Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
外伝の1 : ある夜の森の中で_
ミャンマーのとある森の中、静寂と闇が支配する世界の中で楽しそうに会話をする者達がいた。外見に一貫性はない。性別や年齢、肌の色までもが違うその一団は、中央にある焚火の光を頼りに相手を捉え会話を続けていた。互いに見えるのは顔の一部分だけで、月の光も木の葉の幕に遮られているというのに、まるで闇に怖がることもなかった。
カップに入っているのは非常に美味しくないものだ。基地の人間からは合成泥水と呼ばれている合成コーヒーで、それを片手にくだらない会話を楽しんでいた。
一団は総勢で36名、3中隊。3つの焚火を中心に、中隊入り乱れてそれぞれに散らばっていた。その内の一つの集団。男性だけが固まっている一団は真剣な表情を浮かべながら話しあっていた。ミャンマー出身の男が、しみじみと語る。
「………やっぱり美しさは大事だと思う。威力を重視しているだけじゃ駄目なんだよ。衛士になってから本当に思い知らされた」
その言葉を聞いて頷く男性衛士一同。反論する声が上がった。
「いやいやいや。いくら形が整っているとはいえ、小さすぎるのは無理だろう。そもそもの意義を果たしていないじゃねーか。大事なのは威力だよ。問答無用の小細工なんか吹き飛ばす説明不要の一撃だ」
熱弁を振るう男の言葉。それもまた真理と、頷くもの達がいた。
だが、はっきりと首を横に振る者もいた。
「――――巧緻は拙速に勝る、と僕は言います。インパクトだけでは足りない。人は慣れる生き物だ。威力だけのモノはいわば最初の印象だけ。最初はいいかもしれませんが、すぐに飽きが訪れるのが必然です」
だけど本物は違う、と男は眼鏡をクイと上げながら断言した。
しかし、また別の方向からの指摘が入る。
「いやいや、威力も大事だろ? 特に他の隊の人間なら、また次に会えるとは限らない。紫藤少尉、日本に一期一会という言葉があると聞きましたが?」
一期一会。それは華道に由来する、おもてなしをする方の心得だった。おもてなしをする者、される者。それは一つの出会いであると同時に、たった一度きりになるかもしれない場である。二度目が訪れるとは限らない。だからこの一瞬を大事に、今の自分に出来る最大のおもてなしをしようという言葉。出会いを大事にするという面もある、趣の深い意味も持っている。
視線を向けられた日本人、紫藤樹はそう説明をした後、間もなくして自分の蟀谷を指でおさえた。そして頭痛に耐えるように目を閉じながら、言う。
「あるにはある、が――――」
息を吸い、大声で言う。
「女性の胸の優劣で語る言葉じゃないだろう!」
声には怒気がこもっていた。顔も若干赤く、それを見ていた名もない衛士が無言で頷いていた。続けてがーっと吠える樹だが、しかし男共は聞いちゃいなかった。
「しかし、
まるで哲学だ、と真剣な目で頷いたのはラーマであった。
彼は形にうるさい方だが、大きさもまた重要なファクターだと考えてもいる。
「大尉殿。嗜好の問題もあるかと思われます。また、全てを満たす胸が存在するとは思えません」
眼鏡の男の言葉に、全員が感銘を覚えた。そうかもしれない、と衝撃を受けて―――
「ちなみにお前が信仰する至高は?」
「小さくも美しい双丘。はい、サーシャ・クズネツォワ少尉のものが至高かと思われます」
―――すぐに記憶から消し去った。少女の義父からの怒りのアイアンクローを受けた男の顔から、眼鏡が落ちる。同情はされなかった。いくらなんでもロリはないだろ、とは紳士である一同が共通して持っている志である。
しかし、だがと考える者も居るには居た。
(花が成長するように。成長していく少女のものを観察するのもまた趣のあるものと思われ…………ん?」
その衛士は、ふと目の前に誰かいることに気づいて顔を上げた。そこには兵士にしても強面が過ぎる巨漢の男がいた。グエンである。彼はその衛士の肩に手を置き、間近にまで顔を寄せて言った。
「ロリコンは、よくない」
「ひっ!?」
厳つい顔をアップにされての低い声。
思わず悲鳴を上げた衛士に、もう一度だけグエンは繰り返した。
「ロリコンは、駄目だ。子供は可愛がるものだ、分かるな」
「さ、サーイエッサー!!」
男は階級でいえば同じであるグエンに、まるで将官に行うかの如く気合を入れた敬礼をする。グエンはそれを見た後に、焚火の方へと戻る。彼が命の大切さを知った瞬間だった。
その先も胸の談義は続く。やがて話題は、特定の個人に関してのものに移っていった。
「そういやさあ。俺らの隊の中で、一番大威力の巨砲を持ってるのは誰だっけ」
前時代的な大艦巨砲主義者であるアーサーが言った。誰が一番つええんだ、という風に。
「ユーリンのだろ、間違いない。ありゃー大した逸品だったよ」
数多くの胸を観察してきたイタリア男、アルフレードは自慢気に断言した。最初に衛士装備である"アレ"を着た姿を見た時は、感動すら覚えたと解説も入れる。あれぞ拝むべきご神仏であるというように。頷いたのは他の衛士達だった。さきほど、彼らも見たのだ。遠目からだが、意見としては満場一致の文句なしである。
「見てるだけで飛び込みたくなるような、まろやかな曲線。しかし小さい訳ではない、だけど下品さを感じさせない大きさ。そして威圧感と、あの存在感――――まるで故郷の山のようだった。凝視しすぎたせいでターラー中尉に拳骨食らったけど」
「え、そうなんすか。でも軍人なら性差別も少ないですし、中尉殿ほどの人ならそういった方面にも慣れてるはずなんですけどねえ」
「あー、それはなあ。深くて平べったい理由とか事情があるというか無いというかなんというか」
アーサーは言葉を濁して追求を避けた。実際の所はラーマへの折檻に巻き込まれただけなのだが、ココら辺の事情は迂闊に喋ると二次災害を被ってしまうのだ。仲間内には割りと容赦ないメンツが揃っているというのもある。無謀な勇気は死に直結するということを彼はよく知っていた。
「でもあの人ほんとモデル体型っつーか、眼福すぎるっつーか、腰から尻のラインがたまらねえ。仕草もなんかいろっペーし」
「ああ。
欧州でそれなりに女性関係に荒かったアルフレードが語る。
フランツも腕を組みながら肯定した。そして、初対面の時に男性陣に起きた反応を、簡潔に表した。
即ち――――『来た、見た、立った』と。
途端に沸き起こる爆笑。腹を抱えたり、自分の膝を叩いたく者達が居た。紫藤だけは頭を抱えているだけだったが。
「あー、大丈夫かよイツキ」
「………問題ない。いや、こういった話が多いのは承知していたんだが」
「まあなあ。アルフ曰く『乳談義と下ネタは全ての国境を越える』とか何とか。実際にそうみたいだし、樹だって男だろ?」
「………なんで語尾に疑問符をつけるんや?」
笑顔の尋問。京都の色が入った日本語に武は冷や汗をかいた。
「い、イツキ怒りの関西弁………! あでも久しぶりに日本語聞いたなー」
誤魔化しながら笑う。だけど笑みは別の意味もあった。怒った時に関西弁になってしまうのは、イツキの最近になって明らかになった癖であった。相手が日本人である場合だけだが。判明したのはタンガイルの件があった後、間もなくしての時期だった。
人には色々な癖があるものである―――それだけ気の抜けた面を見せるようになったという証拠でもあるが。
「京都出身やからなあ。で、だ。それはともかくとしてだな」
ごほん、と咳をした後に言葉を元に戻す。
「国境を越える、ねえ。ヴァレンティーノの奴そんな馬鹿なことを言ってたのか」
「いやいや、俺は上手いこと言ったと思ったぜ。つか俺だって男だしなあ」
年頃なのであった。数えで12ではあるが、それなりにドキドキしてしまう年頃なのである。
人はそれをエロガキと言うが。
「意識してなかったけど、うちの隊の女性陣ってスタイルすげーよな。リーサも結構あれでもててるみたいだし」
休暇で街に出ていた頃、同じ軍属の男に頻繁に誘われていたことを思い出す。
「まあ、付き合いやすい性格で、美人で、かつスタイルがいい。そりゃあモテるってもんか。ボンキュッボンを地でいってるし」
「………否定はしない。シフ少尉の身体はバランスよく、引き締まっている。無駄な筋肉がない証拠だ」
面白みのない言葉で誤魔化す樹。武はにやりと笑いながら、続けた。
「その点ファンねーちゃんの胸はなあ。ちょっと残念無念だよなあ」
「同意するが、面と向かって言うのはやめてやれ。まあ震脚からの肘撃を受けていたから二度としないと思うが」
先週の光景を思い出し、樹がため息をつく。武はといえば少し顔色が悪かった。
「あー、うん。まともにみぞおちに喰らって冗談抜きで死ぬかと思ったし。でもまあ、サーシャに負けてるのは事実だと思うんだけど」
「………本人も自覚はしているだろうが、それを指摘してやるな。傷心の女性のプライドに突撃砲を浴びせるような真似はやめてやれ」
淡々と言葉を返す樹、だがその顔は暗がりでもわかるほどに赤くなっていた。
タケルはそれを見た後、うんうんと頷き。
(やっぱからかうと面白えーよな、こいつ。真面目君かと思えば、そうでもねーし)
興味があるから反応を見せるのだ。それに、今にいった内容全てを否定していない、むしろ肯定している。野郎の一員だからして、興味はあるのだ。だけど恥ずかしいのか、それをしない。場を壊そうとせずに何とか言葉を返している。素直に溶けこむこともできないのだろう。だけど否定をするような事もしない。
タケルはそんな樹を見ながら、内心で笑みを浮かべていた。実に面白い反応をするやつだ、と。そして自分もリーサ達からさんざん弄られてきたのだが、こういったのも理由だったのかなあと考えていた。
(だけど――――これからは樹が避雷針になってくれるよな!)
今まではさんざん弄られの対象になっていたタケルの顔に邪笑が浮かぶ。それを見た樹は、なんとなくだが面白くないものを感じていた。ふと、思う。
(………素振りの回数を倍に増やしてやろうか。うんそれがいいな決定)
明日があれば、と付け加えて。それから先はまた何でもないことを話題にする。
胸談義に熱中している焚火の中心付近にいる男共をよそに、二人だけで。いつしか話題は、二人にとっての共通点である故郷。日本のことへと移っていった。
「そういえば、さ。樹の実家は、お武家さんなんだよな?」
「………一応はな。譜代の武家にはなるか」
「………えっと、フダイ?」
言葉の意味が分からず、武が聞き返す。
「もしかして知らないのか?」
「全然知らん」
無い袖は振れぬわ、といわんばかりに誤魔化すこともなく無知を肯定した武。
それを見た樹は、一瞬だけ言葉を奪われた。そして、同時に悟る。そういえば10歳で日本を飛び出したのだ、この12歳少年衛士は。
「というよりお前………今、小等部の六年生だよな? って義務教育だろう! よく教諭達が許したな」
「あー、インドの学校に行くからって。その後は、まあ………えっと、流れで?」
「八百長のように言うな。しかし国は何をやっているんだ………」
母国の管理体制を嘆く樹。だけど、助かった部分もあるので彼自身は複雑だ。
「まあ、白銀曹長に教育は受けているようだし、基本的な学力は持っているようだが………もしかして日本の歴史とか全然駄目か?」
樹の問いに、武は目を逸らした。語らずに落ちた、と言うべき反応。
それを見た樹がため息をつき、後で授業だなと呟いた後で、説明をはじめた。
「"譜代"とは簡単に言えば、代々正しく継承を続けてきた家系のことだ。親から子供へ。古くから今に至るまで、その家系を絶やさず武家として存在してきた家のことを言う」
「親から子へ、代々かあ………ん? じゃあ次はイツキが家を継ぐのか?」
考えずに問われた言葉。それに、樹は声に少しの自嘲を混じえさせながら答えた。
それはあり得ない、と。
「僕が次の当主になることは、絶対にないだろう。日本にいる兄上が家を継ぐだろうさ」
「へー、って初耳だけど、兄貴がいんのか。全くこれっぽっちも聞いたこと無かったけど………イツキと同じで国連軍に所属しているとか?」
「いや、兄上は
国連軍に入った僕とは違って。呟くように出された言葉に、武は訝しげな顔をする。
「イツキだって十分にすげーだろ。長刀の扱いが樹以上に上手い奴って見たことねーぞ」
「………まあ、それなりの自負はある。だけど僕程度の使い手など、日本の斯衛軍の中にはごろごろといるだろうさ」
それに、刀の扱いが上手いだけでは強いとはいえない。樹はそう答えながら、武と視線をあわせる。
「タケルの方がよっぽど凄いさ。自分から望んで戦場に飛び込んで、戦い生き残っている。それは覚悟がある者だけが出来る行為だ」
戦場を経験した日の夜。樹は、リーサから言われた"先輩"という言葉の真意を知った。それは先に覚悟の意味を知った者――――戦場でBETAと戦うという事の意味を悟って。
本当の死の恐怖を覚えなお、戦い続けるという事を選択した者に対する呼称だということ。
「武家の人間ならば幼少の頃より叩き込まれる心得だ。だけど、お前は違う」
父親は優秀な人間だが、一般の家の出身である。それは息子である武も同じで。受けてきた教育も普通の子供となんら変わりないもの。そんな子供が、覚悟をして戦えている。
聞けば、元は後方の基地に退避する父親を守るために戦場に立ったのだという。守るために死地に赴く。しかも10を数えるだけの年齢で、あの異形の化物と向き合うことの怖さを知った上で。
一体どれだけの人間がそれを行い、続けるというのか。少なくとも自分よりは凄い。
樹はそう思っていたのだが、武はそれに対しては頷かなかった。
「ぜんぜん凄くないさ。俺だってターラー中尉が教官じゃなかったら、きっとすぐに死んでたと思う。フォローされてなけりゃ、そのままあの世逝きになってた………っていう状況も多かった。それに、戦うことだけだっていうけど、俺の方こそその"戦うこと"でしか役割を果たせてないんだぜ?情けないけど………書類関係の事なんかは親父やサーシャ、ターラー教官に任せている部分が多いし」
むしろ出来ない事の方が多いし、情けない部分も目をそらしたくなるほどある。
「でもまあ、凄くないっていうのも何だかなあ………変な謙遜は逆効果だって教官に教えられたし」
謙遜は美徳だが軍隊においては逆効果になる場合が多い。特に自分が責任ある立場にある場合、または頼りになる価値のある戦力であると扱われている場合。自身の能力は高いのだとアピールして、周囲の部下などを安心させなければならないのだ。
「……あ、そうだ!」
そこで武は閃いたというように、樹の方を見た。
「そこまで言うんだからきっと、その兄貴は凄いんだろう! ………だけど樹だって凄い! それに俺も凄い! ここに居る仲間も! ――――つまりは、みんな凄いってことだよな!」
親指を立てて、胸を張って。解答として出されたのは、実に荒唐無稽な結論であった。
樹はじっくり考えた後、少しだけ笑った。
(あながち、間違っているとも言えないから困る)
凄いの基準にもよるが、確かに凄い部分があるというにはある。ただ内容が違うだけで。だけど、それが他に劣るものであるかどうか。樹は今も乳の議題に騒いでいる者、そして女性だけで集まった集団。いずれも明日は死地に赴く立場にある者達である。だけど逃げ出そうとするものは一人もいない。むしろ最適ともいえるリラックス状態で、士気を曇らせることなく仲間との交流を深めているのだ。
彼らのいずれもが、兄の凄さに劣るものなのか。あるいは中隊の人間もそうだ。前に、そして前にという意志を胸についには敵陣を突破した衛士達。そして、看取った仲間もいる。だけど最後まで逃げようとはしなかった。そんな彼らが、凄くないというのか。
(―――違う)
樹は首を横に振り、そうして悟った。考えなしのように断言した、先程の言葉の正しさを。
「凄い、だろ? つーか偉いよな」
ドヤ顔で回答を望む少年。それに対して、樹は苦笑を混じえながらも笑った。
「ああ。全員凄い、全くもって偉いな」
「だろ! あ、でも国連の合成食料作ってる人には文句がある。この合成飯、不味すぎるし毎日喰うのはちょっと勘弁かな贅沢だって分かってるけど、日本の料理が懐かしくなる」
急に話題が変わる。少年らしい落ち着きのない会話に、樹の中の苦笑の色が濃くなっていく。
だけど、同意できる部分も確かにあった。
「それは、そうだな。日本の合成食料に比べると、味で随分と劣る」
「あと変な後遺症があるんだよなー。特に今食ってるこれとか、芋食った後みたいに屁が出やすくなるし」
味もマズイ。武はその味のひどさを紛らわせるために、合成コーヒーを飲みながらその合成食料を食べていく。明日に備えての栄養補給だ。
そうしている中、二人に声がかけられた。
「おーい、お二人さん。仲良く乳繰り合ってるとこ悪いが………ってカップルみたいだぞお前ら。ま、いいや。タケルくん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどな」
笑みを浮かべながらたずねてくるのはアルフレードだ。その微笑みの意味をなんとなく悟ったタケルは、誤魔化すようにコーヒーで顔を隠した。
「で、タケル君よ。サーシャちゃんとの関係だけど――――そろそろぶっちゃけるべきだとは思わんかね?」
唐突に発せられた言葉に、武はコーヒーを口に含んだまま硬直した。そのまま、意図を確認するように視線だけを男に向ける。その先にいる、今の問いを発した男は、視線に催促の意が含まれていると解釈した。
そして、言った
「ほら、サーシャちゃんとの進展だよ――――もうやっちゃったんだろ?」
「ぶっ?!」
その言葉がまるで起動スイッチであるが如く、少年の口からコーヒーが吹き出された。少年と、もう一人の男の口から吐き出された黒色の霧が隣にいた人間にかかる。
「………イツキ? なんでお前がそこで吹く」
「い、いきなり破廉恥な事を言い出すからでしょう!」
怒ったように返す男、紫藤樹の顔は真っ赤に染まっていた。ただでさえ女性に間違われる顔が、より一層女性に近いものに傾いていく。それを見た他の中隊の男性衛士が頬を染めた。焚火による光のマジックだな、と巨躯な髭の男が呟き、隣にいる男も無言で同意する。
光加減のせいか、いつもより肌が白く見えるのだ。暗がりで上半身が見えにくく、顔しか見えないから余計にである。
「いや、ちょっと待てアルフレード。先程の言葉はどういった意図をもってだ、ん?」
「ちょっと小耳に挟みましてね。なんでもサーシャちゃんってば武に抱きしめられたまま寝ちゃったんだとか」
顔を赤らめて嬉しそうに話していたみたいですよ。
笑顔での爆弾発言に、ラーマはうんうんと頷いた。
「よし、覚悟はできたかタケル」
「えっと………参考のために聞きたいのですが、何の覚悟でしょうか」
「終わらない、永遠の夢を見る覚悟だ」
にっこり笑って死刑の宣告。ラーマの本気度を悟ったタケルの顔がひきつった。
「ってほんと違うんですよ! あれはサーシャが夜に眠れないからって、だから………!」
「仕方ないと………ふむ。だが、聞けば前にもサーシャを抱きしめていたと聞くが?」
ラーマの隣にいるアルフレードがしてやったりとの顔。武の顔が先程とはまた別の意味でひきつった。同時に、事情を説明せざるを得ないことを理解する。
「あれはその、とある人物の教えでして。その、『武君は男の子なんだから。泣いている女の子がいれば、胸を貸してやりなさい』って」
そう聞かされたました。答える武に、ラーマは苦悩に頭を抱えた。
「くっ………何故だサーシャ! なぜ父の所に来なかった!」
「いびきで眠れないそうで。あとはベッドが狭いからと、なんか臭いからとか」
「………ぐふっ」
胸を押さえて倒れ伏すラーマ。それを見た武は、空を見上げながら呟いた。
「また、つまらぬ勝利を重ねてしまった………」
栄光とて虚しい。雲の間から見えた、淡い月が綺麗だった。
一方、女性だけが集まっている中でも話が弾んでいた。
「あのー、ホワイト中尉殿? あちらで何やらラーマ大尉殿が倒れているようですが」
「よくある事だから気にするな。それよりも名前で呼んでくれ、名字で呼ばれるのは好きじゃないんだ」
苦笑を返された他中隊の女衛士は、戸惑いながらも了解の意を示した敬礼を返した。そのまま、女の衛士達が集まっての相談事が再開された。とはいっても、その内容は次の作戦の事ではない。それはもうすでに済んでいる。今はその後。俗な言い方をすればお仕事の後のティータイムに入っている。あたりは森と獣だらけ。控えさせている戦術機の中心で、手に持っているのは紙コップwith合成コーヒー。随分と"地方的"なものではある。だが、彼女たちが年頃の女性であることは間違いない。
つまりは、恋に恋する年頃であるわけで。そして衛士までになった彼女たちの気性は荒かった。強気だと言い換えてもいい。そんなおっかないアマゾネス達が語る議題は、ずばり『男共の点数』についてであった。無名の部隊から有名な部隊まで、様々な男性衛士の名前が上げられては槍につつかれた。正しく、槍玉に上げられたと表現すべき会話の内容である。その中に容赦や慈悲という言葉など存在しない。同じ隊にいる仲間の事を話しているのだが、あれは駄目だとか、これは減点だとか。
男が聞けば膝をついて小一時間は落ち込むか、そのまま倒れてしまうような恐ろしい言葉が飛び交っていた。そんな言葉の弾幕が飛び交う中、ターラーはちょっと引きつった笑いを。リーサは慣れた様子で。そしてサーシャはといえば、リーサとターラーの間で膝を抱えて震えていた。この人達怖い、と。
「あー。でもターラー中尉殿のハードルって厳しそうですよねえ」
なんせ英雄中隊の実質的頂点でしたよね。
確認するように問われた言葉に、ターラーは頷かなかった。
「頂点ではないな。頂上は統率できる人間が居るべき場所だ。そして私だけでは、あの問題児どもをまとめきれなかった」
だからあの人が頂点だろう。そう返すターラーに、女性衛士の面々は特徴的な笑みを浮かべた。常ではないに違いない、含みのある笑顔。それは何かを察している時にする類のものだ。
「あの人、かあ………短い付き合いじゃ出てこない言葉ですよね? つまりは、それだけ大尉殿と長く連れ添ってきたとですよね?」
「あ、ああ。まあ幼馴染だからな」
「え、幼馴染だったんですか!?」
正直に返すターラーに、女衛士達はより面白そうだ、という顔をした。英雄部隊の隊長と副隊長が幼馴染だったのだ。まるでどこかの物語のようだと、好奇心も旺盛な彼女たちはターラー達に詰め寄った。もっと話をして欲しいと迫る。
「し、しかしだな」
「頼みます! 今日しかないかもしれないんです!」
鬼気迫る女の顔に、ターラーは息を呑んだ。
そのまま腕を掴まれ、焚火の向こうへと引っ張っていこうとしている。
「お、おい?!」
「まーまー。明日また聞けるかどうかも分かりませんし、ここは一つ死んでも悔いが残らないようにそこらあたりの恋ばなしを一つ」
「こ、恋話だと?」
「まーたーとぼけちゃってえ。シフ少尉に聞きましたよ?」
それを聞いたターラーはリーサの方を見る。だが、リーサは掌をひらひらと振りながらいってらっしゃいと言うだけだった。
「き、貴様裏切ったな!?」
「裏切ってませんよー味方ですよーどこまでも。ってなわけで告白のやり方とか教えてくれるそうなんで頑張って習ってください」
話はついてます、とリーサがしてやったりの笑顔で答えた。彼女はターラーが力づくでその腕を振り払うことはしないと思っている。殴って反撃もできないことは確信さえもしていた。理由は以前に聞かされていた話の一部。
エリートかつ屈強な男共に囲まれてきたターラーにとって、一般の女性衛士はひどく扱いにくい存在なのだと聞いた。リーサもサーシャもそれは知っていた。酒の席で聞いたのだ。新しい隊員であるユーリンのことを殴ってもいいものかどうか、と。
どうも相手が女子だとブレーキがかかってしまうらしい。どう扱っていいか分からん、と愚痴っていたことは新鮮な驚きと共にリーサ達の脳に刻まれていた。
「長所あれば短所あり。エリートってのも良い事ばかりじゃないもんだねえ………ってどうしたのユーリン」
「い、いや………あれはターラー中尉実は困ってるんじゃ?」
「大丈夫の問題なしのオーケーよ。嫌がっているのはフリよ、フリ。中尉もここいらで一発決めときたいはず。年齢的に」
胸を張っていうリーサの姿は誇らしそうで。一方、合成食料を啄んでいたサーシャは今の言葉を脳裏に刻んだ。口元にはしてやったりの笑みが浮かんでいる。
「………なんか背筋が寒く………いや、それよりもユーリン。これはターラー中尉の輝かしい未来のためでもあるんだから」
「その心は?」
「酒の席で愚痴られながら惚気られんのが面倒くさい」
親指を立てて躊躇もなく断言した。
「いい加減一発告白でも一発決めちまえってこと。あっちの方はおいおいとして。ま、かなりのスローペースになるだろうけどね」
「リーサ、一発を強調しすぎ………でも概ね同意せざるをえない」
サーシャが、間髪入れずに頷いた。
「出会ってから今に至るまで20年弱。牛歩戦術というにも程がありすぎる」
「と、義娘からの後押しがあるのでノープロブレム。オーケー?」
「お、おーけー」
バチコーンとウインクをかますリーサに、辿々しく頷くユーリン。そこにサーシャが声を挟んだ。
「そういうけど、プッシュ激しいリーサの方はどうなの? 私的にはアルフあたりが怪しいかな、と。具体的にはオッズが1.5倍」
「もう賭けが始まってる段階なのかよ!」
しれっと言うサーシャに、リーサが激しくツッコンだ。しかし得意の無表情で何を語ることもない。
「くそ、この似非白雪姫が………あー、ちなみに2番人気は?」
コーヒーを飲みながらたずねるリーサ。
アルフの次に予想されているのが誰か知りたかったからだ、が―――ー
「タケルで、オッズは3.0倍」
サーシャが不機嫌そうに答えた予想外の名前を聞いたリーサは、驚きのあまり口に含んだコーヒーを吹き出した。うわっと言いながらユーリンが間一髪でそれを避ける。
「ぐ、げほっ………っ、この、アホかお前ら! っつーかアタシはガキを誑かすような女って思われてんのか?!」
「いや、この前の事が原因。名家出のイケメン衛士をこっぴどくフッたでしょ? あれがどうやら衝撃的らしくて。だから実は特殊な性癖があるのかと予想しあっている内に自然に」
「ありえねーって。前のあいつはタイプじゃなかっただけだ。裏で何考えてるのか分からねー胡散臭い男だったしよ」
と、アルフから忠告されていたのはここだけの話であって。
「アタシに限って少年趣味はあり得ねーっての。基本的にガキは好きじゃねーんだよ」
こぼれるように出された本音に、初耳であった二人は驚いた。子供であるサーシャが問うた。
「それは、どうして?」
少し不安を混じえての問い。
それに対して返された本意の枕詞は、勝手だからだよというものであった。
「馬鹿みたいに。自分の力量も弁えずに、勝手に突っ込んで格好つけてはしゃぎ回って………勝手に一人で死にやがる。人の気持ちなんざ、一切考えないまま―――」
声は普通のものであった。悲壮さなど欠片もないそれに、サーシャは目の前の女性を一瞬理解できなかった。もう一方で、ユーリンはリーサの演技の上手さに舌を巻いていた。
「あーアタシはいいんだよ。それよりサーシャ、お前ついにタケルの部屋に夜襲をかけたらしいな」
話の転換にと出された言葉。それにサーシャは凍りついた。次第に不機嫌になっていく。それは結果に関係している。必死に勉強してリーサに色仕掛けのイロハを教わった上での決行だった。しかし訪れたのはニブチン砲による撃墜。照れが混じったのが敗因だったと、サーシャは愚痴をこぼしていた。手応えはあったのだから余計に悔しいのである。
抱きしめられたから。英雄になれと言われた日の出来事を、サーシャは忘れてはいない。どうしようもなく悲しくなって涙が止まらなかった自分を抱きしめてくれた腕。その温もりはサーシャの記憶の奥深くに、宝物として大切にしまわれている。面と向かっては語れない、気恥ずかしい思い出。まさか自分が持つようになるとは思わなかったそれに、サーシャは感激したのだ。
そして抱きしめた相手を思った。それまでの思い出も連鎖して、いつしかサーシャは止まれなくなっていた。
――――私を見てもらいたい。タケルが知っている誰よりも、今の私を。
サーシャの胸の大半をその想いが占領していた。
「………うん。その顔で迫れば、次はきっといけるって」
リーサは面白そうに笑いながら、断言して。隣にいるユーリンに同意を求めた。いつの間にか戻ってきた女性衛士は、顔を赤くしている。その理由は一つだけだ。
「………恋をしている女の子は美しいっていうけどホントだね。今のサーシャの顔は綺麗だから、うん………きっとサーシャの想いは叶うよ」
優しい声に、その場にいる全員が深く首を縦に振った。
森の奥深くに声が騒ぐ。月だけが、それを見ていた。
そうして夜半。明日には死地に挑む衛士達は、自分が所属する部隊に集っていった。鎮座する自分の機体の元に、最終の確認作業を始める。それはクラッカー中隊とて例外ではない。それまでに話した衛士の事、各部隊において練度の高そうな者や最終的に誰が生き残れそうなのかを話し合っていた。結論はいつもより多いだろうということ。それなりに練度の高い衛士で、素質も悪くない。
良ければ半数が生きて朝日を見られるだろう。それが中隊の、大体の予想であった。
そして、その確率を上げられるのは自分たちなのだということも。
更に一時間が過ぎた後。自然と無言になっていた中隊の中央で、焚火の音だけがうるさかった。
ぱちぱちと樹が小刻みに爆ぜるような音。火の粉が、夜暗に閉ざされた森の大気を照らしていった。
全員が無言。聞こえるのは、風の揺らぎによる森のざわめきと、姿の見えない獣の遠吠え。次第にそれも収まっていく。いつしか、獣の鳴き声が収まった後、残されたのは、耳も痛いほどの静寂だった。
「………近いな」
動物は人間よりも遥かに優秀な五感を持つ。それは強者に対する嗅覚も同じだ。あるいは、西より逃げてきた動物達が言葉なき言葉で危険を知らせているのか。諸説はあるが、結果として言えることは動物もBETAをこの上なく恐れているということだった。
暗闇に静寂。中隊の全員が、誰ともなく口を閉ざしていた。だが、ふと顔を上げた者がいた。それは夜でも分かるぐらいに、小さい体躯を持っているもの。髪の毛の色は茶色。つまりは、白銀武だ。
「しっ、静かに………」
声をあげようとした皆を、人差し指を立てることで黙らせる。再びおとずれたのは無音が耳を叩く静寂。森の音だけが存在する、神聖とも言うべき夜の世界。
その中だからこそ、響き渡ったのだ。それは単音だった。そしていくらかの濁音を含んでいた。
ある意味という言葉の逃げ方をするまでもなく間抜けな音。
静かにと指示を出した少年の方から音がした。
尻の先で奏でられる不協のハーモニー。悪臭を伴う悪魔の調べ。男だけに許された神聖の管楽器。
――――つまりは、オナラであった。
「ちょ、ちがっ! これは狙ったわけじゃなくて――――っ!」
言い訳の甲斐もなく、少年は11人の拳の弾幕に沈んだ。
「だからこいつの鳴き声が聞こえたんだって!」
「はいはいそうそう。でも次にやったら鼻フックの刑ね」
「逆方向の信頼!?」
殴られ倒され、ついにはサーシャの尻に物理的に敷かれるようになった武が騒ぐ。だが、対するサーシャはジト目でそれをスルーしているだけ。他の隊員も呆れ顔になっていた。武からすれば泣きたいほどの反応だが、これも日頃の行いの賜物だと言えるかもしれない。
ぎゃあぎゃあと騒いでいる隊員の中、ラーマは迷い込んできた犬科の動物の手当をしながら呟いた。
「………驚いたな。こいつがここにいる筈がないんだが」
治療を終えたラーマが語り始める。この動物は、もっと西の地域に生息している動物であると。そしてこの動物は、本来の生息域を離れる類のものではない。何ごとかの理由でもなければ、との説明が追加されるが。
「BETAのせいか」
「他に理由はないでしょうね」
絞るような言葉、若干の憎しみがこめられた言葉にアルフレードが率直に答えを返した。
それ以外の原因があるはずもないと。
「あの腐れた化物共が持っている、唯一の美点でもありますよ。人種生物種に差別や区別もすることなく、平等にコミュニケーションを取ってくれやがる」
"一方的な破壊"って名前の、ありがたくもない交流ですが。
肩をすくめて、アーサーが付け加えた。
「しかし、隊長は詳しいですね。ここいらの動物とか全然知りませんでしたよ」
少年故の素直さでたずねたタケル。それに答えたのはターラーだった。
「それはそうだろう。ラーマ隊長の元々の志望というか、夢にしていた職業は獣医だったのだからな」
「えっ?」
反射的に返したのはタケル。その後、全員が驚きの声を上げた。
「………なんだ、お前ら全員。そんなに驚くことか?」
「そうっすよ! ってーか何で決めたことは一途っぽい大尉が夢を諦め―――」
言いながら、アーサーは黙った。理由を察したからである。他の者も同様である。
そんな反応を見たラーマは、苦笑混じりに解答を口に出した。
「"人間様の生命こそが最優先で、たかが動物なんぞに気を使っている余裕はない"――――そう、言われたよ。納得できるところがまた、な」
時代が悪かったと、ラーマは苦笑を重ねることしかできなかった。
「それでもこの戦争が終われば、どうかな。人類もまた、動物に眼をむける余裕が出てくるかもしれない」
ラーマは目の前の狼らしき犬型の獣に餌をあげながら、頭を撫でていた。動物も犬科だからか、あるいは別の理由でもあるのか、素直に撫でられるがままにされていた
「そうしたら夢も復活だ。また勉強でもして、獣医専門の個人の病院でも建てて気ままに暮らすさ」
気取りも気負いもない風な声。それに、全員は頷いてそして祝福をした。
そんな日がきっと来るでしょうね、と付け加えて。
そうして、約束の刻限が来る。向かうは山の向こう、倒すべきは光線級の全て。それも数えるのも嫌になるぐらいの、他のBETAを倒して、だ。過酷と表すのも生温い、難易度の高い作戦の直前。生還など見込めそうにない死闘を迎える前に。だけど他の隊員は、クラッカー中隊を見て落ち着きを取り戻していた。
そこで聞こえたのは、焚火の前で語られていた会話とか。あるいは、仇名に対する恨み言とか。合成でも味わえる酒の種類とか。
いつもと変わらないような、日常を思わせる会話。彼らはそれに和み、そして顔を上げた。
「――――通信があった。これより作戦を開始する」
本番を迎えたと同時、その顔を歴戦の衛士に変化させた中隊。それまでのやり取りがまるで嘘であるかのように豹変した面々を見て、身震いをする。
気のせいではない、震えを感じる。それも悪いものではなく。
この作戦で生き残った衛士が後に遺した言葉である。
間もなくして待機が解かれる、その猶予期間に。ある中隊の衛士は、面白そうに先任の同階級に語っていたという。
「英雄中隊とは聞いていましたが、普通の衛士なんすねー。むしろ他の部隊より俗っぽいというか」
「………いや。控えている作戦の難度と危険度を考えれば、十二分に凄いだろうさ。普通のエース部隊じゃあ、ああまでリラックスはできん。
それだけの修羅場をくぐってきたということだろうな」
「まあ、言われてみればそうっすね。こっちもつられたのか、なーんかリラックスできてますし………安心しました」
特にオナラの話は傑作でした、と。笑う衛士につられながら、先任の者も笑っていた。
「………ああ。この作戦、我々では生きて帰れんと思っていたが――――何とかなるやもしれんな」
まさか生きて帰られるなど思ってもいない。
死人の方が多くなるだろう、厳しすぎる難度の作戦の中で、彼は笑えていた。
かくして激戦が開幕されて閉じられた後。
生還したのは、全体の4割――――15人程度だったと後の歴史に語られている。
同時に、こうも記されている。
夜間に突撃をして遺体も残さず散っていった彼らは、漏れなく勇敢な戦士であり。
――――その身命を賭して100倍以上の同胞を救った、尊き人類種の誇りであると。