Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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2話 : Training_

週が開けて、月曜日。武を含めた予備訓練生達は基礎訓練の修了が告げられた。

最低限の体力がついたのだ。それは訓練が次の段階へと進んだことを意味する。

訓練生達にとっては待ちに待っていた、戦術機の操縦方法を学ぶためのシミュレーター訓練へと移ったのだ。

 

通常の衛士であればこの後はBETAの特性を教え込み、それから戦術機の適正を再度調査し、終わった後にようやく、操縦方法や戦術機の特性についてを座学で学んでいくことになる。

実際の操縦訓練に入るのは、戦術機の作戦に関する知識を一通り叩き込んだ後になる。

だが、武達は通常の衛士育成とは違う。衛士不足を補うための"年少衛士速成訓練"としてこの訓練に参加していた。

短期間で、しかも未成人の少年がどれだけの訓練で実戦レベルにまで達するかというデータの収集を主として集められている。

 

だから上層部は通常の訓練ではなく、また別の方法を武達に受けさせた。

 

必要とされたのは、最低限の操縦知識と、最低限の戦術機適正の調査のみ。

おざなりともいえる内容を教えた後に、戦術機のシミュレーターの中へと文字通り"叩き"込んでいった。戦術機のような複雑な機構を運用する兵士にとっては無茶な話だが、習うより慣れろという言葉もある。故に最低限の基礎訓練しか受けさせていなかった。これは通常の場合とは明らかに異なっていた。通常、教官が衛士を戦術機へ搭乗させる前には分厚いマニュアルを全て覚えさせている。

いかなる非常時にも対応できるよう、戦術機に出来ることをマニュアルで完璧に覚えさせることを優先するためだ。

 

人命優先の結果、というものではなく、金と時間をかけて育てた衛士に容易く死なれたくないというコストを意識してのもの。

様々な面で見てもまず正しいといえる方針であろう。まっとうな手順で命の期間を永らえさせる。

誰が見ても真っ当な、非難も出ない方法と言えた。

 

―――だが、武達は違う。育成に余計な時間をかけないで、最短でどこまで衛士の域にまで近づけさせることができるかという題目のために存在していた。

 

何よりも速成訓練を主としているが故に。

それほど手もかかっておらず、時間少なく、かかった費用も少ない。

 

なのにあらびっくり、優秀な衛士のできあがりでござい―――という夢見がちな事を実現できると夢想した何者かが提案した計画だった。

これを愚かな計画であると断じる衛士は多い。当然である。むしろ、反対の意見が8割を占めていた。

しかし、この実験には利点があった。代表的なものとしては一つ。例え被験者が死んでも、痛手は小さいということだ。

ただでさえ人員不足である現在、兵士であれば更に人員の無駄使いをと非難の声が直に飛ぶ所だが、外部の子供であれば直接の声は大きくなくなる。

 

銃後の地ではしゃぎ回る人権家が聞けば卒倒することうけあいだ。

が、亜大陸でBETAと戦い続けてもう10年が経過していた。

敗北の毒が目に見えて現れる頃合い。

倫理というものは外向きの顔があるので少し気にかけるが判断基準にはならない、その程度のものに成り下がっていた。

そしてあくまで一部ではあるが、上の人間はこの訓練に対しまた別の目的を持っていた。

 

しかし、訓練生達は知らない。計画に含まれている表と裏のファクターを察することが出来る程に、“すれて”もいないからだ。

だから、今日も彼らは必死になってシミュレーターで戦術機の訓練を受けていた。

 

「………右に抜けろ、秦村! っとお!?」

 

仮想小隊の最前衛。

 

突撃前衛(ストーム・バンガード)と呼ばれる、最前にてBETAの先鋒を捌く役割についている武が、仮想敵である突撃級の突進を間一髪かわした。

幸いにして、スペースには余裕があった。訓練のステージとして選ばれたのは、何もない荒野だ。

 

この戦場、環境はインド戦線に数多く存在し、ここ9年の内でも最も戦闘が多く行われた場所でもあった。

 

今後近い内に起こるであろう戦闘の環境に合わせたのだ。

自分の機動の確保と火器制御だけで精一杯という、戦術機に乗りたてほやほやの彼ら訓練生にとっては、うってつけのステージと言えた。

 

これが例えば、建物の廃墟群や市街地であれば話が違ってくる。

通常の戦闘行動の他に、突撃銃を取り回しする際のスペースの確認や長刀・短刀を振るう場合の斬撃軌道の確保など。

閉所で戦闘を行う場合の知識と技術が別に必要となるのだ。

 

しかし、そのステージでの訓練は行われていない。まずは基礎を固めるのが優先と、ターラー教官が判断したためだ。一個小隊、4人。後方に戦車部隊が待機しているという状況の中、同じく小隊規模のBETAと対峙するというシミュレーションである。

 

ステージは何も無い平原、あるいは荒野と呼ばれる場所だ。

敵であるBETAは前衛に突撃級、中衛は要撃級、そして後衛が戦車級という侵攻時に取る陣形だ。

これは防衛戦において相手をするBETA群の、最も基本的な配置である。

 

6人の訓練兵のうち、小隊員ではない余った2人は外からその戦闘内容をモニターしていた。

他者の戦術機の動きを見るのも、また別の意味での訓練になるからだ。

 

「そこ!」

 

掛け声とともに、武がすれ違った突撃級の背中に銃口を向け、トリガーを引いた。

命中率もそこそこに、突撃砲から放たれた多数の36mm弾が突撃級の背中を貫いていく。

 

「こっちもだ! チック1、フォックスツー!」

 

隊長機に乗っている泰村もまた、後ろから36mm弾を放った。しかし命中精度は悪く、散々ばらまいても数発しか直撃しない。

撃ち漏らした突撃級は止まらず、後方にある仮想の戦車部隊へ突っ込んでいく。

 

「機甲部隊、損害2割………3割………っ糞ぉ!」

 

前面に強固な装甲を持ち、高速で突進してくる突撃級。

BETAという群れの切っ先である奴らの勢いを削ぐ、あるいは後方に控えている戦車部隊の露払いとして。

いの一番に突っ込んでくる猪をやり過ごし、柔らかい後頭部を叩いて仕留めるのは、戦術機に求められている重要な役割の中の一つ。

基本ともいえよう。それなのに、こんな基本的なことさえ満足にこなせない。情けない自分に、武が罵声を向けた。

 

だが気を取られている暇はなかった。まだ戦術機は健在、つまり戦闘は続いているのである。

それを分からせるかのように、距離を開けていた要撃級が、突っ込んできた。

 

「は、反転を! この要撃級だけは後ろに逸らすんじゃあないぞ!」

 

「「「了解!」」

 

 

隊長機からの指示に合わせ、小隊が反転した。

突撃前衛である武が長刀で切り込み、それ以外の中衛・後衛が別の要撃級に向けて射撃を行う。

 

しかし3人の銃口は一方向に定まらず、タイミングも合っていない。火線を集中しきれず、要撃級を仕留め切れない。

 

その、残った要撃級は最前衛にいる武機へと側面から襲いかかった。

 

前腕部が振り上げられ、武のコックピット向けて振り下ろされる。

 

「う、わ!?」

 

長刀で切り伏せた直後、襲ってきた前腕に何とか反応した武は、反射的に機体を傾けさせた。

要撃級の一撃が空を切る。しかし、武機は無茶な挙動のせいでバランスを崩し、倒れこむ。

 

「っ、なろぉ!」

 

武は、倒れる直前で姿勢制御の噴射。姿勢制御を効かせ、何とか元の状態までリカバリーした。

そしてすかさず持っていた長刀を一薙ぎし、仕掛けてきた要撃級の頭部を切り飛ばした。気持ち悪い色をした、仮想の液体が飛び散った。

 

だが、直後にまた別の要撃級が武機に向けて間合いを詰めてくる。

武には先程よりは余裕があった。視界の端に見えた要撃級とその間合いを確認した武は、噴射跳躍で一端距離をあけようとする。

 

無理に長刀で戦わず、突撃砲で撃ち殺そうというのだ。

 

しかし―――跳躍しようとする寸前、武の視界が赤に染まった。

機体にレッドアラートのメッセージが並ぶ。

 

「………撃墜、判定?」

 

示されたのは自分の番号で、撃墜の文字。つまりは、自機がやられたのだ。

そして武の網膜に、原因を示した文が浮かんだ。

 

―――後背部からの攻撃により撃墜、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカモンが!」

 

「へぶっ!」

 

「ぐはっ!」

 

「げふっ!」

 

「もぐっ!」

 

シミュレーター訓練が終わった直後、一列に並べられていたルーキー達の頭に、怒号と同時にターラー教官のげんこつが降りそそいだ。

容赦なしの一撃に、全員が間抜けな声をあげた。

 

「油断が過ぎる! 操縦が荒い! 連携が全く取れとらん!個で劣る相手に一対一で挑んでどうする! あまつさえは自機の火線を意識しないまま撃つだと!? 味方の背中をぶち貫く馬鹿が何処に居る! ああ何、ここにいるな! ―――つまりは眠たいのだな貴様達は! もっと気を引き締めて挑め!」

 

頭を押さえながらうずくまる生徒達に、ターラーは容赦なく怒鳴り声を浴びせかけた。

 

「何より、前回の反省点を全く修正できてないとはどういう事だ! この訓練の意味を本当に理解出来ているのか、貴様らは!」

 

基礎を身体に叩き込むのと同時、問題点を浮かび上がらせ、それを修正する。

それがこの訓練の目的で、それは事前にターラーから訓練生達に説明していた。しかし、それを理解していないが如き結果だ。

 

怒声が飛ぶのも、無理のないことだろう。だが、怒声の裏でターラーは思った。

これで当然なのかもしれん、と。ターラーは言えない言葉を心の中で紡ぎ、胸中で上層部の連中を呪った。

 

訓練生達は、最低限の体力を持っている。適性も並の衛士と比べ、ずっと高いのが分かる。

知識は十全ではないが、最低限のものを教え込んだ。歳若い甲斐もあってか、吸収力も高い。

 

―――しかし、教育過程をすっ飛ばしているのがまずいのだ。

 

マニュアルと共に、一を積み重ねて育成するのが本来の方法である。

一を知らないものにいきなり五を、あるいは十を教えようとしても、その本当の意味が理解できるはずがない。

頷くものの、中途半端な理解のまま、中途半端な解決策を取ることになる。そして結果は見ての通りの、あの様だった。

 

(………いや、それだけではない、別の原因があるのか)

 

ターラーは違和感を覚えていた。

無茶な要求ではあろうが、それでも訓練生達は何とか課題をこなそうとしてきた。時間はかかったが、いくつかの課題はクリアできている。

 

しかしターラーは最近になって、その集中力と上達速度が落ちていることを感じていた。

此処に来てそういった事態になる理由がなんなのか。それは、ターラー自身想像はついていた。

怒られ、震える訓練生。その様子を見れば―――拳骨を喰らう前から震えていたことも加えれば、馬鹿でも気づく。

 

武者震いでもなく、衛士が震える理由とは何か。それは、一つしかない。

 

「次、休憩なしで続けていくぞ! 白銀と秦村はそのまま続行、他二人は入れ替われ!」

 

 

だが、そのまま何もしないという訳にもいかない。

ターラーはそう考え、教官として怒鳴り声を上げて、訓練を再開させた。

シミュレーターに向かう小さな背中達。ターラーはその中の一人を見ながら、顔を歪めた。

 

(しかし、こいつ………白銀武という奴だけは―――このままでは、恐らくは………いや)

 

今は目の前に集中するか、と。ターラーは頭を振って考えを打ち消し、また訓練開始の合図をだした。

 

 

 

 

"戦場では数秒の逡巡が命運を分ける。タイミングも重要だが、何よりも行動の早さが重要である"と、そういったのは、誰だったか。

最前線の主役が、戦車・航空機から人型機動兵器である戦術機に移り変わってから、かなりの時間が経過した。

強靭な装甲という名の信仰心を失った戦車は、機動力の欠如という対BETA戦においては致命的となる欠点を理由に主役を降りた。

 

一対一ではどの兵器よりも強かった、航空戦力。しかし彼らは、光線級の馬鹿げた対空能力を前に、その権威を失墜させることとなった。

旧時代、まだ同種同類であった人間が最大の敵としてあった頃は主役級として活躍したそれらは残らずその座から引き摺り下ろされたのである。

 

その二つの代わりとして、兵種の主役の座に上がった新兵器。

それが、衛士が駆る戦術歩行戦闘機である。

 

 

元は、月の戦闘で開発された機械化歩兵装甲だ。強化外骨格という今までに無かった新しい概念から、見上げる程に大きい、歩行戦車ともいえる高機動兵器、戦術機。

BETAの位置を掴めるセンサーから得た情報を元に、迎撃に有利な位置へと直ぐ様移動できる。

多少の難地形などものともせず、場合によっては三次元的な戦力展開も可能とする人類の主要兵器である。

発見から迎撃へと意識を移し、状況によって陣形を変え、戦術を決めて。

 

接敵後にはそれを実行できるという点では、歩兵の延長上とも言える。

戦場の制圧という点においては主役であった歩兵の役割をこなせて、準戦車級の火力を保持し、準航空機級の機動力を保持しているのだ。

 

人間が相手の戦争であれば、特化性の無い兵器―――いわゆる器用貧乏と、中途半端な役立たずモノとして一笑に付されていただろう。

だが、BETAが相手となる現在の戦場では、この上ない有用な兵器とされている。

 

相手が地形を気にしないBETAであるというのも、大きなファクターであった。

 

だが、一つ問題があった。それを運用する衛士が、人間であるということだ。分厚い装甲はあるが、防御力にはあまり期待できない。

 

それほどまでにBETAの攻撃力は常軌を逸していた。戦車の厚い装甲でも、要撃級の拳一つで潰される。

 

戦術機でも、一撃をまともにうければ、悪くせずとも死ぬのだ

そんな状況の中、大群のBETAを相手に連携を駆使した的確な戦術をとらなければならない。

そして、戦力比は言語道断に悪い。故に戦術機乗りは、最悪を回避し続けて最善を選択しなければ勝ち目がないのだ。

 

しかしそれは、実戦を経験したことのないルーキーにとっては酷に過ぎるものだった。

 

 

実戦を経験していない兵士。新しい米粒でしかない、新人(ルーキー)

 

彼らはたしかに、実戦ではない演習においてはある程度の実力を発揮できる。だがそれはあくまで訓練における実力にしか過ぎない。

 

殺すか死ぬかを強いられる場所で同じように戦えるかは全くの別の話だ。

なにせ戦場は狂気に満ちる、日常ではあり得ない別世界であった。古来よりそれは変わらない。

 

月で迂闊に飛べばそのまま"お星様"になってしまうように、別世界で上手く動くには慣れが必須になる。

 

つまりは、経験することが大事なのだ。

実戦で訓練と変わらない実力を発揮するには、実戦経験は欠かすことの出来ないもの。

小隊の一員、つまりは小隊の命の一片を担っているという緊張、そして恐怖から来る思考の混乱を全身に纏いながら、実力を発揮するのには、ある程度の慣れが必要になる。

 

自分の判断が本当に正しいか、という自身の行動への不信感。これらは場をかさね経験を積むことによって克服か、あるいは順応していくしかない。

 

鉄火の修羅場である戦場に身を投じ、その中で自らを鍛えるしかないのだ。鋼は、炉の中で鉄鉱石と炭素を掛け合わせてできるもの。

 

一人前の戦士になるために必要な条件も鋼と同じだ。

 

一人前の軍人になるためには、まだ原石でしかない自らを火にくべる必要がある。

そしてその鉄火場の中で過酷な状況に炙られながら、経験という名前の炭素を取り入れる。

耐え、続けて繰り返して硬度を――――地力を伸ばすしかない。

戦場という炉の中でひたすらに耐えて、凌ぎ、抗い抜かなければならない。その中で溶けてひび割れても形を失わなければ、命を失わなければ、いずれは強靱な鋼へとその身を変えてゆくことだろう。

 

     

それは、古来よりの兵の習わしに違わない。戦争というものを常に意識してきた人類の、業であることだ。

しかし今現在、人類はBETAを相手にしていた。いつにない、人外を相手取る戦争。その内容は、あまりにも"違う"ものだった。

 

恐怖の原材料は未知であるという。死への恐怖も、死後に対する未知が及ぼすものだ。死ねばどうなるか分からないから、怖いのだ。

 

そしてBETAは、かつてない程に圧倒的な未知の存在であった。

 

本質、外見、行動、その全てが理解不能で、意味も不明なものだらけ。その上、人間を喰らう種類まで居る始末。人間相手での戦争では、まずあり得ない事だ。

カニバリズムに目覚めた人外相手の戦争という、小説かお伽話の中であればともかく、普通の世界では起こりえないもの。

 

人類が遥か昔に置いてきた、原始の戦争。つまりは、動物相手の食うか食われるかの恐怖が再燃したともいえる。それは、言葉に表し難いほどの恐怖を生み出すもの。ましてや、相手が異形の極みともいえるBETAなのだ。

 

見えても怖くない、という方が嘘である。そして恐怖に食われたものから死んでいく戦場は、あまりにも無慈悲なものであった。一般人のほとんどが、BETAの恐怖を知識でしか知らないというのも問題だった。

 

だが、仕方ない事でもある。BETAの姿、その恐怖。それを肉眼で実感した者は、大抵がその場で死んでいるからである。

 

見れば死ぬ。逃げても追いつかれて、踏み潰される。戦い倒す軍人とは違う、常という領域に生きる一般人にとっては、BETAとはそういう存在であった。

 

そして、訓練を受けた軍人とはいっても、戦場を知らない軍人は一般人とさして変わらない。

戦場を経験していない軍人にとっては、初陣こそが正真正銘の未知との遭遇になるのだから。

 

だから、初陣から無事に帰還した新兵は、口々に言うのだ。

月面総軍司令官と同じに、『あそこは地獄だ』、と。

 

想像すれば分かることだった。

未知なる鬼の団体さんが雲霞の如き規模で、ツアーを組んでやってくる。目玉料理は人間らしい。

地獄よりも地獄らしい地獄である。鬼よりも分からない異様の姿。実際に目に見える分、本物の地獄より質が悪いとうもの。

 

阿鼻叫喚の無間地獄の洗礼に屈しなかったものだけが、ひき肉になることなく、元の場所へと帰れた。地獄との戦争がここ現在で、夢ではなく現実となっていると、新たなる世界観を胸に刻まれた上で。

 

そうして、また相まみえるという恐怖を埋め込まれるのだが。

 

古来より、初陣での戦場の恐怖の洗礼はどの時代でもある。いつも、最初にはそれがあった。

生死を賭ける戦場という場を知る、あるいは身に刻まれる、初めての経験。

が、このBETA戦争――――敵対者が同じ人類よりBETAとなった現在では、その内実が少し違ってきていた。

 

その超えなければならない恐怖が、著しく大きくなってしまっているのだ。

恐怖が増大した戦場に、初陣。そこで死ぬ衛士が圧倒的に多かった。恐怖に呑まれて、技量を発揮できずに死ぬ衛士が後を断たないのだ。

 

つまりは、一般人が一人前の軍人に育つまでの難易度は、それこそ飛躍的に高まったのだ。

新兵の死亡率も当然高くなった。初陣における平均戦闘時間、それが『死の8分』という言葉で表されているのが証拠だ。

 

衛士は他の兵種より近い距離でBETAと戦う分、戦死者も多くなる。

 

だから、補充は他の兵種よりも優先して行われるべきものとされていた。

 

だが、ここでも問題があった。衛士にはある程度の才能が必要なのである。

恐怖に打ち勝つ心の強さは勿論、平衡感覚の強靱さ、操縦技術を覚えられる程の知識。

そして咄嗟の機転を行動に活かせるだけのセンスも求められていた。

強靭な肉体だけでは足りないのだ。例え生まれつき優秀な肉体を持っていたとしても、別の点で足りなければ適正試験で落ちる場合もある。

 

 

また、近年では衛士が出撃する際に掛かる、『精神の負担』についても問題となっている。

死を目前に戦う衛士達の、兵士としての寿命は驚く程短い。

損耗率が高いのは勿論のことで、精神にかかる負荷、身体だけではない心の問題もあるからだ。

最近では催眠暗示という対策も取られているが、これは一時凌ぎの手法であり、逆に衛士の寿命を短くすることもあった。

それに催眠は人によって効力の差があり、催眠暗示をかけたから絶対に安全とも言えない。

戦闘中に催眠が解けた場合など、特に問題となる。

戦場で催眠が解けた衛士はほぼ例外なく、即座に錯乱状態に陥るからだ。

 

その時の衛士は、BETAよりも危険な存在となる。自覚なく獅子身中の虫となるからだ。

戦いの最中突如錯乱しだし、突撃砲を撒き散らす兵士を止める方法は1つしかない、同部隊員による処理だ。

 

結果、連鎖反応の如く精神を病んでしまう衛士もいた。

 

それが戦場での一つの光景として表されるこの世界は、弱者にはちっとも優しくない世界である。

死の間際に言葉を発する事もできず託す事もなく、ただ動かぬ肉塊になっていく人々もいる。

開戦当初は、それはもうひどいものであった。負けに負けをかさね、戦死者が増えていく毎日。

色々と脆い部分を抱えている人類だ。対するBETAにはそんなものはない。戦力比からいっても、それは当然の帰結でもあった。

数が多い、というのも問題であった。死んでも代わりがいる、とばかりの、数を頼った上での強引な戦術用法は

 

人類にとっては脅威であった。無機質に襲いかかってくるBETAの群れはいわば自然災害に近いとは誰がいったのか。

 

―――喀什にBETAが降りたって20年。

 

 

現在、人類は負けに負け続け、その総数を着々と減らされている。

 

そのなかで、築かれてきた正常も歪になっていった。

 

その歪の最前線である基地。その食堂で、武達訓練生は頭を落としていた。

 

「まいったな………」

 

「そうだな……」

 

「………手の震えは止まったか?」

 

武がぽつり、呟くように秦村に訊ねた。

 

「……情けないことにな。全然止まらねえよ」

 

「………俺もだよ」

 

二人は自分の手を押さえながらため息をつく。

同じく、他の4人もため息をついた。

皆の手が震えている理由。それは、此処に来てBETAと戦うという事実をしっかりと確認したせいだ。基礎訓練の時は、BETAに関する知識も無かった。ただがむしゃらに身体を鍛え、訓練に耐えていればよかった。だが今は各種BETAに関する知識、対処方法、驚異その他を知った。そして、実際にシミュレーターで戦った。

体験し、BETAの事を理解し――――戦場というものを片端でも理解した武達は、本当の恐怖というものを知ったのだ。

今までのような形のないものではない。"何時か俺達はこいつらと対峙するんだ"という、明確なもの。

 

自らの死に対する恐怖がこの先にあると、確かな形として存在すると理解したが故に、武達の手の震えは止まらなくなった。

 

先程の戦闘でもそうだった。銃口が逸れたのも、慌てて射撃して味方を撃ってしまったのも。

前回の訓練の教訓が吹き飛んでしまったのも、その恐怖が原因だった

 

「………分かっちゃいる。いや、分かっているつもりだったのかな」

 

思わず、と零れ出た泰村の言葉に、しかし誰も何も言わない。

お調子者のアショークなら、笑いながらそんなことはないぜと、皆を励ます。

真面目一徹なバンダーラは、それよりも対応策を練ろうぜと、提案をする。

他の面子より控えめであるイルネンは、それでも意見を出そうと顔を上げる。

若干ナルシストの気があるマリーノは、唇の端をあげながら上目視線で何かを言う。

しかし、全員が顔を落ち込ませている。かちゃかちゃと、黙ったままスプーンを料理と自分の口に往復させている。

 

それだけではない。何人かの心の内には―――もし、このまま練度が低ければ、戦わずに済むかも知れないと思っている者もいた。

それは心からの思いではない。100%そうなればいいと考えているわけでもない

しかし、あまりの恐怖心から、心の片隅にそういった想いが湧き出ているのも確かだった。

 

「どうにかしなければな……」

 

何のためにここまで来たのか分からない、と武が呟く。

それに、小隊長でもある秦村が頷いた。

 

「そうだよな。ここインド戦線の戦況も………うまくないってのによ」

 

「………今、まさに。上とか、教官達はそれをどうにかしようとしてるんじゃないか? まあ、それで上手くいくか、効果がでるかは知らないけど」

 

「そうだよ、な」

 

二人は黙々と、暗い顔をしながら合成食料を口に運んでいく。味は気分のせいもあってかひどくマズイ。武は食べながら、故郷の味を思い返していた。純奈母さんの料理は、ここの合成食料より格段に美味しかったと。

 

「そういえば、うまくないらしいな」

 

唐突に主語もなく話しだした秦村に、武は思っていたことを言葉にして返した。

 

「……え、ここのメシが?」

 

「いや、違う……まあ、不味いのは確かだけど」

 

この基地は、食堂員を雇うほどの余裕も無いので、ある程度料理できる人間を集めて調理を担当させている。合成素材という材料を素に、専門家でない素人が作るメシがマズイというのは、基地の人間が周知している事実でもある。

だが、秦村が言いたいのはそういう事ではなかった。

 

「いや、俺が言いたいのはこの前線の戦況がまずい、ってことだよ」

 

「………やっぱり、そうなのか?」

 

スプーンを止めた武は、眉を顰めながら秦村に問うた。

 

「………ああ。戦力の補充がな。追いついてないらしい。戦線に必要な衛士の絶対数が不足しているって話だ」

 

まあ、俺達みたいなのが此処に居るのが証拠だ、と秦村は苦笑しながら話した。今このインド戦線の衛士の数は、必要とされる数に達していない。

前の大規模反攻作戦、スワラージ作戦での大敗で多くの有能な将官を失ったからだ。

上層部の土俵際の奮闘もあり、敗戦直後に比べると、今現在の戦力はずいぶんと回復しているとも言える。だが、それでも足りていないことは共通認識として捉えられいる。

 

「兵力不足、物資不足もあるんだったか。そもそも兵站の確保も怪しいって噂だけどな」

 

それを聞いたアショークが反応する。

 

「本格的に不味くないか、それ」

 

「まあ、ぺーぺーどころかお尻の殻も取れていないひよこが気にしても仕方ないことなんだがな」

 

「訓練生に過ぎない俺たちができるのは、目の前の訓練をしっかりやるということか……でも」

 

バンダーラが途中で黙りこむ。他に、何ができるでもないと、分かってはいる。だけどそれができていない俺達は一体何なんだろうかと。

同じ考えに行き着いた皆は、よりいっそう暗い表情を浮かべる。

 

「……まあ、教官も。かなり根詰めて教えてくれてるしなあ。聞いた話だけど、二期目の予備兵の教官と兼任しているんだろ?」

 

凄いよな、との感想に武は同意を示す。

武達が一期とした、若年層衛士の育成だが、先の訓練の経験を活かしながら現在、二期目の募集が行われているらしい。

 

「でも期待に答えられていないようじゃなあ」

 

「………やっぱり動き悪かったよな、俺ら」

 

武自身も、気づいてはいた。他の皆も、このままではいけないということは分かっているのだ。

しかし、身体は思う通りには動いてくれなかった。その結果が、あの無様である。

 

「………お前は、そうでも無かったように見えたけどな」

 

秦村は武を横目で見ながら、嫌そうに呟いた。

 

「ん、何だ?」

 

「……いや」

 

何でもない、と返しながら秦村はスプーンをスープに突っ込んだ。

 

「整備の方も、勉強しなければならないしなあ」

 

「おっさん達に聞いたけど、正直理解できない部分が多かったし、な」

 

武達は実戦にそなえ、少しでも生き延びる可能性を増やすために、衛士、整備兵達の言葉を聞いて回っていた。座学だけでは分からないことも多く、実際の現場と部品を見て学ばなければ、理解できなかったからだ。

 

「ああ、そういえば、親父と整備の人たちがぼやいてたのを聞いたよ。実機が不足しないはいいけど、空いている機体が多いってのは本当に不安になる時があると」

 

泰村が、暗い声で呟く。武もそれに同意する。一般人から一人前の衛士になるまでに必要な時間は、長い。コストも高くつくと聞いた。

服、訓練時に必要な弾薬、機材、戦術機の実機訓練で失われる燃料。どれも安いものではない。

 

「………損耗率が高いっていうのも、問題になっているらしいからな。戦術機は高価だけど、衛士の育成費も高い。結局いつの時代も必要となるのは、金、金、そして時間だな」

 

「まあ、授業でBETAの各種詳細教えられたから、損耗率がひでえってことは納得済みだけど」

 

武は目をつぶり、頭の中で反芻する。人類の敵、BETAについて。

 

(小型種はまあ置いといて、だ。戦術機に乗っているならさして脅威でもないし)

 

だけど、だけど。

 

(なんだ、ダイヤモンドより硬いって時速170キロで突進って突撃級。数が多いし気持ち悪いんだよこっちくんな戦車級。大きい。その上に他のBETA種を運べるのかその衝角こっちに向けないで溶けるから要塞級。そのパンチ一発で粉砕される。ハードパンチャーってレベルじゃないぞ要撃級)

 

硬い装甲を前面に押し出してくる猪に、馬鹿みたいな集団で飛びついてくる異形の野犬。

何もかも溶かす液体を先っぽから出してくる象に、現地球上でも屈指なパンチ力を持っている蟹。

 

「……それに……ビームは、反則だよな」

 

思わず、武はぽつりと呟いてしまっていた。それが聞こえた秦村も、その言葉に大きく頷いて同意を示す。

 

(極めつけは、だ。よりによっての光線級だよな。なんだ、その射程距離と命中精度は)

 

馬鹿野郎と言いたくなるほどの光線を連発してくる目玉野郎。

昔テレビで見ていて憧れたヒーローの影響を受けて、近接戦万歳という思考を持っている武にとっては、光線級の遠距離攻撃能力は卑怯千万であると思えた。

武の脳裏に、最も厄介である重光線級の姿が映し出された。

畜生めが、と毒づく武の隣で、食べ終わった秦村が水を飲みながら話しだした。

 

「…そういえば、この前だけどさ。衛士の人たちから聞いたんだけど、あの光線級がいる戦場ってのは何か機体の中からでも分かる程に、圧迫感が感じられるらしいぞ」

 

嫌そうな目をしながら言う秦村の言葉を聞いた武は、その意味を考えた後自分なりの答えを返した。

 

「まあ、三次元機動が出来ないし……衛士にとっては、レーザーの網で頭を押さえつけられているようなもんだしな」

 

 

不用意に飛べば、融けて死ぬ。衛士の共通認識である。

ヒットアンドアウェイが重視される戦術機の戦闘において、上方向、つまり三次元の機動が封殺されるということは、かなりの不利を強いられるということだ。

飛んで逃げられないのであれば、衛士は二次元的な戦闘を行わなければならない。

そして平面上で運用できる戦術しか使えない事を意味する。

つまり、BETAの物量に押されて囲まれたらそれまでということだ。

BETA共の壁を飛んで越えられないのであれば、壁を破壊しなければならない。

だが、実際の戦場で後方の援護射撃無しにそれを成そうとするのは困難である。

 

「常に動き回れ、敵と味方とのスペースを意識しながら攻撃しろって言われてもなあ」

 

残り少なくなったスープをかき回しながら、アショークがぼやいた。

 

「ああ。シミュレーターでも、光線級が出てくる訓練は全滅率100%だし」

 

「俺たち程度の練度じゃ、どうしようもないもんな」

 

「………そう、だな」

 

弱気に同意する3人。武もそれに頷いていた。

しかしその後、泰村はしらけた視線を向けながら突っ込んだ。

 

「……って武よ。光線級を前にしながらピョンピョン跳び回ってるお前が、それを言うのか?」

 

 

秦村は首を傾げている武を見た後、深いため息を吐いた。

そう、目の前の3歳年下のこの少年は、自分の機動が当たり前だと思っているのだ。光線級の脅威は把握しているのだろう。そこまでの馬鹿ではない。

この少年はその上で、その事実を理解した上で飛び回っていることは秦村もここ最近に至っては理解していた。

光線級に撃ち落とされないように、三次元機動を活かせる動きをしている。実に理にかなった機動を駆使している。

陸にへばりつく方がむしろ危険だと判断しているのであろう。最初にそれを見たのは、訓練2回目のときだ。

武は噴射跳躍した直後、降下方向の噴射をふかして急降下し、切り込むといったことをしたのだ。

その時は、秦村を含む訓練生、教官にいたるまで異様に驚いた。武だけは理由が分からない、といった風に首をかしげていたが、それも当然のこと。

実戦経験豊富なターラー教官でさえ見たことのなかった、特異かつ奇抜な操縦だったのだから。

 

「いや、むしろ、あっちの方が楽じゃないかと自分は考えた次第でありました?」

 

とのたまう武を見たターラー教官が浮かべた顔。

あの呆気に取られた顔は未だに忘れられない、と秦村は心の中で笑った。

 

「でも今日は失敗だったな………背中撃ってすまんな、武。びっくりしただろ」

 

「シミュレーターの故障を疑ったよほんとに。前に左右にあの不細工面相手してたから、一体何事かと。予想外の奇襲だったぜ」

 

「おい……嫌味か? それ」

 

「二度目はごめんだぜ、ってことだ」

 

武の言葉を聞いた秦村が、嘆息した。

 

「ああ………光線級の居ない空なら、なあ。それもあるかも………いや、俺たちがこんな所に居ることもなかったろうになあ」

 

「そうかもな。しかし、空か………俺は空が怖いよ。噴射跳躍している最中が、何よりも怖い」

 

―――空が恐い。衛士の共通認識であるそれは、味方の死と共に衛士達の刻まれている。

目に焼き付いて離れないからだ。光線級のレーザーの直撃を受けた戦術機の無惨な姿が。

新人達は教練で見せられたBETAとの実戦映像で。実戦を経験した衛士は身近で、誰かが蒸発する死に様を見せつけられている。

それをこの若干10歳の衛士は、何それ食えるの? といった風に無視して飛ぶ。飛び回る。

初めは教官に、「入ってるかー」と頭をコンコンとノックされ続けていた。

 

だが、どんどんと動きが良くなる武が、自分の機動がどういう時に有効で有用かを、自己の理論に基いて順序だてて説明し始めた少年の言を前に、教官は矯正する事を諦めた。

 

(いや、諦めるのとはちょっと違うか)

 

秦村が見たターラー教官のあの表情。あきれ果てた上での、という感じには見えなかった。

 

「ま、ターラー教官も変わり者だけどな」

 

通常の教官ならば、有り得ないだろう。まず間違いなく拳とともに矯正を強制する怒声を武の耳の穴に叩き込むはずだ。

 

「それをしないってことは………」

 

答えは一つである。秦村としても、納得できる点もある。最低限の体力・知識をつける基礎訓練から。実機およびシミュレーター訓練という戦術機を動かす段階に移ってから1ヶ月が経過したのだが、ここである一つの事が問題となっている。

 

それは、武と他の訓練生との差が如実に表れはじめているということ。

撃墜数と被撃墜数、そして何より両者の機動を見比べれば、一目にして瞭然なことであった。

 

近接戦闘も中距離戦闘も。その何もかもが、武と他の訓練生達とで、"違っている"。

それに引っ張られ、他の訓練生たちもそれなりの速度で成長していた。

 

―――だけど、今は。

そこまで考えた泰村が、はっと顔を上げる。

 

「っ、ターラー教官に、敬礼!」

 

さっと敬礼を返す訓練生。ターラーも敬礼を返すと椅子に座り、訓練生達を見回した。

 

「………随分としけた顔だな」

 

ため息をひとつ。訓練生達の顔の、曇りが増す。

 

 

「………何だ、そんなに落ち込むようなことか? ―――ああ、いいから座れ」

 

「は、はい」

 

武達は言われた通りに座る。すると、教官と目の高さがやや同じになった。

いつもは見下ろされている感じなのに、と不思議に思っている二人。それを見たターラーは、

武達が何を考えているのか察し、苦笑する。

 

「飯時にまで怒らんさ………別に気負うことはない」

 

「は、はい」

 

「………はっきりしない返事だな。それに、その目―――負け犬の目だな」

 

「………っ」

 

いつもならば、言い返す訓練生達。しかし図星をつかれたせいで、言い返すことも出来なかった。

 

「はん、何もなし、か。大方、戦場に出る前から怖じ気づいている、と見たがな?」

 

「………」

 

皆、言葉を返せない。まさしくその通りだからだ。

返す言葉を見いだせない訓練生達は、全員が教官から視線を逸らす。

 

上官との会話中に、視線を逸らす。

普通の上官ならば怒るところだが、ターラーはこの時だけは笑った。

 

「なんだ、図星か………いや、やはりな」

 

「………ですが」

 

「言い訳はいい。むしろ当然なことだ………だから、言えることも多くないな。知らない戦場の事をあれこれ考えるな、とだけしか言えん」

 

あまりにも端的な言葉に、訓練生達は戸惑う。しかし、ターラーはそれを見ながら、言葉を続けた。

 

「今は聞かされた情報をただ理解しろということだ。あれこれ考えても、余計に不安になるだけだぞ」

 

「っ、ですが!」

 

バンダーラが何かを言おうとする。

しかしターラーは、それを手で制した。

 

「全てはありえんが、分かっているつもりだ―――お前たちは此処に来て、ようやく理解したんだろう? 実戦に対する恐怖を」

 

「………はい」

 

「ならば、後はそれを飼いならすだけだ。それを抱いたまま、上手く飼い慣らして、戦場へいどめ」

 

「これを………恐怖を? こんなものは捨ててしまった方が………それに、こんなものを抱えたまま、戦場に行くなんて」

 

「ふん、お前たちは勘違いをしているようだな―――恐怖を持つことは恥じゃないぞ。誰でも、それを抱えている」

 

「え………?」

 

「………なんだ、怖いと感じることを恥だとでも思っているのか? それは違うぞ。恐怖を持たない衛士はいない。居るのは、恐怖を飼いならそうとしている衛士だけだ。私と、同じにな」

 

その言葉に、訓練生達は驚いた。

この鬼教官でも弱音を吐くのか。そして、戦うことに恐怖を感じているのかと。

 

「………お前たちも、いずれ知る。戦場について、必ず知らなければならない時が来る。だから、今は考えるな。恐怖を前に、自分を見失うな。目の前の訓練を見据え、励め―――全身全霊でな」

 

ターラーも教官職に就く人間である。訓練生達の内心を、おおよそではあるが理解していた。

自分の通ってきた、誰もが一度は越えなければいけない壁があるのだ。

 

だが、これだけは本人達が克服しなければいけないこと。的確なアドバイスを送れないが、とターラーは苦々しい顔を浮かべながら言葉を続けた。

 

「怖がるな、とは言えん。戦場において恐怖はむしろ必要なものだからだ。だから今言えることは一つだけだ。目の前の訓練に集中しろ。時間を無駄にするな。教えられた事を確実に身につけ、自らが成長すること望め。理屈はいらん、"自分なら出来る"と――――そう、信じろ」

 

暇なんかないぞ、と言いながらターラー教官が2人に笑顔を向ける。

訓練中ではありえない、優しい目をしていた。

 

「お前たちが受けた基礎訓練………あれは、厳しかっただろう?」

 

「はい………」

 

思い出しただけで吐き気がする、と二人は顔色を悪くした。

 

ターラーはそれを見て、笑った。

 

「欠片も遠慮をしなかった、本物の訓練だった………だが、お前たちは乗り越えた。あの時の想い、訓練を乗り切った時の想いを疑うな。強化装備を着れば、Gには耐えられる。別口でデータも取れている―――お前たちは戦えるんだ」

 

「………!」

 

「いざ戦場に出た時、何より大事となるのはお前たち自身の想い―――それと、自分を信じられる事、その密度に左右される。今を耐え続け、乗り越えれば自信もつく。だから諦めるな」

 

訓練とは突き詰めれば、耐え続けることだ。肉体に負荷をかけ、それに順応し、成長していく。

ここ一ヶ月間の訓練で、最初は嘔吐するまでにきつかったGへの耐性もついてきている。そのまえの基礎訓練もそうだが、

内臓ないし全身が鍛えられているのだろう。強化装備の耐G機能も補助してくれている。未だ十分とも言えないが、徐々に搭乗可能時間は増加している。

 

「小さくではあるが、確実に成長しているんだ。それは私が保証しよう」

 

食事が終わり、立ち上がった教官は、最後に武たちの肩に手を置き、言う。

 

「今、私ができるのは教えることだけだ。それを学ぶのは…戦場で実践するのは他でもない、誰でもないお前達だ。自分でやらなければならないんだ。だから今は、自信を養え。訓練をこなし、力をつけているという実感を自覚してゆけ」

 

教官は、武達の目を見る。

言葉にはせず、視線でただ一つのことを問う。

 

 

『できるな?』

 

 

「「はい!」」

 

 

全員が、教官の視線での言葉を理解する。

そして立ち上がり、勢いよく応に対する答を返した。

 

「………良い、返事だ。おっと、呼ばれているようだ。じゃあ、また後でな」

 

 

食堂を去る教官の背中に、武達は敬礼を返す。

 

そして、明日の訓練に備えようと自室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地内の放送で呼び出されたターラーは、司令室にいた。

そこで、基地の司令官と、ターラー軍曹が話し合っている。2人とも真剣な表情で、とある議題について話を交わしている。

 

話の内容は、訓練生についてだ。

 

 

「………司令。一つ、確認したいのですがよろしいですか?」

 

「構わんぞ、言ってみろ」

 

「次の戦場であいつらを使うと聞きましたが………それは、本当ですか?」

 

「ふん………聞きなおさなくとも、そうだ。先の敗戦で、我が軍は甚大な被害を被ったのはお前も分かっているだろう。

 

 緊急で策とも言えん愚策だが、在る程度の時間稼ぎにはなる。幸い、あの訓練生達は誰もが脛に傷もつ訳ありの人間。親類も少ない。戦場で死んだとしても、方々からの不満の声は上がらない」

 

「しかし………まだ訓練も完了してません! 今のあいつらを実戦に投入するのは………殺すようなものです!」

 

ターラー軍曹は怒鳴りを上げながら、内心で苦悶の呻き声を上げる。

彼女の、大人としての意地故の苦悶だ。ものになっていない少年兵を使い、まるで道具のように消費し殺すなど、

軍人としての矜持以前の問題だ。人間としてどうなのか、という怒りが彼女の胸中を渦巻いている。

 

軍では人命でさえコストとして扱われる。

だけどターラーは、子供の命でさえもコストとして割り切る上層部のその意向だけには同意できなかった。必要だからとて人には譲れないラインというものがある。それを越える意向に、同意できるはずもない。

ともあれ、自分は軍人である。そうした想いを抱いたまま、先に二人と話した時も、ターラーは葛藤していた。

 

諦めろと諭すべきか。諦めるなと言うべきか。いくら素質があるとはいえ、子供は子供。

大の大人でさえ小便をもらす戦場で、恐怖を感じるなとは言えない。克服しろとも言えない。無理難題にすぎる。

すっぱりと諦めれば、また違う兵科に移される。そうなれば、いくらか時間的に余裕ができる。歩兵、戦車兵となれば、訓練時間も延びるだろう。

 

今実験的に行われているのは、衛士の促成訓練のみ。他の兵種は子供では無理だ。

 

(いや、ただ一人。あいつならば可能かもしれんが―――今は考えるべきではない)

 

本来ならばあの年齢で実戦に投入するなど、衛士でも無理なのだ。

だが―――上層部の企みが、無理の軛を外した。

上層部が促成訓練、その裏にこめた企み。それを理解しているのは、ほんの一握りであった。

その一握りにいるターラーは、迷っていた

 

「ならば、勝てるのかね? 戦力の足りないこの状況で君は、次の襲撃を確実に乗り越えられると言うのかね?」

 

「………はい」

 

「随分な自信だな………だが、貴様も断言できはしないだろう? ―――だから、"使う"」

 

「………使う、と?」

 

「ああ。貴様ならば、何かを察しているのではないかね?」

 

「………ソ連に関する事については、信じていません。貴方はあの"赤旗"の国が嫌いだ。

 

極秘裡に進められている作戦の話も、与太話に過ぎないと考えています」

 

「その通りだよ。なんだ、カモフラージュに流した噂だが………良く機能してくれたものだな」

 

「では、やはり………!」

 

「君の怒りなど聞いてはいないよ、軍曹。納得の可否についても聞いていない。私が聞いているのはただひとつだ………それ以外に何か方法はあるのかと聞いている」

 

「……っ」

 

ターラーはそこで黙らざるを得ない。代わりの方策など無いからだ。明確な一手などない。

地道に戦線を維持し、逆転の機を伺うしかない。

 

「今回は特例だ。少年兵が実戦で使い物になるのか。そこまで持っていくのに、どれだけの訓練を受けさせるのか………それを試す意味もあった。いや、データもいいものが収集出来たよ」

 

「―――だけど、主たる目的は違う」

 

睨み、ターラーは告げた。

 

「どこからあれだけのS-11を? それにアメリカでも貴重な精神科医を………!」

 

「―――蛇の道は蛇、とだけ答えておこうか」

 

話は終わりだ、というばかりに司令官は机を指でトンと叩いた。

 

「まだ、確定してはいない………今日は下がりたまえ」

 

「……了解しました。それでは、失礼します」

 

ターラーは怒りを押し殺した上で、回れ右をする。そして、切れるほどに強く、自分の下唇を噛んだ。

 

(狸が………お前達の意図は分かっている)

 

ターラーは教官だが、基地にいる以上ある程度の情報は入ってくる。

スワラージで大破した機体の回収作業。ハイヴから離れた位置にある残骸から、使えるパーツを集めているのだ。

そして以前、ターラーは報告書を見た司令がぽつりと呟いたことを忘れてはいなかった。

 

嫌な予感がしていた。司令があの時に告げた―――"S-11が余っているな"、という言葉を。

それから、速成の訓練兵の話が出た。そして余っている機体と―――スワラージの際に使われなかったSー11。

 

それは、戦術核に匹敵するほどの威力を持つ高性能爆弾である。

 

そこに"催眠暗示"、という言葉を加えれば、一つの目的が見えてくるというもの。

 

(口に出すのも悍ましい………あいつらは未来のエースだ。私がいる限り、そんなことはさせんぞ)

 

ターラーは先に逝った同僚の顔を思い出しながら、それだけはさせないと誓う。

例えもう一度、過去に犯してしまった過ちを繰り返そうとも、絶対に止めてみせると心の中で誓った。

 

「ああ、そうだ」

 

そんなターラーの背中に、司令官の声が掛けられた。

 

「何でしょう?」

 

振り返らず、ターラーが返事をする。だが、司令はそこで黙ってしまった。

口数が多くいらないことでもはっきりきっぱりとものを言うこの司令官にしては珍しく歯切れの悪い言葉に、ターラーは訝しげに思いながらも待った。

 

そして、一呼吸を置いて告げた。

 

「上層部からの情報でな。なにやら、喀什周辺のBETAの動きが活発になっているとのことだ。一応、伝えてはおく」

 

「………了解、しました」

 

隠さない不機嫌そうな声で返事をした後、ターラーはさっさと部屋を出ていった。

 

 

 

 

「あー眠れないな」

 

訓練が終わった夜。

武は今日の一日の疲れをいやすために、ベッドの上で仰向けになりながら寝ようとしていた。

しかし、何故だか眠れない。いつもならばすぐに眠気が襲ってくるのに、今日はそれが来ない。

 

(なんでかなあ)

 

武も、訓練によって自分が疲れている事は感じていた。

全身の筋肉痛がその証拠だ。しかし、眠気は収まったまま。

 

(やっぱり、なあ)

 

武は先ほど聞かされたターラー教官の言葉を思い出しながら、ため息を吐く。

訓練過程は、確かに進んでいるだろう。正規の段階を踏んだ過程ではないが、このまま行けばそれなりの練度を持つことは出来る。

教官の言葉を聞けば分かるし、武自身この半年の訓練を経て実感した事があった。

 

辛い訓練を耐えたという自信、つまりは精神的な成長に付随して、状況の判断能力も上昇しているということ。座学を受けて戦闘に関する知識の幅も増えた。正規の衛士には及ばないだろうが、それなりにやれるだろうことは分かっている。

身体能力や体力が上がったことは言うまでもなく。

毎夜の筋肉痛地獄と、口から出ていった吐瀉物の回数と量が分からせてくれる。

半年前の自分、訓練を受ける前の自分とは、別人ともいえる程に成長しただろう。

 

だが、問題は別にある。

ああ、戦場への恐怖は確かに問題だった。

しかしそれも、訓練を重ねれば克服できるものだと武は知った。

 

それとは別に、思うことがあるのだ。

 

―――即ち、『それで足りるかどうか』。

 

「………駄目、だろうな」

 

武は一人自問したあと、否定する。決して、今の自分が万全の状態ではないと。

訓練の中でたしかに想い描いているイメージはある。

それは、夢で見た光景のこと。

 

うっすらと残る―――自分ではない誰かが描いている、理想の機動。

 

それが最善で、それが最強であるものだと、武は漠然とだが理解している。

しかし同時に、心の中で描いている機動のイメージ通りに機体を動かせないことも熟知していた。

 

夢で見た光景。誰かが持つ―――今の戦術機の機動理論とはかけ離れた、突拍子もない機動イメージ。

あれが自然だと思っていた武は、教育を受けて理解した。あれは普通の衛士とは明らかに違う、

珍妙奇天烈な機動なのだと。

 

しかし、あれが良いと判断した武は、自分なりに再現してみせた。その後、考えに考えた。

分析というほどでもないが、機動の意味と概念を煮詰めて分解してみた。その結果、奇天烈なあの機動が、

対BETA戦においてかなり有用であることが分かった。

教官がそれを見て顔色を変えていたのも、武は気づいている。

 

以来、それを模倣し続けて、あのイメージに追いつこうと機体を動かしていた。

だが、あのイメージには未だ及ばない。それもそのはず、武は夢の誰かと比べ、体力も操縦技術も実戦経験も、全てが圧倒的に劣っている。

特に体力が問題となっていて、全力で動けばそう持たないだろうことも、武は理解していた。

 

(……30分ぐらい、か)

 

限界で一時間に満たない。戦場の重圧による体力の消費を考えれば、もっと少ないだろう。

つまり、戦闘開始からよくて20分ほどで自分は戦えなくなる。

 

いや、戦えなくもないのだろうが、機動の精度が落ちることは避けられない。

 

(もしも、今の時点で出撃を命じられれば………)

 

この基地は哨戒任務が主だ。しかし、部隊には欠員が出ている。

さらにその部隊の何人かが、精神に問題を抱えていることを武は影行から聞かされていた。

 

戦いに敗北に、度重なる哨戒任務に精神が擦り切れたのだという。

今は催眠暗示とやらで何とか持っているが、限界は近いと聞かされた。

 

哨戒の役割を持つ基地はここ一つではないが、多いことに越したことはない。

一度BETAが動けば―――例えだが、大規模な移動が開始されれば、この基地の人員が駆りだされる可能性は高い。

 

まかり間違えば、自分たち訓練生も動員されるかもしれない。

武はそこまで考え、首を振った。

 

「今は………考えても仕方ない。結局は、教官に言われた通りにするしかないんだ」

 

時間との勝負だけど、今は目の前の訓練に集中するしかない。

いつも、ターラー教官の言うことは正しいのだ。

今だって、そうだった。あの言葉を反芻して。その地獄に似たあの訓練を思い出した自分たちは、少しだが自信を取り戻している。

恐怖になんて負けてやらないと。

反吐を繰り返しても諦めなかった。厳しい訓練を乗り越えたから、尚更ここで何か止まってなんかいられないと、そう思う事が出来た。

 

だから、信じて。今日は眠ろうと、武は目蓋を閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

―――その日の深夜、喀什(カシュガル) にあるオリジナルハイヴからインド亜大陸方面へ。

 

 

武達が居る哨戒基地の方向へと、BETAが空前の規模で侵攻する様子が確認された。

 

 


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