Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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11話 : Tragedy 【Ⅰ】_

そして今日もまた一つ。

 

 

空の陽は落ち、夜の帳が舞い降りる。

 

 

 

 

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巡り合わせが悪かった。理由はそれ以外になかったと言われている。

 

 

――――時間は、戦闘の前まで遡る。

 

要因としては色々とあるが、その中の一つに天候があげられている。生還した衛士は全員、その日はいつになく強い風が吹いていたと口々に言った。

 

強風は戦術機における機動の精度に大きく影響を与える。機体の外形を決める要因としてまず上げられるのが風圧力であるからだ。機体の形は空力を主たる要因として設計されている。しかし、それはあくまで通常時の天候においてだ。高速飛行だけならば問題はないが、そこに常でない暴風が吹けば状況も変わる。高速移動中はその影響が特に強くなっていた。

 

正面から吹く風も追い風も、相対的に強くなり機体の制動に著しい影響を及ぼしてしまう程のもの。この日においては設計上考えられる限度をわずかだが超えていた。それはあまりの強風に砂埃が舞うほどに。それは視界にも悪影響を及ぼした。衛士達はBETAとは異なり、有視界での操縦を基本としている。だから出撃していた衛士達はその状況を聞いた直後に、知らせた者に嫌な顔を見せたという。

戦車隊や沖合の艦隊も同様だった。迎撃戦における艦隊の基本的な役割は砲撃支援のみであるが、その砲撃にも悪い影響があった。時には強く、時には弱く。風の動きは一様でなく、砲撃から着弾まで様々な風が荒れ狂う。こうなると砲手も着弾位置を正確にコントロールすることができなくなるのだ。戦術機がいる地点まで外れることはないにしても、衝撃の余波が届く範囲にまでずれることがあった。

 

歩兵が使うライフルよりは影響は少ないが、それでも弾道が逸れて万が一にも戦術機に当ててしまえば――――と思ってしまう砲撃手も当然存在するのである。戦術機の装甲は、実は戦車ほどには厚くない。衝撃にせよ純物理的な意味合いにせよ、当ててしまえばそこで終わりとなるぐらいには薄い。だからこそ。味方殺しを何より嫌う軍人ゆえに、いつもの調子を出せなくなるのは皮肉だろうか。

 

次に、数である。戦争は数で決まることを、人類はBETAに教えられた。それまでの対人類の戦争の歴史以上に痛感させられたのだ。なればこそ戦闘の前にできるだけ数を減らすのは絶対的に必要。そして防衛戦におけるBETAとの戦闘、その開幕はBETAが敷設された地雷を踏みぬくことによって始まる。

 

だが、その撃破数がいつもより少なかった。肉眼でも分かるぐらいに、突撃級の数はいつもより多かったのだ。格段に、というほどの差はなかった。だが、そもそもの総数が通常の侵攻の1.5倍であったのが問題となった。特に、前回の迎撃戦で死の八分を越えた新兵への影響が強かった。死の八分を越えた、新人ではない衛士達は前線に配置されていた。

 

そこで待機し、地雷が爆発するのを確認し、狼煙のような地雷の白煙が上がった後に、その潰し漏らしを殲滅する。それが防衛戦におけるセオリーであった。

 

だが、その日は違った。CPよりの連絡より以前、衛士が肉眼できる範囲で分かるほどに、抜けてきたBETAの波はその密度を増していたのである。

 

――――士気は、生き物という。

 

そして士気は生き物らしき気まぐれさで、悪い方に傾いたのだった。

 

一方、この時点で今回の戦場の"拙さ"を感じたものは、ただ一人だけだった。クラッカー中隊がクラッカー3。常に"常ならぬ世界"を見せつけられている少女。

 

サーシャ・クズネツォワは彼女にしては珍しく、眉をしかめた。まず第一に、前線に広がった不安の波紋のこと。

 

実のところ、彼女の能力はかつてより肥大化してしまっていた。今や、かつての5倍の距離内にいる人間の感情を読み取ってしまえるのだ。経験による慣れ故か、認識の大半を処理し、思考の隅に流すことができるようになっていたが、それでも感知はできていた。近ければ強く、遠ければ弱く。特に集団戦ともなれば、彼女は周囲の感情とBETAと、二者を相手にしなければならなくなっていた。

 

「………とはいってもね。私になにができるというの」

 

自問に返ってくる答えは、否だった。物理的にも立場的にもどうすることもできない。そう呟き、彼女は諦めた。今や敵は目前にいる。最前列の衛士が接敵する時間は、遅くても30秒程度。

 

この状況において何も言える言葉はないし、対処する方法もない。士気は生き物であり、一部の個人が意識的に変えることは酷く難しいことだ。ゆえに彼女は思いを馳せた。数秒だけの現実逃避。彼女の意識はある特定の人物に向いた。その対象は、基地の中ではなかった。

 

「プルティウィの事が気になりますか」

 

「うん………って、なぜ分かるの」

 

問われた言葉に、サーシャは反射的に返事をしてしまった。不意打ち気味の言葉にジト目を向ける。向けられた相手、ビルヴァールは視線にたじろぎつつも、言葉を返す。

 

「仲が良かったですから。プルちゃんも、クズネツォワ少尉も」

 

ビルヴァールが笑いながら言う。その言葉は真実だ。サーシャとプルティウィ、この二人の仲は傍目には、良く映っている。理由としては、人見知りするサーシャが積極的にプルティウィに接しようとしていたからだ。時にはぎこちなくも頭を撫でていたり。辿々しくも会話を試みるプルティウィに、相槌を打っていたり。英語が話せない子供を相手によくやるものだと、周囲は不思議そうに見ていた。それも微笑ましい光景なので、一時の清涼剤になっていたのだが。

 

「不思議な子だったし、ね」

 

思わずと溢れでた言葉は、彼女をして武とラーマ以外に使ったことがない言葉だった。サーシャにとっての、プルティウィはどういった存在か。それを彼女に問えども、答えは返ってこないだろう。

 

――――実のところ、サーシャはある目的をもってプルティウィと接していた。その主な目的は、プルティウィのためではない。それはかつて自分が亡くしたものを取り戻すため。白銀武を通して取り戻したもの。形では表せないその名前は、『感情』と呼べるものだった。

 

(かつて、私が失くしてしまったもの)

 

どこかで落として、忘れてきてしまったものだった。サーシャはあの運命とも言える日を忘れたことはない。同調する事に慣れきって、サーシャ・クズネツォワが人形になってから初めての絶対なる"他者"に出会った。

 

その運命の少年の名前は、白銀武といった。

リーディングが通じない彼の存在は、サーシャにとってはこの上ない衝撃となっていた。

 

障害物のない荒野に、突如庭付き一戸建ての建屋が現れたかのように。外からは中を覗いしれない。サーシャはだからとて諦めることはしなかった。自分の知らない何かがそこにある。相手とは異なる自分、自分とは異なる相手が存在することを思い出したのだ。

 

分からないということは不安にもある。だからサーシャはまずはそれを想像した。不安に恐怖し、だからこそ探るように接して。そうした行動が切っ掛けになった。感情を取り戻すための足がかりとなったのだった。

ずっと、感情を同調させることを呼吸と同じような調子でやってしまっていたが、常ではない異物を発見したことによって、そうではない頃の自分が居たことを思い出したのだった。それまでは、他人の感情が自分に流れ込んでくるという違和感が、違和感ではなくなっていた。

 

そして人間は慣れる生き物だ。一端日常としてしまえば、何かの切っ掛けがなければ慣れきってしまった異常を異常と察することができない。サーシャにとっての"他者"、白銀武との触れ合いは、次第に違和感の方を、感情の流入を本来の違和感して認識させてくれるものだった。

 

それからというもの、サーシャは武と一緒に様々なことを体験した。亜大陸より今まで、武と長くを過ごしてきた時間がある。戦場もそうだが、その合間に行った場所は全て忘れられないものがあった。そうしてサーシャは今や、かつて自分が持っていた感情という機構のほぼ全てを取り戻していた。

 

だが、それはあくまでスタートラインである。そのことをサーシャ自身が誰よりも理解していた。

まだ、自分はまともな人間ではないと信じていたのだった。

 

「………業よね」

 

「また、急ですね。仏教徒とは聞いていなかったですが」

 

「信じる神様はいなくても、共感できる理はあるよ」

 

自分から捨て去ったから、苦労をすることになる。言い返しながら、サーシャは自分の事を省みた。

取り戻した自分が、次に思ったこと。それは"自分"が真実まっとうな人間か、正常であるかどうかを確認することだ。胸に抱く想いは、異常でいたくないということ。彼女が恐れていることは、いつか自分の正体がばれた時に、かつての視線を向けられること。

 

武とラーマ、そして隊のみなから化物のような眼で見られることを彼女は心の底から恐れていた。

逸脱した存在のままで在りたくはない。常から外れていれば、ばれる可能性も上がる。

 

そのためにサーシャは、"まともな"人間であろうプルティウィと接することにした。大人のように感情をコントロールすることもない、感情を誤魔化さない子供と接すれば何かが分かるのだと思ったからだ。そうして、感情の動きを学ぼうとしていた。

 

「なのに………ビルヴァール。子供って分からないね」

 

子供の感情は極彩色。サーシャは実地でそれを学ぶことになった。表面上は抑えてはいるが、それでも溢れ出す感情は実に色とりどりだった。それでいて、歪みがないほどに真っ直ぐで。知らぬ内に感情の色に見蕩れていた。ただ学ぶことを忘れ、単純に接するだけで満足できるほどには。

 

「自分からすれば、貴方もその子供の範疇に入るのですが」

 

「それなのに敬語なんだね。それはやっぱり、私が得体のしれないやつだからかな」

 

警戒したのかというサーシャの問いかけに、しかしビルヴァールは否定を返す。違います、という言葉にこめられた感情は強く。だから、サーシャは何故と問うた。ビルヴァールは、その問いに笑みをもって答えた。

 

「遠まわしな言葉は、面倒くさいですからなしにしましょう。理由を問われればただ一つ、クズネツォワ少尉が尊敬すべき先任だからです。技量も上で経験も上。後衛としての見本となるべき人物ですから。――――階級も関係なしに、敬いたくなる人物には敬語を使いたくなるってもんです」

 

「そうなんだ………え、武にはタメ口なのに?」

 

「あはは、友好的な異星人には同じく友好をもって返すべきでしょう。敵対的な異星人には、重金属の弾を盛大に叩きこむべきですが………といった冗談はともあれ、あれですねえ。武を見ると、なぜか思い出すんですよ。昔に遊んだ村のダチとかを、ね」

 

気づけば、知らぬ内にため口になって。言葉を交わしながら戦場を重ねた今では、まるで10年来の友のようになっていました。ビルヴァールはそう言いながら、前を見た。そこには、銃火の宴が始まっていた。

 

「お喋りはここまで………戦闘開始です。友好どころか礼儀の欠片も持ちあわせていない異星人に、目にものを見せてやりましょう。いつもの作業です、いつもの通りにやってお家に帰りましょう」

 

クラッカー中隊ならば、やれるはず。ビルヴァールはしたり顔でそう言ってのけた。自信からくる言葉だろう。あれだけ訓練をして、力もつき、この地の防衛戦で経験も積んだ。称賛の声も多く、その力量は疑う余地もない。彼の中に、かつての初陣のような不安はない。これならば、恐怖を前にして力を出しきれないこともないだろう。

 

故にこれまで、このバングラデシュの地で数度あったように。苦戦はするだろうけど、最終的には防衛線を守り切ることができる。ビルヴァールはそんな顔をしていた。眼で物語っていた。サーシャは他の中隊員の顔を見回すが、同じであった。ラーマとターラーを除き、みな同様の表情をしている。

 

苦戦はするだろうが――――勝つだろうと。いつもの通りに。そんな表情だった。

 

それを見たサーシャは、今までに感じたことのない、言い知れぬ不安を覚えていた。

 

だけど結局はその悪い予感のようなものを言葉にできないまま、戦闘は開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先鋒は後方に控えている戦車の砲撃。重厚感溢れる砲火の艶花がBETAを蹂躙していった。高速で撃ち出された大質量の砲弾が、異形の化け物の全身を打ち据える。直撃を受けたBETAはたとえ要塞級をしてもひとたまりもない。抗うことなどできず、ただ大地に"散らかされてゆく"。

 

なのに化け物たちは怪物であることを実践するが如く、怯まず前へと進み続けた。これがまともな生物ならば、躊躇いをみせただろう。知能のない動物とて、脅威に曝されれば逃げる。だがBETAはまるでお伽話の怪物のごとき、不死の怪物のように怯む様子を見せない。

 

―――いつもの光景だ。しかし、今日ばかりは勝手が違った。

 

「………いつもよりも数が多い、それに………」

 

武はレーダーを見ながら舌を打った。いつもよりも、"赤"の密度が濃かった。

 

「砲撃の効果が薄かったかねぇ、っとぉ!」

 

リーサは飛びついてくる戦車級をよけながら、銃を撃った。狙いは違わず、飛びついてきた戦車級、そして絨毯の如く地面に蠢いている戦車級のことごとくをひき肉に変えていく。だけど、数はまだまだ健在だった。赤い血の池のように、水のように。開いた穴へと流れこむように、戦車級は押し詰めてくる。その速度はいつもの倍。砲弾で多くが圧殺されているだろう戦車級、その密度がいつもよりも多い証拠だった。砲撃による撃破率が低いからだ。気づき、リーサは盛大に舌を打った。

 

前衛にとってはある意味で光線級よりも厄介な個体が多く生存しているのだ。苛つきを見せない方が無理というものだった。しかし、死地というほどではない。戦力差からすれば、十分に許容内のものだ。絶望に鈍いクラッカー中隊は、何とかその場で踏ん張って応戦し続けた。噴射跳躍の轟音が大気を揺らし、マズルフラッシュが輝く度にBETAに死が量産される。その速度は、敵の密度もあってか通常時よりも早いもの。だけどそれは味方側も同じだった。網膜に投影されたレーダー、その中で戦術機を表す青の数の減りが、いつもより早くなっていた。

 

戦う。戦う。それでもまた、どこかの衛士の断末魔が聞こえてきた。

その度に、戦線に穴が開いた。埋めるべく、他の部隊が戦域を広げる。

 

正面だけに集中していた部隊も、正面よりやや左右に広げて戦闘の領域を広げなければならない。

それは、一度に相手をする敵の数が多くなることを意味する。そして、戦術機に腕は2本しかない。

補助腕関係なく、戦闘に直接使える腕は8本も16本もないのだ。自然、最前線に出張ってくるBETAの総数が多くなる。詰めてくる敵に、対処する銃弾の数が不足している。押し込まれることは必然。戦線全体の後退は、何時にないほど早まっていた。

 

「これは………不味いな」

 

ターラーが忌々しそうに呟く。この状況を鑑みた結果ゆえだ。数多くの敗戦を知る彼女は、いち早くこの戦況に焦りを見せていた。

 

こと戦争において、その結果に時の運が絡んでくることは多い。そしてこの場においての運は、流れは完全にBETAの方向へと行っていた。

 

(あるいは、こちらがBETAどもの戦術にはまったか)

 

地雷はその全てが作動したはず。爆発の規模においても、過去の戦闘を下回るものではなかった。

それなのに、BETAの撃破数は前よりも少ない。BETAが戦術を理解するとは思いたくないが、ターラーにはあの化物共が何かしらの対処方法が取ったとしか思えなかった。

 

(突撃級の数が妙に多い。戦車級もそうだ。先んじて小型種だけを前に押し出して、地雷への贄としたか………そういえば、戦場の待機時間が多かった)

 

加えていえば、進攻の速度がいつもよりも遅かった。発見から出撃、そして接敵。その出撃から接敵の時間が、前回よりも10分は長かった。

 

(考えても答えはでない。今は、この場をどう凌ぐかだ)

 

対処しなければ、後方にまで押し込まれるだろう。クラッカー中隊に関していえば上手く機能している。いつも以上ではないが、それなりのペースでやれているだろう。だが、他の部隊はそうではないようだった。実戦経験の少ない新兵を編成している部隊にいたっては、あるいは心の隙をつかれたのだろうか。普通ではないペースで次々に落とされていっているのが確認できてしまっていた。ベテランを擁する部隊は流石に踏みとどまっているが、多すぎる敵の数に圧されているせいか、動きも鈍っていた。このままでは、後背にある基地近くまで押し込まれてしまうかもしれない。

 

目の前に集中するしかない未熟な衛士とは異なる、全体の戦況を把握できるベテランの衛士達。他の部隊の猛者達もみな、徐々に今の事態の不味さを把握していった。どうにかしなければ。あるいは、起死回生の一手を。地形を活かして何事かできないか、ベテラン達の脳裏に浮かんだのはそれだった。

 

―――しかし、そんな時に通信が入った。発信者は戦域の全体を俯瞰できるCPだった。

一斉に入った通信に、一瞬だが場が混乱する。だが、本当に混乱するのは通信の内容が知れ渡った後だった。クラッカー中隊にも、クラッカー・マムであるホアンから入る。

 

焦った調子で告げられた連絡。その言葉は、無慈悲なものであった。

 

『クラッカー・マムより各機へ! BETA後方にさらなる増援のあり! 規模は一個師団! それに、BETAの進行方向が北にずれています!」

 

「北に………っ、そういえば!」

 

ターラーはレーダーを見て唸った。今はBETAの群れの前面に銃火を叩きつけて抑えているものの、抑えきれておらず。そして全体としては、徐々に北へとずれている。

 

今までのBETAの進路は、ボパールより東へ真っ直ぐ。地形の凹凸が少ない南方より、沿岸部を通ってダッカの方向へと直進するルートであった。しかし今は、その進路は北へとずれていた。今までの戦闘から割り出した、BETAの予測進路より、大きく外れている。

 

「このままでは内陸部に入られる………くそ、これじゃ沿岸部の艦隊の砲撃が届かなくなる!」

 

「ああ、後方にいる戦車部隊の射程距離から―――くそ、外れちまうじゃねえか!」

 

移動速度と射程範囲を把握したラーマは焦った。それがどういった結果に繋がるのか。ラーマは脳内で戦況を整理した上で、否、だからこそ戦慄してしまう。

 

この地における防衛線の多くは、ダッカへ直進するルートを封鎖するような形で敷かれていた。ダッカの前に流れるパドマ川。それを渡らせまいと、相当数の戦力が配置されているのが現状だ。砲撃の着弾点もその方針に従い、設定されていたはず。戦車その他の砲撃部隊は、敵が真っ直ぐに突っ込んでくればより多くの打撃を与えられるようにと配置されているのだ。

 

そこにこのルート変更が発生すればどうなるか。当然のごとく、砲撃は届かなくなる。

届かせるためには砲身自体を移動させる必要があるのだが、これが問題だった。

そもそも戦車部隊が主力として扱われないのは、その機動力の低さにある。戦術機とは比べるまでもない、遅い足しかもたない戦車部隊は、悪路をものともせず140kmで突っ走る突撃級には追いつけない。沖の艦隊は今の状況になっては、論外と言わざるをえない。そもそも陸に上がれない。間もなく、数えられる戦力から省かれることになる。

 

それは問題だった。艦隊の援護が届かない内陸部に入られてしまうと、軍全体の打撃力が著しく減じてしまう。当然として、北の進路上に人類側の戦力が配されていないことはない。備えは常にしておくべきだからと、戦術機部隊その他は配備されている。

 

だが、人類に余裕はない。必然的に、主ではない場所の戦力は疎かになる。

 

その理は北に置かれている部隊の戦力にも適用されていた。

 

―――壁にもならない。言い表すのならば、これが正しいだろう。北の戦力は、ダッカ周辺のそれを比べるまでもなく劣っていた。

 

当然、これほどの規模で侵攻しているBETAを止められるほどではない。

 

(止められない。このままでは、戦線の一部が突破される………それは不味すぎるだろう!)

 

いくら迂回ルートとはいえど、その道はダッカに通じている。街に被害が出れば、この防衛戦の様々な"力"は落ちるだろう。この情勢において、周辺住民と街と基地は危うい所で均衡を保っている。治安の悪化も含め、様々な問題が生じているのだ。

 

そこにBETAの大群が流れ込めば、どうか。あるいは、取り返せない所まで、"壊れて"しまう可能性が高い。しかし、対応策は無いに等しかった。撃破数の多くは、戦車や艦隊による砲撃のものだ。戦術機部隊も活躍してはいるが、突撃銃や長刀・短刀といった対個体を相手にする武器だけでBETAを殲滅することは難しい。このままでは、後方にまで抜けられる。その先の未来はどうなるか――――それは、この場で戦っている誰もが、考えたくないものだろう。

 

ラーマは悩んだ。悩む意味がないとしても、悩まざるをえない。

取れる策が無いことに焦りを感じていた。そんな時、また通信が入った。

 

『クラッカー・マムより各機へ! 今は目の前の敵に集中して下さい! 対応は司令部に任せ、今は一匹でも多くのBETAを!』

 

「了解した………そうするしかないか。クラッカー1より各機へ、聞いての通りだ」

 

通信を聞いたラーマが戦闘中の各機へ通達する。前衛の手は止まってしない。

手足をせわしなく動かし、一分に数匹のBETAを屠っていく。しかし、耳は開いていた。

ラーマから発せられた、通信の号令が響く。

 

「いつもの通りだ―――やることは変わらず! 一刻も早く、一匹でも多くの敵を殺せ!」

 

それが最善に繋がる、と。隊長からの声に、11の戦士たちが応じた。了解、と。

 

 

薄暗いCPの中。中隊の声を聞いていたインファンは、しかし顔をしかめ続けていた。

 

 

「OKです、それが最善、だけど――――」

 

 

周囲を見る。有能な司令官はあちこちの状況を確認しながら、声を飛ばしている。そこにいつもの冷静さはない。観察眼に優れるインファンだけではない、他の部隊のCP将校もその動揺を見抜いているようだった。指揮官が冷静さを失う場面。それは言うまでもなく、致命的な状況が訪れた時に現れるものだ。

 

(予想外すぎる。村の方の手配は済んだ………なのに、このよりによってこの日にBETAがこんな行動を取るとは)

 

こんな事は予定になかった。例の計画を思い出し、インファンは首を振った。実行できないのだ。連絡の用意はしているが、今この状況で実行すれば後々にどういった事態に陥るのか、全く予測がつかない。

 

「負ければ終わりね………ここも」

 

戦況は傾いていた。流れはBETAが掴んだのだろう。レーダーに映っている味方の青と敵の赤。その総数は一目瞭然だった。言うまでもなく、赤の数は馬鹿みたいに多く。青は、その数を減らされていっている。

 

また、物言わぬレーダーの青が消えた。

 

「す………スレイブ中隊、全滅しました!」

 

震える声がCPに響いた。声には涙色のそれが含まれている。自分の中隊が死んだのだ、無理もないことだろう。だけど、誰も振り返らない。レーダーを注視するのみだ。

 

なぜならば、戦いは続いているのだ。幾十、幾千もの銃弾が飛び交っているのだろう。

 

「ザウバー中隊、壊滅しました!」

 

「戦線に穴を開けるな! 隣接するヤマ部隊にフォローさせろ!」

 

「チャーリー隊、前衛4機が壊滅!」

 

「………デルタ部隊と合流しろ! 連携は、だと弱音を吐くなそれぞれに役割を果たせ! ここで撤退させるわけにはいかん!」

 

青が喰われる度に通信がわめきたてる。司令の怒声が飛んだ。確かに、戦闘が続くにつれ赤の数は減っていった。だけど青の光点も、時間に応じてその数が少なくなっていく。無理も無いことだろうと、インファンは思う。なにせ戦術機を青の火の粉と例えれば、対するBETAは紅蓮の火炎そのものだった。青はまるで水の礫。そして炎は、水玉につつかれようとも、消えるコトは有り得ないというように燃え盛っていた。

 

遂には、青の火の粉は消えて。そしてまた次々に、赤い波に呑まれて消えていった。

 

次第に、戦場の色が変わっていく。

 

――――レーダーの地形を示す色は、青がかった緑だ。

そして今、その色の多くは赤に染められていた。

 

まるで、綺麗な池が血に染められているように。そしてその血は、ついには北の青の線を突破した。

 

赤い奔流が北へ、北へと駆けていく。

まるで疲れを知らぬ、恐怖を体現する群れは次第に東へと進路を傾けた。

 

「追撃をしかけようにも、数が………ええい、こちらの増援部隊は!」

 

「先程準備を終えたとのこと!」

 

「すぐに出させろ! 北上するBETA共の正面を抑えろとも伝えろ!」

 

このままではやらせない。意地とも取れる司令の声がCP内に響いた。

そのまま、戦闘中の部隊へも通信を入れる。

 

「戦闘中の部隊はBETAの後背をつけ! 群れの尻には光線級も多いはずだ! まずは厄介なやつから平らげていけ!」

 

「つ、伝えます! アルファー・マムより各機へ………!」

 

「デルタ・マムより………」

 

司令の指示に従ったCP将校達の、通信が次々に鳴り響いた。

クラッカー中隊のCP将校であるインファンも同様だ。しかし彼女は、別のことも考えていた。

 

(光線級………そういえば、さっきまでの戦闘)

 

思い返す。部隊の通信の多くはCP将校達に把握されている。それが情報を活かし、戦況を整える情報将校の仕事だ。だからこそ、とインファンは訝しむ。

 

(レーザーにやられたって報告は…………少なかったよね)

 

さきほどまでのような乱戦では、BETAどもに包囲される数も多い。戦車級の総数も多い。それはすなわち、混乱した挙句に飛び上がってしまう回数や、包囲を抜けるために空を飛んでしまう回数が多くなるということ。そしてレーザーの警報に対応しきれず、光線種にやられる衛士が多くなるのだ。

 

なのに、どうだ。インファンは必死に思い出した。自分の記憶を辿り、レーザーにより撃破が報告がされた回数を考えた。そして考えぬいた末に、彼女は頷いた。いつもの戦闘の時よりも、その回数が少なくなっていることを確信する。

 

(これは、いったい………?)

 

状況を見るに、BETAは明らかに"決め"にきている。それは確かだろう。

戦術云々はともかく、此度の侵攻の本気度は前回までのそれとは明らかに違う。

 

それなのに、虎の子ともいえる光線種の総数が少ないということはあり得るのだろうか。BETAの思考ルーチンは解明されていない。ある程度は分析により割り出されているが、それでも氷山の一角だろう。そもそもが由来も不明な異形の怪物。しかし、その脅威は圧倒的で――――いつも、人類は予想外の戦況の中、撤退を余儀なくされていた。

 

それでも、確度の低い情報を基に結果を決め付けることは下策というもの。もしかしたら、機動力が重視されると、突撃級の総数を増やす編成に出たのかもしれない。そのような、別の可能性はいくらでもある。

 

平和主義者のような楽観的な意見を持つつもりもないが、有り得ないような悲観的な意見を前面に押し出すつもりもない。ホアン・インファンはそういう女だった。彼女は杞憂という言葉を生み出した人物のことを真性のアホだと思っている。まず目の前の困難に注視するべきだろうと。それよりも空が落ちてくることを心配したのは、さぞかし生活に困らないボンボンのアホの子だったのだろうと。

 

そんな彼女だが、今はたしかにBETAの動きに言いようのない不安感を覚えていた。

別口の不安もある。機体が限界に達していることを彼女は忘れていない。

 

「………一人でも多く、生還できますように」

 

今日も、またいつもの通りに全員で。

 

彼女は心の底から存在を信じていない、神様という偶像へ祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追撃してから、ちょうど一時間後。ジェッソールの北、今や半ばに乾いてしまったパドマ川の向こうで、二幕目となる戦闘が始まっていた。ここでいうパドマ川とはヒマラヤ山脈に水源を持つガンジス川のことだ。ベンガル語ではパドマ川という大河。この川はH:01の喀什ハイヴか、はたまたH:14の敦煌ハイヴのせいか。あるいは、BETAが原因で起きた気候の変動のせいか、その流量はかつての半分くらいになっている。

そのせいで、BETAが渡河する時間も大幅に減じられていた。すでに渡河は済んでいた。このまま東に渡河されれば、ダッカまでに障害物となりうる川などはない。それを許すわけにはいかない戦術機甲部隊は、BETAを追撃し、やがて追いついた。

 

そのまま戦闘に入る。背中を見せているBETAを襲うという、いつにない展開だ。しかしてBETAも、ただやられるだけではなかった。食らいついた追撃部隊は、一部だけ反転して襲いかかってきたBETAと正面から戦闘することになった。

 

『武、右だ!』

 

「く、この!」

 

追撃部隊の先鋒となったクラッカー中隊。その最前衛である武の機体に、要撃級の腕が唸った。しかし武はアーサーの通信を聞くや否やのタイミングで跳躍し、一撃を避けると同時に銃撃を構え、すかさず36mmの弾を倒れるに十分な量だけ叩き込んだ。紫の血しぶきと共に、要撃級が横に倒れていく。

 

『終わり、でも………これで何体目だよ………っと、アーサー、正面から来てる!』

 

『さあな! いつもよりは倒している事は確かだけ、ど!』

 

アーサーの短刀が要撃級の頭部を斜めに裂き、だがその時だった。

度重なる負荷に耐え切れなかったのか、短刀の根本に罅が入ったかと思うとすぐさまに砕け散る。

 

『くそ、またかよ! 短刀無くなったぞ、残弾も少ないってのに!』

 

『………こっちの長刀もいい加減限界に近い。跳躍ユニットの燃料も無いし………ってーのにまたお客さんかよ!?』

 

愚痴る前衛二人の前に、要塞級が現れる。間違いなく、現存するBETAの中では最大。

近接戦闘に関しては最も厄介な相手を前に、武達は話し合った。

 

『いけるか、武………って、やるしか無いんだけどな』

 

『そーいうこと! ほら、麗しいお姉さんも手伝ってあげるから、ほら、気合入れなよ野郎ども!』

 

分かれていたリーサとフランツが合流する。武は、それでも顔を緩めなかった。

戦況が厳しすぎるからだ。今や残存している部隊は、最初の7割もない。

 

『ああ、口調は姐さんって感じだがな………言っている場合でもないか。武、チビ、お前らが撹乱しろ』

 

『わーってんよ、っとお。どうやらターラー中尉達も追いついてきたようだな』

 

識別信号を見ながら、アーサーはひとまずの安堵を得る。後方から囲まれれば、機動力以前の話になる。かといって、別部隊の誰かに背中を任せる気にはならない。信頼できない戦力など、いつ爆発するか分からない不発弾のようなものだ。

 

『すまん、戦車級の掃討に手間取った!』

 

『俺らも援護します!』

 

『おーう。遅刻の汚名を拭ってくれよ、マハディオ』

 

『ええ。あの子に合わせる顔もありませんから』

 

軽口を挨拶がわりに。心の均衡を保つ儀式のように、戦場の中でいくども交わされるそれは、兵士だけの特権でもある。そして次に行われるのは、現状の確認だ。

 

『後衛のやつらがいない………いた、でも遠い?』

 

『ああ、ミラージュ中隊がちょっとやらかしてな。フォローする間もなくやられて壊滅寸前らしい。そのまま見過ごすわけにもいかんから、樹とビルヴァールの4機で、部隊が包囲を抜けるまで援護しろと命じた』

 

数分で合流できるだろう、とのラーマの言葉に、みなは頷いた。

 

『そういうことだ。と、これ以上は悠長にしている暇もないか―――来るぞ!』

 

空気など読まないBETAは、すぐさまに中隊へと襲いかかってきた。それに対する最善の策は、ない。大隊規模で応戦するのが最も賢いといえる対処だが、すでに衛士部隊の陣形はしっちゃかめっちゃかになっていた。移動する前の戦場ですでにぐちゃぐちゃの状態になっていた部隊の位置。そうしてせかされるままに追撃が行われた。陣形を整えた後で追撃をしては間に合わないとの、司令部の判断が原因だった。

 

そうしてまた、移動をしている途中に編隊が崩れに崩れ、いまや衛士部隊は中隊規模で単独で動いていた。それぞれの中隊長に任せて、何とかその場しのぎで応戦するのみになっていた。ダッカ基地からの増援もあって、位置的に追撃をしかけた部隊と増援部隊とで挟み撃ちにできてはいる。

 

敵方の損耗率は低くないだろう。それでもBETAの数は暴力的過ぎた。戦闘が始まってからすでに6時間が経過し、クラッカー中隊もいつも以上の数のBETAを屠ってはいる。

 

だが、それでもまだまだBETAの数は健在といって差し支えないほどに残っていた。戦闘の途中で補給と休憩はあったが、それも一度だけ。長らく続いた戦闘のせいで、衛士の疲労度も兵装の耐久度も限界近くに達していた。

 

疲労度が戦闘に与える影響は大きい。のしかかるように襲ってくる疲労は、集中力を確実に奪ってくるからだ。楽になるすべはない。移動する度に全身に作用するGが消えることはない。

 

乳酸は人の意志に関係なく発生するもの。溜まれば疲れるのは、人体の摂理である。思いはあっても、身体がついてこないのでは、どうしようもなかった。人間であるがゆえに限界は存在し、そしてまた人間であるから、人の身体の仕組みには逆らえないもの。

 

――――しかし、そんな中でも実力を発揮できるのも人間である。地球上のどんな生物より、死を克服する術に長けているのである。"慣れればどうってことはない"と、経験を的確に理解し、次に活かし、問題を解決できるのも人間の特権である。

 

そうして、クラッカー中隊はこうした状況に慣れていた。アンダマンでの訓練はそれほどに過酷なものだったからだ。中隊の全員が、現状のような疲労度で実機訓練に挑んだことが複数回あった。それだけではなく、インドの防衛戦を知る8人は今以上の激戦を経験しているのだ。ゆえに、他の部隊とは違い、彼らはいつもとさほど変わらない奮迅ぶりで戦えている。いっそ勇壮と言いあらわせるほどに。

 

『させ、るかよっ!』

 

その勇壮の先鋒である突撃前衛。クラッカー12、白銀武は叫び、突っ込む――――かに見せかけて、途中で左に跳躍した。直後に、またその場から跳び、要塞級の周囲を駆け巡る。

 

『ほら、汚ねえブツをレディ達にむけんな! こっちだよデカブツ!』

 

デカブツの言葉に力をこめて。武の僚機であるアーサー・カルヴァートは祖国である英国の紳士感あふれる言葉を浴びせつつ、小刻みなステップを踏むような超短距離跳躍で要塞級を挑発する。これが普通の戦術機相手ならば、挑発の意図を考えただろう。しかして、BETAはBETAだった。言葉は理解していないだろう。だけどプログラミングされたロボットのように。ただ、目の前で動く敵、そして最も近い位置にいる2機に反応した。向きを変える。そうして2機が移動するのをやめた直後、溶解性の液を内包する、衝角の一撃が放たれる。

 

 

だが――――

 

 

『今更のそんな一撃にっ!』

 

『当たるわけがねえ!』

 

 

武とアーサーは、挙動と衝角の向きからタイミングと影響範囲を読んでいた。発射される直前には、武機とアーサー機はすでに飛び立っていた。そのまま、何でもないように衝角の一撃を回避する。

 

『はっ、ウドの大木の銃弾のしつこさと厭らしさに比べたら、こんなもん屁でもねえよ、なぁ!』

 

『ああ、あくびが出るぜ! ターラー中尉の拳骨の方が怖えよ! いや冗談抜きで!』

 

アーサーと武は割と抜けた言葉で自分を保ちつつ。後方の中衛に余裕を見せつつ。機動が自慢の前衛2機は、踊るように次々と衝角の一撃を躱していった。攻撃はしなかった。こうした場面を、演習で幾度と無く行なっている彼らに、前もっての打ち合わせなど必要はない。

 

シミュレーターの訓練通り、前衛がひきつけている間に、リーサとフランツ、そして中衛からの援護が入った。的確な一斉射が、要塞級の弱点である体節接合部を次々に貫いていく。

 

『よし、2体撃破………いや、まだか! くそ、36mmでは………』

 

『くそ、しつこい! ラーマ大尉、120mmは残ってますか!』

 

『お前と同じだ! ここに来るまでに撃ち尽くした!』

 

『戦車級も来てます! 前衛、足元の注意を怠るなよ、喰いつかれるぞ!』

 

通信が入り乱れる。だけど中隊は全体でその役割を果たしていた。

 

『追いついた……今から援護する』

 

『お供します』

 

『おうよ、隊随一の色男参上! さあ一緒に援護でもしようか、東洋の色女さん!』

 

『………了解しました。これ以上、無様を晒すわけにはいきませんから』

 

後衛の4人も合流していた。しかし、その顔色はよくない。何より、紫藤樹がアルフレードの挑発を流すということが、異常だ。そして異常には原因があり、樹の目には胡乱な光があった。

 

『助かった。紫藤少尉、よく来てくれたな』

 

『………はい』

 

その声に色はなかった。努めて感情をなくそうと、そういう時の声だった。聞いて悟る者がいた。撤退の援護を命じた後方で、はたして何があって、どうなって"しまった"のか。

 

ラーマとターラーはそれを察していた。

 

だが、追求しないまま、後衛の4人へと前衛二人の援護を命じた。

 

目の前には、変わらない戦場だ。

 

 

――――死が満ちている。死が溢れている。

 

 

声はない。音楽もない。あるのは風が吹く音と肉が砕ける音と、突撃砲のマーチだけ。断末魔の悲鳴はシンバルかもしれない。通信の声はバイオリンか。戦う音、死の音はすべて混じわりあい、入り乱れていた。それはまるで素人だけで演奏されたオーケストラのように。

 

だけど噛み合わず、不協すぎる奇天烈な和音が混じりすぎている。

まるで悪夢が現実になったかのよう。それでも、戦うものは戦うことを諦めてはいなかった。

 

体力も限界に達して。馬鹿になっていく身体をひきずって、引き絞っていた。

 

『こ、こで退いたら、純夏に笑われるんだよぉ!』

 

少年もそうだった。白銀武は、歯を軋ませながらも食いしばり戦っていた。戦うという行為自体がぼやけるような中で。疲労に視界は歪み、記憶さえも断続的になって、知らぬ内に唇の中から血が滴り落ちながら。

 

それを見ている隊員達も、戦っていた。ガキが歯を食いしばっている。呼ばれた名前は、聞いていた幼馴染のものか。時おり、母親がわりだった女性の名前もあった。それを聞く度に、隊員達の心が軋む。削っている。命を削っている。未熟な身体を酷使して、叫びながら戦っている。それは一等まぶしいもので。だから決して、消させたくはなかった。大人であり、成人している隊員の中に芽生えるものがあった。

 

プルティウィか、あるいは買い出しにいったダッカの街でみた何でもない光景を見た時と同じもの。

 

―――未来ある子供を、こんな所で死なせてなるものか。

ましてや、ガキが戦っているのに自分だけがどうして弱音を吐ける。ボロい戦術機でも。苦しい訓練でも。あるいは、ボロクソにこきおろされた戦術レポートを見ても、特別に不満を垂れず頑張った理由がここにあった。

 

一生懸命に生きているガキ。突っ走っているガキ。そんな立派な――――凄いガキに、大人として情けない背中は見せたくないのだ。彼らは個々人で思いの差異はあるが、それでもプライドの高い人間だった。だからこそ納得できないことには衝突し、いつしかまともな軍人の道からは外れていた。

 

それでも、プライドは消えず。何より無様は許せないという頑固者で、ある意味でガキで。そんな彼ら彼女らだからこそ、諦めるという選択肢を蹴っ飛ばせた。

全身を苛む苦痛。戦闘に伴う衝撃と激痛に、悲鳴を上げてのた打ち回りたくなる。だけど蹴っ飛ばす。自分から諦めはしないと、踏ん張って。

 

致死の攻撃が迫るも、諦めずに回避して、回避して、回避して。

 

仲間を襲うBETAあれば、させるものかと撃って、撃って、撃って。

 

近づき仇なすBETAあれば、守るためにと斬って、斬って、斬って。

 

あるいは、他の衛士部隊も同様だった。限界に倒れるものは多かった。だが、このまま行かせれば基地ごと壊滅させられてしまうだろう。その果てにあるのは、死。死のみである。守れなければ失うのみ。そしてBETAは何もかも飲み干していく。軍人としてそれは許せない。不良の軍人でも、臆病な軍人でも唯一共通している矜持は存在する。

 

―――民間人が死ぬのは、最後。ここを超えたければ、先に俺の屍を踏潰して越えて行け。

 

ここまで残っている軍人は生粋のものが多い。そうして、この戦闘で失った仲間も多い。

戦死した仲間たちの思いと想いを重しに、彼らは叫びながら戦っていた。

 

 

荒野に命がばらまかれていく。赤い血と紫の体液が地面を汚していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、戦いは司令部でも行われていた。通信が入り乱れている。声を出しすぎて、声が枯れるものも多い。そんな中で、司令は笑みを浮かべた。

 

「よし、間に合ったか!」

 

レーダーには更なる増援部隊が映っていた。これは追撃戦が始まって間もなく要請して、それに答えて送られた部隊。ダッカの更に後方、東にある基地から派遣された部隊だ。練度はさほどでもないが、数だけは多い。戦闘を続けている部隊と合流すれば、殲滅も可能となるだろう。これ以上進ませることは罷りならん。司令の心は、BETAの進路の先に向いていた。

 

進路上には――――まだ避難が完了していない村が、いくつかある。

 

『増援部隊よりHQへ! こちら国連軍太平洋方面第12軍第6機甲連隊。要請を受け東方より参上した。データリンクと報告を要請する』

 

送られてきた大隊。規模は連隊だ。その連隊長よりCPへと通信が入る。事前に情報が得られているとはいえ、最後の確認を怠る理由もない。念入りに情報が交換され、すぐさま連隊は動いた。大隊がみっつ。108機の戦術機が、今も戦闘が行われている戦域へと移動をはじめた。壊滅した部隊のCPの引継ぎが始まる。まさかCP将校を移動させるわけにもいかないので、この戦闘の特例としてだが、CP将校を転用させるのだ。他愛もない冗談が飛びかう。一部は自分の部隊が壊滅したせいか、涙声になっているが、それでもへこたれているだけの者は少ない。

 

そうして、増援部隊のレーダーが赤の群れへと近づいていった。編隊は崩れず、整然と移動ができているようだ。そのまま進むと、当然の如く距離は順調に詰まっていく。

 

彼らは匍匐飛行して移動していた。此度のBETA群の中で確認された光線級は、すでに追撃部隊の手により殲滅されている。それならば、移動速度が落ちる跳躍のみの飛行を行う必要はない。そのまま順調に、青と赤が入り乱れる戦場へ、ひとかたまりの青が近づいていく。

 

そして、戦闘域近くまで移動した青から、通信が入る。

 

『戦闘を肉眼で確認した………暗いが、言っている場合でもないか』

 

頼もしい言葉に、司令は頷いた。

 

『HQより全戦術機部隊へ。増援が到着した。位置はレーダーで確認』

 

増援の知らせに、戦闘中の衛士達の空気が緩む。やっと来てくれたか、と。

 

『よし、目標捕捉! フェザー大隊はこれより戦闘にはい―――――』

 

 

―――言葉が、不自然に途切れた。

 

 

レーダーは健在。なのに、連隊長の声は凍りついたように止まっていた。

 

 

『け、警報だと!? まさか………っ、各機きんきゅう――――』

 

 

―――回避、とすら命令できないまま。

 

 

次に司令部から聞こえたのは、レーザー特有の音と耳をつんざくような悲鳴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光というものは、夜暗において最も映える。それに例外はなく。

幾重にも放たれた光線は、美しく。夜の闇を切り裂いた。爆裂の音が、連呼する。命が消える音も添えられて。爆音の華花の輝きが、夜空を幾度も引き裂いた。

 

『そ、んな。そんな――――馬鹿な!』

 

ターラーにしては珍しい、焦った声が通信に響く。他の隊員の動揺はそれ以上だった。

 

「全滅させたよな? ああ、光線級は小さいのも含めて全滅させたはずだよな!」

 

一部反転してきた要塞級と要撃級と戦車級。それを乗り越えた後、光線級は殲滅した。ターラーはそこまで考えた後、戦慄した。

 

「一部を反転…………っ、まさか!?」

 

さきほど交戦した要塞級。その数は、この規模にしては少なかった。

それがどういったことなのか。ターラーは要塞級の脅威となる点と共に、思い出していた。

 

要塞級がもつ武器として、その一つは巨体と耐久力があげられる。激突と同時に溶解性の液を撒き散らす衝角の一撃も侮れない。まともに受ければ耐え様もなく天に召されるだろう。管制ユニットに直撃でも受ければ、骨も残らない。

 

そして、最後のひとつ。それは、要塞級は胎内に別種のBETAを格納できるということだ。

 

『今更気づいても遅いが…………くそ、クラッカー1よりクラッカー・マムへ! 増援部隊の数は!』

 

『さきほどの攻撃で、2割が戦闘不能! 残る衛士も混乱してるようです!』

 

咄嗟に回避した機体も、突然の状況の変化に対応しきれていないようだ。そして混乱は伝搬する。士気の低下も、また。

 

『追撃部隊は前方に移動! BETAの進路を割り出します! その後に増援部隊と合流して、回り込めとの指示です!』

 

司令部からの指示だ。部隊は傾聴した。

 

『出ました、ダッカの基地の前に防衛線を築、き――――――――――――え?』

 

それは、間の抜けた。鳩が豆鉄砲を食らったかのような声だった。まるで、クラッカー中隊をたずねてきた衛士が武とサーシャの顔を見た時のような。酷く予想外の光景を見た時のような。

 

『ホアン少尉………?』

 

ターラーをして、すぐに問いかけるのを躊躇わせるような、そんな空気が流れていた。隊員たちの中には、いいようのない不安感が走っていた。口の中の唾液の味が変わる。それは体験したことのない、"苦味"だった。近いものを挙げれば、椅子を後ろに倒しすぎて、転倒してしまう瞬間のそれに近い。

 

あれ、と。まずい、と。思ってしまう時のもので――――

 

『クラッカー・マムより各機へ………BETAの現状の位置、と、予測進路を………送ります』

 

予想に違わず。苦味は、これ以上ない形で、現実となった。示された内容。BETAの進路は、現状からは南東にあるダッカの基地ではなかった。そのまま、北東だ。パドマの川を渡って、基地を急襲する進路ではない。

 

それは、ダッカの基地を素通りするルート。北東を抜け、ミャンマーへと進むルート。

 

それを見た隊員は。誰より、マハディオ・バドルは理解していた。

 

 

『お、い』

 

 

その進路の先には、村があって。

 

 

『おい、待てよ』

 

 

そこには、避難が済んでいない村があって。

 

 

『待てよ………待て、待ってくれ!』

 

 

知っている者がいた。忘れもしない土地がある。凶器をもって迎えられて、可哀想な子供がいて。忘れようにも忘れられない村があった。村の名前は、覚えていない。場所は、ダッカより北西にある街、"タンガイル"の近くにある

 

『HQより――――』

 

 

更に通信が入るが、それを聞いた衛士の誰もがその場から動かない。動けなかった。

特にクラッカー中隊は違った。聞いたその直後に、呼吸すらも忘れた。

 

なぜならば、その村のこと。唯一分かっていることは――――プルティウィの故郷ということだから。そしてつい先日に、プルティウィがその村に戻ったということだけ。隊の中のマスコットに近い存在。大小問わず癒された者も多く。また、白銀武と同様に―――無様な背中を見せたくないと思う子供。

 

サーシャの脳裏に強い感情が弾けた。常ではあり得ない、言葉さえも浮かんでくる。

 

 

 

――――子供だ。

 

 

          ――――まだ、子供だ。

 

 

 

――――子供なのだ。

 

 

                     ――――子供、だった。

 

 

そして、悲鳴は肉声になって通信に流布された。

 

 

『ああ、なんで…………なんで…………ぇっ!』

 

 

 

言葉ではない悲鳴。皆は誰よりそれを理解していた。あそこに居る人物を知っている。その少女を誰より想っているマハディオは、そうして考えてしまった。

 

彼は馬鹿ではなかった。通常の衛士よりも頭が良かった。感情に素直すぎる所もあるが、ものの分からない阿呆ではなかった。

 

 

――――そして、馬鹿でないからこそ理解できてしまうことがあった。

 

 

彼の脳裏に浮かぶのは、残存部隊の戦力だ。

そして増援部隊の現状。あるいは、ダッカに残存している戦力と。

 

 

現状の配置。

 

BETAの規模。

 

BETAの移動速度。

 

戦況を分析する様々な要素を思い浮かべていた。そのすべてがインプットされ、間もなくアウトプットされた。そして出た結論は、一つだけだった。

 

考えなおす余地もない。皆無である。都合のいい脳みそをフル稼働させて。普通では起こり得ないような、希望的観測を織り込んでも。都合のいい展開で埋め尽くし、奇跡という言葉で出てくる結論を彩り尽くそうが算出された結果は、変わらなかった。

 

出てきた答えは一つだけだ。一つだけしか、なかった。

 

例え、全ての戦力を当てにしない場合を考えても。無謀と呼ばれる行為を重ねても。あるいは、自機の跳躍ユニットの燃料に不足がなくて。自分が今から、跳躍ユニットも全開で吹かして、機体を飛ばしても。

 

 

何を、どうやっても――――絶対に、間に合わない。

 

 

『――――あ、あ………あぁ―――――ッっ!!』

 

 

 

理解してしまった男の、獣のような叫び声が中隊の通信を蹂躙し。

 

 

漏れでた声も、やがて夜の澄んだ大気に拡散していった。

 

 

 

 


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