Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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8話 : Human Being_

古来より今に至るまで、人間を最も多く殺した生物は何であろうか。

 

 

――――呪われた種族を呼ぶがよい。

 

 

 

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荒涼とした風が吹く平原。周囲の景色も変わってしまった、終わった村の真ん前に村人たちは並んでいた。頬がこけている。栄養が足りないと、一目見るだけで察することができる顔だった。手には鍬を、鎌を、振るえば人を傷つけられる武器を持っているが、腕は細く震えている。だけど眼光だけは輝いていた。一様にギラギラと、暗闇の中に揺れるロウソクの火のように炯々と。尋常ならざる様相をもって、目の前の敵を睨んでいた。

 

(そう、か。私たちは敵か)

 

ターラーは自覚する。この村人たちにとっては、自分たちがある意味ではBETAよりも、排除すべき敵の扱いであることを。目が。手が。息が言っている。皆が事情を聞かされたのだろう。一人の軍人が、自分たちの村の者を深く傷つけた。きっと皆から愛されるような、そんな娘だったのだろう。だからこそ許せないという気持ちは理解できる。のうのうと生きている下手人、そして事実をひた隠しにしようと画策している軍。後半に関しては誤解だが、事情を知ったとしても納得できる内容ではない。

 

(聞けば、軍は謝罪もしていないという)

 

死んだから。それで終わりだと主張しているのだという。ならば、例え真実を知ったとして納得できるはずがない。謝罪されたとしても、内容によっては揉めることはあるのに。だからこその状況だ。ターラーはようやく、今自分たちが置かれている状況を深く理解した。

 

(ちょっとしたことで十分だ。何かの拍子に、ここは戦場になる)

 

そして流れるのは赤い血のみだ。BETAの気味が悪い液体ではない、人間の血液が飛び散る事態になりかねない。それは、ターラーの横にいるラーマも理解していた。だからこそ慎重に、村人たちが集まっている方へと一歩を踏み出した。そう、二人はパールヴァティーと一緒に、戦術機から降りて生身で村人達と対峙していた。随伴という形だ。腰にはもしもの時の拳銃があるが、ラーマとターラーはこれを使う時が来れば終わりだなと思っている。

 

村人の数は50を超えていて、しかも殺気に色めきたっている。いくら自分たちが軍人で身体を鍛え上げているとして、この人数で襲い掛かられればひとたまりもない。

 

『………ターラー中尉』

 

『待て。合図があるまで絶対に動くな』

 

ターラーは戦術機に乗って待機しているアーサーに告げた。意図は簡単だ。万が一の時は、後ろに控えさせている戦術機に介入させれば自分たちは死なないであろう。だけど、それだけはやってはいけないことなのだ。倫理観は勿論ある。彼女の矜持としても、それは許されないこと。それ以上に、あるいは世界中に影響しかねないもの。

 

(――――戦術機で民を屠る衛士。これ以上ない醜聞だ)

 

かつてない汚名を被ることになって、それが士気にどういった影響を及ぼすのかを理解できないターラーではない。村人たちは、そういった事情を察していないように見える。だけど、同等の真剣さがあることをラーマは否定しなかった。気づけば距離はもうない。両者共に、手を伸ばせば触れることができる距離にまで。そんな緊張感の中で互いの代表が口を開いた。

 

 

「………私は国連軍印度洋方面総軍の第1軍。第3大隊隊長、パールヴァティー少佐だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうなりました?」

 

「どうもこうもない。どうしてなんだと言いたいぐらいだ」

 

食堂。窓の外には、激しい雨が降りしきっている。外で実習をする部隊も少なく、人が集まりやすいこの食堂に多くの部隊員達が集まって、雑音を放っている。その端で、ターラーの呆れ声が小さく響いた。対面に座っている男。出払っている間の中隊を任されていたアルフレードは、要領を得ない内容に首を傾げる。

 

「………最悪の事態は回避できたんですよね。しかし、その娘さんがよく納得したものだ」

 

「事後承諾だろう。あるいは都合の良い解釈だ」

 

「つまりは?」

 

「死人は何も語れない――――数日前に自殺していたらしい」

 

賑やかとも言える空間の中、二人の周りの空気だけが重くなった。

アルフレードが、盛大に舌を打つ。

 

「犯人が戦死、被害者も死亡………で、村人たちは何を欲しがりました?」

 

「………なに?」

 

「あったんでしょう、謝罪以上の要求が。いくらその被害者がいい娘だったとして、それだけで村人の全員が集まるはずもない。理由が必要だ…………村人が痩せていたとなれば、想像はつきますが」

 

そして、と一つおいて。

 

「死んだ以上、真偽は特に重要じゃなくなる。ただ、村人たちはそれで済ますはずもなく………泣き寝入りをするはずもない」

 

「その想像で正しい。慰謝料として食料を要求してきたよ。今までに支給していた、その倍の量をな」

 

ほぼすべてが合成食料で賄われている昨今だ。軍に余裕があるはずもなく、民間人に支給できているのは最低限生きていけるぐらいの量である。だから村人達は要求したのだ。十分に満足できるだけの量を自分たちだけでいいから、支給しろと。

 

「で、少佐殿はその要求を呑んだんですか?」

 

「………舌論の末、1.5倍に落ち着いた。こちらとしてはいつ暴動に発展するか、気が気じゃなかったが」

 

ターラーは胃のあるあたりを押さえたが、それは無理もないことだった。

 

状況でいえば、火薬庫の横で火遊びをしているに等しい。両者共に理性が厚い人柄ではないことを考えると、胃が痛いで済んで良かったとさえ言えること。

 

「プライドの高そうな少佐殿がよく首を縦に振りましたね」

 

「ともすればダッカの街に直接、村人たち総動員で情報をばら撒くとされればな。今でさえ噂が出まわってるんだ、直接的な被害者が集団で、しかも感情と涙をもって訴えれば…………その後のことなど考えたくはない」

 

士気に、街の人達の感情。籠城じみた防衛線を築いている今ならば、最も悪化させてはいけない重要なファクターなのだ。あらゆる面に波及しかねなく、また対処にも手を取られてしまう。結果、防衛線の寿命を確実に削ることになるだろう。

 

「加えて言えば、少佐殿が思っていたよりまともな人だったということか。非がこちらにある以上、多少の譲歩は仕方ないと言われてな。

 彼女自身、かなりの資産を持っている人間であり………ネパール軍と深いコネがあったのが幸いか」

 

「情報部は苦い顔をしそうですが………まさか口封じを行うわけにもいきませんよね。

少佐殿も、ねっからの馬鹿ではなかったということですか………ケートゥって奴とは違って」

 

突然、出てきた名前にターラーはうなずけなかった。

 

「先に話したアレですよ。危うく、変な事態に発展するところでした………インファンの奴はよくやってくれました」

 

「私はその場を見ていない。伝聞にしか知らないが………ひとまず、後だ。今はおいておこう。問題は別にあるからな」

 

「なんでしょうか?」

 

「お前も見ただろう………約束の証として、村人たちが差し出したものを」

 

聞いたアルフレードが、顔をしかめる。村へと赴いていたターラー達が戻って、ハンガーにまで出向いた時にまるで場違いなものが居たことを。まず、出迎えた白銀整備班長が固まった。次に、アルフレードが自分の目をこすった。

 

ターラーの両腕に抱えられた、"小さな生き物"は幻ではないかと。

 

「でも、違った。しかしまさか、あの"子"は――――」

 

「人質、というわけだ。約束を違えぬ、その担保のようなものだが」

 

ターラーはコップにあった水を、酒のようにあおった。

そして勢い良く、テーブルに叩きつける。

 

 

「7歳の幼子、しかもたった一人残った、自分の娘を差し出すとはな」

 

 

提示されたのは、話し合いの始終、被害者の母親の裾を掴んでいた少女だった。

 

ターラーの顔には、隠し切れない負の感情が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室内訓練場の中で、汗が飛び散っていた。外での演習はなし、シミュレーターもいっぱいで他の訓練も出来ない者たちが集まっているのだ。衛士に戦車兵、歩兵がランニングや筋トレなどをしている。屈強な男、または女達の走る音が密閉空間に反響する。

 

その中央に刃引きをしたナイフを構えている衛士。白銀武は、対峙しているアーサーの挙動を見ながらも、祖国の体育館を思い出していた。雨の日の体育。尤も、あの時と違って運動をする面々は老けているし、濃いものに過ぎるが。臭いも違う。隠し切れない硝煙の臭いが漂っている。

 

だから、と武は思っていた。場違いなのは自分と、観戦しているサーシャと――――もうひとり、所在なさげに横に座っている少女の方なのだと。

 

(でも身長でいえば、目の前のアーサーも)

 

小さいから、と。武が心の中で呟くか否かのタイミングで、アーサーが踏み込んだ。

 

「しっ!」

 

並でない瞬発力。アーサーは一足で距離を詰めると同時に、ナイフを武の顔めがけて突き出した。その一撃は誠実にして愚直。あらゆるフェイントを見てきた武は、考える前にそれを手にもつナイフの腹で受けた。そして、すぐにその場から飛び退る。

 

その空間を、アーサーのローキックが通りすぎる。

 

(視界を塞ぐ顔面への牽制にロー、崩したところを、ってところか)

 

アーサーがサッカー選手を目指していたことは隊の皆が知っていた。だからこその蹴りの威力も。軸足を中心に最小回転半径で鋭く繰り出される回し蹴りは、一陣の風に等しい。体重もしっかりのっているそれは、一撃で重心を大きく崩されるほど。無防備で受ければ勝負の趨勢が決まってしまうだろう。だから武は受けず、ひとまず後ろに退いたのだ。

 

そして両者の間合いが離れ、仕切りなおしになった。武は慎重に腰を落として。アーサーは爪先立ちで重心を前に。だけど、飛び込まずには痛打を与えられない間合いで、相手の呼吸を測っていた。

 

間に流れるのは張り詰められた大気。

 

それが壊されるのは、両者が動き出したのはまるで同時だった。

 

「はっ!」

 

「ふっ!」

 

呼気。ナイフの鉄の音が、火花のように咲いては散った。鉄の残響が周囲に響く。音は大きく、どちらも渾身であったと分かるぐらいに。その後の行動は対照的だ。更に踏み込むアーサーに、退く武。

人間の構造的に、走るのは前のほうが早い。必然として間合いは詰められ、アーサーの追撃のナイフが横に払われた。武はナイフで受けたが、拍子にすっぽぬけ武の手からナイフが零れ落ちる。

 

「もらっ、た!?」

 

息巻くアーサーの声が凍りつく。ナイフを払われた、死に体になったはずの武が一歩、深く踏み込んできたのだ。次に感じたのは衝撃。アーサーは腹部に衝撃を感じた。

 

「ぐ………ぁっ!」

 

呼吸に障害を感じたアーサー。だが勢いそのままに後ろに転がると、すぐさま立ち上がる。

見えたのは、落としたナイフを拾おうとしている武。

 

(させ、るか!)

 

拾われれば、状況は元に戻ってしまう。一撃は受けたが、得物のあるなしでは有る方が断然に有利。一度つかんだアドバンテージを離す道理もないと、アーサーがナイフに向けて走る武へ、駆け寄っていく。距離は同じ。しかし脚力で優れるアーサーは、武がナイフを拾う寸前にその姿をとらえて。

 

そして、アーサーは腹部に衝撃を感じた。

 

「が………っ?!」

 

先ほどよりも大きな衝撃。たまらず硬直した自分の身体に、手と足が絡まるのを感じる。そして、背中に衝撃。冷たい感触。視界の先には、天井があって。そこでアーサーは自分が引き倒されていたことを理解した。腹部に重みが――――武の体重がかけられていることも。

 

「チェックメイト」

 

武の声がする。アーサーは、ナイフを持っている腕が動かせないのを悟ると、ギブアップと言いながら武の服を叩いた。聞いた武は立ち上がり、アーサーに手を貸す。

 

「あ~、くそ!」

 

悪態をつきながらも、手を握って立ち上がる。そこに、更に不機嫌になる内容を聞かされた。

 

「これで2勝1敗………俺の勝ち越しだ」

 

「分かったってーの。俺の負けだ」

 

ジト目で応じるアーサー。武はそれを聞いて、嬉しそうに飛び跳ねた。アーサーはイラッとした。はしゃぐ武の尻を、何も言わずに軽く蹴った。ふぎゃっと痛む武に、アーサーが問いかける。

 

「最後、ありゃなんだ」

 

不機嫌に言うアーサーに、外野から野次が飛んだ。

 

「大人気ないぞ。それでも紳士の国のクソッタレかよ、チビー」

 

「負けたからって僻むなんて、ねえ。そんなんだからチビ―」

 

「罰ゲーム開始だから私も言わなきゃ………哀れなチビ―」

 

「では自分も………負けたものは粛々と立ち去るべきだと思います、チビ殿」

 

フランツ、リーサ、サーシャ、樹。4人から情け容赦のない言葉のマシンガンが打ち込まれた。

罰ゲームだとはいえ、コンプレックスをメッタ打ちにされたアーサーは、また武の方を向く。

 

「が、ぎっ………で、なんなんだ、あれはぁ」

 

額に見事な青筋を立てている大人。武はちょっと怖いなぁと感じながらも、律儀に答えた。

 

「二段仕掛けの罠、だけど。ナイフをこぼしたのも、拾いに走ったのもフェイク」

 

1つ目は油断を誘うために。

2つ目は、走りこんでくる相手の勢いを利用するのと、不意をつくために。

 

「俺の体重じゃ打撃の威力なんてしれてるから、相手の勢いを利用した」

 

カウンターで掌打を腹に叩き込んだのだ。プロテクター越しで、怪我はしない。拳も丸めていない。それでも衝撃にたじろぐぐらいの威力は出るのだ。

 

「で、崩してからタックル。ナイフを持った手は足で固めて、勝利宣言」

 

「あー………よくもまあ、そんな小細工を思いつくな」

 

「戦術だって、戦術」

 

それに、自分のはまだまだ。キャンプで自分を散々叩きのめしてくれた、シュレスタ先生の方がもっとえげつなかったと武は言った。

 

「グルカの人か。ま、それなら納得だな」

 

英国出身であるアーサーとしては、グルカ兵の精強さは知っていた。彼らが近接格闘戦に優れることも。それでも地元――――ネパール人以上には詳しくない。そして、今この場に4人。隊の3人を加え、もう一人ネパール人がいるのを思い出したアーサーは、そちらの方を見る。ひとまずと、預っていた子供――――少女。差し出された子供を見ると、その目は丸く見開かれていた。

 

「おい、マハディオ?」

 

「あー………英語は理解できないっすけど、グルカって単語は聞き取れたみたいです。な、プルティウィ?」

 

プルティウィと呼ばれた少女が頷いた。朝に切り揃えられた、茶色のおかっぱが揺れる。

そして横にいるマハディオの袖をつかむと、小さい声であれこれとたずねた。

 

『ん、なに? 武は………11歳だ、お前のよっつ上だな。グルカって………ああ、一時期教えを受けていたらしい。ああ、最後までじゃない。だからククリナイフは持ってない』

 

ネパール語でやり取りしている二人。傍目には分からないそれだが、サーシャの顔が少しづつ変化していった。基本的に彼女は無表情である。だがその顔に、別の色が灯りはじめる。

 

『ああ…………って、プルティウィ!?』

 

座って話をしていた少女は、すっと立ち上がると、そのまま武の方へと走っていく。とてとてという擬音さえも聞こえてきそうなほどに小走りで。やがて武の前で立ち止まると、その顔を見上げた。

 

「えっと………なに?」

 

じっと見つめられている武は、その眼差しに戸惑っていた。この基地に来た頃。そしてさっきまでは不安の色が見て取れたというのに、今はまるで違う。一言でいえば、期待に満ちたような。丸い目を見開いて、武の顔をじっと見上げている。しかし見つめているだけでは、物足りなかったのか。一歩前に出ると、武の服のお腹あたりをつかんだ。

そのままボス、ボス、と軽く叩く。そして少女は驚いたようにまた武の顔を見上げた。

 

「えっと………フランツ?」

 

「硬い腹筋に驚いた、というところだろう。その年頃の少女は好奇心旺盛だぞ」

 

実感のこもった声で返すフランツ。武はそんな事を聞かされてもどうすれば、と周囲に助けを求めた。言葉も分からない。ここに居る経緯すら、明確には知らされてない。一日だけ預かってくれと言われて、マハディオ達も随伴していたが、こんな事態は想定していない。

 

無言で憧れの視線を叩きつけてくる幼子。だが、そこに救世主が現れた。

金の髪も美しき少女だ。見るものが見れば、天使とさえ評するほどの。

 

だけど、その双眸は極限まで細められていた。

 

「憧憬、かな。とっても…………濃い、感情」

 

「あの、サーシャさん?」

 

ただならぬ空気を感じた武。少女に対する言葉が、敬語に変換された。二人の間にいた少女はといえば、視線を武とサーシャの間でいったりきたりさせている。高まっていく緊張感。そんな中、少女は二人を指さすと、ぽつりと一言をつぶやいた。

 

「………って、言葉分かんねーって。あの、マハディオ?」

 

「あー、なんつーか、なあ」

 

言葉に詰まったマハディオ。困った顔をする彼に、サーシャがたずねた。

 

「………何か。私たちには、聞かせられない言葉だった?」

 

「いや、そういった意味じゃない。意味じゃないんだが」

 

「なら、言えない理由はないはず」

 

じっとマハディオを見つめるサーシャ。嘘は許さないと、視線をぶつける美少女に、マハディオは不可視の重圧を感じた。やがては、観念したように両手を上げ、言った。

 

「………夫婦、って言った」

 

「は?」

 

「いや、二人は夫婦か、って言ったぜ」

 

「えっ」

 

理解したサーシャの頬が、ほのかに桃色になった。

対する武は、意味が分からないと首を傾げるだが。

 

「えっと、この年で結婚できるわけない………って、風習が違うとか?」

 

「いやいや、流石に11歳と14歳はないって」

 

呆れたようにマハディオ。その視線が二人を行き来する。照れ感ゼロの武と、予想外のことに戸惑っているのだろうサーシャ。後ろでヒソヒソ話が聞こえる。しているのは、リーサ他の愉快なことが大好き班だ。子供じみた感性を持っているアーサーとリーサ。人をからかうことが好きな、フランツとビルヴァールである。

 

4人は4人で、ヒソヒソとまるで井戸端会議をしているかの如く、それでいてサーシャに聞こえるだけの声量で話していた。

 

(やだ、あの二人ったらもうそこまで………いいぞもっとやれ)

 

(これは応援しなければ。11歳の紳士がいてもいいと思う。愛と紳士に国の境なし………決して、さっきの模擬戦の仕返しとかそういうんじゃないからな)

 

(大したドンファンだ。機動も速けりゃ手も早いってことか………アッチの技術の方でも俺たちを驚かしてくれるとは)

 

(ええ、まるでびっくり箱のようだ。近頃、サーシャ様の胸が大きくなっているのは………もしかして)

 

話を聞こえていたというか聞かされたサーシャの顔が真っ赤になった。

俯いて肩を震わせているその仕草に、通りすがりの男性衛士が恋をしていたが、それは別のお話。

 

そして、同じくそういった耐性が無い樹の顔も真っ赤になった。羞恥と、また別の感情に。

顔を真っ赤にして口を押さえるその仕草に、これまた通りすがりの男性衛士が恋をしていたが、それはまた別のお話。

 

ちなみに武は意味が分からないと首をかしげていた。それを見たラムナーヤが天井を仰いで涙し、訛りの酷い英語でつぶやいた。

 

日本語で表せば、こうだ――――「どんだけ鈍いんや、こいつ」。

 

そうして、緩くなった空間に客がおとずれた。傲岸不遜な声。店とすれば傲慢な客だろうそれは、昨日に武へと話しかけた人物と同じだった。

 

「………お前ら、ここは訓練場だぞ。何を遊んでいる!」

 

一括。大声が室内に響き、中にいる他の部隊の者たちが注視する。

 

「真剣にやれ。そんな弛んだ空気でBETA共を駆逐できると思っているのか!」

 

ダン、と足を踏み鳴らした。力強いそれが、訓練場の床を揺らした。それは、床に立っていた少女の感情も同じだった。耐えようとはしたのだろう。だけど少女は、顔を歪ませたまま、その顔を平常に戻せなく。

 

「ちょっ」

 

焦ったマハディオが止めるが、遅い。少女は少女だからして、少女のように当たり前に泣いた。子供のままに、室内を埋め尽くす勢いで泣き続ける。甲高い声が周囲に響き渡る。周囲にいる軍人の顔が、うるさいといった風に変わっていった。

 

「貴様………この子供はなんだ!」

 

「あんたん所の隊長殿の命令だ! だから預かったんだよ! ああ、もう!」

 

このままじゃいられないと、マハディオが少女を抱えて外へと出ていく。

遠ざかっていく泣き声が、ドップラー効果で低くなっていく。

やがて完全に途絶えると、残された男――――ケートゥとその取り巻きは、また言葉を再開させる。

 

「どういう事だ………パールヴァティー少佐が、だと?」

 

「ああ………ここじゃまずい、移動してから話す」

 

 

聞かせられないと、中隊とケートゥ達は訓練場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「情報部には預けられない。少佐殿がそう提言したんだ」

 

「ならば、なぜ自分たちの所へは………」

 

事情を聞いたケートゥが考えこむが、代表として対峙していたリーサが一笑に付す。

 

「中尉殿………うちの中隊には誰と誰がいます?」

 

「………ふん、子供の扱いには慣れたもの、ということか」

 

適任だな、というケートゥ。その顔には隠し切れない侮蔑の色が浮かんでいた。

リーサは一瞬だけ言葉に詰まるが、深呼吸をした後に、感情を平静に戻した。

 

「お褒めに預かり光栄です、中尉殿。しかし中尉殿は詳細を聞かされてはいないので?」

 

「"Need to know"だ。必要ならば、話されるだろう。しかし、なぜあの子供を訓練場へ連れていった?」

 

「一人にすると泣くもので。それに、ネパール人と一緒にいさせろと命令をしたのは少佐殿です。訓練をサボるわけにもいかないので、連れて行きました」

 

加えて言えば、少年少女の訓練生など、今の時分となってはどこにでもいる。隊内で少しふざけるのも、別におかしいことではない。それでも、クラッカー中隊は少しはっちゃけてはいるが。

 

「………ふん、では俺が悪いということか?」

 

「いえいえ、そんな事は。自分たちも、弛んだ空気で訓練をしていたことは認めます」

 

勝利をして勲功を立てた、その油断があったかもしれない。

素直にそれを認めると、リーサは最後に敬礼をした。

 

「以後、気をつけます。それでは、私達はこれにて」

 

言い残すと、その場を去っていく中隊。後ろから何かが聞こえたが、すべて無視してマハディオとの合流をしようと訓練場の方へと歩いて行く。

 

 

 

 

 

「リーサ」

 

武が声をかけるが、リーサは面倒くさそうに頭をかいた。

 

「認めたことか? ………本当のことだ。ま、納得できない点もあるけど、あの場でこれ以上は言うべきことじゃない。時間のムダだしな」

 

「………無駄?」

 

「あのタイプの男はな。上位からの忠言しか受け入れないんだよ。前にいた部隊の大隊長が、ちょうどあんなタイプだったから分かる」

 

プライドが高く、自分の能力に自信を持っている。貸す耳などなく、心地よい言葉のみを受け入れる男。それ以外は忠言であっても右から左に通りぬけ、聞いた事実すらなかった事にする。

 

「それでも………柔らかい空気で、あの子をリラックスさせようってのは?」

 

「平常運転を少し緩めただけだからなあ。言葉に説得力があったのかは疑問だぜ」

 

アーサーの言葉に、皆はどことなく納得した。それに、ケートゥ、パールヴァティー少佐がいる隊の規律は厳しいと聞いている。まるで軍人の鑑のように、厳しく自己を律している第1中隊。良家のものが集まっているからか、士気も高いらしい。

 

「で、歩み寄りなんて考えられない性質だ。まともに相手するだけ無駄だって、向こうの方も思ってるんじゃないのか?」

 

「……そう、なんだ」

 

話しあえば分かる。誰が相手とはいえ、真剣に話しあえば分かってくれると思っていた武にとって、その言葉はちょっとしたカルチャーショックものだ。ナグプールに駐屯していた兵でさえ、そうだった。子供だからと、見るなりに怪しんでいた衛士も、亜大陸防衛戦の最後には理解しあえたと思っていた。

 

「色々な奴らがいるさ。どっちがはっきりと間違っているって訳でもない。明確な基準でいえば………そうだな。軍人でいえば任務の成否か」

 

感情の論議は必要ない。常道でない方法でも、結果を得られればそれが常道になる。

逆に常道を通ったとしても、任務を達成できなければ意味がない。

 

「やり方も人それぞれ。とやかくいう権利はないさ」

 

人の好きずきはあるけどねと、そう言い放つリーサ。

だけど武は、それでも完全には肯けないでいた。

 

 

 

そうして歩いて間もなく、一行は待っていたマハディオを見つけた。だけど、見かけるなり話しかけることはしなかった。その顔が、困惑の色に染まっていたからだ。

 

普通の様子ではないそれに、まずリーサが声をかけた。

 

「どうした?」

 

「いえ………不可解な点がありまして」

 

移動してから話しましょうと提案するマハディオ。その尋常でない様子に、リーサ達は頷いた。

そして情報を整えているターラーとアルフレード、報告に行っているラーマとインファンと合流することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13人が集まったブリーフィングルーム。その中で、マハディオはプルティウィから聞き出した内容を隊に伝えていた。

 

「………では、プルティウィの両親は?」

 

「既に死んでいると………その、被害者の母親は自分の娘だと言っていたんですよね?」

 

「ああ。夫は死に、長女は死に、残されたのはこの子だけ、と」

 

だけど、実子である証拠はない。

 

「だから差し出したのか………他には何も言っていなかったか?」

 

「ええ。ただ、その被害者の娘が自殺したのは本当のようです。村に帰ってきた理由も。だとすれば、死んだ衛士の凶行に嘘はないでしょう」

 

マハディオの言葉に、ラーマとターラーが頷く。武とサーシャは事情をよく聞かされていないので理解はしていなかったが、それでも何か胸糞が悪いことが起こったのだと感じていた。

 

「そしてもう一つ。その、サーシャと武の事を話して、気を落ち着かせていた時のことなんですが、気になることを言っていまして」

 

言うなり、視線をサーシャに向ける。

 

「被害者の母親が村に戻ってきた時のことですが………別の者が一緒にいたと。綺麗な銀色の髪をした少女と、大人の。白人の二人組が」

 

「………っ!?」

 

サーシャが立ち上がった。その顔が、みるみる内に蒼白になっていく。

 

「おい、どうしたんだサーシャ?」

 

「………い、え。何も、ないです」

 

明らかに嘘だ。だけど追求する者が出る前に、ラーマが話を再開させた。

 

「一緒に村に、か。いつまで滞在していたと?」

 

「娘が自殺する、その前日まで。あとは………その二人組が、自殺する前の日の夜に被害者の娘と会っていたらしいです」

 

「そのタイミングで、か。どう考えても怪しいな」

 

明確な証拠はどこにもない。だけど、きな臭さを感じずにはいられない内容だ。

 

「あとは、その二人組が村人たちへ入れ知恵した可能性がある」

 

例えば、交渉の方法など。最初に大きな条件を提案しておいて、譲歩しつつも頷かせるもの。交渉のテクニックとして知られるものだ。軍側が手出しできない理由さえも、聞かされていた可能性がある。軍とBETA、両方の事情を少しでもかじっている者ならば容易に想像できるものだからだ。

 

「そもそも交渉をしようなどと、な。ビルヴァール、ネパール人のお前の意見を聞きたい。村人達のとった行動だが、どう思う?」

 

「普通の一般人の立場から言って、ですか? ………感情は抜きにして、有り得ませんよ。

軍と交渉をしようなどとは思いつきません。はっきりとした勝算でもなければ」

 

命は惜しい。横暴があったとしても、力に抑えつけられればそれまで。下手をしなくても殺される、その可能性があるならば。

 

「逆らいませんよ。そもそもの前提がおかしいんだ。力を行使できないなんて、そんな村の者が思いつくのはありえません。可哀想な娘がいたとして…………我慢するか見放すか、それまでです。世知辛いし許せないことですが、それが当たり前です。理不尽はどこにでもありますよ。一昔前の軍部の横暴は、もっと酷かった」

 

思い出すように語る。その声には怒りが滲んでいる。

 

「それでも、反抗に協力するなんて有り得ない。巻き添えになるなんてごめんだと、離れていくのが普通の一般人の対応です」

 

「………そうか。ならばなおのことだ。これは少佐殿へと知らせておく必要があるな」

 

難民の待遇を快く思わない者たちがいるのは、ラーマもターラーも知っていた。亜大陸にいた頃にもあった問題である。それよりも数段酷くなっているこのバングラデシュ近郊、何が起きてもおかしくはないと。

 

「プルティウィは?」

 

「今は部屋に寝かせています。整備班の一人を借りましたが………」

 

「抜けた穴をフォローしてもらおう。整備班には苦労をかけるが、仕方ない」

 

「情報部には?」

 

「………一つの懸念事項があるんでな。報告はせざるをえん。だが、無いとは思うが、もし私の想像が当たっているのなら………あの子を情報部に預けることはできない」

 

剣呑な表情。威圧感に呑まれたマハディオも、他の皆も一様に頷いた。

 

「相手も、表立っての無茶はすまい。あからさまなそれは、余計な障害物になりかねん………少佐殿にも、話はつけておく」

 

以上、と。解散の言葉を告げるターラーに、誰もそれ以上の質問をすることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残った二人。気も心も知れあった二人だからこそ、気づいていることがあった。

 

気付きたくないことに、互いに気づいてしまったことが。

 

「この一件、どう思う」

 

「………人類の敵がBETAであることは、疑いようのないことです。それでも――」

 

ターラーは目を閉じて、告げた。

 

「人間の敵は、人間」

 

 

そういうことでしょう。

 

忌々しげに呟くターラーに、ラーマは頷きを返すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダッカの街のとあるホテル。その中で、くしゃみをする者がいた。

 

「………セルゲイ軍曹」

 

「ああ、風邪じゃない。それよりも名前で呼ぶなといったはずだ………気をつけろ"R-36"」

 

番号で呼ばれ、冷たい目で見据えられた少女。銀色も美しい髪、しかしその表情は硬いままだった。

 

「申し訳ございません、ドクター」

 

「それでいい。偽装は大事だからな、"リーシャ"?」

 

名前を呼ばれた少女。しかし先ほどとは違い、すぐには反応しなかった。しばらくして、自分のことだと気づいた少女が、頷きを返した。

 

「了解です」

 

「いい子だ。ともあれ、実験は成功したらしい………本番に間に合う準備はできたということだ」

 

眼鏡をクイと上げて。セルゲイは、北の方角に向けて口を開いた。

 

 

「"祖国は我らのために"………戻れた時に、捧げられそうです」

 

 

人知れず告げられた誓いであっても、聞かなければいけない人間の耳をすりぬけて。

 

暗雲渦巻く、空の彼方へと消え果てるだけだった。

 

 


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