復すればなおのこと良し。しかし、それは楽観的に過ぎる。

 

また別に、問題となる点がある。これ以上送るとして、いったい“どの部隊を送れるというのか”だ。今も帝国陸軍の戦術機甲部隊、その一部だがそれなりの数を前線に送っている。これ以上の数を増やせば、今度は避難民の警護が疎かになるだろう。そして難民が襲われるということは、“民間人が喰われる”ということだ。現在展開している軍の士気が、間違いなく下がること。通信に声でも入れば、目が当てられない事態になるだろう。そして救援に送られた衛士部隊の精神状態がどうなってしまうことか。萩閣は、そして司令部の全員が“タンガイルの悲劇”を繰り返すつもりはなかった。

 

最後は、1案と2案の複合だ。1案が有効であることは間違いない。しかし、それを阻むのは光線級で――――ならば、その光線種を叩けば良いのではないか。

 

古くはドイツの精鋭部隊が得意としていた、“光線級吶喊(レーザーヤークト)”と呼ばれる戦術である。文字通りの、敵陣を突破し後方に隠れているであろう光線級を潰すこと。

窮地を打破する戦術だが、それをどの兵種のものが行うのかというのは論議するまでもないことだった。空の可能性をレーザーに奪われた時代より、光線級吶喊を行う兵種というのは決まっているからだ。戦術機甲部隊。限定高度内で高い機動性、かつ衛士の技量によってはこの上ない突破性能を誇る部隊をおいて他には無かった。

 

だが、解決すべき問題があることも確かであった。

 

「光線級吶喊………だが、実際の戦闘であの難作戦を成功させた………いや、経験したことがある部隊に心当たりはあるか」

 

「はい、いいえ………残念ながらありません」

 

「私もです、閣下。現在この地に展開している部隊において、光線級吶喊を行ったという部隊はありません」

 

他の士官も同じであった。それもそのはず、光線級吶喊というのはリスクと難度が非常に大きい作戦なのである。近年におけるその作戦の生還率は10%以下。しかも求められるのはエース級の腕前が揃う部隊なのだ。本土防衛を重きに置く帝国軍が、頻繁に行うような作戦ではなかった。

 

それでも過去、必要に迫られ数えるほどには行われたことがあった。だがその部隊は貴重な経験をしたとされ、また元からエース部隊だったということもあってか、本土防衛の中核を担う立場に立たされていた。次には日本に来るかもしれないという理由を主として、この支援作戦には彼らは参加させられていなかった。

 

「他に方法は………数に頼むのは下策に過ぎるか」

 

撃墜されることを前提に、数で押し包んでBETAの群れを突破して奥深くに存在する光線級を殲滅する。それは、愚かな選択であろう。まずもって次々にやられる味方を前に混乱を起こすだけである。あるいは、光線級の照射に怯えたまま途中にいる要撃級に各個撃破されるだけに終わる。

 

ただ被害を増やすだけの結果になるばかりか、これ以上の士気の低下を誘発する可能性が高いのだ。

桁外れて士気と練度が高い、経験も豊富な衛士が10人もいれば可能だろうが、そんな部隊はこの光州に展開している部隊の中には存在しなかった。

 

(いずれも進退窮まったか)

 

そしてこの後に起こることなど、予想できて然るべきものだった。まず、国連軍の司令部がBETAの牙に晒されるだろう。だが、それを助けたとしてその先が見えないのだ。空からの支援が封鎖されている以上、陸の戦力でどうするしかないのだが上策といえるものは皆無といえる。

 

一か八かにかけるという考えは浮かんだが、即座に却下すべき案であるとの判を押した。逆効果になる可能性の方が圧倒的に高く、結果的に更なる窮地を呼び起こしかねない作戦を選択はできないからだ。無能、あるいはこの上なく愚かであると評される選択である。下手をすれば軍も、難民をも巻き込んで甚大な被害を受けることになるのだ。

 

そうなれば、取りうる策は限られてしまう。後方に待機する指揮官が出来ることは、思われているより多くない。予めの戦力が無く、また異国の地であるが故に万が一の備えが少ないのである。指揮する者として、難民という欠けてはいけないものを守ることを選択した今になって出来ることといえば望んだ結果になるように全力で対処することだけであった。しかしそれは解決には繋がらない。問題の対処に指示を出すだけである。

 

あるいは、前線で奮戦している衛士にこれ以上の成果を望むより他はない。

その上で、いずれかの悪を選ぶ――――そうした頃合いになっていた時だった。

 

大東亜連合軍、支援部隊の方の司令部から帝国陸軍司令部にとある提案があったのは。

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯

 

 

「それでは、その義勇軍が?」

 

「ええ。“偶然”この地で待機していた、評価も高い義勇軍の中隊からの提案です。“我が中隊で光線級吶喊を敢行。難民を苦しめるBETA、その中でも特に目玉の大きな卑怯者一行を地獄に招待したい”と」

 

萩閣はまず最初に、己の耳を疑った。冗談のような言葉を、これ以上ない真面目な口調で語ったのは大東亜連合の中でも有名な人物だったからである。名前をラジーヴ・アルシャード。階級は少将だ。年は若く、萩閣と比べれば20は下回る。しかし、指揮官としての能力は確かなものだと言われていた。何よりも彼は、英雄部隊を導いたとされるかつての上級将校、今は頂上にいるアルシンハ・シェーカル元帥の懐刀であった。

 

既知ではない相手を先入観で見るのは危険だが、立場と実績、そして噂の一部からして無能であるはずがない人物だ。

 

「大変結構な提案です………しかし、万が一にでも失敗してしまえば、前線の士気低下は免れないでしょう」

 

行動の成否に対する影響、このラジーヴという人物は理解しているだろう。していないはずがない、だけど萩閣は確認を行った。質問の中で相手の意図、人格というものを探るという意味も含めてだった。その問いに対し、ラジーヴは断言する。

 

「彼らで駄目なら、今この地にいる誰にも駄目でしょう。少なくとも3回、似たような状況下で光線級吶喊を成功させています」

 

「そう、ですか。それは見事なものですね」

 

萩閣は返答しながら、動揺を胸の内に隠した。困難も極まる光線級吶喊を3回も成功させた義勇軍とやら。成果ではなく、その情報が周知の事実ではなかったということ。

 

そして、偶然という言葉に対して。

 

「しかし、タイミングがいい。機に敏となるは将兵の義務といいますが、彼らはよほど有能な部隊なのでしょうな」

 

「ええ、全く。しかし彼らは毎度毎度どこから情報を仕入れてくるものやら」

 

とぼけたような口調であった。しかし、出てきた単語は見逃せない。もう少し上手い躱し方はあったはずだ、なのに何かを思わせるような言葉に萩閣はそれ以上追求することを止めた。

 

「これだけはお聞かせ願いたい――――貴軍は………いや貴方はこの策を全面的に信じているのですかな?」

 

嘘は許さない、と言葉と視線だけを向ける萩閣だった。彼自身も歴戦の指揮官で、こうした眼光が何の意味も成さない状況であるのは理解していた。が、それでも問わざるをえなかったのだった。今になって提案された突然の策のこと、確たる保証もない作戦、だけど成功するという有能な指揮官。その本意、あるいは裏の意図を見極める意味をも含めて。

 

子供ならば気絶するほどの眼光、それに対する相手であるラジーヴ・アルシャードは、ただ笑ってみせた。慣れない笑みのまま、口を開く。

 

「“さて取れる策は多くない、ましてや異星から来た馬鹿げた化物を前に――――だけど盗人に家を明け渡す臆病者はあり得ない”と」

 

「それは、貴官の?」

 

「信頼に足る我が上司の言葉です、彩峰中将閣下。国連軍には聞かせられませんな」

 

一切の妥協も無いというように。気勢も顕に見返してくる視線を前に、萩閣は沈黙を保ったまま。国連軍の名前を出したことも含め、考えぬいた挙句に目を閉じた。

 

そして徐に目を開いた後、冗談を口にした。

 

「貴官が願うものは何でしょうか?」

 

「実家にいる最近できた義理の娘の安全です、閣下」

 

また真面目な口調で返された言葉に、萩閣は不意を打たれたのか一瞬だけ硬直してしまった。脳裏に浮かんだ人物は、3人。自身が教育を任されている煌武院家の姫、紫の髪が美しい少女―――煌武院悠陽。そして誰より愛しい妻と、同じぐらいに愛している娘の顔だった。

 

(戦場で、慧の顔を思い出してしまうとはな)

 

思い出せば笑みを浮かべてしまう、そうなれば示しがつかないと思い出さないようにしていた顔。きっと妻に似て美しい女性に育つことは間違いない、我が娘。その顔を思い出してしまった萩閣は、苦笑をこぼした。そして修行が足りん、と自戒を刻みながら、気を引き締め直した後に。

 

「……提案を、受けましょう。しかし光線級の殲滅、成ったとして後詰めを誤れば意味のない結末を迎えてしまう」

 

 

更に展開を良きものとするために。中将としての役割を務め抜こうと提案をするのであった。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯

 

 

作戦展開中の、半島の外れ。そこに、待機している部隊があった。中では、とある新しい作戦についてのことが話されていた。

 

『先ほどラジーヴから連絡があった。了承の確認が得られたとのことだ』

 

告げながらも、隊長機にデータが送付されていく。口頭では、作戦の簡単な概要についても。

 

『――――以上が作戦の概要だ。理解はできたな、大尉』

 

『あいよ、任せといてくれ英雄元帥殿。しかし………シェーカルの旦那、今回は随分とまだるっこしい手順を踏むんですな?』

 

声を発した人物は、大尉。相手は、巷ではとても有名な元帥閣下。とても階級が遥か上にあたる軍人に聞くような口ではなかったが、互いに無視しながら会話をすすめる。一方的なものが会話だと呼べるものならば、という注釈がつくが。

 

『まあ、お前が察した通り裏はある。だが、教えてはやらん』

 

『へえへえ、いつも正直なこって。まあ知った所でどうにもなりやせんし、知ったら知ったで人知れず消されるのが関の山ですからねえ』

 

『わるぶるな紅葉。いや、今回はそう物騒な話じゃないぞ。いつぞやの研究施設と比べれば、天国と地獄ぐらいの差はあるだろうな』

 

『死後の話、ですか。どっちも信じていない元帥閣下がおっしゃることじゃないでしょうね』

 

『全くだ、お前達と同じだな? ………それじゃあ時間もない、頼むぞ。勇も名高い、ベトナム義勇軍戦術機甲大隊所属、パリカリ中隊諸君―――今回は特に、失敗でもすれば非常に面白くない事態に陥るからな』

 

告げたきり、通信が途切れる音がする。残された後、苦笑する中隊長だけがその場を支配していた。

 

『へっ、そういった事態に関することだきゃあ嘘はないんだよな――――たちが悪い。っと、てな通りに聞いた通りだ。仕事の時間だぞ、あぶれ軍人野郎ども』

 

中隊を指揮する指揮官、ヴァゲリス・ムスクーリ臨時大尉は指揮下にある部隊、パリカリ中隊の部下に向き直った。提示された進行ルートや現在の友軍、BETAの位置。そして地形に関することまで、データで送る。

 

『えっと、隊長! 自分、質問があるんですが!』

 

『はい、(ワン)君。面倒くさいし時間もないので手短にな』

 

『は、ありがとうございます! あの、どう考えても自分たち第二小隊の配置がきついなーと思う次第でございまして!』

 

『お前に敬語の心得がないのは理解した。で、配置だがまあ死んでこいと言っているのと同義だろうなーうん。今回も』

 

『あっさり認めた!? しかも前回の事も振り返って!?』

 

『随分と調子がいいな、クスリでも決めてんのか? どっちでもいいが、それで回答も同じだ』

 

良かったな、と告げて。

 

『――――その小僧の活躍に期待しろ、以上だ。ダンの中隊にこれ以上舐められるのは困るからな』

 

ばっさり切り捨てた後、また別の隊員に視線を向けるヴァゲリス。その裏で質問をした男、名前を王紅葉(ワン・ホンイェ)という中国人は隣で待機している同じ小隊の人物に話しかけていた。

 

『あのクソ髭隊長、またこっちに重たい所負担させるつもりっすよ。楽な所だけ自分だけ受け持つとか舐め腐って………どうしますバドル中尉』

 

『どうもこうもない、いつもと変わらないさ。ただ与えられた役割を果たすことだけを考えればいい』

 

『余計なことを考えると死ぬぞ、ですか。まあ毎回ですね。毎度毎度一理はあるんですがー』

 

それ以上はねえんだよなー、と言い捨てる。心構えに関しても、役割に関しても。実に正しく間違いはないので、王としてもそれ以上言うことはなかったが。

 

『………何度でも言うが、ここから去りたければ去ればいいさ。お前なら正規軍でも十分以上にやっていけるだろうから』

 

『それが出来ない理由がある、ってのは中尉も分かってるでしょ………なあ、聞いてんのかよお前も』

 

紅葉はそう言いながら、隣でじっと戦域を見ている少年に言葉を向けた。しかしその少年は反応せず、BETAの配置と地形を重点的に見ているようだった。完全に無視である。それを気に食わないのか、王は大声で呼びかけた。

 

『おい、聞いてんのかよ――――大和(やまと)!』

 

怒鳴るような声で、呼ばれた少年。年は15ほどか、子供とは呼べないぐらいには背が高い少年は、しばらく黙ったままだった。そのまま、数秒だけ黙りこくっていたが、まるで思い出したように顔を上げた後、年齢に似つかわしくない表情を浮かべながら王の方を向いた。

 

『声が大きい王少尉。ルートを見極めてるから邪魔しないでくれ』

 

『………けっ、相変わらず無愛想なこって』

 

盛大に肩をすくめながら、背中に体重を預ける。隣にいるバドルも気にせず、じっと送られてきたデータを見ていた。そんな中、ふとバドルが言葉を発した。

 

『し………鉄大和(くろがねやまと) 少尉。今回もやれそうか』

 

具体性のない言葉に、鉄大和は間髪入れずに答えた。

 

『やらなければいけないでしょう………でなければ、死ぬだけです』

 

―――自分にはBETAと戦う義務がある。そう答えた少年の前面には、黒煙が立ち上っていた。投影される映像は、寸分の狂いなくその色でさえも細かに映す。

 

しかし前には、青はない。まるで空の全てを覆い隠すように、誰のものかも分からない黒煙が次々と立ち上っていて、その青を侵食していた。

 

 

『やらなければ、いけないんです………戦わなければ、あいつらは』

 

 

小さく零れた言葉。それを聞いた者は居らず、答えられる者は何処にもいなかった。

 

 

 


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