Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

25 / 275
c話 : Displacement Vector_

1994年の、9月。日本では夏から秋に移り変わろうとする季節の中、世界の情勢もまた変化をみせていた。まず、インド亜大陸全てがBETAの支配域となった。余す所なく、侵略されてしまったのだ。BETAはその後、本格的な東進を開始する。バングラデシュ方面で防衛戦線が張られるも、中国戦線は泥沼の様相を呈していった。いくつもの国が亡くなり、軍は国連の指揮下におかれていく。一方、日本でも違う動きがあった。帝国議会にて、徴兵対象の年齡が引き下げられたのだ。この改正兵役法により、それまでは後方任務に限定した学徒志願兵を、前線に動員できることになった。

 

帝国議会は、対BETA戦線が当初推定のものより、更に長期化すると判断したのだ。習わすよりも、慣れを。学生とて、急いで鉄火場にて鍛えあげなければ、いつかは人員不足になり、長びく戦争を乗りきれないと考えたのである。戦後しばらくして、復活した学徒動員。時代はまた激動の渦へと飲み込まれていく。

 

アンダマン諸島、国連軍基地。そこに駐留するクラッカー中隊における突撃前衛、クラッカー12を務める白銀武も、その一人であった。若すぎるほどに歳若くして、戦火をくぐり抜けた衛士だ。ある意味で時代を先取りしている日本人だと言えるかもしれない彼は今日も、食堂でグロッキー状態になっていた。合成食料をかきこむように食べ、終われば机に突っ伏している。他の隊員達は一人を除いていない。レポートをすでに提出していた彼らは、基地内の部屋で食後の勉強会を行なっている最中だ。隊内における訓練の中で発見した互いの改善点など、反省点となる意見の出し合いをしている。

これに関してはターラーの指示ではない、フランツを筆頭に自発的に開かれているもの。取り組む姿勢もあってか、その効果は目に見えて現れていた。

 

「二ヶ月、かあ。早いのか遅いのか」

 

「私には早かったよ。成果が如実に現れているから余計に」

 

武のつぶやきに、インファンが反応をする。レポートをまだ提出できていない二名である。彼女は、クラッカー中隊のCP将校だ。サインネームはクラッカー・マム。名前はホアン・インファンで、一応は中国国籍である。そんな彼女の言葉だが、間違ってはいない。事実、隊の成長は並ではなかった。訓練開始当初では全滅を繰り返していた想定訓練も、二ヶ月が経過した今ではクリアできるようになっている所からも、その片鱗が伺える。とはいっても、20回に一度程度は半壊の状態になっているので、楽々というわけではないが。

 

「それで訓練の内容がゆるくなると思ったんだけどねー」

 

「いや、どれだけ成果を出したとしても、あのターラー教官が訓練を緩めるわけないじゃないか」

 

「………その、"ばかじゃないの"的な顔で見るのはやめてくれないかなー、少年?」

 

言われた武は、それでもその顔をやめない。慢心は死に通じると知っているターラーが、そんなことをするはずがないと知っているからだ。そのとおりで、彼女を筆頭にクラッカー中隊は今でも様々な能力を伸ばそうと模索している最中でもある。主には、各々の長所に隠れた欠点の改善を。長所という武器の死角を埋め、最低でも生還するということを目標に鍛えている。反して、武だけは基本的な訓練を課せられていた。戦術機の操縦技量は言わずもがなだが、それ以外にも近接格闘戦や中距離射撃のコツを掴むためにと、生身でも厳しい訓練を課せられていた。

 

日がな一日、戦いの技量を上げるためにか、足りない知識を学ばされている。

直接生死に関わることなので気を抜く暇も、遊ぶ時間もなかった。

 

「ま、それは私達も一緒だけどねー。ほんと、到達点が見えない訓練は厳しすぎるわー」

 

特に学ぶことが多いCP将校としては、愚痴らざるを得ない。対する武は苦笑いである。だが、仕方ないとも言えよう。インファンが衛士として実戦に立った回数は2回だけで、CP将校としての実績は皆無なのだ。ゆえに、半ば新人に近い状態である彼女は、技量の穴が多い武と同じか、ある意味で武よりも厳しい訓練を課せられていた。主に状況判断力と、戦況から打開策を見出す能力、頭の瞬発力を鍛えられていた。レーダーで全体の戦況を把握できる彼女にしか出来ない仕事である。

 

だがそれだけにプレッシャーは大きく、また経験が少ないということもあって、何度もミスをしていた。そしてミスれば、レポート提出が待っている。今の彼女の手元にあるのがそれだ。インファンは昨日に自分が起こしたミスを思い返し、また愚痴をこぼす。

 

「自分が悪いって、わかってるけどね。それでも、話に聞いた大学のレポートみたいなのを、しかもこれだけの量を書かされるなんてさ。ほんと、思ってもみなかったよ」

 

「う~ん、大学とかそのあたりは知らないけど。でも、このレポートが書くのは精神的に厳しいってのは分かるかも。あんまり考え無しな………教官いわく"阿保の証明"的な答えを書くと、こんこんと怒られた後に両手で拳骨だしね」

 

あれは痛いよなー、という武の言葉に、インファンは無言で何度も頷いた。彼女も、一度だけだが経験したことがあるからだ。嘘をつくことが得意な彼女をして、混じりっけなしの、本気の同意を見せていた。

 

「いや、ほんとに冗談じゃないって思ったわね。雷が落ちたかと思ったわよ。一回やって懲りたわ。ばかみたいに痛いし、それも後に引くし」

 

「仕方ないよ。身体で覚えろが教官の信条だし」

 

「限度があるってのよ。それでも理屈自体は間違ってないのが歯がゆいわね」

 

インファンはその時の痛みを思い出し、頭をさすった。

 

「まあ、それでも不満言ったってはじまりやしないか」

 

「下手に考えるのも危険だぜ。前にちょっと、ミスを意識して縮こまった機動を取った時は、ミスした後よりも怒られたし」

 

「………うん、頑張るしかないってことね。二重の意味で頭が痛いけど」

 

過去と未来の痛みを幻視し、インファンは落ち込んだ。変に臆病になるのはダメなのは分かるけど、と。

 

「それでも、やりがいはあるわね」

 

「前の部隊とは違う?」

 

「あそこに戻るくらいなら、肥溜めダイビングに挑戦した方がマシ………いや、同等?」

 

真顔で答えるインファンに、武は若干ひいた。

 

「えっと、前の部隊か………」

 

武は聞いた噂を思い出す。なんでも、金や権力を持っているお家柄の跡継ぎだとか。箔をつけるために、衛士にしたのだとか。だけど前線には配属させず、数年で軍を辞めさせるのだとか。

 

「何がしたいのかなぁ。俺にはよく分からない」

 

「ま、分かんない方がいいわよ」

 

インファンは苦笑したまま、それ以上の事を言わなくなった。少し目の前の少年に眩しさを感じて。

 

「子供のタケルも、遊ぶ間もなく訓練に励んでるってのにねえ」

 

「そうだけど………でも、戦術機を操縦するのが嫌だってこともないよ? ある意味で遊びかも。退屈しないし、なんだかんだいって操縦が上手くなるってのも楽しいし」

 

「………流石の稀代の突撃前衛さまは言うことが違うねー。でもターラー中尉に聞かれたら怒られそうかも。よりにもよって衛士の責務を"遊び"とは何事かー、って」

 

「ははは、何いってんの。吐きまくったあげく胃液も尽きるようになるまで続ける遊びなんか…………無いって…………」

 

「ははははは、そうだね………」

 

乾いた笑い。そして遠い目をする二人であった。

顔には、諦観と疲労の色が浮かび上がっている。

 

「「はあ………」」

 

ため息は同時だった。昼からの訓練の内容を思い出したからだ。その苛烈さは言うまでもなく。特に成長期である二人に対しては、特にきつい内容が課されているのだから、仕方ないと言えよう。

 

「管制も指示も、そこそこやれるようにはなったんだけどね………」

 

インファンの方は、管制のイロハや、仮想実戦における対処の方法などを反復で叩きこまれている最中だ。インド亜大陸で起きた防衛戦と、撤退戦。中隊が経験したそれを、インファンに管制させ、被害ゼロになるように切り抜けさせる。失敗をすればレポートだ。それも漠然としたものではなく、失敗に至った経緯や理由を事細かく書かされるため、プライドが高い者にはきつい作業である。

 

インファンはプライドは高い。怪我をして衛士としては活動できなくなったが、それでも撃破されたのは彼女が17の頃。歳若くして衛士になるもののうち、自分に厳しい、そしてプライドが高いものの占める割合は90%だ。

そしてインファンのプライドの高さは、その90%の中の、更に上位でもある。武以外の中隊の面々は、それを悟っていた。怪我に腐らないまま、2年で管制を務めるまでに至ったことから、察したのだ。かくしてホアン・インファンはクラッカー中隊の皆から、認められつつある。すでに認めている者が、一人だけいるが。それは今、彼女の目の前で唸っている少年であった。あまり人を疑うことができない武は、すぐに人を信じるきらいがある。

 

(銃後の世界なら美徳。だけど軍隊において、それは欠点だよ)

 

人を信じられる事はいいことだが、根拠のない信頼は厄を呼ぶ。無能なものは無能だと扱うべきなのだ。下手な信頼と優しさは、軍内部において対人の地雷となりかねない。無能な指揮官が最たるものである。爆発すれば、自分を、あるいは味方を危地に陥れることになりかねない。

 

(サーシャちゃんやターラー中尉も苦労するよ)

 

武をフォローしている二人の顔を思い浮かべる。人の感情の機微に敏いサーシャと、いわずもがなのターラー。その二人が出張っているため、武の周囲では今の所問題が出ていない。憲兵が出るようになる事態まで発展していない。

 

(まあ、良い部分もあるんだけどね)

 

利点もある。成長を望む人間にとって、素直さや謙虚な部分は武器となるからだ。素直な人間は、他人の忠告を受け入れ、飲み込み、自分の成長の種とする。武が現在受けている訓練を考えれば、それが分かるだろう。その内容は、実にバリエーションに富んでいた。

 

彼が主に鍛えるべきだと指摘されているのは、攻撃力であった。そして戦術機における攻撃とは、銃と長刀を使うもの。武は最初は、技能が低めである射撃の精度を上げる訓練をすることにした。だけどターラーはレポートその他の処理に忙しくて、個人で練習を見てもらえる状況にない。そこで武は、フランツとアーサーに申し出た。最初は喧嘩をして、少しだけだがわだかまりのあった二人に対して、素直に教えを乞うた。二人は困惑したが、すぐに了承した。突撃前衛の攻撃力増加が自分たちの生還率の上昇に繋がるのもあったからだ。

 

(まあ、そのあとの訓練の内容は…………可哀想になったなー)

 

二人は徹底していた。戦術機の時間だけでは足りないと、搭乗時間外まで鍛えるぜー、と燃えていた。コックピットの中と外、その両方で射撃の勘を磨くべきだと武に告げたのである。方針は熱血一貫。武をして涙目になるぐらい、きつい内容だった。元は夢見るサッカー少年であったアーサーが特打ちだと言い出し、割りと訓練好きであるフランツが皮肉を挟みながらも同意したのが運の尽きである。

 

――――イギリスとフランス。お国柄と、そして異なりすぎる精神性や気性。様々な要素が絡んでいる二人の意見が合致することは少ない。だからこそ、意見が欠片でも合わさってしまった時には、限度という概念が壊れるぐらいに暴走するのだ。

 

簡単に言えば"10時間耐久・BETA七面鳥撃ちパーティ"。それを笑顔で薦められた武こそが災難であるが、同情するような者はクラッカー中隊にはいなかった。

 

それでも、食事時に「へへへ………」と笑いながらフォークを構える武には、何人かが憐れみを覚えたというが。

 

(樹も、そのあたりが気に入ったのかもね)

 

武の、長刀における師となった紫藤樹を思い出す。女顔だが、技量は高い。女顔だが。

 

(………先週の中頃かぁ。あれは、どっちも災難だったね)

 

悲劇といってもいいだろう。よその部隊の副隊長。ゲイの気が全くない、女好きで知られる某中尉に告白されたとか。結末は推して知るべし。刀があれば斬っていた、とは紫藤樹の本気の一言である。

 

ともあれ、武は近接格闘戦における長刀の扱いを彼に学んでいる。こちらも同じだ。武はアーサーやフランツと同じで、長刀の扱いに長けている樹から剣術を習おうとしたのだ。最初は、樹も武の提案に戸惑った。迂遠だが、断りもした。だけどそれは、感情からくるものではない。彼は己が身につけた剣術を元に長刀を扱っているのであって、それを知らない人間にどう教えればいいのか分からない。また、生兵法は大怪我のもとでもあるので、短期間の付け焼刃は逆効果になりかねないと考えてもいた。故に二人は話し合った。武も、一度断られたからといって素直に引き下がらなかった。求めるべき点、そして技量を伸ばすために必要なプロセスを見極めるべく、頻繁に意見を交換しあった。どれぐらいの頻度かといえば、ちょっと嫉妬したサーシャが武の腕に絡みつくぐらい。

 

――――もちろん色っぽい意味ではなく、文字通りの関節技だが。

 

(それでも、嫉妬するサーシャちゃんは可愛かったけど)

 

インファンは笑ってしまった。武と樹が熱心に会話をしていて。その光景を見ながら、無言で膨れているサーシャの姿を思い出してしまって。そうした悲劇もあって、武の肘と手首、肩関節の痛みという犠牲、それを経てようやくに、剣術鍛錬方向の意見はまとめられた。

内容が整理された。武としても、一から流派を修めよということは考えてはいない。目的はあくまで、戦術機の近接格闘戦における長刀や短刀の扱い方の向上、ここにある。その目的を達成する近道は。樹は、その目的を達するためにどう鍛錬したらいいのかを考えた。

 

しかし、答えは出てこない。紫藤樹は、剣術を使える。だけど、白銀武は使えない。剣を握ったことはあるが、それを使いこなすための鍛錬を受けてはいない。両者には隔たりがあり、樹としては剣術を理解できない者の気持ちが、理解できない。譜代武家である紫藤家において、剣術は近しいものである。事実、幼少の頃から剣腕を鍛えるという目的は、生活の一部にもなっていた。だからこそ、悩み続けた。大げさに考える悪癖も手伝ってか、樹はかなり深くまで悩んだ。真面目な気質でもあるから、最善の答えを探そうとした。

 

寝不足になったせいか、いくつもの迷言が生まれたのはここだけの話。"斬られれば剣の気持ちがわかるかも"と口に出して、"それはねーよ"と前衛4人組にハモられた時もあった。サーシャに心底アホな奴を見る目でみられていて、樹が地味にショックを受けていたのは余談である。それだけ悩んでも、樹の中では答えが出てこない。だから樹は、取り敢えず素振りをしろと告げた。木剣でも木刀でもいい、取り敢えず正しい型を教えるから、毎日五百回は振り続けろと。一見、何の解決にもなってないような返答。だけど、これには考えがある。

 

樹は、小難しい理屈を並べることよりも、剣というものを知るのが先だと考えたのだ。理屈ではない、身体に叩きこむ。いわば軍隊式の、習うより慣れろというものだ。まずは剣というものがどういった特性をもつか、振りながら考えろと言ったのである。武はその返答に対して、少し疑問を抱いた。やや派手さに欠ける、地道な訓練をすることもあった。しかし、悩んだ末、目の下にクマができるぐらいに悩んだ末の回答なので、きっと正しいと信じた。そうして、今日も武は木刀を振り続けている。効果はすぐには現れていない。戦術機における長刀の扱いも、明確に上達してはいないのだ。

 

樹は、今はこれで良いと思っている。剣に近道なし。積み重ねていけば、いつかきっと花開くと判断しているためだ。事実、武の剣の才は低くなく、日毎に剣筋は鋭くなってきている。

 

武はその合間に、また別のことも学んでいた。リーサからはポジション取りのコツと有用性を、アルフからは戦況の見極め方を。それぞれが得意とする技能の、コツだけだが聞いて回っていた。明日は今日より、少しでも強く。そんな武の姿を見た隊員の意識も変わっていった。レポートをつける習慣、そして他人を素直に見習い、自分の力とする。地道な作業の積み重ね。それでも――――子供がするとなると、インパクトが違う。そうした子供の懸命な姿を見せられた中隊の意識は緩やかに変化していった。

 

他人の長所に習い、欠点を指摘して直させる。それは当たり前のことだ。整備兵でいえば、基礎の知識を手に、先輩に習って、実践をすることで自分のものとする。それの繰り返しだ。だが、衛士の機動に関しては歴史も浅いし、唯一の正解というものもない。才能や体格、気性や反射神経といったものを元に組み立てていく必要があるので、何が最善かというのも一概にいえない。個人差が大きすぎるのだ。プライドが高いこともあって、俺が一番、私が一番となりやすい。自信があるからこそ、自己が最優と思いこんでしまうのだ。

 

今のクラッカー中隊は、衛士によくある思い込み、少し歪みがちな意識が変わっていた。特に技量に対する取り組み方が、改善されていたのだ。それは成長にも現れていて、実感をしている者などは、より良い方向へ進んでいると感じていた。

 

ただ、一人を除いて。

 

(成長はした。技量も上がっている。意識だって、十分だ――――でも、根本からは変わっていない)

 

インファンは足りないと考えていた。ターラーとも違う、完全に俯瞰の視点から観察できる彼女だけが、理解していた。機動や意識に関して、確かに良くはなっているだろう。だけど、根元からの変革には至っていないと。隊員の内にはまだ"我"が占める割合が多く、それゆえに成長も中途半端なものになっている。

 

(成長はしている。だけど………飲み込んでるけど、噛み砕いてないってとこかな? 極限状態で、それがどうでるか………)

 

成長はしているが、揺るがない骨組みには至っていない。才能ゆえか、隊員の成長速度は並ではないが、それでも引っかかるものをインファンは感じていた。ターラー中尉の意図した所から外れているのではないか、とも。

 

(ターラー中尉………ただ上に成長するだけじゃ、ダメなんでしょ?)

 

成長するだけでは意味が無い。BETAと味方の意表をつくような成長を。はるか斜め上に成長しなければ、また撤退戦を繰り返すことになる。ターラーが考えているのはそういうことで、それを回避すべく動いているのだと、インファンは分かっていた。

 

目の前の少年に書かせているものを考えれば、推測できるからだ。白銀武という特殊な衛士だけが持ちうる機動概念。ターラー中尉は、それを元にして多種多様な機動モデルを描いていた。

 

そして――――"白銀武にそれを見せて、感想を求めている"のだ。

 

それは、今の機動レポートの作成の一助というどころではなかった。

その方針の大半に組み込まれているはずだと、いくらか思い当たる部分があった。

 

(例えば、昨日のシミュレーター訓練の………アーサー少尉が見せた、緊急時の空中挙動制御。あんなの、考えられない)

 

自分の経験が足りないからかもしれないが、それでも常識から外れていると感じていた。そして昨日のあの機動と、白銀の機動は同じもので――――他の部隊では絶対に"見られない"ものだと考えている。しかも、見る限りは有用に過ぎる。撃破必至の状況で生還したアーサー機の姿を思い出し、インファンはなにか心の奥に震えるものを感じた。戦場を変えられるかもしれない、と。そしてターラー中尉が、それを広めるべきだと考えているのだとも。

 

(そうでしょ、中尉?)

 

そうした新しい機動概念を隊員の奥底に埋め込みつつ、隊員同士の相互補助意識を強める。

能力的、意識的にも"死角"を消す。

 

(だけど言葉だけでは無理。まずは発言力を、そのために実績を得る。その役割までも見えているけど)

 

信頼を得るために。有用だと思ってもらうために。頭の固い上層部に働きかけず、戦場で見せようというのだ。訓練の内容から、インファンはいくらかの推測はできていた。

 

だが――――それでも、とインファンは目を覆う。

 

(………足りない。今のままじゃ、それは無理だよ中尉)

 

隊内の意識はまとまっている。顔合わせは上々で、その後の訓練も良い感じに仕上がっている。結束の意識も高い。亜大陸戦線を経験した者、それ以外の隊員も士気が高く、軍人としての"高い意識"が保てている。

 

だけど、これでは無理なのだ。上手いだけでは無理なのだ。

 

(だって隊内の空気が"柔らかすぎる")

 

仲が良い、というのはいいことだろう。それを否定することはできない。だけど、このままでは中隊は、戦場を変えられないまま終わる。根底にある意識が、そこまで達していないからだ。

 

(あの地獄を変えようっていうのなら。まずは地獄を支配できる"モノ"になるしかないじゃない)

 

今この時でさえ。前線で戦っている将兵がいる。誰だって、命をかけて頑張っている。10年も続いた防衛戦の中、今のクラッカー中隊のような練度を持った部隊は幾度も現れているだろう。自分たちが特別であるなんて、ターラー中尉も思ってはいないだろう。短期間でその域に至れるなんて、そんな傲慢を持つはずがない。

 

だから、終わる。結末は同じ。東南アジアは支配され、BETAの牙は東の果てまで辿り着く。

 

(それを防ぐか、ある意味での"英雄"になろうというのならば………今以上に死に物狂いになるべきだ)

 

客観的に考えた上での結論である。道理を考えた上での答えであった。戦場を変えるというのならば、疑いのない信頼を得られるような。信念の元にブレない、信頼出来る道筋であると思わせられるような存在にならなければ。それだけのものを得るためには、BETAを喰らわなければならない。理不尽な戦況を覆す、英雄になるのが最低限の条件だ。だけど、尊敬される人柄を保つべきでもある。

 

彼女は理想を描いた。戦場における英雄の理想を。それは、一種の狂人の発想である。人を保ちながらも、狂うという―――――ある意味での常軌を逸したもの。人である意識を変えず、根底を変革するのだ。そうしなくては、あのBETAどもを打破することなど空想に終わる。

 

(信頼をえられずして、これ以上の進展はない。このままじゃ、そうなる。想定している練度には至れずBETAに飲まれて、全部が空に散ってしまう)

 

考えられる結末は、具体的には四種類ぐらいしかない。レーザーを受けて蒸発するか、要撃級や突撃級に叩き潰されてミンチになるか。要塞級の酸で原型留めず溶かされるか、戦車級に頭を引っこ抜かれるか。敵前逃亡をするような部隊ではないから、そんな風な――――骨も肉も残らない、敗残の部隊の一つとして葬られるだろう。

 

(否、だよ………そんな結末は、認めない)

 

それを、インファンは認めない。彼女の過去が許さない。求められた役割が許してくれない。彼女が求められているのは管制だけではない。隊員の動きを見て、必要だと思うのであれば指摘をすること。改善点を見出し、それを解決すること。

 

(誰にでも分かる弾丸にならなければ。そうであるなら、クラッカー中隊が進むべき道筋は―――――)

 

そんな誰も成し遂げたことのない、一種の奇跡を成し遂げるためには。極大の信頼を得るには。誰もが見える、戦場に漂う悲劇を払う弾丸のように。

 

(そのために――――前のみに向かうベクトルを、限界まで伸ばす)

 

至るべき空は、天高く。求道者じみた精神力を持たなければ、到底辿りつけない。だとしても、彼女はどうすればいいのか分からない。口先だけでは無理だ。口先だけで意見を変える人物ならば、そも信頼もできない。戦場では、己の意志を貫徹できる人材こそが必要なのだ。そうであるからこそ、心を変え難いのだが。

 

誰しもが大人だ。20年以上も生きていた己を、言葉ひとつで変えようとは思わないだろう。根元から頂上まで、経験を飲み込んで、成長して、ここまで戦い抜いたのだ。自分だって、口先だけの

 

(でも………何か、切っ掛けがなければ。このままじゃ、いずれ)

 

彼女も、その先は改めて言いたくはない。変わる切っ掛けがなければ、この隊がどうなるかなんて。今でさえ、多大な時間を与えられているのだ。間違いなく、上の誰かの意志が介在している。その人か、ターラー中尉か、どちらが提案したのかは不明だが、このままではいられない。

 

(―――進めば破滅、変わらなければ崩壊、か。まるで過去の自分だ)

 

無様の極みであった自分を思い出す。意固地になっていた自分。図に乗っていた自分。

そして、思い出した。あの時の自分が変わったのは、一体なぜだったのかと。

 

何が原因だったのだろうか、と。

 

その時、武がインファンに声をかけた。

 

「えっと、ファンねーさん………黙りこんで、何かあった?」

 

「………あると言えばある。なあ、武」

 

「なんですか?」

 

「人が変わるのに必要なものはなんだと思う?」

 

「拳骨です」

 

「いや、そういう直接的なものじゃなくて。切っ掛けとか、要因とか………希望とか、そんな言葉?」

 

まるで試すように、インファンが言う。対する武は、少し黙り込む。

だけど数秒してから、首を横に振った。

 

「………希望、ではないと思う」

 

「ああ、そのとおりだね。空に輝く星は綺麗だ。でも、人の性格を変えてしまうほどではないかなぁ」

 

綺麗なものは綺麗で終わる。憧れて、目指そうとはしても、足元の規格を変えるまでは思わない。自分がそうだったと、インファンは考えていた。綺麗なものは確かにあった。空の星は綺麗だった。

 

それでも、足元の汚泥と濁流は己を飲み込んで。そうして、自分は今、此処にいるのだと。

 

(そう、思い出してみれば簡単なこと)

 

喜びでは人の根幹は変わらない。自己を脅かすほどの衝撃があってこそ、初めて人は変異する。応力を受けた心は、その形を保てない。

 

鉄が応力を受けて歪むように。そのあり方を変異せざるを得ないのだ。その答えは胸にしまって。インファンは表面上だけの言葉を続ける。

 

「綺麗は綺麗。だけど、進む道を変えるほどではないでしょう? 空の星と進む道は無関係だし」

 

「そう、かもしれないですね。綺麗なものを手に入れようとする。それでも、自分の根っこを変えようとまでは思わない」

 

「ああ。ま、例外はあるけどねー」

 

綺麗なものを手に入れたいと、道を変えて貫徹する。

 

「そんなのお伽話の英雄でしかない。こんな鉄と火薬の臭いが漂う世界にはふさわしくないねー」

 

立ちふさがる大敵に剣を。無私をもって信念を貫き通し、一刀の元に斬り伏せる。全ては人の命のために。守るべき綺麗なもののために。綺麗な信念を、英雄譚を手に入れるために。

 

「そうだね。今は、伝説(レジェンド)ではなく、軍団(レギオン)が必要だ。こんな生臭い世界で、そんな存在は有り得ない」

 

怪物を倒す剣も銃弾も、どちらも永続性のないもの。桁外れの数を保つBETAを前にしては、いずれ武器も尽きてしまう。

 

――――だけどそれでも、と思わせるものを得なければならない。

 

「そうだ、英雄はいない。近代の戦場はそんなに綺麗なものじゃない………でも」

 

それを知っても、戦おうとしている人がいる。例えばこの今も、世界のあちこちで戦っている人がいる。いつまででも戦うだろう。最初の戦闘でさえ、諦めなかったのだから。

 

「………うん、それでも伝説はあったね」

 

「えっと、それは?」

 

「月だよ。あの宇宙にある死の世界の上。過酷な環境で、あんな装備で………戦うことを選べた人たち。後々のことを考えると、英雄といっても差し支えないことを成し遂げてる」

 

「そうだね。月の奮戦がなければ、BETAはもっと早くに地球に降り立っていただろうし」

 

「でしょ? でも、すごいと思う反面、分からない部分があるんだ………彼らが絶望的な戦場に挑むようになった理由ってなんだろう。聞けば、軍部以外の者も総動員されたらしいよ。それでも彼らは最後まで戦った」

 

多分に美化しているが、戦闘を選択した人を突き動かしたものがあるのは確かで。

そうして、戦う意志を持たざるをえなくなったのは、どういった感情からだろうか。インファンの問いかけを聞いて、武は少し考える。

 

それまでは、直接的な戦闘を拒んでいたに違いない。あくまで基地の管理に、と宇宙に上がったはず。それでも、前線に立ったと言う人達は、なぜそんな行動に出たのだろうか。

 

「………恐怖。BETAへの、そして自分達の世界が脅かされることに対する絶対的な恐怖。それは、希望ではない。戦意を奮い立たせるものは、いつだって違うよね。そうでしょ、人を戦士に変えるものは、希望ではなく――――」

 

失いたくないから。見捨てられないから。壊されるのが嫌だから。

戦いの前には根底に破壊があって、それを拒絶する意志から戦意が生まれる。

 

そうした時、武の顔がふっと上がった。直視したインファンは、その目の色が少し濁っているように見えた。まるで別人の印象を思わせるような。

 

そして"その武"は、徐に口を開いた。

 

「―――人を変えるのは、希望ではなく絶望」

 

突然語られた言葉。

それを聞いて、インファンは驚いた。まるで声質も違うし、口調も違ったからだ。

 

「えっと………タケル、君? その言葉は………」

 

「俺の実体験、かなあ。"俺"だって最初はヘタレで、眼を背けて、逃げる場所があるからって逃げて、そんでまりもちゃんが…………」

 

「ま、まりもちゃん?」

 

考えてみるが、そんな衛士は思い当たらない。

名前からして日本人の衛士らしいが、インファンの記憶にもない。

 

「うん、じんぐ…………っとお、な、んだ、これ」

 

武はそう言いながら、自分の頭を押さえた。

よろけてしまい、手をついた所にコップがぶつかり、水がテーブルに溢れた。

 

「ちょ、大丈夫!?」

 

インファンが声をかえる。それまでは肌色を保っていた武の顔色が、すごい勢いで土気色になっていったからだ。それは、血の気が引くという言葉そのものをあらわしているかのよう。

 

そうして、数分の後。ようやく話せる状況にまで回復した武に、インファンが問いかけた。

 

「えっと、何か嫌なことでも思い出したとか?」

 

「思い出した………いや、違う。あんなの、記憶にないし…………」

 

「覚えがない光景ってこと。えっと、一体なにが見えたの?」

 

衛士が、思い出すだけで正気を失うようになる光景。インファンにすれば想像のつかないものだ。

武は反射的に答えようとするが、そこで言葉につまった。

 

言い出せないのだ。まるで喉に詰まった餅のように言葉が出てこない。そのまま武は、苦しみながらも、何とかといった風に言葉を再開した。

 

「見たことのない、のっぺらぼうのBETAと…………噛み砕かれる………女の人?」

 

「のっぺらぼう?」

 

「ああ。くそ、マジでなんなんだコレ………あの夢でもこんな、リアルに見えたことなんか………」

 

そこまで言って、武は頭を抱え込んだ。インファンはその様子と、あえて表現を避けたことから、何か気持ちの悪い光景でも見たのだろうと判断する。心配しながらも全容がつかめていない。一体何を見てしまったのか。

 

それでも、今の彼女の心の内を占めているのは、さきほどの武の言葉であった。

 

――――人を変えるのは、希望ではなく絶望。

インファンはじっと、その言葉の意味について考えていた。

 

(そうだね。人が戦うのは………)

 

絶望は死である。滅亡である。自己の根本を揺るがすほどの感情の奔流があって、初めて人は変革をとげる。自分の命も、それに等しいぐらい大事な人の命が。代えがたい何かを守るために立ち向かうために。それが脅かされるとなれば、誰でも目的に真摯にならざるを得ない。

 

望む結末を得るために、大切な何かが無残に引き千切られないように。

 

(だから、クラッカー中隊、その隊員の根っこを変えるには…………っと)

 

インファンは苦笑した首を横に振った。それ以上は考えてはいけないことだからだ。

 

希望ではなく、絶望を。好機ではなく、危機を。軍人においてそんなことを望むのは、狂人と敗北主義者以外にありえない。口先だけでは到底無理だ。そも、絶望とは無形である。無形で未知で、どうしようもない、それでも望みを絶つものであるからこそ、人はそれを絶望と呼ぶ。

 

(それでも望みが絶たれては意味が無い。それに………)

 

インファンは知っている。2回とはいえ、死地に赴いた身である。そうして学んだのだ。戦場に常識はなく、正気もない。"狂わなければ生きていけない"、そんな人間も存在することを。

 

(最善はひとつしかないから最善、か。程よい絶望を味わなければ、変わらない、でも………)

 

そんなに都合よくいくわけがない。それでも、今現在にこうした"機会"がある。

それを前に、はたして自分はどういった選択肢を取るべきなのか。

 

考えていることは、恐ろしいことだけど、それでも、と考えていた。

味方殺しになりかねないのだ。人として常軌を逸している方法であった。

 

(それでも戦場は狂気を肯定する………それに私も今更、か。そして自分だけが、なんてことは言えないよね)

 

目を開ける。そこには、少年が映っている。少し元気を取り戻した。それでも、疲労に色濃い顔を隠そうともせずに。ホアン・インファンという女は、小狡い人間だ。守るためならば、手段を問わない人間でもある。優先すべきは"あの家"で、それを守るためにここに居る。

 

子供は好きである。武やサーシャを見ていると、あの家を思い出せる。片方は素直でないが、それでも見ていて微笑ましいものがある。自分と同じで、何か隠していることはあって、その内容について心当たりはあるが――――

 

「ん、どうしたの。そんなに怖い顔をして」

 

「やあ、なんでもないよー? ちょっと考え事をしていただけ」

 

「そうなんだ。でも、珍しいね。ファンねーさんがそんな素の顔を見せるなんて」

 

「………素?」

 

「あ、やべ」

 

急に黙りこむ武。インファンは、誰がそれを吹き込んだというか教えたのかを、調べなければと思った。でも今は別だと、話を続ける。

 

「えっと、ねーさん? そんなふうに睨まれると怖いんだけど」

 

「ひどいなー。でも聞きたいことがあるんだけど、聞いていい? 

 

――――私ってばけっこう、身内びいきを好むタイプなんだけど………そんな女って、どう思うかな」

 

「身内って、家族? 家族が好きだっていうことなら………それは、良い事なんじゃないかな」

 

「タケル君はたまに親父さんと喧嘩をしているけどねー」

 

「う………で、でも突然なんでそんな事を」

 

「ううん、なんでもないよ。あとは――――」

 

区切って、意識して、インファンは問うた。

 

 

「やって後悔するのと、やらずに後悔するのなら、どっち?」

 

 

「やって、後悔しない」

 

 

間なんてない即答。インファンは思わずといった答えに、きょとんとしてしまった。

 

「全力でやる。やれることは全部やる。なら、後悔なんてしようがないだろ?」

 

「そう、考えるんだ」

 

青臭いと切り捨ててもいい。だけど、顔を青くして。身体をはってここまで戦い続けていること。それを知っているインファンとしては、笑うことすらできやしなかった。まぶしすぎて。そうして、正しさを知った。英雄としての輝きとは、こういうものだと、そんな事を考えてしまう。

 

どうすればいいのかも、わからなくなって。かろうじて出てきた言葉は、四文字だけだ。

 

「………すごいね」

 

「すごくない、よ。全然すごくねえ」

 

少年は笑った。儚ささえ感じさせる顔で、一端の大人の顔を努めて気取ってみせた。まるで子供のように。

 

「教えられたから。生きている兵士の義務だって。背負ってきた約束もあるし…………なんて、さ。それに、ファンねーさんだって、そうなんじゃないの?」

 

「お、鋭いねーって――――って、冗談抜きにほんとに敏いわね」

 

インファンは、武の言葉に快活な笑みを返した。笑った。いつものポーカーフェイスを保ちながら、笑い返した。笑い返さなけばならないと思って、だから笑った。

 

 

「………そうだね。ほんと、タケルはすごいよ」

 

「それなら衛士のみんながそうだ。みんな凄いし、頑張ってる。命をかけて戦ってるんだ。絶望に負けないように」

 

 

武は笑い返した。まるでそれが真実であるかのように。

 

 

対するインファンも、笑い返した。

 

 

 

――――そうして、2週間後。クラッカー中隊は移動を命じられた。

 

 

場所は最前線。バングラデシュ防衛線の要であるダッカ基地へと。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。