Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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Chapter Ⅲ : 『Look at』  
0話 : 前夜


1958年のことだった。

 

米欧共同で極秘裏に行われた系外惑星探査プロジェクト『ダイダロス計画』、その中で生み出された探査衛星『ヴァイキング1号』が辿りついた果ての目的地、火星にて“それ”を発見したのは。

 

その時に得られた情報は、多くなかった。探査衛星より発信された画像データによって判明したのは、“それ”が火星の全土に生息しているということ。そして“それ”が生物らしきものであるということだけであった。その情報だけを伝えて、海賊(ヴァイキング)という名に沿ったかの如く、宇宙という荒の海を泳ぎ切りついには火星に辿りついた探査衛星は、その信号を途絶させた。

 

翌年の1959年にはその火星で巨大構造物が発見された。この発見は、“それ”が知性をもつ生物であるという可能性を示唆するものであった。それらとのコミュニケーションを取る方法を確立するという目的に特務調査機関である“ディグニファイド12”が設立された。

 

当時の数学者、言語学者などの中でも選ばれた12人で構成されている人類最高峰のシンクタンクであった。世界的権威であった彼らの中には、この発見に狂喜していた者がいたのかもしれない。

 

――――空想の中でしか登場しなかった、知性をもつ地球外由来の生命体が存在する。

 

この事実が、知的探究心に優れていた彼らの心を大いにくすぐったであろうことは、想像に難くない。それは“ディグニファイド12”という機関が“オルタネイティヴ計画”という名前に変わった後でも同じだったのかもしれない。

 

だが、とある出来事を転機に、計画の目的はその方針の変更を余儀なくされた。理由は簡単である。

1968年、人類が“それ”の本当の姿を知ったからだ。

 

当時、既に月面への進出を果たしていた人類は、そこで奴らの正体を知った。まずは月のサクロボスコクレーターで“それ”は起きた。“それ”の姿が確認された通信が入ったのだ。だがその直後、報告の通信を発した者の消息が不明になってしまう。僅かな時間で、クレーター周辺に配置されていた人員のその全ての消息が途絶えてしまったのだ。

 

これが後に“サクロボスコ事件”と呼ばれた歴史的事件である。そしてその直後に押し寄せて来た大量の“それ”は、人類に対してある種明確とも言える行動原理で、かつ実に熱烈に接してきた。

 

人類は、“それ”の姿形を見て悟るべきだったのだ。“それ”の外見が放つ異様さから持つ本質的邪悪さを見抜き、迅速な対処をするべきだった。

 

だけど、時は戻らず。当時の上層部に報告された結果は、遭遇した部隊の全滅という何とも無残な結末であった。出会った者全ては鏖殺されたのである。その事実と、接敵した兵士が全滅したという現実を知らされた人類はその時に初めて、自分たちを脅かす“敵”の正体を知ったのだ。

 

“それ”との戦闘が発生した直後に命名された名前は、以下である。

 

|“Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race《人類に敵対的な地球外起源種》”―――通称“BETA”。

 

第二次大戦終結より23年後、歴史上にして初の純粋なる外敵―――地球外来種との戦闘が始まったのは、この年である。

 

国連は月面での戦闘報告を分析。直接ぶつかった部隊や兵器の損耗、そしてBETAの戦闘能力を解析した後に間もなくして動いた。それは、オルタネイティヴを第2段階に移行させるということ。調査より、対処を主とした研究へ方針が転換した瞬間であった。

 

極秘裏に進められてきた計画が更に進行したのだが、そのことを知っている人間は驚く程に少数であった。そもそもの人類、その総数が減少していたというのもあった。

 

その下手人が何であるのか言うまでもない。

6年もの間に及んだ第一次月面戦争、その果てに起きたのは地球への侵攻だったのである。

 

母なる大地が醜き奴らに埋め尽くされるかもしれない。人類はその事実に恐怖した。

非常事態を前に国連航空宇宙軍総司令部は月からの全面撤退を宣言し、地球への最大限の対応を望んで果てた。そうして月面での闘争が終着すると同時に、戦場は地球へと移った。

 

まず1973年、中国は喀什(カシュガル)にBETAの着陸ユニットが降り立った。

それがどういったものであるか、分かることは少なかったが明確になるのも早かった。

 

間もなく建設されたのは、火星で見たものと同種である巨大構造物に似た何かであったからだ。そこから出てくるのは、大量というにも生ぬるい地面を覆い尽くす程のBETAの群れであった。

 

後に“ハイヴ”と名付けられるそれがBETAの基地であることを理解した人類は、対抗するためにユーラシア大陸の中央に前線基地を築いた。月面では行えなかった、全力での殴り合いをするために。

月面(アウェイ)では遅れを取ったが、何千年戦った地球(ホーム)でならば負けるはずがない。人類史における戦争、“歴戦”である我々が故郷の地で負けるはずがないと、軍部の誰もがそう考えていた。

 

古来よりつい先程まで続いていた同胞の闘争、その中で血と共に発展してきた兵器、そして戦術をもってすれば勝てると確信していたのだ。軍首脳部においても同様だった。少なくともユニット落着時から14日間はその見解が主流であった。

 

だが、それはあくまで希望的観測にしかすぎなかった。人類がかつてひ弱だった存在から、この星の霊長を名乗るようになるまでに行ったこと。誰かの死に学び、命の危機や困難に対処するという発展、あるいは進化ともいえる種の成長。

 

BETAはそれを行った。

 

――――結果、人類は空を奪われた。

 

突如現れた新種、光線種の存在。それまでは優勢を握る鍵であった航空兵力は、その新種のBETAの脅威を前に手も足も出なくなったのだ。戦艦の耐熱耐弾装甲をも10数秒で蒸発させられる高出力のレーザーが、考えられないほどに正確無比な精度で空を貫いて来る。音速など目ではない速度で必殺の攻撃が次々に飛来するのだ。航空機にできることなど、あるはずがなかった。

 

当時の逸話として残っているのが、低空飛行にて侵攻中の航空機が100km手前で蒸発させられた時だった。報告を受けた司令官はまず自身の正気を疑い、次に報告者の狂気を願ったのだという。

 

しかし、それは紛うことなき現実であった。戦場において重要である制空権を蹂躙された人類の混乱を逃さず、BETAは悪夢のような速度で、侵攻を始めたのだ。当初の中国政府はこちら側が優勢と見て、国連の協力を拒否したが、光線級の登場による自国の軍隊が崩壊したのを皮切りに、領土内であっても戦略核を使わざるをえない状況になってしまう。

 

だがそれも止まらないBETAの勢いを見た人類は、戦慄した。当時の各国首脳が一体どれだけBETAを驚異的だと思っていたのか。今でも世界最強の国家であると、自他共に認められている米国が翌年に降り立ったBETAユニットに対し、迷わず戦略核の集中攻撃を行ったという事実から見て取れるだろう。カナダ国土の半分を犠牲にしてまでもだ。

 

そう思わせたBETAの脅威は、最早誰の目にも明らかになっていた。一時期はその責任を追求された時の大統領だが、彼の決断が正しかったと、まもなく起きた歴史的侵攻がそれを証明した。

 

H:01、カシュガル。今はオリジナルハイヴとも呼ばれる地球最初のハイヴ建設と中国軍の敗北は、悪夢の序章に過ぎなかったのだ。

 

同年、1974年。旧イラン領マシュハドにH:02が。更に翌年の1975年、カザフスタン州ウラリスクにH:03、翌年には更に二つのハイヴが建設された。だけど止まらず、西進し続けた挙句に北上したBETAはやがて欧州に到達する。

 

侵攻経路上に存在していた国はどうなってしまったのか。また間接的な影響はあったのか。情報にも色々とあり、それを語る方法にも様々なものある。

 

だが――1974年の時点で全世界の人口が大戦前の70%になっていたという事は当時に行われた調査結果、それに基づいて発表された真実であった。

 

それでも欧州各国の軍隊は諦めなかった。侵攻するBETAを迎え撃つは、かつて世界に覇を唱えた欧州の強国、列強であるからだ。誰もが欧州各国の勝利に終わると、信じていた。

しかし、結果は全くの逆だった。歴戦の大国でさえも、BETAの侵攻を止めきれなかったのである。

 

1978年、ワルシャワ条約機構とNATO連合軍の合同により行われたH:05=ミンスクハイヴの攻略戦、パレオロゴス作戦。ソ連軍の大規模な陽動の果てに敢行されたハイヴ突入作戦がある。しかし、突入の数時間後に、突入部隊であるヴォールク連隊の信号の全てが途絶した。ハイヴの地下に広がる地下茎構造の観測情報は残れど、反応炉には到底届かないという結末を迎えたのだ。

 

欧州強国との合同による全力での反攻でも、BETAの喉元にすら辿りつけなかった。その事実は、各国の首脳部や軍上層部に少なからぬ動揺を与えた。

 

そしてようやく、現状の力ではBETAに敵わないことを知った。より大きな戦力が必要である。そのためには兵器の、そして兵器を操る人間の性能を上げなければならない。その流れに沿い、世界中で教育法が改正された。日本でも教育の基本法が改正されたのはこの頃のことである。

 

特に人材の確保が急務だと考えられていたのは、1974年当初から航空兵器や戦車になり代わり戦場の主要となっていた兵器。

 

“地上及び超低空における三次元機動も可能かつ高機動な戦闘をも可能とする二足歩行のロボット”―――戦術歩行戦闘機、通称で言う“戦術機”を駆る人間を集めるべきだとされていた。

 

戦術機を駆る軍人は“衛士”と呼ばれている。その衛士が必要である理由もまた、はっきりとしていた。幾度も発生した戦闘で、敗走と同胞の血の中で人類もまた学んでいたからだ。

 

人の弱さ、脆さとそこより成長する可能性について。繰り返し起きた戦場での敗戦、悲劇につぐ悲劇がある。人間はそんな地獄の中でも、BETAに有用な戦術は何であるかを模索し続けていた。

 

まず、敵の習性を学んだ。その次に一体何がBETAの強さを保持しているのかを学んだ。答えは単純明快も極まっているもの――――すなわち、物量であった。

 

局地的な戦闘での勝利は、ある。だけどBETAはそれを省みない。役割を定められている機械のように何度も、何度も、ただ愚直に膨大な物量でもって押し包んでくる。防衛する人類側も、罠を張り戦術を駆使して迎え撃って数度は勝利を収める。

 

だけど、次はどうか。そのまた次は。次の次は。延々と繰り返される侵攻の中、たった一度でも敗れればその場所を奪い取られてしまう。奪還作戦も考えられたが、後方にある複数のハイヴから次々と援軍を送られてくるのではきりも無かった。

 

BETAは次々に戦力を送り込んできた。例え50敗れようとも、1を勝てばいいのだと言わんばかりに、数の優位を前面に押し出してきたのだ。疲弊していた欧州各国にはひとたまりもなく、感情をもたぬ化物の群体は、物も言わずただ“物量”を武器に人類側の全てを押し流していった。

 

古来より磨かれてきた戦術の大半が無意味になった。

心を持たぬ化物相手に、感情の隙を突く事はできないが故に。

 

ならば正面より当たる他なし。だがBETAの数は途方もなく、その進撃の速度は驚異的だった。戦車の天敵である突撃級は最高速で約170km/hにも及ぶのだ。最大の個体数を誇る戦車級でさえ約80km/h。馬鹿げた個体数を誇る群れがそんな速度で突っ込んでくるというとなれば、まともな方法ではまずもって短期決戦で一方的に殲滅することは不可能となる。その上で突撃級の前面装甲はダイヤモンド並に堅いのだから、質が悪いという言葉では済まないものがあった。衝撃への耐性はそう高くないとはいえ、地球で最も硬いとされているダイヤモンド並の装甲を持つ敵が雲霞の如く湧いて来るのだ。

 

そうして群れを成して攻めてくる相手に、正面から痛撃を与えるには相応の密度の砲撃を加える必要があった。だが、移動しているままであれば、砲撃を集中して浴びせられる時間は限られている。

そのために足止めを行う者が必要となった。基本的な役割は航空兵器に似ているだろう。

大口径の砲撃を行える戦車を守る事が可能で、かつ前線で一定数以上のBETAを倒すことが出来る兵種の台頭である。

 

そこから発展し、更に出来れば要求したいのは、戦車よりも速い速度で突進してくる全長18mの怪物をかいくぐり、突撃級の装甲と同程度、すなわちダイヤモンド級の硬度を誇る巨大な腕を振り回す要撃級の頭部を柘榴にして、足元の戦車級は斉射でその数を減らして。

 

出来ればBETAの中でも最大の身体を誇る要塞級の壁を抜け、その先にいる航空兵力運用や砲撃支援の最大の障害となる光線種を撃破することが可能な戦力。戦術機にはそうした役割が求められていた。だが新参も新参な兵器である。運用方法もその性質も、概念すらも未熟に過ぎた。

 

だから、成長する必要があったのだ。戦場に衛士の悲鳴が響く度に、概念は磨かれていった。そうして間もなく、衛士達は最前線における主役になっていった。戦車やあるいはそれ以前の武器、銃器などと同様に、戦場で運用されては研究が積み重ねられた。ついには一定以上の実績を安定して出すことができる“武器”になったのだ。

 

戦いつづけた。あとは時間と根気の勝負となると誰もが確信していた。

だが、BETAに対する人類側はBETAに無い弱点を持つ存在だった。

 

それは感情を持つ存在であるということ。BETAにはない、心の隙を持つ者であったのだ。

そして心の色は十人にして十色。国が違えば思想も違う、思想が違えば習慣も違う。

 

大切にする者もまた。その“(たが)い”は殊の外大きかったのだった。

 

何より、元より味方ではなかった。大敵であるBETAがやってくる少し前までは、世界規模で互いに争っていた相手である。

 

特に後方の戦火に曝されていない地域では不信感が飛び交っていたという。疑心の種はついぞ絶えず、疑念の心は一向に晴れず。それは士気や戦術の精度にまで悪影響を及ぼすこととなった。

 

BETAという共通の敵を前にしても、人々は心を一つにできなかった実例と言えよう。特に東西で分かたれていたドイツでの、思想や立場の違いが原因で起きた様々な事件が有名である。しかし、全てが全てそうだったというコトもない、まったく逆の事も起きたのだ。

 

1985年の第一次英国本土防衛戦における勝利が、その最たるものだろう。

 

辛くも敗北を免れたその防衛戦において、実質的な勝利の要となった衛士は“グレートブリテン防衛戦の七英雄”と呼ばれ、今も欧州では英雄として扱われている。その影響は大きく、勝利の後においては欧州連合軍内部に存在していた軋轢も、次第に小さくなっていったようだ。

 

だが、1993年。あるいは大戦開始当初より欧州の全ての国が協力しあい、一丸となってBETAに対すれば結果が変わっていたのかもしれない。

 

しかし歴史は現実の通り、可能性の話ではなく起きた事実だけを映すもの。

1986年、フランスでH:12=リヨンハイヴが建設された7年後、欧州本土に残り最後まで抵抗を続けていた北欧戦線が瓦解。その直後に、欧州連合司令部はある宣言を行った。

 

内容は、本土に残っていた欧州全軍の撤退と、一時的な放棄を行うというもの。

事実上の、BETAに対して敗北したという結果を宣言するものであった。

 

かつての世界の覇者、古豪が揃う強国が陥落したという影響は小さくなかった。

 

 

 

1990年にカシュガルより東進したBETAだが、欧州陥落の同年である1993年に中国の重慶にハイヴが建設された。1986年、BETA強しの認識と共に中国と台湾の間で結ばれた対BETA共闘同盟。それにより結成された“統一中華戦線”をもってしても、BETAの物量を抑え切れないでいた。

 

また、カシュガルより南進するBETAを食い止めていた国々にも動きがあった。

 

欧州陥落の翌年、1994年。インド亜大陸方面に展開し、防衛戦を続けていた軍が撤退を開始、亜大陸の放棄を宣言する。1984年に南進を開始したBETAに対し、東南アジア諸国は連携を密にヒマラヤ山脈を盾にしながら国連軍とも連携を行い、10年。多くの血と鉄を注ぎ侵攻を食い止めていたのだが、ついに限界が訪れてしまったのだ。あるいは撤退の2年前、1992年に起きた亜大陸中央にあるハイヴ、H:13ボパールハイヴに向けての作戦。国連軍が強行したとされるハイヴ攻略作戦、“スワラージ作戦”時における戦力の損耗が原因だと責める声もある。

 

だがその失敗が決定的な要因であるかどうかは、専門家の間でも意見がわかれていた。

 

同年、亜大陸を占領したBETAは更なる東進を開始。亜大陸より東南アジア諸国に向けての一直線の侵攻を始めたのだ。対するは東南アジア方面各国が保持する軍隊と、インド国軍の残存兵力を指揮下においた国連軍。その推移と実情を知る立場にあった者の誰もは、東南アジアの国々がそう遠くない内に蹂躙されるという結果を予想していた。

 

亜大陸撤退後、その方面における総合的な戦力が目に見えて低下していたからだ。戦術機を初め、戦車や歩兵の数は亜大陸防衛戦を行なっていた頃に及ばず。カシュガルより南進するルート上での国々、その戦力の要であったインドの陥落という影響もあった。

 

まずもって勝利などあり得ないと、事情を知らない人間でさえも考えていた中でそれは起きた。

 

奮戦を続ける東南アジア方面軍だが東進が開始された翌年の1995年、ミャンマーにてH:17=マンダレーハイヴが建設される。

 

――しかし同年、東南アジア連合と国連軍の共同で行われたハイヴ攻略作戦。

 

通称、“ビルマ作戦”にて、ハイヴ中枢にある反応炉の破壊に成功。

 

一部、S-11という戦術核に匹敵する兵器の、著しく倫理に欠けた方法で運用されたなど、非道な戦術が徹底的に追求されるような事もあった。被害は甚大で、占拠もままならずただ中枢のみの破壊に留まった。

 

だが結果として表される言葉は、勝利。大戦開始より21年が経過したその時、人類軍は初めてハイヴの攻略に成功したのだ。

 

そして、攻略作戦時に新種のBETAが確認された事も大きかった。

 

大規模陽動の果てに行われた効果的な殲滅が影響したのだと言われている。当時の東南アジア地方で知らぬものはいなかったと言われている英雄部隊、反応炉破壊を目的に穿貫突撃を敢行した部隊が遭遇したと記録には残されている。

 

突如、大規模な地下震動を伴い地上部に現れたのは、筒だった。

 

――しかし、ただの筒ではない。全長、ゆうに1800mにも及ぶ超級の大筒である。

 

その開かれた先端の口からは、大量のBETAが排出された。

まるで戦術機を運ぶ空母のような能力を持つ新種だった。そのため、国連がつけた名称は“母艦(キャリアー)級”。

 

総数にしてたった2匹。しかし付随している他種のBETAの数は尋常ではなかった。完全に予想外の敵増援勢力の出現。まず間違いなく想像の範疇より外、かつ致命的なアクシデントであったことは言うまでもない。

 

しかし1.8kmもの巨躯を誇るこのBETAを相手に、誰もが予想していなかった速度で対応した者がいた。この対応の速さについては、本作戦時において詳細不明となっている、公開されていない機密情報の一つでもある。

 

軍の一部では、あらかじめこのBETAの存在を知っている人物が居たのではないかとの意見が出ることがあった。が、根も葉もない噂であると一笑にふされるだけに留まることとなっている。

 

そしてこの一件で世界的に有名となった部隊があった。反応炉を破壊した部隊、その11人である。

 

今では欧州の七英雄、その中の複数人を擁している戦術機甲大隊、“地獄の番犬(ツェルベルス)”大隊と並ぶほどに有名となっている部隊だ。

 

決戦当時においての正式名称は、大東亜連合軍第一機甲連隊第一大隊第一中隊。コールサインは国連軍にあった頃より使用していたものと変えずに、“クラッカー”のままである。

 

国連直属下よりの脱却の直後、東南アジア各国で編成された連合軍である“大東亜連合軍”。スワラージ作戦で芽生えた国連の強硬姿勢に不信感を抱いた東南アジア各国の首脳部が結成した軍隊、その指揮下で戦った部隊だ。

 

通称にして曰く、“ファイア・クラッカーズ”と呼ばれているこの部隊は様々な逸話を持っている部隊でもあった。そして何より、中隊の構成の内容が特徴的であることで知られている。特にメンバーの出身国の地理的距離の離れっぷりは他に類を見ないものであろう。

 

公式に発表されているメンバーの出身国だが、まずインドにベトナムに中国に台湾、そして日本。あるいはここまでの国々ならば、有りうるかもしれない。アジア方面に展開されている国連軍の中になら、こういった国の出身者で占められている部隊があるかもしれない。

だがこれに加えて、イギリスにフランスにイタリアにノルウェーにドイツである。

スワラージ作戦において欧州方面に戻られなかった衛士が、緊急的に部隊として召集されたのが始まりであると言われているが、いくら何でも無茶だろうと言うのが衛士部隊の共通認識であった。

 

だが、正式な記録として残っていて、かつ大東亜連合軍において高い精度で認識されている、紛うことなき事実であった。故郷より遠い土地において、しかしBETAという大敵から民間人を守るために戦ったと取れる彼らの行動は、軍だけでなく民間の間でも好まれる美談の一つになっている。

 

出身者が欧州である貴族や、日本でいう武家、つまりは貴族階級出身でないこともツェルベルス大隊との対比になっているのもあった。

 

しかし、マンダレーハイヴ攻略の作戦を最後に、部隊は解散された。欧州出身者は欧州連合軍に戻ったとされているが、その経緯や詳細は明らかにされていない。

 

彼らに戦術機を提供した日本帝国が何らかの事情を察していると考えられている。

中隊へ向けて12機もの第二世代機、F-15J《陽炎》を提供した事もあるためだった。

 

しかしあくまで推測であり、解散の理由について日本帝国側が動いたこともなかった。

 

――それどころではない、というのが本当の所であろうが。

 

マンダレーハイヴ攻略後、BETAの東南アジア方面への侵攻の勢いが弱まったことは確認されている。だがその反面、中国東部や朝鮮半島に向けての侵攻が激しくなった事は明らかだった。

 

1996年にはモンゴル領のウランバートルにH:18が。1997年にはソ連領のブランチェスコにH:19が建設され、同年には朝鮮半島、大韓民国の鉄源にH:20が建設され始める。その頃には中国本土のほぼ全てがBETAの支配域になっていた。本土より撤退した中国共産党政府を台湾の総督府が受け入れたのも、同年に起きた事である。

 

地球にBETAが降り立ってから24年、約四半世紀が経過した今、ついにBETAは中国を越えて日本海にまで達したのだった。そして勢いは弱まることなく、次の支配域として朝鮮半島の全域、果ては日本帝国本土にまでその手を伸ばそうとしていた。

 

やがて追い詰められた二つの軍。朝鮮半島南東部に於ける国連軍と大東亜連合軍は、撤退と現地に残る難民の避難を主な目的とした作戦を立案。

 

統一中華戦線、そして大東亜連合軍と密接な軍事同盟を結んでいる日本帝国軍に向けて撤退支援の協力を要請する。受諾した軍は朝鮮半島に向けて軍を派遣。大韓民国は光州の地で、ユーラシア東部における最後の撤退戦が開始される。

 

 

――――時は1998年、夏。

 

 

遠く近い世界より記憶を受け取った少年の、本格的な戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 


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