Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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13話 : Heroic One_

 

心は見たいものを見る。

 

 

 

 

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地獄の只中で戦いは続いていた。まずは一体、そして二体。間髪入れずに三匹と四匹。街の中で暴れている要撃級を、次々に斬り伏せていく。その速度に、緩みはない。できる限りの速度をもって、最速で敵を倒していった。

 

―――それでも、届かない。通信から断末魔が聞こえた。外からは、子供の悲鳴が聞こえる。

 

また、赤い華が咲いた。灰色のナニかが飛び散る。

半分になったナニの成れの果てに、誰かの顔が重なった。

 

『うあああああああああっっ!!』

 

武は叫んでいた。泣き出しそうになる自分を大声で叱りつけた。守るべき民間人は死んだ、だけどそれは諦めていい理由にはならなかった。確かに、今は助けられなかった。だけど間に合う人は居るはずだからと。子供を殺したBETAを渾身の一刀で屠り去った後、間髪も入れずに動き出した。

 

守るべき民間人は残っていると、疲労に軋む身体と機体を引きずって、次の要救助者を探しに探し続けた。間もなく発見したのは、民間人に襲いかかろうとしている戦車級だった。座り込んでいる女性は、皺が見えることから、かなり年を取っているに違いない。腰を抜かしたのか、その場から動けないようである。

 

(助けなければ)

 

思うと同時に判断を下し、実行に移した。だが、その方法も考えなければならない。短すぎる時間の中で、最善の方法でなければ。しかし彼我の距離は遠く、長刀では間に合わないことが分かった。射撃はできない。射線上に戦車級とお婆さんが重なっている、このまま撃てば巻き込んでしまう。

 

それでも、と。武は誰とも知れない何かに祈りながら、短距離の噴射跳躍を敢行した。思案から実行に至るまで2秒、素早い行動だと賞賛されるべきものだった。間に合うか――――間に合うはずだと希望的観測に縋ったが、現実はそんな夢想じみたものを泡にして消した。

 

だけど、どこか納得の色があった。もう飛ぶ寸前には、一歩踏み出した時点で悟っていたからだ。

 

間に合わないと、しかし。

 

『――――え?』

 

絶望は形にならなかった。老婆に襲いかかろうとしていた戦車級は、別方向からの射撃によって横薙ぎに倒された。

 

『っし、間に合った………!』

 

『ラムナーヤぁ!』

 

感謝の気持ちをこめて、射手の名前を叫ぶ。同時に安息の息を吐いた。

ああ、ようやく助けられたと、僅かばかりの充実感が胸を満たした。

 

だけど次の瞬間、モニターの端に映った何かがそれを掻き消した。赤い身体は毒のように鮮やかで。そして白い、象のような鼻を持つ化物――――それは戦車級と闘士級だった。群れの数は多く、更にその後ろからやって来る敵も見えた。

 

『婆さん、逃げて!』

 

『っ、来るぞ武!』

 

武はラムナーヤの声を聞くと同時に、返事を聞かないまま前進して突撃銃を構えた。壁となるぞという、ラムナーヤの意図に同意したのだ。背後にお婆さんを庇うように、正面に向けてありったけの弾丸を撃ち込んだ。その姿勢は、正しく軍人のものだと思える。ターラー中尉に何度も聞かされた、ラーマ隊長に何度も聞かされた軍人の役割だ。

 

守ると、死なせないという叫びが銃撃となって顕現する。軍人であると教えられたが故に。自分は軍人であることを自負するために。そして亜大陸で散っていった仲間にも教えられた事がある。だから――――直視をしたくない、思い出したくない光景を分に一つは見せられながらも、膝を折らずに戦い続けるのだ。人間が肉片になる光景、衝撃を受けども立ち止まることは許されない。吐いて止まれば、また間に合わなくなる。

 

武は嫌だったのだ。誰であっても、目の前で死なせるのはもうゴメンだった。だからここより後ろには通させない。その意志が尽きることは、きっと無いだろう。遠いどこかで、武はその事について確信をしていた。

 

だけど、弾薬はその限りではなかった。

無情にも、残弾ゼロを知らせるシグナルが網膜に投影された。

 

『くそ、こんな所で!』

 

『諦めるな、武器はまだある!』

 

『っ、分かってる!』

 

銃がなければ近接武器で。突撃銃を地面に捨てると同時に、兵装を長刀に切り替える。そのまま、群れに突っ込んでいく。互いに攻撃が当たる距離、すなわち互いの命に手が届く距離で戦うのだ。文字通りの死線の中。武はそれでも距離を詰めた。近接戦のコツは踏み込むことを躊躇わないことだ。

 

迷いも禁物。中途半端な距離を保てば、たちまち要撃級の腕に潰されるだろう。そうして武は突っ込む。迷いなく致死の距離に一歩を踏み込み、すれ違いざまに一閃を重ねてBETA達を文字通りに"切り崩して"いった。

 

しかし、敵を倒す速度は先程より遅くなっている。長刀は小型種を多く倒すには向いていない兵装であるからして、必然なことである。短刀や長刀はあくまで近接用のもの、間合いの内にいる一体を仕留めるための武器である。それを知りながらも、他に方法はない。あるのは我が身と鍛えた腕のみである。そして、こんな時のためにと工夫を重ねた戦術を行使するだけだ。ここでの戦術とは、紫藤樹より提案された対小型種用のそれである。機体に負担がかからないよう刃を縦にして唐竹に断ち切るのではなく、刃を寝かせて横に薙ぐ。一振りで多くの敵を巻き込むように刀を振るう。

 

だがこれは従来の長刀より、遥かに多くの小型種を倒せる戦術機動だった。機体にかかかる負担が大きいため多用はできないが、今はそんな事を気にするような場面ではない。ただ一刻も早く、敵を殲滅するのだ。後ろに居る人を守るために。ボロい機体の軋む音が武の耳に届いた。

 

ぶわっと、冷や汗が流れるのを感じた。こんな所で機体が壊れてしまえば、死は免れないだろう。しかし武は自分の死というリスクを負いながら、それでも背中を流れる冷や汗を、恐怖を飲み干して刀を振るう。

 

一薙ぎで数十の小型種を斬り散らかす。見るものが見れば、その撃破の速度に戦慄したことであろう。それだけに早く、武は小型種を殺し潰していった。

 

薙がれ切り払われ、飛ばされ叩きつけられ。紫色の体液が当たりに散らばる。その数はゆうに100を越えていた。

 

倒して、倒して、倒しきって――――だけど、すぐにまた別のBETAが虫のように湧いて出てくる。武とラムナーヤが、殺しても殺しきれない物量に歯噛みする。

 

同時に、無意識の内で悟ってしまっていた。もう自分たちには、この続々と増えていく小型種の全てを潰す方法がないということを。

 

結果は無情にもすぐにやって来た。

 

―――BETAを潰す音。その中に、耳を押さえたくなるような女性の金切り声。断末魔の悲鳴と呼ばれるものだった。

 

誰のものかなど、確認するまでもない――――したくないと思いながらも、武は誰かを罵倒していた。救いはない。救えなかった。無力な自分と、そして責められるべきである誰かにありったけの呪詛を吐いた。

 

そして、また守れなかったことを知った。

 

(くそっ………なんでだよ!)

 

気づけば、唇を噛んでいた。血が出るほどに強く。何故だと、答えのない問いを問い続けた。気が遠くなるほどの訓練をした。反吐が出るぐらいの密度で、工夫をこらした訓練を受け、それを乗り越えた。練度を武器に、仲間と共に戦場で戦い抜いた。気を抜けば死ぬ戦場において死線をくぐり、経験を重ねた。だけどこの結果はどうだ。目の前で二人が死んだ。それ以上の人間が死んでいる。今もこの崩壊していく街のどこかで、死ぬべきじゃない誰かがBETAに殺されている。知っている人も、知らない人も、等しく、差別なく、余す所などなく。

 

そうして武はインファンからの通信を思い出していた。聞かされたのは、無情な結末と戦友の戦死だ。血まみれの髪飾り。意味を理解した中隊員の心臓は凍り、熱に暴走した後にまた冷えきった。

 

誰も彼も守れず、死んでいく。先程の子供も。お婆さんも。

そしてこの街で、同じ境遇にあったであろう人達も。

 

――――そして。

 

『な、おい!? ラムナーヤ、なんでつっ立ってるんだよ!』

 

『………足が動かねえ。悪いな、武。俺もどうやらここまでのようだ』

 

『なに言ってんだよ! ………くそ、そいつに群がるんじゃねえ!』

 

兵装を短刀に持ち替え、動けないラムナーヤ機に取り付いている戦車級を斬り払った。コックピットに当てるわけにはいかない。慎重に切り払う、だが戦車級は次々に装甲を噛り取っていく。やがて、コックピットの中が見え始めた。

 

切り払う速度よりも、戦車級がむらがる速度の方が早い。武はまた、どうにもならないことを思い知らされた。だけど武は諦めずに、叫びながら短刀を繰り出し続けた。

 

「仲間だ、仲間なんだ、くそ、なんで――――!?」

 

ぱきん、という絶望の音。短刀が折れた音を聞いた武の耳に、通信の声が届いた。

 

『最後までありがとうよ。でも、お前に背負わせるのも、酷だろうから―――――仕方ない』

 

生き残れよ、と。ラムナーヤの機体の腕には、短刀が握られていた。

そして、それを"腹に立てたまま"、機体の重心を前へとずらす。

 

『やめ………!』

 

意図を察して止めようとするが、もう遅い。

 

『生き残れよ、武』

 

通信を最後に、戦術機が前のめりに倒れこむ。

 

『ラ………!』

 

轟音の後、土煙が舞って視界が塞がる。後に見えたのはうつ伏せに倒れる機体。戦車級の何体かが、潰されたようだった。武は一瞬だけ硬直し、再起動した。まだ間に合うはずだと、ラムナーヤの機体を起こそうと、機体を近くまで寄せる。だが、そこで間に合わなかったことを悟らされた。何故って、まるでバケツから零れた水のように広がる液体があったからだ。

 

――――鮮やかな大量の真紅が、地面を伝いその領域をじわじわと広げていた。

 

 

「あ――――ぎ、ぅぅ」

 

 

悲鳴のような苦悶の絶叫が、戦場の空に舞い上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラムナ…………っ!」

 

叫び声と覚醒は同時であった。伸ばす手はまるでつかめない何かを求めるが如く。宙に浮かぶ手は、しばらくはそのままに放置された。

 

それは、今ベッドに座っている身体も同じだ。あるいは、思考でさえも止まっていた。急な視界の変動についていけず、ただ呼吸を繰り返す機械のようになっている。再起動したのは、秒針が一周してからだ。起動を成したのは、勢い良く開けられた扉の音である。

 

「タケルっ!?」

 

蹴破るように開け放たれた扉から、金髪の少女が踊り込んでくる。その見目麗しい少女の眼には隈が浮かんでいる。寝不足であるからか、別の理由からか。いずれにしても疲労が色濃い様子が見て取れる彼女だが、自分の調子よりも優先することがあった。

 

それは、目の前にいる少年の無事である。

 

「サー、シャか。俺は一体…………ここは、また病院か」

 

流石に何度も繰り返せば、慣れもする。経験したのは、初陣の後と亜大陸撤退戦の後だからこれでもう3回目だ。原因は、限界を越えた疲労か。いつもの通りであろうが、しかし武はいつにない不快感を覚えていた。不安感と言い換えて良いかもしれない、胸中に蟠る黒いもや。そして武は、その原因が何であるかをすぐに悟った。今さっきまで夢に見ていたのだ、忘れようがない。

 

「………サーシャ。ラムナーヤとビルヴァール…………プルティウィは?」

 

すがるような声色。サーシャはそれを正面から受け止めながら、しかし沈黙を選択する。魚のように口を開こうとしては、閉じている。それを見るに、ただ黙っているのではないことがわかる。ただ何かを言おうとして、途中で言葉を飲み込んでいるだけである。そうしてしばらく口を噤んだ彼女は、はっきりとした口調で言い切った。

 

「………隊の葬儀は今週の末。犠牲者の弔いは、来週の頭に執り行われる」

 

それが誰のためのものであるか。近しい者の中で、誰がその対象になるのか。

ようやく現実感を取り戻した武は、黙ったまま拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武が起きてから病室はしばらく来客の姿が途絶えることはなかった。狭い病室だからして、部屋も狭くなる。なぜならば、来客のほとんどが衛士だったからだ。男女問わずして、先の激戦を乗り越えられるほどに鍛えられた衛士というのは、ほぼ体格がいいものばかり。そんな戦場の猛者達は、武に色々と話しかけていた。

 

「よう、ここが英雄部隊のイカレタエース様がいるって部屋か………って、お前が? 

 

あのキ印丸出しな機動でぶっ飛んでた前衛の一人だって? ――――ジーザス」

 

「よっ、英雄部隊が"クラッカーズ"のクラッカー12さんよ。あの時はほんと助かったよ………え、どの時かって? ほら、タンガイルでのアレだ、戦車級の死骸に足ひっかけてバランス崩した後だよ。アタシ狙ってた要撃級のドタマ薙いでくれただろ? って覚えてねえのかよ………まあいいや、感謝だけはしとくよ。あんたの名前は忘れない」

 

「………お前が一昨日のクラッカー12だって? なんかの間違いじゃないのか――――っ、ターラー中尉! はい、疑っている訳では!」

 

「助かった………全滅しなかったのは、あの突貫があったからだ。礼を言う」

 

病室での会話はこんなものだ。話題は様々だが、共通しているのは一昨日の戦場での事。

皆、クラッカー中隊の活躍を褒め称えるものばかりであった。助けられた者が多いのだからそれも仕方がないといえるだろう。先の戦功もあり、そして先の戦場の"あの活躍"を見て、注目しない衛士はいない。特にタンガイルへと先んじて到着していた衛士達にとっては、クラッカー中隊という名前は忘れられないものとなっている。

 

数えるほどの戦力、押し寄せてくるBETA、それでも守らなければならない市民。正真正銘の絶死の状態で訪れた勝機ならぬ"生機"である、正しくご来光のように暗い戦況を照らした一報は、それまでの絶望感もあり、忘れがたきものとなっていたのだ。その他の衛士も同じだ。包囲されていた所を助けられたこと多数、撤退の援護を助けてもらった隊もある。程度の差はあれ、感謝の心と共に中隊の名前が刻まれたという点に関しては、同様である。

 

個々人の感想は様々にあろうが、ある意味でクラッカー中隊とは救世の英雄のようなものになっていた。来客の言葉は武の、そして中隊の活躍を褒め称えるものばかり。だが、それに反比例して武の心は沈んでいった。

 

そして、その夜。いずれも来客が去った後に、ターラーは現れた。

 

「………ふむ、特に大きな怪我はないようだ」

 

医者の検診の結果を聞いたターラーは、安堵のため息をついた。いかに普通の子供とは違い、日常に戦場に鍛えられている身体とはいえど限界は存在する。それを上回れば、いかに頑丈な身体を持っていても、壊れることは避けられない。後遺症が出てしまうような怪我を負うわけだ。だけどそのような症状は出ていない。専門家に見てもらえても問題がないと判断してもらえた今、武の体調管理を一任されているターラーは安心していた。それでも、武の心は全く別の所にあった。

 

「ターラー教官。それよりも、説明して欲しいことがあるんですが」

 

「教官、か………いや、忘れろ。まあいい。予想はつくが、聞いておこうか」

 

「俺たちが英雄扱いされてるってことですよ! なんで否定しちゃ駄目だなんて言ったんですか!」

 

見舞いの客は色々来るだろうが、彼らの賞賛を受け入れろ。否定するような言葉は吐くな。それが、覚醒した直後にターラーから命令された事である。

 

「それより、何で俺たちが英雄扱いされてるんですか! ――――あんな、酷い戦いだったのに!」

 

守れたものはあるだろう。だが、失ったものが大きすぎた。それなのになぜ、英雄という言葉が出てくるのか。何故、否定してはいけないのか。問い詰めている最中に、他の隊員達も部屋に入ってきた。狭い病室にインファンとマハディオを除いた、8人が揃う。

 

ちょうどいいと、ターラーは隊員たちを見回しながら説明をはじめる。

 

「何故英雄に、か。それは、今この時に必要になったからだ。何しろ"あれだけ"打ち負かされたのだからな」

 

「………どういう事ですか?」

 

「聞く前に、一度は自分で考えてみろ。その程度の教育はしてきたつもりだ」

 

いつもの言葉に、武は戸惑いながらも頷いた。考える、だがそれはフリである。どんな理屈があろうとも、あんな無様を晒した自分達が英雄などという扱いは有り得ない。武の思考はそこで止まっている。認めたくないという心情と、怒りの感情に頭の働きを阻害されている証拠だ。

 

「……駄目か、感情的になっているな。それも仕方ないが………説明する。まずは、現状の把握だ」

 

「っ、教官!」

 

「縋って聞いて、私に全て答えてもらえればそれで満足か? ―――お前は今、どこにいるのかを考えろ。そして言ったはずだ。いついかなる時でも、思考を止めることだけはするなと」

 

「………はい」

 

武は不満をありありと表面に出しながらも、考え始めた。

今この基地はどういう状況だ。その問いに、武は即答する。非常にまずい状況だと。なにせ戦術機甲部隊は先の戦闘で大損害を被ってしまった。その戦力は、最大時の半分程度に落ち込んでいるだろう。この戦力で次の侵攻を食い止められるかどうか、問われると答えは出し渋らざるを得ないだろう。

 

かなり危険な賭けとなる。戦線の壁役となる戦術機甲部隊が機能しなければ、BETAを押しとどめることは不可能だ。一度抜かれれば、後方の戦車部隊などひとたまりもない。だが、これと英雄の話とは関連性はない。そこまで思いついた武に、ターラーは一言だけ付け加える。物資や武器ではない、それを動かす人間の事を考えてみろと。

 

(人員………いや違う。もっと別なものだ)

 

考えながら武は、さきほど見舞いに来ていた衛士の顔を思い出す。感謝の言葉があり、称える言葉もあった。しかし、彼らの顔はどうであったか。晴れやかなものではあったか、と自分に問うてみるものの、答えは否だ。全員が一様に、縋るような。確かめたいことがあるかのような、そんな顔でこちらに話しかけてきていた。

 

一体、何を自分に期待しているのだろう。そこまで考えた時、武はようやく気付いた。

 

「英雄………つまり、俺達は希望の光なんですか」

 

「その通りだ。そしてそれを期待される存在を、古来より英雄と呼ぶ」

 

エースとはまた違う。それは実績と信頼を積み重ねるだけでは、なれない存在である。俗な言い方をすればスター性が必須なのである。言葉の飾りなく言えば、異常性が不可欠となる。他の隊では見ないであろう少年衛士に、見た目麗しき少女衛士。スワラージで生き残ったインド人と欧州人。武家の立ち振る舞いが隠しきれていない日本人衛士。生い立ちも功績も生まれた国でさえも違う。性格も普通じゃない。そんな衛士達が一丸となって、あの激戦の中で戦い抜いた。

 

それも、戦場の主役と呼べるほどの活躍を見せたのだ。それをどう見るか、否――――どう見たいのか。敗戦に落ち込んでいる生還した衛士達の答えは、一様である。

 

「それに加えて、私達の機体………見る奴が見ればわかるだろう。あれが今の時代では型遅れな、性能的には底辺に近い機体だったって事も。しかし、私達はそのF-5で戦い抜いた。戦場を駆け抜けた」

 

これはもう一種の物語だよ。いささかの自嘲をもって、ターラーは断言した。

 

「仕組まれた感もあるが、これを活かさない手はない。その理由は、もう分かるだろう」

 

「………士気の問題ですか」

 

もし、賞賛の言葉に謙遜を。あるいは否定の言葉をもって接すればどうだったか。

武はその結果を想像して、答えに辿りついた。

 

「エースでさえ戦場の空気を変える力を持つんだ。上位互換である英雄が基地と戦場にどういった効果を及ぼすか、考えなくても分かるだろう」

 

そして士気が上がれば、戦力も上がる。比喩的表現ではなく、純粋なBETA撃破率が上がるのだ。

恐怖という大敵を忘れさせてくれる英雄が存在すれば。

 

欧州に名高き"地獄の番犬"(ツェルベルス)にはまだ及ばないだろう。しかし、それに準ずる影響は、士気向上の効果は得られるはずだ。それがこの状態の基地にあって、どれだけの助けになるのか。武はそれを理解してしまっていた。

 

他の中隊員もそれを理解している。だから、何も反論することはなかった。

武はそんな中、ふと眼があった相手に訴えかけるように言葉を向ける。

 

「………アルフレードは、納得したのか?」

 

「納得はしていないさ。道化役なんて御免被る。それは俺だって同意見さ。だけど………背負ったもののためなら、な。そのためになら、使えるものは何でも使う」

 

それは故郷であり、散った戦友であり。特に欧州出身の4人は多少の異なりはあれど、同じような信条を持っていた。それだけに欧州が蹂躙されていた、ということもある。

 

「僕は、あまり納得できていません。しかしターラー中尉がおっしゃられた事は、道理であります」

 

紫藤は、眼を閉じながら言った。その頬はこけていて、今にも倒れそうだ。

しかし、開かれた眼光はいつになく鋭い刃を感じさせるものであった。

 

「………失った戦友と守れなかった民間人を前に英雄を誇る、というのも滑稽な話ではあります。でも、彼らの遺志を無駄にするのは、最も許されざるべきもの。遺志を継ぐ気持ちがあるのなら、いっそ最善を目指すべきでしょう。少なくとも自分だけの心情で、この基地の士気を下げることは許されないと考えています」

 

そんな事になれば、あれは。ビルヴァール・シェルパという戦士の最後は、犬死にということになってしまう。

 

―――それだけは、嫌だ。

 

小さな声でつぶやかれたそれは、狭い部屋にはよく響いた。そうして、全員が沈黙してから数秒の後。ラーマが最後に、切り出した。その相手とは、この決断に納得できていないと見える者に対してだ。

 

それは、白銀武と――――サーシャ・クズネツォワであった。

 

「納得しろとは言わない。だが、お前たちの行動次第でどうにかなってしまうほどこの基地が危うい状態にあるということは、理解しておいてくれ」

 

「それは………弱みを見せるなってことですか」

 

「ああ。出来れば、人前で泣いてもくれるな」

 

そうすれば、士気が落ちてしまう。

 

優しくも厳しく告げられた現実に、二人は何も言い返すことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ターラー達が去っていった病室。先程まで人口密集地帯であったからか、二人には余計に広く感じられていた。広く、何もない空間。それに言いようのない寂しさを感じることがある。人が去っていった後の侘しさは、まるで祭りの後のような無常感を感じさせられるもの。

 

武は握りしめていた拳を、自分の膝へと叩きつけた。

 

「っ、タケル!?」

 

「くそっ!」

 

武はサーシャの制止の言葉も聞かず、耐え切れないように拳を自分の膝へと叩きつけた。叩かれる度に、音が部屋に鳴り響く。だけど、今はその音にさえ力がなかった。叩きつける腕に力がこもっていないからである。戦闘で全身を、見舞い客の対応に神経を。そしてとどめは今の話だ。

 

心も身体もあますことなく限界を越えて酷使されたのが原因だった。

条件さえ揃えば大人さえも打ち倒せるであろう腕が、今は力なくふるふると震えるだけ。

それでも、武は何度も自分の膝を叩き続けた。悪態の一つもつかないまま、ただ自分の無力を確認するかのように。隣にいるサーシャも、それを見ていることだけしかできない。部屋には、ただ無念の音だけが響き続けていた。

 

(また、助けられなかった、のに)

 

目の前で失った。共に辛い訓練を乗り越えた仲間を失うことは、ある意味で家族を失うことと同じである。責め苦ばかりに思える理不尽に過酷な環境を乗り越え、湿ろうとする自分のやる気に活を入れつつ挑みつつけて。それでも、濃密な時間だった。

 

どの光景だって、思い出そうとすれば鮮明に思い出せるのだ。

 

「…………なあ、サーシャ、覚えてるか? アンダマンであった食堂での大乱闘。あれ、あの二人が発端だったよな」

 

あれは、一昼夜ぶっ通してシミュレーターの訓練を続け、終わってから食堂に集まった時のことだ。

 

「覚えてる。あれは、二回目の貫徹訓練の後だったっけ」

 

ふらふらな足取りで水を取りにいこうとしたビルヴァールが、よろけた。そして隣を歩いていたラムナーヤに寄りかかった時だ。触れられたラムナーヤは、咄嗟にビルヴァールに拳をお見舞いした。もんどりうって倒れるビルヴァール。全員の眼が点になった。殴った本人でさえも。

 

あれは、間が悪かったのだろう。ラムナーヤはその前の訓練の後に、反応の速度が鈍いとしこたまにレポートに書かれたのだ。そして貫徹の訓練で、それを修正しようと意識の大分を割いていた。それが、シミュレーターが終わってからも残ってしまったのだろう。

 

間が悪かったし、運が悪かった――――などという理由があっても、殴られた本人を説得できるわけがない。すぐさま起きて反撃に出ようとビルヴァール。だけど、立ち上がった瞬間に笑い声に包まれた。拳が見事に決まったせいか、彼の眼にはまるでパンダのような黒いアザができていた。

 

全員が徹夜開けのハイテンションだったせいか、笑いも止まらなかった。それに気を悪くしたビルヴァールは、まず隣にいた巨体――――フランツの笑いを止めるためにボディーブローをぶちかました。

 

普段であれば見るからにおっかないフランツを相手に、殴りかからないであろう。それを躊躇なく行ったあたり、ビルヴァールもいい加減限界が来ていたに違いない。不意打ちにダウンするフランツ。身体がでかいせいで、周囲を巻き込み転倒する。水を飲んでいた所に体当たりをかまされた二人は、コップで口の周辺を強打する。そうして出来上がったのは、口の周りに妙なアザをつくった人間だ。それを見た全員がまた爆笑した。

 

巻き込むなノッポ、避けろよチビその短足は飾りか、水で髪濡れてなんだか色っぺえなお前、あなたよりかは色気があるかもしれませんねガサツ大将。悪口が悪口を呼んで、ついには殴り合いの大乱闘に発展した。周囲にはいつの間に集まったのか、野次馬が群がっていた。

 

ラーマは最早諦めたと、肩をすくめながらサーシャを避難させて。ターラーは限界が来たのか、隣のテーブルで突っ伏していた。

 

終わりは、食堂の椅子がターラーの頭に直撃したのが切欠で。そうして黒夜叉が降臨した後、乱闘をしていたみんなは星になった。賭けはサーシャの一人勝ちだったという。

 

「あれは………傑作だったよな。あの時のターラー教官は怖かったけど」

 

「………うん。でも………なんか、楽しかったよ」

 

「ああ――――思い出しても、笑えるよな」

 

―――だけど、もう。いつかと同じだ。今はもう二度と、あの光景を繰り返すことはできない。

二人の間で、全く同時の言葉が浮かんだ。同時に、その事実が二人の胸を締め付けた。思い出せば笑えるほどに、楽しかった光景。だけど本当に大事だったものは、もう欠けてしまったのだ。

 

あの光景を構成していたもの、その中の二つの欠片はもう、永遠に戻ることはない。

 

サーシャに敬語を使っていたビルヴァール。

ちょっと発音がおかしい、あの英語を聞くことはもうない。

 

真面目な優等生で、だから色々な点で悩んでいたラムナーヤも。驚いた時は急に英語でなくなり、それを恥じて誤魔化すようにまくし立てるあの寸劇も、もう見られない。

 

細部までも思い出させる。それだけの戦友だった。深い喪失感が、胸の中を暴れまわっていた。抑えきれず溢れでた感情は、眼に現れる。武がかぶっていた白いシーツに、ぽた、ぽた、と水滴が落ちる。

 

プルティウィだってそうだ。出会ったのはこの基地に移ってからだが、思い出した光景に負けないぐらい、色々な事があった。守るべきであったのだ。失いたくない人だった、と武は痛感する。なぜならば、痛く感じるからだ。悲しいという感情は、今やナイフと化していた。肉も骨も無視して、心の臓の奥を抉る恐るべきナイフだ。

 

だけど、声を上げることはできない。大声で泣くことはもう、許されない。

 

「………っ」

 

それを見ていたサーシャも、胸を押さえていた。眼を閉じたまま、胸の奥に奔る得体の知れないもやを取り除きたいと、自分の胸を鷲掴みにしている。我慢していた。我慢していた。だけどそんな顔を見せられれば、我慢もできなくなる。武の感情に同調したということもない。ただ、それ以前に悲しかった。

 

納得できていない。失いたくない仲間が、理不尽に失われることは。こんな自分にさえ家族と呼べるものができたかもしれないと思っていたのに。産みの親はいない、親戚など存在しない。あるのは、ラーマという父とタケルと、この中隊の仲間だけ。ここが自分の世界で、苦楽を共にした中隊は家族であると。

 

そう思っていたのに。思いたかったのに。話をしている内に、そう思えてきたのに、失ってしまった。なのに失ったあの戦場を誇れという。だけど、強いる理屈は圧倒的な正論であった。

 

頭では納得できる、それほどの正論に、しかし納得したくない自分がいる。だけど、現実はそれを許してくれなくて。目まぐるしく押し寄せる言葉と現実は、どうしてこんなに多くの矛盾を孕むのか。

 

自分に告げたラーマの心情と自分の感情とがごちゃ混ぜになる。割り切れない葛藤が、胸を痛いほどに締め付けた。

 

(もう、駄目だ――――がまん、できない)

 

サーシャは泣いている武の姿を見て、自分も我慢できなくなってしまったことを悟った。

途方も無く大きい何かが胸の中より湧き出してくる。止める術など考えようもなく、眼には見えない堤防が決壊したことを悟った。それは胸中を駆け巡って脳髄を駆け上がって上に。

 

溢れかえった感情が下瞼より下に。頬を流れ、床へと落ちていく。

 

―――感情というものは、一度でもたがが外れれば、止めることはできない。サーシャはどこかで聞いた言葉を思い出していた。それは真実だと感想を付け加える。理論だてた理屈など、吹っ飛んでいく。あるのは、途方も無い悲しみだけだ。

 

思い浮かんでくるのは、失われた光景。記憶力のいい自分だからこそ、武よりも多くの思い出を頭の中に残している。特に"ここ"に来てからの生活は濃密なものであった。どれもが大切なもので、それが胸の奥を苛み続ける。

 

良い思い出だからこそ、悲しい。もう二度と、あの二人の声を聞くことができないと知ったから。

プルティウィだって同じだ。あの子と接することは、誰も彼も不可能なことになってしまった。いくら努力を積み重ねようとも、死んだ人と会えるような方法は存在しないのだから。小動物のように弱く、でも確かに存在していたプルティウィという少女は裂かれて裂かれてばらまかれてしまった。

 

あるいは、きっと助けが来ると考えていたのかもしれない。だけど、自分たちは間に合わなかった。不甲斐なさに、自分を殴りつけたくなるのも初めてだ。能力に対する自己嫌悪の念はあったが、これはあれとは次元が違う。それはどうやら他の隊員も、同じで。守れなかった事実と、それを出来なかった自分が不甲斐ないと思っている。

 

何より残された遺品が、彼女の最後の凄惨さを物語っている。一体、あの子はどのような思いを抱いて死んだのだろう。絶望のままに、死んだのだろうか。その時の光景が、頭の中に浮かび上がる。遺体が無くなるぐらいまでに、壊されていく。幻の中の映像。だけどサーシャは想像してしまった瞬間、叫びたくなった。この抑え切れない感情を消すために、ただ何も考えないままに泣いて、叫びたいと。

 

そうして、心のどこかで自分の勘違いを知った。思い知らされた、とでもいうのか。自分は今まで、他人の感情を盗み見て、その本質がどういったものかをおぼろげながらも理解した気になっていた。だから感情の仕組みを探ろうと、努力をした。そうすれば正解にありつけると、真っ当な人間になれると思って。だけど、それは全くの間違いであると悟る。

 

これは、胸の奥で今も暴れ続けている"これ"は、人の意志でどうにかできるものではない。その感情の制御についても、そうだ。意識して学ぶものでも無いし、学べるものでもない。プルティウィに接したのは、全くの無駄であったことを知る。

 

――――だが、無駄ではなかった。こうして失ってから気付けたのだから。なんという皮肉か、とサーシャは自嘲の念を隠し切れない。

 

今でもはっきりと思い出せる。積極的に接していた少女のことを。自分の小さな手でも、握れば隠せてしまう、白く柔らく、なによりも小さな手を。あの感触を覚えているからこそ、耐えられない。守られるべきだった。あんな異形の化物に引き裂かれるべきではなかったのだ。

 

だけど、せめて醜態は見せないと自分の眼を覆う。

 

視界が真っ暗になる。いよいよもって、耐えることはできない、そんな時に暖かい腕に包まれたことを感じた。気づけば、抱きしめられていた。それが誰のものであるのか。

 

意識をする前に、心は決壊した。

 

「ふ…………っ」

 

 

そうしてサーシャ・クズネツォワは。

 

この世に生を受けて、初めて。

 

 

声を殺しながら、悲しいままに泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

「………っ」

 

扉の外の大人達は、無言で歯を食いしばっていた。ラーマ・クリシュナ、ターラー・ホワイト、白銀影行。生まれも年齡も信念も違う者たちだが、今のこの時に在っては共通する感情を抱いていた。感情の名前を、自己嫌悪という。あの二人を深く傷つけた、傷つくような場所へと駆り出してしまうに至った自己への嫌悪である。

 

ともすれば仇を前にした者のような。それは、憎悪の域にさえ達していた。ここに拳銃があれば、自らの頭を撃ち抜いていたかもしれないほどの。経験豊富である3人をもってしても抑え切れない感情は、顔にも現れていた。同じような度合いで顔が歪んでいる。

 

見るに耐えないと、万人から判を押されるであろう、情けない顔だった。

なぜならば、泣いている二人を見られないようにと、見張りをしている。

 

これが畜生や外道にも劣る行動だと、3人共が自覚しているからだ。

 

「………私達は、地獄にも行けませんね」

 

ターラーの声が廊下に響く。聞いた二人も、それに返す言葉を見つけられなかった。

沈黙だけが続く空間。そんな中、ラーマはターラーに告げる。

 

「ターラー、お前は行け………次の仕事があるんだろう」

 

具体的には、戦力の補充だ。マハディオも、恐らくは離脱するであろうとターラーは判断をつけていた。ならば、抜けた穴を埋めるために有望な人材を確保する必要がある。様々な部隊が損害を出して崩れて、それに付け込んで編成を具申する。それは、早ければ早いほどいい。

 

「了解しました。ターラー・ホワイト、責務を全う致します」

 

敬礼を返して、背中を向ける。そして歩き出した。

 

(次の戦場のために。そしていずれ来る決戦に繋げるために――――潰えない希望があると、知らしめるために)

 

その歩みは力強い。まるで胸に灯っている意志を示すかのように。

 

 

――――だけど、水滴が一つ、床に落ちる音がした。

 

 

無人の廊下を一度きり響かせ、残響もなく空間に溶けていく。

 

 

誰が、気づくこともなく。

 

 

落ちた水滴は、暗い廊下の中で人知れず乾いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………どういうことですか」

 

「何もないさ。想定の事態を上回った、ただそれだけだから裾に隠したナイフは使うなよホアン少尉」

 

優秀な部下を失いたくはない。即座に看破し、早口に告げるアルシンハに、しかしインファンは納得の意志を示さない。

 

「………"出撃の隙に、収監している犯罪者を村に送る。そこで暴れさせた上に射殺する。そしてプルティウィの髪飾りを村の子供に渡すことを忘れるな"」

 

あとは、クラッカー中隊に告げるだけだ。あと少し早ければ、間に合ったのにと。それで隊の中にある慢心は消え去る。もう少し早く倒せていれば、と思わせるためのストーリーを組んでいた。そのための準備も完了していた。髪飾りも用意した。

 

だが、結果は違った。BETAは防衛のラインにぶつかり、そこで滑るように北へとずれた。ダッカにある基地を目指さず。まるで、"どこかを目指しているかのような"行動を見せた。結果、村も街も呑まれて壊され消え果てた。

 

そして髪飾りは、用意した当人達の思惑を越えて作用してしまった。

 

マハディオ・バドルは重大な心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負った。今は治療中だが、そうそう戦場に戻ることはできないだろう。何より、赤い肉片付きの髪飾りは衝撃的過ぎたのである。それは、他の隊員に予想外の衝撃を与えることとなった。

 

しかしインファンは、別の点に着目する。納得出来ないことについてだ。

 

「思えば、あの動き………あれは明らかに変でした。BETAの習性を考えるのであれば、複雑な機械がおいている基地の方を目指すのが普通でしょう。しかし、現実には基地を素通りした。まるでそれ以上の何かがあるかのように」

 

それまでのBETAは、ダッカの基地を目指すルートで侵攻をしていた。それが変わった理由については解析が進められていることだろう。

 

だが、インファンは目の前の人物がその答えを知っているかのように思えた。

 

「………准将。貴方はBETAが目指した"どこか"、あるいは"何か"の正体について心当たりがあるんじゃないですか?」

 

インファンの問いに対し、アルシンハは表情も変えずに黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。

 

「どうしてそう思う。BETAの行動が予測しきれないことなど、常識であるだろうに」

 

「なるほど、それが言い訳ですか。確かに………証拠がなければ、そのようにまとめられるでしょう」

 

「ふむ、聞く耳はもたないか。しかし………聞くが、お前がそうまで確信するに至った理由はなんだ?」

 

証拠はないはずだと、言外に含ませた言葉に、インファンは断言する。

 

―――女の勘ですよ、と。

 

まるで決定的な証拠であるかのように。

断言するインファンに、アルシンハは参ったと頭を押さえていた。

 

「それならば仕方ないな………だが、言えんよ。お前が知るようなことではない。どこにでもある、生ゴミが腐ったかのような話だがな―――知れば、お前が過去に居た孤児院ごと消されるだろう。グエンの姉が運営している、な」

 

「っ、それは脅迫ですか」

 

「純然たる事実だ。お前が知るようなことじゃないこともな。この世には知らないほうがいい、そういった情報の方が多い」

 

本当に下らない話だ。抱えている難民。そして、防衛戦で定期的にやってくるBETA。

 

―――とても表に出せないような研究が行われていること。BETAと人間のハイブリッド、それを生み出すための研究。そんな事は知らずにおいた方がいい。聞いてもできることはない。

 

どのような組織の、どういった立場の人間がそれを望んで行なっているのかなど、突き止めないほうがいい。それだけの事が成せる権力を持っている人間は、それほど多くない。その大半が、今の自分たちの力ではどうしようもない者達ばかりだ。

 

知っておけばいい情報はひとつ。

研究に使われている機器類が、とても高度なものであるということだけ。

 

「かくして、ダッカの基地は壊滅せずに済んだ。予想外のことはあれど、中隊は混じり気なしの本気になった」

 

「………めでたし、めでたしで納得しろと?」

 

「心の底からそう思え、などと言うつもりはないな。しかし、表向きでも納得出来ないのか?」

 

問うような口調。インファンはそれを聞いた瞬間、背中に汗が流れるのを感じた。出来ないのであれば、消す。迅速に退場してもらう。どうあがこうとも無駄だぞ、と。言葉の裏にこめられた意図を、察してしまった。この上ない本気であるということも。

 

しかしアルシンハは、その様子さえも察知する。

 

「お前のような人材を失うのは、俺としても頭が痛くなることだ。ここ軍においては、察しは良いが良識を捨て去った阿呆が多すぎる。だから、言っておく――――邪魔だけはしてくれるなよ。あの中隊にはこの上ない価値がある」

 

「価値を作った、の間違いではないですか。色々と噂を助長したのは知っています………が、もうそれだけの価値があるとお思いで」

 

「山ほどの黄金よりも勝るさ。英雄というのは、その存在だけで士気を沸騰させることができるからな。使いようによっては、百の増援にも勝る。それに加え、"説得力"もできるからな」

 

「………説得力?」

 

「発言力、と言い換えてもいい」

 

アルシンハは内心で手応えを感じていた。何にせよ、ようやく表向きの舞台は整ったのだ。予想外の事も多かったが、概ねこちらに都合のいい展開に落ち着いた。

 

「………准将――――あなたの目的はどこにあるんですか?」

 

その答えによっては、決死の反抗も辞さない。彼女にしては珍しい、真っ向からの愚行である。

眩しいな、と。アルシンハは心の中にだけ前置いて、断言する。

 

「俺の目指すものは亜大陸で戦っていた頃より変わっていないさ………人類軍の勝利だ。ただ、それだけを目指している」

 

言いながら、インファンに紙を手渡す。

 

 

「タイの孤児院の住所だ………プルティウィはその場所に移動させた」

 

 

万が一の時のために、持っておけと。

 

告げられた言葉に、インファンはそれ以上何も言えなかった。

 


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