Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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3話 : Crossroads_

交差する道の上。

 

 

――――その選択を、人は運命と呼ぶ。

 

 

 

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まどろみの中、武は自分が黒い部屋の中に座らされていたのに気づいた。夢だと分かっているような、いないような不思議な感覚だった。他に、何十人かの人間も居て、同じ場所に閉じ込められている。そしてその誰もが、恐怖に身を縮こまらせていた。

ある人は震えながら頭を抱え、ある人は何とか逃げようと周囲の人間に必死に呼びかけていた。

 

見覚えのある顔。ここにいるのは自分と、そして傍らにいる純夏も同じで、横浜侵攻の時にBETAに攫われた人たちだと分かった。皆一様に連れてこられ、気づけばこの部屋に閉じ込められていているのだ。抵抗した者も何人かいたと聞くが、その後、その人の姿を見た者はいないそうだ。

 

………それから、どれぐらいの時間が経過したのだろうか。時間の感覚が薄い。今日が何月の何日なのか、分からなくなっていた。

見当もつかない、というよりも考える気力を奪われているのか。

ただ見えるのは暗闇の中の淡い光だけだった。昼も夜もない生活だからか、身体の調子も狂ってきているようだ。このままじゃあ、身体が壊れる………といった心配をする必要はないだろう。

 

いずれは、自分達の番が来る。そう、順番が来ればいずれはその時がやってくるのだ。

連れてこられてから今までの、BETAの奴らが取る行動は一つだけだった。

一定の時間が経つと、のっぺらぼうみたいなBETAが群れで現れ、一人、また一人と連れさっていくのだ。震えていた人も、絶対に逃げるんだとぶつぶつ呟いていた人も、生きることを諦め全てを受け入れていた人も区別なく、まるで物を扱うように化け物に連れて行かれた。

暴れようとも一瞬で四肢を拘束されるか、握りつぶされるだけ。

 

痛みと恐怖のあまり失神した人達が大半だったけど、はたしてあれは賢い行動だったのだろうか、武は分からないでいた。

 

連れて行かれた人達がどうなったのかも分からない。

ただ、未だ部屋の外に出てこの場所に戻ってきた者はいない事は分かっていた。

 

それだけが事実として、部屋に残された人達の頭の中に停滞し続けていた。

 

勇気を振り絞って、脱出しようと意気込み部屋から出て行った人もいた。

だけど、数秒後に人の断末魔が聞こえてくるだけ。希望の欠片は何も得られず、ただそれだけだった。逃げることも抵抗することもできない人達は、何もできないままただ救出を待つことにした。

BETAから与えられた水と、缶詰を貪るだけの日々が続いた。そして数日後、気が付けば部屋の中にいる人間は俺達だけとなっていた。

 

一緒にいる純夏は衰弱していた。身体に力が入らないらしい。頬をこけさせた純夏が、俺の膝の上で力ない様子で眠っている。

 

そんな純夏にしてやれることはない。何をどうすることもできないまま、どうしようかと言い続けているだけしかできなかった。

 

――――そして、遂にその時がやってきた。

 

入り口が開く。現れたのはのっぺらぼう。眼みたいなものかもしれない、くぼみのような双眸はこちらを捉えていた。ようやく、いや遂に俺たちの順番が回ってきたのだと悟った。

 

だけどこのままでは居られない。寝ている純夏をそっと床に置き、立ち上がった。

 

そのまま前に出て、近づいてくるあいつらの前に立ちはだかった。

 

でも、何も出来ない。せめて棒でもあればと思う。

そうして必死に睨み付けることしかできない俺を嘲笑うかのように。

 

――――いや、ただ障害物を迂回するかのようにあいつらは横を通り過ぎ、寝ている純夏の所へと近づいていった。幽閉生活に疲れ果て、力なく横たわっている純夏の腕を掴もうとしていた。

 

脳裏に浮かぶのは断末魔。横浜で見た思い出したくない鮮血と肉を啜る音が。

 

ぐちゃぐちゃという咀嚼音が耳に煩くて。

 

思い出した瞬間、武の心の中の何かに火が点いた。紐のようなものが弾けたのだと思う。

勝算もリスクも何も、考えられなくなっていた。

 

ただ怒りのままに叫び、走った。

そいつに触るなと腕を振りかぶり、目玉らしき窪みの所を殴りつける。

 

手応えはあった。だけど、痛みが脳髄を痺れさせ、認識に渡った。砕けたのは相手ではなく、自分の拳の方だったのだ。骨が折れる音はしなかったが、拳が潰れたかのような感触が。

 

肉眼で確認した途端に、頭の芯まで激痛の雷が何度も駆け抜けた。

 

生きていた中で味わったことのない激痛に、思考が真っ白になっていく。

声にならない激痛が思考を埋め尽くしていった。

 

痛みのあまり拳を抱えてうずくまって。でも立ち上がろうとした――――その瞬間だった。

横合いから猛烈な衝撃が、と。感じると共に、僅かな浮遊感、そして壁に叩きつけられた。とはいえそれを知ったのは倒れて血反吐を吐いた後のことだ。

 

遠くから、純夏の悲鳴が聞こえた。やめてと叫ぶ声が。それも遠雷のように薄皮一枚隔てた場所にあるような。

 

鼓膜が敗れたのか、脳がおかしくなったのか。朦朧とする意識の中、俺も声ならぬ何かを叫んでいたように思った。

 

でも視界が狭い。片方の目しか見えなくなっているような。

 

残った視界も、ただ赤かった。顔を液体のようなものが流れ落ちていく感触がした。

 

壁にぶつかった方の手も腕も動かなかった。力が全く入らない、感触もないのだ。

 

まるで夢の中にいるような、足元がどこにあるのか分からない感覚が。何かを考えることさえもできなくなっていた。

 

でも、立ち上がらなければならないことだけは、それだけは馬鹿になった身体でも理解できていた。

ここには俺しか居なく、助けてくれる人もいない。

純夏を守れるのはオレだけなんだと。ヘタレていては殺されるだけなんだと、知ってしまったから。だから気力を振り絞って立ち上がった。

 

無造作にこちらに近づいてくるBETAへ突進する。途中で転けそうになるも、千鳥足でも走り抜けた。

 

その勢いのまま、前蹴りを放った。狙いも何もない、退けという意志だけをこめて化物にぶつかった。

 

――――だけど、結果はさっきと同じだった。

敵をよろけさせることもできず。砕けたのは、自分の足の方だった。

 

激痛にまた膝を折る。そして、大きくなる純夏の悲鳴。

 

そして、影が見えた。

 

見上げれば、俺はのっぺらぼうなBETAに囲まれていた。

 

窪みの奥の闇が俺を見据えていた。そしてのっぺらぼうの化け物は、かぱりと口を開けた。

 

 

その次の瞬間に見たのは、どこか遠い世界のもの。

 

 

視界一杯に迫った顔と、開けられた口と、赤い肉片と、飛び散る飛沫と、遠くなっていく意識と。

 

ふと横を見る。息がかかる程に近い場所に、不気味な白い歯があった。歯並びは綺麗だったと、間の抜けた感想を抱いた。

 

痛みはもうなかった。ごり、という音と白い骨と千切られた肉が。音がメトロノームのように正確に、耳に刻まれていった。

 

なくなっていくジブン。ジブンだったニクを咀嚼する音が。

 

 

たえる間もなく、身体のあちこちから耳いっぱいに響き―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――自分の悲鳴で目が覚めた。

 

「あ………っ、が、はっ、ふ、うぅ……っ!」

 

全身から滝のように冷や汗が流れだしていた。

シャツはびしょ濡れで、まるでバケツの水をぶっかけられたかのようになっている。

 

武はまず、自分の身体がちゃんとあるかどうか触れて確かめた。

その間、一言も喋らない。喉がひりついていて、口の中もからからになっているからだ。

言いようのない熱気と寒気が、武の身体の中をかけめぐっていた。

 

そんな中、何とかして動かせたというような風な具合で、右手ですっと額から流れている汗をぬぐい。そこまでして始めて、武は周囲を見回すだけの余裕ができた。

 

「………ここは………あそこじゃ、ない?」

 

夢の中とは違う、見える光景はいつもの自分の部屋だけだった。

しかし、本当にここは此処であるのか。

 

武は疑うように、汗に濡れる手をぎゅっと握りしめた。

 

――――感触があった。腕が千切れていない証拠だ。痛みは無く、折れてもいないことを理解した。

足も無事だ、傷まないのが分かる。返ってきた反応は、筋肉痛による痛覚の刺激だけだった。

深呼吸を数度。繰り返し、そういえばと武は呟いた。

 

「意味不明な、リアルな夢………の中でも後味が最悪だった部類の」

 

久しぶりだ、と自嘲するかのように武は笑った。

まだ日本にいた頃に見た夢に似ていると。成長した純夏とか、見知らぬ大人の人達が登場する夢だ。

まるで、未来を映しているかのような夢の数々。思い出し、だが武は否定する。

 

「………まさか、な」

 

首を振る。見たことのないBETAに、見たことのない風景。自分も、そして純夏も10歳ではなく、

もうちょっと成長した姿に思えた。

 

(もしかしたら、未来の………?)

 

荒唐無稽な、でも自分で考えておきながらいやに現実感がある推論だった。

そこまで考えて、武は強く首を振った。あれが未来の光景だ何て信じたくない、と。

純夏共々BETAに捕らえられて最後は喰われるなんて、酷い結末にも程がある。あれが未来の結末だなんて、断じて認めようとはしなかった。

 

「………今はくだらない事を考えている場合じゃない」

 

自分に言ってきかす。

しかし、こうも思っていた。

 

――――こっちに来てからはあの夢は見なくなった筈なのに、と。

 

というよりも、武はインドに来てからこっち、あの奇妙な夢を見ることはなくなっていた。

インドに来て訓練を受け始めてからは特にそうで、訓練に疲れた身体をベッドに倒し、気づけば次の朝だった。身体が疲れているからだと、熟睡していると夢は見ないぞ、と親父からは聞いていた。

何でも、夢というのは"のんれむ"睡眠中にしか見れないそうだ。

 

武はのんれむというのがどういう意味なのか分からなかったが、熟睡しているから見られないということだけは理解していた。

 

「でも、何で今更あんな夢を」

 

武の脳裏に、何故なんで今になって今更、という混乱を交えての疑問が浮かんだ。

昨日も変わらず、身体は疲れていたはずなのに。疲労感は、悪い夢を見ない、心地良い熟睡を提供してくれるはずなのに。疲れなければ訓練ではないと言うターラー教官の教えに従い、昨日もゲロを吐くほどに身体を苛め続けたのに、と。

 

見ることがなくなっていた夢。加えていえば、前とは違って今度の夢は音も色もはっきりと認識できていた。武は見たこともないのっぺらぼうなBETAと、そのリアリティを思い出してしまい、恐怖心を増大させる。

 

がじり、ぐちゅりとかじり取られ、身体の一部が無くなっていく感覚が妙にリアルだった。

怪我が大きすぎると人は痛みすらも感じなくなるというが、そのあたりも妙に現実的だった。

 

色々と考えなければいけない事が、多いかもしれない。

だけどと、武はここでぼんやりとしていても仕方がないと判断した。そしてまだ恐怖に震える手を何とか抑え、立ち上がった。

 

首を振り、自分の頬を叩いて気合を入れた。

そこで、相部屋の泰村と視線があった。

 

身体を起こし、武を睨みつけている。

 

 

「―――どうした?」

 

「じゃ、ねーだろっ!!」

 

 

二段ベッドの上から見えたのは、同室の同期の顔だった。

そして恨めしそうに、どうしたもこうしたもあるかと叫んでいる。

 

「えっと………どういうことだ?」

 

「あんな悲鳴聞いて、おちおち寝てられるかよ! お前の! せいで! 目が! 覚めたんだよ!」

 

泰村の拳骨が、疲れた顔をする武の頭に直撃した。

 

 

 

 

 

 

そして、数分後。

 

「いてて………」

 

「ったく、行くぞ」

 

いつもより早く着替えをすまし、部屋の外に出る。今日は4度目の実機訓練。

前回の訓練で機体のフィードバックもそれなりに調整できた。以前よりはやれるはずだ。

 

そうして、武は朝の点呼を待った。

ターラー教官が来る前に部屋の外に出て、いつもの通りにしていればいいと。

 

 

――――そして、間もなく違和感を覚えた。

 

 

「あれ、時間になったのに教官の姿が………それに何か、基地の様子が…………?」

 

通常の軍人よろしく、というか当たり前なのだが、ターラー教官は時間にうるさい人であった。

それなのに、時間になっても現れないなどと。武は、こんな事は、この数ヶ月起きなかったことだと訝しんだ。だけど、何があったのかさえ分からないのではどうしようもない。武と泰村はしばらく待機していた。そのまま更に数分が経過した後、代理という基地内の国連軍兵士が二人の前に現れ、点呼を取っていった。

 

そして点呼の後、朝食も終えた二人は、いつもと違う基地内部の様子を見ながら、昨日連絡を受けた集合場所へと足を運んだ。何かあれば、教官が話してくれるだろう。この慌ただしい様子も、説明してくれるだろうと思ったからだ。

 

やがて、二人は同じ訓練生と共に目的の場所へとたどり着いた。

 

ドアを開け、見回す。しかしそこにターラー教官の姿は無かった。

どうしたのだろうと訝しむ訓練生達だが、ここでこうしてぼけっと立っていることしかできず、教官の到着を待った。

すぐに、待ち望んでいた教官はやってきた。いつもより、数倍は険しい顔を表面に乗せて。武達は、何かあったのだと悟った。

 

「敬礼!」

 

緊張感が高まる中に泰村の号令が響き、武達は教官に敬礼をする。教官も敬礼を返し、皆を見渡した。そして全員が揃っている事を確認すると、表情よりも更に険しい声で話し出した。

 

「訓練兵諸君。実に突然な話だが………慌てるな。落ち着いて、聞いて欲しい」

 

そう告げるターラーの眉間には、皺が寄っていた。

 

「昨日、未明。オリジナルハイヴ―――H:01、カシュガルのハイヴからここ、亜大陸中央に向けて移動するBETAの大規模部隊が確認された。

予測針路は、この基地及びインド亜大陸方面。それに伴い、早朝にこの基地は第二種戦闘態勢に移行した」

 

「―――え?」

 

ハイヴとか、BETAの大群とか。唐突な事態を告げる内容を聞いた全員が、変な言葉をもらしていた。それは―――基地内の慌ただしい様子。そして教官の顔と、声色から。分かっていたことではあるが、現実としては遠かったものだ。

 

今、話を切り出される寸前には、訓練兵の中で特別勘の鈍いマリーノでも、何となく気づいていた事実だった。

 

しかし、こうもきっぱりと告げられた事実に。予兆なく、唐突に訪れた事態に、訓練兵達は受け入れるよりも先にその現実性を疑った。

 

情報が確定で、訓練でもなく―――現実に起こっているのか、確認するような表情を見せた。

それを見回したターラーは、ため息をひとつ落としていた。

 

「………お前たちの言いたいことは分かる。だが、これは訓練ではない。現実だ」

 

教官の言葉を理解した者から、数秒遅れての動揺の声が上がった。

それはまるで、悲鳴のようだった。

 

「………繰り返すぞ。BETAの数は少なく見積もっても旅団以上。第一発見時の推測よりも多くなる確率が高いため、最低でも師団規模にはなるだろう」

 

旅団規模で、総数が3000~5000。師団規模ともなれば、10000以上にもなる。つまりは、本格的な侵攻だ。

 

ハイヴの中にいるBETA、その余りモノがこちらに移ってきたのだろうか。

しかし移るにも予測の時期と重ならないと言えた。そのことに疑問を覚えた泰村が、手を挙げる。

ターラーは頷き、言葉を促した。

 

「その、ボパール・ハイヴの方のBETAは?」

 

喀什よりもよほど近い、目下最大の脅威である目前のハイヴはどうなったのか。

ターラーはその質問に対し、表情を崩さないまま答えた。

 

「幸い、と言ってもいいのか………そちらに動きは見られない。だが、カシュガルから来た糞共と連携して動く可能性はある」

 

「そんな………でも、この基地じゃあ!?」

 

「ああ。貴様の言うとおり、この基地はあくまで哨戒基地。そしてスワラージ作戦でハイヴ周辺に置いてきてた物資を取り戻すための、あくまで中継基地にしか過ぎない」

 

つまり、純粋な戦力が充実しているとは言い難い。

大隊規模のBETAでさえ止めることはできないだろう。

 

「よって、この基地は放棄される。しかし背を向けて逃げるだけでは、殺してくれというようなものだ………足止め役が必要となる」

 

その言葉に、訓練兵全員がびくりと肩を震わせた。

ターラーはそれを見ながら、安心しろと告げた。

 

「見くびるな。まだ速成とはいえ、訓練も満了していない。そんなヒヨコ共に足止めを頼むはずが無いだろう。足止めは、この基地に駐留している私達の部隊と、近隣の哨戒基地と連携して行う」

 

「え………じゃあ、俺たちは」

 

「本日1000に、後方のナグプール基地へ輸送車を走らせる………技術者や整備兵達と共に、それに乗れ」

 

「えっ!?」

 

それを聞いた武が、思わず叫んでしまった。

異議を唱えるかのような声を出した武を、ターラーが睨んだ。

 

「う、すみません」

 

「……まあ、いい。それよりも確認だ。これより貴様達が取る行動を復唱しろ………泰村」

 

「はっ! 我々、イタルシ基地所属の第一期特別予備訓練兵は、本日1000に後方のナグプール基地へと退避致します!」

 

「それでいい。その後の事は、基地の人間に聞け………到着次第、指示を与えるように伝えている」

 

「「「了解!」」」

 

訓練兵達が、敬礼を返す。

 

「………昨日の今日になるがな。お前たちを使えないと判断した訳ではない。この作戦は難度が高く、熟練の衛士でも生還は難しい………訓練の完了していないお前たちでは、全滅する可能性が高い」

 

一息ついて、言葉を続ける。

 

「むざむざと死地に送るような趣味は、私も上層部も持ってはいない………後方で鍛え、励め。そうすれば、いつかきっとお前たちはエースになれる………私からは以上だ」

 

解散の言葉が、静かな部屋に響く。

教官が退室し―――訓練兵の肩から、力が抜けた。

安堵の息がこぼれ出る。

 

「ふあ――――どうなることかと思ったよ。でも教官の言うとおり、俺たちじゃあ死にに行くようなもんだし」

 

アショークが、頭をぼりぼりかきながら面白くなさそうにこぼす。

彼も分かってはいた。しかし、何となくだが面白くないのだ。安堵と共に湧き出た不満感を殺せぬまま、

 

所在なさげに視線を動かしている。

 

「でも、正直言って教官のような熟練衛士でも難しい数だぜ。ひよっこの俺たちが後方に移るってのも仕方ないよな」

 

―――それは、至極真っ当な理屈で。

 

しかし、納得していない者が一人駈け出した。

 

「おい、武!?」

 

どうした、と泰村が武を呼び止める。

しかし武はそれを無視して、部屋を出た。

 

自分の父が居る技術部がある区画に向かって、走る。

そして、走りながら舌打ちをする。原因は分かっている―――心の中に生まれた、ささくれのような痛みのせいだ。

 

教官が武に告げた言葉は、むしろ当然で。武にとっても渡りに船の内容。

しかし湧き出る感情の名前は、安堵だけではない。言いようのない感情の奔流を胸に、武は技術部の扉を開いた。

 

「親父!」

 

「っ、武か!」

 

技術部の部屋に駆け込む武が見たのは、図面を手にあちこち走り回っている影行の姿。

そして、他の研究員も同じだった。その研究員から、視線を感じた武は、その視線の意味を要約する。

 

(邪魔だから出て行け、って所か?)

 

嫌な顔をしているということ。そして現状を鑑みるに、そういうことだろうと判断した武は、何かを言おうとする。

 

しかし、そこで口を閉ざす。

 

「武、どうした?」

 

「オヤ………父さん」

 

何を言えばいいのか。この感情は、なんなのか。

抑える事もできず、衝動のままに走ってきた武。しかし口から出る言葉はなく、顔を伏せた。

 

(………撤退の、準備をしているのか。邪魔しちゃいけないな)

 

そう判断した武は、影行にごめん邪魔して、と一言だけ伝え。

退室し、訓練兵の仲間の元へと戻っていった。

 

「………すまん、続けよう」

 

謝罪の後、影行は作業を再開した。ここにあるのは、実戦データその他諸々から起案し、そこから具体案化し、図面化した戦術機の各部品についてだ。

性能及び耐久力の向上を主とした、宝物とでも現すべき各種のデータであった。

 

この時代、情報の大半は未だ電子データ化されておらず、手書きのものが主流となっていた。

電子媒体ならばデータに移動に時間はかからないが、紙媒体なら話は違う。

実戦データから凝縮された各図面。これを作成するために戦場で失われた命、そしてこれが元で性能が向上した場合の、救われるであろう命。

その価値の如何なるばかりか、想像もつかない。それをここで失わせる訳にはいかない。

基地の防衛が保たれている間に、これらを安全な場所へ移さなければならない。

 

 

 

研究所が基地内に作られている訳は二つある。1つ、機密保持。そして2つ目が、安全性である。

BETAの戦略はかなり大味で、その地域丸ごとを滅ぼすつもりで侵攻してくるから、

防衛する拠点は少なければ少ないほど良い。

基地外に研究所を作った場合、地中侵攻などで防衛線を抜かれると、あっさりと研究所が破壊される可能性が高くなる。

 

もしそうなったら、洒落にならない程の人的損害、及び技術的損害を受けることだろう。それに何より、貴重な時間が失われる。

 

待ってはくれないのだ、BETAは。技術的な成長が果たせないと、近いうちにでも人類はBETAに負けるだろう。

 

そのためには、何としてもこの貴重なデータを失う訳にはいかない。

 

何としても、無事なところへ運ばなくてはと、技術者や研究者達はどんどんと段ボール箱に資料、

図面入れに図面を入れていく。

作業をしながら、「それにしても、まるで夜逃げのようだな」、と影行が呟く。それを聞いていた近くの同僚が、違いないと笑う。

 

「まあ、技術屋の俺たちにとって、一番大切なものが、このデータだしな。前線で戦えない俺たちにとって、武器はこれだけだ」

 

「ああ……衛士でいえば戦術機だな。すいません紛失しました、などとは言えん。命張ってる奴らにも………死んだ奴らにも申し訳が立たんし、な」

 

他の研究員が自嘲する。彼は三年前に娘をBETAに殺された研究員で、それまでは別の分野での技術者だったらしい。

 

だが娘の死を知った後、仇を討つため―――戦う力を持たない彼は、より多くのBETAを殺す事を願い、軍人ではなく自分の能力が最大限に活かせる戦術機開発の分野に移った。

 

皆、似たような理由で此処にいる。

影行はため息をつき、時計を見た。

 

時間はあまりない。間に合うように、急がなければならないと、影行達は撤収作業を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、一時間後。

ターラーは研究室近くのハンガーで戦術機を見上げ、一人で佇んでいた。

 

「皮肉だな」

 

ターラーの口から自嘲が溢れる。誰もいないハンガーに、彼女のハスキーボイスが響いた。

自嘲したのは、訓練兵と―――そして自分の事。そして先ほど交わした、司令官との会話だった。

 

(今回の運用は諦める、か)

 

司令官は渋面で告げた。ターラーはその時の事を思い出しながら、あの狒々爺がどの口でそれを、と嘲笑を浴びせた。

 

(しかし、もう少し訓練が続いて、全体的に練度が高くなっていれば………強行したのだろうな)

 

あるいは、準備が整っていれば運用したのかもしれない。いつになく速い、BETAの侵攻速度が幸いしたのか。現状、司令官が考えていた下衆な策を敢行するには時間が足りないのだろう。

 

S-11を積込む時間もないのだ。その上、練度も低いとあれば思った成果が上げられそうにない。

そしてそれは―――催眠暗示を仕込む時間もないという事と同じである。そう判断し、中止したのだろうとターラーは考えている。

 

(どんな手を使ってもさせはしないがな………いざとなれば―――いや、今は目の前のBETAの事だ)

 

先の敗戦で衰えた戦力は回復していない。そこで起きたこの大規模な侵攻だ。

BETAの行動を予測出来たことはないが、いつもいつも悪い意味でこちらの思惑を裏切ってくれる。

もしかしたら、戦略を判断する思考を持っているのか。そこまで考えついた時、ターラーは自嘲した。

 

(まるで身体にも心にも痛覚がないように、無機物の如く進行してくるあの化物共が?)

 

ありえん、と結論づける。

しかし―――ターラー自身馬鹿馬鹿しいと思いつつも、これだけ裏をかかれてはその事を疑ってしまうのも確かだった。

否定したいという感情も加わってあり得ないものと結論をまとめたいのだが、それに反する結果が次々にあるのだから。

 

(いや、それも私の考えることではないか)

 

それはどこぞのお偉いさんか、研究屋さんがやってくれることだろう。ターラーはそう判断し、次に自分の分野のことを考え始めた。

迎撃する衛士や基地の戦力のことである。頭の中で現時点での戦力を数え、そして一つの結果が生まれた。

 

―――どう考えても、足りない。それが客観的な事実である。

 

しかしそうだといっても諦めてはならない。ターラーは嘆息を挟みつつも、現時点での戦力、部隊の編成を再び考えはじめた。

長距離遠征ということで、群れの中に光線級が含まれている可能性は低い。

 

それをプラスと考えても、現状の戦力には不安を隠しきれないだろう。

明朝に確認したが、同隊の突撃前衛と強襲前衛の精神状態は酷く、薬物投与に後催眠暗示を駆使したとして、とても実戦に耐えられる状態ではないという。

つまりは、前衛二人を欠いた戦闘になる。部隊の精鋭の二人を欠いた状態での迎撃戦、それは隊内での士気の低下に繋がるだろう。万能型の自分が前衛に入ったとして、それでも不安は隠しきれないから。

 

次に考えるのは、他の部隊の事だ。

聞いた話だが、隣の哨戒基地からは欧米方面に所属していた国連軍衛士が今回の編成に組み込まれるらしい。

彼、もしくは彼女たちはスワラージ作戦の後、様々な理由で向こう側に撤退できなくなった者達とターラーは聞いていた。

そのまま、こちら側に残ってしまったという事も。

この基地にも何人かいるが、全員が重傷を負っていた。そして間もなく全員が死んでしまった。

ナグプールの基地も似たような状況だったらしいが、こちらとは違って向こうにはまだ戦える人員がいるらしい。

 

きっと手練だろう。多くはないが、撤退戦を生き残った衛士である。

あの激戦を生き抜いたからには、運でも腕でもなにかしらの長所とかなりの練度を持っていると、考えてもいい。戦力として、いくらかは期待していいだろう。

 

どうせ逃げる場所もない。向こうの基地もそういった方針で動いているのは確かだ。

この状況下で使える戦力を遊ばせておく筈もない。使えるものは使い、何とかしてBETA共を押し留めるべきである。

 

そして、ひと通り戦力を描いた後にまとめる。

 

数えられる戦力は、現在の部隊の生き残りに、欧州からの補充の人員が加わった別方面軍の混成部隊。その数に改めて頷いた後―――ターラーは頭を抱えたくなる衝動にかられた。

 

小隊、中隊程度ならば戦術面での乱れはそう起きない。だが、大隊規模では話が違ってくる。

こんな混成部隊で、即席の連携が出来るのかと、不安が隠しきれないのだ。

熟練の衛士であるターラーでさえ、混成軍が規定の戦力を発揮できるのかは、実戦になってみないと分からない。

 

全員がプロの軍人だが、軍人には我の強い奴らも多い。各部隊の連携が上手く機能すればよいが、バラバラになる可能性もある。編成が完全に終えていないせいか、演習の内容も、かなりおざなりだった。そのあたりは、ぶっつけ本番で試すしかないだろう。

 

「マズイな………賭けの部分が多すぎる」

 

戦力として不確定な要素が多すぎて、結果は賽の目次第である。そしてこういう時は、えてして出目が腐るものだ。シビアさが求められる戦場において、そんな不確定な要素が多大にある状況下は何よりも避けなければいけないものの筈である。

 

極めつけの裏目が出たら、と考えるだけで恐ろしくなるから。人命も戦術機も、一度壊れれば取り返しがつかない。もし挽回不能なまでに部隊が損耗すれば、次の侵攻はどうなるのか。今回の戦闘だけに視野を狭めるのも、危険なことだ。

 

そこまで考えたターラーは、ため息をついた。

疲れ、不安さがこぼれ出たが如くの息、それに対して反応し、後ろから声をかける者が居た。

 

「そうだな………良い目が出ることを祈るしかないな、ターラーよ」

 

「っ、ラーマ隊長………!」

 

ターラーが声の主に振り返り、敬礼をする。

隊長と呼ばれた男―――名前をラーマ・クリシュナという大柄で褐色の肌、黒い髪。

そして鼻の下にわずかな髭を残した男が、敬礼を返す。

 

「人が悪いですよ、いつからいたんですか」

 

「今さっきだ。なに、誰もいないしラーマで構わんぞ」

 

その言葉にターラーは、こんな状況になってもこの人は変わらない、と笑う。

昔からそうだった、と思いながら。

 

「私も、ターラーで良いですよ?」

 

「ならばお言葉に甘えて聞くがな、ターラー。先ほど司令官殿から話を聞いたのだが………もう一度確認だ。あのひよっこ共は避難させるんだな?」

 

「はい。まあ、あのクソジジ―――もとい司令官殿は苦虫を噛みつぶした顔をしていましたがね。そう通達されました」

 

「クソは汚いな、狒々爺で構わんぞ。肥溜め野郎でもいい。だが、そうか………それはよかったな。例の部隊と欧米人との連携も考える必要がある。この上ガキのお守りまでさせられたんじゃあな」

 

とてもじゃないがカバー仕切れん、とのラーマの言葉にターラーは苦笑しながら同意した。

事実として、自分達の部隊に余裕があるわけではない。余裕のない状態で、他を気にかけることはあまりにも危険なのだ。

 

しかし――――ですが、と。ターラーはラーマの言葉の中の、一部だけ否定した。

 

「ひよっこの中の、一人だけ。私達のお守りを必要としない、そんな奴がいることはいますが」

 

「………ほう?」

 

喋り方からそれが冗談の類ではないこと。ラーマはそれを察して、一つの興味を抱いていた。

速成訓練のことは、ラーマも聞かされている。

いかにも狂った、馬鹿な司令官が思いつきで言い出しそうな、心情も矜持も無い下衆な試みだ。

 

一年に満たない訓練でそこまで持っていける訳がない。それは衛士としての訓練を受けたものならば、誰しもが思うことだ。それぐらいに常識で―――しかし、ターラーはその常識とは異なる内容を口にした。

ラーマも、ターラーの性格や軍人としての在り方は熟知している。基本的に、厳しい。自他共に厳しく、お世辞など間違っても口にしない。

決して妥協することなく、下手な褒め言葉を発することもない。

 

そんな彼女が、間違いなく事実として口に出したのだ。

 

――――使える、と。

 

理解したラーマの心に、純粋からなる興味が生まれた。

 

「あれだけの訓練で、実戦レベルに至った少年………ターラー、そいつはどんな奴なんだ?」

 

髭をいじりながら、ラーマがたずねる。対するターラーは少し考え、言葉を選んだ後に言った。

 

有り得ない奴です、と。ラーマの顔が驚きに染まる。

 

「………お前にしては珍しい、曖昧な表現だな。ますます興味が出てきたんだが」

 

ずずいと迫るラーマ。ターラーは――――少し疲れた、という風に口を開いた。

 

 

「隊長殿においては理解されている真実だと思われますが――――衛士には才能が必要です。1を教えて1を知る才能。それが最低限で、持たない人間は衛士にはなれないということも」

 

「前提としての適性のことか。次には、死の八分を超えることができる奴、あるいは実戦を繰り返しても生き残ることができる奴」

 

ラーマは頷き、言った。衛士の適性として必要なのは、平衡感覚だけではない。

生まれついての優れた運動神経と、最低限の勘の良さも必要になってくる。それが無い者は、衛士に成ることはできない。

 

「そこから先は搭乗時間です。1を重ね続けた結果に、訓練兵は衛士となる。天才と呼ばれる人種でも、1を教えられ―――そうですね、5を思いつくのがせいぜいです」

 

それが人間としての当たり前で。だけど、あいつは違ったと、ターラーは少し表情を歪ませる。

 

「5にも収まらない………じゃあ1を教えて、10を知った、いや身につけた?」

 

怪訝な表情でのラーマの問いに、ターラーはしかし違うと答えた。

 

「1を教えて、20を"思い出す"。ええ………才能の一言だけじゃあ語れませんよ、アイツは。天才といっても限度があります」

 

「お前ほどの衛士が、理解できないぐらいにか」

 

「はい。おまけに適性は"ど"が付く程の、ばりばりの前衛向きです」

 

その不自然すぎる能力に、ターラーをして疑わざるをえなかった。

 

「最初におかしいと思ったんです………隊長は、自分が始めて戦術機に乗った時の事を覚えていますか?」

 

「ああ、あれは忘れられんだろう。お前と違って才能もないからな。そうだな、確か………転ばないように歩くだけで精一杯だった」

 

「いえ、最初は私も同じでした。数時間は歩き、感覚を馴らしたその後に基本動作を覚えていく。誰だって同じだと思ってます。ですが、あいつは………」

 

そこで言葉が切られる。いえ、信じてもらえませんね、とターラーは首を横に振った。

曖昧に終わる表現に、ラーマはまた怪訝な表情を見せる。

 

「………そんなに、か?」

 

「はい。その上、戦闘勘やBETAに対する理解に関しても、上達する速度が異常でした。基礎訓練に耐えた時点で異常だと思ってはいたのですが………」

 

「俺も見たよ。正規兵が受けるに劣らない内容だったな。たしかに、10の子供がそれに耐えるのは………いや、ソ連の例もある、が………その点に関しては考えすぎじゃないか? 元々の運動神経は良かったし、回復力も優れていることもあるだろう」

 

「はい。しかし、精神的にも身体的にも、耐え切ったという点は、普通の範疇には収まらないですね。加え、他の要素が絡まってくるとなると………」

 

いくらなんでも怪しすぎる、とターラーは考えている。

予備の教官として控えていた衛士も、同じことを考えていた。彼は日本の諜報員だと言ったのだが。

 

「いや、日本に限ってそれはあり得んだろう。ソ連ならともかく」

 

「はい。アホな発言をした馬鹿は、可哀相な者を見る目でじっと見つめてやりましたが―――しかし、腑に落ちないのは確かです」

 

「あるいは、稀代の天才衛士とやらかもしれんぞ?」

 

「貴方も阿呆を見る目で見られたいんですか?」

 

「冗談だ。しかし、現状の腕はどうなんだ? ―――もし、と問おう。今この時点で戦術機に載せたとして、そいつは即戦力として使えそうな練度を持っているのか」

 

軍人としては当たり前の事。常に最悪を、を想定する。

その故の問いだが、ターラーは僅かに険しい顔をして、ため息をつきながら、答えた。

 

「むしろ一般の衛士より、腕は確かです。機動に関しては既に一流の域に入りかけています」

 

「はっはっは。うん、異常に過ぎるなぁおい」

 

ついには知らされた技量。あり得ないそれに、ラーマの顔がひきつった。

 

「いや、まあ、宇宙から殺人上等のエイリアンがわんさかと出てくるご時世だしなぁ。そんな阿呆な事が起きるのもまた"アリ"だろうよ」

 

「そういえばそうですね。父たちも、第二次大戦の中生きていた頃には、こんな事態になるなんて考えても見ませんでしたでしょうから」

 

人間同士の血みどろの戦争。その禍根は根深く、これで終わらないとどの国もが次の戦争を考えていたはず。はずだったのに、まさかの宇宙人との戦争である。

 

こんなSFを現実に持ってきたような事態になるとは、誰も思わなかっただろう。

BETA大戦。一体誰が予想したのだろうか、今のこの状況を。いたとしても、間違いなく狂人扱いされていたに違いない。今はそんな狂った状況が現実となっている。

 

大真面目に脳みそを絞り出し、宇宙人に殺戮されない方法を考えぬく時代に変わってしまった。

 

「………光線級の登場に端を発する電撃的侵攻に、悪夢のような強さ。そして気持ち悪すぎる外見を持つ化物。まあ―――"あれ"を初めて見た時の衝撃には劣るな。そう考えれば許容範囲内だ」

 

むしろ歓迎すると笑ってのける。

 

「ともあれ、肝心なことはただ一つだ。そいつは、実戦には耐えられそうなタマかどうかということ」

 

いくら技量があっても、恐怖に飲まれて何もできない奴がいる。

ラーマはそういった意味で尋ねたのだが、返ってきた言葉はまた別の方面からのものだった。

 

「精神的には何とも。だけど無理です、まず体力がもたないでしょう。あいつが適するポジションは突撃前衛ですから。あれは体力の豊富さも求められる、隊の中でも一二を争うほどの激務なので。回避に徹しさせて陽動で使おうにも不安要素が多すぎます。そんな奴に、崩れれば影響が大きい重要な役目を任せるのは………」

 

息を吸って、断言した。

 

少なくともあの精神状態では、と。

 

「………そうか。まあ部下共も子供に頼るほど、落ちぶれてはいないだろうがな」

 

あるいは、と。呟くラーマ大尉に振り返ると、大尉の背後に、何か見えた。

 

「えっと、隊長………その子は?」

 

ラーマの大柄な体、その後ろに隠れるように立つ一人の少女。

銀色の髪を持つ見慣れないその姿を発見したターラーは、尋ねる。

 

(―――この髪の色、そして顔立ちは………ソ連の?)

 

ターラーは嫌な予感がした。表情にも現れ、それを見たラーマがぽりぽりと頭をかく。

 

「あー、なんというかだな」

 

「―――そうですか、そうだったんですね」

 

「お、おい何を納得している?」

 

笑顔だが怖いぞ、とラーマ大尉は一歩後ろに下がった。

 

「大丈夫です。まあ、色々と問題はあるでしょうが頑張って下さい。愛に年の差は関係ないといいますしね」

 

私だけはあなたの味方ですよ、と。

理解の表情を浮かべるターラーに、ラーマは焦りを見せる。

 

「ち、違う、いいから聞け、頷くな! まあ、なんというかだな、その」

 

「分かってますよ」

 

「分かっとらんだろう!」

 

怒鳴るラーマ。それに対し、ターラーは理解の表情を浮かべ、ラーマの耳元へ囁いた。

 

―――スワラージでも、見ましたからね、と。

 

「………分かっていたのなら、からかうなよ」

 

「ふん、知りません」

 

ターラーは心なし拗ねたような表情を浮かべる。にぶい、とか何とかぶつぶつ言いながら何か言おうとするラーマ大尉を無視する。

 

そしてさっきから何も話さず、不思議そうにこちらを見ている少女の前へ、膝を曲げしゃがみこむ。

 

「あなた、名前は?」

 

「ない。R-32と呼ばれていたけど」

 

「………それは。いえ、それはちょっと前までの名前ね。今の名前があるんでしょう?」

 

ラーマという人の事は知っているから、と半ば確信したように告げるターラー。それに、少女は答えた。

 

「私は………サーシャ。うん、さーしゃ………サーシャ………でいいのかな?」

 

繰り返し呟き、確認するように。サーシャはラーマ大尉の方を見ながら首を傾げた。

 

「そうだ、よく言えたな。偉いぞ」

 

ラーマは笑顔を浮かべながら、頭を撫でることで応えた。そして、すまんと謝った。

 

 

「先のことでちょっと話をするから、待っててくれるか?」

 

「………うん」

 

素直に従う少女。ラーマはその少女の頭を撫でながら、話があるとターラーを連れて部屋を出た。

 

「どういうことですか? ここ最近姿を見せなかった理由は、彼女にあるとみて良いんですかね」

 

部屋を出て後ろに振り返ったラーマが見たのは、野郎ならば誰もが見惚れるような綺麗な笑顔を浮かべたターラー軍曹殿。目には危険な光が灯っていた。

 

反射的に、ラーマ大尉は階級は軍曹なのに―――まるで訓練時代の教官を相手にするかのように必死になる。両手を掴み、説得を試みた。

 

「あら、どうしたんですか?」

 

「いいから聞け。いや、最後まで聞いて下さい。それでできれば殴らないでくれお願いします」

 

そして、懇願する。巨漢なのにヘタレである。ラーマが経緯を説明するために口を開こうとした時、

 

「何だ!?」

 

基地の中に、耳障りなブザーが鳴り響いた。

 

「只今より、この基地は第一種警戒態勢に移行する。繰り返す。第一種警戒態勢に移行する。これは演習ではない。繰り返す………」

 

その放送に、二人とも眉をひそめた。BETAが来るには、まだ早すぎる。先行していた部隊による、戦線はまだまだ維持できていた筈だ。

 

「ボパールの中のBETAが動いたか………どうします?」

 

「説明している暇はなくなったな。ともあれ、話は後だ。俺は取りあえずCPに行かねばならん。悪いが、あの子を避難させてやってくれ。訓練兵の避難用の車が出ていただろう。あれに乗せてやってくれ。話は通してある」

 

「了解しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブザーが鳴り、武は待機している避難用の車に乗り込んだ。

けたたましい音が鳴り響く基地の中、車の中で武は二つの事を考えていた。

 

ひとつは、今朝見た夢の事。

 

もう一つは、さっきから警報のように煩く、そして止まない心の中の声。

 

(………なんだってんだ、この不安感は。もしかして、ここで逃げたらまずいのか? だからって、俺がここに残ってどうなる!)

 

不安要素が山ほどある今、残って戦ったとしても、果たして生きて帰れるかどうか。

油断すれば即座に死ねるだろう。そしてこんな腕や体力では、油断しなくても、間違わなくても死んでしまう。

 

綱渡りの結果、生きるも死ぬも自分次第で運次第。足を踏み外せば死ぬし、不意に強風が吹いても死ぬ。踏み出そうとしているのは、そんな理不尽な場所だ。出来ればそんな所へ行くのは御免被りたいと武は思っていた。

 

この期に及んで、と言われるかもしれない。

だが武は戦うという事が現実に目の前にまで迫っている今になって、無性に逃げ出したくなっていた。

 

我武者羅に進み、望んで来た場所のはず。

なのに死の恐怖に直面し、死を隣人として捉えてしまった武の中には、迷いが生まれていたのだ。

 

(衛士に成ること。それを選んだことを考えていた―――考えていた、つもりだった)

 

だがもう一方で、常にある疑問が、問いが。武の胸の奥に突き刺さって抜けない。

 

(だけど、逃げてどうなる。このまま逃げて、いったいどうなるっていうんだ………もしかして、あれは未来の光景なのかもしれない! いや、きっと………!)

 

武は、夢で見た光景を思う。感触は未だ生々しく残っていて、思い出すだけで手が震えた。

だが、それでも、と歯を食いしばり、心の中に居る逃げようとする自分を殴り、自らを奮い立たす。

 

純夏がBETAに喰われるなんて、許さない。俺も、あんな化物に喰われたくなんかない。親父も、死なせるもんか。

 

ああ、夢の話だ。寝言の筈だ。武は自分に言い聞かすように反芻する。

 

でも、武にはまるで実際に起こったことのように思えていた。

 

―――極めつけは、自分の夢の、"その異様さについて"だ。

 

武は基礎訓練が終わり、BETAに関しての始めての授業を受けた後、父に言われた言葉を本当の意味で理解した。本来ならば知らないはずのBETAの事を、自分は知っていたのだ。

 

その特徴も―――そして戦術機乗りとして、対処する方法も。

 

日本に居たときもそうだった。悪夢に似た夢を何週間も見続けた。そして毎回、目が覚める間際、誰かが武に叫んでいた。聞いたことがあるような、全く聞いたことがないような声。

 

(―――誰かが居る。俺の中に、亡霊が居る)

 

ずっと叫んでいる。今、ようやく聞こえたと武は頭を抱える。

 

彼は、言う。

 

戦え、抗え、許すなと。

 

日本で見た夢の中。曖昧な言葉から逃げるように、武は頷いた。

それだけが、声をかき消す方法だった。同情心もあったかもしれない。

 

なぜだかその声は他人と思えなく、あまりにも悲しい声色だったから。だから武はインドに来た。最前線ならばどうにかなると、基地でオヤジの承認を得て、そしてBETAを倒す方法を学ぼうと。

 

そうして、声は消えた。

 

そして今は、目の前に具現化した悪夢が迫っている。

 

(どっちが正しい? ―――逃げるか、戦うか)

 

武が、自分に問う。しかし、答えはでない。

そうこうしているうちに、車が発車する5分前になる。

 

 

 

―――そこに、声が届いた。

 

 

「逃げるの?」

 

 

幼い少女の声に、武は窓の外を見る。そこには、女の子が一人佇んでいた。

綺麗な銀髪、だが生気の無い瞳で、じっとこちらを見つめている。

 

まるで、心を読んでいるかのように、必死に。

だが武にとって、そんな事今はどうでもよかった。

 

 

「君は、ここから逃げたいの?」

 

 

繰り返される言葉。武は何も言えなかった。

 

 

二人とも、無言。ブザーの音だけが鳴り響く基地の中、武は天を仰ぎ。

 

そして、俯いて――――勢い良く顔を上げると、猛然と走り出した。

 

 

その場に残された女の子は、走り去る武を見送った後、首を傾げたまま避難用の車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブザーが鳴る。基地が、警報に染まっている。

武は走りながら、自分の意識が混濁しているように感じた。

 

亡霊の、何者かの声が、頭の中に混ざりこんだかのような感触を覚えている。

 

(……いや、今は走るだけだ)

 

武は、走りながら心中だけで呟いていた。

あれこれ考えていたことが、要約すれば1つ2つの答えに辿り着くということを。

 

―――曰く。進むか、逃げるのか。

 

先ほどの少女が問うた言葉。逃げる、逃げたい。戦いたくない、だから逃げるか。

 

(今更、何を考えていた?)

 

武は自分の情けなさを直視する。逃げる、逃げられるという方法を考えた自分の、不様な思考を叱咤した。

 

(………逃げてどうなる)

 

夢で見た光景。夢の中、乖離した意識の中で武が見た、誰かの記憶は。

そして未だ武の胸中にある、目の前で死んでいく、誰かの死に顔は。

 

果たして、どういう意味を持つのか。

 

(それはまだ分からない―――だけど!)

 

走る速度が上がる。ブザーの音は相変わらずうるさいが、関係ないと武は走る。

 

武には、小難しいことは分からない。そもそも考えるのは苦手だから、最善の答えなんて、

いくら時間をかけて考えても見つからないと。自分の頭が良くないのは、武自身理解していた。

 

そして、今までの事を思い返す。かろうじて取り戻した平静の心中。

その中で悟ったことは1つ。時間をかけて探しても、見つかるのはただの言い訳の言葉だけだということ。

 

(目を閉じて考えればいい)

 

余計な情報を閉め出した後に、考えればいい。そうすれば、分かる。どうするかなんて、一つしかない。闇の中、武は改めて、自分に問う。心に問う。

 

(………行く)

 

 

今ならばまだ間に合う、と誰かが問う。だから、武は選ぶ。

引き返す道なんて、何処にもないのだと。

 

ただ往く道の道程を、死が路肩に転がる険しい山道を、生きたまま踏破する事を誓う。

 

ここから続く道は険しいだろう。途中で躓くかもしれない。間違うかもしれない。誰かに、馬鹿にされるかもしれない。

 

(でも―――歩きもせずに死ぬのは、死なせるのはもっと嫌だ!)

 

今朝の光景を思い出す。きっと自分は殺されたのだろう。そして―――純夏も、あの化物共に殺されるのだろう。いや、連れだされた事を考えれば、もっとひどい目に合わされるかもしれない。

 

あの、バカが。「武ちゃん、武ちゃん」と、馬鹿みたいに笑いながら、自分の後を追っかけてくる幼馴染が。

 

妹が殺されるのも―――守る事もできないのも嫌だ。

 

何かを出来る力を持っている武だからこそ、その想いは余計に強くなっていく。

 

だから、走る速度は落ちない。前に、目的地へと歩を進める。

 

(何も、分からない。だから―――俺は行かなきゃならねえんだ!)

 

武は、見えない背後から奴らが迫っているのを感じていた。

シミュレーターで見たBETA。夢で見たBETA。そして今ここに攻めてくるBETA。明確たる敵だ。倒すべき敵だ。悪夢を見せる、俺の敵だ。

 

そして今、倒すべき敵がここに近付いている。

 

―――未だに基地内はレッドアラート。けたたましい警告の音が鳴り響く。走る横を赤いランプが、通り過ぎ。流れるように消えていく。

 

 

武は何で、自分だけが。何で、よりによって――――と思うことはあった。

9歳の時、あの双子の女の子に会ったその晩から、今朝の夢の内容に似た悪夢を見続けた。

声と悪夢から逃れるがまま、半ば衝動の内に此処まできた。実際は、本当の所は、自分の意志では無かったかもしれない。覚悟も持たないまま、選んだのだ。

 

だから、ここから先は、誰かの意志ではなく自分の意志で進まなければならない。

選んだ選択の結果、何が起ころうとも受け入れる覚悟をもたなければならない。

 

自分にとって何が大切かは分かった。あとは、選ぶだけ。

 

(ならば、今ここで俺は最後の選択をしよう)

 

無謀だと誰かが言う。蛮勇だと誰かが言う。

無謀だとだれかが言う。

 

(………上等だ。だからどうした)

 

蛮勇だと誰かが諭す。

 

(結構な事だ。場所を選ぶ勇気なんて、俺は欲しくない)

 

繰り返される自問自答。正解は何なのかを考えず、武は本能のまま突き進む。

 

(あれは夢だ。そして、いつか訪れるかもしれない未来だ)

 

その時に、ああすればよかった、こうすればよかった、なんて後悔したくない。武はそう思っていた。それは、この上なく格好悪い事だと思っていたからだ。武は格好悪いのは嫌いだ。

 

テレビで見たヒーローに成りたいけど、ヤラレ役の戦闘員はごめんだ。

 

だから、ヒーローに成れる道を行こうと思った。死んだ人と過去は変えようもないが、生きている人と未来ならば、あるいは自分の行動次第で変えられるかもしれない。

 

 

(誰かを死なせず、助ける。それが出来るのはヒーローだけなんだから)

 

 

だから行く、と。単純明快な理によって、少年はやがて目的地へと辿りついた。

 

「…ここか」

 

武は、ハンガーに辿り着く。そして、ドアの前で立ち止まった。

 

(教官に教えられた通りに………まずは、現状を把握する)

 

もうすぐBETAが来る。時間に余裕があったにも関わらず、たった今、アラームレッドが鳴った。

おそらくは、何かあって、予測していない事態に陥っている。

 

(今から避難用の車へ戻れば、逃げるのには間に合うかもしれない。

 

死ぬことなく、無事に後方の基地まで逃げられるかもしれない)

今は、死なずにすむ。だけど、後になって―――それよりも、まだ脱出していないオヤジたちが危ない。

 

(いや、教官は優秀だ。そしてこの基地は最前線が故に、優秀な衛士が多いと聞くから、その人たちが頑張ってくれれば俺たちの逃げる時間くらいはかせいでくれるかもしれない。でも、それはあくまで希望的観測に過ぎない)

 

 

そんな中、武は改めて自分に問うた。

 

逃げるか、退くか。立ち去るか、見ないふりをするか。

 

 

―――誤魔化すか、諦めるのか?

 

 

「いやだ。絶対に、認めない!!」

 

 

自問に対する回答を出すと同時、武はハンガーの入り口のドアを開ける。

 

(親父、純夏、おばさん、おじさん。そして、夢の中で見た、名前も知らない誰か)

 

幾多にも及ぶ、名前も知らない誰かの亡霊に武は誓った。誰も、死なせない。誰も、奪わせないことを。先人達に習い、BETAを防ぐ鉄となることを、BETAを貫く鉄となる事を。

 

(自らの命を賭して、誓う)

 

声には出さず。だが、言葉にして自らの心に刻み込んだ。その時、武の胸の内に、今までに無かったものが宿った。

 

それは、覚悟。命を賭けるという覚悟である

 

選び、受け入れ、足掻くことを誓う。

 

 

決意は胸に。意志は心に。

 

誰かに誓わず、武は自分自身に誓った。

 

ハンガーのドアが開く。

 

(往こう)

 

今から戦争に行こうかという者達は、自分達のテリトリーに入ってきた場違いな子供を見る。

 

そして認識したターラー教官を始めとして、その周囲の衛士も一様に驚きの表情を浮かべる中、武は教官に、自分の意志を伝えた。

 

 

 

「白銀武、出撃を志願します」

 

 


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